台本概要
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タイトル | 終わりの先で「愛してる」 |
---|---|
作者名 | 天道司 |
ジャンル | ラブストーリー |
演者人数 | 2人用台本(男1、女1) |
時間 | 50 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
ト書きは、( )内の演者様が読みます。 あとは、自由に演じてください。 186 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
澪 | 女 | 205 | アリス |
則宗 | 男 | 167 | 帽子屋 ※兼ね役・ナビ |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:(則宗)放課後、急に降り出した雨は、止むことはなく、激しさを増す。
0:予報では、降水確率は30%…
0:部活を終えた僕は、空からマシンガンのように降り注ぐ雨に気持ちを沈められ、
0:玄関から一歩も外に踏み出せずにいた。
0:そんな僕を尻目に、他の生徒たちは、当たり前のように傘をさして出てゆく。
0:
0:雨足が弱まる気配はない。
0:
澪:のんちゃん
則宗:あ…澪…
澪:もしかして、傘、忘れた?
則宗:あぁ、忘れた
澪:傘くらい持ってきなよ
澪:予報では、夕方の降水確率は、90%だったよ
則宗:え?30%だったよ
澪:30%?それって、どこのテレビ局?
則宗:そんなの、いちいち気にして見てないよ
澪:そっか…。まぁ、いいや。私が傘に入れてあげる。駅まで一緒に帰ろう
則宗:えっ?
澪:いいから!いいから!
則宗:おっ、おぅ
0:
0:(則宗)澪が、傘立ての中から、青い傘を取り出す。
0:そして、広げられたのは、2人で入るには、とても狭い空間。
0:
則宗:僕が持つよ
澪:えっ?
則宗:貸して
澪:うん
則宗:じゃあ、行くよ
0:
0:(澪)のんちゃんは、体の半分を傘の外に曝(さら)して、私が雨に濡れないように、気遣って歩いてくれた。
0:そんな、のんちゃんの分かり易い優しさに、好きな人の匂いに、私はドキドキしていた。
0:
則宗:ねぇ、クラスの人とかに見られて、変な噂とか立ったら困らない?
澪:変な噂?あぁ、私とのんちゃんが付き合ってるって?
則宗:そう
澪:困らないから、「傘に入れてあげる」って声をかけたんだよ
則宗:そっか
澪:のんちゃんは困るの?
則宗:困らないよ
澪:(同時に)ふふっ
則宗:(同時に)ふふっ
澪:今日は、のんちゃんが、朝に見た天気予報に感謝しないとだな
則宗:なんだよ。それ?
澪:だって、のんちゃんと相合傘ができたからさ
澪:こういうのって、女の子なら、誰もが憧れるシチュエーションだと思うよ
則宗:そういうものなの?
澪:そういうものです!
則宗:そっか。それなら、良かったね。相手は、僕だけど
澪:のんちゃんだから、いいんだよ
則宗:どうして?僕は、モテないし、イケメンでもないよ?
澪:のんちゃんは、とってもカッコいいよ!
則宗:僕のことをカッコいいって言うのは、澪くらいだよ
則宗:変わり者で、クラスでも浮いてる僕のことを、みんなは避(さ)けてるしさ
澪:ほんと、のんちゃんのクラスの人たちは、見る目がないよね
澪:来年は、のんちゃんと一緒のクラスになれるといいな
則宗:僕も、澪と一緒だと心強い
澪:そんなに、居心地が悪いの?
則宗:うん…。昼食の時間も、休み時間も、ずっと、ぼっちだからね
則宗:グループ学習のグループ決めの時も、僕だけあぶれてしまうから
則宗:先生が気を遣って、あたりさわりのないグループに振り当てられる
則宗:そして、そのグループ内で気まずい空気が流れる…
澪:私だったら、真っ先にのんちゃんをグループに入れるのにな
澪:のんちゃんは、発想力がすごいし、なんでも人並み以上にできちゃうからさ
則宗:そんなことないよ。僕だって、苦手なことはある
澪:苦手なことあるの?例えば?
則宗:うーん…。単純作業を延々と続けるのが苦手
則宗:ついつい、遊び心が出てしまう
澪:うんうん。そこが、いいんだよ。そして、思い出した
則宗:思い出した?
澪:幼稚園の時に、クリスマスの飾りを作ることがあって
澪:その時に、のんちゃんはサンタの顔をたくさん作るグループで
澪:みんなは、サンタの顔を同じ顔で描いて量産してたけど
澪:のんちゃんだけは、サンタの顔を怒った顔にしたり、泣いた顔にしたり、鼻の穴を大きく描いたりしてたよね?
則宗:そういえば、そんなことあったな。でも、よく、そんな昔のこと、覚えてるね
澪:のんちゃんの描いたサンタの顔が、どれもすっごく個性的で、楽しかったから
則宗:そっか…
澪:あっ!駅に着いちゃったね
則宗:よいしょっと(傘の水を払う音)
則宗:はい。傘、ありがとう
澪:あれれ?おかしいなぁ。相合傘していたはずなのに、のんちゃんだけ、すごく濡れてる気がするなぁ
則宗:そ、それは…。たまたまだよ。たまたま
澪:たまたまかぁ
則宗:そう。たまたま
澪:…
0:(澪)満員電車の中、さりげなく私を隅に誘導し、のんちゃんは、私を守るように立ってくれた。
0:このまま、雨は止まないでほしいと願った。
0:だって、電車が停まった時に、雨が止んでいなかったら、
0:もう一度、のんちゃんに、「傘に入れてあげる」って声をかけられるから…
0:
0:のんちゃんも、それを期待して、雨は止まないでほしいと願ってくれているのかな?
0:同じ気持ちだったら、嬉しい。
0:
0:しかし、そんな願いも空しく…
0:
則宗:雨、止んだね
澪:うん
則宗:結構、暗くなったから、家まで送るよ
澪:え?
則宗:方向一緒だし、一緒に帰ろう
澪:いいの?
則宗:なんだよ。いいに決まってるだろ
0:
0:(則宗)その時の僕は、精一杯、心を奮い立たせた。
0:少しでも、澪と一緒にいたかったから…
0:
0:澪が隣にいる帰り道。
0:もう、雨の音が二人の会話を邪魔することはないのに、
0:上手く言葉が出てこない。
0:
澪:考え事?
則宗:えっ?あっ、いや
澪:何を話せばいいのか、わかんないとか?
則宗:まっ、まぁね…。学校でも、僕は孤立していて、あまり人と話す機会がないからさ
澪:じゃあ、話さなくていいじゃん
則宗:どうして?何か会話がないと、つまんないんじゃない?
澪:私は、つまんなくないよ
則宗:どうして?
澪:のんちゃんと一緒だから
則宗:僕と一緒だから?
澪:そう
則宗:あ…ありがと
澪:あのさ。ちょっと、重たい話してもいい?
則宗:重たい話?いいけど…
澪:私たち、幼馴染だよね?
則宗:そうだね。幼馴染だね。それが、重たい話?
澪:違う違う。えっと、小学校に上がってから、のんちゃん、しばらく、いじめられてたよね
則宗:あぁ…。いじめられてたかもね
澪:私も、周りに流されて、のんちゃんをいじめてた
澪:周りの人の話に合わせて、のんちゃんの悪口を話して、周りの人の行動に合わせて、のんちゃんがそばを通ると、鼻をつまんでた
則宗:…
澪:あの時は、ごめんね。ずっと謝りたかったんだ
則宗:いいよ。そんな昔のことはさ。今は、仲良くしてくれてる
澪:のんちゃんはさ。強いよね
則宗:強い?
澪:誰に何を言われても、何をされても、絶対に、やり返したりしない
澪:ねぇ、どうして?どうして、そんなに我慢ができるの?
則宗:澪が僕を見てくれるから
澪:私が?
則宗:うん。あの頃、本当に苦しかったのは、僕じゃなくて、澪の方だったんじゃないのかな
澪:どうして?
則宗:澪は、優しいからさ
澪:でも、私は…。私は、結局、周りに流されてしまった。のんちゃんを傷つけてしまった
則宗:だから、そんな昔のことは、もう、いいって
則宗:今は、僕を見てくれてるだろ?
則宗:周りに流されずに、僕を見てくれてるだろ?
則宗:今も、こうして、一緒に帰ってくれてる。それが、全てさ
澪:…
則宗:…
0:
0:(澪)沈黙が流れる。
0:沈黙があったっていい。
0:そこに、のんちゃんがいてくれることが、
0:私は嬉しい。それだけは、確か…。
0:
0:
0:(則宗)謝罪は、とても、勇気のいる行為だと思う。
0:澪は、勇気を出してくれた。
0:あれから、数年の時が流れても、ずっと後悔を抱えていたんだ。
0:
0:
則宗:あのっ!澪!
澪:ん?なに?
則宗:今週の日曜の部活は、何時から?
澪:え?朝の9時半から、昼の12時までだけど?
則宗:そっか…。じゃあ、午後から、どこか行かない?
澪:ええっ?もしかして、デートのお誘い?
則宗:まぁ、そういうことかな
澪:もちろん、オッケーだよ
則宗:よっしゃ!
澪:ふふっ。嬉しそうだね
則宗:嬉しいよ
澪:では、どこに連れて行ってもらえるのか、楽しみにしているので
澪:どこに行くかは、じっくり、真剣に考えておいて下さい
則宗:え?一緒に考えてくれるんじゃないの?
澪:のんちゃんが、全部考えてよ。今回は!
則宗:今回は?
澪:そう。次回があるように、せいぜい私を楽しませて下さい
則宗:善処(ぜんしょ)します
0:
0:【間】
0:
0:(則宗)最初のデートは、映画を選んだ。
0:売店でポップコーンとジュースを買って、隣合わせの席に座る。
0:
0:映画のタイトルは、『時をさかのぼる時計』
0:恋人を事故で失った男性が、『時をさかのぼる時計』の不思議な力で過去に戻り、
0:恋人が死ぬ運命を変えようとするラブストーリーだった。
0:
0:映画の最中、ポップコーンで汚れた手を、こっそり服で拭おうとする僕に、
0:澪は、さりげなくハンカチを差し出し、クスリと笑った。
0:
0:映画に集中していて、こちらの方は全く見ていないと思ったのに…。
0:少し恥ずかしいところを見られてしまった。
0:
澪:映画、良かったね
澪:私、最後の彼女の言葉に対して、彼氏の方が「わかった」と繰り返してるところ、
澪:切なくて、思わず泣いちゃった
則宗:あれは、切なかったね
澪:ステキな映画を紹介してくれて、ありがとう
則宗:うん。楽しんでもらえたなら、良かった
澪:そして、次のデートには、ハンカチくらい持って来なよ。ふふっ
則宗:おっ、おぅ…
0:
0:【間】
0:
0:(澪)二回目のデートは、動物園だった。
0:動物の触れ合いコーナーで、私が、うさぎの可愛さに釘づけになっていると、
0:のんちゃんは、無言で、うさぎの餌を買ってきてくれた。
0:
則宗:はい(うさぎの餌の入った袋を差し出す)
澪:え?
