台本概要

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タイトル 雨雲の出処
作者名 不尽子(つきぬこ)  (@tsukinuko)
ジャンル ファンタジー
演者人数 1人用台本(不問1)
時間 20 分
台本使用規定 台本説明欄参照
説明 前作「日照る雨」の前日譚です。前作を読まなくても問題ありません。
ご使用の際は観に行きたいのでご一報いただけると嬉しいです。(強制ではありません。)
アドリブや言い回し等の変更は自由にしていただいて大丈夫です。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
語り手 不問 2 役名の通り
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
語り手: 父の治めていた故郷は一時(いっとき)、酷い干魃(かんばつ)に見舞われていた。 語り手:雨乞いの儀も虚(むな)しく、名ばかりの地と嗤われるばかり。 語り手:そしてついに父から領地を潤わす為、雨が続いている地へ調査するよう命じられた。 語り手: 向かった先で地を打ち付ける雨を目の前にして、自身もすっかり潤った気分になった。 語り手:一先ずこの土地神に挨拶をすべきと考え、向かった社はあまりに小さく、思わず目を丸くした。 語り手:しかしまだ新しい沢山の供物(くもつ)を目に、しっかりと祀られている事には違いなかった。 語り手: 語り手: ふと、何者かの気配を感じて振り返った。 語り手:そこには自分とあまり歳の変わらなさそうな雨笠を被った少年が、こちらを物珍しげに見ていた。 語り手:この辺りに住む子供であるらしく、この雨の中客人が此処まで来るとは思わなかったらしい。 語り手:名を問われたので正直に答えると、正にこの天のようだと少年は笑った。 語り手:子供にも名を訊いたが、小さく首を振るだけだった。 語り手:親の顔も知らないらしく、己の名を知らないようだった。 語り手:この恵まれた土地に出会った少年。我ながら安直とは思ったが、彼を恵雨(けいう)と呼ぶ事にした。 語り手:すると恵雨(けいう)は飛んで喜び礼をさせて欲しいと言われたので、この地で雨が続いている理由を尋ねた。 語り手:恵雨(けいう)は少し悩んだ顔をした後に、自分が呼んだのだと言い出した。 語り手:突拍子も無い発言に呆然としている内に恵雨(けいう)は社へ向かい、戻ってきた際にもう此処に用は無いと言った。 語り手:ならば父の治める土地に雨を呼びたいと頼み込むと、名が体(てい)を表さない事もあるのかとからかわれた。 語り手: どういう訳かは知らないが、恐らく恵雨(けいう)は巫(かんなぎ)か天の使いの類の者なのだろう。 語り手:ともあれ承諾をもらったため、早速恵雨(けいう)を連れて帰郷する事にした。 語り手:その道中、恵雨(けいう)は自分からあの地に留まっていた理由を話し出した。 語り手:昨今その土地に住む者達が、神への感謝を忘れて供物(くもつ)を怠けたため、鉄槌を下す為に神が恵雨(けいう)を呼んだらしい。 語り手:俄(にわ)かには信じがたい話だが、一月は続いているらしいこの雨と、新しく供えられていた供物(くもつ)達から、恵雨(けいう)の話に嘘は無いと思えた。 語り手: 語り手: それから故郷に着くまで、雨はまるでついて来るかのように降り続いた。 語り手:見張りをしていた従者達が慌てて駆け寄って来て、雨が来た喜びを噛み締めていたが、その時には既に恵雨(けいう)は姿を消していた。 語り手:その後父に呼ばれ、事の経緯を訊かれたが、どう答えていいか分からず、戻った時に偶々(たまたま)雨が降っていたと言うしかなかった。 語り手: ふと土地神の話を思い出したが、信心深い父が供物(くもつ)を怠ったという話は聞いた事が無い。 