台本概要
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タイトル | 善の鬼 第二章「師弟」 |
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作者名 | Oroるん (@Oro90644720) |
ジャンル | 時代劇 |
演者人数 | 4人用台本(男3、女1) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
とらと別れてから数年、ぜんは船頭として暮らしていた そんな中、ぜんはある武芸者と出会う 男の名は「伊東一刀斎」 天下無双と称される剣豪だった ・演者性別不問ですが、役性別は変えないようにお願いします ・時代考証甘めです ・軽微なアドリブ可 226 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
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ぜん | 男 | 169 | 船頭の青年 |
とら | 女 | 91 | ぜんの幼馴染 |
清吉 | 男 | 71 | 町大工の青年 |
一刀斎 | 男 | 113 | 伊東一刀斎(いとういっとうさい)一刀流創始者である剣豪 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:町中、ふらつきながら歩いているとら
とら:(苦しそうな息遣い)
とら:『私は町を彷徨い(さまよい)歩いていた。』
とら:『履物(はきもの)はなく、裸足(はだし)でふらふらと歩き続ける。着物もぼろぼろだった。』
とら:『そんな私を、町行く人は、奇異(きい)な目で一瞥(いちべつ)するか、無視するかのいずれかだった。』
とら:『もう、長い間ろくに食べていない。意識を保っているのがやっとだ。このまま、私は死んでしまうのだろうか。』
とら:『私が死んだら、ぜんはきっと悲しむだろう。でも、私が生きているか死んでいるかさえ、ぜんには知るすべが無い。』
とら:『しかし、これで良かったのだ、と自分に言い聞かせる。あのまま一緒にいれば、ぜんは私の為にもっと無茶をしたに違いない。』
とら:『下手をすれば、人を殺していたかも・・・』
とら:『だから、これで良かったのだ、これで・・・』
とら:(消え入るように)ぜん・・・
とら:『私の意識は、そこで途切れた。』
0:倒れたとらに、清吉が駆け寄る。
清吉:おい、アンタ!大丈夫か!?しっかりしろ!おい!おい!
0:夜。舟を漕ぐぜん。
ぜん:『夜の川は静かだ。櫂(かい)を漕ぐと、水音(みずおと)がはっきりと聞こえる。』
ぜん:『俺が操る舟は、川をゆっくりと下っていた。』
一刀斎:おい。
ぜん:へ、へい。
一刀斎:あとどれくらいで着く?
ぜん:えーと、いま、半分を過ぎたくらいでしょうか・・・
一刀斎:まだそんなものか。
ぜん:『客は、一人だった。お世辞にも身なりが良いとは言えない。髪は乱れ、無精髭(ぶしょうひげ)は伸び、着物も薄汚れていた。』
ぜん:『ただ、その傍らに置いている刀の拵え(こしらえ)は、かなり高価なものであると思えた。』
一刀斎:・・・
ぜん:・・・お、お寒うございますなあ。
一刀斎:何がだ?
ぜん:え?いや、その・・・近頃めっきり寒くなってきたなあと・・・
一刀斎:俺はそうは思わん。
ぜん:そ、そうですか・・・
ぜん:お侍さんは、ご出身はどちらで?
一刀斎:伊豆だ。
ぜん:伊豆!そいつは・・・その・・・い、良い所ですなあ!
一刀斎:行った事は?
ぜん:へ?
一刀斎:行った事はあるのかと聞いている。
ぜん:・・・いや、ありませんが。
一刀斎:行った事が無いのに、どうして良い所だと分かる?誰かに聞いたのか?
ぜん:そいつは・・・その・・・
一刀斎:適当な受け答えをするな。
ぜん:・・・
一刀斎:もう終い(しまい)か?
ぜん:・・・お、俺は、百姓の出でして。わけあって故郷の村を飛び出したんですが、食っていけなくて・・・
ぜん:行き倒れそうになっていた所を山伏(やまぶし)の一行(いっこう)に拾われたんです。
一刀斎:・・・
ぜん:何年かはそこで世話になっておりましたが、だんだん修験者(しゅげんじゃ)の生活に嫌気(いやけ)がさして、結局はそこも逃げ出しました。
ぜん:それからあちこちを点々として、二月(ふたつき)ほど前からこの仕事を(始めたんです)
一刀斎:(被せる)もう良い。
ぜん:は?
一刀斎:お前の話はつまらん。聞いて損した。
ぜん:・・・
一刀斎:着くまでその口は閉じていろ。俺は寝るから、あまり揺らさんようにしろよ。
ぜん:『そう言うと、男は舟のへりに背を預け、目を閉じた。』
一刀斎:・・・
ぜん:『寝ているはずなのに、不気味な威圧感を感じる。まるで見えない壁が、この男を覆って(おおって)いるかのようだ。』
ぜん:『一分(いちぶ)の隙もないとは、こういう事をいうのか。』
ぜん:『よく見ると、手や顔にいくつかの傷跡がある。刀傷だろう。幾度とない死闘を繰り返してきた、その記憶がきっとその傷跡に刻まれている。』
ぜん:『達人と呼ばれる域の武芸者、そうに違いないと思った。そして俺は、この男の正体に見当がついていた。』
0:明け方
一刀斎:ん?
ぜん:旦那、着きやした。
一刀斎:そうか。(あくびをする)もう夜明けか。
ぜん:・・・
一刀斎:無事には着けたようだな。ほれ、船賃(ふなちん)だ。
0:一刀斎、ぜんに銭を差し出す。
ぜん:いえ、そいつは結構でさ。
一刀斎:ん?どうした?話がつまらんからと言って、俺は船賃を出し渋ったりはせんぞ。
ぜん:そうじゃねえんです。ただ・・・
一刀斎:何だ?
ぜん:・・・旦那、ひょっとして伊東一刀斎(いとういっとうさい)って言うお名前じゃあございませんか?
一刀斎:・・・
ぜん:『一刀流(いっとうりゅう)の創始者、伊東一刀斎。それは「今一番強い剣豪は誰か?」という問いに、真っ先に名前が挙がる人物だ。』
ぜん:『十四歳で武者修行を始めるや、各地で名だたる武芸者相手に連戦連勝』
ぜん:『江戸に出ると、中条流(ちゅうじょうりゅう)の達人、鐘捲自斎(かねまきじさい)に弟子入りするが、入門後わずか五年で師を打ち破る程になり、流派の極意を授けられた』
ぜん:『その後、自身の流派である「一刀流」を立ち上げた。これまでに真剣勝負を数十回、その全てにおいて、ただの一度も負けた事がないと言われていた』
ぜん:『それほどの剣豪であれば、各地の大名から召し抱えたいという誘いは絶え間なく、また、どこかの地に道場を構えようものならば、門弟志願者で溢れかえっただろう。』
ぜん:『しかし、その様な安寧(あんねい)な道は選ばず、いまだ己が身一つ(おのがみひとつ)で修行の旅を続ける「変人」と言われていた』
一刀斎:その名を、知っていたか。
ぜん:当たり前さ!今や知らねえ者はいねえよ!
ぜん:最近、この辺りに一刀斎が現れたって噂を聞いてから、いつかお目にかかりてぇと思ってたのさ。まさか俺の舟に乗ってくるとはよ、ついてたぜ。
一刀斎:お前、随分と生き生きしてるな。舟を漕いでいた時とは大違いだ。
ぜん:へへへ。
一刀斎:俺が一刀斎だったら、どうだと言うんだ。
ぜん:もしアンタが一刀斎なら、船賃代わりに、俺と勝負してくれよ!
一刀斎:何?
ぜん:俺、侍じゃねえけどよ、腕っ節(うでっぷし)には結構自信があるんだ。喧嘩じゃ誰にも負けたことがねえ。
一刀斎:「喧嘩」・・・
ぜん:武芸者を名乗る連中だって、何人も倒してきた!きっと俺には武芸者としての才があるのさ。
ぜん:だからよ、アンタみたいな有名な武人と戦って、自分がどれくらい強いのか試してみたいんだ!
