台本概要

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タイトル 仕掛屋「竜胆」閻魔帳~的之参~殯(もがり)の笛と、りんの言の葉〈各之明日〉
作者名 にじんすき〜
ジャンル 時代劇
演者人数 4人用台本(男2、女1、不問1)
時間 60 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 ⭐︎こちらは4部構成の第4部(完結編)となっております⭐︎

「各之明日」は「おのおののあす」とお読みください。

「悲しきものに寄り添う」が信条の仕掛屋『竜胆』
 末藏一味の事件を乗り越え、無事におりんを取り戻したお詠と阿武。
 東庵先生の “ふくみ” を聞くべく、竜胆庵にお招きしていた。
 東庵先生とは何者なのか? 彼は何を思っているのか?
 …さてさてどうなりますやら


仕掛屋『竜胆』閻魔帳 第3作 その4

1)人物の性別変更不可。ただし、演者さまの性別は問いません
2)話の筋は改変のないようにお願いします
3)雰囲気を壊さないアドリブは可です
4)Nは人物ごとに指定していますが、声質は自由です
5)兼役は一応指定していますが、皆様でかえてくださって構いません

60分ほどで終演すると思います。

〜以下、世界観を補完するためのもの〜

二条高倉の志手小路家:「二条高倉」は京都の実在の地名。
「志手小路」は完全な創作であり、実在はしない。何やら特別な仕事を務めてもいるようだ。

坂上清雅:実在する名医「坂上」の名をお借りしました。東庵の祖父。
「雅国」は清雅の子で、東庵の父である。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
97 えい。小間物(こまもの)・荒物(あらもの)、よろず扱う『竜胆庵(りんどうあん)』店主。 二十歳そこそこにして、ものぐさ&あんみつクイーン。 黒脛巾の末藏一味から「おりん」を取り戻して一安心。 「おりん」が大好き。
阿武 92 あんの。年齢不詳。詠に付き随う豪のもの。 闇に紛れて行動できる「竜胆の防人(さきもり)」。詠の出生の秘密も知っている。 黒脛巾の末藏一味から「おりん」を取り戻して一安心。 「おりん」の先行きが楽しみ。パパ味が出てきたかも。
村田東庵 98 むらたとうあん。長崎にて蘭方(らんぽう)医学を修めた。 医師としては抜群の腕を持ちながらも、村医者に甘んじている。 奥医師 半井(なからい)祐笙(ゆうしょう)からの誘いを断り続けたことが一大事件の引き金となった。
ナレ 不問 26 場面の切り替えや、説明が必要なことがらがあるときなどに登場。 今作ではじめて単独のナレーションを置きます。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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仕掛屋『竜胆』閻魔帳 〜的之参〜『殯(もがり)の笛と りんの言の葉〈各之明日(おのおののあす)〉』 0:※注意※ 0:① 人物の性別変更不可(ただし演者さまの性別は不問です) 0:② 話の筋の改変は不可。ただし雰囲気のあるアドリブは大歓迎 詠:詠(えい)。小間物(こまもの)・荒物(あらもの)、よろず扱う『竜胆庵(りんどうあん)』店主。 詠:二十歳そこそこにして、ものぐさ&あんみつクイーン。 詠:黒脛巾の末藏一味から「おりん」を取り戻して一安心。「おりん」が大好き。 阿武:阿武(あんの)。年齢不詳。詠に付き随う豪のもの。 阿武:闇に紛れて行動できる「竜胆の防人(さきもり)」。詠の出生の秘密も知っている。 阿武:黒脛巾の末藏一味から「おりん」を取り戻して一安心。「おりん」の先行きが楽しみ。パパ味が出てきたかも。 りん:シリーズ〜的之壱〜で詠に斬られた「左馬」の娘。 りん:九〜十一歳ほどを想定しています。的之参〈急(第3部)〉で初めて声を発した。 りん:東庵先生のところでお稽古中。今作では寝ています。ぐぅぐぅ。 村田東庵:村田東庵(むらたとうあん)。長崎にて蘭方(らんぽう)医学を修めた。 村田東庵:医師としては抜群の腕を持ちながらも、村医者に甘んじている。 村田東庵:奥医師 半井(なからい)祐笙(ゆうしょう)からの誘いを断り続けたことが一大事件の引き金となった。 ナレ:男女不問。〈N〉をすべて担当します。 0:〈 〉NやM、兼役の指定 0:( )直前の漢字の読みや語意 0:【 】ト書 それっぽくやってくださると幸いです。 : 0:以下、本編です。 : : ナレ:〈N〉この日、阿武(あんの)に誘われた通り、おりんの手習いを終えた東庵が「竜胆庵」を訪ねていた。 ナレ:双方とも頼れる相手と認めるからには、腹を探る訳でもないが、どこか釈然としないものが心に残る。 ナレ:「竜胆」について思うところもある。さらには自分の胸の奥も、詠と阿武にさらすつもりであった。 ナレ:おりんが床についたあとの居間で東庵とお詠たちが話し込んでいる。 : 村田東庵:あらためて、お二人にお礼を申し上げます。 村田東庵:先日の騒動は、お詠さん、阿武さんのお力が無くては乗り越えられなかったでしょう。 村田東庵:本当にありがとうございました。 村田東庵:また、おりんさんを危ない目に遭わせて本当に申し訳ありません。 詠:いえいえ、何をおっしゃってんですか。先生がいなければ、村の人たちも落ち着いてはくれなかったでしょうよ。 詠:たしかにおりんにはかわいそうなことをしたけどねぇ…、誓って“次”はないですよ。 阿武:さようでございます。東庵先生がいてくださればこそ、村の方々も大事(だいじ)なかったわけですから。 阿武:それに、おりんさんは私たちが必ず守りますので、ご安心くださいましな。 村田東庵:そのように言ってくださるのはありがたいのですが、やはり事の発端が私に因(よ)る以上、 村田東庵:どうしても「終わったこと」にはできないのです…。 阿武:それなんですがね、先生。実はこちらでも「終わったこと」になってはおりませんよ。 村田東庵:えっ、それはどういったことでしょうか……? 詠:あの晩、村に戻る前にならず者の集団を番所の役人に引き渡したでしょう? 村田東庵:えぇ。悪党の詮議(せんぎ)も毒薬の吟味(ぎんみ)も、ご公儀(こうぎ・幕府のこと)にて行われる予定でしたよね? 阿武:そう、その予定でした。…ところが、それらが知らず間(ま)に消えたのです。 村田東庵:ん!? ……消、えた…? 詠:そうなんですよ。きれいさっぱり消えちまったそうなんですよ。 阿武:巻き縄(まきなわ)にした手下(てか)たちも、頭目らしき者たちも、です。 阿武:その上、毒薬の吟味どころか、毒薬自体、姿をくらましたそうにございます。 : ナレ:〈N〉騒動の夜、お詠と阿武の活躍により、一網打尽にされた「黒脛巾の末藏(くろはばきのすえぞう)」一味。 ナレ:あるものは竜胆の逆鱗(げきりん)に触れてその命を落とし、またある者は縄で巻き取られ番所へと運ばれたはずであった。 ナレ:東庵のところには、毒薬の吟味に参加せよとの通知まで届いていたのである。 ナレ:しかし、ある日の朝のこと。伝馬町(てんまちょう)の牢獄(ろうごく)から一味の生き残りすべてが消えていた。 : 村田東庵:それはまた、何ということでしょうか……。 詠:思いの外、大きな猫が裏戸(うらど)からじゃれついてきましたねぇ【カラカラと笑う】。 村田東庵:お詠さん…。それでは、ご公儀の中に此度(こたび)の黒幕が? 詠:さてねぇ…【阿武を見やる】。 阿武:詠さま。今宵は「中身をすべてさらす」というお約束では? 詠:確かにそうは言ったけどね、阿武分かってんのかい? 先生も巻きこんじまうんだよ? 村田東庵:あぁ、お詠さん。村の方々にも、おりんさんにも、重さん、政さんにも。 村田東庵:そして何よりお二人にも大きなご迷惑をおかけした身ですからね、安穏(あんのん)としてはいられないと覚悟の上です。 詠:【ゆっくりとうなずいて】ハハハ……。先生、試すようなことをして申し訳なかったですよ。 詠:まぁね、ご大層に「ご公儀」なんて言っちゃいるがね、一枚岩じゃぁないんです。お偉い方々もね。 村田東庵:あぁ、おりんさんを託されたという「伝手(つて)」のお話ですね。 詠:そうです。お江戸だけでなく、日の本(ひのもと)を治めようってんですからね、しゃんとして欲しいもんですよぉ。 詠:…なんて、こんな小娘が言うような話でもないけどねぇ…ハハハ。 村田東庵:先(せん)だって「お詠さんの『伝手(つて)』は大きな手のようですね」と言いはしましたが、 村田東庵:お詠さんにかかっては形無しですねぇ【笑う】。 村田東庵:…あぁ、これ、私たちの他にはだれも聞いていませんよね? 阿武:ははは。大丈夫ですよ、先生。ここには私たちしかおりませんし、誰かが忍んで来ても分かります。 阿武:ご公儀のお偉方にも、しぶしぶ言うことを聞かざるを得ない相手、というのがあるのでしょうな。 村田東庵:「忍んで来ても分かる」…ふぅ。お二人ならそれも真(まこと)の話なのでしょう…。 村田東庵:私には、そのような力がありませんから、お力添えいただいて幸甚(こうじん)でした。 詠:これも一つの「縁(えにし)」ってもんでしょう。 詠:あたしらも東庵先生の知遇を得られて、本当に良かったって思ってんですから。 詠:なんせ、おりんを導いてくださる方が見つかったんだもんねぇ。【笑顔】 阿武:そうそう。私なぞはそれがうれしくてうれしくて。【笑顔】 阿武:東庵先生、おりんさんをどうぞお導きくださいましね。 村田東庵:いやはやどうも…痛み入ります【頭を下げる】 : ナレ:〈N〉しゃべることができなくなった「おりん」について相談を寄せたお詠たち。 ナレ:東庵との交流の中、おりんは東庵から「薬包紙(やくほうし)」の折り方などを習うことになっていた。 ナレ:持って生まれたものなのか、それとも特殊な環境の中で培われたものか…。 ナレ:いずれにせよ、おりんの天分は東庵も認めるところである。 ナレ:気の早い阿武などは、それを喜び、おりんに任せる「紙」の品定めまで始めていたのであった。 : 詠:あれあれ、先生! お手をあげてくださいまし。 詠:おりんのお師匠(ししょ)さんに頭を下げられたんじゃ、なんだかこそばゆくなってしまうよ。 阿武:ふふふ、詠さまのおっしゃる通りです。どうぞお楽になさってください。 阿武:して、先生も何かご存知なのでしょう、私ども「竜胆」のことを。 阿武:「竜胆」が何か知って、お話を持っていらしたのではないですか? 村田東庵:…「竜胆は美しくも恐ろしい。竜胆を見つけたら、ゆめゆめ踏みつけてはいけないよ」 詠:それは何ですかねぇ…。「お詠は美しい」ならうれしいんですがね? 阿武:たしかに。詠さまは「恐ろしい」ですか、ら…おっとっと。 詠:何だって? 阿武! 村田東庵:ははは。お二人の「阿吽(あうん)の呼吸」は軽口にすら現れますね。【微笑む】 村田東庵:…これは私が幼いころ、祖父から何度も聞かされた言葉です。 阿武:おじいさまから? …さて。 村田東庵:実は私、京(みやこ)の生まれでありまして…。十(とお)の年まで志手小路家(しでのこうじけ)におりました。 阿武:志手小路さま!? 二条高倉(にじょうたかくら・地名)のお屋敷ですか? 村田東庵:えぇ、そうです。 詠:それで、そのおじいさまとは? 村田東庵:志手小路(しでのこうじ)のご先代、安万侶(やすまろ)さまにお仕えしていた、坂上清雅(さかのうえ きよまさ)と申します。 阿武:なんと! …いや、そうですか。……清雅さまの、お孫さんでいらっしゃったのですか。 阿武:たしかに…坂上さまは京の流行病(はやりやまい)を鎮められた後、ご一家で外に出られた、と聞き及んでおりますが…。 詠:…へぇぇ、阿武は何でも知っているんだねぇ。 阿武:詠さまもご存知でございましょう? 二条高倉の宗守(むねもり)さまですよ。 詠:いや、そりゃ二条高倉は知ってるさ。知っちゃいるけどねぇ、あたしゃ、お屋敷の中のことまでは知らないよ。 阿武:まぁ、上方(かみがた)のことは私が網羅しておきますから、お任せになればいいんですがね…。 詠:さすが頼りになるよぉ、阿武は。 詠:…それで東庵先生、おじいさまの口上(こうじょう)にあった「竜胆」が何なのか知っていなさったんですか? 村田東庵:いいえ。幼いころの私には「薬効のある植物を大切にしなさい。扱いには気をつけなさい」という祖父からの注意としか思えませんでした。 阿武:それはそうでございましょう。