語り手:話が終わったら、この地に建てられた社を訪れてみようと思い立った。 語り手:案の定、恵雨(けいう)はそこに居た。最初に会った時の様に、きょとんと目を丸くしながらこちらを見ていた。 語り手:何故急に姿を消したのか、そう問うと恵雨(けいう)はやれやれと言いたげに溜息を吐いた。 語り手:土地神と言葉を交わし、雨を自在に呼べる存在など怪しまれるに決まっている。 語り手:そう言われてから気付いた。どうやら恵雨(けいう)は、自身を不審な輩だと自覚していたようだ。 語り手:しかし、どうにも恵雨(けいう)が邪悪な者であるようには見えなかった。 語り手:ただ不思議な力を持っていたが為に、今の様な肩身の狭い思いをして生きているのかと思えば、同情の念すら湧いた。 語り手:恵雨(けいう)が望むならまた此処へ寄る。そして安心して寝食出来る場を必ず用意する。 語り手:そう言うと恵雨(けいう)はまた一瞬だけ驚いた様な顔をして、何処か哀しげな笑みを見せた。 語り手:そしてその申し出を断り、代わりにこの社を建て替えるように言った。 語り手: 恵雨(けいう)が聞いた此処の土地神曰く、社が古く傷(いた)み始めているが、父がそれに気付かずにいたために日照りを起こしたのだと言う。 語り手:このまま放っておけば、先の土地と同様に恵雨(けいう)はこの場を離れられないらしい。 語り手:何故離れる必要があるのか分からなかったが、恵雨(けいう)が困るというのであれば、父に社の建て替えを進言すべきなのだろうと思い承知した。 語り手:父は雨が上がれば建て替えを行うと言ったが、数日経てども空は一向に泣き止まなかった。 語り手: 語り手: やむなく社の建て替えが強行され、雨の中大工達がせっせと木材を運んでいた。 語り手:恵雨(けいう)は社には居なかった。誰の目にも触れたくなかったのだろう。 語り手:探すにも土は酷くぬかるんで、あまり遠くへは歩けない。 語り手:後ろ髪を引かれる思いで屋敷へ戻り、外の雨をぼんやりと眺めながら自室へ向かうと、そこに探していた人影がちょこんと座っていた。 語り手:思わず声を上げそうになり、恵雨(けいう)がしぃと人差し指を立てた。 語り手:社の建て替えが終わるまでの間、匿って欲しいとの事だった。 語り手:怪しい者が社の周りをうろついていると噂になれば、これ以上に恵雨(けいう)の肩身は狭くなる。 語り手:仕方無く了承し、厨房から握り飯を持ち出しては恵雨(けいう)に与えるようにした。 語り手: 語り手: また数日が経ち、社のある山が雨による地滑りを起こした。 語り手:何人もの大工が生き埋めにされ、父は頭を抱えていた。 語り手:何故このような事になった。社を建て替えれば神は怒りを鎮めるのでは無かったのか。 語り手:込み上げる怒りのままに恵雨(けいう)に問い詰めると、彼は困った顔で俯きながらぼそぼそと話した。 語り手:恵雨(けいう)が言うにはあの地滑りは、神の怒りによるものではなくくしゃみのようなものであるらしい。 語り手:神は不満を抱いている訳ではない。どうか建て替えを諦めないで欲しいと、恵雨(けいう)はそう言うのだった。 語り手:その時、襖(ふすま)が勢い良く開いたと思えば、父が鬼の形相でこちらを見下ろしていた。 語り手:先程の話し声を聞いた女中達が、不審がって父に告げ口をしたようだった。 語り手:父は従者達を呼び集めると、真っ先に逃げようとした恵雨(けいう)を引っ捕えてしまった。 語り手:訳が分からないまま父に殴られ、事の経緯を事細かに問い詰められた。 語り手:そしてこの地に連れて来た恵雨(けいう)は、巫(かんなぎ)や天の使いなどではなく、雨降小僧(あめふりこぞう)という周囲に雨をもたらし続ける妖怪なのだと教えられた。 語り手:妖怪は人間と相反する存在で、人間を恐怖に貶(おとし)める者達であるとも言われた。 語り手:信じられなかった。