台本概要

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タイトル 『凪と嵐のクロンダイク・ハイボール』【前編】/BAR「猫町」“出奔者篇”#4
作者名 sazanka  (@sazankasarasara)
ジャンル その他
演者人数 4人用台本(男2、女2) ※兼役あり
時間 60 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 とある街、とあるBAR。
とある、過去と、現在と、
―2021年11月某日―

“出奔者篇(イデハシルヒトヘン)”。
とあるBARの、比較的賑やかな夜の少しの時間を切り取った連作エピソードです。(“お1人様篇”シーズン1と併せて、BAR「猫町」1stシーズンを構成しています。)

自由に、楽しんで演じて頂けますと幸いです。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
タニマチ 114 店員。印象を与えない男。
アンリ 130 女性常連客。風を追う女。
ナギサ 163 女性客。水面(みなも)を鎮める女。
ナミヨケ 53 男性常連客。たまたま居てしまった男。
トバリ 49 男性客。黒い山のような男。(※ナミヨケと兼役の想定で執筆していま す。)
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
タニマチ:或る、心象のうた。 ナギサ:こころをば なににたとえん ナギサ:こころはあじさいの花 ナギサ:ももいろに咲く日はあれど ナギサ:うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。 ナギサ:こころはまた夕闇の園生(そのう)のふきあげ ナギサ:音なき音のあゆむひびきに ナギサ:こころはひとつによりて悲しめども ナギサ:かなしめども あるかいなしや ナギサ:ああ このこころをば なににたとえん。 ナギサ:こころは二人の旅びと ナギサ:されど道づれのたえて物言うことなければ ナギサ:わがこころはいつも かくさびしきなり。 0:タイトルコール。 タニマチ:『凪と嵐のクロンダイク・ハイボール』 0:【間】 アンリ:《第一夜》。 タニマチ:【19時24分】。 0:十一月某日。とあるバーの店内。カウンターには男性店員と、常連客の男性が1人。 0:1杯目は残り僅かであり、客の話は佳境を過ぎ、結びへと。 ナミヨケ:……ほんでやなァ、グズっとる妹を何とか降ろして、まあ姉の方になだめてもろたんやけども。 ナミヨケ:雨ムチャクチャ降っとる中を、 タニマチ:発車した……、と。 ナミヨケ:水しぶきブッシャー飛ばしてな。 ナミヨケ:すぐ離れんとアカンかったし。 タニマチ:……っはァーー……。 タニマチ:え、その後は、 ナミヨケ:知らんよ、いつものごとく。 ナミヨケ:仕事はソコで終わりやもん。 タニマチ:言葉も無いスけど……、 タニマチ:なんか、その、シンドイ事、少なかったらイイっスね。 タニマチ:そのお姉さんと妹さん。 ナミヨケ:別にその子らに限らずな。 ナミヨケ:まァ、願ったり祈ったりは俺らの仕事ちゃうけども。 ナミヨケ:運んで終いや。姉妹だけに。 タニマチ:おっ、頂きました。 ナミヨケ:処理に困ったらソレ言うんヤメぇや。 ナミヨケ:んァ、次ナニ貰おかね。 0:言い、グイと飲み干す。耳付きの耐熱グラスは空。 タニマチ:またホットで行きます? ナミヨケ:せやなぁー。ぶっちゃけ冷たいのんよォ飲まんな、こーも寒かったら。 タニマチ:なんっかねー……、 タニマチ:昼と夜の寒暖差がね。 0:言いながら店員は、酒棚を物色。 タニマチ:前、俺が休みだった日って、 ナミヨケ:あの子ォに相手してもうたよ。 ナミヨケ:あの金髪の。ボブの。猫目で八重歯の。 タニマチ:っスよね。 タニマチ:何出て来ました? ナミヨケ:えぇーとなァー。 ナミヨケ:何たらウイスキー、 ナミヨケ:珈琲にウイスキー入ったヤツ。 タニマチ:アイリッシュね。はいはい。 タニマチ:好み的には、 ナミヨケ:美味かったよ、寝起きに珈琲やし。 ナミヨケ:今はちゃうヤツでええけど。 タニマチ:何か……、じゃ、まあ王道に、 ナミヨケ:ちゅーかよォ、 タニマチ:はい?? ナミヨケ:その日ィによ、お前に会いに若い子来とったで。 ナミヨケ:なんか、ちゃんと綺麗にしてやる系の。 タニマチ:若い子……? タニマチ:あーーーーー、ヨウコさんね。 タニマチ:聞きました聞きました。 ナミヨケ:流れで名刺も切ったけど。 ナミヨケ:何か自分に礼言いたかってんやと。 タニマチ:なんか結構、ガッツリ話聞いて。 タニマチ:ソレこそ今から来る人、アンリさんも一緒だったんスけど、 ナミヨケ:あン? え、来るん? タニマチ:珍しく予約メールあって、 0:会話を遮り、唐突に鳴ったドアベルが店内の空気を撹拌する。女性常連客が来店。 アンリ:わーんばーんこー。 アンリ:サぁーカシタくんおヒサぁー。 ナミヨケ:……うゥわ。 タニマチ:タぁーニマチだっつって。 タニマチ:……久々だなコレ。 タニマチ:噂をすれば。 アンリ:何なにー? 私のこと? アンリ:(男性常連客を見つけ) アンリ:てか、おおっ!? アンリ:ナミヨケちゃんじゃん。ちゃんヨケナミじゃんっ。 ナミヨケ:うっさいわ。 ナミヨケ:……もー帰ろかな。 アンリ:や、ダぁメだって。 アンリ:今夜はコレからでしょ、私が来たからには。 ナミヨケ:誰やねん。 タニマチ:あのー、この前の、ヨウコさん。 タニマチ:こないだ来たって。 アンリ:……、あーーーーっ、ヨウコりんっ!? アンリ:へぇーーーーっ!! アンリ:良かったじゃん1人で? 元気してた? タニマチ:俺居ない日だったんスけど、まあ、ダイジョブな感じだったって。 アンリ:ふぅーーーん。 アンリ:おおー、また会えたらちゃんと喋ろーっと。 0:鞄を足元に沈め、勝手知ったる仕草で着席。スツールが軋る。 タニマチ:てか、ちょい早いお着きっスね。 タニマチ:まだ7時半スけど、 アンリ:あ、あんね、向こう予定ちょい巻いたから、8時ジャストぐらいって。 アンリ:私も早く済んだからさー、 アンリ:なんてェかちょっと、下拵えっちゅーか……、 ナミヨケ:待ち合わせかい。 アンリ:そーそー。 アンリ:いやぁー、てかひっさしぶり。 アンリ:どったの今日? ナミヨケ:自分の方が久々なんちゃうん。 ナミヨケ:俺は結構よう来てるし。 タニマチ:ご近所っスもんね。 タニマチ:あ、温(ぬく)いヤツしますね。 ナミヨケ:(卓上のスマホを起動し) ナミヨケ:んー。 0:店員は作業にかかる。耐熱グラスを温め。 タニマチ:(冷蔵庫に向かいつつ) タニマチ:アンリさんはどーします? タニマチ:相手の方来られてから、 アンリ:んー、どーォしよっかねーん。 アンリ:半端な時間だし、先に始めとくのもなぁー……、 タニマチ:なんか、ちょっと、 ナミヨケ:歯切れワルいやんけ。 ナミヨケ:新しいオトコか? アンリ:だったらもーちょいテンション高いか緊張してるっしょ。 アンリ:……私もよく判ってナイんだよなーコレがまた。 0:店員は耐熱グラスに褐色のラムを注ぐ。芳香広がる。 アンリ:おっ、ラムすんの? アンリ:ぐえー、もう飲もっかなー。 タニマチ:軽めとかにしときます? アンリ:そだねー。ソーダ割り希望。 タニマチ:あい、あい。 0:そのままの流れでタンブラーを取り出し、ラムを適量。氷を汲む。 ナミヨケ:(画面に目を落としたまま) ナミヨケ:ほんで誰やねん、来よるヤツは。 アンリ:あ、気になる? アンリ:いやー、引っ張るよーなモンでもないんだけど、 タニマチ:初めて会う人とか? アンリ:ンや。妹。 0:瞬間の静寂。 タニマチ:…………妹ォ? アンリ:なァーにそのカオ。 アンリ:妹ぐらい居るよ私にも。ていうか双子だけど。 ナミヨケ:(唐突に)双子なんかいっ! アンリ:ぅわビックリしたっ。 アンリ:急に本場のヤツぶっ込むのやめてよチャンナミぃー。 0:耐熱グラスを熱湯で満たし、ステア。無塩バターを少量浮かべ、シナモンパウダーを振り、完成。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:あい、『ホットバター・ド・ラム』ですー。 ナミヨケ:んー。おおきに。 アンリ:あー。そろそろホットの季節ですなー。 タニマチ:(作業を続けつつ) タニマチ:双子……、だったんスか、アンリさん。 アンリ:そだよー? アンリ:言ってなか、ったかソリャ。 タニマチ:何にも知らないっスもん俺、アンリさんの。 アンリ:私もさァーっ。 アンリ:ココじゃ謎のオネーさんで通しときたいワケよ。 アンリ:でも多分あの子、込み入った話すんだろなー、 アンリ:ヤーだなぁー、ぶっちゃけー、みたいな。 0:店員は炭酸で満たしたグラスをサーブする。 タニマチ:仲悪い感じの? タニマチ:あ、ソーダ割りっス。 アンリ:(受け取り) アンリ:サンクスー。いっただきー。 0:コクリ、と一口。 アンリ:っはー。ガソリン、ガソリンっと。 アンリ:……や、妹自体は嫌いじゃナイよ? アンリ:たださぁ、実家がちょい、クソ面倒い系だからさぁ。 アンリ:多分その絡みで今日コレ、なんだろなーっちゅー予想。 タニマチ:ヘェー……、 アンリ:ちょいさぁ、喋っといてイイ? アンリ:言ってもーじき来るから、 タニマチ:根回し的な? なんか出来るかはワカンナいスけど……、 ナミヨケ:好きに喋ったらええがな。 ナミヨケ:飲み屋やねんから。 アンリ:ちっちぃ。言い方に華が無いねぇナミヨケちゃん。 アンリ:ココは…………、 0:タメを作り、 アンリ:BARだよ。 0:意味もなくキマった。 0:暗転。 : 0:【間】 タニマチ:【19時58分】。 0:一頻り語り、待ち人は未だ来たらず。女性常連客のグラスは、残り僅か。 ナミヨケ:ほんなら要は、その妹は、 タニマチ:実家に戻って来てほしい、と。 タニマチ:アンリさんに。 アンリ:ま、ずっと言ってんだけどねソレは。 アンリ:全然別の事で連絡してもさー、二言目にはソレだし。 アンリ:昔はもっと柔軟でさァ、融通の効く子だったんだけどなー。 ナミヨケ:上には居(お)らんのん、男は。 アンリ:居ない。私ら2人だけ。 ナミヨケ:……自分、確か俺と同いやったよな。 アンリ:そだよー、今年28。 アンリ:……うげぼァーーーっっ!!! タニマチ:(驚き) タニマチ:おわっ。 アンリ:ヤバっ……。 アンリ:不意に口に出したらダメージ来た。 ナミヨケ:大方アレやろ。 ナミヨケ:結婚せェとかどーとかの、 アンリ:あーー。や、ま、実はソコも込み込みのさァ、まーホント、ややこしいのよマジで。 アンリ:田舎の古い家の、カビ生えたようなさァ、 ナミヨケ:俺もクソ田舎の山の出ェやから判るけど。 ナミヨケ:妹は実家にずっと居(お)るんやな? アンリ:言ったみたいに、今は父親の下に直接。 アンリ:要はもう重役なワケよ。 タニマチ:親族経営的な。 アンリ:そらもうグッチュングッチュンよォ。 アンリ:付き合ってらんないからさ、もー卒業したまま勢いでトンズラこいたったわ。 タニマチ:大学に託(かこつ)けてこっち来た、って言ってましたもんね。 アンリ:静岡の端っこのド田舎からね。 ナミヨケ:ちゅーか自分、製薬会社の社長令嬢て。 ナミヨケ:1ミリも人間性に反映されてへんやんけ。 アンリ:失っつ礼じゃん。 アンリ:もうじきソレっぽい子が来るからさァ、 0:会話を遮り、ドアベルが硬質に鳴る。全員の眼が出入り口へと。 タニマチ:あっ、いらっしゃいませェーっ。 アンリ:ほォれ、お出でなすったぞぉ。 0:女性客が入店。探りを入れるような足取り。 ナギサ:……待たせたわね。 0:神経質そうな面立ちに、細ぶちの眼鏡。冷たさを感じさせる佇まい。 アンリ:ぃよっ。おひさー。おつかれェ。 ナギサ:(カウンターへと歩みつつ) ナギサ:珍しいじゃない。先に着いてるなんて。 アンリ:なんせホームだからねん。 