台本概要
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タイトル | [女郎花]-絵師乙桐の難儀なあやかし事情- |
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作者名 | 瀬川こゆ (@hiina_segawa) |
ジャンル | 時代劇 |
演者人数 | 2人用台本(男1、女1) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
吉原遊郭へ売り飛ばされた「かや」は、隙を見て抜け出した先で女郎の「泪」に出会い泪付きの禿となる。 喧嘩っ早く口よりも先に手が出るかやは、のっぴきらない事情を抱えていて……。 ※同シリーズの台本はアルファポリスに優先的に投稿しています。 【絵師乙桐の難儀なあやかし事情】 https://www.alphapolis.co.jp/novel/379290313/994792791 非商用時は連絡不要ですが、投げ銭機能のある配信媒体等で記録が残る場合はご一報と、概要欄等にクレジット表記をお願いします。 過度なアドリブ、改変、無許可での男女表記のあるキャラの性別変更は御遠慮ください。 679 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
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かや | 女 | 154 | 泪付きの禿。江戸から遠い田舎の出でとある能力を持っている。禿名はちゃんと新しく付けられているがゴネた泪にかやと呼ばれ続けている。廓言葉勉強中の為、まだまだ荒っぽい話し方をするが姉女郎が甘やかすので成長しない。喧嘩っ早いからすぐに手が出る。 |
泪 | 男 | 152 | 「るい」女の着物を着て言葉回しも女性寄りな男。とある事情で吉原遊郭の大見世で性別を隠して花魁をやっている。中身と性格はがっつり男。吉原の大門を抜ける時は男の姿に戻る為、出入りし放題好き勝手やっている。ついでに年季もなければ借金もないので何故吉原に居るのかは誰も知らない。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:人は阿呆(あほう)と呼ぶだろう
かや:人は畜生と呼ぶだろう
かや:溜まりきった糞尿を見るように
かや:忌まわしい目をして薄ら笑うだろう
かや:あなたは花と言うだろう
かや:あなたは愛しいと言うだろう
かや:まるで生涯唯一の宝を見るように
かや:優しい目をして微笑むだろう
かや:この世の地獄を知っている
かや:きっと全てが此処にある
かや:可哀想と言われれば
かや:私の形(なり)はそれまでだ
かや:けれども不幸にはなり得ない
かや:生きる理由もまた
かや:
かや:この地獄の底にあるのだろう
かや:
0:一拍
泪:なんだいなんだい騒がしいねぇ。
泪:せっかくぐっすり眠っていたのに起きちまったじゃあないか全く。
泪:……おや?
泪:女衒(ぜげん)の兄さんじゃあないかい。
泪:一体全体どうしたんで?
泪:え?子供が逃げた?
泪:へぇ……随分と度胸のある子が居たもんだねぇ。
0:一拍
かや:はぁはぁはぁはぁ……。
かや:……駄目だ……出口が分からねぇ……。
泪:おやおやまぁまぁ!
かや:っっ?!
泪:別段探していなかったのに、
泪:アタシがいの1番に見付けちまったよ!
泪:飛んで火に入る夏の虫。
泪:けれども時分は夏ではないし、
泪:アンタは虫とは似ても似つかない。
泪:アタシは火を焚いてなんかいやしないし。
泪:……はて?
泪:ならアンタは一体全体何に入ったんだろうねぇ?
かや:……るか……。
泪:?
かや:知るかっっ!!
かや:1人でぶつぶつぶつぶつ、
かや:訳の分からない事を吐きやがって!
泪:おやまぁ!
泪:これはまたお転婆を通り越して、
泪:じゃじゃ馬も乗りこなして、
泪:いっそ餓鬼のような目をする子じゃあないか!
かや:誰が餓鬼だ!
かや:確かに俺はいつも飢えちゃあいるが、
かや:貪り尽くすほど食えたどころか、
かや:しゃぶりつきたくなるほどの骨の1つも抱えた事なんてねぇんだ!
泪:嗚呼そうかいそうかい。
泪:そりゃあアタシが悪かったよ。
泪:ところでアンタ、名前はなんて言うんだい?
かや:……。
泪:アタシはどうせ謝るのなら、
泪:きちんと名を呼んで謝りたいんだ。
かや:意地汚くも男を食らう女郎なんかに騙(かた)る名なんかねぇ!
泪:おやまぁこれはこれは。
泪:やっぱりなかなかどうして気が強い子だねぇ。
かや:俺に指一本足りとでも触れてみろ!
かや:その白い腕に噛み付いてやるぞ!
泪:あははははは!
かや:何がおかしい?!
泪:アンタはそれでアタシに牙を剥いたつもりだろうけれども、
泪:生憎とアタシは、困った事に威勢のいい子が嫌いじゃあないんだよ。
かや:はぁ?
泪:あい分かった、分かっているよ。
泪:アンタが言わずとも分かっちゃあいるさ。
かや:何言ってるんだ?
泪:アンタ地獄を見ただろう?
泪:この世の地獄を。
泪:アンタにとっての生き地獄を。
かや:っっ?!
泪:アタシは知っているんだよ。
泪:人のくせして鬼よりも鬼らしい目しか出来ないのは、
泪:地獄に片足突っ込んじまってる奴しかいないって。
かや:……。
泪:可哀想に。
泪:地獄から地獄に来ちまったのかい。
泪:可哀想に……可哀想に。
かや:……俺を哀れんで何がしたいんだ?
泪:なぁんにも。
泪:でもそうさねぇ。
泪:やっぱりアンタの名前が知りたいんだよ、アタシはね。
泪:どう仕様もなく。
泪:どう仕様もなく、ねぇ。
かや:だからお前のような奴に騙(かた)る名なんか、
泪:試しに名乗ってごらんなさいな?
泪:見る目が変わるかもしれないじゃあないか。
泪:やってみなきゃあ、分からないじゃあないか。
かや:それでも何も変わらなかったらどうするつもりだ?
泪:それならアタシのこの小指をひと欠片、
泪:アンタにくれてやってもいいさね。
かや:指なんぞ貰っても仕様がないだろ!
泪:おやぁ指切りは嫌かい?
泪:そうさねぇ、そうさねぇ。
泪:そういや切る指はあっても、
泪:契る言葉は無い気がしてきたよ。
泪:なるだならぬだ仕様のない事よりも、
泪:もっと違う物を掛けようかい?
泪:その方がいっそずぅっと気が晴れるかもしれないしねぇ。
かや:違う物を?
泪:アンタは何を望んでいるんだい?
かや:何も、
泪:何も無い事はないだろう?
かや:俺がお前に何かを望んだところで、
かや:お前が俺にそれを叶える義理なんかないだろう。
泪:確かに確かにそうさねぇ。
泪:けれどもアンタ今、己が居る場所が分かっているかい?
泪:どう言う場所なのか、何を売っているのか。
かや:ここは吉原だ。
かや:男に股開いて色を売る、
かや:下賎な女郎や陰間の巣窟だ!
泪:そこまでは、分かっていると。
かや:……。
泪:ならばアンタが仕出かした事が、
泪:ここではどれだけ罪か分かっているかい?
かや:罪?
泪:逃げ出しただろう?
泪:だからアンタはここに居る。
泪:女衒(ぜげん)の手を振り払い。
泪:忘八(ぼうはち)の目を盗んで。
泪:男衆(おとこしゅ)に捕まるまいと逃げ回る。
かや:っっ……。
泪:けれども知っちまったんだろう?
泪:この吉原に出口なんか無いって。
泪:売られた以上、逃げても逃げても意味など無いって。
かや:そんな事、
泪:このままアンタに待っているのは、
泪:河岸見世(かしみせ)に売り飛ばされて、
泪:虫と糞尿に塗れた床(とこ)で病に喘ぎながら、
泪:来る日も来る日も二束三文で買い叩かれる鉄砲女郎の道だけさね。
かや:……。
泪:現実が分かったかい?
