台本概要

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タイトル 誰そ彼横丁~案内列車
作者名 暁寺 郁  (@him_like_me)
ジャンル その他
演者人数 2人用台本(男1、女1)
時間 20 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 たそかれよこちょう、あんないれっしゃ
誰そ彼横丁のシリーズ二作目となりますので、そちらのネタバレがあります。
が、それが気にならなければシリーズものとしても、単品としても演じていただけるシナリオとなっております。
列車の中の、のんびりとした会話劇。

設定上、キャラの性別は決まっていますが、変換可です。
また、演者様の性別は不問です。
軽微なアドリブ可。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
真琴 72 いつの間にか列車に乗っていた女性。
車掌 70 案内列車の車掌。大人であれば年齢設定自由。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
真琴:カタン、カタン。 真琴:列車が揺れる。 真琴:カタタン、カタタン。 真琴:心地の良い、一定のリズム。 真琴:まどろみを誘うような、体中を包む、音。 真琴:けれど、眠れない。 真琴:眠りたくない、そんな、心地よさ。 0:  真琴:不思議な現象が起こっている。 真琴:窓の外。きれいな景色。 真琴:……のはずなのだけれど。 真琴:きれいな景色だな、と、頭で考えるころには、もうその景色を憶えていない。 真琴:地平まで続く、田園(でんえん)? 真琴:生い茂る、木々? 真琴:大きな川、広い海。 真琴:今、私が見ているのは、どんな景色なんだろう。 真琴:たった今この目で見たはずのものが、脳まで到達しない。 0:  真琴:オレンジ色の、車内。 真琴:ねっとりとしたはちみつのような……やわらかな、午後の光のような。 真琴:あたたかいのか、冷えはじめているのかもわからないような。 真琴:けれど、やさしい。 真琴:昔、どこかで見たことがあっただろうか。 真琴:母さんと。あるいは、飼い猫のクロを抱いて。 真琴:たとえば、あなたと手を握り合って。 真琴:そう、あなたと。 真琴:  真琴:……あぁ、好きだったなぁ……。 真琴:  真琴:……あれ? 真琴:私は、あなたに失恋したんだったか。 真琴:遠い遠い、そんな存在になったあなたの事を考えると、胸が痛いのは。 真琴:どうして……なんだっけ 真琴:どうして、遠くなったんだっけ 車掌:お客様、切符を拝見(はいけん)しても、よろしいでしょうか 真琴:うわっ! 車掌:これは失礼を。驚かせてしまいましたか 真琴:あ、いえ、はい、切符、ですか。切符…… 車掌:お持ちでないですね。では今、切りましょうか 真琴:はい、あの…… 真琴:私、お金を持っていないようなのですが…… 車掌:はい、お荷物も、何ひとつお持ちではないですね 真琴:あの、すみません、え、どうすれば…… 車掌:ご心配にはおよびません。 車掌:この列車への乗車に、実は切符はいらないのですよ。 真琴:え? 車掌:まあ、私個人の気分の問題でして。 車掌:列車には切符。これ以上ない不動のアイテムです。 車掌:定期券なんて、無粋なことは言わないでくださいね? 車掌:定期や、まあ回数券なんてのもオツではありますが、列車では、やはり切符をパチンとね。 車掌:……いや、失礼しました(笑)。 車掌:はい。切符を切りましょう。さあどうぞ 真琴:あ、はい、ありがとうございます……? 真琴:「案内列車」…… 真琴:普通は、行き先とかが書いてあるものですよね? 車掌:この列車の行き先はひとつ、あるいはふたつしかありませんから。 車掌:必要ないのですよ。 真琴:あの、すみません、つかぬ事をうかがいますが、この列車はどこへ行くのでしょうか 車掌:ああ、よく覚えていらっしゃらないのですね。 車掌:この列車の行く終点の駅は……「彼岸(ひがん)」 真琴:ひがん……? 