則宗:うさぎ、好きなんだろ?餌、あげたくなったんだろ?
澪:どうして、わかったの?
則宗:分かり易いからさ。目がハートになってた
澪:えっ?嘘!
則宗:ふふっ
澪:実は、昔、私も、うさぎを飼ってたんだ
則宗:へぇ。名前とかも付けてたの?
澪:もちろん
則宗:なんて名前?
澪:三月うさぎ
則宗:ん?
澪:三月うさぎだよ
則宗:え?なんで、その名前を付けようと思ったの?
則宗:確か、三月うさぎって、『不思議の国のアリス』に出てくるやつだよね?
澪:そうだよ。私ね。アリスの物語が大好きなんだ
則宗:へぇ…。どんなところが好きなの?
澪:不思議なことを話すキャラクターたちが出てきて、不思議なことが、たくさん起こるところだよ
則宗:ほぉほぉ…。小さい頃からの付き合いなのに、僕は、そんなことも知らなかったなんて、なんか悔しいな
澪:悔しいの?
則宗:うん。悔しい
澪:だったら、もっと知ってもらうために、これからも、たくさんデートに誘ってもらわないとだね
則宗:わかった。これからも、どんどんデートに誘うね
澪:あいおっ!ふふっ。嬉しいな
0:
0:【間】
0:
0:(澪)それからも、のんちゃんからの誘いで、何度もデートをした。
0:傍(はた)から見たら、間違いなく恋人同士なのに、
0:それなのに、どちらも「好き」の言葉を声に出せない関係。
0:当然のことながら、キスも、手をつなぐこともない。
0:
0:
0:(則宗)好き同士なのは、分かり切っているのに、
0:その身体(からだ)に触れたいのに、触れられない。
0:「好き」と声に出したいのに、声に出せない。
0:もどかしくて、煮え切らない。でも、幸せな関係。
0:
0:【間】
0:
0:(澪)12月に突入し、恋人たちの一大イベント、クリスマスが近づく。
0:私は、その日に向けて、プレゼントのマフラーを編み始めた。
0:きっと、のんちゃんからの誘いがくることを信じて…。
0:
0:家にいる間は、度々(たびたび)スマホの通知を確認した。
0:…通知はこない。
0:…のんちゃんからの誘いはこない。
0:…通知はこない。
0:…プレゼントのマフラーも、予定以上に長くなってしまった。
0:…通知はこない。
0:
澪:遅い…。遅い遅い遅い!クリスマスは、もう三日後だよ!
澪:あっ!
0:(澪)スマホが震える。ディスプレイには、
0:『のんちゃん』と表示されている。
0:
則宗:『今週末、12月25日、空いてる?』
澪:『空いてるよ』
則宗:『会える?』
澪:『会えるよ』
則宗:『よかった。渡したいモノがあるんだ』
澪:『渡したいモノ?』
則宗:『うん。最近、家では、ずっと、それを作ってた』
澪:『もしかして、クリスマスプレゼント?』
則宗:『そうだよ。気に入ってくれるかは、わかんないけどさ』
澪:『気に入るに決まってるでしょ!のんちゃんが心を込めて作ってくれたモノなら』
澪:『どんなモノでも、世界一の宝物になるよ』
則宗:『そっか。じゃあ、夜の21時に、月見公園(つきみこうえん)に来れる?』
澪:『夜の21時!?てことは、昼間のデートは、できないってこと?』
則宗:『ごめん。イブの夜から、親戚が家に泊まりに来るらしくて、チビたちの相手をするように任されちゃったんだ』
澪:『そうなんだ…。偉いね…』
則宗:『そして、親戚が帰るのが、25日の20時くらいなんだ』
澪:『なるほどね』
則宗:『ほんと、ごめんね。ギリギリまで別の日にしてくれないかって、親にゴネてはみたんだけど』
則宗:『「あんた、彼女とかいないんだから、別にいいでしょ!」ってさ…。ははは』
澪:『そっか…。でも、会えるってだけでも感謝しないとだね。それに、プレゼントも楽しみだな』
澪:『実は、私も…』
則宗:『え?澪も何かプレゼントを用意してくれてるの?』
澪:『それは、ナイショ♥』
0:
0:【間】
0:
0:(澪)そして、クリスマス当日。20時45分。
0:粉雪が踊る…。白い息が舞う。
0:
0:鼓動が、いつもより早く感じる…。
0:
0:月見公園に着くと、そこのベンチには、
0:ポケットに手を突っ込み、身をかがめ、寒そうに震える、のんちゃんの姿があった。
0:
則宗:あっ!澪!
澪:21時でしょ?15分前に来てるなんて、早すぎない?
則宗:それは、1秒でも早く、澪に会いたかったからさ
澪:ふーん…。あと、着いたなら、「着いた」って、一言LINEを送ってくれれば良いのに
則宗:無理だよ。なんか、そういうのって、急(せ)かしてるみたいで、迷惑になるかもって考える
澪:そういうのは、全然、迷惑にならない。うん。まぁ、いいや。こうして会えたんだし
則宗:うん。会えた
澪:じゃあ、私からのプレゼント。どうぞ
則宗:…ん?ありがとう。開けてもいい?
澪:あいおっ!
則宗:んんっ…?紺色の毛糸?あっ!これは、手編みのマフラー?
澪:うん
則宗:ありがとう!作るの大変だったんじゃない?ねぇ、さっそく巻いてもいい?
澪:うん
則宗:うしっ!えっ、うはっ!このマフラー、すごく長い!もしかして、二人で巻くことを想定して、長く編んだとか?
澪:まっ、まぁ…。だいたい、そんな感じ、かな?
則宗:ありがとう。ほんとに、ありがとう。家宝にするね
澪:あっ!他に好きな人ができたりしたら、あっさり捨てちゃっても良いからね
則宗:そんな人、できないよ
澪:そっか…
則宗:じゃあ、僕からは、これだよ。どうぞ
澪:うっ、うん。ありがとう。開けるね
則宗:…
澪:んっ?これは、絵本?
則宗:そうだよ。澪は、前に「不思議の国のアリス」が好きって話してたから
則宗:それに因(ちな)んだ物語を考えて、絵本にしてきた
澪:今すぐ読みたいんだけど、いい?
則宗:いいよ。それなら…
0:(則宗)僕は、澪の前に立ち、着ていたコートを脱いで、傘のように両手で広げ、雪が絵本にかからないようにした。
澪:寒くないの?
則宗:澪の編んでくれたマフラーがあるから、寒くない。そんなことより、字は、読める?
則宗:僕の字は、癖が強いし、それに暗いから、読みにくくない?
澪:外灯の明かりに加えて、コレがあるから、問題なし
則宗:あぁ、スマホのライトね
澪:ふふーん。じゃあ、のんちゃんが、寒くないように、ささっと読むね
則宗:ゆっくりでも大丈夫だって!全然寒くないからさ
澪:ふふっ
0:
0:(澪)『三月うさぎと帽子屋』というタイトルの絵本。
0:三月うさぎが、大好物のニンジンに色がないことに対して、大騒ぎ。
0:帽子屋は、魔法のクレヨンで、ニンジンに様々な色を着けるが、
0:三月うさぎは、どの色も、オレンジ色ではないから、ニンジンの色ではないからと納得しない。
0:あらすじは、そんな内容。
0:
0:この色だからダメというのは、あたりまえを作ってしまうことは、
0:とても、つまらないことだと、そういうメッセージが込められた物語だった。
0:
澪:なるほどね…
則宗:ん?どうだった?
澪:のんちゃんらしくて、ステキなお話だったよ。ありがとう
則宗:いえいえ
澪:のんちゃんが普段、考えていることとか、今まで苦しんできたこととか
澪:そういうのが、物語の中で素直に描写されていて
澪:これは、他の誰でもない。のんちゃんの、のんちゃんにしか書けない物語なんだと思った
則宗:そう?あのぉ…。絵の方は?
澪:絵?絵は、まぁ…。黙秘権(もくひけん)を行使(こうし)します
澪:でも、のんちゃんは、物語を書く才能の方は、絶対あると思う!
澪:来年のクリスマスも、同じように絵本のプレゼントがいい!
則宗:つまり、来年のクリスマスも、会ってくれるってこと?
澪:あいおっ!のんちゃんが私のこと、嫌いにならなければね
則宗:嫌いになるわけないだろ。来年は、しっかりデートもしよう
澪:あいおっ!そして、そしてね。来年も、プレゼントだけは、この場所で交換するの。どうかな?
則宗:月見公園のベンチで?
澪:そう!二人の恒例行事(こうれいぎょうじ)にしようよ
則宗:ふっ。了解しました
澪:やったぁ!嬉しいな。来年は、どんな絵本をプレゼントしてくれるのかな
澪:あーあ。早く一年経たないかな
則宗:ふふっ。まだ気が早いよ。それに、来年は、僕たち、受験生だよ?
澪:でいっ!(脇腹辺りを叩く)
則宗:痛いっ!なにするんだよ?
澪:受験とか、勉強とか、今は忘れていたいの。夢の国にいたいの!急に現実に戻さないでよ!
則宗:おっ、おぅ
0:
0:【間】
0:
0:(則宗)春休み、僕が計画し、澪と県外のテーマパークに日帰り旅行に行った。
0:そして、その日、僕は、初めて…
0:
澪:すごい人混みだね。迷子になりそう
則宗:…。はい(手を差し出す)
澪:え?
則宗:手…つなごう…
澪:あっ!あいおっ!
