台本概要

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タイトル 雨の中
作者名 Danzig
ジャンル その他
演者人数 1人用台本(不問1)
時間 10 分
台本使用規定 商用、非商用問わず連絡不要
説明 雨の中で思い出す、過去の記憶。

朗読用として書いた作品です。
登場人物は複数いますが、セリフに配役名は振っておりません。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
語り 不問 -
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
0: 0:雨・・・ 0: 0:しとしとと雨がふる 0:特に激しい雨ではないが、朝から続く雨 0: 0:季節の変わり目には、よく雨がふるという 0:この雨が過ぎていけば、暑い夏がやってくるのだろうか・・・ 0: 0:こんな雨を見ていると、何故か思い出す。 0:あの春の終わりの日の事を 0: 0:その日、僕は雨の中、傘をさして歩いていた。 0:少し離れた雑貨屋まで、日用品を買いに 0:雨の中、買い物に行くのは億劫(おっくう)ではあったが、 0:残念ながら、今日は日曜日、 0:明日からまた忙しい日々が始まる僕には、今日くらいしか時間がなかった。 0: 0:くすんだ気持ちで道を歩いていると、突然、僕は、横から声を掛けられた。 0: 0:「あの、すみません」 0: 0:僕に声を掛けて来た人物は、小柄で腰の曲がった女性だった。 0:その女性は、軒下で雨を避けながら、何やら困っている様子だった。 0: 0:「はい、どうかしましたか?」 0: 0:「申し訳ありません、真田病院はどこかご存じですか?」 0: 0:「真田病院ですか?」 0: 0:見ると、女性は複数の荷物も持っていた。 0:お見舞いだろうか・・・ 0: 0:「いえ、真田病院という名前は聞いたことないですね」 0: 0:「そうですか・・・」 0: 0:女性はかなり落胆した様子だった。 0:僕は少し心配になり 0: 0:「何かあったのですか?」 0:と女性に聞き返した 0: 0:「実は、真田病院に行こうと思っているのですが、場所が分からなくなってしまいまして・・・ 0:病院へ電話をして場所を聞いたのですが、それでもよく分からないのです」 0: 0:女性は、石塚という駅で降りて、ここまで歩いて来たが、目的の病院が見当たらずに落胆していたという。 0:今日は、休日で、しかも雨の為、人通りも少なく、なんとも困り果てていたところに、僕が通りがかったという事だった。 0: 0:「そうですか・・・何かメモのようなものはお持ちですか?」 0: 0:「はい、これなのですが・・・」 0: 0:女性は申し訳なさそうに僕にメモを渡した。 0:それには、病院の住所と電話番号、そして、病院に辿り着くまでの、簡単な道しるべのようなものが書かれていた。 0:だが、女性が何度も雨の中で見直していたのだろう、そのメモは雫に濡れて、多くの文字が滲(にじ)んでしまっていた。 0:これだけでも女性の落胆ぶりが伺える。 0: 0:だが、滲んでいながらも、何とか電話番号だけは読める。 0:僕は近くの公衆電話で病院に電話をかけて、場所と簡単な行き方を聞いた。 0: 0:病院の説明によると、真田病院の場所は、石塚駅ではなく、石巻駅だった。 0:石塚駅と石巻駅は隣の駅 0:恐らく女性は、一つ前の駅で降りてしまったようだった。 0: 0:「どうやら、真田病院というのは、となりの駅のようですよ」 0: 0:僕は、電話での内容を女性に伝えた。 0: 0:「そうだったのですか・・・」 0: 0:女性が益々落胆したのが分かる。 