台本概要
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タイトル | 【講談】那須与一 扇の的 |
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作者名 | Danzig |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 1人用台本(不問1) ※兼役あり |
時間 | 20 分 |
台本使用規定 | 商用、非商用問わず連絡不要 |
説明 |
講談でおなじみの、源平合戦、那須与一「扇の的」の一席です。 このシナリオは、オリジナルではなく、幾つかの講談の音源を参考として いい所取りで編集したものです。 何人かの登場人物が出てきますが、講談なので、男女部門の一人読み台本です。 152 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
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講釈師 | 不問 | - |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
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0:那須与一 扇の的
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0:えー、一席、講談でお付き合いを願いたいと思っております
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0:祇園精舎の鐘の声
0:※ぎおんしょうじゃ の かねのこえ
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0:諸行無常の響きあり
0:※しょぎょうむじょう の ひびきあり
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0:沙羅双樹の花の色
0:※しゃらそうじゅ の はなのいろ
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0:盛者必衰の理をあらはす
0:※じょうしゃひっすい の ことわりをあらわす
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0:奢れる人も久からず
0:※おごれるひと も ひさしからず
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0:ただ春の夜の夢のごとし
0:※ただはるのよ の ゆめのごとし
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0:猛き者も遂にはほろびぬ
0:※たけきもの も ついには ほろびぬ
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0:偏ひとへに風の前の塵におなじ。
0:※ひとえに かぜのまえの ちりにおなじ
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0:これは、有名な平家物語の冒頭でございますが、ここでも謳(うた)われておりますように、
0:「平家にあらずんば、人にあらず」
0:と言われたほどに大変な隆盛(りゅうせい)を誇っておりました、平家でございましたが、次第に源氏にとって代わられていくのであります。
0:
0:時は、寿永(じゅえい)三年、
0:西暦で言いますと1184年
0:その5月、
0:平家は、一ノ谷(いちのたに)の戦いで、源義経(みなもと の よしつね)の奇襲(きしゅう)戦法に敗北をいたします。
0:
0:この時の義経(よしつね)の奇襲戦法とは、どんなものであったかと申しますと。
0:
0:この一ノ谷(いちのたに)を、義経達に案内をしていた、地元の猟師(りょうし)が
0:
0:猟師「ここは、鹿(しか)やウサギくらいしか通った事がありませんから、到底(とうてい)人馬(じんば)では超える事ができません」
0:
0:と言うほどの、鵯越(ひよどりごえ)という難所がございました。
0:
0:しかし、義経は
0:義経「鹿が通れるならば、馬も通れるだろう」
0:と、まさに
0:
0:『話、聞いてんのかよ!』
0:
0:という、耳を疑うような事を言い出して、なんと、精鋭(せいえい)約70騎(き)ほどで、ここを超えて行ききます。
0:
0:
0:そして、この鵯越(ひよどりごえ)を攻略した事により、平家の本陣(ほんじん)が背(せ)にしていた、断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の上に、たどり着く事に成功するのでありました。
0:
0:平家に気づかれないまま、有利な場所に兵を進めた義経。
0:
0:戦局(せんきょく)を見て、この断崖絶壁を一気に下り、平家の本陣に突撃(とつげき)をいたします。
0:
0:平家としては、自分の背中側の断崖絶壁から、敵が来るとは思ってもいませんから、もう、てんやわんやの大騒ぎとなり、戦局が大きく源氏に傾く事となります。
0:
0:この時の奇襲(きしゅう)戦法が、後に
0:『鵯越(ひよどりごえ)の逆落(さかお)とし』
0:と呼ばれる事となるのですが、これを切っ掛けにして、源氏はこの一ノ谷(いちのたに)の戦いで、勝利を収(おさ)めるのでありました。
0:
0:一方、敗北を喫(きっ)した平家は、船で、本拠地である「屋島(やしま)」に逃げていきます。
0:
0:源氏としては、ここで一気に、平家を打ちたい所ではあったのですが、当時の源氏は、水軍を持っていませんでしたから、
0:海に逃げる平家を、追う事が出来ず、戦いは、一時、休戦状態(きゅうせんじょうたい)となったのでありました。
0:
0:その後、源範頼(みなもと の のりより)による、「藤戸(ふじと)の戦い」などがありましたが、源氏は、平家を、いまひとつ追い詰めきれませんでした。
0:
0:そして、一ノ谷(いちのたに)の戦いから、
0:約9カ月後の、文治(ぶんじ)元年、2月。
0:西暦でいうところの、1185年。
0:
0:満(まん)を持(じ)して、再び義経(よしつね)が、平家打倒(だとう)に参戦(さんせん)する事となります。
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0:頼朝(よりとも)より、平家打倒の命(めい)が下った義経は、早速、戦(いくさ)の支度をいたします。
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0:その頃、義経は京都におりましたから、京都近くの「渡辺(わたなべ)の港」という所から、平家の本陣のある、四国の屋島(やしま)に向かう事といたしました。
