台本概要

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タイトル 今宵も頁を紐解いて_No.01 太宰治「待つ」より
作者名 ラーク  (@atog_field)
ジャンル コメディ
演者人数 4人用台本(男2、女2)
時間 20 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 文学部生と古本屋の主人が出会うお話。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
ハリマ 82 ハリマ ユウイチ 二十歳。陽明館大学二年。男性。 一人称は「僕」。 自他ともに認める真面目な学生。よくも悪くもいい人。
イズモ 26 二十代。古本屋「夜見書堂」店主。女性。 一人称は「あたし」。 ハリマがある夜に出会った謎の女性。良くも悪くも不思議。
ヒュウガ 53 ヒュウガ カイ 二十一歳。陽明館大学二年。男性。 一人称は「俺」。 どこかチャラい印象を受けるがその実なかなかの優等生。良くも悪くも大学生。
スオウ 41 スオウ キキョウ 二十歳。陽明館大学二年。女性。 一人称は「私」。 元気印という言葉がこの上なくあてはまる女子大生。良くも悪くも騒がしい。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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ハリマ:(M)人を待っているのだ、と初めて出会ったとき彼女は言った。夜半だというのに河川敷のベンチに座って、月を背に読書をする彼女に、不審者と勘違いされないかなと半ば心配しながら、何をしているのかと声をかけた。そしたら、そんな言葉が返ってきたのだ。 ハリマ:誰を待っているんですか? こんな時間に。 イズモ:さあ、誰でしょうね。 ハリマ:わからないんですか? 誰を待っているのか。 イズモ:わからないとは言っていないわ。 ハリマ:ここ、河川敷ですよ。 イズモ:知ってる。 ハリマ:それに、今は夜中です。 イズモ:だから? ハリマ:だから、って……そりゃあ、その。 こんな時間に人を待っているなんて正気じゃない。 ハリマ:わかってるんじゃないですか。 そうね。……でも、待ってるの。 ハリマ:(M)正直、自分から声をかけた手前ではあるけれど、変な人に声をかけちゃったなあと、そのときは思った。そもそも、こんな時間にこんな場所で月明りを頼りに本を読んでいること自体、頭がおかしいとしか言いようがない。もっと本を読むのに適当な場所はあるし、適当な時間もある。少なくとも今、この場所でするようなことじゃない。 イズモ:あなた。 ハリマ:……はい? 今、私のこと変な人だって思ってるでしょ。 ハリマ:……はい。 イズモ:(苦笑しつつ)そりゃ、そう思われても仕方ないわね。こんな時間にこんな場所で本なんて読んでいて、何をしているのって聞かれて人を待っているなんて答えてるんだものね。 ハリマ:まあ、正直そうですね。その、こんな夜中に声をかけてくる男に警戒しているのならそれでもいいんですけど。もっといい言い訳はいくらでもあるわけですし。 イズモ:あなたの言う通り。でもね。 ハリマ:でも? イズモ:あたしが言っているのは、本当のことだから。 ハリマ:(M)彼女はそう言って、儚げに舞いおりる月光の下、妖艶に笑った。 0:日中。大学の講堂にて) ヒュウガ:どうしたハリマ。なんか眠そうだな。 ハリマ:ああ……ちょっとね。 ヒュウガ:ハリマにしては珍しいな。いつもしっかり講義を聞いてるという大学生にあるまじき振る舞いをしてるくせに。 ハリマ:何だよ、大学生にあるまじきって。大学生なんだから授業を聞くのは当たり前だろ。 ヒュウガ:ははっ、そんなくそ真面目に聞いてる奴なんてお前以外誰もいねえって。こないだ学科会の飲み会で近代文学史のヤマシロが言ってたよ。「この大学に勤め始めて二十年になりますが、あんなに熱心に授業を聞いてたのは後にも先にもハリマ君だけですね」って。 ハリマ:……マジ? ヒュウガ:文学史の授業をあそこまでちゃんと聞くのは病気なんじゃないかとも言ってた。 ハリマ:病気って……いや、自分の授業だろ。 ヒュウガ:ヤマシロも適当なことばっか言うからなあ。