台本概要

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タイトル 伽藍憧-Resurrection-
作者名 アール/ドラゴス  (@Dragoss_R)
ジャンル ミステリー
演者人数 3人用台本(不問3)
時間 60 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 がらんどう-リザレクション-

"アンノウン"が目を覚ますと、そこは自身の精神世界だった。
名無しと虚ろの手を借りて、正体不明の真実を明かせ。
一度心が朽ち果てようと、鎮魂歌にはまだ早い。

「乾いた音が響いて、―――――は殺された。」


【Special Thanks : *Unknown*】

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
アンノウン 不問 150 *Unknown*
ネームレス 不問 128 名前の無い天使。
ホロウ 不問 129 空っぽの死神。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
0:伽藍憧-Resurrection- : アンノウン:[M] 涙の日。いつの間にか俺は夢を見ている。登場人物は二人。舞台は小さな部屋の中で、壁も家具も空気感も、何もかもが「無彩色」だった。 : ホロウ:……これ、いつまで続くんだろうな~。ま、僕にはきっと知る由もないんだろうけど! ネームレス:…信じられない。まさか、「手遅れ」に「例外」(イレギュラー)だなんて。 ホロウ:知る由の到来は近かったのかもしれない。はいはいどなた~? ネームレス:説明はあとで、とにかく今は、[フェードアウトするように](私の話を聞いて……、 : アンノウン:[M] [被せて]片方は子供?のようで、ふよふよと宙に浮いている。幽霊的なやつなのだろう。夢だから細かい設定とかわからないけど。 : ネームレス:……と、いうことです。…わかっていただけましたか。 ホロウ:えぇーっと、つまりそれって、僕は、[フェードアウトするように](本来ならとっくに―――、 : アンノウン:[M] [被せて]もう一方は丁寧な言葉遣いの人で、こちらは顔がない。スレンダーマン、と言って伝わるだろうか。その形容で九割間違っていないだろう。そっくりだ。 : ホロウ:うーん、今回の子はなかなかの寝坊助さんみたいだ~、全然起きない。 ネームレス:困りましたね…、どうしたものか。 ホロウ:もうめんどくさいし、アレ、[フェードアウトするように](使っちゃおうよ……、 : アンノウン:[M] [被せて]そんな摩訶不思議な二人組が駄弁る風景が、延々と俺の中で構成されている。…いや、どんな夢よこれ。 : ネームレス:…確かに、これ以上の時間の浪費はまずい。やむなくではありますが、やっちゃいましょう。 ホロウ:よしっ、一思いにやっちゃえ、ゴンベエ! ネームレス:うぅむ。なかなか理に適っている呼び名ですが、その系列で行くならジョン・スミスあたりの方が単純(シンプル)じゃないですか? ホロウ:えぇ~っ、僕はこっちのがかわいいと思うんだけどなぁ。それに、君はどうとでも呼ばれて然るべきだと思います。 ネームレス:そいつは「ごもっとも」(ザッツライト)な意見でした。さてと。それでは申し訳ないですが、[フェードアウトするように](強制的に起きてもらいましょう……、 : アンノウン:[M] [被せて]しっかし、なんだか妙にリアルだし、明晰夢なのに触れ込みと違って思った通りにならないし、極めつけにゃあ全然眼が覚めないと来てるんだよなぁ…。この変な夢は(一体全体いつになったら―――。 ネームレス:[被せて]「現実」ですよ。まごうことなく。 アンノウン:[飛び起きる]ッ、うひぁ…っ!? ホロウ:あはは、うとうとモノローグ中だったのにごめんねっ。君が全然起きないから僕が急かしたんだ。 : アンノウン:[M]俺が持つすべての「気持ち悪い」が全身を伝った。そう、例えるなら、横隔膜にダイレクトアタックを決められたような感覚…、いや、そんな経験は勿論ないはずなんけど、とにかくそんな感じがして、俺はベッドの上で飛び跳ねた。つまり、何が起きたのかはわからんが夢から醒めたのだ。…本当に? : ネームレス:グッモーニン、"アンノウン"。長い眠りでしたね。 ホロウ:本当に!途中からベッドが棺桶に見えたもんっ。 ネームレス:それはあなたが飽き性なだけだと思いますけど…。 アンノウン:…夢から醒めると、そこは夢の中だった…?トロイメライがマトリョーシカ…? ネームレス:露語(ロシアン)と独語(ジャーマン)が交じるほどに混乱しているのはよくわかりますし、私たちの容姿といい状況といい信じがたいかもしれませんが、これはあなたの夢想ではないのです。 ホロウ:まあ正確にはそれもちょっと違うんだけどね~っ。 アンノウン:…確かに意識ははっきりしてるし、これが夢であるわけがないっていう漠然とした確信も湧いてくる。…え、じゃああなた方は誰、何者!?そんでここはどこ!?ついでに私はだれ―――、…は? : アンノウン:[M]無意識的に頭に手を持っていく。空(むな)しくも、俺の口から零れる言葉が止まることはなかった。 : アンノウン:……俺は…、何者だったんだっ、け…? ホロウ:気づくの早いね~!そう。君は何も思い出せなくなっている。でもそれは、記憶に靄(もや)がかかっている―――、というような「忘却」(かんかく)じゃない。 ネームレス:言語化するならば、自分に関する記憶の一切合切が、あたかも「なかった」かのように抜け落ちている。自覚していただけましたね。 アンノウン:…はい。 ネームレス:ありがとうございます。そして、恐らくあなたのお察しのとおり、私たちはこの状況の「大抵」を知っています。あなたを「救い出す」ため、僭越ながら現状の説明をさせていただきたく。 アンノウン:救う…、ですか。何が起こってるのかは勿論教えてほしいんですが、その前に一つ聞いてもいいですかね。 ホロウ:どうぞどうぞ~!あ、あと敬語はつけなくていいよ、堅苦しいし、君には砕けた口調が似合うと思うので……! アンノウン:…じゃあそうさせてもらうけど―――、 : アンノウン:―――さては俺、死んだんじゃないの? : ホロウ:……! ネームレス:…ご明察。残念ながら、その通りです。 アンノウン:あぁ…、やっぱそうかぁ…。いや、なんだかそんな気がしてさ。起きた時からずっと「生きた心地がしなかった」から。でもまあ、死んでるんなら納得だ。 ホロウ:…随分とノーリアクションなんだね? アンノウン:そうね。記憶ないからなんでかはしらないけど。あ、水を差してごめん。確かめたかったのはそんだけだから、続けてください。ちゃんと聞くんで。 ネームレス:…畏まりました。それではまずは…、我々が何者なのかについてお話させていただきましょう。ホロウ。 ホロウ:はーい! : アンノウン:[M]スレンダーマンが幽霊を呼ぶと、二人は並んで俺の前に立ち、礼儀正しく話す。 : ネームレス:改めて、はじめまして。私は■■■(ネームレス)。名前がないので、ネームレスという名前があります。職業は天界からの使い…、現世で言うところの天使、というやつです。以後お見知りおきを。 ホロウ:そしてそして、はじめまして……!僕は「  」(ホロウ)。空っぽで空虚で上の空な死神です~っ! アンノウン:天使のネームレスさんと、死神さん……。えっ、あ、そっちが天使なのね!?もしあり得るなら逆だろうなあってずっと思ってたわ。 ネームレス:よく言われます。 ホロウ:…なんか、めちゃくちゃ飲み込み早いね君。 アンノウン:そりゃ自分が死んでるなら今いる場所は天国「と」地獄か生死の狭間かって思うのが定石じゃない。 ネームレス:冷静な判断力、恐れ入ります。しかし、答えはそのどれでもありません。 ホロウ:ここは、君の「精神の内側」で~すっ! アンノウン:ほほう。 ホロウ:興味津々だね。 アンノウン:そりゃ気になりますから。 ネームレス:この部屋は今際(いまわ)の際(きわ)のあなたの「心の奥底」を表したものになります。見渡せば、小さな部屋ながら家具は充実しているのに、何もかもがMonochrome(モノクローム)で構成されていて、色が消失していることがわかりますね。 アンノウン:はい。なんとも目に優しい部屋だなあと思います。 ホロウ:でもそれは裏を返せば、君の心には「鮮やかさ」がまるでないってこと。この部屋はその人の根幹にある信念や希望を体現するから、大抵カラフルな色で溢れているはずなんだよ。 アンノウン:えぇっと、その話で行くと…、つまり俺は「何もかもに絶望して死んだ」みたいなことであってる? ネームレス:その通り。もう少し詳しく言えば、「何もかもが信じられない」、「自分なんていらない、いなくなってしまいたい」…、そんな思いが募りに募った結果、あなたは自分自身を「捨ててしまった」。記憶も名前も、生きた証の何もかもを擲(なげう)った結果、最終的に今のあなたが残ったのです。 アンノウン:…要は、「あんまりにも絶望して死んだから、そのはずみで自分の記憶とか全部捨てちゃった」みたいな話か。俺が今なんにも覚えてないのもそれのせいと。 ホロウ:そうそう!そして、天に召されることすら億劫になった君の魂は、やがて成仏すら拒んで、自分の精神の奥底に閉じこもってしまった。それが今僕たちがいるこの部屋ってわけ! ネームレス:絶望が作り出す心象の具現は、その人物が死してなお遺(のこ)り続け、魂を束縛します。しかし、これらの行動は自然の摂理に反しているため、長い時間放置することは世界の歪(ひず)みに繋がりかねません。だからこそ、この監獄からあなたの魂を解き放つために私たちがやってきました。 アンノウン:あぁね…? ホロウ:まあ簡単に言えば、君の魂は鍵をかけて自分の精神の奥底に閉じこもっちゃったんだけど、死んじゃったのに来世にも行かないで引きこもるのは色々と良くないねってことで、僕たちが強引に部屋の中に押し入り、鍵を探して君を外に出そうとしている、というわけです! アンノウン:なるほど…、ようし、なんとなく理解した。 ネームレス:まあ、細かい原理や事情はもう少し複雑なのですが…、今のところ持つべき認識は、このくらいで大丈夫でしょうね。噛み砕いてくれてありがとうございます、ホロウ。 ホロウ:いえいえ~!"アンノウン"も、すんなりとしたご理解ご協力、凄い助かります~…! ネームレス:それでは、具体的に今から何をするか、ですが…、私が天使であることはさっきお伝えしましたね。私たちは分け隔てなく、「魂を来世へと送る」権能を持ちます。 アンノウン:ほほう。つまるに、俺を次の生へ送ってもらってミッションクリアー? ネームレス:…それほど単純だったのなら我々も苦労しないのですがねえ。 アンノウン:あれ違った? ホロウ:ええっと、魂を次の生へ送るためには絶対条件として、「命の精算」をしないといけないんだけどね?そのためには、その魂が「何者であったか」を知る必要があるんだよ。だってレジに通したって、買い物かごはおろか、商品に布をかぶせた状態じゃあバーコードを読み取ることは不可能でしょ?だから、君には生前の記憶を取り戻してもらう必要がある。 アンノウン:なるほどねえ。え、でも記憶を取り戻すったっていったいどうするのさ。仮にも俺は全部捨てちゃったわけでしょ? ネームレス:それは簡単です。ここは監獄ですが、それと同時に「あなたを形作る記憶の根底」でもありますので。 ホロウ:この部屋には君の記憶の欠片が断片的に散らばっているのサ……! アンノウン:…ってぇことはまさか…、今からこの部屋を探索するとか!? ネームレス:本当に理解が早くて助かります。 アンノウン:うおっ、マジかぁ~。なんかわくわくするなあ、リアルTRPGみたいで! ホロウ:ねえ、君、本当に絶望して死んだんだよね? アンノウン:いや、俺は知らないよ?あなたたちの話を全部信じてるだけだもん。 ネームレス:正直私も驚いてます。こんなに落ち着いている"アンノウン"は恐らく初めてなので…。 ホロウ:だってさっ。ネームレスが驚くなんてよっぽどの快挙だよ、誇っていい! アンノウン:そうなのかあ。…うぅん、複雑だね。死んだ後に貰う勲章ほど虚しいものはない気がする。 