台本概要
162 views
タイトル | 雨の中 |
---|---|
作者名 | Danzig |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 1人用台本(不問1) |
時間 | 10 分 |
台本使用規定 | 商用、非商用問わず連絡不要 |
説明 |
雨の中で思い出す、過去の記憶。 朗読用として書いた作品です。 登場人物は複数いますが、セリフに配役名は振っておりません。 162 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
語り | 不問 | - |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:
0:雨・・・
0:
0:しとしとと雨がふる
0:特に激しい雨ではないが、朝から続く雨
0:
0:季節の変わり目には、よく雨がふるという
0:この雨が過ぎていけば、暑い夏がやってくるのだろうか・・・
0:
0:こんな雨を見ていると、何故か思い出す。
0:あの春の終わりの日の事を
0:
0:その日、僕は雨の中、傘をさして歩いていた。
0:少し離れた雑貨屋まで、日用品を買いに
0:雨の中、買い物に行くのは億劫(おっくう)ではあったが、
0:残念ながら、今日は日曜日、
0:明日からまた忙しい日々が始まる僕には、今日くらいしか時間がなかった。
0:
0:くすんだ気持ちで道を歩いていると、突然、僕は、横から声を掛けられた。
0:
0:「あの、すみません」
0:
0:僕に声を掛けて来た人物は、小柄で腰の曲がった女性だった。
0:その女性は、軒下で雨を避けながら、何やら困っている様子だった。
0:
0:「はい、どうかしましたか?」
0:
0:「申し訳ありません、真田病院はどこかご存じですか?」
0:
0:「真田病院ですか?」
0:
0:見ると、女性は複数の荷物も持っていた。
0:お見舞いだろうか・・・
0:
0:「いえ、真田病院という名前は聞いたことないですね」
0:
0:「そうですか・・・」
0:
0:女性はかなり落胆した様子だった。
0:僕は少し心配になり
0:
0:「何かあったのですか?」
0:と女性に聞き返した
0:
0:「実は、真田病院に行こうと思っているのですが、場所が分からなくなってしまいまして・・・
0:病院へ電話をして場所を聞いたのですが、それでもよく分からないのです」
0:
0:女性は、石塚という駅で降りて、ここまで歩いて来たが、目的の病院が見当たらずに落胆していたという。
0:今日は、休日で、しかも雨の為、人通りも少なく、なんとも困り果てていたところに、僕が通りがかったという事だった。
0:
0:「そうですか・・・何かメモのようなものはお持ちですか?」
0:
0:「はい、これなのですが・・・」
0:
0:女性は申し訳なさそうに僕にメモを渡した。
0:それには、病院の住所と電話番号、そして、病院に辿り着くまでの、簡単な道しるべのようなものが書かれていた。
0:だが、女性が何度も雨の中で見直していたのだろう、そのメモは雫に濡れて、多くの文字が滲(にじ)んでしまっていた。
0:これだけでも女性の落胆ぶりが伺える。
0:
0:だが、滲んでいながらも、何とか電話番号だけは読める。
0:僕は近くの公衆電話で病院に電話をかけて、場所と簡単な行き方を聞いた。
0:
0:病院の説明によると、真田病院の場所は、石塚駅ではなく、石巻駅だった。
0:石塚駅と石巻駅は隣の駅
0:恐らく女性は、一つ前の駅で降りてしまったようだった。
0:
0:「どうやら、真田病院というのは、となりの駅のようですよ」
0:
0:僕は、電話での内容を女性に伝えた。
0:
0:「そうだったのですか・・・」
0:
0:女性が益々落胆したのが分かる。
0:
0:「どうしますか? もう一度、石塚駅にもどって・・」
0:
0:「いえ、もうこのまま、石巻駅まで歩く事にします
0:わざわざ聞いて下さり、ありがとうございました」
0:
0:女性はそう言って荷物を持ち上げた
0:
0:「ちょっと待ってください」
0:
0:今、女性と僕のいる場所は、石塚駅から石巻駅へ向かって少し歩いた場所。
0:ここから石塚駅に戻るよりも、石巻駅へ歩くという選択は、あっていいと思う。
0:また、雨ではあるが、初老の女性でも歩けない距離ではない。
0:
0:しかし、女性のメモはもう読めるような代物ではない。
0:そして僕は、病院への行き方を知っている。
0:そしておそらく、女性に病院の場所を伝えたとしても、メモ無しで辿り着けるとは思えない。
0:僕も女性も書くものを持っていない
0:
0:「一緒に行きましょう」
0:
0:僕は女性にそう言った
0:
0:「それは、申し訳ない事です」
0:
0:「僕の事なら、心配しないで下さい。
0:それに、お婆さんは病院の場所が分からないでしょ?
