台本概要

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タイトル 読書家のしおり~赤~
作者名 野菜  (@irodlinatuyasai)
ジャンル ファンタジー
演者人数 4人用台本(男2、女2)
時間 30 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 この世界は物語だと、読書家を名乗る彼女は言う。
過去の後悔と弱さに立ち向かう研究員、守りたい人間を見つけてしまった機械兵、家族に憧れる無知な工場員。それぞれが大切な人と生きるため、歪で高慢な怪異による騒動に巻き込まれていくディストピア×オカルト×タイムリープ(亜種)。

赤→白→黎明の順にお楽しみください。
キャラ性別は設定していますが、演じられる方の性別は問いません。また、語尾や口調など大きく根本の展開を変えない改編も可能です。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
レイメイ 53 選りすぐりのエリート社会でなんとか生き抜く研究員。自分の無力さ故に、娘のように大切なbタイプを救えなかったと思っている。
48 bタイプちゃん。喜怒哀楽の怒りが突出している少女機械兵。赤のしおり時点でレイメイに窓から捨てられる。
ふき 55 工場階層にいる無数の工場員のひとり。読書家レディに目を付けられる。bをビイと呼ぶ。
読書家レディ 63 人間の物語を楽しむ上位存在。絶望のただなかにいる人間、あるいはレディに目をつけられた人間にしか感知できない。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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0:この世界はミルフィーユ。人間自身の生み出した歪な当たり前に誰もが縛られた、ディストピアだ。上層ほど賢くやんごとない身分が暮らす競争社会。物理的にも社会的にも簡単に蹴落とされる外聞ばかり気にする生活では、安寧な日々は過ごせない。かといって下層は下に行けば行くほど物資も教育も不足している。 読書家レディ:私はページをひらく。 0:音一つしない、埃と日焼けで変色した壁の狭い四畳間。まともに明かりも入ってこない、照明もない家の中。 ふき:ごしゃり、と。今日も窓の外から音がした。上層からの物資が、今日も落とされたんだろう。 ふき:俺は配給物資をもらえるほど貧しいわけじゃない。でも、上層階層から地下階層まで配給の届く音が聞こえるくらい、俺は、下の階層に暮らしているんだろう。一番上なんて見えない。一番下も見えるわけじゃないけれど。 読書家レディ:ふきは工場階層ではたらく若者だった。趣味も友達も持たない、仕事場と寝床を行き来するだけの人間。 ふき:一日に何度か上層区から降ってくるお恵み。それは、あっというまに窓の外を通り過ぎて、着地する。今日も。きっと、明日も。 読書家レディ:誰よりも貧しいわけじゃない。でも、もう法や人目を気にできないくらいに追い詰められていたのだろう。 ふき:おなかがすいた。 読書家レディ:窓を開けて、干されっぱなしの隣人の大きな網を取ったふき。その目は網にかかる魚のように。 ふき:いっかいくらい、いっかい、いちど、だけ。 読書家レディ:私はここで、『赤のしおり』を置いた。 0:無機質で整頓された白と青で統一された部屋。窓の檻をロックキーを入力して、両腕で抱えた袋をひどく重そうに放り捨てた眼鏡の研究者。 レイメイ:彼女を捨ててしまった。いや、こんな言い方を外でしてしまったら、僕まで捨てられてしまうか。 レイメイ:不要部品の移動を完了した。それだけなのだ。僕だって部品のひとつにすぎない。しょうがないじゃないか。役立たずだったんだ。どのパーツを付け替えても、何度リセットをかけても、うまくいかない。期待される効果が出ないどころか、エラーを吐き続ける。エラーだと、言われ続ける。 読書家レディ:研究者は、上層区にいた。人の心、感情、倫理。それらを捨てられないことで、解雇を迫られていた。 レイメイ:あれは、エラーなんかじゃないというのに。 読書家レディ:機械に感情を宿した奇跡の人を、この時代は、この社会は、認めることはない。何十年経とうとも、名前一つ上がらない。 レイメイ:すぐにフィルター、ガード、ガラス窓を操作して閉鎖した。彼女が最下層の床にたたきつけられる音を、僕は確認したくなんてなかった。 0:10年後 b:おかえり、ふき。 ふき:ただいま、ビイ。 読書家レディ:ひとつとひとり。ふきは変わらず貧しいままだったが、この10年で変化があった。 b:今日はどこもケガしてないでしょうね? ふき:まだこの前の切り傷を根に持ってるの?ほら、どこもケガしてないでしょ。 b:……この、膝の汚れは? ふき:ぶつけたかもしれないけど大丈夫。 b:ぶつけてたなら大丈夫じゃないの! 読書家レディ:趣味はない。満足な休日もない。それでもふきは、家族ができた。汚らしく、今にも壊れそうなぼろ小屋で、ひとりとひとつだけの結婚式を挙げたのはひと月前のこと。 ふき:心配性だなあビイは。 b:あなたなんて簡単に死んじゃうんだから。血が出て、ううん、血が出なくたって動かなくなっちゃうのよ。私みたいに腕が動かなくなったら交換、動きが悪いから寝るときは外しておく、とかできないんだから! ふき:ビイだって。機械だから何しても平気だと無理しちゃだめだよ。他の人よりも機械いじりは好きだけど、さすがに細かいパーツや仕組みを俺は知らないんだ。部品だってね、工場で出たゴミをこっそり盗んでくるの、ほんとはダメなんだから。 b:ふきに会えてよかった。ついでに、頭部と胴体が機能してて本当によかったわ。最下層まで網に引っかからずに落ちていたら、四肢が砕け散るだけじゃすまなかったもの。 ふき:結果的にはもちろん俺だって良かったと思ってるけどさ。食料がひっかかったと思って網を覗き込んだら、バラバラの機械人形と目が合ったんだよ?びっくりしたなんてレベルじゃなかったんだから…。 b:手足のパーツを付け替えて戦う、bタイプで助かったわ。バラバラになっても、こうやってお話できるもの。……そんなすごい性能なのに、思い通りにならないから捨てられちゃったんだけど。 ふき:俺は、ビイが楽しそうに俺と話してくれるだけで幸せだよ。俺じゃあメンテナンスなんてできないから、なにかおかしいなって感じたらすぐ言ってほしい。 b:もちろん!……でも、そうね。私は殺人のための機能ばかりだから……。意思疎通AIは優秀だけど、かといって娯楽用にも作られていない。いつか。ふきが飽きたら。ふきが邪魔に思うようになったら、いつでも私は…… ふき:ビイ。 読書家レディ:商品未満のbタイプ機体。試作品として完成すらしなかったbタイプを、ふきは家族のように扱い、家族だと信じている。 ふき:ビイ。そんな悲しい話より、どうしたら一緒にいて楽しいかの方が知りたい。 b:そっか。うーん、情報通信をオンラインにできないから動画とかニュースを調べるのはできないし。肉体的な接触もそういう機能ないし。 ふき:抱きしめるくらいならできるよ? b:えー、嫌よ。腕パーツがオイル臭いだろうし、私、オイル臭いって思われるの嫌よ。あと潰しちゃいそう。 ふき:つぶされるのは困るけど、臭いは気にしないよ。物心ついてから、ずっと工場階層でこの臭いの中にいたんだから。ふるさとのかおり……みたいな? b:フォローになってなーい! ふき:だめかあ。 b:ふきが勝手に私にくっつくのはいいわよ。 ふき:ビイって寝返りとかするの? b:あ、一緒に寝るつもりでしょ。だめ。布団がオイルでぎっとぎとになる。 ふき:だめかあ。……だめでも、捨てたりなんかしないからね? b:じゃあ子供でもつくる? ふき:あ、さては製造とか生産する方の話でしょ。ペットとかでもいいんじゃない?狭いけど…ごはんもないけど…。 b:ロボットでも、生き物でもいいわ。ふきとだったら、私、AIでも化け物でも育てちゃうんだから。 ふき:大問題になりそうだなあ。 0:上層区、狭く暗い、倉庫にて。 レイメイ:す、すー。すっ。……うーん。音声素材はやめた方がいいか?合成音声なら声の変更とかしやすいと思ったんだけれども。エスの子音だけでもこんなに不調なのに、発音だけでここまで手こずっていると、いざという時に不具合大量発生するよね……。聞き取りだけでもアとオの識別が不正確だというのに。 読書家レディ:レイメイ。レイメイ。 レイメイ:bは公式のプロジェクトだったから他の専門部署が発話はなんとかしてたんだよね。できなくないだろうけど、さすがに詳しくはないから……。はあ、こっそり調べようにも今のプロジェクトはヒトガタとは無関係だからバレる。 読書家レディ:手を貸してあげましょうか? レイメイ:あー…もういっそ前提からちがうのかも。いっそ細胞とかクローン分野から突き詰めちゃう?そうなると別の部署の権限がいるけど……やってみるか。 読書家レディ:より手堅く、早く成功をおさめる方法を、おまえは気が付いているだろうレイメイ。 レイメイ:レディ、いいかげん静かにしてくれないかな。 読書家レディ:振り向きもしないなんて、つれないひと。 レイメイ:僕はレディの力には頼らない。僕の後悔を、弱さを、得体のしれない現象に丸投げすることはない。 読書家レディ:おまえは、後悔している。弱さも自覚している。そして、どちらもおまえ一人の努力でどうなるものではないわ。 レイメイ:レディにどうにかできると?僕たち上層の人間は、レディをオーパーツだとしか認識していないよ。ただのブックマーカー。そう、言わば本の栞だったはずのレディが、今や4メートルの高さの人の姿にまで育って……。誰から、何をどうして、そうなったやら。 読書家レディ:いつまで私を頼らずにいられるかしら?……いえ。いいえ、そう、ね。10年前であれば、レイメイはすぐにでも壊れて、狂い、私を求めたはずだった。けれど、今のおまえでは……。 レイメイ:分かってもらえたなら、立ち去ってくれると嬉しいよレディ。レディとこのまま話していたら……貴女の望まない発言をしてしまう。 読書家レディ:ええ!私を高貴な婦人として扱わないのであれば、すぐにでもレイメイなんて消してあげる!……でもね?もっともぉっと面白いことを思いついたわ。 レイメイ:レディ。もういいかげんに……。 読書家レディ:ねえ、レイメイ。あの子は生きているわ。 レイメイ:誰のこと? 読書家レディ:あの子は、ビイと呼ばれ、おまえに煩わされることなく、めでたしめでたしな日々を楽しんでいる。 レイメイ:彼女、が……。 読書家レディ:あなたに捨てられて、本当によかったわねえ!10年経った今でも、落下の衝撃に耐え、頭部と胴体はしっかり機能しているんですって! レイメイ:……いま、も。bは。 読書家レディ:ねえ、レイメイ。 レイメイ:……僕の後悔。僕の、弱さ。 読書家レディ:欲しいとは思わない?妬ましいとは思わない? レイメイ:それでも、僕はレディには、 読書家レディ:彼女はあなたと同じような人間と、結婚している気でいるのよ。 レイメイ:…………。 読書家レディ:私は、レイメイにしおりを使わない。レイメイも読書家レディを使わない。でもね?bタイプがどこにいるか、教えてあげる。 レイメイ:b。僕の、b。 読書家レディ:ふふ、ふふふふふ、あはははははは!! 0:ふきの部屋。風もろくに入らず、窓の外は汚れた空気で夕焼けが霞んで見える。 b:人間は、長くは生きない。人間の作った機械、例えば家電や建物、工場部品の寿命の半分も生きはしない。ふきは、より短命だろう。 b:10年前、父とも兄とも分からぬ人間……レイメイに窓から廃棄された時。歯がゆいとか、口惜しいとか、ごめんなさいとか。そんなぐちゃぐちゃなエラーの中にあったのは、情けないという思いだった。2メートルはある腕パーツで弱い肉を叩きつけ、刃のパーツでは一刀両断。両足の小型エネルギーを繊細に操り、狭い廊下も、空中でも水中でも追い詰めてしとめる。人間の幼体ほどの頭部と胴体は、充電もメンテナンスもめったなことでは必要にならない。最も小型で、最も優秀で、最も強い、私。 レイメイ:ああ、またか。 b:私は優れた、暗殺マシンであるべきだった。 レイメイ:b、そこまでしなくていいんだよ。 b:猟奇マシンであるべきじゃなかった。 レイメイ:おかしいなあ。そこまでできるほど、プログラム組んでいないはずなんだけど。 b:簡単に終わらせてなるものか。楽にいかせてなるものか、と。私を一度でも侮ったものは許さなかった。 レイメイ:そんなに興奮しなくても、いいんだよ。ああもう、bはただの試作品なのにね。こうやって抱きしめたって、あやしたって、どうにもならないのにね。 b:私の怒りをエラーだと。誤作動だと吐き捨てた。私の大事な人間を苦しめるものも絶対許しはしない。 レイメイ:ほら、腕と足を外すよ。またメンテナンスしなきゃ。僕なんかの膝に乗せられて、頭を覗き込まれるのは嫌だろう?最後のメンテナンスにしなきゃね。 b:日に日に目が死んでいくレイメイ。追い詰めている人間たちのことは知っていた。 レイメイ:君に涙の機能でもつけてあげれば、良かったのかな。でも、錆びちゃうからね。悲しみなんて、知らなくていいものだから。 b:私は、私が生まれたことを後悔した日は一度だってない。 レイメイ:気づいてあげられなくてごめんね。 b:上層区では、人間は互いを憎み争い、限られた薄い酸素の中、深呼吸もできないありさまだった。 レイメイ:bは、僕たちのことを、憎んでしまったんだね。 読書家レディ:過去を思い返している間に日は完全に落ち、部屋は暗い。鍵も壊れて機能していない唯一の扉、玄関がひらく。 b:おかえり、ふき。 ふき:ただいま、ビイ。 b:工場で求められる知識以外、何も知らないふき。高等学問の初歩だけじゃなくて、1日3回食事をすることも知らないふき。友達をつくることも、恋人をつくることも知らないくせに、家族というものには興味を示す。 ふき:今日はね、このあとまた行かなきゃいけないんだ。上層の人が来るからって、お掃除任されちゃって。貸し切り。 b:ここは、最下層の手前の工場階層。有害な毒素を防ぐフィルターもなければ、ヒビすら放置されている窓。深呼吸などすれば、寿命が縮まるに違いない。面倒事を嫌うのか、自分のことで手一杯なのか、ここの人間は他人と関わろうとすることはない。 ふき:それでね、ビイも、行かない? b:え? ふき:ビイは立っていられるし、歩くのもできるし。ほうき持って動いていたら、怒られないよ。 0:こつり、ひたり。それぞれの足音が響く。 読書家レディ:工場階層、立ち入り禁止の移動用区画。エプロンと言い難い、黄ばんだ布切れをつけて歩くふきとb。 b:他の人間は?ねえ、こんな広いところふきだけに任せられたの? ふき:他にもいるけど、5人でやらなきゃだから、皆見えないくらい遠くに散らばっているんだよ。上層とか下層へ唯一つながるエレベーターと階段があってね。あまりこの場所に、たくさん人を入れたくないみたい。 b:それにしたって少ないでしょ!ああもう、昔使ってた脚パーツがあったら爆速で埃吹き飛ばすのに!! ふき:壊しちゃってごめんね。 b:そうじゃなーい! ふき:でもね、俺は嬉しいよ。 読書家レディ:私はここで、『青のしおり』を置いた。 0:怪訝そうに見やるbに、ふきは笑いかける。 ふき:ビイをキャッチしたあの日から、俺の狭い部屋から出してあげられなかった。真っ暗でも、お掃除しながらでも、こうしてビイと歩けて嬉しいんだ。 b:そんなことより、ふきが仕事を押し付けられてるのが腹立たしいの。 ふき:そんなことかあ、大事だと思うんだけどなあ。 読書家レディ:けたたましく、ガタガタとエレベーターが動き出す。 b:エレベーターがうるさいわね。あんなの使ったら死んじゃいそうだわ。 ふき:上層から人が来るのは明日のはずなんだけど……試運転かな? b:上層からこの工場階層に来るなんて、左遷か追放なんじゃない?落ちてもいいのよきっと。 ふき:否定できないのがなんとも言えない。 読書家レディ:エレベーターが止まる。がくがくと振動しながら不規則にドアがひらいた。 b:……うそ。 レイメイ:レディの話とちがう。 読書家レディ:エレベーターから出てきたのはレイメイ。 レイメイ:居場所こそ違えど、機能して、かつこちらを識別しているとはね。困るなあ。 読書家レディ:困るというレイメイの顔は、それでも歪に上がる口角を隠し切れない。 ふき:ああ、ええと、bの知ってる人……なら、上層の人かな。 b:ふき、逃げよう!頭なんて下げなくていいから! ふき:そういうわけにはいかないよ。 b:だめ!ヤバいんだって!!ふきは何にも知らないんだよ!上層は、 レイメイ:そう。何も知らないだろう。そして、知らなくていいんだ。 b:私を連れ戻しに来たの?捨てておいて?私は戻らない。無理やり連れていくって言うなら、あのときよりも本気で、誰も許さない。 レイメイ:許さなくていい。 b:…………うそだ。 レイメイ:許されなくていい。 b:それじゃ、なんで、なんのつもりで、 レイメイ:「黎明(れいめい)権限によって、すべての接合パーツを解除」。 ふき:え。 読書家レディ:ガシャン、ガタンと、腕、足が同時に胴体から外れ、bがバラバラと落ちる。 b:ふき、ふき?なに、なんで?ふき?ふき!? ふき:ビイ!どうして、なんで……。 レイメイ:bに許されようなんてもう思っていない。だから、用があるのは、bのパーツの中身だ。 ふき:やめっ……やめて、ください。 レイメイ:工場員。 ふき:お願いします。ビイを、ビイを連れて行かないで、ください。 レイメイ:口を開いていいと、許可をしたかな? ふき:……っ。おねがい、します。bを、おねがい、です。 レイメイ:bのパーツを修繕し、メンテナンスしたのはおまえか? ふき:腕と足のパーツの入れ替えは、しました。メンテナンスとか、くっつけたり外したり以外は、できていません。 b:ふき、ふき……ふ、き。 レイメイ:……そうか。急なシャットダウンはやめておこう。bタイプ、「黎明権限によって、音量を1に設定」。 ふき:……。 読書家レディ:懸命にふきを呼び続けているはずのbの音声は、人間の耳ではもう聞くことはできなくなった。 レイメイ:bタイプを所有し続けた罰、上層権限者に無礼を働いた罰は、bタイプ保守の功績と相殺してやる。bタイプのことが心配ならば……手で頭を覆い、地につけたまま動くな。 ふき:…………わか、り、ました。 読書家レディ:ふきが頭を抱え地に伏せると、しばらくして轟音と共に土煙やほこりが舞う。 ふき:動いてはいけない。俺は、俺なんてどうなってもいいけど、あの人はきっと簡単にビイを言葉一つで壊せるんだ。 読書家レディ:息が詰まっても、背中に屋根のがれきが当たってもうめき声一つあげない。 ふき:俺のせいで、ビイに何かあったら。俺が、連れてこなければ。 読書家レディ:その心情では、その後悔の中では、なんと長く感じる時間だろう。 ふき:そもそも、俺が、網なんか張ってなかったら。ビイが俺に捕まったりしなければ。 読書家レディ:後悔に心がつぶされる間際こそ、私の、「読書家レディ」の声が届く。 ふき:あの時、俺が余計なことをしなければ。 読書家レディ:顔をお上げなさい。レイメイは行ってしまったわ。 ふき:…………。 読書家レディ:拝謁する許可を。私との対話を許可する。起きなさい、ふき。 ふき:…………あなたは、だれ、ですか。 読書家レディ:私は「読書家レディ」。おまえのことを、ずっと見ていたよ。 ふき:……ビイの、こともずっと? 読書家レディ:ずっと、はとても曖昧だね。おまえが網を盗んで、屋根と屋根の間にはったあの夜から、読書家レディは知っているのさ。 ふき:言わないでください。誰にも、どうか、ビイのことも俺のことも。 読書家レディ:私を認識する人間自体、ごくわずか。怖がらなくていい。それに、ふきがお願いするのなら、読書家レディはしおりを使って助けてあげる。 ふき:しおり?助けてくれる? 読書家レディ:なあんにも知らない哀れな人間、ふき。読書家レディはね、しおりを挟んだところに、戻せるんだ。本のページをまくるようにね。読書家レディは、本の栞みたいなもの。昔に戻ってやり直したいとは思わない?今の知識や記憶を、前の自分に入れるんだ。すごいだろう? ふき:やりなおせるってこと?未来を、変えられる?ビイを助けられる? 読書家レディ:おまえ次第。そして幸運なことに、『赤のしおり』は、おまえが網を盗んだ夜にある。 ふき:10年前に、戻れるってこと? 読書家レディ:さあ、言ってごらん。何色のしおりを使いたいんだい?レディにお願いしてごらんなさい。 ふき:あの夜……10年前、『赤のしおりの場所に、俺を飛ばして、読書家レディ。使ってください!お願いします!!』 読書家レディ:私はいつものように優雅に、ふきの体に巻き付いた。 0:【赤のしおりから再開】無機質で整頓された白と青で統一された部屋。その窓から、眼鏡の研究者が袋を放り投げる。 レイメイ:彼女を捨ててしまった。いや、こんな言い方を外でしてしまったら、僕まで捨てられてしまうか。 レイメイ:……さて、こんなボロボロのクローン。作った覚えはないんだけどな?それとも君は……。 0:突如現れた自分とうりふたつの何かに慎重に近づくレイメイ。 レイメイ:誰かの嫌がらせか、はたまた。 0:豪風で袋の口が開き、飛んでいく。 b:忘れない。忘れなんてしない。レイメイ。私を捨てたんだから、あなただけでも幸せに。いや、違う、ここは。 0:汚れた空気を切り裂き、かろうじて、網にひっかかるb。 b:は……は、何?ここ、ふきの家の、窓の外?何、10年前のあの時と同じ? 読書家レディ:いいや、ちがう。 b:…………でも、私、腕も足も付いてる? 読書家レディ:前回と違うこと。それは、未来を皆が知っていることだ。 b:あれだけ落ちたのに、前あんなに落ちたときは四肢が吹き飛んで、胴と頭しか網にかからなくて、それでふきが私を助けてくれて……。 読書家レディ:赤のしおり、すなわちこの時点に戻ったふきは知っていた。bタイプの落下地点と、その場所を。その小さな脳みそで、最適な網の位置を調整することだけは間に合った。 b:ふ、き……? 読書家レディ:だが、bタイプのフルバージョンの重量を支えるには、おもりが必要だ。 ふき:ビイが、助かれば、俺は幸せだから。 b:網の端を体中に巻き付けて、窓に引っかかっているその肉と、髪色は。私が毎日見てきた、それは。 読書家レディ:早く上がらないと、ふきの行動が無駄になるよ?ふきの愛した、bタイプちゃん。 0:研究室。「黎明」と「使用中」のプレートが揺れている。 レイメイ:読書家レディ。いるんだろう。説明くらいしてもいいんじゃない? 読書家レディ:ふふ、レイメイ、レイメイ。かわいそうなレイメイ。やっと読書家レディを頼る気になったの? レイメイ:とぼけるな。約束が違う。何故僕にしおりを使った? 読書家レディ:賢く哀れなレイメイ。おまえは本の栞と、馬鹿正直にした約束を信じているのね。 レイメイ:なんだと…… 読書家レディ:そも、レイメイは勘違いをしている。私のしおりは、個人を過去に戻すものではないわ。 レイメイ:は?……時間遡行(そこう)だと言っていただろう!? 読書家レディ:この世界・時代のすべてが遡行するのさ。 レイメイ:そんなめちゃくちゃなことがあってたまるか、そんなこと、 読書家レディ:読書家レディはただの「読書家」。前に読んだページに戻っただけ。あなただけじゃない。この世界の人間は皆、あと10年のあったかもしれない未来の記憶を持ったままこのページに戻されたのよ。 レイメイ:大混乱が起きる。未来が絶対に変わってしまうじゃないか。 読書家レディ:そう。そして物語は歪むわ。歪めば歪むほど、読書家レディは大きくなる。未来を何とかできると思う高慢さ、それが読書家になる。 レイメイ:僕じゃなくても良かったのか。読書家レディ以外の、この世界の人間がしおりを使うと望めば、過去が変わり、本来の未来とは大きな変化が起きる。すべてはおまえの気まぐれか。答えろレディ!! 読書家レディ:口を慎みなさいな。読書家レディに無礼は許さない。……ほとんどの愚かな人間は、過去に戻ったことを喜び、未来が変わる危険なんて顧みず、好き勝手に高慢にふるまうの。おまえたちは、読書家レディの餌であり、娯楽に過ぎない。その点、レイメイとあの子は賢いものね。 レイメイ:……しおりを使ったのは、あの工場階層の、工場員か。 読書家レディ:ふふ。その工場員ふきと、bタイプよ。 レイメイ:bが?彼女を落として数時間も経っていないのに? 読書家レディ:ふきが赤のしおりで10年前にページを戻し、ふきは死による救済を選んだ。ふきの死を受け入れないbタイプに、私が手を差し伸べた。 レイメイ:そして、もう、bは、しおりを使った……。 読書家レディ:賢い賢いbタイプ。愚かで愚かな人間たち。読書家レディは読書に戻るわ。 レイメイ:待て、レディ、僕もしおりを、 読書家レディ:次に読書家レディの気が向くのを待つのね。それとも、レディの気を引いてみせてくれるのかしら?5分後かしら?それとも半年、あるいは50年後?ふふ、うふふふふふ!読書家レディは気まぐれだから! レイメイ:…………消えて、しまったか。くそっ!!だとしたら、先ほどの、あれは本当に……! 0:主人を失った四畳間、ただひとつ音が響く。 b:ふき。あなたを絶対に許さない。私のために命を投げ捨てる未来など、許さない。 0:レディの去った研究室、立ち尽くす眼鏡が言葉をこぼす。 レイメイ:bと、話さなければ。 ふき:その100年後、新たなしおりで俺は目を覚ました。

0:この世界はミルフィーユ。人間自身の生み出した歪な当たり前に誰もが縛られた、ディストピアだ。上層ほど賢くやんごとない身分が暮らす競争社会。物理的にも社会的にも簡単に蹴落とされる外聞ばかり気にする生活では、安寧な日々は過ごせない。かといって下層は下に行けば行くほど物資も教育も不足している。 読書家レディ:私はページをひらく。 0:音一つしない、埃と日焼けで変色した壁の狭い四畳間。まともに明かりも入ってこない、照明もない家の中。 ふき:ごしゃり、と。今日も窓の外から音がした。上層からの物資が、今日も落とされたんだろう。 ふき:俺は配給物資をもらえるほど貧しいわけじゃない。でも、上層階層から地下階層まで配給の届く音が聞こえるくらい、俺は、下の階層に暮らしているんだろう。一番上なんて見えない。一番下も見えるわけじゃないけれど。 読書家レディ:ふきは工場階層ではたらく若者だった。趣味も友達も持たない、仕事場と寝床を行き来するだけの人間。 ふき:一日に何度か上層区から降ってくるお恵み。それは、あっというまに窓の外を通り過ぎて、着地する。今日も。きっと、明日も。 読書家レディ:誰よりも貧しいわけじゃない。でも、もう法や人目を気にできないくらいに追い詰められていたのだろう。 ふき:おなかがすいた。 読書家レディ:窓を開けて、干されっぱなしの隣人の大きな網を取ったふき。その目は網にかかる魚のように。 ふき:いっかいくらい、いっかい、いちど、だけ。 読書家レディ:私はここで、『赤のしおり』を置いた。 0:無機質で整頓された白と青で統一された部屋。窓の檻をロックキーを入力して、両腕で抱えた袋をひどく重そうに放り捨てた眼鏡の研究者。 レイメイ:彼女を捨ててしまった。いや、こんな言い方を外でしてしまったら、僕まで捨てられてしまうか。 レイメイ:不要部品の移動を完了した。それだけなのだ。僕だって部品のひとつにすぎない。しょうがないじゃないか。役立たずだったんだ。どのパーツを付け替えても、何度リセットをかけても、うまくいかない。期待される効果が出ないどころか、エラーを吐き続ける。エラーだと、言われ続ける。 読書家レディ:研究者は、上層区にいた。人の心、感情、倫理。それらを捨てられないことで、解雇を迫られていた。 レイメイ:あれは、エラーなんかじゃないというのに。 読書家レディ:機械に感情を宿した奇跡の人を、この時代は、この社会は、認めることはない。何十年経とうとも、名前一つ上がらない。 レイメイ:すぐにフィルター、ガード、ガラス窓を操作して閉鎖した。彼女が最下層の床にたたきつけられる音を、僕は確認したくなんてなかった。 0:10年後 b:おかえり、ふき。 ふき:ただいま、ビイ。 読書家レディ:ひとつとひとり。ふきは変わらず貧しいままだったが、この10年で変化があった。 b:今日はどこもケガしてないでしょうね? ふき:まだこの前の切り傷を根に持ってるの?ほら、どこもケガしてないでしょ。 b:……この、膝の汚れは? ふき:ぶつけたかもしれないけど大丈夫。 b:ぶつけてたなら大丈夫じゃないの! 読書家レディ:趣味はない。満足な休日もない。それでもふきは、家族ができた。汚らしく、今にも壊れそうなぼろ小屋で、ひとりとひとつだけの結婚式を挙げたのはひと月前のこと。 ふき:心配性だなあビイは。 b:あなたなんて簡単に死んじゃうんだから。血が出て、ううん、血が出なくたって動かなくなっちゃうのよ。私みたいに腕が動かなくなったら交換、動きが悪いから寝るときは外しておく、とかできないんだから! ふき:ビイだって。機械だから何しても平気だと無理しちゃだめだよ。他の人よりも機械いじりは好きだけど、さすがに細かいパーツや仕組みを俺は知らないんだ。部品だってね、工場で出たゴミをこっそり盗んでくるの、ほんとはダメなんだから。 b:ふきに会えてよかった。ついでに、頭部と胴体が機能してて本当によかったわ。最下層まで網に引っかからずに落ちていたら、四肢が砕け散るだけじゃすまなかったもの。 ふき:結果的にはもちろん俺だって良かったと思ってるけどさ。食料がひっかかったと思って網を覗き込んだら、バラバラの機械人形と目が合ったんだよ?びっくりしたなんてレベルじゃなかったんだから…。 b:手足のパーツを付け替えて戦う、bタイプで助かったわ。バラバラになっても、こうやってお話できるもの。……そんなすごい性能なのに、思い通りにならないから捨てられちゃったんだけど。 ふき:俺は、ビイが楽しそうに俺と話してくれるだけで幸せだよ。俺じゃあメンテナンスなんてできないから、なにかおかしいなって感じたらすぐ言ってほしい。 b:もちろん!……でも、そうね。私は殺人のための機能ばかりだから……。意思疎通AIは優秀だけど、かといって娯楽用にも作られていない。いつか。ふきが飽きたら。ふきが邪魔に思うようになったら、いつでも私は…… ふき:ビイ。 読書家レディ:商品未満のbタイプ機体。試作品として完成すらしなかったbタイプを、ふきは家族のように扱い、家族だと信じている。 ふき:ビイ。そんな悲しい話より、どうしたら一緒にいて楽しいかの方が知りたい。 b:そっか。うーん、情報通信をオンラインにできないから動画とかニュースを調べるのはできないし。肉体的な接触もそういう機能ないし。 ふき:抱きしめるくらいならできるよ? b:えー、嫌よ。腕パーツがオイル臭いだろうし、私、オイル臭いって思われるの嫌よ。あと潰しちゃいそう。 ふき:つぶされるのは困るけど、臭いは気にしないよ。物心ついてから、ずっと工場階層でこの臭いの中にいたんだから。ふるさとのかおり……みたいな? b:フォローになってなーい! ふき:だめかあ。 b:ふきが勝手に私にくっつくのはいいわよ。 ふき:ビイって寝返りとかするの? b:あ、一緒に寝るつもりでしょ。だめ。布団がオイルでぎっとぎとになる。 ふき:だめかあ。……だめでも、捨てたりなんかしないからね? b:じゃあ子供でもつくる? ふき:あ、さては製造とか生産する方の話でしょ。ペットとかでもいいんじゃない?狭いけど…ごはんもないけど…。 b:ロボットでも、生き物でもいいわ。ふきとだったら、私、AIでも化け物でも育てちゃうんだから。 ふき:大問題になりそうだなあ。 0:上層区、狭く暗い、倉庫にて。 レイメイ:す、すー。すっ。……うーん。音声素材はやめた方がいいか?合成音声なら声の変更とかしやすいと思ったんだけれども。エスの子音だけでもこんなに不調なのに、発音だけでここまで手こずっていると、いざという時に不具合大量発生するよね……。聞き取りだけでもアとオの識別が不正確だというのに。 読書家レディ:レイメイ。レイメイ。 レイメイ:bは公式のプロジェクトだったから他の専門部署が発話はなんとかしてたんだよね。できなくないだろうけど、さすがに詳しくはないから……。はあ、こっそり調べようにも今のプロジェクトはヒトガタとは無関係だからバレる。 読書家レディ:手を貸してあげましょうか? レイメイ:あー…もういっそ前提からちがうのかも。いっそ細胞とかクローン分野から突き詰めちゃう?そうなると別の部署の権限がいるけど……やってみるか。 読書家レディ:より手堅く、早く成功をおさめる方法を、おまえは気が付いているだろうレイメイ。 レイメイ:レディ、いいかげん静かにしてくれないかな。 読書家レディ:振り向きもしないなんて、つれないひと。 レイメイ:僕はレディの力には頼らない。僕の後悔を、弱さを、得体のしれない現象に丸投げすることはない。 読書家レディ:おまえは、後悔している。弱さも自覚している。そして、どちらもおまえ一人の努力でどうなるものではないわ。 レイメイ:レディにどうにかできると?僕たち上層の人間は、レディをオーパーツだとしか認識していないよ。ただのブックマーカー。そう、言わば本の栞だったはずのレディが、今や4メートルの高さの人の姿にまで育って……。誰から、何をどうして、そうなったやら。 読書家レディ:いつまで私を頼らずにいられるかしら?……いえ。いいえ、そう、ね。10年前であれば、レイメイはすぐにでも壊れて、狂い、私を求めたはずだった。けれど、今のおまえでは……。 レイメイ:分かってもらえたなら、立ち去ってくれると嬉しいよレディ。レディとこのまま話していたら……貴女の望まない発言をしてしまう。 読書家レディ:ええ!私を高貴な婦人として扱わないのであれば、すぐにでもレイメイなんて消してあげる!……でもね?もっともぉっと面白いことを思いついたわ。 レイメイ:レディ。もういいかげんに……。 読書家レディ:ねえ、レイメイ。あの子は生きているわ。 レイメイ:誰のこと? 読書家レディ:あの子は、ビイと呼ばれ、おまえに煩わされることなく、めでたしめでたしな日々を楽しんでいる。 レイメイ:彼女、が……。 読書家レディ:あなたに捨てられて、本当によかったわねえ!10年経った今でも、落下の衝撃に耐え、頭部と胴体はしっかり機能しているんですって! レイメイ:……いま、も。bは。 読書家レディ:ねえ、レイメイ。 レイメイ:……僕の後悔。僕の、弱さ。 読書家レディ:欲しいとは思わない?妬ましいとは思わない? レイメイ:それでも、僕はレディには、 読書家レディ:彼女はあなたと同じような人間と、結婚している気でいるのよ。 レイメイ:…………。 読書家レディ:私は、レイメイにしおりを使わない。レイメイも読書家レディを使わない。でもね?bタイプがどこにいるか、教えてあげる。 レイメイ:b。僕の、b。 読書家レディ:ふふ、ふふふふふ、あはははははは!! 0:ふきの部屋。風もろくに入らず、窓の外は汚れた空気で夕焼けが霞んで見える。 b:人間は、長くは生きない。人間の作った機械、例えば家電や建物、工場部品の寿命の半分も生きはしない。ふきは、より短命だろう。 b:10年前、父とも兄とも分からぬ人間……レイメイに窓から廃棄された時。歯がゆいとか、口惜しいとか、ごめんなさいとか。そんなぐちゃぐちゃなエラーの中にあったのは、情けないという思いだった。2メートルはある腕パーツで弱い肉を叩きつけ、刃のパーツでは一刀両断。両足の小型エネルギーを繊細に操り、狭い廊下も、空中でも水中でも追い詰めてしとめる。人間の幼体ほどの頭部と胴体は、充電もメンテナンスもめったなことでは必要にならない。最も小型で、最も優秀で、最も強い、私。 レイメイ:ああ、またか。 b:私は優れた、暗殺マシンであるべきだった。 レイメイ:b、そこまでしなくていいんだよ。 b:猟奇マシンであるべきじゃなかった。 レイメイ:おかしいなあ。そこまでできるほど、プログラム組んでいないはずなんだけど。 b:簡単に終わらせてなるものか。楽にいかせてなるものか、と。私を一度でも侮ったものは許さなかった。 レイメイ:そんなに興奮しなくても、いいんだよ。ああもう、bはただの試作品なのにね。こうやって抱きしめたって、あやしたって、どうにもならないのにね。 b:私の怒りをエラーだと。誤作動だと吐き捨てた。私の大事な人間を苦しめるものも絶対許しはしない。 レイメイ:ほら、腕と足を外すよ。またメンテナンスしなきゃ。僕なんかの膝に乗せられて、頭を覗き込まれるのは嫌だろう?最後のメンテナンスにしなきゃね。 b:日に日に目が死んでいくレイメイ。追い詰めている人間たちのことは知っていた。 レイメイ:君に涙の機能でもつけてあげれば、良かったのかな。でも、錆びちゃうからね。悲しみなんて、知らなくていいものだから。 b:私は、私が生まれたことを後悔した日は一度だってない。 レイメイ:気づいてあげられなくてごめんね。 b:上層区では、人間は互いを憎み争い、限られた薄い酸素の中、深呼吸もできないありさまだった。 レイメイ:bは、僕たちのことを、憎んでしまったんだね。 読書家レディ:過去を思い返している間に日は完全に落ち、部屋は暗い。鍵も壊れて機能していない唯一の扉、玄関がひらく。 b:おかえり、ふき。 ふき:ただいま、ビイ。 b:工場で求められる知識以外、何も知らないふき。高等学問の初歩だけじゃなくて、1日3回食事をすることも知らないふき。友達をつくることも、恋人をつくることも知らないくせに、家族というものには興味を示す。 ふき:今日はね、このあとまた行かなきゃいけないんだ。上層の人が来るからって、お掃除任されちゃって。貸し切り。 b:ここは、最下層の手前の工場階層。有害な毒素を防ぐフィルターもなければ、ヒビすら放置されている窓。深呼吸などすれば、寿命が縮まるに違いない。面倒事を嫌うのか、自分のことで手一杯なのか、ここの人間は他人と関わろうとすることはない。 ふき:それでね、ビイも、行かない? b:え? ふき:ビイは立っていられるし、歩くのもできるし。ほうき持って動いていたら、怒られないよ。 0:こつり、ひたり。それぞれの足音が響く。 読書家レディ:工場階層、立ち入り禁止の移動用区画。エプロンと言い難い、黄ばんだ布切れをつけて歩くふきとb。 b:他の人間は?ねえ、こんな広いところふきだけに任せられたの? ふき:他にもいるけど、5人でやらなきゃだから、皆見えないくらい遠くに散らばっているんだよ。上層とか下層へ唯一つながるエレベーターと階段があってね。あまりこの場所に、たくさん人を入れたくないみたい。 b:それにしたって少ないでしょ!ああもう、昔使ってた脚パーツがあったら爆速で埃吹き飛ばすのに!! ふき:壊しちゃってごめんね。 b:そうじゃなーい! ふき:でもね、俺は嬉しいよ。 読書家レディ:私はここで、『青のしおり』を置いた。 0:怪訝そうに見やるbに、ふきは笑いかける。 ふき:ビイをキャッチしたあの日から、俺の狭い部屋から出してあげられなかった。真っ暗でも、お掃除しながらでも、こうしてビイと歩けて嬉しいんだ。 b:そんなことより、ふきが仕事を押し付けられてるのが腹立たしいの。 ふき:そんなことかあ、大事だと思うんだけどなあ。 読書家レディ:けたたましく、ガタガタとエレベーターが動き出す。 b:エレベーターがうるさいわね。あんなの使ったら死んじゃいそうだわ。 ふき:上層から人が来るのは明日のはずなんだけど……試運転かな? b:上層からこの工場階層に来るなんて、左遷か追放なんじゃない?落ちてもいいのよきっと。 ふき:否定できないのがなんとも言えない。 読書家レディ:エレベーターが止まる。がくがくと振動しながら不規則にドアがひらいた。 b:……うそ。 レイメイ:レディの話とちがう。 読書家レディ:エレベーターから出てきたのはレイメイ。 レイメイ:居場所こそ違えど、機能して、かつこちらを識別しているとはね。困るなあ。 読書家レディ:困るというレイメイの顔は、それでも歪に上がる口角を隠し切れない。 ふき:ああ、ええと、bの知ってる人……なら、上層の人かな。 b:ふき、逃げよう!頭なんて下げなくていいから! ふき:そういうわけにはいかないよ。 b:だめ!ヤバいんだって!!ふきは何にも知らないんだよ!上層は、 レイメイ:そう。何も知らないだろう。そして、知らなくていいんだ。 b:私を連れ戻しに来たの?捨てておいて?私は戻らない。無理やり連れていくって言うなら、あのときよりも本気で、誰も許さない。 レイメイ:許さなくていい。 b:…………うそだ。 レイメイ:許されなくていい。 b:それじゃ、なんで、なんのつもりで、 レイメイ:「黎明(れいめい)権限によって、すべての接合パーツを解除」。 ふき:え。 読書家レディ:ガシャン、ガタンと、腕、足が同時に胴体から外れ、bがバラバラと落ちる。 b:ふき、ふき?なに、なんで?ふき?ふき!? ふき:ビイ!どうして、なんで……。 レイメイ:bに許されようなんてもう思っていない。だから、用があるのは、bのパーツの中身だ。 ふき:やめっ……やめて、ください。 レイメイ:工場員。 ふき:お願いします。ビイを、ビイを連れて行かないで、ください。 レイメイ:口を開いていいと、許可をしたかな? ふき:……っ。おねがい、します。bを、おねがい、です。 レイメイ:bのパーツを修繕し、メンテナンスしたのはおまえか? ふき:腕と足のパーツの入れ替えは、しました。メンテナンスとか、くっつけたり外したり以外は、できていません。 b:ふき、ふき……ふ、き。 レイメイ:……そうか。急なシャットダウンはやめておこう。bタイプ、「黎明権限によって、音量を1に設定」。 ふき:……。 読書家レディ:懸命にふきを呼び続けているはずのbの音声は、人間の耳ではもう聞くことはできなくなった。 レイメイ:bタイプを所有し続けた罰、上層権限者に無礼を働いた罰は、bタイプ保守の功績と相殺してやる。bタイプのことが心配ならば……手で頭を覆い、地につけたまま動くな。 ふき:…………わか、り、ました。 読書家レディ:ふきが頭を抱え地に伏せると、しばらくして轟音と共に土煙やほこりが舞う。 ふき:動いてはいけない。俺は、俺なんてどうなってもいいけど、あの人はきっと簡単にビイを言葉一つで壊せるんだ。 読書家レディ:息が詰まっても、背中に屋根のがれきが当たってもうめき声一つあげない。 ふき:俺のせいで、ビイに何かあったら。俺が、連れてこなければ。 読書家レディ:その心情では、その後悔の中では、なんと長く感じる時間だろう。 ふき:そもそも、俺が、網なんか張ってなかったら。ビイが俺に捕まったりしなければ。 読書家レディ:後悔に心がつぶされる間際こそ、私の、「読書家レディ」の声が届く。 ふき:あの時、俺が余計なことをしなければ。 読書家レディ:顔をお上げなさい。レイメイは行ってしまったわ。 ふき:…………。 読書家レディ:拝謁する許可を。私との対話を許可する。起きなさい、ふき。 ふき:…………あなたは、だれ、ですか。 読書家レディ:私は「読書家レディ」。おまえのことを、ずっと見ていたよ。 ふき:……ビイの、こともずっと? 読書家レディ:ずっと、はとても曖昧だね。おまえが網を盗んで、屋根と屋根の間にはったあの夜から、読書家レディは知っているのさ。 ふき:言わないでください。誰にも、どうか、ビイのことも俺のことも。 読書家レディ:私を認識する人間自体、ごくわずか。怖がらなくていい。それに、ふきがお願いするのなら、読書家レディはしおりを使って助けてあげる。 ふき:しおり?助けてくれる? 読書家レディ:なあんにも知らない哀れな人間、ふき。読書家レディはね、しおりを挟んだところに、戻せるんだ。本のページをまくるようにね。読書家レディは、本の栞みたいなもの。昔に戻ってやり直したいとは思わない?今の知識や記憶を、前の自分に入れるんだ。すごいだろう? ふき:やりなおせるってこと?未来を、変えられる?ビイを助けられる? 読書家レディ:おまえ次第。そして幸運なことに、『赤のしおり』は、おまえが網を盗んだ夜にある。 ふき:10年前に、戻れるってこと? 読書家レディ:さあ、言ってごらん。何色のしおりを使いたいんだい?レディにお願いしてごらんなさい。 ふき:あの夜……10年前、『赤のしおりの場所に、俺を飛ばして、読書家レディ。使ってください!お願いします!!』 読書家レディ:私はいつものように優雅に、ふきの体に巻き付いた。 0:【赤のしおりから再開】無機質で整頓された白と青で統一された部屋。その窓から、眼鏡の研究者が袋を放り投げる。 レイメイ:彼女を捨ててしまった。いや、こんな言い方を外でしてしまったら、僕まで捨てられてしまうか。 レイメイ:……さて、こんなボロボロのクローン。作った覚えはないんだけどな?それとも君は……。 0:突如現れた自分とうりふたつの何かに慎重に近づくレイメイ。 レイメイ:誰かの嫌がらせか、はたまた。 0:豪風で袋の口が開き、飛んでいく。 b:忘れない。忘れなんてしない。レイメイ。私を捨てたんだから、あなただけでも幸せに。いや、違う、ここは。 0:汚れた空気を切り裂き、かろうじて、網にひっかかるb。 b:は……は、何?ここ、ふきの家の、窓の外?何、10年前のあの時と同じ? 読書家レディ:いいや、ちがう。 b:…………でも、私、腕も足も付いてる? 読書家レディ:前回と違うこと。それは、未来を皆が知っていることだ。 b:あれだけ落ちたのに、前あんなに落ちたときは四肢が吹き飛んで、胴と頭しか網にかからなくて、それでふきが私を助けてくれて……。 読書家レディ:赤のしおり、すなわちこの時点に戻ったふきは知っていた。bタイプの落下地点と、その場所を。その小さな脳みそで、最適な網の位置を調整することだけは間に合った。 b:ふ、き……? 読書家レディ:だが、bタイプのフルバージョンの重量を支えるには、おもりが必要だ。 ふき:ビイが、助かれば、俺は幸せだから。 b:網の端を体中に巻き付けて、窓に引っかかっているその肉と、髪色は。私が毎日見てきた、それは。 読書家レディ:早く上がらないと、ふきの行動が無駄になるよ?ふきの愛した、bタイプちゃん。 0:研究室。「黎明」と「使用中」のプレートが揺れている。 レイメイ:読書家レディ。いるんだろう。説明くらいしてもいいんじゃない? 読書家レディ:ふふ、レイメイ、レイメイ。かわいそうなレイメイ。やっと読書家レディを頼る気になったの? レイメイ:とぼけるな。約束が違う。何故僕にしおりを使った? 読書家レディ:賢く哀れなレイメイ。おまえは本の栞と、馬鹿正直にした約束を信じているのね。 レイメイ:なんだと…… 読書家レディ:そも、レイメイは勘違いをしている。私のしおりは、個人を過去に戻すものではないわ。 レイメイ:は?……時間遡行(そこう)だと言っていただろう!? 読書家レディ:この世界・時代のすべてが遡行するのさ。 レイメイ:そんなめちゃくちゃなことがあってたまるか、そんなこと、 読書家レディ:読書家レディはただの「読書家」。前に読んだページに戻っただけ。あなただけじゃない。この世界の人間は皆、あと10年のあったかもしれない未来の記憶を持ったままこのページに戻されたのよ。 レイメイ:大混乱が起きる。未来が絶対に変わってしまうじゃないか。 読書家レディ:そう。そして物語は歪むわ。歪めば歪むほど、読書家レディは大きくなる。未来を何とかできると思う高慢さ、それが読書家になる。 レイメイ:僕じゃなくても良かったのか。読書家レディ以外の、この世界の人間がしおりを使うと望めば、過去が変わり、本来の未来とは大きな変化が起きる。すべてはおまえの気まぐれか。答えろレディ!! 読書家レディ:口を慎みなさいな。読書家レディに無礼は許さない。……ほとんどの愚かな人間は、過去に戻ったことを喜び、未来が変わる危険なんて顧みず、好き勝手に高慢にふるまうの。おまえたちは、読書家レディの餌であり、娯楽に過ぎない。その点、レイメイとあの子は賢いものね。 レイメイ:……しおりを使ったのは、あの工場階層の、工場員か。 読書家レディ:ふふ。その工場員ふきと、bタイプよ。 レイメイ:bが?彼女を落として数時間も経っていないのに? 読書家レディ:ふきが赤のしおりで10年前にページを戻し、ふきは死による救済を選んだ。ふきの死を受け入れないbタイプに、私が手を差し伸べた。 レイメイ:そして、もう、bは、しおりを使った……。 読書家レディ:賢い賢いbタイプ。愚かで愚かな人間たち。読書家レディは読書に戻るわ。 レイメイ:待て、レディ、僕もしおりを、 読書家レディ:次に読書家レディの気が向くのを待つのね。それとも、レディの気を引いてみせてくれるのかしら?5分後かしら?それとも半年、あるいは50年後?ふふ、うふふふふふ!読書家レディは気まぐれだから! レイメイ:…………消えて、しまったか。くそっ!!だとしたら、先ほどの、あれは本当に……! 0:主人を失った四畳間、ただひとつ音が響く。 b:ふき。あなたを絶対に許さない。私のために命を投げ捨てる未来など、許さない。 0:レディの去った研究室、立ち尽くす眼鏡が言葉をこぼす。 レイメイ:bと、話さなければ。 ふき:その100年後、新たなしおりで俺は目を覚ました。