車掌:そうです 真琴:……あれ? 車掌:はい? 真琴:あれ? 車掌:…… 真琴:私、もしかして、死にました? 車掌:はい、お亡くなりになりましたね。思い出されましたか? 真琴:いや、何となくそんなような気が、あれ、でも、どうやって、あれ? 車掌:思い出せませんか? 車掌:私は存じておりますので、お教えしてもよろしいのですが、できればご自身で思い出された方がよろしいかと…… 真琴:そうなんですね。 真琴:でも、あれ、確か……ええと……だめだ、わからない 車掌:まあ、そうでしょうねぇ。 車掌:タイミングがタイミングでしたから。 車掌:私が、お教えしても? 真琴:あー……はい、お願いします…… 車掌:えー、入浴中に…… 真琴:あーーー! そうかぁーー!! 車掌:思い出されましたか 真琴:多分! 湯船で意識を失って、溺死(できし)……! 車掌:大正解~ 真琴:うわあああ…… 真琴:そうだよ、どうしても湯船に浸(つ)かったところまでしか思い出せないもん、それで、すごく、たまらなく眠くなって、あああ…… 車掌:思い出せて、良かったですね 真琴:良くないーー! 真琴:そんな、風呂に入ってそのまま、なんて…… 真琴:素っ裸で発見されるなんていやだぁ~~! 車掌:まあまあ、どうせ人なんて死ねば裸で色々処置されるのですし、一緒ですよ、一緒 真琴:医療従事者に裸にされるのと、一般人に裸で発見されるのじゃ全然ちがいますー! 車掌:まあ、お気持ちはわかりますが 真琴:ああーもうーー! 真琴:あんなブラックな会社につとめるんじゃなかった! 真琴:毎日毎日体力限界で、そのくせ安月給だし、上司はギリギリのラインで器用にパワハラ攻めてくるし、同僚は頑張り屋だし、けど今更やめても再就職なんてできっこないし、なんか負けた気がするって思って……あー! 車掌:死んでしまうくらいなら、負けでも死ぬ気で別の方面に頑張ってみた方が良かったですかねえ? 真琴:ほんと、今更ですけど、悔しいなぁ。 真琴:でもそんな風に意識や自分の行動を変えるなんて、難しかったんです。 真琴:今思えば、そんなこと簡単にできたのかもしれないけど、そんなのきっと、今じゃなきゃ言えない…… 車掌:そんなものなんですよね。 車掌:通り過ぎた後でなら、いくらでも何でも言いつのる事ができる。 車掌:生きるって、難しいのですよ、きっと 真琴:けど……あれは、ほんとに割と生き地獄でした…… 真琴:決定的な何かもなく、真綿(まわた)で首を絞められるように何年も、何年も…… 真琴:いえ、気付けなかったというか、気付かないふりでなんとか、いつかこんな日々も終わるなんて甘いことを考えていた私が悪いのでしょうけど 車掌:あなたが悪いなんてことは決してないでしょうけれど、本当の意味で、終わってしまいましたね 真琴:ここ最近、あの人に会う時間も、まともに取れないままで…… 車掌:あの人……。 車掌:良い方が、いらっしゃったのですね。 車掌:それは、お気の毒なことです 真琴:せめて、あの電話、かけなおしておくんだった! 真琴:ごめん、ごめんね、ごめんねぇ! 車掌:…… 車掌:おや。 真琴:え? 車掌:えー次はー、誰そ彼(たそかれ)横丁、誰そ彼(たそかれ)横丁~ 真琴:たそ、かれ、よこちょう? 車掌:どうやらお客様は、次の駅で降りる資格を得られたようです 真琴:資格……? 車掌:なんちゃって。すみません。 車掌:この列車に乗車されている時点で、あなたはもともと、次の駅で降りることが出来るのですよ 真琴:はあ……、?? 車掌:そういうものなのです 真琴:次の駅、というと 車掌:亡くなられた方は、大抵、そのまま彼岸へと向かわれます。 車掌:ですがまれに、この列車に乗車される、あなたのような方がいらっしゃる。 車掌:ああ、失礼ですが、お名前をうかがっても? 真琴:あ、はい、真琴(まこと)、です 車掌:真琴(まこと)さん 真琴:はい 車掌:あなたは、何がしかの思いを抱えて、死への旅立ちをされたのですね 真琴:うん? えーと 車掌:たとえば思い残すことがあったり、迷いがあったり 真琴:……ああ、そうですね、事故死ですから、冷静に考えれば、未練なんてたっぷりと 車掌:そういう方が、この列車に乗ってくるのですよ 真琴:けど、そういう人って、すごくたくさんいませんか? 