台本概要

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タイトル 白夜月に口づけを。
作者名 机の上の地球儀  (@tsukuenoueno)
ジャンル ラブストーリー
演者人数 2人用台本(男1、女1)
時間 40 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 ――綺麗な月だこと。

明治末期/切ない/半時の逢瀬

商用・非商用利用に問わず連絡不要。
告知画像・動画の作成もお好きにどうぞ。
(その際各画像・音源の著作権等にご注意・ご配慮ください)
ただし、有料チケット販売による公演の場合は、可能ならTwitterにご一報いただけますと嬉しいです。
台本の一部を朗読・練習する配信なども問題ございません。
兼ね役OK。1人での演じ分けやアドリブ・語尾変・方言変換などもご自由に。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
130 華族の跡取り息子。帝国大学を卒業している。 婚約が決まりそうなご令嬢がいる。 中年の兼ね役アリ(女の父親です)。 ※兼ね役のみ別の男性に頼んでも構いません。
142 爵位を持つ、天月家のご令嬢。 婚約者がいる。 ※後半最後の方に、アドリブセリフが1箇所ございます。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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 :   :   :「白夜月(はくやづき)に口づけを。」  :       作 机の上の地球儀  :  :   :   :   :  男:華族の跡取り息子。帝国大学を卒業している。婚約が決まりそうなご令嬢がいる。中年の男性の兼ね役アリ。  :  女:伯爵家のご令嬢。婚約者がいる。後半にアドリブ台詞が一言だけございます。  :   :   :   :   :  女:(M)「射抜く」、という言葉がある。 女:どうやら、自分は人に好かれる相貌(そうぼう)をしているらしい。 女:気付くと皆、まるでこちらを射抜くような、力強い、訴えかけるような視線を向けてくる。 女:……わたくしはずっと、それが怖かった。 女:欲しい。ほしい。ホシイ。……何故そんなに、ギラギラと燃えるような「熱」をわたくしに向けるのか。 女:……嗚呼、お願い。 女:そんな目で、わたくしを見ないで……。  :   :   :(女がカフェのバルコニーに向かうと、そこに一人の男がいる)  :  男:嗚呼、どうも。(微笑みながら)五日ぶりですね。 女:…………ッ。  :  女:(M)……嗚呼、不思議だわ。……いつからかしら。この人が微笑むと、心臓がピクリと跳ねるようになった。彼の視線は、他の誰とも違う。彼と会うと、わたくしは何故か……。 女:……ねえ。その視線の意味は、なに?  :  男:どうされました? 女:……いえ。わたくしの方が早いと思っていたのに。もういらしていたのですね。 男:所用があったもので。 女:(からかい口調で)パナマ帽を新調しに? 男:これは……友人が流行りだからと、同じものを押し付けてきただけですよ。 女:でも被ってらっしゃるのね。仲がおよろしいこと。 男:ありがたいことに、ね。私なんぞに声を掛けてくれる、稀有な男ですよ。  :  女:(M)人間は、男と女、この二つの性別に区分される。真ん中は許されない。レールを外れてはならない。  :  男:(兼役。中年の男性として)お前は、私の言う通りにしていれば良いのだ。  :  女:(M)わたくしに覆い被さり、首に太い指を這わせる「アレ」は、「これは愛なのだ」と言った。  :  女:カ、ハ……(首を絞められて、暫しうめく)。  :  女:(M)これが、愛?これが……? 女:気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。 女:本当に、なんと不快で、なんと愉快なことだろう。わたくしを覆うこの怪物は、他ならぬ、わたくしの「父親」だと言うのだから……。 女:……嗚呼。あぁ、もしも。もしもわたくしが男だったなら。この気持ち悪い脂肪の塊を突き飛ばして、どこまでだって逃げるのに。どこまでだって行けるのに。  :  男:(兼役。中年の男性として)どうした。何を考えている。 女:……いえ。 男:(兼役。中年の男性として)そうだ。女は余計なことなど考えなくて良い。 女:はい。 男:(兼役。中年の男性として)お前は、ただ美しく在れば良いのだ。 女:は、い。 男:(兼役。中年の男性として)笑え。 女:…………え? 男:(兼役。中年の男性として)笑うのだ、ほら。 女:…………。 男:(兼役。中年の男性として)笑え! 女:…………はい。(微笑む) 男:(兼役。中年の男性として)は、はは……。良い、良いぞ。お前は本当に美しいなあ。嗚呼……お前は俺のものだ……ずっと、俺のものだ……。  :  女:(M)どうにもならないのならば、せめて。せめて誰よりも美しく笑っていよう。それを崩さないことが、今のわたくしにできる、唯一の反撃だから……。  女:……ねえ。愛とは。愛とは一体なんなのかしら。  :  女:(微笑んで)羨ましいわ。殿方のそういう関係って。……そういうのを「親友」と呼ぶのでしょう? 男:そんな大したものじゃありません。