泪:うちの忘八(ぼうはち)も女将も、
泪:遣手(やりて)ばばぁも、みんなみぃんな。
泪:アンタが思うほど生易しくも甘くもないんだよ。
かや:……。
泪:まだ見世の妓(おんな)にすらなっていないくせに、
泪:魔羅(まら)の一つも咥えた事もないくせに。
泪:怖気付いて逃げ出しちまうような小便臭い餓鬼一人に、
泪:恩情掛ける阿呆(あほう)なんて、
泪:ここにはただの一人しか居ないのさ。
泪:或いはアンタにとっても、
泪:ただの一人しか居やしないのさ。
かや:怖気付いてなんか、いねぇ。
かや:逃げようと思った訳じゃねぇ。
泪:ふん?
かや:ただ入る前に一度だけ、
かや:出れなくなっちまう前に、
かや:あと一度だけ。
かや:通って来た道を見たかっただけだ。
かや:……それだけだ。
泪:……。
かや:もし……もしかしたら……父ちゃんが……。
かや:…………いや、いい。
泪:大門(おおもん)を潜ったら最後、
泪:年季が明けるか、身請(みう)けされるか。
泪:はたまた疫病神に取り憑かれて、
泪:最期の息の根まで貪りつくされるか。
泪:それ以外、容易に世間様は拝めやしない。
泪:娑婆(しゃば)になんざ出られやしない。
泪:それはきちんと知っていた、と?
かや:……嗚呼。
泪:………。
かや:………。
泪:あい分かった、分かったよ。
かや:?
泪:着いておいで。
泪:アタシがなんとかしてやろうじゃあないか。
泪:こう見えてアタシはそこそこに、
泪:駄々の一つや二つ、聞いて貰える程度には甘やかされているんだよ?
かや:俺みたいなのに恩情掛ける阿呆(あほう)なんていないって、
かや:そう言ったのはお前じゃないか。
泪:おやまぁもう忘れたのかい?
泪:その後に「ただの一人しか居ない」って言っただろう?
泪:何を隠そうその阿呆(あほう)こそ、アタシの事さね?
かや:……。
泪:おいで、悪いようにはしないから。
泪:結局アンタの望みは分からず仕舞いだが、
泪:極楽だとは思えずとも、
泪:アンタが居た地獄よりはずぅっとマシだって、
泪:そう思わせてやろうじゃあないかい。
かや:………かや。
泪:?
かや:かや、だ。俺の名。
泪:かや?
泪:かや、かや……ふふっ。
かや:何がおかしい?
泪:いやさねぇ。
泪:じゃじゃ馬娘にしては、随分と可愛らしい名だと思っただけさ。
かや:馬鹿にしてんのか?
泪:いいや?
泪:アンタによく似合った可愛らしい名だからこそ、
泪:別の名に変えられちまうのが、
泪:ちぃっとばかし残念だと思っただけさねぇ。
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:私を捕まえようと伸ばす手は
かや:さしずめ鬼ごっこの鬼なのだ
かや:口汚く罵る声は
かや:さしずめ獲物を食らう前の
かや:歓喜の笑みに等しいのかもしれない
かや:
かや:けれども私は思うのだ
かや:果たして本当に鬼なのは
かや:もしや私の方ではなかろうか?と
かや:
かや:淘汰され
かや:骨までしゃぶり尽くされて
かや:欲の力に負けた成れの果ての、鬼
かや:
かや:それこそ私なのではないか?と
かや:
0:一拍
0:木にぐるぐる巻きにされているかや。
かや:畜生……散々っぱら痛めつけやがって……。
かや:今に見ていろ。
かや:必ずあの鼻っ面をへし折ってやる……。
泪:おやおや居た居た。
泪:かーや、かやっ子!
泪:アタシの可愛い禿(かむろ)ちゃん?
かや:うっ………。
泪:聞いたよ?
泪:朝菊(あさぎく)んとこのしげじと取っ組み合いの大喧嘩!
かや:……。
泪:喧嘩両成敗とは言うけれども、
泪:しげじは飯抜きのみ。
泪:対してアタシの可愛い禿(かむろ)ちゃんを見てご覧よ!
泪:木に括り付けられて、
泪:折檻された上に飯まで抜かされるときたもんだ。
泪:一体全体何が両成敗なんだろうねぇ?
かや:……俺は悪くねぇ。
泪:嗚呼、勿論。
泪:アンタは悪くないよ?
泪:先に吹っ掛けたのはしげじの方さね。
かや:どこまで聞いた?
泪:うぅんっとねぇ……。
泪:「禄(ろく)に客も取らねぇただ飯喰らいのお茶っぴき女郎。
泪: そのくせ一丁前に座敷なんざ与えられよって!
泪: 花魁でもあるまいに!
泪: どうせどうせ、
泪: 男衆(おとこしゅ)に色でも掛けて、
泪: 贔屓されているに違いねぇんだ!
泪: お前の姐さんはお歯黒どぶに沈んじまって、
泪: 決して極楽浄土なんか叶いやしねぇよ!」
かや:……全部じゃねぇか。
泪:有難うね、庇ってくれて。
泪:アンタはアタシを姐さんとは呼んではくれないけれども、
泪:きちんと姉として思ってくれているのをちゃあんとアタシは知っているんだよ。
かや:別に庇ったつもりなんて、
泪:おやぁ、庇ってくれてはいなかったのかい?寂しいねぇ。
かや:……。
泪:しげじが馬鹿にしたのはあくまでアタシの事だけで、
泪:アンタについては一言も言っちゃあいなかったのに?
かや:それは、
泪:それならどうしてアンタは、
泪:しげじの前髪を引っ掴んで床にはっ倒した後に、
泪:馬乗りになってしげじを殴ったりなんかしたんだい?
かや:……。
泪:逆鱗に触れられた龍のように。
泪:はたまた、
泪:それはそれは恐ろしい鬼の形相で居たそうじゃあないかい。
かや:ふん。
泪:怒ってくれて有難うね、かや。
かや:…………嗚呼。
泪:でももうするんじゃあないよ?
かや:……どうして?
泪:どうしてでも、さ。
泪:この先どれだけ誰かがアタシの事を馬鹿にしようとも、
泪:痛めつけようとも。
泪:アンタがアタシを守ろうとなんざしなくていい。
かや:お前は姉女郎なんだろう?
かや:……俺の。
泪:姉女郎だからこそ、だよ。
泪:アンタはアタシに守られるのが役目。
泪:自分の盾をその身を使って庇うなんざ、
泪:本末転倒な事をするんじゃあない。
泪:アンタがそんな事しちまったら、盾の意味が無くなっちまうだろう?
かや:………考えはする。
泪:あい。
かや:でも腹が立ったんだ。
かや:仕様がないだろう。
泪:アタシとしてはアンタが腹を立ててくれた事実が、
泪:ただただ嬉しいったらありゃあしないけれどねぇ。
かや:茶化すな。
泪:あい、ごめんよぅ?
かや:ふん。
泪:さてさて、ところでここに一つ、
かや:?
泪:手付かずの握り飯があるのだけれども。
かや:嗚呼。
泪:食うかい?
かや:はっ、どうやって?
かや:俺の今の形(なり)を見ろ。
かや:ぐるぐる巻きにされちまって、両手は大人しく木と抱擁。
かや:それとも足で食えとでも言っているのか?
かや:そんな強情っぱりの偏屈共みたいな事を、
かや:まさかまさか言うんじゃねぇよな?
かや:なぁ……泪(るい)姐さん。
泪:おやおやまぁまぁ!!
かや:…………なんだ?
泪:いいや?いいやなぁんにも?
泪:アタシは今気分が最高に良いから、
泪:仕様が無いから食わしてやるよ。
かや:単純な野郎……いや、女郎か。
泪:あはは、それがどちらでも合っているんだよ?