多分、ですけど 車掌:そうでしょうね。 車掌:ですが、大抵、この列車には一度にお一人しか乗ってきません。 車掌:実のところ、この列車に乗り込んでくる方の、明確な基準はよくわかっていないのです。 車掌:ですが、この列車に乗られたからには、真琴さんは、次の駅で下車することもできるのですよ 真琴:次の駅……誰そ彼(たそかれ)横丁? 車掌:はい。その街は、ハザマの街。 車掌:彼岸の一歩手前。 車掌:そこでは、たくさんの、亡くなった方たちが、何食わぬ顔で生活しています 真琴:何食わぬ顔 車掌:生きている頃と、あまり変わらない生活です 真琴:ええ…… 車掌:小さな街。自由な街。 車掌:そこでは、みなさん好きな役割を持って生活しています。 車掌:お花屋さんであったり、主婦であったり、お医者さんもいます 真琴:お医者さんが、必要なんですか? 車掌:気分ですよ、気分。 車掌:ごっこ遊び、おままごとのようなものです。 車掌:けれど本当に、具合が悪くなってみたり、腹痛に悩まされたりするものですから。 車掌:原理はわかりませんがね。 車掌:別にだからって、何もしなくても、死にはしないのですけど 真琴:もう死んでますよね 車掌:そう、もう死んでいますし 真琴:はあ…… 車掌:何をするのも、しないのも自由。 車掌:ただひたすらに、生前の連れ合いの方を長いこと待って、その方が亡くなると同時に街から旅立たれた方もいらっしゃいました。 車掌:連れ合いの方は、この列車には乗らずに彼岸に向かわれたようですがね。 車掌:生前に縁のあった方に、その街で会えたという話は、ほとんど聞きません。 車掌:滅多にはありませんね 真琴:よく、わかりませんね 車掌:はい、よくわかりません 真琴:どうして、そんな街ができたのでしょう 車掌:それも、わかりません。ただ…… 真琴:ただ? 車掌:みなさん、とても楽しく生活してらっしゃいます 真琴:…… 車掌:楽しく、暮らしたかったんじゃないでしょうかねえ……。 車掌:わかりませんけど 真琴:楽しく…… 真琴:そう、ですね。楽しく、暮らしたかったなぁ 車掌:そういう私も、誰そ彼(たそかれ)横丁の住人でしてね。 車掌:こうしてこの列車の運転士と車掌の役割、そして乗車される方へのご案内を、務めているわけです 真琴:そうなんですか…… 真琴:でも、大変ではないのですか? 車掌:ふふ、私は好んでこの役目を自分から負っているのですよ。 車掌:実際、この列車は運転士などいなくても、勝手に動くのです。 車掌:ワンマンなのに、私はここで、車掌として立っているでしょう? 真琴:あ、本当だ、ワンマンって表示されてる 車掌:生前から鉄道マニアでして、そして人に言わせると、私はずいぶんおせっかいな性格だったようですしね 車掌:毎日がとても楽しいです。 真琴:楽しい、ですか…… 車掌:はい。私の天職ですね。 車掌:誰でも、どんな役割でもできますが、これは、誰にも譲れない私の楽しみです 真琴:誰でも、何にでもなれるんですか? 車掌:ええ。技術も資格もいりません。 車掌:やりたいことなら、「できる」のです。 車掌:需要がなければ、暇なだけですが。そこはそれ。 車掌:実際、私の前にこの役割を担(にな)っていた方は、幼い少年でしたね 真琴:少年!? 車掌:そうです。 車掌:長いことここで務めてらっしゃいましたが、ある時、彼の妹さんが、街に降り立ちましてね…… 真琴:え、滅多にないことなんですよね? 車掌:はい、滅多にありません。 車掌:その街で、生前に縁のあった方に再会できるなんて、そうそうない幸運……のはずなのですが、彼にはそうではなかったようで 真琴:どうしてですか? 車掌:彼の妹さんは、おばあさんになっていました 真琴:ああ、そうなりますよね、何事もなく生きれば 車掌:はい。