呼び名をつけただけで飛んで喜んだ恵雨(けいう)が、故郷の為に土地神と話をしてまで来てくれた恵雨(けいう)が、人間に仇成す存在であるなどと。 語り手: 捕らえられた恵雨(けいう)は諦めたような顔をして、大人しくしていた。 語り手:しかし父がこちらを向いて恵雨(けいう)を斬り捨てるように命じると、血色を変えて強く非難した。 語り手:卑怯者。子供の手を血で汚す気か。お前達の刀は何の為にある。 語り手:命乞いをしていると言うよりは、自分に斬られる事を嫌がっているように見えた。 語り手:自分としても、恵雨(けいう)を殺したいとはつゆほども思わなかった。 語り手:表情で父に訴えかけたが、連れて来た者の責任だと突き放された。 語り手: 雨降小僧(あめふりこぞう)が此処に居続ければ雨は上がらないまま、地滑りだけでは済まないと従者が言った。 語り手:作物は腐り疫病が流行り、この土地の者達全てを死に至らしめるとまで言われ、刀を握らざるを得なくなってしまった。 語り手:恵雨(けいう)は説得しようと必死だった。大人に任せればいい。こんな事をする必要は無い。子の責任は親が取るべきだ。 語り手:そんな事を繰り返していたが、とてもそんな事が出来る状況ではなかった。 語り手:すまない。許せ。小さく何度もそう言って、恵雨(けいう)の前に立ち、居合い一つ、恵雨けいうの首を刎ねた。 語り手: 恐怖と罪悪が、どっと胸に押し寄せて息が詰まった。泣かぬよう育てられてきた目でさえ、涙が溢れ出そうになった。 語り手:恐る恐る、ゆっくりと落ちた首の方を見る。 語り手:恵雨(けいう)は悲哀に満ちた顔で固まっていた。せめてその目を閉ざしてやろうと近付いたその時、恵雨(けいう)の目がぎょろりとこちらを向いた。 語り手: 語り手:「お前さんを、呪いたかなかったのになぁ」 語り手: 語り手: ぞわりと悪寒が背筋を走り抜け、目の奥の涙がさっと引いた。 語り手:それと同時に恵雨(けいう)の首と胴体は溶けて水となり、地面を流れていった。 語り手:周囲の従者達は一瞬だけ歓喜の表情を見せたが、すぐにまた絶望に塗り替えられた。 語り手:空はまだ、泣き続けていた。 語り手: 語り手: 作物が腐り、疫病が流行り始めた。 語り手:父も母も病いに伏し従者達も何人か死んでいったが、自分だけは平気だった。 語り手:両親が息を引き取った時でさえ、涙が溢れる事はなかった。 語り手:原因は何となく分かっていた。分かっていて尚、両親が死ぬその時まで故郷を離れられなかった。 語り手: その晩、夢で恵雨(けいう)に会った。酷く悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をしていた。 語り手:本当は恨み言の一つでも言ってやるつもりだったが、そんな恵雨(けいう)の顔を見ると、お前は悪くないとしか言えなかった。 語り手: 語り手:「お前さんだって悪くない。悪いのはいつだって間(ま)さ」 語り手: 語り手:声が震えていたが、恵雨(けいう)の目からも涙は出ないようだった。 語り手: これから恵雨(けいう)と同じ人生を歩む事になるのだろう。 語り手:地方を転々とし、雨を煙たがる者が出る前に去る。そんな生き方をするしか無いのだ。 語り手:しかし、そう言うと恵雨(けいう)は首を横に振った。そして怒ったような顔をこちらに向けて、泣き叫ぶような声を張り上げた。 語り手: 語り手:「お前さんは人間だ。妖怪じゃない!不本意だが、おいらじゃ呪いは解いてやれない。でも、方法はある!」 語り手: 語り手:その言葉を聞いて思わず顔を上げたが、父も母ももう居ない。友人もこの手で殺してしまった。 語り手:呪いが解けたところで、今の自分に何が残るだろうか。 語り手:そんな思いが過(よぎ)り聞かないようにしたが、それを諭すように恵雨(けいう)は続けた。 語り手: 語り手:「大切なものなんて、また作れば良い。それがお前さんの涙を蘇らせてくれる。その時お前さんは、雨から解放されるんだ」 語り手: 語り手:簡単に言い切った恵雨(けいう)に少し苛立ちを覚えたが、それを言葉にする前に目が覚めた。 語り手: 相変わらずの雨。恐らく生涯、晴天を見る事は無いのだろう。 語り手:旅支度を済ませ、腐敗した故郷を去った。 語り手:なるべく枯れた土地へ向かおうと、雲の無い場所を目指して。

