台本概要

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タイトル 『凪と嵐のクロンダイク・ハイボール』【後編】/BAR「猫町」“出奔者篇”#4
作者名 sazanka  (@sazankasarasara)
ジャンル その他
演者人数 4人用台本(男2、女2) ※兼役あり
時間 70 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 とある、過去と、現在と、その、続き。
出来れば【前編】からご使用ください。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
タニマチ 98 店員。口はゆるくない男。
アンリ 185 女性常連客。時に嵐のような女。
ナギサ 169 女性客。風を待つ女。
ナミヨケ 46 男性常連客。今日も居てしまった男。
トバリ 41 男性客。ざらついた男。(ナミヨケと兼役の想定で執筆しています。)
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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0:ブザー音。 0:【再開】 タニマチ:フラッシュ・バック。 アンリ:「こころをば なににたとえん アンリ:こころはあじさいの花 アンリ:ももいろに咲く日はあれど アンリ:うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。」 : 0:(以下、童女の頃の声音) アンリ:「じゃあ、わたしと、ナっちゃんの2人なら……、」 ナギサ:「2人……? マサヒトくんのおよめさんになれるのは、1人よ。わたしが、ぜったい、」 アンリ:「マサヒトくんはかんけいないよぉ。おバアちゃん、こないだ、言ってたでしょ。」 ナギサ:「おばあさまが? なんて?」 アンリ:「お家が、どうなっても、お父さんや、しんせきのみんなが、なにを言っても、」 ナギサ:「うん。」 アンリ:「おまえたち2人だけは、たすけあって、手をつないで、いきて行くんだよ、って。」 ナギサ:「じゃあ……、フーちゃん、ずっといっしょに、いてくれるの?」 アンリ:「うん。いっしょだよ。」 ナギサ:「もうどこへも、行っちゃわない? いなく、ならない?」 アンリ:「どこかへ、行くときは……、」 ナギサ:「うん、」 アンリ:「2人いっしょに。やくそく。」 : ナギサ:「こころは二人の旅びと ナギサ:されど道づれのたえて物言うことなければ ナギサ:わがこころはいつも かくさびしきなり。」 0:タイトルコール。 タニマチ:『凪と嵐のクロンダイク・ハイボール』 タニマチ:只今より、後編をお送り致します。 0:【間】 タニマチ:【21時15分】。 0:とあるバーの店内。女性客はソファで眠りに落ち、巨躯の男性客は一杯目を飲み干した所。どこまでも黒い、夜の山のような気配が滲む。 トバリ:……頼んでも、良いかね。 タニマチ:あ……、あ、はい。 タニマチ:何、しましょっかね、 トバリ:ジンを。ロックで。 タニマチ:えっと……、今は「タンカレー」か「ボンベイ」しか、 トバリ:タンカレーで良い。 タニマチ:うっス。うい。 0:店員は作業にかかる。冷凍庫から、冷やされた深緑のボトル。 トバリ:……態度に付いちゃ、気にしないでくれよ。 タニマチ:あ、えっと、随分さっきと……、 トバリ:偶の出張、お姫(ひい)さんが寝こけてる間ぐらいは、羽根を伸ばしてェもんでよ。 タニマチ:や……、俺は全然。 タニマチ:起きちゃわない、っスかね? 0:店員は無骨なロックグラスに氷を満たしながら、ソファを見やる。 トバリ:別に聞かれたって構やしねェが。 トバリ:ああして寝入った時ァ……、そうそう目覚めやしねェ。 タニマチ:お仕事でだいぶ……、 トバリ:得意でもねェ事を、気張ってやってなさるからよ。 トバリ:居た堪れない気分だぜ、へへ。 タニマチ:そっスか……、 0:冷えたジンをグラスに注ぎ、数回のステア。独特の甘い香り。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:おまたせしましたっス。 トバリ:おう。 0:節くれ立った巨大な掌でグラスを掴み、無頼に流し込む。 トバリ:ふゥ。 トバリ:……ジンは、流行ってるなァ、今。 タニマチ:あー。クラフトジンとかがね、結構世界的に……。 タニマチ:ウチは全然、乗っかれてないスけど。 0:グイ、ともう一口。氷がガラリと呻く。 タニマチ:……あの、 トバリ:んン? タニマチ:ぶっちゃけ、ていうか、その……、 トバリ:召使いの眼ェから見て、か? タニマチ:……まあ、その、 トバリ:部外者(あんた)の見立てと同じよ。 トバリ:身内がどう、喚いた所で……、 トバリ:今更ひっくり返るモンでもねェ。 トバリ:何もかも、な。 タニマチ:アンリさん……、あ、お姉さんは多分、 トバリ:どうあっても戻る気は無いし、土台、南雲(なぐも)の坊(ぼん)への未練もねェ。 トバリ:へへ、今ァすっかり、あの優男とヨロシクやってるし、な? タニマチ:あー……、じゃ、彼氏さんの事も、 トバリ:知らん訳ァねェわな。 トバリ:こっちにゃ馴染みの興信所もありゃ、動いてる人間も居る。 トバリ:そもそもよ、 タニマチ:はい、 トバリ:あの女が安里(あんり)の家を出たのはもう6年……、いや、実質大学に入った時点からだから、10年も前だ。 タニマチ:そー、なるっスよね、 トバリ:一族の中で未だに……、「風」だの「凪」だのに拘って、姉貴の帰りを、泣くの堪えて待ち焦がれてんのは……、 トバリ:そこの、可哀想な妹君だけで、よ。へ、へ。 0:無遠慮に指指し、笑う。グイと一口。 トバリ:俺は面白ェから、近くで眺めてるがな。 タニマチ:面白い、スか。 トバリ:あァ。 トバリ:本当は何もかも嫌で、逃げ出したくて堪らねェ癖に……、意地だけでお役目だの、ありもしねェ責任だのに齧り付いて、眉間にシワ寄せてやつれていく女を見てるのは、な。 タニマチ:お、おう……、 トバリ:クダらねえ下男(げなん)人生の、せめてもの慰みよ。は、は。 0:昏く、楽しげに、一口啜る。 タニマチ:じゃ、ホントに代々、お家に……、 トバリ:さっきも言ったが、百何十年も前、およそ家系図を遡れる限り、な。 トバリ:田舎ってのァ笑えるぜ、大昔の家の、上だの下だのが、そのまんま今と地続きで。 トバリ:お陰でこの有り様よ、俺も、そこの女も。 タニマチ:……お兄さんは、逃げたい、とか思った事、 トバリ:無い、な。 トバリ:親方の安里に逆らいさえしなきゃ、死ぬまで食い扶持にゃ困らねェ。 トバリ:それに、 0:グイ、と呷る。 トバリ:ゆるゆる腐ってく、古い家ってのを内から見てんのも……、なかなか乙なモンだぜ。 タニマチ:んー……。 タニマチ:映画とかじゃ、よくある感じっスけどねェ。 タニマチ:連続殺人事件とか、起こる感じの。 トバリ:へ、はは。屋敷も風景も、ロケ地としちゃ、まさに適任だがよ……。 トバリ:死ぬだ殺すだおっ始まる程の覇気は、今やお家(いえ)のどこにも、残っちゃいねェ。 タニマチ:手遅れ、的な。 トバリ:言ってやってくれよォ、お嬢様が起きたら。 タニマチ:嫌っスよ絶対。 トバリ:……一家伝来の「風甚散(ふうじんさん)」が、痛み止めやらトンプクの殿様と云われたのも今は昔。 トバリ:大昔の威光に縋ってプライドだけはいっちょ前の、ドコの田舎にもある情けねェファミリー企業に成り下がっちまって。 タニマチ:ボロカスっスね。 タニマチ:ちょ、ヒヤヒヤするわ……、 トバリ:起きねェよ、よく眠ってら。 タニマチ:……、それは、つまり結局、ご両親含めた、皆さんの総意っていうか、 トバリ:大方の、な。 トバリ:今のご当主サマは、古いばかりで厄介な安里の看板を、とっとと畳みたがってるし……、 タニマチ:お二人のお母さん、 トバリ:いやァ、父親だよ。婿養子の。 タニマチ:あ、そーなんスか。 タニマチ:代々女性が継ぐとかじゃなく、 トバリ:先代サマは特別でよ。 トバリ:当主の入婿が早くに死んで、家督が宙ぶらりんになり……、 トバリ:1人娘が婿を取って、当代に替わってからも、それこそ倒れる直前まで、あのバアさんが……、 タニマチ:あ、それで実質的な当主、か。なるほど。 トバリ:は。経営者としても、家長としても……、大食らいの狐と狸を、足して二で割ったような化けモンじみたバアさんだったが。 トバリ:後が、続かなかった。 タニマチ:時代の流れに乗れなかった、みたいな、 トバリ:舵取りが倒れて、流れに任せた結果、だよ。 トバリ:さっさと逃げたあの女は賢いさ。 トバリ:面白くはねェが、な。 0:ぐい、と呷る。氷が擦れる音。 タニマチ:面白くないスか、アンリさん。 トバリ:都会じゃァウケるのかもしれんが。 トバリ:あの女は昔から、面白ェモンを、追っかける側の人間だ。 トバリ:俺と同じで、な。 タニマチ:あー、あー……。 トバリ:引き際と、切り捨て時を知ってるからな。 トバリ:……妹が期待するような、風を呼び込む人種じゃァねェのよ。元来な。 タニマチ:んーーー…………。 0:何とは無しに、店員はソファに横たわる女性客を見やる。寝顔は穏やかに、凪いでいる様子。 タニマチ:……どんな、感じだったんスかね。 タニマチ:お二人。 トバリ:ガキの頃、か。 タニマチ:なんか、少なくともお姉さんの方は、今とイメージ違ったみたいな事をこないだ……、 トバリ:……俺に言わせりゃァ。 トバリ:今となァんにも、変わらねェが、な。 0:ぐい、と呷る。高濃度の酒は残り僅か。 トバリ:気の向くまま、何処へでもふらっと消えちまう姉貴を……、 トバリ:気丈な振りして泣くの堪えて、……いや、隠れて泣いて待ってるような、哀れな妹。 タニマチ:…………。 トバリ:俺ァソレを、そばで見てんのが好きだったね。 トバリ:面白ェなァ、堪んねェなァ、ってな? タニマチ:……えっ、と、 トバリ:精々楽しみが続くように。 トバリ:死んじまわねェようにだけ、見てるがよ。 トバリ:へ、へ、は、は。 0:がぶりと飲み干す。グラスは空。 タニマチ:……趣味、エグいっスね。 トバリ:田舎モンだからよ。 0:暗転。 : 0:【間】 タニマチ:【22時17分】。 0:アラームが鳴り、女性客は緩慢に覚醒。男性客のネクタイは整い、調子は、元の通り。会計は済んでいる。 ナギサ:……嫌な夢を見たわ。 タニマチ:どんな? ナギサ:……さあ。 ナギサ:口ばかりの、嘘つきの、夢。 0:女性客はカチャリ、と、細ぶちの眼鏡を指で整える。 トバリ:お嬢様、お水を。 ナギサ:(受け取り) ナギサ:……寒い。暖房付いてるの? タニマチ:あ、ちょっと前に。 タニマチ:ボロくて、エアコン。 ナギサ:どうしてここらの夜ってこんなに寒いの? ナギサ:ビル風のせい? タニマチ:ていうか今年が、っスかね……、 タニマチ:寒波来るらしいし、この冬。 ナギサ:まったく……、やる気を削いでくれるわよ。 ナギサ:何から何まで。 0:こく、と、些か温くなった水を飲み下す。 ナギサ:……世話をかけたわね。 ナギサ:姉には、内密に。 タニマチ:もちろんス。はい。 ナギサ:私が寝てる間、何の話をしてた訳? トバリ:いやあ。田舎者の、取り留めもない話に付き合わせてしまって。 トバリ:都会の若者を。 タニマチ:や……、何にも、何にも。ハハ。 ナギサ:ふん……。 ナギサ:もう来ないから。 ナギサ:精々、姉には良くしてあげて。 タニマチ:そう言わず……、また、こっちに出張とかの際は。 タニマチ:ドライ・ベルモット、飲みに来てください。 ナギサ:…………、 ナギサ:結構よ。 ナギサ:赤でも、白でも。 ナギサ:嫌いなのよ、子供の頃から。 タニマチ:子供の頃から? ナギサ:一度だけ……、 ナギサ:隠れて、舐めてみた事があるの。 タニマチ:あ……、お祖母さんの、ベルモット? ナギサ:これも内密に。 タニマチ:うっス、モチっス、はい、 ナギサ:…………。 0:癖のように眼鏡に触れ。 ナギサ:二度と飲むものかと思ったわ……。 ナギサ:こんな、薬臭いお酒。 0:水面に風は、未だ吹かず。 0:暗転。 : 0:【間】 アンリ:《第三夜》。 タニマチ:翌々週。【20時01分】。 : タニマチ:……あれェ、 ナギサ:…………。また会ったわね。 0:十一月某日。店員が男性常連客の相手をしていた所に、女性客が来店。表情はバツ悪そうに波立っている。 ナミヨケ:……お、気の毒な妹ちゃんやん。 ナギサ:誰が。 ナギサ:……また、貴方。 ナギサ:本当に姉とこの人しか居ないんじゃないの、お客。 ナミヨケ:俺もソレは思(おも)てた。 タニマチ:週末とかはね、まだもーちょい……、 タニマチ:あ、カウンターどーぞっス。 0:女性客は憮然とした足取りで、椅子へと歩む。 タニマチ:今日はまた……、出張の、お仕事のアレっスか、 ナギサ:呼び出されたのよ。 ナギサ:今度は私が、姉に。 タニマチ:え、へぇ……、へええ。 ナギサ:会議だの商談だのは昨日まで。 ナギサ:今日一日、こっちで休んで……、という予定だったのに。 ナギサ:強引に、約束を取り付けられて。 タニマチ:あー……、はい、はい。 ナギサ:昔からいつもよ。 ナギサ:自分のしたい事、喋りたい話だけ、一方的に……。 ナギサ:まだ、来てないようね。 