台本概要

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タイトル 『夜灯哀歌(やとうえれじぃ)』第二話「雨音はショパンの調べ」
作者名 sazanka  (@sazankasarasara)
ジャンル その他
演者人数 2人用台本(男1、女1) ※兼役あり
時間 20 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 とある田舎の、あぜ道の外れ。
朽ちて侘しい墓場の隅に、女が独りで座っている。
古い電灯のぼやけた光を浴びて、男は、ピアノを弾こうと、思った。

第二話「雨音はショパンの調べ」
―2021年11月初旬―

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
蒲沢 64 「蒲沢 星瞬(かばさ せいしゅん)」。27歳。都会生まれ、都会育ち。
24 「根庫田 遥(ねこた はるか)」。24歳。地元生まれ、地元育ち。(※「姿乃」と兼役でも、別に演者を立てて頂いても構いません。)
姿乃 37 「鮎川 姿乃(あゆかわ しなの)」。27歳。地元生まれ、都会育ち。(※「遥」と兼役でも、別に演者を立てて頂いても構いません。)
【ナレーション】 不問 19 地の文。男女不問。どちらかが兼ねて頂いても、別で演者を用意して頂いても構いません。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
蒲沢:「窓のしずくは四分音符 跳ねた飛沫(しぶき)は三連符 蒲沢:雨粒を楽譜に喩えたのは 蒲沢:僕だったか 有名な指揮者の 誰かだったか 蒲沢:タルトを食べたら 忘れてしまった。」 0:タイトルコール。 遥:『夜灯哀歌(やとうえれじぃ)』。 蒲沢:第二話、 蒲沢:「雨音はショパンの調べ」。 【ナレーション】:駅前の老舗(しにせ)、喫茶『ショパン』は創業五十四年。 【ナレーション】:暖炉の脇に居座っている、大きなのっぽの古時計は午後6時を指していた。 【ナレーション】:年季の入った木枠の窓を、十一月の雨が叩き。 【ナレーション】:新人のアルバイトの男は少々、メランコリックであった。 蒲沢:……はあ……。 【ナレーション】:何の気なしの溜め息が、お客の居ない店内に融けたところで、 遥:(店のドアを開け放ちつつ) 遥:おっはよーございまァーーっす! スマンこってす遅くなっちってェーーっ、 遥:……て、アリャ、 【ナレーション】:女の店員が出勤。 【ナレーション】:後ろで1つ、尻尾に纏めた茶色い髪が揺れる。 蒲沢:おつかれさま。 蒲沢:……外、寒そうだね。 遥:なんだぁセーシュン1人かーっ。 遥:マスターは?? また将棋? 蒲沢:そう……。タルト、無くなったら電話くれ、って。 遥:来てから焼いても間に合わんってばー。うち8時閉店なのにさ、 蒲沢:ね……。まあ雨だし……。 遥:お客あった? 蒲沢:早い時間に、ちらほら。 蒲沢:……ていうか……、あの……、 遥:あん、何?? 客居ないからってイキナリ告白?? ちょっと気ィ早いんでないかい、 蒲沢:ちっ、違うからっ。 蒲沢:やめよう、そういうの……、 遥:うげ、イイ歳こいてウブな振りしてやがらっ。トーキョーもんの癖してさーオイ、 蒲沢:関係ない関係ない……。 蒲沢:いやあの……、「セーシュン」て、いうのやめて……。 遥:何でよ?? セーシュンでしょ?? 