ぜん:なあ、良いだろ?一刀斎先生よお。
一刀斎:(鼻で笑う)試したい、か。
ぜん:?
一刀斎:良いだろう。
ぜん:やった!
一刀斎:剣は持っているのか?
ぜん:俺は、(櫂を持ち上げる)こいつで良いぜ。
一刀斎:櫂?それは舟を漕ぐための物だろう。商売道具を粗末に扱って良いのか?
ぜん:構いやしねえ。船頭に未練はねえからな。
一刀斎:ほう、辞めるのか?
ぜん:ああ!・・・決めたぜ。俺も今から武芸者だ!アンタ倒して、一旗(ひとはた)上げてやる!
一刀斎:威勢だけは良いようだ。
ぜん:さあ、刀を抜きな!
一刀斎:そうだな。
ぜん:『一刀斎は、刀を鞘(さや)ごと帯から抜き・・・近くの岩に立てかけた?』
ぜん:何してやがんだ?
一刀斎:なに、俺も好きな得物(えもの)を使わせてもらう。こいつをな。
0:一刀斎、懐より一本の閉じた扇子を取り出す。
ぜん:なっ!扇子(せんす)だと!?ば、馬鹿にしてんのか!?
一刀斎:そうだが?
ぜん:ふざけんじゃねえ!こんなんで勝っても、何の自慢にもならねえじゃねえか!
一刀斎:お前の都合など知らん。俺はこれでやる。
ぜん:くっそぉ・・・本当に良いんだな?俺は手加減なんてしねえぞ!
一刀斎:御託(ごたく)は良いからさっさと来い。それとも、怖気(おじけ)付いたか?
ぜん:舐めんじゃねえ!うおりゃあああ!!
0:ぜんが片手で櫂を振り回す。
一刀斎:櫂を片手で操るか。大した馬鹿力だな。
ぜん:喰らえぇぇ!!
ぜん:『俺は全力で櫂を振り下ろした。櫂は一刀斎の鼻先をかすめ、地面に突き刺さった。』
一刀斎:外れたな。
ぜん:まだまだあ!どぉりやあああ!
0:ぜん、再び櫂を空振りする。
一刀斎:やかましい奴だ。また外れだぞ?
ぜん:うるせえ!今から本気出すんだよ!
一刀斎:そうか、それは失礼した。
ぜん:おらあ!・・・だらあ!・・・でやあ!
ぜん:『俺は櫂を振り続ける。しかし、まるで当たらない。しかも・・・』
一刀斎:どうした?
ぜん:『一刀斎には、俺の攻撃をかわしている様子がない。全く動いていないように見える。』
一刀斎:・・・どうした?
ぜん:(これじゃまるで、俺がわざと外してるみたいじゃねえか。)
ぜん:『俺は次第に不思議な感覚に襲われていった。目の前にいるはずの一刀斎が、まるでそこに居ないかのような・・・』
一刀斎:隙だらけだ。
ぜん:っ!
ぜん:『いつの間にか、一刀斎の扇子が俺の方に伸びてきていた。扇子が肩に触れた瞬間・・・』
一刀斎:ふんっ!
ぜん:うわあああああっ!
ぜん:『体に凄まじい衝撃が走り、強い力で弾き飛ばされた。』
ぜん:がはっ!
ぜん:『俺の身体は少し宙を飛んだ後、土の上をごろごろ転げ回った。』
ぜん:『それがようやく止まると、俺は仰向けに空を見上げていた。櫂は、どこかに飛んで行ってしまったようだ。』
ぜん:・・・
一刀斎:・・・
ぜん:(すげえ!これが伊東一刀斎か!これが一刀流か!)
ぜん:『身体を吹っ飛ばされた衝撃より、驚きと感動の方が上回っていた。あの不思議な感覚も一刀流の技なのだろうか?』
ぜん:(俺も、一刀流を学べば、この人に弟子入りすれば・・・)
一刀斎:おい。
ぜん:え・・・がっ!?
ぜん:『胸に痛みを感じた。一刀斎が、俺の胸を踏みつけていた。』
一刀斎:町人風情(ふぜい)に喧嘩を吹っ掛けられるとは、俺も堕ちたもんだな。
ぜん:っ!
ぜん:『一刀斎が顔を寄せてくる。目を見開き、俺の顔を見回した。』
ぜん:『その目は、今まで見たどんなものより・・・恐ろしかった。』
一刀斎:お前に一つ良い事を教えてやろう。
一刀斎:剣だろうが、舟の櫂だろうが、
一刀斎:武芸者に得物(えもの)を向けるという事はな・・・
一刀斎:自分がいつ斬られても構わないと言っているようなものだ。
ぜん:『全身が震える。こんな経験は初めてだった。』
ぜん:『獰猛(どうもう)な獣ですら、この人に比べたら大したことはないだろうと思えた。』
一刀斎:このままくびり殺してやろうか?
ぜん:あ・・・あ・・・
ぜん:『俺は、喧嘩を売る相手を間違えた。この人には、関わってはいけなかったのだ。』
ぜん:(こ、殺される!)
一刀斎:(鼻で笑う)
ぜん:『不意に、一刀斎が足を退けた(どけた)扇子を懐へしまうと、立てかけておいた刀を帯に戻す。』
ぜん:・・・?
一刀斎:そういえば、小間使い(こまづかい)を探していたんだった。
ぜん:え?
一刀斎:ついてこい。俺が飼ってやる。
ぜん:『こうして俺は、一刀斎の弟子になった。』
0:清吉の長屋
とら:(目覚める)
清吉:気が付いたか!?
とら:ここは・・・?
清吉:俺の長屋(ながや)だよ。アンタ、町中でいきなり倒れたんだぜ。
とら:そうか・・・アンタに助けてもらったのか。ありがとよ。
清吉:良いってことよ!何か俺にして欲しい事はないかい?
とら:は・・・
清吉:は?
とら:腹が減った。
清吉:・・・
清吉:(吹き出す)わかった、飯にしような!
とら:良いのか?
清吉:当たり前だろ!
とら:何で、見ず知らずのオラを助けてくれるんだ?
清吉:いきなり目の前で倒れられたんだぜ?放っておけるかよ。
清吉:それに俺はな、人の縁ってやつは大切にしてるんだ。
とら:縁・・・
清吉:これも何かの縁、ってな。
とら:・・・とらだ。
清吉:え?
とら:オラの名前。
清吉:そうか。俺は清吉(せいきち)ってんだ。
とら:清吉・・・
清吉:よろしくな、とら!
とら:『彼は、屈託(くったく)の無い顔で笑った。』
0:森の中。馬に乗って駆ける一刀斎と、それを走って追いかけるぜん。
一刀斎:おっ!(笑う)この馬、歳の割によく走る。そう思わんか?
ぜん:(全力疾走している息遣い)
ぜん:『一刀斎・・・先生は、馬に乗り、機嫌良く疾走させていた。俺は、それを自分の足で走って追いかけている。』
一刀斎:おい、師が問うておるのだぞ?返事をせぬか。
ぜん:(走りながら)は・・・はい!
一刀斎:まだ走れるか?そらっ!
ぜん:『先生は馬の腹を蹴った。馬は軽く嘶いて(いなないて)加速する。』
一刀斎:ははっ、まだ早くなるか!
ぜん:(嘘だろ!)
ぜん:『先生はどんどん遠ざかっていく。俺も加速したが、追いつけるはずもなかった。』
一刀斎:(遠くから)おい!遅れるな!
ぜん:(全力疾走している息遣い)
ぜん:『俺は走り続けた。しばらく走ると、遠くにあった先生の姿が段々大きくなってきた。どうやら止まっているようだ。』
ぜん:『俺は力を振り絞り走る。先生は馬から降りて待っていた。』
ぜん:(息を切らせながら)先生・・・ようやく・・・追いついた。
先生:腹が減った。
ぜん:(まだ息を切らせながら)は?え?
