台本概要

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タイトル 『夜灯哀歌(やとうえれじぃ)』第一話「墓場の女」
作者名 sazanka  (@sazankasarasara)
ジャンル その他
演者人数 2人用台本(男1、女1) ※兼役あり
時間 20 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 とある田舎の、あぜ道の外れ。
朽ちて侘しい墓場の隅に、女が独りで座っている。
古い電灯のぼやけた光を浴びて、男は、ピアノを弾こうと、思った。

第一話「墓場の女」
―2021年11月初旬―

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
姿乃 62 「鮎川 姿乃(あゆかわ しなの)」。27歳。地元生まれ、都会育ち。
蒲沢 65 「蒲沢 星瞬(かばさわ せいしゅん)」。27歳。都会生まれ、都会育ち。
【ナレーション】 不問 17 地の文。男女不問。どちらかが兼ねて頂いても、別で演者を用意して頂いても構いません。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
姿乃:「回れ 回れよ 風ぐるま 姿乃:亡き人に吹きそそぐ あの日の風よ。」 0:タイトルコール。 蒲沢:『夜灯哀歌(やとうえれじぃ)』。 姿乃:第一話、 姿乃:「墓場の女」。 【ナレーション】:ある年のこと。 【ナレーション】:秋の日は釣瓶(つるべ)落としに気忙(きぜわ)しく暮れ、吹く風は淡く、冷たい。 【ナレーション】:田園の外れ、あぜ道に沿って密(ひそ)と在る、寂れた墓地にて。 蒲沢:…………、 【ナレーション】:おずおずと、 蒲沢:あのォ……、 【ナレーション】:男は呼び掛ける。 姿乃:……はい……? 【ナレーション】:応える声は虚(うつ)ろに細く、 【ナレーション】:畔(あぜ)に立つくすんだ電灯のもと、暗い墓地のベンチに独り、 【ナレーション】:女の、姿。 姿乃:何か……? 蒲沢:あ……、 蒲沢:いや、その、 姿乃:道を、お尋ねですか……? 蒲沢:う、いえ、 蒲沢:もう、すぐ近くですので、道は、わかるんですけど……、 蒲沢:あー、と、 姿乃:では……、 姿乃:ご近所さん、かしらね。 蒲沢:ああ、そう………、なるんでしょうね……、 蒲沢:お近くにお住まいなら、 姿乃:すぐ近所です、私も。 姿乃:といってもこんな田舎ですから、このあぜ道をもう少し、行った所の集落ですが。 蒲沢:ええ、と……、その、 蒲沢:こんな所でその、何を……、 姿乃:しているか? 蒲沢:は、はい……、 蒲沢:ええーと、もう、暗いですし……、 姿乃:墓地で、生きた人間がする事といえば。 姿乃:一つ切りだと、思いますが。 蒲沢:……、……、 蒲沢:お墓、参り……? 姿乃:そうでしょうね。 蒲沢:……、……、 【ナレーション】:男は二の句を次げず。 【ナレーション】:方々の繁みから、虫の音(ね)。 姿乃:近頃来られたんですね。 蒲沢:えっ、あ、 姿乃:昔からお住まいの方はどなたも……、 姿乃:ここで、こうしている私を、 姿乃:気にかけられたりは、しませんから。 蒲沢:……、 姿乃:お見かけも、しませんし。 蒲沢:はい……、えー、と、に、二週間ぐらい前に……、 姿乃:そうですか。 蒲沢:で、駅前でその、バイトが、決まって……、 蒲沢:喫茶店なんですけど、 姿乃:『ショパン』ですね。 蒲沢:あ、ご存知……、 姿乃:そこだけ、ですから。駅前には。 蒲沢:ああ……。 蒲沢:いいお店、ですよね、 姿乃:そうでしたか? 