0:僕は電話で聞いて知っています。
0:ですから、一緒に行きましょう」
0:
0:「そうですか・・・それでは、お世話になります」
0:
0:そして、僕と女性は真田病院へ向けて歩き出した。
0:
0:「荷物を一つお持ちしますよ」
0:
0:「いえいえ、いけません、そんな事は」
0:
0:「僕は手ぶらですから、一つ持たせてください。
0:それに、このままだと、ますます荷物が濡れてしまいますよ」
0:
0:女性は一息考えてから
0:
0:「そうですか、それではお願いいたします」
0:
0:そう言って、女性は僕に荷物を持たせてくれた
0:そして、また二人は歩き始める
0:
0:しとしとと降る雨は止む気配がない
0:
0:「本当に申し訳ない、ありがとうございます」
0:
0:女性は一息つく度に、僕にお礼をいう
0:僕はそれを忍びなく感じていた
0:
0:「真田病院へは、どなたかのお見舞いに行かれるのですか?」
0:
0:何気ない一言だった。
0:忍びなさに、何か話題を変えようとしただけの言葉だった
0:
0:「そうです、友達のお見舞いに」
0:
0:「お友達ですか」
0:
0:「ええ、さっちゃんとは、もう50年来の付き合いでしょうか」
0:
0:「50年ですか」
0:
0:「ええ、そうなんです」
0:
0:そういうと、女性は少しずつ自分の事を話し始めた
0:時折、雨の音でかき消されてしまうようなくらいの声で
0:
0:「私は信州の片田舎に住んでおったのですが、戦争に夫を取られてしまいまして、
0:結婚して直ぐでしたので、子供もいなかったものですから、独り身となってしまいました。」
0:
0:「夫が田畑を持っておったのですが、女一人では何ともならんだろうと言われて、本家に買い取りという形で取られてしまったんですよ。
0:でも、本当に私一人では、何ともなりませんでしたから、仕方のない事だったんです」
0:
0:雨の中で、女性は歩きながら話を続けた
0:
0:「買い取りの時に、お金を頂いたのですが、それと同時に奉公先を紹介されましてね、
0:それで、この土地に出てきたんですよ」
0:
0:「そうだったんですか」
0:
0:「ええ、
0:そこの旦那様が、奥様を娶(めと)られたというので、女中として家の中の仕事と、奥様のお世話をして欲しいという事でした。
0:そこで一緒に働いていたのが、さっちゃんなんですよ」
0:
0:「さっちゃん」は、幸枝(さちえ)さんと言うらしい。
0:幸枝さんも田舎から出てきた独り身で、歳も近かった事もあり、とても仲良くしていたという事だった。
0:
0:「旦那様はお優しい方だったんですが、奥様にはよくいびられました。
0:でも、奥様には悪気はなかったんですよ。
0:世間知らずな方でしてね、無邪気な方でした。
0:それだから、酷い事をされたり、心無い言葉を言われたりね」
0:
0:「それは大変でしたね」
0:
0:「いえいえ、
0:そりゃ私もさっちゃんも、よく泣いてましたよ。
0:でも、そんな事は、私達の時代では、大した事ではないんですよ。
0:旦那様のご厚意で、私もさっちゃんも、小さいですが、敷地の中の離(はな)れをあてがって頂きましてね。
0:それだけでも、幸せな方なのではないですかね」
0:
0:雨はまだ降り続いている
0:ふと横を見ると、女性は足元を見ながら歩いていた。
0:女性の横顔には、苦労を現したような沢山のしわがあった。
0:
0:「時折、奥様がお菓子を頂くと、一緒に食べようと言って下さいましてね
0:さっちゃんと三人で、よくお茶を飲みました。
0:奥様は本当に無邪気な方で、良く笑う可愛らしい方なんです」
0:
0:「何度か、私にもさっちゃんにも縁談の話がありましたが、
0:奥様が私達を離してくれませんでしたので、いつも破談になっていたんですよ。
0:そういう所は、困った方でしたね」
0:
0:
0:僕には言葉がなかった