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0:文治(ぶんじ)元年、2月16日
0:前日までの嵐で壊れた船などの修理をして、船の準備が整ったのが、日が変わった2月17日の夜半(やはん)。
0:辺りは真っ暗です。
0:
0:しかもこの日は、また大変激しい風と、雨がふっておりましたから、さすがに、家臣も、船をこぐ船頭(せんどう)たちも、誰もが「出発は、明日の朝だろう」と思っておりました。
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0:しかし、なんと義経(よしつね)は
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0:義経「追い風だから、今すぐ出発する」
0:
0:と言い出します。
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0:
0:船頭たちが怯(おび)えながらも
0:
0:船頭「今は船が出せる天候ではありません」
0:
0:と進言(しんげん)するのですが、義経は
0:
0:義経「船を出さないと言うのなら、お前たちを弓で射殺(いころ)す」
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0:と言って、船頭たちを脅(おど)します。
0:
0:まさに、ここでも
0:『話、聞いてんのかよ!』
0:という話なのですが、義経は、言い出したら聞きません。
0:
0:当初、この「渡辺の港」には、全部で200艘(そう)以上の船を用意していたのですが、
0:結局、精鋭150騎を選りすぐり、たったの五艘(そう)の船で、四国へと向かい、船を漕(こ)ぎ出すのでありました。
0:
0:
0:しかし、義経(よしつね)の運が強かったのか、はたまた、少数精鋭(しょうすう せいえい)だった事が、功(こう)を奏(そう)したのか、
0:嵐の中の、非常に強い追い風にのり、船はみるみるとスピードをあげていき、本来なら三日(みっか)かかると言われているところを、なんと、6時間で渡り切ってしまうのです。
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0:そして、17日の明け方、義経は五艘(そう)の船と共に、四国に上陸を果たすのでありました。
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0:四国に上陸した義経は、勝浦(かつうら)から、屋島(やしま)へと向かいます。
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0:戦上手(いくさじょうず)の義経は、150騎(き)という少数ながら、途中、平家方(へいけがた)の武将である、
0:近藤親家(こんどう ちかいえ)や、
0:田口良遠(たぐち よしとお)等(ら)を打ち破り、
0:屋島(やしま)へと向かっていきます。
0:
0:
0:義経は、その後も、計略(けいりゃく)を何度も駆使(くし)し、
0:たった80騎(き)程の兵を、源氏の大群だと勘違いさせて、平家の多くの兵を、屋島の海へと敗走(はいそう)させる事に成功するのでありました。
0:
0:
0:少しして、
0:海に逃げた平家方(へいけがた)の武将、平教経(たいら の のりつね)は、義経(よしつね)らの軍勢が、実は少数である事に、ここでようやく気づきます。
0:
0:「なんと、なさけない事だ」と嘆きながらも、再び義経を打つ為、屋島に上陸し陣を張ります。
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0:時に、2月18日
0:
0:ここにきて、ようやく、このお話のメイン!、
0:「屋島の戦い」が始まるのでありました。
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0:最初は言葉合戦(ことばがっせん)、ようは「口喧嘩(くちげんか)」から始まり、弓矢(ゆみや)での、応酬と戦は激しさを増していきます。
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0:「源平(げんぺい)互(たが)いに甲乙(こうおつ)無し」
0:と言われる程、この闘いは拮抗(きっこう)しておりました。
0:
0:やがて、日も落ち始めた頃、両軍が引き退(しりぞ)き、この日の勝負は明日へと持ち越しとなりました。
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0:平家は船で海に引き上げます。
0:源氏も陸地(りくち)の自陣(じじん)へと、引き上げようとした、
0:その時、
0:
0:沖の方から、飾(かざ)り立てた、一艘(そう)の小船が、源氏の元に近づいてまいります。
0:
0:その小船は、浜から五十間(けん)といいますから、約100メートル程の距離でピタリと止まりました。、
0:
0:この船には、柳(やなぎ)の五衣(いつつぎぬ)に、紅(くれない)の袴(はかま)を着た女性が乗っております。
0:
0:この女性こそ、美人が揃っていると言われております、千人の官女(かんじょ)の中より、さらに美人に選ばれたという、絶世(ぜっせい)の美女にして、舞(まい)の名手、、
0:今年、十六になる、玉虫御前(たまむし ごぜん)その人でありました。
0:
0:この玉虫御前。
0:背は高からず、低からず、
0:顔は長からず、丸からず、
0:鼻は高からず、低からず、
0:唇は厚からず、薄からず、
0:という全て「からず」で出来上がってる、大そうな美人と評(ひょう)されておりました。
0:
(雑談):こうやって聞くと、全部、中途半端に聞こえるかもしれませんが、当時、唇は、厚いと色気がない、薄いと薄情(はくじょう)に見える。
(雑談):鼻は、高いと嫌味(いやみ)で、低すぎるものダメと考えられておりました。
(雑談):ですから、高からず、低からず、厚からず、薄からずという、全て「からず」という玉虫御前は、まさに、非の打ちどころのない、美人という事だったようでございます。
0:
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0:
0:
0:さて
0:この玉虫御前が、総紅(そうくれない)に、金で日輪(にちりん)を描きました舞扇(まいおうぎ)を、船の舳先(へさき)に付けた竿(さお)に挟(はさ)みまして、
0:
0:玉虫御前「やよ、源氏の共腹(ともばら)、源氏の弓の力を見たし、この扇の的を射貫(いぬ)く者は無(な)きや」
0:
0:と手招きをしながら、挑発をいたします。
0:
0:つまりこれは、この合戦(かっせん)の最中(さなか)に、「的当(まとあ)てゲームをやりましょうよ」と言っているのであります。
0:
0:しかし、これはなにも、平家が貴族のようだったから、さすが風流だとか、そういうものではないんです。
0:
0:これは、平家の武将(ぶしょう)、内大臣(ないだいじん)平宗盛(たいらのむねもり)の、起死回生(きしかいせい)の計略(けいりゃく)でありました。
0:
0:
0:源氏方(げんじがた)が、この扇の的に挑(いど)み、もし、この的を射損(いそん)じた場合、「源氏の弓勢(ゆんぜい)の拙(つたな)さよ」と笑ってやろう
0:
0:万が一、扇の日輪を射抜いた場合、日輪(にちりん)、つまり太陽は天皇の象徴ですから、天皇に弓引(ゆみひ)く朝敵(ちょうてき)としてくれよう。
0:
0:はたまた、源氏方がこの計略を察知(さっち)して、勝負を挑まなかった場合は、「源氏の、なんと腰抜けたちよ」と笑ってやろうという、三段構えの計略。
0:
0:まさに、源氏にとっては、何とも不利な計略なのでありました。
0:
0:さらに、もう一つ
0:平宗盛(たいらのむねもり)は、秘密の仕掛けを、この船に仕込んでいたのであります。
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0:その仕掛けとは
0:この船の船底に、平家方の弓の名手、伊賀十郎兵衛家員(いが の じゅうろうべえ いえかず)という、手練(てだれ)れを忍ばせていたのでありました。
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0:実は、この船に乗っている玉虫御前、
0:義経(よしつね)の母、常磐御前(ときわごぜん)に、よく似ていると言われておりました。
0:
0:義経は、三歳の時に、父親が平家に打たれ、母親の常盤御前(ときわごぜん)は、義経(よしつね)、頼朝(よりとも)の命を助ける代わりに、平清盛(たいら の きよもり)の愛人にさせられてしまいます。
0:
0:幼くして、母親の愛を受けられなかった義経(よしつね)は、マザコンであり、母親によく似た、玉虫御前が手招きをすれば、暫く見とれているであろう。
0:そして、義経が玉虫御前に見とれている場合には、この十郎兵(じゅろうべえ)に義経を射殺(いころ)すように命じていたのであります。
0:
0:この四段構えの計略で、源氏を陥(おとしい)れようとしていたのでありました。
0:
0:方(かた)や源氏の軍勢(ぐんぜい)
0:
0:源氏方の物見(ものみ)から、この船の事を聞いた義経は、自らこの小船を見に出てまいります。
0:
0:このまま、義経が呆(ほう)けて、船を見ているようであれば、十郎兵(じゅろうべえ)に、射殺されていたところですが、義経はこの船を見ると、何かを思いついたのか、スッと自分の陣に戻ってしまいます。
0:
0:この時点で、十郎兵(じゅろうべえ)の計略は失敗に終わってしまいました。
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0:
0:
0:さて、自陣(じじん)に帰った義経、家来を集めて、計略についての会議をいたします。
0:
0:あの扇の的が、たとえ平家の計略だと知っていたとしても、挑まない訳にはいかない。
0:かと言って、日輪の扇を射抜く訳にもいかない。 勿論、矢を外す訳にもいかない。
0:
0:この難題(なんだい)について、義経が家臣たちの意見を求めます。
0:
0:すると、家来の一人である、畠山重忠(はたけやま しげただ)が、「恐れながら申し上げます」と進言をいたします。
0:
0:畠山「日輪を射抜いた時には、朝敵(ちょうてき)にしてくれよう、という計略が、あい分かっておりまするから、
0:扇の日輪は射抜かずして、扇の『要(かなめ)』の上、一寸ばかりを射(い)きるようにしては如何(いかが)でございましょう」
0:
0:その進言に対し義経が
0:義経「さようであるのう。
0:されば、畠山(はたけやま)、お前が言い出したものであるから、まずはお前が、一矢(いっし)試してみてはどうだ」
0:
0:と畠山(はたけやま)に対して言います。
0:
0:つまり「いい作戦だが、お前が言い出したんだから、お前がやれよ」
0:というのです。
0:
0:これを聞いて、畠山(はたけやま)も「エライ事を言ってしまった」と思ったのですが、まさか自分がやる訳には行きませんから、
0:畠山「大変、有難き幸せでは御座いますが、この重忠(しげただ)、先年(せんねん)、一ノ谷(いちのたに)の合戦、
0:『鵯越(ひよどりごえ)の逆落(さかお)とし』の際に、右肩を痛めてしまい、矢が定まりません。
0:残念ながら、この大役(たいやく)を余人(よじん)に、お譲(ゆず)りいたします」
0:
0:と言って辞退(じたい)をいたします。
0:
0:
0:義経も、右肩が痛いと言っている者に、大役をさせる訳には行きませんから、
0:「ならば仕方あるまい、では、そちはどうじゃ」
0:と畠山の隣に座っている武将に声を掛けます。
0:
0:ですが、この武将も「左肩が痛い」と辞退します。
0:
0:その隣の武将は「腹が痛い」、
0:順に、隣へ隣へと聞いていきますが、
0:誰もが「あっちが痛い」「こっちが痛い」
0:と辞退をしてしまいます。
0:
0:義経も段々とイライラしていきまして、ついに
0:
0:義経「ええい、もう良いわ、誰か丈夫な奴は居(お)らぬのか!」
0:
0:と怒り出してしまいます。
0:
0:
0:その時、先程の畠山重忠(はたけやま しげただ)が、再び、「恐れながら申し上げます」と進言をいたします。
0:
0:畠山「下野国(しもつけのくに)、那須十郎座衛門(なすの じゅうろう ざえもん)の息子、那須与一(なすのよいち)はいかがでしょうか?
0:この与一、当年(とうねん)十六歳の若武者(わかむしゃ)では御座りまするが、飛ぶ小鳥をも射落(いお)とすと聞いております」
0:
0:義経「そうか、しからば、与一を呼べ」
0:
0:この畠山の推薦(すいせん)によって、那須十郎座衛門(なすの じゅうろう ざえもん)の十一番目の息子、
0:那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)が、義経の前に呼ばれます。
0:
(雑談):なぜ、与一が十一番目の息子だと分かるかと申しますと。
(雑談):昔は息子が生まれますと、長男が太郎、次男が次郎、三男が三郎と、大体名前が決まっておりました。
(雑談):ですから、十番目の息子が十郎、十一番目になると、十に一が余る。
(雑談):余る一だから、与一(よいち)という名前になるそうです。
(雑談):漢字では、与える一と書きますので、十に一を与えるから与一(よいち)と思いそうですが、当時は、余る一だから与一と考えられていたそうです。
0:
0:
0:さて、義経(よしつね)の前に呼ばれた与一でございますが、
0:この与一も、はじめは、この大役を辞退をするつもりだったようでございます。
