台本概要

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タイトル 善の鬼 第五章「弟弟子」
作者名 Oroるん  (@Oro90644720)
ジャンル 時代劇
演者人数 4人用台本(不問4) ※兼役あり
時間 40 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 善鬼は典膳との絆を深めていく
更に、穂邑との将来も、夢見るようになっていた
しかし、それらを利用しようとする一刀斎がいた

・演者性別不問ですが、役性別変えないようにお願いします
・時代考証甘めです
・軽微なアドリブ可

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
善鬼 246 小野善鬼(おのぜんき)一刀流の剣士
穂邑 92 ほむら。女郎。
典膳 70 神子上典膳(みこがみてんぜん)善鬼の弟弟子
一刀斎 46 伊東一刀斎(いとういっとうさい)一刀流創始者
13 欅楼の馴染み客 ※一刀斎との兼ね役推奨
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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0:一刀斎襲撃から数ヶ月後、欅楼 穂邑:そういえば、例の弟弟子とはどうなんだい?少しは仲良くなれたのかい? 善鬼:ああ、その事なんだがよ。 善鬼:・・・おめえ、すげえな。 穂邑:は? 善鬼:おめえの言う通りになったんだよ。俺が真剣に立ち合ってる姿を見してやりゃ良いって言ってたろ? 穂邑:ああ。 善鬼:この前、先生の命令で武芸者と立ち合ったんだ。相手は、かなりの手練れ(てだれ)でよ、下手すりゃ、俺もやられるかもしれなかった。 穂邑:・・・ 善鬼:(深く息をする) 善鬼:『俺たちはしばし対峙していた。側(はた)からは、ただ突っ立っているだけに見えたかもしれない。』 善鬼:『しかし、俺たちの「気」は、激しく打ち合っていた。』 善鬼:(先程より短い間隔で呼吸する) 善鬼:『徐々に俺の気が打ち勝つようになり、相手が焦っているのが分かった。俺はゆっくりと剣を抜く。俺の気は、相手を制しつつあった。』 善鬼:! 善鬼:『そしてついに、俺の気が相手を捉えた。』 善鬼:はあっ! 善鬼:『俺は剣を振るい、相手は血を吹き出し倒れた。』 善鬼:(激しく息をつく) 穂邑:『それを、その弟弟子が見てたのかい?』 善鬼:『ああ。隠れて覗いてたらしい。そんで帰ったらよ・・・』 典膳:お帰りなさいませ、兄者! 善鬼:うわっ! 典膳:立ち合い、お疲れ様でございました!朝食(あさげ)の支度ができております! 善鬼:な、何だあ?兄者って、俺のことか? 典膳:はい!兄弟子は、実の兄の様に敬う(うやまう)。それが武芸者の習わしですから。 善鬼:それは知ってるけどよ、何でそんな急に・・・ 典膳:・・・ 0:典膳、善鬼の前に土下座する。 善鬼:な、何だ?何の土下座だよ? 典膳:これまでの数々のご無礼、何卒お許し下さい! 善鬼:あ? 典膳:私は、兄者の事を見誤っておりました!兄者こそ真(まこと)の剣豪です! 典膳:あの気迫、太刀捌き、私は感服致しました! 善鬼:もしかして、昨日の立ち合い見てたのか? 典膳:これからも何卒、ご指導、ご鞭撻(ごべんたつ)の程、宜しくお願い申し上げます! 善鬼:お、おう・・・ 典膳:さあ、朝食(あさげ)をお召し上がり下さい! 善鬼:ありがてえけどよ、別に腹は減ってねえんだ・・・ 典膳:では、湯浴み(ゆあみ)をなさいますか?今すぐ沸かして参ります! 善鬼:いや、俺風呂は嫌いだから・・・ 典膳:でしたら、肩でもお揉みしましょう!兄者、失礼します! 善鬼:だからいらねえって! 典膳:足?足ですか!?私足揉みも得意なんです! 善鬼:ええい、鬱陶しい(うっとうしい)! 典膳:(足を揉みながら)あ、やっぱり凝ってますねえ。 善鬼:そ、そうか?・・・じゃねえ!何勝手に揉んでんだ! 善鬼:おめえ、極端に変わり過ぎだ! 善鬼:・・・という具合でよ。生意気なのが直ったのは良かったんだが、今度は妙に懐かれ(なつかれ)ちまってな。 穂邑:(笑いながら)良い事じゃないか。 善鬼:何にも良くねえよ!鬱陶しいったらありゃしねえ。 穂邑:可愛がってやる事だね。 善鬼:うるせえ。 穂邑:(笑う) 善鬼:(ため息)ちょっと飲み過ぎたかな。そろそろ帰るわ。 穂邑:・・・また、帰っちまうのかい? 善鬼:また来るからよ。 穂邑:そういう事言ってんじゃないよ。 善鬼:何がだよ? 穂邑:分かってるくせに。 善鬼:分かんねえな。俺頭悪いからよ。 穂邑:・・・ 善鬼:じゃあな・・・(立ち上がった瞬間、よろめく)っと。 穂邑:大丈夫かい?足元がおぼつかないよ? 善鬼:大丈夫大丈夫、ちょっと酒が回って(穂邑の上に倒れ込む)うわあっ! 穂邑:きゃっ! 善鬼:いたた・・・す、すまねえ。大丈夫、か・・・ 穂邑:(吐息混じりの息遣い) 善鬼:『俺の目の前に、とらの顔があった。いつもの伽羅(きゃら)の香りが、鼻の奥を付いた。』 穂邑:・・・あんた、いつまでこんな事やってんだい? 善鬼:なに、が・・・ 穂邑:ここは女郎屋で、私は女郎だよ? 善鬼:・・・ 穂邑:何を躊躇(ちゅうちょ)してるのか知らないけど、もう良いじゃないか。 善鬼:『体中が熱くなる。心臓が早鐘(はやがね)を打つ。』 善鬼:『今まで、とらを抱くことができなかった。それは、とらにこんな生き方をさせた罪悪感があったから。』 善鬼:『だけど・・・酒のせいか、いつもとは違う考えが頭に浮かんでくる。』 穂邑:いつまで、私を待たせるんだい? 善鬼:(もう構わねえんじゃねえか?俺は客で、銭だって払ってるじゃねえか) 善鬼:(いいや!それ以前に、俺たちは惚れ合ってるはずだ。だったら、何を躊躇う(ためらう)ことがある。) 穂邑:・・・意気地なし。 善鬼:っ! 善鬼:『その言葉で、俺の最後の理性は吹き飛んだ。』 穂邑:あっ・・・ 善鬼:『俺はとらを抱き寄せた』 善鬼:とら・・・とら! 善鬼:『ずっと、ずっとこうしたかった!俺はとらを抱きしめる腕に力を込めた。』 穂邑:善鬼さん・・・ 善鬼:『とらも俺の背中に腕を回す。もうかつての名では呼んでくれない。』 善鬼:『しかし、もうそんなことはどうでも良くなっていた。俺は震える手で、着物の襟(えり)に手をかけた。』 穂邑:っ! 善鬼:『着物を肩までずり下げた。とらの白い肌が露わ(あらわ)になる。』 善鬼:『こんなに綺麗な物、生まれて初めて見た、と思った。』 