台本概要
191 views
タイトル | 『苹果の軸の蜜の苦きこと。』ななぶんのいち |
---|---|
作者名 | sazanka (@sazankasarasara) |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 2人用台本(女1、不問1) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
りんごのじくのみつのあまきこと。 非道徳青少年追想畸譚。 雨が降った日、 罪を数える少年と少女は苹果(りんご)を剥く。 ―2022年5月下旬― 191 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
歌玻 | 女 | 106 | 「伽 歌玻(とぎ うたは)」。14歳。中学生(不登校)。シロップの声。 |
雅倫 | 不問 | 102 | 「塩原 雅倫(しおはら まさみち)」。14歳。中学生(優等生)。砕けた金平糖。 ※男性ですが、演者は男女不問です。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:シロップの声。
歌玻:雨もしとどに並木を濡らす
歌玻:こどもがこどもをころすうた。
0:タイトルコール。
雅倫:“非道徳青少年追想畸譚(ひどうとくせいしょうねんついそうきたん)”
歌玻:『苹果(りんご)の軸の蜜の苦(あま)きこと。』
雅倫:「ななぶんの」、
歌玻:「いち」。
0:【間】
【モノローグ】(雅倫):雨が降った日は苹果(りんご)を剥く。
【モノローグ】(雅倫):それが僕たち2人の、たった1つの取り決めだった。
0:少女の部屋。部屋の主はベッドに腰掛けている。
雅倫:おまたせ……。歌玻(うたは)ちゃん。
0:少年が入室。手に持つ盆には剥かれ、切り分けられた、林檎の皿。
歌玻:……よく、降るわね。
歌玻:雅倫(まさみち)。
雅倫:……。ずっと見てたの、窓。
歌玻:だって……、飽きないんだもん。
歌玻:窓の滴(しずく)の、枝に分かれるのを目で追っていると……。
歌玻:何だか綺麗な生き物が、この世に生まれて、最期に滅びてしまうまでの……、永い永い旅を、見ているみたい。
雅倫:…………、
【モノローグ】(雅倫):薄い唇は花びら。
【モノローグ】(雅倫):濡れた声は、シロップ。
歌玻:わかる? 雅倫、あんたに。
雅倫:理解はするけど。
雅倫:それは、楽しい?
歌玻:虚しくて、寂しくて……、
歌玻:素敵、ね。
雅倫:そう。
歌玻:林檎をよこして。
雅倫:はい……。どうぞ。
0:皿を手渡し、少年は椅子へと。
0:果実にフォークが沈み、蜜が飛沫く。
雅倫:(しゃり、と齧り)
雅倫:……よく熟れてる。
歌玻:帰り道で買ったの?
雅倫:そう。昼休みの後に、降り出したから。
0:少女も一口、齧る。
歌玻:……甘い。
歌玻:偉いじゃない。ちゃんと選べて。
雅倫:色と、見た目で決めたんだけどね。
雅倫:……ご機嫌は?
歌玻:何?
雅倫:朝に顔を見た時から……、
雅倫:ずっとムシャクシャ、してる風だったから。
歌玻:こういう顔なの。知ってる癖に。
雅倫:新しい担任がしつこいから?
歌玻:……うんざりしてるのはママよ。
歌玻:私はもう決めてるから。中間と期末の、テストの時以外は行かない、って。
雅倫:どうして。
歌玻:行かない理由?
雅倫:じゃなくて。テストの時は、良いの?
歌玻:足を運ぶ目的があるから。
歌玻:普段の勉強は、わざわざ教師の口から聞く必要無いもん。
雅倫:そう、かな。
歌玻:非効率。結果が証明してるでしょ。
雅倫:全教科100点?
歌玻:私の勝ち。
歌玻:なのに大人気ないわ、大人って。
雅倫:そこは担任だし……、
雅倫:「だから来なくても良いですよ」、とは言えないんだね、きっと。
歌玻:知ったことじゃないから。気にもならないけど。
0:2人、果実を齧り、蜜を啜る。
歌玻:雅倫も。やめればいいのよ。
雅倫:学校?
歌玻:試験で満点を取る方法なんて。私が教えてあげる。
雅倫:難しいね。父さんが困るから。
歌玻:先に生まれたっていうだけで、好き勝手に生きて……、先に死んでいく、大人の事なんて。
歌玻:どうだって良いと思わない?
雅倫:……、……。
0:穏やかな沈黙。雨垂れの音。
雅倫:二人で休んで、どうやって過ごすの?
歌玻:(にや、と笑み)話を、するのよ。
歌玻:雨の日に、起きた事を思い出して……、
雅倫:…………、
歌玻:戻って来ないものを、数えるの。
雅倫:なくなったものを?
歌玻:ええ。今、あるものよりも……、
歌玻:二度と帰らないものの方が。
歌玻:きっと、素敵。
雅倫:僕たちの、
歌玻:ええ。罪の、数を。
0:白と、淡い紫の部屋を、果実の薫りが満たしている。
歌玻:2年間で7人も死んだのよ。あの小学校で。
雅倫:「僕たち」が。別々の所から、同時に転校してきた、あの4年生の春からね。
歌玻:呪われてる、って。人はきっとそう言ってるわ。
雅倫:僕と歌玻ちゃんの、どちらが?
歌玻:あの子たちが。
歌玻:私たちは、ただ……、
0:黒毒の塊の如き笑み。
歌玻:『恐るべき子供たち』で、あっただけ。
雅倫:……、『アン・ファン・テリブル』。ジャン・コクトーだね。
歌玻:こんな雨の日じゃ、なかった?
歌玻:あの子が死んだのは。
雅倫:どの子?
歌玻:まゆり。
歌玻:……保健室の、まゆり。
0:午後の空気が雨を冷やし、水滴が樋(とい)を打つ。
雅倫:……宮辻(みやつじ)さん、か。
雅倫:どんな字、だったっけ。
歌玻:難しいのよ。蝶々なんかの「繭(まゆ)」に、画数が多い方の「裡(うち)」と書いて、「繭裡(まゆり)」。4年の時は平仮名で書いてた。
雅倫:亡くなったのは、
歌玻:5年の、春と夏の間。
歌玻:……く、くく。
歌玻:やめないのね、その言い方。
雅倫:何?
歌玻:「亡くなった」。
雅倫:ああ……。
雅倫:だって、同じ意味だもの。
歌玻:いい面の皮。
歌玻:……優しくて、体が弱くて、塞ぎがちで……、
歌玻:思い込みの激しい、子だったわね。
雅倫:その時の……、6年の担任の、男の先生と、
歌玻:愛し合っていた。
歌玻:……クラスの誰も、知らなかったけれど。
歌玻:私、4年の夏頃に、相談を受けたの。
雅倫:そうだったね。何て?
歌玻:先生の事が好きで、好きで、堪らないのだけど、って。
歌玻:先生は自分を子供扱いせずに、「君の事を人間として、一人前の女性として、対等に見て、愛しているよ」って、言ってくれたって。
雅倫:対等、に。
歌玻:いつもそう言ってくれるんだって、うっとりした眼で。
歌玻:「だからこの関係は、たまたま歳が少し、離れているだけで」……、
歌玻:「とてもまっすぐで綺麗な、男女の当たり前の、愛の形なんだよ」、って。
歌玻:凄く誠実に、丁寧に、何度も何度も……、
歌玻:先生の部屋や車で、気持ちを、確かめ合う度に……、
歌玻:語り聞かせてくれるんだ、って。
雅倫:…………。
雅倫:歌玻ちゃんはそれに、何て返したの。
歌玻:「素敵なことだと思う」、って。
歌玻:答えたわ。
雅倫:…………、
0:にやり、と笑み溢れ、蜜の粘る少女の声音。
歌玻:「そんな風に、真心をまっすぐに差し向けて、注いでくれる相手になんて……、
歌玻:大人になってからも、出会えるとは限らないから。
歌玻:大切にしなくちゃいけないと思うわ」、って。
歌玻:耳元で、囁いて、あげた。
雅倫:…………、そう、か。成る程……。
歌玻:「二人の純粋な愛を妬んで、疎(うと)んで、邪魔をする人もいるかもしれないから」……、
歌玻:「もうこれ以上、誰にも話さない方が良い」、とも言った。
歌玻:「先生の身にだって、良くない事が起こるかもしれないから」。
歌玻:「私だけは、二人の幸せを祈ってあげられるから」、って。
歌玻:優しく、抱きしめてあげたっけ。
雅倫:…………。
歌玻:く、くく、くくく。
歌玻:嬉しそう、だった。繭裡(まゆり)。
歌玻:皮を剥いた葡萄みたいに、大きな眼が潤んで……。
雅倫:背中を押してもらえたと、思ったんだね。
雅倫:確かに……、その辺りから、何だか肝の座ったような雰囲気だったな。
歌玻:私に、認めてもらえたのが、嬉しかったのね。きっと。
雅倫:都会から来た……、お金持ちで何もかもが完璧な、クラスメイトにね。
歌玻:褒めたって、今日は何もしてあげないから。
雅倫:要らない。
雅倫:褒めても、いない。
歌玻:く、くく……。
0:街路で自動車が水を撥ねる音。
0:雨が止む気配は無い。
歌玻:……でも。
歌玻:自信を持てたということの、裏表に。あの子は「嫉妬」というものを覚えてしまった。
歌玻:……私ねぇ、また相談を受けたの。
雅倫:愉(たの)しそうだね。歌玻ちゃん。
歌玻:ええ……。とっても。やっぱり、思い出は素敵。
歌玻:「先生が最近、移り気だ」、って。今日の空みたいに曇った顔をして、あの子。
雅倫:移り気?
歌玻:クラスや、別の学年の……、女の子たちを見る目が熱っぽい、って。
歌玻:「自分の愛のひたむきさが足りないから……、先生の気持ちが浮ついているのかも」。
歌玻:そんな風にね。おしまいには泣いてたわ。
雅倫:あの先生は……、
雅倫:「大好き」だったよね、女の子が。
歌玻:あからさま、だったもんね。
歌玻:だから……、
歌玻:私たちはとっても、「善(よ)い事」をしたと思ってるの。
雅倫:…………、
歌玻:く、くく、く。
雅倫:それには何て、答えたの、歌玻ちゃん。
歌玻:「先生を信じなきゃ駄目」、って。
歌玻:「疑いという罪は、心を曇らせて、愛を終わらせてしまうから」、
歌玻:「今よりももっと深く、先生を愛そうと努めてみたら」、という風に。
雅倫:囁いて、あげたんだね。
【モノローグ】(雅倫):甘い毒を、
【モノローグ】(雅倫):流し込んだ。
歌玻:そう。く、く。
歌玻:あの子の「夢」が綻(ほころ)んで……、
歌玻:「我に返って」しまうのは、惜しいと思ったのよ。
雅倫:「夢」、ね。
雅倫:愛されているという、夢?
歌玻:そう。大人というものは……、自分を痛め付けて、罵って、奪い去っていくだけの恐ろしい生き物ではないという、「夢」。
歌玻:1人の人として、大人と、愛を交わし合っているという、しあわせな、「夢」。
歌玻:だってそれが、覚めてしまえば……、
雅倫:生きている意味なんて、とっくに無いんだと。
雅倫:……気がついてしまうものね。
歌玻:思い込みの世界に逃げ込むのが、きっとあの子の癖になっていたのね。
歌玻:あの教師はそれを嗅ぎ取って、上手くやったんだわ。
歌玻:わかるのよ、きっと。
雅倫:子供を貪ろうという、大人には、ね。
歌玻:……そして、それからほんの少しの時が流れて……、
雅倫:雨が降った。
歌玻:そう。あの、雨の日。
歌玻:あの子を憐れんで、空が泣いているような……、素敵な午後。
雅倫:陵山(みささぎやま)緑地の、山の上の、湖。
歌玻:不義の恋人たちが……、初めて愛を、結んだ場所。く、く。
雅倫:僕たちが転校してくるよりも前……、3年生の遠足の時、だったかな。
歌玻:本当に、天罰を下せて良かったと思うわ。あの教師。
雅倫:先生を誘うように言ったのは、歌玻ちゃんだったの。
歌玻:ええ。そうよ? 素敵な思いつき。
歌玻:あの教師に、もう一度、今度はあなたの方から想いを伝えて……、
歌玻:愛を結び直したらどう? って。
雅倫:それというのは、
歌玻:何?
雅倫:どうなれば、良いと思っていたの。歌玻ちゃんは。
歌玻:…………。
0:雨垂れ。沈黙。
歌玻:……雅倫は。どう思うの。
雅倫:僕?
歌玻:何を、どうすれば……、あの可哀想で痛ましい、奪われ尽くすだけの子供の、現実の人生が。
歌玻:しあわせになったというの。
雅倫:…………。
【モノローグ】(雅倫):潤んだ眼。
【モノローグ】(雅倫):誰の為の、涙だろうか。
0:雨の飛沫の音。
0:雨垂れ。窓の水滴。
0:水滴。
雅倫:わからないよ。歌玻ちゃん。
雅倫:親からも、教師からも、虐げられて、辱められて。
雅倫:欺かれて、貪られるだけの、無力なこどもがしあわせになる方法なんて。
歌玻:……、
雅倫:僕たちに、わかるわけない。
歌玻:…………。
歌玻:……く、く、
【モノローグ】(雅倫):蜜のしたたるような、雨の音。
歌玻:くく、く……。
歌玻:そう、ね……。そうなの。
歌玻:……私たちって、本当に……、
歌玻:気が合うわねぇ。
歌玻:雅倫。
雅倫:…………。
【モノローグ】(雅倫):嫌になる程、ね。
歌玻:どうでもよかったの。どうなるかだなんて。
雅倫:どうでも?
歌玻:こどものしあわせは大人が考えることだもの。
歌玻:私は、ただ……、
歌玻:あの子の夢が、なるだけ長く続けば良いと思っただけ。
雅倫:……いつか裏切りに気付く、その時まで?
歌玻:ええ……。そう。だから、せめて、
歌玻:見届けてあげたかったの。
雅倫:…………。
雅倫:その為に、僕たちは。
雅倫:示し合わせて、学校を休んで……、
歌玻:隠れて、ついて行った……。
歌玻:く、く。あの、運命の場所へ。
雅倫:ロープウェイのすぐ後ろのゴンドラに僕たちが乗ってるなんて、
雅倫:思ってもみなかったろうね、先生。
歌玻:当たり前、よね。学年も違うし、私が休む事も……、
雅倫:「僕たち」が、揃って休む事も。珍しくなかったものね。
歌玻:雨で、連休も終わっていたとはいえ。教師と生徒、連れ立ってピクニックなんて……。鉄の心臓。
雅倫:思い出の場所で、お楽しみ。
雅倫:……期待と興奮でボケてたんだな、きっと。
歌玻:気持ち、わかるの? 穢らわしいわね。
雅倫:今は、ね。あの頃とは体が変わったから。
雅倫:と、いうことは心だって変わっている筈だけれど……、
雅倫:幸い僕には理性があるから。
歌玻:…………、く、く。
歌玻:あんたが口にする、理性なんて。
雅倫:欲求に任せて、歌玻ちゃんを組み伏せたりしないだろ。
歌玻:たまにだったらいいのよ? 私も気分が乗っていればね。
雅倫:その顔色を伺う分だけが、僕の理性だよ。
雅倫:……あいつとは違うね。少なくとも。
歌玻:…………く、くく。
歌玻:あの、驚いた顔と言ったら。大人って本当に滑稽。
雅倫:あの屋根のあるベンチの、すぐ後ろの繁みで、僕たちが隠れて見ているなんて。
雅倫:……普通は考えもしないだろうね。
歌玻:私が「行け」と言ったら。いつも通り真っ直ぐに飛び出したわねぇ。雅倫は。
雅倫:…………。
雅倫:そう、だったね。
歌玻:あの時……、
【モノローグ】(雅倫):あの、時。
【モノローグ】(雅倫):あの子が先生に、熱っぽく愛の言葉を送って。
【モノローグ】(雅倫):何度かの、おぞましい口付けの後。先生の、眼の色が、変わったのは……、
歌玻:「ある友達に打ち明けて、相談に乗ってもらってる」、って。繭裡(まゆり)が言った途端に。
歌玻:凍りついたわね。あの男。
雅倫:……ああ。
歌玻:く、く。こどもが守れる秘密なんて、たかが知れているのに。
雅倫:そのおめでたい脳味噌なりに……、色々と、考えたんだろうけれど。
歌玻:大人が思いつく事なんて、いつも決まって、自分勝手だもの。……あの子もすぐに気付いてた。体が震えて、固まってた。
雅倫:「殺される」、って?
歌玻:わかったでしょう? あの教師のあの、眼付き。あんたにだって。
雅倫:……、ああ。
歌玻:辺りは誰も居ない、雨の日の、林の奥の湖。例えその時その場で、手をかけられなかったとしても……。
歌玻:あの子の「夢」を終わらせるには、きっと十分だった。
歌玻:それくらいに醜くて、恐ろしくて、
歌玻:……間抜けな、貌(かお)だった。
雅倫:…………だから。
雅倫:歌玻ちゃんは。
歌玻:ええ。
雅倫:「突き落とせ」って。
雅倫:言ったんだね。
0:雨音。
0:風と土を濡らす雨の雫の音。
歌玻:…………。
歌玻:く、く。く、ふ、ふ、
歌玻:あはは、はははは…………。
【モノローグ】(雅倫):花弁が開くように、彼女が笑い。
【モノローグ】(雅倫):僕は、見惚れる。
歌玻:そう……。そうよ。
歌玻:嘘と誤魔化しは薄い膜だもの。破れてしまえば、もう、そこまで……。
歌玻:雅倫も見たでしょう、あの子の、顔を。
雅倫:…………、
歌玻:世界でたった一人の恋人の、正体を見てしまって。
歌玻:どこまで行っても自分は、囲われて、啜(すす)り取られるだけの家畜に過ぎないと、一息に気付いて、しまって。
歌玻:あの顔を貼り付けたまま……、この先を生きて行かなければ、ならないだなんて。
歌玻:そんな残酷なことって、無いもの。
雅倫:…………。
歌玻:ね……?
雅倫:……あっけなかったね。
歌玻:ええ。
歌玻:あの湖は綺麗だけれど、水面からは分からない、水草や藻が絡み付いて……、
雅倫:水を掻こうが、泳ごうが、一度落ちたら助からない、って。
歌玻:看板にも書いてあったもの、ね。
歌玻:……本当にその通りだった。山や公園の注意書きを蔑ろにするの、やめましょうね?
雅倫:そう……、だね。これからは。
0:ふ、と目を浮かし、少女は歌うように語る。
歌玻:恋人にしがみついたまま……、やがて藻掻くのを止めて、あの子は最後に、私を見た。
歌玻:濡れて、ぐしゃぐしゃで、半ば沈みかけている中で……、確かに、あの子は穏やかな、感謝の笑顔を浮かべていた。
雅倫:……、
歌玻:あんたも、見ていたわね?
雅倫:…………、
【モノローグ】(雅倫):どう、だった?
【モノローグ】(雅倫):水草と、長くて黒い髪が顔に絡んで。
【モノローグ】(雅倫):あのとき彼女は、どんな、
歌玻:ねえ……? 雅倫。
0:シロップの声。
雅倫:…………。
0:雨。
雅倫:…………そうだね。
雅倫:きっと……、
雅倫:そう、
雅倫:だったろうね。
歌玻:くく、く、く……。
0:雨。
0:雨。
0:雨。
0:苹果の、香り。
歌玻:……話したら眠くなったわ。
雅倫:また、夜更ししたの。
歌玻:えっと……、インドのね……、多分現地のパティシエの人だと思うんだけど……、
歌玻:そのお店の、その日の日替わりのパイみたいなものを作ってる様子を、毎日アップしてるチャンネルがあって……、
雅倫:全部見たの?
歌玻:半分くらい。飽きるまで、と思ったら中々……、
雅倫:眼、悪くなるよ。
歌玻:いいのよ。眼鏡だってコンタクトだって、買ってもらうから。
雅倫:少し……、眠ったら。
雅倫:おばさんにもそう、伝えるから。
歌玻:うん……、
【モノローグ】(雅倫):そう、するのが良いよ。
【モノローグ】(雅倫):林檎を、齧ったなら。
【モノローグ】(雅倫):眠りに落ちるのが、お約束だから。
歌玻:帰るの……? 雅倫。
雅倫:急がないよ。
雅倫:眠るまで、居るね。
歌玻:また、来るのよ。
歌玻:明日も、明後日も。
歌玻:雨が降る日には、必ず……、
雅倫:来るよ、急いで。
雅倫:林檎を、買って。
歌玻:偉い、わ。
歌玻:…………、
歌玻:ねえ、
雅倫:何。歌玻ちゃん。
歌玻:繭裡(まゆり)の、事。
歌玻:……あの子の、事……、
雅倫:……、うん。
歌玻:これからも。
歌玻:大人に、なっても。
歌玻:何度も、何度でも……、
歌玻:思い出して、あげましょうね。
雅倫:……、
【モノローグ】(雅倫):どうして。
【モノローグ】(雅倫):何の為に?
【モノローグ】(雅倫):君の、為、
【モノローグ】(雅倫):それとも、
歌玻:ね……? 雅倫。
雅倫:…………。
0:雨音。
0:窓と、少女の瞳は濡れている。
雅倫:……おやすみ、歌玻ちゃん。
雅倫:もう……、瞼が降りるよ。
歌玻:…………、
歌玻:……、
0:やがて、静かな寝息。
0:雨音だけの静寂。少年は窓を見やり。
雅倫:…………。
雅倫:やみそうに、ないな。
0:暗転。
0:【間】
0:砕けた金平糖の声。
雅倫:読辺川(よみべがわ)小学校児童連続死亡事故・事件群
雅倫:ファイル4、『少女M』。
雅倫:性的虐待教諭との擬似的錯覚的恋愛の末、陵山(みささぎやま)緑地公園内の人工湖にて無理心中を図り、入水(じゅすい)。
雅倫:死因、溺死。
雅倫:移送先、
雅倫:地獄。
0:【終】
0:また、雨が降った日に。
0:シロップの声。
歌玻:雨もしとどに並木を濡らす
歌玻:こどもがこどもをころすうた。
0:タイトルコール。
雅倫:“非道徳青少年追想畸譚(ひどうとくせいしょうねんついそうきたん)”
歌玻:『苹果(りんご)の軸の蜜の苦(あま)きこと。』
雅倫:「ななぶんの」、
歌玻:「いち」。
0:【間】
【モノローグ】(雅倫):雨が降った日は苹果(りんご)を剥く。
【モノローグ】(雅倫):それが僕たち2人の、たった1つの取り決めだった。
0:少女の部屋。部屋の主はベッドに腰掛けている。
雅倫:おまたせ……。歌玻(うたは)ちゃん。
0:少年が入室。手に持つ盆には剥かれ、切り分けられた、林檎の皿。
歌玻:……よく、降るわね。
歌玻:雅倫(まさみち)。
雅倫:……。ずっと見てたの、窓。
歌玻:だって……、飽きないんだもん。
歌玻:窓の滴(しずく)の、枝に分かれるのを目で追っていると……。
歌玻:何だか綺麗な生き物が、この世に生まれて、最期に滅びてしまうまでの……、永い永い旅を、見ているみたい。
雅倫:…………、
【モノローグ】(雅倫):薄い唇は花びら。
【モノローグ】(雅倫):濡れた声は、シロップ。
歌玻:わかる? 雅倫、あんたに。
雅倫:理解はするけど。
雅倫:それは、楽しい?
歌玻:虚しくて、寂しくて……、
歌玻:素敵、ね。
雅倫:そう。
歌玻:林檎をよこして。
雅倫:はい……。どうぞ。
0:皿を手渡し、少年は椅子へと。
0:果実にフォークが沈み、蜜が飛沫く。
雅倫:(しゃり、と齧り)
雅倫:……よく熟れてる。
歌玻:帰り道で買ったの?
雅倫:そう。昼休みの後に、降り出したから。
0:少女も一口、齧る。
歌玻:……甘い。
歌玻:偉いじゃない。ちゃんと選べて。
雅倫:色と、見た目で決めたんだけどね。
雅倫:……ご機嫌は?
歌玻:何?
雅倫:朝に顔を見た時から……、
雅倫:ずっとムシャクシャ、してる風だったから。
歌玻:こういう顔なの。知ってる癖に。
雅倫:新しい担任がしつこいから?
歌玻:……うんざりしてるのはママよ。
歌玻:私はもう決めてるから。中間と期末の、テストの時以外は行かない、って。
雅倫:どうして。
歌玻:行かない理由?
雅倫:じゃなくて。テストの時は、良いの?
歌玻:足を運ぶ目的があるから。
歌玻:普段の勉強は、わざわざ教師の口から聞く必要無いもん。
雅倫:そう、かな。
歌玻:非効率。結果が証明してるでしょ。
雅倫:全教科100点?
歌玻:私の勝ち。
歌玻:なのに大人気ないわ、大人って。
雅倫:そこは担任だし……、
雅倫:「だから来なくても良いですよ」、とは言えないんだね、きっと。
歌玻:知ったことじゃないから。気にもならないけど。
0:2人、果実を齧り、蜜を啜る。
歌玻:雅倫も。やめればいいのよ。
雅倫:学校?
歌玻:試験で満点を取る方法なんて。私が教えてあげる。
雅倫:難しいね。父さんが困るから。
歌玻:先に生まれたっていうだけで、好き勝手に生きて……、先に死んでいく、大人の事なんて。
歌玻:どうだって良いと思わない?
雅倫:……、……。
0:穏やかな沈黙。雨垂れの音。
雅倫:二人で休んで、どうやって過ごすの?
歌玻:(にや、と笑み)話を、するのよ。
歌玻:雨の日に、起きた事を思い出して……、
雅倫:…………、
歌玻:戻って来ないものを、数えるの。
雅倫:なくなったものを?
歌玻:ええ。今、あるものよりも……、
歌玻:二度と帰らないものの方が。
歌玻:きっと、素敵。
雅倫:僕たちの、
歌玻:ええ。罪の、数を。
0:白と、淡い紫の部屋を、果実の薫りが満たしている。
歌玻:2年間で7人も死んだのよ。あの小学校で。
雅倫:「僕たち」が。別々の所から、同時に転校してきた、あの4年生の春からね。
歌玻:呪われてる、って。人はきっとそう言ってるわ。
雅倫:僕と歌玻ちゃんの、どちらが?
歌玻:あの子たちが。
歌玻:私たちは、ただ……、
0:黒毒の塊の如き笑み。
歌玻:『恐るべき子供たち』で、あっただけ。
雅倫:……、『アン・ファン・テリブル』。ジャン・コクトーだね。
歌玻:こんな雨の日じゃ、なかった?
歌玻:あの子が死んだのは。
雅倫:どの子?
歌玻:まゆり。
歌玻:……保健室の、まゆり。
0:午後の空気が雨を冷やし、水滴が樋(とい)を打つ。
雅倫:……宮辻(みやつじ)さん、か。
雅倫:どんな字、だったっけ。
歌玻:難しいのよ。蝶々なんかの「繭(まゆ)」に、画数が多い方の「裡(うち)」と書いて、「繭裡(まゆり)」。4年の時は平仮名で書いてた。
雅倫:亡くなったのは、
歌玻:5年の、春と夏の間。
歌玻:……く、くく。
歌玻:やめないのね、その言い方。
雅倫:何?
歌玻:「亡くなった」。
雅倫:ああ……。
雅倫:だって、同じ意味だもの。
歌玻:いい面の皮。
歌玻:……優しくて、体が弱くて、塞ぎがちで……、
歌玻:思い込みの激しい、子だったわね。
雅倫:その時の……、6年の担任の、男の先生と、
歌玻:愛し合っていた。
歌玻:……クラスの誰も、知らなかったけれど。
歌玻:私、4年の夏頃に、相談を受けたの。
雅倫:そうだったね。何て?
歌玻:先生の事が好きで、好きで、堪らないのだけど、って。
歌玻:先生は自分を子供扱いせずに、「君の事を人間として、一人前の女性として、対等に見て、愛しているよ」って、言ってくれたって。
雅倫:対等、に。
歌玻:いつもそう言ってくれるんだって、うっとりした眼で。
歌玻:「だからこの関係は、たまたま歳が少し、離れているだけで」……、
歌玻:「とてもまっすぐで綺麗な、男女の当たり前の、愛の形なんだよ」、って。
歌玻:凄く誠実に、丁寧に、何度も何度も……、
歌玻:先生の部屋や車で、気持ちを、確かめ合う度に……、
歌玻:語り聞かせてくれるんだ、って。
雅倫:…………。
雅倫:歌玻ちゃんはそれに、何て返したの。
歌玻:「素敵なことだと思う」、って。
歌玻:答えたわ。
雅倫:…………、
0:にやり、と笑み溢れ、蜜の粘る少女の声音。
歌玻:「そんな風に、真心をまっすぐに差し向けて、注いでくれる相手になんて……、
歌玻:大人になってからも、出会えるとは限らないから。
歌玻:大切にしなくちゃいけないと思うわ」、って。
歌玻:耳元で、囁いて、あげた。
雅倫:…………、そう、か。成る程……。
歌玻:「二人の純粋な愛を妬んで、疎(うと)んで、邪魔をする人もいるかもしれないから」……、
歌玻:「もうこれ以上、誰にも話さない方が良い」、とも言った。
歌玻:「先生の身にだって、良くない事が起こるかもしれないから」。
歌玻:「私だけは、二人の幸せを祈ってあげられるから」、って。
歌玻:優しく、抱きしめてあげたっけ。
雅倫:…………。
歌玻:く、くく、くくく。
歌玻:嬉しそう、だった。繭裡(まゆり)。
歌玻:皮を剥いた葡萄みたいに、大きな眼が潤んで……。
雅倫:背中を押してもらえたと、思ったんだね。
雅倫:確かに……、その辺りから、何だか肝の座ったような雰囲気だったな。
歌玻:私に、認めてもらえたのが、嬉しかったのね。きっと。
雅倫:都会から来た……、お金持ちで何もかもが完璧な、クラスメイトにね。
歌玻:褒めたって、今日は何もしてあげないから。
雅倫:要らない。
雅倫:褒めても、いない。
歌玻:く、くく……。
0:街路で自動車が水を撥ねる音。
0:雨が止む気配は無い。
歌玻:……でも。
歌玻:自信を持てたということの、裏表に。あの子は「嫉妬」というものを覚えてしまった。
歌玻:……私ねぇ、また相談を受けたの。
雅倫:愉(たの)しそうだね。歌玻ちゃん。
歌玻:ええ……。とっても。やっぱり、思い出は素敵。
歌玻:「先生が最近、移り気だ」、って。今日の空みたいに曇った顔をして、あの子。
雅倫:移り気?
歌玻:クラスや、別の学年の……、女の子たちを見る目が熱っぽい、って。
歌玻:「自分の愛のひたむきさが足りないから……、先生の気持ちが浮ついているのかも」。
歌玻:そんな風にね。おしまいには泣いてたわ。
雅倫:あの先生は……、
雅倫:「大好き」だったよね、女の子が。
歌玻:あからさま、だったもんね。
歌玻:だから……、
歌玻:私たちはとっても、「善(よ)い事」をしたと思ってるの。
雅倫:…………、
歌玻:く、くく、く。
雅倫:それには何て、答えたの、歌玻ちゃん。
歌玻:「先生を信じなきゃ駄目」、って。
歌玻:「疑いという罪は、心を曇らせて、愛を終わらせてしまうから」、
歌玻:「今よりももっと深く、先生を愛そうと努めてみたら」、という風に。
雅倫:囁いて、あげたんだね。
【モノローグ】(雅倫):甘い毒を、
【モノローグ】(雅倫):流し込んだ。
歌玻:そう。く、く。
歌玻:あの子の「夢」が綻(ほころ)んで……、
歌玻:「我に返って」しまうのは、惜しいと思ったのよ。
雅倫:「夢」、ね。
雅倫:愛されているという、夢?
歌玻:そう。大人というものは……、自分を痛め付けて、罵って、奪い去っていくだけの恐ろしい生き物ではないという、「夢」。
歌玻:1人の人として、大人と、愛を交わし合っているという、しあわせな、「夢」。
歌玻:だってそれが、覚めてしまえば……、
雅倫:生きている意味なんて、とっくに無いんだと。
雅倫:……気がついてしまうものね。
歌玻:思い込みの世界に逃げ込むのが、きっとあの子の癖になっていたのね。
歌玻:あの教師はそれを嗅ぎ取って、上手くやったんだわ。
歌玻:わかるのよ、きっと。
雅倫:子供を貪ろうという、大人には、ね。
歌玻:……そして、それからほんの少しの時が流れて……、
雅倫:雨が降った。
歌玻:そう。あの、雨の日。
歌玻:あの子を憐れんで、空が泣いているような……、素敵な午後。
雅倫:陵山(みささぎやま)緑地の、山の上の、湖。
歌玻:不義の恋人たちが……、初めて愛を、結んだ場所。く、く。
雅倫:僕たちが転校してくるよりも前……、3年生の遠足の時、だったかな。
歌玻:本当に、天罰を下せて良かったと思うわ。あの教師。
雅倫:先生を誘うように言ったのは、歌玻ちゃんだったの。
歌玻:ええ。そうよ? 素敵な思いつき。
歌玻:あの教師に、もう一度、今度はあなたの方から想いを伝えて……、
歌玻:愛を結び直したらどう? って。
雅倫:それというのは、
歌玻:何?
雅倫:どうなれば、良いと思っていたの。歌玻ちゃんは。
歌玻:…………。
0:雨垂れ。沈黙。
歌玻:……雅倫は。どう思うの。
雅倫:僕?
歌玻:何を、どうすれば……、あの可哀想で痛ましい、奪われ尽くすだけの子供の、現実の人生が。
歌玻:しあわせになったというの。
雅倫:…………。
【モノローグ】(雅倫):潤んだ眼。
【モノローグ】(雅倫):誰の為の、涙だろうか。
0:雨の飛沫の音。
0:雨垂れ。窓の水滴。
0:水滴。
雅倫:わからないよ。歌玻ちゃん。
雅倫:親からも、教師からも、虐げられて、辱められて。
雅倫:欺かれて、貪られるだけの、無力なこどもがしあわせになる方法なんて。
歌玻:……、
雅倫:僕たちに、わかるわけない。
歌玻:…………。
歌玻:……く、く、
【モノローグ】(雅倫):蜜のしたたるような、雨の音。
歌玻:くく、く……。
歌玻:そう、ね……。そうなの。
歌玻:……私たちって、本当に……、
歌玻:気が合うわねぇ。
歌玻:雅倫。
雅倫:…………。
【モノローグ】(雅倫):嫌になる程、ね。
歌玻:どうでもよかったの。どうなるかだなんて。
雅倫:どうでも?
歌玻:こどものしあわせは大人が考えることだもの。
歌玻:私は、ただ……、
歌玻:あの子の夢が、なるだけ長く続けば良いと思っただけ。
雅倫:……いつか裏切りに気付く、その時まで?
歌玻:ええ……。そう。だから、せめて、
歌玻:見届けてあげたかったの。
雅倫:…………。
雅倫:その為に、僕たちは。
雅倫:示し合わせて、学校を休んで……、
歌玻:隠れて、ついて行った……。
歌玻:く、く。あの、運命の場所へ。
雅倫:ロープウェイのすぐ後ろのゴンドラに僕たちが乗ってるなんて、
雅倫:思ってもみなかったろうね、先生。
歌玻:当たり前、よね。学年も違うし、私が休む事も……、
雅倫:「僕たち」が、揃って休む事も。珍しくなかったものね。
歌玻:雨で、連休も終わっていたとはいえ。教師と生徒、連れ立ってピクニックなんて……。鉄の心臓。
雅倫:思い出の場所で、お楽しみ。
雅倫:……期待と興奮でボケてたんだな、きっと。
歌玻:気持ち、わかるの? 穢らわしいわね。
雅倫:今は、ね。あの頃とは体が変わったから。
雅倫:と、いうことは心だって変わっている筈だけれど……、
雅倫:幸い僕には理性があるから。
歌玻:…………、く、く。
歌玻:あんたが口にする、理性なんて。
雅倫:欲求に任せて、歌玻ちゃんを組み伏せたりしないだろ。
歌玻:たまにだったらいいのよ? 私も気分が乗っていればね。
雅倫:その顔色を伺う分だけが、僕の理性だよ。
雅倫:……あいつとは違うね。少なくとも。
歌玻:…………く、くく。
歌玻:あの、驚いた顔と言ったら。大人って本当に滑稽。
雅倫:あの屋根のあるベンチの、すぐ後ろの繁みで、僕たちが隠れて見ているなんて。
雅倫:……普通は考えもしないだろうね。
歌玻:私が「行け」と言ったら。いつも通り真っ直ぐに飛び出したわねぇ。雅倫は。
雅倫:…………。
雅倫:そう、だったね。
歌玻:あの時……、
【モノローグ】(雅倫):あの、時。
【モノローグ】(雅倫):あの子が先生に、熱っぽく愛の言葉を送って。
【モノローグ】(雅倫):何度かの、おぞましい口付けの後。先生の、眼の色が、変わったのは……、
歌玻:「ある友達に打ち明けて、相談に乗ってもらってる」、って。繭裡(まゆり)が言った途端に。
歌玻:凍りついたわね。あの男。
雅倫:……ああ。
歌玻:く、く。こどもが守れる秘密なんて、たかが知れているのに。
雅倫:そのおめでたい脳味噌なりに……、色々と、考えたんだろうけれど。
歌玻:大人が思いつく事なんて、いつも決まって、自分勝手だもの。……あの子もすぐに気付いてた。体が震えて、固まってた。
雅倫:「殺される」、って?
歌玻:わかったでしょう? あの教師のあの、眼付き。あんたにだって。
雅倫:……、ああ。
歌玻:辺りは誰も居ない、雨の日の、林の奥の湖。例えその時その場で、手をかけられなかったとしても……。
歌玻:あの子の「夢」を終わらせるには、きっと十分だった。
歌玻:それくらいに醜くて、恐ろしくて、
歌玻:……間抜けな、貌(かお)だった。
雅倫:…………だから。
雅倫:歌玻ちゃんは。
歌玻:ええ。
雅倫:「突き落とせ」って。
雅倫:言ったんだね。
0:雨音。
0:風と土を濡らす雨の雫の音。
歌玻:…………。
歌玻:く、く。く、ふ、ふ、
歌玻:あはは、はははは…………。
【モノローグ】(雅倫):花弁が開くように、彼女が笑い。
【モノローグ】(雅倫):僕は、見惚れる。
歌玻:そう……。そうよ。
歌玻:嘘と誤魔化しは薄い膜だもの。破れてしまえば、もう、そこまで……。
歌玻:雅倫も見たでしょう、あの子の、顔を。
雅倫:…………、
歌玻:世界でたった一人の恋人の、正体を見てしまって。
歌玻:どこまで行っても自分は、囲われて、啜(すす)り取られるだけの家畜に過ぎないと、一息に気付いて、しまって。
歌玻:あの顔を貼り付けたまま……、この先を生きて行かなければ、ならないだなんて。
歌玻:そんな残酷なことって、無いもの。
雅倫:…………。
歌玻:ね……?
雅倫:……あっけなかったね。
歌玻:ええ。
歌玻:あの湖は綺麗だけれど、水面からは分からない、水草や藻が絡み付いて……、
雅倫:水を掻こうが、泳ごうが、一度落ちたら助からない、って。
歌玻:看板にも書いてあったもの、ね。
歌玻:……本当にその通りだった。山や公園の注意書きを蔑ろにするの、やめましょうね?
雅倫:そう……、だね。これからは。
0:ふ、と目を浮かし、少女は歌うように語る。
歌玻:恋人にしがみついたまま……、やがて藻掻くのを止めて、あの子は最後に、私を見た。
歌玻:濡れて、ぐしゃぐしゃで、半ば沈みかけている中で……、確かに、あの子は穏やかな、感謝の笑顔を浮かべていた。
雅倫:……、
歌玻:あんたも、見ていたわね?
雅倫:…………、
【モノローグ】(雅倫):どう、だった?
【モノローグ】(雅倫):水草と、長くて黒い髪が顔に絡んで。
【モノローグ】(雅倫):あのとき彼女は、どんな、
歌玻:ねえ……? 雅倫。
0:シロップの声。
雅倫:…………。
0:雨。
雅倫:…………そうだね。
雅倫:きっと……、
雅倫:そう、
雅倫:だったろうね。
歌玻:くく、く、く……。
0:雨。
0:雨。
0:雨。
0:苹果の、香り。
歌玻:……話したら眠くなったわ。
雅倫:また、夜更ししたの。
歌玻:えっと……、インドのね……、多分現地のパティシエの人だと思うんだけど……、
歌玻:そのお店の、その日の日替わりのパイみたいなものを作ってる様子を、毎日アップしてるチャンネルがあって……、
雅倫:全部見たの?
歌玻:半分くらい。飽きるまで、と思ったら中々……、
雅倫:眼、悪くなるよ。
歌玻:いいのよ。眼鏡だってコンタクトだって、買ってもらうから。
雅倫:少し……、眠ったら。
雅倫:おばさんにもそう、伝えるから。
歌玻:うん……、
【モノローグ】(雅倫):そう、するのが良いよ。
【モノローグ】(雅倫):林檎を、齧ったなら。
【モノローグ】(雅倫):眠りに落ちるのが、お約束だから。
歌玻:帰るの……? 雅倫。
雅倫:急がないよ。
雅倫:眠るまで、居るね。
歌玻:また、来るのよ。
歌玻:明日も、明後日も。
歌玻:雨が降る日には、必ず……、
雅倫:来るよ、急いで。
雅倫:林檎を、買って。
歌玻:偉い、わ。
歌玻:…………、
歌玻:ねえ、
雅倫:何。歌玻ちゃん。
歌玻:繭裡(まゆり)の、事。
歌玻:……あの子の、事……、
雅倫:……、うん。
歌玻:これからも。
歌玻:大人に、なっても。
歌玻:何度も、何度でも……、
歌玻:思い出して、あげましょうね。
雅倫:……、
【モノローグ】(雅倫):どうして。
【モノローグ】(雅倫):何の為に?
【モノローグ】(雅倫):君の、為、
【モノローグ】(雅倫):それとも、
歌玻:ね……? 雅倫。
雅倫:…………。
0:雨音。
0:窓と、少女の瞳は濡れている。
雅倫:……おやすみ、歌玻ちゃん。
雅倫:もう……、瞼が降りるよ。
歌玻:…………、
歌玻:……、
0:やがて、静かな寝息。
0:雨音だけの静寂。少年は窓を見やり。
雅倫:…………。
雅倫:やみそうに、ないな。
0:暗転。
0:【間】
0:砕けた金平糖の声。
雅倫:読辺川(よみべがわ)小学校児童連続死亡事故・事件群
雅倫:ファイル4、『少女M』。
雅倫:性的虐待教諭との擬似的錯覚的恋愛の末、陵山(みささぎやま)緑地公園内の人工湖にて無理心中を図り、入水(じゅすい)。
雅倫:死因、溺死。
雅倫:移送先、
雅倫:地獄。
0:【終】
0:また、雨が降った日に。