台本概要
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タイトル | 仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜 火のない処に立つ炎(左馬男ver.) |
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作者名 | にじんすき〜 |
ジャンル | 時代劇 |
演者人数 | 5人用台本(男4、女1) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
〜的之壱〜の「左馬」を男性にしたものです。 一部セリフや兼役に変更があります。 「悲しきものに寄り添う」が信条の仕掛屋『竜胆』 町の平和を乱す輩をさっさと片づけ、早く安らぎたいお詠さん。 今回は何やら町火消の中に、捨て置けない悪を見つけたご様子… さてさてどうなりますやら 仕掛屋『竜胆』閻魔帳 第1作 1)人物の性別変更不可。ただし、演者さまの性別は問いません 2)話の筋は改変のないようにお願いします 3)雰囲気を壊さないアドリブは可です 4)Nは人物ごとに指定していますが、声質は自由です 5)兼役の一応設定してますが、皆様でお決めくださっても構いません 30分〜35分程度で終演すると思います 〜以下、世界観を補完するためのもの〜 「町火消」…江戸の町人区画を自衛する町人組織。 四十八組(元は四十七組)かなり、「いろは(かな)」を組の名とする。 組のトップは「頭取」と言われるが、本作では「頭」と呼ぶ。 「纏(まとい)」…町火消の組を象徴する物であり、魂。 火事の現場に掲げることで、自分たちの働きをP Rしていた。 どの組が「纏」を掲げるかで喧嘩もあったそうな。 「鳶口(とびぐち)・「竜吐水(りゅうどすい)」…どちらも消火用の道具。 「鳶口」は先に鉤(かぎ)がついた棒。家屋に引っ掛けて引き倒した。 「竜吐水」は木製のポンプ。今回は現場で人にぶっかけます。 「継火(つぎび)」…火事の現場で火をとり、他の場所に火つけをして延焼させる行為。 もちろん犯罪だが、しばしば手柄を得るためにあったとのこと。 「続け火」…火事が続くこと。作者の造語です。ゴメンナサイ 「江戸の三男」… 火消しの頭、力士、与力をこう呼んだそうです。 「背負い小間物」…この頃は店を構える小間物屋は少なく、多くは商品を入れたカゴを背負い訪問販売をしていた。お詠さんが聞き込みをするときはこの格好。きっと素敵。 144 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
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詠 | 女 | 52 | えい。小間物(こまもの)・荒物(あらもの)、万(よろず)扱う『竜胆庵(りんどうあん)』店主。普段は「ものぐさ太郎」。夜の顔は別。その出生は謎に包まれる。美しいがそれを鼻にかけることはない。だってものぐさだもの。 |
阿武 | 男 | 27 | あんの。年齢不詳。詠に付き随う豪の者。闇に紛れて行動できる謎の人物。詠が生まれた頃を知る。まぁ大体がこの人も謎。 |
新五郎 | 男 | 45 | しんごろう。町火消四十八組の一つ「な組」の頭。三十代にかかる時に「な組」の頭となる。情に厚く統率力に優れる。 なんせイケメン。普段は一膳めし屋「しのぶ」を営む。 |
左平次 | 男 | 27 | さへいじ。町火消四十八組の一つ「ね組」の頭。五十代半ばの強欲者。紙問屋『漉き屋(すきや)』を営んでいる。 火事場で「継火(つぎび)」(現場で火のないところにわざと火をつけ延焼させること)をし、みずからの商いに繋げている。 汚い顔を持つ、今回の「的(まと)」である。 |
左馬 | 男 | 39 | さま。武家崩れの浪人。食い詰めた挙句に左平次の右腕となる。剣の腕はなかなかのもの。中条流(ちゅうじょうりゅう)を嗜む。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:『火のない処に立つ炎』
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:「人物の性別変更不可(演者さまの性別は不問です)」
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:「話の筋の改変不可。ただし雰囲気を壊さないアドリブは可」
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:場面の頭にある〈N〉の声質は自由です。
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:兼役も一応設定していますが、みなさんで決めてくださっても構いません。
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:どうぞ楽しんでいただけますよう。
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詠:詠(えい)。小間物(こまもの)・荒物(あらもの)、万(よろず)扱う『竜胆庵(りんどうあん)』店主。普段は「ものぐさ太郎」。夜の顔は別。その出生は謎に包まれる。美しいがそれを鼻にかけることはない。だってものぐさだもの。
詠:兼役に「女店員」があります。
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阿武:阿武(あんの)。年齢不詳。詠に付き随う豪の者。闇に紛れて行動できる謎の人物。詠が生まれた頃を知る。まぁ大体がこの人も謎。
阿武:兼役に「重(しげ)」「客2」があります。
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新五郎:新五郎(しんごろう)。町火消四十八組の一つ「な組」の頭。三十代にかかる時に「な組」の頭となる。情に厚く統率力に優れる。
新五郎:なんせイケメン。普段は一膳めし屋「しのぶ」を営む。
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左平次:左平次(さへいじ)。町火消四十八組の一つ「ね組」の頭。五十代半ばの強欲者。紙問屋『漉き屋(すきや)』を営む。
左平次:火事場で「継火(つぎび)」(現場で火のないところにわざと火をつけ延焼させること)をし、みずからの商いに繋げている。
左平次:汚い顔を持つ、今回の「的(まと)」。
左平次:兼役に「政(まさ)」があります。
:
左馬:左馬(さま)。武家崩れの浪人。食い詰めた挙句に左平次の右腕となる。剣の腕はなかなかのもの。中条流(ちゅうじょうりゅう)を嗜む。
左馬:兼役に「男衆」「客1」があります。
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0:〈 〉NやM、兼役の指定
0:( )直前の漢字の読み・一部食われるセリフの指定。
0:【 】ト書き … それっぽくやってくださると幸いです。
:
0:ここから本編が始まります。
:
詠:〈N〉急を告げる半鐘(はんしょう)が鳴り響く。叫びながら通りを逃げ惑う人々。一方、新五郎率いる町火消(まちびけし)「な組」の一団は急ぎ足で現場に向かっている。油商(あぶらしょう)の屋敷から上がった火の手は、周囲を赤々と照らし勢いを増していた。
:
新五郎:野郎ども、いつも通りの遣り様(やりよう)でいくぞ。政(まさ)は一組連れて裏手へ廻れ。
政:〈左平次兼役〉へいっ、わかりやした!
新五郎:よぉし。重(しげ)は二組連れて坤(ひつじさる・南西)の屋敷を引き倒せ!
重:〈阿武兼役〉任せてくだせぇ!
新五郎:俺ぁここから纏(まとい)を掲げるっ!
男衆:〈左馬兼役〉へいっ! 頭もどうぞご無事で!
新五郎:【梯子を登りながら】おい、政(まさ)っ、もう一軒隣から崩せ。
政:〈左平次兼役〉わっかりやしたっ!! それいっ!
新五郎:…よし、いいぞっ。
新五郎:ぐぅ…火元が油屋だけに火の回りが早えな。おめえらっ、火の勢いに負けるんじゃねえぞっ!
重:〈阿武兼役〉わかってまさぁ!
政:〈左平次兼役〉もちろんでさぁ!
新五郎:【屋根に上がり纏を掲げる】「な組」が来たからにはもうでえじょうぶだっ! そんなところで見物なんざしてねぇで、ひとまず逃げろ!
左平次:【梯子の下から声を上げる】相変わらず早えなぁ新の字! 今宵もいいところを持ってかれちまった。まったく、「ね組」の名が廃(すた)れちまうぜ…。
左平次:おい、新五郎っ「ね組」の助働き(すけばたらき)、受けてくれるよなぁ?
新五郎:おぉ、左平次の旦那っ、先に纏(まとい)は上げさせてもらった。「ね組」は巽(たつみ・南東)の方から回り込んでおくんなせぇ。今宵は火の回りが早え。毎度の助働き、恩に着まさぁ!
左平次:【ニヤリとして】応ともよ。野郎どもっ、わしらの持ち場は向かい角だ。
左平次:「いつも通り」に頼むぜぇ…。
男衆:〈左馬兼役〉ガッテンだっ、左平次のお頭!
新五郎:重(しげ)っ、向かいも鳶口(とびぐち)で始末をつけろっ! 竜吐水(りゅうどすい)の支度はいいか。片が着いたら政(まさ)の備えに回れ。火が強けりゃあ、政たちにぶっかけちまえっ。
重:〈阿武兼役〉へいっ! 行ってきやす!
左平次:【独り言の体で】おうおう…毎度ながら威勢がいいねぇ。男のわしが見ても惚れ惚れしちまわあ。明日の瓦版も新の字で持ちきりだろうねぇ。…まぁわしらにとっちゃ都合の良いこと、この上ねぇがな。
左平次:【以下、呼びかけ】…おい、左馬(さま)「火種(ひだね)」を持って火桶(ひおけ)の横に潜(ひそ)んでな。
左馬:承知。お任せあれ、左平次どの…。仰せの通りに致しましょう。
新五郎:ここも火に巻かれるか…よしっ、梯子(はしご)を持ってきな!「新五郎の火渡り」だっ!