けれど、彼は、記憶と違う妹さんと、幼いままの自分がこの街で共に生活することに、違和感をぬぐえなかったようで 真琴:ああ…… 車掌:妹さんに「この街で、楽しく過ごせ」と言い置いて、自分は彼岸へと旅立たれました。 車掌:最終的に、彼が何をどう思っていたかは、私にはわかりません。 車掌:そしてその妹さんも、何年か後に、街を去りましたけどね 真琴:なるほど…… 車掌:それから、私がずっとここで、この仕事をしているのですよ 真琴:楽しいだけでは、ないのですね 車掌:まあ、まれにね。 車掌:ですが、そうですね。 車掌:あなたは大変お疲れのようですから、街にはとても立派で落ち着いた雰囲気の、湯治(とうじ)の宿なんかもありますよ 真琴:湯治(とうじ)の宿…… 車掌:目が輝きましたね(笑) 真琴:それは、興味があります。 真琴:温泉なんて、実はちゃんと行ったこともないし、働き始めてからそんな余裕もなかったし 車掌:ですから、ちょっと立ち寄るだけのつもりで、駅で降りてみるのも一興(いっきょう)かと。 車掌:ああ、ですが 真琴:はい? 車掌:申し上げておかねばなりません。 車掌:誰そ彼(たそかれ)横丁の駅には、誰でも降りることができます。 車掌:一時(いっとき)立ち寄るのも、永遠に暮らし続けるのも自由。 車掌:ですが、そこから再び上りの列車に乗ったならば、その街に、二度と戻ることはできません 真琴:…… 車掌:行くか行かないか、迷い続けながら生活している方もいらっしゃいます。 車掌:それは少し、切なく感じますね、楽しんでいる私などは。 車掌:ですが、大抵の場合、みなさん決められる時はパキッと決めてらっしゃいますし、おおよそ、お気楽に過ごされてますよ 真琴:お話だけ聞いていると、おおむね楽しそうでは、ありますね 車掌:ええ、楽しいです 真琴:その街で、これまでと変わらず生きているように暮らすということは、逃げることになるんでしょうか 車掌:何から? 真琴:死んだという事実から 車掌:あなたが、逃げなければならないものなんて、もう何もないんですよ。 車掌:真琴さん、あなたはもう、楽になっていいんです。 車掌:このまま彼岸に向かい、消滅という安寧(あんねい)を得るか、生前のように、けれどしがらみのないただ楽しい時を一時(いっとき)、あるいは永遠に過ごすか。 車掌:行くか立ち止まってみるか。その二択です。 車掌:命を代償に、あなたは自由になったのですよ 真琴:自由…… 0:  車掌:間もなく、誰そ彼(たそかれ)横丁~、誰そ彼(たそかれ)横丁です。 車掌:お降りの際は、足元にお気を付けくださいませ。 車掌:お荷物お忘れ物などは、もとよりございません 真琴:誰そ彼(たそかれ)横丁…… 車掌:お降りにならないのであれば、そのままご乗車を。 車掌:真琴さん、私は、どちらも促(うなが)しません。 車掌:どうぞ、あなたのお心で、自由に決めてください 真琴:…… 真琴:ホームが、見える。 真琴:本当は、私は……もしもこの「誰そ彼(たそかれ)横丁」で降りたなら、万にひとつ、いつかあなたにもう一度会えるのではないかという可能性を、考えていた。 真琴:けれど、もしもそんなことがあったとしても、嬉しいばかりではないらしい。 真琴:それに、あなたの死を願っているわけでもない。 真琴:……私はもう、生きてはいないのだ。 真琴:この街はきっと、暮らしというおままごとを永遠に繰り返す場所であって、生きていた日々の続きをする場所ではない。 真琴:生きることを模倣(もほう)して、ある意味、やり直せる場所。 真琴:けれど、あの日々や出会いをやり直せるわけではない。 真琴:きっとあるのは、死にたくなるような苦しみなどない、押し入れの中のような箱庭。 真琴:ああ、風見鶏(かざみどり)が見える。かわいいなあ…… 車掌:間もなく、停車いたします。 真琴:キキィ……と、線路をきしませながら、列車は速度を落とし、止まる 車掌:ドアが開きます。下がってお待ちくださいませ 真琴:ドアが開く。 真琴:古びた駅のホームが見える。 真琴:ここで降りても降りなくても、私はもう、あなたたちとはさようなら。 真琴:そして、私は…… 車掌:誰そ彼(たそかれ)横丁~、誰そ彼(たそかれ)横丁~ 真琴:ホームのさらに向こう。