それはそうと、その病気を疑われるレベルでまじめなハリマ君が、今日に限ってなんでそんな眠そうなんだ? ハリマ:大したことじゃないよ。昨日寝るのが遅かったってだけ。 ヒュウガ:ほうほう。それはそれで珍しいな。いつも早寝早起きなのに。 ハリマ:いや、昨日バイト先の飲み会だったんだよ。んで、半ば無理やり二次会にまで参加させられて、さすがに三次会は断って帰って…… ヒュウガ:でも、だったら家に帰って寝たとしても、せいぜいテッペン超えるか超えないかくらいだろ? 今日、一限から講義だったんだっけ? ハリマ:そういうわけじゃなくて。その…… ヒュウガ:んじゃ、どういうわけなんだ? ハリマ:…… ヒュウガ:あーいや、話したくないってんなら別にいいけど。 ハリマ:いや、話したくないわけじゃなくて。なんて説明すればいいか……その、変な女の人に遭遇したんだ。 ヒュウガ:変な女の人? ハリマ:そう。変な女の人。 ヒュウガ:何じゃそりゃ。飲み会で相当酔ってて幻覚でも見たんじゃないか? ハリマ:そんなわけないだろ。元々お酒あんまり飲まないし。あれは間違いなく、実在する女性だったよ。 ヒュウガ:わかった、とりあえず実在すると仮定して、聞こう。どう変だったんだ? ハリマ:仮定して、って…… ヒュウガ:何事も、まず仮定を行ったうえで検証するのは大事だからな。 ハリマ:何だよそれ……えーと、真夜中に河川敷のベンチに座って…… ヒュウガ:河川敷って、志摩川か? あの辺ベンチなんかあるところあったっけ? ハリマ:ほら、野球場のあたりから川沿いの遊歩道を進んだところに、高台があるだろ? あそこ、いくつかベンチが置かれてるんだ。 ヒュウガ:へえー。よし、続けろ。 ハリマ:……。ベンチに座って読書をしてたんだ。月明りを頼りに。 ヒュウガ:いやまあ、眠れない夜に読書をするくらい……え、月明り? ハリマ:そう。あのあたり河川敷の遊歩道には街頭ほとんどないからね。橋のほうにはあるけど。 ヒュウガ:確かに少し変わってるな。 ハリマ:それも変わってたんだけど。気になって話しかけてみたんだ。「何をしているんですか?」って。 ヒュウガ:お、お前? 話しかけたのか!? その女性に? ハリマ:うん、つい…… ヒュウガ:俺、お前がそんなに大胆な奴だと思わなかったよ。 ハリマ:僕だってまさか自分がそんなことするなんて思わなかったよ。でも、あのときはまあ少しは酔ってたし、思わず声をかけたくなるくらい……その…… ヒュウガ:思わず声をかけたくなるくらい、なんだ? ハリマ:不思議な雰囲気だったんだよ。 ヒュウガ:……オーウ……続けたまえ。 ハリマ:「何をしているんですか」って声掛けたら、「人を待っているんだ」って。それで、誰を待っているのか聞いても教えてくれなかったんだ。 ヒュウガ:ふうん。それで。 ハリマ:それだけ。 ヒュウガ:えっ。それだけ? ハリマ:うん、それだけ。 ヒュウガ:ほかに何か話さなかったのか。さらに深く掘るとか、別の話を振るとか。 ハリマ:深く掘っても教えてくれなさそうだったし。ほかに話すことなんてなかったから。 ヒュウガ:……お前。 ハリマ:ん? ヒュウガ:ほんっとうにウブなのな。 ハリマ:なっ……なんでそういうことになるんだ。 ヒュウガ:だってさ。夜分遅くに美人の女性が外で本を読んでいて、思わずそれに声をかけてしまって、適当にあしらわれて。それで何も返せずすごすごと帰ってきた、ってわけだろ? ハリマ:あれ、僕美人なんて言ったっけ? ヒュウガ:違うのか? 夜遅い時間に突然遭遇して、酔っていたとはいえ思わず声をかけてしまったくらいなんだから。てっきり美人なのかと思ったが。 ハリマ:……まあ、暗くてあんまりよく見えなかったけど、確かに美人……だったような気はする。 ヒュウガ:夜道で男に声をかけられて、逃げたりせず冷静に適当な返しをするくらいなんだから、そういうことには慣れてるんだろう。惚れたら大変な部類だなあそりゃ。 ハリマ:だ、誰も惚れたなんて。 スオウ:あーーーーーーいたいたいたいたいたいたいたいた! ヒュウガ:うっるせえな! なんだよスオウ! ちったあ静かにしろ! スオウ:ヒュウガぁ~~~~~! ……って、ハリハリも一緒だったんだ。やっほ。 ハリマ:相変わらず元気だね、スオウ。 ヒュウガ:元気かどうかは関係ない。こいついっつもうるさいからな。 