0: 0:「どうしますか? もう一度、石塚駅にもどって・・」 0: 0:「いえ、もうこのまま、石巻駅まで歩く事にします 0:わざわざ聞いて下さり、ありがとうございました」 0: 0:女性はそう言って荷物を持ち上げた 0: 0:「ちょっと待ってください」 0: 0:今、女性と僕のいる場所は、石塚駅から石巻駅へ向かって少し歩いた場所。 0:ここから石塚駅に戻るよりも、石巻駅へ歩くという選択は、あっていいと思う。 0:また、雨ではあるが、初老の女性でも歩けない距離ではない。 0: 0:しかし、女性のメモはもう読めるような代物ではない。 0:そして僕は、病院への行き方を知っている。 0:そしておそらく、女性に病院の場所を伝えたとしても、メモ無しで辿り着けるとは思えない。 0:僕も女性も書くものを持っていない 0: 0:「一緒に行きましょう」 0: 0:僕は女性にそう言った 0: 0:「それは、申し訳ない事です」 0: 0:「僕の事なら、心配しないで下さい。 0:それに、お婆さんは病院の場所が分からないでしょ? 0:僕は電話で聞いて知っています。 0:ですから、一緒に行きましょう」 0: 0:「そうですか・・・それでは、お世話になります」 0: 0:そして、僕と女性は真田病院へ向けて歩き出した。 0: 0:「荷物を一つお持ちしますよ」 0: 0:「いえいえ、いけません、そんな事は」 0: 0:「僕は手ぶらですから、一つ持たせてください。 0:それに、このままだと、ますます荷物が濡れてしまいますよ」 0: 0:女性は一息考えてから 0: 0:「そうですか、それではお願いいたします」 0: 0:そう言って、女性は僕に荷物を持たせてくれた 0:そして、また二人は歩き始める 0: 0:しとしとと降る雨は止む気配がない 0: 0:「本当に申し訳ない、ありがとうございます」 0: 0:女性は一息つく度に、僕にお礼をいう 0:僕はそれを忍びなく感じていた 0: 0:「真田病院へは、どなたかのお見舞いに行かれるのですか?」 0: 0:何気ない一言だった。 0:忍びなさに、何か話題を変えようとしただけの言葉だった 0: 0:「そうです、友達のお見舞いに」 0: 0:「お友達ですか」 0: 0:「ええ、さっちゃんとは、もう50年来の付き合いでしょうか」 0: 0:「50年ですか」 0: 0:「ええ、そうなんです」 0: 0:そういうと、女性は少しずつ自分の事を話し始めた 0:時折、雨の音でかき消されてしまうようなくらいの声で 0: 0:「私は信州の片田舎に住んでおったのですが、戦争に夫を取られてしまいまして、 0:結婚して直ぐでしたので、子供もいなかったものですから、独り身となってしまいました。」 0: 0:「夫が田畑を持っておったのですが、女一人では何ともならんだろうと言われて、本家に買い取りという形で取られてしまったんですよ。 0:でも、本当に私一人では、何ともなりませんでしたから、仕方のない事だったんです」 0: 0:雨の中で、女性は歩きながら話を続けた 0: 0:「買い取りの時に、お金を頂いたのですが、それと同時に奉公先を紹介されましてね、 0:それで、この土地に出てきたんですよ」 0: 0:「そうだったんですか」 0: 0:「ええ、 0:そこの旦那様が、奥様を娶(めと)られたというので、女中として家の中の仕事と、奥様のお世話をして欲しいという事でした。 0:そこで一緒に働いていたのが、さっちゃんなんですよ」 0: 0:「さっちゃん」は、幸枝(さちえ)さんと言うらしい。 0:幸枝さんも田舎から出てきた独り身で、歳も近かった事もあり、とても仲良くしていたという事だった。 0: 0:「旦那様はお優しい方だったんですが、奥様にはよくいびられました。 0:でも、奥様には悪気はなかったんですよ。 0:世間知らずな方でしてね、無邪気な方でした。 