0:雨の中、歩きながら、ただ女性の話を聞いていた。
0:
0:
0:「年を取って、お暇を頂いてからも、離れにそのまま住んでもいいと、旦那様が言って下さいましてね。
0:今でも、そこに住まわせて頂いているんですよ」
0:
0:「そうですか、それは良かったですね」
0:
0:「ええ、
0:有難い話です。
0:旦那様はもう亡くなられてしまいましたが、奥様はまだご健在でしてね、
0:時折、お手伝いを仰せつかったりするんですよ。
0:年寄りのいい暇つぶしになります。
0:奥様は、いつまで経っても無邪気な方で、本当に羨ましい」
0:
0:女性の話を聞きながら
0:私が少し苦笑いをした時
0:
0:「今日も私がさっちゃんのお見舞いに行くと言ったら、大そうなお菓子を用意して下さいましてね、
0:どうせこれが最後だろうから持って行きなさいって」
0:
0:「え?」
0:僕は女性の言った最後の言葉が引っ掛かった
0:
0:「ええ、そうなんですよ。
0:さっちゃんは、肺を病(や)んでましてね、もう長くは無さそうなんです」
0:
0:「そうですか・・・」
0:雨の中で僕は呟(つぶや)くようにそう言った
0:その言葉しか出て来なかった
0:
0:「私もね、さっちゃんと会えるのは、もうこれが最後だろうと思っているんですよ。
0:私にはさっちゃんしか友達が居ませんので、寂しくなります」
0:
0:足元を見つめる女性の横顔が少し悲し気に見えた
0:雨の中、女性の心情を思い量り僕は戸惑っていた
0:そんな僕の戸惑いに気づいたのか、女性が口調を変えて言った
0:
0:「すみませんでした、こんな話を聞かせてしまって、
0:詰まらなかったでしょ」
0:
0:女性が僕の顔を見ながら言う
0:しわの多い女性の顔に、少しの戸惑いを重ねながら。
0:
0:「さっちゃんの事があって、いろいろ思い出してしまいました」
0:ごめんなさいね」
0:
0:「いえ、そんな事はありませんよ」
0:
0:女性の言葉に、そう返してはみたが、
0:それから、女性は黙って歩いた。
0:僕も女性にかける言葉を見つけられず、黙って歩くほかはなかった。
0:
0:そして、沈黙の時間が少し流れた頃、僕達は真田病院に着いた。
0:
0:病院の玄関先で、女性は僕に何度も丁寧に頭を下げて、お礼を言った後、
0:病室のある棟(むね)へと歩き始めた
0:
0:病棟へ向かう彼女の横顔には、古い友人との再会に向けた、とても美しい笑みがあった
0:これが最後になるだろう対面に、あれほど美しい笑顔が出来るものなのだろうか
0:
0:そう思うと同時に、僕の中に湧き上がる想いがあった
0:彼女の話を聞いて、少しでも可哀想だと思った自分は、どれほど浅はかで、どれほど高慢(こうまん)で、愚(おろ)かだったろうか。
0:僕は彼女の何を知ったというのか、
0:人の幸せを、自分に推し量れるとでも思っていたのだろうか。
0:
0:
0:帰りの道を辿(たど)る雨の中、彼女の笑顔と苦い想いが何度も胸の中を駆け巡った。
0:その時から、僕の記憶の中には、雨と共に彼女がいる。
0:
0:もうどれだけ経ったのだろうか
0:
0:そして今日も思い出す
0:雨の中で僕は
0:
0:
0:雨・・・
0:
0:しとしとと雨がふる
0:特に激しい雨ではないが、朝から続く雨
0:
0:季節の変わり目には、よく雨がふるという
0:この雨が過ぎていけば、暑い夏がやってくるのだろうか・・・
0:
0:こんな雨を見ていると、何故か思い出す。
0:あの春の終わりの日の事を
0:
0:その日、僕は雨の中、傘をさして歩いていた。
0:少し離れた雑貨屋まで、日用品を買いに
0:雨の中、買い物に行くのは億劫(おっくう)ではあったが、
0:残念ながら、今日は日曜日、
0:明日からまた忙しい日々が始まる僕には、今日くらいしか時間がなかった。
0:
0:くすんだ気持ちで道を歩いていると、突然、僕は、横から声を掛けられた。
0:
0:「あの、すみません」