スオウ:で! ヒュウガぁ~~~~! 助けてよぉ! ヒュウガ:ハリマいるの確認したうえで話続けようとするんじゃねえよ。今ハリマと大事な話してんの! スオウ:なんだとーーーー!! 私より大事な話なんてあんのかこんにゃろー!! ヒュウガ:(食い気味に)ある。むしろスオウより大事じゃない話のが珍しい。 スオウ:ひどくない!? ねえハリハリ、ヒュウガひどくない!? ハリマ:ひ、ひどいね…… ヒュウガ:そもそもハリマの大事な話をないがしろにしようとしたスオウが悪い。 スオウ:何何、私より大事なハリハリの話って何よぉ? ハリマ:いや、別に大事ってわけじゃ…… ヒュウガ:(遮るように)ハリマの初恋の話。 スオウ:えっ、何! ハリハリ初恋したの? ……大学生にもなって? ハリマ:違うって! ヒュウガっ! 変なこと言わないでくれよ! ヒュウガ:あながち間違ってないだろ? ハリマ:いや、間違いだから! スオウ:むむむう。ハリハリの初恋の話だったら確かに優先度高いなあ。 ハリマ:だから違うって!それよりスオウ、何かヒュウガに話があって来たんじゃないの? スオウ:そうなんだよー。ねえヒュウガ近代詩歌基礎演習取ってない!? ヒュウガ:取ってない。 スオウ:ハリハリは!? ハリマ:取ってない…… スオウ:何だとー!? つっかえねえなこんにゃろー! ヒュウガ:近代詩歌基礎演習がどうしたってんだよ。 スオウ:それが私取ってるんだけど! 近代詩歌基礎演習! ヒュウガ:それはどうでもいい。んで? スオウ:まったくドライだねーヒュウガ! 取ってるんだけど、教科書買い忘れちゃったの。 ヒュウガ:……そうか。それは残念だったな。 スオウ:で、取ってたら借りようかと思って! ヒュウガ:取ってたとして、同じコマだったらどうするつもりだったんだ……まあ、残念だったな。さっきの通り、俺もハリマも取ってないんだ。 スオウ:うううダメかぁ……どうしよー。 ハリマ:もう学内書店の教科書販売も締め切っちゃったんだ。もしかしたらまだ書店内に置いてあるかもよ? スオウ:それはもう確認済み! なかったんだよ~。 ハリマ:ああ、それは残念。 ヒュウガ:ネットで買ったらいいんじゃないか。 スオウ:初回講義明日午前だよ!? アマゾンでも無理! 間に合わない! ヒュウガ:初回講義くらいなくても何とかなるんじゃないか? スオウ:あの授業、講師イワシロなんだよ~。 ハリマ:あー、それはきっついねぇ。 ヒュウガ:んじゃ、最終手段だな。 ハリマ:最終手段? スオウ:えっ、何、ヒュウガが先輩を脅して使い古しぶんどってきてくれるとか!? ヒュウガ:んなこたしねえよ! でも、半分は合ってる。いや、四分の一くらいかな…… ハリマ:四分の一? 脅すのが先輩じゃなくて講師本人とか? ヒュウガ:変わるのそっちじゃねえよ。使い古しの部分。古本屋行けばあるかもしれんだろ。 ハリマ:古本屋……? なんて、あったっけ近くに。 ヒュウガ:あるんだなあそれが。「夜見書堂(よみしょどう)」っていうんだけど。 ハリマ:よみ……? なんかあんまり縁起のよさそうな響きじゃないね。本屋っぽいっちゃぽいけど。 スオウ:読みだろうが黄泉だろうが教科書買えればなんでもいいよ! さあさ、案内したまえ! ヒュウガ:住所教えるから、自分で行ってこいよ。俺この後バイトなの。 スオウ:そんな殺生な~~~~~! 私とバイトどっちが大事なのよぉおお!! ヒュウガ:バイト。 スオウ:ぐっ……私とあなたの関係って、その程度のものだったのね…… ヒュウガ:わかってくれたなら結構。んじゃ、住所送っとくぞ。 スオウ:……ハリハリぃ。 ハリマ:ん? スオウ:ハリハリは……来てくれるよねぇ? ハリマ:えっ……僕が? スオウ:ヒュウガに散々弄ばれて捨てられた私を……拾ってくれるよね……? ヒュウガ:おい、人聞きが悪いな。いつ弄んだ。 スオウ:今!! い! ま! ヒュウガ:弄んでない弄んでない。 スオウ:で、どうなの? ハリハリもこの後バイトだったりするの? ハリマ:いや、僕は違うけど…… スオウ:なら来てくれる、よね? ハリマ:……ヒュウガ? ヒュウガ:グッドラック。 0:夜見書堂前 ハリマ:ここ、みたいだね。 スオウ:へぇ~、なかなか感じのある建物だねえ。 ハリマ:古そうな建物の割にはきれいだね。なんか、古本屋っていうと入口の周辺にも所せましと本棚が置かれてるイメージだけど。 