語り手: 父の治めていた故郷は一時(いっとき)、酷い干魃(かんばつ)に見舞われていた。 語り手:雨乞いの儀も虚(むな)しく、名ばかりの地と嗤われるばかり。 語り手:そしてついに父から領地を潤わす為、雨が続いている地へ調査するよう命じられた。 語り手: 向かった先で地を打ち付ける雨を目の前にして、自身もすっかり潤った気分になった。 語り手:一先ずこの土地神に挨拶をすべきと考え、向かった社はあまりに小さく、思わず目を丸くした。 語り手:しかしまだ新しい沢山の供物(くもつ)を目に、しっかりと祀られている事には違いなかった。 語り手: 語り手: ふと、何者かの気配を感じて振り返った。 語り手:そこには自分とあまり歳の変わらなさそうな雨笠を被った少年が、こちらを物珍しげに見ていた。 語り手:この辺りに住む子供であるらしく、この雨の中客人が此処まで来るとは思わなかったらしい。 語り手:名を問われたので正直に答えると、正にこの天のようだと少年は笑った。 語り手:子供にも名を訊いたが、小さく首を振るだけだった。 語り手:親の顔も知らないらしく、己の名を知らないようだった。 語り手:この恵まれた土地に出会った少年。我ながら安直とは思ったが、彼を恵雨(けいう)と呼ぶ事にした。 語り手:すると恵雨(けいう)は飛んで喜び礼をさせて欲しいと言われたので、この地で雨が続いている理由を尋ねた。 語り手:恵雨(けいう)は少し悩んだ顔をした後に、自分が呼んだのだと言い出した。 語り手:突拍子も無い発言に呆然としている内に恵雨(けいう)は社へ向かい、戻ってきた際にもう此処に用は無いと言った。 語り手:ならば父の治める土地に雨を呼びたいと頼み込むと、名が体(てい)を表さない事もあるのかとからかわれた。 語り手: どういう訳かは知らないが、恐らく恵雨(けいう)は巫(かんなぎ)か天の使いの類の者なのだろう。 語り手:ともあれ承諾をもらったため、早速恵雨(けいう)を連れて帰郷する事にした。 語り手:その道中、恵雨(けいう)は自分からあの地に留まっていた理由を話し出した。 語り手:昨今その土地に住む者達が、神への感謝を忘れて供物(くもつ)を怠けたため、鉄槌を下す為に神が恵雨(けいう)を呼んだらしい。 語り手:俄(にわ)かには信じがたい話だが、一月は続いているらしいこの雨と、新しく供えられていた供物(くもつ)達から、恵雨(けいう)の話に嘘は無いと思えた。 語り手: 語り手: それから故郷に着くまで、雨はまるでついて来るかのように降り続いた。 語り手:見張りをしていた従者達が慌てて駆け寄って来て、雨が来た喜びを噛み締めていたが、その時には既に恵雨(けいう)は姿を消していた。 語り手:その後父に呼ばれ、事の経緯を訊かれたが、どう答えていいか分からず、戻った時に偶々(たまたま)雨が降っていたと言うしかなかった。 語り手: ふと土地神の話を思い出したが、信心深い父が供物(くもつ)を怠ったという話は聞いた事が無い。 語り手:話が終わったら、この地に建てられた社を訪れてみようと思い立った。 語り手:案の定、恵雨(けいう)はそこに居た。最初に会った時の様に、きょとんと目を丸くしながらこちらを見ていた。 語り手:何故急に姿を消したのか、そう問うと恵雨(けいう)はやれやれと言いたげに溜息を吐いた。 語り手:土地神と言葉を交わし、雨を自在に呼べる存在など怪しまれるに決まっている。 語り手:そう言われてから気付いた。