台本概要
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タイトル | 『耽溺ちゃんと退廃くん』#5 |
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作者名 | sazanka (@sazankasarasara) |
ジャンル | ラブストーリー |
演者人数 | 3人用台本(男1、女2) |
時間 | 50 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
プログレス1 ―破滅の町― とある「行為」を介して関係を持つ男女の学生、「君子(きみこ)」と「捧一(ほういち)」。 ありふれた唯一つの言葉へと至る為の、逆回りのオリエンテーション。 体調が悪いと心細くなり、尚且つ年明け早々アポ無しで来られるのは心臓に悪い、というお話。 ―2022年1月某日― ※どこからどこまでを「ラブ」の範疇とするかは人によりけり、ということで、あしからず。 90 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
君子 | 女 | 126 | 「保科 君子(ほしな きみこ)」。大学2回生。檻の君。 |
捧一 | 男 | 119 | 「多々良 捧一(たたら ほういち)」。大学2回生。沼の底。 |
浄子 | 女 | 124 | 「保科 浄子(ほしな きよこ)」。自由人。奈落の太陽。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:【屋外】
0:都内名門「恩行(おんぎょう)大学」最寄り、「朔磨寺(さくまでら)」駅近辺。アパート郡の街路を抜けて、長髪の女性が行く。右手には、スマートフォン。
浄子:(ワンコールで繋がり、通話)
浄子:あー、あー、由(ゆかり)ー? もっしー、やっほー。
浄子:んー。タラタラ歩いてるよ、もーすぐ着くトコー。
浄子:ってわかってるか、和(なごみ)特製の秘密メカで、絶賛モニター中なんだもんねー?
浄子:お兄(にい)の兵隊はー? 何人隠れてたー?
浄子:……、……、
浄子:んふははっ。正月返上でゴクローさんだねーっと。
浄子:お手当て出そっかな、アタシから。んふふ、ふ。
浄子:…………しっかし、相っ変わらずきったねートコー。ガッコー近いとはいえ。
浄子:……あのオトコノコにゃーお似合いの、泥の底、だけどさー。
0:にんまりと笑み。
浄子:掃き溜めに降り立っちゃった鶴は……、
浄子:果たして清らかなままで、いられるのかなー? んふ、ふふふ。
浄子:ん? …………、…………。
浄子:……あはは。んー。思ってないよ、そんなコト。
浄子:あの子は変わんないし。
浄子:あの子には、変えらんないよ。
浄子:何も。
浄子:……多分ね。知らんけどー。
浄子:んふふ、ふっふふ。
浄子:んじゃ、引き続きよしなにー。
浄子:あーアタシ盗聴器とか探せないからさー、今度また誰か、八千代(やちよ)にでもお願いしといてー。
浄子:んー、んー。おけー。らじゃー。
浄子:あ、あ、コンビニ寄るわ。ココア買うから。
浄子:んじゃ後でねー。んー。
0:通話終了。1月の冷風が吹き通る。
浄子:うひー、寒ーっ……。
0:女は空と街並みを見やる。あらゆる全ての感情を、綯い交ぜにしたかのような、笑み。
浄子:……さぁー、って。
浄子:元気にしてるかなーーっ。
浄子:お労(いたわ)しやの……、アタシの妹は。
浄子:んふふ、ふふふ、ふ……、
浄子:あっははははははははっ!
0:タイトルコール。
君子:『耽溺ちゃんと』、
捧一:『退廃くん』。
0:暗中より声。
浄子:違うよ。
浄子:コレはいずれ語られる、
浄子:アタシの物語の、
浄子:ひとかけら。
:
0:【寝室】
0:ベッド上で身を起こし、体温測定中の君子と、傍らに座る捧一。湯気を立てるのは、粥の器。
捧一:ん。今鳴ったね、体温計。
君子:……どうでしょう?
捧一:いいから。何度?
君子:(しぶしぶと体温表示を見)
君子:……、三十六度、七分。
君子:下がりましたねぇ。
君子:騒ぐ程では、
捧一:(遮り)
捧一:見せて。
君子:…………、
君子:体温計をケースに、
捧一:貸してって。
捧一:本当は何度なのさ。
君子:…………。
0:体温計を手渡しつつ、
君子:……八度二分、です。
捧一:上がってる、ね。
捧一:何で嘘ついたの。
君子:別に……。
捧一:体が怠くて、節々に痛みがあって。
捧一:8度台の熱。
捧一:風邪だね、言い逃れしようも無く。
捧一:新年早々お気の毒。
君子:認めて、諦めてしまったらそこで終了ですよ。
捧一:体調管理はバスケじゃないから。
捧一:喉や鼻は?
君子:今の所は。
君子:……、はぁ……。(溜息)
捧一:逃げるよ、幸せ。
君子:愚にもつかない迷信です。
君子:どうして捧一くんがケロっとしていて……、
君子:私が風邪なんか、
捧一:俺はさっさと一回引いてるから。
捧一:というか……、
捧一:いい加減、終わった後裸で寝てしまうというスタイルを見直すべきだったな。
捧一:冬に入ってからは。
君子:捧一くんという抱き枕の保温性能が低いのがいけないんです。
捧一:平熱は低い方だけどさ。
捧一:君子さんって、こう言うとなんだけどあんまり寝相が……、
君子:(遮り)コンパクトなスペースで眠る事に慣れていないだけ、です。
捧一:隙間風にも?
君子:……転がり込んでいる身で……、
君子:言えた義理ではありませんが。
捧一:立派な一人暮らしの部屋もあるのにね。
捧一:日当たり良好、最新鋭のエアコン完備の。
君子:あの物件は……。
君子:当然の如く、実家の息がかかっていますから。
君子:壁に耳あり障子に目あり、です。
捧一:無いけどもね、障子。
君子:減らず口に返す気力もありません……。
君子:全く。去年に続き、無為なお正月です。
君子:年を跨いで快楽と惰眠を貪って、その上風邪を引くなんて。
捧一:知らない内に越してたね。
捧一:結局……、流れとしては、
君子:お蕎麦を食べた後、紅白を観ていたんですよ。
君子:捧一くんが珍しく観たいって、
捧一:冒頭だけね。審査員で戸賀梨子(とがなしこ)が出るって事で……。
君子:滅多に露出しない作家ですからね。
君子:何と言いますか、益々、若返っているような……、
捧一:昔から年齢不詳だそうだけど。
君子:随分年下の燕と再婚されたそうですし。
君子:若さを吸い取っていらっしゃるんですよ、きっと。
捧一:写真週刊誌みたいな事言うね。
捧一:仮にも学部の、遠い先輩に。
君子:だいぶ、かなり、上の方(かた)ですから……。
君子:卵粥、もう冷めたんじゃないですか。
捧一:ん……、
捧一:(器に手を触れ、熱さを確かめ)
捧一:いい頃合い、かな。
捧一:猫舌の君子さんにも。
0:匙と共に器を差し出し。
捧一:はい。どうぞ。
君子:食べさせてください。
捧一:ん???
君子:食べさせて、ください。
君子:口を開けていますから。
捧一:何故……、かな。
捧一:スプーンを持てない程、腕や肩が酷く怠いとか、
君子:そこまででもありませんが。
君子:観念して風邪と認めた以上、もう何一つ自分でする気がなくなりましたっ。
捧一:普段もそうじゃない……。結構。
君子:心外ですねぇ。生物的欲求の範囲は自分で処理しています。
君子:捧一くんこそ……、いつもは私の口を無理矢理開かせて、舌を掴んで引っ張り出して……、
君子:あぁんなモノやこんなモノを強引に、
捧一:食事時にやめてもらえないかな。
捧一:俺も卵粥で済ますつもりなんだから。
君子:私は気にしませんので。
君子:はい、あーん。
0:言い、あんぐりと口を開く君子。
捧一:それ……、食べさす側が言うヤツだから。
君子:うふ、ふ。
捧一:…………。
0:暫し憮然と見やり、渋々、匙で粥を掬う捧一。
捧一:冷めすぎても勿体ないし。
捧一:……はい。
君子:ふふ。あむ。
0:匙から卵粥を含み、咀嚼。
君子:ん……、美味しい、です。
捧一:どれどれ……、
0:同じ器から掬い、一口。
捧一:うん……。
捧一:微塵タマネギが効いてるな。
君子:あ、これ玉ねぎなんですね。
捧一:うん。バイト先でずっと売れ残ってたのを買い取った、フードプロセッサーで挽いて……、よく炊いた。
君子:もっと。あーん。
捧一:燕の雛だね、まったく……。
捧一:はい。
0:もう一口含まされ、咀嚼。
君子:(味わい、嚥下し)
君子:ふふ……。
君子:良い気分です。捧一くんに食べさせて貰うのは。
捧一:赤ん坊に戻ったみたいで?
君子:新しい趣向ですか。
0:にぃ、と笑む。
君子:本当に……、全部、何もかも、乳幼児のようにお世話をしてもらう、とか?
捧一:やりたいなら……、試すけど。
捧一:興味ある?
君子:そうですねぇ。
君子:くすぐられる所はありますが……、
0:もう一口含ませられ、咀嚼。嚥下。
君子:全て委ねきってしまう、開放感……。
君子:ふ、ふ……。
捧一:案外と盲点だったな。
捧一:まあ……、体調が戻ったら。追々。
君子:今からでも良いですよ?
君子:このままの流れで。
君子:体もちょうど、火照っていますし。
捧一:発熱してるんだよ、正真正銘。
捧一:あと今からは無理だね。やるならやるで準備が要る。
君子:哺乳瓶とか?
捧一:とか、諸々……。
捧一:おむつは介護用品になりそうだけどね、サイズ的に。
君子:う、ぁ……。
0:ふ、と眼が熱く浮き。
君子:ふ、ふ……。グっと来ましたよ。今。
捧一:専門店もあるぐらいだから。
捧一:王道といえば王道だけれども。
君子:遺憾なく発揮されそうですねぇ。
君子:捧一くんの凝り性が。
捧一:責任感がある、と言ってほしいけど……。
捧一:ま、何でも。はい、もう一口。
君子:ふふ。あむ。
0:咀嚼。嚥下。
君子:あ、林檎はぁ?
捧一:買ったよ。食後に剥くから。
君子:赤ちゃんにするように……、
君子:まず捧一くんが口に含んで、噛んで柔らかくしてから、食べさせてくれて良いですよ。
捧一:それ、子供には本当はやっちゃ駄目らしいけどね。
捧一:親から虫歯が伝染るから。
君子:…………。
君子:勿論、してもらった事、なんて、ありませんので……、
0:眼の奥がやや冷め、
君子:今も虫歯は一本も無いです。
捧一:…………。
捧一:良い事じゃない。
捧一:食べたら……、薬を飲んで眠って。
捧一:起きて熱が下がらないようなら明日にでも、病院に……、
0:言葉を遮り、インターホンのチャイムが白々と響く。
0:刹那、沈黙。
捧一:……。
捧一:チャイム。
君子:……。
君子:新聞の勧誘でしょうか。
捧一:新年2日に?
君子:……、
捧一:メイドの誰かかな、ご実家の。
捧一:溜まった年賀状を持って来たとか、
君子:事前に連絡があるはずです。
捧一:うん。
捧一:そして俺の縁者である筈は無い。
君子:……、発熱の事も……、
捧一:誰にも伝えていない、のに?
君子:……。何だか、
捧一:いや……。
捧一:不安になるような事でも無い。
捧一:出てくる。
0:立ち上がり、玄関へ向かわんとする捧一。
君子:捧一くんっ、
捧一:(立ち止まり)
捧一:うん?
0:胸騒ぎと、悪寒は、病症によるものか、否か。
君子:早く……、戻って来て、くださいね。
捧一:……、うん、はい。
捧一:林檎を、剥くから。
捧一:寝ていなよ。
0:捧一は去り、君子、独り。
君子:…………。
0:暗転。
:
0:暗中。全ての色が混ざった、青黒き太陽の如き声音。
浄子:『神は死に、果てるべき末期(まつご)の人間たちは、答えを得ぬまま、無明(むみょう)の森で瞬きをする。
浄子:温もりを求め、ときどき僅かな毒を飲む。
浄子:心地よい夢を見て、最後には多くの毒を飲み、心地よく死んで行く。』
浄子:『人間は超克されるべき何物かである。
浄子:いずれ打ち捨てられ、“超人”への贄(にえ)となるべき遺物である。
浄子:お前たちは人間を超克すべく、何ごとかをなしたか?