タニマチ:あー、(時計を見やり) タニマチ:八時とかっスかね、待ち合わせ。 ナギサ:その上平気で遅れるのも、いつもの事。 ナギサ:…………、直させなきゃ。 ナギサ:家の名折れ。 ナミヨケ:諦めてへんのん、まだ。 ナギサ:(ジロリと睨み) ナギサ:何? ほんとに不躾。 ナミヨケ:あ……、すんません。距離感ミスりました。 タニマチ:寒くないです? 今日は。 ナギサ:見越して着込んで来たから平気。 ナギサ:それに暖かいじゃない、今日は。 タニマチ:流石に暖房、オープンからつけてるんで……、 ナギサ:賢明。 ナミヨケ:…………、なんか打ち解けてへんか。 ナミヨケ:こないだの今日とちゃうん? ナギサ:……そうだけど? ナギサ:2回目ともなれば砕けるでしょ。私は専務よ? ナミヨケ:よーわからんけど。 ナミヨケ:その辺ちょい似てんちゃうん、姉貴と。 ナギサ:は? 0:遮り、ドアベルが嵐の如く鳴る。 アンリ:遅(おっく)レイター遅くナッターっとーーいっ。 アンリ:あ、やっぱ先に着いてるしーーっ! 0:ドタドタと、女性常連客が入店。 ナギサ:……遅い。せめて連絡ぐらい、 アンリ:ほんの何分かじゃァーんっ。 アンリ:メンゴメンゴっ、ちょい仕事、長引きかけたから強引に終わらせて来たんだってばさー。 0:軽快な足取りで、女性客の隣席に陣取る。 ナギサ:仕事、ね。 ナギサ:いかがわしい、得体の知れない。 アンリ:アタマ古いのも行きスギたら笑われるぜー? アンリ:セカイに誇る日本の職業っしょ、今や。うへへ。 0:姉と妹、横並び。 タニマチ:えとー、ひとまず、 ナギサ:要件を。手短に。 アンリ:イヤイヤぁ。オーダーっしょマズは。 アンリ:都会じゃ自分から言わなきゃ何も出て来ないんだよん。 ナギサ:……イチイチ。 ナギサ:飲みながらでないと会話出来ないのも都会の作法? アンリ:や、最初はノンアルで。 アンリ:どーよ? ナミヨケ:お、どーしたどーした。 ナギサ:……別に、私はどうでも、 アンリ:ナっちゃん酔うとスーグ子供帰りしちゃうからさー。 アンリ:一段落するまでジュース飲もうぜジュース、オトナらしく。 ナギサ:はぁ……? ナギサ:何それ。してないし、 アンリ:してたよねぇ? アンリ:ていうかナミヨケちゃんおはよー。 ナミヨケ:俺は平和に飲んどっただけや。 ナミヨケ:変なトコで振らんといてや、今日は。 0:言い、男性常連客はズ、と耐熱グラスを干す。 アンリ:今日は平和な姉妹の語らいだから大丈夫だよ。 アンリ:私ジンジャーエール貰おっと。 アンリ:ナっちゃんはぁ? ナギサ:……特に、何でも。 ナギサ:同じで結構。 ナミヨケ:ジンジャーな。 ナミヨケ:久々に飲んでみよかな俺も……、 アンリ:お、イーじゃん皆でジンジャーエール。 アンリ:大学生かよって。ひひ。 ナミヨケ:せやけど腹冷えるんシンドいから。タニマチよ、 タニマチ:あ、こないだ言ってた。 タニマチ:ホットっスね。 ナミヨケ:コーラでイケるんやったらジンジャーもアリやろ。 ナミヨケ:俺はソレで。 アンリ:何ナニなにそれー? アンリ:レンチンすんの? タニマチ:そっスそっス。 タニマチ:微発泡みたいな感じになるんで、 アンリ:ほぉー。私もソレ貰おっかなー。 アンリ:ナっちゃんは、 ナギサ:ソレで良い。 アンリ:主体性ェー。 ナギサ:余計な思考を省いてるだけよ。 タニマチ:んじゃホットジンジャー3つ、かしこまりましたっス。 0:店員は作業にかかる。耐熱グラスを3脚取り出す。 アンリ:はァー。やっぱこの座り心地の悪い椅子が落ち着くわ。 ナミヨケ:悪いよな、正味。 タニマチ:すんませんっス、はい。 0:並べたグラスに、ボトルから褐色の液が注がれる。泡の弾ける音。 ナギサ:……それで。 ナギサ:どういうつもり? 貴女から呼び出すなんて。 ナギサ:……まさか、 アンリ:「戻るー」、「やっぱしマサヒトくんとヨリを戻して、両家の架け橋として粉骨砕身ガンバるー」、って。 アンリ:言うと思った? ナギサ:……そこまで暖まった脳みそしてないわ。 アンリ:だよねん。 アンリ:……なんかさ、 ナギサ:トバリから。何か言われた? アンリ:おおっ? ナギサ:大方、そんな所じゃないの。 ナギサ:何となくだけど。 アンリ:相変わらず鋭いね。 アンリ:さっすが、当主の器バッチリだわ。 ナギサ:……、 ナミヨケ:トバリて、こないだ迎えにきてはった大柄なヒトか。 アンリ:そっそー。 アンリ:今日は? どっかで飲んでんの? ナギサ:さあ。どうとでもしてるでしょ……。 0:電子レンジにグラスが収められ。ピ、ピ、と操作音。 ナギサ:あいつ……、本性は、普段見せてないだけで、 アンリ:知ってるよ? アンリ:昔から仲良いもん、トバリくんとは。 ナギサ:……、な、 アンリ:家出る時もさ、「良いんじゃねーの」って言ってくれたし。 アンリ:んでひっさびさにLINE来てェ、 ナギサ:何なのそれ……。どこまで私を蚊帳の外に、 アンリ:ていうか私とトバリくんとの仲だから。 アンリ:で。ナっちゃんの事も、普通に心配なんだって。 ナギサ:面白がってるだけよ。 ナギサ:……昔から慇懃(いんぎん)で。嫌な男。 アンリ:親父や親戚のバカ共より、遥かに話通じるけどね。 ナギサ:……、だからどう、でもないわ。 アンリ:ホントはさー、何かバアちゃんの墓参りでもしながら喋ろっかなとかも思ったんだけど。 アンリ:四十九日過ぎるまではあの辺、近付きたくナイしさー。 ナミヨケ:親戚に出っくわすもんな。 アンリ:そーよ。 アンリ:たら今週、またコッチで仕事だってゆーからさ。 アンリ:ちょーどイイと思って。 ナギサ:……貴女も仕事だったんじゃないの。 アンリ:ま、ま、年末のツアーの下準備終わって、後は現場に降ろしたから。 アンリ:今ちょーど私らは、谷間の時期なんだよね。 アンリ:束の間の、だけど。 タニマチ:ツアー……? ナミヨケ:この際聞くけど仕事何系なん、そーいや。 アンリ:え、言ってなか、……ったよねソリャ。 アンリ:アイドルのプロデューサー。 タニマチ:えっ、 ナミヨケ:えっ!? 0:店員と男性常連客は、驚きの表情。チン、とレンジ。(※どなたかが口で入れて頂いても構いません) タニマチ:あ、出来た。 タニマチ:……、はァーーー、え、アンリさん、ソッチ系だったんスか……、 ナミヨケ:P? Pなん? アンリ:Pっつってもちっさい事務所だからさー。 アンリ:殆どマネージャー業だけどね。 アンリ:もー、いっっつもバッタバタの。 アンリ:あ、ホイこれ、名刺(めーし)。 0:胸ポケットから真鍮風のカードケースを取り出し、各自に名刺をスムーズに配る。 アンリ:こーゆーモノどェーす。 タニマチ:あ、どーもっス……。 ナギサ:私は要らない。 タニマチ:(文面をあらため) タニマチ:えーと……、 タニマチ:「芸能・マネージメントプロダクション『A-tension(アテンション)』プロデュース部チーフ、 タニマチ:アイドルグループ『少女ラッピング』プロデュースマネージャー、 タニマチ:『安里風香(あんりふうか)』」……、 タニマチ:おおーーー。 ナミヨケ:しっかりした名刺やな。 ナミヨケ:ウチのトコと大違い……、 ナミヨケ:やっぱこーゆーんはちゃんとしたトコでして貰わなアカンな。 アンリ:あ、ソレは絶対そーだよ。 タニマチ:『少女ラッピング』って聞いた事あるな。 タニマチ:なんか深夜の……、 アンリ:ランキング番組とかっしょ? アンリ:頑張ってんだよ、よーやく最近。 アンリ:あの子らと私らの努力実って来たワケよぉー、コレ。 アンリ:深夜で関東ローカルだけど、リーダーの子がドラマ出たりとか、 ナミヨケ:ふぅーーーーん……、 タニマチ:……あ、ジンジャージンジャー。 0:店員は湯気立つ耐熱グラスをレンジより取り出し、注文順にサーブ。 タニマチ:あい、お待たせしましたー。 ナミヨケ:おおきに。 アンリ:イエー、来たァ。 ナギサ:……どうも。 0:湯気と、微かに泡立つ琥珀が、三並び。 ナギサ:(卓上の名刺を見やり) ナギサ:詐欺じゃない、こんなの。 アンリ:(一口含みつつ) アンリ:あん? あ、うま、コレ。 ナギサ:夢見がちな未成年の前途を食い物にして。 ナギサ:スターになれる、なんて言って騙してるんでしょ。 アンリ:……、 ナミヨケ:純度の高い偏見キタなコレ……、 ナミヨケ:(ズ、と含み) ナミヨケ:うまっ。もージンジャーはコレでエエやろ。 タニマチ:冬はコレ押してこっかな。 アンリ:んーーーー……。そう、ね。 0:ギ、とスツールが軋る。 アンリ:酷いトコはマジで酷いし。 アンリ:事務所なんて名ばかりの、金集めるだけ集めて後はポイ、ってのもある、ね。 ナギサ:多かれ少なかれ。 ナギサ:どこでも似たようなものでしょ。 アンリ:……さぁて。 アンリ:そんな事ナイ、って言い切れないのが、業界人のツラいトコだねん。 0:女性常連客はス、と一口含む。 アンリ:やりがい搾取、とか言われ出して久しいしね。 アンリ:ウチは、少なくとも筋通る程度には、お金出してるつもりだけど。 アンリ:かけてる苦労と釣り合ってんのかは、何とも言えない、かな。 ナギサ:……精々訴えられない事ね。 ナギサ:言っておくけどうちのお抱え弁護士は頼れないから。 アンリ:あはははっ、肝冷えるわぁー。 アンリ:……ま、でも。 アンリ:「ウチはまだ、そーでもナイ」、って思いたいから頑張ってる、ってのが本音かな。 ナギサ:虚業(きょぎょう)よ。 ナギサ:芸能の全てがとは言わないけれど。 ナギサ:その道のプロと比べて技術がある訳でもない。 ナギサ:優れた芸術性がある訳でもない。 ナギサ:お客はそれじゃ、何を観にやってくる訳? ナギサ:若い女性が拙く歌ったり踊ったりしてるのを眺めて、それで何になるの? アンリ:んー……、 ナミヨケ:癒やされるんちゃう? ナミヨケ:やしCD出したり、TV出たりしてんねやったらソコソコは、 ナギサ:(遮り)個々の事例を取り上げて云々する気は無いわ。 ナギサ:業界それ自体がまやかしの産物だと言ってるのよ。 タニマチ:まやかし。 ナギサ:そんな事に費やす時間とお金を、労働や勉強や、もっと有意義な交遊に当てれば。 ナギサ:少しでもマシな人生を送れるんじゃないの。 アンリ:お客の勝手、かな。 アンリ:自分の時間とお金を、何にどれだけ使おうが。 アンリ:それこそさ、薬局で薬買おうが、アイドルのライブ行こーが。 ナギサ:無論、違法でない限り。 ナギサ:全ては商品であって、消費者側の理屈としてはそれで間違ってないわね。 ナギサ:でも貴女たちは、それで良い訳? アンリ:はーて? ナギサ:社会に還元されないじゃない。 ナギサ:食品にしろ医薬品にしろ、あらゆる業界に……、 ナギサ:中抜きや搾取は、勿論横行しているけれど。 ナギサ:それでもある程度は健全に利益を産んで、業界全体が潤う事で、技術の進歩や、製造工程の効率化によって、 アンリ:(遮り、引き継ぎ) アンリ:より質の高い製品をより安く、消費者の元に届けられるようになり。 アンリ:ひいては国民全体の利益、文化度の向上、そしてマーケットそのもののさらなる成長・拡充に繋がる……、 アンリ:んだよね? ナギサ:……初歩の初歩よ。 ナギサ:貴女だって勉強したでしょう。 アンリ:意外と役には立ってるけどね。 アンリ:でェ、私ら場末のショービズ界隈は、その限りではナイ、と。 ナギサ:時として、コストを大きく飛び離れた利益を生む事もあるでしょうよ。 ナギサ:けれどその本質に於いて、中身の無い物を扱う業界じゃない。 ナギサ:後に何の成果も実らず、ただ金銭と貴重な時間を浪費したという結果が残るだけ。 ナギサ:その、言い逃れようのない機会と資本の損失へと、寄る辺のない人々を扇動しておいて。良心の呵責は無い訳? ナギサ:恥を知りなさいよ? ナミヨケ:……お、おう、 アンリ:にゃるほどねェー。 アンリ:うっひひひ。 ナギサ:少なくとも。 ナギサ:私は恥ずかしいわ。 ナギサ:身内からこんな……、 アンリ:本質突いてる雰囲気出してるケド。 アンリ:至極アリガチな、ゲーノー界への一般認識だよね。 ナミヨケ:そもそもヤクザな商売やし、な。 ナミヨケ:ていうかヤクザがやってるし。 アンリ:大手ほど特にね? アンリ:ただソレで言うならさー、 ナギサ:製薬やその他の分野も同じ、と言いたい訳? ナギサ:私にその視座が無いとでも思ってるの? ナギサ:流通にせよ、販売にせよ。 ナギサ:表と裏、両面の力が必要なのは、万事そうじゃない。 アンリ:例えば、田舎街で代議士センセーに選ばれるのにも、ね? ナギサ:……、ええ、南雲(なぐも)のご党首だって、相応の力添えは頂いてきたでしょうよ。 ナギサ:表からも、裏からも。 ナギサ:どこだってそうでしょ、特に地方に於いて、一定の影響力を持ち続ける為には。 アンリ:御多分に漏れず、勿論ウチもね。 ナギサ:ええ、そうよ? ナギサ:そしてお祖母様ほど、その辺りのバランス感覚に長けた人は居なかったわね。 ナギサ:だけど今は……、そんな表層的なクリーンだのダークだのを問題にしてるのでは無いから。 ナギサ:論点をズラさないで。 アンリ:ウシシ、ごめんって。 アンリ:要は結果の話、って事でしょ。 アンリ:アイドルやらライブやらに金落としたって、何にも還ってこないのに、って。 ナギサ:内側の人間が程々に私腹を肥やして、仕事を回し合っているだけでしょう? ナギサ:当たり前よね、従事者やマーケットに還元出来るだけの余剰利益なんて、滅多に上がらないようになってるんだから。 