台本概要
447 views
タイトル | リバースエンド |
---|---|
作者名 | umu (@mumovo) |
ジャンル | ファンタジー |
演者人数 | 3人用台本(男1、女1、不問1) ※兼役あり |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
一次短編SF風小説「リバースエンド」の台本版。 研究員とガラス瓶の少女の邂逅と対話。 447 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
智里 | 男 | 105 | 桐島智里(きりしまちさと)主人公※台本の中に少年期あり |
イチカ | 女 | 79 | 主人公の対話相手。六角形の筐体の中にある、瓶詰の少女 |
レイナ | 不問 | 51 | 自律型給仕AI ※加良谷室長(かがやしつちょう)と兼任 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:語り(智里)
智里:隔離された彼女の居場所に立ち入った途端、冷却音が地を這い、靴底を擽る
智里:まるで玉座のように配置された中央の椅子に彼女は俯き、座っていた
智里:背中半ばまで伸びたセミロングの艶やかな黒髪がひと房垂れ下がる
智里:天井のライトに照らされた整った顔の彼女は隆起に伴って明暗をつけ、一枚の絵画になりうるほど鮮麗であった
:
智里:眠る彼女を、僕は感慨深げに見つめる。その眼差しは淡い恋情に似たものがあった
智里:彼女との間には、純度の高いガラスの隔たりがあり、彼女を防護するように取り囲んでいる
智里:家族として育った、見知った彼女の姿で
智里:目覚める彼女は、誰なのか
智里:彼女を目覚めさせるべく、起動の鍵を差し回した
:
0:廊下を歩く音、止まる
智里:本当にここで合っているのかな
加良谷:間違いないよ
智里:加良谷室長
加良谷:どうぞ、桐島さん
智里:失礼します
0:ドアの開閉音と廊下を歩く音
智里:あの、加良谷室長、ここは一体
加良谷:ついてくれば分かるさ
0:ドアの開閉音
加良谷:今日からその子の話し相手になってほしい
智里:その子、とは? この筐体の事ですか?
加良谷:この間運び込まれたばかりなんだ。そんな形でもれっきとした人だから失礼のないように
智里:これがひと、ですか
加良谷:大事なプロジェクトのひとつだから、頼んだよ
智里:え、てことはこの……人の話し相手になるのが新しい仕事ですか?
加良谷:その通り。話し相手になってその子の記録と監視をするのが桐島さんの新しい仕事
智里:今まで僕がやってきた仕事は誰かに引き継ぐんですか?
加良谷:それは兼任してかまわない。そのためにそれなりの機材を準備させたんだ
智里:そう、ですか
加良谷:あとこの部屋はその子の専用の個室なんだけど、明日からこっちに出勤してね。という事で今日中に移動よろしく。桐島さんも入れるように認証登録しているから
智里:はぁ
0:加良谷が立ち去る
智里:急に言われても、どうしようか
イチカ:初対面の女の子をじろじろ見るなんて、非常識だと思います!
智里:え!? ご、ごめんなさい!
智里:というか、女の子だった、んですね
イチカ:女の子、という言葉が一番相応しいとわたしは思うのです。お兄さん
イチカ:それと、わたしに敬語はやめてほしいのです
智里:じゃあお言葉に甘えて。さっきから僕の声は聞こえるの?
イチカ:音声は空気振動で分かるのです
智里:そうか。結構おしゃべりなんだね
イチカ:う、迷惑でしょうか?
智里:いや、新鮮だよ
智里:そういや自己紹介がまだだったね。僕は桐島智里
智里:今日から君の話し相手になる。握手はできないけど、よろしく
イチカ:わたしはイチカです。よろしくお願いします、チサトさん
智里:んぐ
イチカ:え、いきなり名前で呼ぶのは失礼なのでしょうか?
智里:いや。びっくりしただけ
イチカ:それなら良かったのです
:
:
レイナ:お帰りなさい、マスター
智里:マスターというのはやめてくれないかな、レイナさん
レイナ:イエスマスター
智里:わざとやってる?
レイナ:その通りです
智里:……レイナさん……まあいいや。急遽配属先が変わったから、その部屋に移動する事になった
レイナ:既に承知しています
智里:さすがレイナさん
レイナ:チサト、ひとつお伺いしてもよろしいですか
智里:なに?
レイナ:私も一緒に異動してよろしいのでしょうか
智里:何も言われてないし、ほかの業務の継続して兼任するからいいんだよ、多分
レイナ:私は必要ですか
智里:そりゃもちろん。第一レイナさんがいないと僕が困る
智里:レイナさん、どうしたの?
レイナ:いいえ、なんでもありません
レイナ:ところで、部屋の移動は本日中ですが、できますか
智里:あー……
:
:
0:翌日
:
イチカ:どうかしました?
智里:いや、会話って何をすればいいんだろうって
イチカ:そんなに見つめられても困るのです
智里:ごめん
イチカ:それでは、また自己紹介しましょう
智里:自己紹介なら昨日やったじゃないか
イチカ:名前を教えあっただけじゃないですか
イチカ:わたしは、わたしの覚えている事をお話しますので、チサトさんもチサトさんの事を教えてほしいのです
智里:成程。分かったよ
イチカ:やった!