浄子:退廃へと耽溺する、だらしのないお前たちは。』
捧一:フリードリヒ・ニーチェ、『ツァラツストラはかく語りき』より。
0:【玄関】
捧一:……っ、
浄子:やっほやっほやっほっほー。
浄子:新年明けたねー? おめでたいー?
捧一:貴方、は、
0:唯我独尊に一歩踏み入り。
0:捧一と浄子、対峙。
浄子:久しぶりの登場だねー。
浄子:多々良(たたら)捧一、くん?
捧一:お久しぶり、です。
捧一:……「登場」?
浄子:この、アタシの物語に。
浄子:キミという脇役が、さ。
捧一:…………。
捧一:新年早々、随分なご挨拶ですね。
捧一:お付きのメイドさんも連れずにお一人で、
浄子:(応じず)
浄子:アタシの妹はー?
捧一:……っ、
浄子:水増しのダイアローグは気分じゃナイなー。
浄子:「保科浄子(ほしなきよこ)、妹の君子に会いに行くの巻」、だよ。今回のお話は。
捧一:……今日は居ない、来てない、ってのは無し、ですかね。
浄子:無駄だってば。匂いで分かるから。
浄子:それに行くトコなんて無いよねー? あの子には。
捧一:さあ……。華の大学生ですからね。
捧一:三日会わざれば刮目して見よとも、
浄子:(遮り)「立ち話もなんですし」のタイミングだよ?
浄子:どうしたの?
捧一:……、
浄子:段取りの悪い脇役は降板になっちゃうぞー?
浄子:上がるね、靴は流石に脱いであげるねー?
0:言い、ブーツに手を掛ける。
捧一:ちょっと。あのですね、
浄子:(スリッパを引っ張り出しつつ)
浄子:んー?
浄子:キミん家(ち)だから何?
浄子:アタシが上がるって言ってるんだけど。
捧一:いや、
0:捧一の制止を無視して、廊下を進む。
浄子:君子ちゃぁーーん。
浄子:お姉ちゃんが会いに来たよぉーーーーっ。
捧一:(追いながら)
捧一:風邪、なんですよ。
捧一:寝てるんです。
浄子:大寒波だもんねー。
浄子:だから?
捧一:伝染っても良くないし、
浄子:アタシの体調と、キミのご都合に何の関係が?
捧一:……、発熱もしてるんです。
捧一:正直、刺激して負荷をかけたく無いんで、
浄子:(遮り)んんー?
0:立ち止まり。眼の奥の、青黒い光が深まる。
浄子:意味がわからない、なー……。
浄子:ナニとして喋ってる? キミ。
捧一:……っ、
浄子:「妹をヨロシク」、とは言ったけど。
浄子:アレは君子ちゃんのオモチャとして、分相応に振る舞いなよ、って意味なんだけど。
浄子:理解してなかったのぉー?
捧一:いえ……、そこは、
浄子:八千代とかも釘は刺してるって、言ってたんだけどなー。
捧一:刺されてますよ……。毎回、かなり尖ったヤツを、
浄子:(応じず)
浄子:そんなキャラだったっけ? キミ。
捧一:……、
浄子:君子ちゃんのモヤモヤを、吐き捨てる為の下水道。
浄子:っていう以上の役割を、用意したつもりは無いんだけどな、アタシ。
捧一:……、お務めは程々には、
浄子:ひっさびさに出て来てさー。
浄子:「コイツ誰?」ってなるようなキャラって。
浄子:お話的にはノイズだよね?
捧一:…………、
浄子:与えられた役割ひとつこなせないんなら。
浄子:クビになる?
捧一:……、…………、
浄子:あっ。ていうか言い忘れてたー。
浄子:アタシとしたコトが。
捧一:……、何です、
0:にや、と笑む浄子。
浄子:「ごめんください。お邪魔しまーーーす」。
捧一:…………、
浄子:んふ、んっふふ。
浄子:あはは、あはははははははっ。
0:【寝室】
0:不安気に独り待つ君子。ノックの音。
君子:捧一くん……、どちらの、
浄子:(ドアを開け放ちつつ)
浄子:君子ちゃぁーーん。
浄子:大丈夫ぅーーー?
君子:(反応、息を飲み)
君子:っ!??
君子:ひっ、ぁ、……っ、
捧一:八度台なんです。
捧一:穏便に、
浄子:あけおめーー。
浄子:今年もヨロシクねーーー?
君子:お、姉、様…………っ、
君子:どう、して……っ、
浄子:お正月だもん。
浄子:ご挨拶っていうかー。
浄子:愛しい愛しい妹のぉ……、
浄子:可愛い可愛いお顔を、見に来たんだよー?
君子:……っ、
君子:お一人で……?
君子:塚淵(つかぶち)の、葵谷(あおいだに)の、お屋敷から……?
浄子:今日はねー。
浄子:まー、三ヶ日を巣穴で過ごす程ヒマじゃないけど。
浄子:どんどん忙しくなるからさー、
浄子:偶の姉妹の逢瀬(おうせ)のヒトトキぐらい、水入らずでー、と思って。
君子:…………、
浄子:あ、ソコの土気色フェイスくんは退席しなくてもいーよ? 別に。
捧一:俺の部屋なんで……。
浄子:だからね?
浄子:君子ちゃんの嫌いなメイドのおねーさん達は一人も、来てないから。
浄子:安心してねー?
君子:…………。
君子:そう、言って。どこかに控えているんでしょう。
浄子:そりゃ、行きと帰りはね?
浄子:アタシってばコレでもぉー、
浄子:天下に轟く庭番六家(にわばんろっけ)が序列五位、保科(ほしな)家の長女、だからさーー。
君子:……馬鹿に、している癖に。
浄子:不必要に重く捉えてないだけだよ。
浄子:君子ちゃんみたいに、さ。
君子:……っ、私、は、
浄子:それにさー。
浄子:君子ちゃんのこのお遊びが、お兄(にい)にバレないように気を揉んでるのはアタシなんだけどなーー?
君子:……、
浄子:ま正確には、アタシの、働き者のメイド達が、だけどねー。
浄子:いくら「築川(つくがわ)」系列の物件だっても、お兄が本気出したら全部筒抜けだから。
浄子:頑張ってガードしてるんだよー?
捧一:つくがわ?
浄子:え、え、知んない事ナイでしょ?
浄子:六家序列三位の「築川」。
浄子:ウチと仲悪いんだよねー、ソリャもー、死ぬホド。
捧一:「築川グループ」はそりゃ、知ってますけど……、
捧一:ココもそこの系列?
浄子:子会社の子会社の、ひ孫会社ぐらいだけどねー。運用してるのが。
浄子:でぇ、ソコが良かったんだよねー?
浄子:君子ちゃん?
君子:…………、
浄子:パパが用意したマンションには殆ど帰らずに。
浄子:合格発表の日に引っ掛けた捧一クンをコトバタクミに誘導して、ウマーいこと、ココに決めさせて。
浄子:しっぽり入り浸って、狭いながらも楽しい我が家、平穏な同棲生活スタートぉー、って。
浄子:我ながら上手くやれたぁー、って。
浄子:思ったんだよねーーー?
君子:…………っ、
捧一:確かに……、
捧一:物件を探す時に、だいぶ親身に手伝ってくれるなとは、思ってたけど……、
君子:捧一、くん、
君子:それは、
浄子:でも無理無理の無理、
浄子:無理無理ムーリーだったよねー。
浄子:そんなスカスカ穴だらけのプランじゃ。
君子:……っ、
浄子:ソモソモ自分らのナワバリに、他の六家の係累(けいるい)が出入りしよーとしてるーって。
浄子:「築川」方(がた)が嗅ぎ付けらんないワケ無いしねー。
君子:……、
浄子:あの筋肉ダルマはトロいけど、足の引っ張り合いがキライな訳じゃ無いから。
浄子:こんなのすーぐ、ゴシップの種だよ。
浄子:うちのメイドたちの心労を思うと、立ち枯れちゃうなー、御主人サマは。
君子:……、どうとでも、好きに……。
君子:惜しむような名誉なんて最初から、
浄子:(遮り)慣れてもないヤケっぱちは感心しないなー。
浄子:何にも考えてないだけじゃないの?
君子:……、
浄子:加えてお兄の眼もあるしー。
浄子:お粗末な段取りの穴を埋めて、監視と諜報の眼をダブルでカットして、君子ちゃんの養生と更生はアタシが預かるーって、お題目を用意して。
浄子:なんもかんも、丸ぅーーく、きれーーーに納まるよーにコーディネートすんのってー。
浄子:けぇっこーーー、大変なんだけどなーー?
君子:…………。
君子:お願いを、した、覚えはありません。
君子:ので……っ、
0:き、と睨み。
君子:お礼を、申し上げる謂れも、ありません……っ。
浄子:…………。
0:君子の息は荒く。浄子の眼は嗜虐的に曲がる。
浄子:んふ、ふふふ、んっふふふ……。
浄子:良いよぉー? 君子ちゃん。
浄子:ホントに、コドモの時のまぁーんま……。
君子:…………。
浄子:檻の中で意地になって、誰も見てないのに、眼だけは三角にして、睨みつけて……。
浄子:ハンストして勝手に痩せ細って、壊れる寸前まで、声も上げずに……。
浄子:自分では何1つ、筋書きを変えられない……、
浄子:憐れで愛しの、名脇役ちゃん。
浄子:んふ、ふふふ……。
君子:……脇、役……?
浄子:どうか、これからもソノママでいてね……?
浄子:お姉ちゃんが一生……、
浄子:守って、アゲルから。
君子:……っ、
浄子:ただしアタシの本筋の、片手間に、ね。
君子:お姉様に……っ、
君子:私の、何がっ!!
浄子:わかんないよ。
浄子:進もうとしない人間の気持ちなんて。
君子:!!!
君子:……よくも…………っ、
浄子:んふ。
浄子:八千代の言ってたとーり。
浄子:食欲が戻って、ちょっとはふっくらして……、
浄子:そうやって歯ぁ剥いて怒った顔してるとー……、
捧一:……、
浄子:アノ女、そっくり。
君子:っ!! ……っ、
0:ショックと激昂。君子の瞳孔が開く。
君子:どうしてっ!!!
君子:そんな事が言えるんですかっ!!!!
捧一:君子さん!
浄子:んふふふ、元気だー。
君子:どうして、貴方たちは……っ!!!
君子:あんな、場所で……っ、
君子:平気な、顔をして……っ!
浄子:心外だねー。メンドイ事もいっぱいあるんだよ?
君子:人を人とも思わない……っ、
君子:体裁や、損得でしか未来を図る事をしない、酷薄で、恥知らずな人たちの中でっ、
君子:あんな、場所でっ……、
君子:澄ました顔で、生きて、いられるんですか…………っ、
浄子:簡単だよ。
浄子:強いから。
君子:っ!!
浄子:強くある事を求められて、より強くあろうとしてるから、だよ。
浄子:そしてぇー、
捧一:浄子さん、もう今日は、
浄子:(無視して)
浄子:お前やアノ女は弱いから。
浄子:ソレが出来ないんだよ。
君子:っっ!!!!
捧一:病人に言う事じゃない!
君子:わた、し、だって……っ、
浄子:何が出来てるのー?
浄子:薄汚い貧乏人と、昼も夜もなく盛りまくって。
浄子:叱られない程度に学校サボって、捕まらない程度にワルイ遊びしてー、って。ソレが何の抵抗になると思うのぉー?
君子:う……、ぅっ、
捧一:落ち着こう君子さん。
捧一:もう引き取ってもらうから、
君子:うるさいっ!!!
君子:これは……、私と、この人の……っ、
君子:あの忌まわしい、家との……っ、
捧一:君子さん!
