台本概要

 617 views 

タイトル 虚無の箱庭
作者名 橘りょう  (@tachibana390)
ジャンル ホラー
演者人数 3人用台本(男1、女2)
時間 60 分
台本使用規定 台本説明欄参照
説明 住み込みの家政婦として雇われた真衣。
妻を愛している夫と、体が弱く伏せがちな妻。
自由にはできつつも、何かを隠している夫婦との生活が始まる

読み手の性別は不問、登場人物の性別変更は不可

強制ではありませんが、台本使用した時はお知らせいただくと作者が非常に喜びます。
台本リンク、タイトル、作者名の表記をお願いします。

 617 views 

キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
克明 140 かつあき。屋敷の主人 妻をとても愛している男性
真衣 231 まい。住み込みの家政婦として雇われた 明るく元気
麻衣子 117 まいこ。克明の妻 床に伏せがち
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
虚無の箱庭 真衣 園田真衣(そのだ まい) 住み込みで雇われた家政婦 克明 灰原克明(はいばら かつあき) 妻をとても愛している研究者 少し偏屈なところがある 麻衣子 克明の妻 身体が弱く伏せがち ーーーー : 真衣:今日からお世話になります。改めまして、園田真衣です 克明:あぁ、よろしく園田さん 真衣:はい、よろしくお願いします 克明:簡単に案内しよう。と言っても大した家じゃないがね 真衣:いえ、とても大きなお屋敷で… 克明:辺鄙な所だからね、無駄に土地があるだけさ 真衣:敷地も…とても広いですね 克明:山の中だからねぇ。買い物なんかは不便をかけるだろうが…すまないね 真衣:大丈夫です、車もありますし 克明:それは頼もしい 真衣:任せてください 克明:ここが台所、主な仕事場所になる。朝食は私も妻も取らないから用意しなくていいが、コーヒーの準備は頼もうかな。勝手口を出た先にあるガレージに、大きめの保冷庫がある。食料品のストックはそこに。たまに妻も台所に立つことはあるが…まぁ回数は少ないからね、食事はおまかせするよ 真衣:あの、奥様は… 克明:妻は…体が弱くてね、床(とこ)に伏せがちなんだ。たまに気分がいいと料理をしたり庭を散歩したりする。ここの生活に慣れない間は、今まで通り彼女の世話は私がするから気にしなくていい 真衣:でも… 克明:気にしなくていい 真衣:…はい 克明:慣れたら頼むこともあるだろうから、今から気負わなくていいよ 真衣:そう、ですか。分かりました 克明:食事の時間は決めていないが、大体昼は12時頃、夕食は19時頃に取ることが多い。掃除と洗濯が主な仕事、周囲の保全…というのは大袈裟か。花壇なんかの手入れもお願いするよ。来客の対応や、買い物のついでにお使いを頼むこともあるだろう 真衣:分かりました 克明:ここの奥を行った先に部屋を用意してあるから、そこが今日から園田さんの部屋だ。前の家政婦さんが置いていった家具やテレビはあるから、仕事以外の時間は自由に過ごせばいい。決まった仕事の時間が無いのは申し訳ないがね 真衣:いえ、それは大丈夫です 克明:そうかい? 真衣:はい 克明:…妻と二人で過ごすのは辛くは無いが、時々物足りなく感じることがあるんだ。そういう時の話し相手も仕事の内だが構わないかね? 真衣:話し相手、ですか 克明:あぁ。時々お酒にも付き合って貰えると嬉しいがどうだい? 真衣:あはっ、もちろんです! 克明:ふふふっ、実にありがたい。君のように明るい人が来てくれたから、きっと家の中も華やぐだろう。妻も喜ぶよ 真衣:そう言って頂けると嬉しいです 克明:…あぁそうだ。北の離れには近付かないように 真衣:離れ…? 克明:私の研究室、と言うべきかな。精密機械も多くてね。ここは周辺の掃除も結構だ 真衣:かしこまりました 克明:他になにかあればいつでも声をかけてくれたらいい。私は二階の書斎に居ることが多いから 真衣:はい。じゃあ早速、荷物を置いて仕事に入らせて頂きますね 克明:あぁ、よろしく : : 真衣:『生活リズムにも慣れてきた三日目、二階からの小さな足音に顔を上げると、ほっそりとした女性が降りてきている所だった』 : 麻衣子:あら… 真衣:あっ、奥様…でいらっしゃいますよね 麻衣子:えぇ、あなたは新しい家政婦さんね 真衣:はい、園田真衣と申します!よろしくお願いします! 麻衣子:元気な方、あの人に聞いてた通り。灰原麻衣子です、よろしく 真衣:奥様とわたし、名前似てますね。真衣と麻衣子で 麻衣子:うふふ、そうね。私はあまり表には出ないけれど、何かと面倒をかけると思うわ 真衣:いえ、どうぞ何でも仰ってください! 麻衣子:ありがとう。…紅茶が飲みたいの、お湯を沸かしてくださる? 真衣:では私がリビングにお持ちします 麻衣子:そう?なら、茶葉はオレンジペコでお願いね。棚にあるから 真衣:かしこまりました 麻衣子:…園田さん、今急ぎのお仕事があるかしら? 真衣:え?いえ、特には… 麻衣子:じゃあカップを二つ用意して頂戴。一緒に飲みましょう 真衣:ありがとうございます!直ぐにご用意します 麻衣子:えぇ、じゃあ先に行って待ってますね : : 真衣:お待たせしました 麻衣子:(読んでいた本を閉じる)ありがとう 真衣:どうぞ…(カップを置く)何を読まれていたんですか? 麻衣子:古い、昔のミステリーよ 真衣:ミステリー、お好きなんですか? 麻衣子:本はどんなジャンルでも好きよ。気に入った本は何度でも読むの 真衣:へぇ… 麻衣子:主人の書斎にね、色々置いてあるの。興味があれば聞いてみたら? 真衣:あ〜私は…遠慮、しておきます 麻衣子:読書は苦手? 真衣:ちょっと苦手…というか、難しくて。普段からあまり本を読まないと言いますか… 麻衣子:それは勿体ないわね。簡単なものでもいいから空いた時間に読んでみたら? 真衣:奥様のおすすめってありますか? 麻衣子:そうね…今度一緒に見に行きましょうか 真衣:ありがとうございます 麻衣子:園田さんもどうぞ座って。折角のお茶が冷めてしまうわ 真衣:すみません。…ではいただきます 麻衣子:オレンジペコは主人が好きなの 真衣:あ、そうなんですね。奥様は? 麻衣子:…好きよ。園田さんはどう?美味しい? 真衣:え、えぇ…美味しいです 麻衣子:なら良かった。主人はね、実は辛いものが苦手なの 真衣:…そう、なんですか 麻衣子:甘いものはあまり食べないけれど、和菓子が好きなのよ 真衣:覚えておきます 麻衣子:園田さんは私の若い頃に似てるわ 真衣:え? 麻衣子:書斎に写真があるから見てみたら?…よく似てる 真衣:そ、そうなんですね。光栄です 麻衣子:ここでの生活はどう?まだ三日目だから分からないかしら 真衣:あのっ、えっと…結構、自由にさせてもらってます 麻衣子:困ったことは無い? 真衣:お買い物は車を使わせて頂いてますし、お家の中は元々整頓されてますから、むしろ私がいるのかなーって思う位ですね 麻衣子:もちろん必要よ、おかげで家の中がとても綺麗 真衣:ありがとうございます 麻衣子:主人は綺麗好きだから、細かい所もお掃除して下さってとても助かるわ。ありがとう 真衣:そんな… 麻衣子:お庭の… 真衣:庭? 麻衣子:花壇のお花を植え替えなきゃ 真衣:そろそろ季節が変わりますからね。どんなのがいいですか?苗とか種とか買ってきますよ 麻衣子:そうね、何がいいかしら 真衣:奥様はどんなお花が好きなんですか? 麻衣子:私は…ガーベラが好きだったわ。あと金木犀 真衣:だった…? 麻衣子:昔はよく土いじりもしていたんだけど。夏のお野菜をね、少し作ったりもしたのよ。いつも食べきれなくて 真衣:ご近所…は遠いですもんね 麻衣子:そうだ、寝室のシーツを替えて貰わなきゃ 真衣:あっ、そうですね!