ただの腐れ縁ですよ、奴とは。予備門の同窓生なのです。 女:(少し焦れたように)それが、羨ましいのですわ。  :(間)  :  男:……貴女にはいないのですか、親友は。 女:親友って、どうやって作るものなのかしら。 男:そうですねえ。気付いたらいつも一緒にいるご令嬢などは?いませんか? 女:……よく話しかけてくださるな、という方はいらっしゃいます。わたくしの好きなものが何か、いつも気にしてくださったり。 男:その方は? 女:…………。 男:あまり気が合いませんか? 女:そういう訳では……ないのですけれど。 男:ふむ。 女:親友とする会話って、どんなものなのかしら。何か特別なお話をするの? 男:はは。将来の展望を語り合う程度ですよ。後は……例えば、意中の女性の話とか、ね。 女:…………ッ。  :(間)  :  女:今の、あまりよろしくなかったわ。 男:え? 女:貴方って、思ったより軟派者なのね。 男:(軽く吹き出して)私が? 女:お相手がわたくしでなかったら、口説いているのかと思われますわよ。 男:おやおや。手厳しい。……あれ。怒りましたか? 女:…………。  :(間)  :  男:意中の女性など、おりませんよ。 女:え? 男:貴女にも、いないでしょう?そんなものは。 女:わたくしには……婚約者がおりますわ。 男:ええ。私も、似たようなものです。  :(間)  :  女:……そうね。  :  女:(M)男とは、このバルコニーで偶然出会った。とはいえ、彼は元々父の仕事関係の知り合いであり、挨拶を交わした後、少し雑談をする流れになったのも、何ら不自然なことではなかった。  :  :   :(以下、回想シーン)  :  男:あぁ、そうだ。先日はありがとうございました。 女:わたくしは何も。父が喜んでいましたわ。何か良い話だったのかしら。 男:(鼻で笑って)大した話ではありませんよ。  :  0:以下、二人同時に。 女:(同時に。ムッとして)女には分からない、ですか? 男:(同時に)流行りの葉巻の話と、新しい(投資の話を)……、  :  女:……え。 男:え?  :(間)  :  女:……ぁ。済みません。わたくしったら。少しイライラしているみたい。 男:(吹き出して)ははは……。 女:な、なんです。 男:いや。先日お会いした時は、浮世離れした、何だか不思議な空気を纏ってらっしゃる方だなと思ったものですが……。そんな風に苛立つこともあるのだな、と……っくく。 女:おかしいですか。 男:ふふ。ええ。当たり前のことですが、天月嬢も人間なのだなと思ったら、何だか可笑しくて……済みません。 女:……貴方だって。 男:え? 女:ちゃんと笑えるんですのね。意外だわ。 男:えっと……前回も朗らかにお話しさせていただいたと記憶しているのですが……。 女:目が笑ってなかったもの。……貴方はわたくしと同じ。  :(間)  :  女:何かが足りないのだわ、きっと。 男:…………! 女:済みません、連れを待たせてあるんです。そろそろ失礼致します。  :(去ろうとする女の腕を、男が掴む)  :  男:待ってください! 女:…………! 男:月を……、 女:え……。 男:五日に一度、ここで半刻(はんとき)。一緒に月を見ていただけませんか……!  :(間)  :  男:……!あ、いえ。 男:……申し訳ありません。とんだ妄言を吐いてしまった。 女:いつも月が見えるとは限りませんが。  :(間)  :  女:月の見えない日でも、約束通りここに来て良いものかしら。 男:…………は? 女:五日後、また参ります。  :   :(回想シーン終了)  :   :   女:(M)そうして、互いに別の相手との結婚が決まっているというのに、この人と五日に一度、ここで一時の逢瀬を重ねるようになって、数ヶ月が経過した。 女:わたくしは今でも、どうしてあの時あぁ答えたのか、上手く言葉をまとめることが出来ないでいる。 女:……この人の瞳は、他の誰とも違っていて。出会った時は、「色」のない、冷めた、けれどとても平等な……形容しがたい、不思議な視線だ、と思ったものなのに。他人にまるで興味のないような温度で、その実、ドロドロの野心を秘めたその眼光は……いつの間にか、本当にいつの間にか、わたくしの瞳に、とても穏やかに映るようになっていた。  :  男:女性は、ご友人間でどんなお話をされるのですか。 女:少なくとも将来の展望などは話しませんわね。 男:はは。 女:……そうですわね。髪の結い方ですとか、流行りの小説だとか。色々話しはしますけれど……。 男:その流行りというのは、どこで学ぶのです? 女:(吹き出して)学ぶ、って……そんな大真面目に。 男:いやはや。音楽にも疎ければ、女性の世界にも疎い男で申し訳ない。 女:ふふ。硬派で素敵ですわ。……そうですね。女学世界(じょがくせかい)とか……ご存知です? 男:女学世界? 女:雑誌ですわ。絵葉書なんかの付録が人気で。わたくしたちは、そういったもので「学び」ますわね。 男:雑誌……。よくお父上がお許しになりましたね。 女:(軽く鼻で笑って)まさか。これだけです。唯一これだけは読んでも良いと、許可をいただいていますの。女学世界は、他より少しばかり教養的だから、って。 男:へえ。他とどのような違いがあるのです? 女:(少し大袈裟に)髪型や社交術、古典に和歌に論説に、果ては職業情報まで!女学生の全てを網羅した総合雑誌、女学世界! 男:まるで東西屋か広目屋(ひろめ)だ。 女:雇ってくださるかしら? 