阿武:〈N〉梯子に飛びつかまった新五郎。舞い上がる炎の中 通り向こうの屋根に飛び移る!
阿武:周囲からは火消したちの歓声が上がっている。
阿武:……しかし、新五郎の表情は固いままだった。
男衆:〈左馬兼役〉頭っ! 火の勢いもようやく(おさまってきやした)…
新五郎:(前のセリフに食い込んで)おいっ、あれは… おめぇら、伊勢屋の方を見てみろぃっ。あすこからも火が上がりやがった! ぐっ、急げ! いいから四方を引き倒しちまえっ!!
政:〈左平次兼役〉おぉぉぉぉぉ!【後の重と合わせて】
重:〈阿武兼役〉おぉぉぉぉぉ!【前の政と合わせて】
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左平次:〈N〉こちらは、小間物(こまもの)・荒物(あらもの)よろず扱う『竜胆庵(りんどうあん)』。その居間で、お詠(えい)と阿武(あんの)が前日の火事について話をしている。
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阿武:詠(えい)さま、昨夜の火消し、またぞろ「な組」の旦那が男を上げたそうですな。ここのところの続け火はみな「な組」の衆の見せ場だったとか。
詠:あぁ、そうらしいねぇ。裏店(うらだな)のおかみさん方が朝から黄色い声でさえずっておいでだったよぉ。
阿武:先ほど瓦版を購(あがな)って参りました。【懐から取り出す】
阿武:「満ちたる月を背(せな)に受け 見事火渡り新五郎」だそうですよ。まこと、絵になる男は違います。
詠:ふふふ。ちょいと見せとくれ。【瓦版を見る】…あぁ、確かに色男だねぇ。
詠:江戸の三男(さんおとこ)とはよく言うが、新五郎の一人勝ちといったところかね。ま、ともかく阿武(あんの)、店の方は任せたよ。
阿武:それはようございますが… して詠さまはいずこへ?
詠:ちょいと調べものにね。今朝方おもしろくもない話を耳にしたんだよ。しばらく安穏(あんのん)としていたのにねぇ。この町を騒がす奴は許しちゃおけないからねぇ…
阿武:ほう「続け火」が、それ、ですかな。新五郎さまにやましいところはなさそうですが…。
詠:ははは。分かっているよ。新さんはそんな男じゃないさ。夕餉(ゆうげ)までには戻るさね。
阿武:さようですか。まぁ、あらましまではお任せしますが…。
阿武:話の筋が見えてきたらば、その後は阿武(あんの)めにお任せくださいますよう…。
詠:あぁ【笑顔】。なんせ、あたしゃ界隈じゃ名うての「ものぐさ」だからねぇ。
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新五郎:〈N〉陽光差し込む左平次邸内の庭には、鳥たちのさえずりが響いている。のんびりとした表の雰囲気とは裏腹に、左平次が営む『漉き屋(すきや)』奥の間では、疲れ切った顔の伊勢屋の話を左平次が聞いていた。
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左平次:伊勢屋さんもねぇ。今回の件はご愁傷さまだぁね。よござんす。伊勢屋さんが注文を受けなすった分、あたしが用立ていたしゃぁしょう。
左平次:いやね、ここんところ火事が多うございましたでしょう? あたしんところも品(しな)がなくてねぇ。いや、確かに金子(きんす)は集まりますがね…。
新五郎:〈N〉伊勢屋は申し訳なさそうにうなだれている…。
左平次:それでも、町の顔役、伊勢屋さんの頼みとありゃあねえ。売上も八分二分(はちぶにぶ)の取分といたしゃぁしょう。
左平次:え? いやいや、二分は伊勢屋さんの懐(ふところ)に入れてくだせえ。
左平次:【三方(台)に乗った小判を押し進め】あと、こりゃあ雀の涙ぐれぇのもんですが、当座の足しに。お店(たな)の建て直しもございやしょうし…。
新五郎:〈N〉商売に穴を開けずに済んだ安堵と、左平次からの望外の申し出に、伊勢屋は思わず涙を浮かべた。
左平次:ははっ、天下の伊勢屋さんにこれしきのことで泣かれちゃぁかないませんなぁ。ええ、ええ。よいのですよ。
左平次:…左馬、いるかい、左馬ぁ。
左馬:お呼びでしょうか、旦那さま。
左平次:伊勢屋さんがお帰りだ。お住まいまで横について差し上げな。「何かある」といけないからねぇ。
左馬:かしこまりました。「無事に」お届けいたしましょう。伊勢屋さま、どうぞこちらへ。
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新五郎:〈N〉伊勢屋を伴っての帰り路(かえりみち)。左平次に焚(た)きつけられたならず者が伊勢屋と左馬の前に飛び出してきたのである。
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左馬:ふむ。伊勢屋さん、拙者の後ろから動いてはなりませんよ。
左馬:相手は高々(たかだか)町人奴連れ(ちょうにんやっこづれ)。動ずることもありませぬ。【刀を抜く】
左馬:【敵を見据えて】そのような匕首(あいくち)一つでどうにかなると思うのか。
左馬:【切っ先を心持ち上げて】ここで素直に帰れば、怪我はせぬ。いかがする…
新五郎:〈N〉ならず者たちは戸惑った表情を見せている。しかし、二人でうなずくと、思い切って切りかかった。
左馬:愚かな… せいっ【刀を軽く振るう】! ふんっ!
新五郎:〈N〉腕を切られて気を削がれ、ならず者は這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げていく。
左馬:【刀を鞘にしまい】ささ、伊勢屋さん、まいりましょうか。
左馬:彼奴(きゃつ)らも金子(きんす)の匂いに引き寄せられたのでしょう。
左馬:【自嘲気味に】まこと、しようのない者のしようのなさにございます…
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詠:〈N〉紙問屋(かみどんや)『漉き屋(すきや)』の奥の間では、左馬が事の次第を報告していた。
詠:ニヤつきながらそれを聞く左平次はしてやったりとばかりに上機嫌である。
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左平次:よくやっておくれだったねぇ。
左平次:どうだい。これで伊勢屋さんもわしに頭があがらないだろうよ。くっくっく…。
左馬:町奴(まちやっこ)の二人連れ、軽く斬りつけてやりました。
左馬:まぁ、こちらが伊勢屋さんに怪しまれることもございますまい…。
左平次:ふむ。あいつらは金に目が眩む(くらむ)輩(やから)だからねえ。捨ておけばいいのよ。
左平次…それにしても、おめぇさんの腕前の良さは天下一だ。頼みにしているよ。
左馬:…はっ。せいぜい励みましょう。
左平次:あぁ、そうそう。かわいいかわいい娘さんにも、うめぇものを食わせて綺麗なべべを着せてやるから、心配はいらねぇよ。
左馬:…ありがたき幸せ。
左馬:〈M〉拙者が不甲斐ないばかりに、おりんには苦労をかける…
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詠:〈N〉ところかわって一膳めし屋「しのぶ」の居間では、先日の怪しい出火について、新五郎が思いを巡らせていた。
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新五郎:〈M〉くそっ…あの火はなんだってんだ。うちの奴らの手落ちなのか。
新五郎:いやでもよぉ、俺ゃ、火事場の屋根から見てたんだ。
新五郎:あすこに火の気はなかっただろう。重も政もやるときゃやる奴らだしなぁ。
新五郎:…そもそもここんところの「続け火」が気にいらねぇ。
客1:〈左馬兼役〉おい、見たかよ、瓦版。ここの大将、粋(いき)だよなぁ。
客1:町娘がキャーキャー言いやがるのは、気持ちいいもんじゃねえがよぉ【苦笑】。
客1:まぁ、でも新五郎の大将じゃ仕方がねえぜ…。
客2:〈阿武兼役〉はははっ、まあそう腐るな。おめえと大将じゃ、男としての格がちがわぁ。
客2:でもよぉ、二月(ふたつき)に三度(みたび)も火が出るようじゃあなあ。
客2:こないだは、あの伊勢屋さんも焼け落ちちまってよ…あんな大店(おおだな)が立て続けだぜ?
客1:〈左馬兼役〉そうだよなぁ。喧嘩と火事は江戸の華っつってもよ、たいがいにしてもらいてぇよなぁ。
客1:あのなぁ……大きな声じゃ言えねえが…おりゃあ「継火(つぎび)」じゃねえかって(思ってんだよ。)
女店員:〈詠兼役〉【前のセリフに割り込んで】ちょいとお客さん、聞き捨てならないねぇ。
女店員:【やや切れ気味に】天地神明(てんちしんめい)に誓って、うちの大将がそんなことするわきゃないだろう!
女店員:もういっぺん言ってごらんな? 二度と店にゃぁ入れてやらないよっ!