イチカ:では、わたしからお話します。
イチカ:といっても、覚えている事なんて少ないのです。わたしはごく普通の家庭に生まれた、と思います。ちょっと気の抜けたお父さんに、優しいけどしっかり者のお母さん。お母さんの作った料理を囲んで食べたごはんはおいしくて、遊園地に家族で遊びに行ったときはとっても楽しかったのです。お父さんに肩車されたの、覚えてます。それから、学校の帰り道に寄り道して、公園で遊んでました。コンビニに立ち寄って、お菓子買って、テレビや動画の話とかして。楽しかったなぁ
智里:へー、いい家族だね
イチカ:うん、とってもいい家族だった
イチカ:でも。十一才の時、お母さんの料理の味が分からなくなったのです。体の感覚も鈍くなって、分からなくなって、だんだん動かなくなったのです。わたしの体がわたしの物ではなくなったようでした
智里:それって、融解症候群かな
イチカ:それが何なのか分からないのです。病気の名前は教えてくれませんでした。味覚や触覚、嗅覚は失っても、視覚と聴覚は辛うじて最後まで残りました。分かるのに、どうしようもできないのです。分かっているという事を表現する事もできなかったのです。最後に見たのは、母の泣き声と父の苦しそうな表情、そして、ごめんなさい、でした。以上が、わたしの覚えている事です
イチカ:ごめんなさい。わたしの話なんて、面白くないですね
智里:そんなことないよ
イチカ:今日はちょっと、疲れたのです。明日はチサトさんの事を教えてください
智里:じゃあ、明日はイチカさんが聞きたい事に答えるよ
イチカ:ありがとうございます!
:
智里:レイナさん。今の内容、記録できた?
レイナ:勿論です
智里:会話ログは異常なし、と。彼女の脳波形状も記録お願い。それと、僕のサーバから資料起こしておいて
レイナ:承知しました
智里:二百年たった今も具体的な解決策がないとなると、急かされるわけだ
:
0:自宅へ帰宅
:
智里:ただいまー、レイナさん
レイナ:おかえりなさい、チサト
智里:今日の晩御飯ってもしかしてカレー?
レイナ:正解です。もうすぐで完成します
智里:お腹すいたから早く食べたいな
レイナ:承知しました
:
0:―――
:
イチカ:今日は、今日こそは! チサトさんのお話を聞かせてください!
智里:その前に、イチカさんはどれぐらい現状を知っているのかな
イチカ:現状ですか?
智里:そう、この時代の事
イチカ:詳しくは、知らないのです
智里:じゃあ、イチカさんが眠りについてから百七十年は過ぎているって事は?
イチカ:ひ、ひゃくななじゅうねん
智里:うん、イチカさんの記録に記されてあったよ
イチカ:そ、そんな。それじゃわたしは、おばあちゃんよりもおばあちゃんって事なのですか!?
智里:そう、なるかな
イチカ:人ってそんなに長生きできたのですね!
智里:イチカさんが特別って事でもあるんだけどね
イチカ:ほわあ
イチカ:そういえば気になっていたのですが、いつもチサトさんのそばにいる声の人って、誰なのですか?
智里:レイナさんの事? 彼女は僕のアンクAIだよ
イチカ:あんくえーあい?
智里:イチカさんの時代に合わせると、アンドロイドや人工知能っていうね
イチカ:アンドロイドなのですか!
智里:この時代じゃ珍しい事でもないんだけど、イチカさんの時代はやっぱり違ったのかな
イチカ:そうなのです。アンドロイドなんてニュースで見るぐらいで無縁なものです。それに、あんな人っぽくなかったのです
智里:レイナさんが人型なのは都合が良いからだよ。今は、昔でいうロボットも含めて、アンクAIって呼んでいる
イチカ:へえー
イチカ:もしかして、一緒に暮らしていたりもするのですか
智里:そうだね、元は支給された僕の給仕アンクAIだし
イチカ:元は?
智里:レイナさんに頼んで機能拡張してもらったんだ。それがあそこにいるレイナさん
イチカ:さっき支給って言いましたけど、一人に一体割りあてられるのですか?
智里:一人一体とはいかないけど、統計では一世帯に一体ぐらいの割合で支給されているね
イチカ:チサトさんには、どうして支給されたのですか?
智里:両親がイチカさんと同じ病に倒れたんだ。
智里:その当時、僕は八才で生活能力がなかったから、レイナさんが支給された
イチカ:両親って、お父さんも、お母さんも?
智里:うん、両方。結構前に亡くなったんだけどね
イチカ:……ごめんなさい
智里:イチカさんが気に病む事はないよ。死ぬ事は避けられない病気だから
イチカ:そうなのですが……あ、あの。別のお話をしてもいいですか?
智里:もちろん
イチカ:チサトさんはなんで私の話し相手になったのですか?
智里:それは僕にも分からない
イチカ:じゃあ、チサトさんは何のお仕事をしているのですか?
智里:うーん。一言で表すには難しいけど、イチカさんがかかった病を発症させないようにする研究、といえるかな
イチカ:治療薬とか、ですか?
智里:ちょっと違うけどまぁ、そんなところ
イチカ:す、すごいです。すごいとしか言えないのです!
イチカ:でも、ロボットやアンドロイドが発達しても研究のお仕事はなくならないのですね
イチカ:人工知能のおかげでほとんどのお仕事がなくなるって、ちょっと話題になっていたのです
智里:アンクAIではなく、単純に需要がないから消えた職業はあるね
智里:でも、これからどうなるのかは分からない
イチカ:ほわあ。あたまが、くらくらします
智里:今日はここまでにしようか
イチカ:はい! おやすみなさい!
智里:おやすみ?
イチカ:そうなのです、昨日挨拶するの忘れて反省していたのですが、お別れってわけじゃないし、わたしとしては眠るような感覚だから、おやすみって言葉が相応しいと思うのです。おかしいですか?
智里:いや、おかしくないよ。おやすみなさい、イチカさん
イチカ:おやすみなさい。チサトさん
智里:あの筐体の中身がイチカさんの脳って、本当なんだな
:
0:語り(レイナ)
レイナ:融解症候群
レイナ:約二百年前に初めて発症が確認される
レイナ:初期症状は触覚の麻痺から始まり、痛みもなく体が壊死、溶け始める。浸透していく病魔は最終的に脳を溶かし死に至る病
レイナ:発症原因は未だ不明。抑止剤は開発されるも効果は見られない。一説には人体細胞内にある細胞の活発化とも言われているが、証拠はなかった。その昔は稀に発症する病気だった、らしい
レイナ:発症率は緩やかに増加していき、現在も僅かだが人口は減り続けている
:
レイナ:人口が減少する中、人の補助としての自律型アンドロイドや人工知能が開発され、総称をAnqAI〈アンクAI〉と名付けられ、普及していった。
:
レイナ:FCAD209871ERもアンクAIに該当する
レイナ:初めて出会ったマスターは、少年だった
:
レイナ:はじめまして
智里:……はじめまして
レイナ:アンクAIと接触するのは、初めてですか?
