台本概要

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タイトル 暗香(あんこう)の蜜、滴れど
作者名 橘りょう  (@tachibana390)
ジャンル その他
演者人数 3人用台本(不問3)
時間 60 分
台本使用規定 台本説明欄参照
説明 けだるい雰囲気を持つ作家、和泉の元へ現れた青年、薊から伝えられたのは「あなたはグールになりました」という言葉だった。
愛するものを食べることでしか満たされない飢えと渇きに、恋仲である環を突き放すが…

性別は不問なので好きな組み合わせでして頂けたら、と思います。
作中、時系列が前後しますがあえて明記しておりません。
時代背景は昔の日本をイメージしていますが、自由に想像して下さい。
ご使用の際はメンションして教えて頂けると、小躍りして喜びます。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
和泉 不問 231 いずみ。けだるい雰囲気を持つ作家。 担当編集の環とは恋仲
不問 180 たまき。和泉の担当編集。 線の細い美しい見た目をしている。
不問 133 あざみ。和泉の元を訪れた青年。 見た目とは違う年齢の様子。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
和泉 いずみ    けだるそうな雰囲気を持つ作家    担当編集の環と恋仲 環  たまき    担当編集で和泉とは恋仲にある    線の細い美しい外見 薊  あざみ    和泉のもとに現れた青年の姿をした人物    実は人間ではない 環:先生、先生 和泉:…ん、ん…?なんだ、君か… 環:おはようございます 和泉:来たのなら、呼び鈴でも鳴らせば… 環:鳴らしましたよ、何度も 和泉:そうか 環:玄関のカギ、また締め忘れてましたね? 和泉:(体を起こして大欠伸をする)君のために開けておいたんだ 環:出まかせを。鍵なら預かっておりますのでお気遣いなく 和泉:(苦笑いをしながら頭を搔いている) 環:それに。また畳の上で寝て…風邪をひきますよと、何度も言ったじゃありませんか 和泉:こんな暖かい季節に風邪なんぞ引くものか 環:つい先日、鼻水を垂らしながらくしゃみをなさっていたのは、どこのどなたでしたでしょうか? 和泉:記憶にないな、誰だそんな愚か者は 環:都合のよろしいことで。…お茶をどうぞ 和泉:ああ、すまない(湯呑を受け取りすする) 環:先日より随分と進められたのですね(原稿用紙をめくる) 和泉:筆が乗ってな。夢中になっていた…が、いつの間にか眠っていたようだ 環:途中から解読不能になっておりますので、書き直しを頼みますよ 和泉:担当編集に仕事を与えてやってる 環:編集者は暇だと? 和泉:足しげく私の所に通う程度には暇だろう? 環:(溜息)…それにしても、昨夜も随分と吞まれたようですね 和泉:ん?いいや、いつも通りだ 環:まだ…(顔を近づける)香りがしておりますよ? 和泉:君は相変わらず、良い香りがする。それに今日はずいぶんと甘い香りも漂っているようだ 環:甘い? 和泉:(深い口づけを一度)ああ、少し甘ったるいような…そんな香りだ 環:さて…心当たりはないですね 和泉:まぁいい 環:お酒が過ぎるのは、体に毒ですよ 和泉:酒以上に酔わせてくれる者が居れば、そちらに溺れるさ。残念ながら最近は酔わせてもらえないのでね 環:先生… 和泉:ふ、ふふ…怒った顔も悩ましいものだ 環:呆れているのですが 和泉:折角綺麗な顔をしているんだ、そう歪ませるものではない 環:それは先生次第でしょう 和泉:ははっ…酒くらい好きにさせろ。元より、太く長くなどと求めんさ。細く短い生き方でも、今十分に好きな事をしているからな 環:全く…本当に困った人ですね 和泉:それに… 環:? 和泉:…どうも最近、喉が渇いて仕方ない 環:なら、お酒以外をお飲みになっては? 和泉:くっくっ…耳が痛い : :間 : 和泉: …思ひつつ、寝ればや人の見えつらむ…夢と知りせば、覚めざらましを 環:……小野小町、でしたっけ 和泉:ほう、よく知ってる 環:これでも文芸担当ですので、知識は必要です 和泉:そうか 環:…私が、 和泉:ん? 環:私が夢にでも、出てきましたか 和泉:…さあ、どうかな。もう忘れた 環:夢の中でも会いたい、と 和泉:夢など、すぐに消えてしまうものだ 環:それは確かに 和泉:本物が目の前にいるのに、夢の中の虚像を想う理由がどこにある? 環:…まだ、酔いがさめてらっしゃらないご様子で 和泉:あぁ、そうかもな 環:…あ 和泉:どうした? 環:腕に、痣が。ここ 和泉:ん?あぁ、本当だ 環:…… 和泉:どうした?痛みなどはないぞ? 環:…先日、帰りに暴漢に襲われたと言っていらしたでしょう?もしやその時の…? 和泉:あれから日も経つ。いずれ消えるだろう 環:…そうですか。もし痛みが出るようならお医者様に… 和泉:……(不満そうな顔) 環:病院がお嫌いなのは重々承知しております 和泉:分かっていて医者を勧めるとは 環:嫌がらせでございますよ 和泉:だろうな 環:ふふっ。では私はそろそろ帰ります 和泉:もう帰るのか 環:ええ、先生がご無事なのを確認いたしましたので 和泉:つまらん 環:お酒は程々になさってくださいね。また締め切りの頃に伺います 和泉:…分かった 環:解読できる状態でお願いしますよ 和泉:分かった分かった :環、去っていく 和泉:(長いため息)…喉が、乾いた… : : : 薊:(玄関の外から)ごめんください 和泉:… 薊:ごめんください 和泉:…… 薊:ごめんくださいませ 和泉:しつこいな…仕方ない 薊:ごめん… 和泉:聞こえている、少し待て :玄関を開ける 薊:和泉先生でいらっしゃいますね 和泉:…誰だ? 薊:私は薊と申します 和泉:知らんな 薊:そうでしょうね。初対面ですので 和泉:…何者だ?訪問販売や勧誘なら間に合ってる 薊:この様相で訪問販売だと? 和泉:じゃあ何者だ 薊:少し込み入ったお話になりますので、中に入らせていただいても? 和泉:見ず知らずの人間を自宅に招き入れる程… 薊:最近、妙な喉の渇きを覚えませんか? 和泉:…… 薊:何を食べても満たされない、と思ったことは? 和泉:…っ 薊:体のどこかに花のような形の痣がありませんか? 和泉:…お前、何者だ 薊:それを説明するために参りました。…中に入らせていただいても? 和泉:…良いだろう :間 薊:まずは突然の訪問、大変失礼いたしました。改めまして、私は薊と申します 和泉:変わった名だ 薊:ふた月ほど前より、先生の気配は感じておりました。ですが所在を掴むのに時間がかかりまして 和泉:気配…、所在? 薊:どうやら先生はあまり外出をされないようですね、恐らくそのせいでしょう。