細い道。 真琴:線路と道を隔(へだ)てる金網に寄りかかりながら、楽しそうにおしゃべりをしていたらしい、ふたりの男子学生と、目が合った。 真琴:彼らは列車の出口に立ち尽くす私を見ると、まるで十年来の友人のように、笑って、手を振った。 真琴:そして。私は。 0:  車掌:停車しております駅は、誰そ彼(たそかれ)横丁~ 車掌:この度の運行は、これにて終点となります。 車掌:  車掌:ドアが閉まります。 車掌:ご乗車、ありがとうございました 車掌:  0:作・暁寺 郁(ぎょうじ いく)

真琴:カタン、カタン。 真琴:列車が揺れる。 真琴:カタタン、カタタン。 真琴:心地の良い、一定のリズム。 真琴:まどろみを誘うような、体中を包む、音。 真琴:けれど、眠れない。 真琴:眠りたくない、そんな、心地よさ。 0:  真琴:不思議な現象が起こっている。 真琴:窓の外。きれいな景色。 真琴:……のはずなのだけれど。 真琴:きれいな景色だな、と、頭で考えるころには、もうその景色を憶えていない。 真琴:地平まで続く、田園(でんえん)? 真琴:生い茂る、木々? 真琴:大きな川、広い海。 真琴:今、私が見ているのは、どんな景色なんだろう。 真琴:たった今この目で見たはずのものが、脳まで到達しない。 0:  真琴:オレンジ色の、車内。 真琴:ねっとりとしたはちみつのような……やわらかな、午後の光のような。 真琴:あたたかいのか、冷えはじめているのかもわからないような。 真琴:けれど、やさしい。 真琴:昔、どこかで見たことがあっただろうか。 真琴:母さんと。あるいは、飼い猫のクロを抱いて。 真琴:たとえば、あなたと手を握り合って。 真琴:そう、あなたと。 真琴:  真琴:……あぁ、好きだったなぁ……。 真琴:  真琴:……あれ? 真琴:私は、あなたに失恋したんだったか。 真琴:遠い遠い、そんな存在になったあなたの事を考えると、胸が痛いのは。 真琴:どうして……なんだっけ 真琴:どうして、遠くなったんだっけ 車掌:お客様、切符を拝見(はいけん)しても、よろしいでしょうか 真琴:うわっ! 車掌:これは失礼を。驚かせてしまいましたか 真琴:あ、いえ、はい、切符、ですか。切符…… 車掌:お持ちでないですね。では今、切りましょうか 真琴:はい、あの…… 真琴:私、お金を持っていないようなのですが…… 車掌:はい、お荷物も、何ひとつお持ちではないですね 真琴:あの、すみません、え、どうすれば…… 車掌:ご心配にはおよびません。 車掌:この列車への乗車に、実は切符はいらないのですよ。 真琴:え? 車掌:まあ、私個人の気分の問題でして。 車掌:列車には切符。これ以上ない不動のアイテムです。 車掌:定期券なんて、無粋なことは言わないでくださいね? 車掌:定期や、まあ回数券なんてのもオツではありますが、列車では、やはり切符をパチンとね。 車掌:……いや、失礼しました(笑)。 車掌:はい。切符を切りましょう。さあどうぞ 真琴:あ、はい、ありがとうございます……? 真琴:「案内列車」…… 真琴:普通は、行き先とかが書いてあるものですよね? 車掌:この列車の行き先はひとつ、あるいはふたつしかありませんから。 車掌:必要ないのですよ。 真琴:あの、すみません、つかぬ事をうかがいますが、この列車はどこへ行くのでしょうか 車掌:ああ、よく覚えていらっしゃらないのですね。 車掌:この列車の行く終点の駅は……「彼岸(ひがん)」 真琴:ひがん……? 車掌:そうです 真琴:……あれ? 車掌:はい? 真琴:あれ? 車掌:…… 真琴:私、もしかして、死にました? 車掌:はい、お亡くなりになりましたね。思い出されましたか? 真琴:いや、何となくそんなような気が、あれ、でも、どうやって、あれ? 車掌:思い出せませんか? 車掌:私は存じておりますので、お教えしてもよろしいのですが、できればご自身で思い出された方がよろしいかと…… 真琴:そうなんですね。 真琴:でも、あれ、確か……ええと……だめだ、わからない 車掌:まあ、そうでしょうねぇ。 