君子:ぅ、あ……、
0:乗り出していた身をぐらりと崩す君子。咄嗟に、捧一が支える。
捧一:……っ、っと。
捧一:……、さあ。横になって。
君子:ぁ……、うっ……、
0:君子を横たえさせ、毛布をかける捧一。
浄子:んふふ、ふ。
浄子:無理しちゃダメだよー?
浄子:政略の道具くらいにしか能の無い……、
浄子:大事なカラダなんだから。
捧一:…………。
浄子:キレーに保ててたらのハナシだけど、ね。んふ、ふ。
捧一:……病身の血縁者に向かって。
捧一:よくそういう事が言えますね。
浄子:仕方ないよねー。
浄子:恩行(おんぎょう)程度の三流にしか、受かんないんだから。
君子:…………っ、
浄子:あ、でもぉー。
浄子:入学が決まった途端にさー。
浄子:特に古くもなってない学食が急に取り壊されて、取って付けたみたいにキレーでオッシャレーなオープンカフェがイキナリ出来たのはどーしてなのか。
浄子:誰のポケットから出たマネーなのかぁぐらいは、察しの付くアタマであってほしーかなー。
君子:……っ、
浄子:ていうか。捧一クンさぁー。
捧一:何、ですか、
浄子:血縁がどーたら。
浄子:よくそんな言葉が吐けるよね?
浄子:お前の口から。
捧一:……っ、
浄子:ご両親も、妹さんも。
浄子:心安らかに年末年始を過ごせてるらしいよー?
浄子:キミっていう汚れ染みを、洗い落とせたおかげで、ね?
0:沈黙。奥歯が軋み、捧一の眼の奥が、泥濘む。
捧一:…………。
捧一:全く以て。
捧一:興味が湧きませんね。
浄子:んふ……。
浄子:一寸の虫の五分(ごぶ)の意地になんて。
浄子:半文の値も付かないね。
捧一:……獅子身中の虫であったなら?
浄子:潜り込む器量も、度胸もねーだろ、お前には。
捧一:俺には、勿論。
捧一:だけど中には値千金(あたいせんきん)の毒虫だって、
浄子:(遮り、気色ばみ)
浄子:龍には敵わない。
浄子:虫も。人も。獅子だろうが虎だろうが、ね。
捧一:…………、
捧一:ご自分を龍だと?
浄子:……どーでもイイ。
浄子:アタシは保科浄子だ。
浄子:身の程知らずの龍に、一泡吹かせてドヤシつけてやろうって腹積もりの……、
浄子:一個の、女だ。
捧一:…………、
0:黒い太陽の如き眼差しが、紅炎を吹き上げるかのよう。
君子:龍……、
君子:宗家(そうけ)様…………?
浄子:(ふ、と顔色を戻し)
浄子:んふ、ふ。
浄子:ココから先は……。
浄子:キミたちの人生には、関係が無い。
浄子:関わらずに死んでいける僥倖(ぎょうこう)すら、噛み締めようが無い程に。
浄子:だから、話さない、よ。
君子:(緩慢に身を起こしつつ)
君子:…………、お姉様は……、
捧一:寝てなって、君子さん。
君子:大丈夫、です……。
君子:……お姉様は、一体何を、しようとなさっているんですか……?
浄子:…………。
君子:家の、問題にも。
君子:お母様の、問題にも、力を注がずに……。
君子:六家の務めからも離れて、胡乱(うろん)な、有象無象の、得体の知れない方たちと、交遊して……、
浄子:んふ、ふ。「得体の知れない」、か。
浄子:凡然丸(ぼんぜんまる)くん辺りが聞いたら傷付くだろーなー。
君子:「衾坂(ふすまざか)、学顕(がっけん)都市」の……?
浄子:そーだよ? 理事会の統括。
君子:領域破りです。
君子:あそこは二位の、「仙(そま)」一族の肝入りの筈、
浄子:そんなの有って無いようなモンなんだよねぇー、最早。
浄子:それに。
浄子:ヒトは多層構造の、多面体、だからね。
浄子:内にも、外にも。
君子:…………、
君子:あまつさえ……、
浄子:んー?
君子:大阪の……、「雷殿(らいでん)」の幹部、後継者の方と……、お姉様が、密会を、重ねられている事。
君子:私……、知っているんです。
浄子:…………、
0:檻中より突き付けるような君子の眼。刹那、沈黙。
浄子:…………んふ、ふふふふふ。
浄子:どのメイドがオイタをしたんだか。
浄子:アイツは……、ジローザエモンはねーー……。
浄子:ありゃ、タダのツレだよ。
浄子:向こうが何のつもりかは、知んないけど、ね。
君子:重大な謀叛(むほん)です、
君子:宗家様に対する。
君子:看過されるとは思えません。
浄子:んふ、ふ。
浄子:前へと、未来へと進もうとする時にはね……。
浄子:序列も、階層も、西も東も、あったもんじゃー、無いんだよ。
浄子:檻の中のお人形には、見えない景色だろーけど、ね。
君子:…………、
浄子:可愛いねー? 君子ちゃん。
浄子:精一杯、お姉ちゃんと張り合って……、おんなじように、やってみたかったんだねー?
君子:…………っ、
浄子:もう無理して喋らなくてイイから、ね。
浄子:アタシは今日の、目的を果たして……、
浄子:物語は、先へと進む。
君子:……、もの、がたり……、
浄子:脇役や、端役(はやく)に過ぎないキミたちは……。
浄子:次の登場が叶うまで、舞台の下で、怠惰に生きていると良い。
浄子:決して前には歩を進めず。
浄子:生微温(なまぬる)い泥に浸かって、この……、滅んでしまった巷(ちまた)で、死ぬまでの時間を数えていると良い。
捧一:……、
君子:お姉、様、
浄子:多くの、佇んだままの人間たちは……、
浄子:時にソレを「幸せ」だとか、
浄子:……、
浄子:何だか、虫唾が走るような名前を付けて、有難がるけれど。
捧一:……、
浄子:アタシは、歩く。
浄子:歩みを止めない。
浄子:……もう帰るね。
捧一:……、そう、ですか。
君子:お姉、様、
浄子:熱、下がると良いね。
浄子:たかが流行りの風邪ー、って。
浄子:アタシたちは、重くは捉えないけれど。
捧一:……、
浄子:どこか、遠く遠く隣り合った、ボヤけたレンズの、向こう側の地平では……。
浄子:風邪によく似たウイルスが、その黒い死の腕を振るって。
浄子:この国や、世界のどこでも。
浄子:何千、何万もの人間を、あの世に送っているのかも、しれないから。
君子:……?
捧一:風邪に似た……?
捧一:ヨソの国はさておき、日本の今の防疫能力でそこまで、
浄子:(遮り)マジでそう思うよねーー?
浄子:……だけど1つでも掛け違えば、現(うつつ)も理(ことわり)も、いとも容易く逆撫(さかな)でられる。
浄子:……この意味をキミたちが知る日は来ない。
浄子:だから、精々……、
0:姉は妹を見詰め。青黒い瞳に刹那、柔らかな色。
浄子:よく食べ、よく寝て、よく、吐き出すこと。
浄子:寒い日には毛布に包(くる)まること。
浄子:…………守れる?
0:撫でるような視線が注がれ。
君子:(呆気に取られ)
君子:は、ぅ、あ、
君子:は、い…………、
浄子:……じゃあね。
0:満足し、浄子は部屋を出んとする。
捧一:あ、の……、えっと、
浄子:好きだよ、君子。
浄子:……見送りは要らない。
君子:お姉、さま、
0:バタン、とドア。
0:沈黙。
君子:…………、
捧一:…………、
0:やがて、玄関より、客の退出を告げる音。
捧一:…………結局……、
捧一:君子さんの顔を、見に来ただけ、って事で良いのかな……。
君子:……わかりません。
君子:……前にも増して、会話が、通じなくなっていて……、
捧一:……、取り敢えず……、
0:捧一は掛け布団を整える。
捧一:暖かくして。
捧一:食事の続き、かな。4口くらいしか食べてないしね。
君子:……、そんな気分では……、
捧一:じゃ……、林檎を剥くか。
捧一:お粥の残りは、また温める。
君子:……はい……。
0:何とは無し、部屋を見回し、捧一はキッチンへ去ろうとする。
君子:…………、捧一くん、
捧一:何、かな。
君子:……私が……、
君子:初めから、計画ずくで、このアパートに決まるよう、仕向けていた、事。
君子:不快に……、思いますか?
0:刹那、静寂。
0:2人、見つめ合う。
捧一:…………、
捧一:正直……、今更、という感じかな。
捧一:どう考えても自然発生的に始まった関係ではないし。
君子:……でも、
捧一:泥は泥、なんだろ。
捧一:誰の掌の上であっても。
捧一:泥中の虫に取っては由無(よしな)し事だ。
君子:…………。
君子:では……、もう1つ。
捧一:うん。
君子:さっき……、捧一くんの制止に対して、「うるさい」、と、邪険にしてしまった事。
捧一:ああ……、そんなの、
君子:お詫び、します。
君子:完全に、捧一くんに疵瑕(しか)は無いのに、
捧一:勢いでしょ。
捧一:熱もあるんだし……、
捧一:というか。
捧一:熱、また計っとこう。
0:体温計を取り、差し渡す。測定開始。
君子:……、風邪が治まったら。
君子:お詫びに1つ、言うことを聞きます。
捧一:出た、肩叩き券的なヤツ。
捧一:何でも良い訳?
君子:この前、程度の……、モノスゴい事なら。
君子:応じられると、思いますが。
捧一:やっぱりちょっと嬉しそうな……。
捧一:ていうか、いいよ。本当に別に。
君子:いえ……。
君子:気が済まないんです。こういった事は。
捧一:自分の中で、収支ゼロが落ち着く、と?
君子:寝覚めが悪いので。
捧一:…………、
0:思案。
捧一:……じゃあ、さ、
君子:はい。
捧一:俺も正直、捻り出すのに苦労するから……。
捧一:君子さんが、考えてくれないかな。
君子:……、わたし、が……っ?
捧一:俺が喜んだり、心地良しと捉えるような所を。
捧一:君子さんの、納得の行く範囲で。
君子:捧一くんが……、喜ぶ、ことを……、
君子:私が、考える…………?
捧一:本当に何でも良い。
捧一:それよりまずは……、休み明けまでに体調を戻す事。
捧一:林檎、剥いて来る。
君子:あ、
君子:は、はい……。
0:静かに、キッチンへと去る捧一。
0:バタリとドアが鳴り、君子、独り。
0:沈思、黙考。
君子:…………、
君子:…………、
0:ややあって、ピピピっ、と、検温完了を知らせる音。
君子:(確認しつつ)
君子:…………。
君子:おかしい、わ……。
君子:熱は、下がっているのに……、
0:長い睫毛が震え。
君子:……顔が熱くて、たまらない…………。
0:頬は林檎のように赤かった。
0:恐らく病症によるものだけでは、ない。
0:暗転。
0:【終】
:
0:【メイド日報】
和:■「葉加瀬 和(はかせ なごみ)」。
和:君子の実家の侍女。びっくりどっきり発明家メイド。
百地:■「百地 豊(ももち ゆたか)」。
百地:浄子の悪巧み仲間。科学者。
0:2022年、1月。
0:塚淵県は葵谷に建つ大邸宅。
0:その、地下の1室。
0:物理的・情報的に外部より完全に遮断された、秘密の部屋。
0:室内にはスーツ姿の男と、クラシカルなメイド装束の上に、薬品染みや煤で汚れた白衣を羽織る若い侍女、
0:そして、「保科浄子(ほしな きよこ)」という女。
0:頭髪を几帳面に整えたスーツの男が報告を一区切りし。
0:白衣の侍従の丸眼鏡がギラリと光る。
百地:……この件の資料としましては、以上です。
浄子:ふむーん……、
和:ふむむむむーーん……、
浄子:じゃ実際……、「居た」訳だ。
浄子:「染田薫(そめだかおる)」が言うトコの、その……、
浄子:「モー娘」ってのは。
百地:「モーニング娘」自体の実在については、調査を行うまでも無く……、
和:(資料を捲りつつ)
和:90年代後半、テレビ東京系列のバラエティ番組で、実際……、
百地:その名前のボーカルグループが、番組がプロデュースをする形でデビューしています。
百地:ただ、
浄子:「染田」が言うような、日本を代表する国民的な超人気アイドルグループとかには全然なってない、と。
浄子:そりゃまー、そーだよね、当然。
百地:鳴かず飛ばず、とまでは行かずとも……、
和:同番組でデビューした他のグループやユニットに比べても人気は振るわず、
和:ええと、1999年末に、活動を終了しています。
百地:プロデュースを担当していた「つんく」というミュージシャンが、喉頭癌により99年時点で番組を降板した事が大きかったように記憶していますが……。
浄子:(スマホを操作しつつ)
浄子:ふぅーーーーん……。
浄子:「解散後、元メンバーの中澤裕子(なかざわゆうこ)は移住先の福岡県でローカルタレントとして不動の地位を獲得するなど、芸能界に残り活躍する者もいる」……、
浄子:この人の名前は聞いたことあるな。
浄子:あ、へー、「CHEMISTRY(ケミストリー)」とか「びいどろっぷ」とかがデビューした番組なんだねー、今ウィキペディア見てんだけどさ……。
浄子:……「平成ーーっ」、って感じー、色々。
百地:直撃世代の私としては、当時はよくあった形式の……、
浄子:ていうか「売るティメット丸(まる)ティメット」の後追いみたいなコトでしょ??