0:
0:僕に声を掛けて来た人物は、小柄で腰の曲がった女性だった。
0:その女性は、軒下で雨を避けながら、何やら困っている様子だった。
0:
0:「はい、どうかしましたか?」
0:
0:「申し訳ありません、真田病院はどこかご存じですか?」
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0:「真田病院ですか?」
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0:見ると、女性は複数の荷物も持っていた。
0:お見舞いだろうか・・・
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0:「いえ、真田病院という名前は聞いたことないですね」
0:
0:「そうですか・・・」
0:
0:女性はかなり落胆した様子だった。
0:僕は少し心配になり
0:
0:「何かあったのですか?」
0:と女性に聞き返した
0:
0:「実は、真田病院に行こうと思っているのですが、場所が分からなくなってしまいまして・・・
0:病院へ電話をして場所を聞いたのですが、それでもよく分からないのです」
0:
0:女性は、石塚という駅で降りて、ここまで歩いて来たが、目的の病院が見当たらずに落胆していたという。
0:今日は、休日で、しかも雨の為、人通りも少なく、なんとも困り果てていたところに、僕が通りがかったという事だった。
0:
0:「そうですか・・・何かメモのようなものはお持ちですか?」
0:
0:「はい、これなのですが・・・」
0:
0:女性は申し訳なさそうに僕にメモを渡した。
0:それには、病院の住所と電話番号、そして、病院に辿り着くまでの、簡単な道しるべのようなものが書かれていた。
0:だが、女性が何度も雨の中で見直していたのだろう、そのメモは雫に濡れて、多くの文字が滲(にじ)んでしまっていた。
0:これだけでも女性の落胆ぶりが伺える。
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0:だが、滲んでいながらも、何とか電話番号だけは読める。
0:僕は近くの公衆電話で病院に電話をかけて、場所と簡単な行き方を聞いた。
0:
0:病院の説明によると、真田病院の場所は、石塚駅ではなく、石巻駅だった。
0:石塚駅と石巻駅は隣の駅
0:恐らく女性は、一つ前の駅で降りてしまったようだった。
0:
0:「どうやら、真田病院というのは、となりの駅のようですよ」
0:
0:僕は、電話での内容を女性に伝えた。
0:
0:「そうだったのですか・・・」
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0:女性が益々落胆したのが分かる。
0:
0:「どうしますか? もう一度、石塚駅にもどって・・」
0:
0:「いえ、もうこのまま、石巻駅まで歩く事にします
0:わざわざ聞いて下さり、ありがとうございました」
0:
0:女性はそう言って荷物を持ち上げた
0:
0:「ちょっと待ってください」
0:
0:今、女性と僕のいる場所は、石塚駅から石巻駅へ向かって少し歩いた場所。
0:ここから石塚駅に戻るよりも、石巻駅へ歩くという選択は、あっていいと思う。
0:また、雨ではあるが、初老の女性でも歩けない距離ではない。
0:
0:しかし、女性のメモはもう読めるような代物ではない。
0:そして僕は、病院への行き方を知っている。
0:そしておそらく、女性に病院の場所を伝えたとしても、メモ無しで辿り着けるとは思えない。
0:僕も女性も書くものを持っていない
0:
0:「一緒に行きましょう」
0:
0:僕は女性にそう言った
0:
0:「それは、申し訳ない事です」
0:
0:「僕の事なら、心配しないで下さい。
0:それに、お婆さんは病院の場所が分からないでしょ?