0:
0:(則宗)初めて繋いだ澪の手は、想像以上に華奢(きゃしゃ)で、弱々しくて、
0:力を込めて握ってしまうと、潰れて消えてしまいそうだった。
0:大切にしたい。守りたいと思った。
0:
0:
0:(澪)のんちゃんの手は、想像以上にゴツゴツしていて、力強くて、
0:繋いでいると、安心感と幸せに包まれた。
0:この幸せが、ずっと続くようにと、心の中で願っていた。
0:
0:
0:(則宗)これからも、澪と、ずっと一緒にいたい。
0:たくさんの思い出を、一緒に刻んでゆきたい。
0:
0:
澪:ハニースクラッチに、メリープラネットに、スプラッシュコースター
澪:乗りたかったアトラクション、全部回れたから満足だな。のんちゃんは?
則宗:あぁ。僕も、ドラゴンステーキに、キングチキンに、ポークキャリバーも食べられたので、大満足だよ
澪:あのぉ…。それ、全部食べ物!しかも、全部肉料理だし!
則宗:ふふっ。美味しかったな
澪:まぁ、美味しかったけどさ
則宗:うんうん。美味しかった。美味しかった
則宗:さてと、最後の〆(しめ)に、スターソフトを食べてから帰ろうか?
澪:えっ!?スターソフトは、確かに私も食べてみたいとは思っていたけど、SNSでも話題になるほど人気だから
澪:結構な時間、並ばないと買えないよ?
則宗:知ってるよ。だから、僕が買ってくるよ。澪は、ここのベンチに座って待ってて
澪:えーっ!でも、せっかく2人で来てるんだし、一緒に並びたいし、のんちゃんと離れたくないよ
則宗:じゃあ、一緒に行こう!
澪:あいおっ!って…。あっ、あれ?
則宗:ん?どうしたの?
澪:立ち上がれない
則宗:歩き疲れたとか?
澪:そうかも?
則宗:少し休めば、きっと歩けるようになるさ
澪:だね。ちょっと疲れてるだけだよね
則宗:うんうん。てことで、スターソフトは、僕が並んで買ってくるね
澪:一緒に並びたかったな
則宗:買えたら、すぐにここに戻ってくるからさ
澪:うん
則宗:ではでは、行ってきます
澪:ありがとう
0:
0:(則宗)澪は、アトラクションを回るために、広いテーマパークを歩いて、疲れただけ。
0:疲れただけで、すぐにまた歩けるようになる。
0:そう、安易に考えていた。
0:
0:ひとりで呑気(のんき)に列に並んで、澪がスターソフトを嬉しそうに口に頬張る姿を想像していた。
0:
0:(則宗)スターソフトを買って、すぐのことだ。
0:突然、パーク内を突っ切るように、救急車のサイレンが、けたたましく鳴り響く。
0:恐ろしい予感が頭を過(よ)ぎり、
0:スターソフトを落とさないように、澪の待つベンチに、足早に向かう。
0:
0:だんだんとサイレンの音が近づく。
0:それに合わせて、全身から血液が抜けて行く感覚に襲われる。
0:
0:『澪じゃない。澪じゃない。澪じゃない』
0:心の中で、何度も、そう自分に言い聞かせ、平常を保とうとする。
0:しかし、ストレッチャーに乗せられる澪が目に止まった刹那(せつな)、両手に持っていたスターソフトを手放してしまう。
0:『嘘だろ。嘘だろ。嘘だろ』
0:取り乱した僕に気づいた救命士が、
0:「お知り合いの方ですか?」と声をかけてくる。
0:
0:一瞬、世界から色が抜け落ち、音が消える…。
0:
澪:のんちゃん…。のんちゃん…
0:(則宗)澪の手を、両手で包むように、しっかりと握る。
則宗:僕は、ここだよ。ここにいるよ
澪:のんちゃん…。ごめんね…
則宗:なんで、あやまるの?澪は、あやまるようなことなんて、何もしてないよ
澪:ごめんね…。ごめんね…
則宗:だから、あやまるな。あやまるなよ!
澪:…
則宗:澪、一体どうしちゃったんだよ…
0:
0:【間】
0:
0:(則宗)澪は、病院に着くと、すぐに精密検査を受ける運びとなった。
0:そして、わかったことは、彼女の体は、現代の医学では治すことのできない奇病に侵されているということだった。
0:当然、入院することになり、人工呼吸器や多くのチューブが複雑に彼女に繋がれた。
0:
0:僕は、ICUの外にある待合席から、一歩も動けなくなっていた。
0:医者から、彼女の両親から、質問攻めに遭い、ひとつひとつ分かる範囲で答えた。
0:
0:二日後、ICUから出てきた彼女の両親から、彼女が目を覚ましたことを伝えられ、面会してほしいと頼まれる。
0:
澪:あっ、のんちゃん…
則宗:澪…
澪:のんちゃん、こんなことになっちゃって、ごめんね
則宗:なんで、あやまるんだよ。あやまることなんて、何もないだろ
澪:だって、私、死んじゃうん(だってさ)
則宗:(さえぎって)死なないよ
澪:え?
則宗:誰が、そんなくだらない冗談を言ったのか知らないけど、澪は死なない
澪:でも
則宗:死なないったら、死なないの
澪:のんちゃん…
則宗:まだ、今は、ちょうど春休み期間だしさ。休み期間中には、治るって!
澪:うん…。治る
則宗:治ったら、またデートに誘うよ
澪:うん。誘って
則宗:夏休みには、アレが公開されるんだろ?なんだったかな。澪が原作が超好きって言ってた映画
澪:ラスト・デュエットだね
則宗:絶対、一緒に見に行こう
澪:あとね。秋には、『ニンジンの国のアリス』が公開されるんだよ
則宗:あぁ。それも絶対一緒に見に行こう。澪は、アリスシリーズが好きだもんな
澪:うん。好き。大好きだよ。何度だって、見たくなる
則宗:あぁ。何度だって、一緒に見に行こう
澪:でもね。一番楽しみにしてるのは…
則宗:ん?一番楽しみにしてるのは、何?
澪:クリスマスの日に、月見公園で、のんちゃんからプレゼントしてもらう予定のモノ
則宗:あぁ…。絵本だね。今年も、描くからね。心を込めて、澪の、澪だけの絵本をさ
澪:一番の宝物が増える。嬉しいな
則宗:一番の宝物は、ひとつじゃないの?
澪:比べられないよ。のんちゃんが心を込めて作ってくれたモノはね。全部、全部一番の宝物になるの
則宗:ありがとう
澪:ありがとう
0:
0:【間】
0:
0:
0:(則宗)それが、澪との最期の会話になった。
0:突然の死…。
0:人は、こんなにも簡単に、あっさりと、一瞬で死んでしまうものなのだろうか…。
0:
0:幼い頃からの腐れ縁。
0:僕の唯一の理解者。
0:澪だけが、本当の僕を見てくれた。
0:澪だけが、本当の僕を受け入れてくれた。
0:好きになってくれた。
0:デートをしてくれた。
0:これからも、たくさんの思い出を一緒に作って行くはずだった。
0:
0:まだ、僕は、一度も澪に「好き」と声に出して伝えていない。
0:次があるから、次があるからと…。
0:ごめんね…。あやまるのは、僕の方だ。
0:勇気がない。意気地なしの僕の方だ。
0:
0:人は、いつ死ぬか分からない。
0:だからこそ、その時にできることは、全部しておかないと、ダメなんだ。
0:失ってから気づくなんて…。
0:今なら、声に出せるのに…。
0:
0:叫びたいほど澪が好きだ。
0:「愛してる」
0:
0:【長い間】
0:
ナビ:瀬戸梓(せとあずさ)さんがログアウトしました。
澪:はっ、はぁっ!はぁ…はぁ…はぁ…。ここは?
澪:VRゲームをするためのカプセルの中…
澪:そうか…。私は、今、ゲームの中にいたんだ
澪:現実世界の記憶を一時的に消去して、仮想現実で、もうひとつの人生を体験できるゲーム
澪:『アナザーバース』の世界に…
澪:その世界で、私は死んで、ログアウトして、この現実世界、リアルワールドに戻ってきた
澪:そう、戻ってきた
澪:あの記憶は、ゲームの中のアバターが体験したこと
澪:のんちゃんも、きっと、こっちの世界でプレイしている『中の人』がいる
澪:ただのゲーム…
澪:それなのに、それなのに、どうしてだろう…
澪:ただのゲームのはずなのに、涙が止まらない
澪:もう一度、のんちゃんに会いたい!
澪:「ナビ!リアルワールドの記憶を引き継いだ今の状態のまま、さっきのチャンネルに、もう一度ログインさせて!」
ナビ:了解しました
ナビ:それでは、現在の記憶を引き継いだままの再ログインにあたって、ゲームのルール契約に対しての声紋認証(せいもんにんしょう)をお願いします
澪:「はい」
ナビ:その1、再ログインする際のアバターは、前回ログイン時のアバターではなく、こちらがランダムで、ご用意したモノとなります
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい」
ナビ:その2、接触する全てのプレイヤーに対し、リアルワールドの存在及び、前回プレイ時の話をしてはいけません
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい」
ナビ:その3、ログイン時間は、アナザーバース内時間で、最大24時間です
ナビ:24時間以内に、他プレイヤーのいない場所に移動し、ログアウトして下さい
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい」
ナビ:その4、ゲームのルール契約に違反した際には、法的な処罰が下ることになり
ナビ:今後二度と、どのような形であってもアナザーバースへのログインができなくなります
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい!」
ナビ:それでは、再ログインを承認しました。ログインポイントの設定を行って下さい
澪:「地球、日本、山岡県、青木市、四ツ谷町、月見公園」
ナビ:了解しました
ナビ:それでは、アナザーバースの世界を、お楽しみ下さい
0:
澪:のんちゃん、今、会いに行くからね!
0:
0:【間】
0:
0:(澪)ん…?ログイン、完了かな?
0:ここは、月見公園のトイレの中?
0:えっと、オプションの所持品は…スマホと手鏡か…。
0:
0:アバターの外見は、20代前後の女性。
0:歳は、前回ログアウトした時と近そうだけど、顔が全然違う…。
0:
0:今日の日付は…。そうだ。スマホを見れば良いのか!
0:…。
0:嘘でしょ…。2072年12月25日…。
0:ほんの少しリアルワールドにいただけなのに、50年も時間が経ってるの?