男:はは。……あれ。今、職業情報、と仰いました? 女:ええ。 男:それ、お父上は……。 女:ご存知ないでしょうね。知っていらしたら、読んでもいいだなんて仰る筈がないもの。 男:……勿体ないですね。 女:え? 男:貴女には、並の男なんぞより遥かに面白い展望がありそうだというのに。 女:……突飛なことを仰るのね。 男:確かに。大志(アムビシヨン)を養成するには男女間ではダメだ、と説いた作家先生様もいましたが……私は語り明かしてみたいですね。貴女となら楽しく話せそうだ。 女:……それって、女色(じょしょく)よりは、男色のがよっぽど功利的、とかなんとか書いたアレですか? 男:読んでらっしゃいましたか。……やはり、勿体ない。 女:……お父様が聴いたら、女が変な知恵をつけるなと怒られてしまうでしょうね。 男:……家長は、家全体の利益を考えなければなりませんからね。難しい問題です。 女:家、ね。そんなに大事なものかしら、それは。 男:一つの「力」ですからね。男というものは、皆それを手放すのが怖い。大事というよりは……いや、そうですね。ただただ「大きい」のです。その存在が、ね。 女:貴方にも……手に負えないくらい? 男:ええ。……その点、たまに親友が眩しくなる時があります。 女:どういうこと? 男:親友は、将来の家長の重みなど微塵も感じていない。そういう男なんです。 女:……家長という仕事を、軽く見ているということかしら? 男:いや、そういう話ではなく。 男:あいつは……何でしょうね。鈍感なところもありますが、真っ直ぐで情に厚い。裏表がないんです。何でも素直に口に出してしまうし、打算も計略もない。いつだって屈託なく笑っている。 男:今時、あんなに邪気のない男も珍しいです。 女:ふふ。本当にその方のことがお好きなのですね。 男:どうでしょう。  :(間)  :  男:……逆なのかもしれません。 女:え? 男:私は内心、あいつのことを阿呆な奴だと馬鹿にすることも多い。 男:でもそれはきっと……私があいつを羨ましがっているからに他ならないのです。 女:羨ましい……。 男:あいつからは、背に負う家門の重みなどまるで感じない。それが華族に生まれた務めとばかりに……いや、そんな小難しいことさえ考えてないのでしょうね。今の自分も、定められた未来も、それが当たり前だ、というような顔をして笑っているのですから。……私には到底敵わない。凄い奴ですよ、あいつは。  :(間)  :  女:また、意外だわ。 男:え? 女:貴方は、そういうものを軽々持ち上げられる方だと思っていたから……。 男:器の小ささに驚きましたか? 女:そんな。……そういう不安があると分かって、より近く感じますわ。貴方って、いつも完璧すぎるんですもの。 男:そんなことはないのですが……。 男:……あいつはいつも、今まで一度として試験や事業で私に勝てたことがない、とのたまうのです。それで、お前には何をやっても勝てない、などと。それは違う。私は一度だって、本当の意味であいつに勝てたことはないのです。 女:……素敵な方なのね。そのご友人は。 男:はは。えぇ。良い男ですよ、あいつは。あいつと結婚するご令嬢は、絶対に幸せになれる、と断言できるくらいには。 女:ふふ。そうなんですね。それは羨ましいこと。 男:……でも。だから憎い。 女:…………え? 男:あいつの光に当てられて、苦しくなる時がある。私にはあいつは眩しすぎる。良い奴だと感じることが増えれば増えるほど、自分の影が濃くなるように思えるのです。だから……時たま常に私を照らすあいつが、憎くて憎くて堪らなくなるのですよ。 男:……私はね、唯一の友人であるあいつが大嫌いなんです。……最低でしょう?  :(間)  :  女:本当に、素敵な関係ですね。 男:え? 女:済みません。「大嫌い」という言葉が、わたくしには「大好き」だと仰っているように聴こえたものですから。 男:…………。 女:……ぁ。ごめんなさい。わたくしったら余計なことを。 男:いや……。  :(暫し気まずい沈黙が流れる)  :  女:……えっと。(帽子を見上げながら)そういったものはどこで買うんですの? 男:え?あぁ。……これは本郷の唐物店(とうぶつてん)です。ご覧になりますか?(帽子を脱ぐ) 女:……へえ。とても細かな作りをしてらっしゃるのね。……あら?もしかして所用って、髪を整えに行ってらしたの? 男:おや、バレてしまいましたか。 女:そりゃあ、短くなっておりますもの。 男:いや、お恥ずかしい。私は男の流行り髪が載っている雑誌を拝読したことがないもので。いつも通りで、と揃えてもらっただけなのです。……変でしょうか? 女:いえ。とてもよく似合っておりますわ。……どこで整えてらしたの? 男:本郷の喜多床(きたどこ)ですね。 女:(笑いながら)また本郷ですか。 男:書店に歯磨き粉まで、私の身体は全て本郷でできていると言っても過言ではないですからね。 女:歯磨き粉は、かねやすで? 男:勿論ですとも。 女:(クスクスしながら)まあ。帝大魂(ていだいだましい)というやつですわね。 男:本郷に、私の全てがあるのですよ。 女:あなたの全てが? 男:はい。私の全てが。 女:すべて……。 女:(小声で)……わたくしの全ては、一体どこにあるのかしら。 男:え? 女:あぁ、いいえ、何でも。 女:……わたくしも本郷の古書店街にはよく参りますわ。 男:おや、そうだったんですか。 女:お気に入りの店がありますの。