台本概要

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タイトル 時をさかのぼる時計
作者名 天道司
ジャンル ラブストーリー
演者人数 2人用台本(男1、女1)
時間 30 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 死んだ最愛の人を生き還らせるために、
「時をさかのぼる時計」の不思議な力で過去に戻る!

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
87 天道則宗(てんどう のりむね)
78 星宮澪(ほしみや みお)
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
俺:澪(みお)の性格は、狂気に満ちていた。 俺:あれは、俺が仕事から帰宅し、ベッドで眠っていた時のことだ。 俺:突然、耳の穴の中に、ペットボトルの水を流し込んできた。 俺:当然、俺は驚いて、奇声を上げながら飛び起きる。 俺:その姿を見た澪は、腹を抱えて笑っていた。 俺:「どうして、疲れて寝ているのに、こんな酷いことをするの?」 澪:「寝耳に水っていうコトワザがあるでしょ?あのコトワザが本当なのかどうかを実験してみたくなったの」 俺:「寝耳に水?」 澪:「うんうん。寝耳に水。実験結果としては、期待通りの反応が見れたから、よかったよ」 俺:「何がよかっただよ!中耳炎とかになったら、どうするんだよ!」 澪:「その時は、どんまい!」 俺:澪は、ウインクして見せた。その仕草が、とにかく可愛くて、俺の怒りの炎が一瞬にして吹き飛んでいった。 俺:いやいやいや、そうじゃない。澪の性格は、狂気に満ちていたんだ。 俺:それを今から、物語にしようとしているんだ。 0:【間】 俺:そう、あれは、クリスマスの夜のことだ。 俺:お互いに、お互いの欲しそうなモノを福袋につめて交換することになっていた。 俺:俺は、澪の好きなキャラクターのヌイグルミや缶バッジ、好物のお菓子等を福袋につめ込んで渡した。一方の澪からも福袋をもらった。 俺:福袋の外装は、澪の落書きが幾つか描いてあり、隅っこには、小さな文字で、こう書いてあった。 澪:『今年も、のんちゃんと過ごせて、とっても幸せでした。来年も私のことを好きでいて下さい。好きじゃなくなったら、すぐに死んで下さい』 俺:「ん?なぁ、ここに、すぐに死んで下さいって書いてあるんだけど?」 澪:「のんちゃんという人間の本当の価値もわからないようなバカ女に、のんちゃんを盗られるくらいなら、のんちゃんが死ね!って気持ちになったの。だから、その言葉に嘘はない」 俺:「俺って、価値があるの?」 澪:「少なくとも、私にとっては、世界一価値のある人間だよ。だから、中身を見てみなさい」 俺:「中身?」 俺:俺は胸を高鳴らせながら、福袋のテープを丁寧に爪ではがし、開封した。 俺:中身は、ボクシンググローブと最強昆虫図鑑に、ロボットのプラモデルの箱が入っていた。 俺:「なんで、このチョイス?」 澪:「男だろ?強くなれ!シュッシュッ(シャドーボクシングの効果音を口でする)」 俺:「いやいやいや、俺、ボクシング経験とかないよ。それに、最強昆虫図鑑って何?ロボットのプラモデルもちょっと謎なんだけど…」 澪:「最強昆虫図鑑は、愛だよ。愛。ロボットのプラモデルは、のんちゃんの趣味がヒーローもののフィギュアを集めることだから、喜ぶかなって思ったの」 俺:「そ、そうか。ありがとう」 俺:俺は、福袋の中から、ロボットのプラモデルの箱を取り出し、フタを開けてみた。 俺:「ひっ、ひゃっ!」 俺:中には、ゴキブリとヘビとクモがたくさんっ! 俺:しかし、よく見たら、それらは全部、本物ではなく、精巧に作られたオモチャだった。 澪:「ふふっ。その反応が一番のクリスマスプレゼントだよ」 俺:「そんなに俺のビックリする姿が見たかったの?」 澪:「うん。だって、リアクション芸人みたいで、おもしろいもん」 俺:そうなんだ。クリスマスの夜まで、俺を驚かせることを考える子、それが澪だ。普通の女の子とは、明らかに違う。 0: 0:【間】 0: 俺:澪の趣味は、俺を驚かせることと読書だった。 俺:読む本のジャンルも歴史小説、星座、詩集、医学や天候の本など様々だった。 俺:その日の澪は、科学の本を読んでいた。 俺:「澪は、科学に興味があるの?」 澪:「ううん。まったく興味がない」 俺:「興味がないのに、どうして、そんな本読んでいるの?」 澪:「興味がないから、読んでるの」 俺:「どういうこと?」 澪:「のんちゃんはさ、アインシュタインの相対性理論(そうたいせいりろん)について、どこまで知ってる?」 俺:「相対速度が光の速度に近づくと、周りがゆっくりになるってやつ?」 澪:「他には?」 俺:「他には、知らないよ」 澪:「そっか…。それは、残念だな。のんちゃん、そんなんじゃ、良い父親にはなれないよ!」 俺:「どういうこと?」 澪:「(読んでいた本をバタンと閉じる音)。私たちの間に子供ができたなら、きっと頭の良い子が産まれる」 澪:「私ものんちゃんも遺伝子の出来が良いから、頭の良い子が産まれるのは、確定なの!ガチャで言うところの、確定演出ってやつよ!」 俺:「あのっ、意味不明なんですけど…」 俺:俺が首をかしげると、澪は俺の頬を平手で殴った(ベシッという殴る音)。 俺:「痛いっ!」 澪:「分かれよ!」 俺:「分かんないよ!」 