蒲沢:いや、 遥:「蒲沢星瞬(かばさわせいしゅん)」。 遥:あ、年下に呼び捨てされんの許せない系?? 意外にも価値観はオールディーズな感じ? 蒲沢:そうじゃない、けど……。 蒲沢:……恥ずかしいから。なんか、響きも、字面も……。 遥:イイと思うけどなー、「星」に「瞬く」で「星瞬(セーシュン)」。まさしくキラキラネーミング。 蒲沢:散々言われたから、それ……。 遥:でも東京だったらそんなんいっぱい居たんでないの?? 遥:「ここね」とか、「まりん」とか「まりるり」とか、 蒲沢:ポケモンだね、3つ目のは完全に……。 蒲沢:まあ、全然居たけどね、世代的にはもう。 遥:ふーん? 遥:あ、もうセーシュン上がってイーよー? どーせお客、来たって内野さんか友川さんとかだろーし、 蒲沢:言ったそばから……。 蒲沢:……はい。じゃあ、お言葉に甘えて。 蒲沢:あの、豆、新しい袋、開けてます。 遥:おっけおっけー。 遥:あヤバ、エプロン洗ったヤツ忘れて来たわ……、まあ良いか一昨日(おとつい)ので……、 【ナレーション】:呟きつつ、女は手周りの支度にかかる。 【ナレーション】:男は自前のエプロンを解き、ふと息をつきながら、 【ナレーション】:窓の外、止みそうにもない雨垂れを見やり。 蒲沢:…………今日、木曜か……。 遥:(奥のクロークから顔を覗かせ) 遥:セーシュンってさーー、 蒲沢:うっ、あっ、は、はいっ? 遥:ピアノ、 蒲沢:っっ!! 遥:弾けるんだねー?? 遥:しかもめっっっちゃ。 【ナレーション】:絶句。 【ナレーション】:眼を丸く見開き、男は硬直する。 蒲沢:な……っ、ん、で、……っ、 遥:いやこないださー、えっと木曜?? セーシュンが入ってる時間、あ違う金曜だ、金曜、あたし前、通ってさー、 蒲沢:……、……、 遥:朝陽(あさひ)連れて電車でイオン行った帰りだったんだけど。 遥:普通にシューって、駅から自転車で通ってたら店から、ピアノ鳴ってる音聞こえてー、 蒲沢:……、 【ナレーション】:尚もだんまり。 【ナレーション】:ちら、と、店の片隅、今は臙脂(えんじ)色の布をかぶされた、古いグランドピアノへと眼が泳ぐ。 遥:すっごー、誰が弾いてんだろーていうか音出たんだあのピアノー、とか思って、窓から覗いたらさー、 蒲沢:……っ、 遥:弾いてんだもんっ、セーシュンが1人でキモチよさそーにコレっ。 遥:アレ、何て曲?? 蒲沢:……っ、 蒲沢:えぇっ、とォ……、 遥:ま、言われてもワカンナイけど。 遥:でまー、あたしも朝ドラ、世良泰器(せらたいき)が出てた回だったし再放送見なきゃだったから、急いでまたシューって、すぐ帰ったんだけどー、 蒲沢:あ……、っとォー、 蒲沢:いや、アレはその、 遥:スゴイねっ、あーんな弾けるとか普っ通にっ。 遥:習ってた系?? 昔取ったキネヅカ?? 蒲沢:ああー……、な、習ってた、のは、まあ、そう、なんですけれども……、 遥:コンクールとかそういう系?? セーシュンもしかボンボン?? あ、ぽいわーー、 蒲沢:……、 蒲沢:……コンクール……、 遥:ますます謎だわこの新人っ。 遥:そもそも何しにこんな田舎へっ?? 仕事はコレ以外ナニしてんのっ?? 蒲沢:……っ、その、いやあのっ、そのォ……、 【ナレーション】:しどろもどろに拍車がかかり。 【ナレーション】:窓を叩く雨脚が、一層勢いを増し始めたところで、 【ナレーション】:《後編》に続く。 : 0:【休憩】 : 0:【再開】 【ナレーション】:叩く。叩く。 