車掌:タイミングがタイミングでしたから。 車掌:私が、お教えしても? 真琴:あー……はい、お願いします…… 車掌:えー、入浴中に…… 真琴:あーーー! そうかぁーー!! 車掌:思い出されましたか 真琴:多分! 湯船で意識を失って、溺死(できし)……! 車掌:大正解~ 真琴:うわあああ…… 真琴:そうだよ、どうしても湯船に浸(つ)かったところまでしか思い出せないもん、それで、すごく、たまらなく眠くなって、あああ…… 車掌:思い出せて、良かったですね 真琴:良くないーー! 真琴:そんな、風呂に入ってそのまま、なんて…… 真琴:素っ裸で発見されるなんていやだぁ~~! 車掌:まあまあ、どうせ人なんて死ねば裸で色々処置されるのですし、一緒ですよ、一緒 真琴:医療従事者に裸にされるのと、一般人に裸で発見されるのじゃ全然ちがいますー! 車掌:まあ、お気持ちはわかりますが 真琴:ああーもうーー! 真琴:あんなブラックな会社につとめるんじゃなかった! 真琴:毎日毎日体力限界で、そのくせ安月給だし、上司はギリギリのラインで器用にパワハラ攻めてくるし、同僚は頑張り屋だし、けど今更やめても再就職なんてできっこないし、なんか負けた気がするって思って……あー! 車掌:死んでしまうくらいなら、負けでも死ぬ気で別の方面に頑張ってみた方が良かったですかねえ? 真琴:ほんと、今更ですけど、悔しいなぁ。 真琴:でもそんな風に意識や自分の行動を変えるなんて、難しかったんです。 真琴:今思えば、そんなこと簡単にできたのかもしれないけど、そんなのきっと、今じゃなきゃ言えない…… 車掌:そんなものなんですよね。 車掌:通り過ぎた後でなら、いくらでも何でも言いつのる事ができる。 車掌:生きるって、難しいのですよ、きっと 真琴:けど……あれは、ほんとに割と生き地獄でした…… 真琴:決定的な何かもなく、真綿(まわた)で首を絞められるように何年も、何年も…… 真琴:いえ、気付けなかったというか、気付かないふりでなんとか、いつかこんな日々も終わるなんて甘いことを考えていた私が悪いのでしょうけど 車掌:あなたが悪いなんてことは決してないでしょうけれど、本当の意味で、終わってしまいましたね 真琴:ここ最近、あの人に会う時間も、まともに取れないままで…… 車掌:あの人……。 車掌:良い方が、いらっしゃったのですね。 車掌:それは、お気の毒なことです 真琴:せめて、あの電話、かけなおしておくんだった! 真琴:ごめん、ごめんね、ごめんねぇ! 車掌:…… 車掌:おや。 真琴:え? 車掌:えー次はー、誰そ彼(たそかれ)横丁、誰そ彼(たそかれ)横丁~ 真琴:たそ、かれ、よこちょう? 車掌:どうやらお客様は、次の駅で降りる資格を得られたようです 真琴:資格……? 車掌:なんちゃって。すみません。 車掌:この列車に乗車されている時点で、あなたはもともと、次の駅で降りることが出来るのですよ 真琴:はあ……、?? 車掌:そういうものなのです 真琴:次の駅、というと 車掌:亡くなられた方は、大抵、そのまま彼岸へと向かわれます。 車掌:ですがまれに、この列車に乗車される、あなたのような方がいらっしゃる。 車掌:ああ、失礼ですが、お名前をうかがっても? 真琴:あ、はい、真琴(まこと)、です 車掌:真琴(まこと)さん 真琴:はい 車掌:あなたは、何がしかの思いを抱えて、死への旅立ちをされたのですね 真琴:うん? えーと 車掌:たとえば思い残すことがあったり、迷いがあったり 真琴:……ああ、そうですね、事故死ですから、冷静に考えれば、未練なんてたっぷりと 車掌:そういう方が、この列車に乗ってくるのですよ 真琴:けど、そういう人って、すごくたくさんいませんか? 多分、ですけど 車掌:そうでしょうね。 車掌:ですが、大抵、この列車には一度にお一人しか乗ってきません。 車掌:実のところ、この列車に乗り込んでくる方の、明確な基準はよくわかっていないのです。 車掌:ですが、この列車に乗られたからには、真琴さんは、次の駅で下車することもできるのですよ 真琴:次の駅……誰そ彼(たそかれ)横丁? 車掌:はい。