ホロウ:なら、とっとと記憶を取り戻して、天界でちょっと自慢してから次の生へ向かえばいい!ネームレス、天国では結構有名人なんだよ~っ? ネームレス:ちょぉっと、やめてくださいホロウ。いろいろな意味で恥ずかしい。 アンノウン:えぇ、その話めっちゃ気になるんだけど。 ネームレス:ダメです。さあ、善は急げ。直ちに"アンノウン"を解明していきましょう。 ホロウ:ちぇー。まあいっか、あとで隙を見てもう一回話題に出してみよっと……。 アンノウン:…死神さん、自己紹介で空っぽって言ってた割には感情あるんだなあ。 : 0: : アンノウン:で、俺の記憶の欠片?を探すって話だけど…、具体的にどういったところを探せばいいの?この部屋結構物多いけども。 ホロウ:特にそういうのはないよ!手当たり次第に部屋全体を探せば、君がどういった人間だったのか~、とか、なんで「正体不明」(アンノウン)になっちゃったのか~、っていうのを解き明かすパーツが勝手に出てくるから。 アンノウン:ほう。…そういうことなら、習うより慣れたほうが良さそうね。ちなみに、お二人は俺についてなんか知ってることはないんですか? ネームレス:残念ながら、我々はあなたについての情報を一つも知りえません。私たちが助けようとしている時点で、その魂は記憶喪失(ロスト)しているからです。 ホロウ:だから僕たちは、"アンノウン"と一緒に部屋中を探し回ることしかできないんだ、ごめんね……! アンノウン:いやいや、謝るのはこっちの方よ。死んでなお人に迷惑かけてんだから。自分の中に引き籠って、素直に成仏もできないとか、ホント俺何やってんだろうなあ…。 ネームレス:そう悲観なさらないでください。誰でもなり得ることですから。…おっと。早速一つ見つけましたよ。 ホロウ:おっ、どれ~? ネームレス:これです。…どうやら、テレビのリモコンのようですね。 アンノウン:テレビなら一番目立つ棚の上にあるけど…、え、これって電源入るもんなの? ネームレス:ええ。これまでの事例と同じであれば、大抵その"アンノウン"の思い出、少なくとも関係のあるものが映し出されるはずです。 ホロウ:ま、実際に点けてみた方が早いでしょ!電源ぽち~っ! : アンノウン:[M]すると、しばらく砂嵐が流れたあとで、映像が鮮明に映し出された。そこには―――。 : アンノウン:…オーケストラの、演奏? ホロウ:わあ、ゆったりしててキレイな音楽だ~!歌ってる人もいる! ネームレス:合唱付きのオーケストラ…、どうですか、"アンノウン"。何か思い出したりなどは? アンノウン:…全然。曲名すら思い出せないね。でも、この曲が好きだったっていうことだけはなんでか覚えてるよ。 ホロウ:へぇ!クラシックが好きだなんて、乙な人だ~! ネームレス:本当にね、お若く見えるのに。 アンノウン:若い…、のかなあ。それすらもわからん。というか、俺の外見ってそっちからそういう風に見えてるんです?俺、自分の顔も思い出せないんだけども。 ネームレス:顔は黒く塗りつぶされていて見えません。が、話し方や仕草が何となくまだ成熟しきっていないように見えたので。私の憶測ですが、きっと成人はされていないんだと思いますよ。さて、取り敢えず映像はつけたままにしておきますね。 アンノウン:…だとすると、俺は大人にならないまま死んだってことか。…まあ、特段驚くような話でもないな。若者の自殺なんて社会問題になるくらいありふれてることだし。 ネームレス:まだ自殺と決まったわけではありませんよ。しかし…、ふむ。その達観していらっしゃる心持ちは荒波に揉まれて磨かれた大人のようなのですがねえ。 ホロウ:え、それって結局どっちなの? ネームレス:結論としては、人生経験が豊富な若者、という印象です。まあ真実がどうあれ、真相はもうとっくにこの部屋に隠れているのですから、今いくら考えたところで無駄ではありますが。 ホロウ:でもネームレス、"アンノウン"の年齢当てゲームするの好きって言ってたじゃんっ! ネームレス:ふふふ。必要のないこととわかっていても、楽しいのでつい考察してしまうんですよ。職業病と言って差し支えないかと。 ホロウ:…そういうものなのかナ~? アンノウン:…あれ、これは……。 ホロウ:ん、何か見つけた~? アンノウン:多分。この本棚、並んでる本も本棚自体も大抵が鼠色なのに、数冊だけ色がついてる本があって。さっき死神さんが「人の信念や希望はカラフル」って言ってたから、もしかしたらこいつらが俺の記憶の欠片なのかなあ、と。 ネームレス:素晴らしい。仰る通りです。 ホロウ:しかも三冊もあるじゃん!もしかしたらこの中に君を形作るうえで重要な手がかりがあるかも……! アンノウン:そういうことなら、さっそく確認していきますか。えぇっと?まず一冊目が…、これか。 ホロウ:ずいぶん年季の入った本だね~!えぇっと、タイトルが…、『ヴェニスに死す』? ネームレス:トーマス・マンによる物語ですね。"アンノウン"、この本を見て何か感じましたか? アンノウン:……いや、全然。なんなら内容も覚えてないくらいだね。 ホロウ:あれ、おかしいな。これは君の記憶からつくられたものだから、何かしら関係は絶対あるはずなんだけど…。ちなみに、ネームレスはこれがどういうお話か知ってたりする? ネームレス:存じていますよ。昔、読んだことがあるので。 アンノウン:…天使なのに? ネームレス:天使なのに。というのもですね、実は人間の書いた物語というのは、天界でも人気が絶大なんですよ。普段は読む暇もあまりないのですが、昔少しやらかして謹慎処分を受けたときに様々な物語を読み耽りましてね。その時に『ヴェニスに死す』も拝読しました。 ホロウ:ネームレスは変なところで真面目でね、「人間の魂を誘(いざな)う役目を担う以上、他の天使よりも人間を理解していないといけない」って言って、仕事の合間を縫って沢山人間界の本を読んでるんだよ……! アンノウン:…ならきっと、人間の俺なんかよりよっぽど本には詳しいんだろうなあ。あ、そうだ。この際だしお二人に一個、関係ない質問してもいいですかね。 ネームレス:勿論。 ホロウ:僕たちに答えられることならなんだって答えるよ~! アンノウン:じゃあ、遠慮なく。…ずっと気になってたんだけど、なんで天使と死神が一緒に居るの?普通この二つって対局の存在な気がしてならないけども。 ホロウ:ああ、それね~……。 ネームレス:少し複雑な事情が絡むので詳細は伏せますが、答えとしましては、成り行きです。 アンノウン:なりゆき。 ネームレス:はい。 ホロウ:ほら、僕は「中身がない」し、ネームレスは「名前がない」でしょ?重要なものがない同士、意気投合したんだよね。 ネームレス:共に人を導く仕事に就く以上、種族や生まれは関係ありません。ですので、我らはこうして今あなたの目の前に並んでいるのです。 アンノウン:なるほど…? ホロウ:それに、ぶっちゃけて言ってしまえば、僕は君が思っているような死神じゃないしね。 アンノウン:えっ、それはどういう? ホロウ:そのまんまの意味だよ!さ、僕らの話はこのあたりで終わりにしよう。『ヴェニスに死す』はフェイクだったとしても、まだ色のついた本は残ってるわけだし! ネームレス:そうですね。では続いて二冊目。……なるほど、あなたが落ち着いている理由がなんとなくわかった気がします。 アンノウン:あっ、これは…、俺の愛読書だ! ホロウ:ん~…?『E.M.シオラン』…? アンノウン:俺がめちゃくちゃリスペクトしてる、ルーマニアの哲学者だよ。つまるに、これは哲学書です。 ホロウ:へえ~!クラシック音楽に哲学も嗜むなんて、君って本当にお洒落なんだね! ネームレス:…おや、本に付箋がしてあるようですが。 アンノウン:ああ、これは栞みたいなもんだよ。好きな言葉が書かれているページには必ず付箋を貼るようにしてるんだ、すぐに開けるようにね。だから多分、このページにこそ俺の記憶にまつわる言葉があるはず…! ネームレス:では、読み上げてみましょう…、『音楽が私たちのなかの何ものに訴えるのか、それを把握するのは容易なことではない。たしかなのは、狂気さえ浸透するすべを持たぬほど深い一地帯に、音楽が触れるということだ。』…。 ホロウ:なるほど…、音楽について話してる言葉だってことはかろうじてわかったぞ……! アンノウン:音楽が触れる…、っ…、そうか、そうだった…っ!俺はただ趣味でクラシックを聴いてたんじゃない!なら、色がついた三冊目の本はきっと…っ! : アンノウン:やっぱり、「ヴァイオリンの教本」だ…っ! : ネームレス:どうやら、今の一瞬でかなり記憶を取り戻せたようですね。 アンノウン:ああ。…なんでこんなことを忘れてたんだろうってことばっかりだよ。 ホロウ:ここに閉じこもる魂はみんなそう言うらしいヨ……!さてさて、それじゃあお手数なんだけど、僕たちにもわかるように情報を共有してもらえるかナ? アンノウン:勿論。…まず、俺は独学でヴァイオリンを学んでたんだ。その証拠がこの教本。 ネームレス:見るからに使い込まれていますね。先ほどの哲学書と同じタイプの付箋もびっしりと。 ホロウ:ボロボロ具合から察するに、きっと肌身離さず持ち歩いてたんだね。凄い情熱だ……! アンノウン:お察しの通り、それはもう耽溺(たんでき)してたよ。幼いころから、ずっとね。そしてそんな中で見つけたのが、さっきのシオランの言葉。 ホロウ:ああ、『音楽が私たちの何もの~』、ってやつ。 アンノウン:あの言葉を見たときは衝撃的だった。なんたって、音楽が人に与える影響の大きさを的確に捉えてると感じたから。しかも、そう言い放ったのは音楽家でもない一哲学者だっていうのにも痺れた。そこで俺は完全にシオランに惚れて、本を買っては読み漁るようになったんだ。 ネームレス:哲学へ入ったきっかけも音楽…、となれば、あなたの音楽への思いは計り知れないほどに深いのでしょう。 アンノウン:音楽学校に通っているわけではないから所詮は素人だけどね。でも、並大抵じゃないっていう自負はあるよ。 ネームレス:それはもうひしひしと。ところで音楽といえば、あのテレビから流れているオーケストラの曲は思い出しましたか? アンノウン:…んー、曲名は思い出したんだけど、なんでか作曲者の名前が出てこないんだよね。俺を形作るうえで欠かせない、物凄く尊敬してる人だったはず、なのに…。 ホロウ:でも曲名は出てきたんだね!?なんてヤツなの~? アンノウン:《嘆きの歌》っていうカンタータ。 ホロウ:かんたぁた? ネームレス:音楽のジャンルですね。世俗的な意味合いが強く込められたものを広くそう呼ぶはずです。 ホロウ:おぉっ、音楽の知識もあるなんて流石だね、ネームレス! ネームレス:いやぁ…、《嘆きの歌》という名前に思い当たる節がないので、特に意味のない知識ですよ。 ホロウ:えぇ~…?僕としては、元々人間だったとかでもないのに、人間界への理解が深いのは凄いと思うんだけどなあ…。あ、そうだ!もしかしたら、そのヴァイオリンの教本に楽譜が載ってるんじゃない?まだ本の中身見てないよネっ?! アンノウン:確かに。ここに載っててくれたらいいんだけど…っ、ってあれ、本から何か落ちた。 ネームレス:これは…、写真ですね。どうぞご覧ください。 アンノウン:っ…、家族写真だ。それも、俺が小さい頃のヤツ…。 ホロウ:どれどれ~?…わ、なんだか厳格そうな人たちだね……。 ネームレス:ということは、こちらはあなたのご両親ですか? アンノウン:ああ間違いないね。で、二人の間に写ってる子供が昔の俺。確か、小学校に入学するときに撮ったやつじゃないかな。 ホロウ:…ええと、このフォーマルな服装を見る限り、もしかして君のご家庭って、結構厳しかったり? アンノウン:そうだね…。父さんは裁判官で、母さんは大企業の社長秘書をやってた。 ネームレス:絵に描いたようなエリートですね…。 アンノウン:二人のことは尊敬してるよ。でも…、きっと俺は、出来た子供じゃなかったんだろう。…その写真を見て蘇った感情が、悲しみとか劣等感みたいな、マイナスなモノだったってことは。 ネームレス:精神的に追い詰められていたとなると、あなたの死因は自殺という線が濃いでしょうか。 アンノウン:自殺…、うん。俺だったらやりかねない気がする。けど…、ストレスが募りに募って爆発…、っていうのはないと思う。 ホロウ:確信があるの? アンノウン:いや、これに関しては勘。