台本概要

 79 views 

タイトル 今宵も頁を紐解いて_No.04 梶井基次郎「愛撫」より
作者名 ラーク  (@atog_field)
ジャンル コメディ
演者人数 4人用台本(男2、女2)
時間 30 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 友人の家族関係に振り回される文学部生の話。

 79 views 

キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
ハリマ 99 ハリマ ユウイチ 二十歳。陽明館大学二年。男性。 一人称は「僕」。 好きな動物は犬。
ヒュウガ 99 ヒュウガ カイ 二十一歳。陽明館大学二年。男性。 一人称は「俺」。 好きな動物は猫。
イズモ 49 二十代。古本屋「夜見書堂」店主。女性。 一人称は「あたし」。 好きな動物は馬。
ミノ 31 ヒュウガ ミノ 十九歳。浪人生。女性。 一人称は「ミノ」。 好きな動物は鵺。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
ハリマ:今日もいい天気だねえ。 ヒュウガ:んー。そうだな。 ハリマ:こんな日は、図書館で読書でもしてたいねえ。 ヒュウガ:馬鹿かお前。こんなにいい天気なら外に遊びにでも出たほう……がっ。 ハリマ:何でさ。読書に集中するのって結構気候とか重要な気がするんだけど。 ヒュウガ:……。 ハリマ:じめじめしてたり暑かったりすると落ち着いて本に集中できないと思うけどなあ。やっぱり、こういうどちらでもない中間で、カラッと晴れてるときがさ、一番いいと思うんだよね。 ヒュウガ:……。 ハリマ:ん、ヒュウガ? どうしたの? ヒュウガ:ハリマ。 ハリマ:何? ヒュウガも読書環境の重要さわかってくれた? ヒュウガ:俺、山に籠ろうと思う。 ハリマ:……は? ヒュウガ:すまない。ってことでしばらく授業に出られない。俺の代わりに出席カード出してもらっていいか。 ハリマ:ちょっと待て、どうして突然そうなった? 確かに読書環境の重要性は説いたけど、だからって山に籠らなくたって―― ヒュウガ:読書環境なんてどうでもいい。 ハリマ:ひどっ! ヒュウガ:そんなことより重要な話なんだ。一刻を争う。 ハリマ:どゆこと? 文学部大学生にとって読書環境を上回る重要度の話なんてある? ヒュウガ:それはいくらでもあるだろ。サークルとか、バイトとか、合コンとか。 ハリマ:そんな陽キャ共通の楽しみ羅列しないで! ってか合コンのほうが上位に来るのショックなんだけど! ヒュウガ:とにかくだ。俺は急いで山に籠らなくちゃならん。 ハリマ:何で山? 出家でもする気になった? ヒュウガ:んなわけあるか。俺もできればこんなことしたかないんだがな。早くしないと追手が…… ハリマ:とりあえず、いったん落ち着こう。何があったのか説明してみてよ。ほら、深呼吸。ひっひっふー。 ヒュウガ:それは違うやつだろ。……そうだなあ。俺に妹がいるって話はしたっけ。 ハリマ:え、そうなの? 聞いてないと思うけど。 ヒュウガ:いるんだよ。何なら姉もいる。 ハリマ:へぇえ、ヒュウガってお姉さんと妹さんがいるんだ。いいなあ。僕一人っ子だからうらやましいよ。 ヒュウガ:やめたほうがいいぞ。お前が想像してるのは幻想にすぎない。兄弟なんていないに越したことはないからな。 ハリマ:兄弟いる人ってみんなそういうこと言うんだよね。でも、やっぱりいない側からするとうらやましいよ。 ヒュウガ:蓼食う虫も好き好きってやつか。 ハリマ:変わった虫扱いされた!? ヒュウガ:話を戻すぞ。んで、妹は今浪人生をしてるんだ。 ハリマ:浪人生かあ。ヒュウガも確か一浪してたよね。 ヒュウガ:そうだが……ただ、妹のほうは俺みたいな単純な話じゃないんだけどな。 ハリマ:どういうこと? 浪人に単純とか単純じゃないとかある? ヒュウガ:あっちは美大志望なんだよ。だから上京して、美大予備校? っての通ってるんだ。 ハリマ:美大……よく知らないけど、実技試験とかあるんだっけ。 ヒュウガ:らしいな。だからデッサンと彫刻漬けの生活らしい。俺の浪人と違って、いつ終わるかもわからんそうだ。 ハリマ:ヒュウガの浪人だって状況次第ではもっと続いてたかもしれないだろ。 ヒュウガ:いや、俺は二回目はさすがに行けるところに行くつもりだったからな……まあ、そんなことはどうでもいい。その妹が、こっちに帰省してくるんだとさ。 ハリマ:そうなんだ。でもいいことじゃない。久々に妹さんに会えるんだし。 ヒュウガ:だからお前は蓼食う虫なんだよ。 ハリマ:……蓼食う虫が僕専用の罵倒語になりつつある? ヒュウガ:しかも、今姉貴からメッセージが来て、妹が戻ってくる間俺も家に戻ってくるように、ってさ。 ハリマ:そういえばヒュウガって今一人暮らしだよね。地元民なのに。わざわざ実家出てるの? ヒュウガ:あんな家でこれ以上暮らすのはごめんだからな。しかも姉貴に加えて妹まで戻ってくるなんて。それくらいなら、もぐらになって地中で土を掻き分けながら暮らしたほうがずっとマシだ。 ハリマ:そんなに嫌なの? 短い期間くらいいいじゃんって思うけどなあ。 ヒュウガ:俺は蓼の魅力なんかわかりたいとも思わないからな。 ハリマ:勝手に僕が蓼を好きなことにするなよ。