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:姐さんは、着物を脱がない。
かや:正確には脱いじゃいるだろうが、
かや:姐さん付きの俺ですら、素肌をしっかり見た事がない。
かや:客の前でもそうだ。
かや:寝巻きに着替えようとも、決して全てを脱ぎはしないのだ。
かや:
かや:それが甚だ奇妙で面白いのだと、
かや:姐さんの馴染(なじ)みはそう言って、
かや:姐さんは目をちらりと流して薄く笑っていた。
かや:
かや:尤も、それが通用しない、
かや:自惚ればかりが強い奴だって、
かや:この地獄にはわんさか居たって言うのに。
かや:
0:一拍
0:自室で寝ている泪。
泪:あいたたたたた。
かや:姐さんっっ!!
泪:おやぁ、かや。
泪:わざわざ来てくれたのかい?
かや:どうしたってこんな目になんか?!
泪:あはは、下手こいちまったよ。
泪:あんまりにもやれ脱げだ脱げだと煩いものだから、
泪:ついついうっかり口が滑っちまってねぇ。
泪:そうしたらこのザマだよ。
かや:くそ野郎共が。
かや:絶対に許しやしねぇ。
泪:かや?
かや:身の丈に余る欲求ばかりをほざく口を縫い付けて、
かや:二度と物を語れぬようにしてやろうか。
かや:それとも意地汚くもチロチロと舐め回す、
かや:その舌の根を引っこ抜いてお歯黒どぶに捨ててやってもいい。
泪:かやアンタどうしたんだい、ちょいと。
かや:いいや、いいや。
かや:その程度じゃとてもとても許せやしねぇ。
かや:いっそ死ぬか?殺してやろうか?
かや:何よりも惨(むご)い死に方はなんだ?
かや:考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、
泪:(被せて、手を一回叩きながら)かや!
かや:っっ?!
かや:……あ。
泪:正気に戻ったかい?
かや:…………姐さん。
かや:俺、もしや俺は今……今。
泪:逆鱗に触れられた龍のように。
泪:はたまた、それはそれは恐ろしい鬼の形相だった、かい。
かや:うっ……。
泪:しげじの奴がただ単に嘯(うそぶ)いて、
泪:アンタを貶す為の戯言を吐いただけかと思っちゃあいたが、
泪:なるほどなるほど。
泪:こう言う事だったのかい。
かや:……。
泪:鬼、鬼ねぇ。
泪:確かに確かにこればっかりは、
泪:しげじの奴の方が正しそうじゃあないかい。
かや:……姐さん。
泪:なんだい?
かや:どうしてそんな表情(かお)をするんだ。
泪:そんな、とは?
かや:しげじの言った鬼だなんだの言葉を吐きながら、
かや:どうしてそんなにも優しい目をして俺を見るんだよ。
泪:そりゃあアタシだって鬼だからさ。
かや:どこが、
泪:アタシはねぇ、かや。
泪:アタシにはこの身に掛かる物が何も無いんだよ。
かや:嘘だ。
泪:嘘じゃあない。
泪:アタシには借金も年季も何も無い。
泪:この吉原から出ようと思えば、
泪:アタシはいつだって出れるんだよ。
かや:ならどうして女郎なんかに、
泪:どうしても暴きたい謎があるんだ。
かや:謎?
泪:それが人かもモノかも分からない。
泪:実態があるのか、それとも無いのかすら。
泪:それでも見付けたい。
泪:どう仕様もなく。
かや:見付けて、暴いて、
かや:それでその後はどうするんだ?
泪:さぁ?
泪:けれども刃を突き立てて殺しちまえるのなら、
泪:アタシはきっとそうするだろうねぇ。
かや:……。
泪:そう言えば聞いていなかったよ。
泪:聞いていいのかも分からないが。
かや:なんだ?
泪:アンタはどうして売られたんだい?
かや:…………。
泪:ずぅっと気になっていてねぇ。
泪:アンタほど肝の座った奴が。
泪:働き手に出せば女の身だろうと、
泪:どこにでも行けそうなくらいの奴が。
泪:女衒(ぜげん)の野郎なんざに売られちまったのかって。
かや:…………よくある話だ。
泪:あい。
かや:俺の家は貧しくて。
かや:貧しくて、貧しくて、
かや:その日の飯の一つも満足に食えねぇぐれぇに貧しくて。
泪:あい。
かや:いつもひもじくて仕様がなかった。
泪:腹いっぱい食った事なんて無いと、
泪:アンタはそう言っていたね。
かや:嗚呼。
かや:だから、だ。
かや:だから父ちゃんは俺を売ったんだ。
かや:…………きっとそうなんだ。
泪:きっと?
かや:…………姐さん。
泪:あい?
かや:俺はな、俺の口は……。
かや:口は……。
泪:かや、ちょいと待ちな。
かや:……。
泪:言いたくない事は言わなくていいんだよ?
泪:アタシにだって隠しておきたい事の一つや二つや三つや四つ。
泪:幾らでもあるんだからねぇ。
かや:でも伝えた方がいいんだ、多分。
かや:姐さんは知っておいた方がいい。
泪:ふぅむ……。
かや:だって俺の姐さんは、頗るお人好しなんだ。
泪:おやまぁ!
泪:こいつぁまた、アンタも言うようになったねぇ。
かや:はっ、何が嬉しくて撫でるんだか。
泪:成長成長!嗚呼、嬉しいねぇ。
かや:姐さん、話がどんどん逸れちまうよ。
泪:嗚呼、そうだったよ!
泪:これはこれはうっかりうっかり。
泪:アタシの悪い癖だよ全く。
かや:話していいか?
泪:あい、分かった分かったよ。
泪:アンタの隠してる事を、一つ?
かや:もしかしたら、二つ。
泪:じゃあ二つ。
泪:アタシに語って聞かせてくれるんだったねぇ?
かや:嗚呼。
泪:聞いてやるからその代わり。
泪:アタシも一つ、
泪:アンタが知っておいた方がいいと思う、
泪:アタシの秘密を渡してもいいかい?
かや:いいよ。
泪:まぁ尤もアタシのコレは、
泪:娑婆(しゃば)の方じゃあ知ってる奴が何人か居るんだけどねぇ。
かや:そうなのか。
泪:嗚呼、秘密の大きさが違うかい?
かや:大きさなんざどうでもいい。
泪:それなら良かったさねぇ。
かや:ふぅ……姐さん。
泪:あい。
かや:姐さんは件(くだん)って知ってるか?
泪:件(くだん)?
泪:って言うとあれかい?
泪:生まれてすぐに予言を言って、
泪:数日の内に死んじまう。
泪:人と牛を混ざり合わせたような奴の事かい?
かや:嗚呼。
かや:俺はな、姐さん。
かや:村では件(くだん)と呼ばれていたんだ。
泪:どうしてまたそんな酷い呼び名なんか、
かや:それがなかなかどうして、
かや:奇を衒(てら)っている訳でも、
かや:全てが全て、嘘に塗れている訳でもねぇんだ。
泪:と言うと?
0:一拍
かや:いっとう始めに死んだのは母ちゃんだった。
泪:……。
かや:俺がまだ三つになるかならねぇかの時に、
かや:転んじまった俺を起こそうと覗き込んだ母ちゃんに向かって、
かや:俺は泣き声の代わりにこう吐いたんだ。
泪:あい。
かや:「お前は数日中に、病に倒れて死ぬだろう」
泪:三つ程度の子供が、かい?
かや:嗚呼。
かや:母ちゃんは気味悪く思ったけれども、
かや:所詮は子供の口から出た事だ。
かや:そう言う風に聞こえちまっただけで、
かや:実際はそうじゃなかったのだろうと。
かや:特に気にも止めなかったそうだ。
かや:だけど、
泪:あい。
かや:それから五日後に母ちゃんは死んだ。
かや:急に倒れてそのまま帰ってこなかった。
泪:っっ?!