アンリ:前乗りして作戦会議してたのさ、ナっちゃんを煙に巻くタメの。 ナギサ:2度としないで。その呼び方。 ナギサ:(スツールを指し示し) ナギサ:こちら、座ってもよろしい? タニマチ:あっ、はい、どうぞどうぞ……、 アンリ:堅いねーっ、相変わらずぅ。 アンリ:いつからそんな風になっちゃたのか、お姉ちゃんは悲しいワ。 ナギサ:(着席しつつ) ナギサ:お互い様。すっかり落魄(おちぶ)れて。 アンリ:面と向かった時ぐらい仲良くしようぜ。 アンリ:この世でたった二人の、姉妹(きょうだい)なんだからさぁ。 0:元より硬い女性客の表情が、凪ぐ。 ナギサ:……、どの口が。 ナミヨケ:(小声で、ボソっと) ナミヨケ:むちゃくちゃ似てないな……。 アンリ:(耳聡く)聞き捨てらんないなー。 アンリ:ちっちゃい頃は瓜二つで、「揃いの童(わらべ)人形みたーい」、「入れ替わっても見分け付かなーい」って専(もっぱ)らの、 ナギサ:よく言うわ。 ナギサ:私の後を歩かなきゃ、何処へも行けなかったくらい内気で根暗の、 アンリ:(遮り)ナっちゃんの行く先には面白いモノがあったから。 アンリ:着いて行ってただけだよ。 ナギサ:…………。 ナギサ:無駄話。 アンリ:自分が呼び出しといてーっ。 アンリ:ささ、ご挨拶ご挨拶っ。 0:自らも立ち上がり、半ば強引に再度起立させ、 アンリ:私の妹のぉ、「ナギサ」ちゃんどェーーっす! アンリ:デッデデーーンっ! ナギサ:いい年して「ちゃん」でも無いでしょ。 ナミヨケ:同情するわァ。こんな姉貴絶対いらん……。 ナミヨケ:あ、ナミヨケ言いますゥ。 ナミヨケ:お姉さんとは特に無関係でやらしてもらってますゥ、 アンリ:ウソじゃん共にスピリタスを酌み交わして正体失くした仲じゃァーーーん! ナミヨケ:アレ以来ウォッカ飲むのんちょっとトラウマなってんねんからな。 ナギサ:(騒々しさを無視し) ナギサ:……どうも。 ナギサ:姉のフウカがお世話に。 タニマチ:あーっ、いえ、こちらこそ、 タニマチ:……フウカ? ナギサ:「アンリ ナギサ」です。 ナギサ:名刺はご入用? タニマチ:や、大丈夫です、 タニマチ:て、いうか……、 タニマチ:え、アンリさんって名字??? アンリ:うひゃー、バレたー。 アンリ:どーもー、「アンリ フウカ」たんだおー、っと。 ナミヨケ:どんな字ィ書くねん。 アンリ:「風(かぜ)」に「香(かおり)」。 アンリ:可愛いっしょー。 タニマチ:……なんつうかソノ……、 アンリ:似合わないとか思ったらパーマ毟(むし)るよ? オカザキくん。 タニマチ:タニマチだっつって。 タニマチ:あ……、って言います。どうも、 ナギサ:(冷たく) ナギサ:座っても? アンリ:……いーよ? シッダゥーンっ。 0:2人揃い、着座。 アンリ:はァーあ。とりま何か頼めばー? アンリ:お姉ちゃんは先に始めちゃってるよん。 0:グイ、と飲み干し、タンとグラスを置く。 ナギサ:仲良く並んでお酒を飲む為に時間を設けたんじゃないわ。 ナギサ:……個室の何某(なにがし)かかと思ったら、 アンリ:店は任せるって言ったじゃーん。 アンリ:大人しくBARの流儀に従おうぜ、ナっちゃん専務。 ナギサ:……。良いでしょう。 ナギサ:貴女、次、何を頼むの。 アンリ:ベルモットかな。赤い方。 ナギサ:(微か目を細め) ナギサ:へえ……。当て付けがましい事。 0:店員の方へ向き、 ナギサ:貴方、 タニマチ:はっ! あ、はいはい、 ナギサ:ドライ・ベルモットはある? タニマチ:あ一応、赤(ロッソ)も白(ドライ)も、あとオレンジのヤツとかも、 ナギサ:(遮り)銘柄は? タニマチ:「チンザノ」か「ガンチア」になりますね。 ナギサ:……、安物。 アンリ:チンザノ飲もうぜー、分相応に。 アンリ:バアちゃんの冥福を祈りがてらさ。 ナギサ:…………。 0:女性客は眼鏡をカチャリと整える。 アンリ:タイミングとしちゃ頃合いって事っしょ? 姉妹の対話の。 ナギサ:貴女にそれを言う資格は無い。 ナギサ:……けれど良いでしょう。時間の無駄。 アンリ:じゃ、チンザノ赤と白、私はソーダで。 ナギサ:私はロックで。 タニマチ:あい……、かしこまりました。 0:店員は作業にかかる。 アンリ:何だかんだ久々ぁ、ベルモット。 タニマチ:(ボトルを揃えつつ) タニマチ:お祖母さん、その……、亡くなられたんスか、 アンリ:そーなのよォ、ついこないだ、 ナギサ:(遮り)身内事なので。お構いなく。 タニマチ:う、っス。すいません。 アンリ:まァたこの子はっ。 アンリ:ゴメンよ? タニマチくん。 タニマチ:やー、こちらこそっス。 0:棚からグラス類を取り出し、背の低い方に白い酒、高い方に赤い酒を注ぐ。薬草の妙味ある香りが立つ。 ナミヨケ:ちゅうか……。 ナミヨケ:静岡で製薬会社で「アンリ」て。 ナミヨケ:あんたら、「安里(あんり)製薬」のご令嬢方かい。 アンリ:うげー。 ナギサ:あら……。実家をご存知。 ナミヨケ:「風甚散(ふうじんさん)」の。 ナミヨケ:ほんなら話もさっき聞いたよりは、デカいやんけ割りかし。 ナギサ:……仰る通り。自覚のない誰かに聞かせてやりたいわ。 ナギサ:どんな風に喋ったのかは知らないけれど。 アンリ:デぇカく無いデカく無い。 アンリ:ドコにでもあるよーな、しょーもない身内のゴタゴタ話だってー。 ナギサ:矮小化しないで貰える? ナギサ:……逃げた、貴女が。 アンリ:当然の権利っしょ。私らには足が付いてんだからさー。 ナギサ:私達の足は。 ナギサ:先陣を切って立ち働く為の物よ。 ナギサ:家と社に連なる、何十人という人間の……、 アンリ:(聞かず、遮り)嫁入り先までえっちらおっちら歩いて行く為の足ー? ナギサ:(語気を僅か荒らげ) ナギサ:貴女っ……! 0:凪いだ水面が、刹那荒立つ。 アンリ:いひひ、冗談じゃん。 ナミヨケ:……何も知らんけど、田舎モン特有の嫌味なんはわかったで。 ナミヨケ:地元思い出して懐かしなったわ。 アンリ:顔突き合わせて喋るの久しぶりだからさァ。 アンリ:でも、祝福してるんだよ、お姉ちゃんは。 ナギサ:…………。 0:白い酒には氷、赤い酒には氷と共に炭酸水。手短なステア。氷の音。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:あい、おまたせしました。 タニマチ:「チンザノ」、赤(ロッソ)のソーダと、白(ビアンコ)ロックですー。 アンリ:ひゅー、来たぞいっと。 アンリ:ま、取り敢えず飲みねぇ飲みねェー。 ナギサ:言われなくても。私持ちよ。 アンリ:あ、そなの? アンリ:甘えまーす。 0:女性常連客はグラスを手に取る。 アンリ:取り敢えずさァ、 アンリ:乾杯しよーや乾杯っ。 ナミヨケ:バアさんの冥福祈るんやったら献杯(けんぱい)とちゃうか。 アンリ:別にソレでもイーよぉ? アンリ:ホレホレ、 ナギサ:……、貴女の献杯を受けるなら。 ナギサ:実家の、お祖母様の遺影の前で。 アンリ:いひっ、じゃーイイよ、勝手にやるから。 アンリ:(下方へ眼を向け) アンリ:バアちゃーん、地獄でもベルモット飲んでるー? アンリ:フウカも結構飲んでるゥー、今日も飲むねェー。 0:僅かに盃を掲げ、ゴクリ、と一口。 アンリ:はぁっ。甘苦ァ。ひひ。 ナギサ:……いい加減にしなさいよ。 0:女性客も、グイ、と呷る。少なからぬ量。 ナミヨケ:結構イかはるな……。 アンリ:ていうかナっちゃん、1杯引っ掛けて来てるっしょ? アンリ:緊張してんの? ん? ナギサ:うるさい。 ナギサ:……病院にも葬儀にも顔を出さず。 ナギサ:よく好き勝手な事が言えたものね? アンリ:バカ親戚に混ざるのが不快だったダケ。 アンリ:お別れはちゃんと言ったよ、死ぬ前に。 ナギサ:……1人で行ったの……? アンリ:怒って歪んだ顔アガるゥー。 アンリ:好きなんだよね昔から、その眉間のシワ。 ナギサ:……っ、 ナミヨケ:煽るのォ。そんなキャラやったっけ……。 タニマチ:兄弟と喋る時って地が出るとかって言うスよね。 ナミヨケ:あー。まァ俺も田舎の妹と喋る時とかゼロの顔してるしな。 タニマチ:なんで? ナミヨケ:マジで知らん話しかしよらへんねん。 ナミヨケ:新しく出来たカフェとか。 0:女性客は剣幕昂り。 ナギサ:お祖母様が地獄……? ナギサ:冗談でも、よくもそんな、 アンリ:極楽に行ける訳ナイっしょ、私ら一族がさぁ。 ナギサ:……っ、 0:女性常連客はグイ、と呷る。 アンリ:バアちゃんよく言ってたじゃん? アンリ:「この世はショセン畜生道だわ」、って。 アンリ:「畜生働かしてお屋敷建てて、ふんぞり返って暮らしてる我々が、極楽へ行けるとはハナから思わん」、って。 アンリ:チンザノ飲みながらさァ。 ナギサ:…………。 ナミヨケ:エエ事言うわ。 ナミヨケ:金持ちはよう判ってはんのォ。 ナギサ:…………私は。 ナギサ:言われた事、無いわ。そんなこと。 0:波は引き、水面は冷たく凪いでいる。 アンリ:……ありゃ。そう? 0:波紋無き表情で、女性客はグイと呷る。カラリ、と氷の鳴く音。 タニマチ:(会話の間合いを計りつつ) タニマチ:お祖母さん、チンザノ、お好きだったんスか。 アンリ:そーそー。 アンリ:あんま飲まない人なんだけど、チンザノだけは部屋に置いてチビチビ。 アンリ:薬草の感じが胃に良くて、スっとするんだ、って。 タニマチ:ある程度上の世代だと、ベルモットってそーいう感じの扱いだったって聞いた事あるなー。 アンリ:私らもこっそりご相伴に預かってたよねー。 ナギサ:貴女だけよ。 ナギサ:私は成人するまで飲酒の経験は無い。 アンリ:1回あったじゃん、3人で一緒に、 ナギサ:断ったわ、私は。 アンリ:……、そーだっけ。 ナギサ:それに。 ナギサ:どの道私の口には合わなかった。 ナギサ:スイートベルモットなんて、甘ったるい物。 0:間を置かず、もう一口。少なからぬ量。 アンリ:……バアちゃんはさ、でも、 ナギサ:(遮り)わかってるでしょう。 ナギサ:お祖母様が目を掛けていたのは貴女。 ナギサ:由緒ある「風(かぜ)」の字を受け継いだのも貴女なら、お祖母様や母さんと同じように、家に繁栄を齎(もたら)す血を受け入れる役目も、本来なら貴女が、 アンリ:自分が言ってるコトのヤバ度判ってる? アンリ:黎和(れいわ)だよ今ぁ。 ナギサ:だから何? ナギサ:うちはずっとずっと昔からそうして、家格を繋いで来たのよ。 アンリ:あはは。 アンリ:で……、腐りに腐ってもう限界来たから、今度はデッカい土地と引き換えに娘を差し出す、と。 ナギサ:南雲(なぐも)家と協力関係を結んで、あの広大な平地と清流とを自由にする事が出来れば、 アンリ:夢の巨大プラントを作って、製薬業界に「安里」有りを再び示せる、って? アンリ:小学校上がる前から耳タコだったけどさー、 ナギサ:それも貴女だけ、ね。 アンリ:新薬だのプラントだのも、結局は外資メーカーのパシリじゃんね。 アンリ:だし、マサヒトくんを婿養子として迎え入れらんなかった時点で、どの道ウチとしちゃ、 ナギサ:誰のせいだと思ってるの? アンリ:知んないね。 アンリ:最初から格が足んなかったんだよ、南雲から婿を取るには。 ナギサ:貴女の身の振り方次第ではそれも、 アンリ:子供同士で何言ったって、結局決めんのは親ドモでしょ。 アンリ:そも、人間は結納金のオマケじゃナイしね。 ナギサ:どちらであったにせよ、うちが未来に活路を開く為には何もかも必要な事だったのよ。 ナギサ:いつの時代もベストを尽くして来たからこそ……、今の私達が、 アンリ:今すぐ全部ヤメにしたって一族の薄らバカ全員、誰一人死にゃしないよ。 アンリ:搾り取って溜め込んだ脂肪で、孫の代までぐらいはイケるから。 アンリ:ゼータクやめればね。 ナギサ:「安里」の家名を、他でもない貴女が、よりによって私の前で愚弄するの? ナギサ:どんな気持ちで、母さんやお祖母様や……、先祖代々の女性たちが、 アンリ:苦しみは本人のモノだよ。 アンリ:んで、しなくてもイイ苦労をするのはホントの馬鹿。 