その街は、ハザマの街。 車掌:彼岸の一歩手前。 車掌:そこでは、たくさんの、亡くなった方たちが、何食わぬ顔で生活しています 真琴:何食わぬ顔 車掌:生きている頃と、あまり変わらない生活です 真琴:ええ…… 車掌:小さな街。自由な街。 車掌:そこでは、みなさん好きな役割を持って生活しています。 車掌:お花屋さんであったり、主婦であったり、お医者さんもいます 真琴:お医者さんが、必要なんですか? 車掌:気分ですよ、気分。 車掌:ごっこ遊び、おままごとのようなものです。 車掌:けれど本当に、具合が悪くなってみたり、腹痛に悩まされたりするものですから。 車掌:原理はわかりませんがね。 車掌:別にだからって、何もしなくても、死にはしないのですけど 真琴:もう死んでますよね 車掌:そう、もう死んでいますし 真琴:はあ…… 車掌:何をするのも、しないのも自由。 車掌:ただひたすらに、生前の連れ合いの方を長いこと待って、その方が亡くなると同時に街から旅立たれた方もいらっしゃいました。 車掌:連れ合いの方は、この列車には乗らずに彼岸に向かわれたようですがね。 車掌:生前に縁のあった方に、その街で会えたという話は、ほとんど聞きません。 車掌:滅多にはありませんね 真琴:よく、わかりませんね 車掌:はい、よくわかりません 真琴:どうして、そんな街ができたのでしょう 車掌:それも、わかりません。ただ…… 真琴:ただ? 車掌:みなさん、とても楽しく生活してらっしゃいます 真琴:…… 車掌:楽しく、暮らしたかったんじゃないでしょうかねえ……。 車掌:わかりませんけど 真琴:楽しく…… 真琴:そう、ですね。楽しく、暮らしたかったなぁ 車掌:そういう私も、誰そ彼(たそかれ)横丁の住人でしてね。 車掌:こうしてこの列車の運転士と車掌の役割、そして乗車される方へのご案内を、務めているわけです 真琴:そうなんですか…… 真琴:でも、大変ではないのですか? 車掌:ふふ、私は好んでこの役目を自分から負っているのですよ。 車掌:実際、この列車は運転士などいなくても、勝手に動くのです。 車掌:ワンマンなのに、私はここで、車掌として立っているでしょう? 真琴:あ、本当だ、ワンマンって表示されてる 車掌:生前から鉄道マニアでして、そして人に言わせると、私はずいぶんおせっかいな性格だったようですしね 車掌:毎日がとても楽しいです。 真琴:楽しい、ですか…… 車掌:はい。私の天職ですね。 車掌:誰でも、どんな役割でもできますが、これは、誰にも譲れない私の楽しみです 真琴:誰でも、何にでもなれるんですか? 車掌:ええ。技術も資格もいりません。 車掌:やりたいことなら、「できる」のです。 車掌:需要がなければ、暇なだけですが。そこはそれ。 車掌:実際、私の前にこの役割を担(にな)っていた方は、幼い少年でしたね 真琴:少年!? 車掌:そうです。 車掌:長いことここで務めてらっしゃいましたが、ある時、彼の妹さんが、街に降り立ちましてね…… 真琴:え、滅多にないことなんですよね? 車掌:はい、滅多にありません。 車掌:その街で、生前に縁のあった方に再会できるなんて、そうそうない幸運……のはずなのですが、彼にはそうではなかったようで 真琴:どうしてですか? 車掌:彼の妹さんは、おばあさんになっていました 真琴:ああ、そうなりますよね、何事もなく生きれば 車掌:はい。けれど、彼は、記憶と違う妹さんと、幼いままの自分がこの街で共に生活することに、違和感をぬぐえなかったようで 真琴:ああ…… 車掌:妹さんに「この街で、楽しく過ごせ」と言い置いて、自分は彼岸へと旅立たれました。 車掌:最終的に、彼が何をどう思っていたかは、私にはわかりません。 車掌:そしてその妹さんも、何年か後に、街を去りましたけどね 真琴:なるほど…… 車掌:それから、私がずっとここで、この仕事をしているのですよ 真琴:楽しいだけでは、ないのですね 車掌:まあ、まれにね。 車掌:ですが、そうですね。 