アンリ:流石の推察力。 アンリ:随分前から、業界そのものは大分腐ってるね。 ナギサ:外から冷静に見ているからこそ。 ナギサ:取り込まれて熱に浮かされている人たちには見えないものも見えるのよ。 ナギサ:こんな、少し考えれば猿でも解る、簡単な事。 アンリ:あっはははっ。ウッキぃーっ。 ナギサ:ふざけないで。 ナギサ:……いっつもそう。 アンリ:いやぁー。 アンリ:返す言葉もないおサルは。 アンリ:吠え面かくしかナイねぇ。 0:ず、と啜る。ほ、と息。 アンリ:いっぱい勉強したよね、お互い。 ナギサ:……はぁ? アンリ:でもあんま、無理しない方がイイのかもね。 アンリ:私らドコまで行ったって、田舎のインチキ薬売りの末裔なんだから。 ナギサ:……、 アンリ:「効くか効かじか、いずれも飲んでのお立ち会い」、ってね。 アンリ:正体不明の黒い粉とか、ガマの油って事になってる馬由(まーゆ)とか。 アンリ:往来で口八丁手八丁、声張り上げて飛び跳ねて。 アンリ:アイドルのご先祖サマかな? それこそ。 ナギサ:とうとう頭まで腐ったの? ナギサ:医学薬学の、その歴史もろとも否定しようとでも、 アンリ:プラセボの効果は馬鹿になんないんじゃナイ? アンリ:それこそ現代医療でも、さ。 ナギサ:……、それは、 アンリ:バファリンの半分は優しさで、ってのじゃナイけど。 ナギサ:キャッチコピーでしょ、あれは。 アンリ:「効くはずだ」、「飲んだから大丈夫だ」って信用と安心も、値段の内に含まれてるって事だもんね。 アンリ:具体的には宣伝広告費として。 ナギサ:現代の商業製品のおよそ全てがそうでしょう。 ナギサ:誇大広告の問題は深刻だけれども、それと実態の無い物を価値として売り付ける行為とは、 アンリ:(遮り)区別出来ると思う? 本当に? ナギサ:…………、 アンリ:みんなさ。 アンリ:偶像が必要なんだよ。 アンリ:きっと効くって、信心出来る薬でも。 アンリ:健気に頑張るオンナノコたちでも。 アンリ:今日と明日を生きてく為の、望みを掛けられる何かが。 ナギサ:…………、生きていく為の? アンリ:後に何にも、形が残らなかったとしても。 アンリ:ちょっと可愛いだけの女の子らの、ラジオ聴いたり、ライブ楽しみにしたり。 アンリ:してる間は、生きてられるって。 アンリ:自棄(やけ)になる気持ちを抑えてられるって。 アンリ:そーいうヤツらがちょっとでも居るなら、私らの頑張りは捨てたモンじゃない。 アンリ:コレは、私の信心。 ナギサ:…………。 ナギサ:生き甲斐を。 ナギサ:選ぶ余地の無い連中は、哀れだわ。 アンリ:それでもイイんだよ。寄る辺なんて、何でも。 アンリ:そーね……、カジュアルに、仏像みたいなモンと思ってよ。 アンリ:現代のお地蔵さんだと思ってるからね、私は。 タニマチ:お地蔵さん……、 アンリ:あははっ、ちゃんと6人いるんだよソレがっ。 タニマチ:『少女ラッピング』? アンリ:そーそー。 アンリ:あ、実家のさ、墓のそばのさ、古ぅい六地蔵サマの、横に並んで遊ぶの好きだったよね? ナギサ:…………覚えて、ないわ。 アンリ:ふっふっふ。 0:一口、含み。 アンリ:ま……、とか何だかんだ。 アンリ:尤もらしく言ってるけど、ホントのトコは、面白いからやってんだけどね。 ナギサ:面白い? アンリ:ヤバくてダルい修羅場も多いけど。 アンリ:……概算組んで、会議通して、予算ブン取って。 アンリ:会場決めて、スタッフ集めて、何から何までスケジューリングして。 アンリ:全部、全員、社員もスタッフも出演者もコーチも、1つ1つ形が違ってさ。 アンリ:ウゴウゴしてんのを、パズルみたいに組み合わせて。 アンリ:毎回ややっこしー諸々ブチ抜いて、本番でパァっ……、とさ。 アンリ:一瞬、透明で、綺麗な時間が来る時があるんだよ。 0:フ、と、視線が宙に浮く。 アンリ:その時はさぁ、トータルの収支とか、コレを何の為にやってる、とか。 アンリ:一瞬、どーでも良くなって。 アンリ:面白ぇーなー、ヤぁメらんねーなぁー、って、純粋に思うよね。 ナギサ:…………、意味がわからないわ。 ナギサ:疲労から来る多幸感を、達成感や全能感と誤認してるだけじゃないの。 ナギサ:脳内麻薬に支配されているのよ。 アンリ:そーとも言う、かな。 アンリ:でもニンジンとしちゃ十分だよ。 アンリ:ヒヒィーーンっ、と。ひひ。 ナギサ:…………。 ナギサ:それらのタスクをこなすだけの能力も、ノウハウも。 ナギサ:今のようなところで腐らせて置いて良いものではないわ。 アンリ:ま、培われたのは主に大学の飲みサーで会計やってた時だけどねー? ナミヨケ:うぅわ、そーゆー系かいコイツ……。 アンリ:……前からずっと言ってるけど、さ。 アンリ:たまたま、グーゼン。 アンリ:私にはココの、この場所、だったんだよ。 アンリ:製薬会社の本社ビルの、キュークツな白い部屋じゃなくて、さ。 ナギサ:…………、 アンリ:ナっちゃんは? ナギサ:……、何? アンリ:面白い? 今。 ナギサ:…………、 ナギサ:私、は、 ナミヨケ:……、 0:男性常連客はズズ、と啜り、フ、と息を吐く。 ナミヨケ:ほんで。順調に主語がデカくなって来とるけどもやな。 ナミヨケ:芸能と製薬のどっちがどう、とか。 ナミヨケ:今日のココで済むハナシやナイとして。 アンリ:あっはは。ヒマな飲み屋にゃ、ある意味ウッテツケの肴(さかな)だけどねー。 ナギサ:……馬鹿にしてるわ。 ナギサ:良いわよ私は。 ナギサ:とことんやり合っても、 ナミヨケ:前置きでボルテージ上げすぎんと。 ナミヨケ:チャッチャと本題行ったらエエんとちゃうか。 アンリ:ま、姉妹でディベートやるつもりで呼んだんでもナイしね。 ナギサ:……貴女が勿体ぶるからじゃない。 ナギサ:何なの? 今日のこれは一体。 アンリ:うん。ごめんよ。 0:一口含み、口を湿らせ。 アンリ:……まー、つまりね。 アンリ:単刀直入に言っちゃうと、 0:僅かに決意を滲ませ、 アンリ:戻る気は無い、って事。 アンリ:ナっちゃんには悪いケド。 ナギサ:…………。 ナギサ:何度となく聞いたわ。 ナギサ:はいそうなのと、引き下がれる領域では最早ない事ぐらい貴女にも、 アンリ:(遮り)それでね。 アンリ:ナっちゃんにしてあげられる事も、もう無いんだ。 ナギサ:……っ、 アンリ:ダメなお姉ちゃんでゴメンね。 ナギサ:私に、してあげられる事? ナギサ:話が見えないわね。 アンリ:私もどっかでさぁ。 アンリ:時間が解決してくれるかなーとか、のらくらしてた節もあるんだけど。 アンリ:でも、いい加減、待たせ過ぎかな、って思って。 ナギサ:……、今までと何が、 アンリ:マサヒトくんに会って来た。 0:静寂。真なる凪。 ナギサ:……っ! なっ、え!? ナミヨケ:ちょぉっ! きっちり爆弾仕込んで来とるやないかい! アンリ:あひゃひゃー。 アンリ:昼下りのカフェで元カレとお茶とかさ。 アンリ:大人っぽいよね? ナギサ:どういう事……、まさか南雲のお屋敷まで、 アンリ:まっさかぁ。アノ村にゃなるだけ近寄りたくナイし。 アンリ:顔見て話したきゃ出てコイっつって、市内まで呼び出した。 ナギサ:静岡市内まで……? ナギサ:マサヒトさんを……? アンリ:駅前だいぶ変わったよねー。 アンリ:で結構ノコノコ来たよ、車で。 アンリ:こーいう時だけ腰軽いんだよね、昔から。 ナギサ:…………、 アンリ:で何かさー、太ったとかじゃないけど、ちょいおっさん体型になってない? アンリ:ガタイがちょっとさー……、 タニマチ:貫禄が付いたって言うんじゃないスか。 アンリ:しししっ。ま、30代の現実ってやつかね。明日は我が身だけど。 アンリ:ね? ナミヨケちゃん。 ナミヨケ:確かに二十歳(はたち)そこそこと比べたら若干やけど代謝が……、 ナミヨケ:ってそんなんはエエやろ今は。 ナギサ:……どういう了見かしら。 ナギサ:妹の婚約者(フィアンセ)と。 アンリ:私からしたら元カレだもん。 アンリ:だし……、将来は義理の弟だもんね。 アンリ:あひゃ、わっらえるぅー。 ナギサ:……っ、ふざけて、 アンリ:キッチリやろうぜお互い、ってね。 アンリ:ま、言いに行ったワケよ。 タニマチ:きっちり? アンリ:田舎モンの習慣でさ。 アンリ:私もアイツも、ハッキリ言わずに、成り行き任せなトコあって。 アンリ:でもソレが良くなかった、ね。 ナギサ:…………、 アンリ:私は何がどーなろうと、家には戻らないし。 アンリ:安里と南雲のどーたらに関わる事も一生無い。 アンリ:脅しにも乗らないし、死んだって、最後まで闘ってやる。 ナギサ:そんな、風な、 アンリ:勿論。根性無しの、妥協が特技の親父に、そんな元気もやる気も、もう無いのは知ってるよ。 アンリ:ただ自分の、覚悟の話。 ナギサ:…………、 アンリ:で。マサヒトくんはマサヒトくんで。 アンリ:結婚するんだったらナっちゃんと。 アンリ:それ以外の可能性は考えない。 アンリ:両人が納得尽くの入籍にならない場合、縁談自体を白紙に戻す。 アンリ:って。言質(げんち)取った。 ナギサ:……っ、何を勝手な!! アンリ:当たり前の事だよ。 アンリ:で……、私が出来るのはここまで。 アンリ:こっから先は、当事者同士の話。 ナギサ:当事者ですって……? ナギサ:他人事? 元はと言えば貴女の、 アンリ:私がコレの当事者だったコトなんて一度も無いよ。 アンリ:高校時代の2年間、付き合ってただけ。 アンリ:家も婚約もカンケー無く。 アンリ:そん時は好きだったから、ね。 ナギサ:…………。 アンリ:今は元カレその2、ってだけだね。 アンリ:久々に喋ったら、しょーもないなりに、話聞こうと出来るヤツにはなってたけど。 タニマチ:「その2」? アンリ:歴代2人目って事。 タニマチ:あー。 0:女性客は微かに震えている。 ナギサ:……私と、マサヒトさんで。 ナギサ:何を話せって言うのよ? アンリ:いっぱい、いっぱい。 アンリ:ソレこそ語り尽くせないぐらいでしょ。 アンリ:「結婚すんの、しないの?」って瀬戸際に、一緒に立ってる2人なんだから。 ナギサ:マサヒトさんの眼は私を見てなんかいない。 ナギサ:言ったじゃない、この間。 アンリ:関係無いよ。 アンリ:結婚なんてタダの法律なんだから。 アンリ:愛してるとかホントのキモチとか、そんなウェットなモンじゃナイでしょ。 ナギサ:逃げ出した人間が! ナギサ:知った風な口をっ! アンリ:ホントに愛してくれるヒトと結婚したいなら。 アンリ:今すぐヤメれば良いよ。 アンリ:マサヒトくんと話してさ。 ナギサ:それがっ……、出来れば、 アンリ:出来るよーにしてきた、から。 アンリ:こないだ。 ナギサ:……っ、 アンリ:私らもう、誰もコドモじゃなくなっちゃったから、さ。 アンリ:「我儘は叶わないね」、って。 アンリ:アイツも笑ってたよ。 ナギサ:わがまま……? アンリ:家の為に結婚はしなきゃだけどホントに好きな相手が良い、とか。 アンリ:窮屈が嫌で逃げ出したけど、家の金には頼りたい、とか。 アンリ:傾いた家をもり立てたいけど、自分を一番に愛してほしい、とか。 ナギサ:私がいつ! 自分を一番になんて、 アンリ:(遮り)両方は叶わない。 アンリ:どっちかを諦めるか、全部ぶっちゃけて、次を探すか。 ナギサ:…………貴女のように、逃げ出して? アンリ:そのやり方を選ぶ自由が、今の私たちにはあるよ。 アンリ:「未来は僕等の手の中」、ってね。 ナギサ:……、…………、 ナミヨケ:……ブルハか。懐かし。 アンリ:おっ。好きなんだよねー、おっさん趣味だけど。 ナミヨケ:オールタイムやろもう。 ナミヨケ:ツレからMD借りて聞いとったわー……。 アンリ:MD! あははっ、タニマチくんMDって知ってる? タニマチ:や、正直ちょい上の人らの時のモンっつーか……、 アンリ:だよねー。私らも順調におっさんおばはん秒読みよー。 ナギサ:……好き勝手に言い散らして。 ナギサ:当人同士の意向では何も変えられない事ぐらい、貴女にも判ってるでしょうが。 ナギサ:故郷の、あの村の力学と柵(しがらみ)の強固さに、絡め取られずに居られる訳が、 アンリ:南雲のジジイもーじき死ぬらしいじゃん。 ナギサ:…………っ、そ、れ、 アンリ:トバリくんに聞いた。 アンリ:し、マサヒトくんも隠さなかったよ。 0:ズ、と啜る。 アンリ:……結局さ。田舎だろーが時代は変わって。 アンリ:ゆっくりだけど世代交代してってるじゃん。 ナミヨケ:……ソレはあるな。 ナミヨケ:なんぼ元気なジジババかて不死身とちゃうし。 アンリ:マサヒトくんパパはジジイ過ぎて、死ぬまでもう、ワカンナイだろーケド。 アンリ:ウチの親父やバカ叔父ちゃん連中すら、その上の代に比べたら家やら格式やらに執心してるワケじゃナイし。 アンリ:むしろどーやって風通してイイのか、古いアタマで四苦八苦してるじゃん? ナギサ:だから、私だって……、こうして首都圏くんだりまで足繁く、 アンリ:通(かよ)ってるんだもんね? アンリ:……だからさ。 0:風が、吹くような気配。 アンリ:好きにしたら良いよ。 アンリ:ナっちゃんにはその権利、あるよ。 ナギサ:…………、…………。 0:しかして、水面は未だ、波立たず。 アンリ:私は言いたい事、言った。 アンリ:昔と一緒で、ナっちゃんに聞いてほしい話、したいようにした。 0:女性客は黙っている。 アンリ:(一転、崩し) アンリ:さって、飲もっかなぁー、そろそろ。 タニマチ:おっ、はい、 ナミヨケ:……ええんかい。 