だけど多分、親からのプレッシャーだけじゃ「死のう」って気にはならないはずなんだよ、俺は。だって、そんなの小さい頃からの日常だし、耐性がついてるはずだからさ。余程のことがないとね。 ホロウ:それはそれで悲しいと思うけど…。 ネームレス:しかし、あなたが強く真面目な人だったということはわかりました。…私としては、その事実だけで喝采を送りたいくらいです。よく頑張っていて実に素晴らしかった、と。 ホロウ:あはは、ネームレスは超のつく不真面目だもんね~! ネームレス:今は心を入れ替えて誠実に仕事に取り組んでますから、現在進行形で…! アンノウン:えっと…、なんか話を聞いてるとネームレスさんが不良だったー、みたいに聞こえるんだけど…、マジで? ネームレス:ああ…、まあ、はい。恥ずかしい話ではありますが、実は今現在、私に名前がない理由も昔のやりたい放題のせいでして…。 アンノウン:何やったんですかホントに。 ホロウ:だってさ~、ネームレス。聞かれてるよ? ネームレス:私ですか。私に説明させるんですか。ホロウが代わりに答えてくださいよ。 ホロウ:えぇ~、僕も君の悪行をこの目で見たわけじゃないからなあ~…?というか前に君から聞いただけだからなあ~…?もしかしたらあることないこと言っちゃうかもしれないなあ~…?? ネームレス:んぐ…、わかりましたよ、もう。…簡潔に説明しますと、実は私にも元々生まれ持った名前があったんです。なんですが、前就いてた部署で色々とやらかしまして。結果的に上司をカンカンに怒らせ、結果的に罰として名前を没収されてしまった、というわけでございます。 アンノウン:ははあ…。そういう経緯だったんですね。天使ともなるとペナルティも大きいんだなあ…。でもなんだろう。名前云々の話より、部署とか上司とか聞き慣れた単語が出てきたことが衝撃だったかもしれない。 ネームレス:ふふふ。人間界だろうと天界だろうと、いつだって社会というものは不条理なのですよ。 ホロウ:まっ、ネームレスの場合は仕事サボりまくったり、死ぬはずの人を生き返らせたり、契約違反を拗らせたりそれはもう好き勝手やってたらしいから、不条理って表現よりは自業自得というべきだけどね! ネームレス:あぁっ、詳細を伏せたのに全部言われてしまった…っ。 アンノウン:へぇ…、あ。だから「天国では有名人」なのか。悪名高いって意味で。 ホロウ:せいか~い!ちなみにちなみに理由はもう一個あるんだけど…、それは伏せておこうかな。ネームレスの「精神的体力」(メンタルライフ)がこれ以上擦り減るのはよくないしねっ! ネームレス:そうしていただけると助かります。本当に。はい。 アンノウン:本当仲いいんですね、二人とも…。ちなみに、死神さんの方はどうして「中身がない」の? ホロウ:僕?うーん、そうだなあ。説明が難しいから言語化はできないんだけど、一つだけ言えるのは、僕もネームレスと同じで、元々は心に色んなものが詰まってたってことかナ……! アンノウン:あらら、じゃあ何かの拍子になくなっちゃったってことか。 ホロウ:まあそんなとこだね。だから申し訳ないけど、僕という存在について語れるのは、この「がらんどう」は後天性だっていうことだけなんだ。答案(アンサー)もスカスカで本当申し訳ないです……。 アンノウン:いやいやこちらこそ。不躾な質問ばっかでごめんなさいね。…ん、あれ? ネームレス:どうかされましたか? アンノウン:えっと…、なんかテレビの横に写真立てが見えるんだけど…、さっきまでこんなのあったっけ? ホロウ:ん~…?あ、ホントだ!眼を離した隙になんか生えて来てる! ネームレス:その表現はいかがなものかと思いますが…。[咳払い] きっと話しているうちに精神が整理されて、新しい記憶が顕現(けんげん)したんでしょう。 アンノウン:そういうこともあるのね…、なら取り敢えず見てみましょうか。どれどれ…。…っ、これは…、先輩だっ…!! ホロウ:先輩ってのは、学校の? アンノウン:うん。この写真の左に写ってる人なんだけどね。先輩は、俺がヴァイオリンを始めるきっかけになった人なんだ。 ホロウ:わ、かわいい~……! ネームレス:この方もヴァイオリンを? アンノウン:そうそう。初めて会ったのは小学校の時でね。休み時間に音楽室の近くを通ったら、綺麗なヴァイオリンの音色が聴こえてさ。気になって覗いてみたら、すっごく綺麗な人がヴァイオリンを弾いてたんだ。俺はその時小学生(クソガキ)ながらに思ったよ、ああ。「優雅」って言葉はこういう時に使うんだなあって。 ネームレス:「優雅」(エレガンス)、ですか。 アンノウン:まさしく。立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹。歩く姿は百合の花!超絶技巧を持っていても驕らず、自己主張しすぎない、優しくておっとりした感じのクッソかわいいお姉さんなの! ホロウ:なんか惚気聞かされてない僕たち? ネームレス:まあまあ。"アンノウン"の正体を探ることが我々の目的ですし、聞く価値はあるかと。 ホロウ:むぅ~~…。 ネームレス:ふふ。では…、そうですね。少し話を戻して申し訳ないのですが、あなたがヴァイオリンを触ることになった馴れ初めをもう少し詳しく思い出せますか? アンノウン:えぇっと…、音楽室で先輩を見かけたところまで話したのか。その後、先輩から話しかけてくれてね。「音楽好きなの~?」って。それで仲良くなって、その後は休み時間のたびに音楽室に赴いて先輩と話す、なんてことを繰り返してたら、ある時、「君は楽器の演奏に興味はないの?」って聞かれてさ。正直、俺はその当時からずっと楽器の演奏をするのが夢で、もし叶ったらオーケストラやアンサンブルに参加してみたいって思ってたんだ。 ホロウ:ふむふむ。でもその言いぶりから考えるに、それができない理由が…、あっ。もしや家庭事情か。 アンノウン:…その通り。さっき言った通り家が厳しかったから、成績をよくしないといけなくてね。でも、俺って勉強が苦手だったから、楽器なんて触ってる暇なくてさ。両親は俺が頭悪いことも趣味に没頭するタイプだってことまで知ってたから、余計持たせたくなかったろうし…。ん…? ネームレス:では、幼い頃はヴァイオリンを演奏してはいなかったということですか。 アンノウン:……え?ああ、うん。自分で弾くようになったのは高校になってからだね。数年くらいお小遣いを貯めまくって、自費で買った。もう愛着湧きまくってるよ。 ホロウ:おぉ、素晴らしい執念だ~…! アンノウン:執念というか、先輩との約束だったからね。「今は無理でも、将来絶対一緒に演奏しよう」って。先輩がそう言ってくれた時は泣きそうだったなあ。いや、泣いたんだっけ。でも、それくらい感極まってたんだ。だって、家でかけられるプレッシャーとか周りの目線から逃れるすべが昔から音楽だけだったからさ。 ネームレス:事細かにありがとうございます。ここまで鮮明に語れるということは、この方との出会いは、あなたの人生にとってのかけがえのない潤いだったことでしょうね。 アンノウン:そりゃあそうだよ。…この人がいなかったら、きっと俺はとっくに廃人になってただろうからね。 ホロウ:あ、あからさまに顔を赤らめてる。 アンノウン:いや、そりゃそうなるって、あの音楽室の先輩は思い出すだけで色々込み上げてきちゃってダメなんだよ…!本当に映像があったら見せたいくらいなんだけどな…。というか、ここ俺の精神の底なんですよね…?どうにか映写機かなんかで当時の映像とか投影できないかな…!? ネームレス:残念ながら、難しいかと。記憶や精神というものは、基本的に他者にも自分自身にも介入できないものですので。 アンノウン:え、でもお二人は俺の精神に入ってこれてないです…? ホロウ:ふふ~…、それには訳があってね、実はちょっと僕たちが特殊なんだ~……! アンノウン:そうなんですか? ネームレス:あの、ホロウ? ホロウ:僕たちがここに来れてるのはネームレスの能力のおかげなんだけどね?実はネームレスって普通の天使じゃないんだよ~! アンノウン:ほうほう。 ネームレス:ホロウ。ホロウ…ッ!![抗議の眼] ホロウ:じゃあなんなのかっていうと、実はネームレスって純正の(天使じゃなくて夢魔とのハーフ―――。 ネームレス:[被せて] あ"ぁ"~ッ![滅茶苦茶な咳払い] アンノウン:[咳払いに被せて]ちょ、ネームレスさん…!?大丈夫か…!? ネームレス:はい名無しですッ!窓の外は今日も雨ですねあいにくのッ!! ホロウ:どういう誤魔化し方なのそれ? アンノウン:窓…?そういえば窓ありますね。あれ調べたっけ? ホロウ:まだだけど、真に受けなくていいよ。発作だから。 アンノウン:いや、でも気になるんで…。[窓の外を覗く]…うぉ、凄い絶景…。この部屋以外、一面夜空しか見えない。 ネームレス:[普通の咳払い]その着眼点は素晴らしいです、"アンノウン"。 ホロウ:あ、復活した。 ネームレス:窓がある場合は、大抵そこから見える景色にもあなたの出自が隠されている場合がありますので。 アンノウン:でも、夜空ばっかりで何も見えないですよ?月みたいな光も見えなくはないけど、雲に隠れてるし…。 ネームレス:「音」は? アンノウン:音…?…あ、本当だ何か聞こえる。…なんだろうこれ? ネームレス:…ノイズっぽいですが…、遠すぎて良く聞こえませんね。ならば…、ホロウ。お願いします。 ホロウ:はいは~い! ネームレス:あんまり離れすぎないようにね。 ホロウ:わかってるってば!じゃ、行ってきます~![窓からふよふよと出ていく] アンノウン:あ、そっか。ホロウさん浮遊してるから! ネームレス:音源に近づけるはずです。我々は(帰りを待つばかり―――。 ホロウ:[被せて]たっだいまー! ネームレス:はやーい。おかえりなさい。ちゃんと聴きとれたんですか? ホロウ:もっちろん!いやあ、この短時間できちんと聴き取ってくるなんて、僕がどれだけ社畜かっていうのが明瞭にわかるね! アンノウン:社畜というワードはたぶんそんな軽くないと思うけどなあ…。 ネームレス:それで、どんな音が聞こえたんです? ホロウ:えっとねー、まず、音は「二つ」あったよ。 アンノウン:二つ? ホロウ:そう、二つ。一つは「川のせせらぎ」。安眠ASMRによく使われるアレだけど…、ちょっと音が激しかった気がする。だから、氾濫してるのかもね。 アンノウン:氾濫した川…、自殺にはぴったりだなあ。 ネームレス:おや、確信はないですか? アンノウン:…そうだった気がしなくもない、くらいかな。でもさっき言った通り、俺はそう簡単に自殺は選ばないと自負してるんでね。うん。ないです確信。 ネームレス:そうですか…。 ホロウ:ちょっとちょっと、まだ落ち込むには早いよ~。音はもう(一個聴こえたんだから―――。 ネームレス:[被せて]待ってください。窓の向こう、何か紙のようなものが落ちていってませんか? ホロウ:え?あぁ本当だ!待ってて、すぐ取ってくる![ぴゅーっと飛んでいく] アンノウン:…川かあ。…うぅん、スメタナは好きだけどそこまで思い入れもないしなあ。 ネームレス:スメタナ…、ああ。「わが祖国」でしたっけ。雄大で素晴らしいですよね。あれぞ、愛国心の為せる業なのでしょうか。 アンノウン:…なんかあなたも大概詳しくない? ネームレス:昔、いろいろ勉強したので。 ホロウ:[帰ってきて]お待たせ~!ひらひらしててキャッチするのに手間取っちゃった。はい、どうぞ。 アンノウン:どうも。にしたって、いったい何の紙……っ。 ホロウ:見たらわかるでしょ、「成績表」だよ。多分君のね! ネームレス:うぅむ…。名前のところは塗りつぶされていて見えませんね。やはり、中を(見てみないことには―――。 アンノウン:[被せて]待って。 ホロウ:…"アンノウン"? アンノウン:…見たくない。 ネームレス:…というと? アンノウン:わからない。わからないけど…、とにかく。この冊子を開けるのは、嫌だ。 ホロウ:拒絶…、ネームレス、こういうケースは? ネームレス:…初ではないですが、イレギュラーなパターンです。そして…、きっと、これがすべての発端(トリガー)なのでしょう。 ホロウ:そっか…。"アンノウン"。残念だけど、君は直面しなきゃいけない。次の生を歩むために。何が起こるかは誰にもわからないけど、君がここから抜け出すには、つらい記憶を思い出さないといけないんだ。 