【ナレーション】:降りしきる雨が透明の傘を叩き、跳ねたしぶきがぬかるんだ土を叩き、濁ったしずくが雨靴を叩く。 【ナレーション】:悪天候の闇路(やみじ)を抜けて、男が足を止めた先には、 【ナレーション】:墓地。 姿乃:よく、降りますね。 蒲沢:……本当に……。 【ナレーション】:愁雨(しゅうう)にけぶる灯りの下に、女は、独り。 姿乃:今、お帰りですか。 蒲沢:今日は……、バイト、夕方、6時までだったんで……、 蒲沢:でももう暗いですよねっ、その、6時であっても、 姿乃:こんな雨の日でしたら、 蒲沢:あっ、はい、 姿乃:国道沿いの方が、道が良かったんじゃありませんか。 蒲沢:……、 【ナレーション】:男は口籠り、ややあって、 蒲沢:新しく買った……、レインブーツの、その、性能の程を……、 姿乃:お試しになろうと。 蒲沢:そ……、そう、なんです、はい、 姿乃:そうですか。 【ナレーション】:沈黙。 蒲沢:(独り言) 蒲沢:……ちょっと苦しかったか……。 【ナレーション】:東屋(あずまや)の木の屋根を、雨が不規則にリズムを打ち。女は男に顔を向けず。 蒲沢:……、 蒲沢:……こんな、日でも……、 姿乃:欠かさず居るのか、と? 蒲沢:まあその……、 姿乃:大方は。田んぼが溢れて、道が無くなってしまうような大雨でなければ。 蒲沢:そんなになるんですか、この辺、 姿乃:辺鄙(へんぴ)なところですから。 姿乃:私も……、戻ってきたばかりの頃は色々と、うんざりしました。 蒲沢:戻って……、 蒲沢:離れて、らしたんですか。 姿乃:中学に上がる時に、父と母と一緒に。 姿乃:生まれはこの辺りです。 蒲沢:ああ……、 姿乃:県の端から、真ん中へ。といっても位置的には、端から端へ、ですが。「新都心(しんとしん)」と呼ばれているような所へ。 蒲沢:あー……。それはまた極端な、 姿乃:暮らしの違いに馴染めず。大人になって、自由が利くようになってから……、縁のある方を頼って、何の因果か、また、ここへ。 姿乃:両親を置いて、逃げるように、嫁いで来たんです。 蒲沢:その方が、ええと……、 姿乃:夫です。 姿乃:死んだ、夫。 蒲沢:なる、ほど……。 蒲沢:……生まれた村へ、お嫁に戻る……。 蒲沢:なんだかそれだけ聞くと、 姿乃:ロマンチックでしょう。聞こえだけは。 蒲沢:あー、いや、その、 姿乃:現実は、それほど。 姿乃:ご近所の目も、暖かくはありませんでしたし。 蒲沢:ていうか、込み入った事をそのっ、無遠慮に、 姿乃:構いません。この辺りでは誰もが知っていて、そして今は誰も、話題にもしない事ですから。 蒲沢:……、 【ナレーション】:雨脚は尚もしつこく。 【ナレーション】:古びた屋根を不規則に叩く。叩く。 【ナレーション】:叩く。 姿乃:お店は、どうですか。 蒲沢:あ……、えっと、 姿乃:『ショパン』。 蒲沢:ああ……。はい、まあ……。皆さん気さくだし、学生時代、飲食をやってた事もあるので……、 姿乃:ピアノ、 蒲沢:っっっ!? 【ナレーション】:絶句。 【ナレーション】:本日2度目である。 姿乃:あの、ピアノは。 姿乃:まだ……、置いてあるんでしょうか。 蒲沢:ぅえェ……、っとォ、 蒲沢:こっ、来られたこと、 姿乃:私が生まれる前からありますから。 姿乃:といっても……、数年前に夫と、最後に行った切り、ですが。 蒲沢:あ……、 蒲沢:そ、そう、なんですね……、 姿乃:生前にです。念の為。 蒲沢:はい、それは、はい……。 