浄子:要はあーゆー、オーディションバラエティ的な、
百地:時系列としては「売る丸」の方が後追いにはなりますね、「ASAYAN(アサヤン)」の。
百地:「レディ・パレード」の歴史的ヒットにより、「売る丸」がライバル番組をゴボウ抜きした形になります。
浄子:君、幾つだっけ?
百地:今年で35です。
浄子:んふ、まさに「レッパレ」直撃の歳。
浄子:ていうか9個も上だったんだ?? 若くね??
和:確かに……。
百地:……苦労知らずなもので。
浄子:んっふふ、「衾坂(ふすまざか)」No.3の腹心が苦労知らずなんだったら。
浄子:世の中タイガイのヤツの重圧なんて、スプーンよりも軽いやね。
浄子:……ま、ここまではイイとして。
和:はいです。
和:ここまでですと、よくある陰謀論者のマンデラ効果(エフェクト)発言と大差無く。
浄子:“ネルソン・マンデラが2013年まで生きてた”ってゆーアレね。見てる分には愉快だけどさー。
浄子:……ところが実際。
浄子:「居た」訳だ?
百地:はい。
浄子:染田が言ってた……、
浄子:えー、「コマキ」?
百地:「ゴマキ」ですね。
浄子:だの、「ツジカゴ」だの、「ミキティ」? だのが。
浄子:この、世の中に。
和:染田の主張によると99年以降に加入し、スーパーヒットの起爆剤となったり、ブームを牽引する礎となったメンバー達、ですね。
百地:「後藤真希(ごとうまき)」、「辻希美(つじのぞみ)」は東京都に、
百地:「石川梨華(いしかわりか)」は神奈川県に、
百地:「加護亜依(かごあい)」は奈良県に。
百地:それぞれ、その名前で出生届を出された個人が実在、存命しています。
和:「染田」氏が記憶していた通りの年齢で、ですね。
百地:その通り。凡(おおよ)そね。
浄子:どーでもイイけどフツーな感じの名前ばっかだな。
浄子:「ミキティ」は?
百地:……そう。
百地:それ、なんですが。
浄子:お。
百地:死亡済みの人物含め、実在の個人としては確認出来ませんでした。
百地:しかし……、
0:再び資料を手に取り。
百地:創作物(フィクション)の中に。
百地:1998年から2004年まで、講談社発行の少女向け月刊誌「なかよし」に掲載されていた「ティアラるんギャルずっ」、という作品に……、
和:「ティアラるんギャルずっ」は知ってるですっ!
和:お姉ちゃんの友達の家にありましたですっ!
浄子:私も知ってる。
浄子:……あーー……。
浄子:「出て」たねー、そーいや……。
浄子:その……、
百地:「藤本美貴(ふじもとみき)」が。
百地:「ミキティ」の愛称を持つ、大人気アイドル歌手、という設定のキャラクターとして。
浄子:…………確定、かな?
百地:「彼ら」の言葉を、信じるならば……。
百地:フィクションのキャラクターが、世界によっては実在の人物として存在している場合もある、という……、
百地:余りにも荒唐無稽な、
和:でも、じゃあ、いずれにせよやっぱりっ!
和:「染田薫(そめだかおる)」氏は、
和:「渡り」をしてきた、とっ!?
浄子:そーでもなきゃ説明つかないもんね、色々。
浄子:「染田」の言う「ゴマキ」その他エトセトラが、「染田」の視点で言うなら「芸能デビューしなかった」イフの状態で、「こっち」に存在しちゃってる、ってコトでしょ。
百地:「共鳴」現象の波及効果により、他世界の記憶を夢として知覚している、という線でも探ってみましたが……、
浄子:ソレだと「染田」が「こっち」の諸々を知らない、ってのがオカシーね。
浄子:ソモソモが虚言妄言の類いなんだったら別だけど。
和:第1回インタビュー時の簡易精神鑑定、及び極少ドローンによる脳波・心拍チェックではマジマジの大マジ。無論、精度100%とは言えませんが……。
浄子:モチロン。
和:「混ざって」いるのではなく、完全に違った歴史、違った可能性の記憶を保持しているのだとすれば。
百地:「こちら」では単なる一般人に過ぎない、個々には全く無関係の彼女たちを……、
百地:「染田」氏が知っている、という事実。
百地:無意識的な「渡り」以外、確かに説明はつきませんね。
浄子:その一般ピーポーたちと「染田」に、関連は無いんだよね? 勿論。
百地:無論。調査済みです。
浄子:……じゃ。
浄子:まー……。
浄子:そーゆーコト、
浄子:なんじゃねーのかなー……。
0:浄子は指を組み、思考を纏めにかかる。
百地:……「渡り」等という現象の実在を、前提にするのであれば、ですが。
和:科学畑の我々からすると、流石にナカナカ、飲み下し難いサイエンス・ファンタジーっぷりですが……。
和:しかし、でも、真偽は置いておくとして、実益・実学的な話で行くならばっ!
和:それ程のレベルの莫大なる「共鳴力」を、「染田」氏は保有している、と! つまるところっ!
百地:それも……、全てを鵜呑みにするのであれば、だ。
百地:「彼ら」の言う「共鳴力」なる概念に関して、我々には計測の手段も、定量化する術も無い。
和:「現象を起こす力」ってソモソモ何ですじゃい、って話ですもんね、実際。
百地:結果として起こる「他世界共鳴」という現象の規模を測る事が出来たとしても、ね。
百地:それに関しても再現性という点に於いては、
浄子:(割り込み)
浄子:確かめようの無い事を、信じるのも疑うのも同じコト。
百地:……っ、
和:浄子様。
浄子:……アタシたちはただ、全部に「備え」て、張り巡らせておくだけ。
浄子:細くて、長くて、強くて硬くて鋭い腕と、指を。
浄子:糸みたいに。
浄子:たくさん。
浄子:たくさん。
浄子:あらゆるところに、ね。
0:暫し、静粛。
百地:…………。
百地:カンダタにでもなった気分ですが。
浄子:顔も知らないオシャカサマの垂らした糸になんか縋る気は無いね。
浄子:ここが地獄の血の池だって、跳ね回ってみせるだけ、だよ。
浄子:んっふふふふ、ふ。
百地:……、
0:男は神妙なる顔付きを保ったまま、細く息を吐く。
0:浄子は青い程に深い黒髪を掻き上げ。
浄子:オッケーわかった。
浄子:もー暫くは、観察日記を付け続けよう。
浄子:他所からの動きがあったら、報せさせる。
百地:今のところ、外部に「染田」の情報が洩れているというような虞(おそれ)は……、
浄子:大丈夫、らしいよー。
浄子:何かそーゆー、存在ごと「わからなくさせる」やり方が、あるんだってさ。
百地:と……、「彼ら」が?
浄子:うんー。
浄子:「気付かれた時も、すぐ判る」んだって。
浄子:仕組みは全然、わかんないけどね。
百地:…………。
百地:ならば、良いのですが。
浄子:悪いね、本来 技術屋の君にまで気を遣わせて。凡然丸(ぼんぜんまる)くんにも、テキトーにヨロシク。
百地:いえ。……単に、性分ですので。
百地:本日はお時間を頂きどうも、
浄子:いえいえー、ぜぇーんぜん。
浄子:今日も今日とて、ロクデモナイお金持ちとロクデモナイお偉いさんたちの、見るに堪えないお下劣パーチーがあるだけだから。
浄子:場所貸しだけのお気楽ホストは、最後にチョロっと出てくだけで良いからさ。
和:「堰本(せきもと)つかさ」様も、もうお着きなんでしょうかっ!
和:どのメイドが控室にお茶を持って行くかで、昨夜(ゆうべ)のじゃんけんトーナメントは大いに盛り上がりましたっ!
浄子:誰が優勝したのー?
和:右凛(うりん)です!
和:「双子は一心同体だから、左恋(されん)も一緒に持っていく」と言って聞かなくって!
和:皆から大ブーイングっ!
浄子:アカデミー賞女優も、ここじゃ単なるコンパニオンその1だからねー……。
浄子:まソレだってソモソモ、この館で出来たお偉方との、ご縁故(えんこ)サマサマ、なんだけどさー。
百地:…………。
百地:「ご本業」の方も、益々ご盛栄のようですね。
浄子:惰性だよ。
浄子:ハブとしての役目をこなしてるダケ。
浄子:誰でも出来るよ?
百地:……、
百地:左様で。
和:浄子様は関東のハブでありカムであり、クランクシャフトでありギアでありピストンでありグリースですっ! 無くてはなりません!
浄子:んっふふ、全部じゃん。
浄子:どもどもありがとー、んじゃ、まーたねーーー。
0:嗤いながら言い、浄子、退室。
百地:(頭を垂れ)ありがとうございました、
百地:…………、
百地:……ふぅ。
0:室内、2人。二者の学研の徒は息をつく。
和:おつかれさまでした。
和:百地(ももち)さん。
百地:……日増しに溜息が増えて、敵わないよ。
百地:眼の下の隈も、すっかり染み付いてしまって……。
和:掘りが深く見えて、素敵ですよ。
百地:喜べないね、それは。
百地:……君は、上手くやってるようだな。
和:はいです。
和:学顕都市(がっけんとし)の喧騒と混沌を、恋しく思う時もありますが……、
和:浄子様はワタシのイマジネーションとインスピレーションに、より幅広く実戦の機会を与えてくださいますですから。
百地:何より。
和:……お姉ちゃんは、
百地:ああ、
和:……あの人は、元気でやっていますですか。
百地:……概ね。とはいえ最近、余り話せていないが……。
百地:衾坂(ふすまざか)の院にも、危なげなく進むだろう。
和:あの人は優秀ですからね。
和:ワタシと違って。
百地:よく言う。
百地:……近頃は益々、火之倉(ひのくら)操縦士と……、
百地:一蓮托生と言った風情だが。
和:他に、大切にしたいものが見つけられなかったんでしょうね。
和:子供の時から、良い歳になっても。
百地:若いよ。まだ、あまりにも。
百地:私の歳になったって……、
百地:あるのか、どうか。
百地:…………、
0:ふと、疲弊が染み付いた眼差しをドアに向け。
百地:彼女は……、
百地:どうなんだろうな。
和:浄子様、ですか?
百地:掛け値無し、というだけの物を……、
百地:人生のどこかには、据えているのか、どうか。
百地:或いは……、
和:(遮り)失礼ながら。
百地:っ……、
和:それは愚問・愚考というモノでありますです。
0:眼鏡の奥の、気色は窺えず。
百地:……、どうして、かな。
和:掛け値無しに畏(おそ)ろしく、また、揺るがし難いのは……、
和:浄子様の方で、あるからです。
百地:…………、
百地:まるで、神のように?