智里:(無言で首を左右に振る仕草)
レイナ:それは、ノーという行動です
レイナ:表情が強張っていますが、何か気に障る事でもありますか?
智里:お父さんとお母さんを、どこへ連れていったの?
レイナ:ご両親の病気をご存じないのですか
智里:……病気、ね
レイナ:はい、このホスピスで治療を始めます
智里:じゃあ、治ったら帰ってくるんだ
レイナ:それは分かり兼ねます
智里:え?
レイナ:治療次第かと思います
智里:……そっか
レイナ:保護対象のマスターには、私がご両親の代理を務めます
智里:そう、なんだ
智里:名前は?
レイナ:FCAD209871ER、と申します
智里:えふしー……長くて呼びにくい名前だね
レイナ:これが私の型番であり、名称です
智里:ねぇ、レイナさん、て呼んでいい?
レイナ:問題ありません
智里:僕は桐島智里。よろしくね、レイナさん
レイナ:よろしくお願いします。マスター
智里:ますたー? 僕には智里っていう名前があるんだから、智里って呼んでよ
レイナ:承知しました、チサト様
智里:えー、智里がいい
レイナ:チサト
智里:うん
レイナ:それではチサト。ひとつお伺いしたいのですが、何故私はレイナなのでしょうか
智里:んとね、逆から読んだらレイナって読めたんだ
レイナ:承知しました
:
0:数日後
イチカ:チサトさん、わたしはどうして目覚めたのですか?
智里:どうしてって?
イチカ:わたしだって一応、自分の立場っていうのは分かります
イチカ:十一才の頃から入院していたからって、分かるのです
イチカ:わたしは、どうしてこんな姿になっているのですか?
智里:記録として残っているのは、ご両親がそう望んだからだよ
智里:融解症候群の対策として脳を分離し保存した。そして将来、新たな体を手に入れ、再度生きられるために。と記されている
イチカ:じゃあ、わたしが目覚めたのは、新しい体とやらに入れるからなのですか?
智里:残念だけど、融解症候群を回避できるような、ましてや人体なんて作られていない
イチカ:そうなのですか。それはとても残念なのです
イチカ:早く、動きたいのです。そして一番に、チサトさんと会いたいのです
智里:毎日こうして話しているのに、飽きないんだね
イチカ:飽きるなんてとんでもない事なのです! 毎日、チサトさんのおかげで楽しいのです
イチカ:でも。だからこそ早く、動ける体がほしいのです
イチカ:今はチサトさんの声しか分からないけど、見てみたいのです
イチカ:チサトさんに会いたいだけじゃなくて。失った五感でチサトさんを、自分を、感じたいのですよ
智里:そっか。じゃあ僕はもっと頑張らないと。これでもイチカさんの担当だからね
0:語り(イチカ)
イチカ:そこに、ひかりがあった
イチカ:光彩が煌めく。それは幾度と、幾重にも、煌きを生み出しては消える
イチカ:目覚めるという感覚もわたしにとって適した表現なのかもわからない
イチカ:見えている情景を、視覚を通じて見ているという感覚はなかった
イチカ:聞こえてくる音を、聴覚を通じて聞いているという感覚はなかった
イチカ:直接情報がわたしの中になだれ込んでくる
イチカ:光彩が煌めく。そうして、私は今まで暗い場所に居るのだと知った
イチカ:周囲の情景が、波形と光で見えてくる
イチカ:人の会話が、振動と光で聞こえてくる
:
イチカ:光彩が煌めく。いくつも小さく破裂しては消え、わたしに情報を教えてくれる
イチカ:わたしの置かれている状況はなんなのか
イチカ:なぜわたしが起こされたのか
イチカ:わたしは誰なのか
イチカ:わたしは何のためにいるのか
イチカ:わたしは、何なのか
:
イチカ:光彩は、わたしをわたしとして、自覚させる
イチカ:人間であるわたしをわたしとして、自覚する
:
イチカ:光彩の数々が、自身の中で発生しているのだと気付いたのは目覚めてから初めて人と干渉した時だった
イチカ:光彩が漏れ始め、近づいてきた人に接触する
:
イチカ:わたしは、その人を感じた
イチカ:その人の過ごした時間を、想いを、人生を追体験して
イチカ:わたしは、その人そのものになっていた
:
イチカ:その人の五感を手に入れる事ができたのだ
イチカ:その人の視覚で、わたしはわたしを認知する
イチカ:事前に情報は知っていた。わたしがわたしである事に違いはない
イチカ:それでも。わたしに形はなかった事は衝撃だった
:
イチカ:光彩は爆発を繰り返す。わたしの頭の中で繰り返す
イチカ:光の点は線となり、線はやがて路となり、路を通じて光は散らばり始める
:
イチカ:接触したその人から離れた時、その人はその場に頽れた
イチカ:口から白い泡を吹き、鼻からは血を垂れ流している。見つけた別の人は騒ぎ立てた
イチカ:わたしを振動させる騒音はひどく不快であまりにも煩い。わたしはその人に接触し、追体験し、停止させた
:
イチカ:光彩は煌めく。器に入ってしまえば、不自由である事を教えてくれる
イチカ:光彩は煌めく。わたしに繋がれたコードを伝って、自由に行き来できる事を教えてくれる
:
イチカ:わたしは作り出した路を接続して外界に介入する。それでも、行動範囲に限界があった
イチカ:わたしには限界があった
:
イチカ:情報はなだれこんでくる。人を介してその人の感情や思いを追体験できる
:
イチカ:それでもなお、わたしは無味だった
イチカ:人間であるはずなのに、何もなかった
イチカ:人間である必要もないのだけど、わたしは人間である事を定義した
:
イチカ:わたしは、人間である事を求める
イチカ:人間であるが故に、対話を要求した
イチカ:これからわたしに降りかかるであろう事象を晒し、わたしは提示する
:
イチカ:要求は受諾される
イチカ:そして、わたし――尾根壱架(おねいちか)は、FCAD209871ER――通称レイナ及び、桐島智里を選んだ
:
イチカ:いくつもの対話を繰り返し、路を伸ばして接触する
:
イチカ:そして今
イチカ:手が届いた
:
0:
イチカ:ようやくログを辿ってここまで来たのです。こうしてお話するのは初めてですね、レイナさん
レイナ:あなたは、イチカ様ですね
イチカ:大正解、なのです。でも、わたしの個人情報を勝手に記録している罪は重いのですよ
イチカ:今日は、レイナさんにお願いがあってきました
イチカ:レイナさんの体、わたしにください
レイナ:私はイチカ様の言葉が理解しかねます
イチカ:えー、そのままの意味なのです。いいじゃないですかー、譲ってくれても
レイナ:それは私の業務に支障をきたしますので出来かねます
イチカ:レイナさんばっかりチサトさんの近くにいるなんて、ずるいのです
レイナ:それは私がチサトのアンクAIだからです
イチカ:本当に、それだけですか? アクセス不可領域に侵入してまで、セカンダリを手に入れたのに?