0:それだから、酷い事をされたり、心無い言葉を言われたりね」 0: 0:「それは大変でしたね」 0: 0:「いえいえ、 0:そりゃ私もさっちゃんも、よく泣いてましたよ。 0:でも、そんな事は、私達の時代では、大した事ではないんですよ。 0:旦那様のご厚意で、私もさっちゃんも、小さいですが、敷地の中の離(はな)れをあてがって頂きましてね。 0:それだけでも、幸せな方なのではないですかね」 0: 0:雨はまだ降り続いている 0:ふと横を見ると、女性は足元を見ながら歩いていた。 0:女性の横顔には、苦労を現したような沢山のしわがあった。 0: 0:「時折、奥様がお菓子を頂くと、一緒に食べようと言って下さいましてね 0:さっちゃんと三人で、よくお茶を飲みました。 0:奥様は本当に無邪気な方で、良く笑う可愛らしい方なんです」 0: 0:「何度か、私にもさっちゃんにも縁談の話がありましたが、 0:奥様が私達を離してくれませんでしたので、いつも破談になっていたんですよ。 0:そういう所は、困った方でしたね」 0: 0: 0:僕には言葉がなかった 0:雨の中、歩きながら、ただ女性の話を聞いていた。 0: 0: 0:「年を取って、お暇を頂いてからも、離れにそのまま住んでもいいと、旦那様が言って下さいましてね。 0:今でも、そこに住まわせて頂いているんですよ」 0: 0:「そうですか、それは良かったですね」 0: 0:「ええ、 0:有難い話です。 0:旦那様はもう亡くなられてしまいましたが、奥様はまだご健在でしてね、 0:時折、お手伝いを仰せつかったりするんですよ。 0:年寄りのいい暇つぶしになります。 0:奥様は、いつまで経っても無邪気な方で、本当に羨ましい」 0: 0:女性の話を聞きながら 0:私が少し苦笑いをした時 0: 0:「今日も私がさっちゃんのお見舞いに行くと言ったら、大そうなお菓子を用意して下さいましてね、 0:どうせこれが最後だろうから持って行きなさいって」 0: 0:「え?」 0:僕は女性の言った最後の言葉が引っ掛かった 0: 0:「ええ、そうなんですよ。 0:さっちゃんは、肺を病(や)んでましてね、もう長くは無さそうなんです」 0: 0:「そうですか・・・」 0:雨の中で僕は呟(つぶや)くようにそう言った 0:その言葉しか出て来なかった 0: 0:「私もね、さっちゃんと会えるのは、もうこれが最後だろうと思っているんですよ。 0:私にはさっちゃんしか友達が居ませんので、寂しくなります」 0: 0:足元を見つめる女性の横顔が少し悲し気に見えた 0:雨の中、女性の心情を思い量り僕は戸惑っていた 0:そんな僕の戸惑いに気づいたのか、女性が口調を変えて言った 0: 0:「すみませんでした、こんな話を聞かせてしまって、 0:詰まらなかったでしょ」 0: 0:女性が僕の顔を見ながら言う 0:しわの多い女性の顔に、少しの戸惑いを重ねながら。 0: 0:「さっちゃんの事があって、いろいろ思い出してしまいました」 0:ごめんなさいね」 0: 0:「いえ、そんな事はありませんよ」 0: 0:女性の言葉に、そう返してはみたが、 0:それから、女性は黙って歩いた。 0:僕も女性にかける言葉を見つけられず、黙って歩くほかはなかった。 0: 0:そして、沈黙の時間が少し流れた頃、僕達は真田病院に着いた。 0: 0:病院の玄関先で、女性は僕に何度も丁寧に頭を下げて、お礼を言った後、 0:病室のある棟(むね)へと歩き始めた 0: 0:病棟へ向かう彼女の横顔には、古い友人との再会に向けた、とても美しい笑みがあった 0:これが最後になるだろう対面に、あれほど美しい笑顔が出来るものなのだろうか 0: 0:そう思うと同時に、僕の中に湧き上がる想いがあった 0:彼女の話を聞いて、少しでも可哀想だと思った自分は、どれほど浅はかで、どれほど高慢(こうまん)で、愚(おろ)かだったろうか。 0:僕は彼女の何を知ったというのか、 0:人の幸せを、自分に推し量れるとでも思っていたのだろうか。 0: 0: 0:帰りの道を辿(たど)る雨の中、彼女の笑顔と苦い想いが何度も胸の中を駆け巡った。 0:その時から、僕の記憶の中には、雨と共に彼女がいる。 0: 0:もうどれだけ経ったのだろうか 0: 0:そして今日も思い出す 0:雨の中で僕は 0:

0: 0:雨・・・ 0: 0:しとしとと雨がふる 0:特に激しい雨ではないが、朝から続く雨 0: 0:季節の変わり目には、よく雨がふるという 0:この雨が過ぎていけば、暑い夏がやってくるのだろうか・・・ 0: 0:こんな雨を見ていると、何故か思い出す。 0:あの春の終わりの日の事を 0: 0:その日、僕は雨の中、傘をさして歩いていた。 0:少し離れた雑貨屋まで、日用品を買いに 0:雨の中、買い物に行くのは億劫(おっくう)ではあったが、 0:残念ながら、今日は日曜日、 0:明日からまた忙しい日々が始まる僕には、今日くらいしか時間がなかった。 0: 0:くすんだ気持ちで道を歩いていると、突然、僕は、横から声を掛けられた。 0: 0:「あの、すみません」 0: 0:僕に声を掛けて来た人物は、小柄で腰の曲がった女性だった。 0:その女性は、軒下で雨を避けながら、何やら困っている様子だった。 0: 0:「はい、どうかしましたか?」 0: 0:「申し訳ありません、真田病院はどこかご存じですか?」 0: 0:「真田病院ですか?」 0: 0:見ると、女性は複数の荷物も持っていた。 0:お見舞いだろうか・・・ 0: 0:「いえ、真田病院という名前は聞いたことないですね」 0: 0:「そうですか・・・」 0: 0:女性はかなり落胆した様子だった。 0:僕は少し心配になり 0: 0:「何かあったのですか?」 0:と女性に聞き返した 0: 0:「実は、真田病院に行こうと思っているのですが、場所が分からなくなってしまいまして・・・ 0:病院へ電話をして場所を聞いたのですが、それでもよく分からないのです」 0: 0:女性は、石塚という駅で降りて、ここまで歩いて来たが、目的の病院が見当たらずに落胆していたという。 0:今日は、休日で、しかも雨の為、人通りも少なく、なんとも困り果てていたところに、僕が通りがかったという事だった。 0: 0:「そうですか・・・何かメモのようなものはお持ちですか?」 0: 0:「はい、これなのですが・・・」 0: 0:女性は申し訳なさそうに僕にメモを渡した。 0:それには、病院の住所と電話番号、そして、病院に辿り着くまでの、簡単な道しるべのようなものが書かれていた。 0:だが、女性が何度も雨の中で見直していたのだろう、そのメモは雫に濡れて、多くの文字が滲(にじ)んでしまっていた。 0:これだけでも女性の落胆ぶりが伺える。 0: 0:だが、滲んでいながらも、何とか電話番号だけは読める。 0:僕は近くの公衆電話で病院に電話をかけて、場所と簡単な行き方を聞いた。 0: 0:病院の説明によると、真田病院の場所は、石塚駅ではなく、石巻駅だった。 0:石塚駅と石巻駅は隣の駅 0:恐らく女性は、一つ前の駅で降りてしまったようだった。 0: 0:「どうやら、真田病院というのは、となりの駅のようですよ」 0: 0:僕は、電話での内容を女性に伝えた。 0: 0:「そうだったのですか・・・」 0: 0:女性が益々落胆したのが分かる。 0: 0:「どうしますか? もう一度、石塚駅にもどって・・」 0: 0:「いえ、もうこのまま、石巻駅まで歩く事にします 0:わざわざ聞いて下さり、ありがとうございました」 0: 0:女性はそう言って荷物を持ち上げた 0: 0:「ちょっと待ってください」 0: 0:今、女性と僕のいる場所は、石塚駅から石巻駅へ向かって少し歩いた場所。 0:ここから石塚駅に戻るよりも、石巻駅へ歩くという選択は、あっていいと思う。 