澪:「バカなの?」 俺:「バカでいいけど、いま殴ったのは、あやまってよ!」 澪:「あやまらない」 俺:澪は立ち上がると、ベッドに向かってダイブし、そのまま布団を顔が隠れるまで深くかぶった。 俺:俺は、布団を軽く手でさすりながら言った。 俺:「ねぇ、きちんと説明してくれないと、意味がわからないよ」 澪:「…。うーん…。子供はね。好奇心の塊(かたまり)なの。親がその好奇心にこたえてやらないと、何に対しても興味のない子に育ってしまうの」 澪:「だから、親になるなら、その覚悟があるなら、興味がないこともたくさん、たくさん知っておく必要があるの」 俺:澪の声がかすれていた。どうやら泣いているらしい。 俺:「泣くようなことでもないよ」 澪:「泣いてない!情けないの!子供は、何に興味を持つかわからない。織田信長かも知れないし、カブトムシかも知れないし、アインシュタインの相対性理論かも知れない」 澪:「その質問がきた時に、その事柄について、さらに興味がわくように子供に説明ができたなら、子供の知識の数を増やし、可能性の幅を広げられるの」 澪:「私はそんな母親になりたいし、のんちゃんにも…」 俺:「…わかった」 俺:わかった。 俺:澪からもらった福袋に、最強昆虫図鑑が入っていた理由もわかった。 俺:子供が昆虫に興味を持ったのなら、それにきちんと答えられる父親になってほしい。 俺:それは、ひとつの愛のカタチ。 俺:「気づけなくて、ごめんよ」 澪:「もういい。寝る。静かにして」 俺:俺は、澪が寒くないように、さらに布団を何枚か上にかけ、電気の灯りを消した。 俺:想像力は、愛の強さであり、優しさだと思う。 俺:澪の想像力は、常に俺の理解の上を進んでいた。 0: 0:【間】 0: 俺:梅雨が明けると、澪の誕生日が近づく。 俺:澪の誕生日には、毎年、手作りの絵本をプレゼントしている。 俺:「今年は、どんなお話がいい?」 澪:「のんちゃんの書くお話なら、どんなお話でもいいよ」 俺:「そうなの?」 澪:「だって、優しいお話しか書けないでしょ?」 俺:「わかんないよ?たくさん人が死んじゃうお話になるかもよ?」 澪:「のんちゃんに、そんなお話は書けないよ」 俺:その通りだった。 俺:物語の登場人物に感情移入してしまうせいで、登場人物を不幸な目に遭わせることができなかった。 0: 俺:その年の澪への誕生日プレゼント。 俺:絵本のタイトルは…。 澪:『本当に美しいモノ』 澪:ある村に、鬼があらわれ、村人に言った。 澪:「本当に美しいモノを見せてくれ。本当に美しいモノがないのなら、村の人間を一人残らず喰ってやる!」 澪:村人は、花や宝石、美しいお嫁さん、空に輝く星々を鬼に見せたが、鬼は満足しなかった。 澪:それらを『本当に美しいモノ』と認めることはなかった。 澪:そして、村人は、鬼に喰われることが決まった。 澪:村人は、一斉に逃げたが、小さな子供が逃げ遅れ、鬼の最初の標的となる。 澪:「まずは、お前から喰ってやる!」 澪:その時だ。子供の母親が子供をかばうようにして両手を広げ、子供の父親が二人をかばうようにして両手を広げ、鬼の前に立ちふさがった。 澪:その姿を見て、鬼は言った。 澪:「あるじゃないか!この村にも!本当に美しいモノが!」 澪:満足した鬼は、金銀財宝を置き土産にし、村を去っていった。 0: 澪:本当に美しいモノとは、一体、何だったのでしょう? 0: 0:【長い間】 0: 澪:「このお話、とってものんちゃんらしいお話だね!すっごく好き!ねぇ、子供が産まれたら、この絵本をのんちゃんが読み聞かせしてあげてね!」 俺:「もちろんオッケー」 澪:「私、良いことを思いついたかも知れない」 俺:「良いこと?」 澪:「私は、知識の専門家。のんちゃんは、遊びの専門家。分担しよう」 俺:「つまり、子供の好奇心から出た質問には、澪が答える。俺は、絵本の読み聞かせをしたり、外で遊んだりをする。そういうこと?」 澪:「うんうん。そういうこと」 俺:「分かった」 澪:「分かればよろしい。ふふっ。ねぇ、どんな子に育ってほしい?」 俺:「どんな子?」 澪:「そう、私たちの子供。どんな子に育ってほしい?」 俺:「あぁ…。うーん…。君の作ったお弁当を、全部、綺麗に食べてくれる子かな」 澪:「何それ?遠回しに私の料理がマズイって言いたいわけ?」 俺:「違うよ。澪の作るご飯は、いつも、どれも美味しい。だから、ご飯粒一粒だって、残したことはないだろ?」 澪:「まぁ、確かに…」 俺:「あたりまえのことを、特別だと感じて感謝できる子」 俺:「そして、それを行動として見せてくれる子に育ってほしいんだよ」 澪:「ふぁっ!」 俺:「えっ!?なに?」 澪:「ぎゅーしたくなった」 俺:澪は、子犬のように俺に飛びついてきた。 澪:「ぎゅー」 俺:「ふふ」 澪:「のんちゃんを好きになって、よかったなぁ」 俺:「そうか。それは、よかった」 0: 0:【長い間】 0: 俺:澪が亡くなった日、澪が持っていたカバンの中には、俺の描いた絵本が入っていた。 俺:俺は、あの日、何もできなかった。 俺:悪夢がすべてを奪い去っていった。 俺:飲酒運転の車に轢(ひ)かれたいう事実は、権力によって揉み消され、二人の子供を宿した澪は、不注意で車に轢かれたという扱いになった。 俺: 俺:同棲していたのに…。あの日の夕方、実家に荷物を取りに帰ろうとする澪を引き止めていたなら…。 俺:俺は、腐りきった権力を憎み、あの日の自分を呪い続けた。 