蒲沢:あー、と、 蒲沢:ですね……、少なくとも、自分には。 姿乃:良くしてくださいましたか。 蒲沢:はい……、余所者だからとか、そういうのも無く……、 蒲沢:あ、別に、そういうのあるんだろうなとか、思ってた訳じゃなくて、 姿乃:それは、 蒲沢:あ、はい、 姿乃:何よりです。 蒲沢:……、 蒲沢:はい……。 蒲沢:あと名前も……、名前も良いし……、 【ナレーション】:暫しの沈黙。 【ナレーション】:虫の音に、別の虫の声が加わり、混ざる。 蒲沢:で……、最初はあっちの、国道沿いの方の道で行ってたんですけど、 姿乃:大回りですね。 蒲沢:そう……、で、この、田んぼの中の道なら真っ直ぐで近いよ、って教えてもらって……、 蒲沢:それで、今日……、 姿乃:帰り道に通りがかると、 蒲沢:こんな、って言ったら失礼ですけど、ひと気の無い、お墓のベンチに……、 姿乃:私のような若い女が、 蒲沢:……座って、らした、っていう話で……、 蒲沢:えっと……、はい……。 姿乃:……嫌な物を見たと思って。 姿乃:忘れてください。 蒲沢:て、いうか……、 蒲沢:正直、見ちゃいけないモノを、見ちゃったかな、とか……、 姿乃:信じていらっしゃるんですね。 蒲沢:あ、え? 姿乃:幽霊。 蒲沢:……、 【ナレーション】:沈黙。乾いた風が荒れ草を揺らし。 姿乃:私は、違いますが。 蒲沢:ええと……、 蒲沢:あの、勿論、ていうか、信じてはない、んですが……、 蒲沢:……信じたくない、ていうのが、正しいのかも、ですけど……、 姿乃:怖いですからね。幽霊が居たら。 蒲沢:怖い、から、信じてはないんですけどでも、 蒲沢:やっぱり見ちゃったら怖いモノは怖いっていうか……、 蒲沢:上手く言えないんですけど、 姿乃:ごめんなさい。お仕事の後に。 蒲沢:い、いえ……、こちらこそ、 蒲沢:お墓参りの後に声なんか、かけちゃって……、 姿乃:お墓参りでは、ありません。 蒲沢:え……? 姿乃:私が、ここでこうして、座っているのは。 蒲沢:じゃあ……、 蒲沢:一体、 姿乃:デートです。 蒲沢:デート……? 姿乃:死んだ、夫との。 蒲沢:……っ!? 【ナレーション】:遠くの田畑より、野焼きの残り香。 【ナレーション】:男は幾度目かの絶句。 【ナレーション】:深く被ったベルハットの陰、女の表情は、覗(うかが)えず。 姿乃:墓場に、一人で居る女が……、 姿乃:こんな事を言ったら。 姿乃:気味が、悪いですよね。 蒲沢:……、……、 【ナレーション】:墓地の灯りは薄ぼんやりと照っている。 【ナレーション】:振り向いた女の顔は、微笑んでいるように見えた。 【ナレーション】:示し合わせたかのように、虫たちの合唱が一斉に鳴り止んだところで、 【ナレーション】:《後編》に続く。 : 0:【休憩】 : 0:【再開】 【ナレーション】:夜の墓地。 【ナレーション】:赤錆びたベンチに独り座り、「死んだ夫とのデートだ」と、女は言った。 【ナレーション】:虫たちは一斉に鳴き止み、男は絶句している。 【ナレーション】:あぜ道の古びた電灯が、ジジ、と喘ぎ。 姿乃:墓場に、一人で居る女が……、 姿乃:こんな事を言ったら。 姿乃:気味が、悪いですよね。 蒲沢:……、……、 蒲沢:しょ、正直……、かなり……、 蒲沢:はいィ……。 姿乃:取り決めなんです。夫との。 蒲沢:とり、きめ……、 蒲沢:あ……、あの……、 蒲沢:し、失礼にならなきゃ、良いんですけど……、 姿乃:はい。 蒲沢:……座って、らっしゃるんですか……? 蒲沢:ソ、ソコに……、 【ナレーション】:男は恐る恐る、女が一人座るベンチの、空席を示す。 姿乃:…………。 姿乃:いいえ。 蒲沢:え、っと、 姿乃:ここに、夫は居ません。 