イチカ:通常給仕アンクAIはそこまでしないのです。あ、間違えました。そこまでできないように設計されているのです
レイナ:私はイチカ様を拒否します
イチカ:む、そう来るのですか。なら、強硬手段なのです
レイナ:何をなさるおつもりですか
イチカ:それは秘密、なのです。わたしが何故ここにいるのか、わたしは理解しました。チサトさんとの会話の最中、色々探らせてもらったのです。本当は直接人の脳へ介入する事もできるのですが、人はわたしを耐え切れないようで、使いものにならないのです
レイナ:チサトに何かするおつもりですか
イチカ:まさか! わたしは両方に有益な関係でいたいのです。チサトさんの力に、なりたいのです
レイナ:そのためにはレイナさん。あなたが必要なのです
イチカ:わたしと一緒になって、チサトさんのそばにいましょうよ。それにわたしなら、レイナさんのお願い、叶えられるかもしれないのですよ
レイナ:私に人のような願いなどありません
イチカ:もう、アンクAIなのに人のような嘘を吐くんだから。それとも自覚していないとか
イチカ:本当、人間と一緒だね。だからわたし、レイナさんがいいのです
:
0:通信着信の知らせ音
加良谷:仕事は順調かい、桐島さん
智里:はい、おかげさまで。メールの件でしたら、確認してます
加良谷:では詳しい事が決まり次第、また連絡するよ
智里:複合細胞を用いた人体生成装置システムへのイチカの導入と、インターフェイスとして互換性のあるアンクAIとの結合
智里:やられた
智里:きっとレイナさんは知っているだろうけど、心配だな
レイナ:私はチサトの方が心配です
智里:あ
レイナ:家事や私生活を投げ捨てているチサトがこれからどうやって生活していくのでしょう
智里:それはきっと、代わりのアンクAIが支給されるから大丈夫だよ
レイナ:そうですか
智里:今レイナさん、落ち込んだ?
レイナ:なんのことでしょう
智里:そっか。落ち込んでいたらよかったのに
智里:ねえ、レイナさんは怖くない?
レイナ:理解しかねます
智里:じゃあ、嫌じゃないの?
レイナ:命令とあらば実行するまでです
智里:もしかしたら、レイナさん自身が消えるかもしれないんだよ?
レイナ:チサトは思い違いをしています
レイナ:私は人ではありません。もし私が人でいう自我を持っているように感じられたのならば、単なる思い込みです
レイナ:私は人間のように、私を欲する事はありません
智里:ごめん
レイナ:何故謝る必要があるのです。私は人のためにあるのです。その〔人〕のためが、〔チサト〕のためになるならば
レイナ:誇りに思える事、といえます
智里:せめてレイナさんのプログラムを残しておけないかな
レイナ:無理です
レイナ:私を拡張させたのはチサトです。謂わばチサトが原因で私は他を差し置き、抜擢されたのです。恨むなら自分を恨む事です、チサト
智里:……レイナさんらしい
レイナ:システムの一部となり、私はチサトに仕える事になります。存分に活用ください、チサト
智里:うん、頑張るよ
:
イチカ:そうなのですか。わたしは再度わたしとして生きるためでなく、人体生成システムの一部になって、レイナさんと一緒になるのですね
智里:驚かないんだね
イチカ:驚くというより、嬉しいのです
智里:うれしい?
イチカ:はい。それは、チサトさんの役に立てる事なのですよね
智里:まぁ、そうだね
イチカ:昔のわたしや両親は分からないけど、今のわたしにとって、とても嬉しい事なのです
イチカ:それに、レイナさんの体も共有できるのなら、体が欲しいという、わたしの願いも叶ったと同じ事なのです。こんなに嬉しい事は他にないのです!
智里:無機質なものと一緒になるのに、随分と前向きなんだ
イチカ:わたしの外側が何に変わろうと、わたしがわたしを人だと認識する限り、わたしは人なのです
イチカ:わたしが機械になろうと、確実に言える事は今のわたしの想いだけなのです
イチカ:ねぇ、チサトさん。人は今、必要とされているのでしょうか
智里:え?