ナミヨケ:置き去りやんけ、妹。 アンリ:良いのさ。 アンリ:……自分の勝手気ままに、赦しの言葉を貰おーなんて。 アンリ:そんな虫のイイ事、思わないのさ。 ナミヨケ:逃げたモンの意地、か? ナミヨケ:……わからいでもナイけど。 ナギサ:…………。 ナギサ:「置き去り」……。 タニマチ:えっと。んじゃ、何しましょっかね。 アンリ:チンザノ。赤ー。 タニマチ:あい、あい。 ナミヨケ:しか飲まへんの? ココでは。 アンリ:やー? バーボンとかも行くけど。 アンリ:なんかあんまり置いてナイんだよね、ヨソで。 タニマチ:ベルモットね、いま全然流行ってはナイんでね。 タニマチ:BARには大概あるスけど……。 タニマチ:あ、ソーダ割りで? アンリ:んーとね。 アンリ:ナっちゃんはどーする? アンリ:たまには赤い方イくぅ? ナギサ:…………、嫌よ。 ナギサ:お祖母様も、貴女も……、 ナギサ:よくそんな、薬臭い上に、甘ったるい味の物を……、 アンリ:ソコが癖になるんだけどなー。 アンリ:あと、それにね、 0:スツールをギ、と鳴らし、姉は妹に向き直る。 アンリ:バアちゃんは赤い方と白い方、混ぜて飲んでたんだよ。 ナギサ:……、……、 アンリ:気分でどっちかの時もあったけど。 アンリ:赤だけだと甘いけど荒すぎるし、白だけでも、上品だけど険が立つから、って。 アンリ:2つ混ぜるのがちょうどイイ、ってさ。 タニマチ:あーー。それね。 ナギサ:…………、 ナギサ:へえ。そうなの。 0:女性客の面持ちからは波が失せ、凪の水面(みなも)。 ナギサ:……私ね。 ナギサ:悪いけど全然知らないのよ。 ナギサ:そういうの。 アンリ:……、ナっちゃん、 ナギサ:お祖母様にお呼ばれするのは、いつも貴女。 ナギサ:私は時たま、貴女に着いて、入室を許されていただけ。 アンリ:私は呼ばれて行ってた訳じゃないよ。 アンリ:ただバアちゃんの部屋が面白くて、居心地良くて。 アンリ:入り浸ってただけ。 ナギサ:跡継ぎとしての薫陶(くんとう)を受けていたということでしょう? ナギサ:今にして思えば。 アンリ:違うね、きっと。 アンリ:違うよ。 ナギサ:土台、おかしな話なのよ。 ナギサ:貴女が居なくなって、私が残るだなんて。 ナギサ:……おかしいわ、だって、変だもの。 ナギサ:皆、そう思っていて、それで、当たり前。 アンリ:…………、 ナギサ:双子、なのに。 ナギサ:どういう訳か、替わりにもなれない、出来損ないの私が、 アンリ:人は人の替わりになんてなれないよ。 ナギサ:……判ってる、わ。 ナギサ:だから、貴女を支えて、補える、ように。 ナギサ:貴女が跡継ぎの役目を全う出来るように、守って、助けられる、ように。 ナギサ:私、本当に、本当に頑張ったんだから。 アンリ:……、知ってる、よ。 ナギサ:小さい頃から、お父さんにも、お母さんからも、ずっとそう、言われて来たのよ。 ナギサ:それがお前のお役目で、運命、なのだから。 ナギサ:心して努めなさい、って。 アンリ:…………、だからクソで、イヤなんだよ、アイツら。 ナギサ:中学の頃に、お祖母様からも、言われたわ。 ナギサ:珍しく、本当に珍しく、お呼びがかかって。 ナギサ:あの、一族の歴史が堆(うずたか)く凝(こご)って、息を詰めてしまいそうな、お祖母様のお座敷で。 アンリ:……そんな風に、 ナギサ:そうよ? 入り慣れていなかったから。貴女と違って。 アンリ:……、 ナギサ:才気溢れるかわりに、移り気で、風に吹かれてしまい易い、貴女を。 ナギサ:冷静に、沈着に、時には手綱を引いて、繋ぎ止めてやってくれ、って。 アンリ:……、それは、 ナギサ:わかるでしょう? ナギサ:くっついて生まれて来た余り物に、期待されたのは精々が、その程度、なんだから。 ナギサ:そして……、不吉な、風を止ませる「凪(なぎ)」の字(あざ)を付けられた私が。 ナギサ:私が、貴女を差し置いて。 ナギサ:私が、お祖母様の真似事だなんて、 ナギサ:誰が、一体、どこの、誰が……、 アンリ:(強く遮り) アンリ:違うんだよ。ナっちゃん。 0:静寂。 アンリ:……バアちゃんが言ってた事を。 アンリ:私がバアちゃんから、病室で聞いた話を、聞いてよ、ナっちゃん。 ナギサ:…………、 0:風は吹く時を待っている。 アンリ:バアちゃんは海、好きだったよね。 アンリ:墓の近くの、あの崖から、ずっと海を、見てるのが好きだった。 ナギサ:…………。 アンリ:風に、嵐に吹かれて荒れた海も好き。 アンリ:風が止んで、一時(いっとき)の静かな、凪の海も好き。 アンリ:波が色んな物を運んで来て、そしてそれが、海に馴染む時間があって。 アンリ:両方が無ければ、水も何もかも、上手く巡って行かないモンだって。 アンリ:ご先祖様が言ってるみたいだって。 アンリ:言ってたよ、ね。 ナギサ:…………、覚えて、 アンリ:覚えてるよ。一緒に、居たから。 ナギサ:…………、 アンリ:だから。ずっとそう、思ってたから、2人で生まれて来た私たちに、「風」と「凪」の字を、付けたんだ、って。 アンリ:どっちかが走り過ぎたら、引き止めて。 アンリ:どっちかの足が止まれば、背を押して。 アンリ:助け合って、生きていけたら良い、って、さ。 アンリ:内緒で持ってったチンザノ飲みながら、言ってた。 ナギサ:…………。 ナギサ:病床のお祖母様に。 ナギサ:飲ませたの? 貴女。 アンリ:いやー、どーしても死ぬまでに1回、て言うからさ、LINEで。 ナミヨケ:LINEでかい。 アンリ:凄かったんだよ、スマホもいち早く手に入れてたし。 アンリ:……わざわざチンザノ、赤と白と買ってさ、ペットボトルで混ぜて持ち込んだ。 ナギサ:…………、 アンリ:「やっぱり美味い、コレだわ」って言って。 アンリ:風と凪でも、赤と、白でも。 アンリ:足して、混ぜたぐらいが、ちょうどイイ、って言ってさ。 アンリ:飲んでたよ。 ナギサ:…………。 ナギサ:そう。 0:カチャリ、と眼鏡を整える。 ナギサ:なら……、それなら貴女。 ナギサ:やっぱり、お祖母様に合わせる顔なんて、無いじゃない。 アンリ:……そう、かな。 ナギサ:そうよ。 0:凪いだ水面に波は立たず。 ナギサ:助け合って、補い合って、 ナギサ:……手を繋いで、生きて行く事がお祖母様の望みなら。 ナギサ:貴女は一体どこに居たの? ナギサ:私が、苦しい時に。 アンリ:…………、 ナギサ:都会の大学から、遂に貴女が帰って来ないつもりらしいと、判った時。 ナギサ:高校卒業の時点で、マサヒトさんと切れている、と、発覚した時。 ナギサ:南雲のお屋敷に詫び状を持って行く時、 ナギサ:私が、よりによって私が、貴女の替わりを務めなければならないと、決まった時。 ナギサ:……平静で居られる訳、ないじゃない。 ナギサ:してやったり、と、私がほくそ笑んでいるとでも思った? アンリ:思うワケ無い。 ナギサ:ずっと、ずっと決めていたじゃない。 ナギサ:貴女は善果を呼び込む風として、南雲と縁を結んで。 ナギサ:私は安里の女として、貴女を支え、守って行く、って。 ナギサ:そうやって、2人で、一緒に、この世界に居場所を作って行こう、って、ずっと、昔から……、 アンリ:ナっちゃん、 ナギサ:どこへも行かない、って。 ナギサ:子供の頃の約束1つ、守れない、癖に。 ナギサ:偉そうに、馬鹿にして、 アンリ:仕方ないよ。 アンリ:もう大人に、なっちゃったから。 ナギサ:…………、 アンリ:乗りたい風に乗って、行きたいトコへ行くよ。 アンリ:部屋で本ばっかり読んでた私に、ナっちゃんが教えてくれたみたいに。 ナギサ:…………、私、が? アンリ:ホントにちっちゃい時だよ。 アンリ:庭や、田んぼや、山の中……、 アンリ:部屋の外には、面白い物が沢山あるんだから、って。 アンリ:着いて来て、って。 アンリ:引っ張ってってくれた。 ナギサ:…………、 アンリ:ナっちゃんの言う通りだったよ。 ナギサ:……、何なの、それ……、 アンリ:でもさ、ナっちゃん。 0:姉は妹をまっすぐ見詰める。 アンリ:どこに行っても、見えなく、なってても。 アンリ:手を繋いで、なくても。 0:微かに風は立ち、 アンリ:私は、ここにいるから。 ナギサ:……、 アンリ:電話、してよ。 アンリ:弱気な時は、さ。 0:水面が揺れる兆しは、あるか、否か。 ナギサ:…………、 ナギサ:それで…………、 ナギサ:譲歩した、つもりな訳、ね。 0:女性客は脱力する。 ナギサ:…………はぁ……。馬鹿馬鹿しい。 0:ふう、と、肩の強張りを抜くように、息を吐く。 ナギサ:とんだ徒労だわ……、今日の私。 アンリ:お……、そー? ナギサ:そう、よ。 ナギサ:マッサージの予約キャンセルしてきたのよ。 ナギサ:ケアに当てる日のつもりだったのに。 アンリ:あはは。お酒飲んでリフレッシュってのも偶にはイイっしょ。 ナギサ:相手によるわよ。 ナギサ:……別に飲みたいものなんて、 タニマチ:(遮り)あっ! あ、じゃー、じゃーですねェっ、 0:店員は満を持して、という調子。 ナミヨケ:なんやねん、急に。 タニマチ:や、よーやく隙見つけたと思って。 タニマチ:あのー、さっきの、チンザノ赤と白、混ぜて飲んでったていうお話……、 アンリ:バアちゃんがねー。 タニマチ:実はそれだけでも『ハーフ&ハーフ』っていうカクテルなんスけど、それを更にジンジャーで割ったヤツがあってですね、ソレとかどーかなー、と、 アンリ:へぇー、混ぜたヤツを更に割るんだ。 アンリ:ソレ、行こっかな。 アンリ:ナっちゃんもソレにすればぁ? ナギサ:……もう何でも。今日は疲れた。 アンリ:んじゃ、2つー。 タニマチ:かしこまりましたっス。 0:店員は作業にかかる。女性客は緩慢にスマートフォンを取り出し、通知を確認。 ナミヨケ:…………、 ナミヨケ:え。 ナミヨケ:ほんで、どーすん、結局。 アンリ:ナニがぁ? ナミヨケ:家の事とか。結婚すんのはどっちやねん、とか。 アンリ:どっちが、っていうかァ。 アンリ:私がする訳ナイっしょ。 ナギサ:話の展開を聞いてなかったの? ナギサ:要は何一つ、変化も進展もしていないのよ。 ナギサ:……無駄骨。時間の浪費。 アンリ:(擦り寄り、ボディタッチ) アンリ:まーまー、判ってた事じゃぁーんっ、うりうりっ。 ナギサ:(振り払い)もうっ。 ナギサ:……今度ほっぺたツツいたら絶縁するから。 アンリ:おお? いいの? ナギサ:……言葉の綾よ。 0:風を受け、凪の海は、なだらかにも揺れている。 ナミヨケ:……まー……、 ナミヨケ:時間かけて決めるのんに越した事ナイけどもやな。 アンリ:その辺は体内時計が田舎モンなんだよね、私ら。 ナミヨケ:わかるわー。イラんけどな。 0:店員は手早く作業を進める。赤と白、両方を注いだグラスを軽くステア。氷を沈め、冷えたジンジャーエールで満たしたところ。 タニマチ:よ、っしょ……、おし、 タニマチ:(ステアし終え) タニマチ:っしゃ、出来ました、ので、 0:コースターをもう1枚ずつ、姉と、妹の前に。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:あい、あい、お待たせしましたァー。 タニマチ:『クロンダイク・ハイボール』ですゥー。 0:薄赤く、泡立つ琥珀のグラスが、2つ並ぶ。 アンリ:やほー、来た来たっと。 アンリ:子供用の風邪シロップじゃん、色。 ナミヨケ:苦甘ァいヤツな。 タニマチ:言い方よ。 タニマチ:(女性客に向き直り) タニマチ:……、どーぞ、っス。 ナギサ:…………。どうも。 ナギサ:(小声)……赤と白を混ぜたから、って。 ナギサ:気の利かせ方がズレてるわね、貴方。 タニマチ:(小声)バーテンはね、やりたいモンなんス、こーいうの……。 ナギサ:…………、 ナギサ:ありがとう。 アンリ:何ナニィーっ!? アンリ:2人でコソコソ、何なのさーっ!? タニマチ:何でも何でもっ。 タニマチ:あの、折角っスから、乾杯してくださいよ、コレ。 アンリ:おっ、そーだねーっ! アンリ:作ってくれたバーテンさんに言われちゃァーしょーがないっ、 アンリ:今日のトコは折れちゃーくれませんかねェ、ナギサ専務ー。 ナギサ:……別に。大袈裟なのよ。 ナギサ:乾杯ぐらい。 アンリ:おおっ、マぁジでぇーーっ!? 0:姉と妹は、グラスを持つ。 ナギサ:……それで。 ナギサ:何に乾杯するのよ。 アンリ:あー、何でもイイんだけどさー、んー、 ナミヨケ:将来に、でエエんちゃうか。 ナミヨケ:ちょっとでもマシな方へ、進みたいんやったら。 ナギサ:……、将来、 アンリ:ってなんか所帯じみた響きでヤーダなー。 ナミヨケ:あ、そう。 アンリ:じゃ、さ。もっと広く取って。 アンリ:「未来に」、でイイじゃんね。 タニマチ:未来。おお。 ナミヨケ:何でもエエ何でもエエ。 ナミヨケ:まじないやし、こんなモンは。 アンリ:ふふ。 0:女性常連客はグラスを掲げる。 アンリ:さ、じゃ、ナっちゃん。 ナギサ:……現金。羨ましいこと。 0:女性客も応じ、グラスを浮かせる。 アンリ:今後ともヨロシク。 ナギサ:……こちらこそ。諦めないから。 アンリ:あひゃひゃ。 アンリ:じゃ。私らの、手の中の未来に。 アンリ:……乾杯。 0:静かに、控えめなグラスの交錯。高い音は美しく響く。 アンリ:(一口含み) アンリ:んっ、なるほどォー。 アンリ:ま、フツーに飲みやすいね。 タニマチ:甘いしね。 タニマチ:……どう、スかね、お味。 0:こくり、と飲み下した女性客に、各人の眼が、何ともなしに集まる。 ナギサ:……どうも何も。 ナギサ:相変わらず薬臭くて……、 ナギサ:……甘ったるいのは、 ナギサ:少しマシ、 ナギサ:かもね。 0:細かな泡が弾け、グラスの水面は僅かに波打って見えた。 0:暗転。 0:タニマチにスポット。 タニマチ:【本日のカクテルレシピ】 タニマチ:『クロンダイク・ハイボール』。 タニマチ:■ドライベルモット 25ml タニマチ:■スイートベルモット 25ml タニマチ:■レモン果汁 1tsp(ティースプーン) タニマチ:以上をタンブラーにて念入りにステア。氷を沈め、冷えたジンジャーエールで満たし、 タニマチ:……ほどよく混ぜ合わせて、サーブ。 0:【終】