蒲沢:ああ……、 蒲沢:お墓の中、 姿乃:墓石の下にも、夫は居ません。 姿乃:焼け残りの骨が、埋まっているだけです。 蒲沢:……、……、 姿乃:あれはただの骨で、夫ではありません。 姿乃:斎場で、棺の中に納まっていた物も、やっぱり夫ではありませんでした。 蒲沢:……、 蒲沢:じゃあ、 姿乃:もしも今、私の隣に死んだ夫が座って、 姿乃:もしかしたら私に、優しく笑いかけてくれていたと、しても。 姿乃:生きている私には、見る事も、触れる事も、感じる事も、出来ない。 姿乃:関わりようが、無い。 蒲沢:……、 姿乃:死ぬ、亡くなる、 姿乃:……無くなる、というのは、そういう事で。 姿乃:喪(うしな)う、遺(のこ)されるというのは、そういう事なんだ、と。 姿乃:喪主を務めて、得た学びです。 蒲沢:…………、 【ナレーション】:探り、伺うように微か、虫たちの声が戻る。 蒲沢:……じゃあ……、その、 蒲沢:デート、っていうのは……、 姿乃:火曜と、木曜と、土日のどちらかは必ず、 姿乃:ご近所で構わないから、出かけて、歩いて、二人で過ごす事にしよう、って……、 姿乃:決めたんです。夫と。 蒲沢:そっ、そ、それっていうのは、 姿乃:生前に、です。 蒲沢:(安堵し) 蒲沢:あ、ああ……、 姿乃:忙しい人、でしたから。 姿乃:ただ漫然と、家に帰ったから顔を合わすというのでは、なくて。 姿乃:無理はしなくても良いから、少しだけ、能動的に……、二人で過ごす時間を作ろう、って。 姿乃:夫からの、提案です。 蒲沢:……、……、 蒲沢:それ、は、 蒲沢:その…………、 姿乃:はい。 蒲沢:…………素敵……、 蒲沢:ですね。 姿乃:……、…………。 姿乃:そうでしょう? 【ナレーション】:ざ、と風が立ち、草や枯葉や、石段の脇のススキを揺らし、吹き渡って行く。 【ナレーション】:女は仄かに眼を細め、虚空を見やる。 姿乃:……風が。 蒲沢:ああ……、出てきましたね。 姿乃:野焼きを、風上でやっていなくて良かったです。煙たくて、敵いませんから。 蒲沢:デートも、中断ですもんね、 蒲沢:あはは……、 姿乃:……、 蒲沢:あっ、すいません、あの、 姿乃:いえ……。 姿乃:……習慣というのは、短い間に身に付いたものであっても、 姿乃:変えるのが、難しいものですね。 蒲沢:ああ……、デートの、 姿乃:中身を失っても、 姿乃:残った枠組みだけで案外、間が持つものなんだな、と。 姿乃:これも学びです。 蒲沢:……、 蒲沢:それは、結構……、あるかも、ですね……、 【ナレーション】:束の間の静寂。 【ナレーション】:田園の向こう、2両編成の列車の光。 姿乃:(不意に) 姿乃:このお墓、 蒲沢:はっ、はい、 姿乃:風ぐるまが、あったんですよ。 蒲沢:は……? 姿乃:たくさん。 姿乃:たくさん、そこにも、ここにも。 姿乃:風ぐるまが、あったんです。昔は。 蒲沢:……、 姿乃:近くにお住まいだった女性が、一人で拵えられたもので。 姿乃:強い風で飛んで行ったり、子供が、持って行ってしまうから……、 姿乃:新しいものを、いつも。 蒲沢:今は……、 姿乃:ありません。見た通り。 姿乃:亡くなられたそうです。その、女性が。 蒲沢:ああ……。 姿乃:春はピンクで、夏は、緑や黄色。 姿乃:秋と冬は、鮮やかな赤や、朱色や……、 蒲沢:おおー……、季節ごとに、 姿乃:死んだ人を思い出す為の場所、なのに、 姿乃:すごく、すごく綺麗な……、 姿乃:一面の風ぐるまが、吹かれて、回って。 姿乃:小さい頃お墓参りに来たり、近くの道を、通る度に……、 姿乃:当たり前のように、見慣れた光景だったから……、 蒲沢:無くなっちゃってて、 姿乃:夫も、この場所で、あの風ぐるまに吹かれて、眠るんだと。 