0:
0:しかし、義経の目を見た途端、断れなくなってしまいます。
0:それほどまでに、義経の眼力が鋭かったのでございましょう。
0:
0:与一が義経の前にかしこまります。
0:
0:義経「与一、沖に浮かぶあの扇、見事射落としてまいれ」
0:
0:与一「ははー」
0:
0:と答えました、那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)。
0:
0:一旦、陣中(じんちゅう)に戻りまして、改めて拵(こしら)えてまいります。
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0:
0:
0:
0:陣中(じんちゅう)に戻り、改めて拵(こしら)えてまいりました、那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)
0:
0:その日の与一のいでたちとは
0:赤い銀小札(ぎんこざね)の大鎧(おおよろい)。
0:弓を引きますから、兜はかぶらず、烏帽子(えぼし)に鉢巻(はちまき)。
0:銀、みすじたての、籠手(こて)、臑当(すねあて)、
0:金糸(きんし)をもって、菊一文字(きくいちもんじ)三分高(さんぶだか)に縫(ぬ)い上げたる、陣羽織(じんばおり)を着用し、
0:
0:葦毛(あしげ)の馬に、金覆輪(きんぷくりん)の鞍(あぶみ)をかけて、打ち跨(またが)り、
0:馬上姿も凛々(りり)しく、ザック、ザックと波打ち際に悠々(ゆうゆう)と乗りだします。
0:
0:
0:波打ち際まで来ますと、小船までには少々距離があり、このままでは矢が届きません。
0:
0:与一は、距離を詰める為、馬に乗ったまま海の中へと入って行きます。
0:
0:小船から40間(けん)ほどと申しますから、約70メートルとちょっとの所までくると、丁度、馬の乗れるほどの岩がありました。
0:与一はここで馬の足場を安定させます。
0:
0:しかし、足場が安定したとはいえ、2月と8月は「ニッパチ」の荒れ月
0:この日は、2月18日でございますから、海原(うなばら)の風は激しく、岸に打ち付ける波も高い。
0:扇の小船も、上に下にと大きく揺れて、一時(いっとき)も止まってはおりません。
0:
0:このままでは、幾ら弓の名手といえど、扇の要を射抜(いぬ)くのは至難(しなん)の業、
0:
0:ましてや、与一の手元が狂えば、的の下にいる、玉虫御前に当たってしまいます。
0:
0:
0:平家方も、この扇の勝負を申し出た時点で、船上の女性を失う事は承知の上。
0:
0:玉虫御前も、その覚悟で、那須与一を見つめます。
0:
0:那須与一(なすのよいち)の腕には、源氏の面目(めんもく)だけではなく、敵方(てきがた)とはいえ、女性の命がかかっているのであります。
0:
0:勿論、与一もそれは承知しております。
0:
0:
0:平家方(へいけがた)、
0:玉虫御前(たまむしごぜん)十六歳、
0:
0:一方、源氏方(げんじがた)、
0:那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)、
0:こちらも同じく十六歳。
0:
0:与一は、的が射抜けなかった場合、自ら命を絶つ覚悟をしております。
0:
0:敵味方に分かれた、この十六歳同士の若き男女が、源平合戦の大事な勝負の真っただ中に置かれ、
0:運命の波に揺られながら、互いに命をかけているのでありました。
0:
0:沖には、平家が、海上一面に船を並べて、見守っている。
0:陸では、源氏が、馬のくつわを連(つら)ねて、これを見守っている。
0:源氏方、平家方、全ての兵が固唾(かたず)をのんで、二人を見守っております。
0:
0:
0:那須与一(なすのよいち)は、ここで目を瞑(つむ)り、神に祈ります。
0:
0:
0:南無八幡大菩薩、
0:※なむ はちまん だいぼさつ
0:
0:
0:我が国の神明、
0:※わがくにの しんめい
0:
0:
0:日光の権現、
0:※にっこうの ごんげん
0:
0:
0:宇都宮、
0:※うつのみや
0:
0:
0:那須の湯泉大明神、
0:※なすの ゆぜん だいみょうじん
0:
0:
0:願はくは、
0:
0:
0:あの扇の真ん中 射させてたばせたまへ。
0:※あのおうぎの まんなか いさせて たばせ たまへ
0:
0:
0:これを射損(いそん)ずるものならば、
0:
0:
0:弓切り折り自害して、
0:※ゆみ きり おり じがいして
0:
0:
0:人に二度 面を向かふべからず。
0:※ひとに ふたたび おもてを むかう べからず
0:
0:
0:いま一度 本国へ迎へんとおぼしめさば、
0:※いまいちど ほんごくへ むかえんと おぼしめさば
0:
0:
0:この矢 はづさせたまふな。
0:※このや はずさせ たまうな
0:
0:
0:
0:そう懸命(けんめい)に祈念(きねん)して、与一が目をあけた時
0:
0:不思議な事に、風もやみ、波も収まり、水面(みなも)はまるで、油を敷いたかのように、すーーと静まり、滑(なめ)らかになっておりました。
0:
0:
0:
0:祈念(きねん)のかいあって、油を敷いたかのに、滑(なめ)らとなった、屋島(やしま)の水面(みなも)
0:
0:与一は「今をおいて他にはない」と、義経から指示をされた、鏑(かぶら)のついた大きな矢を取り出します。
0:
0:この矢を弓にあてがい、
0:キリキリキリ
0:キリキリキリ
0:と強く引き絞(し)ぼれば、
0:与一の弓は、まるで空を行く、満月のごとくにしなる
0:
0:与一は、満を持して、ひょうふっと矢を放った!
0:
0:矢は「鳴り鏑(なりかぶら)」のついた矢ですから、海岸全体に響(ひび)き渡る程の大きな音で
0:
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン、
0:と唸(うな)りを上げて飛んでいきます。
0:
0:源氏方、平家方、
0:敵味方(てきみかた)に分かれておりましたが
0:どうなる、どうなる、どうなる、どうなる
0:と、全ての視線が、鏑矢(かぶらや)に注がれる!
0:
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン
0:
0:唸(うな)りを上げて進んで行った矢は、
0:
0:
0:見事、見事!
0:
0:扇の要(かなめ)の一寸ばかり上を射(い)きりました。
0:
0:
0:
0:射抜かれた扇は、夕暮れの空、遥(はる)か高くに舞い上がり、
0:ひらり、ひらりと舞いながら、水面に落ちてゆきます。
0:
0:この時、2月の春の風が再び吹いてまいりまして、夕方の太陽の光を浴びて、水面が、金色、銀色に輝きながら波打ち始めます。
0:
0:金銀に輝く水面の上を、金の日輪を描いた真っ赤な扇が、ひらりと舞い降りて、漂(ただよ)い、
0:浮きつ、沈みつ、揺れているのが、まるで秋の日の紅葉(もみじ)のように、実に美しい風景(ふうけい)でありました。
