台本概要
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タイトル | 善の鬼 第一章「幼馴染」 |
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作者名 | Oroるん (@Oro90644720) |
ジャンル | 時代劇 |
演者人数 | 6人用台本(男5、女1) |
時間 | 60 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
これは、一人の剣士と、彼の人生に深く関わった三人の男女の物語 ・演者性別不問ですが、役性別は変えないようにお願いします。 ・時代考証甘めです。 ・軽微なアドリブ可。 116 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
ぜん | 男 | 269 | 百姓の少年 |
とら | 女 | 200 | 百姓の少女 |
ぜんの父 | 男 | 58 | ぜんの父親 |
とらの父 | 男 | 77 | とらの父親 |
浮浪者 | 男 | 20 | 浮浪者 |
町人 | 男 | 23 | 町人 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
ぜんの父:おうい、おるかあ?
0:とらの父、戸を開け顔を出す。
とらの父:おう、来たな。
0:とらの父、とっくりを差し出す。
ぜんの父:へへ、すまねえなあ。
とらの父:おっと!貰うもん貰ってからだべ。
ぜんの父:分かっとる。ほれ。
0:ぜんの父、布袋を渡す。
とらの父:(袋の中を覗いて)これっぽっちかよ!話が違うでねえか!
ぜんの父:何だと!それはなあ、家に残ってたなけなしの米なんだぞ!
とらの父:よく言う。本当に「なけなし」なら、酒なんかと交換しねえべさ。
ぜんの父:うるせえ!さっさとよこすだ!
とらの父:(ため息)一つ貸しだぞう。
0:とっくりを渡す。
ぜんの父:へへへ、ありがてえ。どれ・・・
0:その場でらっぱ飲みする。
とらの父:いま飲むんかい。
ぜんの父:ぷはあ!たまんねえべや!
とらの父:本当にどうしようもねえ親父だな、おめえは。ぜんが可哀想だ。
ぜんの父:あん?
とらの父:おめえみたいなぐうたらで、飲んだくれの親父持ってよ。たまには息子孝行したらどうだ?
ぜんの父:おめえだって似たようなもんだろうが!
とらの父:どこがだ!俺はとらを大事(でえじ)にしてるじゃねえか!
ぜんの父:嘘つけ!この酒だって、とらに色目でも使わせて手に入れたんだろうが!
とらの父:人聞きの悪いこと言うな!俺はただ、地主様に日頃のお礼をしようと、とらを行かせただけだ。
ぜんの父:で、とらに何をさせたんだ。
とらの父:大したことじゃねえ!ちょっと、耳掃除をよ。
ぜんの父:耳掃除だあ?どうせそれだけじゃ済まなかったんだべ?
とらの父:後は・・・ちょこっと手握られて、膝(ひざ)を撫(な)でられたぐれえで・・・
ぜんの父:その内「耳掃除」じゃ済まなくなるぞ?
とらの父:その時は・・・ま、仕方ねえべな。
ぜんの父:(ため息)おめえの方が「子不孝」じゃねえか。
とらの父:俺はいつだって、とらの為を思ってだな・・・
ぜんの父:勝手に言ってろ。
とらの父:あ、そうだ。おめえに言っとかなきゃいけねえことがあるんだ。
ぜんの父:?
とらの父:実はな、とらのやつ、どうもぜんに気があるみてえでよ。
ぜんの父:そうなのか?
とらの父:ああ。(ため息)何でよりにもよって、ぜんなんだか。
ぜんの父:貧しい小作人の子供同士、一緒になった所で「先」はねえわな。
とらの父:そうなんだよ!なあ、あいつらがくっつかないようによ、気をつけてくれねえか?
ぜんの父:そうだなあ。あいつも女子(おなご)にうつつを抜かしてる場合じゃねえ。もっともっと働いてもらわねえとよ。
ぜんの父:どうせ馬鹿力しか取り柄がねえんだ。
とらの父:とらは器量良しなんだ。上手くすりゃ、良いとこに嫁にやれるかもしれねえ。
ぜんの父:へっ!それが無理なら、女郎にでもしちまう手もあらあな。
とらの父:そりゃおめえ!あくまで「最悪の場合」の話だ。
ぜんの父:まあ、子供は親に尽くすもんだ。ここまで育ててやったんだ。そんぐれえしてもらっても、罰(ばち)は当たんねえべ。
とらの父:ま、まあな。
0:河原 寝転がっているぜん
ぜん:腹減ったなあ・・・
ぜん:今度飯が食えるのは、一体いつなんだあ・・・
ぜん:どっかに食いもん落ちてねえか・・・
とら:こぉら!ぜん、何サボってやがる!
ぜん:おわぁ!?
0:ぜん、飛び起きる。
とら:ちゃんと働かねえか!
ぜん:なんだ、とらか。お袋かと思ったじゃねえかよ。
とら:河原で昼寝とは、良いご身分だな。
ぜん:うるせえ。おめえだってサボりに来たんじゃねえのか?
とら:一緒にすんな!オラは水汲みに来たんだ。
ぜん:本当かあ?
とら:本当だ!オラはおめえとは違うだ。
ぜん:(舌打ち)あーそうかよ。ご苦労なこったな。
とら:おめえと無駄話してる暇なんかねえんだ。早く帰らねえと叱られちまう。
ぜん:おめえから話しかけてきたんじゃねえか。
とら:よいしょっと(川に入って水を汲む)
ぜん:そりゃ!
0:ぜん、とらを後ろからつき倒す。
とら:うわあっ!(川に倒れ込む)ぶはっ!
ぜん:(大声で笑う)おめえ、何川に飛び込んでんだよ!
とら:おめえが押したからだろ!びしょ濡れになったじゃねえか!
ぜん:おめえが間抜けなだけだろ!
とら:・・・このっ!
0:とら、ぜんに水をかける。
ぜん:わっぷ!冷て!
とら:(大声で笑う)ざまあみろ!
ぜん:やりやがったな!(水をかける)オラっ!
とら:うわっ!
ぜん:『俺は、貧しい小作人の家に生まれた。物心付いた時から、毎日毎日家畜の様に働かされた。』
とら:てめえ、もう容赦しねえぞ!
ぜん:『近所に住む「とら」も、俺と同じ貧しい百姓の娘だった。』
とら:これでも喰らえ!
ぜん:ぶはっ!てめえ、桶(おけ)使うなんて卑怯だぞ!
とら:『時々こうして、親の目を盗んで遊んだ。辛い毎日の中で、少しだけ現実を忘れることができる瞬間だった。』
ぜん:よし、こうなりゃ本気出すぞ!
とら:かかってこい!
0:時間経過
とら:・・・オラはなんて阿保(あほ)なんだ。
ぜん:・・・やっと気づいたか。
とら:っ!
0:とら、ぜんを殴る。
ぜん:あいたっ!
とら:おめえに付き合わされて、気が付いたらすっかり夕暮れじゃねえか!びしょ濡れだし、ぜってえ叱られる。
ぜん:「付き合わされて」って何だよ、おめえも楽しんでたじゃねえか。
とら:うるせえ!これで今日の晩飯(ばんめし)抜きだったら、おめえのせいだからな!
ぜん:・・・今日だけなら、別に良いじゃねえか。
とら:あ?
ぜん:俺なんかなあ、もう二日も食ってねえんだぞ!「おめえの分の飯はねえんだ、すまねえな」だとよ!
ぜん:いくら蓄え(たくわえ)が残り少ねえからって、親が子供の飯取り上げるか?普通逆だろ!?
とら:・・・
ぜん:あと何日かしたら、そこいらでくたばってるかもな。
とら:(少し小声で)そんな事言うなよ・・・
ぜん:あ?
とら:・・・
0:とら、懐から里芋を差し出す。
ぜん:何だこりゃ?芋(いも)?
とら:オラの非常食だ、おめえにやる!濡れちまったけど。
ぜん:・・・何で?
とら:め、恵んでやる!可哀想だから!
ぜん:何だと!何でおめえに恵んでもらわなくちゃいけねえんだ!
とら:(少し小声で)そこ本気にすんなよ、バカタレ。
ぜん:あ?
とら:良いから受け取れ!腹減ってんだろ?
ぜん:・・・本当にくれんのか?
とら:女に二言はねえ!
ぜん:・・・後で返せって言われても、返さねえぞ?
とら:言わねえよ!
ぜん:・・・じゃあ。
0:ぜん、芋を受け取る。
ぜん:(照れ臭そうに)ありがとよ。
とら:(照れ臭そうに)おう。
とら:そういやよ・・・
ぜん:ん?
とら:おめえ、今年も祭に来ねえのか?
ぜん:そうか、もうそんな季節か。
とら:今晩だぞ?
ぜん:いつでも関係ねえ。どうせ行かねえから。
とら:やっぱりか・・・祭、嫌いなんか?
ぜん:別に・・・親父が行ったら駄目って言うからよ。
とら:そうだったんか。
ぜん:何だよ?俺がいねえと寂しいってか?
とら:バ、バカタレ!そんなわけあるか!
ぜん:そうかあ、寂しいのかあ。
とら:違うって言ってんだろ!おめえの分まで、目一杯楽しんできてやるからな!
ぜん:けっ。
0:ぜんの家
ぜんの父:おい!こんな時間までどこほっつき歩いてやがった!
ぜん:うるせえな。お袋は?
ぜんの父:知るか!
ぜん:また喧嘩したのか?今度こそ帰ってこねえかもしれねえぞ?
ぜんの父:そんなわけねえ!いつもみてえに、ひょっこり帰ってくらあ!
ぜん:ふん・・・あれ?
ぜんの父:何だ?
ぜん:そのとっくり・・・
ぜんの父:あっ!
0:ぜんの父、とっくりを隠そうとする。
ぜん:どういうことだ!?その酒どうしたんだ!?
ぜんの父:うるせえ!こいつは、その、もらったんだ!
ぜん:嘘つけ!どこの誰が、ただで酒なんかくれるってんだ!
ぜんの父:おめえ、親の言うことが信じられねえのか!
ぜん:食う米もねえってのに酒なんか・・・
ぜん:それよこせ!俺が米と替えてくる!
ぜんの父:なっ!?ふざけんな!これは俺のだ!
ぜん:よこせ!
ぜんの父:離せ!
0:とっくりを手に揉み合う。
ぜん:あっ!
ぜんの父:あっ!
0:とっくりが床に落ち、酒が全てこぼれる。
ぜん:酒が、全部こぼれちまった・・・
ぜんの父:このクソガキ!