「竜胆」は公(おおやけ)にされるものではありませぬゆえ。 村田東庵:ただ、方々で悩みを片付ける「竜胆庵(りんどうあん)のお詠さん」の話は私の養生所にも聞こえておりましたからね。 村田東庵:お近づきになってうれしく思っているところに、お詠さんから文をいただいたのです。 詠:たしか…「竜胆」は五臓改善、食欲増進に効くってねぇ。【微笑む】 詠:…あたしらもそれにあやかって人様のお役に立てるといいな、と常々思ってんですがね。 村田東庵:また! お詠さんや阿武さんには前から驚かされてばかりで…【薬効を知っていることに驚いている】 村田東庵:薬のこともそうですが、やはり、お詠さんと阿武さんは京(みやこ)のこともご存知なのですね…。 村田東庵:あぁそうだ!! 私としたことが、あの夜、たくさんいただいた漢方のお支払いを忘れておりました。 詠:ん? 水くさいですよぉ、先生。どうせうちの倉庫で眠ってたんですから、いいんですよ。 阿武:そうでございますとも。村のみなさんのお役に立てて、漢方も喜んでおりましょう。 村田東庵:…真(まこと)に、それでよろしいのですか? 詠:ええ、えぇ、いいですよ。それに今回の件は、うちにも責任がありそうですからねぇ。 : ナレ:〈N〉さすがにお詠の読みはするどい。此度の一件、東庵を狙ったものとしては事の次第が大きすぎる。 ナレ:お詠と阿武はそのように判断し、すでに調べを始めていた。 ナレ:…が、朝霞屋嘉兵衛(あさかやかへえ)の但し書き(ただしがき)が出回っていることに関しては、まだ知るところではない。 : 詠:…ふぅ。話してばかりではのどがかわいちまうねぇ。 詠:そうだ。せっかくだから、東庵先生に一服(いっぷく)つけていただこうかいね。 阿武:おぉ。久方ぶりに詠さまの「お点(た)て」が見られるのですか! それはうれしゅうございます… 詠:ははは。いいから阿武、湯沸かしを頼んだよ。あたしは茶道具を一式持ってくるからね。 村田東庵:なんとまぁ、お詠さんは「茶道」まで身につけていらっしゃるのですか。 詠:何だろうねぇ。「門前の小僧…」じゃないですがね、幼いころはこういったことが身近にあったもんでねぇ。 詠:家を出るまでに、勝手に身についていたんですよ。 村田東庵:【言いにくそうに】…失礼ですが、お詠さんは、どちらの? 詠:ん? あたしかい? あたしの生まれはねぇ… 阿武:【前のお詠に重ねて】あ~~~~!!! だめですよ。それはだめです!!! 詠:あら。だって、先生には割るんだろう、腹を? ほれ、ぶしゅぅぅぅぅ【切腹のまねをする】。 村田東庵:はははは! …いやいや、よろしいのです。私はそこまで根掘り葉掘り聞こうとは思いませんよ。 阿武:東庵先生、それはご勘弁ください。 阿武:…決して先生を信じられぬわけではございませんが、累が及んではなりませぬゆえ…。 村田東庵:よいのです、よいのです。お二人には何やら深い事情がお有りのようだ。 詠:ふぅ…。いいかい、阿武。言の葉(ことのは)を軽んずるもんじゃぁないんだよ。 阿武:くっ。…何やら納得いかないような気もいたしますが……。 詠:ははは、いいから湯の番をしておいでな。 阿武:…はいはい、承知いたしました、っと。【席を立つ】 村田東庵:…先(せん)からお二人を見ていて何度も思っております。 村田東庵:このお二人の関係は、巷(ちまた)にあふれるようなものではない、と。 村田東庵:ただ仲が良いとか、主従を務める、とかそのような関係に収まるものではないと、ね。 詠:あれあれ、先生、なんですか。あたしらただのぐうたらと、ちっと仕事のできる番頭ですよ。 詠:ただ…あたしら二人で「竜胆」でもあるけれどねぇ【微笑む】 阿武:もうすぐ湯がわきますよぉ。東庵先生、詠さま~。 阿武:……んっ!?【突然の気配に気づく】 詠:おや、どうかしたのかい? 阿武:いいえ、なんでもございませぬ~。 : ナレ:〈N〉湯を沸かす阿武の元に一通の書状が差し込まれた。その使いは一言も発さず、すでに消え去っている。 ナレ:その書状は、京(みやこ)の監察(かんさつ)を統括(とうかつ)する「獬(かい)」からのものであった。 ナレ:そこには、前に阿武が報告した「凄いやつ」の存在についてしたためられていた。 ナレ:※表示されない方へ 「かい」は「けものへん」に「解」と書きます。 : 阿武:〈M〉いつもながら獬(かい)さまは仕事がお早い。…ふむ。あやつは「常闇の長治(とこやみのちょうじ)」。 阿武:香具師(やし)の大物、朝霞屋嘉兵衛(あさかや かへえ)の懐刀(ふところがたな)…か。 阿武:…しかし、詠さまを相手取って平然とできる人間が、果たしてこの世に何人いることか。やはり手ごわい相手と心得ねば… : ナレ:〈N〉「『竜胆』を踏まれてはおるまいな」 ナレ:書状でその文字を目にするだけで、あの阿武が背筋を伸ばし、半ば緊張している。 ナレ:その書(しょ)から獬(かい)の声が響いてくるかのように感じている阿武であった。 : 阿武:〈M〉…ふぅ。朝霞屋嘉兵衛(あさかやかへえ)か。少し調べてみなければ、な。 阿武:〈以下、セリフ〉詠さまぁぁ、湯が沸きましてございますよぉ~。 詠:何だい? えらく遅いじゃぁないか。 阿武:はいはい、今お持ちしますよ。 阿武:…よいしょっと。【戻ってくる】 阿武:【淡々と】詠さま、近々「お改め(おあらため)」があるようですな。 詠:…あぁ、そうかい。 詠:さぁさ、久方ぶりに茶を点(た)てるとするかねぇ! : ナレ:〈N〉居間の隅に切った炉(ろ)にかけた茶釜からは、しゅんしゅんと小気味(こぎみ)よい音がもれている。 ナレ:詠の手前(てまえ・茶の腕前)には型にはまらぬ美しさがあった。 ナレ:茶入れから碗(わん)に茶をうつし、柄杓(ひしゃく)で釜から湯を運ぶ。 ナレ:茶碗に手を添え、茶筅(ちゃせん)で茶を点(た)てる詠の所作は耳目(じもく)を集めうるほどに洗練されている。 : 村田東庵:……ごくり。【緊張している】 阿武:あはは、どうなさいました。東庵先生、緊張なさっておいでですか? 村田東庵:…阿武さん、このような座で、しゃべってもよいものでしょうか……? 詠:ははは! いいんですよ、先生。好きにお過ごしくださいな。 詠:まだ話も終わっちゃいませんしねぇ。 詠:あぁぁ、足もくずしてくださってかまいませんからね? 村田東庵:いや、それは…どうにも…。 阿武:お楽になさればよろしいのですよ。よいしょっと。【あぐらをかく】 詠:阿武ぉ! 先生の前であぐらをかくのかい? ちったぁ、遠慮しないか! 阿武:詠さまこそ、茶に向き合う言葉遣いではございませぬが? 村田東庵:ははは…ありがとうございます。気もほぐれました。 村田東庵:…ふむ。それでは、私も失礼いたしましょう。【東庵も足を崩す】 詠:先生ほどの方、茶の席には何度も呼ばれたことがおありでしょう? 詠:それにあたしゃ、気の向くままにやりすぎて、失格の烙印(らくいん)まで押されちまいましたからね。 詠:あたしの前で作法だなんだと気にすることはないんですよ。 阿武:そうです、そうです。詠さまは、ハチャメチャなお方ですから。 詠:お茶なんてものはね、 :【以下、阿武・詠同時に】 詠:美味しいから飲むんです! 阿武:うまいから飲むのですよ! 村田東庵:…は、はは。そうですね。その通りですね! : ナレ:詠の点てた茶を運ぶ。その傍らには色のよい落雁(らくがん)が添えられていた。 ナレ:思わず仕立てられた茶席にて、三人の話が進んでいく。 ナレ:茶を飲み、一息ついたあと、東庵が少し声を落として語り始めた。 : 村田東庵:お二人は「虎落笛(もがりぶえ)」をご存知ですか。 詠:…もがりぶえ? あぁ、冬に風が吹き付けて、びゅーびゅー音をならすってやつでしょう? 阿武:冬の強風が、竹垣や柵(さく)にぶつかり、笛のように音を立てるのでしたね。 阿武:…あまり、この町中では聞くことはありませぬが。 村田東庵:そうです。では「殯(もがり)」という葬儀については? 阿武:この秋津島(あきつしま・日本のこと)に古代より伝わる儀礼でございますな。 村田東庵:おっしゃる通りです。…いや、さすがに博識でいらっしゃる。 詠:なんだっけねぇ。亡くなった人の亡骸(なきがら)を置いて、崩れていくさまを見てその死を悼む(いたむ)、だったかねぇ。 村田東庵:はい。祖父はもちろん、父の雅国(まさくに)も、特別に大殯(おおもがり)に参列したようです。 村田東庵:私は幼く、見てはおりませんがね。…また、その資格もない。 阿武:坂上(さかのうえ)さまであれば、参列なさっていても不思議ではありませんね。 詠:それで? その話が何か? 村田東庵:はい。父は風が吹き鳴らす「虎落笛(もがりぶえ)」と宮中(きゅうちゅう)の「殯(もがり)」をかけて、自身の習わしとしていたのです。 村田東庵:救えなかった命を前に、静かに「龍笛(りゅうてき)」を奏でておりました。 詠:救えなかった命…ですか。 村田東庵:えぇ。音曲(おんぎょく)そのものは穏やかでしたが、私には怒りにも似た感情に感ぜられました。 村田東庵:飢饉になれば、村では大勢が命を落とします。それでも、殿上人(てんじょうびと・上位の公家)が亡くなることはありません。 村田東庵:戦(いくさ)が起きれば、大勢が命を落とします。そのほとんどは戦にかり出された村の人々です。 村田東庵:それら亡くなった方々は、人知れず姿を変えて、土に還(かえ)っていく。 村田東庵:そして、ことが大きくなればなるほど野ざらしにされる元命(もと いのち)は増えていくのです…。 阿武:…京(みやこ)ではその昔、大戦(おおいくさ)がありましたからなぁ。 : ナレ:〈N〉「坂上(さかのうえ)」は平安の世から続く医師の家柄。 ナレ:室町(むろまち)の大乱(たいらん)や疫病の流行においても多大なる功績を挙げていた。 ナレ:しかし、東庵の父、雅国(まさくに)の代で「坂上」の姓(せい)を捨てることになる。 ナレ:父の無念を思ってか、東庵の目から零(こぼ)れたしずくがひとつ、茶碗の中に消えていった。 : 村田東庵:父の思いは「逆恨み」であったかもしれません。今の世に戦そのものはないのですから。 村田東庵:父は「己の力不足」を嘆くべきだったのかもしれません。治療の最前線に立つのは我々医師や薬師(くすし)ですからね…。 村田東庵:それでも、浮世(うきよ)の命に「軽重(けいちょう)の別」があることを、父は許せなかった。 詠:東庵先生…。 阿武:それは、確かに…。 村田東庵:先の疫病(えきびょう)、祖父と父は京(みやこ)の人々をなんとか守ろうとしました。 村田東庵:しかし、市井(しせい)の民と、公家の方々を同列に扱うことはできませなんだ…。いや、許されなかったと言うのが正しい。 村田東庵:……このようなことをお二人に申しあげても詮方(せんかた)なきこと。 村田東庵:また、ひょっとしたらお気を悪くなされることかもしれませんが…。 詠:ははは「気を悪く」ですか。……それこそお気になさらず、先生。どうぞ話をお続けくださいな。 村田東庵:…はい。祖父はともかく、父は苦しみました。それで、志手小路(しでのこうじ)さまの元を離れる決意をしたのです。 村田東庵:その辺りの話は私もくわしく聞かされてはいないのですが、祖父もそれを受け入れた、と。 村田東庵:志手小路さまは私たちの暇乞い(いとまごい)をお許しくださったそうです。 阿武:…それで坂上さまはご家族で京(みやこ)をあとにされたのですね… 詠:そうかい…。そういう訳があったんですか…。 村田東庵:えぇ。ふふ…まだお詠さんは生まれてもいらっしゃらないころのお話です。 阿武:左様でございますね。詠さまご誕生までは数年ございます。 阿武:…ときに。坂上さまは、今でも京(みやこ)で医聖(いせい)とあがめられていらっしゃいますよ。 村田東庵:そうですか…。父も少しは報われるのかもしれません…。 阿武:東庵先生、此度の騒動、奥医師(おくいし)半井(なからい)様からのお誘いから始まっておりましたなぁ。 村田東庵:えぇ…その通りです。 阿武:奥医師の方々も派閥づくりに余念がないようですからね。東庵先生のご出自を、どこかで耳にしたのかもしれませんね… 詠:東庵先生が、その清雅(きよまさ)先生のお孫さんだってのは、世に広まっている話なんですかね? 村田東庵:いや、どうでしょう…。私自身が口にすることはありません。ただ、もともとの地元の方々にとっては周知のことかもしれませんから、ね。 阿武:地元、とおっしゃいますと? 村田東庵:私たちは山城国(やましろのくに)を出て、摂津(せっつ)に入り、そこで町医者を始めたのです。 