姿乃:……前のご主人の、亡くなられた奥様が……、 姿乃:その古いピアノで色々な曲を弾かれているのを、夫は学生時代、よく聞いていた、って……。 蒲沢:(独り言) 蒲沢:……あのピアノ、そういう……、 姿乃:夫は顔馴染みらしく、親しげでしたが。 姿乃:私は内心、所在なくしていて、 姿乃:……でも、 蒲沢:はい、 姿乃:ご主人の焼かれたタルトは本当に、とても、美味しかった。 蒲沢:……あー……、 【ナレーション】:女の白い貌(かお)が薄明かりに浮かび、その眼はいつしか過去を見ている。 姿乃:上品で、優しくて……。 姿乃:珍しく、私の方が気に入って。行く度に、頼んでいたような気がします。 【ナレーション】:記憶へと向ける微笑み。 【ナレーション】:優しく、美しい笑みであるように、男には映った。 蒲沢:……っ、 姿乃:……ほんの、何度かの事です。 姿乃:そのご主人も亡くなられて、今はもう、出されていないでしょうが、 蒲沢:(遮り)あっ!! 蒲沢:……あ……っ! 姿乃:あ……? 蒲沢:あるんですよっ、 蒲沢:コレがっ!! 姿乃:……、 【ナレーション】:男の語気は昂ぶっている。 蒲沢:珈琲と、名物のその、「木の実とドライフルーツのタルト」だけは……っ、 蒲沢:先代からのレシピを何も変えずに、今でも同じ物を出してる、って、 蒲沢:今の、マスターがっ! 姿乃:……、……、 蒲沢:すみませんあの、決して興奮してるのでは、 姿乃:いえ。 姿乃:……美味しい、ですか。 蒲沢:はいっ?? 姿乃:タルト。 姿乃:……今でも、美味しいですか。 蒲沢:あ……、 蒲沢:……それは、あの……、 姿乃:……、 蒲沢:こ、個人的には、その……、 姿乃:…………、 蒲沢:…………絶品、なんですよねコレが……。 蒲沢:それはもう、普通に……。 姿乃:……、 姿乃:…………。 蒲沢:ピアノはその……、今は弾く人、居ないみたい、ですけど……、 【ナレーション】:女はかすかに眼を細めている。 【ナレーション】:風に吹かれ。 【ナレーション】:雨霞(あめがすみ)の向こう、 【ナレーション】:在りし日の記憶はけぶり。 姿乃:…………そうですか。 蒲沢:良ければまた、どうぞ……。 蒲沢:その……、デートの、時にでも……。 姿乃:……、……。 姿乃:……相談、しておきます。 【ナレーション】:雨音だけの沈黙が暗い墓地を満たし。 【ナレーション】:石畳を叩くしずくの音が、偶然にも素晴らしい旋律を奏でたかのように聞こえたところで。 【ナレーション】:次回へと、続く。 0:【終】

蒲沢:「窓のしずくは四分音符 跳ねた飛沫(しぶき)は三連符 蒲沢:雨粒を楽譜に喩えたのは 蒲沢:僕だったか 有名な指揮者の 誰かだったか 蒲沢:タルトを食べたら 忘れてしまった。」 0:タイトルコール。 遥:『夜灯哀歌(やとうえれじぃ)』。 蒲沢:第二話、 蒲沢:「雨音はショパンの調べ」。 【ナレーション】:駅前の老舗(しにせ)、喫茶『ショパン』は創業五十四年。 【ナレーション】:暖炉の脇に居座っている、大きなのっぽの古時計は午後6時を指していた。 【ナレーション】:年季の入った木枠の窓を、十一月の雨が叩き。 【ナレーション】:新人のアルバイトの男は少々、メランコリックであった。 蒲沢:……はあ……。 【ナレーション】:何の気なしの溜め息が、お客の居ない店内に融けたところで、 遥:(店のドアを開け放ちつつ) 遥:おっはよーございまァーーっす! スマンこってす遅くなっちってェーーっ、 遥:……て、アリャ、 【ナレーション】:女の店員が出勤。 