古書なんて、と思われる方も多いでしょうが、絶版になった本も幾つも並んでいて。 男:ほう。それは興味深い。 女:貴方もお好きだと思うわ、きっと。 男:へえ。是非今度、そこに連れて行ってはくれません、か……(途中でハッとして言い淀む)。 女:……え? 男:……ぁ。済みません、つい。  :(間)  :  女:……やめておきますわ。 男:……はい。 女:ここだけで十分です、わたくしは。 男:…………。 女:それにわたくしは……どこにも行っちゃいけないもの。……ここにいなくては。 男:……?どういうことです? 女:ふふ。いいえ。  :(間)  :  男:貴女は、どこにだって行けます。 女:…………ッ。 男:どこにでも行けますよ。だって……だって世は明治です。女性だって、これからどんどん世に出るようになる。 女:……そう? 男:ええ。 女:……その気になれば、例えばこの手摺りから飛び降りることも……できるでしょうか……。  :(間)  :  男:……飛び降りて、どうするのです、貴女は。 女:分かりませんけれど。どこそれの舞台から飛び降りる気持ちで、とかなんとか言うでしょう。 男:飛び降りずとも、自由になる方法はありますよ。 女:自由に?わたくしが? 男:ええ。……そうですね。冒険はお嫌いですか。 女:冒険?……いいえ。むしろそう言ったものは大好きです。想像するだけで胸が弾みます。……でも。 男:でも? 女:…………わたくしが、自由になれるものかしら。  :(間)  :  男:なれますよ。例えば、許されない悪いことをしてみる、とかどうです? 女:悪いこと?……非行に走るということ? 男:(吹き出して)はは!非行!良いですね。伯爵家のご令嬢が非行か。うん、面白い。……っくく。あー、そうだな。例えば、こんな冒険は如何です?(懐からシガレットホルダーを取り出す) 女:それは? 男:シガレットホルダーです。 女:しがれっと、ほるだあ。 男:ええ。 女:何です、それは?煙管(キセル)とは違うの? 男:この先に紙タバコを付けて吸うのです。吸い方は煙管(キセル)と変わりませんが、葉の手入れが要らないし、手にタバコの匂いもつかない。 女:綺麗な彫り細工……これは……芍薬のお花? 男:はい。よくお分かりになりましたね。 女:だって、わたくしの好きなお花だもの。牡丹はパッと落ちてしまうけれど、芍薬はヒラハラと散る様がとても美しくて。 男:確かに。私も好きなんです、芍薬の花。 女:嬉しいわ、同じ花を好いているなんて。……これは新しい外来品?知らなかったわ。タバコは、父が社交場で少し嗜む程度だから。 男:貴女が産まれた時には、もうあったんじゃないかな。 女:へえ……。  :(間)  :  女:(男の視線を感じて)……なんですの? 男:そろそろ、してみましょうか。 女:何を? 男:だから、冒険を、です。 女:な、何をなさるの? 男:吸う以外にありますか? 女:そんな。不良だわ……!  :(男は手で口を覆った女を尻目に、紙タバコをシガレットホルダーに差し、火をつける)  :  男:でも、昔は女学生も多くタバコを吹かしていたそうですよ。 女:それって、「未成年者喫煙禁止法」が施行される前の話でしょう。何十年も前だわ。 男:おや?ご自身の殻を破りたいのかと思ったのですが。……違いましたか? 女:それは……。 男:ほら……。 女:ッ(息を飲む)、  :(間)  :  男:(フーッとタバコの煙を女に吹きかける) 女:わ、ぷ(咳き込む) 男:(吹き出して笑う) 女:何ですの、もう……! 男:はは。本当に吸わせる訳ないでしょう。 女:〜〜〜ッ! 男:(まだ笑いを止められずにいる) 女:……もう。わたくしを世間知らずの女だと馬鹿にしているのね。 男:いいえ。少し虐めたくなっただけです。 女:まるで子供のよう。 男:男はいつまで経っても子供なのですよ。 女:(呆れて)そうですか。  :(間)  :  男:見たくないのですよ、貴方が立ち止まる所は。何故だかね。 女:……それは、どういう意味? 男:前に、貴女に言われたことがあるでしょう。貴女と私は同じだって。……だから、まるで貴女のことを、自分を映す鏡のように感じることがあるのです。貴女が自分に自信がなくなると、私も不安になったり……ね。 女:鏡……。 男:勝手に済みません。 女:……鏡と言うより、硝子のようだわ。私に似た姿を写しながら、硝子の向こう側で一体何が起きているのか……わたくしには分からないのだから。 男:なるほど。……そうかもしれませんね。  :(間)  :  女:わたくしは、このまま愛を知らずに大人になるのかしら。 男:愛も恋も、大人になっても分かりませんよ。 女:恋……。貴方様のような方が口にすることじゃないわ。そんな馬鹿なこと。 男:恋をすることは、阿呆のやる事だと言われておりますが……矛盾ではないですからね。 女:でも、恋をすると、わたくし達は居場所がなくなるもの。……不思議ですよね。華族は恋はできないのに、愛を語ることはあるのだから。 男:え? 女:ご両親に言われたことはありません?……「愛してる」、って。 男:確かに……。そうか。恋を知らずに、愛を、語る……なるほど。 女:(アドリブで一言) 男:え? 女:……いいえ。さぁ。そろそろ帰りましょうか。 男:愛も恋も知りませんが。 女:え? 男:貴女に出会えたことは、良かったと思っております。  :(間)  :  女:そう。 男:げに東(ひんがし)に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず。 