村田東庵:…ですから、そのあたりの方々は当然ご存じのはずです。 阿武:…ふむ。なるほど。 詠:町医者に、ですか…。医師の務めからは離れずにいてくださってたんだねぇ。 詠:勝手な話かもしれないが、あたしゃうれしく思いますよ…。 阿武:…本当にそうですね、詠さま。 村田東庵:…ありがとうございます。 村田東庵:ただ、私の父、坂上雅国(さかのうえ まさくに)は志手小路さまをはばかってか、自らを儚んでか「村田」姓に名を改めたのです。 詠:自らを儚んで…とは、どういう意味ですかねぇ? 村田東庵:父は、苦しむ人々を、苦しむ世の中を思うように救えないことに苦悩しておりました。 村田東庵:祖父「清雅(きよまさ)」の背中も大きすぎたのでしょう。…その上、代々続く「坂上」の名。 村田東庵:光がなければ何も見えませんが、強すぎる光は、かえって目を傷め(いため)もするものですから…。 阿武:…お父上の苦悩のほどは私なぞには分かりませんがね、東庵先生。 阿武:…「村」に「たんぼの田」。それは国の礎(いしずえ)にございますよ。 阿武:天下に百姓(ひゃくせい・「ひゃくしょう」ではない)なかりせば、浮世に上る陽の光もなし…にございましょう。 詠:阿武、そりゃなんだいね? 阿武:この世に土を耕し、作物をつくる人々がいなければ、どうなります? 詠さま。 阿武:年貢(ねんぐ)で成り立つご公儀は破綻(はたん)します。…何より、私たちが食べていけなくなるではございませんか。 詠:…そうだねぇ。おいしいおまんまにありつけるのはお百姓(こちらは「ひゃくしょう」)さんあってこそだねぇ。 阿武:ですから、東庵先生。お父様のご改名は決して世を、ご自身を儚まれたからではありませんよ。…きっとね。 村田東庵:…阿武さん。…はい。そうであったらよいな、と思います。 : ナレ:〈N〉東庵の父「雅国(まさくに)」は摂津に移っても笛を吹いた。 ナレ:飢饉(ききん)に流行り病、一揆(いっき)で落とす命は、山城も摂津も同じ。 ナレ:…否(いな)、京(みやこ)を離れて初めて分かることがあった。 ナレ:公家の邸宅(ていたく)周りとは比べられないほど人死に(ひとじに)が多かったのである。 ナレ:それは京の外れ以上に、貧しき人々が多く暮らしていたからであった。 : 村田東庵:京(みやこ)を離れたあと、私は父からたびたびこう言われました。「私たちが関われる命の数など、高が知れているんだよ」と。 村田東庵:そして「その命を簡単に散らしてしまうような、簡単に人を殺(あや)めてしまえるような、そんな世や人を憎くすら思う」とも。 : ナレ:雅国は山野に向けて笛を吹いた。悲しき落命を悼(いた)む、その音曲(おんぎょく)は日に日に深みを増していく……。 : 村田東庵:病ならば、致し方ないところも多分にあります。飢饉ですらも、多少はそうでありましょう。 村田東庵:それは天の采配であって、そも人の身の自由になることではありませんからね。 村田東庵:しかし、夜道でならず者に斬られたり、商家(しょうか)に盗賊が入ったりで亡くなる人もとても多かった…。 村田東庵:父は、人を救う身でありながら、次第に人間を恨んでいきました…。人の命を軽んずる者たちをね。 村田東庵:…そしてそれは、父を間近に見て育った私にもいつしか伝染(うつ)っていたのです。 阿武:それは…。それならば東庵先生、私どもも同罪かもしれません… 詠:阿武!? ……ふぅ。まぁ、そうさねぇ…。 村田東庵:実は……。【やや長めの間】私もそう疑ったときがありました。「命を奪う側」のお人ではないか、と。 村田東庵:…いやはや、誠に申し訳のないことにございます。 詠:……先生。あたしらのような得体の知れないのを前にしちゃ、そいつも仕方ありませんよ。…ねぇ、阿武。 阿武:はい。初めて私が東庵先生の養生所(ようじょうしょ)をたずねた晩を覚えておいでですか。 阿武:あの時、実は屋根裏に大きなねずみが入っておりました。 村田東庵:…ねずみ? 詠:そうそう。大きな大きなねずみでねぇ。ちゅうちゅうなんてかわいいもんじゃないんですよ。 阿武:私が天井に向けて殺気を放ったところ、東庵先生はそれに反応なさったように見えました。 村田東庵:あぁ。あの夜ですか。…そうですね。この人たちは「げに恐ろしき人々」かもしれない、と思いましたよ。 村田東庵:私にはその「ねずみ」が何かは元より、そこにいたことすら分かりはしません。 村田東庵:かろうじて分かったのは、阿武さんは私を害そうとしたのではない、ということだけです。 村田東庵:だからね、気にしないことにしたのですよ。お二人の人柄は、そのお話やたたずまいに現れていますからね。 詠:そのねずみ、此度の事件には出てきませんでしたがね。 阿武:えぇ。その動静には気を留めておきますゆえ、ご安心ください。 村田東庵:そうですか。ありがとうございます。 村田東庵:…それで、私は「竜胆」が何を意味するのか考えました。符牒(ふちょう・合図、隠語)のようなものだろうとは思っていたのですが…。 村田東庵:お二人の屋号「竜胆庵」、そして祖父が遺した言葉。「美しくも恐ろしい」という言葉の意味を量りかねましてね。 村田東庵:おりんさんを案ずるお二人の気持ちに心打たれたというのもありますが、考えても分からなければ自らの体を以て試すしかないではありませんか。 阿武:…なるほど。それは潔くていらっしゃる…。 詠:で、どうでしたかね? あたしらへの心象は。 村田東庵:私は…お二人に心惹かれております。それでなければ、おりんさんをお預かりしたり、今宵ここまでお話ししたりすることもありませんよ。 村田東庵:もっとも、おりんさんは本当に筋がよいですがね。【笑顔】 阿武:いやいや、ありがたいことにございます。 村田東庵:その後、父は上方(かみがた)で流行した天然痘(てんねんとう)の治療に駆け回る中、自らも病にかかり、この世を去りました。 村田東庵:死の間際、…といっても床の間には呼ばれませんでしたが、父は私に宛てて手紙を遺したのです。 詠:手紙…。で、それには何と書いてあったんです? 阿武:詠さま!? そのように気軽にたずねるものではございません、はしたない…。 村田東庵:ははは。…父の手紙には、自分が果たせなかった望みが書かれておりました。 村田東庵:「人々を苦しめる者への恨み節」と共にね。私に「世を救ってほしい」と書かれていたのです。 村田東庵:なんという大望(たいもう)でしょうか…。そうは思われませんか? 詠:まぁねぇ…。いきなり「この世」を肩に乗っけられちゃぁねぇ。あたしなら御免被り(こうむり)ますよ【からからと笑う】 詠:あたしが担げるのは、せいぜい背負い小間物(しょいこまもの)くらいですからねぇ。 阿武:…もう、詠さま。ほどほどになさいませ? 村田東庵:ふふ。お詠さんの言うとおりです。私にはほとほと荷が重かった…。 村田東庵:それでも…祖父の助けもあり、私はひとまず長崎へ向かうことになりました。 阿武:…確かに、東庵先生は「蘭方(らんぽう)」も修められたとうかがっております。 村田東庵:ははは。「長崎」と言っても「ぜひに蘭方を」などと志していたのではありません。単に京(みやこ)から離れたかったのでしょう。 村田東庵:若い頃の原動力は、今思えばろくなものではありませんでしたよ。 村田東庵:「失意のまま」亡くなった父の姿や、人々を苦しめる悪人たちの高笑いが浮かんできましてね…。 村田東庵:私は、それらに対して、やり場のない怒りを抱えながら学んでいたのですから……。 詠:でも…今は、こうやって世のため、人のために働いていらっしゃるんですから、ご立派じゃぁありませんか。 村田東庵:しかし、医師の道を歩めば歩むほど、父と同様…己の無力さに気づかされるのです。 村田東庵:今回もそうです。私ごときの招聘(しょうへい)が発端となり、村の人々を苦しめてしまった… 村田東庵:私は村の方々に顔向けができません… : ナレ:〈N〉東庵は気に病んでいた。己の存在が大きな事件を引き起こしてしまったと。 ナレ:他者(ひと)をいたわり、手当てをすべき自分のせいで、多くの人々を苦しめてしまったと。 ナレ:東庵の思いは、あの夜以来晴れることがない。自らを責める思いが、その心を弱めてしまっていた。 : 詠:でも、村のみんなは東庵先生を慕っていなさいますよぉ。 阿武:えぇ、そうですよ。おりんさんと村を通るたびに「先生のとこへ行くなら、これを」と何度も預かり物をしていますからねぇ。 村田東庵:それはありがたい限りなのですが……。 村田東庵:いかんせん、村のみなさんは事の起こりをご存知ありませんから…ね。【ため息をつく】 詠:……いけませんよ、先生。今の先生は周りをご覧になっちゃいませんねぇ。 村田東庵:たしかに…。私はみなさまに合わせる顔がない。 村田東庵:いや、…私に向けられる視線に、その想いに向き合えないでいるのです…。 詠:…はぁあ。いよいよいけないねぇ。 村田東庵:え? 詠:それはね、先生の“逃げ”ってもんです。まったく、大の男がみっともない。 阿武:詠さま…「みっともない」とは… 村田東庵:…私の、“逃げ”……。 詠:その浮かない顔はどこからくるもんなんですか? 村を賊に襲わせたから? それともみなが毒薬で苦しんだから? 村田東庵:そうですね…。それらすべてのように思います。 詠:いいや、そうじゃぁありませんね。それはね、先生の「後ろ暗さ」が作った顔ってもんですよ。 詠:先生は「ことの起こり」を気にかけていなさるんでしょう。 村田東庵:……はい。 詠:そして、それらをみなに知られたらどうしよう。そう思っていなさるんでしょう? 詠:それなら、いっそその前に村を離れようか。養生所をたたんででも…ってね。 村田東庵:いや、さすがにそこまで申してはおりませぬが…。 詠:一緒だって言ってんですよ。そのようなことは「言わない」にせよ、心の中で「思った」ことはあるんじゃないですかねぇ? 詠:あたしらもね、おりんをさらわれてしまいましたからね。そりゃ、悔やんでも悔やみきれないってもんです。 詠:でもね、結果、みな無事だったんですよ。終わりよければすべて善し! 次に同じことをしないのが肝要ってもんでしょう。 阿武:そうですよ、先生。気になさるのは大いに結構にございます。 阿武:その思いを次に向けて行けばよいではありませんか。同じ轍(てつ)を踏まないように。 阿武:……それに、私も知った風に言ってしまいますがね、お父上も同じだったのではありませんか? 村田東庵:…父も? どういうことでしょうか。 阿武:お父様も、笛を吹きながら「同じことは繰り返すまい」と祈っていらっしゃったのですよ、きっと。 村田東庵:……それは……果たして……。 詠:東庵先生。……うじうじするのは、そこまでにしちゃあくれませんかね。 詠:先生の恐れや悔いは、よっく伝わりますがね。その「うじうじ」はハエすら産みゃしませんよ。 阿武:…詠さま? 「うじ」と「ハエ」ですか……。いや、ちょっと…、その、かなり…。 詠:うるさいねぇ、阿武。水を差すんじゃぁないよ。 詠:先生が浮かない顔で一人悩んでいたってね、何も生まないって、あたしゃそう言ってんだ。 村田東庵:…何も、…生まない。 詠:だってそうでしょう。先生の思いは、先生の気の持ち様一つでどうとでもなるもんだ。 詠:村ではだれも死んじゃぁいません。それに、その村の衆が、みな先生に感謝してんだから。 阿武:先生には伝えておりませんでしたがね、村のみなから言われていたことがあるんです。 阿武:「先生が元気がないんだが、どこかに行ってしまわないかねぇ」とね。 村田東庵:そ、それは……。そうなのですか。 阿武:私や村の衆には「学」はございません。それでも「人」はおのずと「人をおもんぱかる生きもの」でしょう。 阿武:もっとも、悪いやつらもたくさんいるので、私らのようなのもいるのですが…。 阿武:先生をめぐる騒動だって、多かれ少なかれ村の衆も見ております。村の衆の思いはね、真の心でございましょ。 詠:そうですよ、先生。村のみんなは、これからも先生に近くにいてほしいって思ってんだ。 詠:ひとりで怖がってないで、みなの気持ちに応えておやりよ。しゃんとなさりなさいな【叱り口調で】。 村田東庵:お詠さん……。私は、このままのほほんと過ごしてよいのでしょうか。 村田東庵:私は許されるのでしょうか、これだけ人を苦しめて。いや、私はそれを怖がっているのか…。 阿武:許すも許さないもない。何の問題もございませんよ。大手を振ってお天道(てんと)さまの下を歩かれればよろしい。 阿武:また、此度の一件、先生だけの問題ではございません。