かや:俺が言った言葉の通りに母ちゃんは死んじまったんだ。
かや:それからだ。
かや:村の人間どころか、父ちゃんでさえ、
かや:俺をなんだか化け物でも見るかのような、
かや:そんな目で見るようになったのは。
泪:……。
かや:母ちゃんだけじゃねぇ。
かや:他にもあった。
かや:石をぶつけてきた奴に、
かや:「その右の腕は一生使えなくなるだろう」
かや:そう言った日には、
かや:そいつは山で足を滑らせちまって、
かや:命こそ助かりはしたが、
かや:二度と右腕が動かなくなるぐれぇの大怪我を負った。
泪:なんて言う事だい。
かや:到底信じられない話だろう?姐さん。
かや:でも実際に俺が吐いた悪い事は、
かや:全部予言のように叶っちまったんだよ。
泪:まるで呪いみたいじゃないかい。
かや:呪い、呪いか。
かや:確かにそうだな。
泪:嗚呼!
泪:誤解させちまってたらすまないねぇ、かや。
かや:うん?
泪:アタシは別にアンタの事を貶すつもりも、
泪:ましてや畏(おそ)れ慄(おのの)く気も一切ありゃあしないんだよ。
かや:嗚呼……なんとなくそれは分かっているよ。
泪:本当かい?
泪:それならいいのだけれども。
泪:いやさねぇ、
泪:こんな生き方しちまってるからか、
泪:それともアタシの縁が拗れちまっているのか。
泪:妖だ、魑魅魍魎だ、鬼だ、呪いだ、なあんてモノに、
泪:なかなかどうして関わる機会が多いんだよ。
かや:そうなのか?
泪:嗚呼。
泪:色々見たよ色々ねぇ。
泪:だからかや、アンタ。
かや:なんだ?
泪:苦労したんだねぇ。
かや:っっ……嗚呼。
泪:ところで。
かや:?
泪:アンタの言葉は良い事は叶わないのかい?
かや:嗚呼。
かや:叶っていたら俺は今頃、
かや:なんでもかんでも望んで手を伸ばしちまうような、
かや:そんな惨めな奴にはなっていなかったさ。
泪:と言うと難儀でしかない能力じゃあないかい。
泪:かやにとっての旨味が何一つありゃあしない。
泪:持たせるだけ持たせて。
泪:アタシの可愛い禿(かむろ)ちゃんを、
泪:こんな目に合わせた原因はなんだい?
泪:見つけ出したらただじゃあおかないよ。
かや:神の類かもしれないだろう?
泪:神がなんだって言うんだい?
泪:あんなモノ拝むだけ無駄さ!
泪:願ったところで、
泪:てんで力になってくれやしないのに。
かや:確かにそうだなぁ……。
泪:かや、
かや:なぁ姐さん。
泪:うん?
かや:どうして俺が女衒(ぜげん)に売られちまったのか。
かや:姐さんはそう聞いたよな?
泪:嗚呼、確かに確かにアタシは聞いたよ。
泪:よくある食い扶持(ぶち)の為だったんだろう?
かや:本当は違ぇんだ。
泪:?
かや:母ちゃんが死んでしばらくして、
かや:父ちゃんは新しい母ちゃんを連れて来た。
泪:ほぅ。
かや:新しい母ちゃんは、
かや:この吉原に居てもおかしくねぇぐれぇに、
かや:白粉(おしろい)の匂いをそこら中に撒(ま)き散らすような女で。
泪:あい。
かや:父ちゃんはコロッと簡単に靡(なび)いちまってさ。
泪:……。
かや:父ちゃんが俺を売ったのは、
かや:ひもじくてひもじくて仕様がなくて、
かや:俺を売らなきゃおまんま食えねぇからだ。
かや:そうじゃなきゃ……。
泪:かや……。
かや:姐さん。
泪:あい?
かや:俺はなぁ、本当は知っているんだよ。
かや:新しい母ちゃんが、
かや:着物が欲しいと言っていた。
かや:新しい着物を買うてくれと、
かや:そう父ちゃんに強請っているのを、
かや:この耳で確かに聞いちまったんだ。
泪:……。
かや:それからすぐだったよ。
かや:父ちゃんが女衒(ぜげん)を連れて来たのは。
泪:……。
かや:確かに俺は村の奴らから件(くだん)と呼ばれていて、
かや:実際そう呼ばれちまう訳もあって。
かや:それでもな……それでも……。
泪:かや、
かや:俺は……自分が……。
かや:自分がな……自分が……。
泪:かやっっ。
かや:自分が父ちゃんにとって、
かや:たかが着物一枚以上の価値も無いのだと。
かや:思いたくなかった……。
かや:思いたくなかったんだよぅ。
0:かやを抱きしめる泪。
泪:もういい、もういい!
泪:もう言うな!
泪:もう二度と言うんじゃあない!
泪:聞いたアタシが馬鹿だった!
泪:悪かったねぇ、かや。
泪:許しておくれ。
かや:うぅぅぅ……。
泪:アンタが、
泪:他でもないアタシの可愛い可愛い禿(かむろ)のお前が。
泪:着物一枚以上の価値も無い筈がないだろう!
泪:百だって二百だって、
泪:渡されたところで手放したくないぐらいなのに!
泪:江戸の町一つ軽々と買えるくらいの金子(きんす)を積まれても、
泪:まだまだ全然足りやしないと突っぱねる事すらあれど、
泪:そんじょそこらのはした金をせびる奴らに、
泪:アンタの価値を決められてたまるものか!
かや:……姐さん。
泪:見返してやろう、ねぇ?かや。
泪:いつかアンタの愚図(ぐず)な父と母が、
泪:アンタの価値に気が付いて取り返そうと手をこまねいても、
泪:もう今更遅い遅い手遅れなんだと、
泪:心の底から嘲笑ってやろう。
かや:そんな事してもいいのか?
泪:嗚呼、してもいいさね。
かや:出来るかな?
泪:アンタの姐さんは誰だい?
かや:泪(るい)姐さんだ。
泪:そう、アタシだ。
泪:アタシがアンタを必ず、
泪:高見から選り好み出来る花魁にしてやろう。
かや:長ぇ道のりだ。
泪:でも決して不可能じゃあない。
泪:教えてやろう。
泪:アタシが最も憧れた、
泪:アタシの姐さん仕込みの手練手管(てれんてくだ)を。
かや:手練手管かぁ……。
0:一拍
かや:なぁ、姐さん。
泪:なんだい?
かや:姐さんは随分硬ぇんだな。
かや:男みてぇだ。
泪:…………男だからねぇ。
泪:アタシは女のフリをしているだけの、
泪:正真正銘の男なんだよ。
かや:そうか……それが姐さんの隠している事か?
泪:あい。
かや:だからか。
泪:うん?
かや:身に掛かる物がなんにもねぇのも。
かや:いつでも外に出て行けるのも。
かや:ほんの少しも肌を見せたがらねぇのも。
かや:それは姐さんが男だったからなのか。
泪:嗚呼、そうだよ。
泪:軽蔑したかい?
かや:いいや。
泪:怖いかい?
かや:それも、いいや。
かや:もっとずっと怖いもんなんて、
かや:幾らでも俺は見てきたよ。
泪:そうかい。
泪:そいつぁなかなかどうして、
泪:アタシとおんなじじゃあないかい。
かや:姐さん、泪(るい)姐さん。
かや:俺の、オイラの、おいらん姐さん。
泪:なんだい?
かや:姐さんも随分難儀な生き方をしてんだなぁ。
泪:そうだろう?