0:ぜんを殴る。
ぜん:ぐはっ!何すんだ!
0:ぜんの父を突き飛ばす。
ぜんの父:ぐあっ!
ぜん:あ・・・
ぜんの父:おめえ!親に手上げるとは何事だ!
ぜん:う・・・
ぜんの父:ここまで育ててやったのは誰だと思ってんだ!
0:またぜんを殴る。
ぜん:ぐぅ!
ぜんの父:この親不孝もんが!
ぜん:『親父は俺を殴り続ける。その気になればやり返せる。だが、こんなのでも、一応親だ』
ぜんの父:(殴りながら)この馬鹿息子がっ!馬鹿息子がっ!
ぜん:『これが、俺の日常』
ぜん:『辛く、退屈な、俺の日常』
ぜん:『こんな日々、早く抜け出したい。そう思っていた』
ぜん:『この時は、そう思っていた』
0:とらの家
とら:ただいま・・・
とらの父:とら!やっと帰ってきたか!
とら:おっとう、ゴメンよ・・・
とらの父:おめえ、びしょ濡れでねえか!
とら:これは・・・
とらの父:さっさと体拭いて、これに着替えるだ!
とら:あ・・・
とら:『それは、私が祭に着ていく晴着(はれぎ)だった。』
とら:『決して上等な代物(しろもの)ではなかったが、いつも着ている、ボロボロで薄茶一色の着物ではない、その鮮やかな色彩に心が躍った』
とら:『一年のうちにこれを着れるのは今日だけ。私にとって、数少ない楽しみだった』
とらの父:今年もよう、おっかあが頑張ってこさえてくれたんだべ。良かったなあ。
とら:うん!おっかあ、ありがとう!
とら:『奥に控えていた母は、うつろな目で私を見ると、微かに(かすかに)微笑んだ。母はいつもこんなだった』
とらの父:今日はこれ着てよう、旦那衆に目一杯媚(こび)売るだぞ。
とら:・・・
とらの父:何だその顔は?旦那衆に気に入られたらよう、良い家に嫁げるかもしれねえだろ?
とら:オラ・・・
とらの父:だからな、今日できるだけお近づきになっとくだ。
とらの父:それからよう、「ちょっと触りてえ」なんて言われても、嫌がっちゃなんねえぞ?
とら:・・・え?
とらの父:男ってのはな、女子(おなご)にそういうことをしたがるもんなんだ。おめえも年頃だし、分かるべ?
とら:おっとう、何言ってるだ・・・
とらの父:これも全部、おめえの為なんだ。
とら:『これが父の口癖だった。「おめえの為だ」事あるごとに父はそう言った。そうして、私に何かを強いる(しいる)のだ』
とらの父:な?わかったな?じゃあ、急いで着替えるだ。
とら:・・・嫌だ。
とらの父:あ?
とら:オラ、行かねえ!
とらの父:おめえ何言ってるだ!?着物だって用意してやったでねえか!?わがまま言うでねえ!
0:とらの腕を掴む。
とら:嫌だ!放してけろ!
とらの父:いい加減にしろ!!
0:とらの頬に平手打ちする。
とら:痛っ!
とら:『私が平手打ちされたのを見て、母は目を背けた。これも、いつもの事だ』
とらの父:おっとうの言う事が聞けねえのか!
とら:(父をにらむ)
とらの父:何だあその目は!そんなに文句があんなら、今すぐ家から叩き出してやっても良いんだぞ!
とら:っ!・・・ごめんなさい。
とらの父:(ため息)顔を叩いたのは良くなかったなあ。どれ、あざになってねえか?
とら:・・・
とらの父:大丈夫みてえだな。せっかくのめんこい顔、傷付けちまったら勿体ねえべな。「売り物」にならなくなっちまう。
とら:っ!
とらの父:なあとら、全部おっとうの言う通りにしてりゃいい。これは、おめえの為なんだ。
とら:・・・うん。
とら:『これが、私の日常』
とら:『辛く、退屈な、私の日常』
とら:『こんな日々、早く抜け出したい。そう思っていた』
とら:『この時は、そう思っていた』
0:夜
とら:(ため息)やっぱり来てねえな。
とら:『祭の夜、ぜんの姿を探したが、見つからなかった。』
とら:ぜんにだけは、この着物、見て欲しかったな・・・
とら:『父は、地主様とにこやかに話をしながら、時々こちらを指差してくる。それを見る度に、私の背筋には悪寒(おかん)が走った』
とら:アイツと一緒に、来たかったな・・・おっ!
とら:『笛や太鼓の拍子(ひょうし)と共に、獅子舞(ししまい)が姿を表す。皆はそれを歓声で迎える』
とら:ま、しょうがねえ。せっかくの祭だ、楽しむぞ!
とら:『私は盆踊りの輪に加った。それを・・・』
ぜん:『・・・俺は見ていた。密かに家を抜け出し、林の中から祭の様子を見ていた』
ぜん:『そこに居たのは、いつも見慣れたがさつな幼馴染ではない。可愛らしい着物に身を包んだ、可憐な少女だった』
ぜん:(何だこれ?胸がチクチクする・・・)
とら:(笑い声)
ぜん:『俺は祭りの輪に加わることが出来ず、林の中から、ただ彼女を見つめていた』
とら:?
ぜん:っ!
ぜん:『とらと目が合った、気がした。ただそれだけの事なのに、俺はその場から逃げ出した』
ぜん:(走っている息遣い)
とら:今、ぜんがいたような?気のせいか。
ぜん:『林の中を駆ける。体のあちこちが木の枝や葉で擦れ(こすれ)、小さな擦り傷がたくさんできた。』
ぜん:『それでも俺は構わず走り続けた』
ぜん:(走り抜けた後の苦しそうな息遣い)
ぜん:『林を抜けた所で、一旦止まった。胸の鼓動は、今まで経験したことが無いくらい早まっている』
ぜん:『俺は目を閉じた。まぶたの裏に浮かんでくるのは、先ほど見たとらの姿。俺の頭の中は、とらで一杯になっていた』
0:時間経過
とら:もう終わりか。何だかんだ楽しかったな。来て良かった!
とらの父:とら!とら!こっちゃ来い!
とら:おっとう、どうしただ?
とらの父:ほれ、あすこにいる旦那、町の両替商(りょうがえしょう)の番頭(ばんとう)さんだ!
とら:ああ・・・
とら:『嫌な予感がした』
とらの父:旦那が、おめえの事、えらく気に入ったって言ってな。
とら:・・・
とらの父:おめえと二人で「おはなし」がしたいんだとよ!
とら:おっとう・・・
とらの父:ほれ、あすこの茂みから奥に入りゃ、誰も来やしねえ。ちゃあんとおっとうが見張っといてやるからよ!
とら:オラは・・・
とらの父:何も怖がることはねえべさ。いつかは経験することだ。ただちぃっとばかし、人より早え(はええ)だけでよ。
とら:(涙をこらえる)
とらの父:これも全部、おめえの為(なんだ)
とら:(遮って)いやだっ!
0:とら、走り出す。
とらの父:おいっ!どこ行くんだ!
とら:(走っている息遣い)
とらの父:(追いかけながら)馬鹿!どこ行くだ!?戻ってこい!戻らねえとただじゃおかねえぞ!
とら:(嫌だ!嫌だ!いくらおっとうの言う事でも、こればっかりは!)
とらの父:とら!!
とら:(オラは、ぜんが・・・)
とらの父:(走ったが追いつけず)ちきしょう!馬鹿娘が!
とら:『その後、家に戻った私を父は何も言わずひっぱたいた。父に促され、母も私を叩いた』
とら:『でも、何一つ後悔は無かった。むしろ晴れ晴れとした気持ちだった』
とら:『これでまだ、ぜんの前で笑っていられる、そう思った』
とら:『でも、そのぜんは・・・』
0:翌日
とら:あっ!おーい、ぜん!
ぜん:っ!
0:ぜん、走って逃げ出す。
とら:お、おい!・・・行っちまった。何だアイツ?
ぜん:(走っている息遣い)
ぜん:『とらの顔が見れない。とらの声を聞くだけで、頬が熱くなって息が苦しくなる。』
ぜん:(俺は、一体どうしちまったんだ?)
0:ぜん立ち止まる
ぜん:(そうか、これが・・・)
0:数日後
とら:ぜんのやつ、最近全然相手してくれねえ。オラ、何かアイツに嫌われるようなことしたのかな?
ぜん:(弱っている様子で)とら・・・
とら:ん?ぜんか?・・・ど、どうしたんだ!?おめえボコボコじゃねえか!
ぜん:俺・・・おめえに・・・
とら:な、何だ?
ぜん:これを・・・(倒れる)
とら:おい!ぜん!しっかりしろ!ぜん!ぜん!
0:時間経過
ぜん:(目覚める)ん・・・
とら:ぜん!気が付いたか!
ぜん:『目が覚めると、俺の頭はとらの膝の上だった・・・』
ぜん:『暖かく柔らかい膝の感触に気が付くと、顔が熱くなった』
とら:おい、おめえ、熱いぞ。熱があるんじゃねえか?
ぜん:だ、大丈夫だよ・・・
とら:一体何があったんだ?
ぜん:これ・・・
0:ぜん、懐から饅頭を取り出す。
とら:何だこりゃ?饅頭(まんじゅう)?これ、どうしたんだ?
ぜん:太郎と、相撲したんだ・・・
とら:太郎って、庄屋様(しょうやさま)の息子のか?
ぜん:ああ・・・相撲で勝ったら、饅頭くれるって言うから・・
とら:太郎も無謀な勝負したもんだな。おめえの馬鹿力に敵うはずねえのに。
ぜん:そりゃそうだ。だから太郎のやつ、助っ人呼んで来やがってよ。
ぜん:結局三人まとめて相手する羽目になったんだ。
とら:三人!?
ぜん:しかもアイツら、相撲だって言ってんのに、殴るわ蹴るわ、終い(しまい)には棍棒(こんぼう)まで持ち出すわ、やりたい放題でよ。
とら:・・・
ぜん:それでも何とか勝ったのに、今度は肝心の饅頭をなかなか渡しやがらねえ。結局引ったくっちまった。
とら:そんなに饅頭食いたかったんか?
ぜん:・・・やる
とら:は?
ぜん:おめえに、やる!
とら:何でだよ?
ぜん:芋の礼だ!
とら:いらねえよ。そんなに苦労して手に入れたんだから、おめえが食えば良いだろ。
ぜん:饅頭、好きって言ってたろ?