女:……ふふ。なんです、急に。 男:いえ。……(微かに笑ってから)今日も、綺麗な白夜月(はくやづき)でしたね。  :  女:(M)見上げた月は、薄青空(うすあおぞら)の中に儚く浮かんでいて。 女:とてもとても美しくて。 女:……でも、それも。  :  女:(数年後。M)それももう、何年も前のことです。 女:当時のことを思い出すと、わたくしは今でも心臓が痛くなります。嗚呼。わたくしは唯一、その人の前では……一人の女ではなく、「ただの人間」で居られたのだな、と……。  :  女:(M)今では静かに、そう思えるのです。 女:おかしいですよね。……もう、何もかも遅いのに。  :  女:ふふ。ええ、本当に。……綺麗な月だこと。  :   :   :   :   :   :   : 

 :   :   :「白夜月(はくやづき)に口づけを。」  :       作 机の上の地球儀  :  :   :   :   :  男:華族の跡取り息子。帝国大学を卒業している。婚約が決まりそうなご令嬢がいる。中年の男性の兼ね役アリ。  :  女:伯爵家のご令嬢。婚約者がいる。後半にアドリブ台詞が一言だけございます。  :   :   :   :   :  女:(M)「射抜く」、という言葉がある。 女:どうやら、自分は人に好かれる相貌(そうぼう)をしているらしい。 女:気付くと皆、まるでこちらを射抜くような、力強い、訴えかけるような視線を向けてくる。 女:……わたくしはずっと、それが怖かった。 女:欲しい。ほしい。ホシイ。……何故そんなに、ギラギラと燃えるような「熱」をわたくしに向けるのか。 女:……嗚呼、お願い。 女:そんな目で、わたくしを見ないで……。  :   :   :(女がカフェのバルコニーに向かうと、そこに一人の男がいる)  :  男:嗚呼、どうも。(微笑みながら)五日ぶりですね。 女:…………ッ。  :  女:(M)……嗚呼、不思議だわ。……いつからかしら。この人が微笑むと、心臓がピクリと跳ねるようになった。彼の視線は、他の誰とも違う。彼と会うと、わたくしは何故か……。 女:……ねえ。その視線の意味は、なに?  :  男:どうされました? 女:……いえ。わたくしの方が早いと思っていたのに。もういらしていたのですね。 男:所用があったもので。 女:(からかい口調で)パナマ帽を新調しに? 男:これは……友人が流行りだからと、同じものを押し付けてきただけですよ。 女:でも被ってらっしゃるのね。仲がおよろしいこと。 男:ありがたいことに、ね。私なんぞに声を掛けてくれる、稀有な男ですよ。  :  女:(M)人間は、男と女、この二つの性別に区分される。真ん中は許されない。レールを外れてはならない。  :  男:(兼役。中年の男性として)お前は、私の言う通りにしていれば良いのだ。  :  女:(M)わたくしに覆い被さり、首に太い指を這わせる「アレ」は、「これは愛なのだ」と言った。  :  女:カ、ハ……(首を絞められて、暫しうめく)。  :  女:(M)これが、愛?これが……? 女:気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。 女:本当に、なんと不快で、なんと愉快なことだろう。わたくしを覆うこの怪物は、他ならぬ、わたくしの「父親」だと言うのだから……。 女:……嗚呼。あぁ、もしも。もしもわたくしが男だったなら。この気持ち悪い脂肪の塊を突き飛ばして、どこまでだって逃げるのに。どこまでだって行けるのに。  :  男:(兼役。中年の男性として)どうした。何を考えている。 女:……いえ。 男:(兼役。中年の男性として)そうだ。女は余計なことなど考えなくて良い。 女:はい。 男:(兼役。中年の男性として)お前は、ただ美しく在れば良いのだ。 女:は、い。 男:(兼役。中年の男性として)笑え。 女:…………え? 男:(兼役。中年の男性として)笑うのだ、ほら。 女:…………。 男:(兼役。中年の男性として)笑え! 女:…………はい。(微笑む) 男:(兼役。中年の男性として)は、はは……。良い、良いぞ。お前は本当に美しいなあ。嗚呼……お前は俺のものだ……ずっと、俺のものだ……。  :  女:(M)どうにもならないのならば、せめて。せめて誰よりも美しく笑っていよう。それを崩さないことが、今のわたくしにできる、唯一の反撃だから……。  女:……ねえ。愛とは。愛とは一体なんなのかしら。  :  女:(微笑んで)羨ましいわ。殿方のそういう関係って。……そういうのを「親友」と呼ぶのでしょう? 男:そんな大したものじゃありません。ただの腐れ縁ですよ、奴とは。予備門の同窓生なのです。 女:(少し焦れたように)それが、羨ましいのですわ。  :(間)  :  男:……貴女にはいないのですか、親友は。 女:親友って、どうやって作るものなのかしら。 男:そうですねえ。気付いたらいつも一緒にいるご令嬢などは?いませんか? 女:……よく話しかけてくださるな、という方はいらっしゃいます。わたくしの好きなものが何か、いつも気にしてくださったり。 男:その方は? 女:…………。 男:あまり気が合いませんか? 女:そういう訳では……ないのですけれど。 男:ふむ。 女:親友とする会話って、どんなものなのかしら。何か特別なお話をするの? 男:はは。将来の展望を語り合う程度ですよ。後は……例えば、意中の女性の話とか、ね。 