台本概要
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タイトル | 【Main Scenario】Absolute/Banquet/Collision |
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作者名 | アール/ドラゴス (@Dragoss_R) |
ジャンル | ミステリー |
演者人数 | 4人用台本(不問4) ※兼役あり |
時間 | 70 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
アブソリュート・バンケット・コリジョン。 19世紀末のロンドン。 絶対的な夜のなか、晩餐会は開かれ、彼らは衝突する。 名探偵と数学教授の戦いが終演を迎えても――――。 ――――ああ、今宵も街を月が照らしている。 ※こちらの台本は、「【Full Version】Absolute/Banquet/Collision」の前日譚部分をカットし、一部をこの台本用に修正したものになります。 ※一部、佐久間ユタカ様作、「Dolce Unto loverー最愛ー」より引用させていただいた箇所がございます。 394 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
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アレイスター | 不問 | 114 | アレイスター・クロウリー。 他称「史上最悪の魔術師」。 |
ジキル | 不問 | 82 | ヘンリー・ジキル。 「史上最悪の魔術師」の助手。(ハイド役の兼ね役) |
キャロル | 不問 | 112 | ルイス・キャロル。 童話作家にして数学教授。 |
ヴィクター | 不問 | 105 | ヴィクター・フランケンシュタイン。 若き天才科学者。 |
ハイド | 不問 | 37 | エドワード・ハイド。 ジキルの「悪性」から生まれた別人格。(ジキル役の兼ね役) |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
アレイスター:19世紀も終わりに差し掛かる、ブリテンの夜。本日も変わらず、月明かりは妖(あや)しく英国人たちを惑わせる。…かの名探偵が悪の数学教授を討ち果たしてもなお、不気味に、淡く、ゆるやかに。「絶対的」な夜の使者、ムーンライトは変わらない。
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0:Absolute/Banquet/Collision
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ジキル:(N)1月26日、22時30分。ロンドン、ホワイトチャペル地区。満月の光の差し込む館の窓から、空を見上げる影がひとつ。
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キャロル:「ウサギの巣穴に誘われて、飛び込んだ先は不可思議溢れる闇の世界。権力と金、行き過ぎた世直し、誰かを幸福(シアワセ)にする権利。裸足のメアリ・アンを奔(はし)らせ続け、蜘蛛の糸を手繰り寄せた果て、私は悪の華と成る。」…今宵彼らを味方につけることができれば、“教授”。あなたのように、裏のセカイを統べる日もそう遠くないでしょう。どうか、見守っていてください。決して(届きえない闇夜の帝王、ジェームズ…。
ヴィクター:(被せる)また一人でぶつくさ言っているのか、ルイス。
キャロル:おっと、ヴィクター。部屋に入るときはノックをするのがマナーだよ。
ヴィクター:なら今度からはもっと激しく扉を叩かせてもらおう。
キャロル:…ああ。もうこんな時間だったのか。どおりで月明かりがこんなにも眩しい。
ヴィクター:……。
キャロル:…珍しく顔が強張っているようだが。
ヴィクター:そんなことはない。
キャロル:重要視するべきはいつだって主観ではなく客観的な事実だよ。
ヴィクター:存じているさ。だが今に限ってはそれも当てにならない。
キャロル:その心は。
ヴィクター:第三者(おまえ)の網膜が月光に妬(や)かれて、幻想(ゆめ)を魅せられているからだ。
キャロル:ふ…。ならば、君には余計しっかりしてもらわなくては。喪(も)えている私の瞳の代わりに、君が現実を見据えてくれなくてはならないからな。
ヴィクター:っ…!
キャロル:二週間前も言ったがもう一度言おうヴィクター。身構えることはない。これは愉(たの)しい晩餐会だ。カトラリーをゆるやかに動かし、ディナーを口に運び、談笑(トーク)に蠱惑(こわく)の華を咲かせる。それだけでいい。
ヴィクター:ふん。…お前の仰せの通り。
キャロル:よろしい。さて。雑談が長引いてしまったが、時計の針と君の表情を見るに、そろそろ行くのだろう?月が光を届けてくれているとはいえ、夜闇(よやみ)が暗く寒いことには変わりない。十分気を付けて行くんだよ。
ヴィクター:言われなくとも慎重(ケアフル)にするさ。しかしルイス。出発する前に一つ疑問を吐かせて貰うが。何故、奴らを迎えに行く役が俺なんだ。こんな雑用まがいのこと、適当な奴にやらせておけばいいだろう。
キャロル:残念なことに、従者たちはみな客人をもてなすための準備で忙しくてね。手が空いているのが君しかいなかったのだよ。それに君が彼らと話しながら帰ってくることでアイスブレイクにもなる。一石二鳥というやつだな。
ヴィクター:…チッ。この天才を粗末に扱った恨みはいつか晴らしてやる。
キャロル:滅相もない。君のことは大切にしているよ。オックスフォードのフィリアス・フォッグが私ならば、君はパスパルトゥーのようなものだからね。
ヴィクター:要はお前の命令に従い傍につく執事(セバスチャン)ってことだろうが。
キャロル:言葉の綾(あや)だ。
ヴィクター:はぁ…。もういい。刻限も近づいてきてしまった。怠惰な主人の為に精一杯苦手な運転をしてくることにする。
キャロル:行ってらっしゃい。濃霧(のうむ)と「切り裂き魔」(ジャック・ザ・リッパー)には十分注意するんだよ。
ヴィクター:不吉なことを言うなっ![部屋を出て扉を閉める]
キャロル:ふ。さあ、満月の下をシロウサギが駆ける。その足取りはまるで、招かれざる客を誘(いざな)うように……。
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0:
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ヴィクター:(N)同日、23時30分。ロンドンの古い小家(しょうか)の前に、二人は立っていた。
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アレイスター:[懐中時計を確認して]約束の時間だけど…、来ないね?
ジキル:そう、ですね。…もしかしたら、あの手紙自体が何かの悪戯だったのでしょうか。
アレイスター:だとしたらタチ悪いなあ。たとえ盟友(メイザース)の仕業だったとしても一週間くらい口を利かない自信があるよ。
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ジキル:(M)私の名前はヘンリー・ジキル。昔は科学者をやっていましたが、今はとある経緯でこちらにおわする、アレイスター先生の助手をしています。そんな私たち宛てに届いた一通の手紙。そこには、「満月の夜、私たちを晩餐会へ招待する」という旨が綴られていました。この不思議な誘いに乗ってみることにした私たちは、私たちを迎えにくるらしい使者を待っているのですが――――。
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ジキル:…結局、差出人が誰だったのか、わからなかったんですよね。
アレイスター:うん。“あの人”に掛け合って調べてもらったけど、駄目だったってさ。
ジキル:…イギリス政府の力すら届かないなんて、いったい何者なんでしょうか。
アレイスター:さあ。もしかしたら亡霊(ゴースト)や怪異(オカルト)かもしれないね。そうだった場合僕は本気で調べさせてもらうけど…、どうやら違いそうだ。
ジキル:えっ?
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ヴィクター:待たせたな、お二方。
ジキル:あ…!
ヴィクター:遅れて申し訳ない。俺はヴィクター。ヴィクター・フランケンシュタイン。…館の主の命令により、あなた方を迎えに来た。
ジキル:えっ…!?
アレイスター:ご丁寧にありがとう。知っているとは思うけど、礼儀には礼儀で返させてもらうよ。僕は魔術師アレイスター・クロウリー。それから?
ジキル:あ、アレイスター先生の助手、ヘンリー・ジキル、です。
ヴィクター:ああ。お会いできて光栄だ。さあ、車(プジョー)はあっちに駐(と)めてある。お互い話したいことは山ほどあるだろうが、それは車の上で。晩餐会の開始まで時間もないのでな。
アレイスター:了解したよ。さあ行こうか、ジキルくん。
ジキル:は、はい…。
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ジキル:(M)若々しい風貌の男性(女性)…、ヴィクターさんに促されて、私と先生は黄色の車に乗り込んだ。そして、ヴィクターさんがハンドルを握り、車輪が廻りだす。
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ヴィクター:…さて。まずはあなた方に、非礼を詫びたい。
アレイスター:非礼?
ヴィクター:手紙のことだ。わけがわからなかっただろう。差出人(フロム)は空欄、招待状だというのにまどろっこしすぎる書き方、おまけに裏面に脅しの如く綴られたメッセージ。…さぞ混乱したはずだ。…あの馬鹿が、本当に申し訳ない。そして、内容を汲み取り、こうして招待を受けてくれたことに、心からの感謝を。
アレイスター:大袈裟だよ。というか、感謝を述べるのはこちらの方さ。僕たちのような厄ネタを凝縮したみたいな存在をこんなに楽しそうな催しに招いてくれて、とっても嬉しいよ。どうもありがとう。
ヴィクター:…はっ。噂に違わぬ変人だな。
アレイスター:ところでジキルくん。大丈夫?ずっと怪訝な顔をしているけど。
ジキル:…いえ。きっと、緊張で。
ヴィクター:気持ちはわかるが、どうかそう身構えないでくれ。ことわっておくのを忘れたが、俺たちはあなた方に悪いことをしようとしているわけじゃないからな。ただ卓を囲んで話がしたい。それだけだ。
ジキル:そう、ですか。…あの、ヴィクターさん。
ヴィクター:なんだ?
ジキル:…人違いだったらごめんなさい。…あなたは、オックスフォード大学の生徒さんですよね。
ヴィクター:…そうだが、なぜそれを?
ジキル:「現代のプロメテウス」。
ヴィクター:あ…っ。
ジキル:一年ほど前、あなたにつけられた輝かしい称号を私は鮮明に覚えています。素晴らしい論文を発表し、科学界の権威たちを唸らせた若き天才。生物学のパイオニア。…まさかこんな形で出会えるとは思いませんでした。
アレイスター:ああ、なるほど。どおりで名前に聞き覚えがあったわけか。ジキルくんに言われて僕も君の論文は読ませてもらったよ。あんまり理解できなかったけどね。
ヴィクター:…恐悦至極、だ。
ジキル:しかしだからこそ、私は不可解でならないんです…。あなたがこの晩餐会の首謀者、または招待客というのならばわかります。…ですが、先ほどあなたは誰かに命じられてここまでやってきたと言いました。…それが、引っかかって。
ヴィクター:その答えはとても単純さ、ジキル博士。俺よりもアイツの方が偉い立場にいる、それだけのこと。それに、今宵の晩餐会の招待客はもとよりあなた方だけだ。
ジキル:な…、そうだったんですか。
ヴィクター:アイツは物事を壮大な言い回しにして、事の本質を希釈(きしゃく)する癖があるからな。はっきり言って晩餐会という言葉も大言壮語、実際はただの食事会、密会という方が正しい。
アレイスター:へえ。君から話を聞くだけで面白いなあ、「チャールズ教授」。会うのがより楽しみになってきたよ。
ヴィクター:ああ。…はっ!?[運転が荒れる]
ジキル:うわわっ…!
ヴィクター:おっと…っ。すまない、少し車を揺らしてしまった。
アレイスター:そんなに驚いてどうしたのかな、ヴィクター君。
ヴィクター:…どこぞの「手品師」がいきなり度肝を「見抜く」ものだからな。つい取り乱してしまっただけだ。
ジキル:見抜く…?
アレイスター:すぐにわかるよ、ジキルくん。あと訂正させてもらうけど、僕は「手品師」じゃなくて「魔術師」。お間違えなきよう。
ヴィクター:ふん。…さあ、そろそろ到着するぞ。
ジキル:ここは…、ホワイトチャペル。
ヴィクター:手紙に書いてあっただろう?「五人の娼婦が切り裂かれた街」と。
アレイスター:怖いから先に聞くんだけど、君たちの仲間に「ジャック」がいたりとかはしないよね?
ジキル:え…。
ヴィクター:安心しろ、それはない。というか、今回あなた方と食事を共にするのは俺と館の主人だけなのでな。
ジキル:…よかった。もしかしたら殺人鬼と食事を共にすることになるのかもしれないと、一瞬冷や汗をかきましたよ。
アレイスター:僕としては少し残念だけどね。
ヴィクター:…やれやれ。
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ヴィクター:…着いたぞ。ここが会場…、主催者が所有する館だ。
アレイスター:おお、想像以上に大きな館だね。
ジキル:ええ。…本当、気圧されてしまいそうなくらい。
ヴィクター:オックスフォードの本宅はもっと大きいぞ。
ジキル:ここが別荘…。
アレイスター:凄いなあ。流石、著名な作家さんは違うね。
ヴィクター:その賛辞は直接言ってやってくれ。さあ…、どうぞ中へ。「不思議の館」へご招待だ。
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0:
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ジキル:(M)先生と共に館の玄関をくぐる。館の中は思いのほか薄暗かった。本来であればエントランスホールを煌々と照らすのであろう大きなシャンデリアが光を発することはなく、ただ無気力に天井にぶら下がっている。外から指す薄明りのみで見る広間は、どこか不気味な印象を私に与えた―――。
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アレイスター:これは…、廃墟?
ジキル:先生、招かれて開口一番それはまずいと思うんですが…!
ヴィクター:…ああ、すまない。言い忘れていたな。どこかの気まぐれ馬鹿が「今日は人工的な光を断ちたい」と抜かすものだから、意図的に消灯させてもらっている。部屋は淡くではあるが光を付けているので、安心してくれ。さあ、アイツが待っている場所までご案内して差し上げる。着いてきてくれ。
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ジキル:(M)暗がりの廊下を進む。聞こえるのは、私たち三人の足音と息遣いだけ。きっと従者の方もいるのだろうけど、どうやら私たちに気を遣って姿を隠しているようだった。そして、先頭を進んでいた影が立ち止まり―――。
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ヴィクター:この部屋が舞台だ。さあ。
ジキル:…先生。
アレイスター:うん。それじゃあ、お邪魔します。
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ジキル:(M)不思議の扉が開かれる。そこで、私たちを出迎えたのは―――。
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キャロル:「Welcome to the Wonder Banquet.」(ウェルカム トゥ ザ ワンダー バンケット)。
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キャロル:不思議の夜宴(やえん)へようこそ。歓迎するよ、「三人」とも。
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ジキル:あ、あなたは…、ルイス・キャロル!?
キャロル:いかにも。初めまして、ジキルくん。ルイスの名で私のことを知ってくれているということは、きっと私が執筆した物語を読んでくれたのだろう。ご愛読、心から感謝するよ。
ジキル:…まさか、(あなたがこの晩餐会の―――!?
アレイスター:[セリフに被せて]―――やはり、あなただったんですね。「教授」。いや、今回は「先生」と呼ぶのが正解かな?
ジキル:えっ?
キャロル:ふ。『月の夜に「不思議な」出会いだな、「史上最悪の魔術師」アレイスター・クロウリー殿』。
アレイスター:『そういうあなたは、「ワンダーランドの支配人」、ルイス・キャロル様!』。お会いできて嬉しいな。
キャロル:同じくだよ。ああ、敬称について特にこだわりはない、好きに呼んでくれたまえ。
アレイスター:ありがとうございます。
キャロル:さあ、長い時間車に揺られて疲れただろう、どうぞ座ってくれ。ヴィクター、君もご苦労だったね。
ヴィクター:まったく…、これは貸しだぞ。
ジキル:ちょ、ちょっと待ってください…!流れがスムーズすぎませんか…?というかなぜ先生は全然驚いていないんです…!?招待状の差出人があのルイス・キャロルだったんですよ…!?