どうやら恵雨(けいう)は、自身を不審な輩だと自覚していたようだ。 語り手:しかし、どうにも恵雨(けいう)が邪悪な者であるようには見えなかった。 語り手:ただ不思議な力を持っていたが為に、今の様な肩身の狭い思いをして生きているのかと思えば、同情の念すら湧いた。 語り手:恵雨(けいう)が望むならまた此処へ寄る。そして安心して寝食出来る場を必ず用意する。 語り手:そう言うと恵雨(けいう)はまた一瞬だけ驚いた様な顔をして、何処か哀しげな笑みを見せた。 語り手:そしてその申し出を断り、代わりにこの社を建て替えるように言った。 語り手: 恵雨(けいう)が聞いた此処の土地神曰く、社が古く傷(いた)み始めているが、父がそれに気付かずにいたために日照りを起こしたのだと言う。 語り手:このまま放っておけば、先の土地と同様に恵雨(けいう)はこの場を離れられないらしい。 語り手:何故離れる必要があるのか分からなかったが、恵雨(けいう)が困るというのであれば、父に社の建て替えを進言すべきなのだろうと思い承知した。 語り手:父は雨が上がれば建て替えを行うと言ったが、数日経てども空は一向に泣き止まなかった。 語り手: 語り手: やむなく社の建て替えが強行され、雨の中大工達がせっせと木材を運んでいた。 語り手:恵雨(けいう)は社には居なかった。誰の目にも触れたくなかったのだろう。 語り手:探すにも土は酷くぬかるんで、あまり遠くへは歩けない。 語り手:後ろ髪を引かれる思いで屋敷へ戻り、外の雨をぼんやりと眺めながら自室へ向かうと、そこに探していた人影がちょこんと座っていた。 語り手:思わず声を上げそうになり、恵雨(けいう)がしぃと人差し指を立てた。 語り手:社の建て替えが終わるまでの間、匿って欲しいとの事だった。 語り手:怪しい者が社の周りをうろついていると噂になれば、これ以上に恵雨(けいう)の肩身は狭くなる。 語り手:仕方無く了承し、厨房から握り飯を持ち出しては恵雨(けいう)に与えるようにした。 語り手: 語り手: また数日が経ち、社のある山が雨による地滑りを起こした。 語り手:何人もの大工が生き埋めにされ、父は頭を抱えていた。 語り手:何故このような事になった。社を建て替えれば神は怒りを鎮めるのでは無かったのか。 語り手:込み上げる怒りのままに恵雨(けいう)に問い詰めると、彼は困った顔で俯きながらぼそぼそと話した。 語り手:恵雨(けいう)が言うにはあの地滑りは、神の怒りによるものではなくくしゃみのようなものであるらしい。 語り手:神は不満を抱いている訳ではない。どうか建て替えを諦めないで欲しいと、恵雨(けいう)はそう言うのだった。 語り手:その時、襖(ふすま)が勢い良く開いたと思えば、父が鬼の形相でこちらを見下ろしていた。 語り手:先程の話し声を聞いた女中達が、不審がって父に告げ口をしたようだった。 語り手:父は従者達を呼び集めると、真っ先に逃げようとした恵雨(けいう)を引っ捕えてしまった。 語り手:訳が分からないまま父に殴られ、事の経緯を事細かに問い詰められた。 語り手:そしてこの地に連れて来た恵雨(けいう)は、巫(かんなぎ)や天の使いなどではなく、雨降小僧(あめふりこぞう)という周囲に雨をもたらし続ける妖怪なのだと教えられた。 語り手:妖怪は人間と相反する存在で、人間を恐怖に貶(おとし)める者達であるとも言われた。 語り手:信じられなかった。呼び名をつけただけで飛んで喜んだ恵雨(けいう)が、故郷の為に土地神と話をしてまで来てくれた恵雨(けいう)が、人間に仇成す存在であるなどと。 語り手: 捕らえられた恵雨(けいう)は諦めたような顔をして、大人しくしていた。 語り手:しかし父がこちらを向いて恵雨(けいう)を斬り捨てるように命じると、血色を変えて強く非難した。 語り手:卑怯者。子供の手を血で汚す気か。お前達の刀は何の為にある。 