先生:飯(めし)の支度をせよ。
ぜん:いやでも、食い物なんてどこに・・・
先生:探してこい。
ぜん:しかし先生、こんな荒野のど真ん中でどうやって・・・
先生:さっさと行け!
0:一刀斎、ぜんの腹を蹴る。
ぜん:うぐっ!
ぜん:『先生はよく殴るし、蹴る。その威力は親父のゲンコツの比ではなかった。それは武芸者の一撃、相手を倒すためのものだった。』
先生:良いか、一刻以内に戻らなければ、ただでは済まさんぞ。
ぜん:(お腹を抑えながら)は、はい。
0:時間経過
ぜん:近くに家があって良かった。何とか食い物を分けてもらえたぞ。
ぜん:『俺は調達した食糧を持って、先生の元に急いだ。』
ぜん:(一刀斎を見つけ)良かった、待っててくれた。せん・・・
ぜん:『声を掛けようとしたが、辞めた。先生は上半身裸で剣を抜いていた。』
一刀斎:(ゆっくり息を吐きだす)
ぜん:『先生は上段に構える。』
一刀斎:はあっ!
ぜん:『先生が剣を振り下ろすと、風圧がこちらまで伝わってきた、ような気がした。』
一刀斎:せいっ!
ぜん:『次は切り上げる様に剣を振るう。初めて会った時は扇子一本であしらわれたので、先生の技を見るのはこれが初めてだった。』
一刀斎:ふんっ!
ぜん:『先生が剣を振るたび、鋭い風切り音が鳴る。空気まで切り裂いているような、そんな斬撃だった。』
一刀斎:はっ!
ぜん:(綺麗だ・・・なんて綺麗な太刀筋なんだ。)
一刀斎:・・・飯は?
ぜん:えっ!?あ、はい!
ぜん:(俺の気配に気づいてたのか。)
一刀斎:早う(はよう)せい。
ぜん:はい!只今!
ぜん:『いつか俺も、先生の様な達人になれるだろうか?』
ぜん:『先生みたいに強くなって、有名になって・・・』
ぜん:『そしたら「とら」を、見つけられるんじゃないか、迎えに行けるんじゃないか。何の根拠もなく、そんな事を思っていた。』
ぜん:『あの廃寺(はいでら)でとらが居なくなって数年・・・必死で探したけど、その行方は一向に分からなかった。か
ぜん:『会いたい。』
ぜん:『俺はもう間違えない。』
ぜん:『今度こそ・・・』
0:清吉の長屋
とら:『清吉の所で世話になるようになってから、一週間が過ぎた。彼は一文なしの私を、何も言わずに置いてくれた。』
とら:なあ。
清吉:どうした?
とら:オラ、出て行くよ。いつまでも世話になるわけにはいかねえ。
清吉:何言ってんだ?俺は構わねえっていつも言ってるじゃねえか。
とら:けどよ・・・オラ、何もお返しできねえし。
清吉:あのな、毎日家で誰かが待ってくれてる、それだけで俺は嬉しくなるんだ。とらは、ただここにいてくれるだけで良いんだぜ。
とら:オラ食わせんのに、銭だっているだろ?
清吉:銭なら心配ねえ。一人増えたぐらい、どうってことねえ程度には、稼いでるからよ。
とら:大工って、そんなに稼げるんか?
清吉:大工の仕事だけじゃねえぜ。俺にはこれがあるんだ。
0:清吉、懐から二つのサイコロを取り出す。
とら:サイコロ?
清吉:こいつで、「丁か半か!」ってな。
とら:博打(ばくち)か。
清吉:おうよ!俺はな、この辺じゃちったあ知られた博徒(ばくと)なんだぜ。
とら:オラあんまり博打の事は分かんねえけどよ、大丈夫なんか?大負けしたら、ひでえ目に遭うんだろ?
清吉:大丈夫さ。俺をそこらの素人と一緒にすんな。ぜってえそんな事にはならねえからよ。
清吉:だから、お前は何にも心配せず、ここにいりゃ良いんだ。
とら:『清吉はこう言ってくれる・・・しかし、ただ世話になるのは気が引けた。』
0:翌日
清吉:ただいまー、っと、何やってんだ?
とら:おかえり。ちょっと掃除でもと思ってな。
清吉:そうか、そいつはすまねえな。
とら:すまねえのはこっちだ。こんなに世話になってよ。
清吉:だからそんなもん気にしなくて良いって・・・お、この匂いは?
とら:ああ、一応飯もな、支度しといた。
清吉:本当か!人の作った飯なんていつぶりかなあ。
とら:「作った」なんて大層なもんじゃねえぞ?余った飯とか野菜とか、適当に鍋にぶち込んで、味噌で煮ただけだ。
清吉:上等上等!さ、食おうぜ。
とら:おう。
0:とら、椀に雑炊をよそう。
とら:ほらよ。
清吉:ありがとよ!(雑炊をすする)お!うめえじゃねえか!
とら:そうか?こんなもんで良ければ、これからも作ってやるよ。
清吉:ありがてえ!
とら:『その日から、私は毎日飯の支度をするようになった。』
0:数日後
清吉:とら!今日は大勝ち(おおがち)したからよ、良いもん持って帰ってきたぞ!
とら:ん?何だ?
とら:『その日、清吉は大きな桶(おけ)を持って帰って来た。そこに入っていたのは・・・』
清吉:どうだっ!
とら:うおっ!何だこりゃ!?
清吉:鯛(たい)だ!
とら:鯛!?
清吉:おう!
とら:これをどうすんだ!?
清吉:食うに決まってんだろ!
とら:食う!?オラ、鯛はおろか、魚自体捌いた(さばいた)事もねえんだぞ!
清吉:そうなんか?でもまあ、何とかなるだろ。
とら:無茶言うなよ・・・って、これ動いてんぞ!
清吉:そりゃあ、生きてるからな。
とら:嘘だろ!
清吉:魚はやっぱり、活きが良くなくちゃよ!
とら:こんなもんどうやって食うんだ?
清吉:分かんねえけど、とにかく桶から出すぞ。俺は頭の方持つから、尾の方頼む。
とら:お、おう。
清吉:うあっ!
とら:馬鹿、落とすな!
清吉:ど、どこいった?
とら:ひっ!いま、オラの足にぬるっとした感触が・・・
清吉:そっちか!まて!
とら:逃すな!
清吉:捕まえ、ってうわあ!(すべって転ぶ)・・・アイタタタ・・・
とら:『盛大に転んだ清吉の傍らで、鯛は床の上をぴちぴちと跳ね回っていた。』
とら:・・・(吹き出す)
清吉:?
とら:(段々と笑いが大きくなっていく)
清吉:・・・お前
とら:え?
清吉:初めて、笑ってくれたな。
とら:『どうしてだろう・・・少しだけ、胸が苦しくなった。』
0:河原。木刀を手に対峙するぜんと一刀斎。
一刀斎:どうした?早く打ち込んでこい。
ぜん:は、はい!いやあああ!
一刀斎:ふんっ
0:一刀斎、ぜんの一撃を片手で払い除ける。
ぜん:くっ・・・
一刀斎:誰が休めと言った?
ぜん:あの、今の打ち込みでいいですか?
一刀斎:誰が無駄口を叩けと言った!
0:一刀斎、ぜんを蹴り飛ばす。
ぜん:がはっ!
一刀斎:さあ、今一度だ!こい!
ぜん:くっ・・・やあああ!
ぜん:『先生の稽古はわかりやすい。木刀を俺に持たせると、一言』
一刀斎:『かかってこい。』
ぜん:『と言う。ただ、それだけ。本当にそれだけだった。』
ぜん:『剣の握り方、構え方、振り方・・・何一つ教えず、ただ打ち込ませるだけ。』
一刀斎:どうした?そんなものか?
