台本概要

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タイトル 薬籠中のもの
作者名 雨宮水ノ  (@donar0731)
ジャンル ミステリー
演者人数 3人用台本(男1、女1、不問1)
時間 30 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 愛したものに自分を傷つけられたら憎く思いたくなる。でも愛してしまったから結局救われてしまう。こころの底から嫌いになれたら、私は幸せになれたんだろうか。そういうお話。


(このシナリオを使って声劇をしたい方へ)

セリフの改変、キャラの性別の変更など声劇するにあたり役者様の都合がわるいものの変更は、演じられる役者さまに一任いたします。ご自由にお読みください。作者からなにか縛りを設けるつもりはありません。

当作品はシリーズ作品の第二作品目となっております。ですがこちらのみでも、お話は完結し面白く感じていただけるよう努めて執筆いたしました。

本文中にあるタイトルコールは仮にキャラクター名を振っていますが、よんでくださるのであればだれでも構いません。都合が悪ければよまない選択も構いません。ご自由にお読みください。



(コメント)

お手に取っていただき誠に感謝いたします。
私の思いとは関係なく、当作品を使用しての劇をさまざまな形で利用し楽しんでいただければ幸いです。
人に対して思うこと、考えていること、たくさんあると思います。私はその感情を、どんな形であれ、その人の考えと主張であるとして尊重したいと思っております。


ミステリー/妖怪/ホラー/家族愛/雨宮水ノ

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
行李さん 129 広い笠をかぶって行李を背負い、全国を旅している変人。名を名乗らず、彼のその独特な雰囲気はまた別の変人を呼び寄せている。
正一 不問 110 行李さんの知人の子供。。行李さんの成している妖紀行に興味がわき、こっそり行李さんの後をついてきてしまった。
81 陽気な団子屋の看板娘。しかし娘というほどの歳ではない。愛嬌があり、雰囲気はまるで強かな近所の小母を思わせる。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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 :  0:   :  正一:は~~~。びっくりした。急に雨が降るんだもんなぁ 行李さん:ショウイチくん。濡れた服は脱いでしまいなさい。大きいが、私のをやろう。体を冷ましてはいけない 正一:ありがと、行李さん。 正一:それにしても……。雨が本降りになって、行李さんが急に走るからそれについてったけど、ここ、どこなんだ? 行李さん:知りあいの寺だ。といっても、その知りあいは今何をしているのか知らない 正一:それって親父関係の人? 行李さん:違う。以前、奥の村から出たときに良くしてくれただけだ。その人は、風の噂で天狗に連れていかれたのだという。だから今は寺にいない 正一:えっ 行李さん:もともと歳老いた老人だった。耄碌(もうろく)していたんだろ。周りが妖のせいにしたかっただけだ 正一:行李さんは、妖は信じてないの 行李さん:どうしてそう思う? 正一:だってそうじゃん 行李さん:……正しくは、違う。 行李さん:私は、妖を信じるべきか、決めかねているんだ。意味が分かるかい? 正一:……ううん 行李さん:……そうだな 0:行李さんは風呂敷のなかにあったその見事な行李をとりだして、その仲から一つの本を出した。それは和紙で重ねたものを紐でくくったものだ。 正一:それなに? 行李さん:これは、私がとっている記録だ 行李さん:見てみなさい 正一:……。 正一:行李さん、これ、本当に使ってるの? どこを開いても墨で真黒じゃないか 行李さん:ああ。私が「妖の仕業だ」と思ったものを記した本なんだ。妖の仕業でなかったものは、後から塗りつぶしている。 行李さん:私がいままで遭遇した怪異というのは全て理由があった。面妖な出来事はなにもない。だから塗りつぶした 正一:そうか。でもあれ、ひとつだけ塗りつぶしていないところがある。一番最初のだ。これは? 行李さん:私が妖を信じるべきか決めかねている事件だ 正一:…… 行李さん:「人の恐怖と信仰と思い込みが、狂気をバケモノにしている」 行李さん:キミの親父の持論だ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)や怪奇現象といった類(たぐ)いのものは、その地に根付いた信仰や人々の思想によるものだという。しかしそれはおかしいと思わないか? 行李さん:私はそんな、目に見えない、不完全で曖昧なものに生み出された存在というのは、ほとほとバカらしいとおもっている。最初から無いようなものじゃないか。 行李さん:しかし、私がはっきり「無い」と言ってやるには、あまりにも周りが妖を信じすぎた。だからこうして変な事がおきれば紙に書き起こしてやろうとおもったのだ。いつでも見返して、どうだったか考えられるように。私が妖を信じてやれるように 正一:ふうん…… 行李さん:……ショウイチくん。具合はどうだろ。ほれ、もっと温まりなさい。風邪をひいてはよくない。そも、なぜここにいる? 奥にはちゃんと話したのか 正一:ちゃんと言ったよ。ついて行っていいって言われたし。 正一:オレ、もう寝るよ。行李さんも風邪には気をつけなよ 行李さん:アイ、おやすみ  :   :  菊:薬籠中(やくろうちゅう)のモノ (タイトルコール)  :   :  正一:ンーーー!! 夜はあんなに土砂降りだったのに、朝になったらカラッっと晴れたぜ! よかったぁ 行李さん:しかし昨日ので土はすっかりぬかるんだな 正一:マア、それはしょうがないだろ 行李さん:そうだ、このへんに知りあいがやっている団子屋があるんだ。飯はそこで済ませないか 正一:いいぜ! 行李さん意外と知りあいは多いんだな 行李さん:意外は結構。といっても、たしかに大しているわけでもないな 行李さん:……ほら見えてきた。あそこだ 正一:へえ、立派な団子屋じゃないか  :  菊:あら、もしかしてあんた、ゴンベェさん? 行李さん:長野殿 正一:(権兵衛さん)? 菊:あんた、まぁたそんな大層なので呼んでンの! おキクでいーのに 正一:…… 菊:マ、こどもができたの。アラアラアラ。あんたもスミにおけないわネ 行李さん:子供じゃない。ただの…… 正一:? 行李さん:……そこらへんの子供だ 菊:そう? そうだボク、お団子はいる? せっかく会えたもの、うちのみたらしはどうでしょ。タレが絶品なのヨ 正一:あ、ありがとうございます 菊:いま持ってくるね 0:そういって菊は店の奥へいった。 正一:……名無しのゴンベェ? 行李さん:そうだ 正一:あの人知りあい? 行李さん:そうだ。この団子屋の看板娘で、旦那と一緒に切り盛りをしている。以前会った時は腹をデカくしていたから、おそらく子がいるはずなんだが…… 正一:こどもなんていなそうだな 行李さん:……聞かないほうがいいかもしれんな。もともと二人は歳だ。なにかあってもおかしくなかろ 正一:ふーん……  :  菊:おまたせ。ほうら、みたらし! ゴンベェさんも、きなこ! 好きだったろ 行李さん:どうもすみません 正一:うわー! こんなに沢山! ありがとう 菊:いいのいいの。最近こどもなんてここらに来ないから、あえてうれしいのヨォ。ボク、名前は? 正一:ショウイチ 菊:ショウイチくんネ。私はキク。お客さんからおキクって呼ばれてんの。よろしくネェ 行李さん:長野殿、団子はうれしいが、飯もほしい。今日はなにがある 菊:今日はねぇ、山菜もいいけど、ウナギがいいの採れたのよ! うちで特性のタレにつけて食べる丼ぶりとかどうでしょう。セイがつくよ 行李さん:ウナギか…… 正一:オレ、うなぎにする 行李さん:私はうどんでいいかな。天ぷらを食いたい 菊:粉ものが好きなのは変わらないねえ、ハイ承知! ボクもまっててね。すぐ作ったげるから!  :  正一:おキクさん。いい人だね 行李さん:そうだな。