客1:〈左馬兼役〉分かってる、分かってるよぉ。新五郎のお頭がそんなことするわきゃねえわな…
新五郎:〈M〉この俺が「継火」だぁ??【しばらく考える】まさか……。
新五郎:〈以下、セリフ〉おいっ、重(しげ)、政(まさ)っ。ちょいと顔貸してくれっ。
重:〈阿武兼役〉へぇ。何でやしょう。
政:〈左平次兼役〉へいっ。ちっとばかしお待ちくだせぇ。
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左馬:〈N〉仕事の手を休め、重と政が今に顔を出してきた。その二人に対して、新五郎が声を潜めて尋ね始めた。。
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新五郎:俺ゃあな、あの晩だってしっかりと務めたんだよ。「な組」の名折れにならねえような。
新五郎:おめえらの仕事振りだってよっく知ってらぁ。
新五郎:……なぁ、ここだけの話だぜ。おめえらだからこそ聞くんだが。
新五郎:…あの晩、伊勢屋さんの方に火の気(け)なんざあったのかい?
重:〈阿武兼役〉ごぜぇませんや。【後の政と合わせて】
政:〈左平次兼役〉そんなもなぁ、あるわけがねぇ!
新五郎:そうかい。…はは、そうだよなぁ。あるわきゃねぇ…。俺らが飛び火を見逃すはずもねぇ。
新五郎:だとすりゃあよぉ、どうにも腑(ふ)に落ちねぇ話だよなぁ。
新五郎:……待てよ、この三度(みたび)、助働き(すけばたらき)に来たのは「ね組」…。
新五郎:【ハッとして】左平次の旦那だっ…。
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左馬:〈N〉思い詰めた顔で左平次のいる『漉き屋(すきや)』へ急ぐ新五郎。そこへ「背負い小間物(しょいこまもの)」姿で聞き込みをしていたお詠(えい)が現れた。
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詠:おや、こりゃあ新五郎の旦那じゃないかい。見たよぉ瓦版。相変わらず絵になる男だねえ。
詠:そのうち、浮世絵にでもなっちまうんじゃないかい?
新五郎:【気もそぞろに】あぁ、お詠(えい)さん、そりゃあどうも…
詠:おや、どしたんだい? 新さん、浮かない顔だねぇ? 何かあるんなら、このお詠さんに話してごらんなよぉ。
新五郎:お詠さん、ここんところの火事の話は聞いていなさるかい?
詠:そりゃ知ってるよ。新さんが載ってる瓦版を見逃す手はないからねぇ。
新五郎:…その火事だがよぉ。二月(ふたつき)に三度(みたび)だ…。
新五郎:つけ火じゃぁねぇにしろ、多過ぎゃしねぇか?
詠:まぁ、確かにそうだねぇ。
新五郎:それによぉ、こないだの火事、俺ぁ纏(まとい)の下で見てたんだ。伊勢屋さんのあたりに火の気(け)なんざなかった…
新五郎:【顔をあげて】俺ゃあよ、左平次の旦那に「継火(つぎび)」について知らねえか、そう尋ねてこようと思ってんだ。
左馬:〈N〉そう話す新五郎の握りこぶしは、小刻みに震えていた。
詠:…新さん、この一件、あたしに預けちゃくれないかい?
新五郎:えっ、何だって…
詠:いやね、新さんが表立って動いたんじゃ、目立ってしょうがないだろう。
詠:このお詠さんがそれとなく調べておいてやろうじゃないか。
新五郎:お詠さん… 頼まれてくれるかい?
新五郎:確かに俺じゃぁ、頭に血が昇ると何しでかすか分からねぇからな【苦笑】。
詠:ははは、何言ってんだい。ここはあたしに任せておいて、早くお店(たな)にお戻りよ。みんな心配してるだろうさ。
新五郎:そうかい。それじゃぁよろしく頼むよ。
詠:えぇ、任されましたよ。あたしもこの足でちょいと『漉き屋(すきや)』を覗いてくるとしましょ。
左馬:〈N〉日も暮れかかった時刻。
左馬:夕日に染まる『竜胆庵(りんどうあん)』の居間にて、お詠(えい)と阿武(あんの)が集めた情報を語り合っている。
阿武:ふむ。それで、詠さま。『漉き屋(すきや)』はどうでした?
詠:あぁ、真っくろくろさね。
詠:左平次の奴は伊勢屋さんに取り入って、後(のち)の商いを自分のところに巻き上げる算段だよ。
詠:いまいましいねえ、全く。町の安らぎも、あたしの安らぎも奪われちまうじゃぁないか…。
阿武:はい。それについてはわたしも耳にしました。
阿武:左平次は伊勢屋さんに恩を着せ、いやと言えないようにしたとか…
阿武:商売敵の不幸を商機と見る卑しさに辟易(へきえき)しておりましたが…
詠:【ため息をついて】どうもそれどころじゃあなさそうだねぇ。久方ぶりに出張る(でばる)とするか。
詠:このままじゃ新五郎の旦那が堪忍袋の緒を切らしちまうよ…。
阿武:新五郎さまは、そこまで切羽詰まったお顔でしたか…
詠:そうだねぇ。新さんは、この町の無事を心から望んでいるからねえ。
詠:あのまま『漉き屋』に行かせていたら、今ごろ左平次はどうなっていたことやら…。
阿武:それは、危ないところでしたな…。
詠:それにね、阿武。そんなことになったら、新さんとっ捕まっちまうだろう。
詠:あたしはね、新さんに冷や飯を食らってほしかないんだよ。
阿武:詠さま、それは…
詠:ふふふ、何だい? 阿武(あんの)。あたしだってね、好みの色男を放っちゃおけないんだよ。
阿武:ふう…。詠さまに何かあったら、わたしは主上(おかみ)に顔向けができませんよ…。
詠:阿武ぉ、大袈裟だねぇ、昔から。
阿武:ごほん…。いいでしょう。次の朔(さく・新月のこと)の宵、『漉き屋』に忍びましょうか。
詠:すまないねぇ、阿武(あんの)。ここは一つあたしのために働いとくれ【笑顔】
:
新五郎:〈N〉新月の夜、うっすらと闇に浮かび上がる『漉き屋(すきや)』裏手の左平次邸。
新五郎:千両箱を金蔵(かねぐら)にしまい込んだ左平次が、自室で喜びに浸(ひた)っていた。
:
左平次:ふっはっは。蔵が金子(きんす)であふれかえるさまはいつ見てもいいもんだ。
左平次:世の中が馬鹿ばかりだと助かるねぇ。
左平次:伊勢屋の身代(しんだい)もその内いただくとしようじゃないか。
左平次:左馬、左馬ぁ。
左馬:ははっ、ここに。
左平次:おぉ、左馬。今宵は月が消えているからねぇ。不寝番(ねずのばん)を頼むよ。
左馬:かしこまった。番は、しかと務めまする。
左馬:ですが…旦那さま、一つよろしいでしょうか。
左平次:【上から目線で】何だい。
左馬:…娘は、娘はいつ返していただけましょうか。
左平次:【薄笑いで】そのことかい。… それはお前の働き次第だろうねぇ。
左馬:娘は…娘は元気にしておりましょうや…。
左平次:おぉ。元気も元気よ。心配ぇ(しんぺぇ)するねい。
左馬:…左様ですか。
左平次:まぁ、細かいことは気にしねえで、目の前の仕事に精進(しょうじん)するんだね。ふふふ。
左馬:くっ…。【息を抜いて】承知仕(つかまつ)った。
左平次:ふん。「仕(つかまつ)った」…?【小馬鹿にしながら】
左平次:いつまでも侍気分が抜けないようじゃ困るねぇ。
左平次:お前は既にこちら側の人間だ。それを忘れるんじゃぁねえぞ。
左平次:…それになぁ、娘の晴れ姿も見たいだろう?
左馬:えぇ、……せいぜい、励みましょう。
:
新五郎:〈N〉梢(こずえ)から屋敷を見渡す影がある。
新五郎:それは忍び装束に身を包んだお詠(えい)と阿武(あんの)であった。
新五郎:二人は気配を消して邸内の様子を窺(うかが)っている。
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詠:…気になるのは「左馬」とかいう侍崩れだけだねぇ。あとは有象無象だろうさ。
詠:阿武(あんの)、「左馬」はあたしに任せて、さっさと左平次を殺(や)っとくれ。
詠:あたしゃ、あんな奴の顔を見るのも嫌だからね。【心底いやそうに】
阿武:そう致しましょう。詠女(えいじょ)さまには逆らえませぬ。
詠:その呼び名はおやめって言っただろう…?
詠:まあいいや。早く仕事を終えて、湯浴みでもしたいもんだよ。
詠:…では、そろそろ行こうかねぇ。
阿武:えぇ、そうですね。町のためにも、詠さまを安(やす)んずるためにも。
阿武:【雰囲気を変えて】おのれの所業(しょぎょう)、とくと省(かえり)みるがよい…
新五郎:〈N〉邸宅に忍び入る二人。影が速いか、二人が先か。
新五郎:奥の間の左平次の元へ向かう阿武(あんの)の姿は既に見えなくなっている。
新五郎:そして庭の片隅には金蔵(かねぐら)を見上げて毒づく、お詠がいた。
詠:この蔵に詰まっているのは汚い金ばっかりじゃないか。
詠:あぁ嫌だ嫌だ。あたしの安らぎを返しておくれよ。
左馬:【息をひそめて刀を抜く】お主、何者っ……!