0:
0:扇が空から舞い散る光景を見て、船の上の玉虫御前も、思わず感嘆(かんたん)の声を上げるのでございます。
0:
0: ときならぬ、
0: 花や紅葉(もみじ)を
0: 見つるかな
0: 芳野(よしの)初瀬(はつせ)の
0: ふもとならねど
0:
0:
0:玉虫御前といたしましては、敵の快挙ではありましたが
0:あまりの美しさに、歌を作って差し出しました。
0:
0:そして
0:沖では平家が、船端(ふなばた)をたたいて感嘆(かんたん)し、
0:陸では源氏が、えびらを、叩いて、はやし立てました。
0:
0:この時、源氏も、平家も関係なく、那須与一を褒(ほ)めたたえるのでした。
0:
0:
0:この騒ぎの中、船底に隠れておりました、伊賀十郎兵衛家員(いが の じゅうろうべえ いえかず)でありますが
0:
0:あまりにも感嘆(かんたん)し
0:
0:家員「あいや、それにおわすは、誰人(たれひと)にて候(そうろう)」
0:
0:と、弓を引いた与一に向かい、問いかけます。
0:
0:この問いに対して与一は
0:与一「これは、下野国(しもつけのくに)の住人(じゅうにん)、那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)で候(そうろう)」
0:
0:と、胸をはり、答えます。
0:
0:これを聞いた、伊賀十郎兵衛家員(いが の じゅうろうべえ いえかず)は、扇の刺してあった船の舳先(へさき)まで行きまして、
0:
0:
0: 扇をば、
0: 海の藻屑(もくず)と
0: 那須殿(なすのどの)、
0: 弓の上手(じょうず)は
0: 与一なりけり
0:
0:
0:という歌を詠んで、舞をまったという
0:
0:おなじみ、那須与一、扇の的の一席
0:
0:
0:
0:この後、源氏が平家を滅ぼす事になるのでございますが
0:この度の船の上で、扇の的の下、命を懸けた若き官女、玉虫御前。
0:
0:平家の滅亡とともに、名前を変えて、平家追討(ついとう)から、落ち延びる事となります。
0:
0:そして、その数年後、再び那須与一と運命の再会を果たす事となりますが、
0:
0:
0:それはまた、別の一席という事でございます。
0:
0:
0:那須与一、扇の的
0:一席の読み終わりでございます。
0:
0:
0:
0:那須与一 扇の的
0:
0:
0:えー、一席、講談でお付き合いを願いたいと思っております
0:
0:
0:祇園精舎の鐘の声
0:※ぎおんしょうじゃ の かねのこえ
0:
0:
0:諸行無常の響きあり
0:※しょぎょうむじょう の ひびきあり
0:
0:
0:沙羅双樹の花の色
0:※しゃらそうじゅ の はなのいろ
0:
0:
0:盛者必衰の理をあらはす
0:※じょうしゃひっすい の ことわりをあらわす
0:
0:
0:奢れる人も久からず
0:※おごれるひと も ひさしからず
0:
0:
0:ただ春の夜の夢のごとし
0:※ただはるのよ の ゆめのごとし
0:
0:
0:猛き者も遂にはほろびぬ
0:※たけきもの も ついには ほろびぬ
0:
0:
0:偏ひとへに風の前の塵におなじ。
0:※ひとえに かぜのまえの ちりにおなじ
0:
0:
0:
0:これは、有名な平家物語の冒頭でございますが、ここでも謳(うた)われておりますように、
0:「平家にあらずんば、人にあらず」
0:と言われたほどに大変な隆盛(りゅうせい)を誇っておりました、平家でございましたが、次第に源氏にとって代わられていくのであります。
0:
0:時は、寿永(じゅえい)三年、
0:西暦で言いますと1184年
0:その5月、
0:平家は、一ノ谷(いちのたに)の戦いで、源義経(みなもと の よしつね)の奇襲(きしゅう)戦法に敗北をいたします。
0:
0:この時の義経(よしつね)の奇襲戦法とは、どんなものであったかと申しますと。
0:
0:この一ノ谷(いちのたに)を、義経達に案内をしていた、地元の猟師(りょうし)が
0:
0:猟師「ここは、鹿(しか)やウサギくらいしか通った事がありませんから、到底(とうてい)人馬(じんば)では超える事ができません」
0:
0:と言うほどの、鵯越(ひよどりごえ)という難所がございました。
0:
0:しかし、義経は
0:義経「鹿が通れるならば、馬も通れるだろう」
0:と、まさに
0:
0:『話、聞いてんのかよ!』
0:
0:という、耳を疑うような事を言い出して、なんと、精鋭(せいえい)約70騎(き)ほどで、ここを超えて行ききます。
0:
0:
0:そして、この鵯越(ひよどりごえ)を攻略した事により、平家の本陣(ほんじん)が背(せ)にしていた、断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の上に、たどり着く事に成功するのでありました。
0:
0:平家に気づかれないまま、有利な場所に兵を進めた義経。
0:
0:戦局(せんきょく)を見て、この断崖絶壁を一気に下り、平家の本陣に突撃(とつげき)をいたします。
0:
0:平家としては、自分の背中側の断崖絶壁から、敵が来るとは思ってもいませんから、もう、てんやわんやの大騒ぎとなり、戦局が大きく源氏に傾く事となります。
0:
0:この時の奇襲(きしゅう)戦法が、後に
0:『鵯越(ひよどりごえ)の逆落(さかお)とし』
0:と呼ばれる事となるのですが、これを切っ掛けにして、源氏はこの一ノ谷(いちのたに)の戦いで、勝利を収(おさ)めるのでありました。
0:
0:一方、敗北を喫(きっ)した平家は、船で、本拠地である「屋島(やしま)」に逃げていきます。
0:
0:源氏としては、ここで一気に、平家を打ちたい所ではあったのですが、当時の源氏は、水軍を持っていませんでしたから、
0:海に逃げる平家を、追う事が出来ず、戦いは、一時、休戦状態(きゅうせんじょうたい)となったのでありました。
0:
0:その後、源範頼(みなもと の のりより)による、「藤戸(ふじと)の戦い」などがありましたが、源氏は、平家を、いまひとつ追い詰めきれませんでした。
0:
0:そして、一ノ谷(いちのたに)の戦いから、
0:約9カ月後の、文治(ぶんじ)元年、2月。
0:西暦でいうところの、1185年。
0:
0:満(まん)を持(じ)して、再び義経(よしつね)が、平家打倒(だとう)に参戦(さんせん)する事となります。
0:
0:頼朝(よりとも)より、平家打倒の命(めい)が下った義経は、早速、戦(いくさ)の支度をいたします。
0:
0:その頃、義経は京都におりましたから、京都近くの「渡辺(わたなべ)の港」という所から、平家の本陣のある、四国の屋島(やしま)に向かう事といたしました。
0:
0:
0:
0:
0:文治(ぶんじ)元年、2月16日
0:前日までの嵐で壊れた船などの修理をして、船の準備が整ったのが、日が変わった2月17日の夜半(やはん)。
0:辺りは真っ暗です。
0:
0:しかもこの日は、また大変激しい風と、雨がふっておりましたから、さすがに、家臣も、船をこぐ船頭(せんどう)たちも、誰もが「出発は、明日の朝だろう」と思っておりました。