0:僕は電話で聞いて知っています。
0:ですから、一緒に行きましょう」
0:
0:「そうですか・・・それでは、お世話になります」
0:
0:そして、僕と女性は真田病院へ向けて歩き出した。
0:
0:「荷物を一つお持ちしますよ」
0:
0:「いえいえ、いけません、そんな事は」
0:
0:「僕は手ぶらですから、一つ持たせてください。
0:それに、このままだと、ますます荷物が濡れてしまいますよ」
0:
0:女性は一息考えてから
0:
0:「そうですか、それではお願いいたします」
0:
0:そう言って、女性は僕に荷物を持たせてくれた
0:そして、また二人は歩き始める
0:
0:しとしとと降る雨は止む気配がない
0:
0:「本当に申し訳ない、ありがとうございます」
0:
0:女性は一息つく度に、僕にお礼をいう
0:僕はそれを忍びなく感じていた
0:
0:「真田病院へは、どなたかのお見舞いに行かれるのですか?」
0:
0:何気ない一言だった。
0:忍びなさに、何か話題を変えようとしただけの言葉だった
0:
0:「そうです、友達のお見舞いに」
0:
0:「お友達ですか」
0:
0:「ええ、さっちゃんとは、もう50年来の付き合いでしょうか」
0:
0:「50年ですか」
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0:「ええ、そうなんです」
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0:そういうと、女性は少しずつ自分の事を話し始めた
0:時折、雨の音でかき消されてしまうようなくらいの声で
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0:「私は信州の片田舎に住んでおったのですが、戦争に夫を取られてしまいまして、
0:結婚して直ぐでしたので、子供もいなかったものですから、独り身となってしまいました。」
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0:「夫が田畑を持っておったのですが、女一人では何ともならんだろうと言われて、本家に買い取りという形で取られてしまったんですよ。
0:でも、本当に私一人では、何ともなりませんでしたから、仕方のない事だったんです」
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0:雨の中で、女性は歩きながら話を続けた
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0:「買い取りの時に、お金を頂いたのですが、それと同時に奉公先を紹介されましてね、
0:それで、この土地に出てきたんですよ」
0:
0:「そうだったんですか」
0:
0:「ええ、
0:そこの旦那様が、奥様を娶(めと)られたというので、女中として家の中の仕事と、奥様のお世話をして欲しいという事でした。
0:そこで一緒に働いていたのが、さっちゃんなんですよ」
0:
0:「さっちゃん」は、幸枝(さちえ)さんと言うらしい。
0:幸枝さんも田舎から出てきた独り身で、歳も近かった事もあり、とても仲良くしていたという事だった。
0:
0:「旦那様はお優しい方だったんですが、奥様にはよくいびられました。
0:でも、奥様には悪気はなかったんですよ。
0:世間知らずな方でしてね、無邪気な方でした。
0:それだから、酷い事をされたり、心無い言葉を言われたりね」
0:
0:「それは大変でしたね」
0:
0:「いえいえ、
0:そりゃ私もさっちゃんも、よく泣いてましたよ。
0:でも、そんな事は、私達の時代では、大した事ではないんですよ。
0:旦那様のご厚意で、私もさっちゃんも、小さいですが、敷地の中の離(はな)れをあてがって頂きましてね。
0:それだけでも、幸せな方なのではないですかね」
0:
0:雨はまだ降り続いている
0:ふと横を見ると、女性は足元を見ながら歩いていた。
0:女性の横顔には、苦労を現したような沢山のしわがあった。
0:
0:「時折、奥様がお菓子を頂くと、一緒に食べようと言って下さいましてね
