台本概要

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タイトル 今宵も頁を紐解いて_No.08 中島敦「文字禍」より
作者名 ラーク  (@atog_field)
ジャンル コメディ
演者人数 4人用台本(男2、女2)
時間 30 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 文学部生と文字の禍。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
ハリマ 71 ハリマユウイチ。二十歳。陽明館大学二年。男性。 一人称は「僕」。 日文学科は古文と崩し字が実質的な第三外国語だと思っている。
イズモ 73 二十代。古本屋「夜見書堂」店主。女性。 一人称は「あたし」。 英語と中国語が話せる。英語はカポーティの原文を読みたくて習得した。
ミノ 30 ヒュウガミノ。十九歳。浪人生。女性。 一人称は「ミノ」。 意外にも英語は得意。ただ読み書きは卒なくこなすが話すのが苦手。
ミマサカ 38 ミマサカヤマト。三十代前半。陽明館大学講師。男性。 一人称は「おれ」。 大学時代、英語は三年連続で単位を落とし四年目で何とか取得した。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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ハリマ:あのお、イズモさん。ちょっと聞きたいんですけど。 イズモ:あら、ハリマくん、来たの。今日もまた懲りずに。 ハリマ:懲りずにってなんですか!? イズモ:ああ、間違えたわ。ごめんなさい。今日もまたのこのこと。 ハリマ:マイナスイメージには変わりないんですが? ……もしかして、僕ってあんまり来店喜ばれてない? イズモ:何も買わずに冷やかしばっかりの客を喜ぶ店なんてないわよ。で、今日も冷やかしに来たの? ハリマ:イズモさん酷いですよ……まあ、そうなんですけど。 イズモ:……はあ。 ハリマ:溜息つかれた…… イズモ:今度から、店内で言葉発せるのは購入した本の金額分の文字数までって決まりでももうけようかしら。 ハリマ:僕のせいで変な決まりが制定されようとしている……そういや、どうして何も買わない客のこと「冷やかし」っていうんですかね? イズモ:あなた。お店に来て何も買わないばかりか、学生なのに自分でわからないことを調べずに人に聞いて楽をしようとするの? 一体何だったらまともにできるのかしら? ハリマ:質問するだけでこんなに罵倒されたの初めてだ…… イズモ:まあ、あたしはあなたのお母さんでもなんでもないからあなたがどれだけ堕ちようといいのだけれど。冷やかしっていうのはね、元々は遊郭で使われていた言葉なの。新吉原に遊郭ができたとき、その近辺に紙を漉く職人たちが住んでいてね。紙漉きの仕事には原料を水につけている間「待ちの時間」があったのよ。そのひと時だけ、彼らは張見世から遊女を見て回ることができた。もちろん遊女を買う時間はないから見て回るだけ、ね。 ハリマ:へえぇ、そういうことなんですね。原料を水につけているのを「冷やかす」って言った、みたいな感じですか。 イズモ:そう。そうやって遊郭を回ることを「素見騒き(すけんぞめき)」とも言うわ。「ぞめき」は、今でも落語の題目などに残ってるわね。 ハリマ:ぞめき……聞いたことないです。 イズモ:まあ、落語を聞かない人は知らなくて当然だし。江戸の風を微塵も感じないあなたが知らないのは当然よ。安心して。 ハリマ:世界一安心できない「安心して」ですよ…… イズモ:それで、あたしにそんな講釈を求めたわけだけれど。元々何か聞きたいことがあったんじゃないのかしら? ハリマ:ああ、そうだ。あれ、なんですか? イズモ:あれ? 何かしら。 ハリマ:通路を挟んで、ミマサカ先生とミノちゃんが威嚇しあってるんですけど。ずっと。 イズモ:ずっとって。あなたよくあれを見た後のんきに「冷やかし」の意味を聞けたわね。 ハリマ:何か気になったので。で、なんであの二人あんな向き合って威嚇しあってるんですか? イズモ:威嚇というか、ただにらみ合ってるだけに見えるけれど。 ハリマ:いやほら、ずっとあんな感じなので、僕たちには見えないオーラ的なものでやりあってるのかと。 イズモ:漫画の読みすぎよ。そして、あの二人がなぜこんなことになっているのかをあたしに聞かれても知らないとしか答えようがないわ。本人に聞いたらどう? ハリマ:いやあ、なんか今本人たちに話しかけづらいじゃないですか。 イズモ:はあ……まあ、店内でああやって固まられても困るわね。 二人とも。いったい何をしてるの? 0:(間) ハリマ:二人とも、まったく反応しませんね。 イズモ:まったく。うち、古本屋であって古着屋じゃあないからマネキンなんていらないのだけれど。 ハリマ:古着屋だったらマネキンにしてるんですか…… イズモ:ちょっと、ミノ。こっち向きなさい。 ミノ:はっ、姉さま。こっち来ちゃダメ。女の敵がいるから。 イズモ:女の敵……? ハリマ:なんで僕の方を見るんですか! 違いますよ! イズモ:……よねえ。ミノ、いったい誰のことを言ってるのかしら? ミノ:こいつ。前に姉さまをたぶらかしてたの、見たことある。 ハリマ:ええっ、ミマサカ先生? イズモ:……何かの勘違いじゃないかしら? ハリマ:ミマサカ先生、こんなこと言われてますけど? 大丈夫ですかー? ミマサカ先生―? ミマサカ:知らない女学生……近づいたらセクハラ扱いされる……半径三メートル以内に近づいたら…… ハリマ:こっちはこっちでよくわからないことになってるみたいですよ。 イズモ:半径三メートルとか、こいつこの店の広さわかってるのかしら。この通路そんな広くないわよ。 ハリマ:突っ込みどころそこですか! イズモ:まったくもう。ちょっと、人の店で変なことつぶやくのやめて頂戴。 ミノ:あ、姉さま。近づいちゃダメ! イズモ:きゃっ! ハリマ:イズモさん!? 大丈夫ですか? イズモ:ええ、大丈……ハリマくん、後ろ! ハリマ:えっ…… 0:(ハリマの背後の段ボールの山が崩れ、ハリマの頭上から中に入っていた本が落ちてくる) ハリマ:うわっ! イズモ:ハリマくん! 大丈夫? ハリマ:あたたたた……はい、大丈夫です。 イズモ:はあ。……ミノ、先輩。いい加減にしてもらえるかしら。ふざけたことをやめないのなら、金輪際この店の敷居を跨がせないわよ。 ミノ:ごめんなさい。 イズモ:先輩も、わかったかしら。 ミマサカ:セクハラ……パワハラ……アカハラ……キヨハラ…… イズモ:そう。ちょっとお灸をすえてあげないといけないみたいね。ハリマくん、ちょっとこれ持っててもらえるかしら。 ハリマ:あ、はい。……指輪? イズモ:ふんっ。 (イズモの右ストレートがミマサカの顔面にクリーンヒット) ミマサカ:ぶぼっ! イズモ:ミマサカ先輩、お目覚めかしら? ミマサカ:ぐっ……イズモくん……いい拳だ…… イズモ:もう一発、いっておきましょうか? ミマサカ:いえ、結構です。 イズモ:とりあえず、三人とも奥の応接室に来てもらえるかしら。ハリマくん、立ち上がれる? ハリマ:あ、はい。いけます。 0:(夜見書堂奥、応接室) イズモ:それで。まず二人とも、言うことがあるんじゃないかしら? ミノ・ミマサカ: ハリマ:ああいえ、僕は大丈夫です。 イズモ:ハリマくんは大丈夫かもしれないけれど、大切な本が台無しよ。 ハリマ:僕よりも本ですか!? イズモ:当たり前でしょう。小さい子どもならまだしも、男子大学生よ? 数十冊の本被ったくらいじゃ死なないわ。せいぜい目に当たって失明とか、その程度よ。 ハリマ:その程度って、大惨事なんですけど? ミノ:姉さま……ごめんなさい。 イズモ:とりあえずミノは何を勘違いしているのかわからないけれど。ミマサカ先輩は能力がない代わりに害もない人だから。安心なさい。 ミノ:わかった。姉さま、信じる。 ハリマ:ミマサカ先生はいったい何だったんですか、セクハラとかパワハラとか言ってましたけど。 ミマサカ:ああいや、最近うちの大学もその辺うるさくてね。今日もここに来る前に教授会議があって、とある女学生がうちの教授からセクハラまがいのことをされたと。そういうことを言ってきたと議題に上がってたんだ。 ハリマ:うちの教授って、ヒゴ先生ですか? ミマサカ:うん、そうだよ。 ハリマ:さすがにやってないですよね、セクハラとか。 ミマサカ:いや。多分やってる。 ハリマ:やってるんですか!? イズモ:むしろ、「まがい」で済んでいるのが不思議なくらいね。 ミマサカ:正直ね。教授には冗談抜きで職を追われることになりかねないからやめてくださいと言ったんだが。自分も気を付けないと問題になりかねないと思ってね。 イズモ:でも、それはそうと、どうしてミノを前にあんなに固まってたのかしら。 ミノ:姉さま。その話はもう、いい。 イズモ:あら、どうしたの、ミノ。 ミマサカ:いや、なぜかは自分でもわからないんだ。……ただ、ミノくんだっけ? の顔を見た途端、本能的に近づいてはならないと思ってね。多分、女性に近づいちゃいけないが、タイムリーなセクハラとかの言葉につながったのだと思う。 イズモ:人の妹に近づいちゃいけないとか、失礼ね。 ミマサカ:えっ、この子は君の妹なのかい? それは失敬した。 ミノ:姉さま、ミノは大丈夫だから。 ハリマ:本能的に……? ミマサカ先生、女性恐怖症でしたっけ? イズモ:そんなわけないでしょ。先輩奥さんもいるし、こないだだってスオウさんとふつうにしゃべってたじゃない。 ハリマ:あ、そうだ。スオウは女として見られてなかったとか……? ミマサカ:まさか。まあ確かにスオウくんは女性というより前に野性を感じるものの……いやいや、立派に魅力的な女性だよ。 イズモ:先輩。そういうところ、危ないわよ。 ミマサカ:あっ。 ミノ:多分、この人何か勘違いしてるだけだから。この話はここで終わりにしよ。 イズモ:……まあいいわ。本は修繕できなくもないし、ハリマくんも無傷みたいだから。ハリマくん、本でよかったわね。これが石板とかだったら、死んでたかもしれないわ。 イズモ:? あ、はい。ありがとうございます。 ミマサカ:……文字禍、か。 ミノ:文字禍……聞いたこと、ある。 ハリマ:モジカ? なんでしたっけ。魔法少女もののアニメか何かですか? イズモ:……。 ミノ:……。 ミマサカ:……。 ハリマ:あれ、僕また何かやっちゃいました? イズモ:この場で自分だけが聞いたことがないばかりでなく、そんなふざけた連想をしたことをまず恥じなさい。 ミノ:ハリマさん、ほんとに大学生? ミマサカ:今のはさすがにおれも擁護できないなあ。 ハリマ:うぅ……ごめんなさい。 ミノ:ハリマさん、前に会った時より謝るのがスムーズになった。 ハリマ:あんまりうれしくない評価…… ミマサカ:「文字禍」は、中島敦の小説だよ。中島敦は知ってるだろう? ハリマ:中島敦は知ってます。「山月記」書いた人ですよね。 ミノ:山月記……ミノ、苦手。 ハリマ:あれ、ミノちゃん苦手なの? ミノ:難しい言葉多くて……調べるの大変だった。 イズモ:確かに。「山月記」は、高校一年生の教科書に採用されていることが多いけれど、漢語を中心とした語彙で、壁にぶつかる生徒たちも多い作品ね。 ミマサカ:内容も虎になった俊才が旧友と出会うというシンプルな筋に対して、そのテーマは非常に感覚的で漠然としたものだからね。それで苦手だと思う人も多いだろうね。 ハリマ:僕も思い出しました。「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」ですよね。あれ当時よくわからなかったなあ。 ミノ:ハリマさん、やめて。それ聞くとミノ、頭がおかしくなりそうになる。 ハリマ:そ、そんなに? イズモ:ミノはうちの家族には珍しく、国語苦手なのよね。 ハリマ:確かに珍しいですね。イズモさんはこんなんだし、ヒュウガも日文に進学したのに。 イズモ:こんなん、って何かしら? ミマサカ:まあ、誰しも苦手なことはあるものだよ。 ハリマ:えーっと、それで。先ほど出た文字禍、でしたっけ。どんな作品なんですか。 ミノ:ハリマさん、人に聞くならまず、読んだ方がいい。調べる癖をつけないと、ろくな大人にならない。 ハリマ:ミノちゃんにまで言われてしまった。 ミノ:ごめんなさい。 イズモ:いいのよ、ミノ。正論なんだから。 ミマサカ:まあまあ。せっかく話題に出たことだし、軽くだけれど。古代メソポタミアの国の話でね。「文字の霊」の力について思索をしたとある老博士が、周囲に存在する様々な悪い要素をすべてこの文字の霊のせいではないか、と考えてしまうという話だよ。 イズモ:老博士は自分の意見を時の大王に具申するのだけれど、残念ながらその意見は大王の不興を買ってしまうの。そして、最後には地震で崩れてきた石板の下敷きになって死んでしまう。まるで自分たちのことを讒言した博士に怒り狂った精霊たちが、呪いを与えたかのように、ね。 ハリマ:なるほど。それでさっき、石板だったらって言ったわけですか。 イズモ:ええ。古代は石板に文字を刻んでいたから、当時の書物というのは石板のことだったのよ。本なら軽いけれど、石板だったら、今頃ハリマくんもぺしゃんこよ。 ハリマ:うえっ。そう考えると、本でよかったですね。 イズモ:少し残念でもあるけれど、ね。 ハリマ:どういうことですか! それ! イズモ:ふふっ。冗談よ。 ミノ: 石板じゃなくてよかった。石板だったらミノ、殺人犯になってたかも。 イズモ:あたしが不幸な事故って証言するから大丈夫よ。 ミノ:姉さま、ありがとう。 イズモ:捕まっちゃったらカイとも離れ離れになっちゃうものね。 ハリマ:あれ、そういえば今更だけど、今日はミノちゃんヒュウガと一緒じゃないんだ。 ミノ:うん。兄さま、今バイト行ってる。だからミノ、姉さまのところに来た。 ハリマ:この店って託児所じゃないですよね? イズモ:失礼ね。ミノは妹だし、手伝いに来てくれたのよ。それに、この店は喫茶店でもないわよ。 ハリマ:あ、はい…… ミノ:ハリマさん、姉さまに頭上がらないね。 ハリマ:うん。イズモさんに頭が上がらないどころか、いつもいじめられてるんだ。 イズモ:あら、いじめてなんていないわよ。 ハリマ:いつも罵倒されまくってるんですけど? イズモ:それはね、自分が罵倒されていると思うからそうなるの。そう思わなければ、いじめられてるってことにならないわよ。 ハリマ:何ですか、そのブラック企業の社長の名言みたいなの。 ミマサカ:ハリマ君。今イズモが言ったこと、あながち間違いではないんだよ。 ハリマ:どういうことです? ミマサカ:先ほどの「文字禍」の話に戻るけれどね。この作品で言及されている「文字の霊」の力の本質は、様々な現象に意味を与えるということなんだ。 ハリマ:意味……? それ、難しい話ですか? ミマサカ:大学生なら理解してほしい話だね。人間は様々な現象に言葉を用いて名前を付けることによって、それに「意味」を与えて自分で理解できるものにしてきたという歴史があるんだ。 先ほど君が言った「イズモに君が罵倒されている」という事実を例にとってみると、君がイズモにされていることを「罵倒されていて、いじめられている」と言葉で意識することによって、自分が罵倒されているという事実を認識できるようになる。仮に「罵倒」「いじめ」という言葉を君が知らなかった場合、イズモが自分に対して何か言ってきているけれど、それが何なのかよくわからないということになるかもしれない。それが―― イズモ:(遮って)例がわかりづらいわよ、センセイ。ほら、ハリマくんとミノの目が点になってるわ。 ハリマ:す、すみません。僕には少し早すぎたみたいです。 ミノ:ミノにも早すぎた。ちんぷんかんぷん。 ミマサカ:失敬失敬。いや、悪い癖だね。熱くなると周囲が見えなくなってしまう。 イズモ:研究者ならそれでいいのかもしれないけれど。講師としての仕事もしているのなら、少しは直した方がいいでしょうね。 ミマサカ:イズモの言うとおりだ。ただね、ハリマくん。「文字禍」で書かれているのは、今言ったような話なんだ。つまり、老学者が「文字の霊」の魔力だと思っているのは、多くの人たちが文字がない時代に意識していない、すなわち存在していなかった現象を、文字が生まれ「意味」が与えられたことによって意識するようになり、存在することにしてしまったということ。それが禍だとね。詳しくは、一回読んでくれたまえ。 イズモ:中島敦全集は、応接室を出てすぐの本棚よ。 ハリマ:あ、はい。ありがとうございます、ミマサカさん、イズモさん。 イズモ:でも、中島敦は文字の禍とやらをそう解釈したみたいだけれど、あたしは少し違うのよね。 ミマサカ:ほう。君も文字の禍について一家言あるのかい? イズモ:一家言なんてたいそうなものじゃないわ。あたしが思う文字の魔力はね。人々に「読む」という快楽を与えてしまったこと。文字によって情報を得る、それがどれだけ気持ちのいいことかを、人類に認識させてしまったことだと思うのよ。だからあたしたちは、活字から逃げることはできないの。本の中に潜んでいる文字の霊が、今日はどんな物語と、その裏にある作家の想いを囁きかけてきてくれるのか。そして、どんな快楽を自分に与えるかを想像せずにはいられない。一種の依存性みたいなものね。 ミマサカ:フフ。実に君らしい意見だね。面白い。 イズモ:改めてそう言われると、なんだか恥ずかしいわね。 ハリマ:いえ、恥ずかしくなんてないです。とても素晴らしい考えだと思います。確かに、本を読んで快楽を得るというのは、人間にしかできない芸当だと思いますし。 ミノ:うん。ミノも本読むの、苦手だけど楽しい。 イズモ:みんなありがとう。まあ、あたしの言う本をろくに読んだこともないハリマくんに言われるのは少し癪だけれど。 ハリマ:イズモさん!? イズモ:ふふっ。冗談よ。 ミマサカ:ああっ、思い出した! ハリマ:わ、びっくりした! イズモ:突然大声出さないでもらえるかしら。で、先輩、どうしたの? ミマサカ:思い出したんだよ。さっきの話のこと。 ハリマ:さっきの話……? セクハラのことですか? ミマサカ:そうじゃあない、ミノくんの話だ。なぜミノくんを見て近づかないほうがいいと思ったのか。学生時代、ミノくんに殴られたことがあるんだ! ハリマ:な、殴られた? ミノちゃんに? イズモ:何かの間違いじゃないの? ミノ、そんなことした記憶あるかしら? ミノ:ミノ、殴ってはいない。……蹴りあげただけ。 ミマサカ:そうだ! そうだそうだそうだ。蹴られたんだ、小生の小生を! ハリマ:小生の小生……ああ。 イズモ:それを表現するのにそんな一人称使わないでもらえるかしら。 ハリマ:でも、ミノちゃんなんでそんなことしたの? ミノ:姉さまとミマサカさんが一緒に夜道を歩いているのを見掛けて。ミマサカさんが姉さまに変なことをしてるんじゃないかって。 イズモ:……多分それ、研究室からの帰りね。 ミマサカ:変なことってなんだ! ちゃんと言ってみたまえ! ハリマ:先生、そういうところ、危ないですよ。それでミノちゃんは手、もとい足が出てしまったと。 ミノ:姉さまの仇、ミノが討たないといけないと思って。 イズモ:不吉なこと言わないで。あたし死んでないわよ。……まあ、これで解決ね。ミノは変に想像力働かせすぎよ。 ミノ:ミノ、文字の霊に憑りつかれてたのかも。 ミマサカ:それを文字の霊の仕業にしないでくれよ。まあ、いいさ。過ぎ去ったことだ。ここは水に流して、仲直りしようじゃないか。 ハリマ:おっ、ミマサカ先生優しい。 イズモ:まあ、三十を過ぎた男がここで数年前の出来事を掘り返して十以上年下の女の子に怒るようじゃ、大人気ないわね。 ミマサカ:うむ。そういうことだよ。それでミノくん、どうだろう。おれの誤解も解けたということで、仲直りでいいかな? ミノ:うん。ミノ、仲直りする。 イズモ:ミノ、えらいわね。 ハリマ:むしろこの件に関してはミノちゃんが加害者なんだけどな。 ミマサカ:いいんだよハリマくん。じゃあミノくん、仲直りの握手といこうか。 ミノ:えっ。 ミマサカ:ん。ミノくん、どうした? ミノ:……ミマサカさん。そういうところ、危ない。 ミマサカ:ああっ!?

ハリマ:あのお、イズモさん。ちょっと聞きたいんですけど。 イズモ:あら、ハリマくん、来たの。今日もまた懲りずに。 ハリマ:懲りずにってなんですか!? イズモ:ああ、間違えたわ。ごめんなさい。今日もまたのこのこと。 ハリマ:マイナスイメージには変わりないんですが? ……もしかして、僕ってあんまり来店喜ばれてない? イズモ:何も買わずに冷やかしばっかりの客を喜ぶ店なんてないわよ。で、今日も冷やかしに来たの? ハリマ:イズモさん酷いですよ……まあ、そうなんですけど。 イズモ:……はあ。 ハリマ:溜息つかれた…… イズモ:今度から、店内で言葉発せるのは購入した本の金額分の文字数までって決まりでももうけようかしら。 ハリマ:僕のせいで変な決まりが制定されようとしている……そういや、どうして何も買わない客のこと「冷やかし」っていうんですかね? イズモ:あなた。お店に来て何も買わないばかりか、学生なのに自分でわからないことを調べずに人に聞いて楽をしようとするの? 一体何だったらまともにできるのかしら? ハリマ:質問するだけでこんなに罵倒されたの初めてだ…… イズモ:まあ、あたしはあなたのお母さんでもなんでもないからあなたがどれだけ堕ちようといいのだけれど。冷やかしっていうのはね、元々は遊郭で使われていた言葉なの。新吉原に遊郭ができたとき、その近辺に紙を漉く職人たちが住んでいてね。紙漉きの仕事には原料を水につけている間「待ちの時間」があったのよ。そのひと時だけ、彼らは張見世から遊女を見て回ることができた。もちろん遊女を買う時間はないから見て回るだけ、ね。 ハリマ:へえぇ、そういうことなんですね。原料を水につけているのを「冷やかす」って言った、みたいな感じですか。 イズモ:そう。そうやって遊郭を回ることを「素見騒き(すけんぞめき)」とも言うわ。「ぞめき」は、今でも落語の題目などに残ってるわね。 ハリマ:ぞめき……聞いたことないです。 イズモ:まあ、落語を聞かない人は知らなくて当然だし。江戸の風を微塵も感じないあなたが知らないのは当然よ。安心して。 ハリマ:世界一安心できない「安心して」ですよ…… イズモ:それで、あたしにそんな講釈を求めたわけだけれど。元々何か聞きたいことがあったんじゃないのかしら? ハリマ:ああ、そうだ。あれ、なんですか? イズモ:あれ? 何かしら。 ハリマ:通路を挟んで、ミマサカ先生とミノちゃんが威嚇しあってるんですけど。ずっと。 イズモ:ずっとって。あなたよくあれを見た後のんきに「冷やかし」の意味を聞けたわね。 ハリマ:何か気になったので。で、なんであの二人あんな向き合って威嚇しあってるんですか? イズモ:威嚇というか、ただにらみ合ってるだけに見えるけれど。 ハリマ:いやほら、ずっとあんな感じなので、僕たちには見えないオーラ的なものでやりあってるのかと。 イズモ:漫画の読みすぎよ。そして、あの二人がなぜこんなことになっているのかをあたしに聞かれても知らないとしか答えようがないわ。本人に聞いたらどう? ハリマ:いやあ、なんか今本人たちに話しかけづらいじゃないですか。 イズモ:はあ……まあ、店内でああやって固まられても困るわね。 二人とも。いったい何をしてるの? 0:(間) ハリマ:二人とも、まったく反応しませんね。 イズモ:まったく。うち、古本屋であって古着屋じゃあないからマネキンなんていらないのだけれど。 ハリマ:古着屋だったらマネキンにしてるんですか…… イズモ:ちょっと、ミノ。こっち向きなさい。 ミノ:はっ、姉さま。こっち来ちゃダメ。女の敵がいるから。 イズモ:女の敵……? ハリマ:なんで僕の方を見るんですか! 違いますよ! イズモ:……よねえ。ミノ、いったい誰のことを言ってるのかしら? ミノ:こいつ。前に姉さまをたぶらかしてたの、見たことある。 ハリマ:ええっ、ミマサカ先生? イズモ:……何かの勘違いじゃないかしら? ハリマ:ミマサカ先生、こんなこと言われてますけど? 大丈夫ですかー? ミマサカ先生―? ミマサカ:知らない女学生……近づいたらセクハラ扱いされる……半径三メートル以内に近づいたら…… ハリマ:こっちはこっちでよくわからないことになってるみたいですよ。 イズモ:半径三メートルとか、こいつこの店の広さわかってるのかしら。この通路そんな広くないわよ。 ハリマ:突っ込みどころそこですか! イズモ:まったくもう。ちょっと、人の店で変なことつぶやくのやめて頂戴。 ミノ:あ、姉さま。近づいちゃダメ! イズモ:きゃっ! ハリマ:イズモさん!? 大丈夫ですか? イズモ:ええ、大丈……ハリマくん、後ろ! ハリマ:えっ…… 0:(ハリマの背後の段ボールの山が崩れ、ハリマの頭上から中に入っていた本が落ちてくる) ハリマ:うわっ! イズモ:ハリマくん! 大丈夫? ハリマ:あたたたた……はい、大丈夫です。 イズモ:はあ。……ミノ、先輩。いい加減にしてもらえるかしら。ふざけたことをやめないのなら、金輪際この店の敷居を跨がせないわよ。 ミノ:ごめんなさい。 イズモ:先輩も、わかったかしら。 ミマサカ:セクハラ……パワハラ……アカハラ……キヨハラ…… イズモ:そう。ちょっとお灸をすえてあげないといけないみたいね。ハリマくん、ちょっとこれ持っててもらえるかしら。 ハリマ:あ、はい。……指輪? イズモ:ふんっ。 (イズモの右ストレートがミマサカの顔面にクリーンヒット) ミマサカ:ぶぼっ! イズモ:ミマサカ先輩、お目覚めかしら? ミマサカ:ぐっ……イズモくん……いい拳だ…… イズモ:もう一発、いっておきましょうか? ミマサカ:いえ、結構です。 イズモ:とりあえず、三人とも奥の応接室に来てもらえるかしら。ハリマくん、立ち上がれる? ハリマ:あ、はい。いけます。 0:(夜見書堂奥、応接室) イズモ:それで。まず二人とも、言うことがあるんじゃないかしら? ミノ・ミマサカ: ハリマ:ああいえ、僕は大丈夫です。 イズモ:ハリマくんは大丈夫かもしれないけれど、大切な本が台無しよ。 ハリマ:僕よりも本ですか!? イズモ:当たり前でしょう。小さい子どもならまだしも、男子大学生よ? 数十冊の本被ったくらいじゃ死なないわ。せいぜい目に当たって失明とか、その程度よ。 ハリマ:その程度って、大惨事なんですけど? ミノ:姉さま……ごめんなさい。 イズモ:とりあえずミノは何を勘違いしているのかわからないけれど。ミマサカ先輩は能力がない代わりに害もない人だから。安心なさい。 ミノ:わかった。姉さま、信じる。 ハリマ:ミマサカ先生はいったい何だったんですか、セクハラとかパワハラとか言ってましたけど。 ミマサカ:ああいや、最近うちの大学もその辺うるさくてね。今日もここに来る前に教授会議があって、とある女学生がうちの教授からセクハラまがいのことをされたと。そういうことを言ってきたと議題に上がってたんだ。 ハリマ:うちの教授って、ヒゴ先生ですか? ミマサカ:うん、そうだよ。 ハリマ:さすがにやってないですよね、セクハラとか。 ミマサカ:いや。多分やってる。 ハリマ:やってるんですか!? イズモ:むしろ、「まがい」で済んでいるのが不思議なくらいね。 ミマサカ:正直ね。教授には冗談抜きで職を追われることになりかねないからやめてくださいと言ったんだが。自分も気を付けないと問題になりかねないと思ってね。 イズモ:でも、それはそうと、どうしてミノを前にあんなに固まってたのかしら。 ミノ:姉さま。その話はもう、いい。 イズモ:あら、どうしたの、ミノ。 ミマサカ:いや、なぜかは自分でもわからないんだ。……ただ、ミノくんだっけ? の顔を見た途端、本能的に近づいてはならないと思ってね。多分、女性に近づいちゃいけないが、タイムリーなセクハラとかの言葉につながったのだと思う。 イズモ:人の妹に近づいちゃいけないとか、失礼ね。 ミマサカ:えっ、この子は君の妹なのかい? それは失敬した。 ミノ:姉さま、ミノは大丈夫だから。 ハリマ:本能的に……? ミマサカ先生、女性恐怖症でしたっけ? イズモ:そんなわけないでしょ。先輩奥さんもいるし、こないだだってスオウさんとふつうにしゃべってたじゃない。 ハリマ:あ、そうだ。スオウは女として見られてなかったとか……? ミマサカ:まさか。まあ確かにスオウくんは女性というより前に野性を感じるものの……いやいや、立派に魅力的な女性だよ。 イズモ:先輩。そういうところ、危ないわよ。 ミマサカ:あっ。 ミノ:多分、この人何か勘違いしてるだけだから。この話はここで終わりにしよ。 イズモ:……まあいいわ。本は修繕できなくもないし、ハリマくんも無傷みたいだから。ハリマくん、本でよかったわね。これが石板とかだったら、死んでたかもしれないわ。 イズモ:? あ、はい。ありがとうございます。 ミマサカ:……文字禍、か。 ミノ:文字禍……聞いたこと、ある。 ハリマ:モジカ? なんでしたっけ。魔法少女もののアニメか何かですか? イズモ:……。 ミノ:……。 ミマサカ:……。 ハリマ:あれ、僕また何かやっちゃいました? イズモ:この場で自分だけが聞いたことがないばかりでなく、そんなふざけた連想をしたことをまず恥じなさい。 ミノ:ハリマさん、ほんとに大学生? ミマサカ:今のはさすがにおれも擁護できないなあ。 ハリマ:うぅ……ごめんなさい。 ミノ:ハリマさん、前に会った時より謝るのがスムーズになった。 ハリマ:あんまりうれしくない評価…… ミマサカ:「文字禍」は、中島敦の小説だよ。中島敦は知ってるだろう? ハリマ:中島敦は知ってます。「山月記」書いた人ですよね。 ミノ:山月記……ミノ、苦手。 ハリマ:あれ、ミノちゃん苦手なの? ミノ:難しい言葉多くて……調べるの大変だった。 イズモ:確かに。「山月記」は、高校一年生の教科書に採用されていることが多いけれど、漢語を中心とした語彙で、壁にぶつかる生徒たちも多い作品ね。 ミマサカ:内容も虎になった俊才が旧友と出会うというシンプルな筋に対して、そのテーマは非常に感覚的で漠然としたものだからね。それで苦手だと思う人も多いだろうね。 ハリマ:僕も思い出しました。「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」ですよね。あれ当時よくわからなかったなあ。 ミノ:ハリマさん、やめて。それ聞くとミノ、頭がおかしくなりそうになる。 ハリマ:そ、そんなに? イズモ:ミノはうちの家族には珍しく、国語苦手なのよね。 ハリマ:確かに珍しいですね。イズモさんはこんなんだし、ヒュウガも日文に進学したのに。 イズモ:こんなん、って何かしら? ミマサカ:まあ、誰しも苦手なことはあるものだよ。 ハリマ:えーっと、それで。先ほど出た文字禍、でしたっけ。どんな作品なんですか。 ミノ:ハリマさん、人に聞くならまず、読んだ方がいい。調べる癖をつけないと、ろくな大人にならない。 ハリマ:ミノちゃんにまで言われてしまった。 ミノ:ごめんなさい。 イズモ:いいのよ、ミノ。正論なんだから。 ミマサカ:まあまあ。せっかく話題に出たことだし、軽くだけれど。古代メソポタミアの国の話でね。「文字の霊」の力について思索をしたとある老博士が、周囲に存在する様々な悪い要素をすべてこの文字の霊のせいではないか、と考えてしまうという話だよ。 イズモ:老博士は自分の意見を時の大王に具申するのだけれど、残念ながらその意見は大王の不興を買ってしまうの。そして、最後には地震で崩れてきた石板の下敷きになって死んでしまう。まるで自分たちのことを讒言した博士に怒り狂った精霊たちが、呪いを与えたかのように、ね。 ハリマ:なるほど。それでさっき、石板だったらって言ったわけですか。 イズモ:ええ。古代は石板に文字を刻んでいたから、当時の書物というのは石板のことだったのよ。本なら軽いけれど、石板だったら、今頃ハリマくんもぺしゃんこよ。 ハリマ:うえっ。そう考えると、本でよかったですね。 イズモ:少し残念でもあるけれど、ね。 ハリマ:どういうことですか! それ! イズモ:ふふっ。冗談よ。 ミノ: 石板じゃなくてよかった。石板だったらミノ、殺人犯になってたかも。 イズモ:あたしが不幸な事故って証言するから大丈夫よ。 ミノ:姉さま、ありがとう。 イズモ:捕まっちゃったらカイとも離れ離れになっちゃうものね。 ハリマ:あれ、そういえば今更だけど、今日はミノちゃんヒュウガと一緒じゃないんだ。 ミノ:うん。兄さま、今バイト行ってる。だからミノ、姉さまのところに来た。 ハリマ:この店って託児所じゃないですよね? イズモ:失礼ね。ミノは妹だし、手伝いに来てくれたのよ。それに、この店は喫茶店でもないわよ。 ハリマ:あ、はい…… ミノ:ハリマさん、姉さまに頭上がらないね。 ハリマ:うん。イズモさんに頭が上がらないどころか、いつもいじめられてるんだ。 イズモ:あら、いじめてなんていないわよ。 ハリマ:いつも罵倒されまくってるんですけど? イズモ:それはね、自分が罵倒されていると思うからそうなるの。そう思わなければ、いじめられてるってことにならないわよ。 ハリマ:何ですか、そのブラック企業の社長の名言みたいなの。 ミマサカ:ハリマ君。今イズモが言ったこと、あながち間違いではないんだよ。 ハリマ:どういうことです? ミマサカ:先ほどの「文字禍」の話に戻るけれどね。この作品で言及されている「文字の霊」の力の本質は、様々な現象に意味を与えるということなんだ。 ハリマ:意味……? それ、難しい話ですか? ミマサカ:大学生なら理解してほしい話だね。人間は様々な現象に言葉を用いて名前を付けることによって、それに「意味」を与えて自分で理解できるものにしてきたという歴史があるんだ。 先ほど君が言った「イズモに君が罵倒されている」という事実を例にとってみると、君がイズモにされていることを「罵倒されていて、いじめられている」と言葉で意識することによって、自分が罵倒されているという事実を認識できるようになる。仮に「罵倒」「いじめ」という言葉を君が知らなかった場合、イズモが自分に対して何か言ってきているけれど、それが何なのかよくわからないということになるかもしれない。それが―― イズモ:(遮って)例がわかりづらいわよ、センセイ。ほら、ハリマくんとミノの目が点になってるわ。 ハリマ:す、すみません。僕には少し早すぎたみたいです。 ミノ:ミノにも早すぎた。ちんぷんかんぷん。 ミマサカ:失敬失敬。いや、悪い癖だね。熱くなると周囲が見えなくなってしまう。 イズモ:研究者ならそれでいいのかもしれないけれど。講師としての仕事もしているのなら、少しは直した方がいいでしょうね。 ミマサカ:イズモの言うとおりだ。ただね、ハリマくん。「文字禍」で書かれているのは、今言ったような話なんだ。つまり、老学者が「文字の霊」の魔力だと思っているのは、多くの人たちが文字がない時代に意識していない、すなわち存在していなかった現象を、文字が生まれ「意味」が与えられたことによって意識するようになり、存在することにしてしまったということ。それが禍だとね。詳しくは、一回読んでくれたまえ。 イズモ:中島敦全集は、応接室を出てすぐの本棚よ。 ハリマ:あ、はい。ありがとうございます、ミマサカさん、イズモさん。 イズモ:でも、中島敦は文字の禍とやらをそう解釈したみたいだけれど、あたしは少し違うのよね。 ミマサカ:ほう。君も文字の禍について一家言あるのかい? イズモ:一家言なんてたいそうなものじゃないわ。あたしが思う文字の魔力はね。人々に「読む」という快楽を与えてしまったこと。文字によって情報を得る、それがどれだけ気持ちのいいことかを、人類に認識させてしまったことだと思うのよ。だからあたしたちは、活字から逃げることはできないの。本の中に潜んでいる文字の霊が、今日はどんな物語と、その裏にある作家の想いを囁きかけてきてくれるのか。そして、どんな快楽を自分に与えるかを想像せずにはいられない。一種の依存性みたいなものね。 ミマサカ:フフ。実に君らしい意見だね。面白い。 イズモ:改めてそう言われると、なんだか恥ずかしいわね。 ハリマ:いえ、恥ずかしくなんてないです。とても素晴らしい考えだと思います。確かに、本を読んで快楽を得るというのは、人間にしかできない芸当だと思いますし。 ミノ:うん。ミノも本読むの、苦手だけど楽しい。 イズモ:みんなありがとう。まあ、あたしの言う本をろくに読んだこともないハリマくんに言われるのは少し癪だけれど。 ハリマ:イズモさん!? イズモ:ふふっ。冗談よ。 ミマサカ:ああっ、思い出した! ハリマ:わ、びっくりした! イズモ:突然大声出さないでもらえるかしら。で、先輩、どうしたの? ミマサカ:思い出したんだよ。さっきの話のこと。 ハリマ:さっきの話……? セクハラのことですか? ミマサカ:そうじゃあない、ミノくんの話だ。なぜミノくんを見て近づかないほうがいいと思ったのか。学生時代、ミノくんに殴られたことがあるんだ! ハリマ:な、殴られた? ミノちゃんに? イズモ:何かの間違いじゃないの? ミノ、そんなことした記憶あるかしら? ミノ:ミノ、殴ってはいない。……蹴りあげただけ。 ミマサカ:そうだ! そうだそうだそうだ。蹴られたんだ、小生の小生を! ハリマ:小生の小生……ああ。 イズモ:それを表現するのにそんな一人称使わないでもらえるかしら。 ハリマ:でも、ミノちゃんなんでそんなことしたの? ミノ:姉さまとミマサカさんが一緒に夜道を歩いているのを見掛けて。ミマサカさんが姉さまに変なことをしてるんじゃないかって。 イズモ:……多分それ、研究室からの帰りね。 ミマサカ:変なことってなんだ! ちゃんと言ってみたまえ! ハリマ:先生、そういうところ、危ないですよ。それでミノちゃんは手、もとい足が出てしまったと。 ミノ:姉さまの仇、ミノが討たないといけないと思って。 イズモ:不吉なこと言わないで。あたし死んでないわよ。……まあ、これで解決ね。ミノは変に想像力働かせすぎよ。 ミノ:ミノ、文字の霊に憑りつかれてたのかも。 ミマサカ:それを文字の霊の仕業にしないでくれよ。まあ、いいさ。過ぎ去ったことだ。ここは水に流して、仲直りしようじゃないか。 ハリマ:おっ、ミマサカ先生優しい。 イズモ:まあ、三十を過ぎた男がここで数年前の出来事を掘り返して十以上年下の女の子に怒るようじゃ、大人気ないわね。 ミマサカ:うむ。そういうことだよ。それでミノくん、どうだろう。おれの誤解も解けたということで、仲直りでいいかな? ミノ:うん。ミノ、仲直りする。 イズモ:ミノ、えらいわね。 ハリマ:むしろこの件に関してはミノちゃんが加害者なんだけどな。 ミマサカ:いいんだよハリマくん。じゃあミノくん、仲直りの握手といこうか。 ミノ:えっ。 ミマサカ:ん。ミノくん、どうした? ミノ:……ミマサカさん。そういうところ、危ない。 ミマサカ:ああっ!?