詠:【応えず振り向きざまに斬りつける】ふっ!
左馬:ふんっ【刀を受ける】!
左馬:〈以下、M〉なんと、この太刀筋(たちすじ)……。こやつ、一筋縄ではいかぬな…!
詠:ふん、あたしの太刀(たち)を受け切るのかい。さてはあんたが「左馬」だね。
左馬:〈M〉女?? 拙者の名もすでに知られている…。ということは全てを承知の上でまかりこしたとみえる。
左馬:〈以下、セリフ〉それがしは…
詠:【割り込んで】あぁ、いらないね。名乗りなんて面倒だ。それだけの腕を持ちながら、悪党の用心棒を務めるなんざ、どうせ仔細(しさい)があるんだろう。
詠:でもね、あたしがここに来たからにゃ、斬るか斬られるか、それだけだ。
左馬:ふっ、確かに。【太刀を構えつつ、小太刀に手を掛ける】行くぞ。
新五郎:〈N〉挨拶がわりとばかりに、お詠と左馬は二合・三合と斬り結ぶ。どちらの剣も速く力強い筋を見せている。(合(ごう)とは、得物をぶつけ合うことを言います)
詠:〈M〉まぁそれなりにやるようだけどねぇ。道を外した剣に斬られてやる訳にはいかないねぇ…。
左馬:〈M〉この者は何者だ…。華奢な体つきからは想像もできない鋭さと速さを兼ね備えておるわ…。
左馬:ふっ。これが浮世の広さ、か。おりん…拙者に力を…。
左馬:〈以下、セリフ〉そこだっ!
新五郎:〈N〉短い気合いと共に左馬は太刀(たち)を投げつけた。その先に確かにお詠の姿をとらえて。ところが…。
詠:【難なく避けて】そんなものが当たるもんかね。よかったのかい? 太刀を投げ捨てちまってさぁ。
左馬:【小太刀を構え三段に突く】ふっ、はっ、ふっ。
新五郎:〈N〉太刀こそなくなったとは言え、小太刀を繰り出す左馬の動きは先ほどよりも勢いを増している。そして、お詠の動きを読んだかのように間合いを詰め、その腕をつかみにかかったのである。
左馬:よし、掴(つか)んだ。おちろぉぉぉぉぉ!
新五郎:〈N〉号砲一喝(いっかつ)、左馬が必殺の投げを打つ!
詠:なかなか鋭い攻めだけどねぇ…よっと。
新五郎:〈N〉左馬の技の冴もさることながら、こちらは「竜胆」のお詠である。左馬の気迫も柳に風と受け流し、体を跳ね上げて左馬の背後に着地した。新月の闇の中、技の応酬が続いている。
詠:その小太刀に戦(いくさ)投げ…あんた中条流(ちゅうじょうりゅう)の心得でもあるのかい?
詠:場末の用心棒にしとくにゃもったいないねぇ。
左馬:あれを跳んで躱(かわ)すか…。いかにも。
左馬:ただ、それがしは師の教えを穢(けが)した身…。流派は許されよ…
詠:……あんた侍崩れってほんとだったんだねぇ。惜しいもんだ。ただね、それじゃどうしたってあたしにゃ勝てないだろうよ。
左馬:…そうかもしれぬ。しかし、拙者には負けられない訳があるのだっ!
:
詠:いいよ、その苦界(くがい)、あたしが終わらせてやろうじゃないか。【詠もまた距離を詰め始める】
新五郎:〈N〉息が止まるかのような緊迫した空気の中、二人は互いに間(ま)を詰め始めた。
:
左馬:そこだぁぁぁぁぁぁ!
詠:【左馬の攻撃を避けながら】あんたの言う、「訳」ってやつぁ知らないがねぇ。
左馬:せいっ! はっ!
詠:【左馬の攻撃を避けながら】世を乱す輩(やから)に負けてやるわけにゃあいかないんでね。
新五郎:〈N〉左馬の剣筋のするどさもさすがである。ただ、お詠の方が一枚も二枚も上手(うわて)のようだ。
新五郎:寸でのところで左馬の攻撃をかわしながらも涼しい顔を崩さない。
詠:……時にあんた、「継火(つぎび)」のことも何か知ってんだろう?
左馬:そこまで知っているのか…。そうとも。
左馬:しかも火付けをしたのはそれがしだ。伊勢屋にも他の大店(おおだな)にもな…
詠:ふぅ…生きづらい男だよ…。
詠:もう分かっただろう? やっぱりあんたはあたしにゃ勝てっこないよ。
新五郎:〈N〉飯綱(いづな)もかくや。目にも留まらぬ素速さで踏み込むお詠。
詠:はっ!
:
新五郎:〈N〉そのころ奥の間では、何も知らない左平次がほくほく顔で財貨を数えていた。天井の梁(はり)からは、阿武の醒めた目がそれを見下ろしている。
:
左平次:いいねぇ黄金(こがね)の輝きは…。
左平次:おのれで火勢を増し、屋敷の建て直しで紙を売る…。ボロい商売だねぇ。
阿武:〈M〉はぁ…。これまで数多(あまた)の屑(くず)どもを見てきたが…
左平次:手下(てか)の材木屋も儲かってしょうがねぇ…左団扇(ひだりうちわ)たぁこのことよ。
阿武:〈M〉虫唾(むしず)が走るとは、今この気持ちを言うのだろうな…
左平次:あとは、と。伊勢屋の身代(しんだい)はいつ頃いただくとするかねぇ。
阿武:〈M〉この輩(やから)にも浮世からご退場願うとするか…
阿武:【天井からスッと姿を現す】〈以下、セリフ〉おい、黄金虫(こがねむし)…
左平次:ん? お、お前は…?
左平次:左馬、左馬ぁぁあぁあ!! だれぞ、だれぞ出合ええ!
阿武:左馬とやらはここには居らぬ。
左平次:誰か! 誰かおらぬかぁぁあ!
阿武:わたしはね、姫さまの安らぎを邪魔するものが許せなくてね。
阿武:お前に生きてもらっていては困るのだよ。
左平次:ぐっ…。そ、そうだ、金(かね)をやろう。ここにあるだけ持っていっていい。どうだ?
左平次:…た、足りぬか? に、庭に蔵がある、そこにも金が詰まっている。わたしを見逃すなら、好きにしていい。
阿武:…ふん。くだらん。
左平次:あ、あ、あの役立たずの代わりに雇おう。月にひゃ、百両でどうだ? な、な、な?
阿武:言いたいことはそれだけか? それではわたしの好きにさせてもらう。
阿武:【気合も入れずに刃を一閃】
左平次:うガァぁぁぁぁぁぁ…
:
新五郎:〈N〉先ほどまでの静かな熱も冷め、落ち着きを取り戻した庭では、胸元を突かれた左馬の側(そば)にお詠がたたずんでいた。
:
詠:【左平次の声を聞いて】ん? あちらも終わったか…
詠:お前さん、雇われの年季は明けたよ。何か言い残すことはないかい?
左馬:其処元(そこもと)の最後の切先(きっさき)、それがしには見えなんだ…
左馬:ようやっと迎えが来るか、閻魔(えんま)の迎えが…
詠:あぁ…。
左馬:旦那に娘を攫(さら)われていてね…ぐっ…
左馬:解(と)いてもらうには仕事を続けるしかなかったのだよ…
詠:…そうなのかい。
左馬:ぬぅっ【姿勢を正し、平伏する】拙者のように身を堕としたものが願えることではないかも知れぬが… どうか、娘の、りんの命は、命だけは…グゥぅ
詠:あたしが年端も行かぬ娘を黄泉(よみ)に送るわけがないだろう。
詠:……あんたの娘はあたしが預かる。だから安心して川を渡りな。
左馬:【涙を浮かべ】恩に…き、る…【事きれる】
阿武:詠(えい)さま、詠さまぁ。屋敷の隠し部屋に娘御が…
詠:あぁ、その娘(こ)がりん、左馬の娘だね。うちに連れて帰ろう。
詠:阿武(あんの)、こっちに連れて来ちゃいけないよ。
阿武:はっ、そのように取り計らいましょう。
詠:…不憫(ふびん)だねぇ。
詠:悲しきものに寄り添うのがあたしらの常(つね)とは言え、やっぱりやりきれるもんじゃぁないよ…。
:
阿武:〈N〉殺伐とした一夜から早くも十日が経ったころ、穏やかな朝日に包まれた『竜胆庵(りんどうあん)』を新五郎が訪れてきた。
:
詠:おや、新さん、いらっしゃい。お早いお越しだねぇ。
新五郎:お詠さん…「ね組」の左平次が誰かに斬られたんだと。
新五郎:文箱(ふばこ)から出てきた色々で『漉き屋(すきや)』も取り潰しに…。
詠:あぁ、それねぇ。新さんの値踏み通りだったって事だねぇ。
新五郎:お詠さん、ほんとに何と礼を言やぁいいか…。
詠:ふふふ。こちとら「頼まれた身」だからねぇ。ちょいとその筋にね…
詠:まぁ、何にせよ、よかったじゃないか。それで「ね組」はどうすんだい?