泪:だから難儀な野郎だと、そう言われちまうんだよ。
泪:アタシはねぇ。
0:一拍
泪:(以下、泪モノローグ)
泪:
泪:人は阿呆(あほう)と呼ぶだろう
泪:人は畜生と呼ぶだろう
泪:溜まりきった糞尿を見るように
泪:忌まわしい目をして薄ら笑うだろう
泪:あなたは花と言うだろう
泪:あなたは愛しいと言うだろう
泪:まるで生涯唯一の宝を見るように
泪:優しい目をして微笑むだろう
泪:この世の地獄を知っている
泪:きっと全てが此処にある
泪:可哀想と言われれば
泪:私の形(なり)はそれまでだ
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:あなたは笑う、クツクツと
かや:私とおんなじ表情(かお)をして
かや:地獄以外にも鬼は居る
かや:人の形(なり)を真似ただけの鬼共だ
かや:奴らの方がずっとずぅっと厄介で仕様がない
かや:それに比べりゃ俺なんか
かや:遥かにマシな鬼になれるのだろう
かや:
かや:きっと長い永い地獄を這った
かや:
かや:これはその中の一瞬の話だとしても
かや:
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:人は阿呆(あほう)と呼ぶだろう
かや:人は畜生と呼ぶだろう
かや:溜まりきった糞尿を見るように
かや:忌まわしい目をして薄ら笑うだろう
かや:あなたは花と言うだろう
かや:あなたは愛しいと言うだろう
かや:まるで生涯唯一の宝を見るように
かや:優しい目をして微笑むだろう
かや:この世の地獄を知っている
かや:きっと全てが此処にある
かや:可哀想と言われれば
かや:私の形(なり)はそれまでだ
かや:けれども不幸にはなり得ない
かや:生きる理由もまた
かや:
かや:この地獄の底にあるのだろう
かや:
0:一拍
泪:なんだいなんだい騒がしいねぇ。
泪:せっかくぐっすり眠っていたのに起きちまったじゃあないか全く。
泪:……おや?
泪:女衒(ぜげん)の兄さんじゃあないかい。
泪:一体全体どうしたんで?
泪:え?子供が逃げた?
泪:へぇ……随分と度胸のある子が居たもんだねぇ。
0:一拍
かや:はぁはぁはぁはぁ……。
かや:……駄目だ……出口が分からねぇ……。
泪:おやおやまぁまぁ!
かや:っっ?!
泪:別段探していなかったのに、
泪:アタシがいの1番に見付けちまったよ!
泪:飛んで火に入る夏の虫。
泪:けれども時分は夏ではないし、
泪:アンタは虫とは似ても似つかない。
泪:アタシは火を焚いてなんかいやしないし。
泪:……はて?
泪:ならアンタは一体全体何に入ったんだろうねぇ?
かや:……るか……。
泪:?
かや:知るかっっ!!
かや:1人でぶつぶつぶつぶつ、
かや:訳の分からない事を吐きやがって!
泪:おやまぁ!
泪:これはまたお転婆を通り越して、
泪:じゃじゃ馬も乗りこなして、
泪:いっそ餓鬼のような目をする子じゃあないか!
かや:誰が餓鬼だ!
かや:確かに俺はいつも飢えちゃあいるが、
かや:貪り尽くすほど食えたどころか、
かや:しゃぶりつきたくなるほどの骨の1つも抱えた事なんてねぇんだ!
泪:嗚呼そうかいそうかい。
泪:そりゃあアタシが悪かったよ。
泪:ところでアンタ、名前はなんて言うんだい?
かや:……。
泪:アタシはどうせ謝るのなら、
泪:きちんと名を呼んで謝りたいんだ。
かや:意地汚くも男を食らう女郎なんかに騙(かた)る名なんかねぇ!
泪:おやまぁこれはこれは。
泪:やっぱりなかなかどうして気が強い子だねぇ。
かや:俺に指一本足りとでも触れてみろ!
かや:その白い腕に噛み付いてやるぞ!
泪:あははははは!
かや:何がおかしい?!
泪:アンタはそれでアタシに牙を剥いたつもりだろうけれども、
泪:生憎とアタシは、困った事に威勢のいい子が嫌いじゃあないんだよ。
かや:はぁ?
泪:あい分かった、分かっているよ。
泪:アンタが言わずとも分かっちゃあいるさ。
かや:何言ってるんだ?
泪:アンタ地獄を見ただろう?
泪:この世の地獄を。
泪:アンタにとっての生き地獄を。
かや:っっ?!
泪:アタシは知っているんだよ。
泪:人のくせして鬼よりも鬼らしい目しか出来ないのは、
泪:地獄に片足突っ込んじまってる奴しかいないって。
かや:……。
泪:可哀想に。
泪:地獄から地獄に来ちまったのかい。
泪:可哀想に……可哀想に。
かや:……俺を哀れんで何がしたいんだ?
泪:なぁんにも。
泪:でもそうさねぇ。
泪:やっぱりアンタの名前が知りたいんだよ、アタシはね。
泪:どう仕様もなく。
泪:どう仕様もなく、ねぇ。
かや:だからお前のような奴に騙(かた)る名なんか、
泪:試しに名乗ってごらんなさいな?
泪:見る目が変わるかもしれないじゃあないか。
泪:やってみなきゃあ、分からないじゃあないか。
かや:それでも何も変わらなかったらどうするつもりだ?
泪:それならアタシのこの小指をひと欠片、
泪:アンタにくれてやってもいいさね。
かや:指なんぞ貰っても仕様がないだろ!
泪:おやぁ指切りは嫌かい?
泪:そうさねぇ、そうさねぇ。
泪:そういや切る指はあっても、
泪:契る言葉は無い気がしてきたよ。
泪:なるだならぬだ仕様のない事よりも、
泪:もっと違う物を掛けようかい?
泪:その方がいっそずぅっと気が晴れるかもしれないしねぇ。
かや:違う物を?
泪:アンタは何を望んでいるんだい?
かや:何も、
泪:何も無い事はないだろう?
かや:俺がお前に何かを望んだところで、
かや:お前が俺にそれを叶える義理なんかないだろう。
泪:確かに確かにそうさねぇ。
泪:けれどもアンタ今、己が居る場所が分かっているかい?
泪:どう言う場所なのか、何を売っているのか。
かや:ここは吉原だ。
かや:男に股開いて色を売る、
かや:下賎な女郎や陰間の巣窟だ!
泪:そこまでは、分かっていると。
かや:……。
泪:ならばアンタが仕出かした事が、
泪:ここではどれだけ罪か分かっているかい?
かや:罪?
泪:逃げ出しただろう?
泪:だからアンタはここに居る。
泪:女衒(ぜげん)の手を振り払い。
泪:忘八(ぼうはち)の目を盗んで。
泪:男衆(おとこしゅ)に捕まるまいと逃げ回る。
かや:っっ……。
泪:けれども知っちまったんだろう?
泪:この吉原に出口なんか無いって。
泪:売られた以上、逃げても逃げても意味など無いって。
かや:そんな事、
泪:このままアンタに待っているのは、
泪:河岸見世(かしみせ)に売り飛ばされて、
泪:虫と糞尿に塗れた床(とこ)で病に喘ぎながら、
泪:来る日も来る日も二束三文で買い叩かれる鉄砲女郎の道だけさね。
かや:……。
泪:現実が分かったかい?
泪:うちの忘八(ぼうはち)も女将も、
泪:遣手(やりて)ばばぁも、みんなみぃんな。
泪:アンタが思うほど生易しくも甘くもないんだよ。
かや:……。
泪:まだ見世の妓(おんな)にすらなっていないくせに、
泪:魔羅(まら)の一つも咥えた事もないくせに。
泪:怖気付いて逃げ出しちまうような小便臭い餓鬼一人に、
泪:恩情掛ける阿呆(あほう)なんて、
泪:ここにはただの一人しか居ないのさ。
泪:或いはアンタにとっても、
泪:ただの一人しか居やしないのさ。
かや:怖気付いてなんか、いねぇ。
かや:逃げようと思った訳じゃねぇ。
泪:ふん?