スオウ:見た目は少し古めな本屋……だねぇ。中は少し薄暗そうだけど。 ハリマ:入ってみる? スオウ:……お先にどうぞ。 ハリマ:スオウの教科書買いに来たんだよね? スオウ:そ、それはそうだけど、私ってほら人見知りだし? こういう初めてのところに踏み込む勇気ってなかなか持てないんだよね。 ハリマ:いつものスオウからはそんな印象一切感じないんだけどなあ。 スオウ:ほらほら、メンズファーストで! いいよ! ハリマ:はあ……ごめんくださーい……って、別に言わなくていいのか。(ドアを開ける) スオウ:(ひそひそ声の割には少し大きめな声で)中は結構埃くさいね。やっぱり、古本屋のにおいがする。 ハリマ:入って早々初めての本屋でそんなこと言えるのすごいと思うよ。……奥にお店の人、いないかな。 スオウ:お店の人かぁ……本探して、見つかったらお金だけ置いて出ていく、とか、ダメかな? ハリマ:野菜の無人販売じゃないんだから……(声を張って)すみませーん、どなたか…… イズモ:そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ。 ハリマ:あっ! すみませ……あれ? ハリマ:(M)昨夜の人、だった。奥のカウンターに腰かけて、長い黒髪の垂れる顔を少しだけ持ち上げて。その切れ長の目で、こちらを見ていた。 イズモ:初めての方、ね。 ハリマ:あ、はい。 スオウ:あっ、あのっ、陽明館大学の教科書、って、置いてません、か……? イズモ:あなたたち、陽大の学生さんね。教科書なら、右奥の棚に置いてあるわ。全部では、ないけれどね。 スオウ:あ、ありがとう、ございます…… ハリマ:(M)スオウが右奥の棚の方へ向かった後も、僕は足が石化されてしまったかのように、その場にじっと立っていた。昨日の女性――店員さんは、いったん手元のほうに視線を落とした後、じっと自分を見つめている僕のまなざしに気づいて、再びその顔を上げ、ほほ笑んだ。 イズモ:……あなた、昨日の夜の。 ハリマ:あっ……そうです。昨日は突然声をかけてしまって、すみませんでした。 イズモ:そうね。びっくりしたわ。……でも、面白かったけれど。 ハリマ:面白かった? イズモ:ええ。あんな場所で読書なんてしてる人に、わざわざ声をかけようとするもの好きなんて滅多にいないもの。それに、ちょっと変わった返事をしてみた時の反応も。 ハリマ:やっぱりあれ、冗談だったんですね。人を待ってる、っていうの。 イズモ:(間を空けて)……あなた、太宰治の「待つ」ってご存知? ハリマ:え……あ、知りません。 イズモ:そう。陽大の学生さんなら、一度読んでみるといいわよ。そんなに長い話でもないし。 ハリマ:すみません…… イズモ:ふふっ、別に責めているわけではないわ。気を悪くさせてしまったのならごめんなさい。 ハリマ:いえ、陽大生なのに全然文学作品が読めていないのは事実ですし。耳が痛い、っていうか。 イズモ:無理やり読ませられても何にもならないわ。読むのなら、その内容を、一片残さず喰らいつくし、自らの血肉にしようと思うくらいでないと。 ハリマ:面白い表現ですね、それ。 イズモ:あら、ありがと。 イズモ:……〝けれども私は、やつぱり誰かを待つてゐるのです。いつたい私は、毎日ここに坐つて、誰を待つているのでせう。どんな人を?〟 ハリマ:? なんですか? イズモ:昨日あなたに声をかけられたときに、この部分を読んでいたの。太宰治の「待つ」。一九四二年。太平洋戦争真っ只中に書かれた作品。 ハリマ:それで、貴女はあんな返答を……? イズモ:さあ、どうでしょう。ほら、あなたのお連れさん、目的の本が見つかったみたいよ。 ハリマ:えっ? ハリマ:(M)そう言われて振り返るも、そこにスオウの姿はなかった。けれど、それから間もなくして、本棚の向こうから、スオウが一冊の本を手にやってくるのが見えた。 スオウ:ハリハリ~~~~! 見つかったよぉ! よかったぁ、これでイワシロにどやされなくて済むよー! イズモ:お目当ての本、あったようで何よりね。 スオウ:ありがとうございます! これ、おいくらですか? イズモ:いいえ、お代は結構よ。 スオウ:え!? でも…… イズモ:初めてみたいだからサービス。っていうのは冗談で、あなたが本を取ってきた棚、実は過去の先輩方が後輩たちのために教科書を残していった棚なの。