ナギサ:……誰がっ、 アンリ:いっそ家も屋敷もカビ臭い看板も、ブっ潰れちゃえばイイって思ったコト無い? ナギサ:……っ、ある、訳、無いでしょう? ナギサ:自分が何を言っているのか、 アンリ:製薬のノウハウなんかもっと大勢でシェアすればイイし。 アンリ:とっくに廃れたウチの秘伝なんかに、買い手が付けばの話だけどさァ。 ナギサ:馬鹿にするのも大概にっ! アンリ:(遮り)馬鹿にされてんのは私らでしょーが。 ナギサ:…………っ、 0:女性常連客はグイと呷る。 アンリ:ほんとさぁ、安土桃山かってェの。 アンリ:(男性常連客に向き)笑えるよね? ナミヨケ:いやそんなトコで俺に振んなやっ。 ナミヨケ:……そーいう系の家かい。 アンリ:お恥ずかしーカギリ。 アンリ:今はデッカい工場構えてハイテク面してるけどさぁ。 アンリ:中身はクソ田舎の、大昔の薬問屋(くすりどんや)まんまなワケよ。 ナミヨケ:ま……、出身的にも仕事的にも、俺はよう知ってる感じやけどもやな。 ナミヨケ:……ほんで結局、自分が渋っとる事でその、起死回生の縁談すら上手いこと進まんいう話か? アンリ:いやー? アンリ:私はブッチしたんだってば。 アンリ:結婚すんのはこの子だよ。 0:ひょい、と、女性客を指し示す。 タニマチ:あー、え? じゃあ……、 ナギサ:…………。 ナギサ:本当にそれで良いと思ってるの? アンリ:どーゆー事かにゃー。 アンリ:お姉ちゃんワカンナイな? ナギサ:マサヒトさんは。 ナギサ:貴女の事を忘れていないわ。 アンリ:……、 0:風が凪いだように、静寂。 0:女性常連客の面差しは僅か、硬質に。 アンリ:ナっちゃんに言うワケ? アイツはソレを。 ナギサ:言葉に出す事は無い。 ナギサ:けれど、わかる。 アンリ:……そっか。 アンリ:ずっと、好きだったもんね? ナギサ:子供の戯言。 ナギサ:……許嫁の貴女が逃げた替わりに宛てがわれた事を、初恋の成就だなんて思った事は無い。 アンリ:その茶化し方だけは、したこと無いよね。 ナギサ:どうでも良いわ。 ナギサ:貴方がのらりくらりと躱し続けている内に、事はこんな所まで至ってしまった。 ナギサ:今年で幾つになると思ってるの? アンリ:28だよ。ナっちゃんもね。 ナギサ:子供じゃあるまいし。 ナギサ:いい加減に、自分の気持ちと運命に向き合ったらどうなの? アンリ:向き合ってるからこそ、だよ。 アンリ:28にもなれば。 ナギサ:……っ、 アンリ:どんな家に生まれて、どう育てられようが。 アンリ:自分の眼で見て、自分の足で歩けるようになったら、人生はコッチのモンでしょ。 アンリ:逃げるにせよ、立ち向かうにせよ。 ナギサ:家の名前や、家に連なる全員の運命を犠牲にする程の物なの? ナギサ:貴女の人生は。 アンリ:言ったじゃん、なるようにしかなんないって。 アンリ:何がどーなったって、ソレは犠牲じゃナイし。 アンリ:ナっちゃんが、犠牲になる必要も無い。 ナギサ:何を、言って、 アンリ:イヤならヤメちゃいなよ。 アンリ:身代わりの結婚なんか。 ナギサ:……っ! 0:女性客は、脱力感に襲われる。 ナギサ:…………。 ナギサ:ふざけ、ないでよ……。 ナギサ:一体……、いったい、誰のおかげでこんな、 アンリ:親に決まってんでしょ。 アンリ:子供はモノじゃないなんて、そんな事もわかんないクソ親オブ糞。 ナミヨケ:「オブ糞」やったらタダの糞やナイかいっ。 ナギサ:…………。 ナミヨケ:マジでゴメン。 ナギサ:(無視して) ナギサ:今更……、そんな話を貴女と、するつもりは無いのよ……。 0:女性客の眼は据わり始めている。縋るようにグラスを掴み、一口。 ナギサ:……貴女、確かに、好きだったじゃない。マサヒトさんの事……、 アンリ:高校まではね。 アンリ:大人と比べりゃコドモだし、けど、子供と比べりゃ、オトナだから。 アンリ:マサヒトくんがどんどんしょーもないヤツになってくのも判ったよ。 ナギサ:…………。 アンリ:人が変わってくのも、気持ちが変わるのも、普通でしょ。 アンリ:親が決めたからとか、家の為だからとかで、自分を殺す方が異常だよ。 ナギサ:……意義のある、お役目を、担う筈だったのよ、貴女は。 ナギサ:家に取っても、人々に取っても。 アンリ:ナっちゃん自身はホントにそんな事思ってる? アンリ:親父は信じ込んでたけどさ。婿養子の分際で。 ナギサ:何の恨みがあるの……? ナギサ:何不自由なく、育ててもらって。 ナギサ:人が羨む事すら思い付かない程の贅沢だって、しようと思えば、 アンリ:別に。 アンリ:只々キモくて、嫌いなだけ。 アンリ:興味も無いしね。 ナギサ:……、……。 アンリ:あとね、不自由はあったよ。 アンリ:なりたいモノになって、生きたいように生きる自由を、奪われてた。 アンリ:私も、……ナっちゃんもだよ。 ナギサ:…………。 ナギサ:果報を運ぶ「風」ではなく、「凪(なぎ)」なんて字を、お祖母様から与えられた時点で? ナギサ:(返答を待たずに一口呷る) アンリ:違うよ。バアちゃんはね、 ナギサ:(遮り)どうだって良いのよ……。 ナギサ:あんたに成り代わりたいなんて、思った事、無いし。 ナギサ:……子供の頃から何をやったって、私の方が優秀だった……。 アンリ:今もそうだよ。 アンリ:……だいぶ回って来てるね。 タニマチ:お水、しますね。 アンリ:うん。 0:店員はタンブラーを取り出し、水を注ぐ。女性客は、次第に虚ろに。 ナギサ:勉強も……、運動も、親戚の相手だって、ちゃんと、言われたようにこなしたわ。 ナギサ:暗い部屋で本を読んだり、かと思えば庭の隅から、訳のわからないモノを拾って来るあんたより……、マサヒトさんにだって、気に入られてた。 タニマチ:初めてイメージ通りのトコあったっスわ……。 アンリ:そォー? アンリ:ま確かに変な子供ではあったけどねー。 ナギサ:小さい頃は陰気で根暗で、大きくなって一人で出歩くようになったと思えば……、いつまで経っても帰って来ない。 ナギサ:大人を騒がせて、困らせて……。 ナギサ:自分だって不安なのに、お父さんに詰め寄られる私の気持ちなんて、わからない、でしょう……? アンリ:……「南雲への大事な、供え物なんだぞ」、って? アンリ:そーいうのがクソなんだよ。 ナギサ:いつも、いつも。周りや、私に、迷惑ばかり、かけて。 ナギサ:その癖、何もかも、与えられるのはあんた……。 アンリ:…………。 ナギサ:今も、そのままなの? ナギサ:隠れ鬼をして、またどこかへ居なくなるつもりなの? ナギサ:暗いお山の、気持ちの悪い植物を数えているの? ナギサ:叱られる、のは、私なのに、 アンリ:……ナっちゃん、 ナギサ:私を、また、いつも、独りにして…………、 0:す、と瞼が落ち、傾く姿勢を、 タニマチ:おっ、とと、 アンリ:おう、おう、 アンリ:ん、よし。 0:女性常連客が支える。 ナギサ:(微睡み) ナギサ:……フーちゃん…………、 アンリ:…………。 アンリ:居るよ、私はここに。 0:女性客は眠りへと落ち。店員が水のタンブラーを出す。 タニマチ:……結構ピッチ、早かったっスもんね。 アンリ:疲れてんだね。 アンリ:今日も、てか今こっち来てんのも、仕事でだから。 ナミヨケ:……「フーちゃんナっちゃん」でやっとったワケかい。 アンリ:ちっちゃい頃はねー。 アンリ:いつから呼んでくれなくなったんだろ……。 タニマチ:ソファ、行ってもらいましょっか、 アンリ:ん……、ま、今割と重心安定してるから。 アンリ:ちょっとしたら水飲ます。 0:首元を預け、体を寄せる。 アンリ:眼鏡取っとこ。 アンリ:……よしょ、ホイ、っと。 ナミヨケ:(寝顔を見やり) ナミヨケ:……こーしたら似てんな、やっぱり。 アンリ:そーっしょ? 似てない双子もいるけど、私らはクリソツなんだって。 アンリ:一卵性だし。 タニマチ:……性格とか考え方とかは、 アンリ:似てたらおかしいよね、他人なんだから。 ナミヨケ:ふーーー……、む。 ナミヨケ:しかしまあ、なんちゅうか……、 アンリ:どーコレ、こーいう姉妹でやっとりますケドも。 アンリ:同い年的には。 ナミヨケ:んーー……。 0:男性常連客は暫し考え、 ナミヨケ:ま……、言うてまだ、若い方のつもりやん、俺ら。 ナミヨケ:納得とか、割り切りとか、ムズいんちゃうかそら。 アンリ:だっからさァー……。 アンリ:家の為の縁談とか、んな時代錯誤なモンにさ、ハナから付き合ってやらんでもさー、 ナミヨケ:そら、先に家出たから言える事やろ。 ナミヨケ:アネキの替わりで色々おっ被されて、このヒトはこのヒトで普通にそら、キツいんちゃうん、て。 ナミヨケ:平凡な28歳児としたら、思(おも)てまうけどな。 アンリ:…………。 0:男性常連客は、やや熱の引いた琥珀を啜る。姉の身には、妹の重み。 アンリ:……また痩せたかな。 アンリ:随分軽いや。 ナギサ:(寝言) ナギサ:…………、 ナギサ:……だいっきらい……。 0:苦痛は束の間、凪いでいるようであった。 0:暗転。 : 0:【間】 アンリ:《第二夜》。 タニマチ:二日後。 タニマチ:【20時08分】。 0:店内には男性店員が1人。 タニマチ:はァ寒……、 タニマチ:暖房付けよっかな……、 0:独り言を遮り、ドアベルが鳴る。冷えた外気が吹き込む。 タニマチ:いらっしゃいませェー、どーぞォ、 タニマチ:って、あ……、 ナギサ:……どうも。 0:先日の女性客と、後に付き従う形で、男性客が入店。背広姿の偉丈夫。 トバリ:失礼致します。 ナギサ:トバリ、貴方はここまでで、 トバリ:お邪魔でなければ、同席をお許し頂けませんか。 トバリ:お嬢様、既に……、 ナギサ:2杯ぐらい。大丈夫よ。 トバリ:無論、仰る通りに致します。 ナギサ:……いいわ。別に、大した話をする訳じゃ無し。 トバリ:では、 ナギサ:勝手に飲んでなさい。許します。 トバリ:(恭しく頭垂れ) トバリ:お心遣いありがとうございます。 ナギサ:カウンター、2席、座っても? タニマチ:あ、はァい、勿論勿論。 タニマチ:お荷物その、後ろの椅子とかに置いて貰ったら。 トバリ:ありがとうございます。 0:間に一席空けて、両名着座。 ナギサ:……先日は。 ナギサ:ご迷惑をおかけしたようで。 タニマチ:やァー、何も何も。 タニマチ:あの後は無事に? ナギサ:だったのよね? 私はあまり覚えてないけど……。 トバリ:ええ。私(わたくし)がお迎えに上がって、タクシーでホテルまで、問題無く。 ナギサ:姉から訳のわからないLINEが入っていたけど、あてにならなくて。 タニマチ:どんな? ナギサ:「幼児帰りしてた」、とか。 ナギサ:「自分は姉より優秀だと喚いていた」、とか。 ナギサ:馬鹿馬鹿しい。 タニマチ:ああー……。 タニマチ:や、ハハ、そんな、そんなには……、 ナギサ:お金って払った? タニマチ:あハイ、それも、 トバリ:カードが使えないという事だったので、私(わたくし)が立替えさせて頂きました。 ナギサ:返した? トバリ:ええ。その日の内に。 ナギサ:……駄目ね。覚えてないわ。 トバリ:お疲れでしたので。 トバリ:よくある事です。 タニマチ:ホントにホントに。 タニマチ:取り敢えず、何しましょっかね。 ナギサ:……そう、ね。 ナギサ:別に何でも、良いんだけど。 トバリ:私(わたくし)は『ホーセズ・ネック』を。ご面倒で無ければ。 タニマチ:かしこまりました。 タニマチ:レモン剥くっス。 ナギサ:親父臭い。 トバリ:親父ですので。 ナギサ:怒られるわよ。貴方私と6つしか違わないじゃない。 トバリ:いやあ、34歳なんてもっともっと成熟しているものかと、学生の頃は……、 ナギサ:無駄話。 ナギサ:ドライ・ベルモットで良いわ、もう。 タニマチ:炭酸割りにしましょっかね、3杯目だったら。 トバリ:それがよろしいかと。 ナギサ:良いように。お酒の飲み味に興味が薄いの。 タニマチ:うい、うい、かしこまりましたっス。 タニマチ:……あ、チンザノで、大丈夫です? ナギサ:…………。 ナギサ:何でも。 