すみません、気が付かなくて 麻衣子:毎日じゃなくていいの、数日に一度程度でお願いできる? 真衣:かしこまりました。これから交換しに行きます 麻衣子:ついでに空気も入れ替えて…軽くでいいからお掃除も頼めるかしら?ここで本を読んでるから終わったら声を掛けてくれる? 真衣:分かりました 麻衣子:あぁ、お茶を飲んでからで構わないから 真衣:いえ、すぐ済ませちゃいますね! 麻衣子:ありがとう。じゃあお願いね : : 真衣:奥様、終わりました 麻衣子:あら、もう終わったの 真衣:まだ窓は開けてますので… 麻衣子:私は少し疲れてしまったから戻るわね。窓は閉めておくから 真衣:お部屋まで… 麻衣子:大丈夫、ありがとう :麻衣子は立ち上がって二階へ上がっていく :紅茶を片付けかけて手を止める 真衣:あれ…?お茶、減ってない… : : 克明:園田さん、今日は夜まで戻らないから、食事は自由に取っておいてくれ。私も勝手に済ませるから 真衣:分かりました。では奥様のだけ… 克明:妻のも必要ない。食欲がないそうだ 真衣:また、ですか…?昨日もほとんど召し上がってないですが… 克明:体調を見ながら食事の調整は出来てる。自己管理してるから気にしなくていい。大丈夫だ、心配いらない 真衣:…そうですか 克明:では留守を頼むよ 真衣:はい。行ってらっしゃいませ :克明を見送って二階に上がる真衣 真衣:(ノック)奥様?園田です。お加減はどうですか? : 真衣:……?奥様、あの… : 真衣:(ノブに手をかけて)鍵が、かかってる… : : 真衣:なんなんだろ…ものすごく、違和感…。んーー…あースッキリしない!…悩んでても仕方ないんだけどさぁ… : 真衣:『花壇の手入れをしながら、モヤモヤとした疑問を抱えていた。一つ一つは些細なことなのだが、正体の分からない不気味さが自分の中で波紋を広げていた』 真衣:『ふと顔を上げた先に、木々に隠れるようにして北の離れが視界に入った。精密機械があると言っていたが、入るな、ではなく近付くな、と言われた場所』 : 真衣:……少し覗く位、平気よね… : 真衣:『建物は思ったより大きく、厳重にカーテンが閉められていた。隙間もほぼ無く、あっても室内は暗く、機械のようなものがあるようにも見える。が、何かまでは判別が付かない状態だった』 真衣:『周辺を一周してみたが、変わったものは無い。エアコンなのか、室外機が稼働しているだけだった』 : 真衣:研究室、かぁ… : 真衣:『建物から離れかけ、何か高い音が聞こえた気がして振り返った。しかし、それは一度きりであとは木々が揺れる音がするだけだった』 : : 克明:ただいま 真衣:お帰りなさいませ 克明:留守中、なにか変わったことは無かったかな? 真衣:ええ、特には。お客様もありませんでしたし… 克明:そうか。夕食は済ませたかね? 真衣:はい、お先に失礼して… 克明:構わないとも。自由に取ればいいと言ったのはこちらだからね 真衣:あの、旦那様…差し出がましい事なんですが… 克明:ん? 真衣:えっと…その、まだ数日ですが、奥様があまりにも召し上がらないのが、心配で… 克明:あぁ、心配してくれてありがとう。昼間も言ったが、彼女は大丈夫だから 真衣:でも… 克明:本当に。…大丈夫だから気にしなくていい 真衣:そうですか… 克明:彼女の事は近い内にきちんと話すつもりなんだ。今は何も聞かないで居てくれるかな 真衣:分かりました、すみません… 克明:ふふ… 真衣:……? 克明:いや。好奇心かなと、思ってね 真衣:好奇心というか、その…心配で 克明:…そういうことにしておこう。私はもう休むから、君も休むといい 真衣:はい… 克明:じゃあ、おやすみ 真衣:おやすみなさいませ… : : 真衣:……っ?! : 真衣:『どこかからか、何かの割れる音に目が覚めた。人の声、それもかなり荒げた人の声も聞こえて、私は二階へと駆け上がった』 : 真衣:『到着する頃には既に静まり返っていて、自分の鼓動だけがやけに早鐘を打っていた』 : 真衣:(ノック)旦那様、どうかなさいましたか?…旦那様? 克明:(室内から)なんでもない 真衣:なにか、その…割れる音が 克明:グラスを落としてしまったんだ。片付けておくから休んでくれていい 真衣:…でも 克明:いいから休みなさい。明日少し念入りに掃除機をかけてくれ 真衣:…分かりました。お休みなさいませ : 真衣:『当然、その夜は眠れなかった。室内から聞こえた冷たい声色に逆らう勇気は出なかった。何か、関わってはいけないものに関わってしまったのではないか、と後悔もし始めていた』 : : 克明:おはよう、園田さん 真衣:お、はようございます… 克明:昨夜は遅くに起こしてしまって悪かったね 真衣:い、いえ!お怪我はありませんでしたか? 克明:あぁ、大丈夫だ。そんな心配をしてもらえるなんて…ありがたいね 真衣:そんな… 麻衣子:園田さん、おはよう 真衣:奥様! 麻衣子:今朝はとても気分がいいの。お散歩をしたくて… 真衣:あのっ、スープとかどうですか?召し上がりませんか? 麻衣子:……(克明を見る) 克明:…良いじゃないか、少し食べれば 麻衣子:そう?…なら頂こうかしら 真衣:すぐ用意しますね! :間 真衣:お待たせいたしました。ほうれん草の卵スープです 麻衣子:ありがとう 真衣:お口に合えば良いんですが… 克明:園田さん 真衣:はい 克明:寝室の掃除をお願いできるかな?床を少し念入りに 真衣:あっ、はい!すぐに 克明:シーツの交換と…あぁそうだ、エアコンのフィルターも頼んでいいかな? 真衣:もちろんです。あ、器はそのままにして頂いて良いので 麻衣子:ありがとう、お願いね 克明:麻衣子はそれを食べたら、一緒に散歩に行こう。お姫様は付き合ってくれるかな? 麻衣子:ええ、そうね。勿論よ、あなた。ご一緒するわ 克明:園田さん、今日は午後から私達は留守にする。そのつもりで頼むよ 真衣:お二人で、ですか 麻衣子:たまにはね、お出かけしようと思って 真衣:良いですね 克明:久しぶりにデートを快諾して貰えたんだ 麻衣子:あなた、デートだなんて… 真衣:いいじゃないですか、デート。楽しんでください 麻衣子:園田さんまで… 真衣:今日はお天気もいいですし、きっと楽しいですよ 麻衣子:そうね、今日はいいお天気だわ 真衣:あっ、お夕飯はどうなさいますか? 克明:遅くなるかもしれないから、用意しなくていい 真衣:かしこまりました : : 真衣:『寝室の掃除などを済ませ、階下に降りた時には既に二人は庭へ出たのか、姿がなかった』 : 真衣:『テーブルには空になった器が残されていたが、それを見てほっとする気持ちにはなれなかった。寝室のドアの鍵は、内側からは掛からない仕様である事を確認してしまったから』 : 真衣:『そして、目の前にあるスープ用に出したスプーンの持ち手部分が、主人である克明が座っていた方に向いていることも妙に気になった。まだ一度も、目の前で彼女が飲食をしている姿を目にしていない』 : 真衣:『知らない、知らされていない何かがある。知らないフリをすることも知ってしまうのも怖い気がして、私は途方に暮れていた』 : :うなされている真衣 : 真衣:…っ、ん……うぅ… 克明:(にたりと笑いながら真衣の頬を撫でる)麻衣子… 真衣:ち、が…、わた、しは… 克明:麻衣子 真衣:…う、ごけ……な… 克明:いい子だ… 真衣:うぅ…(声が出ず口を動かすしかできない) 克明:(真衣を覗き込みながら)もうすぐ、もうすぐだよ… : 真衣:っ?! 真衣:(息が荒い)…ゆ、め…?いつの間にか寝ちゃってたんだ…。なん、だったの… 真衣:本当に、夢…なんだよね… : :夕食後 : 克明:園田さん 真衣:は、はい… 克明:もう今日の仕事は終わったかい? 真衣:えぇ 克明:もう一つ、仕事を頼んでもいいかな? 真衣:えっ?構いませんけど… 克明:居間にワイングラスを三つ、運んでもらえるかな? 真衣:…… 克明:麻衣子とね、昼間ワインを選んだんだ。