ぜん:う、おおおぉ!
0:ぜん、大きく上段に振りかぶって一刀斎に打ち込む。
一刀斎:甘いっ!
0:一刀斎、ぜんのがら空きの胴体に鋭い一撃。
ぜん:かはっ!・・・く、うぅぅ
一刀斎:おっと。
ぜん:『先生の一撃は、俺の胴体に深くめり込んだ。』
ぜん:(あばらが、折れやがった。)
一刀斎:すまんなあ、強く打ち過ぎたようだ。どれ、診て(みて)やろう。
0:一刀斎がぜんのあばらの上に手を添える。
ぜん:ぐっ!
一刀斎:む?ここか?・・・ふむ、熱を持っているな。折れたか?
ぜん:は、はい・・・
一刀斎:そうか、では。
ぜん:?
一刀斎:ふん!
ぜん:が!?がああああああああ!!
0:一刀斎、あばらに親指をねじ込む。
一刀斎:確かに折れているな!ここだろう?
一刀斎:今折れた所に指をねじ込んでやったぞ!どうだ、分かるか?
ぜん:(半分泣きながら荒い息遣い)
一刀斎:ふん!
0:また指をねじ込む。
ぜん:あああああああああ!
一刀斎:いちいち喚くな(わめくな)それでも男か?
ぜん:(自分の腕を噛んで痛みをこらえる)
一刀斎:昔、医師に聞いたんだがな、痛みというのは、体からの「知らせ」なんだそうだ。
一刀斎:傷付いたり、不調が起こっている箇所を、俺たち人間は痛みによって知るわけだ。
ぜん:(先程より落ち着いたが、まだ幾分荒い息遣い)
一刀斎:だが、俺たち武芸者は、一度剣を持って相見えれば(あいまみえれば)後は生きるか死ぬか、二つに一つだ。「途中」に何の意味がある?
一刀斎:骨が折れようが、腕がもげようが、相手に打ち勝ち、生き残ればそれで良いのだ。
一刀斎:俺の弟子でいる限り、痛みを感じる事を禁ずる。そんなものは弱さしか生まぬ。
ぜん:『先生の顔が近付く。また、あの目だ。人のものでは無い、いやこの世のものとすら思えない、そんな目だった。』
ぜん:『その目にしばらく見つめられていると、いつの間にか痛みを感じなくなっていた。』
一刀斎:剣を恐れるな。
一刀斎:敵を恐れるな。
一刀斎:痛みを恐れるな。
一刀斎:死を恐れるな。
一刀斎:ただ、俺だけを恐れていろ。
ぜん:・・・
一刀斎:そして、俺を憎め。
ぜん:え?
一刀斎:それが、お前の強さになる。
ぜん:『先生が胸から手を離した。少し痛みが戻ってきた。』
一刀斎:俺はこれからも、お前に剣術の基礎や、技の類(たぐい)を教える気はない。
一刀斎:そういうものを知らんわけではないぞ?これでもかつては師もおったからな。
一刀斎:だが、教えぬ。何故か分かるか?
ぜん:その方が、俺が強くなれるから・・・?
一刀斎:その方が、俺が面白いからだ。
ぜん:・・・
一刀斎:まあ、お前が一刀流の後継者にでもなれば、秘伝の一つや二つ、教えてやらんでも無いがな。
一刀斎:お前は俺が拾ったのだ。好きにさせてもらう。俺が飽きるまでな。
ぜん:飽きる?
一刀斎:言っておくが、これでも手加減している。せっかく手に入れた暇潰しだ、すぐに壊しては勿体ないからな。
一刀斎:だが、いつ俺の気が変わるかもしれんぞ?
一刀斎:早く腕を上げねば、そのうち骨ではなく、命を断たれることになる。
0:数日後
ぜん:ふっ!ふっ!ふっ!(木刀を素振りしている。言葉は何でも良いです)
ぜん:『あれから数日、俺は一心不乱に木刀を振り続けた。あばらはまだ痛むが、そんな事に構っていられなかった。』
一刀斎:『命を断たれることになる。』
ぜん:『早く強くならなくては。しかし、武芸のイロハも知らないのに、一体どうすれば。』
ぜん:(くそっ!こんなんじゃ駄目だ!)
ぜん:『俺は素振りを辞めた。そして目を閉じる。まぶたの裏に、剣を持った先生の姿が浮かんだ。』
一刀斎:『はあっ!』
ぜん:『先生が剣を振るう。』
ぜん:はあっ!
ぜん:『俺も先生の真似をして木刀を振る。』
一刀斎:『せいっ!』
ぜん:せいっ!
一刀斎:『ふんっ!』
ぜん:ふんっ!
一刀斎:『はっ!』
ぜん:はっ!
ぜん:『どうすれば、先生の様になれるのか。少しでも近付くことができるのか。』
ぜん:(荒い息遣い)
ぜん:『このままでは終われない。とらにまた会うまでは・・・』
0:清吉の長屋
清吉:とら!今日も良いもん、持って帰ってきてやったぞ!
とら:何だ?また鯛じゃねえだろうな?
清吉:いや、あれは本当にすまなかった。結局食えなかったしな・・・でも今回は、これだ!
とら:『そう言って清吉が差し出したのは、一本の簪(かんざし)だった。』
とら:これ・・・
清吉:どうだ?気に入ったか?
とら:受け取れるわけねえだろ!毎日飯食わせてもらってるのに、こんなもんまで。
清吉:気にすんなよ。俺が買ってやりたいと思ったから、そうしただけだ。
とら:オラには似合わねえよ。
清吉:そんな事ねえって。どれ、俺が差してやる。
とら:あ・・・
0:清吉、とらの髪に簪を差す。
清吉:うん!似合ってるぜ!そうだ、鏡も買ってきたんだ。こいつで見てみな。
0:清吉、とらに手鏡を渡す。
とら:・・・オラ、簪なんて差すの、初めてだ。
清吉:気に入ったか。
とら:あ、ああ・・・ありがとよ。
清吉:良いってことよ!今度は、その簪に合う着物も買いに行こうな。
とら:それ、順番が逆じゃねえか?
清吉:あ、そっか。
0:お互いに笑い合う。
清吉:なあ、とら。
とら:ん?
清吉:おりゃっ!(とらを抱きしめる)
とら:んっ!?
とら:『突然、清吉が私を抱きすくめた』
清吉:とら・・・
とら:お、おおおおおおめえ!急に何すんだ!?
清吉:いつまでも、ここにいりゃあ良い。
とら:・・・え?
清吉:ここはもう、お前の家だ。
とら:清吉、さん・・・
清吉:な?
とら:『清吉の体温を感じる。心臓の音が聞こえる。息遣いが聞こえる』
とら:『男の人に、こんな風に抱きしめられたのは初めてだった』
清吉:へへ(とらを離す)
とら:・・・
とら:『身を離してからも、しばらく清吉の温もりが残った』
とら:(オラは、この人と・・・)
清吉:とら?どうした?大丈夫か?
とら:え?・・・あ、ああ!大丈夫だ!
清吉:そうか?なら良いけどよ。
とら:・・・
清吉:あとよ、もう一つ土産があるんだ!
とら:(少し笑いながら)まだあんのか?
清吉:おう!こいつだ!
とら:『清吉が差し出したのは・・・』
清吉:一緒に食おうぜ!
とら:・・・
清吉:とら?
とら:・・・饅頭(まんじゅう)か?
清吉:見りゃわかんだろ?
とら:饅頭・・・
ぜん:『いつか、俺が大人になったら、おめえに饅頭、腹一杯食わせてやる!』
とら:(泣き出す)
清吉:お、おい!どうした!?ひょっとして、饅頭嫌いだったか?