かや:ただ入る前に一度だけ、
かや:出れなくなっちまう前に、
かや:あと一度だけ。
かや:通って来た道を見たかっただけだ。
かや:……それだけだ。
泪:……。
かや:もし……もしかしたら……父ちゃんが……。
かや:…………いや、いい。
泪:大門(おおもん)を潜ったら最後、
泪:年季が明けるか、身請(みう)けされるか。
泪:はたまた疫病神に取り憑かれて、
泪:最期の息の根まで貪りつくされるか。
泪:それ以外、容易に世間様は拝めやしない。
泪:娑婆(しゃば)になんざ出られやしない。
泪:それはきちんと知っていた、と?
かや:……嗚呼。
泪:………。
かや:………。
泪:あい分かった、分かったよ。
かや:?
泪:着いておいで。
泪:アタシがなんとかしてやろうじゃあないか。
泪:こう見えてアタシはそこそこに、
泪:駄々の一つや二つ、聞いて貰える程度には甘やかされているんだよ?
かや:俺みたいなのに恩情掛ける阿呆(あほう)なんていないって、
かや:そう言ったのはお前じゃないか。
泪:おやまぁもう忘れたのかい?
泪:その後に「ただの一人しか居ない」って言っただろう?
泪:何を隠そうその阿呆(あほう)こそ、アタシの事さね?
かや:……。
泪:おいで、悪いようにはしないから。
泪:結局アンタの望みは分からず仕舞いだが、
泪:極楽だとは思えずとも、
泪:アンタが居た地獄よりはずぅっとマシだって、
泪:そう思わせてやろうじゃあないかい。
かや:………かや。
泪:?
かや:かや、だ。俺の名。
泪:かや?
泪:かや、かや……ふふっ。
かや:何がおかしい?
泪:いやさねぇ。
泪:じゃじゃ馬娘にしては、随分と可愛らしい名だと思っただけさ。
かや:馬鹿にしてんのか?
泪:いいや?
泪:アンタによく似合った可愛らしい名だからこそ、
泪:別の名に変えられちまうのが、
泪:ちぃっとばかし残念だと思っただけさねぇ。
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:私を捕まえようと伸ばす手は
かや:さしずめ鬼ごっこの鬼なのだ
かや:口汚く罵る声は
かや:さしずめ獲物を食らう前の
かや:歓喜の笑みに等しいのかもしれない
かや:
かや:けれども私は思うのだ
かや:果たして本当に鬼なのは
かや:もしや私の方ではなかろうか?と
かや:
かや:淘汰され
かや:骨までしゃぶり尽くされて
かや:欲の力に負けた成れの果ての、鬼
かや:
かや:それこそ私なのではないか?と
かや:
0:一拍
0:木にぐるぐる巻きにされているかや。
かや:畜生……散々っぱら痛めつけやがって……。
かや:今に見ていろ。
かや:必ずあの鼻っ面をへし折ってやる……。
泪:おやおや居た居た。
泪:かーや、かやっ子!
泪:アタシの可愛い禿(かむろ)ちゃん?
かや:うっ………。
泪:聞いたよ?
泪:朝菊(あさぎく)んとこのしげじと取っ組み合いの大喧嘩!
かや:……。
泪:喧嘩両成敗とは言うけれども、
泪:しげじは飯抜きのみ。
泪:対してアタシの可愛い禿(かむろ)ちゃんを見てご覧よ!
泪:木に括り付けられて、
泪:折檻された上に飯まで抜かされるときたもんだ。
泪:一体全体何が両成敗なんだろうねぇ?
かや:……俺は悪くねぇ。
泪:嗚呼、勿論。
泪:アンタは悪くないよ?
泪:先に吹っ掛けたのはしげじの方さね。
かや:どこまで聞いた?
泪:うぅんっとねぇ……。
泪:「禄(ろく)に客も取らねぇただ飯喰らいのお茶っぴき女郎。
泪: そのくせ一丁前に座敷なんざ与えられよって!
泪: 花魁でもあるまいに!
泪: どうせどうせ、
泪: 男衆(おとこしゅ)に色でも掛けて、
泪: 贔屓されているに違いねぇんだ!
泪: お前の姐さんはお歯黒どぶに沈んじまって、
泪: 決して極楽浄土なんか叶いやしねぇよ!」
かや:……全部じゃねぇか。
泪:有難うね、庇ってくれて。
泪:アンタはアタシを姐さんとは呼んではくれないけれども、
泪:きちんと姉として思ってくれているのをちゃあんとアタシは知っているんだよ。
かや:別に庇ったつもりなんて、
泪:おやぁ、庇ってくれてはいなかったのかい?寂しいねぇ。
かや:……。
泪:しげじが馬鹿にしたのはあくまでアタシの事だけで、
泪:アンタについては一言も言っちゃあいなかったのに?
かや:それは、
泪:それならどうしてアンタは、
泪:しげじの前髪を引っ掴んで床にはっ倒した後に、
泪:馬乗りになってしげじを殴ったりなんかしたんだい?
かや:……。
泪:逆鱗に触れられた龍のように。
泪:はたまた、
泪:それはそれは恐ろしい鬼の形相で居たそうじゃあないかい。
かや:ふん。
泪:怒ってくれて有難うね、かや。
かや:…………嗚呼。
泪:でももうするんじゃあないよ?
かや:……どうして?
泪:どうしてでも、さ。
泪:この先どれだけ誰かがアタシの事を馬鹿にしようとも、
泪:痛めつけようとも。
泪:アンタがアタシを守ろうとなんざしなくていい。
かや:お前は姉女郎なんだろう?
かや:……俺の。
泪:姉女郎だからこそ、だよ。
泪:アンタはアタシに守られるのが役目。
泪:自分の盾をその身を使って庇うなんざ、
泪:本末転倒な事をするんじゃあない。
泪:アンタがそんな事しちまったら、盾の意味が無くなっちまうだろう?
かや:………考えはする。
泪:あい。
かや:でも腹が立ったんだ。
かや:仕様がないだろう。
泪:アタシとしてはアンタが腹を立ててくれた事実が、
泪:ただただ嬉しいったらありゃあしないけれどねぇ。
かや:茶化すな。
泪:あい、ごめんよぅ?
かや:ふん。
泪:さてさて、ところでここに一つ、
かや:?
泪:手付かずの握り飯があるのだけれども。
かや:嗚呼。
泪:食うかい?
かや:はっ、どうやって?
かや:俺の今の形(なり)を見ろ。
かや:ぐるぐる巻きにされちまって、両手は大人しく木と抱擁。
かや:それとも足で食えとでも言っているのか?
かや:そんな強情っぱりの偏屈共みたいな事を、
かや:まさかまさか言うんじゃねぇよな?
かや:なぁ……泪(るい)姐さん。
泪:おやおやまぁまぁ!!
かや:…………なんだ?
泪:いいや?いいやなぁんにも?
泪:アタシは今気分が最高に良いから、
泪:仕様が無いから食わしてやるよ。
かや:単純な野郎……いや、女郎か。
泪:あはは、それがどちらでも合っているんだよ?
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:姐さんは、着物を脱がない。
かや:正確には脱いじゃいるだろうが、
かや:姐さん付きの俺ですら、素肌をしっかり見た事がない。
かや:客の前でもそうだ。
かや:寝巻きに着替えようとも、決して全てを脱ぎはしないのだ。
かや:
かや:それが甚だ奇妙で面白いのだと、
かや:姐さんの馴染(なじ)みはそう言って、
かや:姐さんは目をちらりと流して薄く笑っていた。
かや:
かや:尤も、それが通用しない、
かや:自惚ればかりが強い奴だって、
かや:この地獄にはわんさか居たって言うのに。
かや:
0:一拍
0:自室で寝ている泪。
泪:あいたたたたた。
かや:姐さんっっ!!
泪:おやぁ、かや。
泪:わざわざ来てくれたのかい?
かや:どうしたってこんな目になんか?!