私どもにも責任があるようですからね。 詠:そうさね。何かあったってあたしらがついていますからねぇ。 詠:困りごとは、このお詠さんにどぉぉんと任せておくれってなもんですよ。 阿武:それに、向こうはまだ諦めてはいないでしょう。 詠:そうだねぇ。ほとぼりが冷めるまではおとなしくしちゃいるだろうが、ね。 村田東庵:まさか!? このようなことが続くと…? 阿武:手を替え、品を替え近寄ってくることも、十分考えられますな。 詠:だから遠くに行かれちゃ、あたしらも迷惑するんですよ。守れやしませんからねぇ。 詠:それに第一、おりんが困っちまいますでしょう。おりんに泣かれたらどうするってんですか? 詠:先生には約束を果たしてもらわないとねぇ… 村田東庵:…そうですか。ありがたいことです。 村田東庵:それに…おりんさん。私もおりんさんにはいろいろ学んでもらいたいと思っております。 詠:差し出がましいことを言うようですがね、あたしらにも担がせてくださいな、先生のその「重し」をね。 村田東庵:【深い呼吸を一つ】はい。…性根(しょうね)を据えて一からがんばるといたしましょう…。 阿武:えぇ。…いやなに、一度に気持ちすべてを入れ換える必要もございませんでしょう。 阿武:無理なく、ゆるゆるとで結構ではありませんか。 阿武:あぁ、詠さま、茶碗が空になっていらっしゃいます。もう一服点てて差し上げては? 詠:あぁ、これは気づかず失礼しちまいましたね。 詠:…あはは。話に夢中になってしまったよぉ… : ナレ:〈N〉先ほどのように見事な所作で茶を点てる詠。 ナレ:茶筅(ちゃせん)の先が、湯と抹茶を一つに混ぜ合わせていく。 ナレ:シャッシャッという音が居間に快く広がり、阿武も東庵も目を瞑ってそれを聴いている。 : 詠:あたしが茶を好きなのはね、その味だけってわけでもないんですよ。 詠:こうして透明な湯が茶にふれると、碗の中で茶が吹き上がって、次第に濁っていくんです。 詠:茶筅でそれらを混ぜるときの、この「くるくる」がなんとも心地よくてねぇ。 詠:ほら、一日も季節も、あたしらの命もね、くるくる巡っていくでしょう? 詠:数度混ぜたら、茶のよい香りが鼻をくすぐってね、濁りがまた、よい舌触りと味になるんです。 阿武:人々の「くるくる」を妨げる輩(やから)は許しておけませんからねぇ。 詠:そうさ、阿武。そのとおり。東庵先生と道は違いますがね、あたしらも、この小さい手から零(こぼ)れる命を悼むことがありますよ。 阿武:…えぇ。手ずから “零す” 命もありますし、ね。 詠:そんなあたしらでもね、あたしらがいないと困る人がいるってんで、生きていられるんですよ。 村田東庵:お詠さん、阿武さん……。 詠:さぁさ、先生、できましたよ。さっと飲み干しちまってくださいな。 阿武:そうですとも、先生。清濁(せいだく)合わせて一息に。 村田東庵:……誠に、けっこうなお手前で【笑顔】。それでは頂戴いたします。 詠:どうぞそのまま聞いてくださいな。あたしら「竜胆」はね、元々は「日陰の存在」なんです。 阿武:京(みやこ)のお偉方(えらがた)の命(めい)を受けて、汚れ仕事を務めることもありますし、ね。 詠:そういう意味じゃぁねぇ、先生やお父上が目の敵になさった連中と大差ないんです。 詠:今でこそ、お江戸で人助けの真似事もやっちゃぁいますがね。 阿武:そうですね。元来、人に誇れるようなものではありません…。 詠:あたしらの「竜胆」なんざ、人目につかないところでひっそり咲くのが望ましいんですが……なかなかそうもいかなくてねぇ。あはは…。 : ナレ:〈N〉詠と阿武はここ『竜胆庵』で商(あきな)いの傍ら(かたわら)、街の様子をうかがっている。 ナレ:「竜胆」は京(みやこ)と公儀(こうぎ・幕府)の間で均衡を取る役目も果たしていた。 ナレ:世が進み、政(まつりごと)の中心が関東に移った。 ナレ:華のお江戸は八百八町(はっぴゃくやちょう)。人の数もすでに上方(かみがた)に勝(まさ)っている。 ナレ:もはや文(ふみ)一つで操れる世の中ではない。そこで用いられた力の一つが「竜胆」なのであった。 : 村田東庵:…いやはや、遅くまでお邪魔してしまいました。すっかり夜も更けてしまった。そろそろお暇(いとま)するとしましょう。 詠:大したお構いしかできなくて、ごめんなさいねぇ、東庵先生! 阿武:…もう、詠さま! 本気なのか冗談なのか分かりゃしませんよっ。 村田東庵:ははは。実に大層なおもてなしを受けましたよ。ありがとうございました。 村田東庵:私も足下を見つめて、出直すとしましょう。村の方々と一緒にね。 阿武:はい。それがようございます。またおりんさんを連れてお邪魔いたしますよ。 村田東庵:えぇ。明日の夕刻を楽しみにしております。 詠:ねぇ、東庵先生。あたしがあの夜、何度か伝えたことを覚えていなさいますか? 村田東庵:……はい。「私には私にしかできない務めがある」ですね。 詠:さすがは、先生だ。よっく覚えていなさるねぇ。 詠:先生には先生にしかできないお役目があるようにね、あたしらにもあたしらにしかできない務めってのがあるんですよ。 村田東庵:はい。よく分かります。 詠:そりゃ、楽しいことばかりじゃぁないからねぇ。昔は、鬱々(うつうつ)としかけることもあったがね。 詠:あたしゃ、自分の心の内に「まっすぐ」を持つようにしてんです。誰に見せても恥じることのないものをね。 詠:それさえありゃ、大抵のことは大丈夫。まぁ、なんとかなりますよ。 村田東庵:心の内の「まっすぐ」、ですか。……はい、私も本日より育てて参ります。 阿武:詠さまのご気性は多くの方に好まれますからなぁ。「まっすぐ」すぎて、こちらは、はらはらすることも多いですが。 詠:それにね、あたしにゃ阿武がいる。共に地獄の沙汰を受けた相手がね。こんなに心強いことはありませんよ。 詠:何より今ではおりんも一緒だ。ぐうたらしがいもあるってもんだよ。 阿武:……詠さま。ぐうたらはおやめくだいましよ。……ほんとに喜んでいいんだか、お小言を言えばいいんだか。忙しいったらないですよ。 村田東庵:……地獄の、沙汰、ですか。…お二人の関係の一端を知ったように思います。 詠:あぁ、そりゃすぐに忘れてもらってかまいませんよ。ははは。 詠:何にせよ先生、これからは先生との「縁(えにし)」も大切にさせてもらいますからね。 阿武:そうですそうです。おりんさんをお頼み申しますよ! 阿武:…それに。先生お一人ですべてを抱えられることもございません。 村田東庵:ありがとうございます。お言葉に甘えます。そして、私も精一杯努めるといたしましょう。では……。 詠:はいよ。先生、またお出でくださいましな。 詠:ねぇ阿武、そろそろ用意は終わったかねぇ…【にやにや】 阿武:えぇえぇ、詠さま。よい頃合いでございましょう。 村田東庵:…ん? 何事でございますか? 詠:いいですか、先生。今夜は寄り道せず、まっすぐに帰っておくんなさいな。 村田東庵:…よ、寄り道ですか。いや、もとより養生所に帰るつもりではありましたが…。 阿武:ははは。そう心配なさらずに。悪だくみではございませんから。 阿武:それにしても大層楽しい夜でございました。また、いずれよい干菓子を見繕ってご招待いたします。 村田東庵:そうですか。お二人だけでなく、阿武さんが仕入れる逸品にもそそられますなぁ。 詠:先生、おりんにも、でしょう? 村田東庵:…ははは、これは一本とられましたな。確かに。 村田東庵:おりんさんは、私が責任もって面倒を見させていただきます。 阿武:なにとぞ、よしなに願います。 村田東庵:はい。それでは、この辺りで。 詠:よい時間をいただきました。帰りはきっといい夜でございましょ。 阿武:次回も楽しみにしておりますよ。道中、どうぞお気をつけくださいましね。 : ナレ:〈N〉提灯(ちょうちん)片手に東庵が帰路に就く。時々ふり返っては丁寧に頭を下げている。 ナレ:次第に遠ざかっていくその後ろ姿は、心なしか足取りが軽かった。 : 詠:阿武。何もないとは思うがね、念のために養生所まで影を務めておくれでないかい。 阿武:えぇ。そのつもりでおりました。そのまま村のみなさまの手際のほども見て参りましょう。 詠:そうだね【微笑】東庵先生にも、明るいお日様が上る(のぼる)ように願ってるよ。 ナレ:〈N〉竜胆庵でのやりとりを思い出しつつ歩いている東庵の行く手に、ぼんやりと浮かぶ灯りがあった。見慣れぬ風景を不思議に思いつつ近づいていく東庵。 村田東庵:〈M〉ふむ。あれはなんでしょう。この近くで祭りなどはないはずですが。……蝋燭(ろうそく)の火が揺らいでいる? 阿武:〈M〉これはこれは。村の方々も準備万端のようですね。どうにか東庵先生にみなさんの気持ちが届けばよいのですが… ナレ:〈N〉ところどころに置かれた蝋燭の合間から軽妙な音が聞こえてくる。その出所に東庵が気づくまで、さして時はかからなかった。 村田東庵:あ…! あれは、風車(かざぐるま)…。 村田東庵:〈M〉街道の両脇に蝋燭と風車がかわるがわる置かれている…。風に吹かれる風車の音も心地よいものだ…。 詠:【東庵の回想】茶筅でそれらを混ぜるときの、この「くるくる」がなんとも心地よくてねぇ。 詠:ほら、一日も季節も、あたしらの命もね、くるくる巡っていくでしょう?… 村田東庵:〈M〉茶筅の「くるくる」と風車の「くるくる」。村のみなさんの、竜胆庵の方々の、そして私の日々も回っていくのですね。 阿武:【東庵の回想】人々の「くるくる」を妨げる輩(やから)は許しておけませんからねぇ… 村田東庵:〈M〉お詠さんは、私に「それは逃げだ」と、そうおっしゃった。弱気な私も村のみなさんの「くるくる」を妨げることになるのかもしれませんね… ナレ:〈N〉思案顔で歩く東庵の両脇で風車の影が火の灯りに揺らいでいる。先を見据えた東庵を導くように、火に浮かぶ風車と蠟燭が村まで「まっすぐ」列をなしていた。 詠:【東庵の回想】あたしゃ、自分の心の内に「まっすぐ」を持つようにしてんです。誰に見せても恥じることのないものをね。 詠:それさえありゃ、大抵のことは大丈夫。まぁ、なんとかなりますよ。 阿武:〈M〉東庵先生は何を思っていらっしゃるのでしょうか。…ふふ。案ずるより産むが易し。よし、私は一足先にお知らせに参りましょうか。 ナレ:〈N〉東庵の周辺に危険が無さそうだと確認し、阿武は村へと翔(と)んでいく。 村田東庵:〈M〉風車…。そう言えば、前にぼん(男の子)の玩具(がんぐ)を直して差し上げましたっけ。あの子もうれしそうに笑ってくれていましたね…。 村田東庵:そうですね。私が村の側にいることで、村のみなさんが喜んでくださるなら…。私のようなものでも、求められる場所があるのであれば…。 ナレ:〈N〉それまでの鬱々とした気持ちは詠と阿武が払ってくれた。そして今、夜の涼風と、くるくる回るその音が、東庵に新たな決意をさせようとしている。 阿武:さぁさぁ、みなさま! そろそろ東庵先生のお姿が見えますからね。声の限りに、お迎えいたしましょう! ナレ:〈N〉顔を上げた東庵の耳に、風に乗った声が届く。その声は一つではなかった。 阿武:さ、ここは私も。東庵先生ぇ~お帰りなさぁぁい! 阿武:…ふふふ。みなさん、あとはよろしくお願いしますよ。私は東庵先生に見つかる前に帰るとしますか。 ナレ:〈N〉村に近づくにつれ、己を呼ぶ声がはっきりとより大きく聞こえてくる。もうずいぶんと夜も更けている。ふだんなら村の者たちが起きているはずがない。そう考えた東庵は、足をとめ、村に向かって頭をさげた。 村田東庵:〈M〉…みなさん。あのような顛末(てんまつ)を巻き起こした私を、このように迎えてくださるのですか…。ありがたい。まことにありがたい……。 阿武:〈M〉もう、だいじょうぶですな。よかった…。それでは『竜胆庵』に帰ろう。 ナレ:〈N〉村の入り口付近では名主(なぬし)を取り囲むようにして、村の衆が手を振りながら口々に東庵を呼んでいる。 ナレ:騒ぎがあろうが、毒に苦しもうが、その信頼が崩れることはなかったのである。 村田東庵:〈M〉今夜のこの経験とこの情景…。きっと生涯忘れることはないだろう。私は医師でありながら、かえってみなさまにこの命を救われたかのようだ。 村田東庵:…ふぅ。生まれかわった心持ちで明日を迎え、今一度、目の前の道に「まっすぐ」精進するといたしましょう。 村田東庵:お詠さん、阿武さん、おりんさんに村のみなさん…ほんとうにありがとう。 ナレ:〈N〉村の入り口に程近いところまできた。目の前に自分を待ち受ける人々がいる。 ナレ:戻ってくる東庵を見て、飛んではしゃぐぼんがいる。村の衆のその想いが、何より東庵を元気づけたのである。 ナレ:皆に迎えられた東庵のその眼には、やわらかい涙が浮かんでいた。  :  : 阿武:詠さま、ただいま戻りました。 阿武:村のみなさまは「あとは仕上げをご覧(ろう)じろ」と言わんばかりの体(てい)でございましたよ。 詠:よかったねぇ。東庵先生もまたよき日々を迎えてくださるとうれしいねぇ。 詠:それにしても阿武…、今日はご苦労だったね。 阿武:いやいや、当然のつとめにございますよ。 阿武:明日もまたおりんさんを東庵先生の養生所までお連れして参りますね。 詠:ふふ…。あぁ、おりんの行く末も楽しみだ。 詠:さてさて、さっさと床(とこ)の用意をして、新しい1日を迎えるとするかね。 阿武:それがようございます。「お改め(おあらため)」も近々でしょうし、われわれもやるべきことを粛々と行って参りましょう。 詠:あぁ。そうだね。 詠:阿武、これからも頼りにさせておくれな。 阿武:…えっ、詠さま…。…もちろんでございます。 : ナレ:〈N〉今回の一件も「竜胆」の活躍と、東庵と村の衆の団結によって事なきを得た。 ナレ:どのようなことが起ころうとも、必ずそれぞれに明日は来る。お詠がいう「くるくる」を保つ日々が、また新たに始まろうとしていた。 : : 0:これにて終演でございます。 0:筆者自身もおどろく四部構成という長丁場に最後までお付き合いくださりありがとうございました。 0:どうかみなさまの「くるくる」も、善きものでありますように。