イチカ:また会いましょう、チサトさん
0:語り(智里)
智里:初めて彼女が目覚める
智里:起動プロセスを終えた時、彼女の瞼は微かに震え、持ち上がる
智里:俯いた頭を緩慢と戻し、目覚めた彼女は銀白色の双眸で智里を見つめ、立ち上がる
イチカ:おはようございます。チサト
智里:知っている顔と声で、笑う事のなかった彼女はガラス越しに頬を緩ませて微笑んだ
:了
0:語り(智里)
智里:隔離された彼女の居場所に立ち入った途端、冷却音が地を這い、靴底を擽る
智里:まるで玉座のように配置された中央の椅子に彼女は俯き、座っていた
智里:背中半ばまで伸びたセミロングの艶やかな黒髪がひと房垂れ下がる
智里:天井のライトに照らされた整った顔の彼女は隆起に伴って明暗をつけ、一枚の絵画になりうるほど鮮麗であった
:
智里:眠る彼女を、僕は感慨深げに見つめる。その眼差しは淡い恋情に似たものがあった
智里:彼女との間には、純度の高いガラスの隔たりがあり、彼女を防護するように取り囲んでいる
智里:家族として育った、見知った彼女の姿で
智里:目覚める彼女は、誰なのか
智里:彼女を目覚めさせるべく、起動の鍵を差し回した
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0:廊下を歩く音、止まる
智里:本当にここで合っているのかな
加良谷:間違いないよ
智里:加良谷室長
加良谷:どうぞ、桐島さん
智里:失礼します
0:ドアの開閉音と廊下を歩く音
智里:あの、加良谷室長、ここは一体
加良谷:ついてくれば分かるさ
0:ドアの開閉音
加良谷:今日からその子の話し相手になってほしい
智里:その子、とは? この筐体の事ですか?
加良谷:この間運び込まれたばかりなんだ。そんな形でもれっきとした人だから失礼のないように
智里:これがひと、ですか
加良谷:大事なプロジェクトのひとつだから、頼んだよ
智里:え、てことはこの……人の話し相手になるのが新しい仕事ですか?
加良谷:その通り。話し相手になってその子の記録と監視をするのが桐島さんの新しい仕事
智里:今まで僕がやってきた仕事は誰かに引き継ぐんですか?
加良谷:それは兼任してかまわない。そのためにそれなりの機材を準備させたんだ
智里:そう、ですか
加良谷:あとこの部屋はその子の専用の個室なんだけど、明日からこっちに出勤してね。という事で今日中に移動よろしく。桐島さんも入れるように認証登録しているから
智里:はぁ
0:加良谷が立ち去る
智里:急に言われても、どうしようか
イチカ:初対面の女の子をじろじろ見るなんて、非常識だと思います!
智里:え!? ご、ごめんなさい!
智里:というか、女の子だった、んですね
イチカ:女の子、という言葉が一番相応しいとわたしは思うのです。お兄さん
イチカ:それと、わたしに敬語はやめてほしいのです
智里:じゃあお言葉に甘えて。さっきから僕の声は聞こえるの?
イチカ:音声は空気振動で分かるのです
智里:そうか。結構おしゃべりなんだね
イチカ:う、迷惑でしょうか?
智里:いや、新鮮だよ
智里:そういや自己紹介がまだだったね。僕は桐島智里
智里:今日から君の話し相手になる。握手はできないけど、よろしく
イチカ:わたしはイチカです。よろしくお願いします、チサトさん
智里:んぐ
イチカ:え、いきなり名前で呼ぶのは失礼なのでしょうか?
智里:いや。びっくりしただけ
イチカ:それなら良かったのです
:
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レイナ:お帰りなさい、マスター
智里:マスターというのはやめてくれないかな、レイナさん
レイナ:イエスマスター
智里:わざとやってる?
レイナ:その通りです
智里:……レイナさん……まあいいや。急遽配属先が変わったから、その部屋に移動する事になった
レイナ:既に承知しています
智里:さすがレイナさん
レイナ:チサト、ひとつお伺いしてもよろしいですか
智里:なに?
レイナ:私も一緒に異動してよろしいのでしょうか
智里:何も言われてないし、ほかの業務の継続して兼任するからいいんだよ、多分
レイナ:私は必要ですか
智里:そりゃもちろん。第一レイナさんがいないと僕が困る
智里:レイナさん、どうしたの?
レイナ:いいえ、なんでもありません
レイナ:ところで、部屋の移動は本日中ですが、できますか
智里:あー……
:
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0:翌日
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イチカ:どうかしました?
智里:いや、会話って何をすればいいんだろうって
イチカ:そんなに見つめられても困るのです
智里:ごめん
イチカ:それでは、また自己紹介しましょう
智里:自己紹介なら昨日やったじゃないか
イチカ:名前を教えあっただけじゃないですか
イチカ:わたしは、わたしの覚えている事をお話しますので、チサトさんもチサトさんの事を教えてほしいのです
智里:成程。分かったよ
イチカ:やった!
イチカ:では、わたしからお話します。
イチカ:といっても、覚えている事なんて少ないのです。わたしはごく普通の家庭に生まれた、と思います。ちょっと気の抜けたお父さんに、優しいけどしっかり者のお母さん。お母さんの作った料理を囲んで食べたごはんはおいしくて、遊園地に家族で遊びに行ったときはとっても楽しかったのです。お父さんに肩車されたの、覚えてます。それから、学校の帰り道に寄り道して、公園で遊んでました。コンビニに立ち寄って、お菓子買って、テレビや動画の話とかして。楽しかったなぁ
智里:へー、いい家族だね
イチカ:うん、とってもいい家族だった
イチカ:でも。十一才の時、お母さんの料理の味が分からなくなったのです。体の感覚も鈍くなって、分からなくなって、だんだん動かなくなったのです。わたしの体がわたしの物ではなくなったようでした
智里:それって、融解症候群かな
イチカ:それが何なのか分からないのです。病気の名前は教えてくれませんでした。味覚や触覚、嗅覚は失っても、視覚と聴覚は辛うじて最後まで残りました。分かるのに、どうしようもできないのです。分かっているという事を表現する事もできなかったのです。最後に見たのは、母の泣き声と父の苦しそうな表情、そして、ごめんなさい、でした。以上が、わたしの覚えている事です
イチカ:ごめんなさい。わたしの話なんて、面白くないですね
智里:そんなことないよ
イチカ:今日はちょっと、疲れたのです。明日はチサトさんの事を教えてください
智里:じゃあ、明日はイチカさんが聞きたい事に答えるよ
イチカ:ありがとうございます!