アレイスター:そんなことを言われても。車に乗ってる最中に相手がキャロル教授であることは確信してたしなあ。ヒントは手紙とヴィクターくんが撒いてくれてたし。
ヴィクター:それにしたってさも当然のように言い当てる様には恐怖しか覚えなかったがな。
ジキル:わ、私が鈍すぎるだけ、ということですか…?
キャロル:そうかもしれないし、逆かもしれないね。まあ、真偽は確かめようもないので置いておくとして。いよいよ始めようじゃないか。午前零時、満ちた月の夜の晩餐会を。
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ジキル:(M)キャロル教授がそう言い放った瞬間、遠くから鐘の音が鳴り響く。どうやら、きっかり時計塔(ビッグ・ベン)が午前零時を指し示したらしい。そして、一呼吸おいて教授が続ける。
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キャロル:さて、それでは早速乾杯といこう。君たち、食前酒は何をご所望かな。
アレイスター:そうですね…、それじゃあ、シャンパーニュを貰えますか?できればジャクソンがいいんですが。
キャロル:無論、揃えてあるよ。すぐに持ってこさせよう。
ジキル:あぁ、えっと…、申し訳ないのですが、私はお酒が飲めないのでお水をいただけると…。
キャロル:そうなのかね?なんだつれないなあ。
アレイスター:これはジキルくんなりのユーモアなんですよ。「水」を飲んで、「水」を差す、なんてね。
ヴィクター:なんだそのくだらんジョークは。お前のつまらんジョークにジキル博士を使うな。こっちの気分が水膨れだ。
アレイスター:気分を害したのなら申し訳ないね。「水」に流してくれると助かるよ。
キャロル:そうだよヴィクター。君はもっと「淼茫」(びょうぼう)の如き心を持った方がいい。苛立ってばかりではつまらないからな。
ヴィクター:はぁ…。
ジキル:ほ、ほら!そんなこと話していたらいつまでも乾杯ができませんから…!
キャロル:おっと、私としたことが。これは失礼。それではジキルくんにはお水を出すとして…、ヴィクターはいつも通り「黒猫の白」(シュヴァルツェ・カッツ)でいいかな。
ヴィクター:ああ。
キャロル:よろしい、では…、[手を大きく二回叩く]
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ジキル:(M)教授が合図をすると、四人の従者が部屋に入ってきて、豪奢な料理とそれぞれが選んだ飲み物をテーブルに並べた。
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キャロル:ご苦労、君たち。またなにかあったら呼ばせてもらおう。
アレイスター:こんな美味しそうな料理、久しぶりに目にしましたよ。
キャロル:私の信頼する料理人が作った料理だ。鼻腔をくすぐる匂いだけでもう幸せだろう?
アレイスター:ええ。これを食べるためにお昼から何も胃に入れていないから、余計に楽しみです。
キャロル:ならば早いところ挨拶を済ませるとしようか。それでは諸君。
キャロル:―――妖しさを纏う満月のもと、「晩餐会」での邂逅(かいこう)に、乾杯。
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ヴィクター:[白ワインを一口]…まったく。今日のお前は気障(きざ)な台詞が尽きないな。
キャロル:それは君が言った通り、私の脳が月明かりの穏やかな熱で浮かされてしまっているからだろうな。
アレイスター:館の消灯といい手紙の内容といい、やけに「月」に拘(こだわ)るんですね。何か思い入れでもあるのかな?
キャロル:アレイスターくん。私はこう考えているんだ。「月とは憧憬(しょうけい)の象徴であり、誰しもが心の奥底に宿す希望(いきがい)の現身(うつしみ)である」、と。暗闇(こどく)を抱える生のなか、侘しく切ない時間(とき)を、それは淡い光で優しく包み込む。しかし完全というにはほど遠く、その日の心の持ちようで満ち欠けもする。ある日は燦然と煌めき、またある日は叢雲(むらくも)に隠れる。「不安定」だが、「絶対的」。人間を形作るうえで欠かせない重要な要因(ファクター)。…ふ。とまあ、言ってしまえばただの例え話なのだがね。
アレイスター:なるほど。相当な想いがあるように見える。
キャロル:だからこそ月が満ちた日に君たちを招いたんだ。
ヴィクター:お前は月という存在に固執しすぎだと思うがな。
アレイスター:まあまあ。時に狂気を孕(はら)む月が惑わすからこそ、「教授の世界」(ワンダーランド)は素晴らしく気が触れているんだろうし。執着するのは必ずしも悪いことじゃないと思うよ。[サラダを一口]…あ、ジキルくん。このサラダ、とってもフレッシュで美味しい。
ジキル:すでにいただいています…!本当、感動するほどおいしいです…!あ、先生。こちらのソテーも絶品ですよ!
キャロル:ふふ。心から喜んでくれているようで、嬉しいよ。あとでシェフにもきちんと伝えておこう。
ヴィクター:…とても美味しそうに頬張るんだな、ジキル博士。
ジキル:あ…、すみません、あまりはしゃぐのはマナーではないですよね…。
ヴィクター:いや、そんなものはいい。ただ、少し驚いたんだ。あなたほどの方なら、これくらいのディナーは食べ慣れていると思っていた。
ジキル:え…、ああ、そういうイメージを持たれていた?のなら申し訳ありません。でも私、こういうのあまり慣れてない方でして…。
キャロル:すまないね、ジキルくん。ここだけの話、ヴィクターは君に心酔していてね。多少神格化されているのはご愛嬌さ。今日だって、君に会うのをずっと楽しみにしていたんだよ。
ジキル:えぇ!?
ヴィクター:ルイス。
キャロル:もっと堂々としたまえよヴィクター。
アレイスター:ジキルくんにファン、か。そういえば確かにジキルくんの論文や研究はよくメディアに取り上げられてたしね。いやあ、僕としては嬉しい限りだよ。
ヴィクター:なんだその言い方は。ジキル博士はお前に育てられたわけではないんだぞ。
アレイスター:育ててはいないけれど、今のジキルくんは僕の専属アシスタントだからね。
ジキル:はい。…ヴィクターさんが私のことを慕っていてくれているのは嬉しいですが、きっと期待には沿えないと思います。今の私は科学者ではなく、アレイスター先生の探求を補助する一介の助手ですから。
キャロル:だ、そうだ。フラれてしまったねヴィクター。
ヴィクター:…俺は不思議でならない。あなたのような聡明な方が、なぜアレイスターのような「ペテン師」についているのかが。
ジキル:な…っ。
アレイスター:もう一度訂正しておこうか。僕は「魔術師」だよ、ヴィクターくん。「ペテン師」(でも「手品師」でもない―――。
ヴィクター:[遮って]黙れオカルトかぶれが…っ!好奇心と名声欲しさに数々の悪事に手を染め続け民衆を騙し続けたお前なんぞ「ペテン師」、いいや「欺瞞者」(ぎまんしゃ)で十分だ!
キャロル:ヴィクター。落ちつけ。アレイスターくんは客人だ。侮辱することは私が許さない。
ヴィクター:チッ…。
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ジキル:(M)金属が触れ合う音も止まり、刹那の沈黙が流れる。今もヴィクターさんは鋭い目つきで先生を睨みつけているが、先生のポーカーフェイスは崩れない。険悪な空気のなか、静寂を破ったのはこの会の主催者だった。
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キャロル:こほん。ヴィクターが無礼を働いてすまなかった、アレイスターくん。
アレイスター:お気になさらず。慣れているので。それに、ヴィクターくんの言っていたことに嘘はない。僕は魔術結社に所属していた頃に様々な悪行に手を染めた。深く魔術の探求をするためにできることはなんだってしたし、時には生贄を用意する危険で残酷な儀式だって。そしてその結果、僕は新聞(タブロイド)から大々的にバッシングを受け、あらゆる組織を追放された。そんな危険でとち狂ったオカルティストが僕ですから。
キャロル:むしろヴィクターの反応が正解だと?
アレイスター:その通り。
キャロル:流石「史上最悪の魔術師」は器が大きいね。狂っている君がオカルティストとなったのか、オカルトが君を狂わせたのか?
アレイスター:教授から見た僕がイカれているなら、どちらであるかを考えても意味はないと思うけど。
キャロル:ふ、それもそうか。正直な話、今日はずっと不安だったんだ。メディアやあらゆる魔術結社から「最悪の魔術師」と呼ばれ避けられ恐れられた君と相対することがね。
アレイスター:恐縮だなあ。そんなに警戒されると少し申し訳なくなってきます。教授の中ではそんなに大物だったんですか、僕。
キャロル:ああ。今しがたちらりと垣間見えた合理主義すらも恐ろしく思えるほどには。
アレイスター:へぇ…?そうですか。では、この晩餐会で教授と僕の心の距離がもっと縮まると嬉しいです。
キャロル:私もそう思っているよ。ゆくゆくはこっそり黒魔術も教えてくれたまえ。
アレイスター:勿論です。
ヴィクター:…口を開けば魔術、魔術と…、ルイス。やはり幻想にとらわれているようだから言っておくが、ここは不思議の国じゃない。いい加減目を覚ませ。
アレイスター:なるほど。先ほどの口ぶりから察するに、ヴィクターくん。君もしかして、「魔術がこの世界に存在すること」すら信じていないでしょ?
ヴィクター:当たり前だ。過去にお前が提唱した魔術理論や起こしたとされる奇跡がすべて子供騙しの虚言だったことはメディアや記録媒体が証明している。そもそも【黄金夜明】(おうごんよあけ)のようなカルト教団自体、妄想と現実の区別もつかないイカれた連中の集まりだ。…こんな奴を傍に置くなぞ、“子供たち”に悪影響だろうに。(小声)
キャロル:ヴィクター。
アレイスター:大丈夫ですよ教授。それに今日は一つ、実際に魔術を見せるつもりで来たからね。魔術師の矜持(プライド)にかけて、僕が本物であることだけは証明させてもらうよ。…後でね。
キャロル:ほぅ、楽しみだな。
ジキル:え…、準備もなしにいったい何をするつもりですか先生。
アレイスター:それは後のお楽しみということで。それで教授。こうして親睦も深まったことですし、そろそろ本題を聞かせてもらえないかな。
キャロル:まだ魚料理(ポワソン)すら運ばれてきていないのだがね。
アレイスター:僕は嫌なことは先にやる性分なんだ。せっかくの絶品料理は、面倒ごとを処理してからじっくり味わいたいし。それになにより、大事な助手の不安そうな顔は、あまり見ていたくないものだからね。
ジキル:!
キャロル:ふ。そういうことならば君の意見を尊重して、始めるとしよう。ヴィクター。
ヴィクター:ああ。
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ジキル:(M)するとヴィクターさんは何かしらの印刷物を二部取り出し、先生と私の前に置いた。
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アレイスター:これは?
ヴィクター:「小惑星の力学」という論文だ。なんでもルイスが数学の教授を目指すきっかけになったものらしい。
キャロル:さて。ここで君たちに質問だ。この論文を書いた人物の名を知っているかね?
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キャロル:“ジェームズ・モリアーティ”、というのだが。
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ジキル:っ…!?
アレイスター:ええ、もちろん。昔の僕の活動柄、ロンドンの裏社会には何度か出入りしたことがありますし、なにより、僕とジキルくんは「シャーロックさん」と「ワトソン博士」の大ファンなので。
キャロル:ほう、それなら話が早そうだ。だがまあ、一応聞いておこうか。具体的には、モリアーティ教授のことをどこまで知っている?
アレイスター:表の顔はダラム大学の数学教授、裏の顔はロンドン中の犯罪を操作する「犯罪界のナポレオン」。でも個人的に重要視したいのは、今少し言った通り、モリアーティ教授は「ロンドンが誇る名探偵」の最大の仇敵だった、というところかな。
ヴィクター:…全部知っているようだな。
キャロル:素晴らしい。流石はアレイスター・クロウリーといったところか。
ジキル:…しかし、モリアーティ教授と私たちが呼ばれたことに、いったい何の関係が。
キャロル:それはとても簡単だよ。
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キャロル:「私が教授の意志を継いだから」さ。
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ジキル:な…っ!?
キャロル:ワトソン博士の書いた伝記にもある通り、1891年、モリアーティ教授はライヘンバッハで倒された。名探偵、シャーロック・ホームズの手によって。そうして晴れて、ロンドンを裏で支配していた最も危険な犯罪者は姿を消し、今宵も正義の手によって、世界の平和は守られている。…だが、疑問には思わなかったかね。あの名探偵が相打ちを覚悟しなければ倒せなかったほどの「極悪人」(クリミナル)が、そうあっけなくやられるだろうか。彼に心酔する者たちは口を揃えて言うだろう。「そんなわけがない!」と。そして実際、彼の意志は数人の配下に秘密裏に託されていた。そのうちの一人が他でもない、この私だ。
アレイスター:確かに言われてみれば彼もあなたも数学教授、繋がりがあるのは納得だね。しかしまあ、童話作家ルイス・キャロルがあのモリアーティ教授と繋がっていて、今まさに犯罪に手を染めようとしている、なんて。新聞(タブロイド)が知ったらどうなるかな。
ヴィクター:残念だが、自らを非難した場所にスクープを持って行ったところで、門前払いを食らうだけだ。
ジキル:…待って、ください。キャロル教授がモリアーティの部下だったとしたら…、ヴィクターさん、あなたは。
ヴィクター:…俺はモリアーティとは会ったこともない。だが、ルイスに見出されたんだ。「モリアーティの為せなかったことを為すために、協力してほしい」と言われてな。そして俺は誘いに乗った。ルイスは俺の「好奇心」を満たすために尽力し、俺は科学の技術を提供し完全犯罪をサポートする。これほど利害が一致した関係も珍しいと思わないか?
ジキル:…ヴィクターさん。
キャロル:さてと。少し話が逸れたね。それで結局、なぜ君たちを呼んだのかだが…、明哲な君たちならばもう察してくれているだろう?
アレイスター:ええ。なるほど、どおりで僕たちのような厄介者が呼ばれるわけだ。
アレイスター:これは、晩餐会という名の勧誘活動だった、というわけですね。
キャロル:ご名答。君たちさえよければ、是非我が軍門にくだって欲しいんだ。教授の意志を継ぐと豪語したはいいものの、私たちのチームは未だ発展途上でね。メンバーが私とヴィクター、そして“子供たち”(チルドレン)しかいないんだ。
ヴィクター:な…、ふざけるなルイス!俺の“発明品”(こどもたち)はお前の兵では断じてない!
ジキル:子供…?