……そういや、蓼って何なんだろ。 ヒュウガ:知らん。……そうだ、そんなに言うなら協力してくれ。 ハリマ:協力って、なんの? ヒュウガ:俺が実家に戻らなくても、何なら姉貴や妹と顔を合わせなくても大丈夫な方法を考える協力だよ。作戦会議をしようぜ。 ハリマ:作戦って。やだよ。僕をヒュウガの家族の問題に巻き込まないでよ。 ヒュウガ:いいのか? お前がそうやってこの問題を他人事にして俺を送り出したが最後、俺は帰らぬ人となるかもしれない。そうするとお前は希少な友人を失うことになるんだぞ。 ハリマ:何だよそれ! 勝手に希少とかいうなよ。……間違っちゃいないけど。 ヒュウガ:だろう? きっと後味悪くなるだろうなあ。しかも、俺はお前が本を読んでて「蓼食う虫も好き好き」って言葉を見るたびに化けて出てやるからな。 ハリマ:微妙な頻度で出てくるのやめて! 忘れたころにやってきそう。 ヒュウガ:お前は友人を失うばかりか、好きな諺を見ることすらろくにできなくなるわけだ。本当にいいのか? ハリマ:蓼食う虫も好き好きは別に好きなわけじゃないから! ……はあ、わかったよ。 ヒュウガ:そうこなくっちゃ。んじゃ、作戦会議だ。 ハリマ:ヒュウガ、何か楽しんでない? ヒュウガ:そんなわけあるかよ。こちとら命がかかってんだぜ。さて、作戦会議をするにあたり、それに適した場所を探さないとな。静かで、内緒話をしても変な奴に聞かれる心配がなくて、雰囲気のある場所がいいな。 ハリマ:雰囲気って……ねえやっぱり楽しんで―― ヒュウガ:(遮るように)ちなみに俺んちは無理だぜ。姉貴がどこで盗聴してるかわからないからな。 ハリマ:と、盗聴!? ヒュウガのお姉さんっていったいどんな人なの…… ヒュウガ:一つ言えるのは、それくらい平気でしかねないやつだってことだな。 ハリマ:はあ。……僕の家も嫌だし、ヒュウガの条件に適合する場所かあ。……あ。 ヒュウガ:ん。どうしたんだ? ハリマ:静かで、内緒話をしても変な奴に聞かれる心配がなくて、雰囲気のある場所、ならいいんだよね? ヒュウガ:ああ、壁に耳があったり障子に目があるようなところだと困るからな。その条件を満たせるならどこでもいい。 ハリマ:一応、心当たりがひとつ、ある。 ヒュウガ:お、マジか! よし、早速行こうぜ。 ハリマ:う、うん。……。 ヒュウガ:……。 ハリマ:……。 ヒュウガ:……ハリマ? どうした? ハリマ:大したことじゃないんだけど。 ヒュウガ:けど、何だよ。 ハリマ:普段ならこの辺で、その。壁の耳と障子の目代表みたいなのが声かけてきそうだなあ、と。 ヒュウガ:何だ、スオウのことか? あいつなら今日は来ないぞ。 ハリマ:何かあったの? ヒュウガ:日本儒学史あるだろ。あれの理解度診断テストがこないだあってな。 ハリマ:あれ、少し前にもやってなかったっけ。 ヒュウガ:定期的にやるんだとさ。きちんと理解してるか、しっかり確認するために。 ハリマ:そうなんだ。それで? ヒュウガ:それで、ばっちりレポート対象者になった。 ハリマ:……また? ヒュウガ:また。今頃泣きながらキーボートカタカタやってるだろうな。 ハリマ:僕がこういうのもなんだけど、スオウってよくうちの大学受かったよね。 ヒュウガ:本人曰く、好きな分野に対してはとんでもない力を発揮できるんだそうだ。 ハリマ:好きな分野って? ヒュウガ:日本神話だと。入試の小論文で、日本神話について熱く語ったら受かったらしい。 ハリマ:えっ。小論文って……スオウって、前期C日程で受かったの!? ヒュウガ:うちの学科で入試に小論文を使ってるの前期Cしかないから、そうだろうな。 ハリマ:前期C日程って、定員五名とかじゃなかったっけ。 ヒュウガ:まあ、例によって多少余裕をもって合格してるだろうからもう少しいるとは思うけどな。二桁行くか行かないかってとこか。 ハリマ:その枠に入ったんだ……すご。そういや、スオウって上代文学専攻志望だったね。誰にでも一つは長所があるってことか。 ヒュウガ:お前もなかなか言うときは言うな。ま、そういうこった。そんなわけで、あいつは今日は家から一歩も出られないだろうな。 ハリマ:だから今日こんなに静かなんだね。理解。 ヒュウガ:わかったら行くぞ。俺には時間が残されていないんだ。 0:大学通り商店街 ヒュウガ:へえ、どこかと思えば商店街か。意外だな。こんなところにそんないい店あったっけ? 隠れ家風バーとか? ハリマ:隠れ家風バーはない、というか知らないけど、個人的にはもっと安心できるお店があるよ。 ヒュウガ:まあ、色々あってあんまり商店街には近づきたくないんだが……ハリマがおすすめする店があるなら仕方ない。そこで作戦会議と洒落こもうじゃないか。 ハリマ:洒落こむって言っちゃってるし。……ほら、ここだよ。 ヒュウガ:ん、ここ……って……!? ハリマ:あ、よくよく思い出してみたらここ、ヒュウガが教えてくれたんだよね。じゃあ別に僕に案内されなくてもよかったか。 ヒュウガ:……。 ハリマ:あれ、ヒュウガ? ヒュウガ:……すまん、急用を思い出した。 ハリマ:え、ちょっと。ヒュウガ? ヒュウガ:うちの祖母が子供を産んでその子守にニュージャージー州に行かなくちゃいけないんだった、ごめんな。 ハリマ:ヒュウガ!? 言ってることめちゃくちゃだよ? ヒュウガ:離せ! 一刻も早くここから離れ―― ミノ:あの。