0: 0:【長い間】 0: 俺:澪は、俺という人間の価値を世界で一番評価してくれていた。 俺:「ねぇ、俺のどこがそんなに良いの?」 澪:「のんちゃんはね、天才なの」 俺:「天才は、パワーワードだね」 澪:「パワーワードですよ。特別感あるでしょ?」 俺:「あるある。ありがとう。ちなみに、何の天才なの?」 澪:「私を、幸せな気持ちにしてくれる天才だよ」 俺:だったら、澪も…。 俺: 俺:俺は、そんな澪のことを忘れることができず、以降の恋愛も長続きすることはなかった。 俺:しかし、澪を失ってから20年の時が経ち、少しずつではあるが、前進はしている。 俺:最近では、『本当に美しいモノ』の手作り絵本を、職場である保育所の読み聞かせの題材にするほど気持ちの整理はついた。 0: 俺:そんなある日のことだ。 俺:仕事から帰宅すると、扉の手すりの部分に、身に覚えのない紙袋が引っかかっていた。 俺:お金?爆弾?恐る恐る紙袋を開封すると、中には、デジタル時計のようなものと説明書が入っていた。 俺:説明書には、こう書かれていた。 0: 澪:『時をさかのぼる時計―取り扱い説明書―』 澪: 澪:使い方 澪:①上のボタンを適当に押して、戻りたい過去の戻りたい時間に設定する。 澪:②右下のスタートボタンをずっと押しっぱなしにする。 澪:③あら不思議。戻りたい過去の戻りたい時間に戻れます。 澪: 澪:注意事項 澪:①現代のお金や道具を所持した状態だと機能しません。 澪:②服と下着は、できるだけ目立たないモノを着用して下さい。 澪:③過去の自分と目が合った時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:④過去の特定の人間と十五分以上の会話や接触をした時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:⑤過去の生き物を殺そうとした時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:⑥過去への滞在時間(たいざいじかん)は、最大四十八時間です。四十八時間を経過した時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:⑦本商品は、消耗品(しょうもうひん)ですので、一回きりの使用にて、自動的に消滅(しょうめつ)いたします。 0:【間】 俺:なんともSFチックな内容の説明書。近所の誰かのいたずらとしか考えられない。 俺:しかし、俺には、時をさかのぼる時計を使用するという選択肢しかなかった。 俺:『澪に…。もう一度、澪に会いたいから!』 俺: 俺:お風呂に入り、地味なジャージに着替える。時計と説明書を持って車に乗り、当時澪と一緒に暮らしていたアパートのそばの空き地に向かった。 俺:いや、待てよ…。 俺:あの空き地だと、時をさかのぼってすぐに過去の自分と目を合わせてしまう可能性がある。それは、まずい。 俺:目的地をアパートから少し離れた公園の駐車場に変更した。 俺: 俺:駐車場に到着すると、再度説明書の内容を目で確認し、さっそく時をさかのぼる時計の時代設定を20年前の澪が亡くなった日、 俺:4月24日の1日前の午後6時に設定し、迷わずスタートボタンを長押しした。 俺:これが誰かのいたずらでも嘘でも何でも構わない。 俺:澪が死んでしまう運命を変えたい! 俺:頭痛とめまいと胸をわしづかみにされるような感覚が雪崩のように同時に押し寄せて、俺はすぐに気を失った。 俺: 俺:意識が朦朧(もうろう)とする中、ゆっくりと目を開けてみると、車を停めた駐車場のアスファルトの上に横たわっていた。 俺:時計のスタートボタンを押す前は、11月だったので、その時に比べると、少し暖かい。 俺:辺りを見渡すと、明らかに外観が違う。 俺:だが、まだ信じがたい。 俺:近くに市役所があったはずなので、そこでカレンダーか何か日付のわかるものを探すことにした。 俺: 俺:午後6時を過ぎていたので、当然のことながら、市役所は閉まっていた。 俺:しかし、窓越しにカレンダーの日付の4月23日を確認することはできた。 俺:間違いない。俺は、澪が死ぬ1日前にタイムスリップすることができた。 俺:さて、ここからどうするか…。 俺:澪を飲酒運転でひいた犯人を殺しにいくという選択肢は、説明書の 澪:『過去の生き物を殺してはいけない』 俺:という項目に当てはまるので、ダメだ。だったら、澪に会いに行くしかない。 俺:しかし、あの家には、この時代の俺もいる。 俺:それも説明書の 澪:『過去の自分と目が合ってはならない』 俺:という項目に当てはまるので、却下だ。うーん…。 俺:この時代の俺は、翌朝の6時に仕事の早番で出勤するはずだ。その後に、一人になった澪に会いに行く。 俺:それしかない。それが一番確実だ。 俺: 俺:俺は、20年前の街並みを歩いた。 俺:現代では、潰れているお店、廃墟になっている家、無くなった看板、それらが全部、まだ息をしていた。 澪:20年後には、この世界では生きていない人間も、この時代では、生きている。 俺:そして、俺は、20年後の未来でも澪に生きていてほしいから、今ここにいる。 俺: 俺:公園のベンチに座り、朝まで流れ星を探し続けた。 俺:この時代の澪を20年後の未来に連れてゆきたいから、それをお願いするために、流れ星を探し続けた。 0: 0:【間】 0: 俺:陽が昇り、朝がきた。 俺:結局、一睡もできなかった。 俺:流れ星もひとつも見つけられなかった。 俺:そして、そろそろ、この時代の俺が出勤する時間だ。 俺:俺は、ベンチから立ち上がり、澪と同棲していたアパートに向かった。 0: 0:【長い間】 0: 俺:呼び鈴を鳴らす。 澪:「はーい」 俺:安心感を与える優しい声、俺が大好きだった声、長い間ずっと聴きたくても聴けなかった澪の声。 俺:その声を聴いただけで、涙腺の蛇口が崩壊し、涙が滝のように溢れ出した。 俺:「澪、俺だ!」 俺:扉が開き、恋焦がれ、永遠に失ったはずの女性が当時のままで姿を現した。 澪:「あっ?あれっ?のんちゃん?さっき仕事の早番に出かけたよね?忘れ物?」 俺:「あぁ、忘れ物を取りにきた」 俺:次の瞬間、俺の体はすでに澪の体を強く抱きしめていた。 俺:懐かしいグレースコールの香水の匂い、心地よい感触、すべてがあの頃のままだ。 澪:「えっ?いきなりっ?何っ?」 俺:「なんでもいい。とにかく俺の話を聞いてほしい」 俺:家に上がり、白い机に向かい合わせに座った。 澪:「のんちゃん、急に老けた?あと、急に太ってない?」 俺:「うるせぇ。そういうことなんだよ!」 澪:「そういうことって、どういうことなの?」 俺:「信じられないかも知れないけど、これは本当の話なんだ。俺は、20年後の未来からきた」 澪:「へぇ、そうなんだ。ちょっと待ってね」 俺:澪は、冷蔵庫の中から、お茶のペットボトルを持ってきて、中身をコップに注いだ。 澪:「まぁ、飲みなさい。飲んで落ち着きなさい」 俺:「信じてないの?」 澪:「ううん。信じてる。だって、のんちゃんが嘘をついたことも、約束を破ったことも一度もないからね」 澪:「何か理由があって、わざわざ未来から来てくれたんでしょ?大事なことだと思うから、しっかり説明してほしいの」 俺:「わかった。時間も15分しかないから、手短に話すよ?」 澪:「15分!?」 俺:「うん。だからね。よく聴いて」 澪:「はい」 俺:「えっと、今日の夕方6時に澪は、飲酒運転の車に轢かれて死んでしまうの。だから、今日一日は、この家から、何があっても絶対に出たらダメだ」 澪:「了解です。この家からは絶対に出ません!」 俺:「ふーっ。よかったーっ」 澪:「何がよかったの?」 俺:「だってさ、これで、元の時代に戻れば、俺の隣には澪がいる」 澪:「…」 俺:「ん?どうしたの?」 澪:「やっぱり、のんちゃんはバカだね」 俺:「どういうこと?」 澪:「のんちゃんは、元の時代に戻っても、きっと私はどこにもいないよ」 俺:「えっ?俺の話をちゃんと聞いてた?今日、外に出なければ、澪は命が助かるんだよ!わざと死ぬの?そんなのは、やめてくれよ!」 澪:「だーかーらー興奮しない。お茶を飲みなさい」 俺:「俺は、落ち着いてる」 澪:「私は、今日は、外に出ないし、死なないし、ずっとのんちゃんのそばにいるよ。お腹の中にも天才になることが確定の大切なベイビーがいるからね。私が守らないとだからさ」 俺:「うん。一緒に守ろう」 澪:「無理だよ…」 俺:「どうして無理なの?俺と別れるってこと?」 澪:「のんちゃんとは、別れるつもりはないし、ずっと一緒にいるし、一緒にこの子の幸せな未来を守ってゆくよ」 俺:「だったら!どうして無理なの?」 澪:「私はね。科学の本とかをたくさん読んでるから分かるの」 澪:「この時間軸、この世界線で、仮に私が死ななかったとしても、あなたの時間軸、あなたの世界線では、私が死んだという結果は、絶対に変えられないし、変わらないの」 俺:「つまり、俺がこの時間軸で、どんな行動をとったとしても、澪を救えないってこと?俺の世界線では、澪を生き還らせることは絶対にできないってこと?」 澪:「そういうことだよ」 俺:「そんなっ…。じゃあ、俺がここにきた意味は?」 澪:「意味は、なかったって思うの?」 俺:「………。意味なら、あった。この世界線の澪を救えた」 澪:「そうだよ。私だけじゃない。天才になることが確定のベイビーも救ってくれた。ありがとう」 俺:澪は、額を俺の額にくっつけ、何度も「ありがとう」と言った。 俺:「どういたしまして。じゃあ、そろそろ、俺、戻るね。元の時代にさ」 澪:「待って」 俺:「何?」 澪:「私はね。あなたの時代でも、きっと生きてるよ。だって、あなたのことが大好きだから、もう一度あなたに会いたくて、生まれ変わって、姿形は変わっても、きっとあなたに会いにゆくと思う」 澪:「だから、私を見つけてあげて。あなたと過ごした幸せな記憶を失っていても、人を好きになるというステキな気持ちを忘れていても、あなたに会えたなら、あなたがあなたでいる限り、私も必ず私に戻れる日がくる」 俺:涙で視界をさえぎられて、もう、まともに澪の顔が見れない。 俺:「わかった」 澪:「本を書くことを続けていてね」 俺:「わかった」 澪:「知識の専門家にもなっていてね」 俺:「わかった」 澪:「嫌いな野菜も頑張って食べてね」 俺:「わかった」 澪:「優しい気持ちも忘れないでいてね」 俺:「わかった」 0:【間】 澪:「あなたは、あなたのままでいてね」 俺:「わかった」 0: 0:【長い間】 0: 俺:頭痛とめまいと胸をえぐるような感覚が急に押し寄せ、意識が朦朧とする中、目を開けてみると、俺の車の座席に座っていた。 俺:時をさかのぼる時計と説明書は、跡形もなく消え去っていた。 俺:助手席に置いていたスマホを手に取り、日付を確認すると、元の時代に戻ってきたことがわかった。 俺:LINEにも電話帳にも、『星宮澪』の名前は、予想通り、どこにもなかった。 俺: 俺:大きな溜息をひとつつき、車のエンジンをかけようとした時のことだ。突然のLINEがきた。 俺:相手は、(相手演者様の名前)。 澪:『今、空いてますか?ディスコードでサシ劇しませんか?』 俺:『いいよ。何かやりたい台本あるの?』 澪:『天才が書いた台本見つけたんです!時をさかのぼる時計って台本なんですけど…』 0:【間】 俺:どこにも澪のいない日常が、どこかに澪がいるかも知れない日常が、そこに…。 : 0:―了―

俺:澪(みお)の性格は、狂気に満ちていた。 俺:あれは、俺が仕事から帰宅し、ベッドで眠っていた時のことだ。 俺:突然、耳の穴の中に、ペットボトルの水を流し込んできた。 俺:当然、俺は驚いて、奇声を上げながら飛び起きる。 俺:その姿を見た澪は、腹を抱えて笑っていた。 俺:「どうして、疲れて寝ているのに、こんな酷いことをするの?」 澪:「寝耳に水っていうコトワザがあるでしょ?あのコトワザが本当なのかどうかを実験してみたくなったの」 俺:「寝耳に水?」 澪:「うんうん。寝耳に水。実験結果としては、期待通りの反応が見れたから、よかったよ」 俺:「何がよかっただよ!中耳炎とかになったら、どうするんだよ!」 澪:「その時は、どんまい!」 俺:澪は、ウインクして見せた。その仕草が、とにかく可愛くて、俺の怒りの炎が一瞬にして吹き飛んでいった。 俺:いやいやいや、そうじゃない。澪の性格は、狂気に満ちていたんだ。 俺:それを今から、物語にしようとしているんだ。 0:【間】 俺:そう、あれは、クリスマスの夜のことだ。 俺:お互いに、お互いの欲しそうなモノを福袋につめて交換することになっていた。 俺:俺は、澪の好きなキャラクターのヌイグルミや缶バッジ、好物のお菓子等を福袋につめ込んで渡した。一方の澪からも福袋をもらった。 俺:福袋の外装は、澪の落書きが幾つか描いてあり、隅っこには、小さな文字で、こう書いてあった。 澪:『今年も、のんちゃんと過ごせて、とっても幸せでした。来年も私のことを好きでいて下さい。好きじゃなくなったら、すぐに死んで下さい』 俺:「ん?なぁ、ここに、すぐに死んで下さいって書いてあるんだけど?」 澪:「のんちゃんという人間の本当の価値もわからないようなバカ女に、のんちゃんを盗られるくらいなら、のんちゃんが死ね!って気持ちになったの。だから、その言葉に嘘はない」 俺:「俺って、価値があるの?」 澪:「少なくとも、私にとっては、世界一価値のある人間だよ。だから、中身を見てみなさい」 俺:「中身?」 俺:俺は胸を高鳴らせながら、福袋のテープを丁寧に爪ではがし、開封した。 俺:中身は、ボクシンググローブと最強昆虫図鑑に、ロボットのプラモデルの箱が入っていた。 俺:「なんで、このチョイス?」 澪:「男だろ?強くなれ!シュッシュッ(シャドーボクシングの効果音を口でする)」 俺:「いやいやいや、俺、ボクシング経験とかないよ。それに、最強昆虫図鑑って何?ロボットのプラモデルもちょっと謎なんだけど…」 澪:「最強昆虫図鑑は、愛だよ。愛。ロボットのプラモデルは、のんちゃんの趣味がヒーローもののフィギュアを集めることだから、喜ぶかなって思ったの」 俺:「そ、そうか。ありがとう」 俺:俺は、福袋の中から、ロボットのプラモデルの箱を取り出し、フタを開けてみた。 俺:「ひっ、ひゃっ!」 俺:中には、ゴキブリとヘビとクモがたくさんっ! 俺:しかし、よく見たら、それらは全部、本物ではなく、精巧に作られたオモチャだった。 澪:「ふふっ。その反応が一番のクリスマスプレゼントだよ」 俺:「そんなに俺のビックリする姿が見たかったの?」 澪:「うん。だって、リアクション芸人みたいで、おもしろいもん」 俺:そうなんだ。クリスマスの夜まで、俺を驚かせることを考える子、それが澪だ。普通の女の子とは、明らかに違う。 0: 0:【間】 0: 俺:澪の趣味は、俺を驚かせることと読書だった。 俺:読む本のジャンルも歴史小説、星座、詩集、医学や天候の本など様々だった。 俺:その日の澪は、科学の本を読んでいた。 俺:「澪は、科学に興味があるの?」 澪:「ううん。まったく興味がない」 俺:「興味がないのに、どうして、そんな本読んでいるの?」 澪:「興味がないから、読んでるの」 俺:「どういうこと?」 澪:「のんちゃんはさ、アインシュタインの相対性理論(そうたいせいりろん)について、どこまで知ってる?」 俺:「相対速度が光の速度に近づくと、周りがゆっくりになるってやつ?」 澪:「他には?」 俺:「他には、知らないよ」 澪:「そっか…。それは、残念だな。のんちゃん、そんなんじゃ、良い父親にはなれないよ!」 俺:「どういうこと?」 澪:「(読んでいた本をバタンと閉じる音)。私たちの間に子供ができたなら、きっと頭の良い子が産まれる」 澪:「私ものんちゃんも遺伝子の出来が良いから、頭の良い子が産まれるのは、確定なの!ガチャで言うところの、確定演出ってやつよ!」 俺:「あのっ、意味不明なんですけど…」 俺:俺が首をかしげると、澪は俺の頬を平手で殴った(ベシッという殴る音)。 俺:「痛いっ!」 澪:「分かれよ!」 俺:「分かんないよ!」 澪:「バカなの?」 俺:「バカでいいけど、いま殴ったのは、あやまってよ!」 澪:「あやまらない」 俺:澪は立ち上がると、ベッドに向かってダイブし、そのまま布団を顔が隠れるまで深くかぶった。 俺:俺は、布団を軽く手でさすりながら言った。 俺:「ねぇ、きちんと説明してくれないと、意味がわからないよ」 澪:「…。うーん…。子供はね。好奇心の塊(かたまり)なの。親がその好奇心にこたえてやらないと、何に対しても興味のない子に育ってしまうの」 澪:「だから、親になるなら、その覚悟があるなら、興味がないこともたくさん、たくさん知っておく必要があるの」 俺:澪の声がかすれていた。どうやら泣いているらしい。 俺:「泣くようなことでもないよ」 澪:「泣いてない!情けないの!子供は、何に興味を持つかわからない。織田信長かも知れないし、カブトムシかも知れないし、アインシュタインの相対性理論かも知れない」 澪:「その質問がきた時に、その事柄について、さらに興味がわくように子供に説明ができたなら、子供の知識の数を増やし、可能性の幅を広げられるの」 澪:「私はそんな母親になりたいし、のんちゃんにも…」 俺:「…わかった」 俺:わかった。 俺:澪からもらった福袋に、最強昆虫図鑑が入っていた理由もわかった。 俺:子供が昆虫に興味を持ったのなら、それにきちんと答えられる父親になってほしい。 俺:それは、ひとつの愛のカタチ。 俺:「気づけなくて、ごめんよ」 澪:「もういい。寝る。静かにして」 俺:俺は、澪が寒くないように、さらに布団を何枚か上にかけ、電気の灯りを消した。 俺:想像力は、愛の強さであり、優しさだと思う。 俺:澪の想像力は、常に俺の理解の上を進んでいた。 0: 0:【間】 0: 俺:梅雨が明けると、澪の誕生日が近づく。 俺:澪の誕生日には、毎年、手作りの絵本をプレゼントしている。 俺:「今年は、どんなお話がいい?」 澪:「のんちゃんの書くお話なら、どんなお話でもいいよ」 俺:「そうなの?」 澪:「だって、優しいお話しか書けないでしょ?」 俺:「わかんないよ?たくさん人が死んじゃうお話になるかもよ?」 澪:「のんちゃんに、そんなお話は書けないよ」 俺:その通りだった。 俺:物語の登場人物に感情移入してしまうせいで、登場人物を不幸な目に遭わせることができなかった。 0: 俺:その年の澪への誕生日プレゼント。 俺:絵本のタイトルは…。 澪:『本当に美しいモノ』 澪:ある村に、鬼があらわれ、村人に言った。 澪:「本当に美しいモノを見せてくれ。本当に美しいモノがないのなら、村の人間を一人残らず喰ってやる!」 澪:村人は、花や宝石、美しいお嫁さん、空に輝く星々を鬼に見せたが、鬼は満足しなかった。 澪:それらを『本当に美しいモノ』と認めることはなかった。 澪:そして、村人は、鬼に喰われることが決まった。 澪:村人は、一斉に逃げたが、小さな子供が逃げ遅れ、鬼の最初の標的となる。 澪:「まずは、お前から喰ってやる!」 澪:その時だ。子供の母親が子供をかばうようにして両手を広げ、子供の父親が二人をかばうようにして両手を広げ、鬼の前に立ちふさがった。 澪:その姿を見て、鬼は言った。 澪:「あるじゃないか!この村にも!本当に美しいモノが!」 澪:満足した鬼は、金銀財宝を置き土産にし、村を去っていった。 0: 澪:本当に美しいモノとは、一体、何だったのでしょう? 0: 0:【長い間】 0: 澪:「このお話、とってものんちゃんらしいお話だね!すっごく好き!ねぇ、子供が産まれたら、この絵本をのんちゃんが読み聞かせしてあげてね!」 俺:「もちろんオッケー」 澪:「私、良いことを思いついたかも知れない」 俺:「良いこと?」 澪:「私は、知識の専門家。のんちゃんは、遊びの専門家。分担しよう」 俺:「つまり、子供の好奇心から出た質問には、澪が答える。俺は、絵本の読み聞かせをしたり、外で遊んだりをする。そういうこと?」 澪:「うんうん。そういうこと」 俺:「分かった」 澪:「分かればよろしい。ふふっ。ねぇ、どんな子に育ってほしい?」 俺:「どんな子?」 澪:「そう、私たちの子供。どんな子に育ってほしい?」 俺:「あぁ…。うーん…。君の作ったお弁当を、全部、綺麗に食べてくれる子かな」 澪:「何それ?遠回しに私の料理がマズイって言いたいわけ?」 俺:「違うよ。澪の作るご飯は、いつも、どれも美味しい。だから、ご飯粒一粒だって、残したことはないだろ?」 澪:「まぁ、確かに…」 俺:「あたりまえのことを、特別だと感じて感謝できる子」 俺:「そして、それを行動として見せてくれる子に育ってほしいんだよ」 澪:「ふぁっ!」 俺:「えっ!?なに?」 澪:「ぎゅーしたくなった」 俺:澪は、子犬のように俺に飛びついてきた。 澪:「ぎゅー」 俺:「ふふ」 澪:「のんちゃんを好きになって、よかったなぁ」 俺:「そうか。それは、よかった」 0: 0:【長い間】 0: 俺:澪が亡くなった日、澪が持っていたカバンの中には、俺の描いた絵本が入っていた。 俺:俺は、あの日、何もできなかった。 俺:悪夢がすべてを奪い去っていった。 俺:飲酒運転の車に轢(ひ)かれたいう事実は、権力によって揉み消され、二人の子供を宿した澪は、不注意で車に轢かれたという扱いになった。 俺: 俺:同棲していたのに…。あの日の夕方、実家に荷物を取りに帰ろうとする澪を引き止めていたなら…。 俺:俺は、腐りきった権力を憎み、あの日の自分を呪い続けた。 0: 0:【長い間】 0: 俺:澪は、俺という人間の価値を世界で一番評価してくれていた。 俺:「ねぇ、俺のどこがそんなに良いの?」 澪:「のんちゃんはね、天才なの」 俺:「天才は、パワーワードだね」 澪:「パワーワードですよ。特別感あるでしょ?」 俺:「あるある。ありがとう。ちなみに、何の天才なの?」 澪:「私を、幸せな気持ちにしてくれる天才だよ」 俺:だったら、澪も…。 俺: 俺:俺は、そんな澪のことを忘れることができず、以降の恋愛も長続きすることはなかった。 俺:しかし、澪を失ってから20年の時が経ち、少しずつではあるが、前進はしている。 俺:最近では、『本当に美しいモノ』の手作り絵本を、職場である保育所の読み聞かせの題材にするほど気持ちの整理はついた。 0: 俺:そんなある日のことだ。 俺:仕事から帰宅すると、扉の手すりの部分に、身に覚えのない紙袋が引っかかっていた。 俺:お金?爆弾?恐る恐る紙袋を開封すると、中には、デジタル時計のようなものと説明書が入っていた。 俺:説明書には、こう書かれていた。 0: 澪:『時をさかのぼる時計―取り扱い説明書―』 澪: 澪:使い方 澪:①上のボタンを適当に押して、戻りたい過去の戻りたい時間に設定する。 澪:②右下のスタートボタンをずっと押しっぱなしにする。 澪:③あら不思議。戻りたい過去の戻りたい時間に戻れます。 澪: 澪:注意事項 澪:①現代のお金や道具を所持した状態だと機能しません。 澪:②服と下着は、できるだけ目立たないモノを着用して下さい。 澪:③過去の自分と目が合った時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:④過去の特定の人間と十五分以上の会話や接触をした時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:⑤過去の生き物を殺そうとした時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:⑥過去への滞在時間(たいざいじかん)は、最大四十八時間です。四十八時間を経過した時点で、強制的に現代に戻ります。 澪:⑦本商品は、消耗品(しょうもうひん)ですので、一回きりの使用にて、自動的に消滅(しょうめつ)いたします。 0:【間】 俺:なんともSFチックな内容の説明書。近所の誰かのいたずらとしか考えられない。 俺:しかし、俺には、時をさかのぼる時計を使用するという選択肢しかなかった。 俺:『澪に…。もう一度、澪に会いたいから!』 俺: 俺:お風呂に入り、地味なジャージに着替える。時計と説明書を持って車に乗り、当時澪と一緒に暮らしていたアパートのそばの空き地に向かった。 俺:いや、待てよ…。 俺:あの空き地だと、時をさかのぼってすぐに過去の自分と目を合わせてしまう可能性がある。それは、まずい。 俺:目的地をアパートから少し離れた公園の駐車場に変更した。 俺: 俺:駐車場に到着すると、再度説明書の内容を目で確認し、さっそく時をさかのぼる時計の時代設定を20年前の澪が亡くなった日、 俺:4月24日の1日前の午後6時に設定し、迷わずスタートボタンを長押しした。 俺:これが誰かのいたずらでも嘘でも何でも構わない。 俺:澪が死んでしまう運命を変えたい! 俺:頭痛とめまいと胸をわしづかみにされるような感覚が雪崩のように同時に押し寄せて、俺はすぐに気を失った。 俺: 俺:意識が朦朧(もうろう)とする中、ゆっくりと目を開けてみると、車を停めた駐車場のアスファルトの上に横たわっていた。 俺:時計のスタートボタンを押す前は、11月だったので、その時に比べると、少し暖かい。 俺:辺りを見渡すと、明らかに外観が違う。 俺:だが、まだ信じがたい。 俺:近くに市役所があったはずなので、そこでカレンダーか何か日付のわかるものを探すことにした。 俺: 俺:午後6時を過ぎていたので、当然のことながら、市役所は閉まっていた。 俺:しかし、窓越しにカレンダーの日付の4月23日を確認することはできた。 俺:間違いない。俺は、澪が死ぬ1日前にタイムスリップすることができた。 俺:さて、ここからどうするか…。 俺:澪を飲酒運転でひいた犯人を殺しにいくという選択肢は、説明書の 澪:『過去の生き物を殺してはいけない』 俺:という項目に当てはまるので、ダメだ。だったら、澪に会いに行くしかない。 俺:しかし、あの家には、この時代の俺もいる。 俺:それも説明書の 澪:『過去の自分と目が合ってはならない』 俺:という項目に当てはまるので、却下だ。うーん…。 俺:この時代の俺は、翌朝の6時に仕事の早番で出勤するはずだ。その後に、一人になった澪に会いに行く。 俺:それしかない。それが一番確実だ。 俺: 俺:俺は、20年前の街並みを歩いた。 俺:現代では、潰れているお店、廃墟になっている家、無くなった看板、それらが全部、まだ息をしていた。 澪:20年後には、この世界では生きていない人間も、この時代では、生きている。 俺:そして、俺は、20年後の未来でも澪に生きていてほしいから、今ここにいる。 俺: 俺:公園のベンチに座り、朝まで流れ星を探し続けた。 俺:この時代の澪を20年後の未来に連れてゆきたいから、それをお願いするために、流れ星を探し続けた。 0: 0:【間】 0: 俺:陽が昇り、朝がきた。 俺:結局、一睡もできなかった。 俺:流れ星もひとつも見つけられなかった。 俺:そして、そろそろ、この時代の俺が出勤する時間だ。 俺:俺は、ベンチから立ち上がり、澪と同棲していたアパートに向かった。 0: 0:【長い間】 0: 俺:呼び鈴を鳴らす。 澪:「はーい」 俺:安心感を与える優しい声、俺が大好きだった声、長い間ずっと聴きたくても聴けなかった澪の声。 俺:その声を聴いただけで、涙腺の蛇口が崩壊し、涙が滝のように溢れ出した。 俺:「澪、俺だ!」 俺:扉が開き、恋焦がれ、永遠に失ったはずの女性が当時のままで姿を現した。 澪:「あっ?あれっ?のんちゃん?さっき仕事の早番に出かけたよね?忘れ物?」 俺:「あぁ、忘れ物を取りにきた」 俺:次の瞬間、俺の体はすでに澪の体を強く抱きしめていた。 俺:懐かしいグレースコールの香水の匂い、心地よい感触、すべてがあの頃のままだ。 澪:「えっ?いきなりっ?何っ?」 俺:「なんでもいい。とにかく俺の話を聞いてほしい」 俺:家に上がり、白い机に向かい合わせに座った。 澪:「のんちゃん、急に老けた?あと、急に太ってない?」 俺:「うるせぇ。そういうことなんだよ!」 澪:「そういうことって、どういうことなの?」 俺:「信じられないかも知れないけど、これは本当の話なんだ。俺は、20年後の未来からきた」 澪:「へぇ、そうなんだ。ちょっと待ってね」 俺:澪は、冷蔵庫の中から、お茶のペットボトルを持ってきて、中身をコップに注いだ。 澪:「まぁ、飲みなさい。飲んで落ち着きなさい」 俺:「信じてないの?」 澪:「ううん。信じてる。だって、のんちゃんが嘘をついたことも、約束を破ったことも一度もないからね」 澪:「何か理由があって、わざわざ未来から来てくれたんでしょ?大事なことだと思うから、しっかり説明してほしいの」 俺:「わかった。時間も15分しかないから、手短に話すよ?」 澪:「15分!?」 俺:「うん。だからね。よく聴いて」 澪:「はい」 俺:「えっと、今日の夕方6時に澪は、飲酒運転の車に轢かれて死んでしまうの。だから、今日一日は、この家から、何があっても絶対に出たらダメだ」 澪:「了解です。この家からは絶対に出ません!」 俺:「ふーっ。よかったーっ」 澪:「何がよかったの?」 俺:「だってさ、これで、元の時代に戻れば、俺の隣には澪がいる」 澪:「…」 俺:「ん?どうしたの?」 澪:「やっぱり、のんちゃんはバカだね」 俺:「どういうこと?」 澪:「のんちゃんは、元の時代に戻っても、きっと私はどこにもいないよ」 俺:「えっ?俺の話をちゃんと聞いてた?今日、外に出なければ、澪は命が助かるんだよ!わざと死ぬの?そんなのは、やめてくれよ!」 澪:「だーかーらー興奮しない。お茶を飲みなさい」 俺:「俺は、落ち着いてる」 澪:「私は、今日は、外に出ないし、死なないし、ずっとのんちゃんのそばにいるよ。お腹の中にも天才になることが確定の大切なベイビーがいるからね。私が守らないとだからさ」 俺:「うん。一緒に守ろう」 澪:「無理だよ…」 俺:「どうして無理なの?俺と別れるってこと?」 澪:「のんちゃんとは、別れるつもりはないし、ずっと一緒にいるし、一緒にこの子の幸せな未来を守ってゆくよ」 俺:「だったら!どうして無理なの?」 澪:「私はね。科学の本とかをたくさん読んでるから分かるの」 澪:「この時間軸、この世界線で、仮に私が死ななかったとしても、あなたの時間軸、あなたの世界線では、私が死んだという結果は、絶対に変えられないし、変わらないの」 俺:「つまり、俺がこの時間軸で、どんな行動をとったとしても、澪を救えないってこと?俺の世界線では、澪を生き還らせることは絶対にできないってこと?」 澪:「そういうことだよ」 俺:「そんなっ…。じゃあ、俺がここにきた意味は?」 澪:「意味は、なかったって思うの?」 俺:「………。意味なら、あった。この世界線の澪を救えた」 澪:「そうだよ。私だけじゃない。天才になることが確定のベイビーも救ってくれた。ありがとう」 俺:澪は、額を俺の額にくっつけ、何度も「ありがとう」と言った。 俺:「どういたしまして。じゃあ、そろそろ、俺、戻るね。元の時代にさ」 澪:「待って」 俺:「何?」 澪:「私はね。あなたの時代でも、きっと生きてるよ。だって、あなたのことが大好きだから、もう一度あなたに会いたくて、生まれ変わって、姿形は変わっても、きっとあなたに会いにゆくと思う」 澪:「だから、私を見つけてあげて。あなたと過ごした幸せな記憶を失っていても、人を好きになるというステキな気持ちを忘れていても、あなたに会えたなら、あなたがあなたでいる限り、私も必ず私に戻れる日がくる」 俺:涙で視界をさえぎられて、もう、まともに澪の顔が見れない。 俺:「わかった」 澪:「本を書くことを続けていてね」 俺:「わかった」 澪:「知識の専門家にもなっていてね」 俺:「わかった」 澪:「嫌いな野菜も頑張って食べてね」 俺:「わかった」 澪:「優しい気持ちも忘れないでいてね」 俺:「わかった」 0:【間】 澪:「あなたは、あなたのままでいてね」 俺:「わかった」 0: 0:【長い間】 0: 俺:頭痛とめまいと胸をえぐるような感覚が急に押し寄せ、意識が朦朧とする中、目を開けてみると、俺の車の座席に座っていた。 俺:時をさかのぼる時計と説明書は、跡形もなく消え去っていた。 俺:助手席に置いていたスマホを手に取り、日付を確認すると、元の時代に戻ってきたことがわかった。 俺:LINEにも電話帳にも、『星宮澪』の名前は、予想通り、どこにもなかった。 俺: 俺:大きな溜息をひとつつき、車のエンジンをかけようとした時のことだ。突然のLINEがきた。 俺:相手は、(相手演者様の名前)。 澪:『今、空いてますか?ディスコードでサシ劇しませんか?』 俺:『いいよ。何かやりたい台本あるの?』 澪:『天才が書いた台本見つけたんです!時をさかのぼる時計って台本なんですけど…』 0:【間】 俺:どこにも澪のいない日常が、どこかに澪がいるかも知れない日常が、そこに…。 : 0:―了―