とら:そりゃ好きだけど・・・
ぜん:良いから受け取れ!
とら:けどよ・・・
ぜん:やる!やるったらやる!
とら:・・・本当に良いのか?
ぜん:良い!
とら:後で返せって言っても、返さねえぞ?
ぜん:言わねえ!
とら:じゃあ・・・
0:とら、饅頭を半分食べる
ぜん:うまいか?
とら:ああ・・・
ぜん:(笑いながら)そっか。
とら:・・・
0:とら、残った半分をぜんに差し出す。
ぜん:どうした?
とら:ん!
ぜん:何だよ?
とら:はんぶん!
ぜん:あ?
とら:はんぶんこ!
ぜん:いや、俺は良いって。
とら:おめえも食え!
ぜん:いらねえよ。おめえが全部食え。
とら:ダメだ!
ぜん:何がだよ!
とら:良いから食え!
ぜん:おい、やめろよ!
とら:オラが食わせてやる!
ぜん:やめろ!やめ・・・(口の中に饅頭を押し込まれる)ん、んー・・・(飲み込む)
とら:どうだ?
ぜん:・・・
とら:ぜん?
ぜん:うわあっ!
とら:うおっ!な、何だ?
ぜん:何だこりゃ!めちゃくちゃ甘えぞ!
とら:そりゃ、饅頭だからな。
ぜん:饅頭って、甘えのか?
とら:ひょっとして、初めて食ったんか?
ぜん:うん。
とら:そうか・・・(小声で)おめえはそれを、オラ一人に食わせようとしてたんか。
ぜん:太郎のやつ、こんな美味えもんをいつも食ってんのか?段々腹が立ってきたぞ。
とら:そりゃ、庄屋様の倅(せがれ)だからな・・・
とら:(ため息)何でオラ達は、饅頭一つ食うのにこんなに苦労しなけりゃいけねえんだ?
ぜん:・・・
とら:オラも庄屋様の家に生まれたかったな・・・
ぜん:いつか・・・
とら:あ?
ぜん:いつか、俺が大人になったら・・・おめえに饅頭、腹一杯食わせてやる!
とら:・・・
ぜん:・・・
とら:(吹き出す)饅頭を、腹一杯?何だそりゃ。
ぜん:良いじゃねえか!
とら:おめえらしいな!
ぜん:うるせえ!
ぜん:『俺なりに、想いを伝えたつもりだった。大人になっても、とらの側にいる、と』
ぜん:『とらが居れば、辛い毎日も耐えられる。とらの笑顔を見るためなら、どんな事でもできる。』
ぜん:『いつか、とらと夫婦(めおと)になる・・・その希望があれば、俺は生きていける。そう、思っていた』
ぜん:『そう、思っていたのに・・・』
0:一年くらい後 とらの家
とらの父:とら。
とら:どうしただ?
とらの父:明日・・・町に行くぞ。
とら:町!
とらの父:ああ・・・
とら:『町に行くのは楽しみだった。色々なお店や食べ物・・・ここには無いものが沢山ある』
とら:『しかし・・・喜ぶ私とは反対に、父の表情は曇っていた』
とらの父:・・・
とら:一体、何しに行くだ?
とらの父:大したことでねえ。ちょっと、用事があっての。
とら:・・・まさか。
とらの父:(小声で)おめえが悪いんだ。俺の言う通りにしねえから・・・
とら:・・・
0:その日の夕方
ぜん:何だよ、話って?
とら:・・・
ぜん:とら?
とら:・・・明日、町に行く。おっとうに言われた。
ぜん:町?何しに行くんだ?
とら:おっとうは言わなかったけど、きっと三島屋(みしまや)に行くんだ。
ぜん:三島屋って・・・確か女郎屋(じょろうや)だろ?そんなとこに、何しに行くんだ?
とら:何で分かんねえんだ!そんなもん、一つしかねえべさ!
ぜん:分かんねえよ!俺頭わりいから!
とら:もう、おめえは本当に!
とら:オラは・・・売られんだ。
ぜん:・・・え?
とら:物分かりがわりいのも大概にしろ!このバカタレ!
ぜん:嘘だろ?何でおめえが?
とら:しょうがねえだろ。オラも一応女子(おなご)だ。年頃になったら、口減らし(くちべらし)の為に売られんのはわかってた。
ぜん:でもよ・・・
とら:まあ、そういうことだからよ、おめえも達者(たっしゃ)で暮らせ。じゃあな!
0:とら、走り去る。
ぜん:お、おい!
とら:(走りながら泣いている)
ぜん:とらが・・・女郎になる?そんな・・・
0:ぜんの家 ぜんの父が一人で飲んだくれている。
ぜんの父:何だあ?こんな時間に帰ってきやがって。
ぜん:・・・
ぜんの父:このっ!
0:ぜんを殴る。
ぜん:っ!
ぜんの父:さっさと田んぼに戻るだ!
ぜん:・・・
0:ぜんは動かない。
ぜんの父:(舌打ち)聞こえなかったのか?
ぜん:・・・
ぜんの父:なんとか言え!
0:また殴る。
ぜん:っ!
0:ぜんは表情も変えず立ち尽くしている。
ぜんの父:このっ!このっ!(殴り続ける)
ぜん:『いくら殴られても、少しも痛みを感じなかった。そもそも、殴られていることさえ、よく分からなかった』
ぜんの父:(息を切らせながら)なんだおめえ・・・おかしくなっちまったのか?
ぜん:『その夜、俺は眠れなかった。』
ぜん:『とらが、女郎になる。』
ぜん:『とらが、村を出て行く。』
ぜん:『とらに会えなくなる。』
ぜん:『とらが・・・他の男と・・・』
ぜん:『視界が歪む(ゆがむ)。頭が痛くなる。吐き気がする。俺は地獄に落ちた様な心地(ここち)で、一晩過ごした。』
0:翌朝
ぜんの父:やい!何ボーっとしてるだ!朝になったぞ!仕事の時間だ!
ぜん:・・・
ぜんの父:こいつまた行かねえ気か!?この・・・
ぜん:『親父の拳が振り上げられる。それは俺の顔面めがけて真っ直ぐに飛んできた』
ぜん:『だが今回は・・・俺はそれを受け止めた。』
ぜんの父:なっ!?
ぜん:っ!
0:ぜん、父を突き飛ばす。
ぜんの父:ぐはあっ!
ぜん:『困惑する親父を突き飛ばし、俺は家の外に飛び出した』
ぜんの父:ぜん!待ちやがれ!
ぜん:『俺は走り出した!とらの元へ!』
0:畦道 とらが父と一緒に歩いている。
とらの父:とら、ぐずぐずするな。
とら:・・・
とらの父:とら・・・察しは付いてるだろうけどよ、悪く思わねえでくれ。
とら:・・・
とらの父:このままこの村に残ってもよ、いつくたばっちまうかも分かんねえだろ?
とらの父:向こうに行きゃあ、食うに困ることはねえ。上手くすりゃ、もっと良い暮らしができる。
とら:・・・
とらの父:だからな、間違っても俺を恨むんでねえぞ?これはな、おめえの為なんだ。
とら:『父の「おめえの為」を聞くのも、これで最後か・・・そう思うと、何故か笑えてきた』
とらの父:ん?
とら:おっとう、どうしただ?
0:ぜんが走ってくる。
ぜん:(息を切らせながら)とら!
とら:ぜん?
ぜん:『父親に連れられ、肩を落として歩く、俺の幼馴染が、そこにいた。』
とらの父:ぜん、何やってるだ?いまおめえに構ってる暇はねえんだ、またな。
0:父、とらを連れて行こうとする。
ぜん:待て!
とら:っ!?
とらの父:ああん?
ぜん:行かせねえ!
とら:え?
とらの父:おめえ、何言ってんだ?
ぜん:うるせえ!絶対に、行かせねえぞ!
とらの父:ふざけて・・・
ぜん:(被せて)おらあっ!
0:ぜん、とらの父を殴る。
とらの父:ぐはあっ!
とら:っ!
ぜん:『俺はとらの親父を殴り飛ばし、呆気に取られるとらの腕を掴んだ。』
ぜん:走れ!
とら:お、おめえ・・・
ぜん:何も考えんじゃねえ!とにかく走れ!!
ぜん:『そう言って駆け出した。とらのか細い(かぼそい)腕を、力いっぱい引っ張った。』
とら:あっ!
とらの父:(よろよろと立ち上がりながら)ま、待へえ・・・とらを返すだあ・・・
ぜん:『二人で畦道(あぜみち)を駆け抜ける。あっという間に村の門を抜けた。』
ぜん:(走っている息遣い)
とら:(走っている息遣い)
ぜん:『息を切らせながら、草原を駆ける。』
ぜん:『腕の先に、とらの存在を感じる。俺の心は踊っていた。』
とら:『そのまま山に入った。険しい山道を進む。』
ぜん:(さっきよりも苦しそうな息遣い)
とら:(さっきよりも苦しそうな息遣い)
ぜん:『苦しかった・・・でも、嬉しかった』
とら:『この世に私たち二人きり、そんな風に思えた』
ぜん:『過去も未来も、俺にはどうでも良かった。ただ、今がそこにある。希望と幸せに満ち溢れた今が、確かにそこにあった。』
0:ぜんの家
ぜんの父:(とっくりから水を飲んで)アイテテ・・・腰を痛めちまった。ぜんの野郎、帰ったらただじゃおかねえぞ。
とらの父:(家に飛びこんできながら)おい!
ぜんの父:あん?・・・おめえ、その顔どうしたんだ?
とらの父:ぜんにやられたんだよ!
ぜんの父:ぜんに?(水を飲む)
とらの父:呑気に酒なんか飲んでる場合か!
ぜんの父:あほ、これは水だ。
とらの父:あ?だってそのとっくり・・・
ぜんの父:酒が無くなっちまったからよ、代わりに水を入れたんだ。こうすりゃちっとは酒の匂いと味がするからよ。
とらの父:貧乏臭えことしてんなあ。
ぜんの父:実際貧乏なんだからしょうがねえべ。で、ぜんがどうしたんだ?
とらの父:そうだった!ぜんのやつよう・・・
ぜんの父:おう(水を飲む)
とらの父:とらを攫い(さらい)やがったんだ!
ぜんの父:(盛大に水を吹き出す)
とらの父:汚ねえ!!
0:時間経過 山頂
とら:これから、どうするの?
ぜん:おめえに、不自由な思いはさせねえ。俺が、何とかする!