アンノウン:…どうしても? ホロウ:どうしても。 アンノウン:…これを見ずにここにずっといるっていう手は? ネームレス:それは無理です―――。 ホロウ:[被せて]それだけは絶対にダメだっ!! アンノウン:っ…、死神さん? ホロウ:…ああ、ごめんね。でも、ダメだよ。どれだけ辛くても、どれだけ悲しくても乗り越えるからこそ、人は美しいんだ。だから…、ここにいてはいけない。虚ろになっちゃいけない…!君はこの檻から抜け出さないと。何もかもを呑み込んで、希望に向かって生きなきゃ。 ネームレス:…ホロウ。 アンノウン:っ…、辛くても、乗り越える…。 ホロウ:…あははっ!さあ、さっさと覚悟を決めろ~!じゃなきゃ僕が無理やり中身をみちゃうぞ~っ! アンノウン:…わかりました。[深呼吸して] ……ありがとうございます。決意できました。 ネームレス:エクセレント。…やはり素晴らしいですね。「人間」は。 ホロウ:ふふ~…!当然だよ、「天使さん」(ネームレス)!さあ、"アンノウン"。今こそ自分を取り戻すときだ! : アンノウン:[M]手が震えている。怖い。見たくない。聞きたくない。あんなの、「殺されたも同然」だ。ぐちゃぐちゃな感情が押し寄せる。この怒りは、悲しみは、放心は…、いったいどこからやってきているんだろう。それすらいまだにわからない。…でも。それでも。俺は「輝きを知っている」。だからこそ…。 : アンノウン:…踏ん張らなければいけないよな。「彼」みたいに―――! : アンノウン:[M]成績表を開く。俺の眼に飛び込んできたのは、何の変哲もない成績表だ。先生からの言葉と、俺の成績の内訳が書いてある。 : ホロウ:…すご、A評価めちゃくちゃ多いね~! アンノウン:…いや。これは「失格」だ。 ネームレス:…それは、ご両親の視点ですか? アンノウン:…俺の両親からすれば、オールAが当たり前なんだよ。でも、見てこれ。Bが五つと…、Cが、一つ。…こうなった理由は俺にある。ヴァイオリンに夢中になって、勉強に手がつかなかったんだ。……だから…、だから父さんは、怒り狂って俺の―――ッ。 : アンノウン:[M]―――思い出した。それと同時に。俺の頭に音が一つ弾ける。乾いた、力のない音だった。 : :ぱしゃんッ! : :がらがらっ、 : :ばら、ばら…。 : :………。 : : アンノウン:[M]無意識に塞いでいた耳から手を力なく放し、閉じていた目を開ける。…そこに転がっていたのは、大量の木片。それは紛れもなく―――。 : アンノウン:[M]―――かつて、「楽器」であったものの、無残な死体だった。 : ホロウ:…そういうことか。 ネームレス:ええ。…これが、「余程のこと」なのでしょうね。"アンノウン"が、自殺を望むほどの。 アンノウン:…そうだよ、そうだよ…っ。なんでこんなことを忘れてた…ッ!…俺は「殺された」んだ。心から愛していたものを、目の前で……ッ!! : ホロウ:…あ、ネームレス。また何か出て来てる。 ネームレス:わかっています。ですが、我々には聞く義務がある。"アンノウン"の、心の叫びを。 アンノウン:…成績が低迷したのは俺のせいだよ。ヴァイオリンが弾ける…、やっと、やっと先輩との約束が果たせると思ったら、嬉しくて、ついね。…でも。でもさぁ!壊すなんて…、こんなの、ないだろうよ……ッ!! : :静寂。 : : アンノウン:…それで…、へたり込んで、どれくらい経ったのかわからなくなったころに、思ったんだ。…俺の人生から音楽さえも奪うなら、いっそ死んでやろう。ってね。そしたらちょうど嵐で悪天候だったから…、ちょうどいいやって、思って。俺は…、嵐の川に飛び込んで、ここに来た。 : ネームレス:…すべて、思い出したようですね。 アンノウン:…はい。…名前まで、鮮明に。 ホロウ:…じゃあ、追加で出てきたこの封筒が何かは分かる? アンノウン:ああ、それは遺書です。…ガキながらに書き綴りました。どうせ死ぬなら、大嫌いな両親に皮肉の一つでも言ってやらないと気が済まなかったし。…先輩に謝らないとって思って。 ネームレス:…では、見る意味はなさそうですね。…ここまでお疲れさまでした。檻の鍵が開錠されましたので、今から天国までお送りします。 アンノウン:…お願いします、が。…一つだけ、確認して良いですか? ネームレス:どうぞ、お好きなだけ。 アンノウン:…あの世に行ったら、次は来世に行くんですよね。 ホロウ:大抵はそうなるよ。でも、しばらくは天国でゆったりすることもできる。そこは、あっちについたあとその魂が決めていいって取り決め。…で、合ってるよねっ? ネームレス:完璧です。 アンノウン:至極当然のことを聞きますけど。…来世に行ったら、それはもう、今の俺じゃないですよね。 ネームレス:…難しい質問ですね。生命としては別になってしまいますが、あなたの魂に変わりはない、といった感じです。 アンノウン:それってつまり。…「俺」は…、「音楽が大好きな俺」は消えるってことで合ってますか。 ホロウ:そう、なるね。 アンノウン:…そ、っかぁ…。…はは、は。……クソッ。…クソッ!!!「なんて馬鹿なことをしてるんだよ俺は」!! ネームレス:っ…。 アンノウン:自殺?ふざけるなよっ!!意気地なしのくせに、なんでいつも思い切りだけはいいんだよッ…!!挫折しても何度だって這い上がってやるんだって決意しただろうが…っ、あきらめが悪いことが俺の取柄なんだって自分を鼓舞して、ズタボロになっても貫き通して、そしてっ…!いつか…、いつか絶対に先輩の横に並ぶって…、約束、したのに……ッ。俺は、俺はぁ……っ。 ホロウ:ねえ、元"アンノウン"。 アンノウン:…はい。 ホロウ:君は、生き返りたい…? アンノウン:…それが叶うのなら。 ホロウ:君の生涯はこれからも続く…。たとえどれだけ困難でも、どれだけ辛くとも…、君は「君として」、自分の人生を取り戻すことを望む…? アンノウン:…もちろんです。先輩と、約束したんだから。 ホロウ:…だってさ、ネームレス。 ネームレス:…ホロウ。まさかあなた、また私を謹慎処分にさせるつもりですか? ホロウ:でも、君の話を聞く限り、こんなの初めてなんじゃない?すべてを思い出してなお「生き返りを望む"アンノウン"」なんてさっ。 ネームレス:そう、ですね。あの方の思いには、だいぶ込み上げるものがありました。 ホロウ:なら一回くらいチャンスをあげてもいいと思うなっ、僕は…。だって、ほら。こんなに「月」もきれいなんだし! ネームレス:…あなたが一緒に怒られてくれるというのなら、考えなくもない。 ホロウ:そんなのいいに決まってるじゃん!だって、空っぽから何を取ろうとしたって手が虚空を掴むだけだもんね~っ! ネームレス:…ふふっ。まったく。あなたはどこまでも「非常識」(イレギュラー)ですね。 ホロウ:それはこの子に言ってあげなよ! ネームレス:「ごもっとも」(ザッツライト)! : アンノウン:[M]瞬間、俺の身体が暖かい光に包まれる。そして、窓の外から聴こえるのは、壮大なオーケストラ。 : アンノウン:っ…、この曲は…、マーラーの交響曲第二番…っ! ホロウ:確か命題は「復活」、だったっけ。うんうん。どこまでも君にぴったりだ~……! アンノウン:え、なんで死神さんがそれを…、 ホロウ:言ったでしょ、僕は「空っぽ」なんだって!空の入れ物が蓋を開けて水の中に入ったら、それが中に入るでしょ?同じ原理だよ! ネームレス:…え、その能力があるのなら記憶探し、もっと早く終わったのでは? ホロウ:あはは~!それは言わないお約束だっ! アンノウン:えっと、多分その意味はわかりましたけど…、でも、この光は…っ!? ネームレス:当然、あなたを復活(リザレクション)させるための力です。 アンノウン:リザレ…、生き返るってことですか!? ネームレス:その通り。本来は使っちゃいけない力なんですがまあ…、私も先ほどの叫びには心を打たれましたしね。なにせ、久々に生命力に溢れた人間を見たものですから。諦めないあなたがまた巨人のように大きな壁に向かっていくというのなら、私は喜んで怒られましょう!次は何を取られるのか、考えるだけで怖すぎますが、ね。 ホロウ:ネームレスがここまでやってくれてるんだから、もうここにはきちゃダメだぞ~っ? アンノウン:…本当に、いいんですか? ネームレス:良くはありません。が…、どこまでも不撓不屈(ふとうふくつ)を抱くあなたの物語を、ここで終わらせることの方が私にとっては良くないと感じたのです。ですから、まあ。…私からのえこひいきを、どうか受け取っていただきたく。 アンノウン:…っ、ありがとう、ございます。…本当に、ありがとうございますっ…! ネームレス:ふふ。いつか天国に来たときは、あなたが偉大な音楽家として名を馳せていることを期待していますよ。 ホロウ:…さあ、行っておいで。君は生きて、夢を掴むんだ! アンノウン:…はいっ! : アンノウン:[M]意識がフラッシュバックしていく。笑顔を送って見送る二人と、ゆるやかに差し込む月明り。…ああ。 : アンノウン:『俺の「月」(アブソリュート)は、今、ここにある』……! : 0: : ネームレス:…さて、では、私たちも帰りましょうか。…はぁ…。 ホロウ:え、まさかあれだけ言って後悔してるの~? ネームレス:いや、後悔は一ミリもないんですけど。…上司に怒鳴られるのが億劫すぎて。 ホロウ:…君は本当に仕事が嫌いだね~? ネームレス:当然じゃないですか!働きたくて働いてる人なんてどこにもいないと思いますよ。 ホロウ:それは、音楽家も? ネームレス:…ふふ。前言撤回です。 ホロウ:…ん~っ、それにしても、あの子は凄いなぁっ。 ネームレス:ええ。あの方ならばきっと、もう過ちは犯さないでしょう。…立派なヴァイオリニストになれるといいですね。 ホロウ:だね。…僕も、勇気を分けて貰えたよ。 ネームレス:おや、空っぽの器に少し物が入りましたか? ホロウ:うん。…でも、この勇気は「生きているとき」に欲しかったな~。 ネームレス:…その心は? ホロウ:そんなの決まってるじゃん、ネームレス。…僕には、「死ぬ勇気」すらなかったからさ! : 0: : ネームレス:[M]あの後、かの有名な「涙の日」(ラクリモーサ)は未完のまま終わった、という話を耳にしました。ならばやはり、あの魂は朽ちるには早すぎたのでしょうね。 : ホロウ:[M]きっとあの子は、今も激しく生命の鼓動を滾らせて、醜い現実に立ち向かっているはずっ!…ま、僕たちには祈ることしかできないけど! : 0: : ネームレス:[N]それは、自分への叛逆(リベリオン)。過去を乗り越え未来へと征く、世界への挑戦。 : ホロウ:[N]「流行感染病」(コレラ)にも負けず、「第九番」(おわり)さえも乗り越えて、君は「第十番」(ゆめまぼろし)を掴むでしょう。 : 0: : アンノウン:[M]差別も意に介さず突っぱねてやろう。認められずとも諦めず進んでやろう。そして、いつかは―――。 : アンノウン:作れるといいなあ。…俺の、「世界交響曲」を。 : 0:True End : “Auferstehung” : : : : :―――――おまけ――――― : : : : 0:"アンノウン"の遺書の全容 : :拝啓 :今まで私に関わった、全ての人達へ : :私は今の今まで、人生でこのようなものを自ら書くことになろうとは、全くもって考えてもみませんでした。  :ですが、突然何もなく、というのも迷惑かと思いますので、自分の唯一の意思表示の証拠として、ここに記します。 : :私は、もう死のうと思います。 : :誰のせいであるとか、何があったからだとかは、この際もう良しとします。 :というより、ただ単にもう疲れてしまっただけなのです。 : :これに際して、私は様々な方々に感謝の意を伝えなければなりません。 : :お父様、お母様。 :今まで愛をもって育ててくださり、本当にありがとうございました。 :あなたがたのおかげで、私はこの世界の何たるかを、ほんの少し知ることが出来ました。 : :私の数少ない友人の方々。 :こんな私に、友情の素晴らしさを教えて下さり、ありがとうございました。 :あなた方があったから、私は日々をやり過ごせました。 : :最後に、先輩。 :あなたには、何よりも、誰よりも感謝しています。 :あなたは私に、人であることの喜びを与えて下さいました。 :あなたは、どうか人としての幸せを体現するような健やかな生を、どうかこの先送って下さい。 : :そういえば私の私物に関してですが、その処遇は全て任せます。 : :ただ一つ、それらは全て捨ててしまったほうが楽なのかなと感じますから、そうして下さればと思います。 : :本当に充実した、それでいて空虚な人生でした。 : :ありがとうございました。 : :敬具 : : :……… : : :P.S. : :唯一つ、願っても良かったのなら。 :私は、辺り一帯しんと静まり返った月の光の下で、あなたと音楽をしたかった。 : :なんのことはない、夜にふさわしい一つの小品を。