女:…………ッ。  :(間)  :  女:今の、あまりよろしくなかったわ。 男:え? 女:貴方って、思ったより軟派者なのね。 男:(軽く吹き出して)私が? 女:お相手がわたくしでなかったら、口説いているのかと思われますわよ。 男:おやおや。手厳しい。……あれ。怒りましたか? 女:…………。  :(間)  :  男:意中の女性など、おりませんよ。 女:え? 男:貴女にも、いないでしょう?そんなものは。 女:わたくしには……婚約者がおりますわ。 男:ええ。私も、似たようなものです。  :(間)  :  女:……そうね。  :  女:(M)男とは、このバルコニーで偶然出会った。とはいえ、彼は元々父の仕事関係の知り合いであり、挨拶を交わした後、少し雑談をする流れになったのも、何ら不自然なことではなかった。  :  :   :(以下、回想シーン)  :  男:あぁ、そうだ。先日はありがとうございました。 女:わたくしは何も。父が喜んでいましたわ。何か良い話だったのかしら。 男:(鼻で笑って)大した話ではありませんよ。  :  0:以下、二人同時に。 女:(同時に。ムッとして)女には分からない、ですか? 男:(同時に)流行りの葉巻の話と、新しい(投資の話を)……、  :  女:……え。 男:え?  :(間)  :  女:……ぁ。済みません。わたくしったら。少しイライラしているみたい。 男:(吹き出して)ははは……。 女:な、なんです。 男:いや。先日お会いした時は、浮世離れした、何だか不思議な空気を纏ってらっしゃる方だなと思ったものですが……。そんな風に苛立つこともあるのだな、と……っくく。 女:おかしいですか。 男:ふふ。ええ。当たり前のことですが、天月嬢も人間なのだなと思ったら、何だか可笑しくて……済みません。 女:……貴方だって。 男:え? 女:ちゃんと笑えるんですのね。意外だわ。 男:えっと……前回も朗らかにお話しさせていただいたと記憶しているのですが……。 女:目が笑ってなかったもの。……貴方はわたくしと同じ。  :(間)  :  女:何かが足りないのだわ、きっと。 男:…………! 女:済みません、連れを待たせてあるんです。そろそろ失礼致します。  :(去ろうとする女の腕を、男が掴む)  :  男:待ってください! 女:…………! 男:月を……、 女:え……。 男:五日に一度、ここで半刻(はんとき)。一緒に月を見ていただけませんか……!  :(間)  :  男:……!あ、いえ。 男:……申し訳ありません。とんだ妄言を吐いてしまった。 女:いつも月が見えるとは限りませんが。  :(間)  :  女:月の見えない日でも、約束通りここに来て良いものかしら。 男:…………は? 女:五日後、また参ります。  :   :(回想シーン終了)  :   :   女:(M)そうして、互いに別の相手との結婚が決まっているというのに、この人と五日に一度、ここで一時の逢瀬を重ねるようになって、数ヶ月が経過した。 女:わたくしは今でも、どうしてあの時あぁ答えたのか、上手く言葉をまとめることが出来ないでいる。 女:……この人の瞳は、他の誰とも違っていて。出会った時は、「色」のない、冷めた、けれどとても平等な……形容しがたい、不思議な視線だ、と思ったものなのに。他人にまるで興味のないような温度で、その実、ドロドロの野心を秘めたその眼光は……いつの間にか、本当にいつの間にか、わたくしの瞳に、とても穏やかに映るようになっていた。  :  男:女性は、ご友人間でどんなお話をされるのですか。 女:少なくとも将来の展望などは話しませんわね。 男:はは。 女:……そうですわね。髪の結い方ですとか、流行りの小説だとか。色々話しはしますけれど……。 男:その流行りというのは、どこで学ぶのです? 女:(吹き出して)学ぶ、って……そんな大真面目に。 男:いやはや。音楽にも疎ければ、女性の世界にも疎い男で申し訳ない。 女:ふふ。硬派で素敵ですわ。……そうですね。女学世界(じょがくせかい)とか……ご存知です? 男:女学世界? 女:雑誌ですわ。絵葉書なんかの付録が人気で。わたくしたちは、そういったもので「学び」ますわね。 男:雑誌……。よくお父上がお許しになりましたね。 女:(軽く鼻で笑って)まさか。これだけです。唯一これだけは読んでも良いと、許可をいただいていますの。女学世界は、他より少しばかり教養的だから、って。 男:へえ。他とどのような違いがあるのです? 女:(少し大袈裟に)髪型や社交術、古典に和歌に論説に、果ては職業情報まで!女学生の全てを網羅した総合雑誌、女学世界! 男:まるで東西屋か広目屋(ひろめ)だ。 女:雇ってくださるかしら? 男:はは。……あれ。今、職業情報、と仰いました? 女:ええ。 男:それ、お父上は……。 女:ご存知ないでしょうね。知っていらしたら、読んでもいいだなんて仰る筈がないもの。 男:……勿体ないですね。 女:え? 男:貴女には、並の男なんぞより遥かに面白い展望がありそうだというのに。 女:……突飛なことを仰るのね。 男:確かに。大志(アムビシヨン)を養成するには男女間ではダメだ、と説いた作家先生様もいましたが……私は語り明かしてみたいですね。貴女となら楽しく話せそうだ。 女:……それって、女色(じょしょく)よりは、男色のがよっぽど功利的、とかなんとか書いたアレですか? 男:読んでらっしゃいましたか。……やはり、勿体ない。 