ぜん:『そう意気込んではみたものの、俺達に日々の糧(かて)を得る術(すべ)など、あるはずも無かった』
ぜん:『廃寺(はいでら)で寝起きしながら、野草や獣を取ったり、物乞い(ものごい)をしてなんとか生きていた。しかし・・・』
とら:(咳込む)
ぜん:とら?大丈夫か?
とら:(弱っている様子で)ああ、大丈夫だ。
ぜん:『とらは、日に日に痩せ(やせ)細っていった。咳も頻繁に出ている。このままいったら、とらは死んでしまうのではないか・・・』
とら:心配すんなって、オラは・・・
ぜん:とら?
とら:ただ、おめえと・・・一緒に・・・(意識を失う)
ぜん:(このままじゃダメだ。何とかしないと。)
0:町にて
ぜん:お恵みを・・・どうかお恵みを下せえ!
ぜん:『俺は町行く人々に訴えかけた。茶碗を片手に、時には足に縋り(すがり)ついた。しかし、冷たく引き剥がされる。』
浮浪者:あでえ?
ぜん:?
浮浪者:銭っこだあ!銭っこが落ちとる!
0:浮浪者、茶碗を拾い上げる。
ぜん:あっ!それは俺んだぞ!
浮浪者:違うぅー。こいつは俺が拾ったんだあ!
ぜん:返せ!
0:ぜん、浮浪者に掴みかかるが、かわされる。
浮浪者:ほほいっ!おめいにはやらねえよぅ!
0:浮浪者、背を向けて走り出す。
ぜん:待て!待てよ!
ぜん:『俺は追いかけようとするが、ろくに食べていないせいか、すぐにふらつき、倒れてしまった。』
浮浪者:銭っこだあ!銭っこだあ!あひゃっ!あひゃっ!あひゃっ!あひゃっ!あひゃっ!
0:浮浪者、飛び跳ねながら走り去る。
ぜん:うぅ・・・
ぜん:『せっかく集めた僅かな銭も失ってしまった。目から数滴の涙が溢(こぼ)れた』
町人:親父、団子をくれい。
ぜん:『俺は顔を上げた。そこは茶屋だった。』
町人:(団子を食べる)
ぜん:『町人(ちょうにん)は美味そうに団子を食べている。俺の腹が、鳴いた』
ぜん:『ふと見ると、男が腰掛ける縁台(えんだい)に、巾着袋(きんちゃくぶくろ)が置いてあった』
ぜん:『きっとその男の物だろう。その膨らみからして、相当な銭が入っている事が分かった。』
町人:(団子を食べる)
ぜん:『気がつくと、俺は巾着袋に手を伸ばしていた。一瞬手が止まる。しかし、その時・・・』
町人:ん?
ぜん:『男と目が合った』
町人:どうした坊主?
ぜん:(震えている)
町人:団子、食うか?
ぜん:っ!
ぜん:『俺は、巾着袋を掴んでしまった。』
町人:あっ!
ぜん:『俺は走り出した』
町人:こら待て!
ぜん:『空腹の体から力を振り絞り走る。後ろから町人の怒鳴り声が聞こえる。』
町人:待て!クソガキ!
ぜん:『それでも俺は止まらない。』
ぜん:あっ!
ぜん:『足がもつれて倒れ込んだ。巾着袋から銭が何枚か溢れ(こぼれ)落ちる。俺は構わず、再び巾着袋を掴むと走り出した。』
町人:(息を切らせて)くそっ!
ぜん:『罪悪感を感じる暇もなかった。これで、この銭で、とらを救うんだ。その想いが、俺を突き動かしていた。』
0:廃寺にて
ぜん:ほれ、見ろ!
ぜん:『廃寺に戻った俺は、早速巾着袋をとらに差し出した。しかし、とらは少しも嬉しそうな顔をしなかった。』
とら:この銭っ子(ぜにっこ)、どうしたんだ?
ぜん:ど、どうでも良いだろ!これでうまいもんいっぱい食えるぞ!着物だって買ってやる!
とら:・・・盗って(とって)きたんか?
ぜん:!
とら:人様のもん、盗んできたんか?
ぜん:別に良いじゃねえか!銭は銭だ!
とら:いらねえ。
ぜん:何だと?
とら:オラ、こんなもんいらねえ!
0:とら、巾着袋を払い除ける。銀貨が辺りに散らばる。
ぜん:何しやがる!
0:ぜん、とらの頬を平手打ちする。
とら:痛っ!
ぜん:あ・・・
とら:(睨み付ける)おめえなんか大っ嫌いだ!どっか行っちまえ!
ぜん:・・・(泣きそうになりながら)ちくしょう!
0:ぜん、走り去る。
とら:バカタレが・・・
0:時間経過
ぜん:『俺は町に戻っていた。あちこちをさまよった後、気がつくとあの茶屋の近くまで来ていた。』
ぜん:あっ・・・
町人:お前!
ぜん:『俺は振り返り、逃げ出そうとした。でも・・・また向き直り、巾着袋を差し出した。』
町人:あん?
ぜん:ゴ、ゴメンよ!俺達、ずっと腹が減ってて、辛くて・・・俺は良いんだ!でもとらが、とらが!
町人:・・・
ぜん:(段々泣きそうにながら)俺が無理矢理とらを連れてきたのに、辛い思いばっかりさせて・・・俺、もうどうして良いかわからなくて・・・本当にすまねえ!
ぜん:『俺は誰に謝っていたのだろう。銭を盗ってしまったこの男か、それとも何一つしてやることのできない幼馴染に対してか・・・』
町人:おい。
ぜん:?
町人:こらっ!
0:町人、ゲンコツで軽くぜんの頭をこつく。
ぜん:いてっ!
ぜん:『僅かな痛みの後、頭の上に温かい感触を感じた。』
町人:おい、坊主。
ぜん:『顔を上げると、男が頭を撫でてくれていた。』
町人:どんな理由があろうとなあ、盗っ人なんか働いちゃいけねえんだぞ。
ぜん:ゴメン。
町人:・・・その「とら」ってのは、お前さんの大事な人なのかい?
ぜん:う、うん!
町人:(少し笑う)
ぜん:『彼は返した巾着袋から銭を数枚取り出すと、俺の手に握らせた。』
町人:持ってきな。
ぜん:良いの!?
町人:もう二度と、盗みはしねえって約束できるならな。
ぜん:お、俺、二度とやらねえよ!
町人:男と男の約束だぞ?
ぜん:うん!約束する!
町人:良い子だ。その「とら」って子の所に早く戻ってやんな。
ぜん:ありがとう!
ぜん:『俺は走り出す。今度は、晴れやかな気持ちで。』
ぜん:『村を出て初めて、人の優しさに触れた。それが嬉しかった。』
ぜん:『俺はもらった銭で食い物を買うと、急いでとらの元に戻った。』
0:廃寺
とら:(目覚める)ぜんの奴、まだ帰ってねえのか。
とら:・・・ちょっと、言い過ぎたかな。
とら:(人の気配を感じる)帰ってきた!どこ行って・・・
浮浪者:・・・あでえ?
とら:誰だおめえ?
浮浪者:ふひっ・・・ふひひひひひ!女!女だあ!
とら:く、来るな!
浮浪者:女!女!女!女!
とら:助けて!
0:廃寺へ至る道
ぜん:へへ、食い物いっぱい手に入ったぞ。これでとらも・・・
とら:イャアアア!
ぜん:っ!何だ?
ぜん:『とらの悲鳴に、俺は走り出した。』
とら:離せ・・・やめて!
浮浪者:女だあ!久しぶりだあ!(とらの体をまさぐりながら)あったけえよお、柔らけえよお。
とら:(抵抗しながら)いやっ!
浮浪者:ちっとの間我慢しておくれよう。なっ?なっ?なっ?なっ?
とら:ぜん!!!
ぜん:やめろ!
浮浪者:はひ?
ぜん:があっ!(浮浪者を殴り飛ばす)
浮浪者:ふぎゃあっ!
ぜん:『俺は男を殴り飛ばした。男の体が吹っ飛ぶ。』
浮浪者:痛い・・・痛えよお!
ぜん:この野郎!
ぜん:『俺は、男に馬乗りになった』
浮浪者:ひっ!
ぜん:このっ!(殴る)
浮浪者:いぎゃあ!
ぜん:このっ!(殴る)
浮浪者:ぐぎゃあ!
ぜん:このっ!(殴る)
浮浪者:がふっ!
ぜん:(荒い息遣い)
とら:ぜ、ぜん・・・もう・・・
浮浪者:(かなり弱った様子で)お願え(おねげえ)だあ。もう殴らないでけろ。
とら:な?オラはもう大丈夫だから。だからよ・・・
ぜん:があああああああ!
とら:っ!
ぜん:『俺は顔面に拳を撃ち付けた。何度も、何度も・・・何度も何度も何度も何度も・・・』
浮浪者:(殴られながら)あぎゃっ!ぴぎぃ!ごげっ!・・・
ぜん:『拳から骨を砕く感触が伝わる。それでも俺は殴るのをやめなかった。』
ぜん:『許せるはずがない、「俺のとら」を襲おうとしたやつを・・・』
ぜん:(殺してやる!)
とら:やめて!これ以上殴ったら死んじまう!
ぜん:っ!
ぜん:『とらの叫び声で、俺は正気を取り戻した。』
ぜん:『俺の拳は血で真っ赤に染まり、男は辛うじて息をしていたが、顔は原形を留めていない程、ぐちゃぐちゃになっていた。』
浮浪者:あ・・・が・・・
とら:(怯えた様子で)あ・・・あ・・・
ぜん:『とらが俺を見ていた。まるで、人では無いものを見るように。』
ぜん:(やめろ・・・やめてくれ!)
ぜん:(そんな目で・・・俺を、見るな・・・)
0:夜
ぜん:(寝息)
とら:ぜん、ゴメンよ・・・オラは、もう・・・
0:翌朝
ぜん:(目覚める)おはよう、とら。昨日は、ひでえ目にあったな。ここも物騒な所みたいだし、寝ぐら変えねえか?
ぜん:実はさ、昨日良い人に会ったんだ。また会えるか分からねえけど、あの人なら頼み込んだら俺たちの面倒見てくれるかもしれねえ!
ぜん:だからさ・・・とら?
ぜん:『寝床に、とらの姿はなかった。』
ぜん:とら?どこ行っちまったんだ?
ぜん:『俺は走り出した。』
ぜん:とら!
ぜん:『近くを見て回ったが、どこにもとらの姿は見つからない。』
ぜん:(まさか、俺の事が怖くなって逃げ出したんか?)