とら:(泣きながら)違う、嫌いじゃねえ、だけど・・・(泣き声で言葉にならない)
清吉:な、泣くなよ!俺はどうしたら良い?俺にしてやれる事はねえか?
とら:『ぜんに・・・ぜんに会わせて欲しい!・・・でも、誰にもその願いは叶えられない・・・』
とら:『ぜんの元を離れたのは正しい事だ、これがお互いのためなんだ。そう思っていた。それでも・・・』
とら:(・・・会いたい。)
0:つづく
0:町中、ふらつきながら歩いているとら
とら:(苦しそうな息遣い)
とら:『私は町を彷徨い(さまよい)歩いていた。』
とら:『履物(はきもの)はなく、裸足(はだし)でふらふらと歩き続ける。着物もぼろぼろだった。』
とら:『そんな私を、町行く人は、奇異(きい)な目で一瞥(いちべつ)するか、無視するかのいずれかだった。』
とら:『もう、長い間ろくに食べていない。意識を保っているのがやっとだ。このまま、私は死んでしまうのだろうか。』
とら:『私が死んだら、ぜんはきっと悲しむだろう。でも、私が生きているか死んでいるかさえ、ぜんには知るすべが無い。』
とら:『しかし、これで良かったのだ、と自分に言い聞かせる。あのまま一緒にいれば、ぜんは私の為にもっと無茶をしたに違いない。』
とら:『下手をすれば、人を殺していたかも・・・』
とら:『だから、これで良かったのだ、これで・・・』
とら:(消え入るように)ぜん・・・
とら:『私の意識は、そこで途切れた。』
0:倒れたとらに、清吉が駆け寄る。
清吉:おい、アンタ!大丈夫か!?しっかりしろ!おい!おい!
0:夜。舟を漕ぐぜん。
ぜん:『夜の川は静かだ。櫂(かい)を漕ぐと、水音(みずおと)がはっきりと聞こえる。』
ぜん:『俺が操る舟は、川をゆっくりと下っていた。』
一刀斎:おい。
ぜん:へ、へい。
一刀斎:あとどれくらいで着く?
ぜん:えーと、いま、半分を過ぎたくらいでしょうか・・・
一刀斎:まだそんなものか。
ぜん:『客は、一人だった。お世辞にも身なりが良いとは言えない。髪は乱れ、無精髭(ぶしょうひげ)は伸び、着物も薄汚れていた。』
ぜん:『ただ、その傍らに置いている刀の拵え(こしらえ)は、かなり高価なものであると思えた。』
一刀斎:・・・
ぜん:・・・お、お寒うございますなあ。
一刀斎:何がだ?
ぜん:え?いや、その・・・近頃めっきり寒くなってきたなあと・・・
一刀斎:俺はそうは思わん。
ぜん:そ、そうですか・・・
ぜん:お侍さんは、ご出身はどちらで?
一刀斎:伊豆だ。
ぜん:伊豆!そいつは・・・その・・・い、良い所ですなあ!
一刀斎:行った事は?
ぜん:へ?
一刀斎:行った事はあるのかと聞いている。
ぜん:・・・いや、ありませんが。
一刀斎:行った事が無いのに、どうして良い所だと分かる?誰かに聞いたのか?
ぜん:そいつは・・・その・・・
一刀斎:適当な受け答えをするな。
ぜん:・・・
一刀斎:もう終い(しまい)か?
ぜん:・・・お、俺は、百姓の出でして。わけあって故郷の村を飛び出したんですが、食っていけなくて・・・
ぜん:行き倒れそうになっていた所を山伏(やまぶし)の一行(いっこう)に拾われたんです。
一刀斎:・・・
ぜん:何年かはそこで世話になっておりましたが、だんだん修験者(しゅげんじゃ)の生活に嫌気(いやけ)がさして、結局はそこも逃げ出しました。
ぜん:それからあちこちを点々として、二月(ふたつき)ほど前からこの仕事を(始めたんです)
一刀斎:(被せる)もう良い。
ぜん:は?
一刀斎:お前の話はつまらん。聞いて損した。
ぜん:・・・
一刀斎:着くまでその口は閉じていろ。俺は寝るから、あまり揺らさんようにしろよ。
ぜん:『そう言うと、男は舟のへりに背を預け、目を閉じた。』
一刀斎:・・・
ぜん:『寝ているはずなのに、不気味な威圧感を感じる。まるで見えない壁が、この男を覆って(おおって)いるかのようだ。』
ぜん:『一分(いちぶ)の隙もないとは、こういう事をいうのか。』
ぜん:『よく見ると、手や顔にいくつかの傷跡がある。刀傷だろう。幾度とない死闘を繰り返してきた、その記憶がきっとその傷跡に刻まれている。』
ぜん:『達人と呼ばれる域の武芸者、そうに違いないと思った。そして俺は、この男の正体に見当がついていた。』
0:明け方
一刀斎:ん?
ぜん:旦那、着きやした。
一刀斎:そうか。(あくびをする)もう夜明けか。
ぜん:・・・
一刀斎:無事には着けたようだな。ほれ、船賃(ふなちん)だ。
0:一刀斎、ぜんに銭を差し出す。
ぜん:いえ、そいつは結構でさ。
一刀斎:ん?どうした?話がつまらんからと言って、俺は船賃を出し渋ったりはせんぞ。
ぜん:そうじゃねえんです。ただ・・・
一刀斎:何だ?
ぜん:・・・旦那、ひょっとして伊東一刀斎(いとういっとうさい)って言うお名前じゃあございませんか?
一刀斎:・・・
ぜん:『一刀流(いっとうりゅう)の創始者、伊東一刀斎。それは「今一番強い剣豪は誰か?」という問いに、真っ先に名前が挙がる人物だ。』
ぜん:『十四歳で武者修行を始めるや、各地で名だたる武芸者相手に連戦連勝』
ぜん:『江戸に出ると、中条流(ちゅうじょうりゅう)の達人、鐘捲自斎(かねまきじさい)に弟子入りするが、入門後わずか五年で師を打ち破る程になり、流派の極意を授けられた』
ぜん:『その後、自身の流派である「一刀流」を立ち上げた。これまでに真剣勝負を数十回、その全てにおいて、ただの一度も負けた事がないと言われていた』
ぜん:『それほどの剣豪であれば、各地の大名から召し抱えたいという誘いは絶え間なく、また、どこかの地に道場を構えようものならば、門弟志願者で溢れかえっただろう。』
ぜん:『しかし、その様な安寧(あんねい)な道は選ばず、いまだ己が身一つ(おのがみひとつ)で修行の旅を続ける「変人」と言われていた』
一刀斎:その名を、知っていたか。
ぜん:当たり前さ!今や知らねえ者はいねえよ!
ぜん:最近、この辺りに一刀斎が現れたって噂を聞いてから、いつかお目にかかりてぇと思ってたのさ。まさか俺の舟に乗ってくるとはよ、ついてたぜ。
一刀斎:お前、随分と生き生きしてるな。舟を漕いでいた時とは大違いだ。
ぜん:へへへ。
一刀斎:俺が一刀斎だったら、どうだと言うんだ。
ぜん:もしアンタが一刀斎なら、船賃代わりに、俺と勝負してくれよ!
一刀斎:何?
ぜん:俺、侍じゃねえけどよ、腕っ節(うでっぷし)には結構自信があるんだ。喧嘩じゃ誰にも負けたことがねえ。
一刀斎:「喧嘩」・・・
ぜん:武芸者を名乗る連中だって、何人も倒してきた!きっと俺には武芸者としての才があるのさ。
ぜん:だからよ、アンタみたいな有名な武人と戦って、自分がどれくらい強いのか試してみたいんだ!
ぜん:なあ、良いだろ?一刀斎先生よお。
一刀斎:(鼻で笑う)試したい、か。
ぜん:?
一刀斎:良いだろう。
ぜん:やった!
一刀斎:剣は持っているのか?