和:はい。
和:喩えるならば。
百地:…………。
百地:我々は……。
百地:それらと、戦う為に、
百地:科学と叡智に、魂を売り渡したのではないのか。
百地:葉加瀬(はかせ)研究員。
和:……、……。
0:暫しの沈黙。
和:……言葉遊びは好きではありません、です。
和:……理系、ですので。
0:年始めの寒気は万物に等しく吹き付ける。
0:木と石と鉄の巣穴に身を潜める、ヒトという種を除いては。
0:【終】
0:【屋外】
0:都内名門「恩行(おんぎょう)大学」最寄り、「朔磨寺(さくまでら)」駅近辺。アパート郡の街路を抜けて、長髪の女性が行く。右手には、スマートフォン。
浄子:(ワンコールで繋がり、通話)
浄子:あー、あー、由(ゆかり)ー? もっしー、やっほー。
浄子:んー。タラタラ歩いてるよ、もーすぐ着くトコー。
浄子:ってわかってるか、和(なごみ)特製の秘密メカで、絶賛モニター中なんだもんねー?
浄子:お兄(にい)の兵隊はー? 何人隠れてたー?
浄子:……、……、
浄子:んふははっ。正月返上でゴクローさんだねーっと。
浄子:お手当て出そっかな、アタシから。んふふ、ふ。
浄子:…………しっかし、相っ変わらずきったねートコー。ガッコー近いとはいえ。
浄子:……あのオトコノコにゃーお似合いの、泥の底、だけどさー。
0:にんまりと笑み。
浄子:掃き溜めに降り立っちゃった鶴は……、
浄子:果たして清らかなままで、いられるのかなー? んふ、ふふふ。
浄子:ん? …………、…………。
浄子:……あはは。んー。思ってないよ、そんなコト。
浄子:あの子は変わんないし。
浄子:あの子には、変えらんないよ。
浄子:何も。
浄子:……多分ね。知らんけどー。
浄子:んふふ、ふっふふ。
浄子:んじゃ、引き続きよしなにー。
浄子:あーアタシ盗聴器とか探せないからさー、今度また誰か、八千代(やちよ)にでもお願いしといてー。
浄子:んー、んー。おけー。らじゃー。
浄子:あ、あ、コンビニ寄るわ。ココア買うから。
浄子:んじゃ後でねー。んー。
0:通話終了。1月の冷風が吹き通る。
浄子:うひー、寒ーっ……。
0:女は空と街並みを見やる。あらゆる全ての感情を、綯い交ぜにしたかのような、笑み。
浄子:……さぁー、って。
浄子:元気にしてるかなーーっ。
浄子:お労(いたわ)しやの……、アタシの妹は。
浄子:んふふ、ふふふ、ふ……、
浄子:あっははははははははっ!
0:タイトルコール。
君子:『耽溺ちゃんと』、
捧一:『退廃くん』。
0:暗中より声。
浄子:違うよ。
浄子:コレはいずれ語られる、
浄子:アタシの物語の、
浄子:ひとかけら。
:
0:【寝室】
0:ベッド上で身を起こし、体温測定中の君子と、傍らに座る捧一。湯気を立てるのは、粥の器。
捧一:ん。今鳴ったね、体温計。
君子:……どうでしょう?
捧一:いいから。何度?
君子:(しぶしぶと体温表示を見)
君子:……、三十六度、七分。
君子:下がりましたねぇ。
君子:騒ぐ程では、
捧一:(遮り)
捧一:見せて。
君子:…………、
君子:体温計をケースに、
捧一:貸してって。
捧一:本当は何度なのさ。
君子:…………。
0:体温計を手渡しつつ、
君子:……八度二分、です。
捧一:上がってる、ね。
捧一:何で嘘ついたの。
君子:別に……。
捧一:体が怠くて、節々に痛みがあって。
捧一:8度台の熱。
捧一:風邪だね、言い逃れしようも無く。
捧一:新年早々お気の毒。
君子:認めて、諦めてしまったらそこで終了ですよ。
捧一:体調管理はバスケじゃないから。
捧一:喉や鼻は?
君子:今の所は。
君子:……、はぁ……。(溜息)
捧一:逃げるよ、幸せ。
君子:愚にもつかない迷信です。
君子:どうして捧一くんがケロっとしていて……、
君子:私が風邪なんか、
捧一:俺はさっさと一回引いてるから。
捧一:というか……、
捧一:いい加減、終わった後裸で寝てしまうというスタイルを見直すべきだったな。
捧一:冬に入ってからは。
君子:捧一くんという抱き枕の保温性能が低いのがいけないんです。
捧一:平熱は低い方だけどさ。
捧一:君子さんって、こう言うとなんだけどあんまり寝相が……、
君子:(遮り)コンパクトなスペースで眠る事に慣れていないだけ、です。
捧一:隙間風にも?
君子:……転がり込んでいる身で……、
君子:言えた義理ではありませんが。
捧一:立派な一人暮らしの部屋もあるのにね。
捧一:日当たり良好、最新鋭のエアコン完備の。
君子:あの物件は……。
君子:当然の如く、実家の息がかかっていますから。
君子:壁に耳あり障子に目あり、です。
捧一:無いけどもね、障子。
君子:減らず口に返す気力もありません……。
君子:全く。去年に続き、無為なお正月です。
君子:年を跨いで快楽と惰眠を貪って、その上風邪を引くなんて。
捧一:知らない内に越してたね。
捧一:結局……、流れとしては、
君子:お蕎麦を食べた後、紅白を観ていたんですよ。
君子:捧一くんが珍しく観たいって、
捧一:冒頭だけね。審査員で戸賀梨子(とがなしこ)が出るって事で……。
君子:滅多に露出しない作家ですからね。
君子:何と言いますか、益々、若返っているような……、
捧一:昔から年齢不詳だそうだけど。
君子:随分年下の燕と再婚されたそうですし。
君子:若さを吸い取っていらっしゃるんですよ、きっと。
捧一:写真週刊誌みたいな事言うね。
捧一:仮にも学部の、遠い先輩に。
君子:だいぶ、かなり、上の方(かた)ですから……。
君子:卵粥、もう冷めたんじゃないですか。
捧一:ん……、
捧一:(器に手を触れ、熱さを確かめ)
捧一:いい頃合い、かな。
捧一:猫舌の君子さんにも。
0:匙と共に器を差し出し。
捧一:はい。どうぞ。
君子:食べさせてください。
捧一:ん???
君子:食べさせて、ください。
君子:口を開けていますから。
捧一:何故……、かな。
捧一:スプーンを持てない程、腕や肩が酷く怠いとか、
君子:そこまででもありませんが。
君子:観念して風邪と認めた以上、もう何一つ自分でする気がなくなりましたっ。
捧一:普段もそうじゃない……。結構。
君子:心外ですねぇ。生物的欲求の範囲は自分で処理しています。
君子:捧一くんこそ……、いつもは私の口を無理矢理開かせて、舌を掴んで引っ張り出して……、
君子:あぁんなモノやこんなモノを強引に、
捧一:食事時にやめてもらえないかな。
捧一:俺も卵粥で済ますつもりなんだから。
君子:私は気にしませんので。
君子:はい、あーん。
0:言い、あんぐりと口を開く君子。
捧一:それ……、食べさす側が言うヤツだから。
君子:うふ、ふ。
捧一:…………。
0:暫し憮然と見やり、渋々、匙で粥を掬う捧一。
捧一:冷めすぎても勿体ないし。
捧一:……はい。
君子:ふふ。あむ。
0:匙から卵粥を含み、咀嚼。
君子:ん……、美味しい、です。
捧一:どれどれ……、
0:同じ器から掬い、一口。
捧一:うん……。
捧一:微塵タマネギが効いてるな。
君子:あ、これ玉ねぎなんですね。
捧一:うん。バイト先でずっと売れ残ってたのを買い取った、フードプロセッサーで挽いて……、よく炊いた。
君子:もっと。あーん。
捧一:燕の雛だね、まったく……。
捧一:はい。
0:もう一口含まされ、咀嚼。
君子:(味わい、嚥下し)
君子:ふふ……。
君子:良い気分です。捧一くんに食べさせて貰うのは。
捧一:赤ん坊に戻ったみたいで?
君子:新しい趣向ですか。
0:にぃ、と笑む。
君子:本当に……、全部、何もかも、乳幼児のようにお世話をしてもらう、とか?
捧一:やりたいなら……、試すけど。
捧一:興味ある?
君子:そうですねぇ。
君子:くすぐられる所はありますが……、
0:もう一口含ませられ、咀嚼。嚥下。
君子:全て委ねきってしまう、開放感……。
君子:ふ、ふ……。
捧一:案外と盲点だったな。
捧一:まあ……、体調が戻ったら。追々。
君子:今からでも良いですよ?
君子:このままの流れで。
君子:体もちょうど、火照っていますし。
捧一:発熱してるんだよ、正真正銘。
捧一:あと今からは無理だね。やるならやるで準備が要る。
君子:哺乳瓶とか?
捧一:とか、諸々……。
捧一:おむつは介護用品になりそうだけどね、サイズ的に。
君子:う、ぁ……。
0:ふ、と眼が熱く浮き。
君子:ふ、ふ……。グっと来ましたよ。今。
捧一:専門店もあるぐらいだから。
捧一:王道といえば王道だけれども。
君子:遺憾なく発揮されそうですねぇ。
君子:捧一くんの凝り性が。
捧一:責任感がある、と言ってほしいけど……。
捧一:ま、何でも。はい、もう一口。
君子:ふふ。あむ。
0:咀嚼。嚥下。
君子:あ、林檎はぁ?
捧一:買ったよ。食後に剥くから。
君子:赤ちゃんにするように……、
君子:まず捧一くんが口に含んで、噛んで柔らかくしてから、食べさせてくれて良いですよ。
捧一:それ、子供には本当はやっちゃ駄目らしいけどね。
捧一:親から虫歯が伝染るから。
君子:…………。
君子:勿論、してもらった事、なんて、ありませんので……、
0:眼の奥がやや冷め、
君子:今も虫歯は一本も無いです。
捧一:…………。
捧一:良い事じゃない。
捧一:食べたら……、薬を飲んで眠って。
捧一:起きて熱が下がらないようなら明日にでも、病院に……、
0:言葉を遮り、インターホンのチャイムが白々と響く。
0:刹那、沈黙。
捧一:……。
捧一:チャイム。
君子:……。
君子:新聞の勧誘でしょうか。
捧一:新年2日に?
君子:……、
捧一:メイドの誰かかな、ご実家の。
捧一:溜まった年賀状を持って来たとか、
君子:事前に連絡があるはずです。
捧一:うん。
捧一:そして俺の縁者である筈は無い。
君子:……、発熱の事も……、
捧一:誰にも伝えていない、のに?
君子:……。何だか、
捧一:いや……。
捧一:不安になるような事でも無い。
捧一:出てくる。
0:立ち上がり、玄関へ向かわんとする捧一。
君子:捧一くんっ、
捧一:(立ち止まり)
捧一:うん?
0:胸騒ぎと、悪寒は、病症によるものか、否か。
君子:早く……、戻って来て、くださいね。
捧一:……、うん、はい。
捧一:林檎を、剥くから。
捧一:寝ていなよ。
0:捧一は去り、君子、独り。
君子:…………。
0:暗転。
:
0:暗中。全ての色が混ざった、青黒き太陽の如き声音。
浄子:『神は死に、果てるべき末期(まつご)の人間たちは、答えを得ぬまま、無明(むみょう)の森で瞬きをする。
浄子:温もりを求め、ときどき僅かな毒を飲む。
浄子:心地よい夢を見て、最後には多くの毒を飲み、心地よく死んで行く。』
浄子:『人間は超克されるべき何物かである。
浄子:いずれ打ち捨てられ、“超人”への贄(にえ)となるべき遺物である。
浄子:お前たちは人間を超克すべく、何ごとかをなしたか?
浄子:退廃へと耽溺する、だらしのないお前たちは。』
捧一:フリードリヒ・ニーチェ、『ツァラツストラはかく語りき』より。
0:【玄関】
捧一:……っ、
浄子:やっほやっほやっほっほー。
浄子:新年明けたねー? おめでたいー?