ぜん:(嫌だ!おめえがいなくなったら、俺は生きていけねえ!)
ぜん:『泣きながら、名を呼び続けた。』
ぜん:とら!とら!!
ぜん:『どれだけ呼んでも、答えは返ってこない。どれだけ走っても、見つけることはできない。』
ぜん:とらあああ!!!
とら:『これが私達の、初めての別れだった。』
0:つづく
ぜんの父:おうい、おるかあ?
0:とらの父、戸を開け顔を出す。
とらの父:おう、来たな。
0:とらの父、とっくりを差し出す。
ぜんの父:へへ、すまねえなあ。
とらの父:おっと!貰うもん貰ってからだべ。
ぜんの父:分かっとる。ほれ。
0:ぜんの父、布袋を渡す。
とらの父:(袋の中を覗いて)これっぽっちかよ!話が違うでねえか!
ぜんの父:何だと!それはなあ、家に残ってたなけなしの米なんだぞ!
とらの父:よく言う。本当に「なけなし」なら、酒なんかと交換しねえべさ。
ぜんの父:うるせえ!さっさとよこすだ!
とらの父:(ため息)一つ貸しだぞう。
0:とっくりを渡す。
ぜんの父:へへへ、ありがてえ。どれ・・・
0:その場でらっぱ飲みする。
とらの父:いま飲むんかい。
ぜんの父:ぷはあ!たまんねえべや!
とらの父:本当にどうしようもねえ親父だな、おめえは。ぜんが可哀想だ。
ぜんの父:あん?
とらの父:おめえみたいなぐうたらで、飲んだくれの親父持ってよ。たまには息子孝行したらどうだ?
ぜんの父:おめえだって似たようなもんだろうが!
とらの父:どこがだ!俺はとらを大事(でえじ)にしてるじゃねえか!
ぜんの父:嘘つけ!この酒だって、とらに色目でも使わせて手に入れたんだろうが!
とらの父:人聞きの悪いこと言うな!俺はただ、地主様に日頃のお礼をしようと、とらを行かせただけだ。
ぜんの父:で、とらに何をさせたんだ。
とらの父:大したことじゃねえ!ちょっと、耳掃除をよ。
ぜんの父:耳掃除だあ?どうせそれだけじゃ済まなかったんだべ?
とらの父:後は・・・ちょこっと手握られて、膝(ひざ)を撫(な)でられたぐれえで・・・
ぜんの父:その内「耳掃除」じゃ済まなくなるぞ?
とらの父:その時は・・・ま、仕方ねえべな。
ぜんの父:(ため息)おめえの方が「子不孝」じゃねえか。
とらの父:俺はいつだって、とらの為を思ってだな・・・
ぜんの父:勝手に言ってろ。
とらの父:あ、そうだ。おめえに言っとかなきゃいけねえことがあるんだ。
ぜんの父:?
とらの父:実はな、とらのやつ、どうもぜんに気があるみてえでよ。
ぜんの父:そうなのか?
とらの父:ああ。(ため息)何でよりにもよって、ぜんなんだか。
ぜんの父:貧しい小作人の子供同士、一緒になった所で「先」はねえわな。
とらの父:そうなんだよ!なあ、あいつらがくっつかないようによ、気をつけてくれねえか?
ぜんの父:そうだなあ。あいつも女子(おなご)にうつつを抜かしてる場合じゃねえ。もっともっと働いてもらわねえとよ。
ぜんの父:どうせ馬鹿力しか取り柄がねえんだ。
とらの父:とらは器量良しなんだ。上手くすりゃ、良いとこに嫁にやれるかもしれねえ。
ぜんの父:へっ!それが無理なら、女郎にでもしちまう手もあらあな。
とらの父:そりゃおめえ!あくまで「最悪の場合」の話だ。
ぜんの父:まあ、子供は親に尽くすもんだ。ここまで育ててやったんだ。そんぐれえしてもらっても、罰(ばち)は当たんねえべ。
とらの父:ま、まあな。
0:河原 寝転がっているぜん
ぜん:腹減ったなあ・・・
ぜん:今度飯が食えるのは、一体いつなんだあ・・・
ぜん:どっかに食いもん落ちてねえか・・・
とら:こぉら!ぜん、何サボってやがる!
ぜん:おわぁ!?
0:ぜん、飛び起きる。
とら:ちゃんと働かねえか!
ぜん:なんだ、とらか。お袋かと思ったじゃねえかよ。
とら:河原で昼寝とは、良いご身分だな。
ぜん:うるせえ。おめえだってサボりに来たんじゃねえのか?
とら:一緒にすんな!オラは水汲みに来たんだ。
ぜん:本当かあ?
とら:本当だ!オラはおめえとは違うだ。
ぜん:(舌打ち)あーそうかよ。ご苦労なこったな。
とら:おめえと無駄話してる暇なんかねえんだ。早く帰らねえと叱られちまう。
ぜん:おめえから話しかけてきたんじゃねえか。
とら:よいしょっと(川に入って水を汲む)
ぜん:そりゃ!
0:ぜん、とらを後ろからつき倒す。
とら:うわあっ!(川に倒れ込む)ぶはっ!
ぜん:(大声で笑う)おめえ、何川に飛び込んでんだよ!
とら:おめえが押したからだろ!びしょ濡れになったじゃねえか!
ぜん:おめえが間抜けなだけだろ!
とら:・・・このっ!
0:とら、ぜんに水をかける。
ぜん:わっぷ!冷て!
とら:(大声で笑う)ざまあみろ!
ぜん:やりやがったな!(水をかける)オラっ!
とら:うわっ!
ぜん:『俺は、貧しい小作人の家に生まれた。物心付いた時から、毎日毎日家畜の様に働かされた。』
とら:てめえ、もう容赦しねえぞ!
ぜん:『近所に住む「とら」も、俺と同じ貧しい百姓の娘だった。』
とら:これでも喰らえ!
ぜん:ぶはっ!てめえ、桶(おけ)使うなんて卑怯だぞ!
とら:『時々こうして、親の目を盗んで遊んだ。辛い毎日の中で、少しだけ現実を忘れることができる瞬間だった。』
ぜん:よし、こうなりゃ本気出すぞ!
とら:かかってこい!
0:時間経過
とら:・・・オラはなんて阿保(あほ)なんだ。
ぜん:・・・やっと気づいたか。
とら:っ!
0:とら、ぜんを殴る。
ぜん:あいたっ!
とら:おめえに付き合わされて、気が付いたらすっかり夕暮れじゃねえか!びしょ濡れだし、ぜってえ叱られる。
ぜん:「付き合わされて」って何だよ、おめえも楽しんでたじゃねえか。
とら:うるせえ!これで今日の晩飯(ばんめし)抜きだったら、おめえのせいだからな!
ぜん:・・・今日だけなら、別に良いじゃねえか。
とら:あ?
ぜん:俺なんかなあ、もう二日も食ってねえんだぞ!「おめえの分の飯はねえんだ、すまねえな」だとよ!
ぜん:いくら蓄え(たくわえ)が残り少ねえからって、親が子供の飯取り上げるか?普通逆だろ!?
とら:・・・
ぜん:あと何日かしたら、そこいらでくたばってるかもな。
とら:(少し小声で)そんな事言うなよ・・・
ぜん:あ?
とら:・・・
0:とら、懐から里芋を差し出す。
ぜん:何だこりゃ?芋(いも)?
とら:オラの非常食だ、おめえにやる!濡れちまったけど。
ぜん:・・・何で?
とら:め、恵んでやる!可哀想だから!
ぜん:何だと!何でおめえに恵んでもらわなくちゃいけねえんだ!
とら:(少し小声で)そこ本気にすんなよ、バカタレ。
ぜん:あ?
とら:良いから受け取れ!腹減ってんだろ?
ぜん:・・・本当にくれんのか?
とら:女に二言はねえ!
ぜん:・・・後で返せって言われても、返さねえぞ?
とら:言わねえよ!
ぜん:・・・じゃあ。
0:ぜん、芋を受け取る。
ぜん:(照れ臭そうに)ありがとよ。
とら:(照れ臭そうに)おう。
とら:そういやよ・・・
ぜん:ん?
とら:おめえ、今年も祭に来ねえのか?
ぜん:そうか、もうそんな季節か。
とら:今晩だぞ?
ぜん:いつでも関係ねえ。どうせ行かねえから。
とら:やっぱりか・・・祭、嫌いなんか?
ぜん:別に・・・親父が行ったら駄目って言うからよ。
とら:そうだったんか。
ぜん:何だよ?俺がいねえと寂しいってか?
とら:バ、バカタレ!そんなわけあるか!
ぜん:そうかあ、寂しいのかあ。
とら:違うって言ってんだろ!おめえの分まで、目一杯楽しんできてやるからな!
ぜん:けっ。
0:ぜんの家
ぜんの父:おい!こんな時間までどこほっつき歩いてやがった!
ぜん:うるせえな。お袋は?
ぜんの父:知るか!
ぜん:また喧嘩したのか?今度こそ帰ってこねえかもしれねえぞ?
ぜんの父:そんなわけねえ!いつもみてえに、ひょっこり帰ってくらあ!
ぜん:ふん・・・あれ?
ぜんの父:何だ?
ぜん:そのとっくり・・・
ぜんの父:あっ!
0:ぜんの父、とっくりを隠そうとする。
ぜん:どういうことだ!?その酒どうしたんだ!?
ぜんの父:うるせえ!こいつは、その、もらったんだ!
ぜん:嘘つけ!どこの誰が、ただで酒なんかくれるってんだ!
ぜんの父:おめえ、親の言うことが信じられねえのか!
ぜん:食う米もねえってのに酒なんか・・・
ぜん:それよこせ!俺が米と替えてくる!
ぜんの父:なっ!?ふざけんな!これは俺のだ!
ぜん:よこせ!
ぜんの父:離せ!
0:とっくりを手に揉み合う。
ぜん:あっ!
ぜんの父:あっ!
0:とっくりが床に落ち、酒が全てこぼれる。
ぜん:酒が、全部こぼれちまった・・・
ぜんの父:このクソガキ!
0:ぜんを殴る。
ぜん:ぐはっ!何すんだ!
0:ぜんの父を突き飛ばす。
ぜんの父:ぐあっ!
ぜん:あ・・・
ぜんの父:おめえ!親に手上げるとは何事だ!
ぜん:う・・・
ぜんの父:ここまで育ててやったのは誰だと思ってんだ!
0:またぜんを殴る。
ぜん:ぐぅ!