ナギサ:どれでも変わらないでしょ、あんな安物。 0:暗転。 タニマチ:【二十時四十七分】。 0:新規の来店は無し。両名は粛々と飲んでいる。 ナギサ:……本当に、よ。 ナギサ:周りの期待も、展望も無視して。 ナギサ:良い大学出させてもらって、幾らかかったと思ってるんだかっ、 トバリ:お嬢様、ペースが早いかと、 ナギサ:うるさいわねぇ。 ナギサ:六代前から奉公人の癖に、 トバリ:七代前から、です。いかにも骨の髄まで下僕(しもべ)でございますので。 トバリ:主が心配なのです。 ナギサ:……白々しい。 ナギサ:生まれに従って生きるなんて、馬鹿みたいだと思ってるんでしょ、内心。 トバリ:お嬢様にそれを言える人間など、屋敷のどこにも居りはしません。 ナギサ:……気休めにもならないわ。 0:くい、と呷る女性客。頬には赤み。 タニマチ:これの前は、お仕事で飲み、みたいな? ナギサ:……そうよ。接待されたんだか、したんだか。 ナギサ:ウイスキーに付き合って。『キノ屋』のハゲ親父の。 タニマチ:あ、ドラッグストアの。ちょっと行ったトコにもあるっスけど、 ナギサ:首都圏進出の自慢話ばかり。 ナギサ:何度ハゲ頭を張り倒してやろうと思ったか。 トバリ:お嬢様、 ナギサ:良いのよ。酔ってるし。 ナギサ:こんな、人の居ない店。 タニマチ:たはは……、 ナギサ:この間も、あのよく分からない関西弁の男しか居なかったし。 ナギサ:姉の行き付けと聞いてたけど。 ナギサ:流行ってないの? 店員が薄ぼんやりした雰囲気だから? タニマチ:やー、はは、ま、基本静かな店で、 ナギサ:(遮り)貴方 口は堅そうね? タニマチ:え、あ、 ナギサ:……姉の事について。 ナギサ:二、三、ほんの雑談だけど。 タニマチ:ああ……。良いですよ。 タニマチ:言いません勿論。そーいう口は堅いス、はい。 ナギサ:そういう顔よ。勘だけど。 ナギサ:私、自分の勘には自信があるの。 タニマチ:そう、なんスか、 ナギサ:古い田舎の人間はね。 ナギサ:人の顔色や、顔付きを見る勘が無ければ生きて行けないから。 ナギサ:……お酒が回り切る前に、手短に。 タニマチ:はい、はい。 タニマチ:ただあんまり、沢山は知らないですけどね、お姉さんの事。 ナギサ:いいのよ。 0:す、と一口含み。 ナギサ:……どう、話を持って行けば、姉は戻る気になると思う? タニマチ:…………、戻る、か。 ナギサ:所感で構わないわ。 タニマチ:それはこう……、今の、縁談の前まで、状況全部を巻き戻すにはって事スかね? ナギサ:……そこまでを望む程、子供じみてはいないけど。 タニマチ:お家の感触としては実際、 ナギサ:普通に考えれば無理ね。 ナギサ:姉の出奔(しゅっぽん)は家の心証を痛く損ねたから。 タニマチ:じゃあ……、 ナギサ:そうよね? トバリ。 トバリ:……、私(わたくし)などが、 ナギサ:率直に。忌憚無く。 トバリ:そうでございますね……。 トバリ:……非常に、難しいかと。 トバリ:当家の都合だけで決められる事ではありませんので。 ナギサ:今更、元鞘に納まったから嫁の首を挿(す)げ直します、では通らない。 タニマチ:1回やっちゃってますもんね、ソレ。 ナギサ:けれどね。何の目算も算段も無くこんな事を言ってる訳でもないのよ。 タニマチ:と、言いますと、 ナギサ:トバリ。 トバリ:南雲方(なぐもがた)の現ご当主……、マサヒト様のお父様はご高齢の上、ご持病がその、非常に芳しく無く……、 トバリ:端的に申しますと、悪化の一途を辿っておられまして。 トバリ:その上、医師による治療を、頑なに拒んでいらっしゃいますので……、 ナギサ:恐らく、そう長くは持たない。 タニマチ:あ、拒んでるんスか、 ナギサ:医者嫌いの薬嫌いなの。 ナギサ:胡散臭い地元の祈祷師なんかを部屋に呼んで、何事かやってるけど。 ナギサ:あの家のアレだけは、本当に馬鹿馬鹿しい。 タニマチ:へえ……、言っちゃナンですけど今時、 ナギサ:田舎の金持ちなんてそんなモノよ、未だに。 タニマチ:でも、代々薬関係のお家と縁談、なんスね、キライなのに、 ナギサ:関係無いのよ。 ナギサ:当主ですら、個人の勝手気ままは通らない。 ナギサ:地縁としがらみと、込み入ったシステムのパーツとして振る舞うしかない。 ナギサ:……貴方、「しがらみ」ってどういう字を書くか知ってる? ナギサ:「柵(さく)」よ。庭と外を隔てる「柵(さく)」と書いて「しがらみ」。元はそういう意味なの。 ナギサ:まさしく……、本当に。 0:女性客はグイと呷る。 トバリ:お嬢様、 ナギサ:うるさい。お酒なんて要は薬なんだから。 ナギサ:薬効知らずに飲んでる訳無いでしょ。 トバリ:商談と接待でお疲れですので、 ナギサ:私が私の仕事で疲れて、何が悪いって言うの? ナギサ:フォローをするのが、あんたの仕事、でしょ。 ナギサ:潰れたら潰れたで、一昨日みたいに、また……、連れて帰ってよ? トバリ:……ご尤(もっと)も。 トバリ:出過ぎた物言いを、お許しください。 ナギサ:無駄に大きな、図体をして……。 ナギサ:(向き直り) ナギサ:……、どこまで、 タニマチ:あ、えと、相手さんのお父さんがもう長くナイ、って、 ナギサ:……ああ。そう遠くなく、お亡くなりになったら。 ナギサ:必然マサヒトさんが家督を継いで当主に。 ナギサ:そうすれば、全て思いのままとまでは、行かなくても、 タニマチ:発言力が上がって、お嫁チェンジも通り易くなる、と。 ナギサ:出張型風俗みたいに言うんじゃないわよ? タニマチ:あ、や、意図はナイっス、スイマセン、 トバリ:お嬢様……、 トバリ:く、くく、 ナギサ:……何よ。思い付いた事言う自由くらいあるでしょ。 ナギサ:どうせ、こんな場所以外では、 トバリ:言える所など、ありはしませんから、ね。 トバリ:……失礼致しました。 トバリ:学生時分以来……、久々に見た一面だったものですから。 ナギサ:……ふん。 0:くい、と一口。男性客も追って、一口含む。 トバリ:すみません、チェイサーと言うのか、お水を頂けますと、 タニマチ:あ、はいー。 0:店員はタンブラーを取り出す。 トバリ:ついでに……、もう1つ。 トバリ:お嬢様にも。 タニマチ:はいっス。あい。 ナギサ:余計な気を回して。どこで覚えたんだか……。 0:店員は2脚のタンブラーに冷水を注ぎ、両名の前に。女性客は口を付けず。 ナギサ:……それで、よ。 ナギサ:要するに今よりは、マサヒトさんの意向も通り易くなるし。 タニマチ:はい、うん。 ナギサ:うちとしても、実質的な当主であったお祖母様が亡くなって、基盤がグラ付いて行くだろう今この時。 ナギサ:……「風(かぜ)」の字を頂いた姉が、親族との和解の末に返り咲いて。 ナギサ:そして南雲との縁談を、より良い形で纏め上げる事が出来れば……、 ナギサ:少なくとも今よりは、今よりは少しでも、マシな未来が、 タニマチ:でもソレって、 ナギサ:(遮り、語気昂り) ナギサ:何よ? ナギサ:判ってるわよ? タニマチ:いえ、 ナギサ:……個人の意思を無視した、だの。 ナギサ:そんなに都合よく、事が運ぶ筈が無い、だの。 ナギサ:人が影で言いそうな事は大概、わかるわ。 ナギサ:賢いから。私って。 タニマチ:……、 ナギサ:でも……、何を言われて、思われた所で。 ナギサ:仕方ない、じゃない、何もかも。 ナギサ:女腹(おんなばら)の安里の家系には、当代も遂に、男は生まれなかった。 ナギサ:一方で、婿を取る度に拡大してきた家の歴史に習って……、吉兆としての「風」の字を与えられた姉は、どこかへ雲隠れ。訳のわからない仕事に手を染めて……、 タニマチ:ちょっと、知らないんスけどねお仕事……、 タニマチ:あのー、お水、 ナギサ:飲みたい時に飲むわよ水くらいっ! ナギサ:……っ、舵を……、切らなくてはいけないの。 ナギサ:何としてでも。姉が、何を、どう考えようが。 ナギサ:せめて、それすら出来ないと言うなら、 ナギサ:もう、私は……、 タニマチ:ただ……、相手さんはその、経緯は知らないスけど、今はもうナギサさんと、っていう、 ナギサ:(激昂し)誰も望んじゃいないのよそんな事っ!! タニマチ:っと、その、 ナギサ:…………縁起が、悪い、から。 ナギサ:お祖母様も……、どんなつもりで。 ナギサ:ただでさえ、双子ってだけでも「畜生腹」だの、散々言われるのに。 ナギサ:よりによって片割れに、「凪(なぎ)」の字を当てるなんて……、 トバリ:お嬢様、僭越ながら……、 ナギサ:うるさいって言ってるでしょう! ナギサ:知ってるのよ私っ、親戚や、使用人連中まで……っ! ナギサ:安里の家の停滞も、婿を取れなかったのも、風が、去ってしまったのも……、 ナギサ:あの忌み子の、妹のせいだ、って。 ナギサ:あんたたちが影でどんな風に言ってるか……、私が知らないとでもっ、 トバリ:(遮り)少なくとも。 ナギサ:……っ、う、 トバリ:私(わたくし)は一度として、そのような世迷言を、口にした事はありません。 ナギサ:…………、 トバリ:お水を。どうか。 ナギサ:…………。 ナギサ:飲めば、良いんでしょう。 ナギサ:仰せのままに。 0:女性客は差し出された冷水を取る。 ナギサ:お笑いね。直系なのよ、私……。 ナギサ:大切な、お供え物の、代用品なんだから……。 0:ぐ、と傾け、こくり、と飲み下す。 トバリ:ありがとうございます。 ナギサ:……災難よねぇ、貴方も。 ナギサ:こんな不吉な女に、後生着いて回って……。 ナギサ:いつでも柵(さく)を破って、逃げ出していいのよ。 ナギサ:あの馬鹿な姉みたいに、ね。 トバリ:一度たりとも、そのような事を、考えに浮かべた事もありません。 0:男性客の表情は、鏡面のように凪いでいる。 ナギサ:…………そのお面が羨ましいわ。 ナギサ:見習わなきゃ、ね。あ、ははは……。 0:空虚に笑い、酒のグラスをグイと呷る。 ナギサ:……はぁ……。 ナギサ:……眠いんだけど。 トバリ:……では、すぐにタクシーを呼びます。会計も一旦自分が、 ナギサ:(遮り)貴方。店員。 タニマチ:うおっ、あ、はいィ、 ナギサ:(指差し) ナギサ:あのソファ、空いてるの。 タニマチ:あー、はい……、全然移って貰っても、 トバリ:お嬢様、もう時間も時間ですので、 ナギサ:まだ宵の口、でしょ。 トバリ:明日は明日で、支社での会議も、 ナギサ:午後、からだし。 ナギサ:……ホテルのベッドじゃ、明日の事を考えてしまって、どうせ、眠れない、し。 トバリ:……、 ナギサ:眠い内に寝ておきたいのよ。 ナギサ:どうせ客なんて来ないんでしょ? タニマチ:平日なんでねェ。 タニマチ:ま、そうじゃなくてもシンドい時寝てもらったりは普通にするんで、 ナギサ:ほらぁ……。 トバリ:ですが……、 0:ふらりと立ち上がり、ソファへと向かう女性客。 ナギサ:……別に見られても良いのよ。 ナギサ:静岡の先っぽの、田舎者の顔なんて……、 ナギサ:誰も、知らないでしょ。 0:緩慢に寝転がり、パンプスを脱ぐ。 ナギサ:アラームを、一時間後に合わせて……、 トバリ:はあ、 ナギサ:それまであんたは、都会の夜を、楽しんでなさいな。 ナギサ:…………寒い。 トバリ:……、すみませんが、毛布かタオルケットのような、 ナギサ:(遮り)それで良いわ。あんたの、その馬鹿みたいに大きい背広。 トバリ:…………。 0:ふ、と息を吐き、背広を脱ぎ、覆い被せる。 トバリ:失礼致します、どうぞ。 ナギサ:(包まりつつ、微睡み) ナギサ:煙草の、匂い、安心、するから……。 ナギサ:寒ければ暖房、入れてもらいなさい。 トバリ:……皺だけは、付けないで頂けますと。 ナギサ:買ってあげるわよ……、背広、ぐらい……、 0:す、と寝入る。表情は凪ぎ、穏やかである。 トバリ:……眼鏡を、失礼。 0:するりと眼鏡を外し、ソファ前の卓へと。 ナギサ:(静かな寝息) 0:寝息の他には聞こえぬ、暫しの静寂。 トバリ:…………。ふぅ。 タニマチ:……今日もお疲れ、だったんスね。 0:男性客はツカツカと自席に戻り、グラスを取る。決して弱くは無い酒精を、グビグビと呷り、干す。 トバリ:……ぷは。 タニマチ:うおっ、イイ飲みっぷり……、 トバリ:……すまんね。 タニマチ:いえー。よくあるんで全然……、 0:男性客はシュ、とネクタイを緩め。 トバリ:……まァったく…………、へ、へ、はは、は……。 トバリ:……とびきり哀れで、我儘で。 トバリ:可愛い女だぜ。 トバリ:なァ? タニマチ:……っ、えっ?? 0:男の口元に滲むのは、別人かのように昏い笑みであった。 0:暗転。 0:アンリにスポット。 アンリ:続くんだってさ後編にィー! アンリ:ちなみに「ナギサ」の「サ」は「砂(すな)」の「サ」っ。 アンリ:「凪の砂」で、「ナギサ」。 アンリ:綺麗な、名前。 0:お好きなお飲み物等をご用意ください。 0:【休憩】