その棚から持ってきたのなら、お代はいらないわ。でも、よかったらこれからも時折このお店に来てね。 スオウ:はい! ありがとうございますぅ! ハリハリ! この店員さん優しいよ! ハリマ:あ、なんかすみません。えーっと…… イズモ:あたしはイズモっていうの。この店の店主をしてるわ。あなたも、よかったらまた来てね。 ハリマ:(M)教科書を片手に涙を流して喜ぶスオウに押されながら、その店を後にする。店の扉をくぐる直前か直後か、とにかくその一刹那に、背後から本を閉じる音と、彼女の声が、一言だけ聞こえたような気がした。 イズモ:〝わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたはいつか私を見掛ける――〟

ハリマ:(M)人を待っているのだ、と初めて出会ったとき彼女は言った。夜半だというのに河川敷のベンチに座って、月を背に読書をする彼女に、不審者と勘違いされないかなと半ば心配しながら、何をしているのかと声をかけた。そしたら、そんな言葉が返ってきたのだ。 ハリマ:誰を待っているんですか? こんな時間に。 イズモ:さあ、誰でしょうね。 ハリマ:わからないんですか? 誰を待っているのか。 イズモ:わからないとは言っていないわ。 ハリマ:ここ、河川敷ですよ。 イズモ:知ってる。 ハリマ:それに、今は夜中です。 イズモ:だから? ハリマ:だから、って……そりゃあ、その。 こんな時間に人を待っているなんて正気じゃない。 ハリマ:わかってるんじゃないですか。 そうね。……でも、待ってるの。 ハリマ:(M)正直、自分から声をかけた手前ではあるけれど、変な人に声をかけちゃったなあと、そのときは思った。そもそも、こんな時間にこんな場所で月明りを頼りに本を読んでいること自体、頭がおかしいとしか言いようがない。もっと本を読むのに適当な場所はあるし、適当な時間もある。少なくとも今、この場所でするようなことじゃない。 イズモ:あなた。 ハリマ:……はい? 今、私のこと変な人だって思ってるでしょ。 ハリマ:……はい。 イズモ:(苦笑しつつ)そりゃ、そう思われても仕方ないわね。こんな時間にこんな場所で本なんて読んでいて、何をしているのって聞かれて人を待っているなんて答えてるんだものね。 ハリマ:まあ、正直そうですね。その、こんな夜中に声をかけてくる男に警戒しているのならそれでもいいんですけど。もっといい言い訳はいくらでもあるわけですし。 イズモ:あなたの言う通り。でもね。 ハリマ:でも? イズモ:あたしが言っているのは、本当のことだから。 ハリマ:(M)彼女はそう言って、儚げに舞いおりる月光の下、妖艶に笑った。 0:日中。大学の講堂にて) ヒュウガ:どうしたハリマ。なんか眠そうだな。 ハリマ:ああ……ちょっとね。 ヒュウガ:ハリマにしては珍しいな。いつもしっかり講義を聞いてるという大学生にあるまじき振る舞いをしてるくせに。 ハリマ:何だよ、大学生にあるまじきって。大学生なんだから授業を聞くのは当たり前だろ。 ヒュウガ:ははっ、そんなくそ真面目に聞いてる奴なんてお前以外誰もいねえって。こないだ学科会の飲み会で近代文学史のヤマシロが言ってたよ。「この大学に勤め始めて二十年になりますが、あんなに熱心に授業を聞いてたのは後にも先にもハリマ君だけですね」って。 ハリマ:……マジ? ヒュウガ:文学史の授業をあそこまでちゃんと聞くのは病気なんじゃないかとも言ってた。 ハリマ:病気って……いや、自分の授業だろ。 ヒュウガ:ヤマシロも適当なことばっか言うからなあ。それはそうと、その病気を疑われるレベルでまじめなハリマ君が、今日に限ってなんでそんな眠そうなんだ? ハリマ:大したことじゃないよ。昨日寝るのが遅かったってだけ。 ヒュウガ:ほうほう。それはそれで珍しいな。いつも早寝早起きなのに。 ハリマ:いや、昨日バイト先の飲み会だったんだよ。んで、半ば無理やり二次会にまで参加させられて、さすがに三次会は断って帰って…… ヒュウガ:でも、だったら家に帰って寝たとしても、せいぜいテッペン超えるか超えないかくらいだろ? 今日、一限から講義だったんだっけ? ハリマ:そういうわけじゃなくて。その…… ヒュウガ:んじゃ、どういうわけなんだ? ハリマ:…… ヒュウガ:あーいや、話したくないってんなら別にいいけど。 