すみません。 ヒュウガ:がっ!?(ハリマの背中に隠れる) ハリマ:えっ、ちょっと? ミノ:すみません。通していただけますか。 ハリマ:あ、ごめんなさい! ミノ:入り口を占有するのは、お店の人に迷惑。 ハリマ:すみません…… ミノ:ん? ハリマ:どうしました? ミノ:兄さまのにおいがする。 ハリマ:え? においって…… ミノ:きみ、ヒュウガカイ、知ってる。 ハリマ:ヒュウガ? ならここに―― ヒュウガ:シリマセン。ヒトチガイデス。 ハリマ:え? え? ヒュウガ:ソンナヒトハココニハイマセン。ドウゾナカヘオハイリクダサイ。 ミノ:やっぱり。兄さま。 ハリマ:兄さま!? ヒュウガ:チガイマス。ワタシハニイサマデハアリマセン。ソンナヒトハ―― イズモ:ちょっと。人の店の前で痴話げんかしないでもらえるかしら。 ハリマ:あっ、イズモさん! 痴話げんかじゃないですよ! ミノ:姉さま。久しぶり。 ハリマ:姉さま!? イズモ:ちょっと、うるさいわよ。妹との久々の再会の時を邪魔しないでもらえる? ハリマ:すみませんイズモさん。でも、いろんな情報の濁流が…… イズモ:あたしたちの家族関係をあなたは濁った水と言いたいのかしら? ハリマ:いや、それはあくまでも比喩で…… ヒュウガ:ソノカゾクカンケイニワタシハカンケイアリマセン。ナノデカエリマ――っ! おいミノ離せ! ミノ:やっぱり兄さま。ミノ、兄さまのにおい間違えたりしない。 ヒュウガ:違う! 兄さまじゃない! 痛い痛い痛い! イズモ:何言ってるのカイ。あなたはれっきとしたミノの兄でしょうが。 ヒュウガ:そのれっきとした妹に腕を引きちぎられそうなんだが!? ミノ:兄さまが逃げようとするから。 ヒュウガ:離してくれ! 俺は山に籠るんだ! ミノ:なら、ミノも山に籠る。 ヒュウガ:やめろぉ! そんなことになったら山に監禁される! ハリマ:いったい何が起きてるんだ…… イズモ:まあ、いつものことよ。 ハリマ:ヒュウガ家ではこれが「いつも」なんですか? イズモ:あら、「世界」の話よ。 ハリマ:イズモさんの「世界」はいったいどこの次元にあるんですかね。 イズモ:ふふっ。さ、あんたたち、いつまでもこんな路上で騒いでるとほかのお店に失礼でしょう。中に入りなさい。 ヒュウガ:いやだあああああ! 俺は山に籠るんだああああ! イズモ:まさかカイにそんな仏道趣味じみたものがあるなんて思わなかったわね。 ハリマ:いやまあ、これにはいろいろと深いわけが。 イズモ:じゃあそれも、中で聞こうかしら。 0:夜見書堂内 ハリマ:このお店、中にこんな応接室みたいな部屋あったんですね。 イズモ:色々と商談したりするために重宝してるのよね。 ハリマ:古本屋にそんな商談とか接待の場面なんてあるんですか。 イズモ:あるわよう。しかも、そのお相手って、だいたいこういう「らしい」調度品で埋められた空間が好きなのよね。本革張りのソファとか、木天板のローテーブルとか、ガラスの重―い灰皿とか。ね。 ハリマ:あー、なんとなくわかります。 イズモ:さて。どう、お二人。ちょっとは落ち着いた? ミノ:ミノは最初から落ち着いてた。喜びすぎてたのは、兄さまのほう。 ヒュウガ:お前の目はあれを「喜んでいた」と認識するのか…… ミノ:あんなにはしゃいじゃって。 ヒュウガ:はしゃいでない! まったく…… イズモ:で? さっき大声で喚いていたわね。「山籠りする」とかなんとか。あれは何かしら? 仏門に入るつもりにでもなったの? ヒュウガ:いや……あれはそのー…… ハリマ:何か、実家に帰りたくないみたいですよヒュウガ君。 ヒュウガ:はっ、ハリマ!? イズモ:へぇぇぇ……それは初耳ね。 ヒュウガ:姉貴は別に初耳じゃないだろ。あんだけ言って一人暮らし始めたんだから。 イズモ:そんなこともあったかしら。 ハリマ:あの、先に一つ聞いておきたいんですけど。 イズモ:あら、何かしら? ハリマ:今更なんですけど、イズモさんってヒュウガと姉弟? だったんですね。 イズモ:ええ。まさかハリマ君があたしの愚弟と懇意にしてたってのは今日が初耳だけど。 ハリマ:そもそも、このお店のことを僕に教えてくれたのもヒュウガ君なんで。 イズモ:その時に言ってなかったのかしら? 「大好きなお姉さまが経営するお店」だって。 ヒュウガ:誰が大好きなお姉さまだって? そんなこと言うわけないだろ。言う必要もないし。 イズモ:つれないわねえ。それで、さっきのあの騒動は何なの? ハリマ:それは…… ヒュウガ:俺が姉と妹のいる実家に帰りたくないから帰らずに済む方法を考えるのを手伝ってもらおうって話になって、ハリマがいい場所があるからってここに連れてきたら、入り口でばったりミノと遭遇したってだけだよ。 ミノ:ばったり。運命。 ヒュウガ:気持ち悪いこと言うな。 イズモ:まったく、あんたたちあたしの店でそんな話するつもりだったわけ? 隠れ家風バーか何かと勘違いしてない? ハリマ:ヒュウガが「静かで、内緒話が変な奴に聞かれなくて、雰囲気のある場所」とか言うから…… ヒュウガ:その条件でなんでここになるんだ!? 一番だめだろ! 内緒話を聞かれたくない変な奴筆頭だぞこいつは! イズモ:実の姉を指して「こいつ」なんて、どんな育ちしたらこうなるのかしら? ヒュウガ:姉貴と同じ育ち方だよ! ハリマ:まあまあ、落ち着いてよヒュウガ。