新五郎:それがよ、俺に引き継げってよ。
新五郎:冗談じゃねえや、合わせて二百からの衆の面倒を見るなんて、なぁ…。
詠:ふふふ。新さんなら、きっと大丈夫さね。
新五郎:そ、そうかい? お詠さんがそう言うなら、いっちょやってみるか。
詠:さぁさ、笑った笑った! 新さんのいい顔にみんなついていくんだからさ。
詠:そうだ、うちに新しく働き手が入るからね。今後ともよろしくお願いしますよ。
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左馬:〈N〉表通りに面した『竜胆庵(りんどうあん)』の店先では、髪を桃割れに結(ゆ)い上げたおりんが阿武(あんの)の後を追っている。
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阿武:ようこそおいでになりました。今日は何がご入用で…へぇ。かしこまりました。これなどどうでございましょう。へぇ、へぇ、おありがとうございます。これからもどうぞご贔屓(ひいき)に。
阿武:さて、おりんさん、よく見て仕事を覚えてくださいよ。父上も空の上から見ていなさいますからね…。
左馬:〈N〉堕ちた親の穢れを清めるようにお天道(てんと)さまが輝いている。陽に照らされた『竜胆庵』。どうか「おりん」の行く末に幸多からんことを…
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0:「的之壱」これにて終演でございます。 この話を選んでくださりありがとうございました!
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仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:『火のない処に立つ炎』
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:「人物の性別変更不可(演者さまの性別は不問です)」
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:「話の筋の改変不可。ただし雰囲気を壊さないアドリブは可」
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:場面の頭にある〈N〉の声質は自由です。
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:兼役も一応設定していますが、みなさんで決めてくださっても構いません。
仕掛屋『竜胆』閻魔帳〜的之壱〜:どうぞ楽しんでいただけますよう。
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詠:詠(えい)。小間物(こまもの)・荒物(あらもの)、万(よろず)扱う『竜胆庵(りんどうあん)』店主。普段は「ものぐさ太郎」。夜の顔は別。その出生は謎に包まれる。美しいがそれを鼻にかけることはない。だってものぐさだもの。
詠:兼役に「女店員」があります。
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阿武:阿武(あんの)。年齢不詳。詠に付き随う豪の者。闇に紛れて行動できる謎の人物。詠が生まれた頃を知る。まぁ大体がこの人も謎。
阿武:兼役に「重(しげ)」「客2」があります。
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新五郎:新五郎(しんごろう)。町火消四十八組の一つ「な組」の頭。三十代にかかる時に「な組」の頭となる。情に厚く統率力に優れる。
新五郎:なんせイケメン。普段は一膳めし屋「しのぶ」を営む。
:
左平次:左平次(さへいじ)。町火消四十八組の一つ「ね組」の頭。五十代半ばの強欲者。紙問屋『漉き屋(すきや)』を営む。
左平次:火事場で「継火(つぎび)」(現場で火のないところにわざと火をつけ延焼させること)をし、みずからの商いに繋げている。
左平次:汚い顔を持つ、今回の「的(まと)」。
左平次:兼役に「政(まさ)」があります。
:
左馬:左馬(さま)。武家崩れの浪人。食い詰めた挙句に左平次の右腕となる。剣の腕はなかなかのもの。中条流(ちゅうじょうりゅう)を嗜む。
左馬:兼役に「男衆」「客1」があります。
:
0:〈 〉NやM、兼役の指定
0:( )直前の漢字の読み・一部食われるセリフの指定。
0:【 】ト書き … それっぽくやってくださると幸いです。
:
0:ここから本編が始まります。
:
詠:〈N〉急を告げる半鐘(はんしょう)が鳴り響く。叫びながら通りを逃げ惑う人々。一方、新五郎率いる町火消(まちびけし)「な組」の一団は急ぎ足で現場に向かっている。油商(あぶらしょう)の屋敷から上がった火の手は、周囲を赤々と照らし勢いを増していた。
:
新五郎:野郎ども、いつも通りの遣り様(やりよう)でいくぞ。政(まさ)は一組連れて裏手へ廻れ。
政:〈左平次兼役〉へいっ、わかりやした!
新五郎:よぉし。重(しげ)は二組連れて坤(ひつじさる・南西)の屋敷を引き倒せ!
重:〈阿武兼役〉任せてくだせぇ!
新五郎:俺ぁここから纏(まとい)を掲げるっ!
男衆:〈左馬兼役〉へいっ! 頭もどうぞご無事で!
新五郎:【梯子を登りながら】おい、政(まさ)っ、もう一軒隣から崩せ。
政:〈左平次兼役〉わっかりやしたっ!! それいっ!
新五郎:…よし、いいぞっ。
新五郎:ぐぅ…火元が油屋だけに火の回りが早えな。おめえらっ、火の勢いに負けるんじゃねえぞっ!
重:〈阿武兼役〉わかってまさぁ!
政:〈左平次兼役〉もちろんでさぁ!
新五郎:【屋根に上がり纏を掲げる】「な組」が来たからにはもうでえじょうぶだっ! そんなところで見物なんざしてねぇで、ひとまず逃げろ!
左平次:【梯子の下から声を上げる】相変わらず早えなぁ新の字! 今宵もいいところを持ってかれちまった。まったく、「ね組」の名が廃(すた)れちまうぜ…。
左平次:おい、新五郎っ「ね組」の助働き(すけばたらき)、受けてくれるよなぁ?
新五郎:おぉ、左平次の旦那っ、先に纏(まとい)は上げさせてもらった。「ね組」は巽(たつみ・南東)の方から回り込んでおくんなせぇ。今宵は火の回りが早え。毎度の助働き、恩に着まさぁ!
左平次:【ニヤリとして】応ともよ。野郎どもっ、わしらの持ち場は向かい角だ。
左平次:「いつも通り」に頼むぜぇ…。
男衆:〈左馬兼役〉ガッテンだっ、左平次のお頭!
新五郎:重(しげ)っ、向かいも鳶口(とびぐち)で始末をつけろっ! 竜吐水(りゅうどすい)の支度はいいか。片が着いたら政(まさ)の備えに回れ。火が強けりゃあ、政たちにぶっかけちまえっ。
重:〈阿武兼役〉へいっ! 行ってきやす!
左平次:【独り言の体で】おうおう…毎度ながら威勢がいいねぇ。男のわしが見ても惚れ惚れしちまわあ。明日の瓦版も新の字で持ちきりだろうねぇ。…まぁわしらにとっちゃ都合の良いこと、この上ねぇがな。
左平次:【以下、呼びかけ】…おい、左馬(さま)「火種(ひだね)」を持って火桶(ひおけ)の横に潜(ひそ)んでな。
左馬:承知。お任せあれ、左平次どの…。仰せの通りに致しましょう。
新五郎:ここも火に巻かれるか…よしっ、梯子(はしご)を持ってきな!「新五郎の火渡り」だっ!
阿武:〈N〉梯子に飛びつかまった新五郎。舞い上がる炎の中 通り向こうの屋根に飛び移る!
阿武:周囲からは火消したちの歓声が上がっている。
阿武:……しかし、新五郎の表情は固いままだった。
男衆:〈左馬兼役〉頭っ! 火の勢いもようやく(おさまってきやした)…
新五郎:(前のセリフに食い込んで)おいっ、あれは… おめぇら、伊勢屋の方を見てみろぃっ。あすこからも火が上がりやがった! ぐっ、急げ! いいから四方を引き倒しちまえっ!!
政:〈左平次兼役〉おぉぉぉぉぉ!【後の重と合わせて】
重:〈阿武兼役〉おぉぉぉぉぉ!【前の政と合わせて】
:
左平次:〈N〉こちらは、小間物(こまもの)・荒物(あらもの)よろず扱う『竜胆庵(りんどうあん)』。その居間で、お詠(えい)と阿武(あんの)が前日の火事について話をしている。
:
阿武:詠(えい)さま、昨夜の火消し、またぞろ「な組」の旦那が男を上げたそうですな。ここのところの続け火はみな「な組」の衆の見せ場だったとか。
詠:あぁ、そうらしいねぇ。裏店(うらだな)のおかみさん方が朝から黄色い声でさえずっておいでだったよぉ。
阿武:先ほど瓦版を購(あがな)って参りました。【懐から取り出す】
阿武:「満ちたる月を背(せな)に受け 見事火渡り新五郎」だそうですよ。まこと、絵になる男は違います。
詠:ふふふ。ちょいと見せとくれ。【瓦版を見る】…あぁ、確かに色男だねぇ。
詠:江戸の三男(さんおとこ)とはよく言うが、新五郎の一人勝ちといったところかね。ま、ともかく阿武(あんの)、店の方は任せたよ。
阿武:それはようございますが… して詠さまはいずこへ?