もっと早くに来たかったのですが 和泉:本題を 薊:…せっかちなお方だ 和泉:回りくどいのは好きではない 薊:なるほど。…では単刀直入に申し上げます 和泉:…… 薊:あなたは人間ではなくなりました 和泉:…は 薊:あなたは人間ではないものになりました 和泉:…ふ、くくく…はははははっ!何を言い出すかと思えば 薊:あなたは人の血肉を食らう食人種(グール)となったのです 和泉:くははははっ、これ以上笑わせてくれるな、馬鹿馬鹿しい 薊:お笑いになりたいなら好きなだけ。私は大真面目です 和泉:あぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。グール?なんだそれは 薊:ひっそりと、人には知られることの無いよう、密かに息づいていた種です 和泉:全く…そんな下らない作り話を聞かせるために私の家まで来たのか。知っているか?これでも私は物書きを生業としている。小説のネタだとしてもあまりにも、だ 薊:(薄く微笑んで黙っている) 和泉:とんだ暇人だな。私は生憎と人肉嗜好(カニバリズム)に興味はない 薊:…… 和泉:帰ってくれ、与太話に付き合うほど暇ではない 薊:…分かりました、今日は帰りましょう。また参ります 和泉:もう来るな 薊:いいえ、参ります。きっと私が必要になるでしょうから 和泉:そんな日は来ない 薊:今はそれで構いません。では、失礼致します。お邪魔いたしました 和泉:さっさと消えてくれ 薊:またお会いする事になりましょう。あぁ、一つ忠告を 和泉:…… 薊:新月の夜はお気を付けください 和泉:失せろ 薊:では、また :出ていく薊 和泉:何と言った?グール?…はっ、馬鹿馬鹿しい :渇きに喉をさする 和泉:そんな訳が、あるか…下らない : : : 環:先生、お邪魔しますよ 和泉:なんだ、また来たのか 環:またとは…そんなつれないことを 和泉:今日はもう、仕事が終わったのか 環:えぇ。良い肴を見つけましたので、ぜひご一緒にと思って 和泉:ほぉ…これはいい 環:私が来なくても、先生はお酒を召し上がるのでしょうけど 和泉:お見通しか 環:もちろんですとも、先生のことは何でも 和泉:ふふ…そうか 環:最近ゆっくりと過ごせなかったのも…ありますけど 和泉:君が随分と忙しそうだったからな 環:どうしても時期的に。申し訳ありません 和泉:責めるつもりはない、私もいい大人だ 環:先生…(寄り添うように抱き着く) 和泉:環… 環:子供のようだと笑われるかもしれませんが…私は少し、寂しかったです 和泉:私もだ。夢の中の君には触れられなかったのだから 環:ふふっ、やはり私が夢の中へお邪魔してしまったのですね 和泉:おっと…口が滑った 環:…嬉しいです 和泉:(啄むように口づける)私も少し、寂しかった 環:先生…、んっ…ちょ、先生。くすぐったいです 和泉:ふふ…そういう反応は、実に愛らしい 環:ん、せんせい… 和泉:(口づけながら)君は…やはり良い匂いがする… 環:…ぁ、ふ、ふふ…(吐息が自然に漏れる) 和泉:甘い、な… 環:も、先生ったら… 和泉:(首筋を舐めていたが甘噛みを始める) 環:っ、じゃれついていらっしゃる…… 和泉:君は…甘いな… 環:は、ぁ…先生は、まるで… 和泉:…まそうだ… 環:んっ…私を、味見しているようですね… 和泉:…っ!(はっとして離れる) 環:…せんせい? 和泉:あ…いや……何でもない。すまなかった 環:? 和泉:せ、折角買ってくれた肴が無駄になってしまうな!今夜は君も飲むといい 環:は、はい… 和泉:(小声で)私は…何をしようとしていた…? : : : 環:ごめんくださ…また玄関が。先生?いらっしゃいますか? 薊:はーい 環:…え 薊:あ、和泉先生の担当の方ですね 環:え、あ…はい。あなたは… 薊:先生の所でお手伝いとして働かせていただくようになりました、薊と申します 環:…そう、ですか… 薊:どうぞ、中へ。先生は先程起きてこられたばかりでして 環:お、邪魔いたします… :間 薊:先生、担当の方がお見えになりました 和泉:あ、ああ… 環:お、はようございます 和泉:ああ…おはよう 薊:お茶を入れてまいります。少々お待ちください 環:…驚きました、人を雇っているだなんて 和泉:まあ、成り行きという奴だ 環:いつからあの方を? 和泉:…一昨日から 環:教えて下されば 和泉:君がここへ来れば顔を合わせると思ったから言わなかった 環:そう、でしたか。社交の場も避けられる先生が珍しいと思って 和泉:身の回りの世話をする者がいると、集中できる 環:しかし、以前は人が常に傍に居るのは… 和泉:気が変わった 環:そうですか…あの、先生… 和泉:それで 環:え… 和泉:何の用だ、今日は。締め切りまでは…まだ数日ある 環:分かっております…その… 和泉:また風邪でもひいて居るのではないかと思ったか? 環:いえ、そうではなくて……ここへ来るのに、それ以外の理由は… 和泉:…… 環:先生に会いに… 薊:お待たせいたしました 環:っ… 薊:どうかなさいましたか? 環:い、いえ… 薊:まだまだ分からないことばかりで。環さん、先生のことを教えてくださいね 和泉:薊、下がっていろ 薊:はあい、かしこまりました。どうぞ、ごゆっくり 和泉:…… 環:……あ、あの 和泉:なんだ 環:先生? 和泉:…… 環:どうして、私からずっと目を逸らしていらっしゃるんですか? 和泉:…… 環:先生…?私を、見て下さらないのですか… 和泉:(ゆっくり視線を向ける) 環:少し、お顔の色がすぐれないように思いますが… 和泉:辞めろっ(環の伸ばしてきた手を叩いて払う) 環:っ… 和泉:…今日はもう帰ってくれ。他でもコラムなんぞを頼まれて…少し忙しいんだ 環:も、申し訳ありません… 和泉:…もう君はここへ来るな 環:え… 和泉:担当を変えて貰うつもりだ 環:ど、どうしてですか…!? 和泉:…… 環:せ、せんせい…!私が何か失礼なことを… 和泉:帰りなさい 環:…! 和泉:…っ、とにかく、帰りなさい。そして… 環:…… 和泉:もう二度と、ここへ来てはいけない 環:なぜ… 和泉:帰れっ!もう二度と私に顔を見せるんじゃない! 環:せ、 和泉:二度と、君の顔は見たくない…!薊!! 環:…… 薊:どうされましたか?随分と大きな声が… 和泉:環を帰らせなさい 薊:よろしいので? 和泉:帰らせろっ! 薊:…はぁい 環:先生… 薊:環さん、どうぞこちらへ(呆然とする環を引っ張る) 環:先生っ…! 和泉:……(背を向けて文机に座る) :間 薊:…大丈夫ですか 環:…はい、すみません…お見苦しい所を… 薊:いえいえ。分かっておりましたから 環:え… 薊:本当に強情というか。和泉先生にも困ったものですね。そうは思いませんか? 環:…… 薊:あなたは、ここへは本当に来ない方が良い 環:な、なぜですか…今までだってずっと先生と良好な関係を… 薊:ええ、存じ上げておりますよ。だからこその忠告です 環:…なにを… 薊:恋心など、時間が経てはいずれ消え去りましょうとも 環:…なんで、しって… 薊:ん-。経験から、でしょうか 環:…… 薊:突然何の説明もなしに、焦がれた相手と引き裂かれるのは大変にお辛いとは思いますが…これも一つの人生経験だと思って 環:…… 薊:これからは私が先生のお傍に付いておりますから 環:っ…!(走り去る) 薊:…やれやれ。私だけが悪者じゃないですか、全く :間 薊:先生? 和泉:…その呼び方をやめろ 薊:ああ、これは失礼 和泉:…帰ったか? 薊:ええ、目に涙をいっぱいためて 和泉:…… 薊:良かったのだろう? 和泉:あぁ… 薊:あんな突き放し方、逆効果だと思うが 和泉:…あいつはまだ若く将来も有望な、優秀な人間だ。それを 薊:でもずっと手元に置いていたのだろう。愛しくて愛しくてたまらない相手なら…お前のその渇きを鎮められたのに 和泉:駄目だ…それだけは、駄目だ 薊:そんなに大切か 和泉:ああ 薊:我が身より? 和泉:当たり前だ : : : 和泉:(床に倒れこみ喉や胸を掻きむしっている)……っ、ぐ…は、ぁ…!は、はぁ… 和泉:なん、なんだ…これは…、は…ぁ…うぐ…… 薊:もしや、と思って来てみたら 和泉:…お、まえ……ぐっ… 薊:(独り言)変貌して約半年。良く持ったものだ 和泉:なんの……は、なしだ… 薊:喉が渇いてたまらないのでしょう 和泉:う、ぐ…… 薊:今夜は新月。そろそろ飢餓のピークが来るだろうと踏んで来てみましたが、案の定でしたねぇ 和泉:き、が… 薊:ええ。我らを満たせるものは決まっているのです 和泉:……っ、ぐ… 薊:見境なく誰かを襲う者もいる中 和泉:うぅ… 薊:あなたは理性的な方のようだ。そして見かけによらず意志も強い 和泉:私は…! 薊:本能でわかるはずだ、何を口にすればその渇きが満たされるのか 和泉:…私は…化け物では、ない…! 薊:あなたはもう理解出来ている 和泉:う、るさい…、はぁ… 薊:自分の最も愛する者の血肉。我らはそれを口にして初めて満たされる 和泉:(荒い呼吸)…絶対に、嫌だ… 薊:…傷つけるのが、怖いか 和泉:あぁ…う、ぐ…は、はぁ、はぁ… 薊:わが身のことだ、分かるだろう。鋭く伸びた爪と牙。それでも認めないと 和泉:…耐えられない、ほど、では…く… 薊:今はそれでいいだろう。発作が出るのは夜だけ… 和泉:なら… 薊:だが、明日の夜は誰かを襲っていない保証はない 和泉:…… 薊:その苦しみが月を超えるごとに強くなっていることに気付かないほど、愚かではないはずだ 和泉:うるさい… 薊:(わざとらしいため息)暴走して騒ぎになると困るんだ。我らの存在はひそやかに… 和泉:うるさいっっ!(薊に飛び掛かる) 薊:っ! 和泉:黙れ、黙れっ!私は…! 薊:私に噛みつけ 和泉:な… 薊:代わりの血肉ではほんの少し、ごまかす程度しかできないが… 和泉:…っ 薊:それでもマシなはずだ 和泉:ふっ…ふっ…… 薊:さあ!(自分の腕を口元へ押し付ける) 和泉:う、ぐ… 薊:噛め 和泉:っ、うがぁぁ…! 薊:…よし :間 : 和泉:…っ、は…(正気に戻った呼吸) 薊:多少は気が紛れただろう 和泉:(口元を乱暴に拭う)私、は… 薊:…またすぐに飢餓の発作は訪れる。これはあくまで誤魔化し程度。砂漠に霧雨が降るようなものだ。だが、僅かな時間、発作を抑える程度のことは出来る 和泉:……私は本当に、人で無くなったのか… 薊:血肉を没する身体が正常だと? 和泉:…そうだ!お前怪我を見せろ! 薊:怪我? 和泉:手当、を……え 薊:もう治った 和泉:あんなに…血が出ていたのに…それに 薊:あの程度の肉が抉れただけならすぐに治る。お前も、同じだ 和泉:…なぜ、こんなことに 薊:約半年ほど前、大きな怪我か事故のような事は? 和泉:夜道で暴漢に襲われた事が、一度 薊:そうか…相手は何人だった 和泉:暗かったから分からなかった。急な事で…何度も殴られて…気が付いたら路地裏だ 薊:…その時、か… 和泉:やられっぱなしだったわけじゃないが、私は生憎喧嘩はからきしだ 薊:…始祖様が滅びてから、もう新しい同士は増えないと思っていたのだが… 和泉:さっきから何をぶつぶつと… 薊:ごく稀に、血液感染をするものが現れると聞く。おそらく、それだろう。お前を襲ったのはグールだったのではないか 和泉:…は? 薊:本来は始祖様の血を受けなければ変貌することはない。あの方はそもそも繁栄を望まなかった 和泉:じゃあ今の私はどういうことだ! 薊:だから、ごく稀に、と言っただろう。いわゆる突然変異というやつだ。それにしても… 和泉:…なんだ 薊:不思議だ。似ても似つかないのに…あの方の空気を感じる : : : 和泉:…は、はぁ…はぁ…喉が、乾く…くそ……うぐ… :物音に顔を上げると環の姿がある 環:せ、んせい…? 和泉:た、まき… 環:ど、どうなさったのですか…!苦しいのですか…! 和泉:なぜ、ここにいる… 環:わ、私は…(和泉に一歩近付く) 和泉:来るなっ! 環:っ!?(手を振り払われた拍子に傷ができる)…ぁ 和泉:は…はぁ、はぁ…くそ、匂いが……甘い… 環:先生、あの… 和泉:(環に飛びかかる) 環:うわっ! 和泉:…せろ…くわ、せろ…! 環:せ、んせい…その爪は…それに… 和泉:くわせ……、ぐっ…だ、めだっ!(逃げるように離れる) 環:先生! 和泉:近づくなっ! 環:…… 和泉:なぜ来た、私はもう二度とここへ来るなと言ったはずだ 環:でも、私は 和泉:顔を見せるなと言ったのが、分からなかったのか! 環:…… 和泉:帰れ…帰れ!今すぐに帰れ! 環:っ!(剣幕に押されて後ずさりする) 和泉:帰れと言ってるのが分からないのか!私の目の前から消えろ!! 環:せん…っ…(踵を返して走り去る) 和泉:…はぁ、はぁ、はぁ……これでいい、これで…環……すまない… : : : 和泉:…また雨か。よく続く :玄関の呼び鈴が鳴る 和泉:こんな天気に…誰だ :繰り返す呼び鈴に玄関を開ける :大雨の中立ち尽くす環の姿 和泉:環… 環:先生… 和泉:…なぜまた来た 環:…… 和泉:もう二度と君の顔は見たくない、何度言えば分かる 環:納得が、出来ません。なぜ急にそんなことをおっしゃるのですか 和泉:…… 環:私が何か失礼なことをしましたか?貴方がそんなにも、顔も見たくないと思うほどに… 和泉:…私の異様な姿を、見ただろう 環:…見ました、ですが、それでも… 和泉:ならば分かるはずだ。帰りなさい 環:帰れません…どうか… 和泉:帰りなさい 環:嫌です 和泉:帰れ 環:嫌です…っ 和泉:…強情な 環:先生…(崩れ落ちるように膝をつく) 和泉:私から言うことは何もない 環:…せ、んせい、お願いします…どうか、どうか、後生です…私を突き放さないでください(そのまま土下座をする) 和泉:…っ 環:お願いします…どうか、お願いします…私から… 和泉:…… 環:私から、先生を、取り上げないでください…お願いします…お願いします… 和泉:…… 環:先生は、私の…生きる理由なんです…後生です、後生ですから…お願いします… 和泉:…やめなさい… 環:おそばに置いてほしいなどとは申しません…私から、あなたを、取り上げないでください…どうか、どうか… 和泉:やめないか…! 環:お願いします…おねがいします…あなたは、私の…命なんです… 和泉:環… 環:往生際が悪いとは百も承知です…分かっております…しかし、私は、先生を心からお慕いしておりますし、同じ気持ちでいて下さっていたと…思っておりました…勘違いも甚だしいと一蹴して下さっても構いません。お願いします… 和泉:やめてくれ…っ! 環:…せん、せい…? 和泉:どうして…私は、君を……君だけは… 環:せんせい… 和泉:君だけは、傷つけるわけに…いかないのに… 環:せんせい 和泉:どうして、こうも強情なんだ…! 環:先生 和泉:私は…わたしは… 環:話して、くださいませんか…今あなたが、何に苦しまれているのか…そんな顔をされる理由を 和泉:…… 環:先生… 薊:もう観念して話してしまえ 和泉:薊… 環:あなたは… 薊:すべて教えてやれ。彼には知る権利がある 和泉:……分かった。入りなさい、そのままでは風邪をひく : : : 環:…そんな 薊:にわかには信じられない話だろう 環:…以前、先生が苦しまれていたのは…そういう事だったのですね 和泉:……なぜ、恐れないのだ 環:それを、問いますか 和泉:あぁ 環:そんな事…先生だから、としか 和泉:…馬鹿者が 薊:グールは愛した者の血肉で飢えと渇きが満たされる。それが成されず飢餓で暴走すれば、見境なく人を殺めてしまうだろう。そうならないよう、私は同胞を見つけては導いてきた。もうそんなことをする必要がなくなったと踏んでいたのに… 和泉:…私が望んだわけではない 薊:分かっている。…あの方も予想していなかっただろうさ。 環:…あなたは、長い時を生きてこられたのですか? 薊:まぁ、お前たちよりも少し、な。…我らは人間より長い寿命を得るだけで、不老不死という事ではない。傷の治りは早いが、急所は人間と同じ、頭や心臓に致命的な傷を負えば我らとて死んでしまう。普通より死ににくい、というだけの生命体だ 環:あの、始祖様という方は… 薊:…亡くなられた、自害だった 和泉:…私も早々にそうしておけば良かったな… 環:先生、なんてことを…! 和泉:本当のことだ 環:……私は嬉しいです 和泉:は… 環:嬉しいのです。だって先生は私を…最も愛していると思って下さっている…そういう事でしょう 和泉:…… 環:だから、それが何より嬉しい…先生に拒絶された時は本当に胸が張り裂けそうでした。…薊さん 薊:なんだ? 環:最も愛する者でなければ、駄目なのでしょう? 薊:…そう。グールの乾きと飢えは、愛する者の血肉で初めて満たされる。逆を返せば、欲した者を食(は)んだ時初めて、それが真実かどうかがわかる 和泉:悪趣味だ 環:それは、先生の乾きを癒せるのは私だけという事なのでしょう。なら…これほど嬉しいことはございません 薊:そんな単純な話では無い 環:でも… 薊:食われる側はそれでいいだろう。だが、食う側はどうなる 環:…… 薊:自分の飢えを満たすために、自分の最も愛する者の命を奪う。残るのは死ぬまで続く孤独と後悔の念だけだ。それでもお前は幸せだと言うか 環:…… 和泉:薊、お前も 薊:…あぁ、食べた。敬愛し、誰よりも大切だった…始祖様を食べた 環:っ?! 薊:あの方は…ずっと孤独だった。その孤独を拭うために仲間を作ったが…誰かを愛することができず、いつも渇きに喘いでは涙を流していらした。私以外は始祖様のもとを去り、残った私はどんな時もお傍を離れなかった。私もまた、愛されなかった。…私は、愛していたのに 和泉:…… 薊:私が思いの丈をぶつけた日、あの方は微笑んで自分を食べろと言った。どうせ傷は癒えるのだから、と。時間をかけて、あらゆる所を食んだ。そして満たされた私を見て…列車に飛び込んだんだ。後を頼むと言い残し…私の想いを受け入れないまま、孤独を残して 環:…薊さん 薊:私の飢えは満たされても…もう触れることすらできない :間 環:あの…先生、お願いがあります 和泉:… 環:私に先生の血を、くださいませんか 和泉:は… 薊:やめておけ、誰もが適応するわけではないんだ。馴染まなければ拒絶反応が起きて死ぬ。そもそも、和泉の血で変貌する可能性は低い 環:…… 和泉:馬鹿なことを言うんじゃない… 環:馬鹿な事ではありません、私は本気です 和泉:環…!! 環:先生のために死ぬことなど恐ろしいとは思いません。しかし、万が一、いや億に一でも可能性があるのであれば 薊:…とんだ博打だな 和泉:もしそれでお前が… 環:もし私が死んでしまったなら、その時は私を食べてください。髪の毛一本残さず、全てをあなたの物にしてください。しかしもし、私があなたと同じものへなれるとしたら…その時は互いに喰らい合えば良いのですから 薊:…思ったより、お前は頭のネジが飛んでいるようだ 環:ええ、そうでしょうね。…私は身勝手で、わがままで、強情なのです 和泉:命を投げ出すような真似は…! 環:投げ出すのではありません。どんな形でも、先生と共にありたいだけなのです。 和泉:…しかし 薊:(溜息)私は帰ろう、後はお前たち二人の問題だ 環:薊さん… 薊:後悔しない道などは無いかもしれん。だがそれが少ない道を選ぶことは出来るだろうさ 環:あ…お見送りをしましょう : :立ち上がり出ていこうとする薊を追う環 :玄関の前で向き合う二人 : 薊:…恐ろしくは、無いのか 環:恐ろしい?何故でしょう 薊:命を落とす可能性を、だ 環:ええ、全く 薊:肝が据わっているな 環:いいえ、これは…すべて私の思う通りですので 薊:…は? 環:(微笑んでいる) 薊:(なにかに気付く)……あぁ…そういう事か 環:ご理解、頂けたようで 薊:うまく隠れたものだ… 環:年の功、というものでしょうね 薊:すっかり騙された 環:ふふ。…私はただ、認めたくないんですよ。私以外で先生が満たされるなど、許されない。先生と一つになれるのは私だけ…そうでしょう? 薊:…お前のような奴は初めてだ。真っ直ぐで純粋…だが、邪悪だ 環:邪悪…そうかもしれませんね。私は…先生以外はどうでもいいとすら思っておりますから 薊:…後悔するのは、和泉かもしれんな 環:後悔など…。私は先生に尽くして尽くして…私のいない生活などありえないと思えるほどに、先生を愛し尽くすつもりでおります。ただ、それだけ 薊:…口出しはしない。お前に、任せた。私の役目はようやく終わりだ… : : : 和泉:薊は、帰ったのか… 環:はい 和泉:環、やはり… 環:何も、言わないでください。私の決意は固いです。どれだけ強情かは、先生が一番よくご存知の筈です 和泉:(返事ではなく呼吸が漏れる)あぁ… 環:大丈夫です。どちらにしても、私は先生だけのものとなれるのです。こんなに幸せなことがありましょうか… 環:私を、愛してくださいませ。深く強く、先生のことだけでいっぱいにしてください… 環:愛しております、先生… : : : 薊:(M)眼下に広がる風景は、振り続ける雨で霞んでいた。瞼を閉じて思い浮かべるのはただ一人、愛したあの方の寂しそうな微笑み 薊:(M)手をの伸ばす。闇に手を伸ばす 薊:(M)虚空を掠る。風が吹く。空に大きく踏み出す : 薊:…今、会いに、参ります : : :終

和泉 いずみ    けだるそうな雰囲気を持つ作家    担当編集の環と恋仲 環  たまき    担当編集で和泉とは恋仲にある    線の細い美しい外見 薊  あざみ    和泉のもとに現れた青年の姿をした人物    実は人間ではない 環:先生、先生 和泉:…ん、ん…?なんだ、君か… 環:おはようございます 和泉:来たのなら、呼び鈴でも鳴らせば… 環:鳴らしましたよ、何度も 和泉:そうか 環:玄関のカギ、また締め忘れてましたね? 和泉:(体を起こして大欠伸をする)君のために開けておいたんだ 環:出まかせを。鍵なら預かっておりますのでお気遣いなく 和泉:(苦笑いをしながら頭を搔いている) 環:それに。また畳の上で寝て…風邪をひきますよと、何度も言ったじゃありませんか 和泉:こんな暖かい季節に風邪なんぞ引くものか 環:つい先日、鼻水を垂らしながらくしゃみをなさっていたのは、どこのどなたでしたでしょうか? 和泉:記憶にないな、誰だそんな愚か者は 環:都合のよろしいことで。…お茶をどうぞ 和泉:ああ、すまない(湯呑を受け取りすする) 環:先日より随分と進められたのですね(原稿用紙をめくる) 和泉:筆が乗ってな。夢中になっていた…が、いつの間にか眠っていたようだ 環:途中から解読不能になっておりますので、書き直しを頼みますよ 和泉:担当編集に仕事を与えてやってる 環:編集者は暇だと? 和泉:足しげく私の所に通う程度には暇だろう? 環:(溜息)…それにしても、昨夜も随分と吞まれたようですね 和泉:ん?いいや、いつも通りだ 環:まだ…(顔を近づける)香りがしておりますよ? 和泉:君は相変わらず、良い香りがする。それに今日はずいぶんと甘い香りも漂っているようだ 環:甘い? 和泉:(深い口づけを一度)ああ、少し甘ったるいような…そんな香りだ 環:さて…心当たりはないですね 和泉:まぁいい 環:お酒が過ぎるのは、体に毒ですよ 和泉:酒以上に酔わせてくれる者が居れば、そちらに溺れるさ。残念ながら最近は酔わせてもらえないのでね 環:先生… 和泉:ふ、ふふ…怒った顔も悩ましいものだ 環:呆れているのですが 和泉:折角綺麗な顔をしているんだ、そう歪ませるものではない 環:それは先生次第でしょう 和泉:ははっ…酒くらい好きにさせろ。元より、太く長くなどと求めんさ。細く短い生き方でも、今十分に好きな事をしているからな 環:全く…本当に困った人ですね 和泉:それに… 環:? 和泉:…どうも最近、喉が渇いて仕方ない 環:なら、お酒以外をお飲みになっては? 和泉:くっくっ…耳が痛い : :間 : 和泉: …思ひつつ、寝ればや人の見えつらむ…夢と知りせば、覚めざらましを 環:……小野小町、でしたっけ 和泉:ほう、よく知ってる 環:これでも文芸担当ですので、知識は必要です 和泉:そうか 環:…私が、 和泉:ん? 環:私が夢にでも、出てきましたか 和泉:…さあ、どうかな。もう忘れた 環:夢の中でも会いたい、と 和泉:夢など、すぐに消えてしまうものだ 環:それは確かに 和泉:本物が目の前にいるのに、夢の中の虚像を想う理由がどこにある? 環:…まだ、酔いがさめてらっしゃらないご様子で 和泉:あぁ、そうかもな 環:…あ 和泉:どうした? 環:腕に、痣が。ここ 和泉:ん?あぁ、本当だ 環:…… 和泉:どうした?痛みなどはないぞ? 環:…先日、帰りに暴漢に襲われたと言っていらしたでしょう?もしやその時の…? 和泉:あれから日も経つ。いずれ消えるだろう 環:…そうですか。もし痛みが出るようならお医者様に… 和泉:……(不満そうな顔) 環:病院がお嫌いなのは重々承知しております 和泉:分かっていて医者を勧めるとは 環:嫌がらせでございますよ 和泉:だろうな 環:ふふっ。では私はそろそろ帰ります 和泉:もう帰るのか 環:ええ、先生がご無事なのを確認いたしましたので 和泉:つまらん 環:お酒は程々になさってくださいね。また締め切りの頃に伺います 和泉:…分かった 環:解読できる状態でお願いしますよ 和泉:分かった分かった :環、去っていく 和泉:(長いため息)…喉が、乾いた… : : : 薊:(玄関の外から)ごめんください 和泉:… 薊:ごめんください 和泉:…… 薊:ごめんくださいませ 和泉:しつこいな…仕方ない 薊:ごめん… 和泉:聞こえている、少し待て :玄関を開ける 薊:和泉先生でいらっしゃいますね 和泉:…誰だ? 薊:私は薊と申します 和泉:知らんな 薊:そうでしょうね。初対面ですので 和泉:…何者だ?訪問販売や勧誘なら間に合ってる 薊:この様相で訪問販売だと? 和泉:じゃあ何者だ 薊:少し込み入ったお話になりますので、中に入らせていただいても? 和泉:見ず知らずの人間を自宅に招き入れる程… 薊:最近、妙な喉の渇きを覚えませんか? 和泉:…… 薊:何を食べても満たされない、と思ったことは? 和泉:…っ 薊:体のどこかに花のような形の痣がありませんか? 和泉:…お前、何者だ 薊:それを説明するために参りました。…中に入らせていただいても? 和泉:…良いだろう :間 薊:まずは突然の訪問、大変失礼いたしました。改めまして、私は薊と申します 和泉:変わった名だ 薊:ふた月ほど前より、先生の気配は感じておりました。ですが所在を掴むのに時間がかかりまして 和泉:気配…、所在? 薊:どうやら先生はあまり外出をされないようですね、恐らくそのせいでしょう。もっと早くに来たかったのですが 和泉:本題を 薊:…せっかちなお方だ 和泉:回りくどいのは好きではない 薊:なるほど。…では単刀直入に申し上げます 和泉:…… 薊:あなたは人間ではなくなりました 和泉:…は 薊:あなたは人間ではないものになりました 和泉:…ふ、くくく…はははははっ!何を言い出すかと思えば 薊:あなたは人の血肉を食らう食人種(グール)となったのです 和泉:くははははっ、これ以上笑わせてくれるな、馬鹿馬鹿しい 薊:お笑いになりたいなら好きなだけ。私は大真面目です 和泉:あぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。グール?なんだそれは 薊:ひっそりと、人には知られることの無いよう、密かに息づいていた種です 和泉:全く…そんな下らない作り話を聞かせるために私の家まで来たのか。知っているか?これでも私は物書きを生業としている。小説のネタだとしてもあまりにも、だ 薊:(薄く微笑んで黙っている) 和泉:とんだ暇人だな。私は生憎と人肉嗜好(カニバリズム)に興味はない 薊:…… 和泉:帰ってくれ、与太話に付き合うほど暇ではない 薊:…分かりました、今日は帰りましょう。また参ります 和泉:もう来るな 薊:いいえ、参ります。きっと私が必要になるでしょうから 和泉:そんな日は来ない 薊:今はそれで構いません。では、失礼致します。お邪魔いたしました 和泉:さっさと消えてくれ 薊:またお会いする事になりましょう。あぁ、一つ忠告を 和泉:…… 薊:新月の夜はお気を付けください 和泉:失せろ 薊:では、また :出ていく薊 和泉:何と言った?グール?…はっ、馬鹿馬鹿しい :渇きに喉をさする 和泉:そんな訳が、あるか…下らない : : : 環:先生、お邪魔しますよ 和泉:なんだ、また来たのか 環:またとは…そんなつれないことを 和泉:今日はもう、仕事が終わったのか 環:えぇ。良い肴を見つけましたので、ぜひご一緒にと思って 和泉:ほぉ…これはいい 環:私が来なくても、先生はお酒を召し上がるのでしょうけど 和泉:お見通しか 環:もちろんですとも、先生のことは何でも 和泉:ふふ…そうか 環:最近ゆっくりと過ごせなかったのも…ありますけど 和泉:君が随分と忙しそうだったからな 環:どうしても時期的に。申し訳ありません 和泉:責めるつもりはない、私もいい大人だ 環:先生…(寄り添うように抱き着く) 和泉:環… 環:子供のようだと笑われるかもしれませんが…私は少し、寂しかったです 和泉:私もだ。夢の中の君には触れられなかったのだから 環:ふふっ、やはり私が夢の中へお邪魔してしまったのですね 和泉:おっと…口が滑った 環:…嬉しいです 和泉:(啄むように口づける)私も少し、寂しかった 環:先生…、んっ…ちょ、先生。くすぐったいです 和泉:ふふ…そういう反応は、実に愛らしい 環:ん、せんせい… 和泉:(口づけながら)君は…やはり良い匂いがする… 環:…ぁ、ふ、ふふ…(吐息が自然に漏れる) 和泉:甘い、な… 環:も、先生ったら… 和泉:(首筋を舐めていたが甘噛みを始める) 環:っ、じゃれついていらっしゃる…… 和泉:君は…甘いな… 環:は、ぁ…先生は、まるで… 和泉:…まそうだ… 環:んっ…私を、味見しているようですね… 和泉:…っ!(はっとして離れる) 環:…せんせい? 和泉:あ…いや……何でもない。すまなかった 環:? 和泉:せ、折角買ってくれた肴が無駄になってしまうな!今夜は君も飲むといい 環:は、はい… 和泉:(小声で)私は…何をしようとしていた…? : : : 環:ごめんくださ…また玄関が。先生?いらっしゃいますか? 薊:はーい 環:…え 薊:あ、和泉先生の担当の方ですね 環:え、あ…はい。あなたは… 薊:先生の所でお手伝いとして働かせていただくようになりました、薊と申します 環:…そう、ですか… 薊:どうぞ、中へ。先生は先程起きてこられたばかりでして 環:お、邪魔いたします… :間 薊:先生、担当の方がお見えになりました 和泉:あ、ああ… 環:お、はようございます 和泉:ああ…おはよう 薊:お茶を入れてまいります。少々お待ちください 環:…驚きました、人を雇っているだなんて 和泉:まあ、成り行きという奴だ 環:いつからあの方を? 和泉:…一昨日から 環:教えて下されば 和泉:君がここへ来れば顔を合わせると思ったから言わなかった 環:そう、でしたか。社交の場も避けられる先生が珍しいと思って 和泉:身の回りの世話をする者がいると、集中できる 環:しかし、以前は人が常に傍に居るのは… 和泉:気が変わった 環:そうですか…あの、先生… 和泉:それで 環:え… 和泉:何の用だ、今日は。締め切りまでは…まだ数日ある 環:分かっております…その… 和泉:また風邪でもひいて居るのではないかと思ったか? 環:いえ、そうではなくて……ここへ来るのに、それ以外の理由は… 和泉:…… 環:先生に会いに… 薊:お待たせいたしました 環:っ… 薊:どうかなさいましたか? 環:い、いえ… 薊:まだまだ分からないことばかりで。環さん、先生のことを教えてくださいね 和泉:薊、下がっていろ 薊:はあい、かしこまりました。どうぞ、ごゆっくり 和泉:…… 環:……あ、あの 和泉:なんだ 環:先生? 和泉:…… 環:どうして、私からずっと目を逸らしていらっしゃるんですか? 和泉:…… 環:先生…?私を、見て下さらないのですか… 和泉:(ゆっくり視線を向ける) 環:少し、お顔の色がすぐれないように思いますが… 和泉:辞めろっ(環の伸ばしてきた手を叩いて払う) 環:っ… 和泉:…今日はもう帰ってくれ。他でもコラムなんぞを頼まれて…少し忙しいんだ 環:も、申し訳ありません… 和泉:…もう君はここへ来るな 環:え… 和泉:担当を変えて貰うつもりだ 環:ど、どうしてですか…!? 和泉:…… 環:せ、せんせい…!私が何か失礼なことを… 和泉:帰りなさい 環:…! 和泉:…っ、とにかく、帰りなさい。そして… 環:…… 和泉:もう二度と、ここへ来てはいけない 環:なぜ… 和泉:帰れっ!もう二度と私に顔を見せるんじゃない! 環:せ、 和泉:二度と、君の顔は見たくない…!薊!! 環:…… 薊:どうされましたか?随分と大きな声が… 和泉:環を帰らせなさい 薊:よろしいので? 和泉:帰らせろっ! 薊:…はぁい 環:先生… 薊:環さん、どうぞこちらへ(呆然とする環を引っ張る) 環:先生っ…! 和泉:……(背を向けて文机に座る) :間 薊:…大丈夫ですか 環:…はい、すみません…お見苦しい所を… 薊:いえいえ。分かっておりましたから 環:え… 薊:本当に強情というか。和泉先生にも困ったものですね。そうは思いませんか? 環:…… 薊:あなたは、ここへは本当に来ない方が良い 環:な、なぜですか…今までだってずっと先生と良好な関係を… 薊:ええ、存じ上げておりますよ。だからこその忠告です 環:…なにを… 薊:恋心など、時間が経てはいずれ消え去りましょうとも 環:…なんで、しって… 薊:ん-。経験から、でしょうか 環:…… 薊:突然何の説明もなしに、焦がれた相手と引き裂かれるのは大変にお辛いとは思いますが…これも一つの人生経験だと思って 環:…… 薊:これからは私が先生のお傍に付いておりますから 環:っ…!(走り去る) 薊:…やれやれ。私だけが悪者じゃないですか、全く :間 薊:先生? 和泉:…その呼び方をやめろ 薊:ああ、これは失礼 和泉:…帰ったか? 薊:ええ、目に涙をいっぱいためて 和泉:…… 薊:良かったのだろう? 和泉:あぁ… 薊:あんな突き放し方、逆効果だと思うが 和泉:…あいつはまだ若く将来も有望な、優秀な人間だ。それを 薊:でもずっと手元に置いていたのだろう。愛しくて愛しくてたまらない相手なら…お前のその渇きを鎮められたのに 和泉:駄目だ…それだけは、駄目だ 薊:そんなに大切か 和泉:ああ 薊:我が身より? 和泉:当たり前だ : : : 和泉:(床に倒れこみ喉や胸を掻きむしっている)……っ、ぐ…は、ぁ…!は、はぁ… 和泉:なん、なんだ…これは…、は…ぁ…うぐ…… 薊:もしや、と思って来てみたら 和泉:…お、まえ……ぐっ… 薊:(独り言)変貌して約半年。良く持ったものだ 和泉:なんの……は、なしだ… 薊:喉が渇いてたまらないのでしょう 和泉:う、ぐ…… 薊:今夜は新月。そろそろ飢餓のピークが来るだろうと踏んで来てみましたが、案の定でしたねぇ 和泉:き、が… 薊:ええ。我らを満たせるものは決まっているのです 和泉:……っ、ぐ… 薊:見境なく誰かを襲う者もいる中 和泉:うぅ… 薊:あなたは理性的な方のようだ。そして見かけによらず意志も強い 和泉:私は…! 薊:本能でわかるはずだ、何を口にすればその渇きが満たされるのか 和泉:…私は…化け物では、ない…! 薊:あなたはもう理解出来ている 和泉:う、るさい…、はぁ… 薊:自分の最も愛する者の血肉。我らはそれを口にして初めて満たされる 和泉:(荒い呼吸)…絶対に、嫌だ… 薊:…傷つけるのが、怖いか 和泉:あぁ…う、ぐ…は、はぁ、はぁ… 薊:わが身のことだ、分かるだろう。鋭く伸びた爪と牙。それでも認めないと 和泉:…耐えられない、ほど、では…く… 薊:今はそれでいいだろう。発作が出るのは夜だけ… 和泉:なら… 薊:だが、明日の夜は誰かを襲っていない保証はない 和泉:…… 薊:その苦しみが月を超えるごとに強くなっていることに気付かないほど、愚かではないはずだ 和泉:うるさい… 薊:(わざとらしいため息)暴走して騒ぎになると困るんだ。我らの存在はひそやかに… 和泉:うるさいっっ!(薊に飛び掛かる) 薊:っ! 和泉:黙れ、黙れっ!私は…! 薊:私に噛みつけ 和泉:な… 薊:代わりの血肉ではほんの少し、ごまかす程度しかできないが… 和泉:…っ 薊:それでもマシなはずだ 和泉:ふっ…ふっ…… 薊:さあ!(自分の腕を口元へ押し付ける) 和泉:う、ぐ… 薊:噛め 和泉:っ、うがぁぁ…! 薊:…よし :間 : 和泉:…っ、は…(正気に戻った呼吸) 薊:多少は気が紛れただろう 和泉:(口元を乱暴に拭う)私、は… 薊:…またすぐに飢餓の発作は訪れる。これはあくまで誤魔化し程度。砂漠に霧雨が降るようなものだ。だが、僅かな時間、発作を抑える程度のことは出来る 和泉:……私は本当に、人で無くなったのか… 薊:血肉を没する身体が正常だと? 和泉:…そうだ!お前怪我を見せろ! 薊:怪我? 和泉:手当、を……え 薊:もう治った 和泉:あんなに…血が出ていたのに…それに 薊:あの程度の肉が抉れただけならすぐに治る。お前も、同じだ 和泉:…なぜ、こんなことに 薊:約半年ほど前、大きな怪我か事故のような事は? 和泉:夜道で暴漢に襲われた事が、一度 薊:そうか…相手は何人だった 和泉:暗かったから分からなかった。急な事で…何度も殴られて…気が付いたら路地裏だ 薊:…その時、か… 和泉:やられっぱなしだったわけじゃないが、私は生憎喧嘩はからきしだ 薊:…始祖様が滅びてから、もう新しい同士は増えないと思っていたのだが… 和泉:さっきから何をぶつぶつと… 薊:ごく稀に、血液感染をするものが現れると聞く。おそらく、それだろう。お前を襲ったのはグールだったのではないか 和泉:…は? 薊:本来は始祖様の血を受けなければ変貌することはない。あの方はそもそも繁栄を望まなかった 和泉:じゃあ今の私はどういうことだ! 薊:だから、ごく稀に、と言っただろう。いわゆる突然変異というやつだ。それにしても… 和泉:…なんだ 薊:不思議だ。似ても似つかないのに…あの方の空気を感じる : : : 和泉:…は、はぁ…はぁ…喉が、乾く…くそ……うぐ… :物音に顔を上げると環の姿がある 環:せ、んせい…? 和泉:た、まき… 環:ど、どうなさったのですか…!苦しいのですか…! 和泉:なぜ、ここにいる… 環:わ、私は…(和泉に一歩近付く) 和泉:来るなっ! 環:っ!?(手を振り払われた拍子に傷ができる)…ぁ 和泉:は…はぁ、はぁ…くそ、匂いが……甘い… 環:先生、あの… 和泉:(環に飛びかかる) 環:うわっ! 和泉:…せろ…くわ、せろ…! 環:せ、んせい…その爪は…それに… 和泉:くわせ……、ぐっ…だ、めだっ!(逃げるように離れる) 環:先生! 和泉:近づくなっ! 環:…… 和泉:なぜ来た、私はもう二度とここへ来るなと言ったはずだ 環:でも、私は 和泉:顔を見せるなと言ったのが、分からなかったのか! 環:…… 和泉:帰れ…帰れ!今すぐに帰れ! 環:っ!(剣幕に押されて後ずさりする) 和泉:帰れと言ってるのが分からないのか!私の目の前から消えろ!! 環:せん…っ…(踵を返して走り去る) 和泉:…はぁ、はぁ、はぁ……これでいい、これで…環……すまない… : : : 和泉:…また雨か。よく続く :玄関の呼び鈴が鳴る 和泉:こんな天気に…誰だ :繰り返す呼び鈴に玄関を開ける :大雨の中立ち尽くす環の姿 和泉:環… 環:先生… 和泉:…なぜまた来た 環:…… 和泉:もう二度と君の顔は見たくない、何度言えば分かる 環:納得が、出来ません。なぜ急にそんなことをおっしゃるのですか 和泉:…… 環:私が何か失礼なことをしましたか?貴方がそんなにも、顔も見たくないと思うほどに… 和泉:…私の異様な姿を、見ただろう 環:…見ました、ですが、それでも… 和泉:ならば分かるはずだ。帰りなさい 環:帰れません…どうか… 和泉:帰りなさい 環:嫌です 和泉:帰れ 環:嫌です…っ 和泉:…強情な 環:先生…(崩れ落ちるように膝をつく) 和泉:私から言うことは何もない 環:…せ、んせい、お願いします…どうか、どうか、後生です…私を突き放さないでください(そのまま土下座をする) 和泉:…っ 環:お願いします…どうか、お願いします…私から… 和泉:…… 環:私から、先生を、取り上げないでください…お願いします…お願いします… 和泉:…… 環:先生は、私の…生きる理由なんです…後生です、後生ですから…お願いします… 和泉:…やめなさい… 環:おそばに置いてほしいなどとは申しません…私から、あなたを、取り上げないでください…どうか、どうか… 和泉:やめないか…! 環:お願いします…おねがいします…あなたは、私の…命なんです… 和泉:環… 環:往生際が悪いとは百も承知です…分かっております…しかし、私は、先生を心からお慕いしておりますし、同じ気持ちでいて下さっていたと…思っておりました…勘違いも甚だしいと一蹴して下さっても構いません。お願いします… 和泉:やめてくれ…っ! 環:…せん、せい…? 和泉:どうして…私は、君を……君だけは… 環:せんせい… 和泉:君だけは、傷つけるわけに…いかないのに… 環:せんせい 和泉:どうして、こうも強情なんだ…! 環:先生 和泉:私は…わたしは… 環:話して、くださいませんか…今あなたが、何に苦しまれているのか…そんな顔をされる理由を 和泉:…… 環:先生… 薊:もう観念して話してしまえ 和泉:薊… 環:あなたは… 薊:すべて教えてやれ。彼には知る権利がある 和泉:……分かった。入りなさい、そのままでは風邪をひく : : : 環:…そんな 薊:にわかには信じられない話だろう 環:…以前、先生が苦しまれていたのは…そういう事だったのですね 和泉:……なぜ、恐れないのだ 環:それを、問いますか 和泉:あぁ 環:そんな事…先生だから、としか 和泉:…馬鹿者が 薊:グールは愛した者の血肉で飢えと渇きが満たされる。それが成されず飢餓で暴走すれば、見境なく人を殺めてしまうだろう。そうならないよう、私は同胞を見つけては導いてきた。もうそんなことをする必要がなくなったと踏んでいたのに… 和泉:…私が望んだわけではない 薊:分かっている。…あの方も予想していなかっただろうさ。 環:…あなたは、長い時を生きてこられたのですか? 薊:まぁ、お前たちよりも少し、な。…我らは人間より長い寿命を得るだけで、不老不死という事ではない。傷の治りは早いが、急所は人間と同じ、頭や心臓に致命的な傷を負えば我らとて死んでしまう。普通より死ににくい、というだけの生命体だ 環:あの、始祖様という方は… 薊:…亡くなられた、自害だった 和泉:…私も早々にそうしておけば良かったな… 環:先生、なんてことを…! 和泉:本当のことだ 環:……私は嬉しいです 和泉:は… 環:嬉しいのです。だって先生は私を…最も愛していると思って下さっている…そういう事でしょう 和泉:…… 環:だから、それが何より嬉しい…先生に拒絶された時は本当に胸が張り裂けそうでした。…薊さん 薊:なんだ? 環:最も愛する者でなければ、駄目なのでしょう? 薊:…そう。グールの乾きと飢えは、愛する者の血肉で初めて満たされる。逆を返せば、欲した者を食(は)んだ時初めて、それが真実かどうかがわかる 和泉:悪趣味だ 環:それは、先生の乾きを癒せるのは私だけという事なのでしょう。なら…これほど嬉しいことはございません 薊:そんな単純な話では無い 環:でも… 薊:食われる側はそれでいいだろう。だが、食う側はどうなる 環:…… 薊:自分の飢えを満たすために、自分の最も愛する者の命を奪う。残るのは死ぬまで続く孤独と後悔の念だけだ。それでもお前は幸せだと言うか 環:…… 和泉:薊、お前も 薊:…あぁ、食べた。敬愛し、誰よりも大切だった…始祖様を食べた 環:っ?! 薊:あの方は…ずっと孤独だった。その孤独を拭うために仲間を作ったが…誰かを愛することができず、いつも渇きに喘いでは涙を流していらした。私以外は始祖様のもとを去り、残った私はどんな時もお傍を離れなかった。私もまた、愛されなかった。…私は、愛していたのに 和泉:…… 薊:私が思いの丈をぶつけた日、あの方は微笑んで自分を食べろと言った。どうせ傷は癒えるのだから、と。時間をかけて、あらゆる所を食んだ。そして満たされた私を見て…列車に飛び込んだんだ。後を頼むと言い残し…私の想いを受け入れないまま、孤独を残して 環:…薊さん 薊:私の飢えは満たされても…もう触れることすらできない :間 環:あの…先生、お願いがあります 和泉:… 環:私に先生の血を、くださいませんか 和泉:は… 薊:やめておけ、誰もが適応するわけではないんだ。馴染まなければ拒絶反応が起きて死ぬ。そもそも、和泉の血で変貌する可能性は低い 環:…… 和泉:馬鹿なことを言うんじゃない… 環:馬鹿な事ではありません、私は本気です 和泉:環…!! 環:先生のために死ぬことなど恐ろしいとは思いません。しかし、万が一、いや億に一でも可能性があるのであれば 薊:…とんだ博打だな 和泉:もしそれでお前が… 環:もし私が死んでしまったなら、その時は私を食べてください。髪の毛一本残さず、全てをあなたの物にしてください。しかしもし、私があなたと同じものへなれるとしたら…その時は互いに喰らい合えば良いのですから 薊:…思ったより、お前は頭のネジが飛んでいるようだ 環:ええ、そうでしょうね。…私は身勝手で、わがままで、強情なのです 和泉:命を投げ出すような真似は…! 環:投げ出すのではありません。どんな形でも、先生と共にありたいだけなのです。 和泉:…しかし 薊:(溜息)私は帰ろう、後はお前たち二人の問題だ 環:薊さん… 薊:後悔しない道などは無いかもしれん。だがそれが少ない道を選ぶことは出来るだろうさ 環:あ…お見送りをしましょう : :立ち上がり出ていこうとする薊を追う環 :玄関の前で向き合う二人 : 薊:…恐ろしくは、無いのか 環:恐ろしい?何故でしょう 薊:命を落とす可能性を、だ 環:ええ、全く 薊:肝が据わっているな 環:いいえ、これは…すべて私の思う通りですので 薊:…は? 環:(微笑んでいる) 薊:(なにかに気付く)……あぁ…そういう事か 環:ご理解、頂けたようで 薊:うまく隠れたものだ… 環:年の功、というものでしょうね 薊:すっかり騙された 環:ふふ。…私はただ、認めたくないんですよ。私以外で先生が満たされるなど、許されない。先生と一つになれるのは私だけ…そうでしょう? 薊:…お前のような奴は初めてだ。真っ直ぐで純粋…だが、邪悪だ 環:邪悪…そうかもしれませんね。私は…先生以外はどうでもいいとすら思っておりますから 薊:…後悔するのは、和泉かもしれんな 環:後悔など…。私は先生に尽くして尽くして…私のいない生活などありえないと思えるほどに、先生を愛し尽くすつもりでおります。ただ、それだけ 薊:…口出しはしない。お前に、任せた。私の役目はようやく終わりだ… : : : 和泉:薊は、帰ったのか… 環:はい 和泉:環、やはり… 環:何も、言わないでください。私の決意は固いです。どれだけ強情かは、先生が一番よくご存知の筈です 和泉:(返事ではなく呼吸が漏れる)あぁ… 環:大丈夫です。どちらにしても、私は先生だけのものとなれるのです。こんなに幸せなことがありましょうか… 環:私を、愛してくださいませ。深く強く、先生のことだけでいっぱいにしてください… 環:愛しております、先生… : : : 薊:(M)眼下に広がる風景は、振り続ける雨で霞んでいた。瞼を閉じて思い浮かべるのはただ一人、愛したあの方の寂しそうな微笑み 薊:(M)手をの伸ばす。闇に手を伸ばす 薊:(M)虚空を掠る。風が吹く。空に大きく踏み出す : 薊:…今、会いに、参ります : : :終