ぜんの父:この親不孝もんが!
ぜん:『親父は俺を殴り続ける。その気になればやり返せる。だが、こんなのでも、一応親だ』
ぜんの父:(殴りながら)この馬鹿息子がっ!馬鹿息子がっ!
ぜん:『これが、俺の日常』
ぜん:『辛く、退屈な、俺の日常』
ぜん:『こんな日々、早く抜け出したい。そう思っていた』
ぜん:『この時は、そう思っていた』
0:とらの家
とら:ただいま・・・
とらの父:とら!やっと帰ってきたか!
とら:おっとう、ゴメンよ・・・
とらの父:おめえ、びしょ濡れでねえか!
とら:これは・・・
とらの父:さっさと体拭いて、これに着替えるだ!
とら:あ・・・
とら:『それは、私が祭に着ていく晴着(はれぎ)だった。』
とら:『決して上等な代物(しろもの)ではなかったが、いつも着ている、ボロボロで薄茶一色の着物ではない、その鮮やかな色彩に心が躍った』
とら:『一年のうちにこれを着れるのは今日だけ。私にとって、数少ない楽しみだった』
とらの父:今年もよう、おっかあが頑張ってこさえてくれたんだべ。良かったなあ。
とら:うん!おっかあ、ありがとう!
とら:『奥に控えていた母は、うつろな目で私を見ると、微かに(かすかに)微笑んだ。母はいつもこんなだった』
とらの父:今日はこれ着てよう、旦那衆に目一杯媚(こび)売るだぞ。
とら:・・・
とらの父:何だその顔は?旦那衆に気に入られたらよう、良い家に嫁げるかもしれねえだろ?
とら:オラ・・・
とらの父:だからな、今日できるだけお近づきになっとくだ。
とらの父:それからよう、「ちょっと触りてえ」なんて言われても、嫌がっちゃなんねえぞ?
とら:・・・え?
とらの父:男ってのはな、女子(おなご)にそういうことをしたがるもんなんだ。おめえも年頃だし、分かるべ?
とら:おっとう、何言ってるだ・・・
とらの父:これも全部、おめえの為なんだ。
とら:『これが父の口癖だった。「おめえの為だ」事あるごとに父はそう言った。そうして、私に何かを強いる(しいる)のだ』
とらの父:な?わかったな?じゃあ、急いで着替えるだ。
とら:・・・嫌だ。
とらの父:あ?
とら:オラ、行かねえ!
とらの父:おめえ何言ってるだ!?着物だって用意してやったでねえか!?わがまま言うでねえ!
0:とらの腕を掴む。
とら:嫌だ!放してけろ!
とらの父:いい加減にしろ!!
0:とらの頬に平手打ちする。
とら:痛っ!
とら:『私が平手打ちされたのを見て、母は目を背けた。これも、いつもの事だ』
とらの父:おっとうの言う事が聞けねえのか!
とら:(父をにらむ)
とらの父:何だあその目は!そんなに文句があんなら、今すぐ家から叩き出してやっても良いんだぞ!
とら:っ!・・・ごめんなさい。
とらの父:(ため息)顔を叩いたのは良くなかったなあ。どれ、あざになってねえか?
とら:・・・
とらの父:大丈夫みてえだな。せっかくのめんこい顔、傷付けちまったら勿体ねえべな。「売り物」にならなくなっちまう。
とら:っ!
とらの父:なあとら、全部おっとうの言う通りにしてりゃいい。これは、おめえの為なんだ。
とら:・・・うん。
とら:『これが、私の日常』
とら:『辛く、退屈な、私の日常』
とら:『こんな日々、早く抜け出したい。そう思っていた』
とら:『この時は、そう思っていた』
0:夜
とら:(ため息)やっぱり来てねえな。
とら:『祭の夜、ぜんの姿を探したが、見つからなかった。』
とら:ぜんにだけは、この着物、見て欲しかったな・・・
とら:『父は、地主様とにこやかに話をしながら、時々こちらを指差してくる。それを見る度に、私の背筋には悪寒(おかん)が走った』
とら:アイツと一緒に、来たかったな・・・おっ!
とら:『笛や太鼓の拍子(ひょうし)と共に、獅子舞(ししまい)が姿を表す。皆はそれを歓声で迎える』
とら:ま、しょうがねえ。せっかくの祭だ、楽しむぞ!
とら:『私は盆踊りの輪に加った。それを・・・』
ぜん:『・・・俺は見ていた。密かに家を抜け出し、林の中から祭の様子を見ていた』
ぜん:『そこに居たのは、いつも見慣れたがさつな幼馴染ではない。可愛らしい着物に身を包んだ、可憐な少女だった』
ぜん:(何だこれ?胸がチクチクする・・・)
とら:(笑い声)
ぜん:『俺は祭りの輪に加わることが出来ず、林の中から、ただ彼女を見つめていた』
とら:?
ぜん:っ!
ぜん:『とらと目が合った、気がした。ただそれだけの事なのに、俺はその場から逃げ出した』
ぜん:(走っている息遣い)
とら:今、ぜんがいたような?気のせいか。
ぜん:『林の中を駆ける。体のあちこちが木の枝や葉で擦れ(こすれ)、小さな擦り傷がたくさんできた。』
ぜん:『それでも俺は構わず走り続けた』
ぜん:(走り抜けた後の苦しそうな息遣い)
ぜん:『林を抜けた所で、一旦止まった。胸の鼓動は、今まで経験したことが無いくらい早まっている』
ぜん:『俺は目を閉じた。まぶたの裏に浮かんでくるのは、先ほど見たとらの姿。俺の頭の中は、とらで一杯になっていた』
0:時間経過
とら:もう終わりか。何だかんだ楽しかったな。来て良かった!
とらの父:とら!とら!こっちゃ来い!
とら:おっとう、どうしただ?
とらの父:ほれ、あすこにいる旦那、町の両替商(りょうがえしょう)の番頭(ばんとう)さんだ!
とら:ああ・・・
とら:『嫌な予感がした』
とらの父:旦那が、おめえの事、えらく気に入ったって言ってな。
とら:・・・
とらの父:おめえと二人で「おはなし」がしたいんだとよ!
とら:おっとう・・・
とらの父:ほれ、あすこの茂みから奥に入りゃ、誰も来やしねえ。ちゃあんとおっとうが見張っといてやるからよ!
とら:オラは・・・
とらの父:何も怖がることはねえべさ。いつかは経験することだ。ただちぃっとばかし、人より早え(はええ)だけでよ。
とら:(涙をこらえる)
とらの父:これも全部、おめえの為(なんだ)
とら:(遮って)いやだっ!
0:とら、走り出す。
とらの父:おいっ!どこ行くんだ!
とら:(走っている息遣い)
とらの父:(追いかけながら)馬鹿!どこ行くだ!?戻ってこい!戻らねえとただじゃおかねえぞ!
とら:(嫌だ!嫌だ!いくらおっとうの言う事でも、こればっかりは!)
とらの父:とら!!
とら:(オラは、ぜんが・・・)
とらの父:(走ったが追いつけず)ちきしょう!馬鹿娘が!
とら:『その後、家に戻った私を父は何も言わずひっぱたいた。父に促され、母も私を叩いた』
とら:『でも、何一つ後悔は無かった。むしろ晴れ晴れとした気持ちだった』
とら:『これでまだ、ぜんの前で笑っていられる、そう思った』
とら:『でも、そのぜんは・・・』
0:翌日
とら:あっ!おーい、ぜん!
ぜん:っ!
0:ぜん、走って逃げ出す。
とら:お、おい!・・・行っちまった。何だアイツ?
ぜん:(走っている息遣い)
ぜん:『とらの顔が見れない。とらの声を聞くだけで、頬が熱くなって息が苦しくなる。』
ぜん:(俺は、一体どうしちまったんだ?)
0:ぜん立ち止まる
ぜん:(そうか、これが・・・)
0:数日後
とら:ぜんのやつ、最近全然相手してくれねえ。オラ、何かアイツに嫌われるようなことしたのかな?
ぜん:(弱っている様子で)とら・・・
とら:ん?ぜんか?・・・ど、どうしたんだ!?おめえボコボコじゃねえか!
ぜん:俺・・・おめえに・・・
とら:な、何だ?
ぜん:これを・・・(倒れる)
とら:おい!ぜん!しっかりしろ!ぜん!ぜん!
0:時間経過
ぜん:(目覚める)ん・・・
とら:ぜん!気が付いたか!
ぜん:『目が覚めると、俺の頭はとらの膝の上だった・・・』
ぜん:『暖かく柔らかい膝の感触に気が付くと、顔が熱くなった』
とら:おい、おめえ、熱いぞ。熱があるんじゃねえか?
ぜん:だ、大丈夫だよ・・・
とら:一体何があったんだ?
ぜん:これ・・・
0:ぜん、懐から饅頭を取り出す。
とら:何だこりゃ?饅頭(まんじゅう)?これ、どうしたんだ?
ぜん:太郎と、相撲したんだ・・・
とら:太郎って、庄屋様(しょうやさま)の息子のか?
ぜん:ああ・・・相撲で勝ったら、饅頭くれるって言うから・・
とら:太郎も無謀な勝負したもんだな。おめえの馬鹿力に敵うはずねえのに。
ぜん:そりゃそうだ。だから太郎のやつ、助っ人呼んで来やがってよ。
ぜん:結局三人まとめて相手する羽目になったんだ。
とら:三人!?
ぜん:しかもアイツら、相撲だって言ってんのに、殴るわ蹴るわ、終い(しまい)には棍棒(こんぼう)まで持ち出すわ、やりたい放題でよ。
とら:・・・
ぜん:それでも何とか勝ったのに、今度は肝心の饅頭をなかなか渡しやがらねえ。結局引ったくっちまった。
とら:そんなに饅頭食いたかったんか?
ぜん:・・・やる
とら:は?
ぜん:おめえに、やる!
とら:何でだよ?
ぜん:芋の礼だ!
とら:いらねえよ。そんなに苦労して手に入れたんだから、おめえが食えば良いだろ。
ぜん:饅頭、好きって言ってたろ?
とら:そりゃ好きだけど・・・
ぜん:良いから受け取れ!
とら:けどよ・・・
ぜん:やる!やるったらやる!
とら:・・・本当に良いのか?
ぜん:良い!
とら:後で返せって言っても、返さねえぞ?
ぜん:言わねえ!
とら:じゃあ・・・
0:とら、饅頭を半分食べる
ぜん:うまいか?