0:
0:しかし、なんと義経(よしつね)は
0:
0:義経「追い風だから、今すぐ出発する」
0:
0:と言い出します。
0:
0:
0:船頭たちが怯(おび)えながらも
0:
0:船頭「今は船が出せる天候ではありません」
0:
0:と進言(しんげん)するのですが、義経は
0:
0:義経「船を出さないと言うのなら、お前たちを弓で射殺(いころ)す」
0:
0:と言って、船頭たちを脅(おど)します。
0:
0:まさに、ここでも
0:『話、聞いてんのかよ!』
0:という話なのですが、義経は、言い出したら聞きません。
0:
0:当初、この「渡辺の港」には、全部で200艘(そう)以上の船を用意していたのですが、
0:結局、精鋭150騎を選りすぐり、たったの五艘(そう)の船で、四国へと向かい、船を漕(こ)ぎ出すのでありました。
0:
0:
0:しかし、義経(よしつね)の運が強かったのか、はたまた、少数精鋭(しょうすう せいえい)だった事が、功(こう)を奏(そう)したのか、
0:嵐の中の、非常に強い追い風にのり、船はみるみるとスピードをあげていき、本来なら三日(みっか)かかると言われているところを、なんと、6時間で渡り切ってしまうのです。
0:
0:
0:そして、17日の明け方、義経は五艘(そう)の船と共に、四国に上陸を果たすのでありました。
0:
0:
0:四国に上陸した義経は、勝浦(かつうら)から、屋島(やしま)へと向かいます。
0:
0:戦上手(いくさじょうず)の義経は、150騎(き)という少数ながら、途中、平家方(へいけがた)の武将である、
0:近藤親家(こんどう ちかいえ)や、
0:田口良遠(たぐち よしとお)等(ら)を打ち破り、
0:屋島(やしま)へと向かっていきます。
0:
0:
0:義経は、その後も、計略(けいりゃく)を何度も駆使(くし)し、
0:たった80騎(き)程の兵を、源氏の大群だと勘違いさせて、平家の多くの兵を、屋島の海へと敗走(はいそう)させる事に成功するのでありました。
0:
0:
0:少しして、
0:海に逃げた平家方(へいけがた)の武将、平教経(たいら の のりつね)は、義経(よしつね)らの軍勢が、実は少数である事に、ここでようやく気づきます。
0:
0:「なんと、なさけない事だ」と嘆きながらも、再び義経を打つ為、屋島に上陸し陣を張ります。
0:
0:
0:時に、2月18日
0:
0:ここにきて、ようやく、このお話のメイン!、
0:「屋島の戦い」が始まるのでありました。
0:
0:
0:最初は言葉合戦(ことばがっせん)、ようは「口喧嘩(くちげんか)」から始まり、弓矢(ゆみや)での、応酬と戦は激しさを増していきます。
0:
0:
0:「源平(げんぺい)互(たが)いに甲乙(こうおつ)無し」
0:と言われる程、この闘いは拮抗(きっこう)しておりました。
0:
0:やがて、日も落ち始めた頃、両軍が引き退(しりぞ)き、この日の勝負は明日へと持ち越しとなりました。
0:
0:
0:平家は船で海に引き上げます。
0:源氏も陸地(りくち)の自陣(じじん)へと、引き上げようとした、
0:その時、
0:
0:沖の方から、飾(かざ)り立てた、一艘(そう)の小船が、源氏の元に近づいてまいります。
0:
0:その小船は、浜から五十間(けん)といいますから、約100メートル程の距離でピタリと止まりました。、
0:
0:この船には、柳(やなぎ)の五衣(いつつぎぬ)に、紅(くれない)の袴(はかま)を着た女性が乗っております。
0:
0:この女性こそ、美人が揃っていると言われております、千人の官女(かんじょ)の中より、さらに美人に選ばれたという、絶世(ぜっせい)の美女にして、舞(まい)の名手、、
0:今年、十六になる、玉虫御前(たまむし ごぜん)その人でありました。
0:
0:この玉虫御前。
0:背は高からず、低からず、
0:顔は長からず、丸からず、
0:鼻は高からず、低からず、
0:唇は厚からず、薄からず、
0:という全て「からず」で出来上がってる、大そうな美人と評(ひょう)されておりました。
0:
(雑談):こうやって聞くと、全部、中途半端に聞こえるかもしれませんが、当時、唇は、厚いと色気がない、薄いと薄情(はくじょう)に見える。
(雑談):鼻は、高いと嫌味(いやみ)で、低すぎるものダメと考えられておりました。
(雑談):ですから、高からず、低からず、厚からず、薄からずという、全て「からず」という玉虫御前は、まさに、非の打ちどころのない、美人という事だったようでございます。
0:
0:
0:
0:
0:さて
0:この玉虫御前が、総紅(そうくれない)に、金で日輪(にちりん)を描きました舞扇(まいおうぎ)を、船の舳先(へさき)に付けた竿(さお)に挟(はさ)みまして、
0:
0:玉虫御前「やよ、源氏の共腹(ともばら)、源氏の弓の力を見たし、この扇の的を射貫(いぬ)く者は無(な)きや」
0:
0:と手招きをしながら、挑発をいたします。
0:
0:つまりこれは、この合戦(かっせん)の最中(さなか)に、「的当(まとあ)てゲームをやりましょうよ」と言っているのであります。
0:
0:しかし、これはなにも、平家が貴族のようだったから、さすが風流だとか、そういうものではないんです。
0:
0:これは、平家の武将(ぶしょう)、内大臣(ないだいじん)平宗盛(たいらのむねもり)の、起死回生(きしかいせい)の計略(けいりゃく)でありました。
0:
0:
0:源氏方(げんじがた)が、この扇の的に挑(いど)み、もし、この的を射損(いそん)じた場合、「源氏の弓勢(ゆんぜい)の拙(つたな)さよ」と笑ってやろう
0:
0:万が一、扇の日輪を射抜いた場合、日輪(にちりん)、つまり太陽は天皇の象徴ですから、天皇に弓引(ゆみひ)く朝敵(ちょうてき)としてくれよう。
0:
0:はたまた、源氏方がこの計略を察知(さっち)して、勝負を挑まなかった場合は、「源氏の、なんと腰抜けたちよ」と笑ってやろうという、三段構えの計略。
0:
0:まさに、源氏にとっては、何とも不利な計略なのでありました。
0:
0:さらに、もう一つ
0:平宗盛(たいらのむねもり)は、秘密の仕掛けを、この船に仕込んでいたのであります。
0:
0:その仕掛けとは
0:この船の船底に、平家方の弓の名手、伊賀十郎兵衛家員(いが の じゅうろうべえ いえかず)という、手練(てだれ)れを忍ばせていたのでありました。
0:
0:
0:実は、この船に乗っている玉虫御前、
0:義経(よしつね)の母、常磐御前(ときわごぜん)に、よく似ていると言われておりました。
0:
0:義経は、三歳の時に、父親が平家に打たれ、母親の常盤御前(ときわごぜん)は、義経(よしつね)、頼朝(よりとも)の命を助ける代わりに、平清盛(たいら の きよもり)の愛人にさせられてしまいます。
0:
0:幼くして、母親の愛を受けられなかった義経(よしつね)は、マザコンであり、母親によく似た、玉虫御前が手招きをすれば、暫く見とれているであろう。