タニマチ:或る、心象のうた。 ナギサ:こころをば なににたとえん ナギサ:こころはあじさいの花 ナギサ:ももいろに咲く日はあれど ナギサ:うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。 ナギサ:こころはまた夕闇の園生(そのう)のふきあげ ナギサ:音なき音のあゆむひびきに ナギサ:こころはひとつによりて悲しめども ナギサ:かなしめども あるかいなしや ナギサ:ああ このこころをば なににたとえん。 ナギサ:こころは二人の旅びと ナギサ:されど道づれのたえて物言うことなければ ナギサ:わがこころはいつも かくさびしきなり。 0:タイトルコール。 タニマチ:『凪と嵐のクロンダイク・ハイボール』 0:【間】 アンリ:《第一夜》。 タニマチ:【19時24分】。 0:十一月某日。とあるバーの店内。カウンターには男性店員と、常連客の男性が1人。 0:1杯目は残り僅かであり、客の話は佳境を過ぎ、結びへと。 ナミヨケ:……ほんでやなァ、グズっとる妹を何とか降ろして、まあ姉の方になだめてもろたんやけども。 ナミヨケ:雨ムチャクチャ降っとる中を、 タニマチ:発車した……、と。 ナミヨケ:水しぶきブッシャー飛ばしてな。 ナミヨケ:すぐ離れんとアカンかったし。 タニマチ:……っはァーー……。 タニマチ:え、その後は、 ナミヨケ:知らんよ、いつものごとく。 ナミヨケ:仕事はソコで終わりやもん。 タニマチ:言葉も無いスけど……、 タニマチ:なんか、その、シンドイ事、少なかったらイイっスね。 タニマチ:そのお姉さんと妹さん。 ナミヨケ:別にその子らに限らずな。 ナミヨケ:まァ、願ったり祈ったりは俺らの仕事ちゃうけども。 ナミヨケ:運んで終いや。姉妹だけに。 タニマチ:おっ、頂きました。 ナミヨケ:処理に困ったらソレ言うんヤメぇや。 ナミヨケ:んァ、次ナニ貰おかね。 0:言い、グイと飲み干す。耳付きの耐熱グラスは空。 タニマチ:またホットで行きます? ナミヨケ:せやなぁー。ぶっちゃけ冷たいのんよォ飲まんな、こーも寒かったら。 タニマチ:なんっかねー……、 タニマチ:昼と夜の寒暖差がね。 0:言いながら店員は、酒棚を物色。 タニマチ:前、俺が休みだった日って、 ナミヨケ:あの子ォに相手してもうたよ。 ナミヨケ:あの金髪の。ボブの。猫目で八重歯の。 タニマチ:っスよね。 タニマチ:何出て来ました? ナミヨケ:えぇーとなァー。 ナミヨケ:何たらウイスキー、 ナミヨケ:珈琲にウイスキー入ったヤツ。 タニマチ:アイリッシュね。はいはい。 タニマチ:好み的には、 ナミヨケ:美味かったよ、寝起きに珈琲やし。 ナミヨケ:今はちゃうヤツでええけど。 タニマチ:何か……、じゃ、まあ王道に、 ナミヨケ:ちゅーかよォ、 タニマチ:はい?? ナミヨケ:その日ィによ、お前に会いに若い子来とったで。 ナミヨケ:なんか、ちゃんと綺麗にしてやる系の。 タニマチ:若い子……? タニマチ:あーーーーー、ヨウコさんね。 タニマチ:聞きました聞きました。 ナミヨケ:流れで名刺も切ったけど。 ナミヨケ:何か自分に礼言いたかってんやと。 タニマチ:なんか結構、ガッツリ話聞いて。 タニマチ:ソレこそ今から来る人、アンリさんも一緒だったんスけど、 ナミヨケ:あン? え、来るん? タニマチ:珍しく予約メールあって、 0:会話を遮り、唐突に鳴ったドアベルが店内の空気を撹拌する。女性常連客が来店。 アンリ:わーんばーんこー。 アンリ:サぁーカシタくんおヒサぁー。 ナミヨケ:……うゥわ。 タニマチ:タぁーニマチだっつって。 タニマチ:……久々だなコレ。 タニマチ:噂をすれば。 アンリ:何なにー? 私のこと? アンリ:(男性常連客を見つけ) アンリ:てか、おおっ!? アンリ:ナミヨケちゃんじゃん。ちゃんヨケナミじゃんっ。 ナミヨケ:うっさいわ。 ナミヨケ:……もー帰ろかな。 アンリ:や、ダぁメだって。 アンリ:今夜はコレからでしょ、私が来たからには。 ナミヨケ:誰やねん。 タニマチ:あのー、この前の、ヨウコさん。 タニマチ:こないだ来たって。 アンリ:……、あーーーーっ、ヨウコりんっ!? アンリ:へぇーーーーっ!! アンリ:良かったじゃん1人で? 元気してた? タニマチ:俺居ない日だったんスけど、まあ、ダイジョブな感じだったって。 アンリ:ふぅーーーん。 アンリ:おおー、また会えたらちゃんと喋ろーっと。 0:鞄を足元に沈め、勝手知ったる仕草で着席。スツールが軋る。 タニマチ:てか、ちょい早いお着きっスね。 タニマチ:まだ7時半スけど、 アンリ:あ、あんね、向こう予定ちょい巻いたから、8時ジャストぐらいって。 アンリ:私も早く済んだからさー、 アンリ:なんてェかちょっと、下拵えっちゅーか……、 ナミヨケ:待ち合わせかい。 アンリ:そーそー。 アンリ:いやぁー、てかひっさしぶり。 アンリ:どったの今日? ナミヨケ:自分の方が久々なんちゃうん。 ナミヨケ:俺は結構よう来てるし。 タニマチ:ご近所っスもんね。 タニマチ:あ、温(ぬく)いヤツしますね。 ナミヨケ:(卓上のスマホを起動し) ナミヨケ:んー。 0:店員は作業にかかる。耐熱グラスを温め。 タニマチ:(冷蔵庫に向かいつつ) タニマチ:アンリさんはどーします? タニマチ:相手の方来られてから、 アンリ:んー、どーォしよっかねーん。 アンリ:半端な時間だし、先に始めとくのもなぁー……、 タニマチ:なんか、ちょっと、 ナミヨケ:歯切れワルいやんけ。 ナミヨケ:新しいオトコか? アンリ:だったらもーちょいテンション高いか緊張してるっしょ。 アンリ:……私もよく判ってナイんだよなーコレがまた。 0:店員は耐熱グラスに褐色のラムを注ぐ。芳香広がる。 アンリ:おっ、ラムすんの? アンリ:ぐえー、もう飲もっかなー。 タニマチ:軽めとかにしときます? アンリ:そだねー。ソーダ割り希望。 タニマチ:あい、あい。 0:そのままの流れでタンブラーを取り出し、ラムを適量。氷を汲む。 ナミヨケ:(画面に目を落としたまま) ナミヨケ:ほんで誰やねん、来よるヤツは。 アンリ:あ、気になる? アンリ:いやー、引っ張るよーなモンでもないんだけど、 タニマチ:初めて会う人とか? アンリ:ンや。妹。 0:瞬間の静寂。 タニマチ:…………妹ォ? アンリ:なァーにそのカオ。 アンリ:妹ぐらい居るよ私にも。ていうか双子だけど。 ナミヨケ:(唐突に)双子なんかいっ! アンリ:ぅわビックリしたっ。 アンリ:急に本場のヤツぶっ込むのやめてよチャンナミぃー。 0:耐熱グラスを熱湯で満たし、ステア。無塩バターを少量浮かべ、シナモンパウダーを振り、完成。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:あい、『ホットバター・ド・ラム』ですー。 ナミヨケ:んー。おおきに。 アンリ:あー。そろそろホットの季節ですなー。 タニマチ:(作業を続けつつ) タニマチ:双子……、だったんスか、アンリさん。 アンリ:そだよー? アンリ:言ってなか、ったかソリャ。 タニマチ:何にも知らないっスもん俺、アンリさんの。 アンリ:私もさァーっ。 アンリ:ココじゃ謎のオネーさんで通しときたいワケよ。 アンリ:でも多分あの子、込み入った話すんだろなー、 アンリ:ヤーだなぁー、ぶっちゃけー、みたいな。 0:店員は炭酸で満たしたグラスをサーブする。 タニマチ:仲悪い感じの? タニマチ:あ、ソーダ割りっス。 アンリ:(受け取り) アンリ:サンクスー。いっただきー。 0:コクリ、と一口。 アンリ:っはー。ガソリン、ガソリンっと。 アンリ:……や、妹自体は嫌いじゃナイよ? アンリ:たださぁ、実家がちょい、クソ面倒い系だからさぁ。 アンリ:多分その絡みで今日コレ、なんだろなーっちゅー予想。 タニマチ:ヘェー……、 アンリ:ちょいさぁ、喋っといてイイ? アンリ:言ってもーじき来るから、 タニマチ:根回し的な? なんか出来るかはワカンナいスけど……、 ナミヨケ:好きに喋ったらええがな。 ナミヨケ:飲み屋やねんから。 アンリ:ちっちぃ。言い方に華が無いねぇナミヨケちゃん。 アンリ:ココは…………、 0:タメを作り、 アンリ:BARだよ。 0:意味もなくキマった。 0:暗転。 : 0:【間】 タニマチ:【19時58分】。 0:一頻り語り、待ち人は未だ来たらず。女性常連客のグラスは、残り僅か。 ナミヨケ:ほんなら要は、その妹は、 タニマチ:実家に戻って来てほしい、と。 タニマチ:アンリさんに。 アンリ:ま、ずっと言ってんだけどねソレは。 アンリ:全然別の事で連絡してもさー、二言目にはソレだし。 アンリ:昔はもっと柔軟でさァ、融通の効く子だったんだけどなー。 ナミヨケ:上には居(お)らんのん、男は。 アンリ:居ない。私ら2人だけ。 ナミヨケ:……自分、確か俺と同いやったよな。 アンリ:そだよー、今年28。 アンリ:……うげぼァーーーっっ!!! タニマチ:(驚き) タニマチ:おわっ。 アンリ:ヤバっ……。 アンリ:不意に口に出したらダメージ来た。 ナミヨケ:大方アレやろ。 ナミヨケ:結婚せェとかどーとかの、 アンリ:あーー。や、ま、実はソコも込み込みのさァ、まーホント、ややこしいのよマジで。 アンリ:田舎の古い家の、カビ生えたようなさァ、 ナミヨケ:俺もクソ田舎の山の出ェやから判るけど。 ナミヨケ:妹は実家にずっと居(お)るんやな? アンリ:言ったみたいに、今は父親の下に直接。 アンリ:要はもう重役なワケよ。 タニマチ:親族経営的な。 アンリ:そらもうグッチュングッチュンよォ。 アンリ:付き合ってらんないからさ、もー卒業したまま勢いでトンズラこいたったわ。 タニマチ:大学に託(かこつ)けてこっち来た、って言ってましたもんね。 アンリ:静岡の端っこのド田舎からね。 ナミヨケ:ちゅーか自分、製薬会社の社長令嬢て。 ナミヨケ:1ミリも人間性に反映されてへんやんけ。 アンリ:失っつ礼じゃん。 アンリ:もうじきソレっぽい子が来るからさァ、 0:会話を遮り、ドアベルが硬質に鳴る。全員の眼が出入り口へと。 タニマチ:あっ、いらっしゃいませェーっ。 アンリ:ほォれ、お出でなすったぞぉ。 0:女性客が入店。探りを入れるような足取り。 ナギサ:……待たせたわね。 0:神経質そうな面立ちに、細ぶちの眼鏡。冷たさを感じさせる佇まい。 アンリ:ぃよっ。おひさー。おつかれェ。 ナギサ:(カウンターへと歩みつつ) ナギサ:珍しいじゃない。先に着いてるなんて。 アンリ:なんせホームだからねん。 アンリ:前乗りして作戦会議してたのさ、ナっちゃんを煙に巻くタメの。 ナギサ:2度としないで。その呼び方。 ナギサ:(スツールを指し示し) ナギサ:こちら、座ってもよろしい? タニマチ:あっ、はい、どうぞどうぞ……、 アンリ:堅いねーっ、相変わらずぅ。 アンリ:いつからそんな風になっちゃたのか、お姉ちゃんは悲しいワ。 ナギサ:(着席しつつ) ナギサ:お互い様。すっかり落魄(おちぶ)れて。 アンリ:面と向かった時ぐらい仲良くしようぜ。 アンリ:この世でたった二人の、姉妹(きょうだい)なんだからさぁ。 0:元より硬い女性客の表情が、凪ぐ。 ナギサ:……、どの口が。 ナミヨケ:(小声で、ボソっと) ナミヨケ:むちゃくちゃ似てないな……。 