とら:ああ・・・
ぜん:(笑いながら)そっか。
とら:・・・
0:とら、残った半分をぜんに差し出す。
ぜん:どうした?
とら:ん!
ぜん:何だよ?
とら:はんぶん!
ぜん:あ?
とら:はんぶんこ!
ぜん:いや、俺は良いって。
とら:おめえも食え!
ぜん:いらねえよ。おめえが全部食え。
とら:ダメだ!
ぜん:何がだよ!
とら:良いから食え!
ぜん:おい、やめろよ!
とら:オラが食わせてやる!
ぜん:やめろ!やめ・・・(口の中に饅頭を押し込まれる)ん、んー・・・(飲み込む)
とら:どうだ?
ぜん:・・・
とら:ぜん?
ぜん:うわあっ!
とら:うおっ!な、何だ?
ぜん:何だこりゃ!めちゃくちゃ甘えぞ!
とら:そりゃ、饅頭だからな。
ぜん:饅頭って、甘えのか?
とら:ひょっとして、初めて食ったんか?
ぜん:うん。
とら:そうか・・・(小声で)おめえはそれを、オラ一人に食わせようとしてたんか。
ぜん:太郎のやつ、こんな美味えもんをいつも食ってんのか?段々腹が立ってきたぞ。
とら:そりゃ、庄屋様の倅(せがれ)だからな・・・
とら:(ため息)何でオラ達は、饅頭一つ食うのにこんなに苦労しなけりゃいけねえんだ?
ぜん:・・・
とら:オラも庄屋様の家に生まれたかったな・・・
ぜん:いつか・・・
とら:あ?
ぜん:いつか、俺が大人になったら・・・おめえに饅頭、腹一杯食わせてやる!
とら:・・・
ぜん:・・・
とら:(吹き出す)饅頭を、腹一杯?何だそりゃ。
ぜん:良いじゃねえか!
とら:おめえらしいな!
ぜん:うるせえ!
ぜん:『俺なりに、想いを伝えたつもりだった。大人になっても、とらの側にいる、と』
ぜん:『とらが居れば、辛い毎日も耐えられる。とらの笑顔を見るためなら、どんな事でもできる。』
ぜん:『いつか、とらと夫婦(めおと)になる・・・その希望があれば、俺は生きていける。そう、思っていた』
ぜん:『そう、思っていたのに・・・』
0:一年くらい後 とらの家
とらの父:とら。
とら:どうしただ?
とらの父:明日・・・町に行くぞ。
とら:町!
とらの父:ああ・・・
とら:『町に行くのは楽しみだった。色々なお店や食べ物・・・ここには無いものが沢山ある』
とら:『しかし・・・喜ぶ私とは反対に、父の表情は曇っていた』
とらの父:・・・
とら:一体、何しに行くだ?
とらの父:大したことでねえ。ちょっと、用事があっての。
とら:・・・まさか。
とらの父:(小声で)おめえが悪いんだ。俺の言う通りにしねえから・・・
とら:・・・
0:その日の夕方
ぜん:何だよ、話って?
とら:・・・
ぜん:とら?
とら:・・・明日、町に行く。おっとうに言われた。
ぜん:町?何しに行くんだ?
とら:おっとうは言わなかったけど、きっと三島屋(みしまや)に行くんだ。
ぜん:三島屋って・・・確か女郎屋(じょろうや)だろ?そんなとこに、何しに行くんだ?
とら:何で分かんねえんだ!そんなもん、一つしかねえべさ!
ぜん:分かんねえよ!俺頭わりいから!
とら:もう、おめえは本当に!
とら:オラは・・・売られんだ。
ぜん:・・・え?
とら:物分かりがわりいのも大概にしろ!このバカタレ!
ぜん:嘘だろ?何でおめえが?
とら:しょうがねえだろ。オラも一応女子(おなご)だ。年頃になったら、口減らし(くちべらし)の為に売られんのはわかってた。
ぜん:でもよ・・・
とら:まあ、そういうことだからよ、おめえも達者(たっしゃ)で暮らせ。じゃあな!
0:とら、走り去る。
ぜん:お、おい!
とら:(走りながら泣いている)
ぜん:とらが・・・女郎になる?そんな・・・
0:ぜんの家 ぜんの父が一人で飲んだくれている。
ぜんの父:何だあ?こんな時間に帰ってきやがって。
ぜん:・・・
ぜんの父:このっ!
0:ぜんを殴る。
ぜん:っ!
ぜんの父:さっさと田んぼに戻るだ!
ぜん:・・・
0:ぜんは動かない。
ぜんの父:(舌打ち)聞こえなかったのか?
ぜん:・・・
ぜんの父:なんとか言え!
0:また殴る。
ぜん:っ!
0:ぜんは表情も変えず立ち尽くしている。
ぜんの父:このっ!このっ!(殴り続ける)
ぜん:『いくら殴られても、少しも痛みを感じなかった。そもそも、殴られていることさえ、よく分からなかった』
ぜんの父:(息を切らせながら)なんだおめえ・・・おかしくなっちまったのか?
ぜん:『その夜、俺は眠れなかった。』
ぜん:『とらが、女郎になる。』
ぜん:『とらが、村を出て行く。』
ぜん:『とらに会えなくなる。』
ぜん:『とらが・・・他の男と・・・』
ぜん:『視界が歪む(ゆがむ)。頭が痛くなる。吐き気がする。俺は地獄に落ちた様な心地(ここち)で、一晩過ごした。』
0:翌朝
ぜんの父:やい!何ボーっとしてるだ!朝になったぞ!仕事の時間だ!
ぜん:・・・
ぜんの父:こいつまた行かねえ気か!?この・・・
ぜん:『親父の拳が振り上げられる。それは俺の顔面めがけて真っ直ぐに飛んできた』
ぜん:『だが今回は・・・俺はそれを受け止めた。』
ぜんの父:なっ!?
ぜん:っ!
0:ぜん、父を突き飛ばす。
ぜんの父:ぐはあっ!
ぜん:『困惑する親父を突き飛ばし、俺は家の外に飛び出した』
ぜんの父:ぜん!待ちやがれ!
ぜん:『俺は走り出した!とらの元へ!』
0:畦道 とらが父と一緒に歩いている。
とらの父:とら、ぐずぐずするな。
とら:・・・
とらの父:とら・・・察しは付いてるだろうけどよ、悪く思わねえでくれ。
とら:・・・
とらの父:このままこの村に残ってもよ、いつくたばっちまうかも分かんねえだろ?
とらの父:向こうに行きゃあ、食うに困ることはねえ。上手くすりゃ、もっと良い暮らしができる。
とら:・・・
とらの父:だからな、間違っても俺を恨むんでねえぞ?これはな、おめえの為なんだ。
とら:『父の「おめえの為」を聞くのも、これで最後か・・・そう思うと、何故か笑えてきた』
とらの父:ん?
とら:おっとう、どうしただ?
0:ぜんが走ってくる。
ぜん:(息を切らせながら)とら!
とら:ぜん?
ぜん:『父親に連れられ、肩を落として歩く、俺の幼馴染が、そこにいた。』
とらの父:ぜん、何やってるだ?いまおめえに構ってる暇はねえんだ、またな。
0:父、とらを連れて行こうとする。
ぜん:待て!
とら:っ!?
とらの父:ああん?
ぜん:行かせねえ!
とら:え?
とらの父:おめえ、何言ってんだ?
ぜん:うるせえ!絶対に、行かせねえぞ!
とらの父:ふざけて・・・
ぜん:(被せて)おらあっ!
0:ぜん、とらの父を殴る。
とらの父:ぐはあっ!
とら:っ!
ぜん:『俺はとらの親父を殴り飛ばし、呆気に取られるとらの腕を掴んだ。』
ぜん:走れ!
とら:お、おめえ・・・
ぜん:何も考えんじゃねえ!とにかく走れ!!
ぜん:『そう言って駆け出した。とらのか細い(かぼそい)腕を、力いっぱい引っ張った。』
とら:あっ!
とらの父:(よろよろと立ち上がりながら)ま、待へえ・・・とらを返すだあ・・・
ぜん:『二人で畦道(あぜみち)を駆け抜ける。あっという間に村の門を抜けた。』
ぜん:(走っている息遣い)
とら:(走っている息遣い)
ぜん:『息を切らせながら、草原を駆ける。』
ぜん:『腕の先に、とらの存在を感じる。俺の心は踊っていた。』
とら:『そのまま山に入った。険しい山道を進む。』
ぜん:(さっきよりも苦しそうな息遣い)
とら:(さっきよりも苦しそうな息遣い)
ぜん:『苦しかった・・・でも、嬉しかった』
とら:『この世に私たち二人きり、そんな風に思えた』
ぜん:『過去も未来も、俺にはどうでも良かった。ただ、今がそこにある。希望と幸せに満ち溢れた今が、確かにそこにあった。』
0:ぜんの家
ぜんの父:(とっくりから水を飲んで)アイテテ・・・腰を痛めちまった。ぜんの野郎、帰ったらただじゃおかねえぞ。
とらの父:(家に飛びこんできながら)おい!
ぜんの父:あん?・・・おめえ、その顔どうしたんだ?
とらの父:ぜんにやられたんだよ!
ぜんの父:ぜんに?(水を飲む)
とらの父:呑気に酒なんか飲んでる場合か!
ぜんの父:あほ、これは水だ。
とらの父:あ?だってそのとっくり・・・
ぜんの父:酒が無くなっちまったからよ、代わりに水を入れたんだ。こうすりゃちっとは酒の匂いと味がするからよ。
とらの父:貧乏臭えことしてんなあ。
ぜんの父:実際貧乏なんだからしょうがねえべ。で、ぜんがどうしたんだ?
とらの父:そうだった!ぜんのやつよう・・・
ぜんの父:おう(水を飲む)
とらの父:とらを攫い(さらい)やがったんだ!
ぜんの父:(盛大に水を吹き出す)
とらの父:汚ねえ!!
0:時間経過 山頂
とら:これから、どうするの?
ぜん:おめえに、不自由な思いはさせねえ。俺が、何とかする!
ぜん:『そう意気込んではみたものの、俺達に日々の糧(かて)を得る術(すべ)など、あるはずも無かった』
ぜん:『廃寺(はいでら)で寝起きしながら、野草や獣を取ったり、物乞い(ものごい)をしてなんとか生きていた。しかし・・・』
とら:(咳込む)
ぜん:とら?大丈夫か?