姿乃:思い込んでいた、ので。 姿乃:……だから……、 蒲沢:……、 姿乃:だから、夫は。 姿乃:ここには、いないんです。 蒲沢:……、…………。 【ナレーション】:女の顔は再び、暗く隠れ。 【ナレーション】:沈黙を虫の音が補う。 蒲沢:そう……、なんです、ね……。 【ナレーション】:腕の時計は8時を回ろうとしていた。 【ナレーション】:薄ぼけた電灯は依然、朽ちかけた墓地を照らし、 【ナレーション】:秋の風は生きる者だけに吹いている。 蒲沢:……冷えてきたな。 【ナレーション】:男がこぼしたところで。 【ナレーション】:次回へと、続く。 0:【終】

姿乃:「回れ 回れよ 風ぐるま 姿乃:亡き人に吹きそそぐ あの日の風よ。」 0:タイトルコール。 蒲沢:『夜灯哀歌(やとうえれじぃ)』。 姿乃:第一話、 姿乃:「墓場の女」。 【ナレーション】:ある年のこと。 【ナレーション】:秋の日は釣瓶(つるべ)落としに気忙(きぜわ)しく暮れ、吹く風は淡く、冷たい。 【ナレーション】:田園の外れ、あぜ道に沿って密(ひそ)と在る、寂れた墓地にて。 蒲沢:…………、 【ナレーション】:おずおずと、 蒲沢:あのォ……、 【ナレーション】:男は呼び掛ける。 姿乃:……はい……? 【ナレーション】:応える声は虚(うつ)ろに細く、 【ナレーション】:畔(あぜ)に立つくすんだ電灯のもと、暗い墓地のベンチに独り、 【ナレーション】:女の、姿。 姿乃:何か……? 蒲沢:あ……、 蒲沢:いや、その、 姿乃:道を、お尋ねですか……? 蒲沢:う、いえ、 蒲沢:もう、すぐ近くですので、道は、わかるんですけど……、 蒲沢:あー、と、 姿乃:では……、 姿乃:ご近所さん、かしらね。 蒲沢:ああ、そう………、なるんでしょうね……、 蒲沢:お近くにお住まいなら、 姿乃:すぐ近所です、私も。 姿乃:といってもこんな田舎ですから、このあぜ道をもう少し、行った所の集落ですが。 蒲沢:ええ、と……、その、 蒲沢:こんな所でその、何を……、 姿乃:しているか? 蒲沢:は、はい……、 蒲沢:ええーと、もう、暗いですし……、 姿乃:墓地で、生きた人間がする事といえば。 姿乃:一つ切りだと、思いますが。 蒲沢:……、……、 蒲沢:お墓、参り……? 姿乃:そうでしょうね。 蒲沢:……、……、 【ナレーション】:男は二の句を次げず。 【ナレーション】:方々の繁みから、虫の音(ね)。 姿乃:近頃来られたんですね。 蒲沢:えっ、あ、 姿乃:昔からお住まいの方はどなたも……、 姿乃:ここで、こうしている私を、 姿乃:気にかけられたりは、しませんから。 蒲沢:……、 姿乃:お見かけも、しませんし。 蒲沢:はい……、えー、と、に、二週間ぐらい前に……、 姿乃:そうですか。 蒲沢:で、駅前でその、バイトが、決まって……、 蒲沢:喫茶店なんですけど、 姿乃:『ショパン』ですね。 蒲沢:あ、ご存知……、 姿乃:そこだけ、ですから。駅前には。 蒲沢:ああ……。 蒲沢:いいお店、ですよね、 姿乃:そうでしたか? 蒲沢:あー、と、 蒲沢:ですね……、少なくとも、自分には。 姿乃:良くしてくださいましたか。 蒲沢:はい……、余所者だからとか、そういうのも無く……、 蒲沢:あ、別に、そういうのあるんだろうなとか、思ってた訳じゃなくて、 姿乃:それは、 蒲沢:あ、はい、 姿乃:何よりです。 蒲沢:……、 蒲沢:はい……。 蒲沢:あと名前も……、名前も良いし……、 【ナレーション】:暫しの沈黙。 【ナレーション】:虫の音に、別の虫の声が加わり、混ざる。 蒲沢:で……、最初はあっちの、国道沿いの方の道で行ってたんですけど、 姿乃:大回りですね。 