詠:ちょいと調べものにね。今朝方おもしろくもない話を耳にしたんだよ。しばらく安穏(あんのん)としていたのにねぇ。この町を騒がす奴は許しちゃおけないからねぇ…
阿武:ほう「続け火」が、それ、ですかな。新五郎さまにやましいところはなさそうですが…。
詠:ははは。分かっているよ。新さんはそんな男じゃないさ。夕餉(ゆうげ)までには戻るさね。
阿武:さようですか。まぁ、あらましまではお任せしますが…。
阿武:話の筋が見えてきたらば、その後は阿武(あんの)めにお任せくださいますよう…。
詠:あぁ【笑顔】。なんせ、あたしゃ界隈じゃ名うての「ものぐさ」だからねぇ。
:
新五郎:〈N〉陽光差し込む左平次邸内の庭には、鳥たちのさえずりが響いている。のんびりとした表の雰囲気とは裏腹に、左平次が営む『漉き屋(すきや)』奥の間では、疲れ切った顔の伊勢屋の話を左平次が聞いていた。
:
左平次:伊勢屋さんもねぇ。今回の件はご愁傷さまだぁね。よござんす。伊勢屋さんが注文を受けなすった分、あたしが用立ていたしゃぁしょう。
左平次:いやね、ここんところ火事が多うございましたでしょう? あたしんところも品(しな)がなくてねぇ。いや、確かに金子(きんす)は集まりますがね…。
新五郎:〈N〉伊勢屋は申し訳なさそうにうなだれている…。
左平次:それでも、町の顔役、伊勢屋さんの頼みとありゃあねえ。売上も八分二分(はちぶにぶ)の取分といたしゃぁしょう。
左平次:え? いやいや、二分は伊勢屋さんの懐(ふところ)に入れてくだせえ。
左平次:【三方(台)に乗った小判を押し進め】あと、こりゃあ雀の涙ぐれぇのもんですが、当座の足しに。お店(たな)の建て直しもございやしょうし…。
新五郎:〈N〉商売に穴を開けずに済んだ安堵と、左平次からの望外の申し出に、伊勢屋は思わず涙を浮かべた。
左平次:ははっ、天下の伊勢屋さんにこれしきのことで泣かれちゃぁかないませんなぁ。ええ、ええ。よいのですよ。
左平次:…左馬、いるかい、左馬ぁ。
左馬:お呼びでしょうか、旦那さま。
左平次:伊勢屋さんがお帰りだ。お住まいまで横について差し上げな。「何かある」といけないからねぇ。
左馬:かしこまりました。「無事に」お届けいたしましょう。伊勢屋さま、どうぞこちらへ。
:
新五郎:〈N〉伊勢屋を伴っての帰り路(かえりみち)。左平次に焚(た)きつけられたならず者が伊勢屋と左馬の前に飛び出してきたのである。
:
左馬:ふむ。伊勢屋さん、拙者の後ろから動いてはなりませんよ。
左馬:相手は高々(たかだか)町人奴連れ(ちょうにんやっこづれ)。動ずることもありませぬ。【刀を抜く】
左馬:【敵を見据えて】そのような匕首(あいくち)一つでどうにかなると思うのか。
左馬:【切っ先を心持ち上げて】ここで素直に帰れば、怪我はせぬ。いかがする…
新五郎:〈N〉ならず者たちは戸惑った表情を見せている。しかし、二人でうなずくと、思い切って切りかかった。
左馬:愚かな… せいっ【刀を軽く振るう】! ふんっ!
新五郎:〈N〉腕を切られて気を削がれ、ならず者は這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げていく。
左馬:【刀を鞘にしまい】ささ、伊勢屋さん、まいりましょうか。
左馬:彼奴(きゃつ)らも金子(きんす)の匂いに引き寄せられたのでしょう。
左馬:【自嘲気味に】まこと、しようのない者のしようのなさにございます…
:
詠:〈N〉紙問屋(かみどんや)『漉き屋(すきや)』の奥の間では、左馬が事の次第を報告していた。
詠:ニヤつきながらそれを聞く左平次はしてやったりとばかりに上機嫌である。
:
左平次:よくやっておくれだったねぇ。
左平次:どうだい。これで伊勢屋さんもわしに頭があがらないだろうよ。くっくっく…。
左馬:町奴(まちやっこ)の二人連れ、軽く斬りつけてやりました。
左馬:まぁ、こちらが伊勢屋さんに怪しまれることもございますまい…。
左平次:ふむ。あいつらは金に目が眩む(くらむ)輩(やから)だからねえ。捨ておけばいいのよ。
左平次…それにしても、おめぇさんの腕前の良さは天下一だ。頼みにしているよ。
左馬:…はっ。せいぜい励みましょう。
左平次:あぁ、そうそう。かわいいかわいい娘さんにも、うめぇものを食わせて綺麗なべべを着せてやるから、心配はいらねぇよ。
左馬:…ありがたき幸せ。
左馬:〈M〉拙者が不甲斐ないばかりに、おりんには苦労をかける…
:
詠:〈N〉ところかわって一膳めし屋「しのぶ」の居間では、先日の怪しい出火について、新五郎が思いを巡らせていた。
:
新五郎:〈M〉くそっ…あの火はなんだってんだ。うちの奴らの手落ちなのか。
新五郎:いやでもよぉ、俺ゃ、火事場の屋根から見てたんだ。
新五郎:あすこに火の気はなかっただろう。重も政もやるときゃやる奴らだしなぁ。
新五郎:…そもそもここんところの「続け火」が気にいらねぇ。
客1:〈左馬兼役〉おい、見たかよ、瓦版。ここの大将、粋(いき)だよなぁ。
客1:町娘がキャーキャー言いやがるのは、気持ちいいもんじゃねえがよぉ【苦笑】。
客1:まぁ、でも新五郎の大将じゃ仕方がねえぜ…。
客2:〈阿武兼役〉はははっ、まあそう腐るな。おめえと大将じゃ、男としての格がちがわぁ。
客2:でもよぉ、二月(ふたつき)に三度(みたび)も火が出るようじゃあなあ。
客2:こないだは、あの伊勢屋さんも焼け落ちちまってよ…あんな大店(おおだな)が立て続けだぜ?
客1:〈左馬兼役〉そうだよなぁ。喧嘩と火事は江戸の華っつってもよ、たいがいにしてもらいてぇよなぁ。
客1:あのなぁ……大きな声じゃ言えねえが…おりゃあ「継火(つぎび)」じゃねえかって(思ってんだよ。)
女店員:〈詠兼役〉【前のセリフに割り込んで】ちょいとお客さん、聞き捨てならないねぇ。
女店員:【やや切れ気味に】天地神明(てんちしんめい)に誓って、うちの大将がそんなことするわきゃないだろう!
女店員:もういっぺん言ってごらんな? 二度と店にゃぁ入れてやらないよっ!
客1:〈左馬兼役〉分かってる、分かってるよぉ。新五郎のお頭がそんなことするわきゃねえわな…
新五郎:〈M〉この俺が「継火」だぁ??【しばらく考える】まさか……。
新五郎:〈以下、セリフ〉おいっ、重(しげ)、政(まさ)っ。ちょいと顔貸してくれっ。
重:〈阿武兼役〉へぇ。何でやしょう。
政:〈左平次兼役〉へいっ。ちっとばかしお待ちくだせぇ。
:
左馬:〈N〉仕事の手を休め、重と政が今に顔を出してきた。その二人に対して、新五郎が声を潜めて尋ね始めた。。
:
新五郎:俺ゃあな、あの晩だってしっかりと務めたんだよ。「な組」の名折れにならねえような。
新五郎:おめえらの仕事振りだってよっく知ってらぁ。
新五郎:……なぁ、ここだけの話だぜ。おめえらだからこそ聞くんだが。
新五郎:…あの晩、伊勢屋さんの方に火の気(け)なんざあったのかい?
重:〈阿武兼役〉ごぜぇませんや。【後の政と合わせて】
政:〈左平次兼役〉そんなもなぁ、あるわけがねぇ!
新五郎:そうかい。…はは、そうだよなぁ。あるわきゃねぇ…。俺らが飛び火を見逃すはずもねぇ。
新五郎:だとすりゃあよぉ、どうにも腑(ふ)に落ちねぇ話だよなぁ。
新五郎:……待てよ、この三度(みたび)、助働き(すけばたらき)に来たのは「ね組」…。
新五郎:【ハッとして】左平次の旦那だっ…。
:
左馬:〈N〉思い詰めた顔で左平次のいる『漉き屋(すきや)』へ急ぐ新五郎。そこへ「背負い小間物(しょいこまもの)」姿で聞き込みをしていたお詠(えい)が現れた。
:
詠:おや、こりゃあ新五郎の旦那じゃないかい。見たよぉ瓦版。相変わらず絵になる男だねえ。
詠:そのうち、浮世絵にでもなっちまうんじゃないかい?