0:ブザー音。 0:【再開】 タニマチ:フラッシュ・バック。 アンリ:「こころをば なににたとえん アンリ:こころはあじさいの花 アンリ:ももいろに咲く日はあれど アンリ:うすむらさきの思い出ばかりはせんなくて。」 : 0:(以下、童女の頃の声音) アンリ:「じゃあ、わたしと、ナっちゃんの2人なら……、」 ナギサ:「2人……? マサヒトくんのおよめさんになれるのは、1人よ。わたしが、ぜったい、」 アンリ:「マサヒトくんはかんけいないよぉ。おバアちゃん、こないだ、言ってたでしょ。」 ナギサ:「おばあさまが? なんて?」 アンリ:「お家が、どうなっても、お父さんや、しんせきのみんなが、なにを言っても、」 ナギサ:「うん。」 アンリ:「おまえたち2人だけは、たすけあって、手をつないで、いきて行くんだよ、って。」 ナギサ:「じゃあ……、フーちゃん、ずっといっしょに、いてくれるの?」 アンリ:「うん。いっしょだよ。」 ナギサ:「もうどこへも、行っちゃわない? いなく、ならない?」 アンリ:「どこかへ、行くときは……、」 ナギサ:「うん、」 アンリ:「2人いっしょに。やくそく。」 : ナギサ:「こころは二人の旅びと ナギサ:されど道づれのたえて物言うことなければ ナギサ:わがこころはいつも かくさびしきなり。」 0:タイトルコール。 タニマチ:『凪と嵐のクロンダイク・ハイボール』 タニマチ:只今より、後編をお送り致します。 0:【間】 タニマチ:【21時15分】。 0:とあるバーの店内。女性客はソファで眠りに落ち、巨躯の男性客は一杯目を飲み干した所。どこまでも黒い、夜の山のような気配が滲む。 トバリ:……頼んでも、良いかね。 タニマチ:あ……、あ、はい。 タニマチ:何、しましょっかね、 トバリ:ジンを。ロックで。 タニマチ:えっと……、今は「タンカレー」か「ボンベイ」しか、 トバリ:タンカレーで良い。 タニマチ:うっス。うい。 0:店員は作業にかかる。冷凍庫から、冷やされた深緑のボトル。 トバリ:……態度に付いちゃ、気にしないでくれよ。 タニマチ:あ、えっと、随分さっきと……、 トバリ:偶の出張、お姫(ひい)さんが寝こけてる間ぐらいは、羽根を伸ばしてェもんでよ。 タニマチ:や……、俺は全然。 タニマチ:起きちゃわない、っスかね? 0:店員は無骨なロックグラスに氷を満たしながら、ソファを見やる。 トバリ:別に聞かれたって構やしねェが。 トバリ:ああして寝入った時ァ……、そうそう目覚めやしねェ。 タニマチ:お仕事でだいぶ……、 トバリ:得意でもねェ事を、気張ってやってなさるからよ。 トバリ:居た堪れない気分だぜ、へへ。 タニマチ:そっスか……、 0:冷えたジンをグラスに注ぎ、数回のステア。独特の甘い香り。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:おまたせしましたっス。 トバリ:おう。 0:節くれ立った巨大な掌でグラスを掴み、無頼に流し込む。 トバリ:ふゥ。 トバリ:……ジンは、流行ってるなァ、今。 タニマチ:あー。クラフトジンとかがね、結構世界的に……。 タニマチ:ウチは全然、乗っかれてないスけど。 0:グイ、ともう一口。氷がガラリと呻く。 タニマチ:……あの、 トバリ:んン? タニマチ:ぶっちゃけ、ていうか、その……、 トバリ:召使いの眼ェから見て、か? タニマチ:……まあ、その、 トバリ:部外者(あんた)の見立てと同じよ。 トバリ:身内がどう、喚いた所で……、 トバリ:今更ひっくり返るモンでもねェ。 トバリ:何もかも、な。 タニマチ:アンリさん……、あ、お姉さんは多分、 トバリ:どうあっても戻る気は無いし、土台、南雲(なぐも)の坊(ぼん)への未練もねェ。 トバリ:へへ、今ァすっかり、あの優男とヨロシクやってるし、な? タニマチ:あー……、じゃ、彼氏さんの事も、 トバリ:知らん訳ァねェわな。 トバリ:こっちにゃ馴染みの興信所もありゃ、動いてる人間も居る。 トバリ:そもそもよ、 タニマチ:はい、 トバリ:あの女が安里(あんり)の家を出たのはもう6年……、いや、実質大学に入った時点からだから、10年も前だ。 タニマチ:そー、なるっスよね、 トバリ:一族の中で未だに……、「風」だの「凪」だのに拘って、姉貴の帰りを、泣くの堪えて待ち焦がれてんのは……、 トバリ:そこの、可哀想な妹君だけで、よ。へ、へ。 0:無遠慮に指指し、笑う。グイと一口。 トバリ:俺は面白ェから、近くで眺めてるがな。 タニマチ:面白い、スか。 トバリ:あァ。 トバリ:本当は何もかも嫌で、逃げ出したくて堪らねェ癖に……、意地だけでお役目だの、ありもしねェ責任だのに齧り付いて、眉間にシワ寄せてやつれていく女を見てるのは、な。 タニマチ:お、おう……、 トバリ:クダらねえ下男(げなん)人生の、せめてもの慰みよ。は、は。 0:昏く、楽しげに、一口啜る。 タニマチ:じゃ、ホントに代々、お家に……、 トバリ:さっきも言ったが、百何十年も前、およそ家系図を遡れる限り、な。 トバリ:田舎ってのァ笑えるぜ、大昔の家の、上だの下だのが、そのまんま今と地続きで。 トバリ:お陰でこの有り様よ、俺も、そこの女も。 タニマチ:……お兄さんは、逃げたい、とか思った事、 トバリ:無い、な。 トバリ:親方の安里に逆らいさえしなきゃ、死ぬまで食い扶持にゃ困らねェ。 トバリ:それに、 0:グイ、と呷る。 トバリ:ゆるゆる腐ってく、古い家ってのを内から見てんのも……、なかなか乙なモンだぜ。 タニマチ:んー……。 タニマチ:映画とかじゃ、よくある感じっスけどねェ。 タニマチ:連続殺人事件とか、起こる感じの。 トバリ:へ、はは。屋敷も風景も、ロケ地としちゃ、まさに適任だがよ……。 トバリ:死ぬだ殺すだおっ始まる程の覇気は、今やお家(いえ)のどこにも、残っちゃいねェ。 タニマチ:手遅れ、的な。 トバリ:言ってやってくれよォ、お嬢様が起きたら。 タニマチ:嫌っスよ絶対。 トバリ:……一家伝来の「風甚散(ふうじんさん)」が、痛み止めやらトンプクの殿様と云われたのも今は昔。 トバリ:大昔の威光に縋ってプライドだけはいっちょ前の、ドコの田舎にもある情けねェファミリー企業に成り下がっちまって。 タニマチ:ボロカスっスね。 タニマチ:ちょ、ヒヤヒヤするわ……、 トバリ:起きねェよ、よく眠ってら。 タニマチ:……、それは、つまり結局、ご両親含めた、皆さんの総意っていうか、 トバリ:大方の、な。 トバリ:今のご当主サマは、古いばかりで厄介な安里の看板を、とっとと畳みたがってるし……、 タニマチ:お二人のお母さん、 トバリ:いやァ、父親だよ。婿養子の。 タニマチ:あ、そーなんスか。 タニマチ:代々女性が継ぐとかじゃなく、 トバリ:先代サマは特別でよ。 トバリ:当主の入婿が早くに死んで、家督が宙ぶらりんになり……、 トバリ:1人娘が婿を取って、当代に替わってからも、それこそ倒れる直前まで、あのバアさんが……、 タニマチ:あ、それで実質的な当主、か。なるほど。 トバリ:は。経営者としても、家長としても……、大食らいの狐と狸を、足して二で割ったような化けモンじみたバアさんだったが。 トバリ:後が、続かなかった。 タニマチ:時代の流れに乗れなかった、みたいな、 トバリ:舵取りが倒れて、流れに任せた結果、だよ。 トバリ:さっさと逃げたあの女は賢いさ。 トバリ:面白くはねェが、な。 0:ぐい、と呷る。氷が擦れる音。 タニマチ:面白くないスか、アンリさん。 トバリ:都会じゃァウケるのかもしれんが。 トバリ:あの女は昔から、面白ェモンを、追っかける側の人間だ。 トバリ:俺と同じで、な。 タニマチ:あー、あー……。 トバリ:引き際と、切り捨て時を知ってるからな。 トバリ:……妹が期待するような、風を呼び込む人種じゃァねェのよ。元来な。 タニマチ:んーーー…………。 0:何とは無しに、店員はソファに横たわる女性客を見やる。寝顔は穏やかに、凪いでいる様子。 タニマチ:……どんな、感じだったんスかね。 タニマチ:お二人。 トバリ:ガキの頃、か。 タニマチ:なんか、少なくともお姉さんの方は、今とイメージ違ったみたいな事をこないだ……、 トバリ:……俺に言わせりゃァ。 トバリ:今となァんにも、変わらねェが、な。 0:ぐい、と呷る。高濃度の酒は残り僅か。 トバリ:気の向くまま、何処へでもふらっと消えちまう姉貴を……、 トバリ:気丈な振りして泣くの堪えて、……いや、隠れて泣いて待ってるような、哀れな妹。 タニマチ:…………。 トバリ:俺ァソレを、そばで見てんのが好きだったね。 トバリ:面白ェなァ、堪んねェなァ、ってな? タニマチ:……えっ、と、 トバリ:精々楽しみが続くように。 トバリ:死んじまわねェようにだけ、見てるがよ。 トバリ:へ、へ、は、は。 0:がぶりと飲み干す。グラスは空。 タニマチ:……趣味、エグいっスね。 トバリ:田舎モンだからよ。 0:暗転。 : 0:【間】 タニマチ:【22時17分】。 0:アラームが鳴り、女性客は緩慢に覚醒。男性客のネクタイは整い、調子は、元の通り。会計は済んでいる。 ナギサ:……嫌な夢を見たわ。 タニマチ:どんな? ナギサ:……さあ。 ナギサ:口ばかりの、嘘つきの、夢。 0:女性客はカチャリ、と、細ぶちの眼鏡を指で整える。 トバリ:お嬢様、お水を。 ナギサ:(受け取り) ナギサ:……寒い。暖房付いてるの? タニマチ:あ、ちょっと前に。 タニマチ:ボロくて、エアコン。 ナギサ:どうしてここらの夜ってこんなに寒いの? ナギサ:ビル風のせい? タニマチ:ていうか今年が、っスかね……、 タニマチ:寒波来るらしいし、この冬。 ナギサ:まったく……、やる気を削いでくれるわよ。 ナギサ:何から何まで。 0:こく、と、些か温くなった水を飲み下す。 ナギサ:……世話をかけたわね。 ナギサ:姉には、内密に。 タニマチ:もちろんス。はい。 ナギサ:私が寝てる間、何の話をしてた訳? トバリ:いやあ。田舎者の、取り留めもない話に付き合わせてしまって。 トバリ:都会の若者を。 タニマチ:や……、何にも、何にも。ハハ。 ナギサ:ふん……。 ナギサ:もう来ないから。 ナギサ:精々、姉には良くしてあげて。 タニマチ:そう言わず……、また、こっちに出張とかの際は。 タニマチ:ドライ・ベルモット、飲みに来てください。 ナギサ:…………、 ナギサ:結構よ。 ナギサ:赤でも、白でも。 ナギサ:嫌いなのよ、子供の頃から。 タニマチ:子供の頃から? ナギサ:一度だけ……、 ナギサ:隠れて、舐めてみた事があるの。 タニマチ:あ……、お祖母さんの、ベルモット? ナギサ:これも内密に。 タニマチ:うっス、モチっス、はい、 ナギサ:…………。 0:癖のように眼鏡に触れ。 ナギサ:二度と飲むものかと思ったわ……。 ナギサ:こんな、薬臭いお酒。 0:水面に風は、未だ吹かず。 0:暗転。 : 0:【間】 アンリ:《第三夜》。 タニマチ:翌々週。【20時01分】。 : タニマチ:……あれェ、 ナギサ:…………。また会ったわね。 0:十一月某日。店員が男性常連客の相手をしていた所に、女性客が来店。表情はバツ悪そうに波立っている。 ナミヨケ:……お、気の毒な妹ちゃんやん。 ナギサ:誰が。 ナギサ:……また、貴方。 ナギサ:本当に姉とこの人しか居ないんじゃないの、お客。 ナミヨケ:俺もソレは思(おも)てた。 タニマチ:週末とかはね、まだもーちょい……、 タニマチ:あ、カウンターどーぞっス。 0:女性客は憮然とした足取りで、椅子へと歩む。 タニマチ:今日はまた……、出張の、お仕事のアレっスか、 ナギサ:呼び出されたのよ。 ナギサ:今度は私が、姉に。 タニマチ:え、へぇ……、へええ。 ナギサ:会議だの商談だのは昨日まで。 ナギサ:今日一日、こっちで休んで……、という予定だったのに。 ナギサ:強引に、約束を取り付けられて。 タニマチ:あー……、はい、はい。 ナギサ:昔からいつもよ。 ナギサ:自分のしたい事、喋りたい話だけ、一方的に……。 ナギサ:まだ、来てないようね。 タニマチ:あー、(時計を見やり) タニマチ:八時とかっスかね、待ち合わせ。 ナギサ:その上平気で遅れるのも、いつもの事。 ナギサ:…………、直させなきゃ。 ナギサ:家の名折れ。 ナミヨケ:諦めてへんのん、まだ。 ナギサ:(ジロリと睨み) ナギサ:何? ほんとに不躾。 ナミヨケ:あ……、すんません。距離感ミスりました。 タニマチ:寒くないです? 今日は。 ナギサ:見越して着込んで来たから平気。 ナギサ:それに暖かいじゃない、今日は。 タニマチ:流石に暖房、オープンからつけてるんで……、 ナギサ:賢明。 ナミヨケ:…………、なんか打ち解けてへんか。 