ハリマ:いや、話したくないわけじゃなくて。なんて説明すればいいか……その、変な女の人に遭遇したんだ。 ヒュウガ:変な女の人? ハリマ:そう。変な女の人。 ヒュウガ:何じゃそりゃ。飲み会で相当酔ってて幻覚でも見たんじゃないか? ハリマ:そんなわけないだろ。元々お酒あんまり飲まないし。あれは間違いなく、実在する女性だったよ。 ヒュウガ:わかった、とりあえず実在すると仮定して、聞こう。どう変だったんだ? ハリマ:仮定して、って…… ヒュウガ:何事も、まず仮定を行ったうえで検証するのは大事だからな。 ハリマ:何だよそれ……えーと、真夜中に河川敷のベンチに座って…… ヒュウガ:河川敷って、志摩川か? あの辺ベンチなんかあるところあったっけ? ハリマ:ほら、野球場のあたりから川沿いの遊歩道を進んだところに、高台があるだろ? あそこ、いくつかベンチが置かれてるんだ。 ヒュウガ:へえー。よし、続けろ。 ハリマ:……。ベンチに座って読書をしてたんだ。月明りを頼りに。 ヒュウガ:いやまあ、眠れない夜に読書をするくらい……え、月明り? ハリマ:そう。あのあたり河川敷の遊歩道には街頭ほとんどないからね。橋のほうにはあるけど。 ヒュウガ:確かに少し変わってるな。 ハリマ:それも変わってたんだけど。気になって話しかけてみたんだ。「何をしているんですか?」って。 ヒュウガ:お、お前? 話しかけたのか!? その女性に? ハリマ:うん、つい…… ヒュウガ:俺、お前がそんなに大胆な奴だと思わなかったよ。 ハリマ:僕だってまさか自分がそんなことするなんて思わなかったよ。でも、あのときはまあ少しは酔ってたし、思わず声をかけたくなるくらい……その…… ヒュウガ:思わず声をかけたくなるくらい、なんだ? ハリマ:不思議な雰囲気だったんだよ。 ヒュウガ:……オーウ……続けたまえ。 ハリマ:「何をしているんですか」って声掛けたら、「人を待っているんだ」って。それで、誰を待っているのか聞いても教えてくれなかったんだ。 ヒュウガ:ふうん。それで。 ハリマ:それだけ。 ヒュウガ:えっ。それだけ? ハリマ:うん、それだけ。 ヒュウガ:ほかに何か話さなかったのか。さらに深く掘るとか、別の話を振るとか。 ハリマ:深く掘っても教えてくれなさそうだったし。ほかに話すことなんてなかったから。 ヒュウガ:……お前。 ハリマ:ん? ヒュウガ:ほんっとうにウブなのな。 ハリマ:なっ……なんでそういうことになるんだ。 ヒュウガ:だってさ。夜分遅くに美人の女性が外で本を読んでいて、思わずそれに声をかけてしまって、適当にあしらわれて。それで何も返せずすごすごと帰ってきた、ってわけだろ? ハリマ:あれ、僕美人なんて言ったっけ? ヒュウガ:違うのか? 夜遅い時間に突然遭遇して、酔っていたとはいえ思わず声をかけてしまったくらいなんだから。てっきり美人なのかと思ったが。 ハリマ:……まあ、暗くてあんまりよく見えなかったけど、確かに美人……だったような気はする。 ヒュウガ:夜道で男に声をかけられて、逃げたりせず冷静に適当な返しをするくらいなんだから、そういうことには慣れてるんだろう。惚れたら大変な部類だなあそりゃ。 ハリマ:だ、誰も惚れたなんて。 スオウ:あーーーーーーいたいたいたいたいたいたいたいた! ヒュウガ:うっるせえな! なんだよスオウ! ちったあ静かにしろ! スオウ:ヒュウガぁ~~~~~! ……って、ハリハリも一緒だったんだ。やっほ。 ハリマ:相変わらず元気だね、スオウ。 ヒュウガ:元気かどうかは関係ない。こいついっつもうるさいからな。 スオウ:で! ヒュウガぁ~~~~! 助けてよぉ! ヒュウガ:ハリマいるの確認したうえで話続けようとするんじゃねえよ。今ハリマと大事な話してんの! スオウ:なんだとーーーー!! 私より大事な話なんてあんのかこんにゃろー!! ヒュウガ:(食い気味に)ある。むしろスオウより大事じゃない話のが珍しい。 スオウ:ひどくない!? ねえハリハリ、ヒュウガひどくない!? ハリマ:ひ、ひどいね…… ヒュウガ:そもそもハリマの大事な話をないがしろにしようとしたスオウが悪い。 スオウ:何何、私より大事なハリハリの話って何よぉ? ハリマ:いや、別に大事ってわけじゃ…… ヒュウガ:(遮るように)ハリマの初恋の話。 スオウ:えっ、何! ハリハリ初恋したの? ……大学生にもなって? ハリマ:違うって! ヒュウガっ! 