穂邑:痛くしちゃ・・・嫌だよ? 善鬼:『耳元で鳴る囁き声で、頭に霧がかかったようになる。俺は夢中で着物の帯を掴んだ。だが・・・その手が止まった』 穂邑:? 善鬼:・・・何だこれ? 善鬼:『とらの右肩に、赤黒い痣(あざ)のようなものが見えた。背中の方まで続いているようだ。』 穂邑:こ、これは・・・ 善鬼:見せろっ! 穂邑:あっ! 善鬼:『俺はとらの体を裏返し、背中をはだけさせた。』 穂邑:ちょっと! 善鬼:っ! 善鬼:『とらの背中には、赤黒い線が何本も走っていた。それは火傷の痕(あと)のように見えた』 善鬼:これ、どうしたんだ? 0:穂邑、善鬼の方に向き直り着崩れた着物を直す。 穂邑:別に、何でもないよ。 善鬼:何でもないわけねえだろ! 穂邑:大した事ないさ。ちょっと馬鹿な客にやられたんだよ。 善鬼:・・・ 穂邑:そいつ、女が苦しんだり痛がってるのを見るのが好きなんだと。この背中の痣(あざ)は、熱した火箸(ひばし)を押し付けられた痕さ。 善鬼:何て酷えことを! 穂邑:まあ、もう慣れたし大丈夫だよ。「いなし方」も心得たもんさ。 善鬼:「慣れた」? 善鬼:どういうことだ?そいつまだ通ってんのか? 穂邑:あ、ああ、時々ね。 善鬼:何でだよ!?そんな事するやつ、店に来れなくなるんじゃねえのか!? 穂邑:それが、そうもいかなくてね。・・・そいつ、武家なんだよ。それも結構な名家らしくてね。 穂邑:銭もちゃんと払ってるし、出入り禁止にも出来ないのさ。 善鬼:馬鹿な、そんな外道を・・・ 穂邑:本当に大丈夫だからさ。 穂邑:・・・そんな事より・・・ねえ、続きを・・・ 善鬼:・・・ 0:善鬼、立ち上がる。 穂邑:どうしたんだい? 善鬼:・・・帰る。 穂邑:え? 善鬼:じゃあな。 穂邑:ちょ、ちょっと! 0:善鬼、部屋を出て行く。 穂邑:・・・どうしたんだ、一体? 穂邑:せっかく、その気になったかと思ったのにさ。 0:善鬼、欅楼の廊下を歩きながら。 善鬼:・・・俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ・・・ 0:数日後、欅楼の近く 客:へへへ、今日はどうやって痛ぶってやろうかなあ? 客:穂邑(ほむら)のやつ、最近小慣れてきたみたいだから、もっと無茶しても構わんだろ。 善鬼:おい。 客:あ?何だ貴様は? 善鬼:あんた、欅楼(けやきろう)の常連だろ? 客:だったら何なんだ? 善鬼:悪いんだけど、もうあの店に通うの、辞めてもらえねえかな? 客:何だと? 善鬼:聞いたぜ。あんた随分と女の扱いが乱暴なんだってな。 善鬼:そいつはいけねえよ。店のもんも皆迷惑してんだ。 客:店に雇われた用心棒か?俺を誰だと思っている? 善鬼:いや、俺は店とは関係ねえんだ。 客:だったら尚更だ!何故貴様の指図を受けねばならんのだ! 善鬼:そんな事言わねえでさ、頼むよ。ここは一つ、俺に免じて。な? 0:善鬼、頭を下げる。 客:ふざけるな!さっさと去(い)ね! 善鬼:そいつはできねえな。 客:だったら! 0:客、刀を抜く。 客:こいつの錆(さび)にしてくれようか? 善鬼:・・・抜きやがったな? 客:あ? 0:善鬼、頭を上げる。 善鬼:おめえに一つ良い事を教えてやるよ。 善鬼:武芸者に得物(えもの)を向けるって事はな・・・ 善鬼:・・・自分がいつ斬られても構わねえって、言ってるのと同じなんだぜ。 客:何ぃ! 善鬼:はあっ! 0:善鬼、居合で客の首筋を切り裂く。 客:かはっ!・・・がっ!(倒れる) 善鬼:『男の首筋から勢いよく血が吹き出した。そのまま俺の足元に倒れ込むと、やがて動かなくなった。』 善鬼:(激しく息をつく) 町人の女:(悲鳴) 町人の男:つ、辻斬りだあー! 善鬼:(舌打ちする) 善鬼:『俺は剣を鞘に納め、走り出した』 善鬼:(あいつを傷付ける奴は許さねえ!もう、これ以上・・・) 0:数日後、欅楼 穂邑:えっ!あの客、死んだのかい?辻斬りに遭って? 穂邑:『突然の話だった。あの乱暴な客が、この店の近くで、首を斬られて死んだというのだ。』 穂邑:『店の皆は喜んでいたが、私の胸中は穏やかではなかった。』 穂邑:まさか、ね。 0:一刀斎達が間借りしている道場。善鬼と典膳が稽古している。 典膳:やああああっ! 0:典膳、善鬼に打ち込む。 善鬼:よっと!ふんっ! 0:善鬼、典膳をかちあげる。 典膳:くっ! 善鬼:間を空けるな!すぐに打ち込め! 典膳:いやあああ! 0:典膳、再度打ち込む。 善鬼:そうだ!相手に休む暇を与えるな! 典膳:はいっ! 0:二人の間合いが離れる。 善鬼:・・・なかなかやるようになってきたじゃねえか。 典膳:ありがとうございます!これも兄者のご指導の賜物(たまもの)です! 善鬼:そろそろ、「あれ」を教える時か・・・ 典膳:「あれ」とは何ですか? 善鬼:・・・ 典膳:兄者? 善鬼:言っておくが、これはかなり危険な技だ。使えば、おめえもただじゃすまねえ。 典膳:・・・ 善鬼:覚悟はあるか? 典膳:もちろんです! 善鬼:・・・わかった。木刀を構えろ! 典膳:はいっ! 善鬼:そのまま全身に気を漲(みなぎ)らせるんだ。一瞬たりとも相手から目をそらすな! 典膳:はいっ! 善鬼:良いぞ、その調子だ。相手も気を発してくる。 善鬼:お互いの気がぶつかり合い、最高潮に高まった瞬間・・・ 典膳:(息を飲む) 善鬼:思いっきり屁をこけ! 典膳:はいっ!・・・へ?えっ?? 善鬼:さあ、早くぶちかませ! 典膳:いや、急に言われても・・・ではなく!そんな事できません! 善鬼:真剣勝負の最中、屁なんかこいてみろ。相手はぜってぇ怯む(ひるむ)。 善鬼:その隙に斬りつけりゃあ、百戦百勝よ! 典膳:よくそんな下らない事を思い付きますね。 善鬼:下らないとは何だ!これも立派な兵法(ひょうほう)じゃねえか! 典膳:どこが兵法ですか! 典膳:人前で、ほ、放屁(ほうひ)をするなど、武士として、いや人としてあるまじき行為です! 善鬼:何が放屁だ?気取ってんじゃねえぞ! 善鬼:じゃあ何か。おめえは、今まで人前で屁をこいた事が無いってのか? 典膳:ありません! 善鬼:・・・あるだろ? 典膳:あ・り・ま・せ・ん! 善鬼:いいや、あるね。 典膳:無いと言ったら無いんです! 善鬼:ある! 典膳:ない! 善鬼:ある! 典膳:ない! 善鬼:ある! 典膳:ない! 善鬼:ない! 典膳:ある!・・・あれ? 善鬼:やっぱりあるんじゃねえか! 典膳:くっ!卑怯な! 善鬼:卑怯?戦いに卑怯なんて言葉は存在しねえ! 典膳:何が戦いですか!・・・とにかく!私が人前で放屁をすることなどあり得ません! 善鬼:ほほう?じゃあ、もし俺の前で屁をこいたら、おめえどうするよ? 典膳:そ、その時は・・・ 善鬼:その時は? 典膳:は、腹を斬ります! 善鬼:ええっ!?そんな事言っちまって良いのか? 典膳:無論です! 善鬼:じゃあ約束だ!もし俺の前で屁をこいたら、おめえは潔く(いさぎよく)腹を斬る。それで良いな? 典膳:武士に二言はありません! 善鬼:よーし・・・(意地悪そうに笑う) 典膳:? 善鬼:(手に息を吹き付ける等で屁の音を出して下さい) 典膳:なっ!? 善鬼:あっ!おめえ今、屁こきやがったな!? 典膳:ち、違います!!兄者が口で音を出したんじゃないですか! 善鬼:うわっ!くっせえ!何食ったらこんなくせえ屁がこけるんだよ。 典膳:臭いなんかしませんよ! 善鬼:さあ約束だ!腹を斬ってもらおうか! 典膳:いい加減にして下さい! 善鬼:(豪快に笑う) 典膳:もう! 善鬼:『典膳をからかうのは楽しかった。俺の下らない冗談に、いちいち真面目に反応するこいつが、可愛かった。』 善鬼:『もし俺に弟がいたなら、こんな感じだったのだろうか?などと思ったりもした。』 一刀斎:誰が腹を斬るって? 善鬼:っ!先生・・・ 典膳:先生!お戻りでしたか。 善鬼:『先生の傷はすっかり癒えていた。あの襲撃からまだ数ヶ月しか経っていないと言うのに、その回復の早さに、皆驚いていた。』 一刀斎:善鬼、すっかりこいつを気に入ったようだな。 善鬼:・・・ 一刀斎:しかし典膳、お前も大変だなあ。こんな百姓上がりに毎日からかわれて。さぞ、腹も立つだろう? 典膳:いえ、そんな事は・・・ 善鬼:『いつも典膳の前では、俺のことを「百姓上がり」と呼んで馬鹿にする。』 善鬼:『それに先生は、典膳の名前はちゃんと覚えていた。俺の時とは違って。』 典膳:すぐ、朝食(あさげ)の支度をします。 一刀斎:待て。 典膳:? 一刀斎:典膳、木刀を持て。稽古を付けてやる。 典膳:え? 善鬼:え? 一刀斎:どうした?俺に稽古を付けて欲しかったのではなかったのか? 典膳:は、はい!ありがとうございます! 善鬼:・・・ 一刀斎:来い。 典膳:行きます。やあああああっ! 善鬼:(何で急に?) 一刀斎:腕だけで剣を振るな。剣を体の一部とせよ。 典膳:はいっ! 善鬼:『先生がまともに指導している所を初めて目にした。俺の時は相変わらず、ただ打ち掛かっていくだけの稽古なのに。』 善鬼:『いや、それすらもしばらくご無沙汰だった。』 一刀斎:もっと丹田(たんでん)に気を込めろ。 典膳:はいっ! 善鬼:『先生に魂胆(こんたん)がないはずが無い。必ず意味があるはずだ。それも、俺に関係した何か・・・』 一刀斎:どうした善鬼、浮かない顔だな?俺が稽古を付けてやる事が不満なのか? 善鬼:いえ、そんな事は・・・ 一刀斎:ならば良い。 善鬼:『まさか、俺と典膳が親しくなったから?』 一刀斎:全て俺の言う通りにせよ。そうすれば、お前は強くなれる。 典膳:はい! 善鬼:『俺を焚(た)き付けるためか、単に面白がっているだけか・・・』 典膳:(激しい息遣い) 善鬼:『典膳を弟弟子にして、本当に良かったのか?』 0:数日後 善鬼:典膳、帰ったぞ。 一刀斎:善鬼、戻ったか。 善鬼:先生。ただ今戻りました。典膳は? 一刀斎:あいつは出かけておる。立ち合いの話があってな。 善鬼:立ち合い? 一刀斎:俺宛の申し込みだったが、あいつを名代(みょうだい)にした。 善鬼:そんな。俺が戻るまで待って頂ければ・・・ 一刀斎:甘やかすな。あいつにも実戦の機会が必要だ。 善鬼:それは、そうですが・・・ 一刀斎:しかし、あいつ驚くだろうなあ。 善鬼:何故です? 一刀斎:それは驚くだろう、相手が大勢いれば。 善鬼:えっ? 一刀斎:立ち合いの相手な、一見したところ大した腕の持ち主ではなかった。 一刀斎:にもかかわらず、俺に挑もうと言うのだ。何か裏があるに決まっている。 善鬼:(動揺しながら)なぜそれだけで、助っ人がいるとわかるのです? 一刀斎:この前、町で噂を聞いたのよ。腕利きを集めている奴がいると。 一刀斎:高名な剣豪に挑むんだそうだ。確証は無いが、恐らくそいつの事だろう。 善鬼:そんな・・・ 一刀斎:噂では四、五人集まったそうだぞ。 善鬼:立ち合いの場所はどこですか!? 一刀斎:心配か?それはそうだろうなあ。可愛い可愛い弟弟子が、死ぬかもしれぬのだからなあ。 善鬼:どこなんです!! 0:町外れ 善鬼:(走っている息遣い) 善鬼:『俺は典膳の元へ急いだ。立ち合いの場所は遠かった。俺は全力で駆けた。早くしなければ、典膳が死んでしまう。』 善鬼:『典膳を鍛えるため?本当にそうだろうか?』 善鬼:『いや違う。先生は俺が慌てるのを分かっていて、わざと仕向けたに違いない。』 善鬼:『典膳のためでは無い、全ては俺を苦しめるため。あいつはそのために利用されたんだ。』 善鬼:(頼む!間に合ってくれ!) 善鬼:(走っている息遣い) 善鬼:『駆け付けた時、典膳はもうボロボロだった。』 典膳:あ、兄者・・・? 善鬼:『しかし、何とか生きていた。もう少し遅かったら、危うかっただろう。』 善鬼:・・・うちの弟弟子を、えらく可愛がってくれたみてえだな。 善鬼:『先生は本当に、恐ろしい人だ。』 善鬼:『このままでは、俺は何か大切なものを失ってしまうのではないか、そう思った』 0:欅楼 善鬼:こ、この度は・・・お、お招きにあずかり、ま、まことに、恐悦地獄(きょうえつじごく)に・・・ 穂邑:恐悦至極(きょうえつしごく)!何だよ、恐悦地獄ってのは! 善鬼:きょ、恐悦至極に・・・ござる! 穂邑:存じます!何でアンタの方が偉そうなんだよ! 善鬼:(ため息)ちょっと休憩にしねえか? 穂邑:まだ始めたばっかりじゃないか!もうちょっと頑張りな! 善鬼:厳しいなあ。 穂邑:誰の為にやってると思ってるんだい! 穂邑:アンタが「偉いお武家様の屋敷に招待されたんで、侍の礼儀作法を教えて欲しい」って言うから、私が一肌脱いでやってるんだろ! 善鬼:そりゃそうだけどよ。 穂邑:大体、礼儀作法ならアンタの先生に教われば良いじゃないか。 善鬼:あのなあ、先生に「礼儀作法を教えて下さい」なんて頼んでみろ。その場ではっ倒されて終わりだぜ? 善鬼:そのくせ、粗相(そそう)したら、それはそれで怒られるしな。 穂邑:だからって、侍の作法を女郎に教わるって言うのはどうなんだい? 穂邑:そりゃ、私達の客には侍もいるから、所作(しょさ)や言葉遣いくらいなら多少は分かるけどさ。 善鬼:そんな事言わないで助けてくれよ!頼めるのはおめえしかいねえんだ! 穂邑:なら、アンタの弟弟子は?確か武家の出じゃなかったかい? 善鬼:ダメだ! 穂邑:なんで? 善鬼:兄弟子が弟弟子に、ものを教わるわけにはいかねえだろ! 穂邑:だから女郎に教わるのは良いのかって・・・あっ、そうか。 善鬼:何だよ。 穂邑:弟弟子に良いとこ見せたいんだろ?だから隠れて稽古してるってわけだ。 善鬼:ばっ!何言ってんだ! 穂邑:そうかそうか。可愛い弟弟子に褒めて貰いたんだねえ。 善鬼:そんなわけあるか!懐かれて困ってるって言っただろうが! 穂邑:どうだかねえ。 善鬼:ふんっ! 穂邑:・・・そういえばさ。 善鬼:ん? 穂邑:この前、馴染みの中に乱暴な客が居るって言ったろ? 善鬼:・・・ああ。 穂邑:そいつさ、死んじまったらしいんだ。この近くで、辻斬りに遭って。 善鬼:そうか。この辺も物騒なんだな。おめえも気をつけろよ。 穂邑:・・・ 善鬼:何だよ? 穂邑:別に・・・ 善鬼:良かったじゃねえか。もうそいつの相手をしなくて良いって事だろ? 穂邑:そう、だね。 善鬼:そんな奴の事、忘れちまえよ。 穂邑:(やっぱり、あんたなのかい?) 善鬼:そんな事は良いから、稽古の続きしようぜ。 穂邑:あ、ああ。先生に怒られないようにしないとね。 善鬼:それもあるけどよ、上手くいったら仕官させてもらえねえかなと思ってよ。 穂邑:え? 善鬼:気に入られたら、家来にしてもらえるかもしれねえだろ? 穂邑:そんな事考えてたのかい? 善鬼:ああ。今までは先生を差し置いて仕官なんかできねえと思ってたけど、俺も先生に弟子入りして長いし、そろそろ一人立ちしても良いかなって。 善鬼:弟弟子もできたから、先生のお世話はそいつに任せりゃ良いし。 善鬼:『本当はそれだけではない。このまま先生の側にいることが、怖くなってきたからだ』 穂邑:そうだね。アンタもそろそろ腰を落ち着けた方が良いよ。 善鬼:・・・あのよ。 穂邑:なんだい、改って。 善鬼:仕官するとなりゃ、俺も正式な侍だ。そうなったらさ・・・ 穂邑:? 善鬼:おめえの事、み、身請けしたいって言ったら、受けてくれるか? 穂邑:、・・身請けして、どうするつもりだい? 善鬼:そんなもん、決まってんだろ!しょ、所帯を持つんだよ! 穂邑:・・・ 善鬼:・・・ 穂邑:・・・バカタレ。 善鬼:え? 穂邑:侍になっただけで身請けなんか出来るわけないだろ!いくらかかると思ってるんだい! 善鬼:え!?侍でも身請けするのに銭がいんのか!? 穂邑:当たり前だよ! 善鬼:そんなあ。 穂邑:全く、考え無しにも程がある。 善鬼:いいや!俺は諦めねえぞ!これから銭稼いで、いつかおめえを身請けするんだ! 穂邑:(少し笑って)はいはい、期待しないで待ってるよ。 善鬼:え? 穂邑:あ? 善鬼:おめえ、今「待ってる」って・・・ 穂邑:あら?そんな事言ったかねえ? 善鬼:言ったじゃねえか! 穂邑:さてねえ?・・・ほら!稽古の続きだよ!侍になるんだろ! 善鬼:お、おう! 穂邑:『彼が、私を身請けしたいと言ってくれた事、照れ臭くて誤魔化した(ごまかした)けど・・・嬉しかった。』 穂邑:『死ぬ程、嬉しかった。』 穂邑:『今まで、他の馴染み客から身請けの話をされたことは何度かあった。』 穂邑:『しかし、全て断ってきた』 穂邑:『きっとそれは、彼の存在があったから。子供の頃から大好きだった、あの人がいたから。』 穂邑:『女郎になって、もう彼と一緒になることは出来ないと諦めていた。その諦めていた夢が、叶うかもしれない。』 穂邑:『私は天にも昇るような気持ちだった。』 穂邑:『お金の問題はある。簡単な事でないのは確かだった。しかし、何年かかっても構わない。』 穂邑:『その希望があるだけで、私は生きていける・・・そう思った。』 0:欅楼の近く、帰り道 善鬼:『欅楼からの帰り道、すれ違う人々が俺の顔を奇妙な目で見ていた。』 善鬼:『理由は分かっている、ずっとにやけているからだ。』 善鬼:(ついに、ついにやったぞ!) 善鬼:『「身請けしたい」と、とらに言った。それまで、全く頭に無かった言葉が、急に口をついて出た。』 善鬼:『いや、きっと想いはあったのだ。ただ、言えなかった。そんな事、許されるはずがないと、きっとそう思っていた。』 善鬼:『しかし、いざ口にしてみれば、長年胸につっかえていた物が取れたような、晴れ晴れ(はればれ)とした気持ちになった。』 善鬼:『これが唯一の道だとさえ思えた。』 善鬼:『これまでたくさん間違えてきた。でも、またやり直せば良い。』 善鬼:『もう良いはずだ。俺たちは、もう許されても良いはずだ!絶対に・・・』 一刀斎:よう、善鬼ではないか。 善鬼:っ! 典膳:兄者・・・ 善鬼:どうして、ここに・・・ 一刀斎:いや何、たまには二人で色街(いろまち)にでも繰り出そうかという話になってな。なあ典膳? 典膳:私は別に・・・ 一刀斎:しかしこんな所でお前に会うとは、奇遇だなあ。 善鬼:『偶然のはずがない。先生は俺がここに来ていると分かっていた。分かっていて、ここに来たんだ。』 一刀斎:もしかして、お前が通っている店というのはこの近くか? 善鬼:! 一刀斎:良い機会だ。その店に案内(あない)せよ。お前の馴染みの女を、一度拝んでみたかったんだ。 善鬼:そ、それは・・・ 典膳:兄者?顔色がお悪いですよ? 善鬼:『先生をとらに会わせるわけにはいかない!会わせれば何に利用されるか、どんな目に遭わされるか。』 一刀斎:どうした?早く案内せんか。 善鬼:その、それはまた次の機会に・・・ 一刀斎:俺の言う事が聞けんのか? 善鬼:(呼吸が荒くなる) 典膳:(兄者?一体どうされたんだ?) 善鬼:『頭の中に白い霧がかかる。そして声が聞こえてくる。』 善鬼:『「先生に逆らってはいけない」』 一刀斎:その女郎も、新しい客が付いたら喜ぶであろう?何の問題がある? 善鬼:せ、先生・・・ 一刀斎:・・・ 善鬼:(震えながら)それだけは・・・どうか・・・ 一刀斎:おいおい、ひどいじゃないか。俺がその女を取って食うとでも言うのか?なあ、典膳? 典膳:は、はあ・・・ 一刀斎:ほら、観念して案内せよ。 善鬼:・・・お願いします・・・そればかりは・・・ 一刀斎:許さぬ。 善鬼:(段々呼吸が速くなり過呼吸気味になる) 典膳:兄者? 善鬼:『「先生の命令ニ逆ラッテハイケナイ」』 一刀斎:お前なあ、いい加減に・・・ 善鬼:っ! 善鬼:『俺は先生の足にしがみついた。』 一刀斎:? 典膳:あ、兄者!人が見ておりますぞ! 善鬼:先生!お願いします!今回だけは・・・ 一刀斎:お前、何やってるんだ? 善鬼:俺はもうこれ以上、あいつを辛い目に遭わせるわけにはいかねえんだ! 典膳:えっ!? 一刀斎:・・・ 善鬼:お願いします、何でもしますから、あいつの事だけは、どうか放っておいて下さい。 善鬼:お願いします!お願いします!! 一刀斎:(ため息)全く、しょうがない奴だな、お前は。 一刀斎:わかった。今日の所は、諦めるとしよう。 善鬼:ほ、本当ですか? 一刀斎:ああ。可愛い弟子がそこまで言うんじゃ仕方ない。典膳、他の店を探すぞ。 典膳:は、はい。 善鬼:・・・ 善鬼:(先生の命令に逆らった?この俺が?) 善鬼:(・・・何だよ、やればできるじゃねえか!) 善鬼:(やっぱりもう大丈夫なんだ!俺は、「とら」と添い遂げられる!) 善鬼:(俺たちは、ようやく・・・) 一刀斎:あ、そうだ。 善鬼:? 一刀斎:お前さっき、「何でもする」と言ったよな? 善鬼:っ! 一刀斎:その言葉、忘れるなよ? 0:つづく

0:一刀斎襲撃から数ヶ月後、欅楼 穂邑:そういえば、例の弟弟子とはどうなんだい?少しは仲良くなれたのかい? 善鬼:ああ、その事なんだがよ。 善鬼:・・・おめえ、すげえな。 穂邑:は? 善鬼:おめえの言う通りになったんだよ。俺が真剣に立ち合ってる姿を見してやりゃ良いって言ってたろ? 穂邑:ああ。 善鬼:この前、先生の命令で武芸者と立ち合ったんだ。相手は、かなりの手練れ(てだれ)でよ、下手すりゃ、俺もやられるかもしれなかった。 穂邑:・・・ 善鬼:(深く息をする) 善鬼:『俺たちはしばし対峙していた。側(はた)からは、ただ突っ立っているだけに見えたかもしれない。』 善鬼:『しかし、俺たちの「気」は、激しく打ち合っていた。』 善鬼:(先程より短い間隔で呼吸する) 善鬼:『徐々に俺の気が打ち勝つようになり、相手が焦っているのが分かった。俺はゆっくりと剣を抜く。俺の気は、相手を制しつつあった。』 善鬼:! 善鬼:『そしてついに、俺の気が相手を捉えた。』 善鬼:はあっ! 善鬼:『俺は剣を振るい、相手は血を吹き出し倒れた。』 善鬼:(激しく息をつく) 穂邑:『それを、その弟弟子が見てたのかい?』 善鬼:『ああ。隠れて覗いてたらしい。そんで帰ったらよ・・・』 典膳:お帰りなさいませ、兄者! 善鬼:うわっ! 典膳:立ち合い、お疲れ様でございました!朝食(あさげ)の支度ができております! 善鬼:な、何だあ?兄者って、俺のことか? 典膳:はい!兄弟子は、実の兄の様に敬う(うやまう)。それが武芸者の習わしですから。 善鬼:それは知ってるけどよ、何でそんな急に・・・ 典膳:・・・ 0:典膳、善鬼の前に土下座する。 善鬼:な、何だ?何の土下座だよ? 典膳:これまでの数々のご無礼、何卒お許し下さい! 善鬼:あ? 典膳:私は、兄者の事を見誤っておりました!兄者こそ真(まこと)の剣豪です! 典膳:あの気迫、太刀捌き、私は感服致しました! 善鬼:もしかして、昨日の立ち合い見てたのか? 典膳:これからも何卒、ご指導、ご鞭撻(ごべんたつ)の程、宜しくお願い申し上げます! 善鬼:お、おう・・・ 典膳:さあ、朝食(あさげ)をお召し上がり下さい! 善鬼:ありがてえけどよ、別に腹は減ってねえんだ・・・ 典膳:では、湯浴み(ゆあみ)をなさいますか?今すぐ沸かして参ります! 善鬼:いや、俺風呂は嫌いだから・・・ 典膳:でしたら、肩でもお揉みしましょう!兄者、失礼します! 善鬼:だからいらねえって! 典膳:足?足ですか!?私足揉みも得意なんです! 善鬼:ええい、鬱陶しい(うっとうしい)! 典膳:(足を揉みながら)あ、やっぱり凝ってますねえ。 善鬼:そ、そうか?・・・じゃねえ!何勝手に揉んでんだ! 善鬼:おめえ、極端に変わり過ぎだ! 善鬼:・・・という具合でよ。生意気なのが直ったのは良かったんだが、今度は妙に懐かれ(なつかれ)ちまってな。 穂邑:(笑いながら)良い事じゃないか。 善鬼:何にも良くねえよ!鬱陶しいったらありゃしねえ。 穂邑:可愛がってやる事だね。 善鬼:うるせえ。 穂邑:(笑う) 善鬼:(ため息)ちょっと飲み過ぎたかな。そろそろ帰るわ。 穂邑:・・・また、帰っちまうのかい? 善鬼:また来るからよ。 穂邑:そういう事言ってんじゃないよ。 善鬼:何がだよ? 穂邑:分かってるくせに。 善鬼:分かんねえな。俺頭悪いからよ。 穂邑:・・・ 善鬼:じゃあな・・・(立ち上がった瞬間、よろめく)っと。 穂邑:大丈夫かい?足元がおぼつかないよ? 善鬼:大丈夫大丈夫、ちょっと酒が回って(穂邑の上に倒れ込む)うわあっ! 穂邑:きゃっ! 善鬼:いたた・・・す、すまねえ。大丈夫、か・・・ 穂邑:(吐息混じりの息遣い) 善鬼:『俺の目の前に、とらの顔があった。いつもの伽羅(きゃら)の香りが、鼻の奥を付いた。』 穂邑:・・・あんた、いつまでこんな事やってんだい? 善鬼:なに、が・・・ 穂邑:ここは女郎屋で、私は女郎だよ? 善鬼:・・・ 穂邑:何を躊躇(ちゅうちょ)してるのか知らないけど、もう良いじゃないか。 善鬼:『体中が熱くなる。心臓が早鐘(はやがね)を打つ。』 善鬼:『今まで、とらを抱くことができなかった。それは、とらにこんな生き方をさせた罪悪感があったから。』 善鬼:『だけど・・・酒のせいか、いつもとは違う考えが頭に浮かんでくる。』 穂邑:いつまで、私を待たせるんだい? 善鬼:(もう構わねえんじゃねえか?俺は客で、銭だって払ってるじゃねえか) 善鬼:(いいや!それ以前に、俺たちは惚れ合ってるはずだ。だったら、何を躊躇う(ためらう)ことがある。) 穂邑:・・・意気地なし。 善鬼:っ! 善鬼:『その言葉で、俺の最後の理性は吹き飛んだ。』 穂邑:あっ・・・ 善鬼:『俺はとらを抱き寄せた』 善鬼:とら・・・とら! 善鬼:『ずっと、ずっとこうしたかった!俺はとらを抱きしめる腕に力を込めた。』 穂邑:善鬼さん・・・ 善鬼:『とらも俺の背中に腕を回す。もうかつての名では呼んでくれない。』 善鬼:『しかし、もうそんなことはどうでも良くなっていた。俺は震える手で、着物の襟(えり)に手をかけた。』 穂邑:っ! 善鬼:『着物を肩までずり下げた。とらの白い肌が露わ(あらわ)になる。』 善鬼:『こんなに綺麗な物、生まれて初めて見た、と思った。』 穂邑:痛くしちゃ・・・嫌だよ? 善鬼:『耳元で鳴る囁き声で、頭に霧がかかったようになる。俺は夢中で着物の帯を掴んだ。だが・・・その手が止まった』 穂邑:? 善鬼:・・・何だこれ? 善鬼:『とらの右肩に、赤黒い痣(あざ)のようなものが見えた。背中の方まで続いているようだ。』 穂邑:こ、これは・・・ 善鬼:見せろっ! 穂邑:あっ! 善鬼:『俺はとらの体を裏返し、背中をはだけさせた。』 穂邑:ちょっと! 善鬼:っ! 善鬼:『とらの背中には、赤黒い線が何本も走っていた。それは火傷の痕(あと)のように見えた』 善鬼:これ、どうしたんだ? 0:穂邑、善鬼の方に向き直り着崩れた着物を直す。 穂邑:別に、何でもないよ。 善鬼:何でもないわけねえだろ! 穂邑:大した事ないさ。ちょっと馬鹿な客にやられたんだよ。 善鬼:・・・ 穂邑:そいつ、女が苦しんだり痛がってるのを見るのが好きなんだと。この背中の痣(あざ)は、熱した火箸(ひばし)を押し付けられた痕さ。 善鬼:何て酷えことを! 穂邑:まあ、もう慣れたし大丈夫だよ。「いなし方」も心得たもんさ。 善鬼:「慣れた」? 善鬼:どういうことだ?そいつまだ通ってんのか? 穂邑:あ、ああ、時々ね。 善鬼:何でだよ!?そんな事するやつ、店に来れなくなるんじゃねえのか!? 穂邑:それが、そうもいかなくてね。・・・そいつ、武家なんだよ。それも結構な名家らしくてね。 穂邑:銭もちゃんと払ってるし、出入り禁止にも出来ないのさ。 善鬼:馬鹿な、そんな外道を・・・ 穂邑:本当に大丈夫だからさ。 穂邑:・・・そんな事より・・・ねえ、続きを・・・ 善鬼:・・・ 0:善鬼、立ち上がる。 穂邑:どうしたんだい? 善鬼:・・・帰る。 穂邑:え? 善鬼:じゃあな。 穂邑:ちょ、ちょっと! 0:善鬼、部屋を出て行く。 穂邑:・・・どうしたんだ、一体? 穂邑:せっかく、その気になったかと思ったのにさ。 0:善鬼、欅楼の廊下を歩きながら。 善鬼:・・・俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ俺のせいだ・・・ 0:数日後、欅楼の近く 客:へへへ、今日はどうやって痛ぶってやろうかなあ? 客:穂邑(ほむら)のやつ、最近小慣れてきたみたいだから、もっと無茶しても構わんだろ。 善鬼:おい。 客:あ?何だ貴様は? 善鬼:あんた、欅楼(けやきろう)の常連だろ? 客:だったら何なんだ? 善鬼:悪いんだけど、もうあの店に通うの、辞めてもらえねえかな? 客:何だと? 善鬼:聞いたぜ。あんた随分と女の扱いが乱暴なんだってな。 善鬼:そいつはいけねえよ。店のもんも皆迷惑してんだ。 客:店に雇われた用心棒か?俺を誰だと思っている? 善鬼:いや、俺は店とは関係ねえんだ。 客:だったら尚更だ!何故貴様の指図を受けねばならんのだ! 善鬼:そんな事言わねえでさ、頼むよ。ここは一つ、俺に免じて。な? 0:善鬼、頭を下げる。 客:ふざけるな!さっさと去(い)ね! 善鬼:そいつはできねえな。 客:だったら! 0:客、刀を抜く。 客:こいつの錆(さび)にしてくれようか? 善鬼:・・・抜きやがったな? 客:あ? 0:善鬼、頭を上げる。 善鬼:おめえに一つ良い事を教えてやるよ。 善鬼:武芸者に得物(えもの)を向けるって事はな・・・ 善鬼:・・・自分がいつ斬られても構わねえって、言ってるのと同じなんだぜ。 客:何ぃ! 善鬼:はあっ! 0:善鬼、居合で客の首筋を切り裂く。 客:かはっ!・・・がっ!(倒れる) 善鬼:『男の首筋から勢いよく血が吹き出した。そのまま俺の足元に倒れ込むと、やがて動かなくなった。』 善鬼:(激しく息をつく) 町人の女:(悲鳴) 町人の男:つ、辻斬りだあー! 善鬼:(舌打ちする) 善鬼:『俺は剣を鞘に納め、走り出した』 善鬼:(あいつを傷付ける奴は許さねえ!もう、これ以上・・・) 0:数日後、欅楼 穂邑:えっ!あの客、死んだのかい?辻斬りに遭って? 穂邑:『突然の話だった。あの乱暴な客が、この店の近くで、首を斬られて死んだというのだ。』 穂邑:『店の皆は喜んでいたが、私の胸中は穏やかではなかった。』 穂邑:まさか、ね。 0:一刀斎達が間借りしている道場。善鬼と典膳が稽古している。 典膳:やああああっ! 0:典膳、善鬼に打ち込む。 善鬼:よっと!ふんっ! 0:善鬼、典膳をかちあげる。 典膳:くっ! 善鬼:間を空けるな!すぐに打ち込め! 典膳:いやあああ! 0:典膳、再度打ち込む。 善鬼:そうだ!相手に休む暇を与えるな! 典膳:はいっ! 0:二人の間合いが離れる。 善鬼:・・・なかなかやるようになってきたじゃねえか。 典膳:ありがとうございます!これも兄者のご指導の賜物(たまもの)です! 善鬼:そろそろ、「あれ」を教える時か・・・ 典膳:「あれ」とは何ですか? 善鬼:・・・ 典膳:兄者? 善鬼:言っておくが、これはかなり危険な技だ。使えば、おめえもただじゃすまねえ。 典膳:・・・ 善鬼:覚悟はあるか? 典膳:もちろんです! 善鬼:・・・わかった。木刀を構えろ! 典膳:はいっ! 善鬼:そのまま全身に気を漲(みなぎ)らせるんだ。一瞬たりとも相手から目をそらすな! 典膳:はいっ! 善鬼:良いぞ、その調子だ。相手も気を発してくる。 善鬼:お互いの気がぶつかり合い、最高潮に高まった瞬間・・・ 典膳:(息を飲む) 善鬼:思いっきり屁をこけ! 典膳:はいっ!・・・へ?えっ?? 善鬼:さあ、早くぶちかませ! 典膳:いや、急に言われても・・・ではなく!そんな事できません! 善鬼:真剣勝負の最中、屁なんかこいてみろ。相手はぜってぇ怯む(ひるむ)。 善鬼:その隙に斬りつけりゃあ、百戦百勝よ! 典膳:よくそんな下らない事を思い付きますね。 善鬼:下らないとは何だ!これも立派な兵法(ひょうほう)じゃねえか! 典膳:どこが兵法ですか! 典膳:人前で、ほ、放屁(ほうひ)をするなど、武士として、いや人としてあるまじき行為です! 善鬼:何が放屁だ?気取ってんじゃねえぞ! 善鬼:じゃあ何か。おめえは、今まで人前で屁をこいた事が無いってのか? 典膳:ありません! 善鬼:・・・あるだろ? 典膳:あ・り・ま・せ・ん! 善鬼:いいや、あるね。 典膳:無いと言ったら無いんです! 善鬼:ある! 典膳:ない! 善鬼:ある! 典膳:ない! 善鬼:ある! 典膳:ない! 善鬼:ない! 典膳:ある!・・・あれ? 善鬼:やっぱりあるんじゃねえか! 典膳:くっ!卑怯な! 善鬼:卑怯?戦いに卑怯なんて言葉は存在しねえ! 典膳:何が戦いですか!・・・とにかく!私が人前で放屁をすることなどあり得ません! 善鬼:ほほう?じゃあ、もし俺の前で屁をこいたら、おめえどうするよ? 典膳:そ、その時は・・・ 善鬼:その時は? 典膳:は、腹を斬ります! 善鬼:ええっ!?そんな事言っちまって良いのか? 典膳:無論です! 善鬼:じゃあ約束だ!もし俺の前で屁をこいたら、おめえは潔く(いさぎよく)腹を斬る。それで良いな? 典膳:武士に二言はありません! 善鬼:よーし・・・(意地悪そうに笑う) 典膳:? 善鬼:(手に息を吹き付ける等で屁の音を出して下さい) 典膳:なっ!? 善鬼:あっ!おめえ今、屁こきやがったな!? 典膳:ち、違います!!兄者が口で音を出したんじゃないですか! 善鬼:うわっ!くっせえ!何食ったらこんなくせえ屁がこけるんだよ。 典膳:臭いなんかしませんよ! 善鬼:さあ約束だ!腹を斬ってもらおうか! 典膳:いい加減にして下さい! 善鬼:(豪快に笑う) 典膳:もう! 善鬼:『典膳をからかうのは楽しかった。俺の下らない冗談に、いちいち真面目に反応するこいつが、可愛かった。』 善鬼:『もし俺に弟がいたなら、こんな感じだったのだろうか?などと思ったりもした。』 一刀斎:誰が腹を斬るって? 善鬼:っ!先生・・・ 典膳:先生!お戻りでしたか。 善鬼:『先生の傷はすっかり癒えていた。あの襲撃からまだ数ヶ月しか経っていないと言うのに、その回復の早さに、皆驚いていた。』 一刀斎:善鬼、すっかりこいつを気に入ったようだな。 善鬼:・・・ 一刀斎:しかし典膳、お前も大変だなあ。こんな百姓上がりに毎日からかわれて。さぞ、腹も立つだろう? 典膳:いえ、そんな事は・・・ 善鬼:『いつも典膳の前では、俺のことを「百姓上がり」と呼んで馬鹿にする。』 善鬼:『それに先生は、典膳の名前はちゃんと覚えていた。俺の時とは違って。』 典膳:すぐ、朝食(あさげ)の支度をします。 一刀斎:待て。 典膳:? 一刀斎:典膳、木刀を持て。稽古を付けてやる。 典膳:え? 善鬼:え? 一刀斎:どうした?俺に稽古を付けて欲しかったのではなかったのか? 典膳:は、はい!ありがとうございます! 善鬼:・・・ 一刀斎:来い。 典膳:行きます。やあああああっ! 善鬼:(何で急に?) 一刀斎:腕だけで剣を振るな。剣を体の一部とせよ。 典膳:はいっ! 善鬼:『先生がまともに指導している所を初めて目にした。俺の時は相変わらず、ただ打ち掛かっていくだけの稽古なのに。』 善鬼:『いや、それすらもしばらくご無沙汰だった。』 一刀斎:もっと丹田(たんでん)に気を込めろ。 典膳:はいっ! 善鬼:『先生に魂胆(こんたん)がないはずが無い。必ず意味があるはずだ。それも、俺に関係した何か・・・』 一刀斎:どうした善鬼、浮かない顔だな?俺が稽古を付けてやる事が不満なのか? 善鬼:いえ、そんな事は・・・ 一刀斎:ならば良い。 善鬼:『まさか、俺と典膳が親しくなったから?』 一刀斎:全て俺の言う通りにせよ。そうすれば、お前は強くなれる。 典膳:はい! 善鬼:『俺を焚(た)き付けるためか、単に面白がっているだけか・・・』 典膳:(激しい息遣い) 善鬼:『典膳を弟弟子にして、本当に良かったのか?』 0:数日後 善鬼:典膳、帰ったぞ。 一刀斎:善鬼、戻ったか。 善鬼:先生。ただ今戻りました。典膳は? 一刀斎:あいつは出かけておる。立ち合いの話があってな。 善鬼:立ち合い? 一刀斎:俺宛の申し込みだったが、あいつを名代(みょうだい)にした。 善鬼:そんな。俺が戻るまで待って頂ければ・・・ 一刀斎:甘やかすな。あいつにも実戦の機会が必要だ。 善鬼:それは、そうですが・・・ 一刀斎:しかし、あいつ驚くだろうなあ。 善鬼:何故です? 一刀斎:それは驚くだろう、相手が大勢いれば。 善鬼:えっ? 一刀斎:立ち合いの相手な、一見したところ大した腕の持ち主ではなかった。 一刀斎:にもかかわらず、俺に挑もうと言うのだ。何か裏があるに決まっている。 善鬼:(動揺しながら)なぜそれだけで、助っ人がいるとわかるのです? 一刀斎:この前、町で噂を聞いたのよ。腕利きを集めている奴がいると。 一刀斎:高名な剣豪に挑むんだそうだ。確証は無いが、恐らくそいつの事だろう。 善鬼:そんな・・・ 一刀斎:噂では四、五人集まったそうだぞ。 善鬼:立ち合いの場所はどこですか!? 一刀斎:心配か?それはそうだろうなあ。可愛い可愛い弟弟子が、死ぬかもしれぬのだからなあ。 善鬼:どこなんです!! 0:町外れ 善鬼:(走っている息遣い) 善鬼:『俺は典膳の元へ急いだ。立ち合いの場所は遠かった。俺は全力で駆けた。早くしなければ、典膳が死んでしまう。』 善鬼:『典膳を鍛えるため?本当にそうだろうか?』 善鬼:『いや違う。先生は俺が慌てるのを分かっていて、わざと仕向けたに違いない。』 善鬼:『典膳のためでは無い、全ては俺を苦しめるため。あいつはそのために利用されたんだ。』 善鬼:(頼む!間に合ってくれ!) 善鬼:(走っている息遣い) 善鬼:『駆け付けた時、典膳はもうボロボロだった。』 典膳:あ、兄者・・・? 善鬼:『しかし、何とか生きていた。もう少し遅かったら、危うかっただろう。』 善鬼:・・・うちの弟弟子を、えらく可愛がってくれたみてえだな。 善鬼:『先生は本当に、恐ろしい人だ。』 善鬼:『このままでは、俺は何か大切なものを失ってしまうのではないか、そう思った』 0:欅楼 善鬼:こ、この度は・・・お、お招きにあずかり、ま、まことに、恐悦地獄(きょうえつじごく)に・・・ 穂邑:恐悦至極(きょうえつしごく)!何だよ、恐悦地獄ってのは! 善鬼:きょ、恐悦至極に・・・ござる! 穂邑:存じます!何でアンタの方が偉そうなんだよ! 善鬼:(ため息)ちょっと休憩にしねえか? 穂邑:まだ始めたばっかりじゃないか!もうちょっと頑張りな! 善鬼:厳しいなあ。 穂邑:誰の為にやってると思ってるんだい! 穂邑:アンタが「偉いお武家様の屋敷に招待されたんで、侍の礼儀作法を教えて欲しい」って言うから、私が一肌脱いでやってるんだろ! 善鬼:そりゃそうだけどよ。 穂邑:大体、礼儀作法ならアンタの先生に教われば良いじゃないか。 善鬼:あのなあ、先生に「礼儀作法を教えて下さい」なんて頼んでみろ。その場ではっ倒されて終わりだぜ? 善鬼:そのくせ、粗相(そそう)したら、それはそれで怒られるしな。 穂邑:だからって、侍の作法を女郎に教わるって言うのはどうなんだい? 穂邑:そりゃ、私達の客には侍もいるから、所作(しょさ)や言葉遣いくらいなら多少は分かるけどさ。 善鬼:そんな事言わないで助けてくれよ!頼めるのはおめえしかいねえんだ! 穂邑:なら、アンタの弟弟子は?確か武家の出じゃなかったかい? 善鬼:ダメだ! 穂邑:なんで? 善鬼:兄弟子が弟弟子に、ものを教わるわけにはいかねえだろ! 穂邑:だから女郎に教わるのは良いのかって・・・あっ、そうか。 善鬼:何だよ。 穂邑:弟弟子に良いとこ見せたいんだろ?だから隠れて稽古してるってわけだ。 善鬼:ばっ!何言ってんだ! 穂邑:そうかそうか。可愛い弟弟子に褒めて貰いたんだねえ。 善鬼:そんなわけあるか!懐かれて困ってるって言っただろうが! 穂邑:どうだかねえ。 善鬼:ふんっ! 穂邑:・・・そういえばさ。 善鬼:ん? 穂邑:この前、馴染みの中に乱暴な客が居るって言ったろ? 善鬼:・・・ああ。 穂邑:そいつさ、死んじまったらしいんだ。この近くで、辻斬りに遭って。 善鬼:そうか。この辺も物騒なんだな。おめえも気をつけろよ。 穂邑:・・・ 善鬼:何だよ? 穂邑:別に・・・ 善鬼:良かったじゃねえか。もうそいつの相手をしなくて良いって事だろ? 穂邑:そう、だね。 善鬼:そんな奴の事、忘れちまえよ。 穂邑:(やっぱり、あんたなのかい?) 善鬼:そんな事は良いから、稽古の続きしようぜ。 穂邑:あ、ああ。先生に怒られないようにしないとね。 善鬼:それもあるけどよ、上手くいったら仕官させてもらえねえかなと思ってよ。 穂邑:え? 善鬼:気に入られたら、家来にしてもらえるかもしれねえだろ? 穂邑:そんな事考えてたのかい? 善鬼:ああ。今までは先生を差し置いて仕官なんかできねえと思ってたけど、俺も先生に弟子入りして長いし、そろそろ一人立ちしても良いかなって。 善鬼:弟弟子もできたから、先生のお世話はそいつに任せりゃ良いし。 善鬼:『本当はそれだけではない。このまま先生の側にいることが、怖くなってきたからだ』 穂邑:そうだね。アンタもそろそろ腰を落ち着けた方が良いよ。 善鬼:・・・あのよ。 穂邑:なんだい、改って。 善鬼:仕官するとなりゃ、俺も正式な侍だ。そうなったらさ・・・ 穂邑:? 善鬼:おめえの事、み、身請けしたいって言ったら、受けてくれるか? 穂邑:、・・身請けして、どうするつもりだい? 善鬼:そんなもん、決まってんだろ!しょ、所帯を持つんだよ! 穂邑:・・・ 善鬼:・・・ 穂邑:・・・バカタレ。 善鬼:え? 穂邑:侍になっただけで身請けなんか出来るわけないだろ!いくらかかると思ってるんだい! 善鬼:え!?侍でも身請けするのに銭がいんのか!? 穂邑:当たり前だよ! 善鬼:そんなあ。 穂邑:全く、考え無しにも程がある。 善鬼:いいや!俺は諦めねえぞ!これから銭稼いで、いつかおめえを身請けするんだ! 穂邑:(少し笑って)はいはい、期待しないで待ってるよ。 善鬼:え? 穂邑:あ? 善鬼:おめえ、今「待ってる」って・・・ 穂邑:あら?そんな事言ったかねえ? 善鬼:言ったじゃねえか! 穂邑:さてねえ?・・・ほら!稽古の続きだよ!侍になるんだろ! 善鬼:お、おう! 穂邑:『彼が、私を身請けしたいと言ってくれた事、照れ臭くて誤魔化した(ごまかした)けど・・・嬉しかった。』 穂邑:『死ぬ程、嬉しかった。』 穂邑:『今まで、他の馴染み客から身請けの話をされたことは何度かあった。』 穂邑:『しかし、全て断ってきた』 穂邑:『きっとそれは、彼の存在があったから。子供の頃から大好きだった、あの人がいたから。』 穂邑:『女郎になって、もう彼と一緒になることは出来ないと諦めていた。その諦めていた夢が、叶うかもしれない。』 穂邑:『私は天にも昇るような気持ちだった。』 穂邑:『お金の問題はある。簡単な事でないのは確かだった。しかし、何年かかっても構わない。』 穂邑:『その希望があるだけで、私は生きていける・・・そう思った。』 0:欅楼の近く、帰り道 善鬼:『欅楼からの帰り道、すれ違う人々が俺の顔を奇妙な目で見ていた。』 善鬼:『理由は分かっている、ずっとにやけているからだ。』 善鬼:(ついに、ついにやったぞ!) 善鬼:『「身請けしたい」と、とらに言った。それまで、全く頭に無かった言葉が、急に口をついて出た。』 善鬼:『いや、きっと想いはあったのだ。ただ、言えなかった。そんな事、許されるはずがないと、きっとそう思っていた。』 善鬼:『しかし、いざ口にしてみれば、長年胸につっかえていた物が取れたような、晴れ晴れ(はればれ)とした気持ちになった。』 善鬼:『これが唯一の道だとさえ思えた。』 善鬼:『これまでたくさん間違えてきた。でも、またやり直せば良い。』 善鬼:『もう良いはずだ。俺たちは、もう許されても良いはずだ!絶対に・・・』 一刀斎:よう、善鬼ではないか。 善鬼:っ! 典膳:兄者・・・ 善鬼:どうして、ここに・・・ 一刀斎:いや何、たまには二人で色街(いろまち)にでも繰り出そうかという話になってな。なあ典膳? 典膳:私は別に・・・ 一刀斎:しかしこんな所でお前に会うとは、奇遇だなあ。 善鬼:『偶然のはずがない。先生は俺がここに来ていると分かっていた。分かっていて、ここに来たんだ。』 一刀斎:もしかして、お前が通っている店というのはこの近くか? 善鬼:! 一刀斎:良い機会だ。その店に案内(あない)せよ。お前の馴染みの女を、一度拝んでみたかったんだ。 善鬼:そ、それは・・・ 典膳:兄者?顔色がお悪いですよ? 善鬼:『先生をとらに会わせるわけにはいかない!会わせれば何に利用されるか、どんな目に遭わされるか。』 一刀斎:どうした?早く案内せんか。 善鬼:その、それはまた次の機会に・・・ 一刀斎:俺の言う事が聞けんのか? 善鬼:(呼吸が荒くなる) 典膳:(兄者?一体どうされたんだ?) 善鬼:『頭の中に白い霧がかかる。そして声が聞こえてくる。』 善鬼:『「先生に逆らってはいけない」』 一刀斎:その女郎も、新しい客が付いたら喜ぶであろう?何の問題がある? 善鬼:せ、先生・・・ 一刀斎:・・・ 善鬼:(震えながら)それだけは・・・どうか・・・ 一刀斎:おいおい、ひどいじゃないか。俺がその女を取って食うとでも言うのか?なあ、典膳? 典膳:は、はあ・・・ 一刀斎:ほら、観念して案内せよ。 善鬼:・・・お願いします・・・そればかりは・・・ 一刀斎:許さぬ。 善鬼:(段々呼吸が速くなり過呼吸気味になる) 典膳:兄者? 善鬼:『「先生の命令ニ逆ラッテハイケナイ」』 一刀斎:お前なあ、いい加減に・・・ 善鬼:っ! 善鬼:『俺は先生の足にしがみついた。』 一刀斎:? 典膳:あ、兄者!人が見ておりますぞ! 善鬼:先生!お願いします!今回だけは・・・ 一刀斎:お前、何やってるんだ? 善鬼:俺はもうこれ以上、あいつを辛い目に遭わせるわけにはいかねえんだ! 典膳:えっ!? 一刀斎:・・・ 善鬼:お願いします、何でもしますから、あいつの事だけは、どうか放っておいて下さい。 善鬼:お願いします!お願いします!! 一刀斎:(ため息)全く、しょうがない奴だな、お前は。 一刀斎:わかった。今日の所は、諦めるとしよう。 善鬼:ほ、本当ですか? 一刀斎:ああ。可愛い弟子がそこまで言うんじゃ仕方ない。典膳、他の店を探すぞ。 典膳:は、はい。 善鬼:・・・ 善鬼:(先生の命令に逆らった?この俺が?) 善鬼:(・・・何だよ、やればできるじゃねえか!) 善鬼:(やっぱりもう大丈夫なんだ!俺は、「とら」と添い遂げられる!) 善鬼:(俺たちは、ようやく・・・) 一刀斎:あ、そうだ。 善鬼:? 一刀斎:お前さっき、「何でもする」と言ったよな? 善鬼:っ! 一刀斎:その言葉、忘れるなよ? 0:つづく