ぜん:俺は、(櫂を持ち上げる)こいつで良いぜ。
一刀斎:櫂?それは舟を漕ぐための物だろう。商売道具を粗末に扱って良いのか?
ぜん:構いやしねえ。船頭に未練はねえからな。
一刀斎:ほう、辞めるのか?
ぜん:ああ!・・・決めたぜ。俺も今から武芸者だ!アンタ倒して、一旗(ひとはた)上げてやる!
一刀斎:威勢だけは良いようだ。
ぜん:さあ、刀を抜きな!
一刀斎:そうだな。
ぜん:『一刀斎は、刀を鞘(さや)ごと帯から抜き・・・近くの岩に立てかけた?』
ぜん:何してやがんだ?
一刀斎:なに、俺も好きな得物(えもの)を使わせてもらう。こいつをな。
0:一刀斎、懐より一本の閉じた扇子を取り出す。
ぜん:なっ!扇子(せんす)だと!?ば、馬鹿にしてんのか!?
一刀斎:そうだが?
ぜん:ふざけんじゃねえ!こんなんで勝っても、何の自慢にもならねえじゃねえか!
一刀斎:お前の都合など知らん。俺はこれでやる。
ぜん:くっそぉ・・・本当に良いんだな?俺は手加減なんてしねえぞ!
一刀斎:御託(ごたく)は良いからさっさと来い。それとも、怖気(おじけ)付いたか?
ぜん:舐めんじゃねえ!うおりゃあああ!!
0:ぜんが片手で櫂を振り回す。
一刀斎:櫂を片手で操るか。大した馬鹿力だな。
ぜん:喰らえぇぇ!!
ぜん:『俺は全力で櫂を振り下ろした。櫂は一刀斎の鼻先をかすめ、地面に突き刺さった。』
一刀斎:外れたな。
ぜん:まだまだあ!どぉりやあああ!
0:ぜん、再び櫂を空振りする。
一刀斎:やかましい奴だ。また外れだぞ?
ぜん:うるせえ!今から本気出すんだよ!
一刀斎:そうか、それは失礼した。
ぜん:おらあ!・・・だらあ!・・・でやあ!
ぜん:『俺は櫂を振り続ける。しかし、まるで当たらない。しかも・・・』
一刀斎:どうした?
ぜん:『一刀斎には、俺の攻撃をかわしている様子がない。全く動いていないように見える。』
一刀斎:・・・どうした?
ぜん:(これじゃまるで、俺がわざと外してるみたいじゃねえか。)
ぜん:『俺は次第に不思議な感覚に襲われていった。目の前にいるはずの一刀斎が、まるでそこに居ないかのような・・・』
一刀斎:隙だらけだ。
ぜん:っ!
ぜん:『いつの間にか、一刀斎の扇子が俺の方に伸びてきていた。扇子が肩に触れた瞬間・・・』
一刀斎:ふんっ!
ぜん:うわあああああっ!
ぜん:『体に凄まじい衝撃が走り、強い力で弾き飛ばされた。』
ぜん:がはっ!
ぜん:『俺の身体は少し宙を飛んだ後、土の上をごろごろ転げ回った。』
ぜん:『それがようやく止まると、俺は仰向けに空を見上げていた。櫂は、どこかに飛んで行ってしまったようだ。』
ぜん:・・・
一刀斎:・・・
ぜん:(すげえ!これが伊東一刀斎か!これが一刀流か!)
ぜん:『身体を吹っ飛ばされた衝撃より、驚きと感動の方が上回っていた。あの不思議な感覚も一刀流の技なのだろうか?』
ぜん:(俺も、一刀流を学べば、この人に弟子入りすれば・・・)
一刀斎:おい。
ぜん:え・・・がっ!?
ぜん:『胸に痛みを感じた。一刀斎が、俺の胸を踏みつけていた。』
一刀斎:町人風情(ふぜい)に喧嘩を吹っ掛けられるとは、俺も堕ちたもんだな。
ぜん:っ!
ぜん:『一刀斎が顔を寄せてくる。目を見開き、俺の顔を見回した。』
ぜん:『その目は、今まで見たどんなものより・・・恐ろしかった。』
一刀斎:お前に一つ良い事を教えてやろう。
一刀斎:剣だろうが、舟の櫂だろうが、
一刀斎:武芸者に得物(えもの)を向けるという事はな・・・
一刀斎:自分がいつ斬られても構わないと言っているようなものだ。
ぜん:『全身が震える。こんな経験は初めてだった。』
ぜん:『獰猛(どうもう)な獣ですら、この人に比べたら大したことはないだろうと思えた。』
一刀斎:このままくびり殺してやろうか?
ぜん:あ・・・あ・・・
ぜん:『俺は、喧嘩を売る相手を間違えた。この人には、関わってはいけなかったのだ。』
ぜん:(こ、殺される!)
一刀斎:(鼻で笑う)
ぜん:『不意に、一刀斎が足を退けた(どけた)扇子を懐へしまうと、立てかけておいた刀を帯に戻す。』
ぜん:・・・?
一刀斎:そういえば、小間使い(こまづかい)を探していたんだった。
ぜん:え?
一刀斎:ついてこい。俺が飼ってやる。
ぜん:『こうして俺は、一刀斎の弟子になった。』
0:清吉の長屋
とら:(目覚める)
清吉:気が付いたか!?
とら:ここは・・・?
清吉:俺の長屋(ながや)だよ。アンタ、町中でいきなり倒れたんだぜ。
とら:そうか・・・アンタに助けてもらったのか。ありがとよ。
清吉:良いってことよ!何か俺にして欲しい事はないかい?
とら:は・・・
清吉:は?
とら:腹が減った。
清吉:・・・
清吉:(吹き出す)わかった、飯にしような!
とら:良いのか?
清吉:当たり前だろ!
とら:何で、見ず知らずのオラを助けてくれるんだ?
清吉:いきなり目の前で倒れられたんだぜ?放っておけるかよ。
清吉:それに俺はな、人の縁ってやつは大切にしてるんだ。
とら:縁・・・
清吉:これも何かの縁、ってな。
とら:・・・とらだ。
清吉:え?
とら:オラの名前。
清吉:そうか。俺は清吉(せいきち)ってんだ。
とら:清吉・・・
清吉:よろしくな、とら!
とら:『彼は、屈託(くったく)の無い顔で笑った。』
0:森の中。馬に乗って駆ける一刀斎と、それを走って追いかけるぜん。
一刀斎:おっ!(笑う)この馬、歳の割によく走る。そう思わんか?
ぜん:(全力疾走している息遣い)
ぜん:『一刀斎・・・先生は、馬に乗り、機嫌良く疾走させていた。俺は、それを自分の足で走って追いかけている。』
一刀斎:おい、師が問うておるのだぞ?返事をせぬか。
ぜん:(走りながら)は・・・はい!
一刀斎:まだ走れるか?そらっ!
ぜん:『先生は馬の腹を蹴った。馬は軽く嘶いて(いなないて)加速する。』
一刀斎:ははっ、まだ早くなるか!
ぜん:(嘘だろ!)
ぜん:『先生はどんどん遠ざかっていく。俺も加速したが、追いつけるはずもなかった。』
一刀斎:(遠くから)おい!遅れるな!
ぜん:(全力疾走している息遣い)
ぜん:『俺は走り続けた。しばらく走ると、遠くにあった先生の姿が段々大きくなってきた。どうやら止まっているようだ。』
ぜん:『俺は力を振り絞り走る。先生は馬から降りて待っていた。』
ぜん:(息を切らせながら)先生・・・ようやく・・・追いついた。
先生:腹が減った。
ぜん:(まだ息を切らせながら)は?え?
先生:飯(めし)の支度をせよ。
ぜん:いやでも、食い物なんてどこに・・・
先生:探してこい。
ぜん:しかし先生、こんな荒野のど真ん中でどうやって・・・
先生:さっさと行け!