0:やっぱり、アナザーバースの時間の進み方は、リアルワールドの何倍も早いのか…。
0:とりあえず、のんちゃんの家に行ってみよう。
0:
0:【間】
0:
0:(澪)私は、ログアウトしてから50年の時が経過した町並みを歩いた。
0:全く昔の面影がない。
0:例えるなら、リアルワールドに近い世界観の町並み。
0:のんちゃんが住んでいた家の場所には、高層ビルが建っていた。
0:
0:どうしよう…。のんちゃん、どこにいるの?
0:会いたいよ…。もう一度、のんちゃんに…。
0:姿が、おじいちゃんになっていても良い。
0:きっと、のんちゃんは、のんちゃんだから…。
0:
0:そういえば、今日は、12月25日。
0:もしかしたら、月見公園のベンチで待っていたら、のんちゃんが来てくれるかも知れない。
0:
0:待とう。月見公園のベンチで…。
0:
0:【間】
0:
0:(澪)公園のベンチに座って、のんちゃんとの思い出をたぐり寄せながら、私は待った。
0:
0:日が落ちるに連れて、人通りも減っていった。
0:のんちゃんは来ない。
0:
0:遠くから、聖歌隊(せいかたい)の合唱が聴こえてきた。
0:のんちゃんは来ない。
0:
0:前にログインしていた時にはなかった強い光を放つ外灯に照らされて、夜になっても公園は明るかった。
0:夜になっても、そう、夜になっても、
0:のんちゃんは来ない。
0:
0:それもそうだ…。
0:50年という時間は、人を変えるには、充分すぎるほどの時間だ。
0:きっと、のんちゃんは、私のことなんて、とっくの昔に忘れてる。
0:
0:他の誰かと一緒になって、子どもと孫に囲まれて、幸せなクリスマスを過ごしてるよね。
0:むしろ、私は、そっちの方を望んであげなきゃダメなんだ。
0:私、なんで、こんなところにいるんだろう…。
0:なんで、また、ログインなんて、しちゃったんだろう…。
0:私のバカ…。バカバカバカ!
0:
0:ログアウトしよう。リアルワールドに戻ろう…。
則宗:こんばんは
0:(澪)背後から声がした。
0:前に聞いた時よりも、しゃがれてはいるが、その声の主を私は、よく知っている。
0:振り返ると、地面に届きそうなほど長い紺色のマフラーをした老人が立っていた。
0:
則宗:隣、座ってもいいですか?
澪:はい
0:
0:【間】
0:
則宗:寒いですね
澪:寒いですね
則宗:…。あと、15分か…
澪:え?誰かと待ち合わせでもしてるんですか?
則宗:えぇ。21時に…。この場所で
澪:奥さんですか?
則宗:僕に、妻はいませんよ
澪:すみません。失礼なことを聞いてしまったかも知れません
則宗:構いませんよ
則宗:僕には、ここでクリスマスプレゼントを渡す約束をした人がいるんです
澪:クリスマスプレゼント?
則宗:そうです。でも、毎年、ここで待ってるんですが、その人は、ここへは来てくれないんです
澪:ひどい人ですね。寒い中、人を待たせておいて、来ないだなんて…
則宗:まったくです。でも、ステキな人なんですよ
澪:あのぅ。その人の名前、聞かせてもらうことって、できますか?
則宗:えぇ…。星宮澪(ほしみやみお)
澪:星宮澪ですか…。ステキな名前ですね
則宗:あぁ、名前もステキだし、心もステキな人です
則宗:僕が人生で、たった一人、愛した人です
澪:…
澪:ちなみに、どんなところを好きになったんですか?良ければ、聞かせていただけませんか?
則宗:その人は、唯一、ありのままの僕を見てくれた人でした
則宗:僕に、居場所をくれた人でした
澪:居場所ですか?
則宗:そう。居場所を与えてくれることこそが、世界で一番ステキな愛情表現
則宗:それを教えてくれたのが、彼女でした
澪:…
則宗:…
澪:あのっ。どんなプレゼントを用意したんですか?
則宗:あぁ…。絵本です。手作りの絵本
澪:手作りの絵本…。その絵本って、読ませてもらうことって、できますか?
則宗:…
則宗:あぁ…。僕は、その道で食べているわけではないので、文章は、とても拙(つたな)いものですが
則宗:それで、良ければ…
澪:はい。ありがとうございます
0:
0:【間】
0:
澪:変わり者の黒猫
0:
0:
澪:その黒猫は、他の猫と鳴き声が少し違っていた。
0:
澪:鳴き声が少し違う。
澪:黒猫が孤独になる理由としては、それだけで充分だった。
0:
澪:黒猫は、他の猫たちがゴミ捨て場の残飯(ざんぱん)をあさっている時に、
澪:仲間に入れてもらうために近づくと、暴力をふるわれた。
0:
澪:他の猫たちから罵声(ばせい)を浴びせられ、体を爪でひっかかれ、耳を噛まれたりもした。
澪:だから、他の猫たちの去った後のゴミ捨て場で、ご飯を食べるしかなかった。
澪:しかし、残飯は、ほとんど残っていない。
0:
澪:黒猫は、いつも空腹だった。
0:
澪:他の猫たちの仲間に入れてもらいたくて、普通の猫になりたくて、
澪:普通の猫と同じような鳴き声を出せるように、ずっと独りで練習していた。
0:
澪:そんなある日のことだ。
澪:変わり者の男が、黒猫の鳴き声を耳にし、
則宗:「ステキな鳴き声だね」
澪:空腹で弱りきった黒猫を家に連れ帰った。
0:
澪:男は、黒猫の体を優しく撫(な)でた。
則宗:「どうやら、僕は、君にひとめぼれしたみたいだ。僕の家族になってほしい」
0:
澪:男は、本を書く仕事をしていた。
澪:黒猫を家族にしてからは、本の主人公は、いつも黒猫だった。
0:
澪:男は、黒猫が主人公の本を毎晩のように黒猫に読み聞かせた。
澪:しかし、黒猫に人間の言葉は、理解できない。
澪:ただ…、
澪:『大切にされている』
澪:それだけは伝わっていた。
0:
澪:黒猫は、生まれて初めて大切にされる存在、必要とされる存在になり、
澪:それが苦しかった。
澪:黒猫は、男に何も返せない。
澪:どんなに愛されても、
澪:『ありがとう』の一言さえ言えない。
澪:それが、とても苦しかった。
0:
澪:そして、その苦しさに耐えられなくなった黒猫は、男のそばから離れていった。
0:
澪:男は、黒猫を愛していたが、黒猫を追いかけなかったし、探そうともしなかった。
0:
澪:その代わりに、毎日、黒猫のお皿に、ご飯を盛り付けた。
澪:黒猫は、どこにもいないのに、戻ってこないのに、
澪:毎日、手付かずのご飯とお皿を綺麗に片付けた。
0:
澪:一方の黒猫は、男のそばを離れたあとから、
澪:不思議なことに、普通の猫と同じような鳴き声が出せるようになっていた。
澪:そして、普通の猫の仲間に入れてもらい、普通の猫と一緒にゴミ捨て場の残飯を食べた。
0:
澪:もう、他の猫たちが黒猫をいじめることはなかった。
0:
澪:黒猫は、普通の猫になれた。
0:
澪:それから、長い長い年月が流れ、
澪:黒猫は、普通の寿命で、もうすぐ、普通に死ぬことを悟った。
0:
澪:もうすぐ普通に死ぬことを悟ってから、
澪:何故だか、変わり者の男に会いたくなった。
0:
澪:黒猫は、数年ぶりに男の家を訪ねた。
則宗:「おかえり」
澪:男は、変わらず、黒猫のご飯を用意して待っていた。
0:
澪:長い長い年月が流れても、黒猫のことを忘れていなかった。
澪:黒猫の居場所は、まだそこにあった。
0:
澪:黒猫は、もうすぐ普通の寿命で、普通に死ぬことがわかっていたのに、
澪:自分が死ぬことで男が悲しむことがわかっていたのに、
澪:男のそばを離れられなくなっていた。
0:
澪:普通の黒猫は、変わり者の男の愛で、変わり者の黒猫になった。
澪:そして、特別で、幸せな一生を終えた。
0:
0:
0:【間】
0:
0:(澪)のんちゃんは、変わらず、のんちゃんだった。
0:のんちゃんの優しさに、想いに、涙が止まらない。
0:50年間も、あなたをひとりぼっちにしてしまって、
0:ごめんなさい。
0:
0:【間】
0:
澪:ごめんなさい
則宗:ん?どうしたんだい?気分でも悪くされたかな?
澪:いえ…。読ませてくれて、ありがとうございます
澪:心が…。心が、あたたまりました
則宗:そうか…。それなら、良かった
澪:あなたの好きな人は、あなたのことが、それはもう、どうしようもないくらい大好きだと思います
則宗:…
澪:こんなステキな物語を産み出せる、あなたのことを愛してると思います
則宗:ありがとう。僕も…愛してるよ
0:
0:【長い間】
0:
澪:コール!ナビゲーションシステム。ログアウト…
ナビ:瀬戸梓さんがログアウトしました。
澪:のんちゃん…。のんちゃん!のんちゃーん!
澪:こっちでも、のんちゃんに会いたい…。
澪:会いたいよ!
0:
澪:きっと、のんちゃんもそろそろログアウトするはず。
澪:だけど、アナザーバースで知り合った人と、リアルワールドで会うのは、凄く難しい。
澪:トラブルを避けるために、連絡を取る手段がゲーム内にないからだ。
澪:一応、ネット上に掲示板のようなモノもあるが、出会い系悪質業者の巣窟(そうくつ)になってる。
0:
澪:どうすれば!どうすれば、のんちゃんに会えるの!
0:
澪:こっちで、もう一度会えたなら、今度こそ、
澪:「愛してる」って、この声で伝えるのに!