仕掛屋『竜胆』閻魔帳 〜的之参〜『殯(もがり)の笛と りんの言の葉〈各之明日(おのおののあす)〉』 0:※注意※ 0:① 人物の性別変更不可(ただし演者さまの性別は不問です) 0:② 話の筋の改変は不可。ただし雰囲気のあるアドリブは大歓迎 詠:詠(えい)。小間物(こまもの)・荒物(あらもの)、よろず扱う『竜胆庵(りんどうあん)』店主。 詠:二十歳そこそこにして、ものぐさ&あんみつクイーン。 詠:黒脛巾の末藏一味から「おりん」を取り戻して一安心。「おりん」が大好き。 阿武:阿武(あんの)。年齢不詳。詠に付き随う豪のもの。 阿武:闇に紛れて行動できる「竜胆の防人(さきもり)」。詠の出生の秘密も知っている。 阿武:黒脛巾の末藏一味から「おりん」を取り戻して一安心。「おりん」の先行きが楽しみ。パパ味が出てきたかも。 りん:シリーズ〜的之壱〜で詠に斬られた「左馬」の娘。 りん:九〜十一歳ほどを想定しています。的之参〈急(第3部)〉で初めて声を発した。 りん:東庵先生のところでお稽古中。今作では寝ています。ぐぅぐぅ。 村田東庵:村田東庵(むらたとうあん)。長崎にて蘭方(らんぽう)医学を修めた。 村田東庵:医師としては抜群の腕を持ちながらも、村医者に甘んじている。 村田東庵:奥医師 半井(なからい)祐笙(ゆうしょう)からの誘いを断り続けたことが一大事件の引き金となった。 ナレ:男女不問。〈N〉をすべて担当します。 0:〈 〉NやM、兼役の指定 0:( )直前の漢字の読みや語意 0:【 】ト書 それっぽくやってくださると幸いです。 : 0:以下、本編です。 : : ナレ:〈N〉この日、阿武(あんの)に誘われた通り、おりんの手習いを終えた東庵が「竜胆庵」を訪ねていた。 ナレ:双方とも頼れる相手と認めるからには、腹を探る訳でもないが、どこか釈然としないものが心に残る。 ナレ:「竜胆」について思うところもある。さらには自分の胸の奥も、詠と阿武にさらすつもりであった。 ナレ:おりんが床についたあとの居間で東庵とお詠たちが話し込んでいる。 : 村田東庵:あらためて、お二人にお礼を申し上げます。 村田東庵:先日の騒動は、お詠さん、阿武さんのお力が無くては乗り越えられなかったでしょう。 村田東庵:本当にありがとうございました。 村田東庵:また、おりんさんを危ない目に遭わせて本当に申し訳ありません。 詠:いえいえ、何をおっしゃってんですか。先生がいなければ、村の人たちも落ち着いてはくれなかったでしょうよ。 詠:たしかにおりんにはかわいそうなことをしたけどねぇ…、誓って“次”はないですよ。 阿武:さようでございます。東庵先生がいてくださればこそ、村の方々も大事(だいじ)なかったわけですから。 阿武:それに、おりんさんは私たちが必ず守りますので、ご安心くださいましな。 村田東庵:そのように言ってくださるのはありがたいのですが、やはり事の発端が私に因(よ)る以上、 村田東庵:どうしても「終わったこと」にはできないのです…。 阿武:それなんですがね、先生。実はこちらでも「終わったこと」になってはおりませんよ。 村田東庵:えっ、それはどういったことでしょうか……? 詠:あの晩、村に戻る前にならず者の集団を番所の役人に引き渡したでしょう? 村田東庵:えぇ。悪党の詮議(せんぎ)も毒薬の吟味(ぎんみ)も、ご公儀(こうぎ・幕府のこと)にて行われる予定でしたよね? 阿武:そう、その予定でした。…ところが、それらが知らず間(ま)に消えたのです。 村田東庵:ん!? ……消、えた…? 詠:そうなんですよ。きれいさっぱり消えちまったそうなんですよ。 阿武:巻き縄(まきなわ)にした手下(てか)たちも、頭目らしき者たちも、です。 阿武:その上、毒薬の吟味どころか、毒薬自体、姿をくらましたそうにございます。 : ナレ:〈N〉騒動の夜、お詠と阿武の活躍により、一網打尽にされた「黒脛巾の末藏(くろはばきのすえぞう)」一味。 ナレ:あるものは竜胆の逆鱗(げきりん)に触れてその命を落とし、またある者は縄で巻き取られ番所へと運ばれたはずであった。 ナレ:東庵のところには、毒薬の吟味に参加せよとの通知まで届いていたのである。 ナレ:しかし、ある日の朝のこと。伝馬町(てんまちょう)の牢獄(ろうごく)から一味の生き残りすべてが消えていた。 : 村田東庵:それはまた、何ということでしょうか……。 詠:思いの外、大きな猫が裏戸(うらど)からじゃれついてきましたねぇ【カラカラと笑う】。 村田東庵:お詠さん…。それでは、ご公儀の中に此度(こたび)の黒幕が? 詠:さてねぇ…【阿武を見やる】。 阿武:詠さま。今宵は「中身をすべてさらす」というお約束では? 詠:確かにそうは言ったけどね、阿武分かってんのかい? 先生も巻きこんじまうんだよ? 村田東庵:あぁ、お詠さん。村の方々にも、おりんさんにも、重さん、政さんにも。 村田東庵:そして何よりお二人にも大きなご迷惑をおかけした身ですからね、安穏(あんのん)としてはいられないと覚悟の上です。 詠:【ゆっくりとうなずいて】ハハハ……。先生、試すようなことをして申し訳なかったですよ。 詠:まぁね、ご大層に「ご公儀」なんて言っちゃいるがね、一枚岩じゃぁないんです。お偉い方々もね。 村田東庵:あぁ、おりんさんを託されたという「伝手(つて)」のお話ですね。 詠:そうです。お江戸だけでなく、日の本(ひのもと)を治めようってんですからね、しゃんとして欲しいもんですよぉ。 詠:…なんて、こんな小娘が言うような話でもないけどねぇ…ハハハ。 村田東庵:先(せん)だって「お詠さんの『伝手(つて)』は大きな手のようですね」と言いはしましたが、 村田東庵:お詠さんにかかっては形無しですねぇ【笑う】。 村田東庵:…あぁ、これ、私たちの他にはだれも聞いていませんよね? 阿武:ははは。大丈夫ですよ、先生。ここには私たちしかおりませんし、誰かが忍んで来ても分かります。 阿武:ご公儀のお偉方にも、しぶしぶ言うことを聞かざるを得ない相手、というのがあるのでしょうな。 村田東庵:「忍んで来ても分かる」…ふぅ。お二人ならそれも真(まこと)の話なのでしょう…。 村田東庵:私には、そのような力がありませんから、お力添えいただいて幸甚(こうじん)でした。 詠:これも一つの「縁(えにし)」ってもんでしょう。 詠:あたしらも東庵先生の知遇を得られて、本当に良かったって思ってんですから。 詠:なんせ、おりんを導いてくださる方が見つかったんだもんねぇ。【笑顔】 阿武:そうそう。私なぞはそれがうれしくてうれしくて。【笑顔】 阿武:東庵先生、おりんさんをどうぞお導きくださいましね。 村田東庵:いやはやどうも…痛み入ります【頭を下げる】 : ナレ:〈N〉しゃべることができなくなった「おりん」について相談を寄せたお詠たち。 ナレ:東庵との交流の中、おりんは東庵から「薬包紙(やくほうし)」の折り方などを習うことになっていた。 ナレ:持って生まれたものなのか、それとも特殊な環境の中で培われたものか…。 ナレ:いずれにせよ、おりんの天分は東庵も認めるところである。 ナレ:気の早い阿武などは、それを喜び、おりんに任せる「紙」の品定めまで始めていたのであった。 : 詠:あれあれ、先生! お手をあげてくださいまし。 詠:おりんのお師匠(ししょ)さんに頭を下げられたんじゃ、なんだかこそばゆくなってしまうよ。 阿武:ふふふ、詠さまのおっしゃる通りです。どうぞお楽になさってください。 阿武:して、先生も何かご存知なのでしょう、私ども「竜胆」のことを。 阿武:「竜胆」が何か知って、お話を持っていらしたのではないですか? 村田東庵:…「竜胆は美しくも恐ろしい。竜胆を見つけたら、ゆめゆめ踏みつけてはいけないよ」 詠:それは何ですかねぇ…。「お詠は美しい」ならうれしいんですがね? 阿武:たしかに。詠さまは「恐ろしい」ですか、ら…おっとっと。 詠:何だって? 阿武! 村田東庵:ははは。お二人の「阿吽(あうん)の呼吸」は軽口にすら現れますね。【微笑む】 村田東庵:…これは私が幼いころ、祖父から何度も聞かされた言葉です。 阿武:おじいさまから? …さて。 村田東庵:実は私、京(みやこ)の生まれでありまして…。十(とお)の年まで志手小路家(しでのこうじけ)におりました。 阿武:志手小路さま!? 二条高倉(にじょうたかくら・地名)のお屋敷ですか? 村田東庵:えぇ、そうです。 詠:それで、そのおじいさまとは? 村田東庵:志手小路(しでのこうじ)のご先代、安万侶(やすまろ)さまにお仕えしていた、坂上清雅(さかのうえ きよまさ)と申します。 阿武:なんと! …いや、そうですか。……清雅さまの、お孫さんでいらっしゃったのですか。 阿武:たしかに…坂上さまは京の流行病(はやりやまい)を鎮められた後、ご一家で外に出られた、と聞き及んでおりますが…。 詠:…へぇぇ、阿武は何でも知っているんだねぇ。 阿武:詠さまもご存知でございましょう? 二条高倉の宗守(むねもり)さまですよ。 詠:いや、そりゃ二条高倉は知ってるさ。知っちゃいるけどねぇ、あたしゃ、お屋敷の中のことまでは知らないよ。 阿武:まぁ、上方(かみがた)のことは私が網羅しておきますから、お任せになればいいんですがね…。 詠:さすが頼りになるよぉ、阿武は。 詠:…それで東庵先生、おじいさまの口上(こうじょう)にあった「竜胆」が何なのか知っていなさったんですか? 村田東庵:いいえ。幼いころの私には「薬効のある植物を大切にしなさい。扱いには気をつけなさい」という祖父からの注意としか思えませんでした。 阿武:それはそうでございましょう。「竜胆」は公(おおやけ)にされるものではありませぬゆえ。 村田東庵:ただ、方々で悩みを片付ける「竜胆庵(りんどうあん)のお詠さん」の話は私の養生所にも聞こえておりましたからね。 村田東庵:お近づきになってうれしく思っているところに、お詠さんから文をいただいたのです。 詠:たしか…「竜胆」は五臓改善、食欲増進に効くってねぇ。【微笑む】 詠:…あたしらもそれにあやかって人様のお役に立てるといいな、と常々思ってんですがね。 村田東庵:また! お詠さんや阿武さんには前から驚かされてばかりで…【薬効を知っていることに驚いている】 村田東庵:薬のこともそうですが、やはり、お詠さんと阿武さんは京(みやこ)のこともご存知なのですね…。 村田東庵:あぁそうだ!! 私としたことが、あの夜、たくさんいただいた漢方のお支払いを忘れておりました。 詠:ん? 水くさいですよぉ、先生。どうせうちの倉庫で眠ってたんですから、いいんですよ。 阿武:そうでございますとも。村のみなさんのお役に立てて、漢方も喜んでおりましょう。 村田東庵:…真(まこと)に、それでよろしいのですか? 詠:ええ、えぇ、いいですよ。それに今回の件は、うちにも責任がありそうですからねぇ。 : ナレ:〈N〉さすがにお詠の読みはするどい。此度の一件、東庵を狙ったものとしては事の次第が大きすぎる。 ナレ:お詠と阿武はそのように判断し、すでに調べを始めていた。 