それに、ここのタレは本当にウマい 正一:ウン。ンまい 行李さん:でも妙だな 正一:? 行李さん:ここの団子屋は、以前来た時これほど寂びれてなかった気がするが…… 正一:……オレ達以外の客は、そういねーな。3人くらい? 行李さん:ここからまたしばらく歩くと別の村があるんだが、寺と村をつなぐこの団子屋はズイブン繁盛するはずなんだ。寺の和尚(おしょう)がいなくなったとて、信仰は途絶えないだろ 正一:……事件とか 行李さん:なにかあったかもしれんな 正一:オレ、他の客に聞いてこようか 行李さん:ホウ 正一:飯代くらい稼ぐって。まかせな、行李さん  :   :***  :  0:時は経つ。夜、腹ごしらえをして寺に戻った二人は話していた。 行李さん:それで、その客は本当に「妖が近くに出るのだ」と言ったんだな 正一:そう。最近、夜の森で出ると噂のその妖は、相撲のように図体がでかいんだ。でも特徴的なのはその醜い顔で、体なんて見えないほどにデカく肥えたそれは袋のように頬も眉も目も鼻もずいぶん垂れて、あるかわからない口から不可思議な音をだしているという 行李さん:……随分はっきりした話だな 正一:見たことある人がいたんだって、それで、町で言いふらしてるんだ。それがみんなに伝わって、怖がって、こっちにこない。 正一:ちょっと前に和尚さんがいなくなったから、村の皆はなおさら怖がってるんだ。妖がでている。ここは良くない場所になっているんだって 行李さん:なるほど…… 正一:行李さん、これからどうするの 行李さん:長野夫妻には世話になっている。あの二人は悪い人じゃない。こんな訳のわからぬことで泣きを見てほしくないんだ。この事件、なんとかしてやりたい 正一:妖さがし! 行李さん:そういうことになるな。……なるほど、夜か 正一:オレもいく! 行李さん:イヤ、ショウイチくんは寝ていなさい。妖の噂で人が寄らないとはいえ、山には山賊がつきもの。危ない 正一:オレも妖さがししたい!! そのために行李さんについてきたのに!! 行李さん:おまえ! そんなもののために奥から出て行ったのか! かえれ! すぐ帰れ! しょうもないことをしてあの人を悲しませるな! 正一:しょうもなくないだろー!! 行李さんはこれのために全国を旅してるじゃないか!! 親父だってそうなんじゃないのか!! それにおかあちゃんにはちゃんと許可とった。オレもついていきたい!! ネーーー!!! 行李さん:こら黙れ!! 駄々をこくな!! 正一:それにオレだって、村に出てやりたいことがあるんだ!! いいだろ! やりたいことができて、面白そうな妖さがしもできる!! イッセキニチョウ!! 行李さん:そんな軽いわけがあるか!! キサマ!! こら!! 待ちなさい!! 正一:べーっだ! 行李さんがオレを捕まえられるもんか!!  :  正一:……? 行李さん:なんだ、観念したか。さあ帰れ 正一:まって行李さん、なんか、変な音が聞こえねえか 行李さん:なんだって 正一:いいや確かに聞こえるんだよ。 正一:外だ! 行李さん:ダメだ! 外にでるな!!! 正一:(出ようと動いたが行李さんに押さえつけられる) 正一:ンガ、 行李さん:……。(耳を澄ましている) 正一:…… 行李さん:聞こえないぞ 正一:い、いや、本当に聞こえたんだって 行李さん:……とにかく、今日はもう寝よう。明日からでも遅くないだろ 正一:なんで! い、いやだよ。妖がにげちゃうかも! 行李さん:落ち着きなさい。急がなくてもきっと大丈夫だ 正一:なんでそう言い切れるんだよ…… 行李さん:妖の噂は私たちがくる前からあるものだった。和尚の天狗と関連するしないにしても、その妖がここにとどまっているなら、それなりの理由があるはずだ。まずはそれを知ってからでも遅くない。今日は様子をみて、明日、長野殿に聞くべきだ。 行李さん:彼女はあの団子屋で暮らしているからな。森のことなら、あの一家はようく知っているはずだとも 正一:…… 行李さん:ほら、もう寝なさい。 行李さん:それとも妖が怖いのか? 正一:うるさい! 違うし! おやすみ行李さん!!! 行李さん:アイおやすみ  :   :***  :  正一:坊主がお経をあげている。 正一:毎日きいていたそれは、オレも空で言えるようになったありがたい言葉。 正一:ああ、夢だ。 正一:これは、夢だ。 正一:だってオレ達は、あのやさしいやさしい、オレと同い年の男の子を連れた若い女に引き取られたんだから。 正一:いまオレ達が育ったあの寺は、もうどこにもないんだ。 正一:目を開けると、みんなの後ろ姿があった。 正一:みんないる。 正一:元気にしてるかな。 正一:この寺はあの日の夜、山賊に襲われて無くなってしまった。 正一:ここにいる何人かは助けられたけど、何人かは未だに行方不明で、残りの坊主と子供は、殺されてもういない。 正一:もう一度目を閉じた。 正一:すると隣に座ってたやつがオレをこづいた。 正一:「寝んなよ。怒られるぞ」 正一:懐かしくなって、目を開けて、そいつの顔を見てみようとして、  :   :***  :  正一:……。(目が醒めてしまった) 行李さん:? おはよう 正一:っくそー。起きちまった……。いや、もう一度寝れば、続きみれるかな…… 行李さん:こら、起きなさい。日が高くなる。飯を食おう 正一:止めないでくれ行李さん! オレはあいつの、あいつの顔を…… 行李さん:寝られるのか? 目はしっかり開いているようだが 正一:……完全に目がさめちまった 行李さん:そいつはよかった。さあ、さっさと顔を洗っておいで 正一:……ちきしょう  :   :   :  菊:聞きたいこと? 行李さん:エエ。いま大丈夫でしたか 菊:ええもちろん。最近はお店がてんで暇だからねえ。それに私も、ゴンベェさんと話したいことは山ほどあるんだよ 行李さん:それはよかった 行李さん:最近、変なことはありませんでしたか? 聞きましたよ。ここらへんで妖なるものがでるそうじゃないですか。あの寺の和尚もいなくなって随分です。私は心配なんですよ 菊:うーん、そうだねぇ。変なこと……。お食事用のお箸をよく落としてるくらいかしら。アハハ 行李さん:フフ、それは大変だ。落とすものなら陶器には気を付けてくださいよ、割れたら大変ですから 菊:ありがとネ。でも、そんくらいなんだよ。ここにきてくれる人はみんな心配してくれるけど、そんな大層なことないのさ。いつもどおりの生活よ 行李さん:そうか、それはよかった 菊:そっか、ゴンベェさん、妖探しをしてるんだったね 行李さん:そんな大したものじゃないですよ。何があったかを見聞きしているだけ。でも大抵のことは蓋をあけてみるとつまらないものです 菊:そうなのかい? じゃあ今回の話もゴンベェさんは期待してないんだ 行李さん:ええ。どうせ子供のイタズラあたりでしょう 菊:子供ね 菊:……ゴンベェさんは、いま歳はいくつなんだっけ? 行李さん:今年で19だったはずです 菊:若いねえ。ほんとに若い。思ってる3歳は若くていつもびっくりするよ。しかし大きくなったネ。前は、そう、 行李さん:16 菊:で、その前は? 行李さん:14 菊:ウワ、14。若いねぇ。その時はモノ好きの法師と一緒にいたろ。あの人は元気かい 行李さん:さあ。ここ2年は会っていません。でもきっと元気でしょう 菊:アハハ。ならいいのよ 行李さん:長野殿だって、前にあった時は腹に子がいたでしょう。あんなに嬉しそうにしていたのに、どうしちまったんですか 菊:ああ、3年前のね 菊:流れちまったのよ。しょうがないね 行李さん:残念だったな。顔がみたかったのに 菊:ハハ、ぜひとも見せてやって、子供がいかにいいもんか説いてやりたかったね 行李さん:次カムズミに会うときにここに寄らせましょう 菊:そりゃいいネ! モノ好きだけどしっかりした人みたいだし。贔屓の坊主より知りあいのモノ好きのほうが温かみがあるもんよ 行李さん:フ、じゃあ次あったら伝えておきます 菊:ぜひそうしておいて  :  菊:でもそうか。もう19になったのネ。いい歳じゃないか。いい人はいないのかい 行李さん:そんなのに構ってる余裕がないです 菊:あんたも落ち着いて、家でも構えればいいのに 行李さん:そうは行かない事情がありまして…… 菊:ハア。男の子だねえ 菊:なんで、そんなことしてるんだい 行李さん:……。 行李さん:昔の話です。 