語り手:命乞いをしていると言うよりは、自分に斬られる事を嫌がっているように見えた。 語り手:自分としても、恵雨(けいう)を殺したいとはつゆほども思わなかった。 語り手:表情で父に訴えかけたが、連れて来た者の責任だと突き放された。 語り手: 雨降小僧(あめふりこぞう)が此処に居続ければ雨は上がらないまま、地滑りだけでは済まないと従者が言った。 語り手:作物は腐り疫病が流行り、この土地の者達全てを死に至らしめるとまで言われ、刀を握らざるを得なくなってしまった。 語り手:恵雨(けいう)は説得しようと必死だった。大人に任せればいい。こんな事をする必要は無い。子の責任は親が取るべきだ。 語り手:そんな事を繰り返していたが、とてもそんな事が出来る状況ではなかった。 語り手:すまない。許せ。小さく何度もそう言って、恵雨(けいう)の前に立ち、居合い一つ、恵雨けいうの首を刎ねた。 語り手: 恐怖と罪悪が、どっと胸に押し寄せて息が詰まった。泣かぬよう育てられてきた目でさえ、涙が溢れ出そうになった。 語り手:恐る恐る、ゆっくりと落ちた首の方を見る。 語り手:恵雨(けいう)は悲哀に満ちた顔で固まっていた。せめてその目を閉ざしてやろうと近付いたその時、恵雨(けいう)の目がぎょろりとこちらを向いた。 語り手: 語り手:「お前さんを、呪いたかなかったのになぁ」 語り手: 語り手: ぞわりと悪寒が背筋を走り抜け、目の奥の涙がさっと引いた。 語り手:それと同時に恵雨(けいう)の首と胴体は溶けて水となり、地面を流れていった。 語り手:周囲の従者達は一瞬だけ歓喜の表情を見せたが、すぐにまた絶望に塗り替えられた。 語り手:空はまだ、泣き続けていた。 語り手: 語り手: 作物が腐り、疫病が流行り始めた。 語り手:父も母も病いに伏し従者達も何人か死んでいったが、自分だけは平気だった。 語り手:両親が息を引き取った時でさえ、涙が溢れる事はなかった。 語り手:原因は何となく分かっていた。分かっていて尚、両親が死ぬその時まで故郷を離れられなかった。 語り手: その晩、夢で恵雨(けいう)に会った。酷く悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔をしていた。 語り手:本当は恨み言の一つでも言ってやるつもりだったが、そんな恵雨(けいう)の顔を見ると、お前は悪くないとしか言えなかった。 語り手: 語り手:「お前さんだって悪くない。悪いのはいつだって間(ま)さ」 語り手: 語り手:声が震えていたが、恵雨(けいう)の目からも涙は出ないようだった。 語り手: これから恵雨(けいう)と同じ人生を歩む事になるのだろう。 語り手:地方を転々とし、雨を煙たがる者が出る前に去る。そんな生き方をするしか無いのだ。 語り手:しかし、そう言うと恵雨(けいう)は首を横に振った。そして怒ったような顔をこちらに向けて、泣き叫ぶような声を張り上げた。 語り手: 語り手:「お前さんは人間だ。妖怪じゃない!不本意だが、おいらじゃ呪いは解いてやれない。でも、方法はある!」 語り手: 語り手:その言葉を聞いて思わず顔を上げたが、父も母ももう居ない。友人もこの手で殺してしまった。 語り手:呪いが解けたところで、今の自分に何が残るだろうか。 語り手:そんな思いが過(よぎ)り聞かないようにしたが、それを諭すように恵雨(けいう)は続けた。 語り手: 語り手:「大切なものなんて、また作れば良い。それがお前さんの涙を蘇らせてくれる。その時お前さんは、雨から解放されるんだ」 語り手: 語り手:簡単に言い切った恵雨(けいう)に少し苛立ちを覚えたが、それを言葉にする前に目が覚めた。 語り手: 相変わらずの雨。恐らく生涯、晴天を見る事は無いのだろう。 語り手:旅支度を済ませ、腐敗した故郷を去った。 語り手:なるべく枯れた土地へ向かおうと、雲の無い場所を目指して。