ナレ:…が、朝霞屋嘉兵衛(あさかやかへえ)の但し書き(ただしがき)が出回っていることに関しては、まだ知るところではない。 : 詠:…ふぅ。話してばかりではのどがかわいちまうねぇ。 詠:そうだ。せっかくだから、東庵先生に一服(いっぷく)つけていただこうかいね。 阿武:おぉ。久方ぶりに詠さまの「お点(た)て」が見られるのですか! それはうれしゅうございます… 詠:ははは。いいから阿武、湯沸かしを頼んだよ。あたしは茶道具を一式持ってくるからね。 村田東庵:なんとまぁ、お詠さんは「茶道」まで身につけていらっしゃるのですか。 詠:何だろうねぇ。「門前の小僧…」じゃないですがね、幼いころはこういったことが身近にあったもんでねぇ。 詠:家を出るまでに、勝手に身についていたんですよ。 村田東庵:【言いにくそうに】…失礼ですが、お詠さんは、どちらの? 詠:ん? あたしかい? あたしの生まれはねぇ… 阿武:【前のお詠に重ねて】あ~~~~!!! だめですよ。それはだめです!!! 詠:あら。だって、先生には割るんだろう、腹を? ほれ、ぶしゅぅぅぅぅ【切腹のまねをする】。 村田東庵:はははは! …いやいや、よろしいのです。私はそこまで根掘り葉掘り聞こうとは思いませんよ。 阿武:東庵先生、それはご勘弁ください。 阿武:…決して先生を信じられぬわけではございませんが、累が及んではなりませぬゆえ…。 村田東庵:よいのです、よいのです。お二人には何やら深い事情がお有りのようだ。 詠:ふぅ…。いいかい、阿武。言の葉(ことのは)を軽んずるもんじゃぁないんだよ。 阿武:くっ。…何やら納得いかないような気もいたしますが……。 詠:ははは、いいから湯の番をしておいでな。 阿武:…はいはい、承知いたしました、っと。【席を立つ】 村田東庵:…先(せん)からお二人を見ていて何度も思っております。 村田東庵:このお二人の関係は、巷(ちまた)にあふれるようなものではない、と。 村田東庵:ただ仲が良いとか、主従を務める、とかそのような関係に収まるものではないと、ね。 詠:あれあれ、先生、なんですか。あたしらただのぐうたらと、ちっと仕事のできる番頭ですよ。 詠:ただ…あたしら二人で「竜胆」でもあるけれどねぇ【微笑む】 阿武:もうすぐ湯がわきますよぉ。東庵先生、詠さま~。 阿武:……んっ!?【突然の気配に気づく】 詠:おや、どうかしたのかい? 阿武:いいえ、なんでもございませぬ~。 : ナレ:〈N〉湯を沸かす阿武の元に一通の書状が差し込まれた。その使いは一言も発さず、すでに消え去っている。 ナレ:その書状は、京(みやこ)の監察(かんさつ)を統括(とうかつ)する「獬(かい)」からのものであった。 ナレ:そこには、前に阿武が報告した「凄いやつ」の存在についてしたためられていた。 ナレ:※表示されない方へ 「かい」は「けものへん」に「解」と書きます。 : 阿武:〈M〉いつもながら獬(かい)さまは仕事がお早い。…ふむ。あやつは「常闇の長治(とこやみのちょうじ)」。 阿武:香具師(やし)の大物、朝霞屋嘉兵衛(あさかや かへえ)の懐刀(ふところがたな)…か。 阿武:…しかし、詠さまを相手取って平然とできる人間が、果たしてこの世に何人いることか。やはり手ごわい相手と心得ねば… : ナレ:〈N〉「『竜胆』を踏まれてはおるまいな」 ナレ:書状でその文字を目にするだけで、あの阿武が背筋を伸ばし、半ば緊張している。 ナレ:その書(しょ)から獬(かい)の声が響いてくるかのように感じている阿武であった。 : 阿武:〈M〉…ふぅ。朝霞屋嘉兵衛(あさかやかへえ)か。少し調べてみなければ、な。 阿武:〈以下、セリフ〉詠さまぁぁ、湯が沸きましてございますよぉ~。 詠:何だい? えらく遅いじゃぁないか。 阿武:はいはい、今お持ちしますよ。 阿武:…よいしょっと。【戻ってくる】 阿武:【淡々と】詠さま、近々「お改め(おあらため)」があるようですな。 詠:…あぁ、そうかい。 詠:さぁさ、久方ぶりに茶を点(た)てるとするかねぇ! : ナレ:〈N〉居間の隅に切った炉(ろ)にかけた茶釜からは、しゅんしゅんと小気味(こぎみ)よい音がもれている。 ナレ:詠の手前(てまえ・茶の腕前)には型にはまらぬ美しさがあった。 ナレ:茶入れから碗(わん)に茶をうつし、柄杓(ひしゃく)で釜から湯を運ぶ。 ナレ:茶碗に手を添え、茶筅(ちゃせん)で茶を点(た)てる詠の所作は耳目(じもく)を集めうるほどに洗練されている。 : 村田東庵:……ごくり。【緊張している】 阿武:あはは、どうなさいました。東庵先生、緊張なさっておいでですか? 村田東庵:…阿武さん、このような座で、しゃべってもよいものでしょうか……? 詠:ははは! いいんですよ、先生。好きにお過ごしくださいな。 詠:まだ話も終わっちゃいませんしねぇ。 詠:あぁぁ、足もくずしてくださってかまいませんからね? 村田東庵:いや、それは…どうにも…。 阿武:お楽になさればよろしいのですよ。よいしょっと。【あぐらをかく】 詠:阿武ぉ! 先生の前であぐらをかくのかい? ちったぁ、遠慮しないか! 阿武:詠さまこそ、茶に向き合う言葉遣いではございませぬが? 村田東庵:ははは…ありがとうございます。気もほぐれました。 村田東庵:…ふむ。それでは、私も失礼いたしましょう。【東庵も足を崩す】 詠:先生ほどの方、茶の席には何度も呼ばれたことがおありでしょう? 詠:それにあたしゃ、気の向くままにやりすぎて、失格の烙印(らくいん)まで押されちまいましたからね。 詠:あたしの前で作法だなんだと気にすることはないんですよ。 阿武:そうです、そうです。詠さまは、ハチャメチャなお方ですから。 詠:お茶なんてものはね、 :【以下、阿武・詠同時に】 詠:美味しいから飲むんです! 阿武:うまいから飲むのですよ! 村田東庵:…は、はは。そうですね。その通りですね! : ナレ:詠の点てた茶を運ぶ。その傍らには色のよい落雁(らくがん)が添えられていた。 ナレ:思わず仕立てられた茶席にて、三人の話が進んでいく。 ナレ:茶を飲み、一息ついたあと、東庵が少し声を落として語り始めた。 : 村田東庵:お二人は「虎落笛(もがりぶえ)」をご存知ですか。 詠:…もがりぶえ? あぁ、冬に風が吹き付けて、びゅーびゅー音をならすってやつでしょう? 阿武:冬の強風が、竹垣や柵(さく)にぶつかり、笛のように音を立てるのでしたね。 阿武:…あまり、この町中では聞くことはありませぬが。 村田東庵:そうです。では「殯(もがり)」という葬儀については? 阿武:この秋津島(あきつしま・日本のこと)に古代より伝わる儀礼でございますな。 村田東庵:おっしゃる通りです。…いや、さすがに博識でいらっしゃる。 詠:なんだっけねぇ。亡くなった人の亡骸(なきがら)を置いて、崩れていくさまを見てその死を悼む(いたむ)、だったかねぇ。 村田東庵:はい。祖父はもちろん、父の雅国(まさくに)も、特別に大殯(おおもがり)に参列したようです。 村田東庵:私は幼く、見てはおりませんがね。…また、その資格もない。 阿武:坂上(さかのうえ)さまであれば、参列なさっていても不思議ではありませんね。 詠:それで? その話が何か? 村田東庵:はい。父は風が吹き鳴らす「虎落笛(もがりぶえ)」と宮中(きゅうちゅう)の「殯(もがり)」をかけて、自身の習わしとしていたのです。 村田東庵:救えなかった命を前に、静かに「龍笛(りゅうてき)」を奏でておりました。 詠:救えなかった命…ですか。 村田東庵:えぇ。音曲(おんぎょく)そのものは穏やかでしたが、私には怒りにも似た感情に感ぜられました。 村田東庵:飢饉になれば、村では大勢が命を落とします。それでも、殿上人(てんじょうびと・上位の公家)が亡くなることはありません。 村田東庵:戦(いくさ)が起きれば、大勢が命を落とします。そのほとんどは戦にかり出された村の人々です。 村田東庵:それら亡くなった方々は、人知れず姿を変えて、土に還(かえ)っていく。 村田東庵:そして、ことが大きくなればなるほど野ざらしにされる元命(もと いのち)は増えていくのです…。 阿武:…京(みやこ)ではその昔、大戦(おおいくさ)がありましたからなぁ。 : ナレ:〈N〉「坂上(さかのうえ)」は平安の世から続く医師の家柄。 ナレ:室町(むろまち)の大乱(たいらん)や疫病の流行においても多大なる功績を挙げていた。 ナレ:しかし、東庵の父、雅国(まさくに)の代で「坂上」の姓(せい)を捨てることになる。 ナレ:父の無念を思ってか、東庵の目から零(こぼ)れたしずくがひとつ、茶碗の中に消えていった。 : 村田東庵:父の思いは「逆恨み」であったかもしれません。今の世に戦そのものはないのですから。 村田東庵:父は「己の力不足」を嘆くべきだったのかもしれません。治療の最前線に立つのは我々医師や薬師(くすし)ですからね…。 村田東庵:それでも、浮世(うきよ)の命に「軽重(けいちょう)の別」があることを、父は許せなかった。 詠:東庵先生…。 阿武:それは、確かに…。 村田東庵:先の疫病(えきびょう)、祖父と父は京(みやこ)の人々をなんとか守ろうとしました。 村田東庵:しかし、市井(しせい)の民と、公家の方々を同列に扱うことはできませなんだ…。いや、許されなかったと言うのが正しい。 村田東庵:……このようなことをお二人に申しあげても詮方(せんかた)なきこと。 村田東庵:また、ひょっとしたらお気を悪くなされることかもしれませんが…。 詠:ははは「気を悪く」ですか。……それこそお気になさらず、先生。どうぞ話をお続けくださいな。 村田東庵:…はい。祖父はともかく、父は苦しみました。それで、志手小路(しでのこうじ)さまの元を離れる決意をしたのです。 村田東庵:その辺りの話は私もくわしく聞かされてはいないのですが、祖父もそれを受け入れた、と。 村田東庵:志手小路さまは私たちの暇乞い(いとまごい)をお許しくださったそうです。 阿武:…それで坂上さまはご家族で京(みやこ)をあとにされたのですね… 詠:そうかい…。そういう訳があったんですか…。 村田東庵:えぇ。ふふ…まだお詠さんは生まれてもいらっしゃらないころのお話です。 阿武:左様でございますね。詠さまご誕生までは数年ございます。 阿武:…ときに。坂上さまは、今でも京(みやこ)で医聖(いせい)とあがめられていらっしゃいますよ。 村田東庵:そうですか…。父も少しは報われるのかもしれません…。 阿武:東庵先生、此度の騒動、奥医師(おくいし)半井(なからい)様からのお誘いから始まっておりましたなぁ。 村田東庵:えぇ…その通りです。 阿武:奥医師の方々も派閥づくりに余念がないようですからね。東庵先生のご出自を、どこかで耳にしたのかもしれませんね… 詠:東庵先生が、その清雅(きよまさ)先生のお孫さんだってのは、世に広まっている話なんですかね? 村田東庵:いや、どうでしょう…。私自身が口にすることはありません。ただ、もともとの地元の方々にとっては周知のことかもしれませんから、ね。 阿武:地元、とおっしゃいますと? 村田東庵:私たちは山城国(やましろのくに)を出て、摂津(せっつ)に入り、そこで町医者を始めたのです。 村田東庵:…ですから、そのあたりの方々は当然ご存じのはずです。 阿武:…ふむ。なるほど。 詠:町医者に、ですか…。医師の務めからは離れずにいてくださってたんだねぇ。 詠:勝手な話かもしれないが、あたしゃうれしく思いますよ…。 阿武:…本当にそうですね、詠さま。 村田東庵:…ありがとうございます。 村田東庵:ただ、私の父、坂上雅国(さかのうえ まさくに)は志手小路さまをはばかってか、自らを儚んでか「村田」姓に名を改めたのです。 詠:自らを儚んで…とは、どういう意味ですかねぇ? 村田東庵:父は、苦しむ人々を、苦しむ世の中を思うように救えないことに苦悩しておりました。 村田東庵:祖父「清雅(きよまさ)」の背中も大きすぎたのでしょう。…その上、代々続く「坂上」の名。 村田東庵:光がなければ何も見えませんが、強すぎる光は、かえって目を傷め(いため)もするものですから…。 阿武:…お父上の苦悩のほどは私なぞには分かりませんがね、東庵先生。 阿武:…「村」に「たんぼの田」。それは国の礎(いしずえ)にございますよ。 阿武:天下に百姓(ひゃくせい・「ひゃくしょう」ではない)なかりせば、浮世に上る陽の光もなし…にございましょう。 詠:阿武、そりゃなんだいね? 阿武:この世に土を耕し、作物をつくる人々がいなければ、どうなります? 詠さま。 阿武:年貢(ねんぐ)で成り立つご公儀は破綻(はたん)します。…何より、私たちが食べていけなくなるではございませんか。 詠:…そうだねぇ。