行李さん:まだ幼いころ。私が遊びに言っている間に、家を放火されたことがありまして。あれはとんでもないものでした。綺麗に私の家だけ焼いて、箸一つ残らす燃やし尽くしちまったんです。村の人は、これを「妖の仕業だ」と。 行李さん:でも、私はどうしても信じれなかった。だからもうちょっと勉強して、調べてやろうとおもいまして 菊:それは、恨めしいからかい 行李さん:……どうなんでしょう。もう、随分むかしのことですから 菊:そうかい 菊:だからかい? 行李さん:? 菊:最初に会った時に言ってたろ。「名は名乗れない」って。そういう事情かい 行李さん:いや。……いいえ、半分くらいは、そうかもしれない。きっかけはそうだった 菊:そうかい。そりゃあ、大変だねぇ 菊:……どうしてそんなこと、話してくれたんだい 行李さん:長野殿と、仲良くなっておこうとおもいまして。生活は大丈夫ですか。困ったら相談してください。ちょっとでしたら金の工面もできますから。私に文を出すのであれば東京にある「稲荷」の店にください。年に3回くらいであれば寄っているし、あそこは常に人がいますから 菊:なんだい、アンタ、ほんと私らにやさしいね 行李さん:これくらいのことはしてやりたいんですよ。ここの団子は旨い。天ぷらも旨い。あのカムズミが褒めて、「近くにきたら寄りたい」といった具合ですから 菊:フフ。ありがたいネェ 行李さん:伝えておきます。 行李さん:……失礼、長話をしてしまいました。私はそろそろ村に出かけたショウイチくんを迎えに行かないといけませんで 菊:そう。イイヤこちらこそありがとネ 行李さん:ええ。失礼しました 菊:ねえ、ゴンベェさん 行李さん:? 菊:ゴンベェさんは、おかあちゃんとおとうちゃんのこと、好きかい 行李さん:…… 行李さん:ええ。きっと  :   :***  :  菊:夜にあの人の部屋をそっと覗いてみた。 菊:熱心に書き物をしているのは、あの人が好きなことだから。 菊:お店とは別の、あなたの好きなこと。 菊:私はただ邪魔をしないで、旦那の背中を眺めているこの秘かな時間が好きだった。 菊:大好きなあなた 菊:だから、私と結ばれたせいで独りにしてしまったことを後悔しているの 菊:家を追い出されて、可哀そうなあなた 菊:私が上手に子を産んでやれなかったから 菊:あれのせい 菊:全部、あれのせいなんだわ 菊:私の腹からでてきたものが、憎くってしょうがなかった  :   :***  :  正一:夜に現れる妖がみられたのは、実は意外と森深くじゃなかったんだって。オレらが寝泊りしてる寺があるだろ? あそこよりももうちょっとうちに近くて、それこそあの団子屋の近くだったんだそうだ。 正一:妖をみたって騒いだやつが出てから、森にはほとんど誰も寄らなくなった。でもたまに若い奴が肝試しで見に行ってたんだ。それでもてんで会わないんで、「嘘だったんじゃないか」と話が落ち着いた。でもそれもすこしの間だけだ。 正一:この間、街道から荷物を運びに来た人がその手の物知りで、噂を聞いたときに妖の名を宛てたらしい。ぬっ、ぽう、ぺ? なんかヘンテコな名前なんだ。で、それを聞いた奴は大騒ぎ。ホラ(嘘話)かと思ったら実際にいる妖かもしれねえって、皆こわがってるんだ 行李さん:……なるほど 正一:行李さんのほうは? なんか手がかり、掴めたか? 行李さん:いや、長野殿はよく知らないそうだった。しかしあの様子、おそらく心当たりがないわけでもないと見ている。 行李さん:彼女らしくないんだ、単に。そもそもあんなに物思いにふける性格じゃない。そこも気がかりだが、村の目撃情報と照らし合わせると、彼女が知ってても、よく知らないというのは妙な話だ。家の近くの話じゃないか。 行李さん:(唸る)……気になったら全部気になってきてしまうな 正一:それで行李さんはこれからどうするの? 今日も寺で寝泊り? オレ、今日村の人と仲良くなって、旅をしてて最近は寺で寝泊りしてるって言ったら、心配して一晩うちで泊めていいって言ってくれた人がいたよ。行李さんの話をしたら、来ていいって。どう? 行李さん:それは魅力的な話だ。だが、もう一晩森の様子をみてからでもいいかいショウイチくん。まだ気になることがあってね。妖も、未だこの目に拝んでいないことだし 正一:ッシャ。そうこなくっちゃな 行李さん:……  :   :   :  正一:ふあ…… 行李さん:本当に大丈夫かいショウイチ君。寺で寝ていてもいいんだよ 正一:嫌だね。手伝うったら、手伝うってんだい 行李さん:そうかい……。 正一:昨日きこえた声がもし本当に妖の声なら、ありゃ随分ちいさかったから、きっと寺から遠くの方なんだ 行李さん:それで、森の奥では見ないというのだから、方向はこっちのほうと見て構わないな 正一:しっかし、夜になって森の見渡しがずっと悪いぞ。月明かりもささねえから、本当に真っ暗だ 正一:手元に行灯(あんどん)はあるけど、まったく力にならねえ 行李さん:探す用に灯したんじゃない。歩くためのものだからな。こんなに暗いとちっぽけな灯り一つでもだいぶ目立つ。探しものに目があるならこれはいい案じゃない 正一:うーん。ポッポッポってやつ、聞いてる限り目がある妖だと思わねえけどな…… 行李さん:ほう 正一:だって、袋のように膨れた妖で、顔中垂れてるんだ。そんな姿してたら、目なんて見えてないんじゃないか…… 行李さん:いいやわからない。相手は妖であって、人じゃない。何で生きているのかわからないんだから。懸念はすべきに限る 正一:…… 正一:行李さんってさ、 行李さん:まて、ショウイチ君 正一:? 行李さん:……あそこ、あのほう(遠くを指さす) 正一:……ひどい、なんだ、あれ 行李さん:あれが肉だるまか? 背丈をみるにまるで幼子のようだが、少し様子が…… 正一:あ、あいついっちゃうぞ 行李さん:ついていくぞ、ショウイチ  :  正一:あ! むこう! おキクがいる! まずい、このまま行くとあのバケモン、おキクのほうへいっちまう! 正一:なあおキク! はやく、ムガッ 行李さん:まて、様子がおかしい 正一:なんだよ、早く助けないと、おキクが危ない。 正一:……お菊が、あのバケモンを抱きあげた? 行李さん:いこう 0:  正一:こんばんは、長野殿 菊:!!! 行李さん:夜分遅くにすみません。外をみたらその子を見かけたものですから、もしやとおもい、追いかけてしまいました 菊:あ、アラ。そう。そうよね、この子の姿は珍しいでしょう 行李さん:まるで、噂の妖のような姿です 菊:…… 行李さん:……その子、あなたにとって、なんでしょう? 菊:……店にいらして、お茶を出すわ 行李さん:イイエここで 菊:ダメよ。誰にも聞かれたくないの 正一:…… 0:  正一:その子、抱っこして大丈夫なの? 菊:ええ。思ったより重くないの。むしろふやふやして心地いいくらいなんだから 正一:そうなんだ 行李さん:…… 菊:…… 菊:ほら、お店についたでしょ。いま灯りをつけるから、あがって行って 正一:…… 行李さん:…… 正一:ねえ。その子、もう寝た? 菊:ええ、もうぐっすり。抱っこされるとすぐ寝ちゃうの。もうこんなに大きいのに 正一:なんだ。かわいいじゃないか 菊:ええ本当に。……大人しく寝ていて頂戴ね 行李さん:長野殿 菊:……この子は、私の子供なんです 行李さん:!!! 菊:ひどい姿でしょう。生まれたときからよ。私のお腹からきちんと出したの。でも、…… 行李さん:その、何と言ったらいいでしょう。初めてみました。こんな子供は。だって、 行李さん:顔が、溶けている。人の顔じゃないみたいだ。よく酷い顔だと自称しているやつや、おいぼれでもないのに歯が全部ないやつはいるが、この子の顔は特に変じゃないか…… 菊:そうでしょう。よく人から言われたものですよ。……暴力をされたわけじゃないんです。だってこの子、ただ、うまれつき顔がなくて、他とちょっと違っているだけで、 正一:ウソだよ 菊:え? 正一:おキクの子じゃ、ないよ。よその子だ。だってその子の顔、そのただれ方。オレ、知ってるよ。ヤケドでできるケガだ。それに服で隠れてるけど、その子、アザがある。殴られたみてーなアザ。服のハシから丸見えだぞ。お、おキクが、そんなことするはずねえって。子供なぐるなんてひどいこと、しない。 正一:嘘、ついてるんだろ。本当のこと、いってくれよ 菊:……本当よ 行李さん:長野どの 菊:信じて…… 正一:おキク…… 菊:……そう、そうなるのね  :  0:お菊は近くにあった陶器を持ち上げ、それを行李に投げた。彼は避けた。陶器は外に落ちる。 正一:!!! なんだよおキク! 湯呑なんか投げて、当たったら行李さん危ないだろ!! 菊:うるさいよ、人の気も知らないで 行李さん:まて、話をしよう。長野どの 菊:ないよ話すことなんて。ない。話すことは、とっくに 正一:おキク! 暴力はやめてくれよ! オレ達、おキクを虐めたくてきたんじゃないんだ! おキクを思って…… 菊:なによ、クソガキ! 私の気もしらないで! 正一:ギャ―!!! 行李さん:ショウイチくん! 菊:信じてよ私の話!!! この子は!!! 生まれたときからこうなのよ!!! 体は膨れて顔がなかったの!!! 正一:嘘だよ!!! そんなわけがねえ!!! なあおキク、ほんとのこと言ってくれよ。「人に酷いことをされてるんだ」「脅されてるんだ」って 菊:あんたはいいわよね。人に恵まれて、こんなに綺麗な姿で。愛されたでしょう。だから笑ってられるんだ。能天気で、楽に人の神経を逆なでさせて 正一:ハア!? ふざけんな、オレだって苦労して、ウワ!!! 行李さん:ショウイチ君にげなさい!!! 正一:無理だよ! 行李さん置いて出ていけるか!!! 菊:ねえゴンベェさん。ゴンベェさんは、信じてくれるわよね? 本当の話なのよ。私の、私たちの子は、顔が、 行李さん:わからない、私は、そんな人間、見たことがない。醜い顔はあっても、まるで人の顔じゃないみたいなそんな、顔 菊:あ、あなたなら、わかってくれるって、思ってたのに 行李さん:すまない、でも、わからない、信じれないんだ 菊:どうしてよ!!! だって、この子はここにいて、私が、ここまで、きちんと育てたのよ!!! 行李さん:長野殿が、子供に、打擲(ちょうちゃく)も叱責もするような人ではないとわかっているとも。でも、じゃあ、その子はなんだ? 本当に生れたそのときから、歪んでいたと? 菊:そうよ、そうだって言ってんじゃない 行李さん:アザも、そのときに? 菊:そうよ 正一:行李さん…… 行李さん:……無理だ、わたしには、とても。す、すまない、長野殿 菊:信じてよ……、信じてよォ!!! 行李さん:いまここで一度信じて、そうすればこの子は今後私たちに会えるのか? また今まで道理に隠して、みえないところで折檻(せっかん)をされていたら、それでは、この子が可哀そうだ…… 菊:(息をのむ) 正一:そうだよ!!! だって子供は、大人のものなんだ。大人が隠しちゃこっちは探さないとわからないんだ!!! 今助けなくちゃ、いつ助けられるか 菊:黙りなおまえ!!! みんなそう、私を悪者にして、みんなも、あんたも、結局おなじだったんだよ 菊:殺してやる。死ぬほど痛い目会わせて、後悔させてやる 行李さん:!!! 正一:ダメだよおキク!! 本当に行李さん、死んじまうよ!! やめてくれよォ、おキク!!! 0:途端にまるでうめくような赤子の泣き声が店中に響いた。その声を聞いたお菊は止まって、持っていた刃物を降ろすと慌ててその子供のほうへ向かった。 正一:あ、子供が、泣いちゃった…… 菊:ごめんなさい、ごめんなさい。怒鳴ってごめんね。うるさいよね。こわ、怖かったわよね。ごめんね。ごめんねぇ  :  正一:行李さん…… 行李さん:……これが、噂の正体か? ひどいな 正一:…… 菊:泣かないでぇ、ホウラ、誰も怒ってないわ。ほら、 菊:もう、寝てしまいましょうね、サチ。夜も遅いわ 正一:…… 0:子供をあやしたようだ。落ち着いた菊は振り返って、二人のほうへ向いた。 菊:……二人とも。今日は引き取ってください 正一:おキク、 菊:帰って 正一:…… 行李さん:……長野殿 菊:なにか 行李さん:たとえば、その子の、顔さえ、どうにかできればよいのだろうか 菊:ハア? 行李さん:顔だけなら、どうにかしてやれる。知りあいに、手先も商いも上手いやつがいる。やつなら、人の顔のように精巧な面を、子供のためにつくろってやれるだろ 正一:行李さん 行李さん:やつがいるのは東京だ。長野殿さえよければ、わたしが奴をここへ呼んで来てやろ。悪い話じゃないはずだ 菊:…… 行李さん:きっと、この子は今後も生きづらさを感じる。あなただってわかるはずだ。せめて顔だけでも、よいものを作ってやったほうがいい。この面は、今後きっとこの子のためになる 菊:…… 菊:……ぜひ、よろしくお願い申し上げます  :   :***  :  0:過去 0:光。ただそこはあかるかった。彼女は娘を抱きしめていた。慈しむ顔。いとおしい。しかしその頬には涙があった。彼女の頭は殴打により変色していた。彼女は独り、窓辺に座って娘を抱きしめていた。娘の顔は、形容しがたい酷い形をしていた。 菊:赤ちゃんが欲しかった。一人目の子は流れてしまったから。お前はみんなに望まれた、念願の子だったんだよ。 菊:でも、お前の顔はあちらに取られてしまったんだねえ。お前の顔は、まるで荒れた岩山みたい。どこに目があって、どこが鼻で、どこが頬で、……。 菊:目も鼻も口も本当にあるのかわからないくらい、ひどい。 菊:うまく産んでやれなくてごめんねえ。おかげでお前はみんなに嫌われて、私たちはのけ者にされた。とうとう旦那は、生家と縁を切ることになってしまったよ。 菊:本当は、産まれたばっかりのこの子の顔を、世話をしてやりながら「いったいどんな顔だったのだろう」と想像する日々がたのしかった。 菊:好きなあの人との、愛おしい子 菊:だから私は、お前に「幸せ」という名前をつけたの。 菊:幸子(さちこ)、お前は将来、おなかいっぱいの幸せを掴むんだよ。  :   :***  :  正一:わぁ、すげぇ! 菊:なんだい、いったいどうなっているんだい 行李さん:長野殿、あまり動かないで。うまくいかなくなる 正一:すげえすげえ! まるでおキクが紙の上に現れたみてえだ! 行李さん、絵が上手なんだなあ 菊:意外な趣味ねえ 行李さん:たまたまだ。誰でもできる 正一:誰でもできねえんだよな…… 菊:ねえゴンベェさん。ゴンベェさんさえよかったら、もう一枚ずつ似顔絵を描いてくれないかい? お店にかざりたいんだよ 正一:いいじゃん! 行李さん用意してあげなよ 行李さん:……用意しよう。夫妻の力になれるというのなら、軽いものだ 正一:でも行李さん、二人の似顔絵なんて描いてどうするんだ?  行李さん:作り手に見せるんだ。子どもの顔を作ってもらうんだから、二人に似た顔にしにゃならん 正一:おーー。なるほど 行李さん:あとでその子の顔型もとろう。なあに、寝かせて、その上から顔にそって紙に書くだけよ。あと横顔がどうなっているかも書かねばな 正一:すげえすげえ! いいなあ、オレもお面ほしい 行李さん:君はいらないだろ。ほら、あっちへいけ。邪魔だ。 正一:チェ、ニイちゃんケチだな 菊:楽しみだねえ。サチ。おまえ、顔を用意してくれるって。よかったねえ。 菊:よかったねえ。 0:そういって菊は腕のなかに眠る子供を抱いた。その顔は大変醜く、溶けたように歪んだ顔は口ですら場所がわからない。それでも、今は穏やかに眠っていることだけは確かなようだった。  :   :   :  0: 続  :   :  0:語句説明 用語:薬籠中の物 0:薬箱には薬がなくてはならないようにその人にとって、大事な人のこと。(略) 用語:ぬっぺっぽう(ぬっぺふほふ) 0:ぬっぺふほふまたはぬっぺっぽうは、「画図百鬼夜行」や「百怪図巻」などの江戸時代の妖怪絵巻にある妖怪。顔と体の皺の区別のつかない、一頭身の肉の塊のような姿で描かれている。(ウィキペディア) 0:(作中に出てくる「幸子」の症状は執筆の際に昔みたテレビのとある方の症状を参考にいたしましたが、私の探し方では全く引っかからず…。今のところレックリングハウゼン病という遺伝子疾患を発症された、ポーランドにお住まいのヨアンナという方の症状が一番近いようです) 用語:幸子(さちこ) 0:幸せという誉れ高い名前をもらった女の子。  :   :   :   :   :   :  解説:今回、お菊にフォーカスを当てて執筆をしているため、それ以外の登場人物の行動原理の解説をこの場を借りてさせていただきたいと思います。 解説:正一は生まれてすぐに親元を離れた孤児でありますが、それを最初に拾ったのはその地域のお寺の住職になります。その寺の者も身よりの無い子供や、親とうまく生きれる事が出来そうにない子供などを、寺に呼んだり住まわせていたりしていたお坊さんであります。社会において弱者であり、振るわれる暴力がどのように子供に影響するかを身近に知っていた彼は、どのようなことをすればどんな怪我をするのか、子供が大人にとってどれだけ弱くどうしようもない存在かをずっと見ていたために、子供でありながら子供を守らなきゃいけないという使命感や大人への許せなさを抱えているのです。 解説:なので、幸子の姿をみて真っ先に彼は「虐待」を疑い、それをするのはその両親しかいないと感じ取りました。しかしお菊には大変よくしてもらっていたので、「彼女がやってないといいな」という思いや、「自分がやったといってしまえば、オレは絶対アンタを許さない」といったような複雑な感情を作中で抱えます。これが彼の行動原理です。 解説:行李さんはお菊の味方ではありますが、同時に正一の味方でもあったために決断が揺らぎます。そして彼は未だ、不可解なことを「そうである」とそのまま飲み込むほど器用な人間ではありません。それが彼女をさらに追い詰めることになってしまったのです。

 :  0:   :  正一:は~~~。びっくりした。急に雨が降るんだもんなぁ 行李さん:ショウイチくん。濡れた服は脱いでしまいなさい。大きいが、私のをやろう。体を冷ましてはいけない 正一:ありがと、行李さん。 正一:それにしても……。雨が本降りになって、行李さんが急に走るからそれについてったけど、ここ、どこなんだ? 行李さん:知りあいの寺だ。といっても、その知りあいは今何をしているのか知らない 正一:それって親父関係の人? 行李さん:違う。以前、奥の村から出たときに良くしてくれただけだ。その人は、風の噂で天狗に連れていかれたのだという。だから今は寺にいない 正一:えっ 行李さん:もともと歳老いた老人だった。耄碌(もうろく)していたんだろ。周りが妖のせいにしたかっただけだ 正一:行李さんは、妖は信じてないの 行李さん:どうしてそう思う? 正一:だってそうじゃん 行李さん:……正しくは、違う。 行李さん:私は、妖を信じるべきか、決めかねているんだ。意味が分かるかい? 正一:……ううん 行李さん:……そうだな 0:行李さんは風呂敷のなかにあったその見事な行李をとりだして、その仲から一つの本を出した。それは和紙で重ねたものを紐でくくったものだ。 正一:それなに? 行李さん:これは、私がとっている記録だ 行李さん:見てみなさい 正一:……。 正一:行李さん、これ、本当に使ってるの? どこを開いても墨で真黒じゃないか 行李さん:ああ。私が「妖の仕業だ」と思ったものを記した本なんだ。妖の仕業でなかったものは、後から塗りつぶしている。 行李さん:私がいままで遭遇した怪異というのは全て理由があった。面妖な出来事はなにもない。だから塗りつぶした 正一:そうか。でもあれ、ひとつだけ塗りつぶしていないところがある。一番最初のだ。これは? 行李さん:私が妖を信じるべきか決めかねている事件だ 正一:…… 行李さん:「人の恐怖と信仰と思い込みが、狂気をバケモノにしている」 行李さん:キミの親父の持論だ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)や怪奇現象といった類(たぐ)いのものは、その地に根付いた信仰や人々の思想によるものだという。しかしそれはおかしいと思わないか? 行李さん:私はそんな、目に見えない、不完全で曖昧なものに生み出された存在というのは、ほとほとバカらしいとおもっている。最初から無いようなものじゃないか。 行李さん:しかし、私がはっきり「無い」と言ってやるには、あまりにも周りが妖を信じすぎた。だからこうして変な事がおきれば紙に書き起こしてやろうとおもったのだ。いつでも見返して、どうだったか考えられるように。私が妖を信じてやれるように 正一:ふうん…… 行李さん:……ショウイチくん。具合はどうだろ。ほれ、もっと温まりなさい。風邪をひいてはよくない。そも、なぜここにいる? 奥にはちゃんと話したのか 正一:ちゃんと言ったよ。ついて行っていいって言われたし。 正一:オレ、もう寝るよ。行李さんも風邪には気をつけなよ 行李さん:アイ、おやすみ  :   :  菊:薬籠中(やくろうちゅう)のモノ (タイトルコール)  :   :  正一:ンーーー!! 夜はあんなに土砂降りだったのに、朝になったらカラッっと晴れたぜ! よかったぁ 行李さん:しかし昨日ので土はすっかりぬかるんだな 正一:マア、それはしょうがないだろ 行李さん:そうだ、このへんに知りあいがやっている団子屋があるんだ。飯はそこで済ませないか 正一:いいぜ! 行李さん意外と知りあいは多いんだな 行李さん:意外は結構。といっても、たしかに大しているわけでもないな 行李さん:……ほら見えてきた。あそこだ 正一:へえ、立派な団子屋じゃないか  :  菊:あら、もしかしてあんた、ゴンベェさん? 行李さん:長野殿 正一:(権兵衛さん)? 菊:あんた、まぁたそんな大層なので呼んでンの! おキクでいーのに 正一:…… 菊:マ、こどもができたの。アラアラアラ。あんたもスミにおけないわネ 行李さん:子供じゃない。ただの…… 正一:? 行李さん:……そこらへんの子供だ 菊:そう? そうだボク、お団子はいる? せっかく会えたもの、うちのみたらしはどうでしょ。タレが絶品なのヨ 正一:あ、ありがとうございます 菊:いま持ってくるね 0:そういって菊は店の奥へいった。 正一:……名無しのゴンベェ? 行李さん:そうだ 正一:あの人知りあい? 行李さん:そうだ。この団子屋の看板娘で、旦那と一緒に切り盛りをしている。以前会った時は腹をデカくしていたから、おそらく子がいるはずなんだが…… 正一:こどもなんていなそうだな 行李さん:……聞かないほうがいいかもしれんな。もともと二人は歳だ。なにかあってもおかしくなかろ 正一:ふーん……  :  菊:おまたせ。ほうら、みたらし! ゴンベェさんも、きなこ! 好きだったろ 行李さん:どうもすみません 正一:うわー! こんなに沢山! ありがとう 菊:いいのいいの。最近こどもなんてここらに来ないから、あえてうれしいのヨォ。ボク、名前は? 正一:ショウイチ 菊:ショウイチくんネ。私はキク。お客さんからおキクって呼ばれてんの。よろしくネェ 行李さん:長野殿、団子はうれしいが、飯もほしい。今日はなにがある 菊:今日はねぇ、山菜もいいけど、ウナギがいいの採れたのよ! うちで特性のタレにつけて食べる丼ぶりとかどうでしょう。セイがつくよ 行李さん:ウナギか…… 正一:オレ、うなぎにする 行李さん:私はうどんでいいかな。天ぷらを食いたい 菊:粉ものが好きなのは変わらないねえ、ハイ承知! ボクもまっててね。すぐ作ったげるから!  :  正一:おキクさん。いい人だね 行李さん:そうだな。それに、ここのタレは本当にウマい 正一:ウン。ンまい 行李さん:でも妙だな 正一:? 行李さん:ここの団子屋は、以前来た時これほど寂びれてなかった気がするが…… 正一:……オレ達以外の客は、そういねーな。3人くらい? 行李さん:ここからまたしばらく歩くと別の村があるんだが、寺と村をつなぐこの団子屋はズイブン繁盛するはずなんだ。寺の和尚(おしょう)がいなくなったとて、信仰は途絶えないだろ 正一:……事件とか 行李さん:なにかあったかもしれんな 正一:オレ、他の客に聞いてこようか 行李さん:ホウ 正一:飯代くらい稼ぐって。まかせな、行李さん  :   :***  :  0:時は経つ。夜、腹ごしらえをして寺に戻った二人は話していた。 行李さん:それで、その客は本当に「妖が近くに出るのだ」と言ったんだな 正一:そう。最近、夜の森で出ると噂のその妖は、相撲のように図体がでかいんだ。でも特徴的なのはその醜い顔で、体なんて見えないほどにデカく肥えたそれは袋のように頬も眉も目も鼻もずいぶん垂れて、あるかわからない口から不可思議な音をだしているという 行李さん:……随分はっきりした話だな 正一:見たことある人がいたんだって、それで、町で言いふらしてるんだ。それがみんなに伝わって、怖がって、こっちにこない。 正一:ちょっと前に和尚さんがいなくなったから、村の皆はなおさら怖がってるんだ。妖がでている。ここは良くない場所になっているんだって 行李さん:なるほど…… 正一:行李さん、これからどうするの 行李さん:長野夫妻には世話になっている。あの二人は悪い人じゃない。こんな訳のわからぬことで泣きを見てほしくないんだ。この事件、なんとかしてやりたい 正一:妖さがし! 行李さん:そういうことになるな。……なるほど、夜か 正一:オレもいく! 行李さん:イヤ、ショウイチくんは寝ていなさい。妖の噂で人が寄らないとはいえ、山には山賊がつきもの。危ない 正一:オレも妖さがししたい!! そのために行李さんについてきたのに!! 行李さん:おまえ! そんなもののために奥から出て行ったのか! かえれ! すぐ帰れ! しょうもないことをしてあの人を悲しませるな! 正一:しょうもなくないだろー!! 行李さんはこれのために全国を旅してるじゃないか!! 親父だってそうなんじゃないのか!! それにおかあちゃんにはちゃんと許可とった。オレもついていきたい!! ネーーー!!! 行李さん:こら黙れ!! 駄々をこくな!! 正一:それにオレだって、村に出てやりたいことがあるんだ!! いいだろ! やりたいことができて、面白そうな妖さがしもできる!! イッセキニチョウ!! 行李さん:そんな軽いわけがあるか!! キサマ!! こら!! 待ちなさい!! 正一:べーっだ! 行李さんがオレを捕まえられるもんか!!  :  正一:……? 行李さん:なんだ、観念したか。さあ帰れ 正一:まって行李さん、なんか、変な音が聞こえねえか 行李さん:なんだって 正一:いいや確かに聞こえるんだよ。 正一:外だ! 行李さん:ダメだ! 外にでるな!!! 正一:(出ようと動いたが行李さんに押さえつけられる) 正一:ンガ、 行李さん:……。(耳を澄ましている) 正一:…… 行李さん:聞こえないぞ 正一:い、いや、本当に聞こえたんだって 行李さん:……とにかく、今日はもう寝よう。明日からでも遅くないだろ 正一:なんで! い、いやだよ。妖がにげちゃうかも! 行李さん:落ち着きなさい。急がなくてもきっと大丈夫だ 正一:なんでそう言い切れるんだよ…… 行李さん:妖の噂は私たちがくる前からあるものだった。和尚の天狗と関連するしないにしても、その妖がここにとどまっているなら、それなりの理由があるはずだ。まずはそれを知ってからでも遅くない。今日は様子をみて、明日、長野殿に聞くべきだ。 行李さん:彼女はあの団子屋で暮らしているからな。森のことなら、あの一家はようく知っているはずだとも 正一:…… 行李さん:ほら、もう寝なさい。 行李さん:それとも妖が怖いのか? 正一:うるさい! 違うし! おやすみ行李さん!!! 行李さん:アイおやすみ  :   :***  :  正一:坊主がお経をあげている。 正一:毎日きいていたそれは、オレも空で言えるようになったありがたい言葉。 正一:ああ、夢だ。 正一:これは、夢だ。 正一:だってオレ達は、あのやさしいやさしい、オレと同い年の男の子を連れた若い女に引き取られたんだから。 正一:いまオレ達が育ったあの寺は、もうどこにもないんだ。 正一:目を開けると、みんなの後ろ姿があった。 正一:みんないる。 正一:元気にしてるかな。 正一:この寺はあの日の夜、山賊に襲われて無くなってしまった。 正一:ここにいる何人かは助けられたけど、何人かは未だに行方不明で、残りの坊主と子供は、殺されてもういない。 正一:もう一度目を閉じた。 正一:すると隣に座ってたやつがオレをこづいた。 正一:「寝んなよ。怒られるぞ」 正一:懐かしくなって、目を開けて、そいつの顔を見てみようとして、  :   :***  :  正一:……。(目が醒めてしまった) 行李さん:? おはよう 正一:っくそー。起きちまった……。いや、もう一度寝れば、続きみれるかな…… 行李さん:こら、起きなさい。日が高くなる。飯を食おう 正一:止めないでくれ行李さん! オレはあいつの、あいつの顔を…… 行李さん:寝られるのか? 目はしっかり開いているようだが 正一:……完全に目がさめちまった 行李さん:そいつはよかった。さあ、さっさと顔を洗っておいで 正一:……ちきしょう  :   :   :  菊:聞きたいこと? 行李さん:エエ。いま大丈夫でしたか 菊:ええもちろん。最近はお店がてんで暇だからねえ。それに私も、ゴンベェさんと話したいことは山ほどあるんだよ 行李さん:それはよかった 行李さん:最近、変なことはありませんでしたか? 聞きましたよ。ここらへんで妖なるものがでるそうじゃないですか。あの寺の和尚もいなくなって随分です。私は心配なんですよ 菊:うーん、そうだねぇ。変なこと……。お食事用のお箸をよく落としてるくらいかしら。アハハ 行李さん:フフ、それは大変だ。落とすものなら陶器には気を付けてくださいよ、割れたら大変ですから 菊:ありがとネ。でも、そんくらいなんだよ。ここにきてくれる人はみんな心配してくれるけど、そんな大層なことないのさ。いつもどおりの生活よ 行李さん:そうか、それはよかった 菊:そっか、ゴンベェさん、妖探しをしてるんだったね 行李さん:そんな大したものじゃないですよ。何があったかを見聞きしているだけ。でも大抵のことは蓋をあけてみるとつまらないものです 菊:そうなのかい? じゃあ今回の話もゴンベェさんは期待してないんだ 行李さん:ええ。どうせ子供のイタズラあたりでしょう 菊:子供ね 菊:……ゴンベェさんは、いま歳はいくつなんだっけ? 行李さん:今年で19だったはずです 菊:若いねえ。ほんとに若い。思ってる3歳は若くていつもびっくりするよ。しかし大きくなったネ。前は、そう、 行李さん:16 菊:で、その前は? 行李さん:14 菊:ウワ、14。若いねぇ。その時はモノ好きの法師と一緒にいたろ。あの人は元気かい 行李さん:さあ。ここ2年は会っていません。でもきっと元気でしょう 菊:アハハ。ならいいのよ 行李さん:長野殿だって、前にあった時は腹に子がいたでしょう。あんなに嬉しそうにしていたのに、どうしちまったんですか 菊:ああ、3年前のね 菊:流れちまったのよ。しょうがないね 行李さん:残念だったな。顔がみたかったのに 菊:ハハ、ぜひとも見せてやって、子供がいかにいいもんか説いてやりたかったね 行李さん:次カムズミに会うときにここに寄らせましょう 菊:そりゃいいネ! モノ好きだけどしっかりした人みたいだし。贔屓の坊主より知りあいのモノ好きのほうが温かみがあるもんよ 行李さん:フ、じゃあ次あったら伝えておきます 菊:ぜひそうしておいて  :  菊:でもそうか。もう19になったのネ。いい歳じゃないか。いい人はいないのかい 行李さん:そんなのに構ってる余裕がないです 菊:あんたも落ち着いて、家でも構えればいいのに 行李さん:そうは行かない事情がありまして…… 菊:ハア。男の子だねえ 菊:なんで、そんなことしてるんだい 行李さん:……。 行李さん:昔の話です。 行李さん:まだ幼いころ。私が遊びに言っている間に、家を放火されたことがありまして。あれはとんでもないものでした。綺麗に私の家だけ焼いて、箸一つ残らす燃やし尽くしちまったんです。村の人は、これを「妖の仕業だ」と。 行李さん:でも、私はどうしても信じれなかった。だからもうちょっと勉強して、調べてやろうとおもいまして 菊:それは、恨めしいからかい 行李さん:……どうなんでしょう。もう、随分むかしのことですから 菊:そうかい 菊:だからかい? 行李さん:? 菊:最初に会った時に言ってたろ。「名は名乗れない」って。そういう事情かい 行李さん:いや。……いいえ、半分くらいは、そうかもしれない。きっかけはそうだった 菊:そうかい。そりゃあ、大変だねぇ 菊:……どうしてそんなこと、話してくれたんだい 行李さん:長野殿と、仲良くなっておこうとおもいまして。生活は大丈夫ですか。困ったら相談してください。ちょっとでしたら金の工面もできますから。私に文を出すのであれば東京にある「稲荷」の店にください。年に3回くらいであれば寄っているし、あそこは常に人がいますから 菊:なんだい、アンタ、ほんと私らにやさしいね 行李さん:これくらいのことはしてやりたいんですよ。ここの団子は旨い。天ぷらも旨い。あのカムズミが褒めて、「近くにきたら寄りたい」といった具合ですから 菊:フフ。ありがたいネェ 行李さん:伝えておきます。 行李さん:……失礼、長話をしてしまいました。私はそろそろ村に出かけたショウイチくんを迎えに行かないといけませんで 菊:そう。イイヤこちらこそありがとネ 行李さん:ええ。失礼しました 菊:ねえ、ゴンベェさん 行李さん:? 菊:ゴンベェさんは、おかあちゃんとおとうちゃんのこと、好きかい 行李さん:…… 行李さん:ええ。きっと  :   :***  :  菊:夜にあの人の部屋をそっと覗いてみた。 菊:熱心に書き物をしているのは、あの人が好きなことだから。 菊:お店とは別の、あなたの好きなこと。 菊:私はただ邪魔をしないで、旦那の背中を眺めているこの秘かな時間が好きだった。 菊:大好きなあなた 菊:だから、私と結ばれたせいで独りにしてしまったことを後悔しているの 菊:家を追い出されて、可哀そうなあなた 菊:私が上手に子を産んでやれなかったから 菊:あれのせい 菊:全部、あれのせいなんだわ 菊:私の腹からでてきたものが、憎くってしょうがなかった  :   :***  :  正一:夜に現れる妖がみられたのは、実は意外と森深くじゃなかったんだって。オレらが寝泊りしてる寺があるだろ? あそこよりももうちょっとうちに近くて、それこそあの団子屋の近くだったんだそうだ。 正一:妖をみたって騒いだやつが出てから、森にはほとんど誰も寄らなくなった。でもたまに若い奴が肝試しで見に行ってたんだ。それでもてんで会わないんで、「嘘だったんじゃないか」と話が落ち着いた。でもそれもすこしの間だけだ。 正一:この間、街道から荷物を運びに来た人がその手の物知りで、噂を聞いたときに妖の名を宛てたらしい。ぬっ、ぽう、ぺ? なんかヘンテコな名前なんだ。で、それを聞いた奴は大騒ぎ。ホラ(嘘話)かと思ったら実際にいる妖かもしれねえって、皆こわがってるんだ 行李さん:……なるほど 正一:行李さんのほうは? なんか手がかり、掴めたか? 行李さん:いや、長野殿はよく知らないそうだった。しかしあの様子、おそらく心当たりがないわけでもないと見ている。 行李さん:彼女らしくないんだ、単に。そもそもあんなに物思いにふける性格じゃない。そこも気がかりだが、村の目撃情報と照らし合わせると、彼女が知ってても、よく知らないというのは妙な話だ。家の近くの話じゃないか。 行李さん:(唸る)……気になったら全部気になってきてしまうな 正一:それで行李さんはこれからどうするの? 今日も寺で寝泊り? オレ、今日村の人と仲良くなって、旅をしてて最近は寺で寝泊りしてるって言ったら、心配して一晩うちで泊めていいって言ってくれた人がいたよ。行李さんの話をしたら、来ていいって。どう? 行李さん:それは魅力的な話だ。だが、もう一晩森の様子をみてからでもいいかいショウイチくん。まだ気になることがあってね。妖も、未だこの目に拝んでいないことだし 正一:ッシャ。そうこなくっちゃな 行李さん:……  :   :   :  正一:ふあ…… 行李さん:本当に大丈夫かいショウイチ君。寺で寝ていてもいいんだよ 正一:嫌だね。手伝うったら、手伝うってんだい 行李さん:そうかい……。 正一:昨日きこえた声がもし本当に妖の声なら、ありゃ随分ちいさかったから、きっと寺から遠くの方なんだ 行李さん:それで、森の奥では見ないというのだから、方向はこっちのほうと見て構わないな 正一:しっかし、夜になって森の見渡しがずっと悪いぞ。月明かりもささねえから、本当に真っ暗だ 正一:手元に行灯(あんどん)はあるけど、まったく力にならねえ 行李さん:探す用に灯したんじゃない。歩くためのものだからな。こんなに暗いとちっぽけな灯り一つでもだいぶ目立つ。探しものに目があるならこれはいい案じゃない 正一:うーん。ポッポッポってやつ、聞いてる限り目がある妖だと思わねえけどな…… 行李さん:ほう 正一:だって、袋のように膨れた妖で、顔中垂れてるんだ。そんな姿してたら、目なんて見えてないんじゃないか…… 行李さん:いいやわからない。相手は妖であって、人じゃない。何で生きているのかわからないんだから。懸念はすべきに限る 正一:…… 正一:行李さんってさ、 行李さん:まて、ショウイチ君 正一:? 行李さん:……あそこ、あのほう(遠くを指さす) 正一:……ひどい、なんだ、あれ 行李さん:あれが肉だるまか? 背丈をみるにまるで幼子のようだが、少し様子が…… 正一:あ、あいついっちゃうぞ 行李さん:ついていくぞ、ショウイチ  :  正一:あ! むこう! おキクがいる! まずい、このまま行くとあのバケモン、おキクのほうへいっちまう! 正一:なあおキク! はやく、ムガッ 行李さん:まて、様子がおかしい 正一:なんだよ、早く助けないと、おキクが危ない。 正一:……お菊が、あのバケモンを抱きあげた? 行李さん:いこう 0:  正一:こんばんは、長野殿 菊:!!! 行李さん:夜分遅くにすみません。外をみたらその子を見かけたものですから、もしやとおもい、追いかけてしまいました 菊:あ、アラ。そう。そうよね、この子の姿は珍しいでしょう 行李さん:まるで、噂の妖のような姿です 菊:…… 行李さん:……その子、あなたにとって、なんでしょう? 菊:……店にいらして、お茶を出すわ 行李さん:イイエここで 菊:ダメよ。誰にも聞かれたくないの 正一:…… 0:  正一:その子、抱っこして大丈夫なの? 菊:ええ。思ったより重くないの。むしろふやふやして心地いいくらいなんだから 正一:そうなんだ 行李さん:…… 菊:…… 菊:ほら、お店についたでしょ。いま灯りをつけるから、あがって行って 正一:…… 行李さん:…… 正一:ねえ。その子、もう寝た? 菊:ええ、もうぐっすり。抱っこされるとすぐ寝ちゃうの。もうこんなに大きいのに 正一:なんだ。かわいいじゃないか 菊:ええ本当に。……大人しく寝ていて頂戴ね 行李さん:長野殿 菊:……この子は、私の子供なんです 行李さん:!!! 菊:ひどい姿でしょう。生まれたときからよ。私のお腹からきちんと出したの。でも、…… 行李さん:その、何と言ったらいいでしょう。初めてみました。こんな子供は。だって、 行李さん:顔が、溶けている。人の顔じゃないみたいだ。よく酷い顔だと自称しているやつや、おいぼれでもないのに歯が全部ないやつはいるが、この子の顔は特に変じゃないか…… 菊:そうでしょう。よく人から言われたものですよ。……暴力をされたわけじゃないんです。だってこの子、ただ、うまれつき顔がなくて、他とちょっと違っているだけで、 正一:ウソだよ 菊:え? 正一:おキクの子じゃ、ないよ。よその子だ。だってその子の顔、そのただれ方。オレ、知ってるよ。ヤケドでできるケガだ。それに服で隠れてるけど、その子、アザがある。殴られたみてーなアザ。服のハシから丸見えだぞ。お、おキクが、そんなことするはずねえって。子供なぐるなんてひどいこと、しない。 正一:嘘、ついてるんだろ。本当のこと、いってくれよ 菊:……本当よ 行李さん:長野どの 菊:信じて…… 正一:おキク…… 菊:……そう、そうなるのね  :  0:お菊は近くにあった陶器を持ち上げ、それを行李に投げた。彼は避けた。陶器は外に落ちる。 正一:!!! なんだよおキク! 湯呑なんか投げて、当たったら行李さん危ないだろ!! 菊:うるさいよ、人の気も知らないで 行李さん:まて、話をしよう。長野どの 菊:ないよ話すことなんて。ない。話すことは、とっくに 正一:おキク! 暴力はやめてくれよ! オレ達、おキクを虐めたくてきたんじゃないんだ! おキクを思って…… 菊:なによ、クソガキ! 私の気もしらないで! 正一:ギャ―!!! 行李さん:ショウイチくん! 菊:信じてよ私の話!!! この子は!!! 生まれたときからこうなのよ!!! 体は膨れて顔がなかったの!!! 正一:嘘だよ!!! そんなわけがねえ!!! なあおキク、ほんとのこと言ってくれよ。「人に酷いことをされてるんだ」「脅されてるんだ」って 菊:あんたはいいわよね。人に恵まれて、こんなに綺麗な姿で。愛されたでしょう。だから笑ってられるんだ。能天気で、楽に人の神経を逆なでさせて 正一:ハア!? ふざけんな、オレだって苦労して、ウワ!!! 行李さん:ショウイチ君にげなさい!!! 正一:無理だよ! 行李さん置いて出ていけるか!!! 菊:ねえゴンベェさん。ゴンベェさんは、信じてくれるわよね? 本当の話なのよ。私の、私たちの子は、顔が、 行李さん:わからない、私は、そんな人間、見たことがない。醜い顔はあっても、まるで人の顔じゃないみたいなそんな、顔 菊:あ、あなたなら、わかってくれるって、思ってたのに 行李さん:すまない、でも、わからない、信じれないんだ 菊:どうしてよ!!! だって、この子はここにいて、私が、ここまで、きちんと育てたのよ!!! 行李さん:長野殿が、子供に、打擲(ちょうちゃく)も叱責もするような人ではないとわかっているとも。でも、じゃあ、その子はなんだ? 本当に生れたそのときから、歪んでいたと? 菊:そうよ、そうだって言ってんじゃない 行李さん:アザも、そのときに? 菊:そうよ 正一:行李さん…… 行李さん:……無理だ、わたしには、とても。す、すまない、長野殿 菊:信じてよ……、信じてよォ!!! 行李さん:いまここで一度信じて、そうすればこの子は今後私たちに会えるのか? また今まで道理に隠して、みえないところで折檻(せっかん)をされていたら、それでは、この子が可哀そうだ…… 菊:(息をのむ) 正一:そうだよ!!! だって子供は、大人のものなんだ。大人が隠しちゃこっちは探さないとわからないんだ!!! 今助けなくちゃ、いつ助けられるか 菊:黙りなおまえ!!! みんなそう、私を悪者にして、みんなも、あんたも、結局おなじだったんだよ 菊:殺してやる。死ぬほど痛い目会わせて、後悔させてやる 行李さん:!!! 正一:ダメだよおキク!! 本当に行李さん、死んじまうよ!! やめてくれよォ、おキク!!! 0:途端にまるでうめくような赤子の泣き声が店中に響いた。その声を聞いたお菊は止まって、持っていた刃物を降ろすと慌ててその子供のほうへ向かった。 正一:あ、子供が、泣いちゃった…… 菊:ごめんなさい、ごめんなさい。怒鳴ってごめんね。うるさいよね。こわ、怖かったわよね。ごめんね。ごめんねぇ  :  正一:行李さん…… 行李さん:……これが、噂の正体か? ひどいな 正一:…… 菊:泣かないでぇ、ホウラ、誰も怒ってないわ。ほら、 菊:もう、寝てしまいましょうね、サチ。夜も遅いわ 正一:…… 0:子供をあやしたようだ。落ち着いた菊は振り返って、二人のほうへ向いた。 菊:……二人とも。今日は引き取ってください 正一:おキク、 菊:帰って 正一:…… 行李さん:……長野殿 菊:なにか 行李さん:たとえば、その子の、顔さえ、どうにかできればよいのだろうか 菊:ハア? 行李さん:顔だけなら、どうにかしてやれる。知りあいに、手先も商いも上手いやつがいる。やつなら、人の顔のように精巧な面を、子供のためにつくろってやれるだろ 正一:行李さん 行李さん:やつがいるのは東京だ。長野殿さえよければ、わたしが奴をここへ呼んで来てやろ。悪い話じゃないはずだ 菊:…… 行李さん:きっと、この子は今後も生きづらさを感じる。あなただってわかるはずだ。せめて顔だけでも、よいものを作ってやったほうがいい。この面は、今後きっとこの子のためになる 菊:…… 菊:……ぜひ、よろしくお願い申し上げます  :   :***  :  0:過去 0:光。ただそこはあかるかった。彼女は娘を抱きしめていた。慈しむ顔。いとおしい。しかしその頬には涙があった。彼女の頭は殴打により変色していた。彼女は独り、窓辺に座って娘を抱きしめていた。娘の顔は、形容しがたい酷い形をしていた。 菊:赤ちゃんが欲しかった。一人目の子は流れてしまったから。お前はみんなに望まれた、念願の子だったんだよ。 菊:でも、お前の顔はあちらに取られてしまったんだねえ。お前の顔は、まるで荒れた岩山みたい。どこに目があって、どこが鼻で、どこが頬で、……。 菊:目も鼻も口も本当にあるのかわからないくらい、ひどい。 菊:うまく産んでやれなくてごめんねえ。おかげでお前はみんなに嫌われて、私たちはのけ者にされた。とうとう旦那は、生家と縁を切ることになってしまったよ。 菊:本当は、産まれたばっかりのこの子の顔を、世話をしてやりながら「いったいどんな顔だったのだろう」と想像する日々がたのしかった。 菊:好きなあの人との、愛おしい子 菊:だから私は、お前に「幸せ」という名前をつけたの。 菊:幸子(さちこ)、お前は将来、おなかいっぱいの幸せを掴むんだよ。  :   :***  :  正一:わぁ、すげぇ! 菊:なんだい、いったいどうなっているんだい 行李さん:長野殿、あまり動かないで。うまくいかなくなる 正一:すげえすげえ! まるでおキクが紙の上に現れたみてえだ! 行李さん、絵が上手なんだなあ 菊:意外な趣味ねえ 行李さん:たまたまだ。誰でもできる 正一:誰でもできねえんだよな…… 菊:ねえゴンベェさん。ゴンベェさんさえよかったら、もう一枚ずつ似顔絵を描いてくれないかい? お店にかざりたいんだよ 正一:いいじゃん! 行李さん用意してあげなよ 行李さん:……用意しよう。夫妻の力になれるというのなら、軽いものだ 正一:でも行李さん、二人の似顔絵なんて描いてどうするんだ?  行李さん:作り手に見せるんだ。子どもの顔を作ってもらうんだから、二人に似た顔にしにゃならん 正一:おーー。なるほど 行李さん:あとでその子の顔型もとろう。なあに、寝かせて、その上から顔にそって紙に書くだけよ。あと横顔がどうなっているかも書かねばな 正一:すげえすげえ! いいなあ、オレもお面ほしい 行李さん:君はいらないだろ。ほら、あっちへいけ。邪魔だ。 正一:チェ、ニイちゃんケチだな 菊:楽しみだねえ。サチ。おまえ、顔を用意してくれるって。よかったねえ。 菊:よかったねえ。 0:そういって菊は腕のなかに眠る子供を抱いた。その顔は大変醜く、溶けたように歪んだ顔は口ですら場所がわからない。それでも、今は穏やかに眠っていることだけは確かなようだった。  :   :   :  0: 続  :   :  0:語句説明 用語:薬籠中の物 0:薬箱には薬がなくてはならないようにその人にとって、大事な人のこと。(略) 用語:ぬっぺっぽう(ぬっぺふほふ) 0:ぬっぺふほふまたはぬっぺっぽうは、「画図百鬼夜行」や「百怪図巻」などの江戸時代の妖怪絵巻にある妖怪。顔と体の皺の区別のつかない、一頭身の肉の塊のような姿で描かれている。(ウィキペディア) 0:(作中に出てくる「幸子」の症状は執筆の際に昔みたテレビのとある方の症状を参考にいたしましたが、私の探し方では全く引っかからず…。今のところレックリングハウゼン病という遺伝子疾患を発症された、ポーランドにお住まいのヨアンナという方の症状が一番近いようです) 用語:幸子(さちこ) 0:幸せという誉れ高い名前をもらった女の子。  :   :   :   :   :   :  解説:今回、お菊にフォーカスを当てて執筆をしているため、それ以外の登場人物の行動原理の解説をこの場を借りてさせていただきたいと思います。 解説:正一は生まれてすぐに親元を離れた孤児でありますが、それを最初に拾ったのはその地域のお寺の住職になります。その寺の者も身よりの無い子供や、親とうまく生きれる事が出来そうにない子供などを、寺に呼んだり住まわせていたりしていたお坊さんであります。社会において弱者であり、振るわれる暴力がどのように子供に影響するかを身近に知っていた彼は、どのようなことをすればどんな怪我をするのか、子供が大人にとってどれだけ弱くどうしようもない存在かをずっと見ていたために、子供でありながら子供を守らなきゃいけないという使命感や大人への許せなさを抱えているのです。 解説:なので、幸子の姿をみて真っ先に彼は「虐待」を疑い、それをするのはその両親しかいないと感じ取りました。しかしお菊には大変よくしてもらっていたので、「彼女がやってないといいな」という思いや、「自分がやったといってしまえば、オレは絶対アンタを許さない」といったような複雑な感情を作中で抱えます。これが彼の行動原理です。 解説:行李さんはお菊の味方ではありますが、同時に正一の味方でもあったために決断が揺らぎます。そして彼は未だ、不可解なことを「そうである」とそのまま飲み込むほど器用な人間ではありません。それが彼女をさらに追い詰めることになってしまったのです。