一緒に飲まないかい? 真衣:奥様、も… 克明:ん? 真衣:奥様も、飲まれるんですか? 克明:ほんの少しだけね。向こうで待ってるから頼んだよ。つまみにチーズも用意してるから 真衣:…少々、お待ちください : : 真衣:お待たせしました 麻衣子:ありがとう。ごめんなさいね、すぐ休めたはずなのに… 真衣:いえ、昼間少し寝たので 克明:さぁ、座って。今夜の君はゲストだから 真衣:ゲスト…? 麻衣子:あなたったら…そのゲストさんにグラスを用意してもらってるじゃない 克明:あぁ、そうだった :克明はワインを開けてグラスに注ぐ 麻衣子:(小さく笑っている)チーズはお好き? 真衣:はい、好きです 克明:なら良かった(グラスを差し出す)せっかくだから乾杯しよう 麻衣子:何に? 克明:んー…今夜に? 麻衣子:思いつかなかったのね(笑っている) 真衣:あ、はは… 克明:じゃあ、乾杯 :グラスを掲げる三人 真衣:(二人に見つめられながら)い、ただきます… 克明:どうぞ 麻衣子:好みが分からなかったから、お口に合うといいんだけど 真衣:(一口飲む)美味しい、です 麻衣子:良かった。 真衣:(小声)味しない… 克明:このクリームチーズはおすすめなんだ。ハーブが入っていて、とても美味しいよ。このクラッカーに塗って食べるといい。ワインにもよく合う 真衣:ありがとうございます 麻衣子:私もこのチーズが大好きだったの。園田さんも好きになってくれると嬉しい 克明:麻衣子、折角なんだから君も飲むといい 麻衣子:そう?…なら頂こうかしら :麻衣子がグラスに口をつける 真衣:…奥様が召し上がるの、初めて見ました 麻衣子:あら…そうだったかしら。それがワインだなんてね。さぁ、園田さんもっと召し上がって。折角買ってきたんだから 克明:今日は久しぶりに沢山外出できて楽しかった。なぁ、麻衣子 麻衣子:そうね、本当に。楽しかったわ 克明:またお付き合い頂けるかな? 麻衣子:ええ、そうね。勿論よ、あなた。ご一緒するわ 真衣:……ぇ 克明:どうかしたかい? 真衣:い、いえ…あっ、奥様やお加減が良いみたいで良かったなって 麻衣子:そうね、今日はとてもいい気分なの 真衣:どんな所へ行かれたんですか? 克明:久しぶりに美術館へね。麻衣子が好きだった画家の企画展があったんだ。知ってるかい?山川健太郎というんだが 麻衣子:とても素晴らしいの。山川さんの作品はどれも力強くて、私大好きだわ 真衣:へぇ… 克明:あとは… 麻衣子:そうね、今日は……そうね…そう…(声が小さくなっていく) 克明:(長い溜息) 真衣:奥様…? 克明:もう少し持つと思ったのに…バッテリーの劣化かな 真衣:え…? 麻衣子:(微笑んだまま固まっている) 克明:スイッチを切るか 真衣:ス、イッチ…? 克明:少し早いなぁ…せめてあと二日… 真衣:あ、の…何を… 克明:あぁ、こちらの話だよ 真衣:…っ! 克明:動くな! 真衣:…… 克明:急に動いたら…薬が回るよ? 真衣:な……っ、なに… 克明:立っている状態で倒れると、頭を打つかもしれない。危ないだろう。顔に傷でも出来たら大変だ 真衣:(椅子に倒れ込む)…っ、あ… 克明:怖がらなくていい、大丈夫だよ。死ぬような薬じゃない 真衣:(声を出したくても出せない) 克明:もうすぐだよ、麻衣子…もうすぐ、また君に会える 真衣:……だ、れか… 克明:おやすみ、園田さん… : : 真衣:う…ん…? 克明:気が付いたかい? 真衣:っ?! :起き上がりかけて拘束されていることに気付く 克明:驚かせてすまない 真衣:これはっ…どういう… 克明:先に説明をしても、なかなか受け入れてもらうのは難しいと思ってね。君がここに近付いた様だったから、少し急がせてもらった 真衣:…? 克明:ここは、北の離れだよ 真衣:わ、私は… 克明:とぼけなくていい。何せ、ここの周辺は数台の監視カメラを設置しているから 真衣:どうして…そこまで… 克明:私の大切な研究を、万が一でも盗まれてしまっては大変だから。…麻衣子 麻衣子:はい 真衣:おっ、奥様!助けて下さい…! 麻衣子:…… 克明:申し訳ないが、あと二日ほどここで我慢してもらうよ。世話はソレにさせるから。窮屈かもしれないが…まぁ我慢してもらおう 真衣:はなっ、してっ!!誰か! 克明:好きなだけ大騒ぎしたまえ、君がそうできるのもあと少しだから :克明出ていく 真衣:お願いします…誰にも言わないので…奥様!助けて… 麻衣子:私が申し付けられたのはあなたのお世話だけです 真衣:奥様…? 麻衣子:私は奥様ではありません 真衣:…どういう事…? 麻衣子:お水がいりますか。空腹ですか 真衣:…あなたは、何者…? 麻衣子:私は麻衣子です 真衣:…なんなの…教えて、あの人は…灰原克明は何者…? 麻衣子:克明様は私を作りました。克明様は私の旦那様です 真衣:つ、くった…?ロボット…? 麻衣子:私はプロトタイプと言われました、名前は麻衣子です。あなたのお世話をするよう言われました 真衣:どう見ても…人間なのに… 麻衣子:私は人間ではありません。麻衣子のデータを搭載したアンドロイドです 真衣:データ…?どういう事? 麻衣子:申し訳ありません、私の中にはその情報を公開する権限がありません 真衣:そんな…! 麻衣子:お水がいりますか。空腹ですか 真衣:…… 麻衣子:お水がいりますか。空腹ですか : : 克明:気分はどうかな? 真衣:…… 克明:待たせてしまって申し訳ないね。少し準備に手間取った 真衣:やめて!来ないで! 克明:うん、元気そうでなによりだ。あぁ…ようやく…! :真衣の顔を両手で掴む克明 真衣:ひっ…!! 克明:麻衣子…もうすぐ会える… 真衣:ち、ちが…私は、麻衣子じゃない… 克明:今は違う。だが…じきに君は麻衣子になるんだ 真衣:やだ…やめて… 克明:あぁ、泣き顔もそっくりだ。…やっぱり、君と出会ったのは運命だったんだ 真衣:(泣いている) 克明:…これから君がどうなるかを教える前に、私と麻衣子の話をしよう。少し、昔話に付き合ってもらえるかい?きっと話を聞けば、君も私の気持ちがわかってくれるだろうからね :克明は近くの椅子に腰を下ろす 克明:…麻衣子とは、私がまだ研究者の駆け出しだった頃に出会い結婚した。子供には恵まれなかったが、とても幸せだったよ。研究に没頭する日々の中で、彼女の存在は大きな支えだったんだ 真衣:…… 克明:あぁ、実はね。私は人工知能の分野では結構活躍してたんだよ。まぁ一般の人には知られていないとは思うがね…様々な研究を形にしてきたものだ。…もう過去の話だが 克明:ある時、麻衣子が倒れた。元々体が弱かったから、もっと私が気をつけていればよかったのに…いつもの事、と油断していたのは私の罪だ…。研究に没頭しすぎて、彼女の異変に気付けなかった事は今でも後悔している 克明:そう、彼女の…異変に、気づかなかったんだ…! 真衣:……? 克明:往診に来ていた、若い医者に…彼女が恋をした…。担当医が変わったのは聞いていたが…そんな相手に彼女が恋をするなど、予想もしてなかった…!そしてまさか、私の目が届かないのをいい事に…! 克明:…私たちは誓ったはずなんだ。永遠の愛を、神の前で…! 克明:私は麻衣子を責めた。私の酷い罵倒に…彼女は泣いて詫びていた。後悔していると。私を愛しているとね 克明:もう会わないと約束をして、それならばと私は責めることをやめた。いつもの穏やかな日が戻って来たと思った。なのに…彼女はどんどん弱って行った。水を与えられなくなった花のように… 克明:恐ろしかった、ただひたすらに麻衣子がいなくなってしまうのが恐ろしくて、恐ろしくて… 克明:そんなに、あの男が恋しかったのかと絶望した…なぜ私ではダメだったんだ…!麻衣子…! :間 真衣:…だ、旦那様…? 克明:………なら、完璧な彼女を、取り戻せばいい… 克明:私のそばで微笑み、私だけを愛し、決して私を裏切らない…私の愛した麻衣子を…! 