キャロル:ふ。では仕方なく一部発言を撤回するが、そうすると現時点で私とヴィクターの二人きりだ。いくら我々が著名だからとはいえ、たった二人ぽっちでこの街を闇で覆いつくすというのはあまりにも現実的ではない話だ。彼のおかげで警視庁(ヤード)の取り締まりも一層強化されたと聞いたしな。
アレイスター:僕たちを仲間に入れたって、その問題は解決しないと思うけどね。世間から煙たがられている「史上最悪の魔術師」と、何故かそんな奴に肩入れしてくれている優秀な助手。こんな僕たちで本当に力になれるでしょうか。
キャロル:なれるとも。それも十分にね。
ジキル:…一つ、質問があります。…なぜそうまでしてモリアーティ教授の野望を叶えようとするのですか。彼に出会う前も出会った後も、たとえ犯罪のイロハを教えられていたとしても、あなたは一介の数学教授であり童話作家だったはずです。そんなあなたが、悪に堕ちてまで彼のことを思い従う理由はっ…!
キャロル:理由?ふむ…、理由、理由ねえ。
ヴィクター:悩むことはないだろうルイス。至極簡単(いつもいってるアレ)だ。ほら、窓の外を見てみろ。
キャロル:―――ああ、そうだったそうだった。ありがとうヴィクター。そしてお答えするよ、ジキルくん。
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キャロル:ジェームズ・モリアーティこそ、私にとっての「月」だから。それだけだとも。
ジキル:っ…。
アレイスター:お言葉ですが。月にいくら手を伸ばしても、あの緩やかな光を手にすることはできないですよ。
ヴィクター:だからこいつは俺やお前を勧誘したんだろうよ。前人未踏を成し遂げんとするためにな。…いつしか気が触れていた童話作家は、在りし日に触れた「月」の輝きに目を奪われ、虜になってしまった。心身ともに疲弊していた自分に優しく、そして妖しく微笑んでくれた、人生の恩師でありミチシルベ。…前に聞いた話によればコイツにとってのモリアーティ教授はこれほどの存在らしいからな。この馬鹿は少しでも暗い星空の王に近づき、そしてなお両手を伸ばしたいんだ。…ま、個人的には「お前にとっての月は“リデル嬢”であれよ」と突っ込みたくなるが。
キャロル:勿論“リデルちゃん”のことも愛しているとも。だが、彼女には月という雄大な存在ではなく、花畑で幸せそうに眠る儚い姫君が相応しい。彼女の(微笑みに癒されないものはこの世にはいないし―――。
ヴィクター:[被せて]止まれ(シャラップ)。語っている暇があるならば逸れた話の軌道を修正しろ。
キャロル:…ふ。いやはや、やはり舵取り役がいてくれると非常に助かるね。しかし、熱が入りすぎたかな。どんな話だったのかを忘れてしまった。ので…、こんな話から切り戻そう。これは私の持論なのだがね。忠誠を得るために必要なもの…、もとい、人の心を掌握するための方法は、大きく分けて三つあると思っているんだ。
ジキル:ぶ、物騒な話、ですね…。それで、その三つとは?
キャロル:「心酔」(カリスマ)、「洗脳」(ドミネーション)、そして「恐怖」(テリブル)。
アレイスター:より目に見えて物騒になったね。
キャロル:そして…、君たちはこの三項を完全に満たす唯一の逸材だ。
アレイスター:へえ。申し訳ないんですが、いまいち自覚が持てないので、ご教授願えますか?
キャロル:よかろう。まず一つ、「心酔」(カリスマ)。これは魅力によって人を惹きつける方法だ。
ジキル:…あなたがモリアーティ教授に惹かれたのと同じ、ですよね。
キャロル:その通り。アレイスターくん、先ほど君は自分のことを世間から煙たがられていると言っていたが、世界には今も君の復活や魔術理論に焦がれている者たちが溢れていることを知っているかね。
アレイスター:あまりよくは知りませんが、未だに一定の支持があるらしいことは冗談交じりに聞かされます。
キャロル:誇りたまえ、それは冗談ではなく事実だ。君が世間から姿を消してなお信者が絶えないならば、カリスマ性は十全にあると言っていいだろう?
ヴィクター:そいつらが使い物になるのかどうかは度外視でな。
キャロル:ヴィクター。…こほん。続けるが、二つ目の「洗脳」(ドミネーション)と三つ目の「恐怖」(テリブル)を持っているのは、アレイスター君ではなく…、君の方だ。[ジキルを指して]
ジキル:え…、私、ですか…?
キャロル:正確に言えば、三つ目を持っているのは君でもないがね。
ジキル:私でもない…?…っ!
キャロル:ふ。どうやら気が付いたようだな。そうだ。洗脳を行うのは君が生み出した「発明品」(メディスン)、恐怖で支配するのは君の内に秘められた「悪性」(アナザー)だ。
ジキル:っ…、そんな…っ。
アレイスター:なるほど。なぜ「彼」のことや「狂気の薬」のことを知られているのか、手紙を貰った時から気になってたけど、話を聞いているうちに納得したよ。ジキルくん、どうやら君の研究は、前々からモリアーティ教授に目を付けられていたということだね。
キャロル:優秀な思考能力だ。ちなみにではあるが、君のことも彼から聞いたよ。アレイスターくん。
アレイスター:本当ですか。それは驚きましたね。モリアーティ教授に目を付けられるほどやらかしていた昔の自分に。
ヴィクター:今更過ぎる話だろうが。
キャロル:モリアーティ教授からジキルくんの話を聞いたときはとても驚いたよ。「人間の持つ悪意を抽出し、精神分離させる薬」…。そんな狂気の発明があっただなんて。実に興味深いと思った。だがしかし、私以上に興味を示したのが、ここにいる天才、ヴィクター・フランケンシュタインだ。
ヴィクター:ああ。あなたのことは科学者だった時代から尊敬していたが、そんな世紀の大発明をしたのがジキル博士だと聞いたとき、とても心が躍ったのと、あなたへの尊敬が崇敬にかわったのをよく覚えている…!
ジキル:…やめてください。あれは忌むべき過去であり、決して掘り返してはならない狂気の研究です。だからこそ、私は先生に協力してもらって、資料や記録もろともを炎で覆い、蓋をした…。二度と、誰にも開けられないように。
ヴィクター:…そうか。ああ、「可哀想」なジキル博士。
ジキル:え…?
ヴィクター:あなたは自分で精神分離の薬を服用してしまった。だからこそ、今のあなたを形作るものは善性のみであり、悪意は二度と芽生えない。…人の道を外れた実験の素晴らしさを俺に教えてくれたのは、他でもないあなたなのに。
ジキル:…ヴィ、ヴィクターさん…?何を、言って…。
ヴィクター:俺には幼いころからずっと夢があったんだ。「生命の謎を解き明かし、根源へと辿り着きたい。」だが、成長するにつれて俺を形作る「好奇心」はどんどん大きくなっていき、やがては…、「いのちを自在に操ってみたい。」と、そう思うようになった。そして俺は生物学を学び…、ついに、「ニンゲンの設計図」を作るに至った。
アレイスター:「ニンゲンの設計図」。それはいったい、どんな内容なのかな?
ヴィクター:簡単だ。「生を終えた者の皮や血肉、臓器を集めて繋ぎ、新たな“生命”を誕生(つく)りだす。」
ジキル:…うっ。
ヴィクター:今となっては「それだけのこと」。…だが、当時の俺の理性はそれを許さなかった。人の道を外れることはそれ即ち神に背くことだ。だから俺は、内から溢れ出る衝動を抑え、ただ研究に明け暮れていた。つまらない死骸の解剖をして気を紛らわし、くだらない論文を書いて退屈を埋めた。…そんなときルイスに出会い、ジキル博士の悪性分離の研究を聞かされたんだ。俺が唯一敬うあのジキル博士が、人を悪に堕とす研究をしていたと聞かされた時、俺の中のリミッターが壊れた音がした。醜悪な好奇心を剥き出しに、テーブルに置かれた設計図を手に取って、墓から数人の死体を掘り起こして。すぐさま俺は実験に取り掛かった。理性を蒸発させ、本能に従い、食事も睡眠も忘れてただ夢中で人間を繋ぎ合わせていく。亡者に触れるたび、血液を波立たせるたびに、雲霞(うんか)の如く押し寄せる悪意のささやき。あの日の解放感と背に伝う背徳の味は未だに忘れないよ。
ジキル:わ、私が…、私の、あの研究が…、未来ある若者を、悪に、堕としてしまった…?
ヴィクター:ああ、そうだ!あなたには感謝しかない!あなたがいなければ俺は罪の味を知ることはできなかったし、なにより…、愛しい“完成品”(わがこたち)が生まれてくることもなかったのだからな!
ジキル:…そ、それって…、まさか、さっき言ってたヴィクターさんの子供って…、
ヴィクター:勿論、俺が造り出した人造人間のこと!とてもいい子たちだから、ジキル博士にもきっと懐くと思うぞ!
ジキル:そんなっ…。
アレイスター:キャロル教授。まさか、ジキルくんの薬をヴィクターくんに飲ませたわけじゃありませんよね。
キャロル:ああ。そんなことはしていないよ。これはヴィクターが勝手に「狂った」(こわれた)だけだ。というのも、流石のモリアーティ教授も薬の製造方法までは手に入れられなかったらしくてね。今宵ジキルくんからいい返事が聞けたら、すぐに薬を量産しようと考えていた次第だとも。
アレイスター:…それならいいか。ジキルくん、戻っておいで。ヴィクターくんはもともと持っていた自分の狂気で壊れただけだ。君は何も悪くない。
ジキル:…ぅ、あぁ…。私が、私があんなものさえ造らなければ…っ。
キャロル:…やれやれ。壊しすぎだヴィクター。今さっき君も言ったとおり、今のジキルくんからは悪性が取り除かれているんだぞ。そんな話をしたら罪悪に心を侵されることくらい容易に想像がつくだろう。
ヴィクター:…すまなかった、博士。でも、俺は自分の思いをただ率直にあなたにぶつけたまでだ。
キャロル:まったくこれだから熱意のある厄介なファンというのは困るんだ…。おまけにプライドも高いし…。
ジキル:…ごめんなさい、ごめんなさい…。
:
アレイスター:ジキルくん。久しぶりに「隠れんぼ」をしようか。
:
ジキル:え…っ。
アレイスター:この場は僕と「彼」に任せて、君はゆっくり「隠れて」休み、心を落ち着かせていればいい。それにきっと、キャロル教授は「彼」とも話してみたいだろうしね。
ジキル:…せ、先生が言うのなら。
アレイスター:ありがとう。それじゃあ、さっそく始めようか。
ヴィクター:おい、何をするつもりだ?
アレイスター:さっき言ったでしょ、「今日は一つ魔術を見せる」って。その実演だよ。
キャロル:ははぁ、なるほど。そうか。ずっと疑問に思っていたが、そういうことだったのか。君が制御しているんだな、アレイスターくん。
アレイスター:まあ、そんなところです。
:
アレイスター:ではジキル君。今からは「彼が鬼で、君が隠れる番だ。」いいね?
ジキル:…はい。
アレイスター:「もういいかい?」
ジキル:っ、「まだ」、です…。
アレイスター:君は「隠れる」(ハイド)。彼が「顕れる」(シーク)。「もういいかい?」
ジキル:ま…、「まぁだ、だよ」…。
アレイスター:なら今一度、数えよう。さーん。にーぃ。いーち。「もういいかい?」
:
ジキル?:「もういいよ。」[意識を失いふらりとテーブルに倒れる]
:
ヴィクター:!? これは…、まさか。
キャロル:そのまさかだろうね。…心の準備をしておけ、ヴィクター。「悪」がやってくるぞ。
:
0:[「ジキル」と「ハイド」の人格が入れ替わる]
:
ハイド:[ゆっくりと起き上がり目を開ける]嗚呼。眩しいな。眩しい。小さなシャンデリアの淡い光りも、わたしからすれば燃え盛る業火のようだ。
アレイスター:こんばんは、ハイドさん。気分はどうかな。
ハイド:悪くはない。先ほどの会話は聞いていてなかなかに愉快だったしな。
キャロル:はじめまして、エドワード・ハイド氏。その言いぶりから察するに、やりとりはすべて聞かれていたようですね。お恥ずかしい限りです。
ハイド:ルイス・キャロル。もしくはチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。はじめまして。聞くも何も、わたしが眠ることはないからな。わたしはいつだってジキルの潜在意識に潜んでいる。だからこそ、ジキルが覚醒していようが眠っていようが、どんなときだろうともわたしはいる。もっとも、会話はできないのだがな。ああそうだ。お前の書く物語は読ませてもらったよ。イカれていて素晴らしかった。
キャロル:「悪」そのものであるあなたにそう言ってもらえるなんて、嬉しい限りです。ほら、君も挨拶をしたまえヴィクター。礼儀だよ。
ヴィクター:あ、あぁ。お初にお目にかか―――。
ハイド:[食い気味に]お前はくだらない。ヴィクター・フランケンシュタイン。
ヴィクター:な…っ、
ハイド:ところでアレイスター。今の呪文の説明はしなくていいのか?そこのクソガキに自分が本物の魔術師であることを証明したかったのだろう?
アレイスター:ああ、そうだね。じゃあ一応解説を。ジキルくんは善と悪を切り離す薬を造り出すと、真っ先に自分で服用した。そうしてジキルくんの悪性からハイドさんが生まれるわけなんだけど…、ハイドさんが暴走したのか、薬の副作用だったのかは知らないけど、いつしか主人格であるジキルくんはハイドさんに意識を飲まれそうになってしまってね。もうどうしようもなくなって、ジキルくんが自殺を選ぼうとしていたところに偶然僕が通りかかり、得意の「黒魔術」でハイドさんをなんとか押さえつけることに成功したんだ。そうしてなんやかんやあって、ハイドさんは大人しくなって、僕の合図ひとつで自在に人格を切り替えられるようになった、というわけだね。だから、もう一度念を押して言わせてもらうけど…、僕はペテン師でも手品師でもなく、「魔術師」だよ。「魔術師」。
ヴィクター:…そうかい。
キャロル:しかし不思議だね。私が調べた限り、「黒魔術」に精神を落ち着かせたり、人心を癒すような魔術はないはずなのだが…、それは、私が無知なだけなのかな。
アレイスター:さあ、どうでしょうね。
ハイド:アレイスター、アレイスター。自責に苛まれるジキルを見かねてわたしを呼び出したはいいが、覚えているか。肝心の晩餐会の勧誘がお前の番で止まっているぞ。
アレイスター:ん?ああ、そうか。キャロル教授から犯罪界への勧誘を受けていたんだっけ、僕たち。面白い話ばかりですっかり頭から抜けていたよ。
キャロル:ハイド氏が話を巻き戻してくれて助かった。さあというわけだ。勿論仲間になってくれるのであれば、できる限り、君たちの望むものを与えよう。アレイスターくんにはあらゆる魔術書と探求に費やす時間を。ジキルくんには「華びやか」な安寧を、ハイド氏には思うがままの悪行を。
ハイド:ほぅ。それはなんとも惹かれる話だな。心ゆくまで悪を為すとは、実に面白そうだ。だがしかし、わたしの主はヘンリー・ジキルであり、わたしの飼い主はアレイスター・クロウリーだ。ゆえにわたしは、お前の選択に従おう。
ヴィクター:…あなたらしく、ないな。
ハイド:お前のような小童(あおにさい)にはわからない話さ。それに、実際のところわたしはどちらでも構わないんだ。再び蛮行に手を染めるのも、アレイスターやジキルと共に穏やかに忙しい時を過ごすのも一興だからな。
キャロル:なんと。…事情を知らずにあなたと話したならば、あなたが悪性から生まれたとは、誰も思わないでしょうね。
ハイド:悪である以前にわたしも生き物だからな。単に粗暴、単に暴君であるわけではないのだよ。もっとも…、染まれと我が飼い主が仰せならば、悪逆の限りを尽くすことはいつでもできるが。
ヴィクター:っ……、それは、恐ろしい、な。
キャロル:…ふ。ああ。実に恐ろしく、素晴らしい。アレイスターくんのカリスマと、ジキルくんが作った悪性抽出の薬。そしてハイド氏という「純粋悪」によってもたらされる恐怖。この三つがあれば、犯罪界を、いいやロンドンを支配することなんて赤子の手を捻るようなものだろうな。
アレイスター:そうでしょうね。
キャロル:…さあ、アレイスターくん。そろそろ気持ちのいい返答を聞かせてくれたまえ。
アレイスター:はい。では教授、改めて。
:
アレイスター:この大魔術師アレイスター・クロウリー、喜んで「お断りさせていただきます」。
:
ヴィクター:…なんだと?