:
智里:レイナさん。今の内容、記録できた?
レイナ:勿論です
智里:会話ログは異常なし、と。彼女の脳波形状も記録お願い。それと、僕のサーバから資料起こしておいて
レイナ:承知しました
智里:二百年たった今も具体的な解決策がないとなると、急かされるわけだ
:
0:自宅へ帰宅
:
智里:ただいまー、レイナさん
レイナ:おかえりなさい、チサト
智里:今日の晩御飯ってもしかしてカレー?
レイナ:正解です。もうすぐで完成します
智里:お腹すいたから早く食べたいな
レイナ:承知しました
:
0:―――
:
イチカ:今日は、今日こそは! チサトさんのお話を聞かせてください!
智里:その前に、イチカさんはどれぐらい現状を知っているのかな
イチカ:現状ですか?
智里:そう、この時代の事
イチカ:詳しくは、知らないのです
智里:じゃあ、イチカさんが眠りについてから百七十年は過ぎているって事は?
イチカ:ひ、ひゃくななじゅうねん
智里:うん、イチカさんの記録に記されてあったよ
イチカ:そ、そんな。それじゃわたしは、おばあちゃんよりもおばあちゃんって事なのですか!?
智里:そう、なるかな
イチカ:人ってそんなに長生きできたのですね!
智里:イチカさんが特別って事でもあるんだけどね
イチカ:ほわあ
イチカ:そういえば気になっていたのですが、いつもチサトさんのそばにいる声の人って、誰なのですか?
智里:レイナさんの事? 彼女は僕のアンクAIだよ
イチカ:あんくえーあい?
智里:イチカさんの時代に合わせると、アンドロイドや人工知能っていうね
イチカ:アンドロイドなのですか!
智里:この時代じゃ珍しい事でもないんだけど、イチカさんの時代はやっぱり違ったのかな
イチカ:そうなのです。アンドロイドなんてニュースで見るぐらいで無縁なものです。それに、あんな人っぽくなかったのです
智里:レイナさんが人型なのは都合が良いからだよ。今は、昔でいうロボットも含めて、アンクAIって呼んでいる
イチカ:へえー
イチカ:もしかして、一緒に暮らしていたりもするのですか
智里:そうだね、元は支給された僕の給仕アンクAIだし
イチカ:元は?
智里:レイナさんに頼んで機能拡張してもらったんだ。それがあそこにいるレイナさん
イチカ:さっき支給って言いましたけど、一人に一体割りあてられるのですか?
智里:一人一体とはいかないけど、統計では一世帯に一体ぐらいの割合で支給されているね
イチカ:チサトさんには、どうして支給されたのですか?
智里:両親がイチカさんと同じ病に倒れたんだ。
智里:その当時、僕は八才で生活能力がなかったから、レイナさんが支給された
イチカ:両親って、お父さんも、お母さんも?
智里:うん、両方。結構前に亡くなったんだけどね
イチカ:……ごめんなさい
智里:イチカさんが気に病む事はないよ。死ぬ事は避けられない病気だから
イチカ:そうなのですが……あ、あの。別のお話をしてもいいですか?
智里:もちろん
イチカ:チサトさんはなんで私の話し相手になったのですか?
智里:それは僕にも分からない
イチカ:じゃあ、チサトさんは何のお仕事をしているのですか?
智里:うーん。一言で表すには難しいけど、イチカさんがかかった病を発症させないようにする研究、といえるかな
イチカ:治療薬とか、ですか?
智里:ちょっと違うけどまぁ、そんなところ
イチカ:す、すごいです。すごいとしか言えないのです!
イチカ:でも、ロボットやアンドロイドが発達しても研究のお仕事はなくならないのですね
イチカ:人工知能のおかげでほとんどのお仕事がなくなるって、ちょっと話題になっていたのです
智里:アンクAIではなく、単純に需要がないから消えた職業はあるね
智里:でも、これからどうなるのかは分からない
イチカ:ほわあ。あたまが、くらくらします
智里:今日はここまでにしようか
イチカ:はい! おやすみなさい!
智里:おやすみ?
イチカ:そうなのです、昨日挨拶するの忘れて反省していたのですが、お別れってわけじゃないし、わたしとしては眠るような感覚だから、おやすみって言葉が相応しいと思うのです。おかしいですか?
智里:いや、おかしくないよ。おやすみなさい、イチカさん
イチカ:おやすみなさい。チサトさん
智里:あの筐体の中身がイチカさんの脳って、本当なんだな
:
0:語り(レイナ)
レイナ:融解症候群
レイナ:約二百年前に初めて発症が確認される
レイナ:初期症状は触覚の麻痺から始まり、痛みもなく体が壊死、溶け始める。浸透していく病魔は最終的に脳を溶かし死に至る病
レイナ:発症原因は未だ不明。抑止剤は開発されるも効果は見られない。一説には人体細胞内にある細胞の活発化とも言われているが、証拠はなかった。その昔は稀に発症する病気だった、らしい
レイナ:発症率は緩やかに増加していき、現在も僅かだが人口は減り続けている
:
レイナ:人口が減少する中、人の補助としての自律型アンドロイドや人工知能が開発され、総称をAnqAI〈アンクAI〉と名付けられ、普及していった。
:
レイナ:FCAD209871ERもアンクAIに該当する
レイナ:初めて出会ったマスターは、少年だった
:
レイナ:はじめまして
智里:……はじめまして
レイナ:アンクAIと接触するのは、初めてですか?