0:
0:【間】
0:
澪:そして、季節はめぐり、桜が咲く頃、
澪:ふいに立ち寄った本屋で、一冊の絵本が目に止まった。
澪:飼い主らしき青年が、穏やかな表情で、黒猫を抱きしめている表紙。
澪:絵本のタイトルは、『変わり者の黒猫』
澪:私は、すぐにその絵本を手にとった。
0:
澪:あとがきには、見覚えのある癖の強い字で、
則宗:『この絵本が、大切なあなたの居場所につながりますように!』
澪:作者名は、天道司(てんどうつかさ)…。
0:
0:
0:―了―
0:(則宗)放課後、急に降り出した雨は、止むことはなく、激しさを増す。
0:予報では、降水確率は30%…
0:部活を終えた僕は、空からマシンガンのように降り注ぐ雨に気持ちを沈められ、
0:玄関から一歩も外に踏み出せずにいた。
0:そんな僕を尻目に、他の生徒たちは、当たり前のように傘をさして出てゆく。
0:
0:雨足が弱まる気配はない。
0:
澪:のんちゃん
則宗:あ…澪…
澪:もしかして、傘、忘れた?
則宗:あぁ、忘れた
澪:傘くらい持ってきなよ
澪:予報では、夕方の降水確率は、90%だったよ
則宗:え?30%だったよ
澪:30%?それって、どこのテレビ局?
則宗:そんなの、いちいち気にして見てないよ
澪:そっか…。まぁ、いいや。私が傘に入れてあげる。駅まで一緒に帰ろう
則宗:えっ?
澪:いいから!いいから!
則宗:おっ、おぅ
0:
0:(則宗)澪が、傘立ての中から、青い傘を取り出す。
0:そして、広げられたのは、2人で入るには、とても狭い空間。
0:
則宗:僕が持つよ
澪:えっ?
則宗:貸して
澪:うん
則宗:じゃあ、行くよ
0:
0:(澪)のんちゃんは、体の半分を傘の外に曝(さら)して、私が雨に濡れないように、気遣って歩いてくれた。
0:そんな、のんちゃんの分かり易い優しさに、好きな人の匂いに、私はドキドキしていた。
0:
則宗:ねぇ、クラスの人とかに見られて、変な噂とか立ったら困らない?
澪:変な噂?あぁ、私とのんちゃんが付き合ってるって?
則宗:そう
澪:困らないから、「傘に入れてあげる」って声をかけたんだよ
則宗:そっか
澪:のんちゃんは困るの?
則宗:困らないよ
澪:(同時に)ふふっ
則宗:(同時に)ふふっ
澪:今日は、のんちゃんが、朝に見た天気予報に感謝しないとだな
則宗:なんだよ。それ?
澪:だって、のんちゃんと相合傘ができたからさ
澪:こういうのって、女の子なら、誰もが憧れるシチュエーションだと思うよ
則宗:そういうものなの?
澪:そういうものです!
則宗:そっか。それなら、良かったね。相手は、僕だけど
澪:のんちゃんだから、いいんだよ
則宗:どうして?僕は、モテないし、イケメンでもないよ?
澪:のんちゃんは、とってもカッコいいよ!
則宗:僕のことをカッコいいって言うのは、澪くらいだよ
則宗:変わり者で、クラスでも浮いてる僕のことを、みんなは避(さ)けてるしさ
澪:ほんと、のんちゃんのクラスの人たちは、見る目がないよね
澪:来年は、のんちゃんと一緒のクラスになれるといいな
則宗:僕も、澪と一緒だと心強い
澪:そんなに、居心地が悪いの?
則宗:うん…。昼食の時間も、休み時間も、ずっと、ぼっちだからね
則宗:グループ学習のグループ決めの時も、僕だけあぶれてしまうから
則宗:先生が気を遣って、あたりさわりのないグループに振り当てられる
則宗:そして、そのグループ内で気まずい空気が流れる…
澪:私だったら、真っ先にのんちゃんをグループに入れるのにな
澪:のんちゃんは、発想力がすごいし、なんでも人並み以上にできちゃうからさ
則宗:そんなことないよ。僕だって、苦手なことはある
澪:苦手なことあるの?例えば?
則宗:うーん…。単純作業を延々と続けるのが苦手
則宗:ついつい、遊び心が出てしまう
澪:うんうん。そこが、いいんだよ。そして、思い出した
則宗:思い出した?
澪:幼稚園の時に、クリスマスの飾りを作ることがあって
澪:その時に、のんちゃんはサンタの顔をたくさん作るグループで
澪:みんなは、サンタの顔を同じ顔で描いて量産してたけど
澪:のんちゃんだけは、サンタの顔を怒った顔にしたり、泣いた顔にしたり、鼻の穴を大きく描いたりしてたよね?
則宗:そういえば、そんなことあったな。でも、よく、そんな昔のこと、覚えてるね
澪:のんちゃんの描いたサンタの顔が、どれもすっごく個性的で、楽しかったから
則宗:そっか…
澪:あっ!駅に着いちゃったね
則宗:よいしょっと(傘の水を払う音)
則宗:はい。傘、ありがとう
澪:あれれ?おかしいなぁ。相合傘していたはずなのに、のんちゃんだけ、すごく濡れてる気がするなぁ
則宗:そ、それは…。たまたまだよ。たまたま
澪:たまたまかぁ
則宗:そう。たまたま
澪:…
0:(澪)満員電車の中、さりげなく私を隅に誘導し、のんちゃんは、私を守るように立ってくれた。
0:このまま、雨は止まないでほしいと願った。
0:だって、電車が停まった時に、雨が止んでいなかったら、
0:もう一度、のんちゃんに、「傘に入れてあげる」って声をかけられるから…
0:
0:のんちゃんも、それを期待して、雨は止まないでほしいと願ってくれているのかな?
0:同じ気持ちだったら、嬉しい。
0:
0:しかし、そんな願いも空しく…
0:
則宗:雨、止んだね
澪:うん
則宗:結構、暗くなったから、家まで送るよ
澪:え?
則宗:方向一緒だし、一緒に帰ろう
澪:いいの?
則宗:なんだよ。いいに決まってるだろ
0:
0:(則宗)その時の僕は、精一杯、心を奮い立たせた。
0:少しでも、澪と一緒にいたかったから…
0:
0:澪が隣にいる帰り道。
0:もう、雨の音が二人の会話を邪魔することはないのに、
0:上手く言葉が出てこない。
0:
澪:考え事?
則宗:えっ?あっ、いや
澪:何を話せばいいのか、わかんないとか?
則宗:まっ、まぁね…。学校でも、僕は孤立していて、あまり人と話す機会がないからさ
澪:じゃあ、話さなくていいじゃん
則宗:どうして?何か会話がないと、つまんないんじゃない?
澪:私は、つまんなくないよ
則宗:どうして?
澪:のんちゃんと一緒だから
則宗:僕と一緒だから?
澪:そう
則宗:あ…ありがと
澪:あのさ。ちょっと、重たい話してもいい?
則宗:重たい話?いいけど…
澪:私たち、幼馴染だよね?
則宗:そうだね。幼馴染だね。それが、重たい話?
澪:違う違う。えっと、小学校に上がってから、のんちゃん、しばらく、いじめられてたよね
則宗:あぁ…。いじめられてたかもね
澪:私も、周りに流されて、のんちゃんをいじめてた
澪:周りの人の話に合わせて、のんちゃんの悪口を話して、周りの人の行動に合わせて、のんちゃんがそばを通ると、鼻をつまんでた
則宗:…
澪:あの時は、ごめんね。ずっと謝りたかったんだ
則宗:いいよ。そんな昔のことはさ。今は、仲良くしてくれてる
澪:のんちゃんはさ。強いよね
則宗:強い?
澪:誰に何を言われても、何をされても、絶対に、やり返したりしない
澪:ねぇ、どうして?どうして、そんなに我慢ができるの?
則宗:澪が僕を見てくれるから
澪:私が?
則宗:うん。あの頃、本当に苦しかったのは、僕じゃなくて、澪の方だったんじゃないのかな
澪:どうして?
則宗:澪は、優しいからさ
澪:でも、私は…。私は、結局、周りに流されてしまった。のんちゃんを傷つけてしまった
則宗:だから、そんな昔のことは、もう、いいって
則宗:今は、僕を見てくれてるだろ?
則宗:周りに流されずに、僕を見てくれてるだろ?
則宗:今も、こうして、一緒に帰ってくれてる。それが、全てさ
澪:…
則宗:…
0:
0:(澪)沈黙が流れる。
0:沈黙があったっていい。
0:そこに、のんちゃんがいてくれることが、
0:私は嬉しい。それだけは、確か…。
0:
0:
0:(則宗)謝罪は、とても、勇気のいる行為だと思う。
0:澪は、勇気を出してくれた。
0:あれから、数年の時が流れても、ずっと後悔を抱えていたんだ。
0:
0:
則宗:あのっ!澪!
澪:ん?なに?
則宗:今週の日曜の部活は、何時から?
澪:え?朝の9時半から、昼の12時までだけど?
則宗:そっか…。じゃあ、午後から、どこか行かない?
澪:ええっ?もしかして、デートのお誘い?
則宗:まぁ、そういうことかな
澪:もちろん、オッケーだよ
則宗:よっしゃ!
澪:ふふっ。嬉しそうだね
則宗:嬉しいよ
澪:では、どこに連れて行ってもらえるのか、楽しみにしているので
澪:どこに行くかは、じっくり、真剣に考えておいて下さい
則宗:え?一緒に考えてくれるんじゃないの?
澪:のんちゃんが、全部考えてよ。今回は!
則宗:今回は?
澪:そう。次回があるように、せいぜい私を楽しませて下さい
則宗:善処(ぜんしょ)します
0:
0:【間】
0:
0:(則宗)最初のデートは、映画を選んだ。
0:売店でポップコーンとジュースを買って、隣合わせの席に座る。
0:
0:映画のタイトルは、『時をさかのぼる時計』
0:恋人を事故で失った男性が、『時をさかのぼる時計』の不思議な力で過去に戻り、
0:恋人が死ぬ運命を変えようとするラブストーリーだった。
0:
0:映画の最中、ポップコーンで汚れた手を、こっそり服で拭おうとする僕に、
0:澪は、さりげなくハンカチを差し出し、クスリと笑った。
0:
0:映画に集中していて、こちらの方は全く見ていないと思ったのに…。
0:少し恥ずかしいところを見られてしまった。
0:
澪:映画、良かったね
澪:私、最後の彼女の言葉に対して、彼氏の方が「わかった」と繰り返してるところ、
澪:切なくて、思わず泣いちゃった
則宗:あれは、切なかったね
澪:ステキな映画を紹介してくれて、ありがとう
則宗:うん。楽しんでもらえたなら、良かった
澪:そして、次のデートには、ハンカチくらい持って来なよ。ふふっ
則宗:おっ、おぅ…
0:
0:【間】
0:
0:(澪)二回目のデートは、動物園だった。
0:動物の触れ合いコーナーで、私が、うさぎの可愛さに釘づけになっていると、
0:のんちゃんは、無言で、うさぎの餌を買ってきてくれた。
0:
則宗:はい(うさぎの餌の入った袋を差し出す)
澪:え?