新五郎:【気もそぞろに】あぁ、お詠(えい)さん、そりゃあどうも…
詠:おや、どしたんだい? 新さん、浮かない顔だねぇ? 何かあるんなら、このお詠さんに話してごらんなよぉ。
新五郎:お詠さん、ここんところの火事の話は聞いていなさるかい?
詠:そりゃ知ってるよ。新さんが載ってる瓦版を見逃す手はないからねぇ。
新五郎:…その火事だがよぉ。二月(ふたつき)に三度(みたび)だ…。
新五郎:つけ火じゃぁねぇにしろ、多過ぎゃしねぇか?
詠:まぁ、確かにそうだねぇ。
新五郎:それによぉ、こないだの火事、俺ぁ纏(まとい)の下で見てたんだ。伊勢屋さんのあたりに火の気(け)なんざなかった…
新五郎:【顔をあげて】俺ゃあよ、左平次の旦那に「継火(つぎび)」について知らねえか、そう尋ねてこようと思ってんだ。
左馬:〈N〉そう話す新五郎の握りこぶしは、小刻みに震えていた。
詠:…新さん、この一件、あたしに預けちゃくれないかい?
新五郎:えっ、何だって…
詠:いやね、新さんが表立って動いたんじゃ、目立ってしょうがないだろう。
詠:このお詠さんがそれとなく調べておいてやろうじゃないか。
新五郎:お詠さん… 頼まれてくれるかい?
新五郎:確かに俺じゃぁ、頭に血が昇ると何しでかすか分からねぇからな【苦笑】。
詠:ははは、何言ってんだい。ここはあたしに任せておいて、早くお店(たな)にお戻りよ。みんな心配してるだろうさ。
新五郎:そうかい。それじゃぁよろしく頼むよ。
詠:えぇ、任されましたよ。あたしもこの足でちょいと『漉き屋(すきや)』を覗いてくるとしましょ。
左馬:〈N〉日も暮れかかった時刻。
左馬:夕日に染まる『竜胆庵(りんどうあん)』の居間にて、お詠(えい)と阿武(あんの)が集めた情報を語り合っている。
阿武:ふむ。それで、詠さま。『漉き屋(すきや)』はどうでした?
詠:あぁ、真っくろくろさね。
詠:左平次の奴は伊勢屋さんに取り入って、後(のち)の商いを自分のところに巻き上げる算段だよ。
詠:いまいましいねえ、全く。町の安らぎも、あたしの安らぎも奪われちまうじゃぁないか…。
阿武:はい。それについてはわたしも耳にしました。
阿武:左平次は伊勢屋さんに恩を着せ、いやと言えないようにしたとか…
阿武:商売敵の不幸を商機と見る卑しさに辟易(へきえき)しておりましたが…
詠:【ため息をついて】どうもそれどころじゃあなさそうだねぇ。久方ぶりに出張る(でばる)とするか。
詠:このままじゃ新五郎の旦那が堪忍袋の緒を切らしちまうよ…。
阿武:新五郎さまは、そこまで切羽詰まったお顔でしたか…
詠:そうだねぇ。新さんは、この町の無事を心から望んでいるからねえ。
詠:あのまま『漉き屋』に行かせていたら、今ごろ左平次はどうなっていたことやら…。
阿武:それは、危ないところでしたな…。
詠:それにね、阿武。そんなことになったら、新さんとっ捕まっちまうだろう。
詠:あたしはね、新さんに冷や飯を食らってほしかないんだよ。
阿武:詠さま、それは…
詠:ふふふ、何だい? 阿武(あんの)。あたしだってね、好みの色男を放っちゃおけないんだよ。
阿武:ふう…。詠さまに何かあったら、わたしは主上(おかみ)に顔向けができませんよ…。
詠:阿武ぉ、大袈裟だねぇ、昔から。
阿武:ごほん…。いいでしょう。次の朔(さく・新月のこと)の宵、『漉き屋』に忍びましょうか。
詠:すまないねぇ、阿武(あんの)。ここは一つあたしのために働いとくれ【笑顔】
:
新五郎:〈N〉新月の夜、うっすらと闇に浮かび上がる『漉き屋(すきや)』裏手の左平次邸。
新五郎:千両箱を金蔵(かねぐら)にしまい込んだ左平次が、自室で喜びに浸(ひた)っていた。
:
左平次:ふっはっは。蔵が金子(きんす)であふれかえるさまはいつ見てもいいもんだ。
左平次:世の中が馬鹿ばかりだと助かるねぇ。
左平次:伊勢屋の身代(しんだい)もその内いただくとしようじゃないか。
左平次:左馬、左馬ぁ。
左馬:ははっ、ここに。
左平次:おぉ、左馬。今宵は月が消えているからねぇ。不寝番(ねずのばん)を頼むよ。
左馬:かしこまった。番は、しかと務めまする。
左馬:ですが…旦那さま、一つよろしいでしょうか。
左平次:【上から目線で】何だい。
左馬:…娘は、娘はいつ返していただけましょうか。
左平次:【薄笑いで】そのことかい。… それはお前の働き次第だろうねぇ。
左馬:娘は…娘は元気にしておりましょうや…。
左平次:おぉ。元気も元気よ。心配ぇ(しんぺぇ)するねい。
左馬:…左様ですか。
左平次:まぁ、細かいことは気にしねえで、目の前の仕事に精進(しょうじん)するんだね。ふふふ。
左馬:くっ…。【息を抜いて】承知仕(つかまつ)った。
左平次:ふん。「仕(つかまつ)った」…?【小馬鹿にしながら】
左平次:いつまでも侍気分が抜けないようじゃ困るねぇ。
左平次:お前は既にこちら側の人間だ。それを忘れるんじゃぁねえぞ。
左平次:…それになぁ、娘の晴れ姿も見たいだろう?
左馬:えぇ、……せいぜい、励みましょう。
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新五郎:〈N〉梢(こずえ)から屋敷を見渡す影がある。
新五郎:それは忍び装束に身を包んだお詠(えい)と阿武(あんの)であった。
新五郎:二人は気配を消して邸内の様子を窺(うかが)っている。
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詠:…気になるのは「左馬」とかいう侍崩れだけだねぇ。あとは有象無象だろうさ。
詠:阿武(あんの)、「左馬」はあたしに任せて、さっさと左平次を殺(や)っとくれ。
詠:あたしゃ、あんな奴の顔を見るのも嫌だからね。【心底いやそうに】
阿武:そう致しましょう。詠女(えいじょ)さまには逆らえませぬ。
詠:その呼び名はおやめって言っただろう…?
詠:まあいいや。早く仕事を終えて、湯浴みでもしたいもんだよ。
詠:…では、そろそろ行こうかねぇ。
阿武:えぇ、そうですね。町のためにも、詠さまを安(やす)んずるためにも。
阿武:【雰囲気を変えて】おのれの所業(しょぎょう)、とくと省(かえり)みるがよい…
新五郎:〈N〉邸宅に忍び入る二人。影が速いか、二人が先か。
新五郎:奥の間の左平次の元へ向かう阿武(あんの)の姿は既に見えなくなっている。
新五郎:そして庭の片隅には金蔵(かねぐら)を見上げて毒づく、お詠がいた。
詠:この蔵に詰まっているのは汚い金ばっかりじゃないか。
詠:あぁ嫌だ嫌だ。あたしの安らぎを返しておくれよ。
左馬:【息をひそめて刀を抜く】お主、何者っ……!
詠:【応えず振り向きざまに斬りつける】ふっ!
左馬:ふんっ【刀を受ける】!
左馬:〈以下、M〉なんと、この太刀筋(たちすじ)……。こやつ、一筋縄ではいかぬな…!
詠:ふん、あたしの太刀(たち)を受け切るのかい。さてはあんたが「左馬」だね。
左馬:〈M〉女?? 拙者の名もすでに知られている…。ということは全てを承知の上でまかりこしたとみえる。
左馬:〈以下、セリフ〉それがしは…
詠:【割り込んで】あぁ、いらないね。名乗りなんて面倒だ。それだけの腕を持ちながら、悪党の用心棒を務めるなんざ、どうせ仔細(しさい)があるんだろう。
詠:でもね、あたしがここに来たからにゃ、斬るか斬られるか、それだけだ。
左馬:ふっ、確かに。【太刀を構えつつ、小太刀に手を掛ける】行くぞ。
新五郎:〈N〉挨拶がわりとばかりに、お詠と左馬は二合・三合と斬り結ぶ。どちらの剣も速く力強い筋を見せている。(合(ごう)とは、得物をぶつけ合うことを言います)
詠:〈M〉まぁそれなりにやるようだけどねぇ。道を外した剣に斬られてやる訳にはいかないねぇ…。
左馬:〈M〉この者は何者だ…。華奢な体つきからは想像もできない鋭さと速さを兼ね備えておるわ…。
左馬:ふっ。これが浮世の広さ、か。おりん…拙者に力を…。
左馬:〈以下、セリフ〉そこだっ!