0:また、雨ではあるが、初老の女性でも歩けない距離ではない。 0: 0:しかし、女性のメモはもう読めるような代物ではない。 0:そして僕は、病院への行き方を知っている。 0:そしておそらく、女性に病院の場所を伝えたとしても、メモ無しで辿り着けるとは思えない。 0:僕も女性も書くものを持っていない 0: 0:「一緒に行きましょう」 0: 0:僕は女性にそう言った 0: 0:「それは、申し訳ない事です」 0: 0:「僕の事なら、心配しないで下さい。 0:それに、お婆さんは病院の場所が分からないでしょ? 0:僕は電話で聞いて知っています。 0:ですから、一緒に行きましょう」 0: 0:「そうですか・・・それでは、お世話になります」 0: 0:そして、僕と女性は真田病院へ向けて歩き出した。 0: 0:「荷物を一つお持ちしますよ」 0: 0:「いえいえ、いけません、そんな事は」 0: 0:「僕は手ぶらですから、一つ持たせてください。 0:それに、このままだと、ますます荷物が濡れてしまいますよ」 0: 0:女性は一息考えてから 0: 0:「そうですか、それではお願いいたします」 0: 0:そう言って、女性は僕に荷物を持たせてくれた 0:そして、また二人は歩き始める 0: 0:しとしとと降る雨は止む気配がない 0: 0:「本当に申し訳ない、ありがとうございます」 0: 0:女性は一息つく度に、僕にお礼をいう 0:僕はそれを忍びなく感じていた 0: 0:「真田病院へは、どなたかのお見舞いに行かれるのですか?」 0: 0:何気ない一言だった。 0:忍びなさに、何か話題を変えようとしただけの言葉だった 0: 0:「そうです、友達のお見舞いに」 0: 0:「お友達ですか」 0: 0:「ええ、さっちゃんとは、もう50年来の付き合いでしょうか」 0: 0:「50年ですか」 0: 0:「ええ、そうなんです」 0: 0:そういうと、女性は少しずつ自分の事を話し始めた 0:時折、雨の音でかき消されてしまうようなくらいの声で 0: 0:「私は信州の片田舎に住んでおったのですが、戦争に夫を取られてしまいまして、 0:結婚して直ぐでしたので、子供もいなかったものですから、独り身となってしまいました。」 0: 0:「夫が田畑を持っておったのですが、女一人では何ともならんだろうと言われて、本家に買い取りという形で取られてしまったんですよ。 0:でも、本当に私一人では、何ともなりませんでしたから、仕方のない事だったんです」 0: 0:雨の中で、女性は歩きながら話を続けた 0: 0:「買い取りの時に、お金を頂いたのですが、それと同時に奉公先を紹介されましてね、 0:それで、この土地に出てきたんですよ」 0: 0:「そうだったんですか」 0: 0:「ええ、 0:そこの旦那様が、奥様を娶(めと)られたというので、女中として家の中の仕事と、奥様のお世話をして欲しいという事でした。 0:そこで一緒に働いていたのが、さっちゃんなんですよ」 0: 0:「さっちゃん」は、幸枝(さちえ)さんと言うらしい。 0:幸枝さんも田舎から出てきた独り身で、歳も近かった事もあり、とても仲良くしていたという事だった。 0: 0:「旦那様はお優しい方だったんですが、奥様にはよくいびられました。 0:でも、奥様には悪気はなかったんですよ。 0:世間知らずな方でしてね、無邪気な方でした。 0:それだから、酷い事をされたり、心無い言葉を言われたりね」 0: 0:「それは大変でしたね」 0: 0:「いえいえ、 0:そりゃ私もさっちゃんも、よく泣いてましたよ。 0:でも、そんな事は、私達の時代では、大した事ではないんですよ。 0:旦那様のご厚意で、私もさっちゃんも、小さいですが、敷地の中の離(はな)れをあてがって頂きましてね。 