アレイスター:まことにすみませんが、月に手を伸ばしたいのなら、他をあたってください。
キャロル:…馬鹿な。やせ我慢だと撤回するならば今のうちだが。
アレイスター:僕に我慢する理由がないでしょ。というかそんなに驚きます?もしかして、ここで断られるプロットは予定してなかったのかな。
ヴィクター:当たり前だ!あれほど世間を騒がせ、醜聞を広めた悪人(おまえ)が、悪に、魔術の探求に、モリアーティという名前に、惹かれないわけがない!
ハイド:…ほう。なるほどな。どおりでさも勝ちを確信したような表情(カオ)で話を進めていたわけか、ルイス・キャロル。
キャロル:…どういうことですか。
ハイド:お前たちは「月」に惑わされたということだ。百聞は一見に如かず。噂や記事、人伝いで耳にしたものを信じ切って、それ以上の情報を得ようとしなかった。お前はアレイスター・クロウリーという人間を「事実」(ファクト)でしか見なかった。実に愚かな行為だな。
アレイスター:ハイドさん。僕だから言わんとしていることはわかったけど、そんなに遠回しに言っていたら二人にはいつまで経っても伝わらないと思うよ。
ハイド:ならばお前が手本を見せろ。
アレイスター:勿論(オブコース)。えぇと、多分キャロル教授たちは僕のことを「昔のまま」だと思ってるんですよね。破天荒で、すぐ人に喧嘩を売って、魔術の深みに達するためなら、良いことだろうが悪いことだろうがお構いなしにこなす。…自分で言ってて恥ずかしくなってきたなあ。
ハイド:受け入れろ。それがお前という人間が歩んできた歴史の史実だ。
アレイスター:言われなくともわかってるよ。…キャロル教授。そしてヴィクターくん。僕は先ほどこう言った。僕とジキル君は共に、「シャーロックさんとワトソン博士の大ファン」なんだ、と。―――なぜだと思いますか?
ヴィクター:なぜ、だと?
アレイスター:あなた方の思うアレイスター・クロウリーは破天荒な悪人で、魔術が恋人だと言われてもおかしくないほどに研究熱心。他のことはすべて投げ出すほどだった。…そんな奴が、正義の名探偵シャーロック・ホームズを敬うと思いますか?答えはノー。実際その頃の僕は、彼の存在すら知りませんでした。
キャロル:その頃、だと?
アレイスター:はい。ところで話は変わるんですが、教授。あなたは、「僕が今何をしているか」、知っていますか?
キャロル:当然だとも、隠居だろう?世間から嫌われた君は、ロンドンの街はずれにある小さな家で、人知れず魔術の探求をしている。
ハイド:隠居は正解だが根本ははずれだ。ルイス・キャロル。
キャロル:なに…っ。
アレイスター:だって、考えてもみてください、教授。あなたが月に惑わされて、突然犯罪に堕ちるのなら、僕が月に絆されて、突然正義を胸に宿したって、何ら不思議じゃないと思いませんか?
キャロル:っ…!?
ヴィクター:な、に…!?
ハイド:ほうら。言ってやれ、アレイスター。お前にとっての月が誰であるのかを。
アレイスター:うん。なんとびっくり、世間からバッシングを受けて落ちぶれ、さらなる蛮行に走ろうとした僕を引きとめ、手を取ってくれた恩人は―――、かの名探偵の「お兄さん」だったのです。
:
アレイスター:キャロル教授。あなたの月が「ジェームズ・モリアーティ」であるならば、僕を照らす淡い光は、「マイクロフト・ホームズ」だ。
:
キャロル:英国政府のポスト役と呼ばれるあの男が、最悪の魔術師を更生させたというのか…っ!
アレイスター:まあ、詳しい経緯は本当に恥ずかしいので伏せるけど…、何はどうあれ、現在僕はマイクロフトさんに言われて、政府のお仕事を手伝ったり、シャーロックさんが追う事件の証拠を集めたりしているんです。勿論その傍ら、魔術の探求もしっかりしているけどね。
ヴィクター:ありえない…。お前が正義を為すなど、そんなことがあるかっ!
ハイド:そうは喚くがな、ヴィクター・フランケンシュタイン。これはお前たちのミスでしかない。実のところ、わたしたちは隠れて生活してはいるが、その仕事柄よく外出するし、マイクロフト・ホームズ本人に会うことも多い。ゆえに、アレイスターの現在はお前たちがその重い腰を上げて少し調べればわかることだった。だというのに、お前たちはわたしたちのすべてを視ず、過去の幻影を重ねてしまった。ああ、これだから印象(イメージ)のシャドウとは恐ろしい。
ヴィクター:チッ…!
アレイスター:そうして、アレイスター本人も意図していない「赤毛手法」(ミスディレクション)が出来上がったわけだね。なるほど、これは面白い。
キャロル:…悪人を悪人としてまとめ、高を括ったのが私のミスというわけだ。
アレイスター:「初歩だよ、キャロル教授」。そう、まさしく、アルファベットの「ABC」のようなことです。
ヴィクター:…はっ!正義を身に宿しただかなんだかは知らないが、三つ子の魂百まで。お前の根本、起源は間違いなく常識外れの魔術狂いだ。果たしてお前のような「悪擦れ」(あくずれ)に正義が務まるか?
ハイド:当然だ。正義も悪の一つだからな。ときに、負け犬の遠吠えは聞くに堪えないものだぞ、ヴィクター・フランケンシュタイン。
ヴィクター:……。
アレイスター:というわけです、キャロル教授。今夜のこと、そしてヴィクターくんの“お子さん”のことは、マイクロフトさん、およびシャーロックさんにつつがなく報告させていただきます。問題なく事が運べば、明日にでもレストレード警部がここにやって来るんじゃないかな。
キャロル:ふ、ははははは。いや、笑えてしまうな。今宵私がここまで大掛かりにしてやったことがただの盛大な自白、自供だったとは。せっかく満ちた月に見守られているというのに、情けない。…そうか。なるほど。私は犯罪者として、モリアーティ教授に手を伸ばす資格すらなかったということらしい。
ハイド:ああ。それにわたしから言わせれば…、お前は利巧すぎるのだ、ルイス・キャロル。お前は大人しく子供たちと戯れ、怪物(ジャバウォック)を聖剣(ヴォーパル)で倒すような不可思議(ロマン)を追い求める方が似合っている。
キャロル:あなたがそういうのならば、私には才能がないのでしょう。…しかし、それでも諦めたくないものなんだよ。夢というものはね…っ!
アレイスター:っ?この音は…?
ハイド:何かが向かってくるな。重い足音だ。
ヴィクター:!? おいルイス!この愛おしい足音、まさかこれは!?
キャロル:ふ。私はね、ヴィクター。『負ける勝負はしない主義』なんだ。さあ出番だ、姿を現したまえ、「メアリー」!
:
ハイド:(M)次の瞬間、部屋の壁が轟音と共にぶち破れた。煙の奥から出てきたのは―――。
:
ヴィクター:「メアリー」!ロンドンまでついてきてくれていたのだな!ああ…、俺の愛しい娘よ…っ!
アレイスター:…わあ。これは想像以上だったな…。
:
ハイド:(M)呆れるほど大きな図体に、ツギハギだらけの皮膚。かろうじて女だということがわかる体つき。なるほど。
:
ハイド:この冒涜的で醜悪な「バケモノ」がこいつの「造り」(うみ)だした「怪物」(こども)か。不覚にも少し興味深い。
ヴィクター:貴様…っ、ハイドッ!!俺の娘を、メアリーを馬鹿にしたな…っ!お前なぞ、今ここで息の根を止めてくれる!
ハイド:やってみろ。銃を引き抜こうがその娘を遣(つか)おうが構わないが、その時にはお前の首が宙に飛んでいるだろうな。
キャロル:挑発に乗るなヴィクター。私がこの子を呼んだのはここから一度退却するためだ。二人を殺すためじゃない。
ヴィクター:…くっ。
アレイスター:しかし逃げてどうするつもりかな、教授。悪事を自分から暴いてしまった以上、逃げきるのは難しいと思うけど。
キャロル:アレイスターくん。『物語とは面白くあってこそ』。違うかね?
アレイスター:いいえ、その通りです。
キャロル:人の人生もまた物語だ。ならば、このルイス・キャロルの人生に「駄作」は似合わない。幸い教授の計らいで金なら溢れているのでね。なんとか体勢を立て直し、権力を手にしてまた現れる所存だよ。
ハイド:そうか。…フ。フフ、フフフ。ハハハハハ。
アレイスター:ハイドさん?急に笑ってどうしたの。
ハイド:フ、フフ。すまないな。いやなに。とても楽しみだな、と。思っただけのことだ。―――お前が一流の犯罪者となって復活し、モリアーティのようにロンドンの街を闇で覆うのがな。
キャロル:…ふ。なるほど。確かに、あなたはきちんと悪人のようだ。
ハイド:理解(わか)ってもらえて嬉しい限り。
キャロル:さあ、ヴィクター。「メアリー」に乗って逃げるぞ。
ヴィクター:の、乗るだと!?ふざけるな、俺の娘を機関車か何かと勘違いしているのか?!
キャロル:仕方がないだろう、君の生み出す子たちはみな運動能力が人間よりも遥かに高いんだ。いったん警視庁(ヤード)の捜査を逃れるため、致し方ないことだ。
ヴィクター:…くそ。ごめんな、「メアリー」…、少し重いからな…っ!
キャロル:…さて。せっかく招いたのに申し訳ないな、二人とも。今宵の晩餐会はここでお開きだ。
アレイスター:いえいえ。こちらこそ、美味しい料理と楽しい時間をありがとうございました。「また呼んでください」。
ハイド:「次」は是非わたしも最初から混ざりたいので、検討をよろしく頼もう、アレイスター・クロウリー。
アレイスター:それはジキル君に聞いて欲しいかな。
ヴィクター:…ハイド。
ハイド:なんだ。
ヴィクター:お前に「くだらない」と言われたことは忘れない。必ず見返してやる。…首を洗って、待っていろ。
ハイド:…フ。ああ、「期待しているぞ」。
ヴィクター:…悪人が。
アレイスター:それではお気をつけて、教授。また衝突(おあい)しましょう。
キャロル:ああ。さらばだ、諸君。また満月の夜に衝突(あ)おう…!!
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ハイド:(M)こうして、優雅なる星月夜の晩餐会は終わりを迎えた―――。
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0:
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ヴィクター:ああ、ごめんな、メアリー…。っ、なんてことだ、お前のかわいい服と綺麗な肌がこんなにも汚れて…。
キャロル:君は本当に子供のことになるとろくでもないなヴィクター。これが本当の「モンスターペアレント」、か。ふふ。
ヴィクター:うるさい!…だが。こうして娘に苦労してもらわなくてはならなくなった原因は、俺たちの初歩的なミスによるものだ。それが、とても悔しい。
キャロル:同感だ。まさか、そんなことで計画がすべてひっくり返るなんてな。まったく、悪事とは上手く運ばないものだ。ふ。考えれば考えるほど、“プロフェミナル”の偉大さに気づく。
ヴィクター:それで…、これからどうするんだ、ルイス。取り敢えずこの国は離れた方がいいと思うが。
キャロル:任せてくれたまえ。すでに次の目的地は既に決まっている。
ヴィクター:早いな。それでどこだ。
キャロル:フランスさ。
ヴィクター:…英国から近すぎるんじゃないか。
キャロル:大丈夫だよ。しばらくは彼らもこの国を探し回るはずだ。そうして捜査の手が届かない間に、「三名の悪人」に会いに行く。全員モリアーティ教授とコンタクトを取ったことのある人物だ。
ヴィクター:悪人(ヴィラン)が三人?誰だ。
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キャロル:「怪盗アルセーヌ・ルパン」、「怪人ファントム・ジ・オペラ」、「復讐鬼モンテ・クリスト伯」。
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キャロル:さあ、行こうヴィクター。今宵の月に「さようなら」(オ・ルヴォワール)を告げて。
:
0:
:
アレイスター:いやぁ、楽しかったね、ハイドさん。
ハイド:ああ。久々に意識を取り戻したが、とても愉快な夜だった。満足だ。
アレイスター:それはよかったよ。あ、ところでジキルくんはどう?落ち着いた?
ハイド:バッチリだ。ゆえにわたしの出番は終わりだな。
アレイスター:えぇ、もう戻っちゃうの?今回は出番が短かったから、少し惜しいなぁ。
ハイド:出番も何も、お前が呼び出せばわたしは嫌でも顕(あらわ)れるんだ。もし恋しくなったらいつでも呼べばいい。
アレイスター:そういうのはなんだか違うんだよ。ハイドさんに会うときは特別だから高級感があるというか。
ハイド:変わり者め。
アレイスター:生い立ちすら変わってるハイドさんには言われたくないね。
ハイド:そうか?「自分の名前を悪の化身につける」阿呆よりはマシだと思うが。
アレイスター:それを言われると負けるなあ。
:
アレイスター:それじゃあね、ハイドさん。
ハイド:ああ。また近いうちに会おう、アレイスター・クロウリー。近いうちに、な。
:
アレイスター:「ジキルくん、みーつけた。」
:
ハイド:[意識を失いふらりと倒れる]
:
0:[「ハイド」と「ジキル」の人格が入れ替わる]
:
ジキル:…ぁ、せんせい。終わったん、ですか。
アレイスター:ああ。終わったよ。
ジキル:…ん、って、壁が壊れてますけど…!?これはいったい、なにが…!?まさか、ハイドが暴れたんですか…!?
アレイスター:さあどうだろうね?
ジキル:……。
アレイスター:冗談冗談。「英国紳士的冗談」(ブリティッシュジョーク)です。
ジキル:…拗ねますよ?