変なこと言わないでくれよ! ヒュウガ:あながち間違ってないだろ? ハリマ:いや、間違いだから! スオウ:むむむう。ハリハリの初恋の話だったら確かに優先度高いなあ。 ハリマ:だから違うって!それよりスオウ、何かヒュウガに話があって来たんじゃないの? スオウ:そうなんだよー。ねえヒュウガ近代詩歌基礎演習取ってない!? ヒュウガ:取ってない。 スオウ:ハリハリは!? ハリマ:取ってない…… スオウ:何だとー!? つっかえねえなこんにゃろー! ヒュウガ:近代詩歌基礎演習がどうしたってんだよ。 スオウ:それが私取ってるんだけど! 近代詩歌基礎演習! ヒュウガ:それはどうでもいい。んで? スオウ:まったくドライだねーヒュウガ! 取ってるんだけど、教科書買い忘れちゃったの。 ヒュウガ:……そうか。それは残念だったな。 スオウ:で、取ってたら借りようかと思って! ヒュウガ:取ってたとして、同じコマだったらどうするつもりだったんだ……まあ、残念だったな。さっきの通り、俺もハリマも取ってないんだ。 スオウ:うううダメかぁ……どうしよー。 ハリマ:もう学内書店の教科書販売も締め切っちゃったんだ。もしかしたらまだ書店内に置いてあるかもよ? スオウ:それはもう確認済み! なかったんだよ~。 ハリマ:ああ、それは残念。 ヒュウガ:ネットで買ったらいいんじゃないか。 スオウ:初回講義明日午前だよ!? アマゾンでも無理! 間に合わない! ヒュウガ:初回講義くらいなくても何とかなるんじゃないか? スオウ:あの授業、講師イワシロなんだよ~。 ハリマ:あー、それはきっついねぇ。 ヒュウガ:んじゃ、最終手段だな。 ハリマ:最終手段? スオウ:えっ、何、ヒュウガが先輩を脅して使い古しぶんどってきてくれるとか!? ヒュウガ:んなこたしねえよ! でも、半分は合ってる。いや、四分の一くらいかな…… ハリマ:四分の一? 脅すのが先輩じゃなくて講師本人とか? ヒュウガ:変わるのそっちじゃねえよ。使い古しの部分。古本屋行けばあるかもしれんだろ。 ハリマ:古本屋……? なんて、あったっけ近くに。 ヒュウガ:あるんだなあそれが。「夜見書堂(よみしょどう)」っていうんだけど。 ハリマ:よみ……? なんかあんまり縁起のよさそうな響きじゃないね。本屋っぽいっちゃぽいけど。 スオウ:読みだろうが黄泉だろうが教科書買えればなんでもいいよ! さあさ、案内したまえ! ヒュウガ:住所教えるから、自分で行ってこいよ。俺この後バイトなの。 スオウ:そんな殺生な~~~~~! 私とバイトどっちが大事なのよぉおお!! ヒュウガ:バイト。 スオウ:ぐっ……私とあなたの関係って、その程度のものだったのね…… ヒュウガ:わかってくれたなら結構。んじゃ、住所送っとくぞ。 スオウ:……ハリハリぃ。 ハリマ:ん? スオウ:ハリハリは……来てくれるよねぇ? ハリマ:えっ……僕が? スオウ:ヒュウガに散々弄ばれて捨てられた私を……拾ってくれるよね……? ヒュウガ:おい、人聞きが悪いな。いつ弄んだ。 スオウ:今!! い! ま! ヒュウガ:弄んでない弄んでない。 スオウ:で、どうなの? ハリハリもこの後バイトだったりするの? ハリマ:いや、僕は違うけど…… スオウ:なら来てくれる、よね? ハリマ:……ヒュウガ? ヒュウガ:グッドラック。 0:夜見書堂前 ハリマ:ここ、みたいだね。 スオウ:へぇ~、なかなか感じのある建物だねえ。 ハリマ:古そうな建物の割にはきれいだね。なんか、古本屋っていうと入口の周辺にも所せましと本棚が置かれてるイメージだけど。 スオウ:見た目は少し古めな本屋……だねぇ。中は少し薄暗そうだけど。 ハリマ:入ってみる? スオウ:……お先にどうぞ。 ハリマ:スオウの教科書買いに来たんだよね? スオウ:そ、それはそうだけど、私ってほら人見知りだし? こういう初めてのところに踏み込む勇気ってなかなか持てないんだよね。 ハリマ:いつものスオウからはそんな印象一切感じないんだけどなあ。 スオウ:ほらほら、メンズファーストで! いいよ! ハリマ:はあ……ごめんくださーい……って、別に言わなくていいのか。(ドアを開ける) スオウ:(ひそひそ声の割には少し大きめな声で)中は結構埃くさいね。やっぱり、古本屋のにおいがする。 ハリマ:入って早々初めての本屋でそんなこと言えるのすごいと思うよ。