【ナレーション】:後ろで1つ、尻尾に纏めた茶色い髪が揺れる。 蒲沢:おつかれさま。 蒲沢:……外、寒そうだね。 遥:なんだぁセーシュン1人かーっ。 遥:マスターは?? また将棋? 蒲沢:そう……。タルト、無くなったら電話くれ、って。 遥:来てから焼いても間に合わんってばー。うち8時閉店なのにさ、 蒲沢:ね……。まあ雨だし……。 遥:お客あった? 蒲沢:早い時間に、ちらほら。 蒲沢:……ていうか……、あの……、 遥:あん、何?? 客居ないからってイキナリ告白?? ちょっと気ィ早いんでないかい、 蒲沢:ちっ、違うからっ。 蒲沢:やめよう、そういうの……、 遥:うげ、イイ歳こいてウブな振りしてやがらっ。トーキョーもんの癖してさーオイ、 蒲沢:関係ない関係ない……。 蒲沢:いやあの……、「セーシュン」て、いうのやめて……。 遥:何でよ?? セーシュンでしょ?? 蒲沢:いや、 遥:「蒲沢星瞬(かばさわせいしゅん)」。 遥:あ、年下に呼び捨てされんの許せない系?? 意外にも価値観はオールディーズな感じ? 蒲沢:そうじゃない、けど……。 蒲沢:……恥ずかしいから。なんか、響きも、字面も……。 遥:イイと思うけどなー、「星」に「瞬く」で「星瞬(セーシュン)」。まさしくキラキラネーミング。 蒲沢:散々言われたから、それ……。 遥:でも東京だったらそんなんいっぱい居たんでないの?? 遥:「ここね」とか、「まりん」とか「まりるり」とか、 蒲沢:ポケモンだね、3つ目のは完全に……。 蒲沢:まあ、全然居たけどね、世代的にはもう。 遥:ふーん? 遥:あ、もうセーシュン上がってイーよー? どーせお客、来たって内野さんか友川さんとかだろーし、 蒲沢:言ったそばから……。 蒲沢:……はい。じゃあ、お言葉に甘えて。 蒲沢:あの、豆、新しい袋、開けてます。 遥:おっけおっけー。 遥:あヤバ、エプロン洗ったヤツ忘れて来たわ……、まあ良いか一昨日(おとつい)ので……、 【ナレーション】:呟きつつ、女は手周りの支度にかかる。 【ナレーション】:男は自前のエプロンを解き、ふと息をつきながら、 【ナレーション】:窓の外、止みそうにもない雨垂れを見やり。 蒲沢:…………今日、木曜か……。 遥:(奥のクロークから顔を覗かせ) 遥:セーシュンってさーー、 蒲沢:うっ、あっ、は、はいっ? 遥:ピアノ、 蒲沢:っっ!! 遥:弾けるんだねー?? 遥:しかもめっっっちゃ。 【ナレーション】:絶句。 【ナレーション】:眼を丸く見開き、男は硬直する。 蒲沢:な……っ、ん、で、……っ、 遥:いやこないださー、えっと木曜?? セーシュンが入ってる時間、あ違う金曜だ、金曜、あたし前、通ってさー、 蒲沢:……、……、 遥:朝陽(あさひ)連れて電車でイオン行った帰りだったんだけど。 遥:普通にシューって、駅から自転車で通ってたら店から、ピアノ鳴ってる音聞こえてー、 蒲沢:……、 【ナレーション】:尚もだんまり。 【ナレーション】:ちら、と、店の片隅、今は臙脂(えんじ)色の布をかぶされた、古いグランドピアノへと眼が泳ぐ。 遥:すっごー、誰が弾いてんだろーていうか音出たんだあのピアノー、とか思って、窓から覗いたらさー、 蒲沢:……っ、 遥:弾いてんだもんっ、セーシュンが1人でキモチよさそーにコレっ。 遥:アレ、何て曲?? 蒲沢:……っ、 蒲沢:えぇっ、とォ……、 遥:ま、言われてもワカンナイけど。 