アレイスター:それはそれで面白いからアリだなぁ。
ジキル:私で遊ばないでください。
アレイスター:ごめんごめん。
:
アレイスター:さあ、帰ろうかジキルくん。満月の下を、ゆっくりと。
ジキル:…はい、先生。
:
0:
:
アレイスター:ビッグ・ベンよりも遥か上空。悪戯に微笑む夜空の月は、今日もひどく美しい。一体どれほどの命が、あの我が儘な輝きに焦がれ、憧れ、そして愛したのだろう。日常を切り裂いて。常識を砕いて。酸いも甘いも苦いも巻き込んで、愛情に溢れるように、微笑みに溺れるように。
:
アレイスター:霞に染まる月の下、物語は終わらない。
:
0:End
アレイスター:19世紀も終わりに差し掛かる、ブリテンの夜。本日も変わらず、月明かりは妖(あや)しく英国人たちを惑わせる。…かの名探偵が悪の数学教授を討ち果たしてもなお、不気味に、淡く、ゆるやかに。「絶対的」な夜の使者、ムーンライトは変わらない。
:
0:Absolute/Banquet/Collision
:
ジキル:(N)1月26日、22時30分。ロンドン、ホワイトチャペル地区。満月の光の差し込む館の窓から、空を見上げる影がひとつ。
:
キャロル:「ウサギの巣穴に誘われて、飛び込んだ先は不可思議溢れる闇の世界。権力と金、行き過ぎた世直し、誰かを幸福(シアワセ)にする権利。裸足のメアリ・アンを奔(はし)らせ続け、蜘蛛の糸を手繰り寄せた果て、私は悪の華と成る。」…今宵彼らを味方につけることができれば、“教授”。あなたのように、裏のセカイを統べる日もそう遠くないでしょう。どうか、見守っていてください。決して(届きえない闇夜の帝王、ジェームズ…。
ヴィクター:(被せる)また一人でぶつくさ言っているのか、ルイス。
キャロル:おっと、ヴィクター。部屋に入るときはノックをするのがマナーだよ。
ヴィクター:なら今度からはもっと激しく扉を叩かせてもらおう。
キャロル:…ああ。もうこんな時間だったのか。どおりで月明かりがこんなにも眩しい。
ヴィクター:……。
キャロル:…珍しく顔が強張っているようだが。
ヴィクター:そんなことはない。
キャロル:重要視するべきはいつだって主観ではなく客観的な事実だよ。
ヴィクター:存じているさ。だが今に限ってはそれも当てにならない。
キャロル:その心は。
ヴィクター:第三者(おまえ)の網膜が月光に妬(や)かれて、幻想(ゆめ)を魅せられているからだ。
キャロル:ふ…。ならば、君には余計しっかりしてもらわなくては。喪(も)えている私の瞳の代わりに、君が現実を見据えてくれなくてはならないからな。
ヴィクター:っ…!
キャロル:二週間前も言ったがもう一度言おうヴィクター。身構えることはない。これは愉(たの)しい晩餐会だ。カトラリーをゆるやかに動かし、ディナーを口に運び、談笑(トーク)に蠱惑(こわく)の華を咲かせる。それだけでいい。
ヴィクター:ふん。…お前の仰せの通り。
キャロル:よろしい。さて。雑談が長引いてしまったが、時計の針と君の表情を見るに、そろそろ行くのだろう?月が光を届けてくれているとはいえ、夜闇(よやみ)が暗く寒いことには変わりない。十分気を付けて行くんだよ。
ヴィクター:言われなくとも慎重(ケアフル)にするさ。しかしルイス。出発する前に一つ疑問を吐かせて貰うが。何故、奴らを迎えに行く役が俺なんだ。こんな雑用まがいのこと、適当な奴にやらせておけばいいだろう。
キャロル:残念なことに、従者たちはみな客人をもてなすための準備で忙しくてね。手が空いているのが君しかいなかったのだよ。それに君が彼らと話しながら帰ってくることでアイスブレイクにもなる。一石二鳥というやつだな。
ヴィクター:…チッ。この天才を粗末に扱った恨みはいつか晴らしてやる。
キャロル:滅相もない。君のことは大切にしているよ。オックスフォードのフィリアス・フォッグが私ならば、君はパスパルトゥーのようなものだからね。
ヴィクター:要はお前の命令に従い傍につく執事(セバスチャン)ってことだろうが。
キャロル:言葉の綾(あや)だ。
ヴィクター:はぁ…。もういい。刻限も近づいてきてしまった。怠惰な主人の為に精一杯苦手な運転をしてくることにする。
キャロル:行ってらっしゃい。濃霧(のうむ)と「切り裂き魔」(ジャック・ザ・リッパー)には十分注意するんだよ。
ヴィクター:不吉なことを言うなっ![部屋を出て扉を閉める]
キャロル:ふ。さあ、満月の下をシロウサギが駆ける。その足取りはまるで、招かれざる客を誘(いざな)うように……。
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0:
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ヴィクター:(N)同日、23時30分。ロンドンの古い小家(しょうか)の前に、二人は立っていた。
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アレイスター:[懐中時計を確認して]約束の時間だけど…、来ないね?
ジキル:そう、ですね。…もしかしたら、あの手紙自体が何かの悪戯だったのでしょうか。
アレイスター:だとしたらタチ悪いなあ。たとえ盟友(メイザース)の仕業だったとしても一週間くらい口を利かない自信があるよ。
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ジキル:(M)私の名前はヘンリー・ジキル。昔は科学者をやっていましたが、今はとある経緯でこちらにおわする、アレイスター先生の助手をしています。そんな私たち宛てに届いた一通の手紙。そこには、「満月の夜、私たちを晩餐会へ招待する」という旨が綴られていました。この不思議な誘いに乗ってみることにした私たちは、私たちを迎えにくるらしい使者を待っているのですが――――。
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ジキル:…結局、差出人が誰だったのか、わからなかったんですよね。
アレイスター:うん。“あの人”に掛け合って調べてもらったけど、駄目だったってさ。
ジキル:…イギリス政府の力すら届かないなんて、いったい何者なんでしょうか。
アレイスター:さあ。もしかしたら亡霊(ゴースト)や怪異(オカルト)かもしれないね。そうだった場合僕は本気で調べさせてもらうけど…、どうやら違いそうだ。
ジキル:えっ?
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ヴィクター:待たせたな、お二方。
ジキル:あ…!
ヴィクター:遅れて申し訳ない。俺はヴィクター。ヴィクター・フランケンシュタイン。…館の主の命令により、あなた方を迎えに来た。
ジキル:えっ…!?
アレイスター:ご丁寧にありがとう。知っているとは思うけど、礼儀には礼儀で返させてもらうよ。僕は魔術師アレイスター・クロウリー。それから?
ジキル:あ、アレイスター先生の助手、ヘンリー・ジキル、です。
ヴィクター:ああ。お会いできて光栄だ。さあ、車(プジョー)はあっちに駐(と)めてある。お互い話したいことは山ほどあるだろうが、それは車の上で。晩餐会の開始まで時間もないのでな。
アレイスター:了解したよ。さあ行こうか、ジキルくん。
ジキル:は、はい…。
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ジキル:(M)若々しい風貌の男性(女性)…、ヴィクターさんに促されて、私と先生は黄色の車に乗り込んだ。そして、ヴィクターさんがハンドルを握り、車輪が廻りだす。
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ヴィクター:…さて。まずはあなた方に、非礼を詫びたい。
アレイスター:非礼?
ヴィクター:手紙のことだ。わけがわからなかっただろう。差出人(フロム)は空欄、招待状だというのにまどろっこしすぎる書き方、おまけに裏面に脅しの如く綴られたメッセージ。…さぞ混乱したはずだ。…あの馬鹿が、本当に申し訳ない。そして、内容を汲み取り、こうして招待を受けてくれたことに、心からの感謝を。
アレイスター:大袈裟だよ。というか、感謝を述べるのはこちらの方さ。僕たちのような厄ネタを凝縮したみたいな存在をこんなに楽しそうな催しに招いてくれて、とっても嬉しいよ。どうもありがとう。
ヴィクター:…はっ。噂に違わぬ変人だな。
アレイスター:ところでジキルくん。大丈夫?ずっと怪訝な顔をしているけど。
ジキル:…いえ。きっと、緊張で。
ヴィクター:気持ちはわかるが、どうかそう身構えないでくれ。ことわっておくのを忘れたが、俺たちはあなた方に悪いことをしようとしているわけじゃないからな。ただ卓を囲んで話がしたい。それだけだ。
ジキル:そう、ですか。…あの、ヴィクターさん。
ヴィクター:なんだ?
ジキル:…人違いだったらごめんなさい。…あなたは、オックスフォード大学の生徒さんですよね。
ヴィクター:…そうだが、なぜそれを?
ジキル:「現代のプロメテウス」。
ヴィクター:あ…っ。
ジキル:一年ほど前、あなたにつけられた輝かしい称号を私は鮮明に覚えています。素晴らしい論文を発表し、科学界の権威たちを唸らせた若き天才。生物学のパイオニア。…まさかこんな形で出会えるとは思いませんでした。
アレイスター:ああ、なるほど。どおりで名前に聞き覚えがあったわけか。ジキルくんに言われて僕も君の論文は読ませてもらったよ。あんまり理解できなかったけどね。
ヴィクター:…恐悦至極、だ。
ジキル:しかしだからこそ、私は不可解でならないんです…。あなたがこの晩餐会の首謀者、または招待客というのならばわかります。…ですが、先ほどあなたは誰かに命じられてここまでやってきたと言いました。…それが、引っかかって。
ヴィクター:その答えはとても単純さ、ジキル博士。俺よりもアイツの方が偉い立場にいる、それだけのこと。それに、今宵の晩餐会の招待客はもとよりあなた方だけだ。
ジキル:な…、そうだったんですか。
ヴィクター:アイツは物事を壮大な言い回しにして、事の本質を希釈(きしゃく)する癖があるからな。はっきり言って晩餐会という言葉も大言壮語、実際はただの食事会、密会という方が正しい。
アレイスター:へえ。君から話を聞くだけで面白いなあ、「チャールズ教授」。会うのがより楽しみになってきたよ。
ヴィクター:ああ。…はっ!?[運転が荒れる]
ジキル:うわわっ…!
ヴィクター:おっと…っ。すまない、少し車を揺らしてしまった。
アレイスター:そんなに驚いてどうしたのかな、ヴィクター君。
ヴィクター:…どこぞの「手品師」がいきなり度肝を「見抜く」ものだからな。つい取り乱してしまっただけだ。
ジキル:見抜く…?
アレイスター:すぐにわかるよ、ジキルくん。あと訂正させてもらうけど、僕は「手品師」じゃなくて「魔術師」。お間違えなきよう。
ヴィクター:ふん。…さあ、そろそろ到着するぞ。
ジキル:ここは…、ホワイトチャペル。
ヴィクター:手紙に書いてあっただろう?「五人の娼婦が切り裂かれた街」と。
アレイスター:怖いから先に聞くんだけど、君たちの仲間に「ジャック」がいたりとかはしないよね?
ジキル:え…。
ヴィクター:安心しろ、それはない。というか、今回あなた方と食事を共にするのは俺と館の主人だけなのでな。
ジキル:…よかった。もしかしたら殺人鬼と食事を共にすることになるのかもしれないと、一瞬冷や汗をかきましたよ。
アレイスター:僕としては少し残念だけどね。
ヴィクター:…やれやれ。
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ヴィクター:…着いたぞ。ここが会場…、主催者が所有する館だ。
アレイスター:おお、想像以上に大きな館だね。
ジキル:ええ。…本当、気圧されてしまいそうなくらい。
ヴィクター:オックスフォードの本宅はもっと大きいぞ。
ジキル:ここが別荘…。
アレイスター:凄いなあ。流石、著名な作家さんは違うね。
ヴィクター:その賛辞は直接言ってやってくれ。さあ…、どうぞ中へ。「不思議の館」へご招待だ。
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0:
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ジキル:(M)先生と共に館の玄関をくぐる。館の中は思いのほか薄暗かった。本来であればエントランスホールを煌々と照らすのであろう大きなシャンデリアが光を発することはなく、ただ無気力に天井にぶら下がっている。外から指す薄明りのみで見る広間は、どこか不気味な印象を私に与えた―――。
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アレイスター:これは…、廃墟?
ジキル:先生、招かれて開口一番それはまずいと思うんですが…!
ヴィクター:…ああ、すまない。言い忘れていたな。どこかの気まぐれ馬鹿が「今日は人工的な光を断ちたい」と抜かすものだから、意図的に消灯させてもらっている。部屋は淡くではあるが光を付けているので、安心してくれ。さあ、アイツが待っている場所までご案内して差し上げる。着いてきてくれ。
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ジキル:(M)暗がりの廊下を進む。聞こえるのは、私たち三人の足音と息遣いだけ。きっと従者の方もいるのだろうけど、どうやら私たちに気を遣って姿を隠しているようだった。そして、先頭を進んでいた影が立ち止まり―――。
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ヴィクター:この部屋が舞台だ。さあ。
ジキル:…先生。
アレイスター:うん。それじゃあ、お邪魔します。
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ジキル:(M)不思議の扉が開かれる。そこで、私たちを出迎えたのは―――。
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キャロル:「Welcome to the Wonder Banquet.」(ウェルカム トゥ ザ ワンダー バンケット)。
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キャロル:不思議の夜宴(やえん)へようこそ。歓迎するよ、「三人」とも。
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ジキル:あ、あなたは…、ルイス・キャロル!?
キャロル:いかにも。初めまして、ジキルくん。ルイスの名で私のことを知ってくれているということは、きっと私が執筆した物語を読んでくれたのだろう。ご愛読、心から感謝するよ。
ジキル:…まさか、(あなたがこの晩餐会の―――!?
アレイスター:[セリフに被せて]―――やはり、あなただったんですね。「教授」。いや、今回は「先生」と呼ぶのが正解かな?
ジキル:えっ?
キャロル:ふ。『月の夜に「不思議な」出会いだな、「史上最悪の魔術師」アレイスター・クロウリー殿』。
アレイスター:『そういうあなたは、「ワンダーランドの支配人」、ルイス・キャロル様!』。お会いできて嬉しいな。
キャロル:同じくだよ。ああ、敬称について特にこだわりはない、好きに呼んでくれたまえ。
アレイスター:ありがとうございます。
キャロル:さあ、長い時間車に揺られて疲れただろう、どうぞ座ってくれ。ヴィクター、君もご苦労だったね。
ヴィクター:まったく…、これは貸しだぞ。
ジキル:ちょ、ちょっと待ってください…!流れがスムーズすぎませんか…?というかなぜ先生は全然驚いていないんです…!?招待状の差出人があのルイス・キャロルだったんですよ…!?
アレイスター:そんなことを言われても。車に乗ってる最中に相手がキャロル教授であることは確信してたしなあ。ヒントは手紙とヴィクターくんが撒いてくれてたし。
ヴィクター:それにしたってさも当然のように言い当てる様には恐怖しか覚えなかったがな。
ジキル:わ、私が鈍すぎるだけ、ということですか…?