それに、イズモさんは変な人ではあるけど変な奴ではないよ。 ヒュウガ:どこが違うんだその二つ? イズモ:ハリマ君、本人を前にしてそんなこと言うなんて勇気あるわねえ。 ハリマ:あっ…… ミノ:姉さまの淹れたお茶……やっぱり美味しい。 イズモ:ミノは素直でいいわね。カイとは違い。 ミノ:兄さまも素直。ミノへの愛にあふれてる。 ヒュウガ;いったいその「愛」とやらはどこから検知してきたんだ。 ミノ:ミノ、兄さまにお土産持ってきた。 ヒュウガ:こいつ俺のこと好きとか言う割に俺の話聞かないんだよ。どう思う、ハリマ。 ハリマ:ノーコメントで。 イズモ:あら、何取り出したのかしら? ミノ:これ……ミノが作った。 ハリマ:何だこれ……棒の先に猫の手みたいなのがついてる。 ミノ:猫の手の孫の手。 ヒュウガ:……これはアヴァンギャルドなジョークか何かか? 東京ではこういうのが流行ってんのか? ミノ:兄さま、猫好きでしょ。 ヒュウガ:猫は好きだが、こんな猫の手の部分だけのグロテスクなものは対象外だ。 イズモ:ちょっと貸してちょうだい。……へえ。柄の部分、いい木を使ってるわね。桂じゃない。 ハリマ:カツラ? イズモ:ヅラじゃないわよ。 ハリマ:わかってますって! イズモ:なかなかいい建材になる木よ。だけじゃなくて、碁盤なんかの素材にもなるわね。ミノ、これどうしたの? ミノ:もらった。 イズモ:もらった? ミノ:うん。シタビに行ったとき、用務員さんにもらった。彫刻用木材の端材だって。 イズモ:シタビ……下谷美術大学ね。 ミノ:そう。第二志望。オープンキャンパスに行った。 ハリマ:その時にもらったんだ。それでお兄さんにこれを作ってあげようと? ミノ:カツラの花言葉……「不変」。ミノと兄さまの関係みたいだな、って。 ヒュウガ:何が不変だって? ミノ:そんなに喜ばないで。 ヒュウガ:なあ姉貴、やっぱこいつ病気なんじゃないかな? イズモ:否定はしないわ。 ハリマ:僕もちょっと見てみたいです。……へぇぇ、猫の手の部分はフェルトでできてたんだ。 ミノ:ほんとの猫の手を使おうかとも思ったけど、サイズが合わなくてやめた。 ヒュウガ:やめてよかったな。本物使ってたら家族の縁切ってたとこだぞ。 ミノ:それは……恋人になろうってこと? ヒュウガ:そんなわけあるか! お前は何でそう足し算的思考しかできないんだ? イズモ:ふふっ。 ヒュウガ:え、何。姉貴も本物がいい派? イズモ:いいえ――まあ、本物でできたのがあったらそれは一度見てみたい気もするけれど。 ヒュウガ:おいおい、やめてくれよ。そんな思想の姉妹に挟まれてるとか冗談じゃねーぞ。 イズモ:さすがにあたしもその辺はわきまえてるから安心してちょうだい。そうじゃなくて、昔のこと思い出してね。 ハリマ:昔のこと? 何ですか? イズモ:カイがね。小学生のころ、ある本を読んでいたことがあったの。梶井基次郎の短編集で、作品は確か……「愛撫」だったかしらね。 ハリマ:愛撫。すみません、存じ上げません。 イズモ:もうあなたの不勉強は十分わかったから触れないであげるわ。 ハリマ:うっ……それはそれできつい。 イズモ:主人公が夢を見るのよ。知り合いの女の子が化粧道具を使ってるの。その化粧道具がね、本物の猫の手を使ってるっていう。 ハリマ:あー、まさに今の話みたいな。 イズモ:そう。それを読んだカイが泣き出して、「お姉ちゃんもこの化粧道具使ってるの?」って言いだして……あの時の泣き顔があんまりおかしかったから、思い出し笑いしちゃったわ。 ヒュウガ:どんだけ前のことを思い出してるんだよ……こっちは全然覚えてねえ。 イズモ:あの頃のカイは泣き虫で可愛かったのだけれどねえ。二つ下のミノと手をつないで学校へ行って、友達にからかわれて泣いたりとか。 ミノ:あの頃の兄さま、よく泣いてたけど優しかった。ミノのこと、守ってくれた。 ヒュウガ:本人には守ってた認識なんか皆無だけどな! イズモ:そうやって何にでも爪を立てようとするの、やめなさい。切られちゃうわよ。 ヒュウガ:何だよそれ。 ハリマ:やっぱり、いいなあ。兄弟がいるって。うらやましい。 イズモ:ハリマ君には兄弟はいないのかしら? ハリマ:はい。一人っ子なんです。 イズモ:なるほどね。何となくわかるわ。 ハリマ:響きから「わかる」の根拠があんまりいいことじゃないような気がするんですが…… イズモ:それはご想像にお任せするわ。でも、確かに兄弟はいいものよ。うちは特に、素直なのも素直じゃないのもいるしね。でもまあ、どちらも道を踏み外さずに育ってくれて、よかったわ。 ミノ:一人暮らしは嫌いじゃないけど、兄さまと姉さまがいないと少し寂しい。だから、時々こうやって帰ってくる。 ヒュウガ:帰ってこなくていい! こっちは一人暮らし始めてせいせいしてるからな! ハリマ:ヒュウガ、本当に素直じゃないね。 ヒュウガ:なっ……ハリマまで何を―― イズモ:やっぱり。ハリマ君もそう思う? ハリマ:はい。思います。 イズモ:そうだ。カイ、そんなに実家に帰ってくるのが嫌なら、帰ってこなくていいわよ。 ヒュウガ:……えっ、本当か? イズモ:ええ。本人が嫌がっていることを無理やりさせるのは、あたしも心苦しいしね。 ヒュウガ:今更何を―― イズモ:(割り込んで)だから。 ヒュウガ:……だから? イズモ:ミノ。あなたこっちにいる間、カイの家に行ってなさい。お母さんには、あたしのほうから言っておくから。 ヒュウガ:なっ!? ミノ:姉さま、いいの? イズモ:ええ。別に今回しか帰ってこないわけじゃないし、東京に戻る前に一度来てくれればそれでいいから。 ヒュウガ:ちょっと待て! 俺は許可してないぞ! イズモ:カイ。あたしはあなたが嫌がることはさせないことにしたの。代わりに、ミノが喜びそうなことをさせてあげようって言ってるのよ。協力、してくれるわね? ミノ:兄さま。不束者ですが、よろしくお願いします。 ヒュウガ:そんな……殺生なあ……。