新五郎:〈N〉短い気合いと共に左馬は太刀(たち)を投げつけた。その先に確かにお詠の姿をとらえて。ところが…。
詠:【難なく避けて】そんなものが当たるもんかね。よかったのかい? 太刀を投げ捨てちまってさぁ。
左馬:【小太刀を構え三段に突く】ふっ、はっ、ふっ。
新五郎:〈N〉太刀こそなくなったとは言え、小太刀を繰り出す左馬の動きは先ほどよりも勢いを増している。そして、お詠の動きを読んだかのように間合いを詰め、その腕をつかみにかかったのである。
左馬:よし、掴(つか)んだ。おちろぉぉぉぉぉ!
新五郎:〈N〉号砲一喝(いっかつ)、左馬が必殺の投げを打つ!
詠:なかなか鋭い攻めだけどねぇ…よっと。
新五郎:〈N〉左馬の技の冴もさることながら、こちらは「竜胆」のお詠である。左馬の気迫も柳に風と受け流し、体を跳ね上げて左馬の背後に着地した。新月の闇の中、技の応酬が続いている。
詠:その小太刀に戦(いくさ)投げ…あんた中条流(ちゅうじょうりゅう)の心得でもあるのかい?
詠:場末の用心棒にしとくにゃもったいないねぇ。
左馬:あれを跳んで躱(かわ)すか…。いかにも。
左馬:ただ、それがしは師の教えを穢(けが)した身…。流派は許されよ…
詠:……あんた侍崩れってほんとだったんだねぇ。惜しいもんだ。ただね、それじゃどうしたってあたしにゃ勝てないだろうよ。
左馬:…そうかもしれぬ。しかし、拙者には負けられない訳があるのだっ!
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詠:いいよ、その苦界(くがい)、あたしが終わらせてやろうじゃないか。【詠もまた距離を詰め始める】
新五郎:〈N〉息が止まるかのような緊迫した空気の中、二人は互いに間(ま)を詰め始めた。
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左馬:そこだぁぁぁぁぁぁ!
詠:【左馬の攻撃を避けながら】あんたの言う、「訳」ってやつぁ知らないがねぇ。
左馬:せいっ! はっ!
詠:【左馬の攻撃を避けながら】世を乱す輩(やから)に負けてやるわけにゃあいかないんでね。
新五郎:〈N〉左馬の剣筋のするどさもさすがである。ただ、お詠の方が一枚も二枚も上手(うわて)のようだ。
新五郎:寸でのところで左馬の攻撃をかわしながらも涼しい顔を崩さない。
詠:……時にあんた、「継火(つぎび)」のことも何か知ってんだろう?
左馬:そこまで知っているのか…。そうとも。
左馬:しかも火付けをしたのはそれがしだ。伊勢屋にも他の大店(おおだな)にもな…
詠:ふぅ…生きづらい男だよ…。
詠:もう分かっただろう? やっぱりあんたはあたしにゃ勝てっこないよ。
新五郎:〈N〉飯綱(いづな)もかくや。目にも留まらぬ素速さで踏み込むお詠。
詠:はっ!
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新五郎:〈N〉そのころ奥の間では、何も知らない左平次がほくほく顔で財貨を数えていた。天井の梁(はり)からは、阿武の醒めた目がそれを見下ろしている。
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左平次:いいねぇ黄金(こがね)の輝きは…。
左平次:おのれで火勢を増し、屋敷の建て直しで紙を売る…。ボロい商売だねぇ。
阿武:〈M〉はぁ…。これまで数多(あまた)の屑(くず)どもを見てきたが…
左平次:手下(てか)の材木屋も儲かってしょうがねぇ…左団扇(ひだりうちわ)たぁこのことよ。
阿武:〈M〉虫唾(むしず)が走るとは、今この気持ちを言うのだろうな…
左平次:あとは、と。伊勢屋の身代(しんだい)はいつ頃いただくとするかねぇ。
阿武:〈M〉この輩(やから)にも浮世からご退場願うとするか…
阿武:【天井からスッと姿を現す】〈以下、セリフ〉おい、黄金虫(こがねむし)…
左平次:ん? お、お前は…?
左平次:左馬、左馬ぁぁあぁあ!! だれぞ、だれぞ出合ええ!
阿武:左馬とやらはここには居らぬ。
左平次:誰か! 誰かおらぬかぁぁあ!
阿武:わたしはね、姫さまの安らぎを邪魔するものが許せなくてね。
阿武:お前に生きてもらっていては困るのだよ。
左平次:ぐっ…。そ、そうだ、金(かね)をやろう。ここにあるだけ持っていっていい。どうだ?
左平次:…た、足りぬか? に、庭に蔵がある、そこにも金が詰まっている。わたしを見逃すなら、好きにしていい。
阿武:…ふん。くだらん。
左平次:あ、あ、あの役立たずの代わりに雇おう。月にひゃ、百両でどうだ? な、な、な?
阿武:言いたいことはそれだけか? それではわたしの好きにさせてもらう。
阿武:【気合も入れずに刃を一閃】
左平次:うガァぁぁぁぁぁぁ…
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新五郎:〈N〉先ほどまでの静かな熱も冷め、落ち着きを取り戻した庭では、胸元を突かれた左馬の側(そば)にお詠がたたずんでいた。
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詠:【左平次の声を聞いて】ん? あちらも終わったか…
詠:お前さん、雇われの年季は明けたよ。何か言い残すことはないかい?
左馬:其処元(そこもと)の最後の切先(きっさき)、それがしには見えなんだ…
左馬:ようやっと迎えが来るか、閻魔(えんま)の迎えが…
詠:あぁ…。
左馬:旦那に娘を攫(さら)われていてね…ぐっ…
左馬:解(と)いてもらうには仕事を続けるしかなかったのだよ…
詠:…そうなのかい。
左馬:ぬぅっ【姿勢を正し、平伏する】拙者のように身を堕としたものが願えることではないかも知れぬが… どうか、娘の、りんの命は、命だけは…グゥぅ
詠:あたしが年端も行かぬ娘を黄泉(よみ)に送るわけがないだろう。
詠:……あんたの娘はあたしが預かる。だから安心して川を渡りな。
左馬:【涙を浮かべ】恩に…き、る…【事きれる】
阿武:詠(えい)さま、詠さまぁ。屋敷の隠し部屋に娘御が…
詠:あぁ、その娘(こ)がりん、左馬の娘だね。うちに連れて帰ろう。
詠:阿武(あんの)、こっちに連れて来ちゃいけないよ。
阿武:はっ、そのように取り計らいましょう。
詠:…不憫(ふびん)だねぇ。
詠:悲しきものに寄り添うのがあたしらの常(つね)とは言え、やっぱりやりきれるもんじゃぁないよ…。
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阿武:〈N〉殺伐とした一夜から早くも十日が経ったころ、穏やかな朝日に包まれた『竜胆庵(りんどうあん)』を新五郎が訪れてきた。
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詠:おや、新さん、いらっしゃい。お早いお越しだねぇ。
新五郎:お詠さん…「ね組」の左平次が誰かに斬られたんだと。
新五郎:文箱(ふばこ)から出てきた色々で『漉き屋(すきや)』も取り潰しに…。
詠:あぁ、それねぇ。新さんの値踏み通りだったって事だねぇ。
新五郎:お詠さん、ほんとに何と礼を言やぁいいか…。
詠:ふふふ。こちとら「頼まれた身」だからねぇ。ちょいとその筋にね…
詠:まぁ、何にせよ、よかったじゃないか。それで「ね組」はどうすんだい?
新五郎:それがよ、俺に引き継げってよ。
新五郎:冗談じゃねえや、合わせて二百からの衆の面倒を見るなんて、なぁ…。
詠:ふふふ。新さんなら、きっと大丈夫さね。
新五郎:そ、そうかい? お詠さんがそう言うなら、いっちょやってみるか。
詠:さぁさ、笑った笑った! 新さんのいい顔にみんなついていくんだからさ。
詠:そうだ、うちに新しく働き手が入るからね。今後ともよろしくお願いしますよ。
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左馬:〈N〉表通りに面した『竜胆庵(りんどうあん)』の店先では、髪を桃割れに結(ゆ)い上げたおりんが阿武(あんの)の後を追っている。
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阿武:ようこそおいでになりました。今日は何がご入用で…へぇ。かしこまりました。これなどどうでございましょう。へぇ、へぇ、おありがとうございます。これからもどうぞご贔屓(ひいき)に。
阿武:さて、おりんさん、よく見て仕事を覚えてくださいよ。父上も空の上から見ていなさいますからね…。
左馬:〈N〉堕ちた親の穢れを清めるようにお天道(てんと)さまが輝いている。陽に照らされた『竜胆庵』。どうか「おりん」の行く末に幸多からんことを…
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0:「的之壱」これにて終演でございます。 この話を選んでくださりありがとうございました!
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