車掌:あなたは大変お疲れのようですから、街にはとても立派で落ち着いた雰囲気の、湯治(とうじ)の宿なんかもありますよ 真琴:湯治(とうじ)の宿…… 車掌:目が輝きましたね(笑) 真琴:それは、興味があります。 真琴:温泉なんて、実はちゃんと行ったこともないし、働き始めてからそんな余裕もなかったし 車掌:ですから、ちょっと立ち寄るだけのつもりで、駅で降りてみるのも一興(いっきょう)かと。 車掌:ああ、ですが 真琴:はい? 車掌:申し上げておかねばなりません。 車掌:誰そ彼(たそかれ)横丁の駅には、誰でも降りることができます。 車掌:一時(いっとき)立ち寄るのも、永遠に暮らし続けるのも自由。 車掌:ですが、そこから再び上りの列車に乗ったならば、その街に、二度と戻ることはできません 真琴:…… 車掌:行くか行かないか、迷い続けながら生活している方もいらっしゃいます。 車掌:それは少し、切なく感じますね、楽しんでいる私などは。 車掌:ですが、大抵の場合、みなさん決められる時はパキッと決めてらっしゃいますし、おおよそ、お気楽に過ごされてますよ 真琴:お話だけ聞いていると、おおむね楽しそうでは、ありますね 車掌:ええ、楽しいです 真琴:その街で、これまでと変わらず生きているように暮らすということは、逃げることになるんでしょうか 車掌:何から? 真琴:死んだという事実から 車掌:あなたが、逃げなければならないものなんて、もう何もないんですよ。 車掌:真琴さん、あなたはもう、楽になっていいんです。 車掌:このまま彼岸に向かい、消滅という安寧(あんねい)を得るか、生前のように、けれどしがらみのないただ楽しい時を一時(いっとき)、あるいは永遠に過ごすか。 車掌:行くか立ち止まってみるか。その二択です。 車掌:命を代償に、あなたは自由になったのですよ 真琴:自由…… 0:  車掌:間もなく、誰そ彼(たそかれ)横丁~、誰そ彼(たそかれ)横丁です。 車掌:お降りの際は、足元にお気を付けくださいませ。 車掌:お荷物お忘れ物などは、もとよりございません 真琴:誰そ彼(たそかれ)横丁…… 車掌:お降りにならないのであれば、そのままご乗車を。 車掌:真琴さん、私は、どちらも促(うなが)しません。 車掌:どうぞ、あなたのお心で、自由に決めてください 真琴:…… 真琴:ホームが、見える。 真琴:本当は、私は……もしもこの「誰そ彼(たそかれ)横丁」で降りたなら、万にひとつ、いつかあなたにもう一度会えるのではないかという可能性を、考えていた。 真琴:けれど、もしもそんなことがあったとしても、嬉しいばかりではないらしい。 真琴:それに、あなたの死を願っているわけでもない。 真琴:……私はもう、生きてはいないのだ。 真琴:この街はきっと、暮らしというおままごとを永遠に繰り返す場所であって、生きていた日々の続きをする場所ではない。 真琴:生きることを模倣(もほう)して、ある意味、やり直せる場所。 真琴:けれど、あの日々や出会いをやり直せるわけではない。 真琴:きっとあるのは、死にたくなるような苦しみなどない、押し入れの中のような箱庭。 真琴:ああ、風見鶏(かざみどり)が見える。かわいいなあ…… 車掌:間もなく、停車いたします。 真琴:キキィ……と、線路をきしませながら、列車は速度を落とし、止まる 車掌:ドアが開きます。下がってお待ちくださいませ 真琴:ドアが開く。 真琴:古びた駅のホームが見える。 真琴:ここで降りても降りなくても、私はもう、あなたたちとはさようなら。 真琴:そして、私は…… 車掌:誰そ彼(たそかれ)横丁~、誰そ彼(たそかれ)横丁~ 真琴:ホームのさらに向こう。細い道。 真琴:線路と道を隔(へだ)てる金網に寄りかかりながら、楽しそうにおしゃべりをしていたらしい、ふたりの男子学生と、目が合った。 真琴:彼らは列車の出口に立ち尽くす私を見ると、まるで十年来の友人のように、笑って、手を振った。 真琴:そして。私は。 0:  車掌:停車しております駅は、誰そ彼(たそかれ)横丁~ 車掌:この度の運行は、これにて終点となります。 車掌:  車掌:ドアが閉まります。 車掌:ご乗車、ありがとうございました 車掌:  0:作・暁寺 郁(ぎょうじ いく)