0:さっちゃんと三人で、よくお茶を飲みました。
0:奥様は本当に無邪気な方で、良く笑う可愛らしい方なんです」
0:
0:「何度か、私にもさっちゃんにも縁談の話がありましたが、
0:奥様が私達を離してくれませんでしたので、いつも破談になっていたんですよ。
0:そういう所は、困った方でしたね」
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0:僕には言葉がなかった
0:雨の中、歩きながら、ただ女性の話を聞いていた。
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0:「年を取って、お暇を頂いてからも、離れにそのまま住んでもいいと、旦那様が言って下さいましてね。
0:今でも、そこに住まわせて頂いているんですよ」
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0:「そうですか、それは良かったですね」
0:
0:「ええ、
0:有難い話です。
0:旦那様はもう亡くなられてしまいましたが、奥様はまだご健在でしてね、
0:時折、お手伝いを仰せつかったりするんですよ。
0:年寄りのいい暇つぶしになります。
0:奥様は、いつまで経っても無邪気な方で、本当に羨ましい」
0:
0:女性の話を聞きながら
0:私が少し苦笑いをした時
0:
0:「今日も私がさっちゃんのお見舞いに行くと言ったら、大そうなお菓子を用意して下さいましてね、
0:どうせこれが最後だろうから持って行きなさいって」
0:
0:「え?」
0:僕は女性の言った最後の言葉が引っ掛かった
0:
0:「ええ、そうなんですよ。
0:さっちゃんは、肺を病(や)んでましてね、もう長くは無さそうなんです」
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0:「そうですか・・・」
0:雨の中で僕は呟(つぶや)くようにそう言った
0:その言葉しか出て来なかった
0:
0:「私もね、さっちゃんと会えるのは、もうこれが最後だろうと思っているんですよ。
0:私にはさっちゃんしか友達が居ませんので、寂しくなります」
0:
0:足元を見つめる女性の横顔が少し悲し気に見えた
0:雨の中、女性の心情を思い量り僕は戸惑っていた
0:そんな僕の戸惑いに気づいたのか、女性が口調を変えて言った
0:
0:「すみませんでした、こんな話を聞かせてしまって、
0:詰まらなかったでしょ」
0:
0:女性が僕の顔を見ながら言う
0:しわの多い女性の顔に、少しの戸惑いを重ねながら。
0:
0:「さっちゃんの事があって、いろいろ思い出してしまいました」
0:ごめんなさいね」
0:
0:「いえ、そんな事はありませんよ」
0:
0:女性の言葉に、そう返してはみたが、
0:それから、女性は黙って歩いた。
0:僕も女性にかける言葉を見つけられず、黙って歩くほかはなかった。
0:
0:そして、沈黙の時間が少し流れた頃、僕達は真田病院に着いた。
0:
0:病院の玄関先で、女性は僕に何度も丁寧に頭を下げて、お礼を言った後、
0:病室のある棟(むね)へと歩き始めた
0:
0:病棟へ向かう彼女の横顔には、古い友人との再会に向けた、とても美しい笑みがあった
0:これが最後になるだろう対面に、あれほど美しい笑顔が出来るものなのだろうか
0:
0:そう思うと同時に、僕の中に湧き上がる想いがあった
0:彼女の話を聞いて、少しでも可哀想だと思った自分は、どれほど浅はかで、どれほど高慢(こうまん)で、愚(おろ)かだったろうか。
0:僕は彼女の何を知ったというのか、
0:人の幸せを、自分に推し量れるとでも思っていたのだろうか。
0:
0:
0:帰りの道を辿(たど)る雨の中、彼女の笑顔と苦い想いが何度も胸の中を駆け巡った。
0:その時から、僕の記憶の中には、雨と共に彼女がいる。
0:
0:もうどれだけ経ったのだろうか
0:
0:そして今日も思い出す
0:雨の中で僕は
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