則宗:うさぎ、好きなんだろ?餌、あげたくなったんだろ?
澪:どうして、わかったの?
則宗:分かり易いからさ。目がハートになってた
澪:えっ?嘘!
則宗:ふふっ
澪:実は、昔、私も、うさぎを飼ってたんだ
則宗:へぇ。名前とかも付けてたの?
澪:もちろん
則宗:なんて名前?
澪:三月うさぎ
則宗:ん?
澪:三月うさぎだよ
則宗:え?なんで、その名前を付けようと思ったの?
則宗:確か、三月うさぎって、『不思議の国のアリス』に出てくるやつだよね?
澪:そうだよ。私ね。アリスの物語が大好きなんだ
則宗:へぇ…。どんなところが好きなの?
澪:不思議なことを話すキャラクターたちが出てきて、不思議なことが、たくさん起こるところだよ
則宗:ほぉほぉ…。小さい頃からの付き合いなのに、僕は、そんなことも知らなかったなんて、なんか悔しいな
澪:悔しいの?
則宗:うん。悔しい
澪:だったら、もっと知ってもらうために、これからも、たくさんデートに誘ってもらわないとだね
則宗:わかった。これからも、どんどんデートに誘うね
澪:あいおっ!ふふっ。嬉しいな
0:
0:【間】
0:
0:(澪)それからも、のんちゃんからの誘いで、何度もデートをした。
0:傍(はた)から見たら、間違いなく恋人同士なのに、
0:それなのに、どちらも「好き」の言葉を声に出せない関係。
0:当然のことながら、キスも、手をつなぐこともない。
0:
0:
0:(則宗)好き同士なのは、分かり切っているのに、
0:その身体(からだ)に触れたいのに、触れられない。
0:「好き」と声に出したいのに、声に出せない。
0:もどかしくて、煮え切らない。でも、幸せな関係。
0:
0:【間】
0:
0:(澪)12月に突入し、恋人たちの一大イベント、クリスマスが近づく。
0:私は、その日に向けて、プレゼントのマフラーを編み始めた。
0:きっと、のんちゃんからの誘いがくることを信じて…。
0:
0:家にいる間は、度々(たびたび)スマホの通知を確認した。
0:…通知はこない。
0:…のんちゃんからの誘いはこない。
0:…通知はこない。
0:…プレゼントのマフラーも、予定以上に長くなってしまった。
0:…通知はこない。
0:
澪:遅い…。遅い遅い遅い!クリスマスは、もう三日後だよ!
澪:あっ!
0:(澪)スマホが震える。ディスプレイには、
0:『のんちゃん』と表示されている。
0:
則宗:『今週末、12月25日、空いてる?』
澪:『空いてるよ』
則宗:『会える?』
澪:『会えるよ』
則宗:『よかった。渡したいモノがあるんだ』
澪:『渡したいモノ?』
則宗:『うん。最近、家では、ずっと、それを作ってた』
澪:『もしかして、クリスマスプレゼント?』
則宗:『そうだよ。気に入ってくれるかは、わかんないけどさ』
澪:『気に入るに決まってるでしょ!のんちゃんが心を込めて作ってくれたモノなら』
澪:『どんなモノでも、世界一の宝物になるよ』
則宗:『そっか。じゃあ、夜の21時に、月見公園(つきみこうえん)に来れる?』
澪:『夜の21時!?てことは、昼間のデートは、できないってこと?』
則宗:『ごめん。イブの夜から、親戚が家に泊まりに来るらしくて、チビたちの相手をするように任されちゃったんだ』
澪:『そうなんだ…。偉いね…』
則宗:『そして、親戚が帰るのが、25日の20時くらいなんだ』
澪:『なるほどね』
則宗:『ほんと、ごめんね。ギリギリまで別の日にしてくれないかって、親にゴネてはみたんだけど』
則宗:『「あんた、彼女とかいないんだから、別にいいでしょ!」ってさ…。ははは』
澪:『そっか…。でも、会えるってだけでも感謝しないとだね。それに、プレゼントも楽しみだな』
澪:『実は、私も…』
則宗:『え?澪も何かプレゼントを用意してくれてるの?』
澪:『それは、ナイショ♥』
0:
0:【間】
0:
0:(澪)そして、クリスマス当日。20時45分。
0:粉雪が踊る…。白い息が舞う。
0:
0:鼓動が、いつもより早く感じる…。
0:
0:月見公園に着くと、そこのベンチには、
0:ポケットに手を突っ込み、身をかがめ、寒そうに震える、のんちゃんの姿があった。
0:
則宗:あっ!澪!
澪:21時でしょ?15分前に来てるなんて、早すぎない?
則宗:それは、1秒でも早く、澪に会いたかったからさ
澪:ふーん…。あと、着いたなら、「着いた」って、一言LINEを送ってくれれば良いのに
則宗:無理だよ。なんか、そういうのって、急(せ)かしてるみたいで、迷惑になるかもって考える
澪:そういうのは、全然、迷惑にならない。うん。まぁ、いいや。こうして会えたんだし
則宗:うん。会えた
澪:じゃあ、私からのプレゼント。どうぞ
則宗:…ん?ありがとう。開けてもいい?
澪:あいおっ!
則宗:んんっ…?紺色の毛糸?あっ!これは、手編みのマフラー?
澪:うん
則宗:ありがとう!作るの大変だったんじゃない?ねぇ、さっそく巻いてもいい?
澪:うん
則宗:うしっ!えっ、うはっ!このマフラー、すごく長い!もしかして、二人で巻くことを想定して、長く編んだとか?
澪:まっ、まぁ…。だいたい、そんな感じ、かな?
則宗:ありがとう。ほんとに、ありがとう。家宝にするね
澪:あっ!他に好きな人ができたりしたら、あっさり捨てちゃっても良いからね
則宗:そんな人、できないよ
澪:そっか…
則宗:じゃあ、僕からは、これだよ。どうぞ
澪:うっ、うん。ありがとう。開けるね
則宗:…
澪:んっ?これは、絵本?
則宗:そうだよ。澪は、前に「不思議の国のアリス」が好きって話してたから
則宗:それに因(ちな)んだ物語を考えて、絵本にしてきた
澪:今すぐ読みたいんだけど、いい?
則宗:いいよ。それなら…
0:(則宗)僕は、澪の前に立ち、着ていたコートを脱いで、傘のように両手で広げ、雪が絵本にかからないようにした。
澪:寒くないの?
則宗:澪の編んでくれたマフラーがあるから、寒くない。そんなことより、字は、読める?
則宗:僕の字は、癖が強いし、それに暗いから、読みにくくない?
澪:外灯の明かりに加えて、コレがあるから、問題なし
則宗:あぁ、スマホのライトね
澪:ふふーん。じゃあ、のんちゃんが、寒くないように、ささっと読むね
則宗:ゆっくりでも大丈夫だって!全然寒くないからさ
澪:ふふっ
0:
0:(澪)『三月うさぎと帽子屋』というタイトルの絵本。
0:三月うさぎが、大好物のニンジンに色がないことに対して、大騒ぎ。
0:帽子屋は、魔法のクレヨンで、ニンジンに様々な色を着けるが、
0:三月うさぎは、どの色も、オレンジ色ではないから、ニンジンの色ではないからと納得しない。
0:あらすじは、そんな内容。
0:
0:この色だからダメというのは、あたりまえを作ってしまうことは、
0:とても、つまらないことだと、そういうメッセージが込められた物語だった。
0:
澪:なるほどね…
則宗:ん?どうだった?
澪:のんちゃんらしくて、ステキなお話だったよ。ありがとう
則宗:いえいえ
澪:のんちゃんが普段、考えていることとか、今まで苦しんできたこととか
澪:そういうのが、物語の中で素直に描写されていて
澪:これは、他の誰でもない。のんちゃんの、のんちゃんにしか書けない物語なんだと思った
則宗:そう?あのぉ…。絵の方は?
澪:絵?絵は、まぁ…。黙秘権(もくひけん)を行使(こうし)します
澪:でも、のんちゃんは、物語を書く才能の方は、絶対あると思う!
澪:来年のクリスマスも、同じように絵本のプレゼントがいい!
則宗:つまり、来年のクリスマスも、会ってくれるってこと?
澪:あいおっ!のんちゃんが私のこと、嫌いにならなければね
則宗:嫌いになるわけないだろ。来年は、しっかりデートもしよう
澪:あいおっ!そして、そしてね。来年も、プレゼントだけは、この場所で交換するの。どうかな?
則宗:月見公園のベンチで?
澪:そう!二人の恒例行事(こうれいぎょうじ)にしようよ
則宗:ふっ。了解しました
澪:やったぁ!嬉しいな。来年は、どんな絵本をプレゼントしてくれるのかな
澪:あーあ。早く一年経たないかな
則宗:ふふっ。まだ気が早いよ。それに、来年は、僕たち、受験生だよ?
澪:でいっ!(脇腹辺りを叩く)
則宗:痛いっ!なにするんだよ?
澪:受験とか、勉強とか、今は忘れていたいの。夢の国にいたいの!急に現実に戻さないでよ!
則宗:おっ、おぅ
0:
0:【間】
0:
0:(則宗)春休み、僕が計画し、澪と県外のテーマパークに日帰り旅行に行った。
0:そして、その日、僕は、初めて…
0:
澪:すごい人混みだね。迷子になりそう
則宗:…。はい(手を差し出す)
澪:え?
則宗:手…つなごう…
澪:あっ!あいおっ!