……奥にお店の人、いないかな。 スオウ:お店の人かぁ……本探して、見つかったらお金だけ置いて出ていく、とか、ダメかな? ハリマ:野菜の無人販売じゃないんだから……(声を張って)すみませーん、どなたか…… イズモ:そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ。 ハリマ:あっ! すみませ……あれ? ハリマ:(M)昨夜の人、だった。奥のカウンターに腰かけて、長い黒髪の垂れる顔を少しだけ持ち上げて。その切れ長の目で、こちらを見ていた。 イズモ:初めての方、ね。 ハリマ:あ、はい。 スオウ:あっ、あのっ、陽明館大学の教科書、って、置いてません、か……? イズモ:あなたたち、陽大の学生さんね。教科書なら、右奥の棚に置いてあるわ。全部では、ないけれどね。 スオウ:あ、ありがとう、ございます…… ハリマ:(M)スオウが右奥の棚の方へ向かった後も、僕は足が石化されてしまったかのように、その場にじっと立っていた。昨日の女性――店員さんは、いったん手元のほうに視線を落とした後、じっと自分を見つめている僕のまなざしに気づいて、再びその顔を上げ、ほほ笑んだ。 イズモ:……あなた、昨日の夜の。 ハリマ:あっ……そうです。昨日は突然声をかけてしまって、すみませんでした。 イズモ:そうね。びっくりしたわ。……でも、面白かったけれど。 ハリマ:面白かった? イズモ:ええ。あんな場所で読書なんてしてる人に、わざわざ声をかけようとするもの好きなんて滅多にいないもの。それに、ちょっと変わった返事をしてみた時の反応も。 ハリマ:やっぱりあれ、冗談だったんですね。人を待ってる、っていうの。 イズモ:(間を空けて)……あなた、太宰治の「待つ」ってご存知? ハリマ:え……あ、知りません。 イズモ:そう。陽大の学生さんなら、一度読んでみるといいわよ。そんなに長い話でもないし。 ハリマ:すみません…… イズモ:ふふっ、別に責めているわけではないわ。気を悪くさせてしまったのならごめんなさい。 ハリマ:いえ、陽大生なのに全然文学作品が読めていないのは事実ですし。耳が痛い、っていうか。 イズモ:無理やり読ませられても何にもならないわ。読むのなら、その内容を、一片残さず喰らいつくし、自らの血肉にしようと思うくらいでないと。 ハリマ:面白い表現ですね、それ。 イズモ:あら、ありがと。 イズモ:……〝けれども私は、やつぱり誰かを待つてゐるのです。いつたい私は、毎日ここに坐つて、誰を待つているのでせう。どんな人を?〟 ハリマ:? なんですか? イズモ:昨日あなたに声をかけられたときに、この部分を読んでいたの。太宰治の「待つ」。一九四二年。太平洋戦争真っ只中に書かれた作品。 ハリマ:それで、貴女はあんな返答を……? イズモ:さあ、どうでしょう。ほら、あなたのお連れさん、目的の本が見つかったみたいよ。 ハリマ:えっ? ハリマ:(M)そう言われて振り返るも、そこにスオウの姿はなかった。けれど、それから間もなくして、本棚の向こうから、スオウが一冊の本を手にやってくるのが見えた。 スオウ:ハリハリ~~~~! 見つかったよぉ! よかったぁ、これでイワシロにどやされなくて済むよー! イズモ:お目当ての本、あったようで何よりね。 スオウ:ありがとうございます! これ、おいくらですか? イズモ:いいえ、お代は結構よ。 スオウ:え!? でも…… イズモ:初めてみたいだからサービス。っていうのは冗談で、あなたが本を取ってきた棚、実は過去の先輩方が後輩たちのために教科書を残していった棚なの。その棚から持ってきたのなら、お代はいらないわ。でも、よかったらこれからも時折このお店に来てね。 スオウ:はい! ありがとうございますぅ! ハリハリ! この店員さん優しいよ! ハリマ:あ、なんかすみません。えーっと…… イズモ:あたしはイズモっていうの。この店の店主をしてるわ。あなたも、よかったらまた来てね。 ハリマ:(M)教科書を片手に涙を流して喜ぶスオウに押されながら、その店を後にする。店の扉をくぐる直前か直後か、とにかくその一刹那に、背後から本を閉じる音と、彼女の声が、一言だけ聞こえたような気がした。 イズモ:〝わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたはいつか私を見掛ける――〟