ナミヨケ:こないだの今日とちゃうん? ナギサ:……そうだけど? ナギサ:2回目ともなれば砕けるでしょ。私は専務よ? ナミヨケ:よーわからんけど。 ナミヨケ:その辺ちょい似てんちゃうん、姉貴と。 ナギサ:は? 0:遮り、ドアベルが嵐の如く鳴る。 アンリ:遅(おっく)レイター遅くナッターっとーーいっ。 アンリ:あ、やっぱ先に着いてるしーーっ! 0:ドタドタと、女性常連客が入店。 ナギサ:……遅い。せめて連絡ぐらい、 アンリ:ほんの何分かじゃァーんっ。 アンリ:メンゴメンゴっ、ちょい仕事、長引きかけたから強引に終わらせて来たんだってばさー。 0:軽快な足取りで、女性客の隣席に陣取る。 ナギサ:仕事、ね。 ナギサ:いかがわしい、得体の知れない。 アンリ:アタマ古いのも行きスギたら笑われるぜー? アンリ:セカイに誇る日本の職業っしょ、今や。うへへ。 0:姉と妹、横並び。 タニマチ:えとー、ひとまず、 ナギサ:要件を。手短に。 アンリ:イヤイヤぁ。オーダーっしょマズは。 アンリ:都会じゃ自分から言わなきゃ何も出て来ないんだよん。 ナギサ:……イチイチ。 ナギサ:飲みながらでないと会話出来ないのも都会の作法? アンリ:や、最初はノンアルで。 アンリ:どーよ? ナミヨケ:お、どーしたどーした。 ナギサ:……別に、私はどうでも、 アンリ:ナっちゃん酔うとスーグ子供帰りしちゃうからさー。 アンリ:一段落するまでジュース飲もうぜジュース、オトナらしく。 ナギサ:はぁ……? ナギサ:何それ。してないし、 アンリ:してたよねぇ? アンリ:ていうかナミヨケちゃんおはよー。 ナミヨケ:俺は平和に飲んどっただけや。 ナミヨケ:変なトコで振らんといてや、今日は。 0:言い、男性常連客はズ、と耐熱グラスを干す。 アンリ:今日は平和な姉妹の語らいだから大丈夫だよ。 アンリ:私ジンジャーエール貰おっと。 アンリ:ナっちゃんはぁ? ナギサ:……特に、何でも。 ナギサ:同じで結構。 ナミヨケ:ジンジャーな。 ナミヨケ:久々に飲んでみよかな俺も……、 アンリ:お、イーじゃん皆でジンジャーエール。 アンリ:大学生かよって。ひひ。 ナミヨケ:せやけど腹冷えるんシンドいから。タニマチよ、 タニマチ:あ、こないだ言ってた。 タニマチ:ホットっスね。 ナミヨケ:コーラでイケるんやったらジンジャーもアリやろ。 ナミヨケ:俺はソレで。 アンリ:何ナニなにそれー? アンリ:レンチンすんの? タニマチ:そっスそっス。 タニマチ:微発泡みたいな感じになるんで、 アンリ:ほぉー。私もソレ貰おっかなー。 アンリ:ナっちゃんは、 ナギサ:ソレで良い。 アンリ:主体性ェー。 ナギサ:余計な思考を省いてるだけよ。 タニマチ:んじゃホットジンジャー3つ、かしこまりましたっス。 0:店員は作業にかかる。耐熱グラスを3脚取り出す。 アンリ:はァー。やっぱこの座り心地の悪い椅子が落ち着くわ。 ナミヨケ:悪いよな、正味。 タニマチ:すんませんっス、はい。 0:並べたグラスに、ボトルから褐色の液が注がれる。泡の弾ける音。 ナギサ:……それで。 ナギサ:どういうつもり? 貴女から呼び出すなんて。 ナギサ:……まさか、 アンリ:「戻るー」、「やっぱしマサヒトくんとヨリを戻して、両家の架け橋として粉骨砕身ガンバるー」、って。 アンリ:言うと思った? ナギサ:……そこまで暖まった脳みそしてないわ。 アンリ:だよねん。 アンリ:……なんかさ、 ナギサ:トバリから。何か言われた? アンリ:おおっ? ナギサ:大方、そんな所じゃないの。 ナギサ:何となくだけど。 アンリ:相変わらず鋭いね。 アンリ:さっすが、当主の器バッチリだわ。 ナギサ:……、 ナミヨケ:トバリて、こないだ迎えにきてはった大柄なヒトか。 アンリ:そっそー。 アンリ:今日は? どっかで飲んでんの? ナギサ:さあ。どうとでもしてるでしょ……。 0:電子レンジにグラスが収められ。ピ、ピ、と操作音。 ナギサ:あいつ……、本性は、普段見せてないだけで、 アンリ:知ってるよ? アンリ:昔から仲良いもん、トバリくんとは。 ナギサ:……、な、 アンリ:家出る時もさ、「良いんじゃねーの」って言ってくれたし。 アンリ:んでひっさびさにLINE来てェ、 ナギサ:何なのそれ……。どこまで私を蚊帳の外に、 アンリ:ていうか私とトバリくんとの仲だから。 アンリ:で。ナっちゃんの事も、普通に心配なんだって。 ナギサ:面白がってるだけよ。 ナギサ:……昔から慇懃(いんぎん)で。嫌な男。 アンリ:親父や親戚のバカ共より、遥かに話通じるけどね。 ナギサ:……、だからどう、でもないわ。 アンリ:ホントはさー、何かバアちゃんの墓参りでもしながら喋ろっかなとかも思ったんだけど。 アンリ:四十九日過ぎるまではあの辺、近付きたくナイしさー。 ナミヨケ:親戚に出っくわすもんな。 アンリ:そーよ。 アンリ:たら今週、またコッチで仕事だってゆーからさ。 アンリ:ちょーどイイと思って。 ナギサ:……貴女も仕事だったんじゃないの。 アンリ:ま、ま、年末のツアーの下準備終わって、後は現場に降ろしたから。 アンリ:今ちょーど私らは、谷間の時期なんだよね。 アンリ:束の間の、だけど。 タニマチ:ツアー……? ナミヨケ:この際聞くけど仕事何系なん、そーいや。 アンリ:え、言ってなか、……ったよねソリャ。 アンリ:アイドルのプロデューサー。 タニマチ:えっ、 ナミヨケ:えっ!? 0:店員と男性常連客は、驚きの表情。チン、とレンジ。(※どなたかが口で入れて頂いても構いません) タニマチ:あ、出来た。 タニマチ:……、はァーーー、え、アンリさん、ソッチ系だったんスか……、 ナミヨケ:P? Pなん? アンリ:Pっつってもちっさい事務所だからさー。 アンリ:殆どマネージャー業だけどね。 アンリ:もー、いっっつもバッタバタの。 アンリ:あ、ホイこれ、名刺(めーし)。 0:胸ポケットから真鍮風のカードケースを取り出し、各自に名刺をスムーズに配る。 アンリ:こーゆーモノどェーす。 タニマチ:あ、どーもっス……。 ナギサ:私は要らない。 タニマチ:(文面をあらため) タニマチ:えーと……、 タニマチ:「芸能・マネージメントプロダクション『A-tension(アテンション)』プロデュース部チーフ、 タニマチ:アイドルグループ『少女ラッピング』プロデュースマネージャー、 タニマチ:『安里風香(あんりふうか)』」……、 タニマチ:おおーーー。 ナミヨケ:しっかりした名刺やな。 ナミヨケ:ウチのトコと大違い……、 ナミヨケ:やっぱこーゆーんはちゃんとしたトコでして貰わなアカンな。 アンリ:あ、ソレは絶対そーだよ。 タニマチ:『少女ラッピング』って聞いた事あるな。 タニマチ:なんか深夜の……、 アンリ:ランキング番組とかっしょ? アンリ:頑張ってんだよ、よーやく最近。 アンリ:あの子らと私らの努力実って来たワケよぉー、コレ。 アンリ:深夜で関東ローカルだけど、リーダーの子がドラマ出たりとか、 ナミヨケ:ふぅーーーーん……、 タニマチ:……あ、ジンジャージンジャー。 0:店員は湯気立つ耐熱グラスをレンジより取り出し、注文順にサーブ。 タニマチ:あい、お待たせしましたー。 ナミヨケ:おおきに。 アンリ:イエー、来たァ。 ナギサ:……どうも。 0:湯気と、微かに泡立つ琥珀が、三並び。 ナギサ:(卓上の名刺を見やり) ナギサ:詐欺じゃない、こんなの。 アンリ:(一口含みつつ) アンリ:あん? あ、うま、コレ。 ナギサ:夢見がちな未成年の前途を食い物にして。 ナギサ:スターになれる、なんて言って騙してるんでしょ。 アンリ:……、 ナミヨケ:純度の高い偏見キタなコレ……、 ナミヨケ:(ズ、と含み) ナミヨケ:うまっ。もージンジャーはコレでエエやろ。 タニマチ:冬はコレ押してこっかな。 アンリ:んーーーー……。そう、ね。 0:ギ、とスツールが軋る。 アンリ:酷いトコはマジで酷いし。 アンリ:事務所なんて名ばかりの、金集めるだけ集めて後はポイ、ってのもある、ね。 ナギサ:多かれ少なかれ。 ナギサ:どこでも似たようなものでしょ。 アンリ:……さぁて。 アンリ:そんな事ナイ、って言い切れないのが、業界人のツラいトコだねん。 0:女性常連客はス、と一口含む。 アンリ:やりがい搾取、とか言われ出して久しいしね。 アンリ:ウチは、少なくとも筋通る程度には、お金出してるつもりだけど。 アンリ:かけてる苦労と釣り合ってんのかは、何とも言えない、かな。 ナギサ:……精々訴えられない事ね。 ナギサ:言っておくけどうちのお抱え弁護士は頼れないから。 アンリ:あはははっ、肝冷えるわぁー。 アンリ:……ま、でも。 アンリ:「ウチはまだ、そーでもナイ」、って思いたいから頑張ってる、ってのが本音かな。 ナギサ:虚業(きょぎょう)よ。 ナギサ:芸能の全てがとは言わないけれど。 ナギサ:その道のプロと比べて技術がある訳でもない。 ナギサ:優れた芸術性がある訳でもない。 ナギサ:お客はそれじゃ、何を観にやってくる訳? ナギサ:若い女性が拙く歌ったり踊ったりしてるのを眺めて、それで何になるの? アンリ:んー……、 ナミヨケ:癒やされるんちゃう? ナミヨケ:やしCD出したり、TV出たりしてんねやったらソコソコは、 ナギサ:(遮り)個々の事例を取り上げて云々する気は無いわ。 ナギサ:業界それ自体がまやかしの産物だと言ってるのよ。 タニマチ:まやかし。 ナギサ:そんな事に費やす時間とお金を、労働や勉強や、もっと有意義な交遊に当てれば。 ナギサ:少しでもマシな人生を送れるんじゃないの。 アンリ:お客の勝手、かな。 アンリ:自分の時間とお金を、何にどれだけ使おうが。 アンリ:それこそさ、薬局で薬買おうが、アイドルのライブ行こーが。 ナギサ:無論、違法でない限り。 ナギサ:全ては商品であって、消費者側の理屈としてはそれで間違ってないわね。 ナギサ:でも貴女たちは、それで良い訳? アンリ:はーて? ナギサ:社会に還元されないじゃない。 ナギサ:食品にしろ医薬品にしろ、あらゆる業界に……、 ナギサ:中抜きや搾取は、勿論横行しているけれど。 ナギサ:それでもある程度は健全に利益を産んで、業界全体が潤う事で、技術の進歩や、製造工程の効率化によって、 アンリ:(遮り、引き継ぎ) アンリ:より質の高い製品をより安く、消費者の元に届けられるようになり。 アンリ:ひいては国民全体の利益、文化度の向上、そしてマーケットそのもののさらなる成長・拡充に繋がる……、 アンリ:んだよね? ナギサ:……初歩の初歩よ。 ナギサ:貴女だって勉強したでしょう。 アンリ:意外と役には立ってるけどね。 アンリ:でェ、私ら場末のショービズ界隈は、その限りではナイ、と。 ナギサ:時として、コストを大きく飛び離れた利益を生む事もあるでしょうよ。 ナギサ:けれどその本質に於いて、中身の無い物を扱う業界じゃない。 ナギサ:後に何の成果も実らず、ただ金銭と貴重な時間を浪費したという結果が残るだけ。 ナギサ:その、言い逃れようのない機会と資本の損失へと、寄る辺のない人々を扇動しておいて。良心の呵責は無い訳? ナギサ:恥を知りなさいよ? ナミヨケ:……お、おう、 アンリ:にゃるほどねェー。 アンリ:うっひひひ。 ナギサ:少なくとも。 ナギサ:私は恥ずかしいわ。 ナギサ:身内からこんな……、 アンリ:本質突いてる雰囲気出してるケド。 アンリ:至極アリガチな、ゲーノー界への一般認識だよね。 ナミヨケ:そもそもヤクザな商売やし、な。 ナミヨケ:ていうかヤクザがやってるし。 アンリ:大手ほど特にね? アンリ:ただソレで言うならさー、 ナギサ:製薬やその他の分野も同じ、と言いたい訳? ナギサ:私にその視座が無いとでも思ってるの? ナギサ:流通にせよ、販売にせよ。 ナギサ:表と裏、両面の力が必要なのは、万事そうじゃない。 アンリ:例えば、田舎街で代議士センセーに選ばれるのにも、ね? ナギサ:……、ええ、南雲(なぐも)のご党首だって、相応の力添えは頂いてきたでしょうよ。 ナギサ:表からも、裏からも。 ナギサ:どこだってそうでしょ、特に地方に於いて、一定の影響力を持ち続ける為には。 アンリ:御多分に漏れず、勿論ウチもね。 ナギサ:ええ、そうよ? ナギサ:そしてお祖母様ほど、その辺りのバランス感覚に長けた人は居なかったわね。 ナギサ:だけど今は……、そんな表層的なクリーンだのダークだのを問題にしてるのでは無いから。 ナギサ:論点をズラさないで。 アンリ:ウシシ、ごめんって。 アンリ:要は結果の話、って事でしょ。 アンリ:アイドルやらライブやらに金落としたって、何にも還ってこないのに、って。 ナギサ:内側の人間が程々に私腹を肥やして、仕事を回し合っているだけでしょう? ナギサ:当たり前よね、従事者やマーケットに還元出来るだけの余剰利益なんて、滅多に上がらないようになってるんだから。 アンリ:流石の推察力。 アンリ:随分前から、業界そのものは大分腐ってるね。 ナギサ:外から冷静に見ているからこそ。 ナギサ:取り込まれて熱に浮かされている人たちには見えないものも見えるのよ。 ナギサ:こんな、少し考えれば猿でも解る、簡単な事。 アンリ:あっはははっ。ウッキぃーっ。 ナギサ:ふざけないで。 ナギサ:……いっつもそう。 アンリ:いやぁー。 アンリ:返す言葉もないおサルは。 アンリ:吠え面かくしかナイねぇ。 0:ず、と啜る。ほ、と息。 アンリ:いっぱい勉強したよね、お互い。 ナギサ:……はぁ? アンリ:でもあんま、無理しない方がイイのかもね。 