台本概要
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タイトル | 『梢の檻』 |
---|---|
作者名 | sazanka (@sazankasarasara) |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 2人用台本(男1、女1) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
『リングワンダリング ―梢の檻―』シリーズ第1作。 とある地方の山中。画家の青年と、モチーフを務める少女の会話。 ―2022年3月中旬― 或いは、 景の外《アッサムティーと、グロゼイユジャム》 282 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
少女 | 女 | 96 | 近隣の集落に住む学生。イニシャルは「K」。関西の田舎の言葉。 |
画家 | 男 | 96 | 「箒木 遠来(はわきぎ えんらい)」。※画号。本名の読みは「遠来(とおき)」。 数年前に東京より移住。首都圏の中央の言葉。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:山の頂に吹く風。
0:木々と、まだらになった陰を揺らす、冷たく冴えた春の風。
【モノローグ】(画家):囚われているのはどちらだろうか。
【モノローグ】(画家):この、黒い緑の監獄に。
0:【間】
【モノローグ】(画家):沼戸(ぬまと)県というのは山深い土地だ。
【モノローグ】(画家):紀伊半島の南端近く。
【モノローグ】(画家):北側を、奈良県は寄野(よしの)の大森林と接し、南側に於いて、かの修験道の聖地「熊野古道(くまのこどう)」を、和歌山県と共有している。
【モノローグ】(画家):深い木々と旧い因習。渓谷と山林。
【モノローグ】(画家):その合間を縫って、どうにかして人々が暮らしを立てている。
【モノローグ】(画家):中央で夢破れた者が落ち延び、潜み、再起を図る隠れ里。
【モノローグ】(画家):僕の印象はそんなものだった。
【モノローグ】(画家):……さておき。
【モノローグ】(画家):お湯を沸かして、準備を始めよう。
【モノローグ】(画家):もうじき、彼女が来る。
0:タイトルコール。
少女:『梢の檻(こずえのおり)』
0:【間】
少女:せぇんせーっ。
少女:いてるんーっ?
画家:おかえり。
画家:……いるよ、勿論。
少女:はぁーっ、中暖(ぬく)う。
少女:いつまで経っても寒いなぁ。
画家:山の上だからね。僕もようやく慣れたけど……。
画家:悪いね、始業式の後に。
少女:ううんー。ホームルームと、入学式の練習だけやったから。
少女:中学とちゃうねんし3年だけでエエのになぁ。
画家:生徒の、頭数の問題、かもね。
画家:……じきにお湯が沸くけど。今日は……、
少女:ロシアンティー、飲みたい。
画家:ああ……、
少女:あれ、まだあるぅ? あの赤いのん。
少女:慧(けい)さんがくれはった東京の、
画家:グロゼイユのジャム、だね。「ギリィカ」とかいう海外メーカーの。
画家:確か……、まだ、
少女:それそれぇ。体温(ぬく)めてからやないと風邪引いてまうわぁ。
画家:うん……。
画家:暖房ももう少し、
少女:中は十分暖(ぬく)いからイイ。
少女:逆にちょっと空気薄ない? 換気してへんやろぉ。
画家:ちょっと前に起きた所だからね。
画家:少ししたら窓を……、
少女:羨ましいわぁ。
少女:今日からまた目覚まし地獄始まってんでぇ。
画家:低血圧仲間としては同情するよ。
画家:そして全国の学生には、頭が下がる……。
0:アトリエスペースの空間を空け、大まかな準備を進める画家。
少女:先生さぁー、
画家:うん?
少女:自宅のアトリエにJK連れ込んで、
少女:裸に剥いて絵ェ書いてるとか。
少女:バレたら捕まってまうなぁ?
0:沈黙。
画家:…………、
少女:ふふふぅ。
少女:黙ったらホンマにヤバいヒトみたいやで、先生。
画家:…………、
画家:覚悟の上の、つもりだけどね。
少女:ホンマにぃ?
少女:ま……、私が言わへん限り大丈夫ちゃう? ここらは林業のおっちゃんらも来(け)ぇへんし。
画家:このアトリエに……、勝手に入ってくるような知り合いも、居ないしね。
少女:ソレつまり、地元に馴染めてへんってことやから。
少女:先生、殆ど付き合いせーへんもんなぁ。
画家:正直未だに勝手がわからないし、
画家:どうも皆さん……、こう、
少女:距離はしゃあないで。田舎やから。
画家:努力を怠っている自覚はあるんだ。
画家:差し当たり、不自由が無いもので……、
少女:モデルにも困らへんしなぁ? 東京ではどーやったか知らんけど。
画家:…………、
少女:もーじき3年になるのに。
少女:どこからも漏れてへんしなぁー。
画家:……秘密を守ってくれて、感謝しているよ。
少女:だって……、なぁ?
少女:私も面倒いもん、バレたら。
少女:中学の時から、余所モンの画家の先生の家通って、内緒で服脱いでるー、って。
少女:何言われるかわからへんやん。
画家:君も……、お家も、ね。
少女:ま、そんなんはそのうち無かった事になるけどぉ。
少女:消えなアカンのは、
少女:先生やで。
画家:……、
少女:あ、川に死体上がるー、とか、行方不明で谷底ぉー、とかはナイで、うちの親も家も、そんな力無いし。
少女:でもここには、居(お)られへんようにはなる、かな。
画家:…………、
少女:ていうかその前に逮捕やな。ふふぅ。
画家:……、年齢をわかって、モデルを持ちかけたのじゃ、ないんだけれどね。
少女:成人してるように見えたって事ぉ? 私どっちかて言うたら、
画家:幼く、見える。
画家:しかし……、
少女:私も歳言わへんかったけどぉ。
少女:制服着てたやん。
画家:…………。
少女:アカン人やなぁ? 先生。
画家:……、
0:息を深く吸い、滲ますように吐き。
画家:……結果として泥舟に乗せてしまった事は、済まないと思っている。
画家:だが……、現状の僕の創作に、君の存在は不可欠なんだ。
少女:うふ。そこそこ売れるからぁ?
少女:先生の腕やろ。
画家:評価の問題じゃない。
画家:正確に表現するなら……、君の、その顔と、からだと、すがたかたちの全て。
0:少女はニヤ、と細く笑む。
少女:……そんなん言うん、先生だけやわぁ。
少女:ホンマのロリコンなん? 怖ぁ。
画家:であるかどうかはこの際……、関係が無い。
少女:うわ。そー来たかっ。
画家:今現在の僕が描き顕(あらわ)したいと望む絵の媒介(ばいかい)として、君以上の題材を、およそ思い付かないから、としか言えない。
少女:媒介、なんや。そのものを表したいんじゃなくて。
画家:僕は写真家や、写実派の画家では無いからね……。
0:徐々に語気が昂って行く。
画家:モデルという幕を透かして投射される、僕自身の光と影、それこそを作品としたいのであって……、
少女:あー、その話か。
画家:君という……、その姿を持って生まれ、その姿を持って現在まで生きてきた、一個の「他者」というものを、
画家:……これは「自然物」に置き換えたって実際、同じだけれども、
画家:僕というイチ主体者の眼と精神が、どのように捉え、何を感じ、何を想起して、筆先に現すか。
画家:それこそが重要なんだ。
画家:現代に於いては最早それだけが絵を描くことの意義であると断じて、誰に憚(はばか)る事があろうか。
画家:いや……、無い。
少女:反語や。
画家:モチーフを前にして蠢(うごめ)く僕の感情、それに逆らわず、具象として抽出を重ねる事によって……、
画家:絵は平面の枷(かせ)を振りほどき、立体の限界をも超えて、時間という奥行き、遂には未来という未存在の幻覚さえ、受け手に感得(かんとく)せしめ得る。
画家:それは遠い理想であって、かつ技術的研鑽の果てに在るものなのは無論だとして……、
画家:つまり、つまる所、とどの詰まりが、
画家:そうであるからにはっ、
少女:(遮り)逆に何を描くかがむっちゃ重要、
少女:なんやんなぁ。
少女:……中2の私にもおんなじコト言うて迫って。
画家:…………っ、
少女:恐かったわぁ。
画家:…………、
画家:済まなかったと、思っている。
少女:モヤシやのに、急に眼ぇギラギラさして語り出すんやもん。
少女:気ぃついてへんやろけど、絵ぇ描いてる時も……、
少女:普通にヤバいでぇ、眼つき。
画家:……、控える。気を、付けよう。
少女:ううん。
少女:それ好きやから、そのままでええよ。
画家:……好き?
少女:その眼ぇ見てたら、
少女:首根っこのトコな、ギュぅってなんねん。
少女:わかる?
画家:…………、いや、
画家:モデルの経験は、無いもので……、
少女:1回やってみたらエエんちゃう。
少女:描いたるわぁ、私が。
少女:美術2ぃやったけど。
画家:まずは基礎を教える所から、かな。半年あれば……、
少女:あはははっ、数学だけで十分やってぇ。
少女:あ、2年からも、引き続きよろしく。
画家:ああ……、うん。
画家:塾講師のアルバイトが、ここへ来て役に立つとはね……。
少女:でもさぁ、先生。
画家:うん?
少女:何回もおんなじ話聞いて、いま何となぁくわかったけど。
少女:要は、モデルを見て素直に感じた事を、そのまんま絵にしたいんやんな。
画家:……、飾らず言えば。
少女:ほんなら先生は私を見て、何を感じてるのん?
画家:……、…………、
0:沈黙。
少女:田舎に建てた家の裏山で、たまたま遭(お)うただけの子ぉ見て。
少女:何が降りて来たん?
少女:輸入モンのジャムの瓶と、私と、どう違うんかなぁ。
0:静寂。
画家:……果物のジャムは、余り好きではない、けれど。
画家:静物画と人物画の違いを、尋ねているのではないだろうね。勿論。
少女:一周りちゃうくても、高2ってそんなコドモとちゃうでぇ。
少女:コドモやと思いたいんやったら、好きにしたらエエけど。
画家:…………。
少女:お湯、そろそろ沸くんちゃう。
少女:美味しく淹れてな? ロシアンティー。
0:少女は微笑みを浮かべている。
画家:……何を、感じているのかを、
画家:言葉で無く現す為に……、
画家:絵を描いているんだと、思っている。
画家:少なくとも僕自身は。
少女:少なくとも私にだけは、
少女:ソレって逃げとちゃうんかなぁ。
画家:…………、
少女:好きに解釈して良いって事?
少女:ほんならさぁ、
0:笑みが、薄れ。窓に影が差し。
少女:一回でも出来上がった絵、私にも見せてくれへん?
少女:写真やなくて、実物。
画家:…………。
0:【間】
【モノローグ】(画家):山の風が清(さや)かに吹く。
【モノローグ】(画家):大きく取った長方形の窓の向こうで、梢を揺らす。
【モノローグ】(画家):僕の魂を囚えるように。
【モノローグ】(画家):根腐(ねぐさ)れ、根付かぬままの僕の心の浮つきを、報せるように。
【モノローグ】(画家):誰に。
【モノローグ】(画家):誰に?
【モノローグ】(画家):山の神か。
【モノローグ】(画家):あるいは芸術の精ミューズ、
【モノローグ】(画家):あるいは、…………。
0:【間】
少女:美味しかったぁー。
少女:染みたわぁ。
画家:どうも。
少女:アッサムなんもポイント高いなぁ。
少女:でもお菓子とかは無いんやんなぁ、どうせ。
画家:僕がね……、食べないのを知ってるから、睦本(むつもと)女史も差し入れては……、
少女:あっ。ていうかぁ、
画家:なに、かな。
少女:こないだ持ってきたチョコあられ。
少女:ちゃんと食べた?
画家:…………、
画家:ん、あ、ああ……。
画家:頂いた、よ。甘くて、香ばしかった。
少女:ホンマにぃ? また放置で悪なってんちゃうん。
画家:いや……、
少女:ま、えーけどっ。
少女:はぁーっ、さてとぉ。
画家:うん、そろそろ。
画家:今日は……、
少女:取り敢えず20分?
画家:そうだね。日が落ちるまでに3ターン程、お願い出来れば。
少女:時間はイケるんちゃう? 先生の気分次第やで。
画家:ここ数日は安定してるから……。
画家:薬もキチンと飲めてるし。
少女:食前食後メチャクチャなんちゃうん。
画家:効果に変わり無いんだ、経験則上。
少女:そもそもご飯も睡眠も不規則やからなぁ。
少女:生活管理したろかぁ? LINEで。
画家:いや……、
少女:前言うてたみたいにホンマに車買うんやったら、デパスとハルシオン貰いに行くのんも、着いてったげれるし。
少女:後部座席でこう、丸くなってなぁ。
画家:……ここらの道を走って、山を降りる自信が無い。
少女:バス、怖いんやろ。
画家:…………、
少女:何がイヤなん、とか、聞いてもしゃないから聞けへんけど。
少女:でも私と一緒にバス乗ってたらそれこそ顔差すしなぁ。
画家:心配には及ばない。
少女:アカンで、誰に数学教えてもらうん。
画家:…………、
0:沈黙。
少女:ま……、言うてる間に、免許取るけどな。お父さん丸め込んで。
少女:ほんでアニキの車貰うっ。休みとか殆ど、乗らんらしいしぃ。
画家:……君の時間と、未来を……、
画家:これ以上、奪うような真似はしないよ。
少女:年寄りぶるやぁん。
少女:先生アニキと同いやで、言うとくけど。
画家:まあ……、その……、だとしても、
画家:…………、
画家:(話題転換)
画家:……離れてるね……、お兄さんと、大分。
少女:んー?
画家:間に、他にご兄弟は、
少女:(遮り)あ。それなぁ、
画家:……っ、うん、
少女:デリケートな時もあるから。
少女:聞かへん方がエエで。あんまり。
画家:……、……、
少女:間に、お姉ちゃん居(お)る、けど。
少女:4歳よりな、大人になられへんねん。
少女:頭だけ。
画家:……、……、
0:沈黙。
少女:とか言われてしもたらぁ。
少女:大人としてちゃんと返さな、て。
少女:面倒いやろ。
画家:……今、は、
少女:奈良の、市内の施設に居(お)るよ。
少女:会いに行ってるし。年始とかにアニキ帰って来たら、一緒にも行くけど。
少女:この村やと多分、お姉ちゃんは幸せには暮らされへんから、て。お父さんが。
画家:…………、
画家:そう、か。
少女:(表情凍てつき)
少女:私も今はそう思う。
画家:…………、
0:ギ、と、風に押された窓が呻く。
少女:こんなん全員、知ってるけどな。
少女:ほんで全員、知らんフリ。
画家:…………、
0:暫し、静寂。
少女:脱いでイイ? 先生。
画家:……、ああ……。
画家:そう、だね。
0:細く長く、息を吐く。
画家:では……、
画家:始めようか。
0:【間】
:
0:ストーブに暖められた空気が、木造の屋内を満たしている。
画家:腕を……、もう少しだけ、上げて。
少女:こう……?
画家:そう……、うん。
画家:その、ままで。
画家:……、
【モノローグ】(画家):モデルに完成作品を見せない理由。
【モノローグ】(画家):定石としては、作品とモデル双方の為。
【モノローグ】(画家):「どう描かれたか」をモデル自身が意識して、次回以降のポージングや、微かな佇まいに、無意識的に手心を加えてしまわぬように。
【モノローグ】(画家):一度限りで関係を終えるなら、その限りではないが。
【モノローグ】(画家):しかし、それで言うならば。
【モノローグ】(画家):プロセスを全く逆向きに遡るならば、
【モノローグ】(画家):描き手に於いても、同じではないのか。
【モノローグ】(画家):題材とする人物の、過去やバックグラウンドを聞き、知る事で……、
【モノローグ】(画家):その人を見る眼差しに。
【モノローグ】(画家):描き出す筆の運びに、欠片の変化も、生じないという事があるだろうか。
【モノローグ】(画家):ウェットな憐憫にせよ。
【モノローグ】(画家):過度な傾注(けいちゅう)にせよ。
【モノローグ】(画家):あるいは……、既に、
【モノローグ】(画家):彼女を初めて、眼にした瞬間。
【モノローグ】(画家):感じ取っていたのだろうか。
【モノローグ】(画家):憂いを。悲痛を。囚われ人の咽(むせ)び泣く魂を、
【モノローグ】(画家):彼女を象(かたど)る輪郭の中に。
【モノローグ】(画家):人の五感はそれ程優れたセンサーだろうか。
【モノローグ】(画家):形象。部分。要素。パーツ。
【モノローグ】(画家):流れる髪の針の先。黒目がちな瞳。透き通る白い腕。
【モノローグ】(画家)その細く長い指先が、空気と触れ合う狭間の線(ライン)。
【モノローグ】(画家):赤く柔らかな頬。平たく短い舌。
【モノローグ】(画家):華奢で脆そうな骨格。薄い皮膚。
【モノローグ】(画家):折れそうな首筋。怯えた眼。
【モノローグ】(画家):握った指の頼りないこと。
【モノローグ】(画家):熱い息。爛れた呼吸。
【モノローグ】(画家):呼吸。汗と呼吸。
【モノローグ】(画家):俺を、睨み、
【モノローグ】(画家):見詰める、
【モノローグ】(画家):その、
【モノローグ】(画家):瞳の、
【モノローグ】(画家):涙、
0:鬼気を吐くが如く。
画家:わからないっ……!!
少女:ん……、
少女:先生……、なんか言うた?
画家:あ…………、
0:静寂。
画家:いや……、
画家:独り、言。
画家:…………、
画家:今日は、もう、
【モノローグ】(画家):眼と筆が濁った。
【モノローグ】(画家):一度の休憩を挟んで、2コマ目の半ばだが。
【モノローグ】(画家):汗を、かいている。
【モノローグ】(画家):潮時だ。
0:【間】
:
0:屋外。アトリエの玄関先。
画家:では、気をつけて……、
少女:見られへんように、やろぉ。
少女:……ホンマに大丈夫なん? ODしたんちゃうん。
画家:大丈夫……、今の処方薬を飲みすぎても、こうはならない。
少女:1ミリも大丈夫要素無い返し来たわー。
少女:まあ……、
少女:体は、元気やったみたいやけどなぁ?
画家:いや……、うん、まあ、
少女:また恐い眼ぇ、してたで。
画家:いつ……?
少女:アホか。描いてる時。
画家:……、ああ。
画家:首元に刺激は……、あったりしたのかな。
少女:えっ? 漏れなく毎回ギュぅって来てるで。
少女:だから続けてるんやし。
画家:…………、
少女:出来た絵ぇも見してもらわれへんけどな。
画家:…………、それは、
少女:理由とかはな、エエことにしてん。
画家:……、
少女:その代わり……、
0:風が立ち、梢は囁く。
少女:私か、先生か、それかどっちもに何かがあって。
少女:ここのコレ、続けられへんくなったら、な、
画家:……、うん。
少女:最後に、一枚だけ。
少女:いつもみたいに大きいヤツじゃなくてイイから。
少女:私の為だけの、私の絵ぇ。
少女:ちゃんと、普通に、本気で描いて……、
少女:ここで最後まで仕上げて、見せてほしいねん。
画家:…………。
少女:ほんなら、私はなぁ? 先生。
【モノローグ】(画家):長い睫毛が昏(くら)く揺れ。
【モノローグ】(画家):熟した果実が裂けるように、彼女は笑う。
少女:ちゃんと、ちゃんと先生が、
少女:どんな思いを込めて私を描いたか、全部、感じ取って、
少女:自分の中に飲み込んでから……、
0:赤い実の漿(しる)の滴る幻象。
少女:私の絵の具でグチャグチャにするから。
画家:…………っ、
画家:……、そ、れ、は……、
少女:あ……、ヤバいわぁ。
少女:想像したら唾出てきた。
0:こくりと唾液を飲み下す。
少女:どう? これっ。
少女:約束してくれる?
画家:それを、して……、
画家:君に、何のメリットが……、
少女:そんなん聞くぅ?
少女:芸術家の癖に。
画家:そう、言われてしまうと、
少女:もしもその時までに、別のモデル見付けるとかしたら。
少女:お父さんに言うからな。全部。
画家:なっ……!
少女:ふふふふふぅ。
0:無邪気に見える、笑顔。
画家:それは……、
画家:木や、山々や、建物等は……、
少女:いやいや。そーいうんはオッケー。
画家:動物は……、
少女:一緒にせんといてぇ。描かへんやん、そもそも。
画家:猪なんかはどう。
少女:ホンマに居(お)るで、この辺の山。ふっ飛ばされて来(き)ぃ。
少女:……せやなぁ、
0:愉しげに、思案。
少女:動く子ぉらも大概はエエけどぉ。
少女:……猫だけは、アカンかな。
画家:……、何故、だろうか。
0:少女はニヤ、と笑み。
少女:猫にだけはなぁ。
少女:魅力で勝てる気、せぇへんもん。
0:【間】
【モノローグ】(画家):含みがあるのか、無いのか。
【モノローグ】(画家):包まれているのは木の実のジャムか、血よりも赤い絵の具の赤か。
【モノローグ】(画家):しかし甘いことだけはわかる、中身の見えないオムレットのような少女。
【モノローグ】(画家):僕の印象は変わらず、そんなものだった。
【モノローグ】(画家):……さておき。
【モノローグ】(画家):日が傾き、稜線に近く遠く、影が降りる。
【モノローグ】(画家):枝々がざわめき、魂を閉ざす山の夜が来る。
【モノローグ】(画家):次の約束は、2週間後。
画家:……、……。
【モノローグ】(画家):向精神薬をもう1錠飲もうと、思った。
0:【終】
0:山の頂に吹く風。
0:木々と、まだらになった陰を揺らす、冷たく冴えた春の風。
【モノローグ】(画家):囚われているのはどちらだろうか。
【モノローグ】(画家):この、黒い緑の監獄に。
0:【間】
【モノローグ】(画家):沼戸(ぬまと)県というのは山深い土地だ。
【モノローグ】(画家):紀伊半島の南端近く。
【モノローグ】(画家):北側を、奈良県は寄野(よしの)の大森林と接し、南側に於いて、かの修験道の聖地「熊野古道(くまのこどう)」を、和歌山県と共有している。
【モノローグ】(画家):深い木々と旧い因習。渓谷と山林。
【モノローグ】(画家):その合間を縫って、どうにかして人々が暮らしを立てている。
【モノローグ】(画家):中央で夢破れた者が落ち延び、潜み、再起を図る隠れ里。
【モノローグ】(画家):僕の印象はそんなものだった。
【モノローグ】(画家):……さておき。
【モノローグ】(画家):お湯を沸かして、準備を始めよう。
【モノローグ】(画家):もうじき、彼女が来る。
0:タイトルコール。
少女:『梢の檻(こずえのおり)』
0:【間】
少女:せぇんせーっ。
少女:いてるんーっ?
画家:おかえり。
画家:……いるよ、勿論。
少女:はぁーっ、中暖(ぬく)う。
少女:いつまで経っても寒いなぁ。
画家:山の上だからね。僕もようやく慣れたけど……。
画家:悪いね、始業式の後に。
少女:ううんー。ホームルームと、入学式の練習だけやったから。
少女:中学とちゃうねんし3年だけでエエのになぁ。
画家:生徒の、頭数の問題、かもね。
画家:……じきにお湯が沸くけど。今日は……、
少女:ロシアンティー、飲みたい。
画家:ああ……、
少女:あれ、まだあるぅ? あの赤いのん。
少女:慧(けい)さんがくれはった東京の、
画家:グロゼイユのジャム、だね。「ギリィカ」とかいう海外メーカーの。
画家:確か……、まだ、
少女:それそれぇ。体温(ぬく)めてからやないと風邪引いてまうわぁ。
画家:うん……。
画家:暖房ももう少し、
少女:中は十分暖(ぬく)いからイイ。
少女:逆にちょっと空気薄ない? 換気してへんやろぉ。
画家:ちょっと前に起きた所だからね。
画家:少ししたら窓を……、
少女:羨ましいわぁ。
少女:今日からまた目覚まし地獄始まってんでぇ。
画家:低血圧仲間としては同情するよ。
画家:そして全国の学生には、頭が下がる……。
0:アトリエスペースの空間を空け、大まかな準備を進める画家。
少女:先生さぁー、
画家:うん?
少女:自宅のアトリエにJK連れ込んで、
少女:裸に剥いて絵ェ書いてるとか。
少女:バレたら捕まってまうなぁ?
0:沈黙。
画家:…………、
少女:ふふふぅ。
少女:黙ったらホンマにヤバいヒトみたいやで、先生。
画家:…………、
画家:覚悟の上の、つもりだけどね。
少女:ホンマにぃ?
少女:ま……、私が言わへん限り大丈夫ちゃう? ここらは林業のおっちゃんらも来(け)ぇへんし。
画家:このアトリエに……、勝手に入ってくるような知り合いも、居ないしね。
少女:ソレつまり、地元に馴染めてへんってことやから。
少女:先生、殆ど付き合いせーへんもんなぁ。
画家:正直未だに勝手がわからないし、
画家:どうも皆さん……、こう、
少女:距離はしゃあないで。田舎やから。
画家:努力を怠っている自覚はあるんだ。
画家:差し当たり、不自由が無いもので……、
少女:モデルにも困らへんしなぁ? 東京ではどーやったか知らんけど。
画家:…………、
少女:もーじき3年になるのに。
少女:どこからも漏れてへんしなぁー。
画家:……秘密を守ってくれて、感謝しているよ。
少女:だって……、なぁ?
少女:私も面倒いもん、バレたら。
少女:中学の時から、余所モンの画家の先生の家通って、内緒で服脱いでるー、って。
少女:何言われるかわからへんやん。
画家:君も……、お家も、ね。
少女:ま、そんなんはそのうち無かった事になるけどぉ。
少女:消えなアカンのは、
少女:先生やで。
画家:……、
少女:あ、川に死体上がるー、とか、行方不明で谷底ぉー、とかはナイで、うちの親も家も、そんな力無いし。
少女:でもここには、居(お)られへんようにはなる、かな。
画家:…………、
少女:ていうかその前に逮捕やな。ふふぅ。
画家:……、年齢をわかって、モデルを持ちかけたのじゃ、ないんだけれどね。
少女:成人してるように見えたって事ぉ? 私どっちかて言うたら、
画家:幼く、見える。
画家:しかし……、
少女:私も歳言わへんかったけどぉ。
少女:制服着てたやん。
画家:…………。
少女:アカン人やなぁ? 先生。
画家:……、
0:息を深く吸い、滲ますように吐き。
画家:……結果として泥舟に乗せてしまった事は、済まないと思っている。
画家:だが……、現状の僕の創作に、君の存在は不可欠なんだ。
少女:うふ。そこそこ売れるからぁ?