泪:あはは、下手こいちまったよ。
泪:あんまりにもやれ脱げだ脱げだと煩いものだから、
泪:ついついうっかり口が滑っちまってねぇ。
泪:そうしたらこのザマだよ。
かや:くそ野郎共が。
かや:絶対に許しやしねぇ。
泪:かや?
かや:身の丈に余る欲求ばかりをほざく口を縫い付けて、
かや:二度と物を語れぬようにしてやろうか。
かや:それとも意地汚くもチロチロと舐め回す、
かや:その舌の根を引っこ抜いてお歯黒どぶに捨ててやってもいい。
泪:かやアンタどうしたんだい、ちょいと。
かや:いいや、いいや。
かや:その程度じゃとてもとても許せやしねぇ。
かや:いっそ死ぬか?殺してやろうか?
かや:何よりも惨(むご)い死に方はなんだ?
かや:考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、
泪:(被せて、手を一回叩きながら)かや!
かや:っっ?!
かや:……あ。
泪:正気に戻ったかい?
かや:…………姐さん。
かや:俺、もしや俺は今……今。
泪:逆鱗に触れられた龍のように。
泪:はたまた、それはそれは恐ろしい鬼の形相だった、かい。
かや:うっ……。
泪:しげじの奴がただ単に嘯(うそぶ)いて、
泪:アンタを貶す為の戯言を吐いただけかと思っちゃあいたが、
泪:なるほどなるほど。
泪:こう言う事だったのかい。
かや:……。
泪:鬼、鬼ねぇ。
泪:確かに確かにこればっかりは、
泪:しげじの奴の方が正しそうじゃあないかい。
かや:……姐さん。
泪:なんだい?
かや:どうしてそんな表情(かお)をするんだ。
泪:そんな、とは?
かや:しげじの言った鬼だなんだの言葉を吐きながら、
かや:どうしてそんなにも優しい目をして俺を見るんだよ。
泪:そりゃあアタシだって鬼だからさ。
かや:どこが、
泪:アタシはねぇ、かや。
泪:アタシにはこの身に掛かる物が何も無いんだよ。
かや:嘘だ。
泪:嘘じゃあない。
泪:アタシには借金も年季も何も無い。
泪:この吉原から出ようと思えば、
泪:アタシはいつだって出れるんだよ。
かや:ならどうして女郎なんかに、
泪:どうしても暴きたい謎があるんだ。
かや:謎?
泪:それが人かもモノかも分からない。
泪:実態があるのか、それとも無いのかすら。
泪:それでも見付けたい。
泪:どう仕様もなく。
かや:見付けて、暴いて、
かや:それでその後はどうするんだ?
泪:さぁ?
泪:けれども刃を突き立てて殺しちまえるのなら、
泪:アタシはきっとそうするだろうねぇ。
かや:……。
泪:そう言えば聞いていなかったよ。
泪:聞いていいのかも分からないが。
かや:なんだ?
泪:アンタはどうして売られたんだい?
かや:…………。
泪:ずぅっと気になっていてねぇ。
泪:アンタほど肝の座った奴が。
泪:働き手に出せば女の身だろうと、
泪:どこにでも行けそうなくらいの奴が。
泪:女衒(ぜげん)の野郎なんざに売られちまったのかって。
かや:…………よくある話だ。
泪:あい。
かや:俺の家は貧しくて。
かや:貧しくて、貧しくて、
かや:その日の飯の一つも満足に食えねぇぐれぇに貧しくて。
泪:あい。
かや:いつもひもじくて仕様がなかった。
泪:腹いっぱい食った事なんて無いと、
泪:アンタはそう言っていたね。
かや:嗚呼。
かや:だから、だ。
かや:だから父ちゃんは俺を売ったんだ。
かや:…………きっとそうなんだ。
泪:きっと?
かや:…………姐さん。
泪:あい?
かや:俺はな、俺の口は……。
かや:口は……。
泪:かや、ちょいと待ちな。
かや:……。
泪:言いたくない事は言わなくていいんだよ?
泪:アタシにだって隠しておきたい事の一つや二つや三つや四つ。
泪:幾らでもあるんだからねぇ。
かや:でも伝えた方がいいんだ、多分。
かや:姐さんは知っておいた方がいい。
泪:ふぅむ……。
かや:だって俺の姐さんは、頗るお人好しなんだ。
泪:おやまぁ!
泪:こいつぁまた、アンタも言うようになったねぇ。
かや:はっ、何が嬉しくて撫でるんだか。
泪:成長成長!嗚呼、嬉しいねぇ。
かや:姐さん、話がどんどん逸れちまうよ。
泪:嗚呼、そうだったよ!
泪:これはこれはうっかりうっかり。
泪:アタシの悪い癖だよ全く。
かや:話していいか?
泪:あい、分かった分かったよ。
泪:アンタの隠してる事を、一つ?
かや:もしかしたら、二つ。
泪:じゃあ二つ。
泪:アタシに語って聞かせてくれるんだったねぇ?
かや:嗚呼。
泪:聞いてやるからその代わり。
泪:アタシも一つ、
泪:アンタが知っておいた方がいいと思う、
泪:アタシの秘密を渡してもいいかい?
かや:いいよ。
泪:まぁ尤もアタシのコレは、
泪:娑婆(しゃば)の方じゃあ知ってる奴が何人か居るんだけどねぇ。
かや:そうなのか。
泪:嗚呼、秘密の大きさが違うかい?
かや:大きさなんざどうでもいい。
泪:それなら良かったさねぇ。
かや:ふぅ……姐さん。
泪:あい。
かや:姐さんは件(くだん)って知ってるか?
泪:件(くだん)?
泪:って言うとあれかい?
泪:生まれてすぐに予言を言って、
泪:数日の内に死んじまう。
泪:人と牛を混ざり合わせたような奴の事かい?
かや:嗚呼。
かや:俺はな、姐さん。
かや:村では件(くだん)と呼ばれていたんだ。
泪:どうしてまたそんな酷い呼び名なんか、
かや:それがなかなかどうして、
かや:奇を衒(てら)っている訳でも、
かや:全てが全て、嘘に塗れている訳でもねぇんだ。
泪:と言うと?
0:一拍
かや:いっとう始めに死んだのは母ちゃんだった。
泪:……。
かや:俺がまだ三つになるかならねぇかの時に、
かや:転んじまった俺を起こそうと覗き込んだ母ちゃんに向かって、
かや:俺は泣き声の代わりにこう吐いたんだ。
泪:あい。
かや:「お前は数日中に、病に倒れて死ぬだろう」
泪:三つ程度の子供が、かい?
かや:嗚呼。
かや:母ちゃんは気味悪く思ったけれども、
かや:所詮は子供の口から出た事だ。
かや:そう言う風に聞こえちまっただけで、
かや:実際はそうじゃなかったのだろうと。
かや:特に気にも止めなかったそうだ。
かや:だけど、
泪:あい。
かや:それから五日後に母ちゃんは死んだ。
かや:急に倒れてそのまま帰ってこなかった。
泪:っっ?!
かや:俺が言った言葉の通りに母ちゃんは死んじまったんだ。
かや:それからだ。
かや:村の人間どころか、父ちゃんでさえ、
かや:俺をなんだか化け物でも見るかのような、
かや:そんな目で見るようになったのは。
泪:……。
かや:母ちゃんだけじゃねぇ。
かや:他にもあった。
かや:石をぶつけてきた奴に、
かや:「その右の腕は一生使えなくなるだろう」
かや:そう言った日には、
かや:そいつは山で足を滑らせちまって、
かや:命こそ助かりはしたが、
かや:二度と右腕が動かなくなるぐれぇの大怪我を負った。
泪:なんて言う事だい。
かや:到底信じられない話だろう?姐さん。
かや:でも実際に俺が吐いた悪い事は、
かや:全部予言のように叶っちまったんだよ。
泪:まるで呪いみたいじゃないかい。
かや:呪い、呪いか。
かや:確かにそうだな。
泪:嗚呼!