アンリ:私らドコまで行ったって、田舎のインチキ薬売りの末裔なんだから。 ナギサ:……、 アンリ:「効くか効かじか、いずれも飲んでのお立ち会い」、ってね。 アンリ:正体不明の黒い粉とか、ガマの油って事になってる馬由(まーゆ)とか。 アンリ:往来で口八丁手八丁、声張り上げて飛び跳ねて。 アンリ:アイドルのご先祖サマかな? それこそ。 ナギサ:とうとう頭まで腐ったの? ナギサ:医学薬学の、その歴史もろとも否定しようとでも、 アンリ:プラセボの効果は馬鹿になんないんじゃナイ? アンリ:それこそ現代医療でも、さ。 ナギサ:……、それは、 アンリ:バファリンの半分は優しさで、ってのじゃナイけど。 ナギサ:キャッチコピーでしょ、あれは。 アンリ:「効くはずだ」、「飲んだから大丈夫だ」って信用と安心も、値段の内に含まれてるって事だもんね。 アンリ:具体的には宣伝広告費として。 ナギサ:現代の商業製品のおよそ全てがそうでしょう。 ナギサ:誇大広告の問題は深刻だけれども、それと実態の無い物を価値として売り付ける行為とは、 アンリ:(遮り)区別出来ると思う? 本当に? ナギサ:…………、 アンリ:みんなさ。 アンリ:偶像が必要なんだよ。 アンリ:きっと効くって、信心出来る薬でも。 アンリ:健気に頑張るオンナノコたちでも。 アンリ:今日と明日を生きてく為の、望みを掛けられる何かが。 ナギサ:…………、生きていく為の? アンリ:後に何にも、形が残らなかったとしても。 アンリ:ちょっと可愛いだけの女の子らの、ラジオ聴いたり、ライブ楽しみにしたり。 アンリ:してる間は、生きてられるって。 アンリ:自棄(やけ)になる気持ちを抑えてられるって。 アンリ:そーいうヤツらがちょっとでも居るなら、私らの頑張りは捨てたモンじゃない。 アンリ:コレは、私の信心。 ナギサ:…………。 ナギサ:生き甲斐を。 ナギサ:選ぶ余地の無い連中は、哀れだわ。 アンリ:それでもイイんだよ。寄る辺なんて、何でも。 アンリ:そーね……、カジュアルに、仏像みたいなモンと思ってよ。 アンリ:現代のお地蔵さんだと思ってるからね、私は。 タニマチ:お地蔵さん……、 アンリ:あははっ、ちゃんと6人いるんだよソレがっ。 タニマチ:『少女ラッピング』? アンリ:そーそー。 アンリ:あ、実家のさ、墓のそばのさ、古ぅい六地蔵サマの、横に並んで遊ぶの好きだったよね? ナギサ:…………覚えて、ないわ。 アンリ:ふっふっふ。 0:一口、含み。 アンリ:ま……、とか何だかんだ。 アンリ:尤もらしく言ってるけど、ホントのトコは、面白いからやってんだけどね。 ナギサ:面白い? アンリ:ヤバくてダルい修羅場も多いけど。 アンリ:……概算組んで、会議通して、予算ブン取って。 アンリ:会場決めて、スタッフ集めて、何から何までスケジューリングして。 アンリ:全部、全員、社員もスタッフも出演者もコーチも、1つ1つ形が違ってさ。 アンリ:ウゴウゴしてんのを、パズルみたいに組み合わせて。 アンリ:毎回ややっこしー諸々ブチ抜いて、本番でパァっ……、とさ。 アンリ:一瞬、透明で、綺麗な時間が来る時があるんだよ。 0:フ、と、視線が宙に浮く。 アンリ:その時はさぁ、トータルの収支とか、コレを何の為にやってる、とか。 アンリ:一瞬、どーでも良くなって。 アンリ:面白ぇーなー、ヤぁメらんねーなぁー、って、純粋に思うよね。 ナギサ:…………、意味がわからないわ。 ナギサ:疲労から来る多幸感を、達成感や全能感と誤認してるだけじゃないの。 ナギサ:脳内麻薬に支配されているのよ。 アンリ:そーとも言う、かな。 アンリ:でもニンジンとしちゃ十分だよ。 アンリ:ヒヒィーーンっ、と。ひひ。 ナギサ:…………。 ナギサ:それらのタスクをこなすだけの能力も、ノウハウも。 ナギサ:今のようなところで腐らせて置いて良いものではないわ。 アンリ:ま、培われたのは主に大学の飲みサーで会計やってた時だけどねー? ナミヨケ:うぅわ、そーゆー系かいコイツ……。 アンリ:……前からずっと言ってるけど、さ。 アンリ:たまたま、グーゼン。 アンリ:私にはココの、この場所、だったんだよ。 アンリ:製薬会社の本社ビルの、キュークツな白い部屋じゃなくて、さ。 ナギサ:…………、 アンリ:ナっちゃんは? ナギサ:……、何? アンリ:面白い? 今。 ナギサ:…………、 ナギサ:私、は、 ナミヨケ:……、 0:男性常連客はズズ、と啜り、フ、と息を吐く。 ナミヨケ:ほんで。順調に主語がデカくなって来とるけどもやな。 ナミヨケ:芸能と製薬のどっちがどう、とか。 ナミヨケ:今日のココで済むハナシやナイとして。 アンリ:あっはは。ヒマな飲み屋にゃ、ある意味ウッテツケの肴(さかな)だけどねー。 ナギサ:……馬鹿にしてるわ。 ナギサ:良いわよ私は。 ナギサ:とことんやり合っても、 ナミヨケ:前置きでボルテージ上げすぎんと。 ナミヨケ:チャッチャと本題行ったらエエんとちゃうか。 アンリ:ま、姉妹でディベートやるつもりで呼んだんでもナイしね。 ナギサ:……貴女が勿体ぶるからじゃない。 ナギサ:何なの? 今日のこれは一体。 アンリ:うん。ごめんよ。 0:一口含み、口を湿らせ。 アンリ:……まー、つまりね。 アンリ:単刀直入に言っちゃうと、 0:僅かに決意を滲ませ、 アンリ:戻る気は無い、って事。 アンリ:ナっちゃんには悪いケド。 ナギサ:…………。 ナギサ:何度となく聞いたわ。 ナギサ:はいそうなのと、引き下がれる領域では最早ない事ぐらい貴女にも、 アンリ:(遮り)それでね。 アンリ:ナっちゃんにしてあげられる事も、もう無いんだ。 ナギサ:……っ、 アンリ:ダメなお姉ちゃんでゴメンね。 ナギサ:私に、してあげられる事? ナギサ:話が見えないわね。 アンリ:私もどっかでさぁ。 アンリ:時間が解決してくれるかなーとか、のらくらしてた節もあるんだけど。 アンリ:でも、いい加減、待たせ過ぎかな、って思って。 ナギサ:……、今までと何が、 アンリ:マサヒトくんに会って来た。 0:静寂。真なる凪。 ナギサ:……っ! なっ、え!? ナミヨケ:ちょぉっ! きっちり爆弾仕込んで来とるやないかい! アンリ:あひゃひゃー。 アンリ:昼下りのカフェで元カレとお茶とかさ。 アンリ:大人っぽいよね? ナギサ:どういう事……、まさか南雲のお屋敷まで、 アンリ:まっさかぁ。アノ村にゃなるだけ近寄りたくナイし。 アンリ:顔見て話したきゃ出てコイっつって、市内まで呼び出した。 ナギサ:静岡市内まで……? ナギサ:マサヒトさんを……? アンリ:駅前だいぶ変わったよねー。 アンリ:で結構ノコノコ来たよ、車で。 アンリ:こーいう時だけ腰軽いんだよね、昔から。 ナギサ:…………、 アンリ:で何かさー、太ったとかじゃないけど、ちょいおっさん体型になってない? アンリ:ガタイがちょっとさー……、 タニマチ:貫禄が付いたって言うんじゃないスか。 アンリ:しししっ。ま、30代の現実ってやつかね。明日は我が身だけど。 アンリ:ね? ナミヨケちゃん。 ナミヨケ:確かに二十歳(はたち)そこそこと比べたら若干やけど代謝が……、 ナミヨケ:ってそんなんはエエやろ今は。 ナギサ:……どういう了見かしら。 ナギサ:妹の婚約者(フィアンセ)と。 アンリ:私からしたら元カレだもん。 アンリ:だし……、将来は義理の弟だもんね。 アンリ:あひゃ、わっらえるぅー。 ナギサ:……っ、ふざけて、 アンリ:キッチリやろうぜお互い、ってね。 アンリ:ま、言いに行ったワケよ。 タニマチ:きっちり? アンリ:田舎モンの習慣でさ。 アンリ:私もアイツも、ハッキリ言わずに、成り行き任せなトコあって。 アンリ:でもソレが良くなかった、ね。 ナギサ:…………、 アンリ:私は何がどーなろうと、家には戻らないし。 アンリ:安里と南雲のどーたらに関わる事も一生無い。 アンリ:脅しにも乗らないし、死んだって、最後まで闘ってやる。 ナギサ:そんな、風な、 アンリ:勿論。根性無しの、妥協が特技の親父に、そんな元気もやる気も、もう無いのは知ってるよ。 アンリ:ただ自分の、覚悟の話。 ナギサ:…………、 アンリ:で。マサヒトくんはマサヒトくんで。 アンリ:結婚するんだったらナっちゃんと。 アンリ:それ以外の可能性は考えない。 アンリ:両人が納得尽くの入籍にならない場合、縁談自体を白紙に戻す。 アンリ:って。言質(げんち)取った。 ナギサ:……っ、何を勝手な!! アンリ:当たり前の事だよ。 アンリ:で……、私が出来るのはここまで。 アンリ:こっから先は、当事者同士の話。 ナギサ:当事者ですって……? ナギサ:他人事? 元はと言えば貴女の、 アンリ:私がコレの当事者だったコトなんて一度も無いよ。 アンリ:高校時代の2年間、付き合ってただけ。 アンリ:家も婚約もカンケー無く。 アンリ:そん時は好きだったから、ね。 ナギサ:…………。 アンリ:今は元カレその2、ってだけだね。 アンリ:久々に喋ったら、しょーもないなりに、話聞こうと出来るヤツにはなってたけど。 タニマチ:「その2」? アンリ:歴代2人目って事。 タニマチ:あー。 0:女性客は微かに震えている。 ナギサ:……私と、マサヒトさんで。 ナギサ:何を話せって言うのよ? アンリ:いっぱい、いっぱい。 アンリ:ソレこそ語り尽くせないぐらいでしょ。 アンリ:「結婚すんの、しないの?」って瀬戸際に、一緒に立ってる2人なんだから。 ナギサ:マサヒトさんの眼は私を見てなんかいない。 ナギサ:言ったじゃない、この間。 アンリ:関係無いよ。 アンリ:結婚なんてタダの法律なんだから。 アンリ:愛してるとかホントのキモチとか、そんなウェットなモンじゃナイでしょ。 ナギサ:逃げ出した人間が! ナギサ:知った風な口をっ! アンリ:ホントに愛してくれるヒトと結婚したいなら。 アンリ:今すぐヤメれば良いよ。 アンリ:マサヒトくんと話してさ。 ナギサ:それがっ……、出来れば、 アンリ:出来るよーにしてきた、から。 アンリ:こないだ。 ナギサ:……っ、 アンリ:私らもう、誰もコドモじゃなくなっちゃったから、さ。 アンリ:「我儘は叶わないね」、って。 アンリ:アイツも笑ってたよ。 ナギサ:わがまま……? アンリ:家の為に結婚はしなきゃだけどホントに好きな相手が良い、とか。 アンリ:窮屈が嫌で逃げ出したけど、家の金には頼りたい、とか。 アンリ:傾いた家をもり立てたいけど、自分を一番に愛してほしい、とか。 ナギサ:私がいつ! 自分を一番になんて、 アンリ:(遮り)両方は叶わない。 アンリ:どっちかを諦めるか、全部ぶっちゃけて、次を探すか。 ナギサ:…………貴女のように、逃げ出して? アンリ:そのやり方を選ぶ自由が、今の私たちにはあるよ。 アンリ:「未来は僕等の手の中」、ってね。 ナギサ:……、…………、 ナミヨケ:……ブルハか。懐かし。 アンリ:おっ。好きなんだよねー、おっさん趣味だけど。 ナミヨケ:オールタイムやろもう。 ナミヨケ:ツレからMD借りて聞いとったわー……。 アンリ:MD! あははっ、タニマチくんMDって知ってる? タニマチ:や、正直ちょい上の人らの時のモンっつーか……、 アンリ:だよねー。私らも順調におっさんおばはん秒読みよー。 ナギサ:……好き勝手に言い散らして。 ナギサ:当人同士の意向では何も変えられない事ぐらい、貴女にも判ってるでしょうが。 ナギサ:故郷の、あの村の力学と柵(しがらみ)の強固さに、絡め取られずに居られる訳が、 アンリ:南雲のジジイもーじき死ぬらしいじゃん。 ナギサ:…………っ、そ、れ、 アンリ:トバリくんに聞いた。 アンリ:し、マサヒトくんも隠さなかったよ。 0:ズ、と啜る。 アンリ:……結局さ。田舎だろーが時代は変わって。 アンリ:ゆっくりだけど世代交代してってるじゃん。 ナミヨケ:……ソレはあるな。 ナミヨケ:なんぼ元気なジジババかて不死身とちゃうし。 アンリ:マサヒトくんパパはジジイ過ぎて、死ぬまでもう、ワカンナイだろーケド。 アンリ:ウチの親父やバカ叔父ちゃん連中すら、その上の代に比べたら家やら格式やらに執心してるワケじゃナイし。 アンリ:むしろどーやって風通してイイのか、古いアタマで四苦八苦してるじゃん? ナギサ:だから、私だって……、こうして首都圏くんだりまで足繁く、 アンリ:通(かよ)ってるんだもんね? アンリ:……だからさ。 0:風が、吹くような気配。 アンリ:好きにしたら良いよ。 アンリ:ナっちゃんにはその権利、あるよ。 ナギサ:…………、…………。 0:しかして、水面は未だ、波立たず。 アンリ:私は言いたい事、言った。 アンリ:昔と一緒で、ナっちゃんに聞いてほしい話、したいようにした。 0:女性客は黙っている。 アンリ:(一転、崩し) アンリ:さって、飲もっかなぁー、そろそろ。 タニマチ:おっ、はい、 ナミヨケ:……ええんかい。 ナミヨケ:置き去りやんけ、妹。 アンリ:良いのさ。 アンリ:……自分の勝手気ままに、赦しの言葉を貰おーなんて。 アンリ:そんな虫のイイ事、思わないのさ。 ナミヨケ:逃げたモンの意地、か? ナミヨケ:……わからいでもナイけど。 ナギサ:…………。 ナギサ:「置き去り」……。 タニマチ:えっと。んじゃ、何しましょっかね。 アンリ:チンザノ。赤ー。 タニマチ:あい、あい。 ナミヨケ:しか飲まへんの? ココでは。 アンリ:やー? バーボンとかも行くけど。 アンリ:なんかあんまり置いてナイんだよね、ヨソで。 タニマチ:ベルモットね、いま全然流行ってはナイんでね。 