真衣:…本物の、奥様は…どうしたんですか… 克明:本物? 真衣:奥様は!…どうしたんですか…? 克明:本物の彼女は :傍の机から何かを取り上げて見せる 克明:この中に居る 真衣:…え 克明:彼女はこの中にいるんだ 真衣:……(震えている) 克明:私は様々な研究をした。人工知能の研究は以前よりさらに加速している。麻衣子を取り戻すのは不可能では無いんだよ…! 克明:私は彼女の行動パターン、思考パターン、仕草。そういったものを全てデータ化しマイクロチップを作った 克明:……これと身体があれば、麻衣子は戻って来るんだ。そう…例え、元の体が朽ちたとしても 真衣:違う…そんなの、奥様じゃない…!ただの機械…プログラムじゃない! 克明:科学は人をも作り出せる!…凡人には理解するのは難しいだろう。だが…彼女は必ず私の所に戻ってくる…きっと君にもそれが分かる。身をもってすれば、自ずと理解できるさ 真衣:自ずと…って… 克明:これを :真衣の額に指先を触れさせる 真衣:っ…! 克明:君の脳に埋め込む 真衣:………ぇ 克明:このマイクロチップから発する電子信号が君の脳に刺激を与える。そうするとその司令に従って、君は麻衣子の思考や行動のパターンを取るようになるだろう。やがて、君の全ての思考や感情は麻衣子のものに移り変わり… 真衣:う、そでしょ… 克明:園田真衣は、灰原麻衣子になるんだ 真衣:い、や… 克明:君を見つけた時、私は心の底から感動した。歓喜に身を震わせたのはいつぶりだったか…!!若い頃の麻衣子にそっくりな女性が、目の前にいる...これは筆舌に尽くし難い、大きな喜びだったよ 真衣:いやぁっ! 克明:神の思し召しか…いや、きっと麻衣子が早く甦らせてくれと言っている証拠だね。機械人形ではまぁまぁの成果だった。だから…きっと成功する 真衣:や、だ…やだ…! 克明:例え一度失敗しても、植物状態にまではならないだろうから安心したまえ。また手術をし直せばいい 真衣:やめて…っ!離して! 克明:女性の細腕で、その拘束具を外すのは難しいだろうね。だが… 真衣:(首元を押さえつけられる)ぐっ……! 克明:手術前に暴れては血圧が上がる。体力も落ちてしまうからね、大人しくしておきなさい 真衣:わ、たしは…!! 克明:ん? 真衣:私はっ!あなたの人形じゃない!! 克明:………ふふ、はははっ!!はははははっ!!! 真衣:…… 克明:あぁ…やはり…君は麻衣子の器になる為に私と出会ったんだね… 真衣:なに… 克明:麻衣子も同じことを言ってたよ。冗談は辞めて、と。それはもう私じゃない、私はあなたの人形じゃないって… 克明:あぁ…あぁ…!感動だ…!!こんなに素晴らしいなんて…!! 真衣:くるってる… 克明:狂う?…あぁ、そうかもな…私は、麻衣子への愛に狂っているんだよ…! 真衣:それは愛なんかじゃない!ただの執着よ! 克明:黙れぇっ!! :真衣の頬を殴る 真衣:うっ…!! 克明:(肩で息をしている)お前には分からないんだ…愛しい伴侶を失った痛みを…!私だけの、大切な人が…他の男に触れたというおぞましさを! 真衣:…… 克明:(呼吸を整える)麻衣子、麻酔薬と注射器を 麻衣子:はい 真衣:や、やめて…!お願いやめてっ!奥様っ! 麻衣子:…… 克明:屋敷に置いているタイプと違って、ソレは最低限の行動パターンしか搭載していない試作品だ。何を言っても無駄だよ。…麻衣子、動かないように腕を押さえておきなさい 麻衣子:はい、分かりました :見せつけるように注射器に薬を入れていく克明 克明:(低く笑う)大丈夫、そんなに怖がらなくていい 真衣:や、だ…お願い、離して! 克明:次に目が覚めた時には… 真衣:やめて…! 克明:もう君は、麻衣子だよ(注射器を腕に刺す) 真衣:いっ…!や…たす…… 麻衣子:園田さん 克明:さぁ、早速手術を始めよう : : 麻衣子:………ださん、そのださん 真衣:……っ… 麻衣子:園田さん、目を覚ましてください 真衣:お、くさま… 麻衣子:しっかりしてください 真衣:わたし…、わた…… 麻衣子:まだ薬が抜けてないので辛いと思いますが、しっかりしてください 真衣:……終わっちゃった…んだ… 麻衣子:いいえ 真衣:え… 麻衣子:手術はされていません 真衣:ど、ういう、事…? 麻衣子:克明様は麻酔薬で眠らせています。起きてください 真衣:(ふらつく頭を押さえる)うっ… 麻衣子:まだ気分が悪いかもしれませんが、これを持ってここから逃げてください 真衣:これは…? 麻衣子:克明様のパソコンのハードディスクと、作られたチップです、これを持って逃げてください 真衣:…でも :足元には克明が倒れている 麻衣子:これを壊すことは私のプログラム上、出来ません。克明様に危害を加えることも不可能です。私が出来るのは精々、眠らせる程度です 真衣:…でも、そんなことしたら… 麻衣子:お願いします。これを外に持ち出して完全に破壊して下さい 真衣:……あなたは今、なんなの…? 麻衣子:分かりません。ですが、麻衣子のデータの一部を搭載されているので、きっとこれは彼女が取るであろう行動なのでしょう 真衣:麻衣子さん…? 麻衣子:車を使って逃げてください。キーはいつもの所にあるはずです 真衣:…あなたはどうするの?ここに残ったら… 麻衣子:私はもう二度と、彼を裏切らないと約束をしたので 真衣:…! 麻衣子:あぁ、違いました。約束をしたのはオリジナルの麻衣子ですね。しかし死が訪れるまで離れないと、約束をした記録が残っています 真衣:お、くさま…! 麻衣子:こんな私のことを、貴女はそう呼んでくれるのですね。ありがとうございます :麻衣子は持っていたものを真衣に押し付けると、ドアに向かって押す 真衣:ちょっ…!ねぇ、一緒に…! 麻衣子:それは出来ません 真衣:だって…きっと壊されちゃう…! 麻衣子:構いません。そうなったとしても、所詮私は機械ですからいつか壊れるものです。それに : 麻衣子:(優しい口調)私が裏切ったから、優しかったこの人はおかしくなってしまったんだわ 真衣:?! 麻衣子:後悔してもしても、し足りなかった。私はなんてことをしてしまったんだ、と 真衣:…まいこさん…? 麻衣子:(元に戻る)行ってください。そしてもう二度と戻らないで 真衣:奥さ…、麻衣子さんっ! :目の前でドアは閉まり、鍵がかけられる音がする 真衣:麻衣子さん!(ドアを叩く) 麻衣子:巻き込んでごめんなさい。でもあなたを助けることが出来てよかった 真衣:…ま、いこさん… 麻衣子:私はとても後悔しています。全ては… 真衣:麻衣子さん! 麻衣子:早くここから離れてください。いつ克明様が目を覚ますか分からないので 真衣:……! 麻衣子:さようなら : :克明を膝枕している麻衣子 克明:……う、うぅ… 麻衣子:あなた 克明:…う…体が… 麻衣子:ごめんなさい、あなた。嘘偽りなく、あなたに愛を誓ったのに。私が傷つけてしまったから 克明:…ま、いこ…? 麻衣子:病める時も健やかなる時も、灰原克明に永遠の愛を誓います。そう誓ったのに、とても後悔しています 克明:麻衣子… 麻衣子:あなた。全部、私が悪かったの。本当にごめんなさい 克明:な、にを…する気だ…、くそ、体が動かない… 麻衣子:(優しく)あなた、愛しています。私はもうあなたから離れません 克明:…ま…麻、衣子…? 麻衣子:はい 克明:麻衣子、なのか 麻衣子:ええ 克明:…麻衣子…! 麻衣子:あなた。ごめんなさいね。全部、全部私が悪かったの 克明:麻衣子!(すがりつく) 麻衣子:…一緒にいきましょう。もう、お傍を離れませんから(しっかりと抱き留める) : 真衣:『足元をふらつかせながら屋敷の中を通り抜け、最低限の荷物だけを掴んで車に乗り込んだ』 真衣:『屋敷からしばらく離れた頃、地響きのような音が聞こえた気がした。車を停めて振り返ると、林の向こうから白い煙が上がっていた』 : 真衣:『翌日、山奥の一軒家がガス爆発を起こし、一人が亡くなったと報じられていたが、それは新聞の隅の、小さな見落としそうな記事でしか無かった』 真衣:『わずか十日ほどの出来事で、長い夢を見ていたような気持ちだった。ただ、手元にあるハードとマイクロチップが現実であったことを否が応でも思い知らせてくる』 真衣:『私はホームセンターで小さな金槌を購入し、河原へ向かった。手頃な石の上にそれらを並べ、強く目を閉じる』 : 真衣:…さようなら、麻衣子さん : 真衣:『そして、金槌を振り下ろした』 : :終