ハリマ:今日もいい天気だねえ。 ヒュウガ:んー。そうだな。 ハリマ:こんな日は、図書館で読書でもしてたいねえ。 ヒュウガ:馬鹿かお前。こんなにいい天気なら外に遊びにでも出たほう……がっ。 ハリマ:何でさ。読書に集中するのって結構気候とか重要な気がするんだけど。 ヒュウガ:……。 ハリマ:じめじめしてたり暑かったりすると落ち着いて本に集中できないと思うけどなあ。やっぱり、こういうどちらでもない中間で、カラッと晴れてるときがさ、一番いいと思うんだよね。 ヒュウガ:……。 ハリマ:ん、ヒュウガ? どうしたの? ヒュウガ:ハリマ。 ハリマ:何? ヒュウガも読書環境の重要さわかってくれた? ヒュウガ:俺、山に籠ろうと思う。 ハリマ:……は? ヒュウガ:すまない。ってことでしばらく授業に出られない。俺の代わりに出席カード出してもらっていいか。 ハリマ:ちょっと待て、どうして突然そうなった? 確かに読書環境の重要性は説いたけど、だからって山に籠らなくたって―― ヒュウガ:読書環境なんてどうでもいい。 ハリマ:ひどっ! ヒュウガ:そんなことより重要な話なんだ。一刻を争う。 ハリマ:どゆこと? 文学部大学生にとって読書環境を上回る重要度の話なんてある? ヒュウガ:それはいくらでもあるだろ。サークルとか、バイトとか、合コンとか。 ハリマ:そんな陽キャ共通の楽しみ羅列しないで! ってか合コンのほうが上位に来るのショックなんだけど! ヒュウガ:とにかくだ。俺は急いで山に籠らなくちゃならん。 ハリマ:何で山? 出家でもする気になった? ヒュウガ:んなわけあるか。俺もできればこんなことしたかないんだがな。早くしないと追手が…… ハリマ:とりあえず、いったん落ち着こう。何があったのか説明してみてよ。ほら、深呼吸。ひっひっふー。 ヒュウガ:それは違うやつだろ。……そうだなあ。俺に妹がいるって話はしたっけ。 ハリマ:え、そうなの? 聞いてないと思うけど。 ヒュウガ:いるんだよ。何なら姉もいる。 ハリマ:へぇえ、ヒュウガってお姉さんと妹さんがいるんだ。いいなあ。僕一人っ子だからうらやましいよ。 ヒュウガ:やめたほうがいいぞ。お前が想像してるのは幻想にすぎない。兄弟なんていないに越したことはないからな。 ハリマ:兄弟いる人ってみんなそういうこと言うんだよね。でも、やっぱりいない側からするとうらやましいよ。 ヒュウガ:蓼食う虫も好き好きってやつか。 ハリマ:変わった虫扱いされた!? ヒュウガ:話を戻すぞ。んで、妹は今浪人生をしてるんだ。 ハリマ:浪人生かあ。ヒュウガも確か一浪してたよね。 ヒュウガ:そうだが……ただ、妹のほうは俺みたいな単純な話じゃないんだけどな。 ハリマ:どういうこと? 浪人に単純とか単純じゃないとかある? ヒュウガ:あっちは美大志望なんだよ。だから上京して、美大予備校? っての通ってるんだ。 ハリマ:美大……よく知らないけど、実技試験とかあるんだっけ。 ヒュウガ:らしいな。だからデッサンと彫刻漬けの生活らしい。俺の浪人と違って、いつ終わるかもわからんそうだ。 ハリマ:ヒュウガの浪人だって状況次第ではもっと続いてたかもしれないだろ。 ヒュウガ:いや、俺は二回目はさすがに行けるところに行くつもりだったからな……まあ、そんなことはどうでもいい。その妹が、こっちに帰省してくるんだとさ。 ハリマ:そうなんだ。でもいいことじゃない。久々に妹さんに会えるんだし。 ヒュウガ:だからお前は蓼食う虫なんだよ。 ハリマ:……蓼食う虫が僕専用の罵倒語になりつつある? ヒュウガ:しかも、今姉貴からメッセージが来て、妹が戻ってくる間俺も家に戻ってくるように、ってさ。 ハリマ:そういえばヒュウガって今一人暮らしだよね。地元民なのに。わざわざ実家出てるの? ヒュウガ:あんな家でこれ以上暮らすのはごめんだからな。しかも姉貴に加えて妹まで戻ってくるなんて。それくらいなら、もぐらになって地中で土を掻き分けながら暮らしたほうがずっとマシだ。 ハリマ:そんなに嫌なの? 短い期間くらいいいじゃんって思うけどなあ。 ヒュウガ:俺は蓼の魅力なんかわかりたいとも思わないからな。 ハリマ:勝手に僕が蓼を好きなことにするなよ。……そういや、蓼って何なんだろ。 ヒュウガ:知らん。……そうだ、そんなに言うなら協力してくれ。 ハリマ:協力って、なんの? ヒュウガ:俺が実家に戻らなくても、何なら姉貴や妹と顔を合わせなくても大丈夫な方法を考える協力だよ。作戦会議をしようぜ。 ハリマ:作戦って。やだよ。僕をヒュウガの家族の問題に巻き込まないでよ。 ヒュウガ:いいのか? お前がそうやってこの問題を他人事にして俺を送り出したが最後、俺は帰らぬ人となるかもしれない。そうするとお前は希少な友人を失うことになるんだぞ。 