捧一:貴方、は、
0:唯我独尊に一歩踏み入り。
0:捧一と浄子、対峙。
浄子:久しぶりの登場だねー。
浄子:多々良(たたら)捧一、くん?
捧一:お久しぶり、です。
捧一:……「登場」?
浄子:この、アタシの物語に。
浄子:キミという脇役が、さ。
捧一:…………。
捧一:新年早々、随分なご挨拶ですね。
捧一:お付きのメイドさんも連れずにお一人で、
浄子:(応じず)
浄子:アタシの妹はー?
捧一:……っ、
浄子:水増しのダイアローグは気分じゃナイなー。
浄子:「保科浄子(ほしなきよこ)、妹の君子に会いに行くの巻」、だよ。今回のお話は。
捧一:……今日は居ない、来てない、ってのは無し、ですかね。
浄子:無駄だってば。匂いで分かるから。
浄子:それに行くトコなんて無いよねー? あの子には。
捧一:さあ……。華の大学生ですからね。
捧一:三日会わざれば刮目して見よとも、
浄子:(遮り)「立ち話もなんですし」のタイミングだよ?
浄子:どうしたの?
捧一:……、
浄子:段取りの悪い脇役は降板になっちゃうぞー?
浄子:上がるね、靴は流石に脱いであげるねー?
0:言い、ブーツに手を掛ける。
捧一:ちょっと。あのですね、
浄子:(スリッパを引っ張り出しつつ)
浄子:んー?
浄子:キミん家(ち)だから何?
浄子:アタシが上がるって言ってるんだけど。
捧一:いや、
0:捧一の制止を無視して、廊下を進む。
浄子:君子ちゃぁーーん。
浄子:お姉ちゃんが会いに来たよぉーーーーっ。
捧一:(追いながら)
捧一:風邪、なんですよ。
捧一:寝てるんです。
浄子:大寒波だもんねー。
浄子:だから?
捧一:伝染っても良くないし、
浄子:アタシの体調と、キミのご都合に何の関係が?
捧一:……、発熱もしてるんです。
捧一:正直、刺激して負荷をかけたく無いんで、
浄子:(遮り)んんー?
0:立ち止まり。眼の奥の、青黒い光が深まる。
浄子:意味がわからない、なー……。
浄子:ナニとして喋ってる? キミ。
捧一:……っ、
浄子:「妹をヨロシク」、とは言ったけど。
浄子:アレは君子ちゃんのオモチャとして、分相応に振る舞いなよ、って意味なんだけど。
浄子:理解してなかったのぉー?
捧一:いえ……、そこは、
浄子:八千代とかも釘は刺してるって、言ってたんだけどなー。
捧一:刺されてますよ……。毎回、かなり尖ったヤツを、
浄子:(応じず)
浄子:そんなキャラだったっけ? キミ。
捧一:……、
浄子:君子ちゃんのモヤモヤを、吐き捨てる為の下水道。
浄子:っていう以上の役割を、用意したつもりは無いんだけどな、アタシ。
捧一:……、お務めは程々には、
浄子:ひっさびさに出て来てさー。
浄子:「コイツ誰?」ってなるようなキャラって。
浄子:お話的にはノイズだよね?
捧一:…………、
浄子:与えられた役割ひとつこなせないんなら。
浄子:クビになる?
捧一:……、…………、
浄子:あっ。ていうか言い忘れてたー。
浄子:アタシとしたコトが。
捧一:……、何です、
0:にや、と笑む浄子。
浄子:「ごめんください。お邪魔しまーーーす」。
捧一:…………、
浄子:んふ、んっふふ。
浄子:あはは、あはははははははっ。
0:【寝室】
0:不安気に独り待つ君子。ノックの音。
君子:捧一くん……、どちらの、
浄子:(ドアを開け放ちつつ)
浄子:君子ちゃぁーーん。
浄子:大丈夫ぅーーー?
君子:(反応、息を飲み)
君子:っ!??
君子:ひっ、ぁ、……っ、
捧一:八度台なんです。
捧一:穏便に、
浄子:あけおめーー。
浄子:今年もヨロシクねーーー?
君子:お、姉、様…………っ、
君子:どう、して……っ、
浄子:お正月だもん。
浄子:ご挨拶っていうかー。
浄子:愛しい愛しい妹のぉ……、
浄子:可愛い可愛いお顔を、見に来たんだよー?
君子:……っ、
君子:お一人で……?
君子:塚淵(つかぶち)の、葵谷(あおいだに)の、お屋敷から……?
浄子:今日はねー。
浄子:まー、三ヶ日を巣穴で過ごす程ヒマじゃないけど。
浄子:どんどん忙しくなるからさー、
浄子:偶の姉妹の逢瀬(おうせ)のヒトトキぐらい、水入らずでー、と思って。
君子:…………、
浄子:あ、ソコの土気色フェイスくんは退席しなくてもいーよ? 別に。
捧一:俺の部屋なんで……。
浄子:だからね?
浄子:君子ちゃんの嫌いなメイドのおねーさん達は一人も、来てないから。
浄子:安心してねー?
君子:…………。
君子:そう、言って。どこかに控えているんでしょう。
浄子:そりゃ、行きと帰りはね?
浄子:アタシってばコレでもぉー、
浄子:天下に轟く庭番六家(にわばんろっけ)が序列五位、保科(ほしな)家の長女、だからさーー。
君子:……馬鹿に、している癖に。
浄子:不必要に重く捉えてないだけだよ。
浄子:君子ちゃんみたいに、さ。
君子:……っ、私、は、
浄子:それにさー。
浄子:君子ちゃんのこのお遊びが、お兄(にい)にバレないように気を揉んでるのはアタシなんだけどなーー?
君子:……、
浄子:ま正確には、アタシの、働き者のメイド達が、だけどねー。
浄子:いくら「築川(つくがわ)」系列の物件だっても、お兄が本気出したら全部筒抜けだから。
浄子:頑張ってガードしてるんだよー?
捧一:つくがわ?
浄子:え、え、知んない事ナイでしょ?
浄子:六家序列三位の「築川」。
浄子:ウチと仲悪いんだよねー、ソリャもー、死ぬホド。
捧一:「築川グループ」はそりゃ、知ってますけど……、
捧一:ココもそこの系列?
浄子:子会社の子会社の、ひ孫会社ぐらいだけどねー。運用してるのが。
浄子:でぇ、ソコが良かったんだよねー?
浄子:君子ちゃん?
君子:…………、
浄子:パパが用意したマンションには殆ど帰らずに。
浄子:合格発表の日に引っ掛けた捧一クンをコトバタクミに誘導して、ウマーいこと、ココに決めさせて。
浄子:しっぽり入り浸って、狭いながらも楽しい我が家、平穏な同棲生活スタートぉー、って。
浄子:我ながら上手くやれたぁー、って。
浄子:思ったんだよねーーー?
君子:…………っ、
捧一:確かに……、
捧一:物件を探す時に、だいぶ親身に手伝ってくれるなとは、思ってたけど……、
君子:捧一、くん、
君子:それは、
浄子:でも無理無理の無理、
浄子:無理無理ムーリーだったよねー。
浄子:そんなスカスカ穴だらけのプランじゃ。
君子:……っ、
浄子:ソモソモ自分らのナワバリに、他の六家の係累(けいるい)が出入りしよーとしてるーって。
浄子:「築川」方(がた)が嗅ぎ付けらんないワケ無いしねー。
君子:……、
浄子:あの筋肉ダルマはトロいけど、足の引っ張り合いがキライな訳じゃ無いから。
浄子:こんなのすーぐ、ゴシップの種だよ。
浄子:うちのメイドたちの心労を思うと、立ち枯れちゃうなー、御主人サマは。
君子:……、どうとでも、好きに……。
君子:惜しむような名誉なんて最初から、
浄子:(遮り)慣れてもないヤケっぱちは感心しないなー。
浄子:何にも考えてないだけじゃないの?
君子:……、
浄子:加えてお兄の眼もあるしー。
浄子:お粗末な段取りの穴を埋めて、監視と諜報の眼をダブルでカットして、君子ちゃんの養生と更生はアタシが預かるーって、お題目を用意して。
浄子:なんもかんも、丸ぅーーく、きれーーーに納まるよーにコーディネートすんのってー。
浄子:けぇっこーーー、大変なんだけどなーー?
君子:…………。
君子:お願いを、した、覚えはありません。
君子:ので……っ、
0:き、と睨み。
君子:お礼を、申し上げる謂れも、ありません……っ。
浄子:…………。
0:君子の息は荒く。浄子の眼は嗜虐的に曲がる。
浄子:んふ、ふふふ、んっふふふ……。
浄子:良いよぉー? 君子ちゃん。
浄子:ホントに、コドモの時のまぁーんま……。
君子:…………。
浄子:檻の中で意地になって、誰も見てないのに、眼だけは三角にして、睨みつけて……。
浄子:ハンストして勝手に痩せ細って、壊れる寸前まで、声も上げずに……。
浄子:自分では何1つ、筋書きを変えられない……、
浄子:憐れで愛しの、名脇役ちゃん。
浄子:んふ、ふふふ……。
君子:……脇、役……?
浄子:どうか、これからもソノママでいてね……?
浄子:お姉ちゃんが一生……、
浄子:守って、アゲルから。
君子:……っ、
浄子:ただしアタシの本筋の、片手間に、ね。
君子:お姉様に……っ、
君子:私の、何がっ!!
浄子:わかんないよ。
浄子:進もうとしない人間の気持ちなんて。
君子:!!!
君子:……よくも…………っ、
浄子:んふ。
浄子:八千代の言ってたとーり。
浄子:食欲が戻って、ちょっとはふっくらして……、
浄子:そうやって歯ぁ剥いて怒った顔してるとー……、
捧一:……、
浄子:アノ女、そっくり。
君子:っ!! ……っ、
0:ショックと激昂。君子の瞳孔が開く。
君子:どうしてっ!!!
君子:そんな事が言えるんですかっ!!!!
捧一:君子さん!
浄子:んふふふ、元気だー。
君子:どうして、貴方たちは……っ!!!
君子:あんな、場所で……っ、
君子:平気な、顔をして……っ!
浄子:心外だねー。メンドイ事もいっぱいあるんだよ?
君子:人を人とも思わない……っ、
君子:体裁や、損得でしか未来を図る事をしない、酷薄で、恥知らずな人たちの中でっ、
君子:あんな、場所でっ……、
君子:澄ました顔で、生きて、いられるんですか…………っ、
浄子:簡単だよ。
浄子:強いから。
君子:っ!!
浄子:強くある事を求められて、より強くあろうとしてるから、だよ。
浄子:そしてぇー、
捧一:浄子さん、もう今日は、
浄子:(無視して)
浄子:お前やアノ女は弱いから。
浄子:ソレが出来ないんだよ。
君子:っっ!!!!
捧一:病人に言う事じゃない!
君子:わた、し、だって……っ、
浄子:何が出来てるのー?
浄子:薄汚い貧乏人と、昼も夜もなく盛りまくって。
浄子:叱られない程度に学校サボって、捕まらない程度にワルイ遊びしてー、って。ソレが何の抵抗になると思うのぉー?
君子:う……、ぅっ、
捧一:落ち着こう君子さん。
捧一:もう引き取ってもらうから、
君子:うるさいっ!!!
君子:これは……、私と、この人の……っ、
君子:あの忌まわしい、家との……っ、
捧一:君子さん!
君子:ぅ、あ……、
0:乗り出していた身をぐらりと崩す君子。咄嗟に、捧一が支える。
捧一:……っ、っと。
捧一:……、さあ。横になって。
君子:ぁ……、うっ……、
0:君子を横たえさせ、毛布をかける捧一。
浄子:んふふ、ふ。
浄子:無理しちゃダメだよー?