女:……お父様が聴いたら、女が変な知恵をつけるなと怒られてしまうでしょうね。 男:……家長は、家全体の利益を考えなければなりませんからね。難しい問題です。 女:家、ね。そんなに大事なものかしら、それは。 男:一つの「力」ですからね。男というものは、皆それを手放すのが怖い。大事というよりは……いや、そうですね。ただただ「大きい」のです。その存在が、ね。 女:貴方にも……手に負えないくらい? 男:ええ。……その点、たまに親友が眩しくなる時があります。 女:どういうこと? 男:親友は、将来の家長の重みなど微塵も感じていない。そういう男なんです。 女:……家長という仕事を、軽く見ているということかしら? 男:いや、そういう話ではなく。 男:あいつは……何でしょうね。鈍感なところもありますが、真っ直ぐで情に厚い。裏表がないんです。何でも素直に口に出してしまうし、打算も計略もない。いつだって屈託なく笑っている。 男:今時、あんなに邪気のない男も珍しいです。 女:ふふ。本当にその方のことがお好きなのですね。 男:どうでしょう。  :(間)  :  男:……逆なのかもしれません。 女:え? 男:私は内心、あいつのことを阿呆な奴だと馬鹿にすることも多い。 男:でもそれはきっと……私があいつを羨ましがっているからに他ならないのです。 女:羨ましい……。 男:あいつからは、背に負う家門の重みなどまるで感じない。それが華族に生まれた務めとばかりに……いや、そんな小難しいことさえ考えてないのでしょうね。今の自分も、定められた未来も、それが当たり前だ、というような顔をして笑っているのですから。……私には到底敵わない。凄い奴ですよ、あいつは。  :(間)  :  女:また、意外だわ。 男:え? 女:貴方は、そういうものを軽々持ち上げられる方だと思っていたから……。 男:器の小ささに驚きましたか? 女:そんな。……そういう不安があると分かって、より近く感じますわ。貴方って、いつも完璧すぎるんですもの。 男:そんなことはないのですが……。 男:……あいつはいつも、今まで一度として試験や事業で私に勝てたことがない、とのたまうのです。それで、お前には何をやっても勝てない、などと。それは違う。私は一度だって、本当の意味であいつに勝てたことはないのです。 女:……素敵な方なのね。そのご友人は。 男:はは。えぇ。良い男ですよ、あいつは。あいつと結婚するご令嬢は、絶対に幸せになれる、と断言できるくらいには。 女:ふふ。そうなんですね。それは羨ましいこと。 男:……でも。だから憎い。 女:…………え? 男:あいつの光に当てられて、苦しくなる時がある。私にはあいつは眩しすぎる。良い奴だと感じることが増えれば増えるほど、自分の影が濃くなるように思えるのです。だから……時たま常に私を照らすあいつが、憎くて憎くて堪らなくなるのですよ。 男:……私はね、唯一の友人であるあいつが大嫌いなんです。……最低でしょう?  :(間)  :  女:本当に、素敵な関係ですね。 男:え? 女:済みません。「大嫌い」という言葉が、わたくしには「大好き」だと仰っているように聴こえたものですから。 男:…………。 女:……ぁ。ごめんなさい。わたくしったら余計なことを。 男:いや……。  :(暫し気まずい沈黙が流れる)  :  女:……えっと。(帽子を見上げながら)そういったものはどこで買うんですの? 男:え?あぁ。……これは本郷の唐物店(とうぶつてん)です。ご覧になりますか?(帽子を脱ぐ) 女:……へえ。とても細かな作りをしてらっしゃるのね。……あら?もしかして所用って、髪を整えに行ってらしたの? 男:おや、バレてしまいましたか。 女:そりゃあ、短くなっておりますもの。 男:いや、お恥ずかしい。私は男の流行り髪が載っている雑誌を拝読したことがないもので。いつも通りで、と揃えてもらっただけなのです。……変でしょうか? 女:いえ。とてもよく似合っておりますわ。……どこで整えてらしたの? 男:本郷の喜多床(きたどこ)ですね。 女:(笑いながら)また本郷ですか。 男:書店に歯磨き粉まで、私の身体は全て本郷でできていると言っても過言ではないですからね。 女:歯磨き粉は、かねやすで? 男:勿論ですとも。 女:(クスクスしながら)まあ。帝大魂(ていだいだましい)というやつですわね。 男:本郷に、私の全てがあるのですよ。 女:あなたの全てが? 男:はい。私の全てが。 女:すべて……。 女:(小声で)……わたくしの全ては、一体どこにあるのかしら。 男:え? 女:あぁ、いいえ、何でも。 女:……わたくしも本郷の古書店街にはよく参りますわ。 男:おや、そうだったんですか。 女:お気に入りの店がありますの。古書なんて、と思われる方も多いでしょうが、絶版になった本も幾つも並んでいて。 男:ほう。それは興味深い。 女:貴方もお好きだと思うわ、きっと。 男:へえ。是非今度、そこに連れて行ってはくれません、か……(途中でハッとして言い淀む)。 女:……え? 男:……ぁ。済みません、つい。  :(間)  :  女:……やめておきますわ。 男:……はい。 女:ここだけで十分です、わたくしは。 男:…………。 女:それにわたくしは……どこにも行っちゃいけないもの。……ここにいなくては。 男:……?どういうことです? 女:ふふ。いいえ。  :(間)  :  男:貴女は、どこにだって行けます。 女:…………ッ。 男:どこにでも行けますよ。だって……だって世は明治です。女性だって、これからどんどん世に出るようになる。 