0:一刀斎、ぜんの腹を蹴る。
ぜん:うぐっ!
ぜん:『先生はよく殴るし、蹴る。その威力は親父のゲンコツの比ではなかった。それは武芸者の一撃、相手を倒すためのものだった。』
先生:良いか、一刻以内に戻らなければ、ただでは済まさんぞ。
ぜん:(お腹を抑えながら)は、はい。
0:時間経過
ぜん:近くに家があって良かった。何とか食い物を分けてもらえたぞ。
ぜん:『俺は調達した食糧を持って、先生の元に急いだ。』
ぜん:(一刀斎を見つけ)良かった、待っててくれた。せん・・・
ぜん:『声を掛けようとしたが、辞めた。先生は上半身裸で剣を抜いていた。』
一刀斎:(ゆっくり息を吐きだす)
ぜん:『先生は上段に構える。』
一刀斎:はあっ!
ぜん:『先生が剣を振り下ろすと、風圧がこちらまで伝わってきた、ような気がした。』
一刀斎:せいっ!
ぜん:『次は切り上げる様に剣を振るう。初めて会った時は扇子一本であしらわれたので、先生の技を見るのはこれが初めてだった。』
一刀斎:ふんっ!
ぜん:『先生が剣を振るたび、鋭い風切り音が鳴る。空気まで切り裂いているような、そんな斬撃だった。』
一刀斎:はっ!
ぜん:(綺麗だ・・・なんて綺麗な太刀筋なんだ。)
一刀斎:・・・飯は?
ぜん:えっ!?あ、はい!
ぜん:(俺の気配に気づいてたのか。)
一刀斎:早う(はよう)せい。
ぜん:はい!只今!
ぜん:『いつか俺も、先生の様な達人になれるだろうか?』
ぜん:『先生みたいに強くなって、有名になって・・・』
ぜん:『そしたら「とら」を、見つけられるんじゃないか、迎えに行けるんじゃないか。何の根拠もなく、そんな事を思っていた。』
ぜん:『あの廃寺(はいでら)でとらが居なくなって数年・・・必死で探したけど、その行方は一向に分からなかった。か
ぜん:『会いたい。』
ぜん:『俺はもう間違えない。』
ぜん:『今度こそ・・・』
0:清吉の長屋
とら:『清吉の所で世話になるようになってから、一週間が過ぎた。彼は一文なしの私を、何も言わずに置いてくれた。』
とら:なあ。
清吉:どうした?
とら:オラ、出て行くよ。いつまでも世話になるわけにはいかねえ。
清吉:何言ってんだ?俺は構わねえっていつも言ってるじゃねえか。
とら:けどよ・・・オラ、何もお返しできねえし。
清吉:あのな、毎日家で誰かが待ってくれてる、それだけで俺は嬉しくなるんだ。とらは、ただここにいてくれるだけで良いんだぜ。
とら:オラ食わせんのに、銭だっているだろ?
清吉:銭なら心配ねえ。一人増えたぐらい、どうってことねえ程度には、稼いでるからよ。
とら:大工って、そんなに稼げるんか?
清吉:大工の仕事だけじゃねえぜ。俺にはこれがあるんだ。
0:清吉、懐から二つのサイコロを取り出す。
とら:サイコロ?
清吉:こいつで、「丁か半か!」ってな。
とら:博打(ばくち)か。
清吉:おうよ!俺はな、この辺じゃちったあ知られた博徒(ばくと)なんだぜ。
とら:オラあんまり博打の事は分かんねえけどよ、大丈夫なんか?大負けしたら、ひでえ目に遭うんだろ?
清吉:大丈夫さ。俺をそこらの素人と一緒にすんな。ぜってえそんな事にはならねえからよ。
清吉:だから、お前は何にも心配せず、ここにいりゃ良いんだ。
とら:『清吉はこう言ってくれる・・・しかし、ただ世話になるのは気が引けた。』
0:翌日
清吉:ただいまー、っと、何やってんだ?
とら:おかえり。ちょっと掃除でもと思ってな。
清吉:そうか、そいつはすまねえな。
とら:すまねえのはこっちだ。こんなに世話になってよ。
清吉:だからそんなもん気にしなくて良いって・・・お、この匂いは?
とら:ああ、一応飯もな、支度しといた。
清吉:本当か!人の作った飯なんていつぶりかなあ。
とら:「作った」なんて大層なもんじゃねえぞ?余った飯とか野菜とか、適当に鍋にぶち込んで、味噌で煮ただけだ。
清吉:上等上等!さ、食おうぜ。
とら:おう。
0:とら、椀に雑炊をよそう。
とら:ほらよ。
清吉:ありがとよ!(雑炊をすする)お!うめえじゃねえか!
とら:そうか?こんなもんで良ければ、これからも作ってやるよ。
清吉:ありがてえ!
とら:『その日から、私は毎日飯の支度をするようになった。』
0:数日後
清吉:とら!今日は大勝ち(おおがち)したからよ、良いもん持って帰ってきたぞ!
とら:ん?何だ?
とら:『その日、清吉は大きな桶(おけ)を持って帰って来た。そこに入っていたのは・・・』
清吉:どうだっ!
とら:うおっ!何だこりゃ!?
清吉:鯛(たい)だ!
とら:鯛!?
清吉:おう!
とら:これをどうすんだ!?
清吉:食うに決まってんだろ!
とら:食う!?オラ、鯛はおろか、魚自体捌いた(さばいた)事もねえんだぞ!
清吉:そうなんか?でもまあ、何とかなるだろ。
とら:無茶言うなよ・・・って、これ動いてんぞ!
清吉:そりゃあ、生きてるからな。
とら:嘘だろ!
清吉:魚はやっぱり、活きが良くなくちゃよ!
とら:こんなもんどうやって食うんだ?
清吉:分かんねえけど、とにかく桶から出すぞ。俺は頭の方持つから、尾の方頼む。
とら:お、おう。
清吉:うあっ!
とら:馬鹿、落とすな!
清吉:ど、どこいった?
とら:ひっ!いま、オラの足にぬるっとした感触が・・・
清吉:そっちか!まて!
とら:逃すな!
清吉:捕まえ、ってうわあ!(すべって転ぶ)・・・アイタタタ・・・
とら:『盛大に転んだ清吉の傍らで、鯛は床の上をぴちぴちと跳ね回っていた。』
とら:・・・(吹き出す)
清吉:?
とら:(段々と笑いが大きくなっていく)
清吉:・・・お前
とら:え?
清吉:初めて、笑ってくれたな。
とら:『どうしてだろう・・・少しだけ、胸が苦しくなった。』
0:河原。木刀を手に対峙するぜんと一刀斎。
一刀斎:どうした?早く打ち込んでこい。
ぜん:は、はい!いやあああ!
一刀斎:ふんっ
0:一刀斎、ぜんの一撃を片手で払い除ける。
ぜん:くっ・・・
一刀斎:誰が休めと言った?
ぜん:あの、今の打ち込みでいいですか?
一刀斎:誰が無駄口を叩けと言った!
0:一刀斎、ぜんを蹴り飛ばす。
ぜん:がはっ!
一刀斎:さあ、今一度だ!こい!
ぜん:くっ・・・やあああ!
ぜん:『先生の稽古はわかりやすい。木刀を俺に持たせると、一言』
一刀斎:『かかってこい。』
ぜん:『と言う。ただ、それだけ。本当にそれだけだった。』
ぜん:『剣の握り方、構え方、振り方・・・何一つ教えず、ただ打ち込ませるだけ。』
一刀斎:どうした?そんなものか?
ぜん:う、おおおぉ!
0:ぜん、大きく上段に振りかぶって一刀斎に打ち込む。
一刀斎:甘いっ!
0:一刀斎、ぜんのがら空きの胴体に鋭い一撃。
ぜん:かはっ!・・・く、うぅぅ
一刀斎:おっと。
ぜん:『先生の一撃は、俺の胴体に深くめり込んだ。』
ぜん:(あばらが、折れやがった。)
一刀斎:すまんなあ、強く打ち過ぎたようだ。どれ、診て(みて)やろう。
0:一刀斎がぜんのあばらの上に手を添える。
ぜん:ぐっ!
一刀斎:む?ここか?・・・ふむ、熱を持っているな。折れたか?
ぜん:は、はい・・・
一刀斎:そうか、では。
ぜん:?
一刀斎:ふん!
ぜん:が!?がああああああああ!!
0:一刀斎、あばらに親指をねじ込む。
一刀斎:確かに折れているな!ここだろう?
一刀斎:今折れた所に指をねじ込んでやったぞ!どうだ、分かるか?
ぜん:(半分泣きながら荒い息遣い)
一刀斎:ふん!
0:また指をねじ込む。
ぜん:あああああああああ!
一刀斎:いちいち喚くな(わめくな)それでも男か?
ぜん:(自分の腕を噛んで痛みをこらえる)
一刀斎:昔、医師に聞いたんだがな、痛みというのは、体からの「知らせ」なんだそうだ。
一刀斎:傷付いたり、不調が起こっている箇所を、俺たち人間は痛みによって知るわけだ。
ぜん:(先程より落ち着いたが、まだ幾分荒い息遣い)
一刀斎:だが、俺たち武芸者は、一度剣を持って相見えれば(あいまみえれば)後は生きるか死ぬか、二つに一つだ。「途中」に何の意味がある?
一刀斎:骨が折れようが、腕がもげようが、相手に打ち勝ち、生き残ればそれで良いのだ。
一刀斎:俺の弟子でいる限り、痛みを感じる事を禁ずる。そんなものは弱さしか生まぬ。
ぜん:『先生の顔が近付く。また、あの目だ。人のものでは無い、いやこの世のものとすら思えない、そんな目だった。』
ぜん:『その目にしばらく見つめられていると、いつの間にか痛みを感じなくなっていた。』
一刀斎:剣を恐れるな。
一刀斎:敵を恐れるな。
一刀斎:痛みを恐れるな。
一刀斎:死を恐れるな。
一刀斎:ただ、俺だけを恐れていろ。
ぜん:・・・
一刀斎:そして、俺を憎め。
ぜん:え?
一刀斎:それが、お前の強さになる。
ぜん:『先生が胸から手を離した。少し痛みが戻ってきた。』
一刀斎:俺はこれからも、お前に剣術の基礎や、技の類(たぐい)を教える気はない。
一刀斎:そういうものを知らんわけではないぞ?これでもかつては師もおったからな。
一刀斎:だが、教えぬ。何故か分かるか?
ぜん:その方が、俺が強くなれるから・・・?
一刀斎:その方が、俺が面白いからだ。
ぜん:・・・
一刀斎:まあ、お前が一刀流の後継者にでもなれば、秘伝の一つや二つ、教えてやらんでも無いがな。
一刀斎:お前は俺が拾ったのだ。好きにさせてもらう。俺が飽きるまでな。
ぜん:飽きる?
一刀斎:言っておくが、これでも手加減している。せっかく手に入れた暇潰しだ、すぐに壊しては勿体ないからな。
一刀斎:だが、いつ俺の気が変わるかもしれんぞ?
一刀斎:早く腕を上げねば、そのうち骨ではなく、命を断たれることになる。
0:数日後
ぜん:ふっ!ふっ!ふっ!(木刀を素振りしている。言葉は何でも良いです)
ぜん:『あれから数日、俺は一心不乱に木刀を振り続けた。あばらはまだ痛むが、そんな事に構っていられなかった。』
一刀斎:『命を断たれることになる。』
ぜん:『早く強くならなくては。しかし、武芸のイロハも知らないのに、一体どうすれば。』
ぜん:(くそっ!こんなんじゃ駄目だ!)
ぜん:『俺は素振りを辞めた。そして目を閉じる。まぶたの裏に、剣を持った先生の姿が浮かんだ。』
一刀斎:『はあっ!』
ぜん:『先生が剣を振るう。』
ぜん:はあっ!
ぜん:『俺も先生の真似をして木刀を振る。』
一刀斎:『せいっ!』
ぜん:せいっ!
一刀斎:『ふんっ!』
ぜん:ふんっ!
一刀斎:『はっ!』
ぜん:はっ!
ぜん:『どうすれば、先生の様になれるのか。少しでも近付くことができるのか。』
ぜん:(荒い息遣い)
ぜん:『このままでは終われない。とらにまた会うまでは・・・』
0:清吉の長屋
清吉:とら!今日も良いもん、持って帰ってきてやったぞ!
とら:何だ?また鯛じゃねえだろうな?
清吉:いや、あれは本当にすまなかった。結局食えなかったしな・・・でも今回は、これだ!
とら:『そう言って清吉が差し出したのは、一本の簪(かんざし)だった。』
とら:これ・・・
清吉:どうだ?気に入ったか?
とら:受け取れるわけねえだろ!毎日飯食わせてもらってるのに、こんなもんまで。
清吉:気にすんなよ。俺が買ってやりたいと思ったから、そうしただけだ。
とら:オラには似合わねえよ。
清吉:そんな事ねえって。どれ、俺が差してやる。
とら:あ・・・
0:清吉、とらの髪に簪を差す。
清吉:うん!似合ってるぜ!そうだ、鏡も買ってきたんだ。こいつで見てみな。
0:清吉、とらに手鏡を渡す。
とら:・・・オラ、簪なんて差すの、初めてだ。
清吉:気に入ったか。
とら:あ、ああ・・・ありがとよ。
清吉:良いってことよ!今度は、その簪に合う着物も買いに行こうな。
とら:それ、順番が逆じゃねえか?
清吉:あ、そっか。
0:お互いに笑い合う。
清吉:なあ、とら。
とら:ん?
清吉:おりゃっ!(とらを抱きしめる)
とら:んっ!?
とら:『突然、清吉が私を抱きすくめた』
清吉:とら・・・
とら:お、おおおおおおめえ!急に何すんだ!?
清吉:いつまでも、ここにいりゃあ良い。
とら:・・・え?
清吉:ここはもう、お前の家だ。
とら:清吉、さん・・・
清吉:な?
とら:『清吉の体温を感じる。心臓の音が聞こえる。息遣いが聞こえる』
とら:『男の人に、こんな風に抱きしめられたのは初めてだった』
清吉:へへ(とらを離す)
とら:・・・
とら:『身を離してからも、しばらく清吉の温もりが残った』
とら:(オラは、この人と・・・)
清吉:とら?どうした?大丈夫か?
とら:え?・・・あ、ああ!大丈夫だ!
清吉:そうか?なら良いけどよ。
とら:・・・
清吉:あとよ、もう一つ土産があるんだ!
とら:(少し笑いながら)まだあんのか?
清吉:おう!こいつだ!
とら:『清吉が差し出したのは・・・』
清吉:一緒に食おうぜ!
とら:・・・
清吉:とら?
とら:・・・饅頭(まんじゅう)か?
清吉:見りゃわかんだろ?
とら:饅頭・・・
ぜん:『いつか、俺が大人になったら、おめえに饅頭、腹一杯食わせてやる!』
とら:(泣き出す)
清吉:お、おい!どうした!?ひょっとして、饅頭嫌いだったか?
とら:(泣きながら)違う、嫌いじゃねえ、だけど・・・(泣き声で言葉にならない)
清吉:な、泣くなよ!俺はどうしたら良い?俺にしてやれる事はねえか?
とら:『ぜんに・・・ぜんに会わせて欲しい!・・・でも、誰にもその願いは叶えられない・・・』
とら:『ぜんの元を離れたのは正しい事だ、これがお互いのためなんだ。そう思っていた。それでも・・・』
とら:(・・・会いたい。)
0:つづく