浄子:政略の道具くらいにしか能の無い……、
浄子:大事なカラダなんだから。
捧一:…………。
浄子:キレーに保ててたらのハナシだけど、ね。んふ、ふ。
捧一:……病身の血縁者に向かって。
捧一:よくそういう事が言えますね。
浄子:仕方ないよねー。
浄子:恩行(おんぎょう)程度の三流にしか、受かんないんだから。
君子:…………っ、
浄子:あ、でもぉー。
浄子:入学が決まった途端にさー。
浄子:特に古くもなってない学食が急に取り壊されて、取って付けたみたいにキレーでオッシャレーなオープンカフェがイキナリ出来たのはどーしてなのか。
浄子:誰のポケットから出たマネーなのかぁぐらいは、察しの付くアタマであってほしーかなー。
君子:……っ、
浄子:ていうか。捧一クンさぁー。
捧一:何、ですか、
浄子:血縁がどーたら。
浄子:よくそんな言葉が吐けるよね?
浄子:お前の口から。
捧一:……っ、
浄子:ご両親も、妹さんも。
浄子:心安らかに年末年始を過ごせてるらしいよー?
浄子:キミっていう汚れ染みを、洗い落とせたおかげで、ね?
0:沈黙。奥歯が軋み、捧一の眼の奥が、泥濘む。
捧一:…………。
捧一:全く以て。
捧一:興味が湧きませんね。
浄子:んふ……。
浄子:一寸の虫の五分(ごぶ)の意地になんて。
浄子:半文の値も付かないね。
捧一:……獅子身中の虫であったなら?
浄子:潜り込む器量も、度胸もねーだろ、お前には。
捧一:俺には、勿論。
捧一:だけど中には値千金(あたいせんきん)の毒虫だって、
浄子:(遮り、気色ばみ)
浄子:龍には敵わない。
浄子:虫も。人も。獅子だろうが虎だろうが、ね。
捧一:…………、
捧一:ご自分を龍だと?
浄子:……どーでもイイ。
浄子:アタシは保科浄子だ。
浄子:身の程知らずの龍に、一泡吹かせてドヤシつけてやろうって腹積もりの……、
浄子:一個の、女だ。
捧一:…………、
0:黒い太陽の如き眼差しが、紅炎を吹き上げるかのよう。
君子:龍……、
君子:宗家(そうけ)様…………?
浄子:(ふ、と顔色を戻し)
浄子:んふ、ふ。
浄子:ココから先は……。
浄子:キミたちの人生には、関係が無い。
浄子:関わらずに死んでいける僥倖(ぎょうこう)すら、噛み締めようが無い程に。
浄子:だから、話さない、よ。
君子:(緩慢に身を起こしつつ)
君子:…………、お姉様は……、
捧一:寝てなって、君子さん。
君子:大丈夫、です……。
君子:……お姉様は、一体何を、しようとなさっているんですか……?
浄子:…………。
君子:家の、問題にも。
君子:お母様の、問題にも、力を注がずに……。
君子:六家の務めからも離れて、胡乱(うろん)な、有象無象の、得体の知れない方たちと、交遊して……、
浄子:んふ、ふ。「得体の知れない」、か。
浄子:凡然丸(ぼんぜんまる)くん辺りが聞いたら傷付くだろーなー。
君子:「衾坂(ふすまざか)、学顕(がっけん)都市」の……?
浄子:そーだよ? 理事会の統括。
君子:領域破りです。
君子:あそこは二位の、「仙(そま)」一族の肝入りの筈、
浄子:そんなの有って無いようなモンなんだよねぇー、最早。
浄子:それに。
浄子:ヒトは多層構造の、多面体、だからね。
浄子:内にも、外にも。
君子:…………、
君子:あまつさえ……、
浄子:んー?
君子:大阪の……、「雷殿(らいでん)」の幹部、後継者の方と……、お姉様が、密会を、重ねられている事。
君子:私……、知っているんです。
浄子:…………、
0:檻中より突き付けるような君子の眼。刹那、沈黙。
浄子:…………んふ、ふふふふふ。
浄子:どのメイドがオイタをしたんだか。
浄子:アイツは……、ジローザエモンはねーー……。
浄子:ありゃ、タダのツレだよ。
浄子:向こうが何のつもりかは、知んないけど、ね。
君子:重大な謀叛(むほん)です、
君子:宗家様に対する。
君子:看過されるとは思えません。
浄子:んふ、ふ。
浄子:前へと、未来へと進もうとする時にはね……。
浄子:序列も、階層も、西も東も、あったもんじゃー、無いんだよ。
浄子:檻の中のお人形には、見えない景色だろーけど、ね。
君子:…………、
浄子:可愛いねー? 君子ちゃん。
浄子:精一杯、お姉ちゃんと張り合って……、おんなじように、やってみたかったんだねー?
君子:…………っ、
浄子:もう無理して喋らなくてイイから、ね。
浄子:アタシは今日の、目的を果たして……、
浄子:物語は、先へと進む。
君子:……、もの、がたり……、
浄子:脇役や、端役(はやく)に過ぎないキミたちは……。
浄子:次の登場が叶うまで、舞台の下で、怠惰に生きていると良い。
浄子:決して前には歩を進めず。
浄子:生微温(なまぬる)い泥に浸かって、この……、滅んでしまった巷(ちまた)で、死ぬまでの時間を数えていると良い。
捧一:……、
君子:お姉、様、
浄子:多くの、佇んだままの人間たちは……、
浄子:時にソレを「幸せ」だとか、
浄子:……、
浄子:何だか、虫唾が走るような名前を付けて、有難がるけれど。
捧一:……、
浄子:アタシは、歩く。
浄子:歩みを止めない。
浄子:……もう帰るね。
捧一:……、そう、ですか。
君子:お姉、様、
浄子:熱、下がると良いね。
浄子:たかが流行りの風邪ー、って。
浄子:アタシたちは、重くは捉えないけれど。
捧一:……、
浄子:どこか、遠く遠く隣り合った、ボヤけたレンズの、向こう側の地平では……。
浄子:風邪によく似たウイルスが、その黒い死の腕を振るって。
浄子:この国や、世界のどこでも。
浄子:何千、何万もの人間を、あの世に送っているのかも、しれないから。
君子:……?
捧一:風邪に似た……?
捧一:ヨソの国はさておき、日本の今の防疫能力でそこまで、
浄子:(遮り)マジでそう思うよねーー?
浄子:……だけど1つでも掛け違えば、現(うつつ)も理(ことわり)も、いとも容易く逆撫(さかな)でられる。
浄子:……この意味をキミたちが知る日は来ない。
浄子:だから、精々……、
0:姉は妹を見詰め。青黒い瞳に刹那、柔らかな色。
浄子:よく食べ、よく寝て、よく、吐き出すこと。
浄子:寒い日には毛布に包(くる)まること。
浄子:…………守れる?
0:撫でるような視線が注がれ。
君子:(呆気に取られ)
君子:は、ぅ、あ、
君子:は、い…………、
浄子:……じゃあね。
0:満足し、浄子は部屋を出んとする。
捧一:あ、の……、えっと、
浄子:好きだよ、君子。
浄子:……見送りは要らない。
君子:お姉、さま、
0:バタン、とドア。
0:沈黙。
君子:…………、
捧一:…………、
0:やがて、玄関より、客の退出を告げる音。
捧一:…………結局……、
捧一:君子さんの顔を、見に来ただけ、って事で良いのかな……。
君子:……わかりません。
君子:……前にも増して、会話が、通じなくなっていて……、
捧一:……、取り敢えず……、
0:捧一は掛け布団を整える。
捧一:暖かくして。
捧一:食事の続き、かな。4口くらいしか食べてないしね。
君子:……、そんな気分では……、
捧一:じゃ……、林檎を剥くか。
捧一:お粥の残りは、また温める。
君子:……はい……。
0:何とは無し、部屋を見回し、捧一はキッチンへ去ろうとする。
君子:…………、捧一くん、
捧一:何、かな。
君子:……私が……、
君子:初めから、計画ずくで、このアパートに決まるよう、仕向けていた、事。
君子:不快に……、思いますか?
0:刹那、静寂。
0:2人、見つめ合う。
捧一:…………、
捧一:正直……、今更、という感じかな。
捧一:どう考えても自然発生的に始まった関係ではないし。
君子:……でも、
捧一:泥は泥、なんだろ。
捧一:誰の掌の上であっても。
捧一:泥中の虫に取っては由無(よしな)し事だ。
君子:…………。
君子:では……、もう1つ。
捧一:うん。
君子:さっき……、捧一くんの制止に対して、「うるさい」、と、邪険にしてしまった事。
捧一:ああ……、そんなの、
君子:お詫び、します。
君子:完全に、捧一くんに疵瑕(しか)は無いのに、
捧一:勢いでしょ。
捧一:熱もあるんだし……、
捧一:というか。
捧一:熱、また計っとこう。
0:体温計を取り、差し渡す。測定開始。
君子:……、風邪が治まったら。
君子:お詫びに1つ、言うことを聞きます。
捧一:出た、肩叩き券的なヤツ。
捧一:何でも良い訳?
君子:この前、程度の……、モノスゴい事なら。
君子:応じられると、思いますが。
捧一:やっぱりちょっと嬉しそうな……。
捧一:ていうか、いいよ。本当に別に。
君子:いえ……。
君子:気が済まないんです。こういった事は。
捧一:自分の中で、収支ゼロが落ち着く、と?
君子:寝覚めが悪いので。
捧一:…………、
0:思案。
捧一:……じゃあ、さ、
君子:はい。
捧一:俺も正直、捻り出すのに苦労するから……。
捧一:君子さんが、考えてくれないかな。
君子:……、わたし、が……っ?
捧一:俺が喜んだり、心地良しと捉えるような所を。
捧一:君子さんの、納得の行く範囲で。
君子:捧一くんが……、喜ぶ、ことを……、
君子:私が、考える…………?
捧一:本当に何でも良い。
捧一:それよりまずは……、休み明けまでに体調を戻す事。
捧一:林檎、剥いて来る。
君子:あ、
君子:は、はい……。
0:静かに、キッチンへと去る捧一。
0:バタリとドアが鳴り、君子、独り。
0:沈思、黙考。
君子:…………、
君子:…………、
0:ややあって、ピピピっ、と、検温完了を知らせる音。
君子:(確認しつつ)
君子:…………。
君子:おかしい、わ……。
君子:熱は、下がっているのに……、
0:長い睫毛が震え。
君子:……顔が熱くて、たまらない…………。
0:頬は林檎のように赤かった。
0:恐らく病症によるものだけでは、ない。
0:暗転。
0:【終】
:
0:【メイド日報】
和:■「葉加瀬 和(はかせ なごみ)」。
和:君子の実家の侍女。びっくりどっきり発明家メイド。
百地:■「百地 豊(ももち ゆたか)」。
百地:浄子の悪巧み仲間。科学者。
0:2022年、1月。
0:塚淵県は葵谷に建つ大邸宅。
0:その、地下の1室。
0:物理的・情報的に外部より完全に遮断された、秘密の部屋。
0:室内にはスーツ姿の男と、クラシカルなメイド装束の上に、薬品染みや煤で汚れた白衣を羽織る若い侍女、
0:そして、「保科浄子(ほしな きよこ)」という女。
0:頭髪を几帳面に整えたスーツの男が報告を一区切りし。
0:白衣の侍従の丸眼鏡がギラリと光る。
百地:……この件の資料としましては、以上です。
浄子:ふむーん……、
和:ふむむむむーーん……、
浄子:じゃ実際……、「居た」訳だ。
浄子:「染田薫(そめだかおる)」が言うトコの、その……、
浄子:「モー娘」ってのは。
百地:「モーニング娘」自体の実在については、調査を行うまでも無く……、
和:(資料を捲りつつ)
和:90年代後半、テレビ東京系列のバラエティ番組で、実際……、
百地:その名前のボーカルグループが、番組がプロデュースをする形でデビューしています。
百地:ただ、
浄子:「染田」が言うような、日本を代表する国民的な超人気アイドルグループとかには全然なってない、と。
浄子:そりゃまー、そーだよね、当然。
百地:鳴かず飛ばず、とまでは行かずとも……、
和:同番組でデビューした他のグループやユニットに比べても人気は振るわず、
和:ええと、1999年末に、活動を終了しています。
百地:プロデュースを担当していた「つんく」というミュージシャンが、喉頭癌により99年時点で番組を降板した事が大きかったように記憶していますが……。
浄子:(スマホを操作しつつ)
浄子:ふぅーーーーん……。
浄子:「解散後、元メンバーの中澤裕子(なかざわゆうこ)は移住先の福岡県でローカルタレントとして不動の地位を獲得するなど、芸能界に残り活躍する者もいる」……、
浄子:この人の名前は聞いたことあるな。
浄子:あ、へー、「CHEMISTRY(ケミストリー)」とか「びいどろっぷ」とかがデビューした番組なんだねー、今ウィキペディア見てんだけどさ……。
浄子:……「平成ーーっ」、って感じー、色々。
百地:直撃世代の私としては、当時はよくあった形式の……、
浄子:ていうか「売るティメット丸(まる)ティメット」の後追いみたいなコトでしょ??