0:それだけでも、幸せな方なのではないですかね」 0: 0:雨はまだ降り続いている 0:ふと横を見ると、女性は足元を見ながら歩いていた。 0:女性の横顔には、苦労を現したような沢山のしわがあった。 0: 0:「時折、奥様がお菓子を頂くと、一緒に食べようと言って下さいましてね 0:さっちゃんと三人で、よくお茶を飲みました。 0:奥様は本当に無邪気な方で、良く笑う可愛らしい方なんです」 0: 0:「何度か、私にもさっちゃんにも縁談の話がありましたが、 0:奥様が私達を離してくれませんでしたので、いつも破談になっていたんですよ。 0:そういう所は、困った方でしたね」 0: 0: 0:僕には言葉がなかった 0:雨の中、歩きながら、ただ女性の話を聞いていた。 0: 0: 0:「年を取って、お暇を頂いてからも、離れにそのまま住んでもいいと、旦那様が言って下さいましてね。 0:今でも、そこに住まわせて頂いているんですよ」 0: 0:「そうですか、それは良かったですね」 0: 0:「ええ、 0:有難い話です。 0:旦那様はもう亡くなられてしまいましたが、奥様はまだご健在でしてね、 0:時折、お手伝いを仰せつかったりするんですよ。 0:年寄りのいい暇つぶしになります。 0:奥様は、いつまで経っても無邪気な方で、本当に羨ましい」 0: 0:女性の話を聞きながら 0:私が少し苦笑いをした時 0: 0:「今日も私がさっちゃんのお見舞いに行くと言ったら、大そうなお菓子を用意して下さいましてね、 0:どうせこれが最後だろうから持って行きなさいって」 0: 0:「え?」 0:僕は女性の言った最後の言葉が引っ掛かった 0: 0:「ええ、そうなんですよ。 0:さっちゃんは、肺を病(や)んでましてね、もう長くは無さそうなんです」 0: 0:「そうですか・・・」 0:雨の中で僕は呟(つぶや)くようにそう言った 0:その言葉しか出て来なかった 0: 0:「私もね、さっちゃんと会えるのは、もうこれが最後だろうと思っているんですよ。 0:私にはさっちゃんしか友達が居ませんので、寂しくなります」 0: 0:足元を見つめる女性の横顔が少し悲し気に見えた 0:雨の中、女性の心情を思い量り僕は戸惑っていた 0:そんな僕の戸惑いに気づいたのか、女性が口調を変えて言った 0: 0:「すみませんでした、こんな話を聞かせてしまって、 0:詰まらなかったでしょ」 0: 0:女性が僕の顔を見ながら言う 0:しわの多い女性の顔に、少しの戸惑いを重ねながら。 0: 0:「さっちゃんの事があって、いろいろ思い出してしまいました」 0:ごめんなさいね」 0: 0:「いえ、そんな事はありませんよ」 0: 0:女性の言葉に、そう返してはみたが、 0:それから、女性は黙って歩いた。 0:僕も女性にかける言葉を見つけられず、黙って歩くほかはなかった。 0: 0:そして、沈黙の時間が少し流れた頃、僕達は真田病院に着いた。 0: 0:病院の玄関先で、女性は僕に何度も丁寧に頭を下げて、お礼を言った後、 0:病室のある棟(むね)へと歩き始めた 0: 0:病棟へ向かう彼女の横顔には、古い友人との再会に向けた、とても美しい笑みがあった 0:これが最後になるだろう対面に、あれほど美しい笑顔が出来るものなのだろうか 0: 0:そう思うと同時に、僕の中に湧き上がる想いがあった 0:彼女の話を聞いて、少しでも可哀想だと思った自分は、どれほど浅はかで、どれほど高慢(こうまん)で、愚(おろ)かだったろうか。 0:僕は彼女の何を知ったというのか、 0:人の幸せを、自分に推し量れるとでも思っていたのだろうか。 0: 0: 0:帰りの道を辿(たど)る雨の中、彼女の笑顔と苦い想いが何度も胸の中を駆け巡った。 0:その時から、僕の記憶の中には、雨と共に彼女がいる。 0: 0:もうどれだけ経ったのだろうか 0: 0:そして今日も思い出す 0:雨の中で僕は 0: