台本概要

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タイトル 今宵も頁を紐解いて_No.05 石川淳「焼跡のイエス」より
作者名 ラーク  (@atog_field)
ジャンル コメディ
演者人数 4人用台本(男2、女2)
時間 30 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 社会貢献活動をする文学部生の話。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
イズモ 120 二十代。古本屋「夜見書堂」店主。女性。 一人称は「あたし」。 好きな煙草の銘柄は「アークロイヤル・スイート」。
スオウ 159 スオウキキョウ。二十歳。陽明館大学二年。女性。 一人称は「私」。 好きなお米の銘柄は「ゆめぴりか」。
イセ 108 イセミツル。十七歳。男子高校生。 一人称は「ぼく」。 好きな紅茶の銘柄は「アールグレイ」。
ハリマ 201 ハリマユウイチ。二十歳。陽明館大学二年。男性。 一人称は「僕」。 好きなコーヒーの銘柄は「ブレンディ―」。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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スオウ:ハリハリー、そっちはどう? ハリマ:ああ、スオウ。結構溜まったよ。そろそろ一袋いっぱいになるかな。 スオウ:おおすごい! でもこっちもねえ、結構溜まったよぉ。 ハリマ:普段何気なく使ってる公園でも、ごみって結構あるもんなんだね。 スオウ:すっごいよね。こういう活動に参加してみないとわかんないもんなんだなあ。あ! イセくーん! イセ:ハリマさん、スオウさん。とりあえず一袋、いっぱいになりました。 スオウ:イセくんもすごい! ……あれ、カガちゃんは? イセ:何か、池の中で古い自転車が見つかったとかで、そっちの対応に行ってます。 スオウ:池の中から自転車!? それは事件のにおいを感じますねえ。 ハリマ:ただいらなくなったのを捨てただけでしょ。ひどいよねえ。 スオウ:いやいや、もしかしたら、そのうち死体もあがっちゃうかもよ? イセ:水死体は微生物が分解するときにガスが溜まっていくので、浮力が生じて浮き上がってくるはずです。なので、本当に死体があるならとっくに見つかっているかと。 スオウ:なあんだ。そうなんだ。つまんないなあ。 ハリマ:つまんないって…… イセ:でも、そういう事件がありそうってなると少し気分が浮き立ちますよね。 スオウ:イセくんもわかる? さっすがー! イセ:はい。「事実は小説より奇なり」という言葉を、この身で体感してみたいって思います。 ハリマ:僕は平穏な日常を過ごしたいけどなあ。スオウ、いっぱいになった袋はどうすればいいんだっけ? スオウ:中央広場に袋を置く場所があるから、そこに置いておけばいいはず! ハリマ:んー、了解。 スオウ:ハリハリもイセくんも、ありがとね。参加してくれて。 ハリマ:まあ、たまにはこういう活動をしてみるのもいいかなあって。でも、うちの大学にもこういう活動をしてるサークルがあったんだね。知らなかったよ。 スオウ:「SDGsサークルサステナ」ね。私も詳しくは知らなかったんだけど、カガちゃんが所属してて。 ハリマ:SDGs……なんか響きだけで意識高くて蕁麻疹が出そう…… スオウ:ハリハリは罰当たりだなあ。 ハリマ:僕より罰当たりな人がいるでしょ。 スオウ:ヒュウガね! あいつ「自分の一ミリたりとも得のない活動に参加するわけねーだろ」って、ほんとひどい! ハリマ:でも、どうしてイセくんも参加してくれたの? イセ:誘っていただきました。 ハリマ:誘った? スオウが? いつの間に連絡先交換してたの? スオウ:違うよー。イズモさんのところにね、お誘いにいったの。そしたらイセくんが来てて。 ハリマ:イズモさんのところにも行ったの? あの人余裕で罰当たり組だったでしょ。 スオウ:そんなことないよ? 「せっかくお誘いいただいて心苦しいのだけれど、その日はちょうど予定があってね」って。てーちょーに断られた! ハリマ:いかにも社交辞令っていう感じの断り方…… スオウ:ハリハリひどいなあ。それで、そこにいたイセくんも誘ってみたら、快くOKしてくれたの! イセ:今日は特に予定もなかったし、ボランティア活動には興味もあったので。 ハリマ:イセくん……典型的な好青年って感じ……まぶしい。 イセ:そうですか? こうやって公園の清掃活動をすることで、自分の心も浄化されていくような感じがするのですが。 スオウ:それはちょっと私もわからないなあ。 ハリマ:イセくんって、ほんと個性的だよね。 イセ:それはよく言われます。 ハリマ:言われるんだ。 イセ:はい。 スオウ:私も! 私もよく個性的って言われるよ! 一緒だね! イセ:それは光栄ですね。 ハリマ:イセくん……それ本気で言ってる? イセ:? はい。 スオウ:なんだー? ハリハリ文句でもあんのかこらー? ハリマ:いや、イセくんがそれでいいならいいんだけどね。あ、スオウ、そっちに空き缶落ちてるよ。 スオウ:あ、ほんとだ! よっと。 イセ:空き缶と煙草の吸い殻が多いですね、やっぱり。 スオウ:ほんとねぇ。こんなきれいな公園にポイ捨てしてくとかどんな神経してんのかって思うよ。 イセ:空き缶は微生物が分解できないですし、吸い殻はちゃんと火が消えてないと火事になる可能性もあります。危険ですね。 スオウ:そもそも煙草自体何がよくて吸ってるのかわからないんだよねえ。ほら、煙吸ってもケムいだけで全然おいしくないでしょ? ハリマ:副流煙を吸うのと、実際に吸うのとではまた違うんじゃないかなあ。 スオウ:何だ何だー、ハリハリはそっち側かー? 吸ったことあんのかこらー? ハリマ:ないよ! なんだか今日のスオウはやけに好戦的だね…… スオウ:ハリハリは私の視界で煙草吸ったら死刑だからなー! ハリマ:物騒なこと言わないでよ。そんな決まりないでしょ。 スオウ:あるある。国連で可決されてローマ教皇も承認したからね! ハリマ:そんな知性の低い話題で国連とかローマ教皇出さないでよ。 イセ:国際連合は政治的な国際機関で、宗教色はほとんどありません。もちろん、ローマ教皇の所属するカトリック教会とも無関係なので、国連で決まったことを教皇が承認するということもないですね。 ハリマ:イセくん、そんな真面目な顔で言わないで? それより前にもっと気にするべきところあるからね? イセ:もっと気にするべきところとは? ハリマ:いや……スオウの目の前で煙草を吸ったら死刑とか…… イセ:なるほど。確かにリンチはよくないことですね。 ハリマ:あっ、しけい(私刑)ってそっちか! スオウ:あーまた吸い殻! ほんと、吸ってもいいけどせめてちゃんと携帯灰皿使って持ち帰ってほしいなあ。 イセ:マナーは守ってほしいですね。 スオウ:ホント! ほら、あそこのベンチにも吸ってる人いるし! ハリマ:ホントだ……あれ? あの人…… イセ:イズモさんですね。 スオウ:何だとー!? イズモさんが煙草なんて吸うわけなホントだイズモさんだ。 ハリマ:すごい急ブレーキだったね。スオウの言葉には慣性の法則は適用されないのか。 スオウ:慣性の法則! 聞いたことある! ハリマ:大学生ならもうワンランク上の理解度であってほしかった。 イセ:でも、イズモさんがなんでこんなところにいるんですかね。今日は用事って言ってたはずですけど。 ハリマ:やっぱり社交辞令で、用事なんて嘘だったんじゃないかな。 スオウ:本人に聞けばわかるよ。おーい、イズモさーん! ハリマ:行っちゃったよ……スオウを見てると、時折本当に彼女大学生なのかなって思うことあるんだよね。 イセ:若いってことはいいことです。 ハリマ:若いっていうか、幼いっていうか……って、イセくんの方が若いからね? イセ:とりあえず、ぼくたちも行きましょうか。 イズモ:あら、あなたたち、元気そうね。 スオウ:元気そうねじゃないですよ! 今日私のお誘い断ってこんな公園で煙草吹かしてて! イズモ:何か誘われてたかしら? ハリマ:スオウからごみ拾いのボランティア。誘われてないんですか? スオウ:誘ったじゃないですか! 今回はイセくんという証人までいますからね! 言い逃れはできませんよ! イセ:証人です。 イズモ:ああ、そんなこともあったわね。ごめんなさい、嘘じゃないのよ。今日はついさっきまでこの近くで商談があって。その帰りなの。 ハリマ:本当かなあ。 イズモ:ただ嫌なだけが理由なのだとしたら、もっとましな言い訳をするわよ。 ハリマ:それで、一仕事終えてここで休んでいたと。っていうか、イズモさん煙草吸うんですね。 イズモ:あたしが煙草吸っちゃ悪いのかしら? ハリマ:悪いとは言ってないじゃないですか。でもほら、お店で吸ってるところ一度も見たことなかったですし。 イズモ:お店で煙草なんて吸うわけないじゃない。あたしの店を何だと思ってるの? 古書は火にも煙にも湿気にも日光にも弱いんだから。ハリマくん、古本が紙でできてるって知らないの? ハリマ:そ、それくらい知ってますよ! イセ:古くなった紙は乾燥しているので、火が飛んだりしたらすぐに火事になっちゃいますからね。 イズモ:そういうこと。ついでに言っておくとにおいも移りやすいし、湿気でヘタりやすいし、日焼けもしやすいんだから。大変なのよ、結構。 ハリマ:そうかあ。昔から残ってる本とか、黄ばんでるのも結構ありますしね。 イズモ:当時は製紙技術も今ほど発達してなかったから、傷みやすかったという理由もあるのだけれどね。少しは勉強になったかしら? ハリマ:……はい、ありがとうございます。 スオウ:でも、それなら煙草なんてやめたらいいじゃないですか! 本にも悪いし、体にも悪いんですから! イズモ:本についてはないところで吸えばいいし。体の話だったら……体を蝕ませつつも一時的快楽に身を置くなんて、デカダンらしくていいと思わない? ハリマ:デカダン……? イセ:デカダンス。十九世紀頃にフランスを中心に起こった、退廃的な芸術の潮流のことですね。 イズモ:イセくんさすがね。そう。日本でも、無頼派を中心とした作家なんかには、そういうイメージがついているわね。 スオウ:無頼派! 聞いたことあります! 太宰治とか、坂口安吾とかですよね! イセ:ほかにも、織田作之助、石川淳、檀一雄なども含まれますね。 ハリマ:イセくんすごいなあ。本当に高校生? イズモ:それより、あなたのほうこそそれで本当に文学部生なのかと聞きたいわね。 ハリマ:はい、すみません…… イズモ:無頼派の作家陣は――というか、当時の作家はみんなそうだけれど――煙草が好きな人が多かったわ。石川淳なんて、煙草と絡めた研究論文が書かれているくらいだしね。 スオウ:なんで当時の人ってそんなに煙草好きな人多いんだろ? 今みたいに危険なものってわかってなかったってのもあるかもしれないけど。 イズモ:それは少し違うわ、スオウさん。 スオウ:はぇ? 違うんですか? イズモ:当時の煙草は今と比べると、一種の生活必需品のようなものだったのよ。煙草は戦中、一九四四年から配給の対象になっているわ。ほかの配給対象品は基本的に生活必需品。コメとか、味噌とか、砂糖のような基本的な食材と、マッチや衣料品のような生活に必要な品だけ。当時の特に男性にとっては、煙草はただ嗜好品なだけではなく、大人であるからには吸って当然のようなものだったのよ。 スオウ:そうだったんですね! だからうちのおじいちゃんとか、煙草好きだったんだなあ。 ハリマ:なんか、それはただ単に好きなだけのような。 イズモ:もちろん、煙草というもの自体にある種の快楽を得る性質があるわけだから、嗜好品として重要な位置を占めていた、ということもあるのだけれどね。だから、文学作品にもたくさんの煙草が出てくるのよ。銘柄もいろいろだから、それだけで一本どころじゃない論文が書けるわ。 イセ:そういう文化史とかの研究も面白そうですよね。 ハリマ:なるほど、勉強になるなあ。 イズモ:ハリマくんも、少しは私の言うことだけじゃなくて、大学の先生の言ってることも聞いてあげてね。 ハリマ:えっ? いやいや、それはちゃんと聞いてますよ! スオウ:そうですよ! ハリハリ、近年まれにみる授業をちゃんと聞いてる学生なんですから! イズモ:じゃあなんでそんなに無知なのかしらね。授業の内容が悪いの? それとも、聞いてるだけで内容をどんどんこぼしていってしまうおつむの構造が悪いのかしら。 ハリマ:イズモさん、ひどい…… イズモ:ふふっ。少し言い過ぎたわ。ごめんなさいね。 スオウ:ところで、イズモさん今日は用事終わってこれからお店に帰るって感じですか? イズモ:そのつもりなんだけど……ちょっとつけられてるのよね。 ハリマ:つけられてる……って、誰にですか? イズモ:あそこに見えないかしら? ハリマ:……? いや、誰も見えませんけど。 イズモ:あら、うまく撒けたのかしらね。商店街のあたりからずーっとつけられてて、どうしようかと思ってたのよ。 スオウ:ってことは、イズモさんなんか事件に巻き込まれたとかですか? 犯行現場を見ちゃったとか? イセ:もしそうなのだとしたら、早めに警察に申し出て守ってもらった方がいいと思います。 イズモ:ちょっと、二人ともいったい何を言っているの? 事件? 何かあったのかしら? ハリマ:いや、ちょっとサスペンスドラマの見過ぎなだけなんで、気にしないでください。 イズモ:そう? ならいいけど。 スオウ:やっぱり、事件はそうそう起こらないねえ。 ハリマ:むしろ起こってほしいの? 危ないし、平和の方が一番だよ。 イセ:平和が続くと、人間はみな刺激を求めるものなんでしょうね。 ハリマ:イセくんが言うとなんか怖いな…… イズモ:ところで、三人ともこんなところで油を売っていていいのかしら? 今、ごみ拾い中なんでしょう? ハリマ:あ、そうだった! スオウ:といっても、もうお昼だし休憩が始まる時間だよー。とりあえず今まで集めたごみを中央広場にもっていって、お昼食べにいこっか。 イズモ:あ、それだったら。いいものがあるわ。 ハリマ:いいもの? なんですか? イズモ:さっき商店街でもらったのよ。これ。 スオウ:わあ! タイ焼き! イズモ:和菓子屋さんでね、今日タイ焼きフェアをやってるんですって。もらったはいいけど、あたし甘いものはあんまり好きじゃないから。ちょうど三つあるし、あなたたちにあげるわ。 スオウ:やったあ! ありがとうございます。何味があるかなー。 イズモ:中身は私にもわからないわ。まともなものだといいわね。 ハリマ:イズモさんがそれ言うと冗談じゃなくなるのでやめてください。 イズモ:あら。むしろスリルが出ていいんじゃない? ハリマ:何のスリルですか! たかがタイ焼きにそんなのいらないですよ! スオウ:きゃあっ! イセ:大丈夫ですか? ハリマ:スオウ、大丈夫? 何があったの。 スオウ:今あっちから何かがとびかかってきて……タイ焼き持ってっちゃった…… ハリマ:えっ、タイ焼きを? 持ってかれちゃったの? イセ:スオウさんはケガとかしてませんか? スオウ:うん、大丈夫。ひっかかれたとかはないみたい。突然だからびっくりしたよお。 イズモ:……ハリマくん…… ハリマ:はい、今のは明らかにミスだったなと思います……先にスオウを気に掛けるべきでした。 イセ:失敗は成功のもと、ですよ。 ハリマ:うん、イセくん、ありがとう…… イズモ:あの子ね。あたしをつけてきてたの。 スオウ:猫だったんですか? イズモ:ええ。最近商店街を根城にしている野良猫。結構図太いのよ。 イセ:なんか今の猫、ちょっと汚れてはいましたけど、いい毛並みでどしっと構えてて貫禄がありましたね。 イズモ:ええ。まるで、ごちゃごちゃと汚れた浮世に降臨した、人の子みたいにね。 ハリマ:? イズモさん、もしかして今の、何かからの引用ですか? イズモ:それに気付けるようになったのは成長よ。読んでみればわかるわ。気になるのなら、うちの店に来なさいな。 スオウ:よし、煙草の出てくる本気になってきたし、今度お店行きますね! イズモ:ええ。いつでもいらっしゃい。でもごめんなさいね、せっかくあげたタイ焼き、台無しになっちゃって。 ハリマ:いいですよ。誰もケガとかなかったんですし、タイ焼きくらいあの猫にあげてあげますって! スオウ:ハリハリ、それ本当? ハリマ:うん、タイ焼きなんかより、スオウが無傷なほうが大事だからね! スオウ:ありがとねハリハリ。それじゃあ、残った二匹は私とイセくんで分けるとするね。 ハリマ:え? イセ:ハリマさん、ありがたくいただきます。 ハリマ:え? イズモ:ハリマくんも、なかなかいいところあるのね。 ハリマ:え? スオウ:おいし~! これ商店街の和菓子屋さんで買えるんですか? こんなのリピート間違いなしです! イズモ:なかなか人気なのよ。今回もフェアだったから余ってただけで、いつもは開店してすぐ売り切れちゃうんだから。 イセ:美味しいですね。確かに、これはまた食べたくなる。 ハリマ:……あの、僕にも一口くらいは…… スオウ:へ、何言ってるのハリハリ。さっき自分で言ったこと忘れちゃったの? イズモ:男に二言はないわよね? 今更自分の言ったこと覆すなんて大人気ないわよ。 イセ:僕、少しはハリマさんの尊敬できる部分を見てみたいです。 ハリマ:そんな……くっそ、はめられた……あの泥棒猫め…… イズモ:ふふふっ。 ハリマ:……何がおかしいんですか、イズモさん。 イズモ:いいえ。ただの猫でも、見る場所とみる人によって映り方は違うのね。それこそ、闇市の中に現れた薄汚い少年が、メシアに見えるみたいに。 スオウ:ハリハリー、そっちはどう? ハリマ:ああ、スオウ。結構溜まったよ。そろそろ一袋いっぱいになるかな。 スオウ:おおすごい! でもこっちもねえ、結構溜まったよぉ。 ハリマ:普段何気なく使ってる公園でも、ごみって結構あるもんなんだね。 スオウ:すっごいよね。こういう活動に参加してみないとわかんないもんなんだなあ。あ! イセくーん! イセ:ハリマさん、スオウさん。とりあえず一袋、いっぱいになりました。 スオウ:イセくんもすごい! ……あれ、カガちゃんは? イセ:何か、池の中で古い自転車が見つかったとかで、そっちの対応に行ってます。 スオウ:池の中から自転車!? それは事件のにおいを感じますねえ。 ハリマ:ただいらなくなったのを捨てただけでしょ。ひどいよねえ。 スオウ:いやいや、もしかしたら、そのうち死体もあがっちゃうかもよ? イセ:水死体は微生物が分解するときにガスが溜まっていくので、浮力が生じて浮き上がってくるはずです。なので、本当に死体があるならとっくに見つかっているかと。 スオウ:なあんだ。そうなんだ。つまんないなあ。 ハリマ:つまんないって…… イセ:でも、そういう事件がありそうってなると少し気分が浮き立ちますよね。 スオウ:イセくんもわかる? さっすがー! イセ:はい。「事実は小説より奇なり」という言葉を、この身で体感してみたいって思います。 ハリマ:僕は平穏な日常を過ごしたいけどなあ。スオウ、いっぱいになった袋はどうすればいいんだっけ? スオウ:中央広場に袋を置く場所があるから、そこに置いておけばいいはず! ハリマ:んー、了解。 スオウ:ハリハリもイセくんも、ありがとね。参加してくれて。 ハリマ:まあ、たまにはこういう活動をしてみるのもいいかなあって。でも、うちの大学にもこういう活動をしてるサークルがあったんだね。知らなかったよ。 スオウ:「SDGsサークルサステナ」ね。私も詳しくは知らなかったんだけど、カガちゃんが所属してて。 ハリマ:SDGs……なんか響きだけで意識高くて蕁麻疹が出そう…… スオウ:ハリハリは罰当たりだなあ。 ハリマ:僕より罰当たりな人がいるでしょ。 スオウ:ヒュウガね! あいつ「自分の一ミリたりとも得のない活動に参加するわけねーだろ」って、ほんとひどい! ハリマ:でも、どうしてイセくんも参加してくれたの? イセ:誘っていただきました。 ハリマ:誘った? スオウが? いつの間に連絡先交換してたの? スオウ:違うよー。イズモさんのところにね、お誘いにいったの。そしたらイセくんが来てて。 ハリマ:イズモさんのところにも行ったの? あの人余裕で罰当たり組だったでしょ。 スオウ:そんなことないよ? 「せっかくお誘いいただいて心苦しいのだけれど、その日はちょうど予定があってね」って。てーちょーに断られた! ハリマ:いかにも社交辞令っていう感じの断り方…… スオウ:ハリハリひどいなあ。それで、そこにいたイセくんも誘ってみたら、快くOKしてくれたの! イセ:今日は特に予定もなかったし、ボランティア活動には興味もあったので。 ハリマ:イセくん……典型的な好青年って感じ……まぶしい。 イセ:そうですか? こうやって公園の清掃活動をすることで、自分の心も浄化されていくような感じがするのですが。 スオウ:それはちょっと私もわからないなあ。 ハリマ:イセくんって、ほんと個性的だよね。 イセ:それはよく言われます。 ハリマ:言われるんだ。 イセ:はい。 スオウ:私も! 私もよく個性的って言われるよ! 一緒だね! イセ:それは光栄ですね。 ハリマ:イセくん……それ本気で言ってる? イセ:? はい。 スオウ:なんだー? ハリハリ文句でもあんのかこらー? ハリマ:いや、イセくんがそれでいいならいいんだけどね。あ、スオウ、そっちに空き缶落ちてるよ。 スオウ:あ、ほんとだ! よっと。 イセ:空き缶と煙草の吸い殻が多いですね、やっぱり。 スオウ:ほんとねぇ。こんなきれいな公園にポイ捨てしてくとかどんな神経してんのかって思うよ。 イセ:空き缶は微生物が分解できないですし、吸い殻はちゃんと火が消えてないと火事になる可能性もあります。危険ですね。 スオウ:そもそも煙草自体何がよくて吸ってるのかわからないんだよねえ。ほら、煙吸ってもケムいだけで全然おいしくないでしょ? ハリマ:副流煙を吸うのと、実際に吸うのとではまた違うんじゃないかなあ。 スオウ:何だ何だー、ハリハリはそっち側かー? 吸ったことあんのかこらー? ハリマ:ないよ! なんだか今日のスオウはやけに好戦的だね…… スオウ:ハリハリは私の視界で煙草吸ったら死刑だからなー! ハリマ:物騒なこと言わないでよ。そんな決まりないでしょ。 スオウ:あるある。国連で可決されてローマ教皇も承認したからね! ハリマ:そんな知性の低い話題で国連とかローマ教皇出さないでよ。 イセ:国際連合は政治的な国際機関で、宗教色はほとんどありません。もちろん、ローマ教皇の所属するカトリック教会とも無関係なので、国連で決まったことを教皇が承認するということもないですね。 ハリマ:イセくん、そんな真面目な顔で言わないで? それより前にもっと気にするべきところあるからね? イセ:もっと気にするべきところとは? ハリマ:いや……スオウの目の前で煙草を吸ったら死刑とか…… イセ:なるほど。確かにリンチはよくないことですね。 ハリマ:あっ、しけい(私刑)ってそっちか! スオウ:あーまた吸い殻! ほんと、吸ってもいいけどせめてちゃんと携帯灰皿使って持ち帰ってほしいなあ。 イセ:マナーは守ってほしいですね。 スオウ:ホント! ほら、あそこのベンチにも吸ってる人いるし! ハリマ:ホントだ……あれ? あの人…… イセ:イズモさんですね。 スオウ:何だとー!? イズモさんが煙草なんて吸うわけなホントだイズモさんだ。 ハリマ:すごい急ブレーキだったね。スオウの言葉には慣性の法則は適用されないのか。 スオウ:慣性の法則! 聞いたことある! ハリマ:大学生ならもうワンランク上の理解度であってほしかった。 イセ:でも、イズモさんがなんでこんなところにいるんですかね。今日は用事って言ってたはずですけど。 ハリマ:やっぱり社交辞令で、用事なんて嘘だったんじゃないかな。 スオウ:本人に聞けばわかるよ。おーい、イズモさーん! ハリマ:行っちゃったよ……スオウを見てると、時折本当に彼女大学生なのかなって思うことあるんだよね。 イセ:若いってことはいいことです。 ハリマ:若いっていうか、幼いっていうか……って、イセくんの方が若いからね? イセ:とりあえず、ぼくたちも行きましょうか。 イズモ:あら、あなたたち、元気そうね。 スオウ:元気そうねじゃないですよ! 今日私のお誘い断ってこんな公園で煙草吹かしてて! イズモ:何か誘われてたかしら? ハリマ:スオウからごみ拾いのボランティア。誘われてないんですか? スオウ:誘ったじゃないですか! 今回はイセくんという証人までいますからね! 言い逃れはできませんよ! イセ:証人です。 イズモ:ああ、そんなこともあったわね。ごめんなさい、嘘じゃないのよ。今日はついさっきまでこの近くで商談があって。その帰りなの。 ハリマ:本当かなあ。 イズモ:ただ嫌なだけが理由なのだとしたら、もっとましな言い訳をするわよ。 ハリマ:それで、一仕事終えてここで休んでいたと。っていうか、イズモさん煙草吸うんですね。 イズモ:あたしが煙草吸っちゃ悪いのかしら? ハリマ:悪いとは言ってないじゃないですか。でもほら、お店で吸ってるところ一度も見たことなかったですし。 イズモ:お店で煙草なんて吸うわけないじゃない。あたしの店を何だと思ってるの? 古書は火にも煙にも湿気にも日光にも弱いんだから。ハリマくん、古本が紙でできてるって知らないの? ハリマ:そ、それくらい知ってますよ! イセ:古くなった紙は乾燥しているので、火が飛んだりしたらすぐに火事になっちゃいますからね。 イズモ:そういうこと。ついでに言っておくとにおいも移りやすいし、湿気でヘタりやすいし、日焼けもしやすいんだから。大変なのよ、結構。 ハリマ:そうかあ。昔から残ってる本とか、黄ばんでるのも結構ありますしね。 イズモ:当時は製紙技術も今ほど発達してなかったから、傷みやすかったという理由もあるのだけれどね。少しは勉強になったかしら? ハリマ:……はい、ありがとうございます。 スオウ:でも、それなら煙草なんてやめたらいいじゃないですか! 本にも悪いし、体にも悪いんですから! イズモ:本についてはないところで吸えばいいし。体の話だったら……体を蝕ませつつも一時的快楽に身を置くなんて、デカダンらしくていいと思わない? ハリマ:デカダン……? イセ:デカダンス。十九世紀頃にフランスを中心に起こった、退廃的な芸術の潮流のことですね。 イズモ:イセくんさすがね。そう。日本でも、無頼派を中心とした作家なんかには、そういうイメージがついているわね。 スオウ:無頼派! 聞いたことあります! 太宰治とか、坂口安吾とかですよね! イセ:ほかにも、織田作之助、石川淳、檀一雄なども含まれますね。 ハリマ:イセくんすごいなあ。本当に高校生? イズモ:それより、あなたのほうこそそれで本当に文学部生なのかと聞きたいわね。 ハリマ:はい、すみません…… イズモ:無頼派の作家陣は――というか、当時の作家はみんなそうだけれど――煙草が好きな人が多かったわ。石川淳なんて、煙草と絡めた研究論文が書かれているくらいだしね。 スオウ:なんで当時の人ってそんなに煙草好きな人多いんだろ? 今みたいに危険なものってわかってなかったってのもあるかもしれないけど。 イズモ:それは少し違うわ、スオウさん。 スオウ:はぇ? 違うんですか? イズモ:当時の煙草は今と比べると、一種の生活必需品のようなものだったのよ。煙草は戦中、一九四四年から配給の対象になっているわ。ほかの配給対象品は基本的に生活必需品。コメとか、味噌とか、砂糖のような基本的な食材と、マッチや衣料品のような生活に必要な品だけ。当時の特に男性にとっては、煙草はただ嗜好品なだけではなく、大人であるからには吸って当然のようなものだったのよ。 スオウ:そうだったんですね! だからうちのおじいちゃんとか、煙草好きだったんだなあ。 ハリマ:なんか、それはただ単に好きなだけのような。 イズモ:もちろん、煙草というもの自体にある種の快楽を得る性質があるわけだから、嗜好品として重要な位置を占めていた、ということもあるのだけれどね。だから、文学作品にもたくさんの煙草が出てくるのよ。銘柄もいろいろだから、それだけで一本どころじゃない論文が書けるわ。 イセ:そういう文化史とかの研究も面白そうですよね。 ハリマ:なるほど、勉強になるなあ。 イズモ:ハリマくんも、少しは私の言うことだけじゃなくて、大学の先生の言ってることも聞いてあげてね。 ハリマ:えっ? いやいや、それはちゃんと聞いてますよ! スオウ:そうですよ! ハリハリ、近年まれにみる授業をちゃんと聞いてる学生なんですから! イズモ:じゃあなんでそんなに無知なのかしらね。授業の内容が悪いの? それとも、聞いてるだけで内容をどんどんこぼしていってしまうおつむの構造が悪いのかしら。 ハリマ:イズモさん、ひどい…… イズモ:ふふっ。少し言い過ぎたわ。ごめんなさいね。 スオウ:ところで、イズモさん今日は用事終わってこれからお店に帰るって感じですか? イズモ:そのつもりなんだけど……ちょっとつけられてるのよね。 ハリマ:つけられてる……って、誰にですか? イズモ:あそこに見えないかしら? ハリマ:……? いや、誰も見えませんけど。 イズモ:あら、うまく撒けたのかしらね。商店街のあたりからずーっとつけられてて、どうしようかと思ってたのよ。 スオウ:ってことは、イズモさんなんか事件に巻き込まれたとかですか? 犯行現場を見ちゃったとか? イセ:もしそうなのだとしたら、早めに警察に申し出て守ってもらった方がいいと思います。 イズモ:ちょっと、二人ともいったい何を言っているの? 事件? 何かあったのかしら? ハリマ:いや、ちょっとサスペンスドラマの見過ぎなだけなんで、気にしないでください。 イズモ:そう? ならいいけど。 スオウ:やっぱり、事件はそうそう起こらないねえ。 ハリマ:むしろ起こってほしいの? 危ないし、平和の方が一番だよ。 イセ:平和が続くと、人間はみな刺激を求めるものなんでしょうね。 ハリマ:イセくんが言うとなんか怖いな…… イズモ:ところで、三人ともこんなところで油を売っていていいのかしら? 今、ごみ拾い中なんでしょう? ハリマ:あ、そうだった! スオウ:といっても、もうお昼だし休憩が始まる時間だよー。とりあえず今まで集めたごみを中央広場にもっていって、お昼食べにいこっか。 イズモ:あ、それだったら。いいものがあるわ。 ハリマ:いいもの? なんですか? イズモ:さっき商店街でもらったのよ。これ。 スオウ:わあ! タイ焼き! イズモ:和菓子屋さんでね、今日タイ焼きフェアをやってるんですって。もらったはいいけど、あたし甘いものはあんまり好きじゃないから。ちょうど三つあるし、あなたたちにあげるわ。 スオウ:やったあ! ありがとうございます。何味があるかなー。 イズモ:中身は私にもわからないわ。まともなものだといいわね。 ハリマ:イズモさんがそれ言うと冗談じゃなくなるのでやめてください。 イズモ:あら。むしろスリルが出ていいんじゃない? ハリマ:何のスリルですか! たかがタイ焼きにそんなのいらないですよ! スオウ:きゃあっ! イセ:大丈夫ですか? ハリマ:スオウ、大丈夫? 何があったの。 スオウ:今あっちから何かがとびかかってきて……タイ焼き持ってっちゃった…… ハリマ:えっ、タイ焼きを? 持ってかれちゃったの? イセ:スオウさんはケガとかしてませんか? スオウ:うん、大丈夫。ひっかかれたとかはないみたい。突然だからびっくりしたよお。 イズモ:……ハリマくん…… ハリマ:はい、今のは明らかにミスだったなと思います……先にスオウを気に掛けるべきでした。 イセ:失敗は成功のもと、ですよ。 ハリマ:うん、イセくん、ありがとう…… イズモ:あの子ね。あたしをつけてきてたの。 スオウ:猫だったんですか? イズモ:ええ。最近商店街を根城にしている野良猫。結構図太いのよ。 イセ:なんか今の猫、ちょっと汚れてはいましたけど、いい毛並みでどしっと構えてて貫禄がありましたね。 イズモ:ええ。まるで、ごちゃごちゃと汚れた浮世に降臨した、人の子みたいにね。 ハリマ:? イズモさん、もしかして今の、何かからの引用ですか? イズモ:それに気付けるようになったのは成長よ。読んでみればわかるわ。気になるのなら、うちの店に来なさいな。 スオウ:よし、煙草の出てくる本気になってきたし、今度お店行きますね! イズモ:ええ。いつでもいらっしゃい。でもごめんなさいね、せっかくあげたタイ焼き、台無しになっちゃって。 ハリマ:いいですよ。誰もケガとかなかったんですし、タイ焼きくらいあの猫にあげてあげますって! スオウ:ハリハリ、それ本当? ハリマ:うん、タイ焼きなんかより、スオウが無傷なほうが大事だからね! スオウ:ありがとねハリハリ。それじゃあ、残った二匹は私とイセくんで分けるとするね。 ハリマ:え? イセ:ハリマさん、ありがたくいただきます。 ハリマ:え? イズモ:ハリマくんも、なかなかいいところあるのね。 ハリマ:え? スオウ:おいし~! これ商店街の和菓子屋さんで買えるんですか? こんなのリピート間違いなしです! イズモ:なかなか人気なのよ。今回もフェアだったから余ってただけで、いつもは開店してすぐ売り切れちゃうんだから。 イセ:美味しいですね。確かに、これはまた食べたくなる。 ハリマ:……あの、僕にも一口くらいは…… スオウ:へ、何言ってるのハリハリ。さっき自分で言ったこと忘れちゃったの? イズモ:男に二言はないわよね? 今更自分の言ったこと覆すなんて大人気ないわよ。 イセ:僕、少しはハリマさんの尊敬できる部分を見てみたいです。 ハリマ:そんな……くっそ、はめられた……あの泥棒猫め…… イズモ:ふふふっ。 ハリマ:……何がおかしいんですか、イズモさん。 イズモ:いいえ。ただの猫でも、見る場所とみる人によって映り方は違うのね。それこそ、闇市の中に現れた薄汚い少年が、メシアに見えるみたいに。 石川淳「焼跡のイエス」より 了。 スオウ:ハリハリー、そっちはどう? ハリマ:ああ、スオウ。結構溜まったよ。そろそろ一袋いっぱいになるかな。 スオウ:おおすごい! でもこっちもねえ、結構溜まったよぉ。 ハリマ:普段何気なく使ってる公園でも、ごみって結構あるもんなんだね。 スオウ:すっごいよね。こういう活動に参加してみないとわかんないもんなんだなあ。あ! イセくーん! イセ:ハリマさん、スオウさん。とりあえず一袋、いっぱいになりました。 スオウ:イセくんもすごい! ……あれ、カガちゃんは? イセ:何か、池の中で古い自転車が見つかったとかで、そっちの対応に行ってます。 スオウ:池の中から自転車!? それは事件のにおいを感じますねえ。 ハリマ:ただいらなくなったのを捨てただけでしょ。ひどいよねえ。 スオウ:いやいや、もしかしたら、そのうち死体もあがっちゃうかもよ? イセ:水死体は微生物が分解するときにガスが溜まっていくので、浮力が生じて浮き上がってくるはずです。なので、本当に死体があるならとっくに見つかっているかと。 スオウ:なあんだ。そうなんだ。つまんないなあ。 ハリマ:つまんないって…… イセ:でも、そういう事件がありそうってなると少し気分が浮き立ちますよね。 スオウ:イセくんもわかる? さっすがー! イセ:はい。「事実は小説より奇なり」という言葉を、この身で体感してみたいって思います。 ハリマ:僕は平穏な日常を過ごしたいけどなあ。スオウ、いっぱいになった袋はどうすればいいんだっけ? スオウ:中央広場に袋を置く場所があるから、そこに置いておけばいいはず! ハリマ:んー、了解。 スオウ:ハリハリもイセくんも、ありがとね。参加してくれて。 ハリマ:まあ、たまにはこういう活動をしてみるのもいいかなあって。でも、うちの大学にもこういう活動をしてるサークルがあったんだね。知らなかったよ。 スオウ:「SDGsサークルサステナ」ね。私も詳しくは知らなかったんだけど、カガちゃんが所属してて。 ハリマ:SDGs……なんか響きだけで意識高くて蕁麻疹が出そう…… スオウ:ハリハリは罰当たりだなあ。 ハリマ:僕より罰当たりな人がいるでしょ。 スオウ:ヒュウガね! あいつ「自分の一ミリたりとも得のない活動に参加するわけねーだろ」って、ほんとひどい! ハリマ:でも、どうしてイセくんも参加してくれたの? イセ:誘っていただきました。 ハリマ:誘った? スオウが? いつの間に連絡先交換してたの? スオウ:違うよー。イズモさんのところにね、お誘いにいったの。そしたらイセくんが来てて。 ハリマ:イズモさんのところにも行ったの? あの人余裕で罰当たり組だったでしょ。 スオウ:そんなことないよ? 「せっかくお誘いいただいて心苦しいのだけれど、その日はちょうど予定があってね」って。てーちょーに断られた! ハリマ:いかにも社交辞令っていう感じの断り方…… スオウ:ハリハリひどいなあ。それで、そこにいたイセくんも誘ってみたら、快くOKしてくれたの! イセ:今日は特に予定もなかったし、ボランティア活動には興味もあったので。 ハリマ:イセくん……典型的な好青年って感じ……まぶしい。 イセ:そうですか? こうやって公園の清掃活動をすることで、自分の心も浄化されていくような感じがするのですが。 スオウ:それはちょっと私もわからないなあ。 ハリマ:イセくんって、ほんと個性的だよね。 イセ:それはよく言われます。 ハリマ:言われるんだ。 イセ:はい。 スオウ:私も! 私もよく個性的って言われるよ! 一緒だね! イセ:それは光栄ですね。 ハリマ:イセくん……それ本気で言ってる? イセ:? はい。 スオウ:なんだー? ハリハリ文句でもあんのかこらー? ハリマ:いや、イセくんがそれでいいならいいんだけどね。あ、スオウ、そっちに空き缶落ちてるよ。 スオウ:あ、ほんとだ! よっと。 イセ:空き缶と煙草の吸い殻が多いですね、やっぱり。 スオウ:ほんとねぇ。こんなきれいな公園にポイ捨てしてくとかどんな神経してんのかって思うよ。 イセ:空き缶は微生物が分解できないですし、吸い殻はちゃんと火が消えてないと火事になる可能性もあります。危険ですね。 スオウ:そもそも煙草自体何がよくて吸ってるのかわからないんだよねえ。ほら、煙吸ってもケムいだけで全然おいしくないでしょ? ハリマ:副流煙を吸うのと、実際に吸うのとではまた違うんじゃないかなあ。 スオウ:何だ何だー、ハリハリはそっち側かー? 吸ったことあんのかこらー? ハリマ:ないよ! なんだか今日のスオウはやけに好戦的だね…… スオウ:ハリハリは私の視界で煙草吸ったら死刑だからなー! ハリマ:物騒なこと言わないでよ。そんな決まりないでしょ。 スオウ:あるある。国連で可決されてローマ教皇も承認したからね! ハリマ:そんな知性の低い話題で国連とかローマ教皇出さないでよ。 イセ:国際連合は政治的な国際機関で、宗教色はほとんどありません。もちろん、ローマ教皇の所属するカトリック教会とも無関係なので、国連で決まったことを教皇が承認するということもないですね。 ハリマ:イセくん、そんな真面目な顔で言わないで? それより前にもっと気にするべきところあるからね? イセ:もっと気にするべきところとは? ハリマ:いや……スオウの目の前で煙草を吸ったら死刑とか…… イセ:なるほど。確かにリンチはよくないことですね。 ハリマ:あっ、しけい(私刑)ってそっちか! スオウ:あーまた吸い殻! ほんと、吸ってもいいけどせめてちゃんと携帯灰皿使って持ち帰ってほしいなあ。 イセ:マナーは守ってほしいですね。 スオウ:ホント! ほら、あそこのベンチにも吸ってる人いるし! ハリマ:ホントだ……あれ? あの人…… イセ:イズモさんですね。 スオウ:何だとー!? イズモさんが煙草なんて吸うわけなホントだイズモさんだ。 ハリマ:すごい急ブレーキだったね。スオウの言葉には慣性の法則は適用されないのか。 スオウ:慣性の法則! 聞いたことある! ハリマ:大学生ならもうワンランク上の理解度であってほしかった。 イセ:でも、イズモさんがなんでこんなところにいるんですかね。今日は用事って言ってたはずですけど。 ハリマ:やっぱり社交辞令で、用事なんて嘘だったんじゃないかな。 スオウ:本人に聞けばわかるよ。おーい、イズモさーん! ハリマ:行っちゃったよ……スオウを見てると、時折本当に彼女大学生なのかなって思うことあるんだよね。 イセ:若いってことはいいことです。 ハリマ:若いっていうか、幼いっていうか……って、イセくんの方が若いからね? イセ:とりあえず、ぼくたちも行きましょうか。 イズモ:あら、あなたたち、元気そうね。 スオウ:元気そうねじゃないですよ! 今日私のお誘い断ってこんな公園で煙草吹かしてて! イズモ:何か誘われてたかしら? ハリマ:スオウからごみ拾いのボランティア。誘われてないんですか? スオウ:誘ったじゃないですか! 今回はイセくんという証人までいますからね! 言い逃れはできませんよ! イセ:証人です。 イズモ:ああ、そんなこともあったわね。ごめんなさい、嘘じゃないのよ。今日はついさっきまでこの近くで商談があって。その帰りなの。 ハリマ:本当かなあ。 イズモ:ただ嫌なだけが理由なのだとしたら、もっとましな言い訳をするわよ。 ハリマ:それで、一仕事終えてここで休んでいたと。っていうか、イズモさん煙草吸うんですね。 イズモ:あたしが煙草吸っちゃ悪いのかしら? ハリマ:悪いとは言ってないじゃないですか。でもほら、お店で吸ってるところ一度も見たことなかったですし。 イズモ:お店で煙草なんて吸うわけないじゃない。あたしの店を何だと思ってるの? 古書は火にも煙にも湿気にも日光にも弱いんだから。ハリマくん、古本が紙でできてるって知らないの? ハリマ:そ、それくらい知ってますよ! イセ:古くなった紙は乾燥しているので、火が飛んだりしたらすぐに火事になっちゃいますからね。 イズモ:そういうこと。ついでに言っておくとにおいも移りやすいし、湿気でヘタりやすいし、日焼けもしやすいんだから。大変なのよ、結構。 ハリマ:そうかあ。昔から残ってる本とか、黄ばんでるのも結構ありますしね。 イズモ:当時は製紙技術も今ほど発達してなかったから、傷みやすかったという理由もあるのだけれどね。少しは勉強になったかしら? ハリマ:……はい、ありがとうございます。 スオウ:でも、それなら煙草なんてやめたらいいじゃないですか! 本にも悪いし、体にも悪いんですから! イズモ:本についてはないところで吸えばいいし。体の話だったら……体を蝕ませつつも一時的快楽に身を置くなんて、デカダンらしくていいと思わない? ハリマ:デカダン……? イセ:デカダンス。十九世紀頃にフランスを中心に起こった、退廃的な芸術の潮流のことですね。 イズモ:イセくんさすがね。そう。日本でも、無頼派を中心とした作家なんかには、そういうイメージがついているわね。 スオウ:無頼派! 聞いたことあります! 太宰治とか、坂口安吾とかですよね! イセ:ほかにも、織田作之助、石川淳、檀一雄なども含まれますね。 ハリマ:イセくんすごいなあ。本当に高校生? イズモ:それより、あなたのほうこそそれで本当に文学部生なのかと聞きたいわね。 ハリマ:はい、すみません…… イズモ:無頼派の作家陣は――というか、当時の作家はみんなそうだけれど――煙草が好きな人が多かったわ。石川淳なんて、煙草と絡めた研究論文が書かれているくらいだしね。 スオウ:なんで当時の人ってそんなに煙草好きな人多いんだろ? 今みたいに危険なものってわかってなかったってのもあるかもしれないけど。 イズモ:それは少し違うわ、スオウさん。 スオウ:はぇ? 違うんですか? イズモ:当時の煙草は今と比べると、一種の生活必需品のようなものだったのよ。煙草は戦中、一九四四年から配給の対象になっているわ。ほかの配給対象品は基本的に生活必需品。コメとか、味噌とか、砂糖のような基本的な食材と、マッチや衣料品のような生活に必要な品だけ。当時の特に男性にとっては、煙草はただ嗜好品なだけではなく、大人であるからには吸って当然のようなものだったのよ。 スオウ:そうだったんですね! だからうちのおじいちゃんとか、煙草好きだったんだなあ。 ハリマ:なんか、それはただ単に好きなだけのような。 イズモ:もちろん、煙草というもの自体にある種の快楽を得る性質があるわけだから、嗜好品として重要な位置を占めていた、ということもあるのだけれどね。だから、文学作品にもたくさんの煙草が出てくるのよ。銘柄もいろいろだから、それだけで一本どころじゃない論文が書けるわ。 イセ:そういう文化史とかの研究も面白そうですよね。 ハリマ:なるほど、勉強になるなあ。 イズモ:ハリマくんも、少しは私の言うことだけじゃなくて、大学の先生の言ってることも聞いてあげてね。 ハリマ:えっ? いやいや、それはちゃんと聞いてますよ! スオウ:そうですよ! ハリハリ、近年まれにみる授業をちゃんと聞いてる学生なんですから! イズモ:じゃあなんでそんなに無知なのかしらね。授業の内容が悪いの? それとも、聞いてるだけで内容をどんどんこぼしていってしまうおつむの構造が悪いのかしら。 ハリマ:イズモさん、ひどい…… イズモ:ふふっ。少し言い過ぎたわ。ごめんなさいね。 スオウ:ところで、イズモさん今日は用事終わってこれからお店に帰るって感じですか? イズモ:そのつもりなんだけど……ちょっとつけられてるのよね。 ハリマ:つけられてる……って、誰にですか? イズモ:あそこに見えないかしら? ハリマ:……? いや、誰も見えませんけど。 イズモ:あら、うまく撒けたのかしらね。商店街のあたりからずーっとつけられてて、どうしようかと思ってたのよ。 スオウ:ってことは、イズモさんなんか事件に巻き込まれたとかですか? 犯行現場を見ちゃったとか? イセ:もしそうなのだとしたら、早めに警察に申し出て守ってもらった方がいいと思います。 イズモ:ちょっと、二人ともいったい何を言っているの? 事件? 何かあったのかしら? ハリマ:いや、ちょっとサスペンスドラマの見過ぎなだけなんで、気にしないでください。 イズモ:そう? ならいいけど。 スオウ:やっぱり、事件はそうそう起こらないねえ。 ハリマ:むしろ起こってほしいの? 危ないし、平和の方が一番だよ。 イセ:平和が続くと、人間はみな刺激を求めるものなんでしょうね。 ハリマ:イセくんが言うとなんか怖いな…… イズモ:ところで、三人ともこんなところで油を売っていていいのかしら? 今、ごみ拾い中なんでしょう? ハリマ:あ、そうだった! スオウ:といっても、もうお昼だし休憩が始まる時間だよー。とりあえず今まで集めたごみを中央広場にもっていって、お昼食べにいこっか。 イズモ:あ、それだったら。いいものがあるわ。 ハリマ:いいもの? なんですか? イズモ:さっき商店街でもらったのよ。これ。 スオウ:わあ! タイ焼き! イズモ:和菓子屋さんでね、今日タイ焼きフェアをやってるんですって。もらったはいいけど、あたし甘いものはあんまり好きじゃないから。ちょうど三つあるし、あなたたちにあげるわ。 スオウ:やったあ! ありがとうございます。何味があるかなー。 イズモ:中身は私にもわからないわ。まともなものだといいわね。 ハリマ:イズモさんがそれ言うと冗談じゃなくなるのでやめてください。 イズモ:あら。むしろスリルが出ていいんじゃない? ハリマ:何のスリルですか! たかがタイ焼きにそんなのいらないですよ! スオウ:きゃあっ! イセ:大丈夫ですか? ハリマ:スオウ、大丈夫? 何があったの。 スオウ:今あっちから何かがとびかかってきて……タイ焼き持ってっちゃった…… ハリマ:えっ、タイ焼きを? 持ってかれちゃったの? イセ:スオウさんはケガとかしてませんか? スオウ:うん、大丈夫。ひっかかれたとかはないみたい。突然だからびっくりしたよお。 イズモ:……ハリマくん…… ハリマ:はい、今のは明らかにミスだったなと思います……先にスオウを気に掛けるべきでした。 イセ:失敗は成功のもと、ですよ。 ハリマ:うん、イセくん、ありがとう…… イズモ:あの子ね。あたしをつけてきてたの。 スオウ:猫だったんですか? イズモ:ええ。最近商店街を根城にしている野良猫。結構図太いのよ。 イセ:なんか今の猫、ちょっと汚れてはいましたけど、いい毛並みでどしっと構えてて貫禄がありましたね。 イズモ:ええ。まるで、ごちゃごちゃと汚れた浮世に降臨した、人の子みたいにね。 ハリマ:? イズモさん、もしかして今の、何かからの引用ですか? イズモ:それに気付けるようになったのは成長よ。読んでみればわかるわ。気になるのなら、うちの店に来なさいな。 スオウ:よし、煙草の出てくる本気になってきたし、今度お店行きますね! イズモ:ええ。いつでもいらっしゃい。でもごめんなさいね、せっかくあげたタイ焼き、台無しになっちゃって。 ハリマ:いいですよ。誰もケガとかなかったんですし、タイ焼きくらいあの猫にあげてあげますって! スオウ:ハリハリ、それ本当? ハリマ:うん、タイ焼きなんかより、スオウが無傷なほうが大事だからね! スオウ:ありがとねハリハリ。それじゃあ、残った二匹は私とイセくんで分けるとするね。 ハリマ:え? イセ:ハリマさん、ありがたくいただきます。 ハリマ:え? イズモ:ハリマくんも、なかなかいいところあるのね。 ハリマ:え? スオウ:おいし~! これ商店街の和菓子屋さんで買えるんですか? こんなのリピート間違いなしです! イズモ:なかなか人気なのよ。今回もフェアだったから余ってただけで、いつもは開店してすぐ売り切れちゃうんだから。 イセ:美味しいですね。確かに、これはまた食べたくなる。 ハリマ:……あの、僕にも一口くらいは…… スオウ:へ、何言ってるのハリハリ。さっき自分で言ったこと忘れちゃったの? イズモ:男に二言はないわよね? 今更自分の言ったこと覆すなんて大人気ないわよ。 イセ:僕、少しはハリマさんの尊敬できる部分を見てみたいです。 ハリマ:そんな……くっそ、はめられた……あの泥棒猫め…… イズモ:ふふふっ。 ハリマ:……何がおかしいんですか、イズモさん。 イズモ:いいえ。ただの猫でも、見る場所とみる人によって映り方は違うのね。それこそ、闇市の中に現れた薄汚い少年が、メシアに見えるみたいに。

スオウ:ハリハリー、そっちはどう? ハリマ:ああ、スオウ。結構溜まったよ。そろそろ一袋いっぱいになるかな。 スオウ:おおすごい! でもこっちもねえ、結構溜まったよぉ。 ハリマ:普段何気なく使ってる公園でも、ごみって結構あるもんなんだね。 スオウ:すっごいよね。こういう活動に参加してみないとわかんないもんなんだなあ。あ! イセくーん! イセ:ハリマさん、スオウさん。とりあえず一袋、いっぱいになりました。 スオウ:イセくんもすごい! ……あれ、カガちゃんは? イセ:何か、池の中で古い自転車が見つかったとかで、そっちの対応に行ってます。 スオウ:池の中から自転車!? それは事件のにおいを感じますねえ。 ハリマ:ただいらなくなったのを捨てただけでしょ。ひどいよねえ。 スオウ:いやいや、もしかしたら、そのうち死体もあがっちゃうかもよ? イセ:水死体は微生物が分解するときにガスが溜まっていくので、浮力が生じて浮き上がってくるはずです。なので、本当に死体があるならとっくに見つかっているかと。 スオウ:なあんだ。そうなんだ。つまんないなあ。 ハリマ:つまんないって…… イセ:でも、そういう事件がありそうってなると少し気分が浮き立ちますよね。 スオウ:イセくんもわかる? さっすがー! イセ:はい。「事実は小説より奇なり」という言葉を、この身で体感してみたいって思います。 ハリマ:僕は平穏な日常を過ごしたいけどなあ。スオウ、いっぱいになった袋はどうすればいいんだっけ? スオウ:中央広場に袋を置く場所があるから、そこに置いておけばいいはず! ハリマ:んー、了解。 スオウ:ハリハリもイセくんも、ありがとね。参加してくれて。 ハリマ:まあ、たまにはこういう活動をしてみるのもいいかなあって。でも、うちの大学にもこういう活動をしてるサークルがあったんだね。知らなかったよ。 スオウ:「SDGsサークルサステナ」ね。私も詳しくは知らなかったんだけど、カガちゃんが所属してて。 ハリマ:SDGs……なんか響きだけで意識高くて蕁麻疹が出そう…… スオウ:ハリハリは罰当たりだなあ。 ハリマ:僕より罰当たりな人がいるでしょ。 スオウ:ヒュウガね! あいつ「自分の一ミリたりとも得のない活動に参加するわけねーだろ」って、ほんとひどい! ハリマ:でも、どうしてイセくんも参加してくれたの? イセ:誘っていただきました。 ハリマ:誘った? スオウが? いつの間に連絡先交換してたの? スオウ:違うよー。イズモさんのところにね、お誘いにいったの。そしたらイセくんが来てて。 ハリマ:イズモさんのところにも行ったの? あの人余裕で罰当たり組だったでしょ。 スオウ:そんなことないよ? 「せっかくお誘いいただいて心苦しいのだけれど、その日はちょうど予定があってね」って。てーちょーに断られた! ハリマ:いかにも社交辞令っていう感じの断り方…… スオウ:ハリハリひどいなあ。それで、そこにいたイセくんも誘ってみたら、快くOKしてくれたの! イセ:今日は特に予定もなかったし、ボランティア活動には興味もあったので。 ハリマ:イセくん……典型的な好青年って感じ……まぶしい。 イセ:そうですか? こうやって公園の清掃活動をすることで、自分の心も浄化されていくような感じがするのですが。 スオウ:それはちょっと私もわからないなあ。 ハリマ:イセくんって、ほんと個性的だよね。 イセ:それはよく言われます。 ハリマ:言われるんだ。 イセ:はい。 スオウ:私も! 私もよく個性的って言われるよ! 一緒だね! イセ:それは光栄ですね。 ハリマ:イセくん……それ本気で言ってる? イセ:? はい。 スオウ:なんだー? ハリハリ文句でもあんのかこらー? ハリマ:いや、イセくんがそれでいいならいいんだけどね。あ、スオウ、そっちに空き缶落ちてるよ。 スオウ:あ、ほんとだ! よっと。 イセ:空き缶と煙草の吸い殻が多いですね、やっぱり。 スオウ:ほんとねぇ。こんなきれいな公園にポイ捨てしてくとかどんな神経してんのかって思うよ。 イセ:空き缶は微生物が分解できないですし、吸い殻はちゃんと火が消えてないと火事になる可能性もあります。危険ですね。 スオウ:そもそも煙草自体何がよくて吸ってるのかわからないんだよねえ。ほら、煙吸ってもケムいだけで全然おいしくないでしょ? ハリマ:副流煙を吸うのと、実際に吸うのとではまた違うんじゃないかなあ。 スオウ:何だ何だー、ハリハリはそっち側かー? 吸ったことあんのかこらー? ハリマ:ないよ! なんだか今日のスオウはやけに好戦的だね…… スオウ:ハリハリは私の視界で煙草吸ったら死刑だからなー! ハリマ:物騒なこと言わないでよ。そんな決まりないでしょ。 スオウ:あるある。国連で可決されてローマ教皇も承認したからね! ハリマ:そんな知性の低い話題で国連とかローマ教皇出さないでよ。 イセ:国際連合は政治的な国際機関で、宗教色はほとんどありません。もちろん、ローマ教皇の所属するカトリック教会とも無関係なので、国連で決まったことを教皇が承認するということもないですね。 ハリマ:イセくん、そんな真面目な顔で言わないで? それより前にもっと気にするべきところあるからね? イセ:もっと気にするべきところとは? ハリマ:いや……スオウの目の前で煙草を吸ったら死刑とか…… イセ:なるほど。確かにリンチはよくないことですね。 ハリマ:あっ、しけい(私刑)ってそっちか! スオウ:あーまた吸い殻! ほんと、吸ってもいいけどせめてちゃんと携帯灰皿使って持ち帰ってほしいなあ。 イセ:マナーは守ってほしいですね。 スオウ:ホント! ほら、あそこのベンチにも吸ってる人いるし! ハリマ:ホントだ……あれ? あの人…… イセ:イズモさんですね。 スオウ:何だとー!? イズモさんが煙草なんて吸うわけなホントだイズモさんだ。 ハリマ:すごい急ブレーキだったね。スオウの言葉には慣性の法則は適用されないのか。 スオウ:慣性の法則! 聞いたことある! ハリマ:大学生ならもうワンランク上の理解度であってほしかった。 イセ:でも、イズモさんがなんでこんなところにいるんですかね。今日は用事って言ってたはずですけど。 ハリマ:やっぱり社交辞令で、用事なんて嘘だったんじゃないかな。 スオウ:本人に聞けばわかるよ。おーい、イズモさーん! ハリマ:行っちゃったよ……スオウを見てると、時折本当に彼女大学生なのかなって思うことあるんだよね。 イセ:若いってことはいいことです。 ハリマ:若いっていうか、幼いっていうか……って、イセくんの方が若いからね? イセ:とりあえず、ぼくたちも行きましょうか。 イズモ:あら、あなたたち、元気そうね。 スオウ:元気そうねじゃないですよ! 今日私のお誘い断ってこんな公園で煙草吹かしてて! イズモ:何か誘われてたかしら? ハリマ:スオウからごみ拾いのボランティア。誘われてないんですか? スオウ:誘ったじゃないですか! 今回はイセくんという証人までいますからね! 言い逃れはできませんよ! イセ:証人です。 イズモ:ああ、そんなこともあったわね。ごめんなさい、嘘じゃないのよ。今日はついさっきまでこの近くで商談があって。その帰りなの。 ハリマ:本当かなあ。 イズモ:ただ嫌なだけが理由なのだとしたら、もっとましな言い訳をするわよ。 ハリマ:それで、一仕事終えてここで休んでいたと。っていうか、イズモさん煙草吸うんですね。 イズモ:あたしが煙草吸っちゃ悪いのかしら? ハリマ:悪いとは言ってないじゃないですか。でもほら、お店で吸ってるところ一度も見たことなかったですし。 イズモ:お店で煙草なんて吸うわけないじゃない。あたしの店を何だと思ってるの? 古書は火にも煙にも湿気にも日光にも弱いんだから。ハリマくん、古本が紙でできてるって知らないの? ハリマ:そ、それくらい知ってますよ! イセ:古くなった紙は乾燥しているので、火が飛んだりしたらすぐに火事になっちゃいますからね。 イズモ:そういうこと。ついでに言っておくとにおいも移りやすいし、湿気でヘタりやすいし、日焼けもしやすいんだから。大変なのよ、結構。 ハリマ:そうかあ。昔から残ってる本とか、黄ばんでるのも結構ありますしね。 イズモ:当時は製紙技術も今ほど発達してなかったから、傷みやすかったという理由もあるのだけれどね。少しは勉強になったかしら? ハリマ:……はい、ありがとうございます。 スオウ:でも、それなら煙草なんてやめたらいいじゃないですか! 本にも悪いし、体にも悪いんですから! イズモ:本についてはないところで吸えばいいし。体の話だったら……体を蝕ませつつも一時的快楽に身を置くなんて、デカダンらしくていいと思わない? ハリマ:デカダン……? イセ:デカダンス。十九世紀頃にフランスを中心に起こった、退廃的な芸術の潮流のことですね。 イズモ:イセくんさすがね。そう。日本でも、無頼派を中心とした作家なんかには、そういうイメージがついているわね。 スオウ:無頼派! 聞いたことあります! 太宰治とか、坂口安吾とかですよね! イセ:ほかにも、織田作之助、石川淳、檀一雄なども含まれますね。 ハリマ:イセくんすごいなあ。本当に高校生? イズモ:それより、あなたのほうこそそれで本当に文学部生なのかと聞きたいわね。 ハリマ:はい、すみません…… イズモ:無頼派の作家陣は――というか、当時の作家はみんなそうだけれど――煙草が好きな人が多かったわ。石川淳なんて、煙草と絡めた研究論文が書かれているくらいだしね。 スオウ:なんで当時の人ってそんなに煙草好きな人多いんだろ? 今みたいに危険なものってわかってなかったってのもあるかもしれないけど。 イズモ:それは少し違うわ、スオウさん。 スオウ:はぇ? 違うんですか? イズモ:当時の煙草は今と比べると、一種の生活必需品のようなものだったのよ。煙草は戦中、一九四四年から配給の対象になっているわ。ほかの配給対象品は基本的に生活必需品。コメとか、味噌とか、砂糖のような基本的な食材と、マッチや衣料品のような生活に必要な品だけ。当時の特に男性にとっては、煙草はただ嗜好品なだけではなく、大人であるからには吸って当然のようなものだったのよ。 スオウ:そうだったんですね! だからうちのおじいちゃんとか、煙草好きだったんだなあ。 ハリマ:なんか、それはただ単に好きなだけのような。 イズモ:もちろん、煙草というもの自体にある種の快楽を得る性質があるわけだから、嗜好品として重要な位置を占めていた、ということもあるのだけれどね。だから、文学作品にもたくさんの煙草が出てくるのよ。銘柄もいろいろだから、それだけで一本どころじゃない論文が書けるわ。 イセ:そういう文化史とかの研究も面白そうですよね。 ハリマ:なるほど、勉強になるなあ。 イズモ:ハリマくんも、少しは私の言うことだけじゃなくて、大学の先生の言ってることも聞いてあげてね。 ハリマ:えっ? いやいや、それはちゃんと聞いてますよ! スオウ:そうですよ! ハリハリ、近年まれにみる授業をちゃんと聞いてる学生なんですから! イズモ:じゃあなんでそんなに無知なのかしらね。授業の内容が悪いの? それとも、聞いてるだけで内容をどんどんこぼしていってしまうおつむの構造が悪いのかしら。 ハリマ:イズモさん、ひどい…… イズモ:ふふっ。少し言い過ぎたわ。ごめんなさいね。 スオウ:ところで、イズモさん今日は用事終わってこれからお店に帰るって感じですか? イズモ:そのつもりなんだけど……ちょっとつけられてるのよね。 ハリマ:つけられてる……って、誰にですか? イズモ:あそこに見えないかしら? ハリマ:……? いや、誰も見えませんけど。 イズモ:あら、うまく撒けたのかしらね。商店街のあたりからずーっとつけられてて、どうしようかと思ってたのよ。 スオウ:ってことは、イズモさんなんか事件に巻き込まれたとかですか? 犯行現場を見ちゃったとか? イセ:もしそうなのだとしたら、早めに警察に申し出て守ってもらった方がいいと思います。 イズモ:ちょっと、二人ともいったい何を言っているの? 事件? 何かあったのかしら? ハリマ:いや、ちょっとサスペンスドラマの見過ぎなだけなんで、気にしないでください。 イズモ:そう? ならいいけど。 スオウ:やっぱり、事件はそうそう起こらないねえ。 ハリマ:むしろ起こってほしいの? 危ないし、平和の方が一番だよ。 イセ:平和が続くと、人間はみな刺激を求めるものなんでしょうね。 ハリマ:イセくんが言うとなんか怖いな…… イズモ:ところで、三人ともこんなところで油を売っていていいのかしら? 今、ごみ拾い中なんでしょう? ハリマ:あ、そうだった! スオウ:といっても、もうお昼だし休憩が始まる時間だよー。とりあえず今まで集めたごみを中央広場にもっていって、お昼食べにいこっか。 イズモ:あ、それだったら。いいものがあるわ。 ハリマ:いいもの? なんですか? イズモ:さっき商店街でもらったのよ。これ。 スオウ:わあ! タイ焼き! イズモ:和菓子屋さんでね、今日タイ焼きフェアをやってるんですって。もらったはいいけど、あたし甘いものはあんまり好きじゃないから。ちょうど三つあるし、あなたたちにあげるわ。 スオウ:やったあ! ありがとうございます。何味があるかなー。 イズモ:中身は私にもわからないわ。まともなものだといいわね。 ハリマ:イズモさんがそれ言うと冗談じゃなくなるのでやめてください。 イズモ:あら。むしろスリルが出ていいんじゃない? ハリマ:何のスリルですか! たかがタイ焼きにそんなのいらないですよ! スオウ:きゃあっ! イセ:大丈夫ですか? ハリマ:スオウ、大丈夫? 何があったの。 スオウ:今あっちから何かがとびかかってきて……タイ焼き持ってっちゃった…… ハリマ:えっ、タイ焼きを? 持ってかれちゃったの? イセ:スオウさんはケガとかしてませんか? スオウ:うん、大丈夫。ひっかかれたとかはないみたい。突然だからびっくりしたよお。 イズモ:……ハリマくん…… ハリマ:はい、今のは明らかにミスだったなと思います……先にスオウを気に掛けるべきでした。 イセ:失敗は成功のもと、ですよ。 ハリマ:うん、イセくん、ありがとう…… イズモ:あの子ね。あたしをつけてきてたの。 スオウ:猫だったんですか? イズモ:ええ。最近商店街を根城にしている野良猫。結構図太いのよ。 イセ:なんか今の猫、ちょっと汚れてはいましたけど、いい毛並みでどしっと構えてて貫禄がありましたね。 イズモ:ええ。まるで、ごちゃごちゃと汚れた浮世に降臨した、人の子みたいにね。 ハリマ:? イズモさん、もしかして今の、何かからの引用ですか? イズモ:それに気付けるようになったのは成長よ。読んでみればわかるわ。気になるのなら、うちの店に来なさいな。 スオウ:よし、煙草の出てくる本気になってきたし、今度お店行きますね! イズモ:ええ。いつでもいらっしゃい。でもごめんなさいね、せっかくあげたタイ焼き、台無しになっちゃって。 ハリマ:いいですよ。誰もケガとかなかったんですし、タイ焼きくらいあの猫にあげてあげますって! スオウ:ハリハリ、それ本当? ハリマ:うん、タイ焼きなんかより、スオウが無傷なほうが大事だからね! スオウ:ありがとねハリハリ。それじゃあ、残った二匹は私とイセくんで分けるとするね。 ハリマ:え? イセ:ハリマさん、ありがたくいただきます。 ハリマ:え? イズモ:ハリマくんも、なかなかいいところあるのね。 ハリマ:え? スオウ:おいし~! これ商店街の和菓子屋さんで買えるんですか? こんなのリピート間違いなしです! イズモ:なかなか人気なのよ。今回もフェアだったから余ってただけで、いつもは開店してすぐ売り切れちゃうんだから。 イセ:美味しいですね。確かに、これはまた食べたくなる。 ハリマ:……あの、僕にも一口くらいは…… スオウ:へ、何言ってるのハリハリ。さっき自分で言ったこと忘れちゃったの? イズモ:男に二言はないわよね? 今更自分の言ったこと覆すなんて大人気ないわよ。 イセ:僕、少しはハリマさんの尊敬できる部分を見てみたいです。 ハリマ:そんな……くっそ、はめられた……あの泥棒猫め…… イズモ:ふふふっ。 ハリマ:……何がおかしいんですか、イズモさん。 イズモ:いいえ。ただの猫でも、見る場所とみる人によって映り方は違うのね。それこそ、闇市の中に現れた薄汚い少年が、メシアに見えるみたいに。 スオウ:ハリハリー、そっちはどう? ハリマ:ああ、スオウ。結構溜まったよ。そろそろ一袋いっぱいになるかな。 スオウ:おおすごい! でもこっちもねえ、結構溜まったよぉ。 ハリマ:普段何気なく使ってる公園でも、ごみって結構あるもんなんだね。 スオウ:すっごいよね。こういう活動に参加してみないとわかんないもんなんだなあ。あ! イセくーん! イセ:ハリマさん、スオウさん。とりあえず一袋、いっぱいになりました。 スオウ:イセくんもすごい! ……あれ、カガちゃんは? イセ:何か、池の中で古い自転車が見つかったとかで、そっちの対応に行ってます。 スオウ:池の中から自転車!? それは事件のにおいを感じますねえ。 ハリマ:ただいらなくなったのを捨てただけでしょ。ひどいよねえ。 スオウ:いやいや、もしかしたら、そのうち死体もあがっちゃうかもよ? イセ:水死体は微生物が分解するときにガスが溜まっていくので、浮力が生じて浮き上がってくるはずです。なので、本当に死体があるならとっくに見つかっているかと。 スオウ:なあんだ。そうなんだ。つまんないなあ。 ハリマ:つまんないって…… イセ:でも、そういう事件がありそうってなると少し気分が浮き立ちますよね。 スオウ:イセくんもわかる? さっすがー! イセ:はい。「事実は小説より奇なり」という言葉を、この身で体感してみたいって思います。 ハリマ:僕は平穏な日常を過ごしたいけどなあ。スオウ、いっぱいになった袋はどうすればいいんだっけ? スオウ:中央広場に袋を置く場所があるから、そこに置いておけばいいはず! ハリマ:んー、了解。 スオウ:ハリハリもイセくんも、ありがとね。参加してくれて。 ハリマ:まあ、たまにはこういう活動をしてみるのもいいかなあって。でも、うちの大学にもこういう活動をしてるサークルがあったんだね。知らなかったよ。 スオウ:「SDGsサークルサステナ」ね。私も詳しくは知らなかったんだけど、カガちゃんが所属してて。 ハリマ:SDGs……なんか響きだけで意識高くて蕁麻疹が出そう…… スオウ:ハリハリは罰当たりだなあ。 ハリマ:僕より罰当たりな人がいるでしょ。 スオウ:ヒュウガね! あいつ「自分の一ミリたりとも得のない活動に参加するわけねーだろ」って、ほんとひどい! ハリマ:でも、どうしてイセくんも参加してくれたの? イセ:誘っていただきました。 ハリマ:誘った? スオウが? いつの間に連絡先交換してたの? スオウ:違うよー。イズモさんのところにね、お誘いにいったの。そしたらイセくんが来てて。 ハリマ:イズモさんのところにも行ったの? あの人余裕で罰当たり組だったでしょ。 スオウ:そんなことないよ? 「せっかくお誘いいただいて心苦しいのだけれど、その日はちょうど予定があってね」って。てーちょーに断られた! ハリマ:いかにも社交辞令っていう感じの断り方…… スオウ:ハリハリひどいなあ。それで、そこにいたイセくんも誘ってみたら、快くOKしてくれたの! イセ:今日は特に予定もなかったし、ボランティア活動には興味もあったので。 ハリマ:イセくん……典型的な好青年って感じ……まぶしい。 イセ:そうですか? こうやって公園の清掃活動をすることで、自分の心も浄化されていくような感じがするのですが。 スオウ:それはちょっと私もわからないなあ。 ハリマ:イセくんって、ほんと個性的だよね。 イセ:それはよく言われます。 ハリマ:言われるんだ。 イセ:はい。 スオウ:私も! 私もよく個性的って言われるよ! 一緒だね! イセ:それは光栄ですね。 ハリマ:イセくん……それ本気で言ってる? イセ:? はい。 スオウ:なんだー? ハリハリ文句でもあんのかこらー? ハリマ:いや、イセくんがそれでいいならいいんだけどね。あ、スオウ、そっちに空き缶落ちてるよ。 スオウ:あ、ほんとだ! よっと。 イセ:空き缶と煙草の吸い殻が多いですね、やっぱり。 スオウ:ほんとねぇ。こんなきれいな公園にポイ捨てしてくとかどんな神経してんのかって思うよ。 イセ:空き缶は微生物が分解できないですし、吸い殻はちゃんと火が消えてないと火事になる可能性もあります。危険ですね。 スオウ:そもそも煙草自体何がよくて吸ってるのかわからないんだよねえ。ほら、煙吸ってもケムいだけで全然おいしくないでしょ? ハリマ:副流煙を吸うのと、実際に吸うのとではまた違うんじゃないかなあ。 スオウ:何だ何だー、ハリハリはそっち側かー? 吸ったことあんのかこらー? ハリマ:ないよ! なんだか今日のスオウはやけに好戦的だね…… スオウ:ハリハリは私の視界で煙草吸ったら死刑だからなー! ハリマ:物騒なこと言わないでよ。そんな決まりないでしょ。 スオウ:あるある。国連で可決されてローマ教皇も承認したからね! ハリマ:そんな知性の低い話題で国連とかローマ教皇出さないでよ。 イセ:国際連合は政治的な国際機関で、宗教色はほとんどありません。もちろん、ローマ教皇の所属するカトリック教会とも無関係なので、国連で決まったことを教皇が承認するということもないですね。 ハリマ:イセくん、そんな真面目な顔で言わないで? それより前にもっと気にするべきところあるからね? イセ:もっと気にするべきところとは? ハリマ:いや……スオウの目の前で煙草を吸ったら死刑とか…… イセ:なるほど。確かにリンチはよくないことですね。 ハリマ:あっ、しけい(私刑)ってそっちか! スオウ:あーまた吸い殻! ほんと、吸ってもいいけどせめてちゃんと携帯灰皿使って持ち帰ってほしいなあ。 イセ:マナーは守ってほしいですね。 スオウ:ホント! ほら、あそこのベンチにも吸ってる人いるし! ハリマ:ホントだ……あれ? あの人…… イセ:イズモさんですね。 スオウ:何だとー!? イズモさんが煙草なんて吸うわけなホントだイズモさんだ。 ハリマ:すごい急ブレーキだったね。スオウの言葉には慣性の法則は適用されないのか。 スオウ:慣性の法則! 聞いたことある! ハリマ:大学生ならもうワンランク上の理解度であってほしかった。 イセ:でも、イズモさんがなんでこんなところにいるんですかね。今日は用事って言ってたはずですけど。 ハリマ:やっぱり社交辞令で、用事なんて嘘だったんじゃないかな。 スオウ:本人に聞けばわかるよ。おーい、イズモさーん! ハリマ:行っちゃったよ……スオウを見てると、時折本当に彼女大学生なのかなって思うことあるんだよね。 イセ:若いってことはいいことです。 ハリマ:若いっていうか、幼いっていうか……って、イセくんの方が若いからね? イセ:とりあえず、ぼくたちも行きましょうか。 イズモ:あら、あなたたち、元気そうね。 スオウ:元気そうねじゃないですよ! 今日私のお誘い断ってこんな公園で煙草吹かしてて! イズモ:何か誘われてたかしら? ハリマ:スオウからごみ拾いのボランティア。誘われてないんですか? スオウ:誘ったじゃないですか! 今回はイセくんという証人までいますからね! 言い逃れはできませんよ! イセ:証人です。 イズモ:ああ、そんなこともあったわね。ごめんなさい、嘘じゃないのよ。今日はついさっきまでこの近くで商談があって。その帰りなの。 ハリマ:本当かなあ。 イズモ:ただ嫌なだけが理由なのだとしたら、もっとましな言い訳をするわよ。 ハリマ:それで、一仕事終えてここで休んでいたと。っていうか、イズモさん煙草吸うんですね。 イズモ:あたしが煙草吸っちゃ悪いのかしら? ハリマ:悪いとは言ってないじゃないですか。でもほら、お店で吸ってるところ一度も見たことなかったですし。 イズモ:お店で煙草なんて吸うわけないじゃない。あたしの店を何だと思ってるの? 古書は火にも煙にも湿気にも日光にも弱いんだから。ハリマくん、古本が紙でできてるって知らないの? ハリマ:そ、それくらい知ってますよ! イセ:古くなった紙は乾燥しているので、火が飛んだりしたらすぐに火事になっちゃいますからね。 イズモ:そういうこと。ついでに言っておくとにおいも移りやすいし、湿気でヘタりやすいし、日焼けもしやすいんだから。大変なのよ、結構。 ハリマ:そうかあ。昔から残ってる本とか、黄ばんでるのも結構ありますしね。 イズモ:当時は製紙技術も今ほど発達してなかったから、傷みやすかったという理由もあるのだけれどね。少しは勉強になったかしら? ハリマ:……はい、ありがとうございます。 スオウ:でも、それなら煙草なんてやめたらいいじゃないですか! 本にも悪いし、体にも悪いんですから! イズモ:本についてはないところで吸えばいいし。体の話だったら……体を蝕ませつつも一時的快楽に身を置くなんて、デカダンらしくていいと思わない? ハリマ:デカダン……? イセ:デカダンス。十九世紀頃にフランスを中心に起こった、退廃的な芸術の潮流のことですね。 イズモ:イセくんさすがね。そう。日本でも、無頼派を中心とした作家なんかには、そういうイメージがついているわね。 スオウ:無頼派! 聞いたことあります! 太宰治とか、坂口安吾とかですよね! イセ:ほかにも、織田作之助、石川淳、檀一雄なども含まれますね。 ハリマ:イセくんすごいなあ。本当に高校生? イズモ:それより、あなたのほうこそそれで本当に文学部生なのかと聞きたいわね。 ハリマ:はい、すみません…… イズモ:無頼派の作家陣は――というか、当時の作家はみんなそうだけれど――煙草が好きな人が多かったわ。石川淳なんて、煙草と絡めた研究論文が書かれているくらいだしね。 スオウ:なんで当時の人ってそんなに煙草好きな人多いんだろ? 今みたいに危険なものってわかってなかったってのもあるかもしれないけど。 イズモ:それは少し違うわ、スオウさん。 スオウ:はぇ? 違うんですか? イズモ:当時の煙草は今と比べると、一種の生活必需品のようなものだったのよ。煙草は戦中、一九四四年から配給の対象になっているわ。ほかの配給対象品は基本的に生活必需品。コメとか、味噌とか、砂糖のような基本的な食材と、マッチや衣料品のような生活に必要な品だけ。当時の特に男性にとっては、煙草はただ嗜好品なだけではなく、大人であるからには吸って当然のようなものだったのよ。 スオウ:そうだったんですね! だからうちのおじいちゃんとか、煙草好きだったんだなあ。 ハリマ:なんか、それはただ単に好きなだけのような。 イズモ:もちろん、煙草というもの自体にある種の快楽を得る性質があるわけだから、嗜好品として重要な位置を占めていた、ということもあるのだけれどね。だから、文学作品にもたくさんの煙草が出てくるのよ。銘柄もいろいろだから、それだけで一本どころじゃない論文が書けるわ。 イセ:そういう文化史とかの研究も面白そうですよね。 ハリマ:なるほど、勉強になるなあ。 イズモ:ハリマくんも、少しは私の言うことだけじゃなくて、大学の先生の言ってることも聞いてあげてね。 ハリマ:えっ? いやいや、それはちゃんと聞いてますよ! スオウ:そうですよ! ハリハリ、近年まれにみる授業をちゃんと聞いてる学生なんですから! イズモ:じゃあなんでそんなに無知なのかしらね。授業の内容が悪いの? それとも、聞いてるだけで内容をどんどんこぼしていってしまうおつむの構造が悪いのかしら。 ハリマ:イズモさん、ひどい…… イズモ:ふふっ。少し言い過ぎたわ。ごめんなさいね。 スオウ:ところで、イズモさん今日は用事終わってこれからお店に帰るって感じですか? イズモ:そのつもりなんだけど……ちょっとつけられてるのよね。 ハリマ:つけられてる……って、誰にですか? イズモ:あそこに見えないかしら? ハリマ:……? いや、誰も見えませんけど。 イズモ:あら、うまく撒けたのかしらね。商店街のあたりからずーっとつけられてて、どうしようかと思ってたのよ。 スオウ:ってことは、イズモさんなんか事件に巻き込まれたとかですか? 犯行現場を見ちゃったとか? イセ:もしそうなのだとしたら、早めに警察に申し出て守ってもらった方がいいと思います。 イズモ:ちょっと、二人ともいったい何を言っているの? 事件? 何かあったのかしら? ハリマ:いや、ちょっとサスペンスドラマの見過ぎなだけなんで、気にしないでください。 イズモ:そう? ならいいけど。 スオウ:やっぱり、事件はそうそう起こらないねえ。 ハリマ:むしろ起こってほしいの? 危ないし、平和の方が一番だよ。 イセ:平和が続くと、人間はみな刺激を求めるものなんでしょうね。 ハリマ:イセくんが言うとなんか怖いな…… イズモ:ところで、三人ともこんなところで油を売っていていいのかしら? 今、ごみ拾い中なんでしょう? ハリマ:あ、そうだった! スオウ:といっても、もうお昼だし休憩が始まる時間だよー。とりあえず今まで集めたごみを中央広場にもっていって、お昼食べにいこっか。 イズモ:あ、それだったら。いいものがあるわ。 ハリマ:いいもの? なんですか? イズモ:さっき商店街でもらったのよ。これ。 スオウ:わあ! タイ焼き! イズモ:和菓子屋さんでね、今日タイ焼きフェアをやってるんですって。もらったはいいけど、あたし甘いものはあんまり好きじゃないから。ちょうど三つあるし、あなたたちにあげるわ。 スオウ:やったあ! ありがとうございます。何味があるかなー。 イズモ:中身は私にもわからないわ。まともなものだといいわね。 ハリマ:イズモさんがそれ言うと冗談じゃなくなるのでやめてください。 イズモ:あら。むしろスリルが出ていいんじゃない? ハリマ:何のスリルですか! たかがタイ焼きにそんなのいらないですよ! スオウ:きゃあっ! イセ:大丈夫ですか? ハリマ:スオウ、大丈夫? 何があったの。 スオウ:今あっちから何かがとびかかってきて……タイ焼き持ってっちゃった…… ハリマ:えっ、タイ焼きを? 持ってかれちゃったの? イセ:スオウさんはケガとかしてませんか? スオウ:うん、大丈夫。ひっかかれたとかはないみたい。突然だからびっくりしたよお。 イズモ:……ハリマくん…… ハリマ:はい、今のは明らかにミスだったなと思います……先にスオウを気に掛けるべきでした。 イセ:失敗は成功のもと、ですよ。 ハリマ:うん、イセくん、ありがとう…… イズモ:あの子ね。あたしをつけてきてたの。 スオウ:猫だったんですか? イズモ:ええ。最近商店街を根城にしている野良猫。結構図太いのよ。 イセ:なんか今の猫、ちょっと汚れてはいましたけど、いい毛並みでどしっと構えてて貫禄がありましたね。 イズモ:ええ。まるで、ごちゃごちゃと汚れた浮世に降臨した、人の子みたいにね。 ハリマ:? イズモさん、もしかして今の、何かからの引用ですか? イズモ:それに気付けるようになったのは成長よ。読んでみればわかるわ。気になるのなら、うちの店に来なさいな。 スオウ:よし、煙草の出てくる本気になってきたし、今度お店行きますね! イズモ:ええ。いつでもいらっしゃい。でもごめんなさいね、せっかくあげたタイ焼き、台無しになっちゃって。 ハリマ:いいですよ。誰もケガとかなかったんですし、タイ焼きくらいあの猫にあげてあげますって! スオウ:ハリハリ、それ本当? ハリマ:うん、タイ焼きなんかより、スオウが無傷なほうが大事だからね! スオウ:ありがとねハリハリ。それじゃあ、残った二匹は私とイセくんで分けるとするね。 ハリマ:え? イセ:ハリマさん、ありがたくいただきます。 ハリマ:え? イズモ:ハリマくんも、なかなかいいところあるのね。 ハリマ:え? スオウ:おいし~! これ商店街の和菓子屋さんで買えるんですか? こんなのリピート間違いなしです! イズモ:なかなか人気なのよ。今回もフェアだったから余ってただけで、いつもは開店してすぐ売り切れちゃうんだから。 イセ:美味しいですね。確かに、これはまた食べたくなる。 ハリマ:……あの、僕にも一口くらいは…… スオウ:へ、何言ってるのハリハリ。さっき自分で言ったこと忘れちゃったの? イズモ:男に二言はないわよね? 今更自分の言ったこと覆すなんて大人気ないわよ。 イセ:僕、少しはハリマさんの尊敬できる部分を見てみたいです。 ハリマ:そんな……くっそ、はめられた……あの泥棒猫め…… イズモ:ふふふっ。 ハリマ:……何がおかしいんですか、イズモさん。 イズモ:いいえ。ただの猫でも、見る場所とみる人によって映り方は違うのね。それこそ、闇市の中に現れた薄汚い少年が、メシアに見えるみたいに。 石川淳「焼跡のイエス」より 了。 スオウ:ハリハリー、そっちはどう? ハリマ:ああ、スオウ。結構溜まったよ。そろそろ一袋いっぱいになるかな。 スオウ:おおすごい! でもこっちもねえ、結構溜まったよぉ。 ハリマ:普段何気なく使ってる公園でも、ごみって結構あるもんなんだね。 スオウ:すっごいよね。こういう活動に参加してみないとわかんないもんなんだなあ。あ! イセくーん! イセ:ハリマさん、スオウさん。とりあえず一袋、いっぱいになりました。 スオウ:イセくんもすごい! ……あれ、カガちゃんは? イセ:何か、池の中で古い自転車が見つかったとかで、そっちの対応に行ってます。 スオウ:池の中から自転車!? それは事件のにおいを感じますねえ。 ハリマ:ただいらなくなったのを捨てただけでしょ。ひどいよねえ。 スオウ:いやいや、もしかしたら、そのうち死体もあがっちゃうかもよ? イセ:水死体は微生物が分解するときにガスが溜まっていくので、浮力が生じて浮き上がってくるはずです。なので、本当に死体があるならとっくに見つかっているかと。 スオウ:なあんだ。そうなんだ。つまんないなあ。 ハリマ:つまんないって…… イセ:でも、そういう事件がありそうってなると少し気分が浮き立ちますよね。 スオウ:イセくんもわかる? さっすがー! イセ:はい。「事実は小説より奇なり」という言葉を、この身で体感してみたいって思います。 ハリマ:僕は平穏な日常を過ごしたいけどなあ。スオウ、いっぱいになった袋はどうすればいいんだっけ? スオウ:中央広場に袋を置く場所があるから、そこに置いておけばいいはず! ハリマ:んー、了解。 スオウ:ハリハリもイセくんも、ありがとね。参加してくれて。 ハリマ:まあ、たまにはこういう活動をしてみるのもいいかなあって。でも、うちの大学にもこういう活動をしてるサークルがあったんだね。知らなかったよ。 スオウ:「SDGsサークルサステナ」ね。私も詳しくは知らなかったんだけど、カガちゃんが所属してて。 ハリマ:SDGs……なんか響きだけで意識高くて蕁麻疹が出そう…… スオウ:ハリハリは罰当たりだなあ。 ハリマ:僕より罰当たりな人がいるでしょ。 スオウ:ヒュウガね! あいつ「自分の一ミリたりとも得のない活動に参加するわけねーだろ」って、ほんとひどい! ハリマ:でも、どうしてイセくんも参加してくれたの? イセ:誘っていただきました。 ハリマ:誘った? スオウが? いつの間に連絡先交換してたの? スオウ:違うよー。イズモさんのところにね、お誘いにいったの。そしたらイセくんが来てて。 ハリマ:イズモさんのところにも行ったの? あの人余裕で罰当たり組だったでしょ。 スオウ:そんなことないよ? 「せっかくお誘いいただいて心苦しいのだけれど、その日はちょうど予定があってね」って。てーちょーに断られた! ハリマ:いかにも社交辞令っていう感じの断り方…… スオウ:ハリハリひどいなあ。それで、そこにいたイセくんも誘ってみたら、快くOKしてくれたの! イセ:今日は特に予定もなかったし、ボランティア活動には興味もあったので。 ハリマ:イセくん……典型的な好青年って感じ……まぶしい。 イセ:そうですか? こうやって公園の清掃活動をすることで、自分の心も浄化されていくような感じがするのですが。 スオウ:それはちょっと私もわからないなあ。 ハリマ:イセくんって、ほんと個性的だよね。 イセ:それはよく言われます。 ハリマ:言われるんだ。 イセ:はい。 スオウ:私も! 私もよく個性的って言われるよ! 一緒だね! イセ:それは光栄ですね。 ハリマ:イセくん……それ本気で言ってる? イセ:? はい。 スオウ:なんだー? ハリハリ文句でもあんのかこらー? ハリマ:いや、イセくんがそれでいいならいいんだけどね。あ、スオウ、そっちに空き缶落ちてるよ。 スオウ:あ、ほんとだ! よっと。 イセ:空き缶と煙草の吸い殻が多いですね、やっぱり。 スオウ:ほんとねぇ。こんなきれいな公園にポイ捨てしてくとかどんな神経してんのかって思うよ。 イセ:空き缶は微生物が分解できないですし、吸い殻はちゃんと火が消えてないと火事になる可能性もあります。危険ですね。 スオウ:そもそも煙草自体何がよくて吸ってるのかわからないんだよねえ。ほら、煙吸ってもケムいだけで全然おいしくないでしょ? ハリマ:副流煙を吸うのと、実際に吸うのとではまた違うんじゃないかなあ。 スオウ:何だ何だー、ハリハリはそっち側かー? 吸ったことあんのかこらー? ハリマ:ないよ! なんだか今日のスオウはやけに好戦的だね…… スオウ:ハリハリは私の視界で煙草吸ったら死刑だからなー! ハリマ:物騒なこと言わないでよ。そんな決まりないでしょ。 スオウ:あるある。国連で可決されてローマ教皇も承認したからね! ハリマ:そんな知性の低い話題で国連とかローマ教皇出さないでよ。 イセ:国際連合は政治的な国際機関で、宗教色はほとんどありません。もちろん、ローマ教皇の所属するカトリック教会とも無関係なので、国連で決まったことを教皇が承認するということもないですね。 ハリマ:イセくん、そんな真面目な顔で言わないで? それより前にもっと気にするべきところあるからね? イセ:もっと気にするべきところとは? ハリマ:いや……スオウの目の前で煙草を吸ったら死刑とか…… イセ:なるほど。確かにリンチはよくないことですね。 ハリマ:あっ、しけい(私刑)ってそっちか! スオウ:あーまた吸い殻! ほんと、吸ってもいいけどせめてちゃんと携帯灰皿使って持ち帰ってほしいなあ。 イセ:マナーは守ってほしいですね。 スオウ:ホント! ほら、あそこのベンチにも吸ってる人いるし! ハリマ:ホントだ……あれ? あの人…… イセ:イズモさんですね。 スオウ:何だとー!? イズモさんが煙草なんて吸うわけなホントだイズモさんだ。 ハリマ:すごい急ブレーキだったね。スオウの言葉には慣性の法則は適用されないのか。 スオウ:慣性の法則! 聞いたことある! ハリマ:大学生ならもうワンランク上の理解度であってほしかった。 イセ:でも、イズモさんがなんでこんなところにいるんですかね。今日は用事って言ってたはずですけど。 ハリマ:やっぱり社交辞令で、用事なんて嘘だったんじゃないかな。 スオウ:本人に聞けばわかるよ。おーい、イズモさーん! ハリマ:行っちゃったよ……スオウを見てると、時折本当に彼女大学生なのかなって思うことあるんだよね。 イセ:若いってことはいいことです。 ハリマ:若いっていうか、幼いっていうか……って、イセくんの方が若いからね? イセ:とりあえず、ぼくたちも行きましょうか。 イズモ:あら、あなたたち、元気そうね。 スオウ:元気そうねじゃないですよ! 今日私のお誘い断ってこんな公園で煙草吹かしてて! イズモ:何か誘われてたかしら? ハリマ:スオウからごみ拾いのボランティア。誘われてないんですか? スオウ:誘ったじゃないですか! 今回はイセくんという証人までいますからね! 言い逃れはできませんよ! イセ:証人です。 イズモ:ああ、そんなこともあったわね。ごめんなさい、嘘じゃないのよ。今日はついさっきまでこの近くで商談があって。その帰りなの。 ハリマ:本当かなあ。 イズモ:ただ嫌なだけが理由なのだとしたら、もっとましな言い訳をするわよ。 ハリマ:それで、一仕事終えてここで休んでいたと。っていうか、イズモさん煙草吸うんですね。 イズモ:あたしが煙草吸っちゃ悪いのかしら? ハリマ:悪いとは言ってないじゃないですか。でもほら、お店で吸ってるところ一度も見たことなかったですし。 イズモ:お店で煙草なんて吸うわけないじゃない。あたしの店を何だと思ってるの? 古書は火にも煙にも湿気にも日光にも弱いんだから。ハリマくん、古本が紙でできてるって知らないの? ハリマ:そ、それくらい知ってますよ! イセ:古くなった紙は乾燥しているので、火が飛んだりしたらすぐに火事になっちゃいますからね。 イズモ:そういうこと。ついでに言っておくとにおいも移りやすいし、湿気でヘタりやすいし、日焼けもしやすいんだから。大変なのよ、結構。 ハリマ:そうかあ。昔から残ってる本とか、黄ばんでるのも結構ありますしね。 イズモ:当時は製紙技術も今ほど発達してなかったから、傷みやすかったという理由もあるのだけれどね。少しは勉強になったかしら? ハリマ:……はい、ありがとうございます。 スオウ:でも、それなら煙草なんてやめたらいいじゃないですか! 本にも悪いし、体にも悪いんですから! イズモ:本についてはないところで吸えばいいし。体の話だったら……体を蝕ませつつも一時的快楽に身を置くなんて、デカダンらしくていいと思わない? ハリマ:デカダン……? イセ:デカダンス。十九世紀頃にフランスを中心に起こった、退廃的な芸術の潮流のことですね。 イズモ:イセくんさすがね。そう。日本でも、無頼派を中心とした作家なんかには、そういうイメージがついているわね。 スオウ:無頼派! 聞いたことあります! 太宰治とか、坂口安吾とかですよね! イセ:ほかにも、織田作之助、石川淳、檀一雄なども含まれますね。 ハリマ:イセくんすごいなあ。本当に高校生? イズモ:それより、あなたのほうこそそれで本当に文学部生なのかと聞きたいわね。 ハリマ:はい、すみません…… イズモ:無頼派の作家陣は――というか、当時の作家はみんなそうだけれど――煙草が好きな人が多かったわ。石川淳なんて、煙草と絡めた研究論文が書かれているくらいだしね。 スオウ:なんで当時の人ってそんなに煙草好きな人多いんだろ? 今みたいに危険なものってわかってなかったってのもあるかもしれないけど。 イズモ:それは少し違うわ、スオウさん。 スオウ:はぇ? 違うんですか? イズモ:当時の煙草は今と比べると、一種の生活必需品のようなものだったのよ。煙草は戦中、一九四四年から配給の対象になっているわ。ほかの配給対象品は基本的に生活必需品。コメとか、味噌とか、砂糖のような基本的な食材と、マッチや衣料品のような生活に必要な品だけ。当時の特に男性にとっては、煙草はただ嗜好品なだけではなく、大人であるからには吸って当然のようなものだったのよ。 スオウ:そうだったんですね! だからうちのおじいちゃんとか、煙草好きだったんだなあ。 ハリマ:なんか、それはただ単に好きなだけのような。 イズモ:もちろん、煙草というもの自体にある種の快楽を得る性質があるわけだから、嗜好品として重要な位置を占めていた、ということもあるのだけれどね。だから、文学作品にもたくさんの煙草が出てくるのよ。銘柄もいろいろだから、それだけで一本どころじゃない論文が書けるわ。 イセ:そういう文化史とかの研究も面白そうですよね。 ハリマ:なるほど、勉強になるなあ。 イズモ:ハリマくんも、少しは私の言うことだけじゃなくて、大学の先生の言ってることも聞いてあげてね。 ハリマ:えっ? いやいや、それはちゃんと聞いてますよ! スオウ:そうですよ! ハリハリ、近年まれにみる授業をちゃんと聞いてる学生なんですから! イズモ:じゃあなんでそんなに無知なのかしらね。授業の内容が悪いの? それとも、聞いてるだけで内容をどんどんこぼしていってしまうおつむの構造が悪いのかしら。 ハリマ:イズモさん、ひどい…… イズモ:ふふっ。少し言い過ぎたわ。ごめんなさいね。 スオウ:ところで、イズモさん今日は用事終わってこれからお店に帰るって感じですか? イズモ:そのつもりなんだけど……ちょっとつけられてるのよね。 ハリマ:つけられてる……って、誰にですか? イズモ:あそこに見えないかしら? ハリマ:……? いや、誰も見えませんけど。 イズモ:あら、うまく撒けたのかしらね。商店街のあたりからずーっとつけられてて、どうしようかと思ってたのよ。 スオウ:ってことは、イズモさんなんか事件に巻き込まれたとかですか? 犯行現場を見ちゃったとか? イセ:もしそうなのだとしたら、早めに警察に申し出て守ってもらった方がいいと思います。 イズモ:ちょっと、二人ともいったい何を言っているの? 事件? 何かあったのかしら? ハリマ:いや、ちょっとサスペンスドラマの見過ぎなだけなんで、気にしないでください。 イズモ:そう? ならいいけど。 スオウ:やっぱり、事件はそうそう起こらないねえ。 ハリマ:むしろ起こってほしいの? 危ないし、平和の方が一番だよ。 イセ:平和が続くと、人間はみな刺激を求めるものなんでしょうね。 ハリマ:イセくんが言うとなんか怖いな…… イズモ:ところで、三人ともこんなところで油を売っていていいのかしら? 今、ごみ拾い中なんでしょう? ハリマ:あ、そうだった! スオウ:といっても、もうお昼だし休憩が始まる時間だよー。とりあえず今まで集めたごみを中央広場にもっていって、お昼食べにいこっか。 イズモ:あ、それだったら。いいものがあるわ。 ハリマ:いいもの? なんですか? イズモ:さっき商店街でもらったのよ。これ。 スオウ:わあ! タイ焼き! イズモ:和菓子屋さんでね、今日タイ焼きフェアをやってるんですって。もらったはいいけど、あたし甘いものはあんまり好きじゃないから。ちょうど三つあるし、あなたたちにあげるわ。 スオウ:やったあ! ありがとうございます。何味があるかなー。 イズモ:中身は私にもわからないわ。まともなものだといいわね。 ハリマ:イズモさんがそれ言うと冗談じゃなくなるのでやめてください。 イズモ:あら。むしろスリルが出ていいんじゃない? ハリマ:何のスリルですか! たかがタイ焼きにそんなのいらないですよ! スオウ:きゃあっ! イセ:大丈夫ですか? ハリマ:スオウ、大丈夫? 何があったの。 スオウ:今あっちから何かがとびかかってきて……タイ焼き持ってっちゃった…… ハリマ:えっ、タイ焼きを? 持ってかれちゃったの? イセ:スオウさんはケガとかしてませんか? スオウ:うん、大丈夫。ひっかかれたとかはないみたい。突然だからびっくりしたよお。 イズモ:……ハリマくん…… ハリマ:はい、今のは明らかにミスだったなと思います……先にスオウを気に掛けるべきでした。 イセ:失敗は成功のもと、ですよ。 ハリマ:うん、イセくん、ありがとう…… イズモ:あの子ね。あたしをつけてきてたの。 スオウ:猫だったんですか? イズモ:ええ。最近商店街を根城にしている野良猫。結構図太いのよ。 イセ:なんか今の猫、ちょっと汚れてはいましたけど、いい毛並みでどしっと構えてて貫禄がありましたね。 イズモ:ええ。まるで、ごちゃごちゃと汚れた浮世に降臨した、人の子みたいにね。 ハリマ:? イズモさん、もしかして今の、何かからの引用ですか? イズモ:それに気付けるようになったのは成長よ。読んでみればわかるわ。気になるのなら、うちの店に来なさいな。 スオウ:よし、煙草の出てくる本気になってきたし、今度お店行きますね! イズモ:ええ。いつでもいらっしゃい。でもごめんなさいね、せっかくあげたタイ焼き、台無しになっちゃって。 ハリマ:いいですよ。誰もケガとかなかったんですし、タイ焼きくらいあの猫にあげてあげますって! スオウ:ハリハリ、それ本当? ハリマ:うん、タイ焼きなんかより、スオウが無傷なほうが大事だからね! スオウ:ありがとねハリハリ。それじゃあ、残った二匹は私とイセくんで分けるとするね。 ハリマ:え? イセ:ハリマさん、ありがたくいただきます。 ハリマ:え? イズモ:ハリマくんも、なかなかいいところあるのね。 ハリマ:え? スオウ:おいし~! これ商店街の和菓子屋さんで買えるんですか? こんなのリピート間違いなしです! イズモ:なかなか人気なのよ。今回もフェアだったから余ってただけで、いつもは開店してすぐ売り切れちゃうんだから。 イセ:美味しいですね。確かに、これはまた食べたくなる。 ハリマ:……あの、僕にも一口くらいは…… スオウ:へ、何言ってるのハリハリ。さっき自分で言ったこと忘れちゃったの? イズモ:男に二言はないわよね? 今更自分の言ったこと覆すなんて大人気ないわよ。 イセ:僕、少しはハリマさんの尊敬できる部分を見てみたいです。 ハリマ:そんな……くっそ、はめられた……あの泥棒猫め…… イズモ:ふふふっ。 ハリマ:……何がおかしいんですか、イズモさん。 イズモ:いいえ。ただの猫でも、見る場所とみる人によって映り方は違うのね。それこそ、闇市の中に現れた薄汚い少年が、メシアに見えるみたいに。