蒲沢:そう……、で、この、田んぼの中の道なら真っ直ぐで近いよ、って教えてもらって……、 蒲沢:それで、今日……、 姿乃:帰り道に通りがかると、 蒲沢:こんな、って言ったら失礼ですけど、ひと気の無い、お墓のベンチに……、 姿乃:私のような若い女が、 蒲沢:……座って、らした、っていう話で……、 蒲沢:えっと……、はい……。 姿乃:……嫌な物を見たと思って。 姿乃:忘れてください。 蒲沢:て、いうか……、 蒲沢:正直、見ちゃいけないモノを、見ちゃったかな、とか……、 姿乃:信じていらっしゃるんですね。 蒲沢:あ、え? 姿乃:幽霊。 蒲沢:……、 【ナレーション】:沈黙。乾いた風が荒れ草を揺らし。 姿乃:私は、違いますが。 蒲沢:ええと……、 蒲沢:あの、勿論、ていうか、信じてはない、んですが……、 蒲沢:……信じたくない、ていうのが、正しいのかも、ですけど……、 姿乃:怖いですからね。幽霊が居たら。 蒲沢:怖い、から、信じてはないんですけどでも、 蒲沢:やっぱり見ちゃったら怖いモノは怖いっていうか……、 蒲沢:上手く言えないんですけど、 姿乃:ごめんなさい。お仕事の後に。 蒲沢:い、いえ……、こちらこそ、 蒲沢:お墓参りの後に声なんか、かけちゃって……、 姿乃:お墓参りでは、ありません。 蒲沢:え……? 姿乃:私が、ここでこうして、座っているのは。 蒲沢:じゃあ……、 蒲沢:一体、 姿乃:デートです。 蒲沢:デート……? 姿乃:死んだ、夫との。 蒲沢:……っ!? 【ナレーション】:遠くの田畑より、野焼きの残り香。 【ナレーション】:男は幾度目かの絶句。 【ナレーション】:深く被ったベルハットの陰、女の表情は、覗(うかが)えず。 姿乃:墓場に、一人で居る女が……、 姿乃:こんな事を言ったら。 姿乃:気味が、悪いですよね。 蒲沢:……、……、 【ナレーション】:墓地の灯りは薄ぼんやりと照っている。 【ナレーション】:振り向いた女の顔は、微笑んでいるように見えた。 【ナレーション】:示し合わせたかのように、虫たちの合唱が一斉に鳴り止んだところで、 【ナレーション】:《後編》に続く。 : 0:【休憩】 : 0:【再開】 【ナレーション】:夜の墓地。 【ナレーション】:赤錆びたベンチに独り座り、「死んだ夫とのデートだ」と、女は言った。 【ナレーション】:虫たちは一斉に鳴き止み、男は絶句している。 【ナレーション】:あぜ道の古びた電灯が、ジジ、と喘ぎ。 姿乃:墓場に、一人で居る女が……、 姿乃:こんな事を言ったら。 姿乃:気味が、悪いですよね。 蒲沢:……、……、 蒲沢:しょ、正直……、かなり……、 蒲沢:はいィ……。 姿乃:取り決めなんです。夫との。 蒲沢:とり、きめ……、 蒲沢:あ……、あの……、 蒲沢:し、失礼にならなきゃ、良いんですけど……、 姿乃:はい。 蒲沢:……座って、らっしゃるんですか……? 蒲沢:ソ、ソコに……、 【ナレーション】:男は恐る恐る、女が一人座るベンチの、空席を示す。 姿乃:…………。 姿乃:いいえ。 蒲沢:え、っと、 姿乃:ここに、夫は居ません。 蒲沢:ああ……、 蒲沢:お墓の中、 姿乃:墓石の下にも、夫は居ません。 姿乃:焼け残りの骨が、埋まっているだけです。 蒲沢:……、……、 姿乃:あれはただの骨で、夫ではありません。 姿乃:斎場で、棺の中に納まっていた物も、やっぱり夫ではありませんでした。 蒲沢:……、 蒲沢:じゃあ、 姿乃:もしも今、私の隣に死んだ夫が座って、 姿乃:もしかしたら私に、優しく笑いかけてくれていたと、しても。 姿乃:生きている私には、見る事も、触れる事も、感じる事も、出来ない。 姿乃:関わりようが、無い。 蒲沢:……、 姿乃:死ぬ、亡くなる、 姿乃:……無くなる、というのは、そういう事で。 姿乃:喪(うしな)う、遺(のこ)されるというのは、そういう事なんだ、と。 姿乃:喪主を務めて、得た学びです。 蒲沢:…………、 【ナレーション】:探り、伺うように微か、虫たちの声が戻る。 蒲沢:……じゃあ……、その、 蒲沢:デート、っていうのは……、 姿乃:火曜と、木曜と、土日のどちらかは必ず、 姿乃:ご近所で構わないから、出かけて、歩いて、二人で過ごす事にしよう、って……、 姿乃:決めたんです。夫と。 蒲沢:そっ、そ、それっていうのは、 姿乃:生前に、です。 蒲沢:(安堵し) 蒲沢:あ、ああ……、 姿乃:忙しい人、でしたから。 姿乃:ただ漫然と、家に帰ったから顔を合わすというのでは、なくて。 姿乃:無理はしなくても良いから、少しだけ、能動的に……、二人で過ごす時間を作ろう、って。 姿乃:夫からの、提案です。 蒲沢:……、……、 蒲沢:それ、は、 蒲沢:その…………、 姿乃:はい。 蒲沢:…………素敵……、 蒲沢:ですね。 姿乃:……、…………。 姿乃:そうでしょう? 【ナレーション】:ざ、と風が立ち、草や枯葉や、石段の脇のススキを揺らし、吹き渡って行く。 【ナレーション】:女は仄かに眼を細め、虚空を見やる。 姿乃:……風が。 蒲沢:ああ……、出てきましたね。 姿乃:野焼きを、風上でやっていなくて良かったです。煙たくて、敵いませんから。 蒲沢:デートも、中断ですもんね、 蒲沢:あはは……、 姿乃:……、 蒲沢:あっ、すいません、あの、 姿乃:いえ……。 姿乃:……習慣というのは、短い間に身に付いたものであっても、 姿乃:変えるのが、難しいものですね。 蒲沢:ああ……、デートの、 姿乃:中身を失っても、 姿乃:残った枠組みだけで案外、間が持つものなんだな、と。 姿乃:これも学びです。 蒲沢:……、 蒲沢:それは、結構……、あるかも、ですね……、 【ナレーション】:束の間の静寂。 【ナレーション】:田園の向こう、2両編成の列車の光。 姿乃:(不意に) 姿乃:このお墓、 蒲沢:はっ、はい、 姿乃:風ぐるまが、あったんですよ。 蒲沢:は……? 姿乃:たくさん。 姿乃:たくさん、そこにも、ここにも。 姿乃:風ぐるまが、あったんです。昔は。 蒲沢:……、 姿乃:近くにお住まいだった女性が、一人で拵えられたもので。 姿乃:強い風で飛んで行ったり、子供が、持って行ってしまうから……、 姿乃:新しいものを、いつも。 蒲沢:今は……、 姿乃:ありません。見た通り。 姿乃:亡くなられたそうです。その、女性が。 蒲沢:ああ……。 姿乃:春はピンクで、夏は、緑や黄色。 姿乃:秋と冬は、鮮やかな赤や、朱色や……、 蒲沢:おおー……、季節ごとに、 姿乃:死んだ人を思い出す為の場所、なのに、 姿乃:すごく、すごく綺麗な……、 姿乃:一面の風ぐるまが、吹かれて、回って。 姿乃:小さい頃お墓参りに来たり、近くの道を、通る度に……、 姿乃:当たり前のように、見慣れた光景だったから……、 蒲沢:無くなっちゃってて、 姿乃:夫も、この場所で、あの風ぐるまに吹かれて、眠るんだと。 姿乃:思い込んでいた、ので。 姿乃:……だから……、 蒲沢:……、 姿乃:だから、夫は。 姿乃:ここには、いないんです。 蒲沢:……、…………。 【ナレーション】:女の顔は再び、暗く隠れ。 【ナレーション】:沈黙を虫の音が補う。 蒲沢:そう……、なんです、ね……。 【ナレーション】:腕の時計は8時を回ろうとしていた。 【ナレーション】:薄ぼけた電灯は依然、朽ちかけた墓地を照らし、 【ナレーション】:秋の風は生きる者だけに吹いている。 蒲沢:……冷えてきたな。 【ナレーション】:男がこぼしたところで。 【ナレーション】:次回へと、続く。 0:【終】