おいしいおまんまにありつけるのはお百姓(こちらは「ひゃくしょう」)さんあってこそだねぇ。 阿武:ですから、東庵先生。お父様のご改名は決して世を、ご自身を儚まれたからではありませんよ。…きっとね。 村田東庵:…阿武さん。…はい。そうであったらよいな、と思います。 : ナレ:〈N〉東庵の父「雅国(まさくに)」は摂津に移っても笛を吹いた。 ナレ:飢饉(ききん)に流行り病、一揆(いっき)で落とす命は、山城も摂津も同じ。 ナレ:…否(いな)、京(みやこ)を離れて初めて分かることがあった。 ナレ:公家の邸宅(ていたく)周りとは比べられないほど人死に(ひとじに)が多かったのである。 ナレ:それは京の外れ以上に、貧しき人々が多く暮らしていたからであった。 : 村田東庵:京(みやこ)を離れたあと、私は父からたびたびこう言われました。「私たちが関われる命の数など、高が知れているんだよ」と。 村田東庵:そして「その命を簡単に散らしてしまうような、簡単に人を殺(あや)めてしまえるような、そんな世や人を憎くすら思う」とも。 : ナレ:雅国は山野に向けて笛を吹いた。悲しき落命を悼(いた)む、その音曲(おんぎょく)は日に日に深みを増していく……。 : 村田東庵:病ならば、致し方ないところも多分にあります。飢饉ですらも、多少はそうでありましょう。 村田東庵:それは天の采配であって、そも人の身の自由になることではありませんからね。 村田東庵:しかし、夜道でならず者に斬られたり、商家(しょうか)に盗賊が入ったりで亡くなる人もとても多かった…。 村田東庵:父は、人を救う身でありながら、次第に人間を恨んでいきました…。人の命を軽んずる者たちをね。 村田東庵:…そしてそれは、父を間近に見て育った私にもいつしか伝染(うつ)っていたのです。 阿武:それは…。それならば東庵先生、私どもも同罪かもしれません… 詠:阿武!? ……ふぅ。まぁ、そうさねぇ…。 村田東庵:実は……。【やや長めの間】私もそう疑ったときがありました。「命を奪う側」のお人ではないか、と。 村田東庵:…いやはや、誠に申し訳のないことにございます。 詠:……先生。あたしらのような得体の知れないのを前にしちゃ、そいつも仕方ありませんよ。…ねぇ、阿武。 阿武:はい。初めて私が東庵先生の養生所(ようじょうしょ)をたずねた晩を覚えておいでですか。 阿武:あの時、実は屋根裏に大きなねずみが入っておりました。 村田東庵:…ねずみ? 詠:そうそう。大きな大きなねずみでねぇ。ちゅうちゅうなんてかわいいもんじゃないんですよ。 阿武:私が天井に向けて殺気を放ったところ、東庵先生はそれに反応なさったように見えました。 村田東庵:あぁ。あの夜ですか。…そうですね。この人たちは「げに恐ろしき人々」かもしれない、と思いましたよ。 村田東庵:私にはその「ねずみ」が何かは元より、そこにいたことすら分かりはしません。 村田東庵:かろうじて分かったのは、阿武さんは私を害そうとしたのではない、ということだけです。 村田東庵:だからね、気にしないことにしたのですよ。お二人の人柄は、そのお話やたたずまいに現れていますからね。 詠:そのねずみ、此度の事件には出てきませんでしたがね。 阿武:えぇ。その動静には気を留めておきますゆえ、ご安心ください。 村田東庵:そうですか。ありがとうございます。 村田東庵:…それで、私は「竜胆」が何を意味するのか考えました。符牒(ふちょう・合図、隠語)のようなものだろうとは思っていたのですが…。 村田東庵:お二人の屋号「竜胆庵」、そして祖父が遺した言葉。「美しくも恐ろしい」という言葉の意味を量りかねましてね。 村田東庵:おりんさんを案ずるお二人の気持ちに心打たれたというのもありますが、考えても分からなければ自らの体を以て試すしかないではありませんか。 阿武:…なるほど。それは潔くていらっしゃる…。 詠:で、どうでしたかね? あたしらへの心象は。 村田東庵:私は…お二人に心惹かれております。それでなければ、おりんさんをお預かりしたり、今宵ここまでお話ししたりすることもありませんよ。 村田東庵:もっとも、おりんさんは本当に筋がよいですがね。【笑顔】 阿武:いやいや、ありがたいことにございます。 村田東庵:その後、父は上方(かみがた)で流行した天然痘(てんねんとう)の治療に駆け回る中、自らも病にかかり、この世を去りました。 村田東庵:死の間際、…といっても床の間には呼ばれませんでしたが、父は私に宛てて手紙を遺したのです。 詠:手紙…。で、それには何と書いてあったんです? 阿武:詠さま!? そのように気軽にたずねるものではございません、はしたない…。 村田東庵:ははは。…父の手紙には、自分が果たせなかった望みが書かれておりました。 村田東庵:「人々を苦しめる者への恨み節」と共にね。私に「世を救ってほしい」と書かれていたのです。 村田東庵:なんという大望(たいもう)でしょうか…。そうは思われませんか? 詠:まぁねぇ…。いきなり「この世」を肩に乗っけられちゃぁねぇ。あたしなら御免被り(こうむり)ますよ【からからと笑う】 詠:あたしが担げるのは、せいぜい背負い小間物(しょいこまもの)くらいですからねぇ。 阿武:…もう、詠さま。ほどほどになさいませ? 村田東庵:ふふ。お詠さんの言うとおりです。私にはほとほと荷が重かった…。 村田東庵:それでも…祖父の助けもあり、私はひとまず長崎へ向かうことになりました。 阿武:…確かに、東庵先生は「蘭方(らんぽう)」も修められたとうかがっております。 村田東庵:ははは。「長崎」と言っても「ぜひに蘭方を」などと志していたのではありません。単に京(みやこ)から離れたかったのでしょう。 村田東庵:若い頃の原動力は、今思えばろくなものではありませんでしたよ。 村田東庵:「失意のまま」亡くなった父の姿や、人々を苦しめる悪人たちの高笑いが浮かんできましてね…。 村田東庵:私は、それらに対して、やり場のない怒りを抱えながら学んでいたのですから……。 詠:でも…今は、こうやって世のため、人のために働いていらっしゃるんですから、ご立派じゃぁありませんか。 村田東庵:しかし、医師の道を歩めば歩むほど、父と同様…己の無力さに気づかされるのです。 村田東庵:今回もそうです。私ごときの招聘(しょうへい)が発端となり、村の人々を苦しめてしまった… 村田東庵:私は村の方々に顔向けができません… : ナレ:〈N〉東庵は気に病んでいた。己の存在が大きな事件を引き起こしてしまったと。 ナレ:他者(ひと)をいたわり、手当てをすべき自分のせいで、多くの人々を苦しめてしまったと。 ナレ:東庵の思いは、あの夜以来晴れることがない。自らを責める思いが、その心を弱めてしまっていた。 : 詠:でも、村のみんなは東庵先生を慕っていなさいますよぉ。 阿武:えぇ、そうですよ。おりんさんと村を通るたびに「先生のとこへ行くなら、これを」と何度も預かり物をしていますからねぇ。 村田東庵:それはありがたい限りなのですが……。 村田東庵:いかんせん、村のみなさんは事の起こりをご存知ありませんから…ね。【ため息をつく】 詠:……いけませんよ、先生。今の先生は周りをご覧になっちゃいませんねぇ。 村田東庵:たしかに…。私はみなさまに合わせる顔がない。 村田東庵:いや、…私に向けられる視線に、その想いに向き合えないでいるのです…。 詠:…はぁあ。いよいよいけないねぇ。 村田東庵:え? 詠:それはね、先生の“逃げ”ってもんです。まったく、大の男がみっともない。 阿武:詠さま…「みっともない」とは… 村田東庵:…私の、“逃げ”……。 詠:その浮かない顔はどこからくるもんなんですか? 村を賊に襲わせたから? それともみなが毒薬で苦しんだから? 村田東庵:そうですね…。それらすべてのように思います。 詠:いいや、そうじゃぁありませんね。それはね、先生の「後ろ暗さ」が作った顔ってもんですよ。 詠:先生は「ことの起こり」を気にかけていなさるんでしょう。 村田東庵:……はい。 詠:そして、それらをみなに知られたらどうしよう。そう思っていなさるんでしょう? 詠:それなら、いっそその前に村を離れようか。養生所をたたんででも…ってね。 村田東庵:いや、さすがにそこまで申してはおりませぬが…。 詠:一緒だって言ってんですよ。そのようなことは「言わない」にせよ、心の中で「思った」ことはあるんじゃないですかねぇ? 詠:あたしらもね、おりんをさらわれてしまいましたからね。そりゃ、悔やんでも悔やみきれないってもんです。 詠:でもね、結果、みな無事だったんですよ。終わりよければすべて善し! 次に同じことをしないのが肝要ってもんでしょう。 阿武:そうですよ、先生。気になさるのは大いに結構にございます。 阿武:その思いを次に向けて行けばよいではありませんか。同じ轍(てつ)を踏まないように。 阿武:……それに、私も知った風に言ってしまいますがね、お父上も同じだったのではありませんか? 村田東庵:…父も? どういうことでしょうか。 阿武:お父様も、笛を吹きながら「同じことは繰り返すまい」と祈っていらっしゃったのですよ、きっと。 村田東庵:……それは……果たして……。 詠:東庵先生。……うじうじするのは、そこまでにしちゃあくれませんかね。 詠:先生の恐れや悔いは、よっく伝わりますがね。その「うじうじ」はハエすら産みゃしませんよ。 阿武:…詠さま? 「うじ」と「ハエ」ですか……。いや、ちょっと…、その、かなり…。 詠:うるさいねぇ、阿武。水を差すんじゃぁないよ。 詠:先生が浮かない顔で一人悩んでいたってね、何も生まないって、あたしゃそう言ってんだ。 村田東庵:…何も、…生まない。 詠:だってそうでしょう。先生の思いは、先生の気の持ち様一つでどうとでもなるもんだ。 詠:村ではだれも死んじゃぁいません。それに、その村の衆が、みな先生に感謝してんだから。 阿武:先生には伝えておりませんでしたがね、村のみなから言われていたことがあるんです。 阿武:「先生が元気がないんだが、どこかに行ってしまわないかねぇ」とね。 村田東庵:そ、それは……。そうなのですか。 阿武:私や村の衆には「学」はございません。それでも「人」はおのずと「人をおもんぱかる生きもの」でしょう。 阿武:もっとも、悪いやつらもたくさんいるので、私らのようなのもいるのですが…。 阿武:先生をめぐる騒動だって、多かれ少なかれ村の衆も見ております。村の衆の思いはね、真の心でございましょ。 詠:そうですよ、先生。村のみんなは、これからも先生に近くにいてほしいって思ってんだ。 詠:ひとりで怖がってないで、みなの気持ちに応えておやりよ。しゃんとなさりなさいな【叱り口調で】。 村田東庵:お詠さん……。私は、このままのほほんと過ごしてよいのでしょうか。 村田東庵:私は許されるのでしょうか、これだけ人を苦しめて。いや、私はそれを怖がっているのか…。 阿武:許すも許さないもない。何の問題もございませんよ。大手を振ってお天道(てんと)さまの下を歩かれればよろしい。 阿武:また、此度の一件、先生だけの問題ではございません。私どもにも責任があるようですからね。 詠:そうさね。何かあったってあたしらがついていますからねぇ。 詠:困りごとは、このお詠さんにどぉぉんと任せておくれってなもんですよ。 阿武:それに、向こうはまだ諦めてはいないでしょう。 詠:そうだねぇ。ほとぼりが冷めるまではおとなしくしちゃいるだろうが、ね。 村田東庵:まさか!? このようなことが続くと…? 阿武:手を替え、品を替え近寄ってくることも、十分考えられますな。 詠:だから遠くに行かれちゃ、あたしらも迷惑するんですよ。守れやしませんからねぇ。 詠:それに第一、おりんが困っちまいますでしょう。おりんに泣かれたらどうするってんですか? 詠:先生には約束を果たしてもらわないとねぇ… 村田東庵:…そうですか。ありがたいことです。 村田東庵:それに…おりんさん。私もおりんさんにはいろいろ学んでもらいたいと思っております。 詠:差し出がましいことを言うようですがね、あたしらにも担がせてくださいな、先生のその「重し」をね。 村田東庵:【深い呼吸を一つ】はい。…性根(しょうね)を据えて一からがんばるといたしましょう…。 阿武:えぇ。…いやなに、一度に気持ちすべてを入れ換える必要もございませんでしょう。 阿武:無理なく、ゆるゆるとで結構ではありませんか。 阿武:あぁ、詠さま、茶碗が空になっていらっしゃいます。もう一服点てて差し上げては? 詠:あぁ、これは気づかず失礼しちまいましたね。 詠:…あはは。