泪:誤解させちまってたらすまないねぇ、かや。
かや:うん?
泪:アタシは別にアンタの事を貶すつもりも、
泪:ましてや畏(おそ)れ慄(おのの)く気も一切ありゃあしないんだよ。
かや:嗚呼……なんとなくそれは分かっているよ。
泪:本当かい?
泪:それならいいのだけれども。
泪:いやさねぇ、
泪:こんな生き方しちまってるからか、
泪:それともアタシの縁が拗れちまっているのか。
泪:妖だ、魑魅魍魎だ、鬼だ、呪いだ、なあんてモノに、
泪:なかなかどうして関わる機会が多いんだよ。
かや:そうなのか?
泪:嗚呼。
泪:色々見たよ色々ねぇ。
泪:だからかや、アンタ。
かや:なんだ?
泪:苦労したんだねぇ。
かや:っっ……嗚呼。
泪:ところで。
かや:?
泪:アンタの言葉は良い事は叶わないのかい?
かや:嗚呼。
かや:叶っていたら俺は今頃、
かや:なんでもかんでも望んで手を伸ばしちまうような、
かや:そんな惨めな奴にはなっていなかったさ。
泪:と言うと難儀でしかない能力じゃあないかい。
泪:かやにとっての旨味が何一つありゃあしない。
泪:持たせるだけ持たせて。
泪:アタシの可愛い禿(かむろ)ちゃんを、
泪:こんな目に合わせた原因はなんだい?
泪:見つけ出したらただじゃあおかないよ。
かや:神の類かもしれないだろう?
泪:神がなんだって言うんだい?
泪:あんなモノ拝むだけ無駄さ!
泪:願ったところで、
泪:てんで力になってくれやしないのに。
かや:確かにそうだなぁ……。
泪:かや、
かや:なぁ姐さん。
泪:うん?
かや:どうして俺が女衒(ぜげん)に売られちまったのか。
かや:姐さんはそう聞いたよな?
泪:嗚呼、確かに確かにアタシは聞いたよ。
泪:よくある食い扶持(ぶち)の為だったんだろう?
かや:本当は違ぇんだ。
泪:?
かや:母ちゃんが死んでしばらくして、
かや:父ちゃんは新しい母ちゃんを連れて来た。
泪:ほぅ。
かや:新しい母ちゃんは、
かや:この吉原に居てもおかしくねぇぐれぇに、
かや:白粉(おしろい)の匂いをそこら中に撒(ま)き散らすような女で。
泪:あい。
かや:父ちゃんはコロッと簡単に靡(なび)いちまってさ。
泪:……。
かや:父ちゃんが俺を売ったのは、
かや:ひもじくてひもじくて仕様がなくて、
かや:俺を売らなきゃおまんま食えねぇからだ。
かや:そうじゃなきゃ……。
泪:かや……。
かや:姐さん。
泪:あい?
かや:俺はなぁ、本当は知っているんだよ。
かや:新しい母ちゃんが、
かや:着物が欲しいと言っていた。
かや:新しい着物を買うてくれと、
かや:そう父ちゃんに強請っているのを、
かや:この耳で確かに聞いちまったんだ。
泪:……。
かや:それからすぐだったよ。
かや:父ちゃんが女衒(ぜげん)を連れて来たのは。
泪:……。
かや:確かに俺は村の奴らから件(くだん)と呼ばれていて、
かや:実際そう呼ばれちまう訳もあって。
かや:それでもな……それでも……。
泪:かや、
かや:俺は……自分が……。
かや:自分がな……自分が……。
泪:かやっっ。
かや:自分が父ちゃんにとって、
かや:たかが着物一枚以上の価値も無いのだと。
かや:思いたくなかった……。
かや:思いたくなかったんだよぅ。
0:かやを抱きしめる泪。
泪:もういい、もういい!
泪:もう言うな!
泪:もう二度と言うんじゃあない!
泪:聞いたアタシが馬鹿だった!
泪:悪かったねぇ、かや。
泪:許しておくれ。
かや:うぅぅぅ……。
泪:アンタが、
泪:他でもないアタシの可愛い可愛い禿(かむろ)のお前が。
泪:着物一枚以上の価値も無い筈がないだろう!
泪:百だって二百だって、
泪:渡されたところで手放したくないぐらいなのに!
泪:江戸の町一つ軽々と買えるくらいの金子(きんす)を積まれても、
泪:まだまだ全然足りやしないと突っぱねる事すらあれど、
泪:そんじょそこらのはした金をせびる奴らに、
泪:アンタの価値を決められてたまるものか!
かや:……姐さん。
泪:見返してやろう、ねぇ?かや。
泪:いつかアンタの愚図(ぐず)な父と母が、
泪:アンタの価値に気が付いて取り返そうと手をこまねいても、
泪:もう今更遅い遅い手遅れなんだと、
泪:心の底から嘲笑ってやろう。
かや:そんな事してもいいのか?
泪:嗚呼、してもいいさね。
かや:出来るかな?
泪:アンタの姐さんは誰だい?
かや:泪(るい)姐さんだ。
泪:そう、アタシだ。
泪:アタシがアンタを必ず、
泪:高見から選り好み出来る花魁にしてやろう。
かや:長ぇ道のりだ。
泪:でも決して不可能じゃあない。
泪:教えてやろう。
泪:アタシが最も憧れた、
泪:アタシの姐さん仕込みの手練手管(てれんてくだ)を。
かや:手練手管かぁ……。
0:一拍
かや:なぁ、姐さん。
泪:なんだい?
かや:姐さんは随分硬ぇんだな。
かや:男みてぇだ。
泪:…………男だからねぇ。
泪:アタシは女のフリをしているだけの、
泪:正真正銘の男なんだよ。
かや:そうか……それが姐さんの隠している事か?
泪:あい。
かや:だからか。
泪:うん?
かや:身に掛かる物がなんにもねぇのも。
かや:いつでも外に出て行けるのも。
かや:ほんの少しも肌を見せたがらねぇのも。
かや:それは姐さんが男だったからなのか。
泪:嗚呼、そうだよ。
泪:軽蔑したかい?
かや:いいや。
泪:怖いかい?
かや:それも、いいや。
かや:もっとずっと怖いもんなんて、
かや:幾らでも俺は見てきたよ。
泪:そうかい。
泪:そいつぁなかなかどうして、
泪:アタシとおんなじじゃあないかい。
かや:姐さん、泪(るい)姐さん。
かや:俺の、オイラの、おいらん姐さん。
泪:なんだい?
かや:姐さんも随分難儀な生き方をしてんだなぁ。
泪:そうだろう?
泪:だから難儀な野郎だと、そう言われちまうんだよ。
泪:アタシはねぇ。
0:一拍
泪:(以下、泪モノローグ)
泪:
泪:人は阿呆(あほう)と呼ぶだろう
泪:人は畜生と呼ぶだろう
泪:溜まりきった糞尿を見るように
泪:忌まわしい目をして薄ら笑うだろう
泪:あなたは花と言うだろう
泪:あなたは愛しいと言うだろう
泪:まるで生涯唯一の宝を見るように
泪:優しい目をして微笑むだろう
泪:この世の地獄を知っている
泪:きっと全てが此処にある
泪:可哀想と言われれば
泪:私の形(なり)はそれまでだ
かや:(以下、かやモノローグ)
かや:
かや:あなたは笑う、クツクツと
かや:私とおんなじ表情(かお)をして
かや:地獄以外にも鬼は居る
かや:人の形(なり)を真似ただけの鬼共だ
かや:奴らの方がずっとずぅっと厄介で仕様がない
かや:それに比べりゃ俺なんか
かや:遥かにマシな鬼になれるのだろう
かや:
かや:きっと長い永い地獄を這った
かや:
かや:これはその中の一瞬の話だとしても
かや: