台本概要

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タイトル 『マグノリア・ブロッサムと籠の鳥』【前編】/BAR「猫町」“出奔者篇”#1
作者名 sazanka  (@sazankasarasara)
ジャンル その他
演者人数 3人用台本(男1、女2)
時間 50 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 とある街、とあるBAR。
とある、一つの慟哭。
―2021年9月某日―

“出奔者篇(イデハシルヒトヘン)”。
とあるBARの、比較的賑やかな夜の少しの時間を切り取った連作エピソードです。(“お1人様篇”シーズン1と併せて、BAR「猫町」1stシーズンを構成しています。)

自由に、楽しんで演じて頂けますと幸いです。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
タニマチ 112 店員。薄暗い男。
アンリ 99 常連客。時に嵐のような女。
ヨウコ 79 一見客。溢れやすい女。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
タニマチ:或る、心象のうた。 ヨウコ:憂鬱なる桜が遠くから匂いはじめた ヨウコ:桜の枝はいちめんにひろがっている ヨウコ:日光はきらきらとしてはなはだ眩しい ヨウコ:私は密閉した家の内部に住み ヨウコ:日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる ヨウコ:その卵や肉はくさりはじめた ヨウコ:遠く桜のはなは酢(す)え ヨウコ:桜のはなの酢えた匂いはうっとうしい ヨウコ:いまひとびとは帽子をかぶって外光の下を歩きにでる ヨウコ:そうして日光が遠くにかがやいている ヨウコ:けれども私はこの暗い室内にひとりで座って ヨウコ:思いをはるかなる桜のはなの下によせ ヨウコ:野山にたわむれる青春の男女によせる ヨウコ:ああ いかに幸福なる人生がそこにあるか ヨウコ:なんというよろこびが輝やいていることか ヨウコ:いちめんに枝をひろげた桜の花の下で ヨウコ:わかい娘たちは踊りをおどる ヨウコ:娘たちの白くみがいた踊りの手足 ヨウコ:しなやかにおよげる衣装 ヨウコ:ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあっていることか ヨウコ:花見のうたごえは横笛のようにのどかで ヨウコ:かぎりなき憂鬱のひびきをもってきこえる ヨウコ:いま私の心は涙をもってぬぐわれ ヨウコ:閉じこめたる窓のほとりに力なくすすりなく ヨウコ:ああ このひとつのまずしき心は ヨウコ:なにものの生命(いのち)をもとめ ヨウコ:なにものの影をみつめて泣いているのか ヨウコ:ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで ヨウコ:遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。 0:タイトルコール。 タニマチ:『マグノリア・ブロッサムと籠の鳥』 0:九月某日、某時刻。 0:とあるバーの店内。カウンターには男性店員と、常連客の女性が1人。暫しの沈黙を破り、常連客はスマートフォンを操作しながら、唐突に話しかける。 アンリ:タニマチくん知ってる? アンリ:日本最大の砂丘は鳥取砂丘じゃなくて、青森県の「猿ヶ森(さるがもり)砂丘」なんだってー。 タニマチ:……、へえー。 アンリ:あとね……オーストラリアにエアーズロックってあるじゃん? あれって地面に出てるのはちょびっとだけで、9割は地中に埋まってるらしいよ。 タニマチ:何見てんスか? アンリ:「すぐ人に教えたくなるトビキリ豆知識999」。 タニマチ:教えたくなりました? アンリ:ボチボチってとこかなー、トビキリとまでは……。 アンリ:あ、コレはー? 「1円玉1枚作るには2円かかる」、だって。 タニマチ:それはなんか、聞いたことあるなあ。 アンリ:「人間は一生のうち、寝ている間に平均10匹の蜘蛛を食べている」。 タニマチ:きしょっ。 アンリ:「封済湖(ふすまこ)中央の垂水島(たるみじま)は、昔一度水没している」、コレって常識じゃーナイの?? タニマチ:どースかね、社会科の先生は言ってましたけど、 アンリ:んー……と……、 アンリ:ああーコレ、「パフェの語源は、完璧なデザートという意味で“パーフェクト”から来ている」。知ってた? アンリ:あ。あのさァ、パフェって無いっけ? タニマチ:急に食いたくなったんスね。 タニマチ:えー……と、ちょっと待ってくださいね、作れないことも……。 0:言いつつ、店員は冷蔵庫を探るため奥へ入ろうとする。 アンリ:んあー、やっぱいいわ。よく考えたらこの後食事だった。 タニマチ:(戻ってきつつ) タニマチ:あ、彼氏さんと? アンリ:そー。 タニマチ:結構遅めの夕飯スすね。 アンリ:そーなのよ。まあ夜会う時はいつもだけど。 アンリ:今日も9時半くらいかなー。 タニマチ:(時計を見つつ) タニマチ:まだもうちょい、つー感じで。 0:女性客はスマートフォンを置き、身体を伸ばす。 アンリ:ぐはぁー、ヒマだわー。いつもどーり客は来ないわ店員はウスグライわ。 タニマチ:こりゃまたどーも。 アンリ:(唐突に) アンリ:なんか面白いコト言ってよ。 タニマチ:それ2人の状態ではやらないヤツじゃないスか。 アンリ:オモシロ横文字「ス」!! タニマチ:「ス」……? タニマチ:ス……、「スープカリーー」っ!!(裏声) アンリ:(噴き出す) アンリ:ぶはっ。言い方じゃん。 タニマチ:急にはちょっとコレ……、 アンリ:(間髪入れずに) アンリ:オモシロ横文字「ポ」!! タニマチ:「ポ」!? タニマチ:ポ……「ポーチュラカ」っ!!(裏声) アンリ:ぶははははははっ! アンリ:ああー、しょーもなー。 アンリ:(唐突に切り替えて)あ、冷房効きすぎくない? タニマチ:(リモコンを操作しつつ) タニマチ:やらせるだけやらせといて……。 0:ドアベルが鳴り、一見客の女性が来店。 タニマチ:(反応し) タニマチ:いらっしゃいませー。 タニマチ:(会釈し、ドアの外を伺いつつ) タニマチ:どうぞー。お一人様ですか? ヨウコ:(躊躇いがちに) ヨウコ:あ……、はい、一人、なんですけど、大丈夫でしょうか……? タニマチ:あ、全然。お一人の方多いですよー。 0:どうして良いか判らない様子で、店内を見回す一見客。察して、あらためて声をかける店員。 タニマチ:良ければ、カウンターどうぞー。 ヨウコ:あ、は、はい……。 アンリ:(笑いかけて) アンリ:私もお一人様だよー。 アンリ:ていうかオジョーサン、戸惑ってる感じ? さっきの奇声聞こえてたんと違う? ヨウコ:(スツールに腰掛けつつ) ヨウコ:「ポーチュラカ」、って……。 アンリ:(ケタケタ笑って) アンリ:ほらー。 タニマチ:ああー、すいませんなんか……。 アンリ:コワいよねえ、お店入ろうとしたら、中から変な声で花の名前聞こえてきたら。 タニマチ:いやー、まあそうスよね。 タニマチ:あ、全然大丈夫な感じの店なんで……。 ヨウコ:(首肯してから) ヨウコ:ポーチュラカは、好きなお花、なので……、大丈夫です。 アンリ:(面白げに) アンリ:おほ、そーなの? アンリ:え、ちなみにポーチュル(噛んだ)、ポーチュラカってどんな花? ヨウコ:どんな……、ええ、と、 ヨウコ:熱帯から温帯、日本でも広く分布する、一年生の被子植物で……、夏から秋にかけて、小さ目の、黄色い花を付けます。果実は熟すと、中から大量の種子を散らして、古くは薬草としても、 アンリ:(目を輝かせ) アンリ:へえー! 凄い凄いウィキペディアみたい。ハナペディアちゃんて呼んでイイ? タニマチ:パンチ強いな、最初のアダ名としては。 タニマチ:(向き直り)お花とか、お好きなんです? ヨウコ:好き……。そう、ですね。 ヨウコ:家に、花壇や、果樹園が、その、ありまして……、小さい頃に母が、植物の図鑑を、絵本代わりに読んでくれたり……。 ヨウコ:今も、好きで調べたりはしていますが、詳しい、とまでは、とても……。 ヨウコ:ポーチュラカは本来、本式の花壇に植えられているタイプのお花ではありませんが、なんと、いうか……、 ヨウコ:元気そう、なので、好きなんです。 アンリ:ほえー。イイなァー、なんかそーゆー、花とか植物とか女のコっぽくて! アタイなんざ野草ちぎって来るぐらいで、宿題のアサガオとか枯らした事しかなかったわー。 タニマチ:でもなんか前、ベランダでミョウガとかネギとか育ててるって言ってませんでしたっけ。 アンリ:オッサンじゃんラインナップが。美味いけどさ。 ヨウコ:(意を決して) ヨウコ:あ、あの……っ! 0:店員と常連客、揃って一見客を見る。 ヨウコ:お、お酒……、あの、ちゅ、注文……、 タニマチ:あ、ああー。すいません飲み物聞かずに。 タニマチ:(様子を見て) タニマチ:えっとね、ソフトドリンクもありますよ、ジュースとか、珈琲、紅茶……、 ヨウコ:あ、いえ……、 ヨウコ:出来ればお酒、を、注文させて頂ければと思って、今日……、 アンリ:おおー? 行ったれ行ったれー。 タニマチ:勿論、大丈夫ですよ。 アンリ:売るほどあるからねーお酒は。 タニマチ:売ってんだっつって。 タニマチ:(向き直り)んじゃあ、どんなのしましょっかねー。 ヨウコ:ええ、と……、 アンリ:(唐突に) アンリ:ハナペディアちゃんみたいな子がどんなの飲むのか気になるなーーっ! てか私も何か頼みたくなってきたっ! アンリ:これで最後にしようと思ってたのにーーっっ!! ヨウコ:あっ? あ、す、すみません……。 タニマチ:あー全然、全然そういうんじゃないんで、この人のコレは。 アンリ:むしろイイとこに来てくれたよー。もーちょい時間潰さなきゃなのに、店ヒマで退屈してたんだよねん。 タニマチ:すんませーん。 アンリ:んっと、じゃあ私はねー……、『ベーカーズ』に加水して……、いやバーボンもう1杯はキツいか、ご飯でも呑むしな……、 タニマチ:ベルモットいきます? アンリ:そだね、んじゃ赤い方、ソーダ割りで。 タニマチ:あい。 アンリ:(グラスの残りを一気に干し) アンリ:ぷはっ。おしゃー、ちょっとウンクッ(ドイツ語風の発音)してくるわー。て嘘だよーウンクッなんかしないよーしなくてもイイ生き物だよーっと。 0:言いながらトイレへと向かう。 タニマチ:ちょおっ! 飲食店でヤメろや! アンリ:(トイレの戸の向こうから) アンリ:出てくるまでに頼むの決めててねーーん。 タニマチ:(軽く嘆息し) タニマチ:すいません、初めてなのになんか……。 ヨウコ:ものすごく、酔って、らっしゃるんですか……? タニマチ:ああー、や、2杯だからそんなには……。なんかね、基本ああいう人なんスわ。 タニマチ:(小声で)シンドかったら全然言ってくださいね? ヨウコ:いえ……、わたしも、こういった雰囲気の方が……、 タニマチ:(酒を作りつつ) タニマチ:緊張されてます? こういう感じのお店は……、 ヨウコ:初めて、です。 ヨウコ:わたし、ついこの間、二十歳(はたち)になったばかりで……、 タニマチ:あ、じゃあお酒もそれまでは? 家とかでも……、 ヨウコ:未経験、です。周りには、隠れて経験していた子も、居たようですけど、わたしは……。 タニマチ:やー、全然それで良いと思いますけどねー。 タニマチ:ふむふむ、 ヨウコ:親が、その、厳しかった、ので……。 タニマチ:なるほど。で、無事飲める歳になったし1回、みたいな。 ヨウコ:(一瞬、考え込み) ヨウコ:そんな、感じ、です。 タニマチ:(何かを察するが、敢えて触れずに) タニマチ:じゃ、ホントにアルコール初体験なんですね。 タニマチ:おー、初の方にお酒出すのは俺も初かも。 ヨウコ:製菓用のラムや、ブランデーを舐めたぐらいは、あるんですが。 ヨウコ:あの、やっぱり、こういうお店には、お酒を、たくさん飲む方が、来られるものなんでしょうか……? タニマチ:いやー? うちは結構、色々で。ソフトドリンクだけって人も多いですよ。最近は飲酒人口自体減ってますし。 タニマチ:勿論、飲む人は飲みますけど。 ヨウコ:あの、女性の方は……? タニマチ:アンリさんね。あの人はまー、飲む人、の方ですね、比較的。 タニマチ:あ、てかそうそう、最初に聞きそびれちゃいまして……、 タニマチ:えっと、お名前何てお呼びしま、 0:遮って、常連客が勢いよく手洗いより帰還。 アンリ:たらいまーっ! いやあー容赦なくウンコとか口にしても下品にならないのが私のイイとこなんだよねーん。いやウンコはしてねーわ! (着席しつつ)あ、店内寒くない? アンリ:ていうか今自己紹介タイムしよーとしてたっしょ? ダメじゃんかさァー待たなきゃーーっ! タニマチ:(酒をだしつつ) タニマチ:やりたい放題か。 アンリ:ありがとー。(一口飲む) アンリ:ていうかまだ頼んでなくないハナペディアちゃん。おい店員ー何やってんのさー。さァさァ、何飲むんだいハナペディアちゃん。 アンリ:ていうかそう、ハナペディアちゃんお名前なんて呼んだらいーの? ハナペディアちゃんでいーの? ヨウコ:ええ、と……。 アンリ:私は「アンリ」ってゆーの、しがないタダのオネーさんだよー。こっちのネズミ色のバーテンさんは「ニシジマ」。 タニマチ:「タニマチ」です。 アンリ:どっちも偽名なんだよねー。 タニマチ:……っ。 タニマチ:本名だわ。何で微妙な嘘つくんスか。ていうかネズミ色って? アンリ:オーラの色。 タニマチ:なんスかソレ……。 ヨウコ:あの、名前、は、フルネームを、でしょうか……? アンリ:(噴き出す) アンリ:プふっ! あ、ごめん笑っちゃった。んーんー、フルネームじゃなくてイイよ、アダ名とかで全然おっけー。「ゆいポン」とか「ゆいりゅん」とか。 タニマチ:当てにいってるじゃないスか下の名前。 タニマチ:あ、全然本名とかじゃなくて、好きなお名前で。ここでだけ呼ばれたい名前とかあったら、今つけてもらってもイイし。 アンリ:お客同士のフルネームとかだーれも知らんしねー。 ヨウコ:ええと、アダ名、というアダ名は、無いんですけど……、 ヨウコ:では、ファースネームで。ヨ、「ヨウコ」、と申します。 ヨウコ:よろしくお願い致しますっ。(深々と頭を下げ) タニマチ:ヨウコさん。ヨウコさんスね。うん、覚えた。 タニマチ:自分は、タニマチっていいます。タニマチでも、タニでも、お好きな風に。 アンリ:「ニマ」でも? タニマチ:切り取るとこっ! タニマチ:(向き直り)月水と、土日のどっちか、みたいな感じでカウンター入ってます。よろしくお願いします。 アンリ:毒にも薬にもならない無風の接客でお馴染みなんだよねー。 タニマチ:毒々しーお客さんにはコレぐらいでちょーどなんスわ。 アンリ:誰がサソリ座の女だチョキチョキ。(両手でハサミのジェスチャー) タニマチ:それサソリ女じゃん。 ヨウコ:(噴き出す) ヨウコ:ぷ、ふっ……、 ヨウコ:あっ、すみません思わず……、 アンリ:……おおー。クッソ暇な時間に培った私らの掛け合いが、ヨウコちゃんの凍てついた心を溶かした……。 タニマチ:何知ってんスかヨウコさんの。 アンリ:ていうかようやく笑ったねー。いやぁー、ウンコとか言ってピエロを演じ抜いた甲斐があったわー。 ヨウコ:あの、本当にお二人息が、合っていらして……。 ヨウコ:アンリ、さんは、こちらにはよく来られるんですか? アンリ:んー、まあ結構、割りかし、偶(たま)にー、て感じかな。仕事の後とか、楽しーのに飽きて、つまんなーいウスグラーイ接客されたくなった時とか。 タニマチ:言い方。 アンリ:今日とかはこの後デートなんだけどさ、彼氏が予定遅いからキルタイムしてんの。私が来る時いっつもヒマだからさ、大概しょーもない話ばっかしてるよね、質の低ーい。 タニマチ:「オモシロ横文字」とかね。 アンリ:お、自分から持ち出して……やる気か!? アンリ:「ル」!! タニマチ:やりまセン。 タニマチ:あ、ていうか、ご注文。えっと、そしたら……、 アンリ:そーだよそーだよ。ヨウコりんは普段どんなの飲むの? ヨウコ:りん……。 ヨウコ:あ、そう、お酒を、頼むんでした……。あの、普段、というか……、 タニマチ:ヨウコさんは今夜が初めてのBARで、初めてのアルコールなんスよね。 アンリ:ほえーっ! そりゃメデタイじゃん!! BAR初めてなのはね、うん、そんな感じ出てた出てた。 ヨウコ:あの、つい先日、二十歳(はたち)に……、 アンリ:(唐突に) アンリ:ぎゃひぃぃぃっ若いっ!! アンリ:(悶えつつ)うおああ眩しさで溶けるーーっ。 タニマチ:ウザい酔い方だよホント……。 アンリ:(ケロッと切り替え) アンリ:んじゃあ、記念すべき1軒目の、記念すべきベキ1杯目じゃんね。おいモリカワっ。責任重大だぞォー。 タニマチ:タニマチだっつって。 タニマチ:(向き直り)でもそうスよね、ホントの初めてなら、何かちゃんとした物を……、 アンリ:シェーカー振ったげなよー。よォーしヨウコりん、最初の1杯はさ、オネーサン奢ったげるわ。んでー、乾杯をしよーねー。 ヨウコ:え? あ、でもそんな……、 アンリ:イイのイイの、ノリだからこんなのは。成人祝い? てゆーの? 私んとこ付けといてねマツオカー。 タニマチ:へーい。 ヨウコ:あの、でも……、 タニマチ:こういうのはまあ、奢りたい人が奢りたい時に奢るんで……、大丈夫なヤツですよ。 タニマチ:んで、そうスねシェークで……。最初って事で、あんまりお酒お酒してない方がいい、とかありますか? それか、逆に……、 ヨウコ:(遮り、僅かに語気強まり) ヨウコ:お酒らしいお酒がいい、です。 ヨウコ:不勉強なのでわからないですが……、その、こういった場所で飲むのに相応しい類のもの、というか……。 アンリ:お、イく気だねえ。 タニマチ:わっかりました。柑橘系って苦手じゃないですか? レモンとか、 ヨウコ:あ、大丈夫、です。 タニマチ:甘いのあんま好きじゃないとか。 ヨウコ:嫌い、ではないですが、余り甘すぎると、偶(たま)に……、 ヨウコ:あ、でもあのっ、好き嫌いなんてしませんので、どんなものでも、 タニマチ:オッケーです。ちょいサッパリ目にしますね。 アンリ:まるでバーテンダーかのよーに振る舞いやがってー。 タニマチ:バーテンバーテン。 アンリ:処理が雑ゥー。 0:喋りながらもシェーカー、酒類、シロップ、レモン等の必要物を揃え、如才なくカクテルを作り進める店員。一見客は興味深げに見入る。 アンリ:おー張り切ってる。流石プロー。 タニマチ:どーもー。 ヨウコ:プロ……。 ヨウコ:こういった作業を、直接拝見するのは初めてです。 アンリ:ま、こういうとこ来ないとねー。ていうか「ハイケン」てー。ちょいちょい面白いよねーヨウコりん。 アンリ:さっきも家に果樹園とか言ってたしさー、もしかしなくてもお嬢? ヨウコ:えっ? ヨウコ:あ……、いえ、そ、その、 ヨウコ:物質的に……、決して不自由ではない環境で育つ事が出来た、のは、確かだと思いますが……、 アンリ:服とか雰囲気とかでね、ケッコーそーゆー感じは出てるけどねー。姿勢めっちゃ綺麗だし。 アンリ:(しみじみ、といったトーンで)そっかそっかー、ドッキドキでBARに来てお酒頼んで……。 アンリ:勇気を出して箱から出て来たのかな、ヨシヨシ。 ヨウコ:(されるがままに撫でられつつ) ヨウコ:もう、二十歳(はたち)になりました、ので……。 0:シェーカーにキャップが嵌められ、仕上げのシェーク。内部を氷が滑る鋭い音。 アンリ:なんか久しぶりに見たなー、シェーク。 ヨウコ:わあ……。 0:店員は首尾よくシェークを切り上げる。カウンター上のカクテルグラスへと、白味がかった薄桃色の液体が注がれ。複雑に混淆されたアルコールの香りが拡がる。 ヨウコ:なんて、綺麗な……。それに、いい香り……。 タニマチ:(グラスを滑らせつつ) タニマチ:お待たせ致しました。『マグノリア・ブロッサム』です。 アンリ:いちごミルクっぽい。 タニマチ:まあ色は似てますね。でも飲んだらそこそこお酒なんで、ゆっくりどうぞー。 ヨウコ:あ、ありがとうございますっ。 ヨウコ:マグノリア……、泰山木(たいさんぼく)、モクレンですか? タニマチ:そっスそっス、色が似てるから、って事で。花とかお好きなら、ご存知かなーと。 ヨウコ:色……、確かに。 タニマチ:『ミモザ』ってのと迷ったんですけど、そっちはシェーカー使わないヤツなんで。 ヨウコ:ギンヨウアカシア、もしくはオジギソウ。 アンリ:ミモザはオッサン臭いって! ていうかヨウコりんマジで詳しいんだねー。 タニマチ:まあどっちもクラシックな、昔からあるカクテルっスね。 アンリ:カクテルって自体がぶっちゃけオッサン臭いよね。 タニマチ:否定出来ないっス。 ヨウコ:(なかば独り言) ヨウコ:飲む……、お酒を、今から……。 タニマチ:キツくし過ぎず、サッパリ目に作ってあるんで、入門編としては悪くもないかなーと。 ヨウコ:あ、あの……、わざわざ、わたしの為に、味の調整まで……? タニマチ:カクテルってまあ、そーゆーモンなんス。 アンリ:よおしっ!! んじゃあ乾杯しよー! タニマチにも特別に1杯奢ってやるぅトットと作れ! タニマチ:あざーす。 アンリ:これさー、表面に細かい氷が浮いてるじゃん? これが溶けないうちに飲むのが美味しいんだよ。 タニマチ:(自分用のドリンクを作りつつ) タニマチ:最初なんでホントにゆっくりー。決して弱くはないので。 アンリ:3口よ3口。こういうカクテルは3口で飲み干すんだよー。 タニマチ:最近そんなん言ってる人見ないっスよ。ヨウコさんマジで気にせず、チビチビいってくださいね。 ヨウコ:あ、は、はい。 アンリ:ちえーーーっ! タニマチ:(ドリンクを作り終え) タニマチ:っしゃ、お待たせしましたっ。 タニマチ:ゴホン、えーー、では、今宵、初めてご来店のヨウコさんの、初めての酒場、初めてのカクテル体験、初めて尽くしのこの夜を、えーー、祝しましてっ! 0:三者、グラスを掲げる。 タニマチ:乾ぱーーいっ。 アンリ:かんぱーーーいっ! おめでとーーーう!! ヨウコ:か、かん、ぱい……っ! 0:各自、手持ちのグラスを呷る。一見客は、チビリと一口。 ヨウコ:(感嘆) ヨウコ:っ、……おいしい……! アンリ:おおー!! イケるクチかァーヨウコりん! ヨウコ:(もう一口、先よりも多めに含み) ヨウコ:爽やかな香りがすっと鼻に抜けて……、風味はさっぱりしているのに、同時にまろやかで……。 ヨウコ:上等の、お菓子のような……。 アンリ:急に食レポクイーン! タニマチ:お口に合って良かったっス。 タニマチ:えっと、ジンベースなんで爽やか感はそれスね。レモンでさっぱりさして、まろやかなのは生クリーム。 アンリ:赤いのは何だっけ、グレ、グレン……、 タニマチ:グレナデン・シロップ。ザクロっスね。 タニマチ:材料全部言っちゃった。 ヨウコ:ジン、は、ジュニパーベリー、杜松(ねず)の実で香り付けした、蒸留酒ですよね。 タニマチ:そっスそっス! ご存知でした? タニマチ:製菓にはあんま、使わない気が……、 ヨウコ:図鑑で、見たことがあります。セイヨウネズのページに……、 タニマチ:あー、なるほど、そっちのルートで。 タニマチ:それこそ、酒ってまあ基本は植物由来なんで、調べたらケッコー面白いスよ。変わーった花で作るリキュールとか、 ヨウコ:へえーっ……。 ヨウコ:(また一口含み) ヨウコ:本当に美味しい……。それに、 ヨウコ:……優しい味、です。 0:店員と常連客は一安心、という具合で、各々のグラスを傾ける。 ヨウコ:(少しほぐれた様子で、おずおずと) ヨウコ:なんだか……、その、毒気を抜かれてしまった、というか……。 ヨウコ:わたし、実はもの凄く緊張をして、いたんです。 タニマチ:最初はそりゃあ、ねー。 アンリ:BARとか、怖いトコだー、って思ってた? ヨウコ:はい……、正直あの、凄くイケないところだと、勝手に決めてかかっていて……、抵抗が、あったんですが……、 アンリ:えェー? イケないトコだよーォ、ヨウコりんみたいなプリプリした娘は、食べられちゃうんだよーォ。 タニマチ:ちょっと一旦黙っててほしいんだよーォ。 アンリ:冗談なんだよーォ。 タニマチ:(向き直り) タニマチ:ふんふん、最初は抵抗が。 ヨウコ:思い込み、と言えば良いのか、お酒そのもに対してもその……、 ヨウコ:あ、でも、わたし自身が否定的に捉えているという事でもなくて……、 ヨウコ:ええ、と、すみません、自分の中でも整理が……。 タニマチ:全然ダイジョブなんで、ゆっくりどうぞ。 ヨウコ:……ごめんなさい、まとまらなくて……。 ヨウコ:……えと、タニマチさんには先ほど、言いましたけど、その、わたしの、親の、話からに、なるんですが……、 アンリ:ママ? パパ? 両方? ヨウコ:父親、ですね……。 ヨウコ:わたしその、ちょっと……、 ヨウコ:極端に、厳しい家庭で、育ったんです。 ヨウコ:厳しい、というか……、今にして思えば、異常とも言えるくらいの。 タニマチ:おー、ふんふん。 0:一見客は語り出す。自らの、来し方を。 ヨウコ:まず……、幼少から、ゲームとか、テレビ番組とかの、いわゆる大衆的な娯楽、メディア全般を、遠ざけて育てられました。家の中で口に出すことすら、許されないという風に。 ヨウコ:そこまででしたら、まだ……、 タニマチ:まあ偶に、聞くっちゃ聞く感じスね。 ヨウコ:はい。でも、うちの父の場合は、少し、度を越していまして……。 ヨウコ:世間で広く親しまれているような嗜好品や、一般的な範囲の趣味やレジャーまで……、生きるのに不可欠ではないけれど、自分を喜ばせる為のもの、つまり、 タニマチ:歌とか芸術とかグルメとか、嗜好品なら煙草や、それこそ酒、とか? ヨウコ:そう、そうです。 ヨウコ:そういった、一般に文化や、風俗として括られているものの殆ど一切を、忌み嫌い、憎悪し、そして家庭内において、それを徹底的に排除しました。 タニマチ:旅行とかスポーツとかも駄目? ヨウコ:スポーツは、競技によっては健康目的の運動という事でセーフのようですけど、旅行などのアクティビティは駄目ですね。 ヨウコ:そもそもそのような、趣味嗜好、文化芸術娯楽の全ては、人間を堕落させ、怠惰を蔓延(はびこ)らせる悪徳だ、と。 アンリ:て、実際言うわけ? パパは。 ヨウコ:はい……。そのような教育の、家庭だったんです。 アンリ:ふぅーーん……。 アンリ:まー、酒タバコ取り締まれ派の人とかは、たまにいるけどもさー。 ヨウコ:それぞれの文化のありように関しては、個別に議論を重ねていくべき問題だと思いますが……。 タニマチ:一般論としてはそうスね。 ヨウコ:父の物言いは余りにも短絡的で、極論、暴論の類だと、今は思います。 ヨウコ:ですが……、幼い頃のわたしは、その教えに、何の疑いも持っていませんでした。 アンリ:そりゃ……、子供だもん、ね。 ヨウコ:母も、結婚前は違った考えを持っていたようですが、親族との不和や、わたしの教育方針を巡り父と対立を重ねるうちに、すっかり摩耗してしまい……、 ヨウコ:わたしが物心ついた頃には、父に対して、同調以外の意思を示す事を、やめていました。 タニマチ:折れちゃった、のかな。 0:一見客はグラスを一口傾ける。 ヨウコ:あの、ごめんなさい……、初対面でするような話では、 タニマチ:やー、全然だいじょぶスよ。 ヨウコ:……すみません。 ヨウコ:……ともかく、表立ってそのような環境への抵抗や反発を示す事なく、わたしは大きくなりました。 ヨウコ:義務教育を終える頃までは……、 ヨウコ:装飾のない、病室じみて無機質な白いお部屋と、書斎に並ぶ厳(いかめ)しい百科事典や図鑑。そして、種類だけは豊富な、古い花壇と果樹園だけが……、 ヨウコ:わたしを包む世界の、全てでした。 アンリ:……思ってた以上に箱入りだった。 タニマチ:箱入りって言うのかなー、そーゆーの……。 アンリ:籠の鳥? アンリ:(一口、グラスを傾け) アンリ:いやあー、今んトコけっこーパンチ効いてるよー、ヨウコりん。 ヨウコ:自分の生育環境を人にお話しするのって、なんだか、変な心地ですね……。 タニマチ:でもなるほど、お家がそんな感じだったのもあって、酒とか飲み屋に、抵抗感があった、と。 ヨウコ:高校からは、少しずつ外の世界の価値観を受け入れる事が出来て、今は幾分ましになったと思っていますし、勿論頭では、わかっているんですが……。 アンリ:まあ教育ってそういうもんだしね。 アンリ:あ……、ちなみにさ、お家の果樹園とか花壇とかは、パパ的にはNGじゃなかったの? 見て喜ぶもんじゃない? ヨウコ:園芸は、母の、趣味で……。 ヨウコ:父なりの譲歩のつもりだったのか、改築の際にも取り壊さず、残しはしました。 ヨウコ:ですが……、無論ながら嫌っていましたし、それを母に対して、隠すこともしませんでした。 ヨウコ:(目を伏せ)……、言い方が、酷いんですよ。 ヨウコ:「くだらない」、「無価値な」、「土地と時間の無駄」、「花や草なんか愛でる人種の気が知れない」、と、憚(はばか)りなく母をなじって……、 アンリ:(すっと表情が凍り) アンリ:それDVじゃん。 タニマチ:スね。 ヨウコ:……、 アンリ:当人の考えは知ったこっちゃないけども。 アンリ:……なァーんだ、しょーもなー。あ、パパの事だからね? ヨウコりんはしょーもなくないよ。でもムカついたらごめんね。 ヨウコ:…………。 ヨウコ:……いえ。本当に、そうです。 0:薄桃の液を、ぐっと呷る。ごくり、と喉が鳴り。 ヨウコ:っ、はぁ……。 タニマチ:あ、結構イキますね。 ヨウコ:……今思えば、父は元来そういう性質なんです……。 ヨウコ:気に入らないもの、価値を感じられないものを、容易く否定し、罵り、憎しみを撒き散らす事に躊躇いがない……、 ヨウコ:頑迷で、冷酷で、受け入れる事を知らない、……まるで、大きな子どもっ……! アンリ:眼が据わってきてるぞ? ヨウコ:そんな……、そんなような父にですよっ、結局のところずっと、ずっと奪われて、傷つけられて来たんです。厳格な家庭、なんて言えば聞えは良いですよ。だけど実際は……っ、 ヨウコ:素直に良いと感じることも、子どもらしい好奇心も興味も、大切にしてきたささやかな心の楽しみさえ、片端から取り上げられ、嘲笑われ、否定されて……!! ヨウコ:知る機会すら、得る機会すら奪うだなんてこと、そんな、そんな権利誰にも、あって良い筈が無いのにっ! ヨウコ:わ、わたしも、……お母さんもっ、いつも、いつだって本当に、本当にっ……!! 0:剣幕に煽られ倒されそうになるカクテルグラスを、すかさず指で押さえる店員。 タニマチ:おっつ。……セェーフ。 ヨウコ:(はっと我に返り) ヨウコ:あっ、ご、ごめんなさいっ……! ヨウコ:わたし……、こんな、こんな風に取り乱すなんて、 アンリ:んーん、なんにもだよー。 タニマチ:ふんふん聞いてるだけなんで、全然大丈夫スよー。 ヨウコ:取り留めもなく、個人的な家の話を、ベラベラと……。 アンリ:BARは個人的な話か、どーでもいい話をしにくるとこなんだよ。 タニマチ:どっちも、出来るとこあんま無いんでね。 アンリ:キョーミ深く聞いてるから、大丈夫だよん。 ヨウコ:本当に、すみません……。 ヨウコ:……こんなに興奮して、言葉が溢れたのは、初めて、です。これが、お酒というものの力なのだとしたら、確かに、恐ろしくも……、 アンリ:その為に飲む、みたいなとこあるしね。 タニマチ:興奮したり饒舌になったりは、まあ普通っスよ。気持ち悪かったり、どっか痛いとか、あります? ヨウコ:それは、大丈夫、だと思います。……ありがとうございます、気を遣って頂いて……。 ヨウコ:……あ、あの……、 タニマチ:はいはい。 ヨウコ:(かすかに身じろぎしつつ) ヨウコ:お手洗い、の、場所を、伺っても……。 アンリ:ああー、行っトイレ行っトイレー! もしかずっと行きたかったんじゃない? 緊張で忘れちゃってたんだよきっとー。 タニマチ:(指し示しつつ) タニマチ:あっちの奥の横、左行ったとこっス。 ヨウコ:すみません、お借りしますっ……。 アンリ:ごゆっくりーい。あ、付いてったげよーかーァ? ウシシっ。 ヨウコ:あ、い、いえ……、 0:一見客はそそくさと手洗いへ。残った店員と常連客は、暫し、無言。 タニマチ:(カクテルの材料を片付けつつ、やや小声で) タニマチ:……暇な日に限って、パンチ強い人来るなー。 アンリ:(囁く声で) アンリ:つーか、家出ろ! 今スグにっっっ!! タニマチ:まあ、まあ、思ったっスけど。 アンリ:はっ。なっかなか、ヤバ面白いよねー。まあ退屈は吹っ飛んだわ。 タニマチ:普通に育ちイイ系なのかなーとは思いましたけど、ケッコー……、 タニマチ:金持ちの闇的な? アンリ:闇っちゅーか、親父がクソなだけじゃない? タニマチ:ちょい大分、カルトな感じスよね。 タニマチ:その辺深くは突っつかないスけど、多分、本人が自覚してるより、もうちょい……、 アンリ:……自分家(じぶんち)の事って、客観視ムズいしなー。言っても二十歳(はたち)だし。 アンリ:……いやピッチピチじゃァーんっ。勿体なー、普通に可愛いーのに。スカウトしたいぐらいだわ。 タニマチ:飲みに来れてるんだし、今はそこまで、なのかもしれないけど。 アンリ:てか、よく来れたよね?? 1人で。 タニマチ:ね。自分を変えたかったとか? アンリ:んー……。なーんか……。 タニマチ:(一口、含み) タニマチ:ま……、その辺も含めて、喋りたいように喋ってもらいますわ。こんなメンツだし、今日。 アンリ:見てよーっと。適当にチャチャ入れつつ。 タニマチ:(伝票にここまでのオーダーを書き入れつつ) タニマチ:彼氏さんは? アンリ:まだだよまだ、ほらLINE。 0:常連客は店員に、スマートフォンの画面を見せる。 タニマチ:(文面を読み上げ) タニマチ:えーと……、 タニマチ:「今、半分ぐらい、」 タニマチ:「終わったとこ」 タニマチ:「もうちょっとだけ」 タニマチ:「待っててキュ」 タニマチ:……「キュ」って何スか? アンリ:(興味も無さ気に) アンリ:さあ?? イルカなんじゃない? 0:暗転。 0:アンリにスポット。 アンリ:ちゅーワケで。 アンリ:後編に続くっ! 0:お好きなお飲み物等をご用意ください。 0:【休憩】

タニマチ:或る、心象のうた。 ヨウコ:憂鬱なる桜が遠くから匂いはじめた ヨウコ:桜の枝はいちめんにひろがっている ヨウコ:日光はきらきらとしてはなはだ眩しい ヨウコ:私は密閉した家の内部に住み ヨウコ:日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる ヨウコ:その卵や肉はくさりはじめた ヨウコ:遠く桜のはなは酢(す)え ヨウコ:桜のはなの酢えた匂いはうっとうしい ヨウコ:いまひとびとは帽子をかぶって外光の下を歩きにでる ヨウコ:そうして日光が遠くにかがやいている ヨウコ:けれども私はこの暗い室内にひとりで座って ヨウコ:思いをはるかなる桜のはなの下によせ ヨウコ:野山にたわむれる青春の男女によせる ヨウコ:ああ いかに幸福なる人生がそこにあるか ヨウコ:なんというよろこびが輝やいていることか ヨウコ:いちめんに枝をひろげた桜の花の下で ヨウコ:わかい娘たちは踊りをおどる ヨウコ:娘たちの白くみがいた踊りの手足 ヨウコ:しなやかにおよげる衣装 ヨウコ:ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあっていることか ヨウコ:花見のうたごえは横笛のようにのどかで ヨウコ:かぎりなき憂鬱のひびきをもってきこえる ヨウコ:いま私の心は涙をもってぬぐわれ ヨウコ:閉じこめたる窓のほとりに力なくすすりなく ヨウコ:ああ このひとつのまずしき心は ヨウコ:なにものの生命(いのち)をもとめ ヨウコ:なにものの影をみつめて泣いているのか ヨウコ:ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで ヨウコ:遠く花見の憂鬱なる横笛のひびきをきく。 0:タイトルコール。 タニマチ:『マグノリア・ブロッサムと籠の鳥』 0:九月某日、某時刻。 0:とあるバーの店内。カウンターには男性店員と、常連客の女性が1人。暫しの沈黙を破り、常連客はスマートフォンを操作しながら、唐突に話しかける。 アンリ:タニマチくん知ってる? アンリ:日本最大の砂丘は鳥取砂丘じゃなくて、青森県の「猿ヶ森(さるがもり)砂丘」なんだってー。 タニマチ:……、へえー。 アンリ:あとね……オーストラリアにエアーズロックってあるじゃん? あれって地面に出てるのはちょびっとだけで、9割は地中に埋まってるらしいよ。 タニマチ:何見てんスか? アンリ:「すぐ人に教えたくなるトビキリ豆知識999」。 タニマチ:教えたくなりました? アンリ:ボチボチってとこかなー、トビキリとまでは……。 アンリ:あ、コレはー? 「1円玉1枚作るには2円かかる」、だって。 タニマチ:それはなんか、聞いたことあるなあ。 アンリ:「人間は一生のうち、寝ている間に平均10匹の蜘蛛を食べている」。 タニマチ:きしょっ。 アンリ:「封済湖(ふすまこ)中央の垂水島(たるみじま)は、昔一度水没している」、コレって常識じゃーナイの?? タニマチ:どースかね、社会科の先生は言ってましたけど、 アンリ:んー……と……、 アンリ:ああーコレ、「パフェの語源は、完璧なデザートという意味で“パーフェクト”から来ている」。知ってた? アンリ:あ。あのさァ、パフェって無いっけ? タニマチ:急に食いたくなったんスね。 タニマチ:えー……と、ちょっと待ってくださいね、作れないことも……。 0:言いつつ、店員は冷蔵庫を探るため奥へ入ろうとする。 アンリ:んあー、やっぱいいわ。よく考えたらこの後食事だった。 タニマチ:(戻ってきつつ) タニマチ:あ、彼氏さんと? アンリ:そー。 タニマチ:結構遅めの夕飯スすね。 アンリ:そーなのよ。まあ夜会う時はいつもだけど。 アンリ:今日も9時半くらいかなー。 タニマチ:(時計を見つつ) タニマチ:まだもうちょい、つー感じで。 0:女性客はスマートフォンを置き、身体を伸ばす。 アンリ:ぐはぁー、ヒマだわー。いつもどーり客は来ないわ店員はウスグライわ。 タニマチ:こりゃまたどーも。 アンリ:(唐突に) アンリ:なんか面白いコト言ってよ。 タニマチ:それ2人の状態ではやらないヤツじゃないスか。 アンリ:オモシロ横文字「ス」!! タニマチ:「ス」……? タニマチ:ス……、「スープカリーー」っ!!(裏声) アンリ:(噴き出す) アンリ:ぶはっ。言い方じゃん。 タニマチ:急にはちょっとコレ……、 アンリ:(間髪入れずに) アンリ:オモシロ横文字「ポ」!! タニマチ:「ポ」!? タニマチ:ポ……「ポーチュラカ」っ!!(裏声) アンリ:ぶははははははっ! アンリ:ああー、しょーもなー。 アンリ:(唐突に切り替えて)あ、冷房効きすぎくない? タニマチ:(リモコンを操作しつつ) タニマチ:やらせるだけやらせといて……。 0:ドアベルが鳴り、一見客の女性が来店。 タニマチ:(反応し) タニマチ:いらっしゃいませー。 タニマチ:(会釈し、ドアの外を伺いつつ) タニマチ:どうぞー。お一人様ですか? ヨウコ:(躊躇いがちに) ヨウコ:あ……、はい、一人、なんですけど、大丈夫でしょうか……? タニマチ:あ、全然。お一人の方多いですよー。 0:どうして良いか判らない様子で、店内を見回す一見客。察して、あらためて声をかける店員。 タニマチ:良ければ、カウンターどうぞー。 ヨウコ:あ、は、はい……。 アンリ:(笑いかけて) アンリ:私もお一人様だよー。 アンリ:ていうかオジョーサン、戸惑ってる感じ? さっきの奇声聞こえてたんと違う? ヨウコ:(スツールに腰掛けつつ) ヨウコ:「ポーチュラカ」、って……。 アンリ:(ケタケタ笑って) アンリ:ほらー。 タニマチ:ああー、すいませんなんか……。 アンリ:コワいよねえ、お店入ろうとしたら、中から変な声で花の名前聞こえてきたら。 タニマチ:いやー、まあそうスよね。 タニマチ:あ、全然大丈夫な感じの店なんで……。 ヨウコ:(首肯してから) ヨウコ:ポーチュラカは、好きなお花、なので……、大丈夫です。 アンリ:(面白げに) アンリ:おほ、そーなの? アンリ:え、ちなみにポーチュル(噛んだ)、ポーチュラカってどんな花? ヨウコ:どんな……、ええ、と、 ヨウコ:熱帯から温帯、日本でも広く分布する、一年生の被子植物で……、夏から秋にかけて、小さ目の、黄色い花を付けます。果実は熟すと、中から大量の種子を散らして、古くは薬草としても、 アンリ:(目を輝かせ) アンリ:へえー! 凄い凄いウィキペディアみたい。ハナペディアちゃんて呼んでイイ? タニマチ:パンチ強いな、最初のアダ名としては。 タニマチ:(向き直り)お花とか、お好きなんです? ヨウコ:好き……。そう、ですね。 ヨウコ:家に、花壇や、果樹園が、その、ありまして……、小さい頃に母が、植物の図鑑を、絵本代わりに読んでくれたり……。 ヨウコ:今も、好きで調べたりはしていますが、詳しい、とまでは、とても……。 ヨウコ:ポーチュラカは本来、本式の花壇に植えられているタイプのお花ではありませんが、なんと、いうか……、 ヨウコ:元気そう、なので、好きなんです。 アンリ:ほえー。イイなァー、なんかそーゆー、花とか植物とか女のコっぽくて! アタイなんざ野草ちぎって来るぐらいで、宿題のアサガオとか枯らした事しかなかったわー。 タニマチ:でもなんか前、ベランダでミョウガとかネギとか育ててるって言ってませんでしたっけ。 アンリ:オッサンじゃんラインナップが。美味いけどさ。 ヨウコ:(意を決して) ヨウコ:あ、あの……っ! 0:店員と常連客、揃って一見客を見る。 ヨウコ:お、お酒……、あの、ちゅ、注文……、 タニマチ:あ、ああー。すいません飲み物聞かずに。 タニマチ:(様子を見て) タニマチ:えっとね、ソフトドリンクもありますよ、ジュースとか、珈琲、紅茶……、 ヨウコ:あ、いえ……、 ヨウコ:出来ればお酒、を、注文させて頂ければと思って、今日……、 アンリ:おおー? 行ったれ行ったれー。 タニマチ:勿論、大丈夫ですよ。 アンリ:売るほどあるからねーお酒は。 タニマチ:売ってんだっつって。 タニマチ:(向き直り)んじゃあ、どんなのしましょっかねー。 ヨウコ:ええ、と……、 アンリ:(唐突に) アンリ:ハナペディアちゃんみたいな子がどんなの飲むのか気になるなーーっ! てか私も何か頼みたくなってきたっ! アンリ:これで最後にしようと思ってたのにーーっっ!! ヨウコ:あっ? あ、す、すみません……。 タニマチ:あー全然、全然そういうんじゃないんで、この人のコレは。 アンリ:むしろイイとこに来てくれたよー。もーちょい時間潰さなきゃなのに、店ヒマで退屈してたんだよねん。 タニマチ:すんませーん。 アンリ:んっと、じゃあ私はねー……、『ベーカーズ』に加水して……、いやバーボンもう1杯はキツいか、ご飯でも呑むしな……、 タニマチ:ベルモットいきます? アンリ:そだね、んじゃ赤い方、ソーダ割りで。 タニマチ:あい。 アンリ:(グラスの残りを一気に干し) アンリ:ぷはっ。おしゃー、ちょっとウンクッ(ドイツ語風の発音)してくるわー。て嘘だよーウンクッなんかしないよーしなくてもイイ生き物だよーっと。 0:言いながらトイレへと向かう。 タニマチ:ちょおっ! 飲食店でヤメろや! アンリ:(トイレの戸の向こうから) アンリ:出てくるまでに頼むの決めててねーーん。 タニマチ:(軽く嘆息し) タニマチ:すいません、初めてなのになんか……。 ヨウコ:ものすごく、酔って、らっしゃるんですか……? タニマチ:ああー、や、2杯だからそんなには……。なんかね、基本ああいう人なんスわ。 タニマチ:(小声で)シンドかったら全然言ってくださいね? ヨウコ:いえ……、わたしも、こういった雰囲気の方が……、 タニマチ:(酒を作りつつ) タニマチ:緊張されてます? こういう感じのお店は……、 ヨウコ:初めて、です。 ヨウコ:わたし、ついこの間、二十歳(はたち)になったばかりで……、 タニマチ:あ、じゃあお酒もそれまでは? 家とかでも……、 ヨウコ:未経験、です。周りには、隠れて経験していた子も、居たようですけど、わたしは……。 タニマチ:やー、全然それで良いと思いますけどねー。 タニマチ:ふむふむ、 ヨウコ:親が、その、厳しかった、ので……。 タニマチ:なるほど。で、無事飲める歳になったし1回、みたいな。 ヨウコ:(一瞬、考え込み) ヨウコ:そんな、感じ、です。 タニマチ:(何かを察するが、敢えて触れずに) タニマチ:じゃ、ホントにアルコール初体験なんですね。 タニマチ:おー、初の方にお酒出すのは俺も初かも。 ヨウコ:製菓用のラムや、ブランデーを舐めたぐらいは、あるんですが。 ヨウコ:あの、やっぱり、こういうお店には、お酒を、たくさん飲む方が、来られるものなんでしょうか……? タニマチ:いやー? うちは結構、色々で。ソフトドリンクだけって人も多いですよ。最近は飲酒人口自体減ってますし。 タニマチ:勿論、飲む人は飲みますけど。 ヨウコ:あの、女性の方は……? タニマチ:アンリさんね。あの人はまー、飲む人、の方ですね、比較的。 タニマチ:あ、てかそうそう、最初に聞きそびれちゃいまして……、 タニマチ:えっと、お名前何てお呼びしま、 0:遮って、常連客が勢いよく手洗いより帰還。 アンリ:たらいまーっ! いやあー容赦なくウンコとか口にしても下品にならないのが私のイイとこなんだよねーん。いやウンコはしてねーわ! (着席しつつ)あ、店内寒くない? アンリ:ていうか今自己紹介タイムしよーとしてたっしょ? ダメじゃんかさァー待たなきゃーーっ! タニマチ:(酒をだしつつ) タニマチ:やりたい放題か。 アンリ:ありがとー。(一口飲む) アンリ:ていうかまだ頼んでなくないハナペディアちゃん。おい店員ー何やってんのさー。さァさァ、何飲むんだいハナペディアちゃん。 アンリ:ていうかそう、ハナペディアちゃんお名前なんて呼んだらいーの? ハナペディアちゃんでいーの? ヨウコ:ええ、と……。 アンリ:私は「アンリ」ってゆーの、しがないタダのオネーさんだよー。こっちのネズミ色のバーテンさんは「ニシジマ」。 タニマチ:「タニマチ」です。 アンリ:どっちも偽名なんだよねー。 タニマチ:……っ。 タニマチ:本名だわ。何で微妙な嘘つくんスか。ていうかネズミ色って? アンリ:オーラの色。 タニマチ:なんスかソレ……。 ヨウコ:あの、名前、は、フルネームを、でしょうか……? アンリ:(噴き出す) アンリ:プふっ! あ、ごめん笑っちゃった。んーんー、フルネームじゃなくてイイよ、アダ名とかで全然おっけー。「ゆいポン」とか「ゆいりゅん」とか。 タニマチ:当てにいってるじゃないスか下の名前。 タニマチ:あ、全然本名とかじゃなくて、好きなお名前で。ここでだけ呼ばれたい名前とかあったら、今つけてもらってもイイし。 アンリ:お客同士のフルネームとかだーれも知らんしねー。 ヨウコ:ええと、アダ名、というアダ名は、無いんですけど……、 ヨウコ:では、ファースネームで。ヨ、「ヨウコ」、と申します。 ヨウコ:よろしくお願い致しますっ。(深々と頭を下げ) タニマチ:ヨウコさん。ヨウコさんスね。うん、覚えた。 タニマチ:自分は、タニマチっていいます。タニマチでも、タニでも、お好きな風に。 アンリ:「ニマ」でも? タニマチ:切り取るとこっ! タニマチ:(向き直り)月水と、土日のどっちか、みたいな感じでカウンター入ってます。よろしくお願いします。 アンリ:毒にも薬にもならない無風の接客でお馴染みなんだよねー。 タニマチ:毒々しーお客さんにはコレぐらいでちょーどなんスわ。 アンリ:誰がサソリ座の女だチョキチョキ。(両手でハサミのジェスチャー) タニマチ:それサソリ女じゃん。 ヨウコ:(噴き出す) ヨウコ:ぷ、ふっ……、 ヨウコ:あっ、すみません思わず……、 アンリ:……おおー。クッソ暇な時間に培った私らの掛け合いが、ヨウコちゃんの凍てついた心を溶かした……。 タニマチ:何知ってんスかヨウコさんの。 アンリ:ていうかようやく笑ったねー。いやぁー、ウンコとか言ってピエロを演じ抜いた甲斐があったわー。 ヨウコ:あの、本当にお二人息が、合っていらして……。 ヨウコ:アンリ、さんは、こちらにはよく来られるんですか? アンリ:んー、まあ結構、割りかし、偶(たま)にー、て感じかな。仕事の後とか、楽しーのに飽きて、つまんなーいウスグラーイ接客されたくなった時とか。 タニマチ:言い方。 アンリ:今日とかはこの後デートなんだけどさ、彼氏が予定遅いからキルタイムしてんの。私が来る時いっつもヒマだからさ、大概しょーもない話ばっかしてるよね、質の低ーい。 タニマチ:「オモシロ横文字」とかね。 アンリ:お、自分から持ち出して……やる気か!? アンリ:「ル」!! タニマチ:やりまセン。 タニマチ:あ、ていうか、ご注文。えっと、そしたら……、 アンリ:そーだよそーだよ。ヨウコりんは普段どんなの飲むの? ヨウコ:りん……。 ヨウコ:あ、そう、お酒を、頼むんでした……。あの、普段、というか……、 タニマチ:ヨウコさんは今夜が初めてのBARで、初めてのアルコールなんスよね。 アンリ:ほえーっ! そりゃメデタイじゃん!! BAR初めてなのはね、うん、そんな感じ出てた出てた。 ヨウコ:あの、つい先日、二十歳(はたち)に……、 アンリ:(唐突に) アンリ:ぎゃひぃぃぃっ若いっ!! アンリ:(悶えつつ)うおああ眩しさで溶けるーーっ。 タニマチ:ウザい酔い方だよホント……。 アンリ:(ケロッと切り替え) アンリ:んじゃあ、記念すべき1軒目の、記念すべきベキ1杯目じゃんね。おいモリカワっ。責任重大だぞォー。 タニマチ:タニマチだっつって。 タニマチ:(向き直り)でもそうスよね、ホントの初めてなら、何かちゃんとした物を……、 アンリ:シェーカー振ったげなよー。よォーしヨウコりん、最初の1杯はさ、オネーサン奢ったげるわ。んでー、乾杯をしよーねー。 ヨウコ:え? あ、でもそんな……、 アンリ:イイのイイの、ノリだからこんなのは。成人祝い? てゆーの? 私んとこ付けといてねマツオカー。 タニマチ:へーい。 ヨウコ:あの、でも……、 タニマチ:こういうのはまあ、奢りたい人が奢りたい時に奢るんで……、大丈夫なヤツですよ。 タニマチ:んで、そうスねシェークで……。最初って事で、あんまりお酒お酒してない方がいい、とかありますか? それか、逆に……、 ヨウコ:(遮り、僅かに語気強まり) ヨウコ:お酒らしいお酒がいい、です。 ヨウコ:不勉強なのでわからないですが……、その、こういった場所で飲むのに相応しい類のもの、というか……。 アンリ:お、イく気だねえ。 タニマチ:わっかりました。柑橘系って苦手じゃないですか? レモンとか、 ヨウコ:あ、大丈夫、です。 タニマチ:甘いのあんま好きじゃないとか。 ヨウコ:嫌い、ではないですが、余り甘すぎると、偶(たま)に……、 ヨウコ:あ、でもあのっ、好き嫌いなんてしませんので、どんなものでも、 タニマチ:オッケーです。ちょいサッパリ目にしますね。 アンリ:まるでバーテンダーかのよーに振る舞いやがってー。 タニマチ:バーテンバーテン。 アンリ:処理が雑ゥー。 0:喋りながらもシェーカー、酒類、シロップ、レモン等の必要物を揃え、如才なくカクテルを作り進める店員。一見客は興味深げに見入る。 アンリ:おー張り切ってる。流石プロー。 タニマチ:どーもー。 ヨウコ:プロ……。 ヨウコ:こういった作業を、直接拝見するのは初めてです。 アンリ:ま、こういうとこ来ないとねー。ていうか「ハイケン」てー。ちょいちょい面白いよねーヨウコりん。 アンリ:さっきも家に果樹園とか言ってたしさー、もしかしなくてもお嬢? ヨウコ:えっ? ヨウコ:あ……、いえ、そ、その、 ヨウコ:物質的に……、決して不自由ではない環境で育つ事が出来た、のは、確かだと思いますが……、 アンリ:服とか雰囲気とかでね、ケッコーそーゆー感じは出てるけどねー。姿勢めっちゃ綺麗だし。 アンリ:(しみじみ、といったトーンで)そっかそっかー、ドッキドキでBARに来てお酒頼んで……。 アンリ:勇気を出して箱から出て来たのかな、ヨシヨシ。 ヨウコ:(されるがままに撫でられつつ) ヨウコ:もう、二十歳(はたち)になりました、ので……。 0:シェーカーにキャップが嵌められ、仕上げのシェーク。内部を氷が滑る鋭い音。 アンリ:なんか久しぶりに見たなー、シェーク。 ヨウコ:わあ……。 0:店員は首尾よくシェークを切り上げる。カウンター上のカクテルグラスへと、白味がかった薄桃色の液体が注がれ。複雑に混淆されたアルコールの香りが拡がる。 ヨウコ:なんて、綺麗な……。それに、いい香り……。 タニマチ:(グラスを滑らせつつ) タニマチ:お待たせ致しました。『マグノリア・ブロッサム』です。 アンリ:いちごミルクっぽい。 タニマチ:まあ色は似てますね。でも飲んだらそこそこお酒なんで、ゆっくりどうぞー。 ヨウコ:あ、ありがとうございますっ。 ヨウコ:マグノリア……、泰山木(たいさんぼく)、モクレンですか? タニマチ:そっスそっス、色が似てるから、って事で。花とかお好きなら、ご存知かなーと。 ヨウコ:色……、確かに。 タニマチ:『ミモザ』ってのと迷ったんですけど、そっちはシェーカー使わないヤツなんで。 ヨウコ:ギンヨウアカシア、もしくはオジギソウ。 アンリ:ミモザはオッサン臭いって! ていうかヨウコりんマジで詳しいんだねー。 タニマチ:まあどっちもクラシックな、昔からあるカクテルっスね。 アンリ:カクテルって自体がぶっちゃけオッサン臭いよね。 タニマチ:否定出来ないっス。 ヨウコ:(なかば独り言) ヨウコ:飲む……、お酒を、今から……。 タニマチ:キツくし過ぎず、サッパリ目に作ってあるんで、入門編としては悪くもないかなーと。 ヨウコ:あ、あの……、わざわざ、わたしの為に、味の調整まで……? タニマチ:カクテルってまあ、そーゆーモンなんス。 アンリ:よおしっ!! んじゃあ乾杯しよー! タニマチにも特別に1杯奢ってやるぅトットと作れ! タニマチ:あざーす。 アンリ:これさー、表面に細かい氷が浮いてるじゃん? これが溶けないうちに飲むのが美味しいんだよ。 タニマチ:(自分用のドリンクを作りつつ) タニマチ:最初なんでホントにゆっくりー。決して弱くはないので。 アンリ:3口よ3口。こういうカクテルは3口で飲み干すんだよー。 タニマチ:最近そんなん言ってる人見ないっスよ。ヨウコさんマジで気にせず、チビチビいってくださいね。 ヨウコ:あ、は、はい。 アンリ:ちえーーーっ! タニマチ:(ドリンクを作り終え) タニマチ:っしゃ、お待たせしましたっ。 タニマチ:ゴホン、えーー、では、今宵、初めてご来店のヨウコさんの、初めての酒場、初めてのカクテル体験、初めて尽くしのこの夜を、えーー、祝しましてっ! 0:三者、グラスを掲げる。 タニマチ:乾ぱーーいっ。 アンリ:かんぱーーーいっ! おめでとーーーう!! ヨウコ:か、かん、ぱい……っ! 0:各自、手持ちのグラスを呷る。一見客は、チビリと一口。 ヨウコ:(感嘆) ヨウコ:っ、……おいしい……! アンリ:おおー!! イケるクチかァーヨウコりん! ヨウコ:(もう一口、先よりも多めに含み) ヨウコ:爽やかな香りがすっと鼻に抜けて……、風味はさっぱりしているのに、同時にまろやかで……。 ヨウコ:上等の、お菓子のような……。 アンリ:急に食レポクイーン! タニマチ:お口に合って良かったっス。 タニマチ:えっと、ジンベースなんで爽やか感はそれスね。レモンでさっぱりさして、まろやかなのは生クリーム。 アンリ:赤いのは何だっけ、グレ、グレン……、 タニマチ:グレナデン・シロップ。ザクロっスね。 タニマチ:材料全部言っちゃった。 ヨウコ:ジン、は、ジュニパーベリー、杜松(ねず)の実で香り付けした、蒸留酒ですよね。 タニマチ:そっスそっス! ご存知でした? タニマチ:製菓にはあんま、使わない気が……、 ヨウコ:図鑑で、見たことがあります。セイヨウネズのページに……、 タニマチ:あー、なるほど、そっちのルートで。 タニマチ:それこそ、酒ってまあ基本は植物由来なんで、調べたらケッコー面白いスよ。変わーった花で作るリキュールとか、 ヨウコ:へえーっ……。 ヨウコ:(また一口含み) ヨウコ:本当に美味しい……。それに、 ヨウコ:……優しい味、です。 0:店員と常連客は一安心、という具合で、各々のグラスを傾ける。 ヨウコ:(少しほぐれた様子で、おずおずと) ヨウコ:なんだか……、その、毒気を抜かれてしまった、というか……。 ヨウコ:わたし、実はもの凄く緊張をして、いたんです。 タニマチ:最初はそりゃあ、ねー。 アンリ:BARとか、怖いトコだー、って思ってた? ヨウコ:はい……、正直あの、凄くイケないところだと、勝手に決めてかかっていて……、抵抗が、あったんですが……、 アンリ:えェー? イケないトコだよーォ、ヨウコりんみたいなプリプリした娘は、食べられちゃうんだよーォ。 タニマチ:ちょっと一旦黙っててほしいんだよーォ。 アンリ:冗談なんだよーォ。 タニマチ:(向き直り) タニマチ:ふんふん、最初は抵抗が。 ヨウコ:思い込み、と言えば良いのか、お酒そのもに対してもその……、 ヨウコ:あ、でも、わたし自身が否定的に捉えているという事でもなくて……、 ヨウコ:ええ、と、すみません、自分の中でも整理が……。 タニマチ:全然ダイジョブなんで、ゆっくりどうぞ。 ヨウコ:……ごめんなさい、まとまらなくて……。 ヨウコ:……えと、タニマチさんには先ほど、言いましたけど、その、わたしの、親の、話からに、なるんですが……、 アンリ:ママ? パパ? 両方? ヨウコ:父親、ですね……。 ヨウコ:わたしその、ちょっと……、 ヨウコ:極端に、厳しい家庭で、育ったんです。 ヨウコ:厳しい、というか……、今にして思えば、異常とも言えるくらいの。 タニマチ:おー、ふんふん。 0:一見客は語り出す。自らの、来し方を。 ヨウコ:まず……、幼少から、ゲームとか、テレビ番組とかの、いわゆる大衆的な娯楽、メディア全般を、遠ざけて育てられました。家の中で口に出すことすら、許されないという風に。 ヨウコ:そこまででしたら、まだ……、 タニマチ:まあ偶に、聞くっちゃ聞く感じスね。 ヨウコ:はい。でも、うちの父の場合は、少し、度を越していまして……。 ヨウコ:世間で広く親しまれているような嗜好品や、一般的な範囲の趣味やレジャーまで……、生きるのに不可欠ではないけれど、自分を喜ばせる為のもの、つまり、 タニマチ:歌とか芸術とかグルメとか、嗜好品なら煙草や、それこそ酒、とか? ヨウコ:そう、そうです。 ヨウコ:そういった、一般に文化や、風俗として括られているものの殆ど一切を、忌み嫌い、憎悪し、そして家庭内において、それを徹底的に排除しました。 タニマチ:旅行とかスポーツとかも駄目? ヨウコ:スポーツは、競技によっては健康目的の運動という事でセーフのようですけど、旅行などのアクティビティは駄目ですね。 ヨウコ:そもそもそのような、趣味嗜好、文化芸術娯楽の全ては、人間を堕落させ、怠惰を蔓延(はびこ)らせる悪徳だ、と。 アンリ:て、実際言うわけ? パパは。 ヨウコ:はい……。そのような教育の、家庭だったんです。 アンリ:ふぅーーん……。 アンリ:まー、酒タバコ取り締まれ派の人とかは、たまにいるけどもさー。 ヨウコ:それぞれの文化のありように関しては、個別に議論を重ねていくべき問題だと思いますが……。 タニマチ:一般論としてはそうスね。 ヨウコ:父の物言いは余りにも短絡的で、極論、暴論の類だと、今は思います。 ヨウコ:ですが……、幼い頃のわたしは、その教えに、何の疑いも持っていませんでした。 アンリ:そりゃ……、子供だもん、ね。 ヨウコ:母も、結婚前は違った考えを持っていたようですが、親族との不和や、わたしの教育方針を巡り父と対立を重ねるうちに、すっかり摩耗してしまい……、 ヨウコ:わたしが物心ついた頃には、父に対して、同調以外の意思を示す事を、やめていました。 タニマチ:折れちゃった、のかな。 0:一見客はグラスを一口傾ける。 ヨウコ:あの、ごめんなさい……、初対面でするような話では、 タニマチ:やー、全然だいじょぶスよ。 ヨウコ:……すみません。 ヨウコ:……ともかく、表立ってそのような環境への抵抗や反発を示す事なく、わたしは大きくなりました。 ヨウコ:義務教育を終える頃までは……、 ヨウコ:装飾のない、病室じみて無機質な白いお部屋と、書斎に並ぶ厳(いかめ)しい百科事典や図鑑。そして、種類だけは豊富な、古い花壇と果樹園だけが……、 ヨウコ:わたしを包む世界の、全てでした。 アンリ:……思ってた以上に箱入りだった。 タニマチ:箱入りって言うのかなー、そーゆーの……。 アンリ:籠の鳥? アンリ:(一口、グラスを傾け) アンリ:いやあー、今んトコけっこーパンチ効いてるよー、ヨウコりん。 ヨウコ:自分の生育環境を人にお話しするのって、なんだか、変な心地ですね……。 タニマチ:でもなるほど、お家がそんな感じだったのもあって、酒とか飲み屋に、抵抗感があった、と。 ヨウコ:高校からは、少しずつ外の世界の価値観を受け入れる事が出来て、今は幾分ましになったと思っていますし、勿論頭では、わかっているんですが……。 アンリ:まあ教育ってそういうもんだしね。 アンリ:あ……、ちなみにさ、お家の果樹園とか花壇とかは、パパ的にはNGじゃなかったの? 見て喜ぶもんじゃない? ヨウコ:園芸は、母の、趣味で……。 ヨウコ:父なりの譲歩のつもりだったのか、改築の際にも取り壊さず、残しはしました。 ヨウコ:ですが……、無論ながら嫌っていましたし、それを母に対して、隠すこともしませんでした。 ヨウコ:(目を伏せ)……、言い方が、酷いんですよ。 ヨウコ:「くだらない」、「無価値な」、「土地と時間の無駄」、「花や草なんか愛でる人種の気が知れない」、と、憚(はばか)りなく母をなじって……、 アンリ:(すっと表情が凍り) アンリ:それDVじゃん。 タニマチ:スね。 ヨウコ:……、 アンリ:当人の考えは知ったこっちゃないけども。 アンリ:……なァーんだ、しょーもなー。あ、パパの事だからね? ヨウコりんはしょーもなくないよ。でもムカついたらごめんね。 ヨウコ:…………。 ヨウコ:……いえ。本当に、そうです。 0:薄桃の液を、ぐっと呷る。ごくり、と喉が鳴り。 ヨウコ:っ、はぁ……。 タニマチ:あ、結構イキますね。 ヨウコ:……今思えば、父は元来そういう性質なんです……。 ヨウコ:気に入らないもの、価値を感じられないものを、容易く否定し、罵り、憎しみを撒き散らす事に躊躇いがない……、 ヨウコ:頑迷で、冷酷で、受け入れる事を知らない、……まるで、大きな子どもっ……! アンリ:眼が据わってきてるぞ? ヨウコ:そんな……、そんなような父にですよっ、結局のところずっと、ずっと奪われて、傷つけられて来たんです。厳格な家庭、なんて言えば聞えは良いですよ。だけど実際は……っ、 ヨウコ:素直に良いと感じることも、子どもらしい好奇心も興味も、大切にしてきたささやかな心の楽しみさえ、片端から取り上げられ、嘲笑われ、否定されて……!! ヨウコ:知る機会すら、得る機会すら奪うだなんてこと、そんな、そんな権利誰にも、あって良い筈が無いのにっ! ヨウコ:わ、わたしも、……お母さんもっ、いつも、いつだって本当に、本当にっ……!! 0:剣幕に煽られ倒されそうになるカクテルグラスを、すかさず指で押さえる店員。 タニマチ:おっつ。……セェーフ。 ヨウコ:(はっと我に返り) ヨウコ:あっ、ご、ごめんなさいっ……! ヨウコ:わたし……、こんな、こんな風に取り乱すなんて、 アンリ:んーん、なんにもだよー。 タニマチ:ふんふん聞いてるだけなんで、全然大丈夫スよー。 ヨウコ:取り留めもなく、個人的な家の話を、ベラベラと……。 アンリ:BARは個人的な話か、どーでもいい話をしにくるとこなんだよ。 タニマチ:どっちも、出来るとこあんま無いんでね。 アンリ:キョーミ深く聞いてるから、大丈夫だよん。 ヨウコ:本当に、すみません……。 ヨウコ:……こんなに興奮して、言葉が溢れたのは、初めて、です。これが、お酒というものの力なのだとしたら、確かに、恐ろしくも……、 アンリ:その為に飲む、みたいなとこあるしね。 タニマチ:興奮したり饒舌になったりは、まあ普通っスよ。気持ち悪かったり、どっか痛いとか、あります? ヨウコ:それは、大丈夫、だと思います。……ありがとうございます、気を遣って頂いて……。 ヨウコ:……あ、あの……、 タニマチ:はいはい。 ヨウコ:(かすかに身じろぎしつつ) ヨウコ:お手洗い、の、場所を、伺っても……。 アンリ:ああー、行っトイレ行っトイレー! もしかずっと行きたかったんじゃない? 緊張で忘れちゃってたんだよきっとー。 タニマチ:(指し示しつつ) タニマチ:あっちの奥の横、左行ったとこっス。 ヨウコ:すみません、お借りしますっ……。 アンリ:ごゆっくりーい。あ、付いてったげよーかーァ? ウシシっ。 ヨウコ:あ、い、いえ……、 0:一見客はそそくさと手洗いへ。残った店員と常連客は、暫し、無言。 タニマチ:(カクテルの材料を片付けつつ、やや小声で) タニマチ:……暇な日に限って、パンチ強い人来るなー。 アンリ:(囁く声で) アンリ:つーか、家出ろ! 今スグにっっっ!! タニマチ:まあ、まあ、思ったっスけど。 アンリ:はっ。なっかなか、ヤバ面白いよねー。まあ退屈は吹っ飛んだわ。 タニマチ:普通に育ちイイ系なのかなーとは思いましたけど、ケッコー……、 タニマチ:金持ちの闇的な? アンリ:闇っちゅーか、親父がクソなだけじゃない? タニマチ:ちょい大分、カルトな感じスよね。 タニマチ:その辺深くは突っつかないスけど、多分、本人が自覚してるより、もうちょい……、 アンリ:……自分家(じぶんち)の事って、客観視ムズいしなー。言っても二十歳(はたち)だし。 アンリ:……いやピッチピチじゃァーんっ。勿体なー、普通に可愛いーのに。スカウトしたいぐらいだわ。 タニマチ:飲みに来れてるんだし、今はそこまで、なのかもしれないけど。 アンリ:てか、よく来れたよね?? 1人で。 タニマチ:ね。自分を変えたかったとか? アンリ:んー……。なーんか……。 タニマチ:(一口、含み) タニマチ:ま……、その辺も含めて、喋りたいように喋ってもらいますわ。こんなメンツだし、今日。 アンリ:見てよーっと。適当にチャチャ入れつつ。 タニマチ:(伝票にここまでのオーダーを書き入れつつ) タニマチ:彼氏さんは? アンリ:まだだよまだ、ほらLINE。 0:常連客は店員に、スマートフォンの画面を見せる。 タニマチ:(文面を読み上げ) タニマチ:えーと……、 タニマチ:「今、半分ぐらい、」 タニマチ:「終わったとこ」 タニマチ:「もうちょっとだけ」 タニマチ:「待っててキュ」 タニマチ:……「キュ」って何スか? アンリ:(興味も無さ気に) アンリ:さあ?? イルカなんじゃない? 0:暗転。 0:アンリにスポット。 アンリ:ちゅーワケで。 アンリ:後編に続くっ! 0:お好きなお飲み物等をご用意ください。 0:【休憩】