ハリマ:何だよそれ! 勝手に希少とかいうなよ。……間違っちゃいないけど。 ヒュウガ:だろう? きっと後味悪くなるだろうなあ。しかも、俺はお前が本を読んでて「蓼食う虫も好き好き」って言葉を見るたびに化けて出てやるからな。 ハリマ:微妙な頻度で出てくるのやめて! 忘れたころにやってきそう。 ヒュウガ:お前は友人を失うばかりか、好きな諺を見ることすらろくにできなくなるわけだ。本当にいいのか? ハリマ:蓼食う虫も好き好きは別に好きなわけじゃないから! ……はあ、わかったよ。 ヒュウガ:そうこなくっちゃ。んじゃ、作戦会議だ。 ハリマ:ヒュウガ、何か楽しんでない? ヒュウガ:そんなわけあるかよ。こちとら命がかかってんだぜ。さて、作戦会議をするにあたり、それに適した場所を探さないとな。静かで、内緒話をしても変な奴に聞かれる心配がなくて、雰囲気のある場所がいいな。 ハリマ:雰囲気って……ねえやっぱり楽しんで―― ヒュウガ:(遮るように)ちなみに俺んちは無理だぜ。姉貴がどこで盗聴してるかわからないからな。 ハリマ:と、盗聴!? ヒュウガのお姉さんっていったいどんな人なの…… ヒュウガ:一つ言えるのは、それくらい平気でしかねないやつだってことだな。 ハリマ:はあ。……僕の家も嫌だし、ヒュウガの条件に適合する場所かあ。……あ。 ヒュウガ:ん。どうしたんだ? ハリマ:静かで、内緒話をしても変な奴に聞かれる心配がなくて、雰囲気のある場所、ならいいんだよね? ヒュウガ:ああ、壁に耳があったり障子に目があるようなところだと困るからな。その条件を満たせるならどこでもいい。 ハリマ:一応、心当たりがひとつ、ある。 ヒュウガ:お、マジか! よし、早速行こうぜ。 ハリマ:う、うん。……。 ヒュウガ:……。 ハリマ:……。 ヒュウガ:……ハリマ? どうした? ハリマ:大したことじゃないんだけど。 ヒュウガ:けど、何だよ。 ハリマ:普段ならこの辺で、その。壁の耳と障子の目代表みたいなのが声かけてきそうだなあ、と。 ヒュウガ:何だ、スオウのことか? あいつなら今日は来ないぞ。 ハリマ:何かあったの? ヒュウガ:日本儒学史あるだろ。あれの理解度診断テストがこないだあってな。 ハリマ:あれ、少し前にもやってなかったっけ。 ヒュウガ:定期的にやるんだとさ。きちんと理解してるか、しっかり確認するために。 ハリマ:そうなんだ。それで? ヒュウガ:それで、ばっちりレポート対象者になった。 ハリマ:……また? ヒュウガ:また。今頃泣きながらキーボートカタカタやってるだろうな。 ハリマ:僕がこういうのもなんだけど、スオウってよくうちの大学受かったよね。 ヒュウガ:本人曰く、好きな分野に対してはとんでもない力を発揮できるんだそうだ。 ハリマ:好きな分野って? ヒュウガ:日本神話だと。入試の小論文で、日本神話について熱く語ったら受かったらしい。 ハリマ:えっ。小論文って……スオウって、前期C日程で受かったの!? ヒュウガ:うちの学科で入試に小論文を使ってるの前期Cしかないから、そうだろうな。 ハリマ:前期C日程って、定員五名とかじゃなかったっけ。 ヒュウガ:まあ、例によって多少余裕をもって合格してるだろうからもう少しいるとは思うけどな。二桁行くか行かないかってとこか。 ハリマ:その枠に入ったんだ……すご。そういや、スオウって上代文学専攻志望だったね。誰にでも一つは長所があるってことか。 ヒュウガ:お前もなかなか言うときは言うな。ま、そういうこった。そんなわけで、あいつは今日は家から一歩も出られないだろうな。 ハリマ:だから今日こんなに静かなんだね。理解。 ヒュウガ:わかったら行くぞ。俺には時間が残されていないんだ。 0:大学通り商店街 ヒュウガ:へえ、どこかと思えば商店街か。意外だな。こんなところにそんないい店あったっけ? 隠れ家風バーとか? ハリマ:隠れ家風バーはない、というか知らないけど、個人的にはもっと安心できるお店があるよ。 ヒュウガ:まあ、色々あってあんまり商店街には近づきたくないんだが……ハリマがおすすめする店があるなら仕方ない。そこで作戦会議と洒落こもうじゃないか。 ハリマ:洒落こむって言っちゃってるし。……ほら、ここだよ。 ヒュウガ:ん、ここ……って……!? ハリマ:あ、よくよく思い出してみたらここ、ヒュウガが教えてくれたんだよね。じゃあ別に僕に案内されなくてもよかったか。 ヒュウガ:……。 ハリマ:あれ、ヒュウガ? ヒュウガ:……すまん、急用を思い出した。 ハリマ:え、ちょっと。ヒュウガ? ヒュウガ:うちの祖母が子供を産んでその子守にニュージャージー州に行かなくちゃいけないんだった、ごめんな。 ハリマ:ヒュウガ!? 言ってることめちゃくちゃだよ? ヒュウガ:離せ! 一刻も早くここから離れ―― ミノ:あの。すみません。 ヒュウガ:がっ!?(ハリマの背中に隠れる) ハリマ:えっ、ちょっと? ミノ:すみません。通していただけますか。 ハリマ:あ、ごめんなさい! ミノ:入り口を占有するのは、お店の人に迷惑。 ハリマ:すみません…… ミノ:ん? ハリマ:どうしました? ミノ:兄さまのにおいがする。 ハリマ:え? においって…… ミノ:きみ、ヒュウガカイ、知ってる。 ハリマ:ヒュウガ? ならここに―― ヒュウガ:シリマセン。ヒトチガイデス。 ハリマ:え? え? ヒュウガ:ソンナヒトハココニハイマセン。