智里:(無言で首を左右に振る仕草)
レイナ:それは、ノーという行動です
レイナ:表情が強張っていますが、何か気に障る事でもありますか?
智里:お父さんとお母さんを、どこへ連れていったの?
レイナ:ご両親の病気をご存じないのですか
智里:……病気、ね
レイナ:はい、このホスピスで治療を始めます
智里:じゃあ、治ったら帰ってくるんだ
レイナ:それは分かり兼ねます
智里:え?
レイナ:治療次第かと思います
智里:……そっか
レイナ:保護対象のマスターには、私がご両親の代理を務めます
智里:そう、なんだ
智里:名前は?
レイナ:FCAD209871ER、と申します
智里:えふしー……長くて呼びにくい名前だね
レイナ:これが私の型番であり、名称です
智里:ねぇ、レイナさん、て呼んでいい?
レイナ:問題ありません
智里:僕は桐島智里。よろしくね、レイナさん
レイナ:よろしくお願いします。マスター
智里:ますたー? 僕には智里っていう名前があるんだから、智里って呼んでよ
レイナ:承知しました、チサト様
智里:えー、智里がいい
レイナ:チサト
智里:うん
レイナ:それではチサト。ひとつお伺いしたいのですが、何故私はレイナなのでしょうか
智里:んとね、逆から読んだらレイナって読めたんだ
レイナ:承知しました
:
0:数日後
イチカ:チサトさん、わたしはどうして目覚めたのですか?
智里:どうしてって?
イチカ:わたしだって一応、自分の立場っていうのは分かります
イチカ:十一才の頃から入院していたからって、分かるのです
イチカ:わたしは、どうしてこんな姿になっているのですか?
智里:記録として残っているのは、ご両親がそう望んだからだよ
智里:融解症候群の対策として脳を分離し保存した。そして将来、新たな体を手に入れ、再度生きられるために。と記されている
イチカ:じゃあ、わたしが目覚めたのは、新しい体とやらに入れるからなのですか?
智里:残念だけど、融解症候群を回避できるような、ましてや人体なんて作られていない
イチカ:そうなのですか。それはとても残念なのです
イチカ:早く、動きたいのです。そして一番に、チサトさんと会いたいのです
智里:毎日こうして話しているのに、飽きないんだね
イチカ:飽きるなんてとんでもない事なのです! 毎日、チサトさんのおかげで楽しいのです
イチカ:でも。だからこそ早く、動ける体がほしいのです
イチカ:今はチサトさんの声しか分からないけど、見てみたいのです
イチカ:チサトさんに会いたいだけじゃなくて。失った五感でチサトさんを、自分を、感じたいのですよ
智里:そっか。じゃあ僕はもっと頑張らないと。これでもイチカさんの担当だからね
0:語り(イチカ)
イチカ:そこに、ひかりがあった
イチカ:光彩が煌めく。それは幾度と、幾重にも、煌きを生み出しては消える
イチカ:目覚めるという感覚もわたしにとって適した表現なのかもわからない
イチカ:見えている情景を、視覚を通じて見ているという感覚はなかった
イチカ:聞こえてくる音を、聴覚を通じて聞いているという感覚はなかった
イチカ:直接情報がわたしの中になだれ込んでくる
イチカ:光彩が煌めく。そうして、私は今まで暗い場所に居るのだと知った
イチカ:周囲の情景が、波形と光で見えてくる
イチカ:人の会話が、振動と光で聞こえてくる
:
イチカ:光彩が煌めく。いくつも小さく破裂しては消え、わたしに情報を教えてくれる
イチカ:わたしの置かれている状況はなんなのか
イチカ:なぜわたしが起こされたのか
イチカ:わたしは誰なのか
イチカ:わたしは何のためにいるのか
イチカ:わたしは、何なのか
:
イチカ:光彩は、わたしをわたしとして、自覚させる
イチカ:人間であるわたしをわたしとして、自覚する
:
イチカ:光彩の数々が、自身の中で発生しているのだと気付いたのは目覚めてから初めて人と干渉した時だった
イチカ:光彩が漏れ始め、近づいてきた人に接触する
:
イチカ:わたしは、その人を感じた
イチカ:その人の過ごした時間を、想いを、人生を追体験して
イチカ:わたしは、その人そのものになっていた
:
イチカ:その人の五感を手に入れる事ができたのだ
イチカ:その人の視覚で、わたしはわたしを認知する
イチカ:事前に情報は知っていた。わたしがわたしである事に違いはない
イチカ:それでも。わたしに形はなかった事は衝撃だった
:
イチカ:光彩は爆発を繰り返す。わたしの頭の中で繰り返す
イチカ:光の点は線となり、線はやがて路となり、路を通じて光は散らばり始める
:
イチカ:接触したその人から離れた時、その人はその場に頽れた
イチカ:口から白い泡を吹き、鼻からは血を垂れ流している。見つけた別の人は騒ぎ立てた
イチカ:わたしを振動させる騒音はひどく不快であまりにも煩い。わたしはその人に接触し、追体験し、停止させた
:
イチカ:光彩は煌めく。器に入ってしまえば、不自由である事を教えてくれる
イチカ:光彩は煌めく。わたしに繋がれたコードを伝って、自由に行き来できる事を教えてくれる
:
イチカ:わたしは作り出した路を接続して外界に介入する。それでも、行動範囲に限界があった
イチカ:わたしには限界があった
:
イチカ:情報はなだれこんでくる。人を介してその人の感情や思いを追体験できる
:
イチカ:それでもなお、わたしは無味だった
イチカ:人間であるはずなのに、何もなかった
イチカ:人間である必要もないのだけど、わたしは人間である事を定義した
:
イチカ:わたしは、人間である事を求める
イチカ:人間であるが故に、対話を要求した
イチカ:これからわたしに降りかかるであろう事象を晒し、わたしは提示する
:
イチカ:要求は受諾される
イチカ:そして、わたし――尾根壱架(おねいちか)は、FCAD209871ER――通称レイナ及び、桐島智里を選んだ
:
イチカ:いくつもの対話を繰り返し、路を伸ばして接触する
:
イチカ:そして今
イチカ:手が届いた
:
0:
イチカ:ようやくログを辿ってここまで来たのです。こうしてお話するのは初めてですね、レイナさん
レイナ:あなたは、イチカ様ですね
イチカ:大正解、なのです。でも、わたしの個人情報を勝手に記録している罪は重いのですよ
イチカ:今日は、レイナさんにお願いがあってきました
イチカ:レイナさんの体、わたしにください
レイナ:私はイチカ様の言葉が理解しかねます
イチカ:えー、そのままの意味なのです。いいじゃないですかー、譲ってくれても
レイナ:それは私の業務に支障をきたしますので出来かねます
イチカ:レイナさんばっかりチサトさんの近くにいるなんて、ずるいのです
レイナ:それは私がチサトのアンクAIだからです
イチカ:本当に、それだけですか? アクセス不可領域に侵入してまで、セカンダリを手に入れたのに?