アンリ:(耳聡く)聞き捨てらんないなー。 アンリ:ちっちゃい頃は瓜二つで、「揃いの童(わらべ)人形みたーい」、「入れ替わっても見分け付かなーい」って専(もっぱ)らの、 ナギサ:よく言うわ。 ナギサ:私の後を歩かなきゃ、何処へも行けなかったくらい内気で根暗の、 アンリ:(遮り)ナっちゃんの行く先には面白いモノがあったから。 アンリ:着いて行ってただけだよ。 ナギサ:…………。 ナギサ:無駄話。 アンリ:自分が呼び出しといてーっ。 アンリ:ささ、ご挨拶ご挨拶っ。 0:自らも立ち上がり、半ば強引に再度起立させ、 アンリ:私の妹のぉ、「ナギサ」ちゃんどェーーっす! アンリ:デッデデーーンっ! ナギサ:いい年して「ちゃん」でも無いでしょ。 ナミヨケ:同情するわァ。こんな姉貴絶対いらん……。 ナミヨケ:あ、ナミヨケ言いますゥ。 ナミヨケ:お姉さんとは特に無関係でやらしてもらってますゥ、 アンリ:ウソじゃん共にスピリタスを酌み交わして正体失くした仲じゃァーーーん! ナミヨケ:アレ以来ウォッカ飲むのんちょっとトラウマなってんねんからな。 ナギサ:(騒々しさを無視し) ナギサ:……どうも。 ナギサ:姉のフウカがお世話に。 タニマチ:あーっ、いえ、こちらこそ、 タニマチ:……フウカ? ナギサ:「アンリ ナギサ」です。 ナギサ:名刺はご入用? タニマチ:や、大丈夫です、 タニマチ:て、いうか……、 タニマチ:え、アンリさんって名字??? アンリ:うひゃー、バレたー。 アンリ:どーもー、「アンリ フウカ」たんだおー、っと。 ナミヨケ:どんな字ィ書くねん。 アンリ:「風(かぜ)」に「香(かおり)」。 アンリ:可愛いっしょー。 タニマチ:……なんつうかソノ……、 アンリ:似合わないとか思ったらパーマ毟(むし)るよ? オカザキくん。 タニマチ:タニマチだっつって。 タニマチ:あ……、って言います。どうも、 ナギサ:(冷たく) ナギサ:座っても? アンリ:……いーよ? シッダゥーンっ。 0:2人揃い、着座。 アンリ:はァーあ。とりま何か頼めばー? アンリ:お姉ちゃんは先に始めちゃってるよん。 0:グイ、と飲み干し、タンとグラスを置く。 ナギサ:仲良く並んでお酒を飲む為に時間を設けたんじゃないわ。 ナギサ:……個室の何某(なにがし)かかと思ったら、 アンリ:店は任せるって言ったじゃーん。 アンリ:大人しくBARの流儀に従おうぜ、ナっちゃん専務。 ナギサ:……。良いでしょう。 ナギサ:貴女、次、何を頼むの。 アンリ:ベルモットかな。赤い方。 ナギサ:(微か目を細め) ナギサ:へえ……。当て付けがましい事。 0:店員の方へ向き、 ナギサ:貴方、 タニマチ:はっ! あ、はいはい、 ナギサ:ドライ・ベルモットはある? タニマチ:あ一応、赤(ロッソ)も白(ドライ)も、あとオレンジのヤツとかも、 ナギサ:(遮り)銘柄は? タニマチ:「チンザノ」か「ガンチア」になりますね。 ナギサ:……、安物。 アンリ:チンザノ飲もうぜー、分相応に。 アンリ:バアちゃんの冥福を祈りがてらさ。 ナギサ:…………。 0:女性客は眼鏡をカチャリと整える。 アンリ:タイミングとしちゃ頃合いって事っしょ? 姉妹の対話の。 ナギサ:貴女にそれを言う資格は無い。 ナギサ:……けれど良いでしょう。時間の無駄。 アンリ:じゃ、チンザノ赤と白、私はソーダで。 ナギサ:私はロックで。 タニマチ:あい……、かしこまりました。 0:店員は作業にかかる。 アンリ:何だかんだ久々ぁ、ベルモット。 タニマチ:(ボトルを揃えつつ) タニマチ:お祖母さん、その……、亡くなられたんスか、 アンリ:そーなのよォ、ついこないだ、 ナギサ:(遮り)身内事なので。お構いなく。 タニマチ:う、っス。すいません。 アンリ:まァたこの子はっ。 アンリ:ゴメンよ? タニマチくん。 タニマチ:やー、こちらこそっス。 0:棚からグラス類を取り出し、背の低い方に白い酒、高い方に赤い酒を注ぐ。薬草の妙味ある香りが立つ。 ナミヨケ:ちゅうか……。 ナミヨケ:静岡で製薬会社で「アンリ」て。 ナミヨケ:あんたら、「安里(あんり)製薬」のご令嬢方かい。 アンリ:うげー。 ナギサ:あら……。実家をご存知。 ナミヨケ:「風甚散(ふうじんさん)」の。 ナミヨケ:ほんなら話もさっき聞いたよりは、デカいやんけ割りかし。 ナギサ:……仰る通り。自覚のない誰かに聞かせてやりたいわ。 ナギサ:どんな風に喋ったのかは知らないけれど。 アンリ:デぇカく無いデカく無い。 アンリ:ドコにでもあるよーな、しょーもない身内のゴタゴタ話だってー。 ナギサ:矮小化しないで貰える? ナギサ:……逃げた、貴女が。 アンリ:当然の権利っしょ。私らには足が付いてんだからさー。 ナギサ:私達の足は。 ナギサ:先陣を切って立ち働く為の物よ。 ナギサ:家と社に連なる、何十人という人間の……、 アンリ:(聞かず、遮り)嫁入り先までえっちらおっちら歩いて行く為の足ー? ナギサ:(語気を僅か荒らげ) ナギサ:貴女っ……! 0:凪いだ水面が、刹那荒立つ。 アンリ:いひひ、冗談じゃん。 ナミヨケ:……何も知らんけど、田舎モン特有の嫌味なんはわかったで。 ナミヨケ:地元思い出して懐かしなったわ。 アンリ:顔突き合わせて喋るの久しぶりだからさァ。 アンリ:でも、祝福してるんだよ、お姉ちゃんは。 ナギサ:…………。 0:白い酒には氷、赤い酒には氷と共に炭酸水。手短なステア。氷の音。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:あい、おまたせしました。 タニマチ:「チンザノ」、赤(ロッソ)のソーダと、白(ビアンコ)ロックですー。 アンリ:ひゅー、来たぞいっと。 アンリ:ま、取り敢えず飲みねぇ飲みねェー。 ナギサ:言われなくても。私持ちよ。 アンリ:あ、そなの? アンリ:甘えまーす。 0:女性常連客はグラスを手に取る。 アンリ:取り敢えずさァ、 アンリ:乾杯しよーや乾杯っ。 ナミヨケ:バアさんの冥福祈るんやったら献杯(けんぱい)とちゃうか。 アンリ:別にソレでもイーよぉ? アンリ:ホレホレ、 ナギサ:……、貴女の献杯を受けるなら。 ナギサ:実家の、お祖母様の遺影の前で。 アンリ:いひっ、じゃーイイよ、勝手にやるから。 アンリ:(下方へ眼を向け) アンリ:バアちゃーん、地獄でもベルモット飲んでるー? アンリ:フウカも結構飲んでるゥー、今日も飲むねェー。 0:僅かに盃を掲げ、ゴクリ、と一口。 アンリ:はぁっ。甘苦ァ。ひひ。 ナギサ:……いい加減にしなさいよ。 0:女性客も、グイ、と呷る。少なからぬ量。 ナミヨケ:結構イかはるな……。 アンリ:ていうかナっちゃん、1杯引っ掛けて来てるっしょ? アンリ:緊張してんの? ん? ナギサ:うるさい。 ナギサ:……病院にも葬儀にも顔を出さず。 ナギサ:よく好き勝手な事が言えたものね? アンリ:バカ親戚に混ざるのが不快だったダケ。 アンリ:お別れはちゃんと言ったよ、死ぬ前に。 ナギサ:……1人で行ったの……? アンリ:怒って歪んだ顔アガるゥー。 アンリ:好きなんだよね昔から、その眉間のシワ。 ナギサ:……っ、 ナミヨケ:煽るのォ。そんなキャラやったっけ……。 タニマチ:兄弟と喋る時って地が出るとかって言うスよね。 ナミヨケ:あー。まァ俺も田舎の妹と喋る時とかゼロの顔してるしな。 タニマチ:なんで? ナミヨケ:マジで知らん話しかしよらへんねん。 ナミヨケ:新しく出来たカフェとか。 0:女性客は剣幕昂り。 ナギサ:お祖母様が地獄……? ナギサ:冗談でも、よくもそんな、 アンリ:極楽に行ける訳ナイっしょ、私ら一族がさぁ。 ナギサ:……っ、 0:女性常連客はグイ、と呷る。 アンリ:バアちゃんよく言ってたじゃん? アンリ:「この世はショセン畜生道だわ」、って。 アンリ:「畜生働かしてお屋敷建てて、ふんぞり返って暮らしてる我々が、極楽へ行けるとはハナから思わん」、って。 アンリ:チンザノ飲みながらさァ。 ナギサ:…………。 ナミヨケ:エエ事言うわ。 ナミヨケ:金持ちはよう判ってはんのォ。 ナギサ:…………私は。 ナギサ:言われた事、無いわ。そんなこと。 0:波は引き、水面は冷たく凪いでいる。 アンリ:……ありゃ。そう? 0:波紋無き表情で、女性客はグイと呷る。カラリ、と氷の鳴く音。 タニマチ:(会話の間合いを計りつつ) タニマチ:お祖母さん、チンザノ、お好きだったんスか。 アンリ:そーそー。 アンリ:あんま飲まない人なんだけど、チンザノだけは部屋に置いてチビチビ。 アンリ:薬草の感じが胃に良くて、スっとするんだ、って。 タニマチ:ある程度上の世代だと、ベルモットってそーいう感じの扱いだったって聞いた事あるなー。 アンリ:私らもこっそりご相伴に預かってたよねー。 ナギサ:貴女だけよ。 ナギサ:私は成人するまで飲酒の経験は無い。 アンリ:1回あったじゃん、3人で一緒に、 ナギサ:断ったわ、私は。 アンリ:……、そーだっけ。 ナギサ:それに。 ナギサ:どの道私の口には合わなかった。 ナギサ:スイートベルモットなんて、甘ったるい物。 0:間を置かず、もう一口。少なからぬ量。 アンリ:……バアちゃんはさ、でも、 ナギサ:(遮り)わかってるでしょう。 ナギサ:お祖母様が目を掛けていたのは貴女。 ナギサ:由緒ある「風(かぜ)」の字を受け継いだのも貴女なら、お祖母様や母さんと同じように、家に繁栄を齎(もたら)す血を受け入れる役目も、本来なら貴女が、 アンリ:自分が言ってるコトのヤバ度判ってる? アンリ:黎和(れいわ)だよ今ぁ。 ナギサ:だから何? ナギサ:うちはずっとずっと昔からそうして、家格を繋いで来たのよ。 アンリ:あはは。 アンリ:で……、腐りに腐ってもう限界来たから、今度はデッカい土地と引き換えに娘を差し出す、と。 ナギサ:南雲(なぐも)家と協力関係を結んで、あの広大な平地と清流とを自由にする事が出来れば、 アンリ:夢の巨大プラントを作って、製薬業界に「安里」有りを再び示せる、って? アンリ:小学校上がる前から耳タコだったけどさー、 ナギサ:それも貴女だけ、ね。 アンリ:新薬だのプラントだのも、結局は外資メーカーのパシリじゃんね。 アンリ:だし、マサヒトくんを婿養子として迎え入れらんなかった時点で、どの道ウチとしちゃ、 ナギサ:誰のせいだと思ってるの? アンリ:知んないね。 アンリ:最初から格が足んなかったんだよ、南雲から婿を取るには。 ナギサ:貴女の身の振り方次第ではそれも、 アンリ:子供同士で何言ったって、結局決めんのは親ドモでしょ。 アンリ:そも、人間は結納金のオマケじゃナイしね。 ナギサ:どちらであったにせよ、うちが未来に活路を開く為には何もかも必要な事だったのよ。 ナギサ:いつの時代もベストを尽くして来たからこそ……、今の私達が、 アンリ:今すぐ全部ヤメにしたって一族の薄らバカ全員、誰一人死にゃしないよ。 アンリ:搾り取って溜め込んだ脂肪で、孫の代までぐらいはイケるから。 アンリ:ゼータクやめればね。 ナギサ:「安里」の家名を、他でもない貴女が、よりによって私の前で愚弄するの? ナギサ:どんな気持ちで、母さんやお祖母様や……、先祖代々の女性たちが、 アンリ:苦しみは本人のモノだよ。 アンリ:んで、しなくてもイイ苦労をするのはホントの馬鹿。 ナギサ:……誰がっ、 アンリ:いっそ家も屋敷もカビ臭い看板も、ブっ潰れちゃえばイイって思ったコト無い? ナギサ:……っ、ある、訳、無いでしょう? ナギサ:自分が何を言っているのか、 アンリ:製薬のノウハウなんかもっと大勢でシェアすればイイし。 アンリ:とっくに廃れたウチの秘伝なんかに、買い手が付けばの話だけどさァ。 ナギサ:馬鹿にするのも大概にっ! アンリ:(遮り)馬鹿にされてんのは私らでしょーが。 ナギサ:…………っ、 0:女性常連客はグイと呷る。 アンリ:ほんとさぁ、安土桃山かってェの。 アンリ:(男性常連客に向き)笑えるよね? ナミヨケ:いやそんなトコで俺に振んなやっ。 ナミヨケ:……そーいう系の家かい。 アンリ:お恥ずかしーカギリ。 