遥:でまー、あたしも朝ドラ、世良泰器(せらたいき)が出てた回だったし再放送見なきゃだったから、急いでまたシューって、すぐ帰ったんだけどー、 蒲沢:あ……、っとォー、 蒲沢:いや、アレはその、 遥:スゴイねっ、あーんな弾けるとか普っ通にっ。 遥:習ってた系?? 昔取ったキネヅカ?? 蒲沢:ああー……、な、習ってた、のは、まあ、そう、なんですけれども……、 遥:コンクールとかそういう系?? セーシュンもしかボンボン?? あ、ぽいわーー、 蒲沢:……、 蒲沢:……コンクール……、 遥:ますます謎だわこの新人っ。 遥:そもそも何しにこんな田舎へっ?? 仕事はコレ以外ナニしてんのっ?? 蒲沢:……っ、その、いやあのっ、そのォ……、 【ナレーション】:しどろもどろに拍車がかかり。 【ナレーション】:窓を叩く雨脚が、一層勢いを増し始めたところで、 【ナレーション】:《後編》に続く。 : 0:【休憩】 : 0:【再開】 【ナレーション】:叩く。叩く。 【ナレーション】:降りしきる雨が透明の傘を叩き、跳ねたしぶきがぬかるんだ土を叩き、濁ったしずくが雨靴を叩く。 【ナレーション】:悪天候の闇路(やみじ)を抜けて、男が足を止めた先には、 【ナレーション】:墓地。 姿乃:よく、降りますね。 蒲沢:……本当に……。 【ナレーション】:愁雨(しゅうう)にけぶる灯りの下に、女は、独り。 姿乃:今、お帰りですか。 蒲沢:今日は……、バイト、夕方、6時までだったんで……、 蒲沢:でももう暗いですよねっ、その、6時であっても、 姿乃:こんな雨の日でしたら、 蒲沢:あっ、はい、 姿乃:国道沿いの方が、道が良かったんじゃありませんか。 蒲沢:……、 【ナレーション】:男は口籠り、ややあって、 蒲沢:新しく買った……、レインブーツの、その、性能の程を……、 姿乃:お試しになろうと。 蒲沢:そ……、そう、なんです、はい、 姿乃:そうですか。 【ナレーション】:沈黙。 蒲沢:(独り言) 蒲沢:……ちょっと苦しかったか……。 【ナレーション】:東屋(あずまや)の木の屋根を、雨が不規則にリズムを打ち。女は男に顔を向けず。 蒲沢:……、 蒲沢:……こんな、日でも……、 姿乃:欠かさず居るのか、と? 蒲沢:まあその……、 姿乃:大方は。田んぼが溢れて、道が無くなってしまうような大雨でなければ。 蒲沢:そんなになるんですか、この辺、 姿乃:辺鄙(へんぴ)なところですから。 姿乃:私も……、戻ってきたばかりの頃は色々と、うんざりしました。 蒲沢:戻って……、 蒲沢:離れて、らしたんですか。 姿乃:中学に上がる時に、父と母と一緒に。 姿乃:生まれはこの辺りです。 蒲沢:ああ……、 姿乃:県の端から、真ん中へ。といっても位置的には、端から端へ、ですが。「新都心(しんとしん)」と呼ばれているような所へ。 蒲沢:あー……。それはまた極端な、 姿乃:暮らしの違いに馴染めず。大人になって、自由が利くようになってから……、縁のある方を頼って、何の因果か、また、ここへ。 姿乃:両親を置いて、逃げるように、嫁いで来たんです。 蒲沢:その方が、ええと……、 姿乃:夫です。 姿乃:死んだ、夫。 蒲沢:なる、ほど……。 蒲沢:……生まれた村へ、お嫁に戻る……。 蒲沢:なんだかそれだけ聞くと、 姿乃:ロマンチックでしょう。聞こえだけは。 蒲沢:あー、いや、その、 姿乃:現実は、それほど。 姿乃:ご近所の目も、暖かくはありませんでしたし。 蒲沢:ていうか、込み入った事をそのっ、無遠慮に、 姿乃:構いません。