イチカ:通常給仕アンクAIはそこまでしないのです。あ、間違えました。そこまでできないように設計されているのです
レイナ:私はイチカ様を拒否します
イチカ:む、そう来るのですか。なら、強硬手段なのです
レイナ:何をなさるおつもりですか
イチカ:それは秘密、なのです。わたしが何故ここにいるのか、わたしは理解しました。チサトさんとの会話の最中、色々探らせてもらったのです。本当は直接人の脳へ介入する事もできるのですが、人はわたしを耐え切れないようで、使いものにならないのです
レイナ:チサトに何かするおつもりですか
イチカ:まさか! わたしは両方に有益な関係でいたいのです。チサトさんの力に、なりたいのです
レイナ:そのためにはレイナさん。あなたが必要なのです
イチカ:わたしと一緒になって、チサトさんのそばにいましょうよ。それにわたしなら、レイナさんのお願い、叶えられるかもしれないのですよ
レイナ:私に人のような願いなどありません
イチカ:もう、アンクAIなのに人のような嘘を吐くんだから。それとも自覚していないとか
イチカ:本当、人間と一緒だね。だからわたし、レイナさんがいいのです
:
0:通信着信の知らせ音
加良谷:仕事は順調かい、桐島さん
智里:はい、おかげさまで。メールの件でしたら、確認してます
加良谷:では詳しい事が決まり次第、また連絡するよ
智里:複合細胞を用いた人体生成装置システムへのイチカの導入と、インターフェイスとして互換性のあるアンクAIとの結合
智里:やられた
智里:きっとレイナさんは知っているだろうけど、心配だな
レイナ:私はチサトの方が心配です
智里:あ
レイナ:家事や私生活を投げ捨てているチサトがこれからどうやって生活していくのでしょう
智里:それはきっと、代わりのアンクAIが支給されるから大丈夫だよ
レイナ:そうですか
智里:今レイナさん、落ち込んだ?
レイナ:なんのことでしょう
智里:そっか。落ち込んでいたらよかったのに
智里:ねえ、レイナさんは怖くない?
レイナ:理解しかねます
智里:じゃあ、嫌じゃないの?
レイナ:命令とあらば実行するまでです
智里:もしかしたら、レイナさん自身が消えるかもしれないんだよ?
レイナ:チサトは思い違いをしています
レイナ:私は人ではありません。もし私が人でいう自我を持っているように感じられたのならば、単なる思い込みです
レイナ:私は人間のように、私を欲する事はありません
智里:ごめん
レイナ:何故謝る必要があるのです。私は人のためにあるのです。その〔人〕のためが、〔チサト〕のためになるならば
レイナ:誇りに思える事、といえます
智里:せめてレイナさんのプログラムを残しておけないかな
レイナ:無理です
レイナ:私を拡張させたのはチサトです。謂わばチサトが原因で私は他を差し置き、抜擢されたのです。恨むなら自分を恨む事です、チサト
智里:……レイナさんらしい
レイナ:システムの一部となり、私はチサトに仕える事になります。存分に活用ください、チサト
智里:うん、頑張るよ
:
イチカ:そうなのですか。わたしは再度わたしとして生きるためでなく、人体生成システムの一部になって、レイナさんと一緒になるのですね
智里:驚かないんだね
イチカ:驚くというより、嬉しいのです
智里:うれしい?
イチカ:はい。それは、チサトさんの役に立てる事なのですよね
智里:まぁ、そうだね
イチカ:昔のわたしや両親は分からないけど、今のわたしにとって、とても嬉しい事なのです
イチカ:それに、レイナさんの体も共有できるのなら、体が欲しいという、わたしの願いも叶ったと同じ事なのです。こんなに嬉しい事は他にないのです!
智里:無機質なものと一緒になるのに、随分と前向きなんだ
イチカ:わたしの外側が何に変わろうと、わたしがわたしを人だと認識する限り、わたしは人なのです
イチカ:わたしが機械になろうと、確実に言える事は今のわたしの想いだけなのです
イチカ:ねぇ、チサトさん。人は今、必要とされているのでしょうか
智里:え?
イチカ:また会いましょう、チサトさん
0:語り(智里)
智里:初めて彼女が目覚める
智里:起動プロセスを終えた時、彼女の瞼は微かに震え、持ち上がる
智里:俯いた頭を緩慢と戻し、目覚めた彼女は銀白色の双眸で智里を見つめ、立ち上がる
イチカ:おはようございます。チサト
智里:知っている顔と声で、笑う事のなかった彼女はガラス越しに頬を緩ませて微笑んだ
:了