キャロル:そうかもしれないし、逆かもしれないね。まあ、真偽は確かめようもないので置いておくとして。いよいよ始めようじゃないか。午前零時、満ちた月の夜の晩餐会を。
:
ジキル:(M)キャロル教授がそう言い放った瞬間、遠くから鐘の音が鳴り響く。どうやら、きっかり時計塔(ビッグ・ベン)が午前零時を指し示したらしい。そして、一呼吸おいて教授が続ける。
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キャロル:さて、それでは早速乾杯といこう。君たち、食前酒は何をご所望かな。
アレイスター:そうですね…、それじゃあ、シャンパーニュを貰えますか?できればジャクソンがいいんですが。
キャロル:無論、揃えてあるよ。すぐに持ってこさせよう。
ジキル:あぁ、えっと…、申し訳ないのですが、私はお酒が飲めないのでお水をいただけると…。
キャロル:そうなのかね?なんだつれないなあ。
アレイスター:これはジキルくんなりのユーモアなんですよ。「水」を飲んで、「水」を差す、なんてね。
ヴィクター:なんだそのくだらんジョークは。お前のつまらんジョークにジキル博士を使うな。こっちの気分が水膨れだ。
アレイスター:気分を害したのなら申し訳ないね。「水」に流してくれると助かるよ。
キャロル:そうだよヴィクター。君はもっと「淼茫」(びょうぼう)の如き心を持った方がいい。苛立ってばかりではつまらないからな。
ヴィクター:はぁ…。
ジキル:ほ、ほら!そんなこと話していたらいつまでも乾杯ができませんから…!
キャロル:おっと、私としたことが。これは失礼。それではジキルくんにはお水を出すとして…、ヴィクターはいつも通り「黒猫の白」(シュヴァルツェ・カッツ)でいいかな。
ヴィクター:ああ。
キャロル:よろしい、では…、[手を大きく二回叩く]
:
ジキル:(M)教授が合図をすると、四人の従者が部屋に入ってきて、豪奢な料理とそれぞれが選んだ飲み物をテーブルに並べた。
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キャロル:ご苦労、君たち。またなにかあったら呼ばせてもらおう。
アレイスター:こんな美味しそうな料理、久しぶりに目にしましたよ。
キャロル:私の信頼する料理人が作った料理だ。鼻腔をくすぐる匂いだけでもう幸せだろう?
アレイスター:ええ。これを食べるためにお昼から何も胃に入れていないから、余計に楽しみです。
キャロル:ならば早いところ挨拶を済ませるとしようか。それでは諸君。
キャロル:―――妖しさを纏う満月のもと、「晩餐会」での邂逅(かいこう)に、乾杯。
:
ヴィクター:[白ワインを一口]…まったく。今日のお前は気障(きざ)な台詞が尽きないな。
キャロル:それは君が言った通り、私の脳が月明かりの穏やかな熱で浮かされてしまっているからだろうな。
アレイスター:館の消灯といい手紙の内容といい、やけに「月」に拘(こだわ)るんですね。何か思い入れでもあるのかな?
キャロル:アレイスターくん。私はこう考えているんだ。「月とは憧憬(しょうけい)の象徴であり、誰しもが心の奥底に宿す希望(いきがい)の現身(うつしみ)である」、と。暗闇(こどく)を抱える生のなか、侘しく切ない時間(とき)を、それは淡い光で優しく包み込む。しかし完全というにはほど遠く、その日の心の持ちようで満ち欠けもする。ある日は燦然と煌めき、またある日は叢雲(むらくも)に隠れる。「不安定」だが、「絶対的」。人間を形作るうえで欠かせない重要な要因(ファクター)。…ふ。とまあ、言ってしまえばただの例え話なのだがね。
アレイスター:なるほど。相当な想いがあるように見える。
キャロル:だからこそ月が満ちた日に君たちを招いたんだ。
ヴィクター:お前は月という存在に固執しすぎだと思うがな。
アレイスター:まあまあ。時に狂気を孕(はら)む月が惑わすからこそ、「教授の世界」(ワンダーランド)は素晴らしく気が触れているんだろうし。執着するのは必ずしも悪いことじゃないと思うよ。[サラダを一口]…あ、ジキルくん。このサラダ、とってもフレッシュで美味しい。
ジキル:すでにいただいています…!本当、感動するほどおいしいです…!あ、先生。こちらのソテーも絶品ですよ!
キャロル:ふふ。心から喜んでくれているようで、嬉しいよ。あとでシェフにもきちんと伝えておこう。
ヴィクター:…とても美味しそうに頬張るんだな、ジキル博士。
ジキル:あ…、すみません、あまりはしゃぐのはマナーではないですよね…。
ヴィクター:いや、そんなものはいい。ただ、少し驚いたんだ。あなたほどの方なら、これくらいのディナーは食べ慣れていると思っていた。
ジキル:え…、ああ、そういうイメージを持たれていた?のなら申し訳ありません。でも私、こういうのあまり慣れてない方でして…。
キャロル:すまないね、ジキルくん。ここだけの話、ヴィクターは君に心酔していてね。多少神格化されているのはご愛嬌さ。今日だって、君に会うのをずっと楽しみにしていたんだよ。
ジキル:えぇ!?
ヴィクター:ルイス。
キャロル:もっと堂々としたまえよヴィクター。
アレイスター:ジキルくんにファン、か。そういえば確かにジキルくんの論文や研究はよくメディアに取り上げられてたしね。いやあ、僕としては嬉しい限りだよ。
ヴィクター:なんだその言い方は。ジキル博士はお前に育てられたわけではないんだぞ。
アレイスター:育ててはいないけれど、今のジキルくんは僕の専属アシスタントだからね。
ジキル:はい。…ヴィクターさんが私のことを慕っていてくれているのは嬉しいですが、きっと期待には沿えないと思います。今の私は科学者ではなく、アレイスター先生の探求を補助する一介の助手ですから。
キャロル:だ、そうだ。フラれてしまったねヴィクター。
ヴィクター:…俺は不思議でならない。あなたのような聡明な方が、なぜアレイスターのような「ペテン師」についているのかが。
ジキル:な…っ。
アレイスター:もう一度訂正しておこうか。僕は「魔術師」だよ、ヴィクターくん。「ペテン師」(でも「手品師」でもない―――。
ヴィクター:[遮って]黙れオカルトかぶれが…っ!好奇心と名声欲しさに数々の悪事に手を染め続け民衆を騙し続けたお前なんぞ「ペテン師」、いいや「欺瞞者」(ぎまんしゃ)で十分だ!
キャロル:ヴィクター。落ちつけ。アレイスターくんは客人だ。侮辱することは私が許さない。
ヴィクター:チッ…。
:
ジキル:(M)金属が触れ合う音も止まり、刹那の沈黙が流れる。今もヴィクターさんは鋭い目つきで先生を睨みつけているが、先生のポーカーフェイスは崩れない。険悪な空気のなか、静寂を破ったのはこの会の主催者だった。
:
キャロル:こほん。ヴィクターが無礼を働いてすまなかった、アレイスターくん。
アレイスター:お気になさらず。慣れているので。それに、ヴィクターくんの言っていたことに嘘はない。僕は魔術結社に所属していた頃に様々な悪行に手を染めた。深く魔術の探求をするためにできることはなんだってしたし、時には生贄を用意する危険で残酷な儀式だって。そしてその結果、僕は新聞(タブロイド)から大々的にバッシングを受け、あらゆる組織を追放された。そんな危険でとち狂ったオカルティストが僕ですから。
キャロル:むしろヴィクターの反応が正解だと?
アレイスター:その通り。
キャロル:流石「史上最悪の魔術師」は器が大きいね。狂っている君がオカルティストとなったのか、オカルトが君を狂わせたのか?
アレイスター:教授から見た僕がイカれているなら、どちらであるかを考えても意味はないと思うけど。
キャロル:ふ、それもそうか。正直な話、今日はずっと不安だったんだ。メディアやあらゆる魔術結社から「最悪の魔術師」と呼ばれ避けられ恐れられた君と相対することがね。
アレイスター:恐縮だなあ。そんなに警戒されると少し申し訳なくなってきます。教授の中ではそんなに大物だったんですか、僕。
キャロル:ああ。今しがたちらりと垣間見えた合理主義すらも恐ろしく思えるほどには。
アレイスター:へぇ…?そうですか。では、この晩餐会で教授と僕の心の距離がもっと縮まると嬉しいです。
キャロル:私もそう思っているよ。ゆくゆくはこっそり黒魔術も教えてくれたまえ。
アレイスター:勿論です。
ヴィクター:…口を開けば魔術、魔術と…、ルイス。やはり幻想にとらわれているようだから言っておくが、ここは不思議の国じゃない。いい加減目を覚ませ。
アレイスター:なるほど。先ほどの口ぶりから察するに、ヴィクターくん。君もしかして、「魔術がこの世界に存在すること」すら信じていないでしょ?
ヴィクター:当たり前だ。過去にお前が提唱した魔術理論や起こしたとされる奇跡がすべて子供騙しの虚言だったことはメディアや記録媒体が証明している。そもそも【黄金夜明】(おうごんよあけ)のようなカルト教団自体、妄想と現実の区別もつかないイカれた連中の集まりだ。…こんな奴を傍に置くなぞ、“子供たち”に悪影響だろうに。(小声)
キャロル:ヴィクター。
アレイスター:大丈夫ですよ教授。それに今日は一つ、実際に魔術を見せるつもりで来たからね。魔術師の矜持(プライド)にかけて、僕が本物であることだけは証明させてもらうよ。…後でね。
キャロル:ほぅ、楽しみだな。
ジキル:え…、準備もなしにいったい何をするつもりですか先生。
アレイスター:それは後のお楽しみということで。それで教授。こうして親睦も深まったことですし、そろそろ本題を聞かせてもらえないかな。
キャロル:まだ魚料理(ポワソン)すら運ばれてきていないのだがね。
アレイスター:僕は嫌なことは先にやる性分なんだ。せっかくの絶品料理は、面倒ごとを処理してからじっくり味わいたいし。それになにより、大事な助手の不安そうな顔は、あまり見ていたくないものだからね。
ジキル:!
キャロル:ふ。そういうことならば君の意見を尊重して、始めるとしよう。ヴィクター。
ヴィクター:ああ。
:
ジキル:(M)するとヴィクターさんは何かしらの印刷物を二部取り出し、先生と私の前に置いた。
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アレイスター:これは?
ヴィクター:「小惑星の力学」という論文だ。なんでもルイスが数学の教授を目指すきっかけになったものらしい。
キャロル:さて。ここで君たちに質問だ。この論文を書いた人物の名を知っているかね?
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キャロル:“ジェームズ・モリアーティ”、というのだが。
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ジキル:っ…!?
アレイスター:ええ、もちろん。昔の僕の活動柄、ロンドンの裏社会には何度か出入りしたことがありますし、なにより、僕とジキルくんは「シャーロックさん」と「ワトソン博士」の大ファンなので。
キャロル:ほう、それなら話が早そうだ。だがまあ、一応聞いておこうか。具体的には、モリアーティ教授のことをどこまで知っている?
アレイスター:表の顔はダラム大学の数学教授、裏の顔はロンドン中の犯罪を操作する「犯罪界のナポレオン」。でも個人的に重要視したいのは、今少し言った通り、モリアーティ教授は「ロンドンが誇る名探偵」の最大の仇敵だった、というところかな。
ヴィクター:…全部知っているようだな。
キャロル:素晴らしい。流石はアレイスター・クロウリーといったところか。
ジキル:…しかし、モリアーティ教授と私たちが呼ばれたことに、いったい何の関係が。
キャロル:それはとても簡単だよ。
:
キャロル:「私が教授の意志を継いだから」さ。
:
ジキル:な…っ!?
キャロル:ワトソン博士の書いた伝記にもある通り、1891年、モリアーティ教授はライヘンバッハで倒された。名探偵、シャーロック・ホームズの手によって。そうして晴れて、ロンドンを裏で支配していた最も危険な犯罪者は姿を消し、今宵も正義の手によって、世界の平和は守られている。…だが、疑問には思わなかったかね。あの名探偵が相打ちを覚悟しなければ倒せなかったほどの「極悪人」(クリミナル)が、そうあっけなくやられるだろうか。彼に心酔する者たちは口を揃えて言うだろう。「そんなわけがない!」と。そして実際、彼の意志は数人の配下に秘密裏に託されていた。そのうちの一人が他でもない、この私だ。
アレイスター:確かに言われてみれば彼もあなたも数学教授、繋がりがあるのは納得だね。しかしまあ、童話作家ルイス・キャロルがあのモリアーティ教授と繋がっていて、今まさに犯罪に手を染めようとしている、なんて。新聞(タブロイド)が知ったらどうなるかな。
ヴィクター:残念だが、自らを非難した場所にスクープを持って行ったところで、門前払いを食らうだけだ。
ジキル:…待って、ください。キャロル教授がモリアーティの部下だったとしたら…、ヴィクターさん、あなたは。
ヴィクター:…俺はモリアーティとは会ったこともない。だが、ルイスに見出されたんだ。「モリアーティの為せなかったことを為すために、協力してほしい」と言われてな。そして俺は誘いに乗った。ルイスは俺の「好奇心」を満たすために尽力し、俺は科学の技術を提供し完全犯罪をサポートする。これほど利害が一致した関係も珍しいと思わないか?
ジキル:…ヴィクターさん。
キャロル:さてと。少し話が逸れたね。それで結局、なぜ君たちを呼んだのかだが…、明哲な君たちならばもう察してくれているだろう?
アレイスター:ええ。なるほど、どおりで僕たちのような厄介者が呼ばれるわけだ。
アレイスター:これは、晩餐会という名の勧誘活動だった、というわけですね。
キャロル:ご名答。君たちさえよければ、是非我が軍門にくだって欲しいんだ。教授の意志を継ぐと豪語したはいいものの、私たちのチームは未だ発展途上でね。メンバーが私とヴィクター、そして“子供たち”(チルドレン)しかいないんだ。
ヴィクター:な…、ふざけるなルイス!俺の“発明品”(こどもたち)はお前の兵では断じてない!
ジキル:子供…?
キャロル:ふ。では仕方なく一部発言を撤回するが、そうすると現時点で私とヴィクターの二人きりだ。いくら我々が著名だからとはいえ、たった二人ぽっちでこの街を闇で覆いつくすというのはあまりにも現実的ではない話だ。彼のおかげで警視庁(ヤード)の取り締まりも一層強化されたと聞いたしな。
アレイスター:僕たちを仲間に入れたって、その問題は解決しないと思うけどね。世間から煙たがられている「史上最悪の魔術師」と、何故かそんな奴に肩入れしてくれている優秀な助手。こんな僕たちで本当に力になれるでしょうか。
キャロル:なれるとも。それも十分にね。
ジキル:…一つ、質問があります。…なぜそうまでしてモリアーティ教授の野望を叶えようとするのですか。彼に出会う前も出会った後も、たとえ犯罪のイロハを教えられていたとしても、あなたは一介の数学教授であり童話作家だったはずです。そんなあなたが、悪に堕ちてまで彼のことを思い従う理由はっ…!