0:そして、義経が玉虫御前に見とれている場合には、この十郎兵(じゅろうべえ)に義経を射殺(いころ)すように命じていたのであります。
0:
0:この四段構えの計略で、源氏を陥(おとしい)れようとしていたのでありました。
0:
0:方(かた)や源氏の軍勢(ぐんぜい)
0:
0:源氏方の物見(ものみ)から、この船の事を聞いた義経は、自らこの小船を見に出てまいります。
0:
0:このまま、義経が呆(ほう)けて、船を見ているようであれば、十郎兵(じゅろうべえ)に、射殺されていたところですが、義経はこの船を見ると、何かを思いついたのか、スッと自分の陣に戻ってしまいます。
0:
0:この時点で、十郎兵(じゅろうべえ)の計略は失敗に終わってしまいました。
0:
0:
0:
0:さて、自陣(じじん)に帰った義経、家来を集めて、計略についての会議をいたします。
0:
0:あの扇の的が、たとえ平家の計略だと知っていたとしても、挑まない訳にはいかない。
0:かと言って、日輪の扇を射抜く訳にもいかない。 勿論、矢を外す訳にもいかない。
0:
0:この難題(なんだい)について、義経が家臣たちの意見を求めます。
0:
0:すると、家来の一人である、畠山重忠(はたけやま しげただ)が、「恐れながら申し上げます」と進言をいたします。
0:
0:畠山「日輪を射抜いた時には、朝敵(ちょうてき)にしてくれよう、という計略が、あい分かっておりまするから、
0:扇の日輪は射抜かずして、扇の『要(かなめ)』の上、一寸ばかりを射(い)きるようにしては如何(いかが)でございましょう」
0:
0:その進言に対し義経が
0:義経「さようであるのう。
0:されば、畠山(はたけやま)、お前が言い出したものであるから、まずはお前が、一矢(いっし)試してみてはどうだ」
0:
0:と畠山(はたけやま)に対して言います。
0:
0:つまり「いい作戦だが、お前が言い出したんだから、お前がやれよ」
0:というのです。
0:
0:これを聞いて、畠山(はたけやま)も「エライ事を言ってしまった」と思ったのですが、まさか自分がやる訳には行きませんから、
0:畠山「大変、有難き幸せでは御座いますが、この重忠(しげただ)、先年(せんねん)、一ノ谷(いちのたに)の合戦、
0:『鵯越(ひよどりごえ)の逆落(さかお)とし』の際に、右肩を痛めてしまい、矢が定まりません。
0:残念ながら、この大役(たいやく)を余人(よじん)に、お譲(ゆず)りいたします」
0:
0:と言って辞退(じたい)をいたします。
0:
0:
0:義経も、右肩が痛いと言っている者に、大役をさせる訳には行きませんから、
0:「ならば仕方あるまい、では、そちはどうじゃ」
0:と畠山の隣に座っている武将に声を掛けます。
0:
0:ですが、この武将も「左肩が痛い」と辞退します。
0:
0:その隣の武将は「腹が痛い」、
0:順に、隣へ隣へと聞いていきますが、
0:誰もが「あっちが痛い」「こっちが痛い」
0:と辞退をしてしまいます。
0:
0:義経も段々とイライラしていきまして、ついに
0:
0:義経「ええい、もう良いわ、誰か丈夫な奴は居(お)らぬのか!」
0:
0:と怒り出してしまいます。
0:
0:
0:その時、先程の畠山重忠(はたけやま しげただ)が、再び、「恐れながら申し上げます」と進言をいたします。
0:
0:畠山「下野国(しもつけのくに)、那須十郎座衛門(なすの じゅうろう ざえもん)の息子、那須与一(なすのよいち)はいかがでしょうか?
0:この与一、当年(とうねん)十六歳の若武者(わかむしゃ)では御座りまするが、飛ぶ小鳥をも射落(いお)とすと聞いております」
0:
0:義経「そうか、しからば、与一を呼べ」
0:
0:この畠山の推薦(すいせん)によって、那須十郎座衛門(なすの じゅうろう ざえもん)の十一番目の息子、
0:那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)が、義経の前に呼ばれます。
0:
(雑談):なぜ、与一が十一番目の息子だと分かるかと申しますと。
(雑談):昔は息子が生まれますと、長男が太郎、次男が次郎、三男が三郎と、大体名前が決まっておりました。
(雑談):ですから、十番目の息子が十郎、十一番目になると、十に一が余る。
(雑談):余る一だから、与一(よいち)という名前になるそうです。
(雑談):漢字では、与える一と書きますので、十に一を与えるから与一(よいち)と思いそうですが、当時は、余る一だから与一と考えられていたそうです。
0:
0:
0:さて、義経(よしつね)の前に呼ばれた与一でございますが、
0:この与一も、はじめは、この大役を辞退をするつもりだったようでございます。
0:
0:しかし、義経の目を見た途端、断れなくなってしまいます。
0:それほどまでに、義経の眼力が鋭かったのでございましょう。
0:
0:与一が義経の前にかしこまります。
0:
0:義経「与一、沖に浮かぶあの扇、見事射落としてまいれ」
0:
0:与一「ははー」
0:
0:と答えました、那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)。
0:
0:一旦、陣中(じんちゅう)に戻りまして、改めて拵(こしら)えてまいります。
0:
0:
0:
0:
0:陣中(じんちゅう)に戻り、改めて拵(こしら)えてまいりました、那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)
0:
0:その日の与一のいでたちとは
0:赤い銀小札(ぎんこざね)の大鎧(おおよろい)。
0:弓を引きますから、兜はかぶらず、烏帽子(えぼし)に鉢巻(はちまき)。
0:銀、みすじたての、籠手(こて)、臑当(すねあて)、
0:金糸(きんし)をもって、菊一文字(きくいちもんじ)三分高(さんぶだか)に縫(ぬ)い上げたる、陣羽織(じんばおり)を着用し、
0:
0:葦毛(あしげ)の馬に、金覆輪(きんぷくりん)の鞍(あぶみ)をかけて、打ち跨(またが)り、
0:馬上姿も凛々(りり)しく、ザック、ザックと波打ち際に悠々(ゆうゆう)と乗りだします。
0:
0:
0:波打ち際まで来ますと、小船までには少々距離があり、このままでは矢が届きません。
0:
0:与一は、距離を詰める為、馬に乗ったまま海の中へと入って行きます。
0:
0:小船から40間(けん)ほどと申しますから、約70メートルとちょっとの所までくると、丁度、馬の乗れるほどの岩がありました。
0:与一はここで馬の足場を安定させます。
0:
0:しかし、足場が安定したとはいえ、2月と8月は「ニッパチ」の荒れ月
0:この日は、2月18日でございますから、海原(うなばら)の風は激しく、岸に打ち付ける波も高い。
0:扇の小船も、上に下にと大きく揺れて、一時(いっとき)も止まってはおりません。
0:
0:このままでは、幾ら弓の名手といえど、扇の要を射抜(いぬ)くのは至難(しなん)の業、