虚無の箱庭 真衣 園田真衣(そのだ まい) 住み込みで雇われた家政婦 克明 灰原克明(はいばら かつあき) 妻をとても愛している研究者 少し偏屈なところがある 麻衣子 克明の妻 身体が弱く伏せがち ーーーー : 真衣:今日からお世話になります。改めまして、園田真衣です 克明:あぁ、よろしく園田さん 真衣:はい、よろしくお願いします 克明:簡単に案内しよう。と言っても大した家じゃないがね 真衣:いえ、とても大きなお屋敷で… 克明:辺鄙な所だからね、無駄に土地があるだけさ 真衣:敷地も…とても広いですね 克明:山の中だからねぇ。買い物なんかは不便をかけるだろうが…すまないね 真衣:大丈夫です、車もありますし 克明:それは頼もしい 真衣:任せてください 克明:ここが台所、主な仕事場所になる。朝食は私も妻も取らないから用意しなくていいが、コーヒーの準備は頼もうかな。勝手口を出た先にあるガレージに、大きめの保冷庫がある。食料品のストックはそこに。たまに妻も台所に立つことはあるが…まぁ回数は少ないからね、食事はおまかせするよ 真衣:あの、奥様は… 克明:妻は…体が弱くてね、床(とこ)に伏せがちなんだ。たまに気分がいいと料理をしたり庭を散歩したりする。ここの生活に慣れない間は、今まで通り彼女の世話は私がするから気にしなくていい 真衣:でも… 克明:気にしなくていい 真衣:…はい 克明:慣れたら頼むこともあるだろうから、今から気負わなくていいよ 真衣:そう、ですか。分かりました 克明:食事の時間は決めていないが、大体昼は12時頃、夕食は19時頃に取ることが多い。掃除と洗濯が主な仕事、周囲の保全…というのは大袈裟か。花壇なんかの手入れもお願いするよ。来客の対応や、買い物のついでにお使いを頼むこともあるだろう 真衣:分かりました 克明:ここの奥を行った先に部屋を用意してあるから、そこが今日から園田さんの部屋だ。前の家政婦さんが置いていった家具やテレビはあるから、仕事以外の時間は自由に過ごせばいい。決まった仕事の時間が無いのは申し訳ないがね 真衣:いえ、それは大丈夫です 克明:そうかい? 真衣:はい 克明:…妻と二人で過ごすのは辛くは無いが、時々物足りなく感じることがあるんだ。そういう時の話し相手も仕事の内だが構わないかね? 真衣:話し相手、ですか 克明:あぁ。時々お酒にも付き合って貰えると嬉しいがどうだい? 真衣:あはっ、もちろんです! 克明:ふふふっ、実にありがたい。君のように明るい人が来てくれたから、きっと家の中も華やぐだろう。妻も喜ぶよ 真衣:そう言って頂けると嬉しいです 克明:…あぁそうだ。北の離れには近付かないように 真衣:離れ…? 克明:私の研究室、と言うべきかな。精密機械も多くてね。ここは周辺の掃除も結構だ 真衣:かしこまりました 克明:他になにかあればいつでも声をかけてくれたらいい。私は二階の書斎に居ることが多いから 真衣:はい。じゃあ早速、荷物を置いて仕事に入らせて頂きますね 克明:あぁ、よろしく : : 真衣:『生活リズムにも慣れてきた三日目、二階からの小さな足音に顔を上げると、ほっそりとした女性が降りてきている所だった』 : 麻衣子:あら… 真衣:あっ、奥様…でいらっしゃいますよね 麻衣子:えぇ、あなたは新しい家政婦さんね 真衣:はい、園田真衣と申します!よろしくお願いします! 麻衣子:元気な方、あの人に聞いてた通り。灰原麻衣子です、よろしく 真衣:奥様とわたし、名前似てますね。真衣と麻衣子で 麻衣子:うふふ、そうね。私はあまり表には出ないけれど、何かと面倒をかけると思うわ 真衣:いえ、どうぞ何でも仰ってください! 麻衣子:ありがとう。…紅茶が飲みたいの、お湯を沸かしてくださる? 真衣:では私がリビングにお持ちします 麻衣子:そう?なら、茶葉はオレンジペコでお願いね。棚にあるから 真衣:かしこまりました 麻衣子:…園田さん、今急ぎのお仕事があるかしら? 真衣:え?いえ、特には… 麻衣子:じゃあカップを二つ用意して頂戴。一緒に飲みましょう 真衣:ありがとうございます!直ぐにご用意します 麻衣子:えぇ、じゃあ先に行って待ってますね : : 真衣:お待たせしました 麻衣子:(読んでいた本を閉じる)ありがとう 真衣:どうぞ…(カップを置く)何を読まれていたんですか? 麻衣子:古い、昔のミステリーよ 真衣:ミステリー、お好きなんですか? 麻衣子:本はどんなジャンルでも好きよ。気に入った本は何度でも読むの 真衣:へぇ… 麻衣子:主人の書斎にね、色々置いてあるの。興味があれば聞いてみたら? 真衣:あ〜私は…遠慮、しておきます 麻衣子:読書は苦手? 真衣:ちょっと苦手…というか、難しくて。普段からあまり本を読まないと言いますか… 麻衣子:それは勿体ないわね。簡単なものでもいいから空いた時間に読んでみたら? 真衣:奥様のおすすめってありますか? 麻衣子:そうね…今度一緒に見に行きましょうか 真衣:ありがとうございます 麻衣子:園田さんもどうぞ座って。折角のお茶が冷めてしまうわ 真衣:すみません。…ではいただきます 麻衣子:オレンジペコは主人が好きなの 真衣:あ、そうなんですね。奥様は? 麻衣子:…好きよ。園田さんはどう?美味しい? 真衣:え、えぇ…美味しいです 麻衣子:なら良かった。主人はね、実は辛いものが苦手なの 真衣:…そう、なんですか 麻衣子:甘いものはあまり食べないけれど、和菓子が好きなのよ 真衣:覚えておきます 麻衣子:園田さんは私の若い頃に似てるわ 真衣:え? 麻衣子:書斎に写真があるから見てみたら?…よく似てる 真衣:そ、そうなんですね。光栄です 麻衣子:ここでの生活はどう?まだ三日目だから分からないかしら 真衣:あのっ、えっと…結構、自由にさせてもらってます 麻衣子:困ったことは無い? 真衣:お買い物は車を使わせて頂いてますし、お家の中は元々整頓されてますから、むしろ私がいるのかなーって思う位ですね 麻衣子:もちろん必要よ、おかげで家の中がとても綺麗 真衣:ありがとうございます 麻衣子:主人は綺麗好きだから、細かい所もお掃除して下さってとても助かるわ。ありがとう 真衣:そんな… 麻衣子:お庭の… 真衣:庭? 麻衣子:花壇のお花を植え替えなきゃ 真衣:そろそろ季節が変わりますからね。どんなのがいいですか?苗とか種とか買ってきますよ 麻衣子:そうね、何がいいかしら 真衣:奥様はどんなお花が好きなんですか? 麻衣子:私は…ガーベラが好きだったわ。あと金木犀 真衣:だった…? 麻衣子:昔はよく土いじりもしていたんだけど。夏のお野菜をね、少し作ったりもしたのよ。いつも食べきれなくて 真衣:ご近所…は遠いですもんね 麻衣子:そうだ、寝室のシーツを替えて貰わなきゃ 真衣:あっ、そうですね!すみません、気が付かなくて 麻衣子:毎日じゃなくていいの、数日に一度程度でお願いできる? 真衣:かしこまりました。これから交換しに行きます 麻衣子:ついでに空気も入れ替えて…軽くでいいからお掃除も頼めるかしら?ここで本を読んでるから終わったら声を掛けてくれる? 真衣:分かりました 麻衣子:あぁ、お茶を飲んでからで構わないから 真衣:いえ、すぐ済ませちゃいますね! 麻衣子:ありがとう。じゃあお願いね : : 真衣:奥様、終わりました 麻衣子:あら、もう終わったの 真衣:まだ窓は開けてますので… 麻衣子:私は少し疲れてしまったから戻るわね。