タニマチ:BARには大概あるスけど……。 タニマチ:あ、ソーダ割りで? アンリ:んーとね。 アンリ:ナっちゃんはどーする? アンリ:たまには赤い方イくぅ? ナギサ:…………、嫌よ。 ナギサ:お祖母様も、貴女も……、 ナギサ:よくそんな、薬臭い上に、甘ったるい味の物を……、 アンリ:ソコが癖になるんだけどなー。 アンリ:あと、それにね、 0:スツールをギ、と鳴らし、姉は妹に向き直る。 アンリ:バアちゃんは赤い方と白い方、混ぜて飲んでたんだよ。 ナギサ:……、……、 アンリ:気分でどっちかの時もあったけど。 アンリ:赤だけだと甘いけど荒すぎるし、白だけでも、上品だけど険が立つから、って。 アンリ:2つ混ぜるのがちょうどイイ、ってさ。 タニマチ:あーー。それね。 ナギサ:…………、 ナギサ:へえ。そうなの。 0:女性客の面持ちからは波が失せ、凪の水面(みなも)。 ナギサ:……私ね。 ナギサ:悪いけど全然知らないのよ。 ナギサ:そういうの。 アンリ:……、ナっちゃん、 ナギサ:お祖母様にお呼ばれするのは、いつも貴女。 ナギサ:私は時たま、貴女に着いて、入室を許されていただけ。 アンリ:私は呼ばれて行ってた訳じゃないよ。 アンリ:ただバアちゃんの部屋が面白くて、居心地良くて。 アンリ:入り浸ってただけ。 ナギサ:跡継ぎとしての薫陶(くんとう)を受けていたということでしょう? ナギサ:今にして思えば。 アンリ:違うね、きっと。 アンリ:違うよ。 ナギサ:土台、おかしな話なのよ。 ナギサ:貴女が居なくなって、私が残るだなんて。 ナギサ:……おかしいわ、だって、変だもの。 ナギサ:皆、そう思っていて、それで、当たり前。 アンリ:…………、 ナギサ:双子、なのに。 ナギサ:どういう訳か、替わりにもなれない、出来損ないの私が、 アンリ:人は人の替わりになんてなれないよ。 ナギサ:……判ってる、わ。 ナギサ:だから、貴女を支えて、補える、ように。 ナギサ:貴女が跡継ぎの役目を全う出来るように、守って、助けられる、ように。 ナギサ:私、本当に、本当に頑張ったんだから。 アンリ:……、知ってる、よ。 ナギサ:小さい頃から、お父さんにも、お母さんからも、ずっとそう、言われて来たのよ。 ナギサ:それがお前のお役目で、運命、なのだから。 ナギサ:心して努めなさい、って。 アンリ:…………、だからクソで、イヤなんだよ、アイツら。 ナギサ:中学の頃に、お祖母様からも、言われたわ。 ナギサ:珍しく、本当に珍しく、お呼びがかかって。 ナギサ:あの、一族の歴史が堆(うずたか)く凝(こご)って、息を詰めてしまいそうな、お祖母様のお座敷で。 アンリ:……そんな風に、 ナギサ:そうよ? 入り慣れていなかったから。貴女と違って。 アンリ:……、 ナギサ:才気溢れるかわりに、移り気で、風に吹かれてしまい易い、貴女を。 ナギサ:冷静に、沈着に、時には手綱を引いて、繋ぎ止めてやってくれ、って。 アンリ:……、それは、 ナギサ:わかるでしょう? ナギサ:くっついて生まれて来た余り物に、期待されたのは精々が、その程度、なんだから。 ナギサ:そして……、不吉な、風を止ませる「凪(なぎ)」の字(あざ)を付けられた私が。 ナギサ:私が、貴女を差し置いて。 ナギサ:私が、お祖母様の真似事だなんて、 ナギサ:誰が、一体、どこの、誰が……、 アンリ:(強く遮り) アンリ:違うんだよ。ナっちゃん。 0:静寂。 アンリ:……バアちゃんが言ってた事を。 アンリ:私がバアちゃんから、病室で聞いた話を、聞いてよ、ナっちゃん。 ナギサ:…………、 0:風は吹く時を待っている。 アンリ:バアちゃんは海、好きだったよね。 アンリ:墓の近くの、あの崖から、ずっと海を、見てるのが好きだった。 ナギサ:…………。 アンリ:風に、嵐に吹かれて荒れた海も好き。 アンリ:風が止んで、一時(いっとき)の静かな、凪の海も好き。 アンリ:波が色んな物を運んで来て、そしてそれが、海に馴染む時間があって。 アンリ:両方が無ければ、水も何もかも、上手く巡って行かないモンだって。 アンリ:ご先祖様が言ってるみたいだって。 アンリ:言ってたよ、ね。 ナギサ:…………、覚えて、 アンリ:覚えてるよ。一緒に、居たから。 ナギサ:…………、 アンリ:だから。ずっとそう、思ってたから、2人で生まれて来た私たちに、「風」と「凪」の字を、付けたんだ、って。 アンリ:どっちかが走り過ぎたら、引き止めて。 アンリ:どっちかの足が止まれば、背を押して。 アンリ:助け合って、生きていけたら良い、って、さ。 アンリ:内緒で持ってったチンザノ飲みながら、言ってた。 ナギサ:…………。 ナギサ:病床のお祖母様に。 ナギサ:飲ませたの? 貴女。 アンリ:いやー、どーしても死ぬまでに1回、て言うからさ、LINEで。 ナミヨケ:LINEでかい。 アンリ:凄かったんだよ、スマホもいち早く手に入れてたし。 アンリ:……わざわざチンザノ、赤と白と買ってさ、ペットボトルで混ぜて持ち込んだ。 ナギサ:…………、 アンリ:「やっぱり美味い、コレだわ」って言って。 アンリ:風と凪でも、赤と、白でも。 アンリ:足して、混ぜたぐらいが、ちょうどイイ、って言ってさ。 アンリ:飲んでたよ。 ナギサ:…………。 ナギサ:そう。 0:カチャリ、と眼鏡を整える。 ナギサ:なら……、それなら貴女。 ナギサ:やっぱり、お祖母様に合わせる顔なんて、無いじゃない。 アンリ:……そう、かな。 ナギサ:そうよ。 0:凪いだ水面に波は立たず。 ナギサ:助け合って、補い合って、 ナギサ:……手を繋いで、生きて行く事がお祖母様の望みなら。 ナギサ:貴女は一体どこに居たの? ナギサ:私が、苦しい時に。 アンリ:…………、 ナギサ:都会の大学から、遂に貴女が帰って来ないつもりらしいと、判った時。 ナギサ:高校卒業の時点で、マサヒトさんと切れている、と、発覚した時。 ナギサ:南雲のお屋敷に詫び状を持って行く時、 ナギサ:私が、よりによって私が、貴女の替わりを務めなければならないと、決まった時。 ナギサ:……平静で居られる訳、ないじゃない。 ナギサ:してやったり、と、私がほくそ笑んでいるとでも思った? アンリ:思うワケ無い。 ナギサ:ずっと、ずっと決めていたじゃない。 ナギサ:貴女は善果を呼び込む風として、南雲と縁を結んで。 ナギサ:私は安里の女として、貴女を支え、守って行く、って。 ナギサ:そうやって、2人で、一緒に、この世界に居場所を作って行こう、って、ずっと、昔から……、 アンリ:ナっちゃん、 ナギサ:どこへも行かない、って。 ナギサ:子供の頃の約束1つ、守れない、癖に。 ナギサ:偉そうに、馬鹿にして、 アンリ:仕方ないよ。 アンリ:もう大人に、なっちゃったから。 ナギサ:…………、 アンリ:乗りたい風に乗って、行きたいトコへ行くよ。 アンリ:部屋で本ばっかり読んでた私に、ナっちゃんが教えてくれたみたいに。 ナギサ:…………、私、が? アンリ:ホントにちっちゃい時だよ。 アンリ:庭や、田んぼや、山の中……、 アンリ:部屋の外には、面白い物が沢山あるんだから、って。 アンリ:着いて来て、って。 アンリ:引っ張ってってくれた。 ナギサ:…………、 アンリ:ナっちゃんの言う通りだったよ。 ナギサ:……、何なの、それ……、 アンリ:でもさ、ナっちゃん。 0:姉は妹をまっすぐ見詰める。 アンリ:どこに行っても、見えなく、なってても。 アンリ:手を繋いで、なくても。 0:微かに風は立ち、 アンリ:私は、ここにいるから。 ナギサ:……、 アンリ:電話、してよ。 アンリ:弱気な時は、さ。 0:水面が揺れる兆しは、あるか、否か。 ナギサ:…………、 ナギサ:それで…………、 ナギサ:譲歩した、つもりな訳、ね。 0:女性客は脱力する。 ナギサ:…………はぁ……。馬鹿馬鹿しい。 0:ふう、と、肩の強張りを抜くように、息を吐く。 ナギサ:とんだ徒労だわ……、今日の私。 アンリ:お……、そー? ナギサ:そう、よ。 ナギサ:マッサージの予約キャンセルしてきたのよ。 ナギサ:ケアに当てる日のつもりだったのに。 アンリ:あはは。お酒飲んでリフレッシュってのも偶にはイイっしょ。 ナギサ:相手によるわよ。 ナギサ:……別に飲みたいものなんて、 タニマチ:(遮り)あっ! あ、じゃー、じゃーですねェっ、 0:店員は満を持して、という調子。 ナミヨケ:なんやねん、急に。 タニマチ:や、よーやく隙見つけたと思って。 タニマチ:あのー、さっきの、チンザノ赤と白、混ぜて飲んでったていうお話……、 アンリ:バアちゃんがねー。 タニマチ:実はそれだけでも『ハーフ&ハーフ』っていうカクテルなんスけど、それを更にジンジャーで割ったヤツがあってですね、ソレとかどーかなー、と、 アンリ:へぇー、混ぜたヤツを更に割るんだ。 アンリ:ソレ、行こっかな。 アンリ:ナっちゃんもソレにすればぁ? ナギサ:……もう何でも。今日は疲れた。 アンリ:んじゃ、2つー。 タニマチ:かしこまりましたっス。 0:店員は作業にかかる。女性客は緩慢にスマートフォンを取り出し、通知を確認。 ナミヨケ:…………、 ナミヨケ:え。 ナミヨケ:ほんで、どーすん、結局。 アンリ:ナニがぁ? ナミヨケ:家の事とか。結婚すんのはどっちやねん、とか。 アンリ:どっちが、っていうかァ。 アンリ:私がする訳ナイっしょ。 ナギサ:話の展開を聞いてなかったの? ナギサ:要は何一つ、変化も進展もしていないのよ。 ナギサ:……無駄骨。時間の浪費。 アンリ:(擦り寄り、ボディタッチ) アンリ:まーまー、判ってた事じゃぁーんっ、うりうりっ。 ナギサ:(振り払い)もうっ。 ナギサ:……今度ほっぺたツツいたら絶縁するから。 アンリ:おお? いいの? ナギサ:……言葉の綾よ。 0:風を受け、凪の海は、なだらかにも揺れている。 ナミヨケ:……まー……、 ナミヨケ:時間かけて決めるのんに越した事ナイけどもやな。 アンリ:その辺は体内時計が田舎モンなんだよね、私ら。 ナミヨケ:わかるわー。イラんけどな。 0:店員は手早く作業を進める。赤と白、両方を注いだグラスを軽くステア。氷を沈め、冷えたジンジャーエールで満たしたところ。 タニマチ:よ、っしょ……、おし、 タニマチ:(ステアし終え) タニマチ:っしゃ、出来ました、ので、 0:コースターをもう1枚ずつ、姉と、妹の前に。 タニマチ:(サーブしつつ) タニマチ:あい、あい、お待たせしましたァー。 タニマチ:『クロンダイク・ハイボール』ですゥー。 0:薄赤く、泡立つ琥珀のグラスが、2つ並ぶ。 アンリ:やほー、来た来たっと。 アンリ:子供用の風邪シロップじゃん、色。 ナミヨケ:苦甘ァいヤツな。 タニマチ:言い方よ。 タニマチ:(女性客に向き直り) タニマチ:……、どーぞ、っス。 ナギサ:…………。どうも。 ナギサ:(小声)……赤と白を混ぜたから、って。 ナギサ:気の利かせ方がズレてるわね、貴方。 タニマチ:(小声)バーテンはね、やりたいモンなんス、こーいうの……。 ナギサ:…………、 ナギサ:ありがとう。 アンリ:何ナニィーっ!? アンリ:2人でコソコソ、何なのさーっ!? タニマチ:何でも何でもっ。 タニマチ:あの、折角っスから、乾杯してくださいよ、コレ。 アンリ:おっ、そーだねーっ! アンリ:作ってくれたバーテンさんに言われちゃァーしょーがないっ、 アンリ:今日のトコは折れちゃーくれませんかねェ、ナギサ専務ー。 ナギサ:……別に。大袈裟なのよ。 ナギサ:乾杯ぐらい。 アンリ:おおっ、マぁジでぇーーっ!? 0:姉と妹は、グラスを持つ。 ナギサ:……それで。 ナギサ:何に乾杯するのよ。 アンリ:あー、何でもイイんだけどさー、んー、 ナミヨケ:将来に、でエエんちゃうか。 ナミヨケ:ちょっとでもマシな方へ、進みたいんやったら。 ナギサ:……、将来、 アンリ:ってなんか所帯じみた響きでヤーダなー。 ナミヨケ:あ、そう。 アンリ:じゃ、さ。もっと広く取って。 アンリ:「未来に」、でイイじゃんね。 タニマチ:未来。おお。 ナミヨケ:何でもエエ何でもエエ。 ナミヨケ:まじないやし、こんなモンは。 アンリ:ふふ。 0:女性常連客はグラスを掲げる。 アンリ:さ、じゃ、ナっちゃん。 ナギサ:……現金。羨ましいこと。 0:女性客も応じ、グラスを浮かせる。 アンリ:今後ともヨロシク。 ナギサ:……こちらこそ。諦めないから。 アンリ:あひゃひゃ。 アンリ:じゃ。私らの、手の中の未来に。 アンリ:……乾杯。 0:静かに、控えめなグラスの交錯。高い音は美しく響く。 アンリ:(一口含み) アンリ:んっ、なるほどォー。 アンリ:ま、フツーに飲みやすいね。 タニマチ:甘いしね。 タニマチ:……どう、スかね、お味。 0:こくり、と飲み下した女性客に、各人の眼が、何ともなしに集まる。 ナギサ:……どうも何も。 ナギサ:相変わらず薬臭くて……、 ナギサ:……甘ったるいのは、 ナギサ:少しマシ、 ナギサ:かもね。 0:細かな泡が弾け、グラスの水面は僅かに波打って見えた。 0:暗転。 0:タニマチにスポット。 タニマチ:【本日のカクテルレシピ】 タニマチ:『クロンダイク・ハイボール』。 タニマチ:■ドライベルモット 25ml タニマチ:■スイートベルモット 25ml タニマチ:■レモン果汁 1tsp(ティースプーン) タニマチ:以上をタンブラーにて念入りにステア。氷を沈め、冷えたジンジャーエールで満たし、 タニマチ:……ほどよく混ぜ合わせて、サーブ。 0:【終】