ドウゾナカヘオハイリクダサイ。 ミノ:やっぱり。兄さま。 ハリマ:兄さま!? ヒュウガ:チガイマス。ワタシハニイサマデハアリマセン。ソンナヒトハ―― イズモ:ちょっと。人の店の前で痴話げんかしないでもらえるかしら。 ハリマ:あっ、イズモさん! 痴話げんかじゃないですよ! ミノ:姉さま。久しぶり。 ハリマ:姉さま!? イズモ:ちょっと、うるさいわよ。妹との久々の再会の時を邪魔しないでもらえる? ハリマ:すみませんイズモさん。でも、いろんな情報の濁流が…… イズモ:あたしたちの家族関係をあなたは濁った水と言いたいのかしら? ハリマ:いや、それはあくまでも比喩で…… ヒュウガ:ソノカゾクカンケイニワタシハカンケイアリマセン。ナノデカエリマ――っ! おいミノ離せ! ミノ:やっぱり兄さま。ミノ、兄さまのにおい間違えたりしない。 ヒュウガ:違う! 兄さまじゃない! 痛い痛い痛い! イズモ:何言ってるのカイ。あなたはれっきとしたミノの兄でしょうが。 ヒュウガ:そのれっきとした妹に腕を引きちぎられそうなんだが!? ミノ:兄さまが逃げようとするから。 ヒュウガ:離してくれ! 俺は山に籠るんだ! ミノ:なら、ミノも山に籠る。 ヒュウガ:やめろぉ! そんなことになったら山に監禁される! ハリマ:いったい何が起きてるんだ…… イズモ:まあ、いつものことよ。 ハリマ:ヒュウガ家ではこれが「いつも」なんですか? イズモ:あら、「世界」の話よ。 ハリマ:イズモさんの「世界」はいったいどこの次元にあるんですかね。 イズモ:ふふっ。さ、あんたたち、いつまでもこんな路上で騒いでるとほかのお店に失礼でしょう。中に入りなさい。 ヒュウガ:いやだあああああ! 俺は山に籠るんだああああ! イズモ:まさかカイにそんな仏道趣味じみたものがあるなんて思わなかったわね。 ハリマ:いやまあ、これにはいろいろと深いわけが。 イズモ:じゃあそれも、中で聞こうかしら。 0:夜見書堂内 ハリマ:このお店、中にこんな応接室みたいな部屋あったんですね。 イズモ:色々と商談したりするために重宝してるのよね。 ハリマ:古本屋にそんな商談とか接待の場面なんてあるんですか。 イズモ:あるわよう。しかも、そのお相手って、だいたいこういう「らしい」調度品で埋められた空間が好きなのよね。本革張りのソファとか、木天板のローテーブルとか、ガラスの重―い灰皿とか。ね。 ハリマ:あー、なんとなくわかります。 イズモ:さて。どう、お二人。ちょっとは落ち着いた? ミノ:ミノは最初から落ち着いてた。喜びすぎてたのは、兄さまのほう。 ヒュウガ:お前の目はあれを「喜んでいた」と認識するのか…… ミノ:あんなにはしゃいじゃって。 ヒュウガ:はしゃいでない! まったく…… イズモ:で? さっき大声で喚いていたわね。「山籠りする」とかなんとか。あれは何かしら? 仏門に入るつもりにでもなったの? ヒュウガ:いや……あれはそのー…… ハリマ:何か、実家に帰りたくないみたいですよヒュウガ君。 ヒュウガ:はっ、ハリマ!? イズモ:へぇぇぇ……それは初耳ね。 ヒュウガ:姉貴は別に初耳じゃないだろ。あんだけ言って一人暮らし始めたんだから。 イズモ:そんなこともあったかしら。 ハリマ:あの、先に一つ聞いておきたいんですけど。 イズモ:あら、何かしら? ハリマ:今更なんですけど、イズモさんってヒュウガと姉弟? だったんですね。 イズモ:ええ。まさかハリマ君があたしの愚弟と懇意にしてたってのは今日が初耳だけど。 ハリマ:そもそも、このお店のことを僕に教えてくれたのもヒュウガ君なんで。 イズモ:その時に言ってなかったのかしら? 「大好きなお姉さまが経営するお店」だって。 ヒュウガ:誰が大好きなお姉さまだって? そんなこと言うわけないだろ。言う必要もないし。 イズモ:つれないわねえ。それで、さっきのあの騒動は何なの? ハリマ:それは…… ヒュウガ:俺が姉と妹のいる実家に帰りたくないから帰らずに済む方法を考えるのを手伝ってもらおうって話になって、ハリマがいい場所があるからってここに連れてきたら、入り口でばったりミノと遭遇したってだけだよ。 ミノ:ばったり。運命。 ヒュウガ:気持ち悪いこと言うな。 イズモ:まったく、あんたたちあたしの店でそんな話するつもりだったわけ? 隠れ家風バーか何かと勘違いしてない? ハリマ:ヒュウガが「静かで、内緒話が変な奴に聞かれなくて、雰囲気のある場所」とか言うから…… ヒュウガ:その条件でなんでここになるんだ!? 一番だめだろ! 内緒話を聞かれたくない変な奴筆頭だぞこいつは! イズモ:実の姉を指して「こいつ」なんて、どんな育ちしたらこうなるのかしら? ヒュウガ:姉貴と同じ育ち方だよ! ハリマ:まあまあ、落ち着いてよヒュウガ。それに、イズモさんは変な人ではあるけど変な奴ではないよ。 ヒュウガ:どこが違うんだその二つ? イズモ:ハリマ君、本人を前にしてそんなこと言うなんて勇気あるわねえ。 ハリマ:あっ…… ミノ:姉さまの淹れたお茶……やっぱり美味しい。 イズモ:ミノは素直でいいわね。カイとは違い。 ミノ:兄さまも素直。ミノへの愛にあふれてる。 ヒュウガ;いったいその「愛」とやらはどこから検知してきたんだ。 ミノ:ミノ、兄さまにお土産持ってきた。 ヒュウガ:こいつ俺のこと好きとか言う割に俺の話聞かないんだよ。