とら:(弱っている様子で)ああ、大丈夫だ。
ぜん:『とらは、日に日に痩せ(やせ)細っていった。咳も頻繁に出ている。このままいったら、とらは死んでしまうのではないか・・・』
とら:心配すんなって、オラは・・・
ぜん:とら?
とら:ただ、おめえと・・・一緒に・・・(意識を失う)
ぜん:(このままじゃダメだ。何とかしないと。)
0:町にて
ぜん:お恵みを・・・どうかお恵みを下せえ!
ぜん:『俺は町行く人々に訴えかけた。茶碗を片手に、時には足に縋り(すがり)ついた。しかし、冷たく引き剥がされる。』
浮浪者:あでえ?
ぜん:?
浮浪者:銭っこだあ!銭っこが落ちとる!
0:浮浪者、茶碗を拾い上げる。
ぜん:あっ!それは俺んだぞ!
浮浪者:違うぅー。こいつは俺が拾ったんだあ!
ぜん:返せ!
0:ぜん、浮浪者に掴みかかるが、かわされる。
浮浪者:ほほいっ!おめいにはやらねえよぅ!
0:浮浪者、背を向けて走り出す。
ぜん:待て!待てよ!
ぜん:『俺は追いかけようとするが、ろくに食べていないせいか、すぐにふらつき、倒れてしまった。』
浮浪者:銭っこだあ!銭っこだあ!あひゃっ!あひゃっ!あひゃっ!あひゃっ!あひゃっ!
0:浮浪者、飛び跳ねながら走り去る。
ぜん:うぅ・・・
ぜん:『せっかく集めた僅かな銭も失ってしまった。目から数滴の涙が溢(こぼ)れた』
町人:親父、団子をくれい。
ぜん:『俺は顔を上げた。そこは茶屋だった。』
町人:(団子を食べる)
ぜん:『町人(ちょうにん)は美味そうに団子を食べている。俺の腹が、鳴いた』
ぜん:『ふと見ると、男が腰掛ける縁台(えんだい)に、巾着袋(きんちゃくぶくろ)が置いてあった』
ぜん:『きっとその男の物だろう。その膨らみからして、相当な銭が入っている事が分かった。』
町人:(団子を食べる)
ぜん:『気がつくと、俺は巾着袋に手を伸ばしていた。一瞬手が止まる。しかし、その時・・・』
町人:ん?
ぜん:『男と目が合った』
町人:どうした坊主?
ぜん:(震えている)
町人:団子、食うか?
ぜん:っ!
ぜん:『俺は、巾着袋を掴んでしまった。』
町人:あっ!
ぜん:『俺は走り出した』
町人:こら待て!
ぜん:『空腹の体から力を振り絞り走る。後ろから町人の怒鳴り声が聞こえる。』
町人:待て!クソガキ!
ぜん:『それでも俺は止まらない。』
ぜん:あっ!
ぜん:『足がもつれて倒れ込んだ。巾着袋から銭が何枚か溢れ(こぼれ)落ちる。俺は構わず、再び巾着袋を掴むと走り出した。』
町人:(息を切らせて)くそっ!
ぜん:『罪悪感を感じる暇もなかった。これで、この銭で、とらを救うんだ。その想いが、俺を突き動かしていた。』
0:廃寺にて
ぜん:ほれ、見ろ!
ぜん:『廃寺に戻った俺は、早速巾着袋をとらに差し出した。しかし、とらは少しも嬉しそうな顔をしなかった。』
とら:この銭っ子(ぜにっこ)、どうしたんだ?
ぜん:ど、どうでも良いだろ!これでうまいもんいっぱい食えるぞ!着物だって買ってやる!
とら:・・・盗って(とって)きたんか?
ぜん:!
とら:人様のもん、盗んできたんか?
ぜん:別に良いじゃねえか!銭は銭だ!
とら:いらねえ。
ぜん:何だと?
とら:オラ、こんなもんいらねえ!
0:とら、巾着袋を払い除ける。銀貨が辺りに散らばる。
ぜん:何しやがる!
0:ぜん、とらの頬を平手打ちする。
とら:痛っ!
ぜん:あ・・・
とら:(睨み付ける)おめえなんか大っ嫌いだ!どっか行っちまえ!
ぜん:・・・(泣きそうになりながら)ちくしょう!
0:ぜん、走り去る。
とら:バカタレが・・・
0:時間経過
ぜん:『俺は町に戻っていた。あちこちをさまよった後、気がつくとあの茶屋の近くまで来ていた。』
ぜん:あっ・・・
町人:お前!
ぜん:『俺は振り返り、逃げ出そうとした。でも・・・また向き直り、巾着袋を差し出した。』
町人:あん?
ぜん:ゴ、ゴメンよ!俺達、ずっと腹が減ってて、辛くて・・・俺は良いんだ!でもとらが、とらが!
町人:・・・
ぜん:(段々泣きそうにながら)俺が無理矢理とらを連れてきたのに、辛い思いばっかりさせて・・・俺、もうどうして良いかわからなくて・・・本当にすまねえ!
ぜん:『俺は誰に謝っていたのだろう。銭を盗ってしまったこの男か、それとも何一つしてやることのできない幼馴染に対してか・・・』
町人:おい。
ぜん:?
町人:こらっ!
0:町人、ゲンコツで軽くぜんの頭をこつく。
ぜん:いてっ!
ぜん:『僅かな痛みの後、頭の上に温かい感触を感じた。』
町人:おい、坊主。
ぜん:『顔を上げると、男が頭を撫でてくれていた。』
町人:どんな理由があろうとなあ、盗っ人なんか働いちゃいけねえんだぞ。
ぜん:ゴメン。
町人:・・・その「とら」ってのは、お前さんの大事な人なのかい?
ぜん:う、うん!
町人:(少し笑う)
ぜん:『彼は返した巾着袋から銭を数枚取り出すと、俺の手に握らせた。』
町人:持ってきな。
ぜん:良いの!?
町人:もう二度と、盗みはしねえって約束できるならな。
ぜん:お、俺、二度とやらねえよ!
町人:男と男の約束だぞ?
ぜん:うん!約束する!
町人:良い子だ。その「とら」って子の所に早く戻ってやんな。
ぜん:ありがとう!
ぜん:『俺は走り出す。今度は、晴れやかな気持ちで。』
ぜん:『村を出て初めて、人の優しさに触れた。それが嬉しかった。』
ぜん:『俺はもらった銭で食い物を買うと、急いでとらの元に戻った。』
0:廃寺
とら:(目覚める)ぜんの奴、まだ帰ってねえのか。
とら:・・・ちょっと、言い過ぎたかな。
とら:(人の気配を感じる)帰ってきた!どこ行って・・・
浮浪者:・・・あでえ?
とら:誰だおめえ?
浮浪者:ふひっ・・・ふひひひひひ!女!女だあ!
とら:く、来るな!
浮浪者:女!女!女!女!
とら:助けて!
0:廃寺へ至る道
ぜん:へへ、食い物いっぱい手に入ったぞ。これでとらも・・・
とら:イャアアア!
ぜん:っ!何だ?
ぜん:『とらの悲鳴に、俺は走り出した。』
とら:離せ・・・やめて!
浮浪者:女だあ!久しぶりだあ!(とらの体をまさぐりながら)あったけえよお、柔らけえよお。
とら:(抵抗しながら)いやっ!
浮浪者:ちっとの間我慢しておくれよう。なっ?なっ?なっ?なっ?
とら:ぜん!!!
ぜん:やめろ!
浮浪者:はひ?
ぜん:があっ!(浮浪者を殴り飛ばす)
浮浪者:ふぎゃあっ!
ぜん:『俺は男を殴り飛ばした。男の体が吹っ飛ぶ。』
浮浪者:痛い・・・痛えよお!
ぜん:この野郎!
ぜん:『俺は、男に馬乗りになった』
浮浪者:ひっ!
ぜん:このっ!(殴る)
浮浪者:いぎゃあ!
ぜん:このっ!(殴る)
浮浪者:ぐぎゃあ!
ぜん:このっ!(殴る)
浮浪者:がふっ!
ぜん:(荒い息遣い)
とら:ぜ、ぜん・・・もう・・・
浮浪者:(かなり弱った様子で)お願え(おねげえ)だあ。もう殴らないでけろ。
とら:な?オラはもう大丈夫だから。だからよ・・・
ぜん:があああああああ!
とら:っ!
ぜん:『俺は顔面に拳を撃ち付けた。何度も、何度も・・・何度も何度も何度も何度も・・・』
浮浪者:(殴られながら)あぎゃっ!ぴぎぃ!ごげっ!・・・
ぜん:『拳から骨を砕く感触が伝わる。それでも俺は殴るのをやめなかった。』
ぜん:『許せるはずがない、「俺のとら」を襲おうとしたやつを・・・』
ぜん:(殺してやる!)
とら:やめて!これ以上殴ったら死んじまう!
ぜん:っ!
ぜん:『とらの叫び声で、俺は正気を取り戻した。』
ぜん:『俺の拳は血で真っ赤に染まり、男は辛うじて息をしていたが、顔は原形を留めていない程、ぐちゃぐちゃになっていた。』
浮浪者:あ・・・が・・・
とら:(怯えた様子で)あ・・・あ・・・
ぜん:『とらが俺を見ていた。まるで、人では無いものを見るように。』
ぜん:(やめろ・・・やめてくれ!)
ぜん:(そんな目で・・・俺を、見るな・・・)
0:夜
ぜん:(寝息)
とら:ぜん、ゴメンよ・・・オラは、もう・・・
0:翌朝
ぜん:(目覚める)おはよう、とら。昨日は、ひでえ目にあったな。ここも物騒な所みたいだし、寝ぐら変えねえか?
ぜん:実はさ、昨日良い人に会ったんだ。また会えるか分からねえけど、あの人なら頼み込んだら俺たちの面倒見てくれるかもしれねえ!
ぜん:だからさ・・・とら?
ぜん:『寝床に、とらの姿はなかった。』
ぜん:とら?どこ行っちまったんだ?
ぜん:『俺は走り出した。』
ぜん:とら!
ぜん:『近くを見て回ったが、どこにもとらの姿は見つからない。』
ぜん:(まさか、俺の事が怖くなって逃げ出したんか?)
ぜん:(嫌だ!おめえがいなくなったら、俺は生きていけねえ!)
ぜん:『泣きながら、名を呼び続けた。』
ぜん:とら!とら!!
ぜん:『どれだけ呼んでも、答えは返ってこない。どれだけ走っても、見つけることはできない。』
ぜん:とらあああ!!!
とら:『これが私達の、初めての別れだった。』
0:つづく