キャロル:理由?ふむ…、理由、理由ねえ。
ヴィクター:悩むことはないだろうルイス。至極簡単(いつもいってるアレ)だ。ほら、窓の外を見てみろ。
キャロル:―――ああ、そうだったそうだった。ありがとうヴィクター。そしてお答えするよ、ジキルくん。
:
キャロル:ジェームズ・モリアーティこそ、私にとっての「月」だから。それだけだとも。
ジキル:っ…。
アレイスター:お言葉ですが。月にいくら手を伸ばしても、あの緩やかな光を手にすることはできないですよ。
ヴィクター:だからこいつは俺やお前を勧誘したんだろうよ。前人未踏を成し遂げんとするためにな。…いつしか気が触れていた童話作家は、在りし日に触れた「月」の輝きに目を奪われ、虜になってしまった。心身ともに疲弊していた自分に優しく、そして妖しく微笑んでくれた、人生の恩師でありミチシルベ。…前に聞いた話によればコイツにとってのモリアーティ教授はこれほどの存在らしいからな。この馬鹿は少しでも暗い星空の王に近づき、そしてなお両手を伸ばしたいんだ。…ま、個人的には「お前にとっての月は“リデル嬢”であれよ」と突っ込みたくなるが。
キャロル:勿論“リデルちゃん”のことも愛しているとも。だが、彼女には月という雄大な存在ではなく、花畑で幸せそうに眠る儚い姫君が相応しい。彼女の(微笑みに癒されないものはこの世にはいないし―――。
ヴィクター:[被せて]止まれ(シャラップ)。語っている暇があるならば逸れた話の軌道を修正しろ。
キャロル:…ふ。いやはや、やはり舵取り役がいてくれると非常に助かるね。しかし、熱が入りすぎたかな。どんな話だったのかを忘れてしまった。ので…、こんな話から切り戻そう。これは私の持論なのだがね。忠誠を得るために必要なもの…、もとい、人の心を掌握するための方法は、大きく分けて三つあると思っているんだ。
ジキル:ぶ、物騒な話、ですね…。それで、その三つとは?
キャロル:「心酔」(カリスマ)、「洗脳」(ドミネーション)、そして「恐怖」(テリブル)。
アレイスター:より目に見えて物騒になったね。
キャロル:そして…、君たちはこの三項を完全に満たす唯一の逸材だ。
アレイスター:へえ。申し訳ないんですが、いまいち自覚が持てないので、ご教授願えますか?
キャロル:よかろう。まず一つ、「心酔」(カリスマ)。これは魅力によって人を惹きつける方法だ。
ジキル:…あなたがモリアーティ教授に惹かれたのと同じ、ですよね。
キャロル:その通り。アレイスターくん、先ほど君は自分のことを世間から煙たがられていると言っていたが、世界には今も君の復活や魔術理論に焦がれている者たちが溢れていることを知っているかね。
アレイスター:あまりよくは知りませんが、未だに一定の支持があるらしいことは冗談交じりに聞かされます。
キャロル:誇りたまえ、それは冗談ではなく事実だ。君が世間から姿を消してなお信者が絶えないならば、カリスマ性は十全にあると言っていいだろう?
ヴィクター:そいつらが使い物になるのかどうかは度外視でな。
キャロル:ヴィクター。…こほん。続けるが、二つ目の「洗脳」(ドミネーション)と三つ目の「恐怖」(テリブル)を持っているのは、アレイスター君ではなく…、君の方だ。[ジキルを指して]
ジキル:え…、私、ですか…?
キャロル:正確に言えば、三つ目を持っているのは君でもないがね。
ジキル:私でもない…?…っ!
キャロル:ふ。どうやら気が付いたようだな。そうだ。洗脳を行うのは君が生み出した「発明品」(メディスン)、恐怖で支配するのは君の内に秘められた「悪性」(アナザー)だ。
ジキル:っ…、そんな…っ。
アレイスター:なるほど。なぜ「彼」のことや「狂気の薬」のことを知られているのか、手紙を貰った時から気になってたけど、話を聞いているうちに納得したよ。ジキルくん、どうやら君の研究は、前々からモリアーティ教授に目を付けられていたということだね。
キャロル:優秀な思考能力だ。ちなみにではあるが、君のことも彼から聞いたよ。アレイスターくん。
アレイスター:本当ですか。それは驚きましたね。モリアーティ教授に目を付けられるほどやらかしていた昔の自分に。
ヴィクター:今更過ぎる話だろうが。
キャロル:モリアーティ教授からジキルくんの話を聞いたときはとても驚いたよ。「人間の持つ悪意を抽出し、精神分離させる薬」…。そんな狂気の発明があっただなんて。実に興味深いと思った。だがしかし、私以上に興味を示したのが、ここにいる天才、ヴィクター・フランケンシュタインだ。
ヴィクター:ああ。あなたのことは科学者だった時代から尊敬していたが、そんな世紀の大発明をしたのがジキル博士だと聞いたとき、とても心が躍ったのと、あなたへの尊敬が崇敬にかわったのをよく覚えている…!
ジキル:…やめてください。あれは忌むべき過去であり、決して掘り返してはならない狂気の研究です。だからこそ、私は先生に協力してもらって、資料や記録もろともを炎で覆い、蓋をした…。二度と、誰にも開けられないように。
ヴィクター:…そうか。ああ、「可哀想」なジキル博士。
ジキル:え…?
ヴィクター:あなたは自分で精神分離の薬を服用してしまった。だからこそ、今のあなたを形作るものは善性のみであり、悪意は二度と芽生えない。…人の道を外れた実験の素晴らしさを俺に教えてくれたのは、他でもないあなたなのに。
ジキル:…ヴィ、ヴィクターさん…?何を、言って…。
ヴィクター:俺には幼いころからずっと夢があったんだ。「生命の謎を解き明かし、根源へと辿り着きたい。」だが、成長するにつれて俺を形作る「好奇心」はどんどん大きくなっていき、やがては…、「いのちを自在に操ってみたい。」と、そう思うようになった。そして俺は生物学を学び…、ついに、「ニンゲンの設計図」を作るに至った。
アレイスター:「ニンゲンの設計図」。それはいったい、どんな内容なのかな?
ヴィクター:簡単だ。「生を終えた者の皮や血肉、臓器を集めて繋ぎ、新たな“生命”を誕生(つく)りだす。」
ジキル:…うっ。
ヴィクター:今となっては「それだけのこと」。…だが、当時の俺の理性はそれを許さなかった。人の道を外れることはそれ即ち神に背くことだ。だから俺は、内から溢れ出る衝動を抑え、ただ研究に明け暮れていた。つまらない死骸の解剖をして気を紛らわし、くだらない論文を書いて退屈を埋めた。…そんなときルイスに出会い、ジキル博士の悪性分離の研究を聞かされたんだ。俺が唯一敬うあのジキル博士が、人を悪に堕とす研究をしていたと聞かされた時、俺の中のリミッターが壊れた音がした。醜悪な好奇心を剥き出しに、テーブルに置かれた設計図を手に取って、墓から数人の死体を掘り起こして。すぐさま俺は実験に取り掛かった。理性を蒸発させ、本能に従い、食事も睡眠も忘れてただ夢中で人間を繋ぎ合わせていく。亡者に触れるたび、血液を波立たせるたびに、雲霞(うんか)の如く押し寄せる悪意のささやき。あの日の解放感と背に伝う背徳の味は未だに忘れないよ。
ジキル:わ、私が…、私の、あの研究が…、未来ある若者を、悪に、堕としてしまった…?
ヴィクター:ああ、そうだ!あなたには感謝しかない!あなたがいなければ俺は罪の味を知ることはできなかったし、なにより…、愛しい“完成品”(わがこたち)が生まれてくることもなかったのだからな!
ジキル:…そ、それって…、まさか、さっき言ってたヴィクターさんの子供って…、
ヴィクター:勿論、俺が造り出した人造人間のこと!とてもいい子たちだから、ジキル博士にもきっと懐くと思うぞ!
ジキル:そんなっ…。
アレイスター:キャロル教授。まさか、ジキルくんの薬をヴィクターくんに飲ませたわけじゃありませんよね。
キャロル:ああ。そんなことはしていないよ。これはヴィクターが勝手に「狂った」(こわれた)だけだ。というのも、流石のモリアーティ教授も薬の製造方法までは手に入れられなかったらしくてね。今宵ジキルくんからいい返事が聞けたら、すぐに薬を量産しようと考えていた次第だとも。
アレイスター:…それならいいか。ジキルくん、戻っておいで。ヴィクターくんはもともと持っていた自分の狂気で壊れただけだ。君は何も悪くない。
ジキル:…ぅ、あぁ…。私が、私があんなものさえ造らなければ…っ。
キャロル:…やれやれ。壊しすぎだヴィクター。今さっき君も言ったとおり、今のジキルくんからは悪性が取り除かれているんだぞ。そんな話をしたら罪悪に心を侵されることくらい容易に想像がつくだろう。
ヴィクター:…すまなかった、博士。でも、俺は自分の思いをただ率直にあなたにぶつけたまでだ。
キャロル:まったくこれだから熱意のある厄介なファンというのは困るんだ…。おまけにプライドも高いし…。
ジキル:…ごめんなさい、ごめんなさい…。
:
アレイスター:ジキルくん。久しぶりに「隠れんぼ」をしようか。
:
ジキル:え…っ。
アレイスター:この場は僕と「彼」に任せて、君はゆっくり「隠れて」休み、心を落ち着かせていればいい。それにきっと、キャロル教授は「彼」とも話してみたいだろうしね。
ジキル:…せ、先生が言うのなら。
アレイスター:ありがとう。それじゃあ、さっそく始めようか。
ヴィクター:おい、何をするつもりだ?
アレイスター:さっき言ったでしょ、「今日は一つ魔術を見せる」って。その実演だよ。
キャロル:ははぁ、なるほど。そうか。ずっと疑問に思っていたが、そういうことだったのか。君が制御しているんだな、アレイスターくん。
アレイスター:まあ、そんなところです。
:
アレイスター:ではジキル君。今からは「彼が鬼で、君が隠れる番だ。」いいね?
ジキル:…はい。
アレイスター:「もういいかい?」
ジキル:っ、「まだ」、です…。
アレイスター:君は「隠れる」(ハイド)。彼が「顕れる」(シーク)。「もういいかい?」
ジキル:ま…、「まぁだ、だよ」…。
アレイスター:なら今一度、数えよう。さーん。にーぃ。いーち。「もういいかい?」
:
ジキル?:「もういいよ。」[意識を失いふらりとテーブルに倒れる]
:
ヴィクター:!? これは…、まさか。
キャロル:そのまさかだろうね。…心の準備をしておけ、ヴィクター。「悪」がやってくるぞ。
:
0:[「ジキル」と「ハイド」の人格が入れ替わる]
:
ハイド:[ゆっくりと起き上がり目を開ける]嗚呼。眩しいな。眩しい。小さなシャンデリアの淡い光りも、わたしからすれば燃え盛る業火のようだ。
アレイスター:こんばんは、ハイドさん。気分はどうかな。
ハイド:悪くはない。先ほどの会話は聞いていてなかなかに愉快だったしな。
キャロル:はじめまして、エドワード・ハイド氏。その言いぶりから察するに、やりとりはすべて聞かれていたようですね。お恥ずかしい限りです。
ハイド:ルイス・キャロル。もしくはチャールズ・ラトウィッジ・ドジスン。はじめまして。聞くも何も、わたしが眠ることはないからな。わたしはいつだってジキルの潜在意識に潜んでいる。だからこそ、ジキルが覚醒していようが眠っていようが、どんなときだろうともわたしはいる。もっとも、会話はできないのだがな。ああそうだ。お前の書く物語は読ませてもらったよ。イカれていて素晴らしかった。
キャロル:「悪」そのものであるあなたにそう言ってもらえるなんて、嬉しい限りです。ほら、君も挨拶をしたまえヴィクター。礼儀だよ。
ヴィクター:あ、あぁ。お初にお目にかか―――。
ハイド:[食い気味に]お前はくだらない。ヴィクター・フランケンシュタイン。
ヴィクター:な…っ、
ハイド:ところでアレイスター。今の呪文の説明はしなくていいのか?そこのクソガキに自分が本物の魔術師であることを証明したかったのだろう?
アレイスター:ああ、そうだね。じゃあ一応解説を。ジキルくんは善と悪を切り離す薬を造り出すと、真っ先に自分で服用した。そうしてジキルくんの悪性からハイドさんが生まれるわけなんだけど…、ハイドさんが暴走したのか、薬の副作用だったのかは知らないけど、いつしか主人格であるジキルくんはハイドさんに意識を飲まれそうになってしまってね。もうどうしようもなくなって、ジキルくんが自殺を選ぼうとしていたところに偶然僕が通りかかり、得意の「黒魔術」でハイドさんをなんとか押さえつけることに成功したんだ。そうしてなんやかんやあって、ハイドさんは大人しくなって、僕の合図ひとつで自在に人格を切り替えられるようになった、というわけだね。だから、もう一度念を押して言わせてもらうけど…、僕はペテン師でも手品師でもなく、「魔術師」だよ。「魔術師」。
ヴィクター:…そうかい。
キャロル:しかし不思議だね。私が調べた限り、「黒魔術」に精神を落ち着かせたり、人心を癒すような魔術はないはずなのだが…、それは、私が無知なだけなのかな。
アレイスター:さあ、どうでしょうね。
ハイド:アレイスター、アレイスター。自責に苛まれるジキルを見かねてわたしを呼び出したはいいが、覚えているか。肝心の晩餐会の勧誘がお前の番で止まっているぞ。
アレイスター:ん?ああ、そうか。キャロル教授から犯罪界への勧誘を受けていたんだっけ、僕たち。面白い話ばかりですっかり頭から抜けていたよ。
キャロル:ハイド氏が話を巻き戻してくれて助かった。さあというわけだ。勿論仲間になってくれるのであれば、できる限り、君たちの望むものを与えよう。アレイスターくんにはあらゆる魔術書と探求に費やす時間を。ジキルくんには「華びやか」な安寧を、ハイド氏には思うがままの悪行を。
ハイド:ほぅ。それはなんとも惹かれる話だな。心ゆくまで悪を為すとは、実に面白そうだ。だがしかし、わたしの主はヘンリー・ジキルであり、わたしの飼い主はアレイスター・クロウリーだ。ゆえにわたしは、お前の選択に従おう。
ヴィクター:…あなたらしく、ないな。
ハイド:お前のような小童(あおにさい)にはわからない話さ。それに、実際のところわたしはどちらでも構わないんだ。再び蛮行に手を染めるのも、アレイスターやジキルと共に穏やかに忙しい時を過ごすのも一興だからな。
キャロル:なんと。…事情を知らずにあなたと話したならば、あなたが悪性から生まれたとは、誰も思わないでしょうね。
ハイド:悪である以前にわたしも生き物だからな。単に粗暴、単に暴君であるわけではないのだよ。もっとも…、染まれと我が飼い主が仰せならば、悪逆の限りを尽くすことはいつでもできるが。
ヴィクター:っ……、それは、恐ろしい、な。
キャロル:…ふ。ああ。実に恐ろしく、素晴らしい。アレイスターくんのカリスマと、ジキルくんが作った悪性抽出の薬。そしてハイド氏という「純粋悪」によってもたらされる恐怖。この三つがあれば、犯罪界を、いいやロンドンを支配することなんて赤子の手を捻るようなものだろうな。
アレイスター:そうでしょうね。
キャロル:…さあ、アレイスターくん。そろそろ気持ちのいい返答を聞かせてくれたまえ。
アレイスター:はい。では教授、改めて。
:
アレイスター:この大魔術師アレイスター・クロウリー、喜んで「お断りさせていただきます」。
:
ヴィクター:…なんだと?