どう思う、ハリマ。 ハリマ:ノーコメントで。 イズモ:あら、何取り出したのかしら? ミノ:これ……ミノが作った。 ハリマ:何だこれ……棒の先に猫の手みたいなのがついてる。 ミノ:猫の手の孫の手。 ヒュウガ:……これはアヴァンギャルドなジョークか何かか? 東京ではこういうのが流行ってんのか? ミノ:兄さま、猫好きでしょ。 ヒュウガ:猫は好きだが、こんな猫の手の部分だけのグロテスクなものは対象外だ。 イズモ:ちょっと貸してちょうだい。……へえ。柄の部分、いい木を使ってるわね。桂じゃない。 ハリマ:カツラ? イズモ:ヅラじゃないわよ。 ハリマ:わかってますって! イズモ:なかなかいい建材になる木よ。だけじゃなくて、碁盤なんかの素材にもなるわね。ミノ、これどうしたの? ミノ:もらった。 イズモ:もらった? ミノ:うん。シタビに行ったとき、用務員さんにもらった。彫刻用木材の端材だって。 イズモ:シタビ……下谷美術大学ね。 ミノ:そう。第二志望。オープンキャンパスに行った。 ハリマ:その時にもらったんだ。それでお兄さんにこれを作ってあげようと? ミノ:カツラの花言葉……「不変」。ミノと兄さまの関係みたいだな、って。 ヒュウガ:何が不変だって? ミノ:そんなに喜ばないで。 ヒュウガ:なあ姉貴、やっぱこいつ病気なんじゃないかな? イズモ:否定はしないわ。 ハリマ:僕もちょっと見てみたいです。……へぇぇ、猫の手の部分はフェルトでできてたんだ。 ミノ:ほんとの猫の手を使おうかとも思ったけど、サイズが合わなくてやめた。 ヒュウガ:やめてよかったな。本物使ってたら家族の縁切ってたとこだぞ。 ミノ:それは……恋人になろうってこと? ヒュウガ:そんなわけあるか! お前は何でそう足し算的思考しかできないんだ? イズモ:ふふっ。 ヒュウガ:え、何。姉貴も本物がいい派? イズモ:いいえ――まあ、本物でできたのがあったらそれは一度見てみたい気もするけれど。 ヒュウガ:おいおい、やめてくれよ。そんな思想の姉妹に挟まれてるとか冗談じゃねーぞ。 イズモ:さすがにあたしもその辺はわきまえてるから安心してちょうだい。そうじゃなくて、昔のこと思い出してね。 ハリマ:昔のこと? 何ですか? イズモ:カイがね。小学生のころ、ある本を読んでいたことがあったの。梶井基次郎の短編集で、作品は確か……「愛撫」だったかしらね。 ハリマ:愛撫。すみません、存じ上げません。 イズモ:もうあなたの不勉強は十分わかったから触れないであげるわ。 ハリマ:うっ……それはそれできつい。 イズモ:主人公が夢を見るのよ。知り合いの女の子が化粧道具を使ってるの。その化粧道具がね、本物の猫の手を使ってるっていう。 ハリマ:あー、まさに今の話みたいな。 イズモ:そう。それを読んだカイが泣き出して、「お姉ちゃんもこの化粧道具使ってるの?」って言いだして……あの時の泣き顔があんまりおかしかったから、思い出し笑いしちゃったわ。 ヒュウガ:どんだけ前のことを思い出してるんだよ……こっちは全然覚えてねえ。 イズモ:あの頃のカイは泣き虫で可愛かったのだけれどねえ。二つ下のミノと手をつないで学校へ行って、友達にからかわれて泣いたりとか。 ミノ:あの頃の兄さま、よく泣いてたけど優しかった。ミノのこと、守ってくれた。 ヒュウガ:本人には守ってた認識なんか皆無だけどな! イズモ:そうやって何にでも爪を立てようとするの、やめなさい。切られちゃうわよ。 ヒュウガ:何だよそれ。 ハリマ:やっぱり、いいなあ。兄弟がいるって。うらやましい。 イズモ:ハリマ君には兄弟はいないのかしら? ハリマ:はい。一人っ子なんです。 イズモ:なるほどね。何となくわかるわ。 ハリマ:響きから「わかる」の根拠があんまりいいことじゃないような気がするんですが…… イズモ:それはご想像にお任せするわ。でも、確かに兄弟はいいものよ。うちは特に、素直なのも素直じゃないのもいるしね。でもまあ、どちらも道を踏み外さずに育ってくれて、よかったわ。 ミノ:一人暮らしは嫌いじゃないけど、兄さまと姉さまがいないと少し寂しい。だから、時々こうやって帰ってくる。 ヒュウガ:帰ってこなくていい! こっちは一人暮らし始めてせいせいしてるからな! ハリマ:ヒュウガ、本当に素直じゃないね。 ヒュウガ:なっ……ハリマまで何を―― イズモ:やっぱり。ハリマ君もそう思う? ハリマ:はい。思います。 イズモ:そうだ。カイ、そんなに実家に帰ってくるのが嫌なら、帰ってこなくていいわよ。 ヒュウガ:……えっ、本当か? イズモ:ええ。本人が嫌がっていることを無理やりさせるのは、あたしも心苦しいしね。 ヒュウガ:今更何を―― イズモ:(割り込んで)だから。 ヒュウガ:……だから? イズモ:ミノ。あなたこっちにいる間、カイの家に行ってなさい。お母さんには、あたしのほうから言っておくから。 ヒュウガ:なっ!? ミノ:姉さま、いいの? イズモ:ええ。別に今回しか帰ってこないわけじゃないし、東京に戻る前に一度来てくれればそれでいいから。 ヒュウガ:ちょっと待て! 俺は許可してないぞ! イズモ:カイ。あたしはあなたが嫌がることはさせないことにしたの。代わりに、ミノが喜びそうなことをさせてあげようって言ってるのよ。協力、してくれるわね? ミノ:兄さま。不束者ですが、よろしくお願いします。 ヒュウガ:そんな……殺生なあ……。