0:伽藍憧-Resurrection- : アンノウン:[M] 涙の日。いつの間にか俺は夢を見ている。登場人物は二人。舞台は小さな部屋の中で、壁も家具も空気感も、何もかもが「無彩色」だった。 : ホロウ:……これ、いつまで続くんだろうな~。ま、僕にはきっと知る由もないんだろうけど! ネームレス:…信じられない。まさか、「手遅れ」に「例外」(イレギュラー)だなんて。 ホロウ:知る由の到来は近かったのかもしれない。はいはいどなた~? ネームレス:説明はあとで、とにかく今は、[フェードアウトするように](私の話を聞いて……、 : アンノウン:[M] [被せて]片方は子供?のようで、ふよふよと宙に浮いている。幽霊的なやつなのだろう。夢だから細かい設定とかわからないけど。 : ネームレス:……と、いうことです。…わかっていただけましたか。 ホロウ:えぇーっと、つまりそれって、僕は、[フェードアウトするように](本来ならとっくに―――、 : アンノウン:[M] [被せて]もう一方は丁寧な言葉遣いの人で、こちらは顔がない。スレンダーマン、と言って伝わるだろうか。その形容で九割間違っていないだろう。そっくりだ。 : ホロウ:うーん、今回の子はなかなかの寝坊助さんみたいだ~、全然起きない。 ネームレス:困りましたね…、どうしたものか。 ホロウ:もうめんどくさいし、アレ、[フェードアウトするように](使っちゃおうよ……、 : アンノウン:[M] [被せて]そんな摩訶不思議な二人組が駄弁る風景が、延々と俺の中で構成されている。…いや、どんな夢よこれ。 : ネームレス:…確かに、これ以上の時間の浪費はまずい。やむなくではありますが、やっちゃいましょう。 ホロウ:よしっ、一思いにやっちゃえ、ゴンベエ! ネームレス:うぅむ。なかなか理に適っている呼び名ですが、その系列で行くならジョン・スミスあたりの方が単純(シンプル)じゃないですか? ホロウ:えぇ~っ、僕はこっちのがかわいいと思うんだけどなぁ。それに、君はどうとでも呼ばれて然るべきだと思います。 ネームレス:そいつは「ごもっとも」(ザッツライト)な意見でした。さてと。それでは申し訳ないですが、[フェードアウトするように](強制的に起きてもらいましょう……、 : アンノウン:[M] [被せて]しっかし、なんだか妙にリアルだし、明晰夢なのに触れ込みと違って思った通りにならないし、極めつけにゃあ全然眼が覚めないと来てるんだよなぁ…。この変な夢は(一体全体いつになったら―――。 ネームレス:[被せて]「現実」ですよ。まごうことなく。 アンノウン:[飛び起きる]ッ、うひぁ…っ!? ホロウ:あはは、うとうとモノローグ中だったのにごめんねっ。君が全然起きないから僕が急かしたんだ。 : アンノウン:[M]俺が持つすべての「気持ち悪い」が全身を伝った。そう、例えるなら、横隔膜にダイレクトアタックを決められたような感覚…、いや、そんな経験は勿論ないはずなんけど、とにかくそんな感じがして、俺はベッドの上で飛び跳ねた。つまり、何が起きたのかはわからんが夢から醒めたのだ。…本当に? : ネームレス:グッモーニン、"アンノウン"。長い眠りでしたね。 ホロウ:本当に!途中からベッドが棺桶に見えたもんっ。 ネームレス:それはあなたが飽き性なだけだと思いますけど…。 アンノウン:…夢から醒めると、そこは夢の中だった…?トロイメライがマトリョーシカ…? ネームレス:露語(ロシアン)と独語(ジャーマン)が交じるほどに混乱しているのはよくわかりますし、私たちの容姿といい状況といい信じがたいかもしれませんが、これはあなたの夢想ではないのです。 ホロウ:まあ正確にはそれもちょっと違うんだけどね~っ。 アンノウン:…確かに意識ははっきりしてるし、これが夢であるわけがないっていう漠然とした確信も湧いてくる。…え、じゃああなた方は誰、何者!?そんでここはどこ!?ついでに私はだれ―――、…は? : アンノウン:[M]無意識的に頭に手を持っていく。空(むな)しくも、俺の口から零れる言葉が止まることはなかった。 : アンノウン:……俺は…、何者だったんだっ、け…? ホロウ:気づくの早いね~!そう。君は何も思い出せなくなっている。でもそれは、記憶に靄(もや)がかかっている―――、というような「忘却」(かんかく)じゃない。 ネームレス:言語化するならば、自分に関する記憶の一切合切が、あたかも「なかった」かのように抜け落ちている。自覚していただけましたね。 アンノウン:…はい。 ネームレス:ありがとうございます。そして、恐らくあなたのお察しのとおり、私たちはこの状況の「大抵」を知っています。あなたを「救い出す」ため、僭越ながら現状の説明をさせていただきたく。 アンノウン:救う…、ですか。何が起こってるのかは勿論教えてほしいんですが、その前に一つ聞いてもいいですかね。 ホロウ:どうぞどうぞ~!あ、あと敬語はつけなくていいよ、堅苦しいし、君には砕けた口調が似合うと思うので……! アンノウン:…じゃあそうさせてもらうけど―――、 : アンノウン:―――さては俺、死んだんじゃないの? : ホロウ:……! ネームレス:…ご明察。残念ながら、その通りです。 アンノウン:あぁ…、やっぱそうかぁ…。いや、なんだかそんな気がしてさ。起きた時からずっと「生きた心地がしなかった」から。でもまあ、死んでるんなら納得だ。 ホロウ:…随分とノーリアクションなんだね? アンノウン:そうね。記憶ないからなんでかはしらないけど。あ、水を差してごめん。確かめたかったのはそんだけだから、続けてください。ちゃんと聞くんで。 ネームレス:…畏まりました。それではまずは…、我々が何者なのかについてお話させていただきましょう。ホロウ。 ホロウ:はーい! : アンノウン:[M]スレンダーマンが幽霊を呼ぶと、二人は並んで俺の前に立ち、礼儀正しく話す。 : ネームレス:改めて、はじめまして。私は■■■(ネームレス)。名前がないので、ネームレスという名前があります。職業は天界からの使い…、現世で言うところの天使、というやつです。以後お見知りおきを。 ホロウ:そしてそして、はじめまして……!僕は「  」(ホロウ)。空っぽで空虚で上の空な死神です~っ! アンノウン:天使のネームレスさんと、死神さん……。えっ、あ、そっちが天使なのね!?もしあり得るなら逆だろうなあってずっと思ってたわ。 ネームレス:よく言われます。 ホロウ:…なんか、めちゃくちゃ飲み込み早いね君。 アンノウン:そりゃ自分が死んでるなら今いる場所は天国「と」地獄か生死の狭間かって思うのが定石じゃない。 ネームレス:冷静な判断力、恐れ入ります。しかし、答えはそのどれでもありません。 ホロウ:ここは、君の「精神の内側」で~すっ! アンノウン:ほほう。 ホロウ:興味津々だね。 アンノウン:そりゃ気になりますから。 ネームレス:この部屋は今際(いまわ)の際(きわ)のあなたの「心の奥底」を表したものになります。見渡せば、小さな部屋ながら家具は充実しているのに、何もかもがMonochrome(モノクローム)で構成されていて、色が消失していることがわかりますね。 アンノウン:はい。なんとも目に優しい部屋だなあと思います。 ホロウ:でもそれは裏を返せば、君の心には「鮮やかさ」がまるでないってこと。この部屋はその人の根幹にある信念や希望を体現するから、大抵カラフルな色で溢れているはずなんだよ。 アンノウン:えぇっと、その話で行くと…、つまり俺は「何もかもに絶望して死んだ」みたいなことであってる? ネームレス:その通り。もう少し詳しく言えば、「何もかもが信じられない」、「自分なんていらない、いなくなってしまいたい」…、そんな思いが募りに募った結果、あなたは自分自身を「捨ててしまった」。記憶も名前も、生きた証の何もかもを擲(なげう)った結果、最終的に今のあなたが残ったのです。 アンノウン:…要は、「あんまりにも絶望して死んだから、そのはずみで自分の記憶とか全部捨てちゃった」みたいな話か。俺が今なんにも覚えてないのもそれのせいと。 ホロウ:そうそう!そして、天に召されることすら億劫になった君の魂は、やがて成仏すら拒んで、自分の精神の奥底に閉じこもってしまった。それが今僕たちがいるこの部屋ってわけ! ネームレス:絶望が作り出す心象の具現は、その人物が死してなお遺(のこ)り続け、魂を束縛します。しかし、これらの行動は自然の摂理に反しているため、長い時間放置することは世界の歪(ひず)みに繋がりかねません。だからこそ、この監獄からあなたの魂を解き放つために私たちがやってきました。 アンノウン:あぁね…? ホロウ:まあ簡単に言えば、君の魂は鍵をかけて自分の精神の奥底に閉じこもっちゃったんだけど、死んじゃったのに来世にも行かないで引きこもるのは色々と良くないねってことで、僕たちが強引に部屋の中に押し入り、鍵を探して君を外に出そうとしている、というわけです! アンノウン:なるほど…、ようし、なんとなく理解した。 ネームレス:まあ、細かい原理や事情はもう少し複雑なのですが…、今のところ持つべき認識は、このくらいで大丈夫でしょうね。噛み砕いてくれてありがとうございます、ホロウ。 ホロウ:いえいえ~!"アンノウン"も、すんなりとしたご理解ご協力、凄い助かります~…! ネームレス:それでは、具体的に今から何をするか、ですが…、私が天使であることはさっきお伝えしましたね。私たちは分け隔てなく、「魂を来世へと送る」権能を持ちます。 アンノウン:ほほう。つまるに、俺を次の生へ送ってもらってミッションクリアー? ネームレス:…それほど単純だったのなら我々も苦労しないのですがねえ。 アンノウン:あれ違った? ホロウ:ええっと、魂を次の生へ送るためには絶対条件として、「命の精算」をしないといけないんだけどね?そのためには、その魂が「何者であったか」を知る必要があるんだよ。だってレジに通したって、買い物かごはおろか、商品に布をかぶせた状態じゃあバーコードを読み取ることは不可能でしょ?だから、君には生前の記憶を取り戻してもらう必要がある。 アンノウン:なるほどねえ。え、でも記憶を取り戻すったっていったいどうするのさ。仮にも俺は全部捨てちゃったわけでしょ? ネームレス:それは簡単です。ここは監獄ですが、それと同時に「あなたを形作る記憶の根底」でもありますので。 ホロウ:この部屋には君の記憶の欠片が断片的に散らばっているのサ……! アンノウン:…ってぇことはまさか…、今からこの部屋を探索するとか!? ネームレス:本当に理解が早くて助かります。 アンノウン:うおっ、マジかぁ~。なんかわくわくするなあ、リアルTRPGみたいで! ホロウ:ねえ、君、本当に絶望して死んだんだよね? アンノウン:いや、俺は知らないよ?あなたたちの話を全部信じてるだけだもん。 ネームレス:正直私も驚いてます。こんなに落ち着いている"アンノウン"は恐らく初めてなので…。 ホロウ:だってさっ。ネームレスが驚くなんてよっぽどの快挙だよ、誇っていい! アンノウン:そうなのかあ。…うぅん、複雑だね。死んだ後に貰う勲章ほど虚しいものはない気がする。 ホロウ:なら、とっとと記憶を取り戻して、天界でちょっと自慢してから次の生へ向かえばいい!ネームレス、天国では結構有名人なんだよ~っ? ネームレス:ちょぉっと、やめてくださいホロウ。いろいろな意味で恥ずかしい。 アンノウン:えぇ、その話めっちゃ気になるんだけど。 ネームレス:ダメです。さあ、善は急げ。直ちに"アンノウン"を解明していきましょう。 ホロウ:ちぇー。まあいっか、あとで隙を見てもう一回話題に出してみよっと……。 アンノウン:…死神さん、自己紹介で空っぽって言ってた割には感情あるんだなあ。 : 0: : アンノウン:で、俺の記憶の欠片?を探すって話だけど…、具体的にどういったところを探せばいいの?この部屋結構物多いけども。 ホロウ:特にそういうのはないよ!手当たり次第に部屋全体を探せば、君がどういった人間だったのか~、とか、なんで「正体不明」(アンノウン)になっちゃったのか~、っていうのを解き明かすパーツが勝手に出てくるから。 アンノウン:ほう。…そういうことなら、習うより慣れたほうが良さそうね。ちなみに、お二人は俺についてなんか知ってることはないんですか? ネームレス:残念ながら、我々はあなたについての情報を一つも知りえません。私たちが助けようとしている時点で、その魂は記憶喪失(ロスト)しているからです。 ホロウ:だから僕たちは、"アンノウン"と一緒に部屋中を探し回ることしかできないんだ、ごめんね……! アンノウン:いやいや、謝るのはこっちの方よ。死んでなお人に迷惑かけてんだから。自分の中に引き籠って、素直に成仏もできないとか、ホント俺何やってんだろうなあ…。 ネームレス:そう悲観なさらないでください。誰でもなり得ることですから。…おっと。早速一つ見つけましたよ。 ホロウ:おっ、どれ~? ネームレス:これです。…どうやら、テレビのリモコンのようですね。 アンノウン:テレビなら一番目立つ棚の上にあるけど…、え、これって電源入るもんなの? ネームレス:ええ。これまでの事例と同じであれば、大抵その"アンノウン"の思い出、少なくとも関係のあるものが映し出されるはずです。 ホロウ:ま、実際に点けてみた方が早いでしょ!電源ぽち~っ! : アンノウン:[M]すると、しばらく砂嵐が流れたあとで、映像が鮮明に映し出された。そこには―――。 : アンノウン:…オーケストラの、演奏? ホロウ:わあ、ゆったりしててキレイな音楽だ~!歌ってる人もいる! ネームレス:合唱付きのオーケストラ…、どうですか、"アンノウン"。何か思い出したりなどは? アンノウン:…全然。曲名すら思い出せないね。でも、この曲が好きだったっていうことだけはなんでか覚えてるよ。 ホロウ:へぇ!クラシックが好きだなんて、乙な人だ~! ネームレス:本当にね、お若く見えるのに。 アンノウン:若い…、のかなあ。それすらもわからん。というか、俺の外見ってそっちからそういう風に見えてるんです?俺、自分の顔も思い出せないんだけども。 ネームレス:顔は黒く塗りつぶされていて見えません。が、話し方や仕草が何となくまだ成熟しきっていないように見えたので。私の憶測ですが、きっと成人はされていないんだと思いますよ。さて、取り敢えず映像はつけたままにしておきますね。 アンノウン:…だとすると、俺は大人にならないまま死んだってことか。…まあ、特段驚くような話でもないな。若者の自殺なんて社会問題になるくらいありふれてることだし。 ネームレス:まだ自殺と決まったわけではありませんよ。しかし…、ふむ。その達観していらっしゃる心持ちは荒波に揉まれて磨かれた大人のようなのですがねえ。 ホロウ:え、それって結局どっちなの? ネームレス:結論としては、人生経験が豊富な若者、という印象です。まあ真実がどうあれ、真相はもうとっくにこの部屋に隠れているのですから、今いくら考えたところで無駄ではありますが。 ホロウ:でもネームレス、"アンノウン"の年齢当てゲームするの好きって言ってたじゃんっ! ネームレス:ふふふ。必要のないこととわかっていても、楽しいのでつい考察してしまうんですよ。職業病と言って差し支えないかと。 ホロウ:…そういうものなのかナ~? アンノウン:…あれ、これは……。 ホロウ:ん、何か見つけた~? アンノウン:多分。この本棚、並んでる本も本棚自体も大抵が鼠色なのに、数冊だけ色がついてる本があって。さっき死神さんが「人の信念や希望はカラフル」って言ってたから、もしかしたらこいつらが俺の記憶の欠片なのかなあ、と。 ネームレス:素晴らしい。仰る通りです。 ホロウ:しかも三冊もあるじゃん!もしかしたらこの中に君を形作るうえで重要な手がかりがあるかも……! アンノウン:そういうことなら、さっそく確認していきますか。えぇっと?まず一冊目が…、これか。 ホロウ:ずいぶん年季の入った本だね~!えぇっと、タイトルが…、『ヴェニスに死す』? ネームレス:トーマス・マンによる物語ですね。"アンノウン"、この本を見て何か感じましたか? アンノウン:……いや、全然。なんなら内容も覚えてないくらいだね。 ホロウ:あれ、おかしいな。これは君の記憶からつくられたものだから、何かしら関係は絶対あるはずなんだけど…。ちなみに、ネームレスはこれがどういうお話か知ってたりする? ネームレス:存じていますよ。昔、読んだことがあるので。 アンノウン:…天使なのに? ネームレス:天使なのに。というのもですね、実は人間の書いた物語というのは、天界でも人気が絶大なんですよ。普段は読む暇もあまりないのですが、昔少しやらかして謹慎処分を受けたときに様々な物語を読み耽りましてね。その時に『ヴェニスに死す』も拝読しました。 ホロウ:ネームレスは変なところで真面目でね、「人間の魂を誘(いざな)う役目を担う以上、他の天使よりも人間を理解していないといけない」って言って、仕事の合間を縫って沢山人間界の本を読んでるんだよ……! アンノウン:…ならきっと、人間の俺なんかよりよっぽど本には詳しいんだろうなあ。あ、そうだ。この際だしお二人に一個、関係ない質問してもいいですかね。 ネームレス:勿論。 ホロウ:僕たちに答えられることならなんだって答えるよ~! アンノウン:じゃあ、遠慮なく。…ずっと気になってたんだけど、なんで天使と死神が一緒に居るの?普通この二つって対局の存在な気がしてならないけども。 ホロウ:ああ、それね~……。 ネームレス:少し複雑な事情が絡むので詳細は伏せますが、答えとしましては、成り行きです。 アンノウン:なりゆき。 ネームレス:はい。 ホロウ:ほら、僕は「中身がない」し、ネームレスは「名前がない」でしょ?重要なものがない同士、意気投合したんだよね。 ネームレス:共に人を導く仕事に就く以上、種族や生まれは関係ありません。ですので、我らはこうして今あなたの目の前に並んでいるのです。 アンノウン:なるほど…? ホロウ:それに、ぶっちゃけて言ってしまえば、僕は君が思っているような死神じゃないしね。 アンノウン:えっ、それはどういう? ホロウ:そのまんまの意味だよ!さ、僕らの話はこのあたりで終わりにしよう。『ヴェニスに死す』はフェイクだったとしても、まだ色のついた本は残ってるわけだし! ネームレス:そうですね。では続いて二冊目。……なるほど、あなたが落ち着いている理由がなんとなくわかった気がします。 アンノウン:あっ、これは…、俺の愛読書だ! ホロウ:ん~…?『E.M.シオラン』…? アンノウン:俺がめちゃくちゃリスペクトしてる、ルーマニアの哲学者だよ。つまるに、これは哲学書です。 ホロウ:へえ~!クラシック音楽に哲学も嗜むなんて、君って本当にお洒落なんだね! ネームレス:…おや、本に付箋がしてあるようですが。 アンノウン:ああ、これは栞みたいなもんだよ。好きな言葉が書かれているページには必ず付箋を貼るようにしてるんだ、すぐに開けるようにね。だから多分、このページにこそ俺の記憶にまつわる言葉があるはず…! ネームレス:では、読み上げてみましょう…、『音楽が私たちのなかの何ものに訴えるのか、それを把握するのは容易なことではない。たしかなのは、狂気さえ浸透するすべを持たぬほど深い一地帯に、音楽が触れるということだ。』…。 ホロウ:なるほど…、音楽について話してる言葉だってことはかろうじてわかったぞ……! アンノウン:音楽が触れる…、っ…、そうか、そうだった…っ!俺はただ趣味でクラシックを聴いてたんじゃない!なら、色がついた三冊目の本はきっと…っ! : アンノウン:やっぱり、「ヴァイオリンの教本」だ…っ! : ネームレス:どうやら、今の一瞬でかなり記憶を取り戻せたようですね。 アンノウン:ああ。…なんでこんなことを忘れてたんだろうってことばっかりだよ。 ホロウ:ここに閉じこもる魂はみんなそう言うらしいヨ……!さてさて、それじゃあお手数なんだけど、僕たちにもわかるように情報を共有してもらえるかナ? アンノウン:勿論。…まず、俺は独学でヴァイオリンを学んでたんだ。その証拠がこの教本。 ネームレス:見るからに使い込まれていますね。先ほどの哲学書と同じタイプの付箋もびっしりと。 ホロウ:ボロボロ具合から察するに、きっと肌身離さず持ち歩いてたんだね。凄い情熱だ……! アンノウン:お察しの通り、それはもう耽溺(たんでき)してたよ。幼いころから、ずっとね。そしてそんな中で見つけたのが、さっきのシオランの言葉。 ホロウ:ああ、『音楽が私たちの何もの~』、ってやつ。 アンノウン:あの言葉を見たときは衝撃的だった。なんたって、音楽が人に与える影響の大きさを的確に捉えてると感じたから。しかも、そう言い放ったのは音楽家でもない一哲学者だっていうのにも痺れた。そこで俺は完全にシオランに惚れて、本を買っては読み漁るようになったんだ。 ネームレス:哲学へ入ったきっかけも音楽…、となれば、あなたの音楽への思いは計り知れないほどに深いのでしょう。 アンノウン:音楽学校に通っているわけではないから所詮は素人だけどね。でも、並大抵じゃないっていう自負はあるよ。 ネームレス:それはもうひしひしと。ところで音楽といえば、あのテレビから流れているオーケストラの曲は思い出しましたか? アンノウン:…んー、曲名は思い出したんだけど、なんでか作曲者の名前が出てこないんだよね。俺を形作るうえで欠かせない、物凄く尊敬してる人だったはず、なのに…。 ホロウ:でも曲名は出てきたんだね!?なんてヤツなの~? アンノウン:《嘆きの歌》っていうカンタータ。 ホロウ:かんたぁた? ネームレス:音楽のジャンルですね。世俗的な意味合いが強く込められたものを広くそう呼ぶはずです。 ホロウ:おぉっ、音楽の知識もあるなんて流石だね、ネームレス! ネームレス:いやぁ…、《嘆きの歌》という名前に思い当たる節がないので、特に意味のない知識ですよ。 ホロウ:えぇ~…?僕としては、元々人間だったとかでもないのに、人間界への理解が深いのは凄いと思うんだけどなあ…。あ、そうだ!もしかしたら、そのヴァイオリンの教本に楽譜が載ってるんじゃない?まだ本の中身見てないよネっ?! アンノウン:確かに。ここに載っててくれたらいいんだけど…っ、ってあれ、本から何か落ちた。 ネームレス:これは…、写真ですね。どうぞご覧ください。 アンノウン:っ…、家族写真だ。それも、俺が小さい頃のヤツ…。 ホロウ:どれどれ~?…わ、なんだか厳格そうな人たちだね……。 ネームレス:ということは、こちらはあなたのご両親ですか? アンノウン:ああ間違いないね。で、二人の間に写ってる子供が昔の俺。確か、小学校に入学するときに撮ったやつじゃないかな。 ホロウ:…ええと、このフォーマルな服装を見る限り、もしかして君のご家庭って、結構厳しかったり? アンノウン:そうだね…。父さんは裁判官で、母さんは大企業の社長秘書をやってた。 ネームレス:絵に描いたようなエリートですね…。 アンノウン:二人のことは尊敬してるよ。でも…、きっと俺は、出来た子供じゃなかったんだろう。…その写真を見て蘇った感情が、悲しみとか劣等感みたいな、マイナスなモノだったってことは。 ネームレス:精神的に追い詰められていたとなると、あなたの死因は自殺という線が濃いでしょうか。 アンノウン:自殺…、うん。俺だったらやりかねない気がする。けど…、ストレスが募りに募って爆発…、っていうのはないと思う。 ホロウ:確信があるの? アンノウン:いや、これに関しては勘。だけど多分、親からのプレッシャーだけじゃ「死のう」って気にはならないはずなんだよ、俺は。だって、そんなの小さい頃からの日常だし、耐性がついてるはずだからさ。余程のことがないとね。 ホロウ:それはそれで悲しいと思うけど…。 ネームレス:しかし、あなたが強く真面目な人だったということはわかりました。…私としては、その事実だけで喝采を送りたいくらいです。よく頑張っていて実に素晴らしかった、と。 ホロウ:あはは、ネームレスは超のつく不真面目だもんね~! ネームレス:今は心を入れ替えて誠実に仕事に取り組んでますから、現在進行形で…! アンノウン:えっと…、なんか話を聞いてるとネームレスさんが不良だったー、みたいに聞こえるんだけど…、マジで? ネームレス:ああ…、まあ、はい。恥ずかしい話ではありますが、実は今現在、私に名前がない理由も昔のやりたい放題のせいでして…。 アンノウン:何やったんですかホントに。 ホロウ:だってさ~、ネームレス。聞かれてるよ? ネームレス:私ですか。私に説明させるんですか。ホロウが代わりに答えてくださいよ。 ホロウ:えぇ~、僕も君の悪行をこの目で見たわけじゃないからなあ~…?というか前に君から聞いただけだからなあ~…?もしかしたらあることないこと言っちゃうかもしれないなあ~…?? ネームレス:んぐ…、わかりましたよ、もう。…簡潔に説明しますと、実は私にも元々生まれ持った名前があったんです。なんですが、前就いてた部署で色々とやらかしまして。結果的に上司をカンカンに怒らせ、結果的に罰として名前を没収されてしまった、というわけでございます。 アンノウン:ははあ…。そういう経緯だったんですね。天使ともなるとペナルティも大きいんだなあ…。でもなんだろう。名前云々の話より、部署とか上司とか聞き慣れた単語が出てきたことが衝撃だったかもしれない。 ネームレス:ふふふ。人間界だろうと天界だろうと、いつだって社会というものは不条理なのですよ。 ホロウ:まっ、ネームレスの場合は仕事サボりまくったり、死ぬはずの人を生き返らせたり、契約違反を拗らせたりそれはもう好き勝手やってたらしいから、不条理って表現よりは自業自得というべきだけどね! ネームレス:あぁっ、詳細を伏せたのに全部言われてしまった…っ。 アンノウン:へぇ…、あ。だから「天国では有名人」なのか。悪名高いって意味で。 ホロウ:せいか~い!ちなみにちなみに理由はもう一個あるんだけど…、それは伏せておこうかな。ネームレスの「精神的体力」(メンタルライフ)がこれ以上擦り減るのはよくないしねっ! ネームレス:そうしていただけると助かります。本当に。はい。 アンノウン:本当仲いいんですね、二人とも…。ちなみに、死神さんの方はどうして「中身がない」の? ホロウ:僕?うーん、そうだなあ。説明が難しいから言語化はできないんだけど、一つだけ言えるのは、僕もネームレスと同じで、元々は心に色んなものが詰まってたってことかナ……! アンノウン:あらら、じゃあ何かの拍子になくなっちゃったってことか。 ホロウ:まあそんなとこだね。だから申し訳ないけど、僕という存在について語れるのは、この「がらんどう」は後天性だっていうことだけなんだ。答案(アンサー)もスカスカで本当申し訳ないです……。 アンノウン:いやいやこちらこそ。不躾な質問ばっかでごめんなさいね。…ん、あれ? ネームレス:どうかされましたか? アンノウン:えっと…、なんかテレビの横に写真立てが見えるんだけど…、さっきまでこんなのあったっけ? ホロウ:ん~…?あ、ホントだ!眼を離した隙になんか生えて来てる! ネームレス:その表現はいかがなものかと思いますが…。[咳払い] きっと話しているうちに精神が整理されて、新しい記憶が顕現(けんげん)したんでしょう。 アンノウン:そういうこともあるのね…、なら取り敢えず見てみましょうか。どれどれ…。…っ、これは…、先輩だっ…!! ホロウ:先輩ってのは、学校の? アンノウン:うん。この写真の左に写ってる人なんだけどね。先輩は、俺がヴァイオリンを始めるきっかけになった人なんだ。 ホロウ:わ、かわいい~……! ネームレス:この方もヴァイオリンを? アンノウン:そうそう。初めて会ったのは小学校の時でね。休み時間に音楽室の近くを通ったら、綺麗なヴァイオリンの音色が聴こえてさ。気になって覗いてみたら、すっごく綺麗な人がヴァイオリンを弾いてたんだ。俺はその時小学生(クソガキ)ながらに思ったよ、ああ。「優雅」って言葉はこういう時に使うんだなあって。 ネームレス:「優雅」(エレガンス)、ですか。 アンノウン:まさしく。立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹。歩く姿は百合の花!超絶技巧を持っていても驕らず、自己主張しすぎない、優しくておっとりした感じのクッソかわいいお姉さんなの! ホロウ:なんか惚気聞かされてない僕たち? ネームレス:まあまあ。"アンノウン"の正体を探ることが我々の目的ですし、聞く価値はあるかと。 ホロウ:むぅ~~…。 ネームレス:ふふ。では…、そうですね。少し話を戻して申し訳ないのですが、あなたがヴァイオリンを触ることになった馴れ初めをもう少し詳しく思い出せますか? アンノウン:えぇっと…、音楽室で先輩を見かけたところまで話したのか。その後、先輩から話しかけてくれてね。「音楽好きなの~?」って。それで仲良くなって、その後は休み時間のたびに音楽室に赴いて先輩と話す、なんてことを繰り返してたら、ある時、「君は楽器の演奏に興味はないの?」って聞かれてさ。正直、俺はその当時からずっと楽器の演奏をするのが夢で、もし叶ったらオーケストラやアンサンブルに参加してみたいって思ってたんだ。 ホロウ:ふむふむ。でもその言いぶりから考えるに、それができない理由が…、あっ。もしや家庭事情か。 アンノウン:…その通り。さっき言った通り家が厳しかったから、成績をよくしないといけなくてね。でも、俺って勉強が苦手だったから、楽器なんて触ってる暇なくてさ。両親は俺が頭悪いことも趣味に没頭するタイプだってことまで知ってたから、余計持たせたくなかったろうし…。ん…? ネームレス:では、幼い頃はヴァイオリンを演奏してはいなかったということですか。 アンノウン:……え?ああ、うん。自分で弾くようになったのは高校になってからだね。数年くらいお小遣いを貯めまくって、自費で買った。もう愛着湧きまくってるよ。 ホロウ:おぉ、素晴らしい執念だ~…! アンノウン:執念というか、先輩との約束だったからね。「今は無理でも、将来絶対一緒に演奏しよう」って。先輩がそう言ってくれた時は泣きそうだったなあ。いや、泣いたんだっけ。でも、それくらい感極まってたんだ。だって、家でかけられるプレッシャーとか周りの目線から逃れるすべが昔から音楽だけだったからさ。 ネームレス:事細かにありがとうございます。ここまで鮮明に語れるということは、この方との出会いは、あなたの人生にとってのかけがえのない潤いだったことでしょうね。 アンノウン:そりゃあそうだよ。…この人がいなかったら、きっと俺はとっくに廃人になってただろうからね。 ホロウ:あ、あからさまに顔を赤らめてる。 アンノウン:いや、そりゃそうなるって、あの音楽室の先輩は思い出すだけで色々込み上げてきちゃってダメなんだよ…!本当に映像があったら見せたいくらいなんだけどな…。というか、ここ俺の精神の底なんですよね…?どうにか映写機かなんかで当時の映像とか投影できないかな…!? ネームレス:残念ながら、難しいかと。記憶や精神というものは、基本的に他者にも自分自身にも介入できないものですので。 アンノウン:え、でもお二人は俺の精神に入ってこれてないです…? ホロウ:ふふ~…、それには訳があってね、実はちょっと僕たちが特殊なんだ~……! アンノウン:そうなんですか? ネームレス:あの、ホロウ? ホロウ:僕たちがここに来れてるのはネームレスの能力のおかげなんだけどね?実はネームレスって普通の天使じゃないんだよ~! アンノウン:ほうほう。 ネームレス:ホロウ。ホロウ…ッ!![抗議の眼] ホロウ:じゃあなんなのかっていうと、実はネームレスって純正の(天使じゃなくて夢魔とのハーフ―――。 ネームレス:[被せて] あ"ぁ"~ッ![滅茶苦茶な咳払い] アンノウン:[咳払いに被せて]ちょ、ネームレスさん…!?大丈夫か…!? ネームレス:はい名無しですッ!窓の外は今日も雨ですねあいにくのッ!! ホロウ:どういう誤魔化し方なのそれ? アンノウン:窓…?そういえば窓ありますね。あれ調べたっけ? ホロウ:まだだけど、真に受けなくていいよ。発作だから。 アンノウン:いや、でも気になるんで…。[窓の外を覗く]…うぉ、凄い絶景…。この部屋以外、一面夜空しか見えない。 ネームレス:[普通の咳払い]その着眼点は素晴らしいです、"アンノウン"。 ホロウ:あ、復活した。 ネームレス:窓がある場合は、大抵そこから見える景色にもあなたの出自が隠されている場合がありますので。 アンノウン:でも、夜空ばっかりで何も見えないですよ?月みたいな光も見えなくはないけど、雲に隠れてるし…。 ネームレス:「音」は? アンノウン:音…?…あ、本当だ何か聞こえる。…なんだろうこれ? ネームレス:…ノイズっぽいですが…、遠すぎて良く聞こえませんね。ならば…、ホロウ。お願いします。 ホロウ:はいは~い! ネームレス:あんまり離れすぎないようにね。 ホロウ:わかってるってば!じゃ、行ってきます~![窓からふよふよと出ていく] アンノウン:あ、そっか。ホロウさん浮遊してるから! ネームレス:音源に近づけるはずです。我々は(帰りを待つばかり―――。 ホロウ:[被せて]たっだいまー! ネームレス:はやーい。おかえりなさい。ちゃんと聴きとれたんですか? ホロウ:もっちろん!いやあ、この短時間できちんと聴き取ってくるなんて、僕がどれだけ社畜かっていうのが明瞭にわかるね! アンノウン:社畜というワードはたぶんそんな軽くないと思うけどなあ…。 ネームレス:それで、どんな音が聞こえたんです? ホロウ:えっとねー、まず、音は「二つ」あったよ。 アンノウン:二つ? ホロウ:そう、二つ。一つは「川のせせらぎ」。安眠ASMRによく使われるアレだけど…、ちょっと音が激しかった気がする。だから、氾濫してるのかもね。 アンノウン:氾濫した川…、自殺にはぴったりだなあ。 ネームレス:おや、確信はないですか? アンノウン:…そうだった気がしなくもない、くらいかな。でもさっき言った通り、俺はそう簡単に自殺は選ばないと自負してるんでね。うん。ないです確信。 ネームレス:そうですか…。 ホロウ:ちょっとちょっと、まだ落ち込むには早いよ~。音はもう(一個聴こえたんだから―――。 ネームレス:[被せて]待ってください。窓の向こう、何か紙のようなものが落ちていってませんか? ホロウ:え?あぁ本当だ!待ってて、すぐ取ってくる![ぴゅーっと飛んでいく] アンノウン:…川かあ。…うぅん、スメタナは好きだけどそこまで思い入れもないしなあ。 ネームレス:スメタナ…、ああ。「わが祖国」でしたっけ。雄大で素晴らしいですよね。あれぞ、愛国心の為せる業なのでしょうか。 アンノウン:…なんかあなたも大概詳しくない? ネームレス:昔、いろいろ勉強したので。 ホロウ:[帰ってきて]お待たせ~!ひらひらしててキャッチするのに手間取っちゃった。はい、どうぞ。 アンノウン:どうも。にしたって、いったい何の紙……っ。 ホロウ:見たらわかるでしょ、「成績表」だよ。多分君のね! ネームレス:うぅむ…。名前のところは塗りつぶされていて見えませんね。やはり、中を(見てみないことには―――。 アンノウン:[被せて]待って。 ホロウ:…"アンノウン"? アンノウン:…見たくない。 ネームレス:…というと? アンノウン:わからない。わからないけど…、とにかく。この冊子を開けるのは、嫌だ。 ホロウ:拒絶…、ネームレス、こういうケースは? ネームレス:…初ではないですが、イレギュラーなパターンです。そして…、きっと、これがすべての発端(トリガー)なのでしょう。 ホロウ:そっか…。"アンノウン"。残念だけど、君は直面しなきゃいけない。次の生を歩むために。何が起こるかは誰にもわからないけど、君がここから抜け出すには、つらい記憶を思い出さないといけないんだ。 アンノウン:…どうしても? ホロウ:どうしても。 アンノウン:…これを見ずにここにずっといるっていう手は? ネームレス:それは無理です―――。 ホロウ:[被せて]それだけは絶対にダメだっ!! アンノウン:っ…、死神さん? ホロウ:…ああ、ごめんね。でも、ダメだよ。どれだけ辛くても、どれだけ悲しくても乗り越えるからこそ、人は美しいんだ。だから…、ここにいてはいけない。虚ろになっちゃいけない…!君はこの檻から抜け出さないと。何もかもを呑み込んで、希望に向かって生きなきゃ。 ネームレス:…ホロウ。 アンノウン:っ…、辛くても、乗り越える…。 ホロウ:…あははっ!さあ、さっさと覚悟を決めろ~!じゃなきゃ僕が無理やり中身をみちゃうぞ~っ! アンノウン:…わかりました。[深呼吸して] ……ありがとうございます。決意できました。 ネームレス:エクセレント。…やはり素晴らしいですね。「人間」は。 ホロウ:ふふ~…!当然だよ、「天使さん」(ネームレス)!さあ、"アンノウン"。今こそ自分を取り戻すときだ! : アンノウン:[M]手が震えている。怖い。見たくない。聞きたくない。あんなの、「殺されたも同然」だ。ぐちゃぐちゃな感情が押し寄せる。この怒りは、悲しみは、放心は…、いったいどこからやってきているんだろう。それすらいまだにわからない。…でも。それでも。俺は「輝きを知っている」。だからこそ…。 : アンノウン:…踏ん張らなければいけないよな。「彼」みたいに―――! : アンノウン:[M]成績表を開く。俺の眼に飛び込んできたのは、何の変哲もない成績表だ。先生からの言葉と、俺の成績の内訳が書いてある。 : ホロウ:…すご、A評価めちゃくちゃ多いね~! アンノウン:…いや。これは「失格」だ。 ネームレス:…それは、ご両親の視点ですか? アンノウン:…俺の両親からすれば、オールAが当たり前なんだよ。でも、見てこれ。Bが五つと…、Cが、一つ。…こうなった理由は俺にある。ヴァイオリンに夢中になって、勉強に手がつかなかったんだ。……だから…、だから父さんは、怒り狂って俺の―――ッ。 : アンノウン:[M]―――思い出した。それと同時に。俺の頭に音が一つ弾ける。乾いた、力のない音だった。 : :ぱしゃんッ! : :がらがらっ、 : :ばら、ばら…。 : :………。 : : アンノウン:[M]無意識に塞いでいた耳から手を力なく放し、閉じていた目を開ける。…そこに転がっていたのは、大量の木片。それは紛れもなく―――。 : アンノウン:[M]―――かつて、「楽器」であったものの、無残な死体だった。 : ホロウ:…そういうことか。 ネームレス:ええ。…これが、「余程のこと」なのでしょうね。"アンノウン"が、自殺を望むほどの。 アンノウン:…そうだよ、そうだよ…っ。なんでこんなことを忘れてた…ッ!…俺は「殺された」んだ。心から愛していたものを、目の前で……ッ!! : ホロウ:…あ、ネームレス。また何か出て来てる。 ネームレス:わかっています。ですが、我々には聞く義務がある。"アンノウン"の、心の叫びを。 アンノウン:…成績が低迷したのは俺のせいだよ。ヴァイオリンが弾ける…、やっと、やっと先輩との約束が果たせると思ったら、嬉しくて、ついね。…でも。でもさぁ!壊すなんて…、こんなの、ないだろうよ……ッ!! : :静寂。 : : アンノウン:…それで…、へたり込んで、どれくらい経ったのかわからなくなったころに、思ったんだ。…俺の人生から音楽さえも奪うなら、いっそ死んでやろう。ってね。そしたらちょうど嵐で悪天候だったから…、ちょうどいいやって、思って。俺は…、嵐の川に飛び込んで、ここに来た。 : ネームレス:…すべて、思い出したようですね。 アンノウン:…はい。…名前まで、鮮明に。 ホロウ:…じゃあ、追加で出てきたこの封筒が何かは分かる? アンノウン:ああ、それは遺書です。…ガキながらに書き綴りました。どうせ死ぬなら、大嫌いな両親に皮肉の一つでも言ってやらないと気が済まなかったし。…先輩に謝らないとって思って。 ネームレス:…では、見る意味はなさそうですね。…ここまでお疲れさまでした。檻の鍵が開錠されましたので、今から天国までお送りします。 アンノウン:…お願いします、が。…一つだけ、確認して良いですか? ネームレス:どうぞ、お好きなだけ。 アンノウン:…あの世に行ったら、次は来世に行くんですよね。 ホロウ:大抵はそうなるよ。でも、しばらくは天国でゆったりすることもできる。そこは、あっちについたあとその魂が決めていいって取り決め。…で、合ってるよねっ? ネームレス:完璧です。 アンノウン:至極当然のことを聞きますけど。…来世に行ったら、それはもう、今の俺じゃないですよね。 ネームレス:…難しい質問ですね。生命としては別になってしまいますが、あなたの魂に変わりはない、といった感じです。 アンノウン:それってつまり。…「俺」は…、「音楽が大好きな俺」は消えるってことで合ってますか。 ホロウ:そう、なるね。 アンノウン:…そ、っかぁ…。…はは、は。……クソッ。…クソッ!!!「なんて馬鹿なことをしてるんだよ俺は」!! ネームレス:っ…。 アンノウン:自殺?ふざけるなよっ!!意気地なしのくせに、なんでいつも思い切りだけはいいんだよッ…!!挫折しても何度だって這い上がってやるんだって決意しただろうが…っ、あきらめが悪いことが俺の取柄なんだって自分を鼓舞して、ズタボロになっても貫き通して、そしてっ…!いつか…、いつか絶対に先輩の横に並ぶって…、約束、したのに……ッ。俺は、俺はぁ……っ。 ホロウ:ねえ、元"アンノウン"。 アンノウン:…はい。 ホロウ:君は、生き返りたい…? アンノウン:…それが叶うのなら。 ホロウ:君の生涯はこれからも続く…。たとえどれだけ困難でも、どれだけ辛くとも…、君は「君として」、自分の人生を取り戻すことを望む…? アンノウン:…もちろんです。先輩と、約束したんだから。 ホロウ:…だってさ、ネームレス。 ネームレス:…ホロウ。まさかあなた、また私を謹慎処分にさせるつもりですか? ホロウ:でも、君の話を聞く限り、こんなの初めてなんじゃない?すべてを思い出してなお「生き返りを望む"アンノウン"」なんてさっ。 ネームレス:そう、ですね。あの方の思いには、だいぶ込み上げるものがありました。 ホロウ:なら一回くらいチャンスをあげてもいいと思うなっ、僕は…。だって、ほら。こんなに「月」もきれいなんだし! ネームレス:…あなたが一緒に怒られてくれるというのなら、考えなくもない。 ホロウ:そんなのいいに決まってるじゃん!だって、空っぽから何を取ろうとしたって手が虚空を掴むだけだもんね~っ! ネームレス:…ふふっ。まったく。あなたはどこまでも「非常識」(イレギュラー)ですね。 ホロウ:それはこの子に言ってあげなよ! ネームレス:「ごもっとも」(ザッツライト)! : アンノウン:[M]瞬間、俺の身体が暖かい光に包まれる。そして、窓の外から聴こえるのは、壮大なオーケストラ。 : アンノウン:っ…、この曲は…、マーラーの交響曲第二番…っ! ホロウ:確か命題は「復活」、だったっけ。うんうん。どこまでも君にぴったりだ~……! アンノウン:え、なんで死神さんがそれを…、 ホロウ:言ったでしょ、僕は「空っぽ」なんだって!空の入れ物が蓋を開けて水の中に入ったら、それが中に入るでしょ?同じ原理だよ! ネームレス:…え、その能力があるのなら記憶探し、もっと早く終わったのでは? ホロウ:あはは~!それは言わないお約束だっ! アンノウン:えっと、多分その意味はわかりましたけど…、でも、この光は…っ!? ネームレス:当然、あなたを復活(リザレクション)させるための力です。 アンノウン:リザレ…、生き返るってことですか!? ネームレス:その通り。本来は使っちゃいけない力なんですがまあ…、私も先ほどの叫びには心を打たれましたしね。なにせ、久々に生命力に溢れた人間を見たものですから。諦めないあなたがまた巨人のように大きな壁に向かっていくというのなら、私は喜んで怒られましょう!次は何を取られるのか、考えるだけで怖すぎますが、ね。 ホロウ:ネームレスがここまでやってくれてるんだから、もうここにはきちゃダメだぞ~っ? アンノウン:…本当に、いいんですか? ネームレス:良くはありません。が…、どこまでも不撓不屈(ふとうふくつ)を抱くあなたの物語を、ここで終わらせることの方が私にとっては良くないと感じたのです。ですから、まあ。…私からのえこひいきを、どうか受け取っていただきたく。 アンノウン:…っ、ありがとう、ございます。…本当に、ありがとうございますっ…! ネームレス:ふふ。いつか天国に来たときは、あなたが偉大な音楽家として名を馳せていることを期待していますよ。 ホロウ:…さあ、行っておいで。君は生きて、夢を掴むんだ! アンノウン:…はいっ! : アンノウン:[M]意識がフラッシュバックしていく。笑顔を送って見送る二人と、ゆるやかに差し込む月明り。…ああ。 : アンノウン:『俺の「月」(アブソリュート)は、今、ここにある』……! : 0: : ネームレス:…さて、では、私たちも帰りましょうか。…はぁ…。 ホロウ:え、まさかあれだけ言って後悔してるの~? ネームレス:いや、後悔は一ミリもないんですけど。…上司に怒鳴られるのが億劫すぎて。 ホロウ:…君は本当に仕事が嫌いだね~? ネームレス:当然じゃないですか!働きたくて働いてる人なんてどこにもいないと思いますよ。 ホロウ:それは、音楽家も? ネームレス:…ふふ。前言撤回です。 ホロウ:…ん~っ、それにしても、あの子は凄いなぁっ。 ネームレス:ええ。あの方ならばきっと、もう過ちは犯さないでしょう。…立派なヴァイオリニストになれるといいですね。 ホロウ:だね。…僕も、勇気を分けて貰えたよ。 ネームレス:おや、空っぽの器に少し物が入りましたか? ホロウ:うん。…でも、この勇気は「生きているとき」に欲しかったな~。 ネームレス:…その心は? ホロウ:そんなの決まってるじゃん、ネームレス。…僕には、「死ぬ勇気」すらなかったからさ! : 0: : ネームレス:[M]あの後、かの有名な「涙の日」(ラクリモーサ)は未完のまま終わった、という話を耳にしました。ならばやはり、あの魂は朽ちるには早すぎたのでしょうね。 : ホロウ:[M]きっとあの子は、今も激しく生命の鼓動を滾らせて、醜い現実に立ち向かっているはずっ!…ま、僕たちには祈ることしかできないけど! : 0: : ネームレス:[N]それは、自分への叛逆(リベリオン)。過去を乗り越え未来へと征く、世界への挑戦。 : ホロウ:[N]「流行感染病」(コレラ)にも負けず、「第九番」(おわり)さえも乗り越えて、君は「第十番」(ゆめまぼろし)を掴むでしょう。 : 0: : アンノウン:[M]差別も意に介さず突っぱねてやろう。認められずとも諦めず進んでやろう。そして、いつかは―――。 : アンノウン:作れるといいなあ。…俺の、「世界交響曲」を。 : 0:True End : “Auferstehung” : : : : :―――――おまけ――――― : : : : 0:"アンノウン"の遺書の全容 : :拝啓 :今まで私に関わった、全ての人達へ : :私は今の今まで、人生でこのようなものを自ら書くことになろうとは、全くもって考えてもみませんでした。  :ですが、突然何もなく、というのも迷惑かと思いますので、自分の唯一の意思表示の証拠として、ここに記します。 : :私は、もう死のうと思います。 : :誰のせいであるとか、何があったからだとかは、この際もう良しとします。 :というより、ただ単にもう疲れてしまっただけなのです。 : :これに際して、私は様々な方々に感謝の意を伝えなければなりません。 : :お父様、お母様。 :今まで愛をもって育ててくださり、本当にありがとうございました。 :あなたがたのおかげで、私はこの世界の何たるかを、ほんの少し知ることが出来ました。 : :私の数少ない友人の方々。 :こんな私に、友情の素晴らしさを教えて下さり、ありがとうございました。 :あなた方があったから、私は日々をやり過ごせました。 : :最後に、先輩。 :あなたには、何よりも、誰よりも感謝しています。 :あなたは私に、人であることの喜びを与えて下さいました。 :あなたは、どうか人としての幸せを体現するような健やかな生を、どうかこの先送って下さい。 : :そういえば私の私物に関してですが、その処遇は全て任せます。 : :ただ一つ、それらは全て捨ててしまったほうが楽なのかなと感じますから、そうして下さればと思います。 : :本当に充実した、それでいて空虚な人生でした。 : :ありがとうございました。 : :敬具 : : :……… : : :P.S. : :唯一つ、願っても良かったのなら。 :私は、辺り一帯しんと静まり返った月の光の下で、あなたと音楽をしたかった。 : :なんのことはない、夜にふさわしい一つの小品を。