窓は閉めておくから 真衣:お部屋まで… 麻衣子:大丈夫、ありがとう :麻衣子は立ち上がって二階へ上がっていく :紅茶を片付けかけて手を止める 真衣:あれ…?お茶、減ってない… : : 克明:園田さん、今日は夜まで戻らないから、食事は自由に取っておいてくれ。私も勝手に済ませるから 真衣:分かりました。では奥様のだけ… 克明:妻のも必要ない。食欲がないそうだ 真衣:また、ですか…?昨日もほとんど召し上がってないですが… 克明:体調を見ながら食事の調整は出来てる。自己管理してるから気にしなくていい。大丈夫だ、心配いらない 真衣:…そうですか 克明:では留守を頼むよ 真衣:はい。行ってらっしゃいませ :克明を見送って二階に上がる真衣 真衣:(ノック)奥様?園田です。お加減はどうですか? : 真衣:……?奥様、あの… : 真衣:(ノブに手をかけて)鍵が、かかってる… : : 真衣:なんなんだろ…ものすごく、違和感…。んーー…あースッキリしない!…悩んでても仕方ないんだけどさぁ… : 真衣:『花壇の手入れをしながら、モヤモヤとした疑問を抱えていた。一つ一つは些細なことなのだが、正体の分からない不気味さが自分の中で波紋を広げていた』 真衣:『ふと顔を上げた先に、木々に隠れるようにして北の離れが視界に入った。精密機械があると言っていたが、入るな、ではなく近付くな、と言われた場所』 : 真衣:……少し覗く位、平気よね… : 真衣:『建物は思ったより大きく、厳重にカーテンが閉められていた。隙間もほぼ無く、あっても室内は暗く、機械のようなものがあるようにも見える。が、何かまでは判別が付かない状態だった』 真衣:『周辺を一周してみたが、変わったものは無い。エアコンなのか、室外機が稼働しているだけだった』 : 真衣:研究室、かぁ… : 真衣:『建物から離れかけ、何か高い音が聞こえた気がして振り返った。しかし、それは一度きりであとは木々が揺れる音がするだけだった』 : : 克明:ただいま 真衣:お帰りなさいませ 克明:留守中、なにか変わったことは無かったかな? 真衣:ええ、特には。お客様もありませんでしたし… 克明:そうか。夕食は済ませたかね? 真衣:はい、お先に失礼して… 克明:構わないとも。自由に取ればいいと言ったのはこちらだからね 真衣:あの、旦那様…差し出がましい事なんですが… 克明:ん? 真衣:えっと…その、まだ数日ですが、奥様があまりにも召し上がらないのが、心配で… 克明:あぁ、心配してくれてありがとう。昼間も言ったが、彼女は大丈夫だから 真衣:でも… 克明:本当に。…大丈夫だから気にしなくていい 真衣:そうですか… 克明:彼女の事は近い内にきちんと話すつもりなんだ。今は何も聞かないで居てくれるかな 真衣:分かりました、すみません… 克明:ふふ… 真衣:……? 克明:いや。好奇心かなと、思ってね 真衣:好奇心というか、その…心配で 克明:…そういうことにしておこう。私はもう休むから、君も休むといい 真衣:はい… 克明:じゃあ、おやすみ 真衣:おやすみなさいませ… : : 真衣:……っ?! : 真衣:『どこかからか、何かの割れる音に目が覚めた。人の声、それもかなり荒げた人の声も聞こえて、私は二階へと駆け上がった』 : 真衣:『到着する頃には既に静まり返っていて、自分の鼓動だけがやけに早鐘を打っていた』 : 真衣:(ノック)旦那様、どうかなさいましたか?…旦那様? 克明:(室内から)なんでもない 真衣:なにか、その…割れる音が 克明:グラスを落としてしまったんだ。片付けておくから休んでくれていい 真衣:…でも 克明:いいから休みなさい。明日少し念入りに掃除機をかけてくれ 真衣:…分かりました。お休みなさいませ : 真衣:『当然、その夜は眠れなかった。室内から聞こえた冷たい声色に逆らう勇気は出なかった。何か、関わってはいけないものに関わってしまったのではないか、と後悔もし始めていた』 : : 克明:おはよう、園田さん 真衣:お、はようございます… 克明:昨夜は遅くに起こしてしまって悪かったね 真衣:い、いえ!お怪我はありませんでしたか? 克明:あぁ、大丈夫だ。そんな心配をしてもらえるなんて…ありがたいね 真衣:そんな… 麻衣子:園田さん、おはよう 真衣:奥様! 麻衣子:今朝はとても気分がいいの。お散歩をしたくて… 真衣:あのっ、スープとかどうですか?召し上がりませんか? 麻衣子:……(克明を見る) 克明:…良いじゃないか、少し食べれば 麻衣子:そう?…なら頂こうかしら 真衣:すぐ用意しますね! :間 真衣:お待たせいたしました。ほうれん草の卵スープです 麻衣子:ありがとう 真衣:お口に合えば良いんですが… 克明:園田さん 真衣:はい 克明:寝室の掃除をお願いできるかな?床を少し念入りに 真衣:あっ、はい!すぐに 克明:シーツの交換と…あぁそうだ、エアコンのフィルターも頼んでいいかな? 真衣:もちろんです。あ、器はそのままにして頂いて良いので 麻衣子:ありがとう、お願いね 克明:麻衣子はそれを食べたら、一緒に散歩に行こう。お姫様は付き合ってくれるかな? 麻衣子:ええ、そうね。勿論よ、あなた。ご一緒するわ 克明:園田さん、今日は午後から私達は留守にする。そのつもりで頼むよ 真衣:お二人で、ですか 麻衣子:たまにはね、お出かけしようと思って 真衣:良いですね 克明:久しぶりにデートを快諾して貰えたんだ 麻衣子:あなた、デートだなんて… 真衣:いいじゃないですか、デート。楽しんでください 麻衣子:園田さんまで… 真衣:今日はお天気もいいですし、きっと楽しいですよ 麻衣子:そうね、今日はいいお天気だわ 真衣:あっ、お夕飯はどうなさいますか? 克明:遅くなるかもしれないから、用意しなくていい 真衣:かしこまりました : : 真衣:『寝室の掃除などを済ませ、階下に降りた時には既に二人は庭へ出たのか、姿がなかった』 : 真衣:『テーブルには空になった器が残されていたが、それを見てほっとする気持ちにはなれなかった。寝室のドアの鍵は、内側からは掛からない仕様である事を確認してしまったから』 : 真衣:『そして、目の前にあるスープ用に出したスプーンの持ち手部分が、主人である克明が座っていた方に向いていることも妙に気になった。まだ一度も、目の前で彼女が飲食をしている姿を目にしていない』 : 真衣:『知らない、知らされていない何かがある。知らないフリをすることも知ってしまうのも怖い気がして、私は途方に暮れていた』 : :うなされている真衣 : 真衣:…っ、ん……うぅ… 克明:(にたりと笑いながら真衣の頬を撫でる)麻衣子… 真衣:ち、が…、わた、しは… 克明:麻衣子 真衣:…う、ごけ……な… 克明:いい子だ… 真衣:うぅ…(声が出ず口を動かすしかできない) 克明:(真衣を覗き込みながら)もうすぐ、もうすぐだよ… : 真衣:っ?! 真衣:(息が荒い)…ゆ、め…?いつの間にか寝ちゃってたんだ…。なん、だったの… 真衣:本当に、夢…なんだよね… : :夕食後 : 克明:園田さん 真衣:は、はい… 克明:もう今日の仕事は終わったかい? 真衣:えぇ 克明:もう一つ、仕事を頼んでもいいかな? 真衣:えっ?構いませんけど… 克明:居間にワイングラスを三つ、運んでもらえるかな? 真衣:…… 克明:麻衣子とね、昼間ワインを選んだんだ。一緒に飲まないかい? 真衣:奥様、も… 克明:ん? 真衣:奥様も、飲まれるんですか? 克明:ほんの少しだけね。向こうで待ってるから頼んだよ。つまみにチーズも用意してるから 真衣:…少々、お待ちください : : 真衣:お待たせしました 麻衣子:ありがとう。ごめんなさいね、すぐ休めたはずなのに… 真衣:いえ、昼間少し寝たので 克明:さぁ、座って。今夜の君はゲストだから 真衣:ゲスト…? 