アレイスター:まことにすみませんが、月に手を伸ばしたいのなら、他をあたってください。
キャロル:…馬鹿な。やせ我慢だと撤回するならば今のうちだが。
アレイスター:僕に我慢する理由がないでしょ。というかそんなに驚きます?もしかして、ここで断られるプロットは予定してなかったのかな。
ヴィクター:当たり前だ!あれほど世間を騒がせ、醜聞を広めた悪人(おまえ)が、悪に、魔術の探求に、モリアーティという名前に、惹かれないわけがない!
ハイド:…ほう。なるほどな。どおりでさも勝ちを確信したような表情(カオ)で話を進めていたわけか、ルイス・キャロル。
キャロル:…どういうことですか。
ハイド:お前たちは「月」に惑わされたということだ。百聞は一見に如かず。噂や記事、人伝いで耳にしたものを信じ切って、それ以上の情報を得ようとしなかった。お前はアレイスター・クロウリーという人間を「事実」(ファクト)でしか見なかった。実に愚かな行為だな。
アレイスター:ハイドさん。僕だから言わんとしていることはわかったけど、そんなに遠回しに言っていたら二人にはいつまで経っても伝わらないと思うよ。
ハイド:ならばお前が手本を見せろ。
アレイスター:勿論(オブコース)。えぇと、多分キャロル教授たちは僕のことを「昔のまま」だと思ってるんですよね。破天荒で、すぐ人に喧嘩を売って、魔術の深みに達するためなら、良いことだろうが悪いことだろうがお構いなしにこなす。…自分で言ってて恥ずかしくなってきたなあ。
ハイド:受け入れろ。それがお前という人間が歩んできた歴史の史実だ。
アレイスター:言われなくともわかってるよ。…キャロル教授。そしてヴィクターくん。僕は先ほどこう言った。僕とジキル君は共に、「シャーロックさんとワトソン博士の大ファン」なんだ、と。―――なぜだと思いますか?
ヴィクター:なぜ、だと?
アレイスター:あなた方の思うアレイスター・クロウリーは破天荒な悪人で、魔術が恋人だと言われてもおかしくないほどに研究熱心。他のことはすべて投げ出すほどだった。…そんな奴が、正義の名探偵シャーロック・ホームズを敬うと思いますか?答えはノー。実際その頃の僕は、彼の存在すら知りませんでした。
キャロル:その頃、だと?
アレイスター:はい。ところで話は変わるんですが、教授。あなたは、「僕が今何をしているか」、知っていますか?
キャロル:当然だとも、隠居だろう?世間から嫌われた君は、ロンドンの街はずれにある小さな家で、人知れず魔術の探求をしている。
ハイド:隠居は正解だが根本ははずれだ。ルイス・キャロル。
キャロル:なに…っ。
アレイスター:だって、考えてもみてください、教授。あなたが月に惑わされて、突然犯罪に堕ちるのなら、僕が月に絆されて、突然正義を胸に宿したって、何ら不思議じゃないと思いませんか?
キャロル:っ…!?
ヴィクター:な、に…!?
ハイド:ほうら。言ってやれ、アレイスター。お前にとっての月が誰であるのかを。
アレイスター:うん。なんとびっくり、世間からバッシングを受けて落ちぶれ、さらなる蛮行に走ろうとした僕を引きとめ、手を取ってくれた恩人は―――、かの名探偵の「お兄さん」だったのです。
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アレイスター:キャロル教授。あなたの月が「ジェームズ・モリアーティ」であるならば、僕を照らす淡い光は、「マイクロフト・ホームズ」だ。
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キャロル:英国政府のポスト役と呼ばれるあの男が、最悪の魔術師を更生させたというのか…っ!
アレイスター:まあ、詳しい経緯は本当に恥ずかしいので伏せるけど…、何はどうあれ、現在僕はマイクロフトさんに言われて、政府のお仕事を手伝ったり、シャーロックさんが追う事件の証拠を集めたりしているんです。勿論その傍ら、魔術の探求もしっかりしているけどね。
ヴィクター:ありえない…。お前が正義を為すなど、そんなことがあるかっ!
ハイド:そうは喚くがな、ヴィクター・フランケンシュタイン。これはお前たちのミスでしかない。実のところ、わたしたちは隠れて生活してはいるが、その仕事柄よく外出するし、マイクロフト・ホームズ本人に会うことも多い。ゆえに、アレイスターの現在はお前たちがその重い腰を上げて少し調べればわかることだった。だというのに、お前たちはわたしたちのすべてを視ず、過去の幻影を重ねてしまった。ああ、これだから印象(イメージ)のシャドウとは恐ろしい。
ヴィクター:チッ…!
アレイスター:そうして、アレイスター本人も意図していない「赤毛手法」(ミスディレクション)が出来上がったわけだね。なるほど、これは面白い。
キャロル:…悪人を悪人としてまとめ、高を括ったのが私のミスというわけだ。
アレイスター:「初歩だよ、キャロル教授」。そう、まさしく、アルファベットの「ABC」のようなことです。
ヴィクター:…はっ!正義を身に宿しただかなんだかは知らないが、三つ子の魂百まで。お前の根本、起源は間違いなく常識外れの魔術狂いだ。果たしてお前のような「悪擦れ」(あくずれ)に正義が務まるか?
ハイド:当然だ。正義も悪の一つだからな。ときに、負け犬の遠吠えは聞くに堪えないものだぞ、ヴィクター・フランケンシュタイン。
ヴィクター:……。
アレイスター:というわけです、キャロル教授。今夜のこと、そしてヴィクターくんの“お子さん”のことは、マイクロフトさん、およびシャーロックさんにつつがなく報告させていただきます。問題なく事が運べば、明日にでもレストレード警部がここにやって来るんじゃないかな。
キャロル:ふ、ははははは。いや、笑えてしまうな。今宵私がここまで大掛かりにしてやったことがただの盛大な自白、自供だったとは。せっかく満ちた月に見守られているというのに、情けない。…そうか。なるほど。私は犯罪者として、モリアーティ教授に手を伸ばす資格すらなかったということらしい。
ハイド:ああ。それにわたしから言わせれば…、お前は利巧すぎるのだ、ルイス・キャロル。お前は大人しく子供たちと戯れ、怪物(ジャバウォック)を聖剣(ヴォーパル)で倒すような不可思議(ロマン)を追い求める方が似合っている。
キャロル:あなたがそういうのならば、私には才能がないのでしょう。…しかし、それでも諦めたくないものなんだよ。夢というものはね…っ!
アレイスター:っ?この音は…?
ハイド:何かが向かってくるな。重い足音だ。
ヴィクター:!? おいルイス!この愛おしい足音、まさかこれは!?
キャロル:ふ。私はね、ヴィクター。『負ける勝負はしない主義』なんだ。さあ出番だ、姿を現したまえ、「メアリー」!
:
ハイド:(M)次の瞬間、部屋の壁が轟音と共にぶち破れた。煙の奥から出てきたのは―――。
:
ヴィクター:「メアリー」!ロンドンまでついてきてくれていたのだな!ああ…、俺の愛しい娘よ…っ!
アレイスター:…わあ。これは想像以上だったな…。
:
ハイド:(M)呆れるほど大きな図体に、ツギハギだらけの皮膚。かろうじて女だということがわかる体つき。なるほど。
:
ハイド:この冒涜的で醜悪な「バケモノ」がこいつの「造り」(うみ)だした「怪物」(こども)か。不覚にも少し興味深い。
ヴィクター:貴様…っ、ハイドッ!!俺の娘を、メアリーを馬鹿にしたな…っ!お前なぞ、今ここで息の根を止めてくれる!
ハイド:やってみろ。銃を引き抜こうがその娘を遣(つか)おうが構わないが、その時にはお前の首が宙に飛んでいるだろうな。
キャロル:挑発に乗るなヴィクター。私がこの子を呼んだのはここから一度退却するためだ。二人を殺すためじゃない。
ヴィクター:…くっ。
アレイスター:しかし逃げてどうするつもりかな、教授。悪事を自分から暴いてしまった以上、逃げきるのは難しいと思うけど。
キャロル:アレイスターくん。『物語とは面白くあってこそ』。違うかね?
アレイスター:いいえ、その通りです。
キャロル:人の人生もまた物語だ。ならば、このルイス・キャロルの人生に「駄作」は似合わない。幸い教授の計らいで金なら溢れているのでね。なんとか体勢を立て直し、権力を手にしてまた現れる所存だよ。
ハイド:そうか。…フ。フフ、フフフ。ハハハハハ。
アレイスター:ハイドさん?急に笑ってどうしたの。
ハイド:フ、フフ。すまないな。いやなに。とても楽しみだな、と。思っただけのことだ。―――お前が一流の犯罪者となって復活し、モリアーティのようにロンドンの街を闇で覆うのがな。
キャロル:…ふ。なるほど。確かに、あなたはきちんと悪人のようだ。
ハイド:理解(わか)ってもらえて嬉しい限り。
キャロル:さあ、ヴィクター。「メアリー」に乗って逃げるぞ。
ヴィクター:の、乗るだと!?ふざけるな、俺の娘を機関車か何かと勘違いしているのか?!
キャロル:仕方がないだろう、君の生み出す子たちはみな運動能力が人間よりも遥かに高いんだ。いったん警視庁(ヤード)の捜査を逃れるため、致し方ないことだ。
ヴィクター:…くそ。ごめんな、「メアリー」…、少し重いからな…っ!
キャロル:…さて。せっかく招いたのに申し訳ないな、二人とも。今宵の晩餐会はここでお開きだ。
アレイスター:いえいえ。こちらこそ、美味しい料理と楽しい時間をありがとうございました。「また呼んでください」。
ハイド:「次」は是非わたしも最初から混ざりたいので、検討をよろしく頼もう、アレイスター・クロウリー。
アレイスター:それはジキル君に聞いて欲しいかな。
ヴィクター:…ハイド。
ハイド:なんだ。
ヴィクター:お前に「くだらない」と言われたことは忘れない。必ず見返してやる。…首を洗って、待っていろ。
ハイド:…フ。ああ、「期待しているぞ」。
ヴィクター:…悪人が。
アレイスター:それではお気をつけて、教授。また衝突(おあい)しましょう。
キャロル:ああ。さらばだ、諸君。また満月の夜に衝突(あ)おう…!!
:
ハイド:(M)こうして、優雅なる星月夜の晩餐会は終わりを迎えた―――。
:
0:
:
ヴィクター:ああ、ごめんな、メアリー…。っ、なんてことだ、お前のかわいい服と綺麗な肌がこんなにも汚れて…。
キャロル:君は本当に子供のことになるとろくでもないなヴィクター。これが本当の「モンスターペアレント」、か。ふふ。
ヴィクター:うるさい!…だが。こうして娘に苦労してもらわなくてはならなくなった原因は、俺たちの初歩的なミスによるものだ。それが、とても悔しい。
キャロル:同感だ。まさか、そんなことで計画がすべてひっくり返るなんてな。まったく、悪事とは上手く運ばないものだ。ふ。考えれば考えるほど、“プロフェミナル”の偉大さに気づく。
ヴィクター:それで…、これからどうするんだ、ルイス。取り敢えずこの国は離れた方がいいと思うが。
キャロル:任せてくれたまえ。すでに次の目的地は既に決まっている。
ヴィクター:早いな。それでどこだ。
キャロル:フランスさ。
ヴィクター:…英国から近すぎるんじゃないか。
キャロル:大丈夫だよ。しばらくは彼らもこの国を探し回るはずだ。そうして捜査の手が届かない間に、「三名の悪人」に会いに行く。全員モリアーティ教授とコンタクトを取ったことのある人物だ。
ヴィクター:悪人(ヴィラン)が三人?誰だ。
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キャロル:「怪盗アルセーヌ・ルパン」、「怪人ファントム・ジ・オペラ」、「復讐鬼モンテ・クリスト伯」。
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キャロル:さあ、行こうヴィクター。今宵の月に「さようなら」(オ・ルヴォワール)を告げて。
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0:
:
アレイスター:いやぁ、楽しかったね、ハイドさん。
ハイド:ああ。久々に意識を取り戻したが、とても愉快な夜だった。満足だ。
アレイスター:それはよかったよ。あ、ところでジキルくんはどう?落ち着いた?
ハイド:バッチリだ。ゆえにわたしの出番は終わりだな。
アレイスター:えぇ、もう戻っちゃうの?今回は出番が短かったから、少し惜しいなぁ。
ハイド:出番も何も、お前が呼び出せばわたしは嫌でも顕(あらわ)れるんだ。もし恋しくなったらいつでも呼べばいい。
アレイスター:そういうのはなんだか違うんだよ。ハイドさんに会うときは特別だから高級感があるというか。
ハイド:変わり者め。
アレイスター:生い立ちすら変わってるハイドさんには言われたくないね。
ハイド:そうか?「自分の名前を悪の化身につける」阿呆よりはマシだと思うが。
アレイスター:それを言われると負けるなあ。
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アレイスター:それじゃあね、ハイドさん。
ハイド:ああ。また近いうちに会おう、アレイスター・クロウリー。近いうちに、な。
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アレイスター:「ジキルくん、みーつけた。」
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ハイド:[意識を失いふらりと倒れる]
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0:[「ハイド」と「ジキル」の人格が入れ替わる]
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ジキル:…ぁ、せんせい。終わったん、ですか。
アレイスター:ああ。終わったよ。
ジキル:…ん、って、壁が壊れてますけど…!?これはいったい、なにが…!?まさか、ハイドが暴れたんですか…!?
アレイスター:さあどうだろうね?
ジキル:……。
アレイスター:冗談冗談。「英国紳士的冗談」(ブリティッシュジョーク)です。
ジキル:…拗ねますよ?
アレイスター:それはそれで面白いからアリだなぁ。
ジキル:私で遊ばないでください。
アレイスター:ごめんごめん。
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アレイスター:さあ、帰ろうかジキルくん。満月の下を、ゆっくりと。
ジキル:…はい、先生。
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0:
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アレイスター:ビッグ・ベンよりも遥か上空。悪戯に微笑む夜空の月は、今日もひどく美しい。一体どれほどの命が、あの我が儘な輝きに焦がれ、憧れ、そして愛したのだろう。日常を切り裂いて。常識を砕いて。酸いも甘いも苦いも巻き込んで、愛情に溢れるように、微笑みに溺れるように。
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アレイスター:霞に染まる月の下、物語は終わらない。
:
0:End