0:
0:(則宗)初めて繋いだ澪の手は、想像以上に華奢(きゃしゃ)で、弱々しくて、
0:力を込めて握ってしまうと、潰れて消えてしまいそうだった。
0:大切にしたい。守りたいと思った。
0:
0:
0:(澪)のんちゃんの手は、想像以上にゴツゴツしていて、力強くて、
0:繋いでいると、安心感と幸せに包まれた。
0:この幸せが、ずっと続くようにと、心の中で願っていた。
0:
0:
0:(則宗)これからも、澪と、ずっと一緒にいたい。
0:たくさんの思い出を、一緒に刻んでゆきたい。
0:
0:
澪:ハニースクラッチに、メリープラネットに、スプラッシュコースター
澪:乗りたかったアトラクション、全部回れたから満足だな。のんちゃんは?
則宗:あぁ。僕も、ドラゴンステーキに、キングチキンに、ポークキャリバーも食べられたので、大満足だよ
澪:あのぉ…。それ、全部食べ物!しかも、全部肉料理だし!
則宗:ふふっ。美味しかったな
澪:まぁ、美味しかったけどさ
則宗:うんうん。美味しかった。美味しかった
則宗:さてと、最後の〆(しめ)に、スターソフトを食べてから帰ろうか?
澪:えっ!?スターソフトは、確かに私も食べてみたいとは思っていたけど、SNSでも話題になるほど人気だから
澪:結構な時間、並ばないと買えないよ?
則宗:知ってるよ。だから、僕が買ってくるよ。澪は、ここのベンチに座って待ってて
澪:えーっ!でも、せっかく2人で来てるんだし、一緒に並びたいし、のんちゃんと離れたくないよ
則宗:じゃあ、一緒に行こう!
澪:あいおっ!って…。あっ、あれ?
則宗:ん?どうしたの?
澪:立ち上がれない
則宗:歩き疲れたとか?
澪:そうかも?
則宗:少し休めば、きっと歩けるようになるさ
澪:だね。ちょっと疲れてるだけだよね
則宗:うんうん。てことで、スターソフトは、僕が並んで買ってくるね
澪:一緒に並びたかったな
則宗:買えたら、すぐにここに戻ってくるからさ
澪:うん
則宗:ではでは、行ってきます
澪:ありがとう
0:
0:(則宗)澪は、アトラクションを回るために、広いテーマパークを歩いて、疲れただけ。
0:疲れただけで、すぐにまた歩けるようになる。
0:そう、安易に考えていた。
0:
0:ひとりで呑気(のんき)に列に並んで、澪がスターソフトを嬉しそうに口に頬張る姿を想像していた。
0:
0:(則宗)スターソフトを買って、すぐのことだ。
0:突然、パーク内を突っ切るように、救急車のサイレンが、けたたましく鳴り響く。
0:恐ろしい予感が頭を過(よ)ぎり、
0:スターソフトを落とさないように、澪の待つベンチに、足早に向かう。
0:
0:だんだんとサイレンの音が近づく。
0:それに合わせて、全身から血液が抜けて行く感覚に襲われる。
0:
0:『澪じゃない。澪じゃない。澪じゃない』
0:心の中で、何度も、そう自分に言い聞かせ、平常を保とうとする。
0:しかし、ストレッチャーに乗せられる澪が目に止まった刹那(せつな)、両手に持っていたスターソフトを手放してしまう。
0:『嘘だろ。嘘だろ。嘘だろ』
0:取り乱した僕に気づいた救命士が、
0:「お知り合いの方ですか?」と声をかけてくる。
0:
0:一瞬、世界から色が抜け落ち、音が消える…。
0:
澪:のんちゃん…。のんちゃん…
0:(則宗)澪の手を、両手で包むように、しっかりと握る。
則宗:僕は、ここだよ。ここにいるよ
澪:のんちゃん…。ごめんね…
則宗:なんで、あやまるの?澪は、あやまるようなことなんて、何もしてないよ
澪:ごめんね…。ごめんね…
則宗:だから、あやまるな。あやまるなよ!
澪:…
則宗:澪、一体どうしちゃったんだよ…
0:
0:【間】
0:
0:(則宗)澪は、病院に着くと、すぐに精密検査を受ける運びとなった。
0:そして、わかったことは、彼女の体は、現代の医学では治すことのできない奇病に侵されているということだった。
0:当然、入院することになり、人工呼吸器や多くのチューブが複雑に彼女に繋がれた。
0:
0:僕は、ICUの外にある待合席から、一歩も動けなくなっていた。
0:医者から、彼女の両親から、質問攻めに遭い、ひとつひとつ分かる範囲で答えた。
0:
0:二日後、ICUから出てきた彼女の両親から、彼女が目を覚ましたことを伝えられ、面会してほしいと頼まれる。
0:
澪:あっ、のんちゃん…
則宗:澪…
澪:のんちゃん、こんなことになっちゃって、ごめんね
則宗:なんで、あやまるんだよ。あやまることなんて、何もないだろ
澪:だって、私、死んじゃうん(だってさ)
則宗:(さえぎって)死なないよ
澪:え?
則宗:誰が、そんなくだらない冗談を言ったのか知らないけど、澪は死なない
澪:でも
則宗:死なないったら、死なないの
澪:のんちゃん…
則宗:まだ、今は、ちょうど春休み期間だしさ。休み期間中には、治るって!
澪:うん…。治る
則宗:治ったら、またデートに誘うよ
澪:うん。誘って
則宗:夏休みには、アレが公開されるんだろ?なんだったかな。澪が原作が超好きって言ってた映画
澪:ラスト・デュエットだね
則宗:絶対、一緒に見に行こう
澪:あとね。秋には、『ニンジンの国のアリス』が公開されるんだよ
則宗:あぁ。それも絶対一緒に見に行こう。澪は、アリスシリーズが好きだもんな
澪:うん。好き。大好きだよ。何度だって、見たくなる
則宗:あぁ。何度だって、一緒に見に行こう
澪:でもね。一番楽しみにしてるのは…
則宗:ん?一番楽しみにしてるのは、何?
澪:クリスマスの日に、月見公園で、のんちゃんからプレゼントしてもらう予定のモノ
則宗:あぁ…。絵本だね。今年も、描くからね。心を込めて、澪の、澪だけの絵本をさ
澪:一番の宝物が増える。嬉しいな
則宗:一番の宝物は、ひとつじゃないの?
澪:比べられないよ。のんちゃんが心を込めて作ってくれたモノはね。全部、全部一番の宝物になるの
則宗:ありがとう
澪:ありがとう
0:
0:【間】
0:
0:
0:(則宗)それが、澪との最期の会話になった。
0:突然の死…。
0:人は、こんなにも簡単に、あっさりと、一瞬で死んでしまうものなのだろうか…。
0:
0:幼い頃からの腐れ縁。
0:僕の唯一の理解者。
0:澪だけが、本当の僕を見てくれた。
0:澪だけが、本当の僕を受け入れてくれた。
0:好きになってくれた。
0:デートをしてくれた。
0:これからも、たくさんの思い出を一緒に作って行くはずだった。
0:
0:まだ、僕は、一度も澪に「好き」と声に出して伝えていない。
0:次があるから、次があるからと…。
0:ごめんね…。あやまるのは、僕の方だ。
0:勇気がない。意気地なしの僕の方だ。
0:
0:人は、いつ死ぬか分からない。
0:だからこそ、その時にできることは、全部しておかないと、ダメなんだ。
0:失ってから気づくなんて…。
0:今なら、声に出せるのに…。
0:
0:叫びたいほど澪が好きだ。
0:「愛してる」
0:
0:【長い間】
0:
ナビ:瀬戸梓(せとあずさ)さんがログアウトしました。
澪:はっ、はぁっ!はぁ…はぁ…はぁ…。ここは?
澪:VRゲームをするためのカプセルの中…
澪:そうか…。私は、今、ゲームの中にいたんだ
澪:現実世界の記憶を一時的に消去して、仮想現実で、もうひとつの人生を体験できるゲーム
澪:『アナザーバース』の世界に…
澪:その世界で、私は死んで、ログアウトして、この現実世界、リアルワールドに戻ってきた
澪:そう、戻ってきた
澪:あの記憶は、ゲームの中のアバターが体験したこと
澪:のんちゃんも、きっと、こっちの世界でプレイしている『中の人』がいる
澪:ただのゲーム…
澪:それなのに、それなのに、どうしてだろう…
澪:ただのゲームのはずなのに、涙が止まらない
澪:もう一度、のんちゃんに会いたい!
澪:「ナビ!リアルワールドの記憶を引き継いだ今の状態のまま、さっきのチャンネルに、もう一度ログインさせて!」
ナビ:了解しました
ナビ:それでは、現在の記憶を引き継いだままの再ログインにあたって、ゲームのルール契約に対しての声紋認証(せいもんにんしょう)をお願いします
澪:「はい」
ナビ:その1、再ログインする際のアバターは、前回ログイン時のアバターではなく、こちらがランダムで、ご用意したモノとなります
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい」
ナビ:その2、接触する全てのプレイヤーに対し、リアルワールドの存在及び、前回プレイ時の話をしてはいけません
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい」
ナビ:その3、ログイン時間は、アナザーバース内時間で、最大24時間です
ナビ:24時間以内に、他プレイヤーのいない場所に移動し、ログアウトして下さい
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい」
ナビ:その4、ゲームのルール契約に違反した際には、法的な処罰が下ることになり
ナビ:今後二度と、どのような形であってもアナザーバースへのログインができなくなります
ナビ:よろしいですか?
澪:「はい!」
ナビ:それでは、再ログインを承認しました。ログインポイントの設定を行って下さい
澪:「地球、日本、山岡県、青木市、四ツ谷町、月見公園」
ナビ:了解しました
ナビ:それでは、アナザーバースの世界を、お楽しみ下さい
0:
澪:のんちゃん、今、会いに行くからね!
0:
0:【間】
0:
0:(澪)ん…?ログイン、完了かな?
0:ここは、月見公園のトイレの中?
0:えっと、オプションの所持品は…スマホと手鏡か…。
0:
0:アバターの外見は、20代前後の女性。
0:歳は、前回ログアウトした時と近そうだけど、顔が全然違う…。
0:
0:今日の日付は…。そうだ。スマホを見れば良いのか!
0:…。
0:嘘でしょ…。2072年12月25日…。
0:ほんの少しリアルワールドにいただけなのに、50年も時間が経ってるの?