話に夢中になってしまったよぉ… : ナレ:〈N〉先ほどのように見事な所作で茶を点てる詠。 ナレ:茶筅(ちゃせん)の先が、湯と抹茶を一つに混ぜ合わせていく。 ナレ:シャッシャッという音が居間に快く広がり、阿武も東庵も目を瞑ってそれを聴いている。 : 詠:あたしが茶を好きなのはね、その味だけってわけでもないんですよ。 詠:こうして透明な湯が茶にふれると、碗の中で茶が吹き上がって、次第に濁っていくんです。 詠:茶筅でそれらを混ぜるときの、この「くるくる」がなんとも心地よくてねぇ。 詠:ほら、一日も季節も、あたしらの命もね、くるくる巡っていくでしょう? 詠:数度混ぜたら、茶のよい香りが鼻をくすぐってね、濁りがまた、よい舌触りと味になるんです。 阿武:人々の「くるくる」を妨げる輩(やから)は許しておけませんからねぇ。 詠:そうさ、阿武。そのとおり。東庵先生と道は違いますがね、あたしらも、この小さい手から零(こぼ)れる命を悼むことがありますよ。 阿武:…えぇ。手ずから “零す” 命もありますし、ね。 詠:そんなあたしらでもね、あたしらがいないと困る人がいるってんで、生きていられるんですよ。 村田東庵:お詠さん、阿武さん……。 詠:さぁさ、先生、できましたよ。さっと飲み干しちまってくださいな。 阿武:そうですとも、先生。清濁(せいだく)合わせて一息に。 村田東庵:……誠に、けっこうなお手前で【笑顔】。それでは頂戴いたします。 詠:どうぞそのまま聞いてくださいな。あたしら「竜胆」はね、元々は「日陰の存在」なんです。 阿武:京(みやこ)のお偉方(えらがた)の命(めい)を受けて、汚れ仕事を務めることもありますし、ね。 詠:そういう意味じゃぁねぇ、先生やお父上が目の敵になさった連中と大差ないんです。 詠:今でこそ、お江戸で人助けの真似事もやっちゃぁいますがね。 阿武:そうですね。元来、人に誇れるようなものではありません…。 詠:あたしらの「竜胆」なんざ、人目につかないところでひっそり咲くのが望ましいんですが……なかなかそうもいかなくてねぇ。あはは…。 : ナレ:〈N〉詠と阿武はここ『竜胆庵』で商(あきな)いの傍ら(かたわら)、街の様子をうかがっている。 ナレ:「竜胆」は京(みやこ)と公儀(こうぎ・幕府)の間で均衡を取る役目も果たしていた。 ナレ:世が進み、政(まつりごと)の中心が関東に移った。 ナレ:華のお江戸は八百八町(はっぴゃくやちょう)。人の数もすでに上方(かみがた)に勝(まさ)っている。 ナレ:もはや文(ふみ)一つで操れる世の中ではない。そこで用いられた力の一つが「竜胆」なのであった。 : 村田東庵:…いやはや、遅くまでお邪魔してしまいました。すっかり夜も更けてしまった。そろそろお暇(いとま)するとしましょう。 詠:大したお構いしかできなくて、ごめんなさいねぇ、東庵先生! 阿武:…もう、詠さま! 本気なのか冗談なのか分かりゃしませんよっ。 村田東庵:ははは。実に大層なおもてなしを受けましたよ。ありがとうございました。 村田東庵:私も足下を見つめて、出直すとしましょう。村の方々と一緒にね。 阿武:はい。それがようございます。またおりんさんを連れてお邪魔いたしますよ。 村田東庵:えぇ。明日の夕刻を楽しみにしております。 詠:ねぇ、東庵先生。あたしがあの夜、何度か伝えたことを覚えていなさいますか? 村田東庵:……はい。「私には私にしかできない務めがある」ですね。 詠:さすがは、先生だ。よっく覚えていなさるねぇ。 詠:先生には先生にしかできないお役目があるようにね、あたしらにもあたしらにしかできない務めってのがあるんですよ。 村田東庵:はい。よく分かります。 詠:そりゃ、楽しいことばかりじゃぁないからねぇ。昔は、鬱々(うつうつ)としかけることもあったがね。 詠:あたしゃ、自分の心の内に「まっすぐ」を持つようにしてんです。誰に見せても恥じることのないものをね。 詠:それさえありゃ、大抵のことは大丈夫。まぁ、なんとかなりますよ。 村田東庵:心の内の「まっすぐ」、ですか。……はい、私も本日より育てて参ります。 阿武:詠さまのご気性は多くの方に好まれますからなぁ。「まっすぐ」すぎて、こちらは、はらはらすることも多いですが。 詠:それにね、あたしにゃ阿武がいる。共に地獄の沙汰を受けた相手がね。こんなに心強いことはありませんよ。 詠:何より今ではおりんも一緒だ。ぐうたらしがいもあるってもんだよ。 阿武:……詠さま。ぐうたらはおやめくだいましよ。……ほんとに喜んでいいんだか、お小言を言えばいいんだか。忙しいったらないですよ。 村田東庵:……地獄の、沙汰、ですか。…お二人の関係の一端を知ったように思います。 詠:あぁ、そりゃすぐに忘れてもらってかまいませんよ。ははは。 詠:何にせよ先生、これからは先生との「縁(えにし)」も大切にさせてもらいますからね。 阿武:そうですそうです。おりんさんをお頼み申しますよ! 阿武:…それに。先生お一人ですべてを抱えられることもございません。 村田東庵:ありがとうございます。お言葉に甘えます。そして、私も精一杯努めるといたしましょう。では……。 詠:はいよ。先生、またお出でくださいましな。 詠:ねぇ阿武、そろそろ用意は終わったかねぇ…【にやにや】 阿武:えぇえぇ、詠さま。よい頃合いでございましょう。 村田東庵:…ん? 何事でございますか? 詠:いいですか、先生。今夜は寄り道せず、まっすぐに帰っておくんなさいな。 村田東庵:…よ、寄り道ですか。いや、もとより養生所に帰るつもりではありましたが…。 阿武:ははは。そう心配なさらずに。悪だくみではございませんから。 阿武:それにしても大層楽しい夜でございました。また、いずれよい干菓子を見繕ってご招待いたします。 村田東庵:そうですか。お二人だけでなく、阿武さんが仕入れる逸品にもそそられますなぁ。 詠:先生、おりんにも、でしょう? 村田東庵:…ははは、これは一本とられましたな。確かに。 村田東庵:おりんさんは、私が責任もって面倒を見させていただきます。 阿武:なにとぞ、よしなに願います。 村田東庵:はい。それでは、この辺りで。 詠:よい時間をいただきました。帰りはきっといい夜でございましょ。 阿武:次回も楽しみにしておりますよ。道中、どうぞお気をつけくださいましね。 : ナレ:〈N〉提灯(ちょうちん)片手に東庵が帰路に就く。時々ふり返っては丁寧に頭を下げている。 ナレ:次第に遠ざかっていくその後ろ姿は、心なしか足取りが軽かった。 : 詠:阿武。何もないとは思うがね、念のために養生所まで影を務めておくれでないかい。 阿武:えぇ。そのつもりでおりました。そのまま村のみなさまの手際のほども見て参りましょう。 詠:そうだね【微笑】東庵先生にも、明るいお日様が上る(のぼる)ように願ってるよ。 ナレ:〈N〉竜胆庵でのやりとりを思い出しつつ歩いている東庵の行く手に、ぼんやりと浮かぶ灯りがあった。見慣れぬ風景を不思議に思いつつ近づいていく東庵。 村田東庵:〈M〉ふむ。あれはなんでしょう。この近くで祭りなどはないはずですが。……蝋燭(ろうそく)の火が揺らいでいる? 阿武:〈M〉これはこれは。村の方々も準備万端のようですね。どうにか東庵先生にみなさんの気持ちが届けばよいのですが… ナレ:〈N〉ところどころに置かれた蝋燭の合間から軽妙な音が聞こえてくる。その出所に東庵が気づくまで、さして時はかからなかった。 村田東庵:あ…! あれは、風車(かざぐるま)…。 村田東庵:〈M〉街道の両脇に蝋燭と風車がかわるがわる置かれている…。風に吹かれる風車の音も心地よいものだ…。 詠:【東庵の回想】茶筅でそれらを混ぜるときの、この「くるくる」がなんとも心地よくてねぇ。 詠:ほら、一日も季節も、あたしらの命もね、くるくる巡っていくでしょう?… 村田東庵:〈M〉茶筅の「くるくる」と風車の「くるくる」。村のみなさんの、竜胆庵の方々の、そして私の日々も回っていくのですね。 阿武:【東庵の回想】人々の「くるくる」を妨げる輩(やから)は許しておけませんからねぇ… 村田東庵:〈M〉お詠さんは、私に「それは逃げだ」と、そうおっしゃった。弱気な私も村のみなさんの「くるくる」を妨げることになるのかもしれませんね… ナレ:〈N〉思案顔で歩く東庵の両脇で風車の影が火の灯りに揺らいでいる。先を見据えた東庵を導くように、火に浮かぶ風車と蠟燭が村まで「まっすぐ」列をなしていた。 詠:【東庵の回想】あたしゃ、自分の心の内に「まっすぐ」を持つようにしてんです。誰に見せても恥じることのないものをね。 詠:それさえありゃ、大抵のことは大丈夫。まぁ、なんとかなりますよ。 阿武:〈M〉東庵先生は何を思っていらっしゃるのでしょうか。…ふふ。案ずるより産むが易し。よし、私は一足先にお知らせに参りましょうか。 ナレ:〈N〉東庵の周辺に危険が無さそうだと確認し、阿武は村へと翔(と)んでいく。 村田東庵:〈M〉風車…。そう言えば、前にぼん(男の子)の玩具(がんぐ)を直して差し上げましたっけ。あの子もうれしそうに笑ってくれていましたね…。 村田東庵:そうですね。私が村の側にいることで、村のみなさんが喜んでくださるなら…。私のようなものでも、求められる場所があるのであれば…。 ナレ:〈N〉それまでの鬱々とした気持ちは詠と阿武が払ってくれた。そして今、夜の涼風と、くるくる回るその音が、東庵に新たな決意をさせようとしている。 阿武:さぁさぁ、みなさま! そろそろ東庵先生のお姿が見えますからね。声の限りに、お迎えいたしましょう! ナレ:〈N〉顔を上げた東庵の耳に、風に乗った声が届く。その声は一つではなかった。 阿武:さ、ここは私も。東庵先生ぇ~お帰りなさぁぁい! 阿武:…ふふふ。みなさん、あとはよろしくお願いしますよ。私は東庵先生に見つかる前に帰るとしますか。 ナレ:〈N〉村に近づくにつれ、己を呼ぶ声がはっきりとより大きく聞こえてくる。もうずいぶんと夜も更けている。ふだんなら村の者たちが起きているはずがない。そう考えた東庵は、足をとめ、村に向かって頭をさげた。 村田東庵:〈M〉…みなさん。あのような顛末(てんまつ)を巻き起こした私を、このように迎えてくださるのですか…。ありがたい。まことにありがたい……。 阿武:〈M〉もう、だいじょうぶですな。よかった…。それでは『竜胆庵』に帰ろう。 ナレ:〈N〉村の入り口付近では名主(なぬし)を取り囲むようにして、村の衆が手を振りながら口々に東庵を呼んでいる。 ナレ:騒ぎがあろうが、毒に苦しもうが、その信頼が崩れることはなかったのである。 村田東庵:〈M〉今夜のこの経験とこの情景…。きっと生涯忘れることはないだろう。私は医師でありながら、かえってみなさまにこの命を救われたかのようだ。 村田東庵:…ふぅ。生まれかわった心持ちで明日を迎え、今一度、目の前の道に「まっすぐ」精進するといたしましょう。 村田東庵:お詠さん、阿武さん、おりんさんに村のみなさん…ほんとうにありがとう。 ナレ:〈N〉村の入り口に程近いところまできた。目の前に自分を待ち受ける人々がいる。 ナレ:戻ってくる東庵を見て、飛んではしゃぐぼんがいる。村の衆のその想いが、何より東庵を元気づけたのである。 ナレ:皆に迎えられた東庵のその眼には、やわらかい涙が浮かんでいた。  :  : 阿武:詠さま、ただいま戻りました。 阿武:村のみなさまは「あとは仕上げをご覧(ろう)じろ」と言わんばかりの体(てい)でございましたよ。 詠:よかったねぇ。東庵先生もまたよき日々を迎えてくださるとうれしいねぇ。 詠:それにしても阿武…、今日はご苦労だったね。 阿武:いやいや、当然のつとめにございますよ。 阿武:明日もまたおりんさんを東庵先生の養生所までお連れして参りますね。 詠:ふふ…。あぁ、おりんの行く末も楽しみだ。 詠:さてさて、さっさと床(とこ)の用意をして、新しい1日を迎えるとするかね。 阿武:それがようございます。「お改め(おあらため)」も近々でしょうし、われわれもやるべきことを粛々と行って参りましょう。 詠:あぁ。そうだね。 詠:阿武、これからも頼りにさせておくれな。 阿武:…えっ、詠さま…。…もちろんでございます。 : ナレ:〈N〉今回の一件も「竜胆」の活躍と、東庵と村の衆の団結によって事なきを得た。 ナレ:どのようなことが起ころうとも、必ずそれぞれに明日は来る。お詠がいう「くるくる」を保つ日々が、また新たに始まろうとしていた。 : : 0:これにて終演でございます。 0:筆者自身もおどろく四部構成という長丁場に最後までお付き合いくださりありがとうございました。 0:どうかみなさまの「くるくる」も、善きものでありますように。