アンリ:今はデッカい工場構えてハイテク面してるけどさぁ。 アンリ:中身はクソ田舎の、大昔の薬問屋(くすりどんや)まんまなワケよ。 ナミヨケ:ま……、出身的にも仕事的にも、俺はよう知ってる感じやけどもやな。 ナミヨケ:……ほんで結局、自分が渋っとる事でその、起死回生の縁談すら上手いこと進まんいう話か? アンリ:いやー? アンリ:私はブッチしたんだってば。 アンリ:結婚すんのはこの子だよ。 0:ひょい、と、女性客を指し示す。 タニマチ:あー、え? じゃあ……、 ナギサ:…………。 ナギサ:本当にそれで良いと思ってるの? アンリ:どーゆー事かにゃー。 アンリ:お姉ちゃんワカンナイな? ナギサ:マサヒトさんは。 ナギサ:貴女の事を忘れていないわ。 アンリ:……、 0:風が凪いだように、静寂。 0:女性常連客の面差しは僅か、硬質に。 アンリ:ナっちゃんに言うワケ? アイツはソレを。 ナギサ:言葉に出す事は無い。 ナギサ:けれど、わかる。 アンリ:……そっか。 アンリ:ずっと、好きだったもんね? ナギサ:子供の戯言。 ナギサ:……許嫁の貴女が逃げた替わりに宛てがわれた事を、初恋の成就だなんて思った事は無い。 アンリ:その茶化し方だけは、したこと無いよね。 ナギサ:どうでも良いわ。 ナギサ:貴方がのらりくらりと躱し続けている内に、事はこんな所まで至ってしまった。 ナギサ:今年で幾つになると思ってるの? アンリ:28だよ。ナっちゃんもね。 ナギサ:子供じゃあるまいし。 ナギサ:いい加減に、自分の気持ちと運命に向き合ったらどうなの? アンリ:向き合ってるからこそ、だよ。 アンリ:28にもなれば。 ナギサ:……っ、 アンリ:どんな家に生まれて、どう育てられようが。 アンリ:自分の眼で見て、自分の足で歩けるようになったら、人生はコッチのモンでしょ。 アンリ:逃げるにせよ、立ち向かうにせよ。 ナギサ:家の名前や、家に連なる全員の運命を犠牲にする程の物なの? ナギサ:貴女の人生は。 アンリ:言ったじゃん、なるようにしかなんないって。 アンリ:何がどーなったって、ソレは犠牲じゃナイし。 アンリ:ナっちゃんが、犠牲になる必要も無い。 ナギサ:何を、言って、 アンリ:イヤならヤメちゃいなよ。 アンリ:身代わりの結婚なんか。 ナギサ:……っ! 0:女性客は、脱力感に襲われる。 ナギサ:…………。 ナギサ:ふざけ、ないでよ……。 ナギサ:一体……、いったい、誰のおかげでこんな、 アンリ:親に決まってんでしょ。 アンリ:子供はモノじゃないなんて、そんな事もわかんないクソ親オブ糞。 ナミヨケ:「オブ糞」やったらタダの糞やナイかいっ。 ナギサ:…………。 ナミヨケ:マジでゴメン。 ナギサ:(無視して) ナギサ:今更……、そんな話を貴女と、するつもりは無いのよ……。 0:女性客の眼は据わり始めている。縋るようにグラスを掴み、一口。 ナギサ:……貴女、確かに、好きだったじゃない。マサヒトさんの事……、 アンリ:高校まではね。 アンリ:大人と比べりゃコドモだし、けど、子供と比べりゃ、オトナだから。 アンリ:マサヒトくんがどんどんしょーもないヤツになってくのも判ったよ。 ナギサ:…………。 アンリ:人が変わってくのも、気持ちが変わるのも、普通でしょ。 アンリ:親が決めたからとか、家の為だからとかで、自分を殺す方が異常だよ。 ナギサ:……意義のある、お役目を、担う筈だったのよ、貴女は。 ナギサ:家に取っても、人々に取っても。 アンリ:ナっちゃん自身はホントにそんな事思ってる? アンリ:親父は信じ込んでたけどさ。婿養子の分際で。 ナギサ:何の恨みがあるの……? ナギサ:何不自由なく、育ててもらって。 ナギサ:人が羨む事すら思い付かない程の贅沢だって、しようと思えば、 アンリ:別に。 アンリ:只々キモくて、嫌いなだけ。 アンリ:興味も無いしね。 ナギサ:……、……。 アンリ:あとね、不自由はあったよ。 アンリ:なりたいモノになって、生きたいように生きる自由を、奪われてた。 アンリ:私も、……ナっちゃんもだよ。 ナギサ:…………。 ナギサ:果報を運ぶ「風」ではなく、「凪(なぎ)」なんて字を、お祖母様から与えられた時点で? ナギサ:(返答を待たずに一口呷る) アンリ:違うよ。バアちゃんはね、 ナギサ:(遮り)どうだって良いのよ……。 ナギサ:あんたに成り代わりたいなんて、思った事、無いし。 ナギサ:……子供の頃から何をやったって、私の方が優秀だった……。 アンリ:今もそうだよ。 アンリ:……だいぶ回って来てるね。 タニマチ:お水、しますね。 アンリ:うん。 0:店員はタンブラーを取り出し、水を注ぐ。女性客は、次第に虚ろに。 ナギサ:勉強も……、運動も、親戚の相手だって、ちゃんと、言われたようにこなしたわ。 ナギサ:暗い部屋で本を読んだり、かと思えば庭の隅から、訳のわからないモノを拾って来るあんたより……、マサヒトさんにだって、気に入られてた。 タニマチ:初めてイメージ通りのトコあったっスわ……。 アンリ:そォー? アンリ:ま確かに変な子供ではあったけどねー。 ナギサ:小さい頃は陰気で根暗で、大きくなって一人で出歩くようになったと思えば……、いつまで経っても帰って来ない。 ナギサ:大人を騒がせて、困らせて……。 ナギサ:自分だって不安なのに、お父さんに詰め寄られる私の気持ちなんて、わからない、でしょう……? アンリ:……「南雲への大事な、供え物なんだぞ」、って? アンリ:そーいうのがクソなんだよ。 ナギサ:いつも、いつも。周りや、私に、迷惑ばかり、かけて。 ナギサ:その癖、何もかも、与えられるのはあんた……。 アンリ:…………。 ナギサ:今も、そのままなの? ナギサ:隠れ鬼をして、またどこかへ居なくなるつもりなの? ナギサ:暗いお山の、気持ちの悪い植物を数えているの? ナギサ:叱られる、のは、私なのに、 アンリ:……ナっちゃん、 ナギサ:私を、また、いつも、独りにして…………、 0:す、と瞼が落ち、傾く姿勢を、 タニマチ:おっ、とと、 アンリ:おう、おう、 アンリ:ん、よし。 0:女性常連客が支える。 ナギサ:(微睡み) ナギサ:……フーちゃん…………、 アンリ:…………。 アンリ:居るよ、私はここに。 0:女性客は眠りへと落ち。店員が水のタンブラーを出す。 タニマチ:……結構ピッチ、早かったっスもんね。 アンリ:疲れてんだね。 アンリ:今日も、てか今こっち来てんのも、仕事でだから。 ナミヨケ:……「フーちゃんナっちゃん」でやっとったワケかい。 アンリ:ちっちゃい頃はねー。 アンリ:いつから呼んでくれなくなったんだろ……。 タニマチ:ソファ、行ってもらいましょっか、 アンリ:ん……、ま、今割と重心安定してるから。 アンリ:ちょっとしたら水飲ます。 0:首元を預け、体を寄せる。 アンリ:眼鏡取っとこ。 アンリ:……よしょ、ホイ、っと。 ナミヨケ:(寝顔を見やり) ナミヨケ:……こーしたら似てんな、やっぱり。 アンリ:そーっしょ? 似てない双子もいるけど、私らはクリソツなんだって。 アンリ:一卵性だし。 タニマチ:……性格とか考え方とかは、 アンリ:似てたらおかしいよね、他人なんだから。 ナミヨケ:ふーーー……、む。 ナミヨケ:しかしまあ、なんちゅうか……、 アンリ:どーコレ、こーいう姉妹でやっとりますケドも。 アンリ:同い年的には。 ナミヨケ:んーー……。 0:男性常連客は暫し考え、 ナミヨケ:ま……、言うてまだ、若い方のつもりやん、俺ら。 ナミヨケ:納得とか、割り切りとか、ムズいんちゃうかそら。 アンリ:だっからさァー……。 アンリ:家の為の縁談とか、んな時代錯誤なモンにさ、ハナから付き合ってやらんでもさー、 ナミヨケ:そら、先に家出たから言える事やろ。 ナミヨケ:アネキの替わりで色々おっ被されて、このヒトはこのヒトで普通にそら、キツいんちゃうん、て。 ナミヨケ:平凡な28歳児としたら、思(おも)てまうけどな。 アンリ:…………。 0:男性常連客は、やや熱の引いた琥珀を啜る。姉の身には、妹の重み。 アンリ:……また痩せたかな。 アンリ:随分軽いや。 ナギサ:(寝言) ナギサ:…………、 ナギサ:……だいっきらい……。 0:苦痛は束の間、凪いでいるようであった。 0:暗転。 : 0:【間】 アンリ:《第二夜》。 タニマチ:二日後。 タニマチ:【20時08分】。 0:店内には男性店員が1人。 タニマチ:はァ寒……、 タニマチ:暖房付けよっかな……、 0:独り言を遮り、ドアベルが鳴る。冷えた外気が吹き込む。 タニマチ:いらっしゃいませェー、どーぞォ、 タニマチ:って、あ……、 ナギサ:……どうも。 0:先日の女性客と、後に付き従う形で、男性客が入店。背広姿の偉丈夫。 トバリ:失礼致します。 ナギサ:トバリ、貴方はここまでで、 トバリ:お邪魔でなければ、同席をお許し頂けませんか。 トバリ:お嬢様、既に……、 ナギサ:2杯ぐらい。大丈夫よ。 トバリ:無論、仰る通りに致します。 ナギサ:……いいわ。別に、大した話をする訳じゃ無し。 トバリ:では、 ナギサ:勝手に飲んでなさい。許します。 トバリ:(恭しく頭垂れ) トバリ:お心遣いありがとうございます。 ナギサ:カウンター、2席、座っても? タニマチ:あ、はァい、勿論勿論。 タニマチ:お荷物その、後ろの椅子とかに置いて貰ったら。 トバリ:ありがとうございます。 0:間に一席空けて、両名着座。 ナギサ:……先日は。 ナギサ:ご迷惑をおかけしたようで。 タニマチ:やァー、何も何も。 タニマチ:あの後は無事に? ナギサ:だったのよね? 私はあまり覚えてないけど……。 トバリ:ええ。私(わたくし)がお迎えに上がって、タクシーでホテルまで、問題無く。 ナギサ:姉から訳のわからないLINEが入っていたけど、あてにならなくて。 タニマチ:どんな? ナギサ:「幼児帰りしてた」、とか。 ナギサ:「自分は姉より優秀だと喚いていた」、とか。 ナギサ:馬鹿馬鹿しい。 タニマチ:ああー……。 タニマチ:や、ハハ、そんな、そんなには……、 ナギサ:お金って払った? タニマチ:あハイ、それも、 トバリ:カードが使えないという事だったので、私(わたくし)が立替えさせて頂きました。 ナギサ:返した? トバリ:ええ。その日の内に。 ナギサ:……駄目ね。覚えてないわ。 トバリ:お疲れでしたので。 トバリ:よくある事です。 タニマチ:ホントにホントに。 タニマチ:取り敢えず、何しましょっかね。 ナギサ:……そう、ね。 ナギサ:別に何でも、良いんだけど。 トバリ:私(わたくし)は『ホーセズ・ネック』を。ご面倒で無ければ。 タニマチ:かしこまりました。 タニマチ:レモン剥くっス。 ナギサ:親父臭い。 トバリ:親父ですので。 ナギサ:怒られるわよ。貴方私と6つしか違わないじゃない。 トバリ:いやあ、34歳なんてもっともっと成熟しているものかと、学生の頃は……、 ナギサ:無駄話。 ナギサ:ドライ・ベルモットで良いわ、もう。 タニマチ:炭酸割りにしましょっかね、3杯目だったら。 トバリ:それがよろしいかと。 ナギサ:良いように。お酒の飲み味に興味が薄いの。 タニマチ:うい、うい、かしこまりましたっス。 タニマチ:……あ、チンザノで、大丈夫です? ナギサ:…………。 ナギサ:何でも。 ナギサ:どれでも変わらないでしょ、あんな安物。 0:暗転。 タニマチ:【二十時四十七分】。 0:新規の来店は無し。両名は粛々と飲んでいる。 ナギサ:……本当に、よ。 ナギサ:周りの期待も、展望も無視して。 ナギサ:良い大学出させてもらって、幾らかかったと思ってるんだかっ、 トバリ:お嬢様、ペースが早いかと、 ナギサ:うるさいわねぇ。 ナギサ:六代前から奉公人の癖に、 トバリ:七代前から、です。いかにも骨の髄まで下僕(しもべ)でございますので。 トバリ:主が心配なのです。 ナギサ:……白々しい。 ナギサ:生まれに従って生きるなんて、馬鹿みたいだと思ってるんでしょ、内心。 トバリ:お嬢様にそれを言える人間など、屋敷のどこにも居りはしません。 