0:やっぱり、アナザーバースの時間の進み方は、リアルワールドの何倍も早いのか…。
0:とりあえず、のんちゃんの家に行ってみよう。
0:
0:【間】
0:
0:(澪)私は、ログアウトしてから50年の時が経過した町並みを歩いた。
0:全く昔の面影がない。
0:例えるなら、リアルワールドに近い世界観の町並み。
0:のんちゃんが住んでいた家の場所には、高層ビルが建っていた。
0:
0:どうしよう…。のんちゃん、どこにいるの?
0:会いたいよ…。もう一度、のんちゃんに…。
0:姿が、おじいちゃんになっていても良い。
0:きっと、のんちゃんは、のんちゃんだから…。
0:
0:そういえば、今日は、12月25日。
0:もしかしたら、月見公園のベンチで待っていたら、のんちゃんが来てくれるかも知れない。
0:
0:待とう。月見公園のベンチで…。
0:
0:【間】
0:
0:(澪)公園のベンチに座って、のんちゃんとの思い出をたぐり寄せながら、私は待った。
0:
0:日が落ちるに連れて、人通りも減っていった。
0:のんちゃんは来ない。
0:
0:遠くから、聖歌隊(せいかたい)の合唱が聴こえてきた。
0:のんちゃんは来ない。
0:
0:前にログインしていた時にはなかった強い光を放つ外灯に照らされて、夜になっても公園は明るかった。
0:夜になっても、そう、夜になっても、
0:のんちゃんは来ない。
0:
0:それもそうだ…。
0:50年という時間は、人を変えるには、充分すぎるほどの時間だ。
0:きっと、のんちゃんは、私のことなんて、とっくの昔に忘れてる。
0:
0:他の誰かと一緒になって、子どもと孫に囲まれて、幸せなクリスマスを過ごしてるよね。
0:むしろ、私は、そっちの方を望んであげなきゃダメなんだ。
0:私、なんで、こんなところにいるんだろう…。
0:なんで、また、ログインなんて、しちゃったんだろう…。
0:私のバカ…。バカバカバカ!
0:
0:ログアウトしよう。リアルワールドに戻ろう…。
則宗:こんばんは
0:(澪)背後から声がした。
0:前に聞いた時よりも、しゃがれてはいるが、その声の主を私は、よく知っている。
0:振り返ると、地面に届きそうなほど長い紺色のマフラーをした老人が立っていた。
0:
則宗:隣、座ってもいいですか?
澪:はい
0:
0:【間】
0:
則宗:寒いですね
澪:寒いですね
則宗:…。あと、15分か…
澪:え?誰かと待ち合わせでもしてるんですか?
則宗:えぇ。21時に…。この場所で
澪:奥さんですか?
則宗:僕に、妻はいませんよ
澪:すみません。失礼なことを聞いてしまったかも知れません
則宗:構いませんよ
則宗:僕には、ここでクリスマスプレゼントを渡す約束をした人がいるんです
澪:クリスマスプレゼント?
則宗:そうです。でも、毎年、ここで待ってるんですが、その人は、ここへは来てくれないんです
澪:ひどい人ですね。寒い中、人を待たせておいて、来ないだなんて…
則宗:まったくです。でも、ステキな人なんですよ
澪:あのぅ。その人の名前、聞かせてもらうことって、できますか?
則宗:えぇ…。星宮澪(ほしみやみお)
澪:星宮澪ですか…。ステキな名前ですね
則宗:あぁ、名前もステキだし、心もステキな人です
則宗:僕が人生で、たった一人、愛した人です
澪:…
澪:ちなみに、どんなところを好きになったんですか?良ければ、聞かせていただけませんか?
則宗:その人は、唯一、ありのままの僕を見てくれた人でした
則宗:僕に、居場所をくれた人でした
澪:居場所ですか?
則宗:そう。居場所を与えてくれることこそが、世界で一番ステキな愛情表現
則宗:それを教えてくれたのが、彼女でした
澪:…
則宗:…
澪:あのっ。どんなプレゼントを用意したんですか?
則宗:あぁ…。絵本です。手作りの絵本
澪:手作りの絵本…。その絵本って、読ませてもらうことって、できますか?
則宗:…
則宗:あぁ…。僕は、その道で食べているわけではないので、文章は、とても拙(つたな)いものですが
則宗:それで、良ければ…
澪:はい。ありがとうございます
0:
0:【間】
0:
澪:変わり者の黒猫
0:
0:
澪:その黒猫は、他の猫と鳴き声が少し違っていた。
0:
澪:鳴き声が少し違う。
澪:黒猫が孤独になる理由としては、それだけで充分だった。
0:
澪:黒猫は、他の猫たちがゴミ捨て場の残飯(ざんぱん)をあさっている時に、
澪:仲間に入れてもらうために近づくと、暴力をふるわれた。
0:
澪:他の猫たちから罵声(ばせい)を浴びせられ、体を爪でひっかかれ、耳を噛まれたりもした。
澪:だから、他の猫たちの去った後のゴミ捨て場で、ご飯を食べるしかなかった。
澪:しかし、残飯は、ほとんど残っていない。
0:
澪:黒猫は、いつも空腹だった。
0:
澪:他の猫たちの仲間に入れてもらいたくて、普通の猫になりたくて、
澪:普通の猫と同じような鳴き声を出せるように、ずっと独りで練習していた。
0:
澪:そんなある日のことだ。
澪:変わり者の男が、黒猫の鳴き声を耳にし、
則宗:「ステキな鳴き声だね」
澪:空腹で弱りきった黒猫を家に連れ帰った。
0:
澪:男は、黒猫の体を優しく撫(な)でた。
則宗:「どうやら、僕は、君にひとめぼれしたみたいだ。僕の家族になってほしい」
0:
澪:男は、本を書く仕事をしていた。
澪:黒猫を家族にしてからは、本の主人公は、いつも黒猫だった。
0:
澪:男は、黒猫が主人公の本を毎晩のように黒猫に読み聞かせた。
澪:しかし、黒猫に人間の言葉は、理解できない。
澪:ただ…、
澪:『大切にされている』
澪:それだけは伝わっていた。
0:
澪:黒猫は、生まれて初めて大切にされる存在、必要とされる存在になり、
澪:それが苦しかった。
澪:黒猫は、男に何も返せない。
澪:どんなに愛されても、
澪:『ありがとう』の一言さえ言えない。
澪:それが、とても苦しかった。
0:
澪:そして、その苦しさに耐えられなくなった黒猫は、男のそばから離れていった。
0:
澪:男は、黒猫を愛していたが、黒猫を追いかけなかったし、探そうともしなかった。
0:
澪:その代わりに、毎日、黒猫のお皿に、ご飯を盛り付けた。
澪:黒猫は、どこにもいないのに、戻ってこないのに、
澪:毎日、手付かずのご飯とお皿を綺麗に片付けた。
0:
澪:一方の黒猫は、男のそばを離れたあとから、
澪:不思議なことに、普通の猫と同じような鳴き声が出せるようになっていた。
澪:そして、普通の猫の仲間に入れてもらい、普通の猫と一緒にゴミ捨て場の残飯を食べた。
0:
澪:もう、他の猫たちが黒猫をいじめることはなかった。
0:
澪:黒猫は、普通の猫になれた。
0:
澪:それから、長い長い年月が流れ、
澪:黒猫は、普通の寿命で、もうすぐ、普通に死ぬことを悟った。
0:
澪:もうすぐ普通に死ぬことを悟ってから、
澪:何故だか、変わり者の男に会いたくなった。
0:
澪:黒猫は、数年ぶりに男の家を訪ねた。
則宗:「おかえり」
澪:男は、変わらず、黒猫のご飯を用意して待っていた。
0:
澪:長い長い年月が流れても、黒猫のことを忘れていなかった。
澪:黒猫の居場所は、まだそこにあった。
0:
澪:黒猫は、もうすぐ普通の寿命で、普通に死ぬことがわかっていたのに、
澪:自分が死ぬことで男が悲しむことがわかっていたのに、
澪:男のそばを離れられなくなっていた。
0:
澪:普通の黒猫は、変わり者の男の愛で、変わり者の黒猫になった。
澪:そして、特別で、幸せな一生を終えた。
0:
0:
0:【間】
0:
0:(澪)のんちゃんは、変わらず、のんちゃんだった。
0:のんちゃんの優しさに、想いに、涙が止まらない。
0:50年間も、あなたをひとりぼっちにしてしまって、
0:ごめんなさい。
0:
0:【間】
0:
澪:ごめんなさい
則宗:ん?どうしたんだい?気分でも悪くされたかな?
澪:いえ…。読ませてくれて、ありがとうございます
澪:心が…。心が、あたたまりました
則宗:そうか…。それなら、良かった
澪:あなたの好きな人は、あなたのことが、それはもう、どうしようもないくらい大好きだと思います
則宗:…
澪:こんなステキな物語を産み出せる、あなたのことを愛してると思います
則宗:ありがとう。僕も…愛してるよ
0:
0:【長い間】
0:
澪:コール!ナビゲーションシステム。ログアウト…
ナビ:瀬戸梓さんがログアウトしました。
澪:のんちゃん…。のんちゃん!のんちゃーん!
澪:こっちでも、のんちゃんに会いたい…。
澪:会いたいよ!
0:
澪:きっと、のんちゃんもそろそろログアウトするはず。
澪:だけど、アナザーバースで知り合った人と、リアルワールドで会うのは、凄く難しい。
澪:トラブルを避けるために、連絡を取る手段がゲーム内にないからだ。
澪:一応、ネット上に掲示板のようなモノもあるが、出会い系悪質業者の巣窟(そうくつ)になってる。
0:
澪:どうすれば!どうすれば、のんちゃんに会えるの!
0:
澪:こっちで、もう一度会えたなら、今度こそ、
澪:「愛してる」って、この声で伝えるのに!
0:
0:【間】
0:
澪:そして、季節はめぐり、桜が咲く頃、
澪:ふいに立ち寄った本屋で、一冊の絵本が目に止まった。
澪:飼い主らしき青年が、穏やかな表情で、黒猫を抱きしめている表紙。
澪:絵本のタイトルは、『変わり者の黒猫』
澪:私は、すぐにその絵本を手にとった。
0:
澪:あとがきには、見覚えのある癖の強い字で、
則宗:『この絵本が、大切なあなたの居場所につながりますように!』
澪:作者名は、天道司(てんどうつかさ)…。
0:
0:
0:―了―