女:……そう? 男:ええ。 女:……その気になれば、例えばこの手摺りから飛び降りることも……できるでしょうか……。  :(間)  :  男:……飛び降りて、どうするのです、貴女は。 女:分かりませんけれど。どこそれの舞台から飛び降りる気持ちで、とかなんとか言うでしょう。 男:飛び降りずとも、自由になる方法はありますよ。 女:自由に?わたくしが? 男:ええ。……そうですね。冒険はお嫌いですか。 女:冒険?……いいえ。むしろそう言ったものは大好きです。想像するだけで胸が弾みます。……でも。 男:でも? 女:…………わたくしが、自由になれるものかしら。  :(間)  :  男:なれますよ。例えば、許されない悪いことをしてみる、とかどうです? 女:悪いこと?……非行に走るということ? 男:(吹き出して)はは!非行!良いですね。伯爵家のご令嬢が非行か。うん、面白い。……っくく。あー、そうだな。例えば、こんな冒険は如何です?(懐からシガレットホルダーを取り出す) 女:それは? 男:シガレットホルダーです。 女:しがれっと、ほるだあ。 男:ええ。 女:何です、それは?煙管(キセル)とは違うの? 男:この先に紙タバコを付けて吸うのです。吸い方は煙管(キセル)と変わりませんが、葉の手入れが要らないし、手にタバコの匂いもつかない。 女:綺麗な彫り細工……これは……芍薬のお花? 男:はい。よくお分かりになりましたね。 女:だって、わたくしの好きなお花だもの。牡丹はパッと落ちてしまうけれど、芍薬はヒラハラと散る様がとても美しくて。 男:確かに。私も好きなんです、芍薬の花。 女:嬉しいわ、同じ花を好いているなんて。……これは新しい外来品?知らなかったわ。タバコは、父が社交場で少し嗜む程度だから。 男:貴女が産まれた時には、もうあったんじゃないかな。 女:へえ……。  :(間)  :  女:(男の視線を感じて)……なんですの? 男:そろそろ、してみましょうか。 女:何を? 男:だから、冒険を、です。 女:な、何をなさるの? 男:吸う以外にありますか? 女:そんな。不良だわ……!  :(男は手で口を覆った女を尻目に、紙タバコをシガレットホルダーに差し、火をつける)  :  男:でも、昔は女学生も多くタバコを吹かしていたそうですよ。 女:それって、「未成年者喫煙禁止法」が施行される前の話でしょう。何十年も前だわ。 男:おや?ご自身の殻を破りたいのかと思ったのですが。……違いましたか? 女:それは……。 男:ほら……。 女:ッ(息を飲む)、  :(間)  :  男:(フーッとタバコの煙を女に吹きかける) 女:わ、ぷ(咳き込む) 男:(吹き出して笑う) 女:何ですの、もう……! 男:はは。本当に吸わせる訳ないでしょう。 女:〜〜〜ッ! 男:(まだ笑いを止められずにいる) 女:……もう。わたくしを世間知らずの女だと馬鹿にしているのね。 男:いいえ。少し虐めたくなっただけです。 女:まるで子供のよう。 男:男はいつまで経っても子供なのですよ。 女:(呆れて)そうですか。  :(間)  :  男:見たくないのですよ、貴方が立ち止まる所は。何故だかね。 女:……それは、どういう意味? 男:前に、貴女に言われたことがあるでしょう。貴女と私は同じだって。……だから、まるで貴女のことを、自分を映す鏡のように感じることがあるのです。貴女が自分に自信がなくなると、私も不安になったり……ね。 女:鏡……。 男:勝手に済みません。 女:……鏡と言うより、硝子のようだわ。私に似た姿を写しながら、硝子の向こう側で一体何が起きているのか……わたくしには分からないのだから。 男:なるほど。……そうかもしれませんね。  :(間)  :  女:わたくしは、このまま愛を知らずに大人になるのかしら。 男:愛も恋も、大人になっても分かりませんよ。 女:恋……。貴方様のような方が口にすることじゃないわ。そんな馬鹿なこと。 男:恋をすることは、阿呆のやる事だと言われておりますが……矛盾ではないですからね。 女:でも、恋をすると、わたくし達は居場所がなくなるもの。……不思議ですよね。華族は恋はできないのに、愛を語ることはあるのだから。 男:え? 女:ご両親に言われたことはありません?……「愛してる」、って。 男:確かに……。そうか。恋を知らずに、愛を、語る……なるほど。 女:(アドリブで一言) 男:え? 女:……いいえ。さぁ。そろそろ帰りましょうか。 男:愛も恋も知りませんが。 女:え? 男:貴女に出会えたことは、良かったと思っております。  :(間)  :  女:そう。 男:げに東(ひんがし)に還る今の我は、西に航せし昔の我ならず。 女:……ふふ。なんです、急に。 男:いえ。……(微かに笑ってから)今日も、綺麗な白夜月(はくやづき)でしたね。  :  女:(M)見上げた月は、薄青空(うすあおぞら)の中に儚く浮かんでいて。 女:とてもとても美しくて。 女:……でも、それも。  :  女:(数年後。M)それももう、何年も前のことです。 女:当時のことを思い出すと、わたくしは今でも心臓が痛くなります。嗚呼。わたくしは唯一、その人の前では……一人の女ではなく、「ただの人間」で居られたのだな、と……。  :  女:(M)今では静かに、そう思えるのです。 女:おかしいですよね。……もう、何もかも遅いのに。  :  女:ふふ。ええ、本当に。……綺麗な月だこと。  :   :   :   :   :   :   :