浄子:要はあーゆー、オーディションバラエティ的な、
百地:時系列としては「売る丸」の方が後追いにはなりますね、「ASAYAN(アサヤン)」の。
百地:「レディ・パレード」の歴史的ヒットにより、「売る丸」がライバル番組をゴボウ抜きした形になります。
浄子:君、幾つだっけ?
百地:今年で35です。
浄子:んふ、まさに「レッパレ」直撃の歳。
浄子:ていうか9個も上だったんだ?? 若くね??
和:確かに……。
百地:……苦労知らずなもので。
浄子:んっふふ、「衾坂(ふすまざか)」No.3の腹心が苦労知らずなんだったら。
浄子:世の中タイガイのヤツの重圧なんて、スプーンよりも軽いやね。
浄子:……ま、ここまではイイとして。
和:はいです。
和:ここまでですと、よくある陰謀論者のマンデラ効果(エフェクト)発言と大差無く。
浄子:“ネルソン・マンデラが2013年まで生きてた”ってゆーアレね。見てる分には愉快だけどさー。
浄子:……ところが実際。
浄子:「居た」訳だ?
百地:はい。
浄子:染田が言ってた……、
浄子:えー、「コマキ」?
百地:「ゴマキ」ですね。
浄子:だの、「ツジカゴ」だの、「ミキティ」? だのが。
浄子:この、世の中に。
和:染田の主張によると99年以降に加入し、スーパーヒットの起爆剤となったり、ブームを牽引する礎となったメンバー達、ですね。
百地:「後藤真希(ごとうまき)」、「辻希美(つじのぞみ)」は東京都に、
百地:「石川梨華(いしかわりか)」は神奈川県に、
百地:「加護亜依(かごあい)」は奈良県に。
百地:それぞれ、その名前で出生届を出された個人が実在、存命しています。
和:「染田」氏が記憶していた通りの年齢で、ですね。
百地:その通り。凡(おおよ)そね。
浄子:どーでもイイけどフツーな感じの名前ばっかだな。
浄子:「ミキティ」は?
百地:……そう。
百地:それ、なんですが。
浄子:お。
百地:死亡済みの人物含め、実在の個人としては確認出来ませんでした。
百地:しかし……、
0:再び資料を手に取り。
百地:創作物(フィクション)の中に。
百地:1998年から2004年まで、講談社発行の少女向け月刊誌「なかよし」に掲載されていた「ティアラるんギャルずっ」、という作品に……、
和:「ティアラるんギャルずっ」は知ってるですっ!
和:お姉ちゃんの友達の家にありましたですっ!
浄子:私も知ってる。
浄子:……あーー……。
浄子:「出て」たねー、そーいや……。
浄子:その……、
百地:「藤本美貴(ふじもとみき)」が。
百地:「ミキティ」の愛称を持つ、大人気アイドル歌手、という設定のキャラクターとして。
浄子:…………確定、かな?
百地:「彼ら」の言葉を、信じるならば……。
百地:フィクションのキャラクターが、世界によっては実在の人物として存在している場合もある、という……、
百地:余りにも荒唐無稽な、
和:でも、じゃあ、いずれにせよやっぱりっ!
和:「染田薫(そめだかおる)」氏は、
和:「渡り」をしてきた、とっ!?
浄子:そーでもなきゃ説明つかないもんね、色々。
浄子:「染田」の言う「ゴマキ」その他エトセトラが、「染田」の視点で言うなら「芸能デビューしなかった」イフの状態で、「こっち」に存在しちゃってる、ってコトでしょ。
百地:「共鳴」現象の波及効果により、他世界の記憶を夢として知覚している、という線でも探ってみましたが……、
浄子:ソレだと「染田」が「こっち」の諸々を知らない、ってのがオカシーね。
浄子:ソモソモが虚言妄言の類いなんだったら別だけど。
和:第1回インタビュー時の簡易精神鑑定、及び極少ドローンによる脳波・心拍チェックではマジマジの大マジ。無論、精度100%とは言えませんが……。
浄子:モチロン。
和:「混ざって」いるのではなく、完全に違った歴史、違った可能性の記憶を保持しているのだとすれば。
百地:「こちら」では単なる一般人に過ぎない、個々には全く無関係の彼女たちを……、
百地:「染田」氏が知っている、という事実。
百地:無意識的な「渡り」以外、確かに説明はつきませんね。
浄子:その一般ピーポーたちと「染田」に、関連は無いんだよね? 勿論。
百地:無論。調査済みです。
浄子:……じゃ。
浄子:まー……。
浄子:そーゆーコト、
浄子:なんじゃねーのかなー……。
0:浄子は指を組み、思考を纏めにかかる。
百地:……「渡り」等という現象の実在を、前提にするのであれば、ですが。
和:科学畑の我々からすると、流石にナカナカ、飲み下し難いサイエンス・ファンタジーっぷりですが……。
和:しかし、でも、真偽は置いておくとして、実益・実学的な話で行くならばっ!
和:それ程のレベルの莫大なる「共鳴力」を、「染田」氏は保有している、と! つまるところっ!
百地:それも……、全てを鵜呑みにするのであれば、だ。
百地:「彼ら」の言う「共鳴力」なる概念に関して、我々には計測の手段も、定量化する術も無い。
和:「現象を起こす力」ってソモソモ何ですじゃい、って話ですもんね、実際。
百地:結果として起こる「他世界共鳴」という現象の規模を測る事が出来たとしても、ね。
百地:それに関しても再現性という点に於いては、
浄子:(割り込み)
浄子:確かめようの無い事を、信じるのも疑うのも同じコト。
百地:……っ、
和:浄子様。
浄子:……アタシたちはただ、全部に「備え」て、張り巡らせておくだけ。
浄子:細くて、長くて、強くて硬くて鋭い腕と、指を。
浄子:糸みたいに。
浄子:たくさん。
浄子:たくさん。
浄子:あらゆるところに、ね。
0:暫し、静粛。
百地:…………。
百地:カンダタにでもなった気分ですが。
浄子:顔も知らないオシャカサマの垂らした糸になんか縋る気は無いね。
浄子:ここが地獄の血の池だって、跳ね回ってみせるだけ、だよ。
浄子:んっふふふふ、ふ。
百地:……、
0:男は神妙なる顔付きを保ったまま、細く息を吐く。
0:浄子は青い程に深い黒髪を掻き上げ。
浄子:オッケーわかった。
浄子:もー暫くは、観察日記を付け続けよう。
浄子:他所からの動きがあったら、報せさせる。
百地:今のところ、外部に「染田」の情報が洩れているというような虞(おそれ)は……、
浄子:大丈夫、らしいよー。
浄子:何かそーゆー、存在ごと「わからなくさせる」やり方が、あるんだってさ。
百地:と……、「彼ら」が?
浄子:うんー。
浄子:「気付かれた時も、すぐ判る」んだって。
浄子:仕組みは全然、わかんないけどね。
百地:…………。
百地:ならば、良いのですが。
浄子:悪いね、本来 技術屋の君にまで気を遣わせて。凡然丸(ぼんぜんまる)くんにも、テキトーにヨロシク。
百地:いえ。……単に、性分ですので。
百地:本日はお時間を頂きどうも、
浄子:いえいえー、ぜぇーんぜん。
浄子:今日も今日とて、ロクデモナイお金持ちとロクデモナイお偉いさんたちの、見るに堪えないお下劣パーチーがあるだけだから。
浄子:場所貸しだけのお気楽ホストは、最後にチョロっと出てくだけで良いからさ。
和:「堰本(せきもと)つかさ」様も、もうお着きなんでしょうかっ!
和:どのメイドが控室にお茶を持って行くかで、昨夜(ゆうべ)のじゃんけんトーナメントは大いに盛り上がりましたっ!
浄子:誰が優勝したのー?
和:右凛(うりん)です!
和:「双子は一心同体だから、左恋(されん)も一緒に持っていく」と言って聞かなくって!
和:皆から大ブーイングっ!
浄子:アカデミー賞女優も、ここじゃ単なるコンパニオンその1だからねー……。
浄子:まソレだってソモソモ、この館で出来たお偉方との、ご縁故(えんこ)サマサマ、なんだけどさー。
百地:…………。
百地:「ご本業」の方も、益々ご盛栄のようですね。
浄子:惰性だよ。
浄子:ハブとしての役目をこなしてるダケ。
浄子:誰でも出来るよ?
百地:……、
百地:左様で。
和:浄子様は関東のハブでありカムであり、クランクシャフトでありギアでありピストンでありグリースですっ! 無くてはなりません!
浄子:んっふふ、全部じゃん。
浄子:どもどもありがとー、んじゃ、まーたねーーー。
0:嗤いながら言い、浄子、退室。
百地:(頭を垂れ)ありがとうございました、
百地:…………、
百地:……ふぅ。
0:室内、2人。二者の学研の徒は息をつく。
和:おつかれさまでした。
和:百地(ももち)さん。
百地:……日増しに溜息が増えて、敵わないよ。
百地:眼の下の隈も、すっかり染み付いてしまって……。
和:掘りが深く見えて、素敵ですよ。
百地:喜べないね、それは。
百地:……君は、上手くやってるようだな。
和:はいです。
和:学顕都市(がっけんとし)の喧騒と混沌を、恋しく思う時もありますが……、
和:浄子様はワタシのイマジネーションとインスピレーションに、より幅広く実戦の機会を与えてくださいますですから。
百地:何より。
和:……お姉ちゃんは、
百地:ああ、
和:……あの人は、元気でやっていますですか。
百地:……概ね。とはいえ最近、余り話せていないが……。
百地:衾坂(ふすまざか)の院にも、危なげなく進むだろう。
和:あの人は優秀ですからね。
和:ワタシと違って。
百地:よく言う。
百地:……近頃は益々、火之倉(ひのくら)操縦士と……、
百地:一蓮托生と言った風情だが。
和:他に、大切にしたいものが見つけられなかったんでしょうね。
和:子供の時から、良い歳になっても。
百地:若いよ。まだ、あまりにも。
百地:私の歳になったって……、
百地:あるのか、どうか。
百地:…………、
0:ふと、疲弊が染み付いた眼差しをドアに向け。
百地:彼女は……、
百地:どうなんだろうな。
和:浄子様、ですか?
百地:掛け値無し、というだけの物を……、
百地:人生のどこかには、据えているのか、どうか。
百地:或いは……、
和:(遮り)失礼ながら。
百地:っ……、
和:それは愚問・愚考というモノでありますです。
0:眼鏡の奥の、気色は窺えず。
百地:……、どうして、かな。
和:掛け値無しに畏(おそ)ろしく、また、揺るがし難いのは……、
和:浄子様の方で、あるからです。
百地:…………、
百地:まるで、神のように?
和:はい。
和:喩えるならば。
百地:…………。
百地:我々は……。
百地:それらと、戦う為に、
百地:科学と叡智に、魂を売り渡したのではないのか。
百地:葉加瀬(はかせ)研究員。
和:……、……。
0:暫しの沈黙。
和:……言葉遊びは好きではありません、です。
和:……理系、ですので。
0:年始めの寒気は万物に等しく吹き付ける。
0:木と石と鉄の巣穴に身を潜める、ヒトという種を除いては。
0:【終】