この辺りでは誰もが知っていて、そして今は誰も、話題にもしない事ですから。 蒲沢:……、 【ナレーション】:雨脚は尚もしつこく。 【ナレーション】:古びた屋根を不規則に叩く。叩く。 【ナレーション】:叩く。 姿乃:お店は、どうですか。 蒲沢:あ……、えっと、 姿乃:『ショパン』。 蒲沢:ああ……。はい、まあ……。皆さん気さくだし、学生時代、飲食をやってた事もあるので……、 姿乃:ピアノ、 蒲沢:っっっ!? 【ナレーション】:絶句。 【ナレーション】:本日2度目である。 姿乃:あの、ピアノは。 姿乃:まだ……、置いてあるんでしょうか。 蒲沢:ぅえェ……、っとォ、 蒲沢:こっ、来られたこと、 姿乃:私が生まれる前からありますから。 姿乃:といっても……、数年前に夫と、最後に行った切り、ですが。 蒲沢:あ……、 蒲沢:そ、そう、なんですね……、 姿乃:生前にです。念の為。 蒲沢:はい、それは、はい……。 姿乃:……前のご主人の、亡くなられた奥様が……、 姿乃:その古いピアノで色々な曲を弾かれているのを、夫は学生時代、よく聞いていた、って……。 蒲沢:(独り言) 蒲沢:……あのピアノ、そういう……、 姿乃:夫は顔馴染みらしく、親しげでしたが。 姿乃:私は内心、所在なくしていて、 姿乃:……でも、 蒲沢:はい、 姿乃:ご主人の焼かれたタルトは本当に、とても、美味しかった。 蒲沢:……あー……、 【ナレーション】:女の白い貌(かお)が薄明かりに浮かび、その眼はいつしか過去を見ている。 姿乃:上品で、優しくて……。 姿乃:珍しく、私の方が気に入って。行く度に、頼んでいたような気がします。 【ナレーション】:記憶へと向ける微笑み。 【ナレーション】:優しく、美しい笑みであるように、男には映った。 蒲沢:……っ、 姿乃:……ほんの、何度かの事です。 姿乃:そのご主人も亡くなられて、今はもう、出されていないでしょうが、 蒲沢:(遮り)あっ!! 蒲沢:……あ……っ! 姿乃:あ……? 蒲沢:あるんですよっ、 蒲沢:コレがっ!! 姿乃:……、 【ナレーション】:男の語気は昂ぶっている。 蒲沢:珈琲と、名物のその、「木の実とドライフルーツのタルト」だけは……っ、 蒲沢:先代からのレシピを何も変えずに、今でも同じ物を出してる、って、 蒲沢:今の、マスターがっ! 姿乃:……、……、 蒲沢:すみませんあの、決して興奮してるのでは、 姿乃:いえ。 姿乃:……美味しい、ですか。 蒲沢:はいっ?? 姿乃:タルト。 姿乃:……今でも、美味しいですか。 蒲沢:あ……、 蒲沢:……それは、あの……、 姿乃:……、 蒲沢:こ、個人的には、その……、 姿乃:…………、 蒲沢:…………絶品、なんですよねコレが……。 蒲沢:それはもう、普通に……。 姿乃:……、 姿乃:…………。 蒲沢:ピアノはその……、今は弾く人、居ないみたい、ですけど……、 【ナレーション】:女はかすかに眼を細めている。 【ナレーション】:風に吹かれ。 【ナレーション】:雨霞(あめがすみ)の向こう、 【ナレーション】:在りし日の記憶はけぶり。 姿乃:…………そうですか。 蒲沢:良ければまた、どうぞ……。 蒲沢:その……、デートの、時にでも……。 姿乃:……、……。 姿乃:……相談、しておきます。 【ナレーション】:雨音だけの沈黙が暗い墓地を満たし。 【ナレーション】:石畳を叩くしずくの音が、偶然にも素晴らしい旋律を奏でたかのように聞こえたところで。 【ナレーション】:次回へと、続く。 0:【終】