0:
0:ましてや、与一の手元が狂えば、的の下にいる、玉虫御前に当たってしまいます。
0:
0:
0:平家方も、この扇の勝負を申し出た時点で、船上の女性を失う事は承知の上。
0:
0:玉虫御前も、その覚悟で、那須与一を見つめます。
0:
0:那須与一(なすのよいち)の腕には、源氏の面目(めんもく)だけではなく、敵方(てきがた)とはいえ、女性の命がかかっているのであります。
0:
0:勿論、与一もそれは承知しております。
0:
0:
0:平家方(へいけがた)、
0:玉虫御前(たまむしごぜん)十六歳、
0:
0:一方、源氏方(げんじがた)、
0:那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)、
0:こちらも同じく十六歳。
0:
0:与一は、的が射抜けなかった場合、自ら命を絶つ覚悟をしております。
0:
0:敵味方に分かれた、この十六歳同士の若き男女が、源平合戦の大事な勝負の真っただ中に置かれ、
0:運命の波に揺られながら、互いに命をかけているのでありました。
0:
0:沖には、平家が、海上一面に船を並べて、見守っている。
0:陸では、源氏が、馬のくつわを連(つら)ねて、これを見守っている。
0:源氏方、平家方、全ての兵が固唾(かたず)をのんで、二人を見守っております。
0:
0:
0:那須与一(なすのよいち)は、ここで目を瞑(つむ)り、神に祈ります。
0:
0:
0:南無八幡大菩薩、
0:※なむ はちまん だいぼさつ
0:
0:
0:我が国の神明、
0:※わがくにの しんめい
0:
0:
0:日光の権現、
0:※にっこうの ごんげん
0:
0:
0:宇都宮、
0:※うつのみや
0:
0:
0:那須の湯泉大明神、
0:※なすの ゆぜん だいみょうじん
0:
0:
0:願はくは、
0:
0:
0:あの扇の真ん中 射させてたばせたまへ。
0:※あのおうぎの まんなか いさせて たばせ たまへ
0:
0:
0:これを射損(いそん)ずるものならば、
0:
0:
0:弓切り折り自害して、
0:※ゆみ きり おり じがいして
0:
0:
0:人に二度 面を向かふべからず。
0:※ひとに ふたたび おもてを むかう べからず
0:
0:
0:いま一度 本国へ迎へんとおぼしめさば、
0:※いまいちど ほんごくへ むかえんと おぼしめさば
0:
0:
0:この矢 はづさせたまふな。
0:※このや はずさせ たまうな
0:
0:
0:
0:そう懸命(けんめい)に祈念(きねん)して、与一が目をあけた時
0:
0:不思議な事に、風もやみ、波も収まり、水面(みなも)はまるで、油を敷いたかのように、すーーと静まり、滑(なめ)らかになっておりました。
0:
0:
0:
0:祈念(きねん)のかいあって、油を敷いたかのに、滑(なめ)らとなった、屋島(やしま)の水面(みなも)
0:
0:与一は「今をおいて他にはない」と、義経から指示をされた、鏑(かぶら)のついた大きな矢を取り出します。
0:
0:この矢を弓にあてがい、
0:キリキリキリ
0:キリキリキリ
0:と強く引き絞(し)ぼれば、
0:与一の弓は、まるで空を行く、満月のごとくにしなる
0:
0:与一は、満を持して、ひょうふっと矢を放った!
0:
0:矢は「鳴り鏑(なりかぶら)」のついた矢ですから、海岸全体に響(ひび)き渡る程の大きな音で
0:
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン、
0:と唸(うな)りを上げて飛んでいきます。
0:
0:源氏方、平家方、
0:敵味方(てきみかた)に分かれておりましたが
0:どうなる、どうなる、どうなる、どうなる
0:と、全ての視線が、鏑矢(かぶらや)に注がれる!
0:
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン、
0:ヴィーーン
0:
0:唸(うな)りを上げて進んで行った矢は、
0:
0:
0:見事、見事!
0:
0:扇の要(かなめ)の一寸ばかり上を射(い)きりました。
0:
0:
0:
0:射抜かれた扇は、夕暮れの空、遥(はる)か高くに舞い上がり、
0:ひらり、ひらりと舞いながら、水面に落ちてゆきます。
0:
0:この時、2月の春の風が再び吹いてまいりまして、夕方の太陽の光を浴びて、水面が、金色、銀色に輝きながら波打ち始めます。
0:
0:金銀に輝く水面の上を、金の日輪を描いた真っ赤な扇が、ひらりと舞い降りて、漂(ただよ)い、
0:浮きつ、沈みつ、揺れているのが、まるで秋の日の紅葉(もみじ)のように、実に美しい風景(ふうけい)でありました。
0:
0:扇が空から舞い散る光景を見て、船の上の玉虫御前も、思わず感嘆(かんたん)の声を上げるのでございます。
0:
0: ときならぬ、
0: 花や紅葉(もみじ)を
0: 見つるかな
0: 芳野(よしの)初瀬(はつせ)の
0: ふもとならねど
0:
0:
0:玉虫御前といたしましては、敵の快挙ではありましたが
0:あまりの美しさに、歌を作って差し出しました。
0:
0:そして
0:沖では平家が、船端(ふなばた)をたたいて感嘆(かんたん)し、
0:陸では源氏が、えびらを、叩いて、はやし立てました。
0:
0:この時、源氏も、平家も関係なく、那須与一を褒(ほ)めたたえるのでした。
0:
0:
0:この騒ぎの中、船底に隠れておりました、伊賀十郎兵衛家員(いが の じゅうろうべえ いえかず)でありますが
0:
0:あまりにも感嘆(かんたん)し
0:
0:家員「あいや、それにおわすは、誰人(たれひと)にて候(そうろう)」
0:
0:と、弓を引いた与一に向かい、問いかけます。
0:
0:この問いに対して与一は
0:与一「これは、下野国(しもつけのくに)の住人(じゅうにん)、那須与一宗隆(なすのよいち むねたか)で候(そうろう)」
0:
0:と、胸をはり、答えます。
0:
0:これを聞いた、伊賀十郎兵衛家員(いが の じゅうろうべえ いえかず)は、扇の刺してあった船の舳先(へさき)まで行きまして、
0:
0:
0: 扇をば、
0: 海の藻屑(もくず)と
0: 那須殿(なすのどの)、
0: 弓の上手(じょうず)は
0: 与一なりけり
0:
0:
0:という歌を詠んで、舞をまったという
0:
0:おなじみ、那須与一、扇の的の一席
0:
0:
0:
0:この後、源氏が平家を滅ぼす事になるのでございますが
0:この度の船の上で、扇の的の下、命を懸けた若き官女、玉虫御前。
0:
0:平家の滅亡とともに、名前を変えて、平家追討(ついとう)から、落ち延びる事となります。
0:
0:そして、その数年後、再び那須与一と運命の再会を果たす事となりますが、
0:
0:
0:それはまた、別の一席という事でございます。
0:
0:
0:那須与一、扇の的
0:一席の読み終わりでございます。
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