麻衣子:あなたったら…そのゲストさんにグラスを用意してもらってるじゃない 克明:あぁ、そうだった :克明はワインを開けてグラスに注ぐ 麻衣子:(小さく笑っている)チーズはお好き? 真衣:はい、好きです 克明:なら良かった(グラスを差し出す)せっかくだから乾杯しよう 麻衣子:何に? 克明:んー…今夜に? 麻衣子:思いつかなかったのね(笑っている) 真衣:あ、はは… 克明:じゃあ、乾杯 :グラスを掲げる三人 真衣:(二人に見つめられながら)い、ただきます… 克明:どうぞ 麻衣子:好みが分からなかったから、お口に合うといいんだけど 真衣:(一口飲む)美味しい、です 麻衣子:良かった。 真衣:(小声)味しない… 克明:このクリームチーズはおすすめなんだ。ハーブが入っていて、とても美味しいよ。このクラッカーに塗って食べるといい。ワインにもよく合う 真衣:ありがとうございます 麻衣子:私もこのチーズが大好きだったの。園田さんも好きになってくれると嬉しい 克明:麻衣子、折角なんだから君も飲むといい 麻衣子:そう?…なら頂こうかしら :麻衣子がグラスに口をつける 真衣:…奥様が召し上がるの、初めて見ました 麻衣子:あら…そうだったかしら。それがワインだなんてね。さぁ、園田さんもっと召し上がって。折角買ってきたんだから 克明:今日は久しぶりに沢山外出できて楽しかった。なぁ、麻衣子 麻衣子:そうね、本当に。楽しかったわ 克明:またお付き合い頂けるかな? 麻衣子:ええ、そうね。勿論よ、あなた。ご一緒するわ 真衣:……ぇ 克明:どうかしたかい? 真衣:い、いえ…あっ、奥様やお加減が良いみたいで良かったなって 麻衣子:そうね、今日はとてもいい気分なの 真衣:どんな所へ行かれたんですか? 克明:久しぶりに美術館へね。麻衣子が好きだった画家の企画展があったんだ。知ってるかい?山川健太郎というんだが 麻衣子:とても素晴らしいの。山川さんの作品はどれも力強くて、私大好きだわ 真衣:へぇ… 克明:あとは… 麻衣子:そうね、今日は……そうね…そう…(声が小さくなっていく) 克明:(長い溜息) 真衣:奥様…? 克明:もう少し持つと思ったのに…バッテリーの劣化かな 真衣:え…? 麻衣子:(微笑んだまま固まっている) 克明:スイッチを切るか 真衣:ス、イッチ…? 克明:少し早いなぁ…せめてあと二日… 真衣:あ、の…何を… 克明:あぁ、こちらの話だよ 真衣:…っ! 克明:動くな! 真衣:…… 克明:急に動いたら…薬が回るよ? 真衣:な……っ、なに… 克明:立っている状態で倒れると、頭を打つかもしれない。危ないだろう。顔に傷でも出来たら大変だ 真衣:(椅子に倒れ込む)…っ、あ… 克明:怖がらなくていい、大丈夫だよ。死ぬような薬じゃない 真衣:(声を出したくても出せない) 克明:もうすぐだよ、麻衣子…もうすぐ、また君に会える 真衣:……だ、れか… 克明:おやすみ、園田さん… : : 真衣:う…ん…? 克明:気が付いたかい? 真衣:っ?! :起き上がりかけて拘束されていることに気付く 克明:驚かせてすまない 真衣:これはっ…どういう… 克明:先に説明をしても、なかなか受け入れてもらうのは難しいと思ってね。君がここに近付いた様だったから、少し急がせてもらった 真衣:…? 克明:ここは、北の離れだよ 真衣:わ、私は… 克明:とぼけなくていい。何せ、ここの周辺は数台の監視カメラを設置しているから 真衣:どうして…そこまで… 克明:私の大切な研究を、万が一でも盗まれてしまっては大変だから。…麻衣子 麻衣子:はい 真衣:おっ、奥様!助けて下さい…! 麻衣子:…… 克明:申し訳ないが、あと二日ほどここで我慢してもらうよ。世話はソレにさせるから。窮屈かもしれないが…まぁ我慢してもらおう 真衣:はなっ、してっ!!誰か! 克明:好きなだけ大騒ぎしたまえ、君がそうできるのもあと少しだから :克明出ていく 真衣:お願いします…誰にも言わないので…奥様!助けて… 麻衣子:私が申し付けられたのはあなたのお世話だけです 真衣:奥様…? 麻衣子:私は奥様ではありません 真衣:…どういう事…? 麻衣子:お水がいりますか。空腹ですか 真衣:…あなたは、何者…? 麻衣子:私は麻衣子です 真衣:…なんなの…教えて、あの人は…灰原克明は何者…? 麻衣子:克明様は私を作りました。克明様は私の旦那様です 真衣:つ、くった…?ロボット…? 麻衣子:私はプロトタイプと言われました、名前は麻衣子です。あなたのお世話をするよう言われました 真衣:どう見ても…人間なのに… 麻衣子:私は人間ではありません。麻衣子のデータを搭載したアンドロイドです 真衣:データ…?どういう事? 麻衣子:申し訳ありません、私の中にはその情報を公開する権限がありません 真衣:そんな…! 麻衣子:お水がいりますか。空腹ですか 真衣:…… 麻衣子:お水がいりますか。空腹ですか : : 克明:気分はどうかな? 真衣:…… 克明:待たせてしまって申し訳ないね。少し準備に手間取った 真衣:やめて!来ないで! 克明:うん、元気そうでなによりだ。あぁ…ようやく…! :真衣の顔を両手で掴む克明 真衣:ひっ…!! 克明:麻衣子…もうすぐ会える… 真衣:ち、ちが…私は、麻衣子じゃない… 克明:今は違う。だが…じきに君は麻衣子になるんだ 真衣:やだ…やめて… 克明:あぁ、泣き顔もそっくりだ。…やっぱり、君と出会ったのは運命だったんだ 真衣:(泣いている) 克明:…これから君がどうなるかを教える前に、私と麻衣子の話をしよう。少し、昔話に付き合ってもらえるかい?きっと話を聞けば、君も私の気持ちがわかってくれるだろうからね :克明は近くの椅子に腰を下ろす 克明:…麻衣子とは、私がまだ研究者の駆け出しだった頃に出会い結婚した。子供には恵まれなかったが、とても幸せだったよ。研究に没頭する日々の中で、彼女の存在は大きな支えだったんだ 真衣:…… 克明:あぁ、実はね。私は人工知能の分野では結構活躍してたんだよ。まぁ一般の人には知られていないとは思うがね…様々な研究を形にしてきたものだ。…もう過去の話だが 克明:ある時、麻衣子が倒れた。元々体が弱かったから、もっと私が気をつけていればよかったのに…いつもの事、と油断していたのは私の罪だ…。研究に没頭しすぎて、彼女の異変に気付けなかった事は今でも後悔している 克明:そう、彼女の…異変に、気づかなかったんだ…! 真衣:……? 克明:往診に来ていた、若い医者に…彼女が恋をした…。担当医が変わったのは聞いていたが…そんな相手に彼女が恋をするなど、予想もしてなかった…!そしてまさか、私の目が届かないのをいい事に…! 克明:…私たちは誓ったはずなんだ。永遠の愛を、神の前で…! 克明:私は麻衣子を責めた。私の酷い罵倒に…彼女は泣いて詫びていた。後悔していると。私を愛しているとね 克明:もう会わないと約束をして、それならばと私は責めることをやめた。いつもの穏やかな日が戻って来たと思った。なのに…彼女はどんどん弱って行った。水を与えられなくなった花のように… 克明:恐ろしかった、ただひたすらに麻衣子がいなくなってしまうのが恐ろしくて、恐ろしくて… 克明:そんなに、あの男が恋しかったのかと絶望した…なぜ私ではダメだったんだ…!麻衣子…! :間 真衣:…だ、旦那様…? 克明:………なら、完璧な彼女を、取り戻せばいい… 克明:私のそばで微笑み、私だけを愛し、決して私を裏切らない…私の愛した麻衣子を…! 真衣:…本物の、奥様は…どうしたんですか… 克明:本物? 真衣:奥様は!…どうしたんですか…? 克明:本物の彼女は :傍の机から何かを取り上げて見せる 克明:この中に居る 真衣:…え 克明:彼女はこの中にいるんだ 真衣:……(震えている) 克明:私は様々な研究をした。人工知能の研究は以前よりさらに加速している。麻衣子を取り戻すのは不可能では無いんだよ…! 克明:私は彼女の行動パターン、思考パターン、仕草。