ナギサ:……気休めにもならないわ。 0:くい、と呷る女性客。頬には赤み。 タニマチ:これの前は、お仕事で飲み、みたいな? ナギサ:……そうよ。接待されたんだか、したんだか。 ナギサ:ウイスキーに付き合って。『キノ屋』のハゲ親父の。 タニマチ:あ、ドラッグストアの。ちょっと行ったトコにもあるっスけど、 ナギサ:首都圏進出の自慢話ばかり。 ナギサ:何度ハゲ頭を張り倒してやろうと思ったか。 トバリ:お嬢様、 ナギサ:良いのよ。酔ってるし。 ナギサ:こんな、人の居ない店。 タニマチ:たはは……、 ナギサ:この間も、あのよく分からない関西弁の男しか居なかったし。 ナギサ:姉の行き付けと聞いてたけど。 ナギサ:流行ってないの? 店員が薄ぼんやりした雰囲気だから? タニマチ:やー、はは、ま、基本静かな店で、 ナギサ:(遮り)貴方 口は堅そうね? タニマチ:え、あ、 ナギサ:……姉の事について。 ナギサ:二、三、ほんの雑談だけど。 タニマチ:ああ……。良いですよ。 タニマチ:言いません勿論。そーいう口は堅いス、はい。 ナギサ:そういう顔よ。勘だけど。 ナギサ:私、自分の勘には自信があるの。 タニマチ:そう、なんスか、 ナギサ:古い田舎の人間はね。 ナギサ:人の顔色や、顔付きを見る勘が無ければ生きて行けないから。 ナギサ:……お酒が回り切る前に、手短に。 タニマチ:はい、はい。 タニマチ:ただあんまり、沢山は知らないですけどね、お姉さんの事。 ナギサ:いいのよ。 0:す、と一口含み。 ナギサ:……どう、話を持って行けば、姉は戻る気になると思う? タニマチ:…………、戻る、か。 ナギサ:所感で構わないわ。 タニマチ:それはこう……、今の、縁談の前まで、状況全部を巻き戻すにはって事スかね? ナギサ:……そこまでを望む程、子供じみてはいないけど。 タニマチ:お家の感触としては実際、 ナギサ:普通に考えれば無理ね。 ナギサ:姉の出奔(しゅっぽん)は家の心証を痛く損ねたから。 タニマチ:じゃあ……、 ナギサ:そうよね? トバリ。 トバリ:……、私(わたくし)などが、 ナギサ:率直に。忌憚無く。 トバリ:そうでございますね……。 トバリ:……非常に、難しいかと。 トバリ:当家の都合だけで決められる事ではありませんので。 ナギサ:今更、元鞘に納まったから嫁の首を挿(す)げ直します、では通らない。 タニマチ:1回やっちゃってますもんね、ソレ。 ナギサ:けれどね。何の目算も算段も無くこんな事を言ってる訳でもないのよ。 タニマチ:と、言いますと、 ナギサ:トバリ。 トバリ:南雲方(なぐもがた)の現ご当主……、マサヒト様のお父様はご高齢の上、ご持病がその、非常に芳しく無く……、 トバリ:端的に申しますと、悪化の一途を辿っておられまして。 トバリ:その上、医師による治療を、頑なに拒んでいらっしゃいますので……、 ナギサ:恐らく、そう長くは持たない。 タニマチ:あ、拒んでるんスか、 ナギサ:医者嫌いの薬嫌いなの。 ナギサ:胡散臭い地元の祈祷師なんかを部屋に呼んで、何事かやってるけど。 ナギサ:あの家のアレだけは、本当に馬鹿馬鹿しい。 タニマチ:へえ……、言っちゃナンですけど今時、 ナギサ:田舎の金持ちなんてそんなモノよ、未だに。 タニマチ:でも、代々薬関係のお家と縁談、なんスね、キライなのに、 ナギサ:関係無いのよ。 ナギサ:当主ですら、個人の勝手気ままは通らない。 ナギサ:地縁としがらみと、込み入ったシステムのパーツとして振る舞うしかない。 ナギサ:……貴方、「しがらみ」ってどういう字を書くか知ってる? ナギサ:「柵(さく)」よ。庭と外を隔てる「柵(さく)」と書いて「しがらみ」。元はそういう意味なの。 ナギサ:まさしく……、本当に。 0:女性客はグイと呷る。 トバリ:お嬢様、 ナギサ:うるさい。お酒なんて要は薬なんだから。 ナギサ:薬効知らずに飲んでる訳無いでしょ。 トバリ:商談と接待でお疲れですので、 ナギサ:私が私の仕事で疲れて、何が悪いって言うの? ナギサ:フォローをするのが、あんたの仕事、でしょ。 ナギサ:潰れたら潰れたで、一昨日みたいに、また……、連れて帰ってよ? トバリ:……ご尤(もっと)も。 トバリ:出過ぎた物言いを、お許しください。 ナギサ:無駄に大きな、図体をして……。 ナギサ:(向き直り) ナギサ:……、どこまで、 タニマチ:あ、えと、相手さんのお父さんがもう長くナイ、って、 ナギサ:……ああ。そう遠くなく、お亡くなりになったら。 ナギサ:必然マサヒトさんが家督を継いで当主に。 ナギサ:そうすれば、全て思いのままとまでは、行かなくても、 タニマチ:発言力が上がって、お嫁チェンジも通り易くなる、と。 ナギサ:出張型風俗みたいに言うんじゃないわよ? タニマチ:あ、や、意図はナイっス、スイマセン、 トバリ:お嬢様……、 トバリ:く、くく、 ナギサ:……何よ。思い付いた事言う自由くらいあるでしょ。 ナギサ:どうせ、こんな場所以外では、 トバリ:言える所など、ありはしませんから、ね。 トバリ:……失礼致しました。 トバリ:学生時分以来……、久々に見た一面だったものですから。 ナギサ:……ふん。 0:くい、と一口。男性客も追って、一口含む。 トバリ:すみません、チェイサーと言うのか、お水を頂けますと、 タニマチ:あ、はいー。 0:店員はタンブラーを取り出す。 トバリ:ついでに……、もう1つ。 トバリ:お嬢様にも。 タニマチ:はいっス。あい。 ナギサ:余計な気を回して。どこで覚えたんだか……。 0:店員は2脚のタンブラーに冷水を注ぎ、両名の前に。女性客は口を付けず。 ナギサ:……それで、よ。 ナギサ:要するに今よりは、マサヒトさんの意向も通り易くなるし。 タニマチ:はい、うん。 ナギサ:うちとしても、実質的な当主であったお祖母様が亡くなって、基盤がグラ付いて行くだろう今この時。 ナギサ:……「風(かぜ)」の字を頂いた姉が、親族との和解の末に返り咲いて。 ナギサ:そして南雲との縁談を、より良い形で纏め上げる事が出来れば……、 ナギサ:少なくとも今よりは、今よりは少しでも、マシな未来が、 タニマチ:でもソレって、 ナギサ:(遮り、語気昂り) ナギサ:何よ? ナギサ:判ってるわよ? タニマチ:いえ、 ナギサ:……個人の意思を無視した、だの。 ナギサ:そんなに都合よく、事が運ぶ筈が無い、だの。 ナギサ:人が影で言いそうな事は大概、わかるわ。 ナギサ:賢いから。私って。 タニマチ:……、 ナギサ:でも……、何を言われて、思われた所で。 ナギサ:仕方ない、じゃない、何もかも。 ナギサ:女腹(おんなばら)の安里の家系には、当代も遂に、男は生まれなかった。 ナギサ:一方で、婿を取る度に拡大してきた家の歴史に習って……、吉兆としての「風」の字を与えられた姉は、どこかへ雲隠れ。訳のわからない仕事に手を染めて……、 タニマチ:ちょっと、知らないんスけどねお仕事……、 タニマチ:あのー、お水、 ナギサ:飲みたい時に飲むわよ水くらいっ! ナギサ:……っ、舵を……、切らなくてはいけないの。 ナギサ:何としてでも。姉が、何を、どう考えようが。 ナギサ:せめて、それすら出来ないと言うなら、 ナギサ:もう、私は……、 タニマチ:ただ……、相手さんはその、経緯は知らないスけど、今はもうナギサさんと、っていう、 ナギサ:(激昂し)誰も望んじゃいないのよそんな事っ!! タニマチ:っと、その、 ナギサ:…………縁起が、悪い、から。 ナギサ:お祖母様も……、どんなつもりで。 ナギサ:ただでさえ、双子ってだけでも「畜生腹」だの、散々言われるのに。 ナギサ:よりによって片割れに、「凪(なぎ)」の字を当てるなんて……、 トバリ:お嬢様、僭越ながら……、 ナギサ:うるさいって言ってるでしょう! ナギサ:知ってるのよ私っ、親戚や、使用人連中まで……っ! ナギサ:安里の家の停滞も、婿を取れなかったのも、風が、去ってしまったのも……、 ナギサ:あの忌み子の、妹のせいだ、って。 ナギサ:あんたたちが影でどんな風に言ってるか……、私が知らないとでもっ、 トバリ:(遮り)少なくとも。 ナギサ:……っ、う、 トバリ:私(わたくし)は一度として、そのような世迷言を、口にした事はありません。 ナギサ:…………、 トバリ:お水を。どうか。 ナギサ:…………。 ナギサ:飲めば、良いんでしょう。 ナギサ:仰せのままに。 0:女性客は差し出された冷水を取る。 ナギサ:お笑いね。直系なのよ、私……。 ナギサ:大切な、お供え物の、代用品なんだから……。 0:ぐ、と傾け、こくり、と飲み下す。 トバリ:ありがとうございます。 ナギサ:……災難よねぇ、貴方も。 ナギサ:こんな不吉な女に、後生着いて回って……。 ナギサ:いつでも柵(さく)を破って、逃げ出していいのよ。 ナギサ:あの馬鹿な姉みたいに、ね。 トバリ:一度たりとも、そのような事を、考えに浮かべた事もありません。 0:男性客の表情は、鏡面のように凪いでいる。 ナギサ:…………そのお面が羨ましいわ。 ナギサ:見習わなきゃ、ね。あ、ははは……。 0:空虚に笑い、酒のグラスをグイと呷る。 ナギサ:……はぁ……。 ナギサ:……眠いんだけど。 トバリ:……では、すぐにタクシーを呼びます。会計も一旦自分が、 ナギサ:(遮り)貴方。店員。 タニマチ:うおっ、あ、はいィ、 ナギサ:(指差し) ナギサ:あのソファ、空いてるの。 タニマチ:あー、はい……、全然移って貰っても、 トバリ:お嬢様、もう時間も時間ですので、 ナギサ:まだ宵の口、でしょ。 トバリ:明日は明日で、支社での会議も、 ナギサ:午後、からだし。 ナギサ:……ホテルのベッドじゃ、明日の事を考えてしまって、どうせ、眠れない、し。 トバリ:……、 ナギサ:眠い内に寝ておきたいのよ。 ナギサ:どうせ客なんて来ないんでしょ? タニマチ:平日なんでねェ。 タニマチ:ま、そうじゃなくてもシンドい時寝てもらったりは普通にするんで、 ナギサ:ほらぁ……。 トバリ:ですが……、 0:ふらりと立ち上がり、ソファへと向かう女性客。 ナギサ:……別に見られても良いのよ。 ナギサ:静岡の先っぽの、田舎者の顔なんて……、 ナギサ:誰も、知らないでしょ。 0:緩慢に寝転がり、パンプスを脱ぐ。 ナギサ:アラームを、一時間後に合わせて……、 トバリ:はあ、 ナギサ:それまであんたは、都会の夜を、楽しんでなさいな。 ナギサ:…………寒い。 トバリ:……、すみませんが、毛布かタオルケットのような、 ナギサ:(遮り)それで良いわ。あんたの、その馬鹿みたいに大きい背広。 トバリ:…………。 0:ふ、と息を吐き、背広を脱ぎ、覆い被せる。 トバリ:失礼致します、どうぞ。 ナギサ:(包まりつつ、微睡み) ナギサ:煙草の、匂い、安心、するから……。 ナギサ:寒ければ暖房、入れてもらいなさい。 トバリ:……皺だけは、付けないで頂けますと。 ナギサ:買ってあげるわよ……、背広、ぐらい……、 0:す、と寝入る。表情は凪ぎ、穏やかである。 トバリ:……眼鏡を、失礼。 0:するりと眼鏡を外し、ソファ前の卓へと。 ナギサ:(静かな寝息) 0:寝息の他には聞こえぬ、暫しの静寂。 トバリ:…………。ふぅ。 タニマチ:……今日もお疲れ、だったんスね。 0:男性客はツカツカと自席に戻り、グラスを取る。決して弱くは無い酒精を、グビグビと呷り、干す。 トバリ:……ぷは。 タニマチ:うおっ、イイ飲みっぷり……、 トバリ:……すまんね。 タニマチ:いえー。よくあるんで全然……、 0:男性客はシュ、とネクタイを緩め。 トバリ:……まァったく…………、へ、へ、はは、は……。 トバリ:……とびきり哀れで、我儘で。 トバリ:可愛い女だぜ。 トバリ:なァ? タニマチ:……っ、えっ?? 0:男の口元に滲むのは、別人かのように昏い笑みであった。 0:暗転。 0:アンリにスポット。 アンリ:続くんだってさ後編にィー! アンリ:ちなみに「ナギサ」の「サ」は「砂(すな)」の「サ」っ。 アンリ:「凪の砂」で、「ナギサ」。 アンリ:綺麗な、名前。 0:お好きなお飲み物等をご用意ください。 0:【休憩】