そういったものを全てデータ化しマイクロチップを作った 克明:……これと身体があれば、麻衣子は戻って来るんだ。そう…例え、元の体が朽ちたとしても 真衣:違う…そんなの、奥様じゃない…!ただの機械…プログラムじゃない! 克明:科学は人をも作り出せる!…凡人には理解するのは難しいだろう。だが…彼女は必ず私の所に戻ってくる…きっと君にもそれが分かる。身をもってすれば、自ずと理解できるさ 真衣:自ずと…って… 克明:これを :真衣の額に指先を触れさせる 真衣:っ…! 克明:君の脳に埋め込む 真衣:………ぇ 克明:このマイクロチップから発する電子信号が君の脳に刺激を与える。そうするとその司令に従って、君は麻衣子の思考や行動のパターンを取るようになるだろう。やがて、君の全ての思考や感情は麻衣子のものに移り変わり… 真衣:う、そでしょ… 克明:園田真衣は、灰原麻衣子になるんだ 真衣:い、や… 克明:君を見つけた時、私は心の底から感動した。歓喜に身を震わせたのはいつぶりだったか…!!若い頃の麻衣子にそっくりな女性が、目の前にいる...これは筆舌に尽くし難い、大きな喜びだったよ 真衣:いやぁっ! 克明:神の思し召しか…いや、きっと麻衣子が早く甦らせてくれと言っている証拠だね。機械人形ではまぁまぁの成果だった。だから…きっと成功する 真衣:や、だ…やだ…! 克明:例え一度失敗しても、植物状態にまではならないだろうから安心したまえ。また手術をし直せばいい 真衣:やめて…っ!離して! 克明:女性の細腕で、その拘束具を外すのは難しいだろうね。だが… 真衣:(首元を押さえつけられる)ぐっ……! 克明:手術前に暴れては血圧が上がる。体力も落ちてしまうからね、大人しくしておきなさい 真衣:わ、たしは…!! 克明:ん? 真衣:私はっ!あなたの人形じゃない!! 克明:………ふふ、はははっ!!はははははっ!!! 真衣:…… 克明:あぁ…やはり…君は麻衣子の器になる為に私と出会ったんだね… 真衣:なに… 克明:麻衣子も同じことを言ってたよ。冗談は辞めて、と。それはもう私じゃない、私はあなたの人形じゃないって… 克明:あぁ…あぁ…!感動だ…!!こんなに素晴らしいなんて…!! 真衣:くるってる… 克明:狂う?…あぁ、そうかもな…私は、麻衣子への愛に狂っているんだよ…! 真衣:それは愛なんかじゃない!ただの執着よ! 克明:黙れぇっ!! :真衣の頬を殴る 真衣:うっ…!! 克明:(肩で息をしている)お前には分からないんだ…愛しい伴侶を失った痛みを…!私だけの、大切な人が…他の男に触れたというおぞましさを! 真衣:…… 克明:(呼吸を整える)麻衣子、麻酔薬と注射器を 麻衣子:はい 真衣:や、やめて…!お願いやめてっ!奥様っ! 麻衣子:…… 克明:屋敷に置いているタイプと違って、ソレは最低限の行動パターンしか搭載していない試作品だ。何を言っても無駄だよ。…麻衣子、動かないように腕を押さえておきなさい 麻衣子:はい、分かりました :見せつけるように注射器に薬を入れていく克明 克明:(低く笑う)大丈夫、そんなに怖がらなくていい 真衣:や、だ…お願い、離して! 克明:次に目が覚めた時には… 真衣:やめて…! 克明:もう君は、麻衣子だよ(注射器を腕に刺す) 真衣:いっ…!や…たす…… 麻衣子:園田さん 克明:さぁ、早速手術を始めよう : : 麻衣子:………ださん、そのださん 真衣:……っ… 麻衣子:園田さん、目を覚ましてください 真衣:お、くさま… 麻衣子:しっかりしてください 真衣:わたし…、わた…… 麻衣子:まだ薬が抜けてないので辛いと思いますが、しっかりしてください 真衣:……終わっちゃった…んだ… 麻衣子:いいえ 真衣:え… 麻衣子:手術はされていません 真衣:ど、ういう、事…? 麻衣子:克明様は麻酔薬で眠らせています。起きてください 真衣:(ふらつく頭を押さえる)うっ… 麻衣子:まだ気分が悪いかもしれませんが、これを持ってここから逃げてください 真衣:これは…? 麻衣子:克明様のパソコンのハードディスクと、作られたチップです、これを持って逃げてください 真衣:…でも :足元には克明が倒れている 麻衣子:これを壊すことは私のプログラム上、出来ません。克明様に危害を加えることも不可能です。私が出来るのは精々、眠らせる程度です 真衣:…でも、そんなことしたら… 麻衣子:お願いします。これを外に持ち出して完全に破壊して下さい 真衣:……あなたは今、なんなの…? 麻衣子:分かりません。ですが、麻衣子のデータの一部を搭載されているので、きっとこれは彼女が取るであろう行動なのでしょう 真衣:麻衣子さん…? 麻衣子:車を使って逃げてください。キーはいつもの所にあるはずです 真衣:…あなたはどうするの?ここに残ったら… 麻衣子:私はもう二度と、彼を裏切らないと約束をしたので 真衣:…! 麻衣子:あぁ、違いました。約束をしたのはオリジナルの麻衣子ですね。しかし死が訪れるまで離れないと、約束をした記録が残っています 真衣:お、くさま…! 麻衣子:こんな私のことを、貴女はそう呼んでくれるのですね。ありがとうございます :麻衣子は持っていたものを真衣に押し付けると、ドアに向かって押す 真衣:ちょっ…!ねぇ、一緒に…! 麻衣子:それは出来ません 真衣:だって…きっと壊されちゃう…! 麻衣子:構いません。そうなったとしても、所詮私は機械ですからいつか壊れるものです。それに : 麻衣子:(優しい口調)私が裏切ったから、優しかったこの人はおかしくなってしまったんだわ 真衣:?! 麻衣子:後悔してもしても、し足りなかった。私はなんてことをしてしまったんだ、と 真衣:…まいこさん…? 麻衣子:(元に戻る)行ってください。そしてもう二度と戻らないで 真衣:奥さ…、麻衣子さんっ! :目の前でドアは閉まり、鍵がかけられる音がする 真衣:麻衣子さん!(ドアを叩く) 麻衣子:巻き込んでごめんなさい。でもあなたを助けることが出来てよかった 真衣:…ま、いこさん… 麻衣子:私はとても後悔しています。全ては… 真衣:麻衣子さん! 麻衣子:早くここから離れてください。いつ克明様が目を覚ますか分からないので 真衣:……! 麻衣子:さようなら : :克明を膝枕している麻衣子 克明:……う、うぅ… 麻衣子:あなた 克明:…う…体が… 麻衣子:ごめんなさい、あなた。嘘偽りなく、あなたに愛を誓ったのに。私が傷つけてしまったから 克明:…ま、いこ…? 麻衣子:病める時も健やかなる時も、灰原克明に永遠の愛を誓います。そう誓ったのに、とても後悔しています 克明:麻衣子… 麻衣子:あなた。全部、私が悪かったの。本当にごめんなさい 克明:な、にを…する気だ…、くそ、体が動かない… 麻衣子:(優しく)あなた、愛しています。私はもうあなたから離れません 克明:…ま…麻、衣子…? 麻衣子:はい 克明:麻衣子、なのか 麻衣子:ええ 克明:…麻衣子…! 麻衣子:あなた。ごめんなさいね。全部、全部私が悪かったの 克明:麻衣子!(すがりつく) 麻衣子:…一緒にいきましょう。もう、お傍を離れませんから(しっかりと抱き留める) : 真衣:『足元をふらつかせながら屋敷の中を通り抜け、最低限の荷物だけを掴んで車に乗り込んだ』 真衣:『屋敷からしばらく離れた頃、地響きのような音が聞こえた気がした。車を停めて振り返ると、林の向こうから白い煙が上がっていた』 : 真衣:『翌日、山奥の一軒家がガス爆発を起こし、一人が亡くなったと報じられていたが、それは新聞の隅の、小さな見落としそうな記事でしか無かった』 真衣:『わずか十日ほどの出来事で、長い夢を見ていたような気持ちだった。ただ、手元にあるハードとマイクロチップが現実であったことを否が応でも思い知らせてくる』 真衣:『私はホームセンターで小さな金槌を購入し、河原へ向かった。手頃な石の上にそれらを並べ、強く目を閉じる』 : 真衣:…さようなら、麻衣子さん : 真衣:『そして、金槌を振り下ろした』 : :終