少女:先生の腕やろ。
画家:評価の問題じゃない。
画家:正確に表現するなら……、君の、その顔と、からだと、すがたかたちの全て。
0:少女はニヤ、と細く笑む。
少女:……そんなん言うん、先生だけやわぁ。
少女:ホンマのロリコンなん? 怖ぁ。
画家:であるかどうかはこの際……、関係が無い。
少女:うわ。そー来たかっ。
画家:今現在の僕が描き顕(あらわ)したいと望む絵の媒介(ばいかい)として、君以上の題材を、およそ思い付かないから、としか言えない。
少女:媒介、なんや。そのものを表したいんじゃなくて。
画家:僕は写真家や、写実派の画家では無いからね……。
0:徐々に語気が昂って行く。
画家:モデルという幕を透かして投射される、僕自身の光と影、それこそを作品としたいのであって……、
少女:あー、その話か。
画家:君という……、その姿を持って生まれ、その姿を持って現在まで生きてきた、一個の「他者」というものを、
画家:……これは「自然物」に置き換えたって実際、同じだけれども、
画家:僕というイチ主体者の眼と精神が、どのように捉え、何を感じ、何を想起して、筆先に現すか。
画家:それこそが重要なんだ。
画家:現代に於いては最早それだけが絵を描くことの意義であると断じて、誰に憚(はばか)る事があろうか。
画家:いや……、無い。
少女:反語や。
画家:モチーフを前にして蠢(うごめ)く僕の感情、それに逆らわず、具象として抽出を重ねる事によって……、
画家:絵は平面の枷(かせ)を振りほどき、立体の限界をも超えて、時間という奥行き、遂には未来という未存在の幻覚さえ、受け手に感得(かんとく)せしめ得る。
画家:それは遠い理想であって、かつ技術的研鑽の果てに在るものなのは無論だとして……、
画家:つまり、つまる所、とどの詰まりが、
画家:そうであるからにはっ、
少女:(遮り)逆に何を描くかがむっちゃ重要、
少女:なんやんなぁ。
少女:……中2の私にもおんなじコト言うて迫って。
画家:…………っ、
少女:恐かったわぁ。
画家:…………、
画家:済まなかったと、思っている。
少女:モヤシやのに、急に眼ぇギラギラさして語り出すんやもん。
少女:気ぃついてへんやろけど、絵ぇ描いてる時も……、
少女:普通にヤバいでぇ、眼つき。
画家:……、控える。気を、付けよう。
少女:ううん。
少女:それ好きやから、そのままでええよ。
画家:……好き?
少女:その眼ぇ見てたら、
少女:首根っこのトコな、ギュぅってなんねん。
少女:わかる?
画家:…………、いや、
画家:モデルの経験は、無いもので……、
少女:1回やってみたらエエんちゃう。
少女:描いたるわぁ、私が。
少女:美術2ぃやったけど。
画家:まずは基礎を教える所から、かな。半年あれば……、
少女:あはははっ、数学だけで十分やってぇ。
少女:あ、2年からも、引き続きよろしく。
画家:ああ……、うん。
画家:塾講師のアルバイトが、ここへ来て役に立つとはね……。
少女:でもさぁ、先生。
画家:うん?
少女:何回もおんなじ話聞いて、いま何となぁくわかったけど。
少女:要は、モデルを見て素直に感じた事を、そのまんま絵にしたいんやんな。
画家:……、飾らず言えば。
少女:ほんなら先生は私を見て、何を感じてるのん?
画家:……、…………、
0:沈黙。
少女:田舎に建てた家の裏山で、たまたま遭(お)うただけの子ぉ見て。
少女:何が降りて来たん?
少女:輸入モンのジャムの瓶と、私と、どう違うんかなぁ。
0:静寂。
画家:……果物のジャムは、余り好きではない、けれど。
画家:静物画と人物画の違いを、尋ねているのではないだろうね。勿論。
少女:一周りちゃうくても、高2ってそんなコドモとちゃうでぇ。
少女:コドモやと思いたいんやったら、好きにしたらエエけど。
画家:…………。
少女:お湯、そろそろ沸くんちゃう。
少女:美味しく淹れてな? ロシアンティー。
0:少女は微笑みを浮かべている。
画家:……何を、感じているのかを、
画家:言葉で無く現す為に……、
画家:絵を描いているんだと、思っている。
画家:少なくとも僕自身は。
少女:少なくとも私にだけは、
少女:ソレって逃げとちゃうんかなぁ。
画家:…………、
少女:好きに解釈して良いって事?
少女:ほんならさぁ、
0:笑みが、薄れ。窓に影が差し。
少女:一回でも出来上がった絵、私にも見せてくれへん?
少女:写真やなくて、実物。
画家:…………。
0:【間】
【モノローグ】(画家):山の風が清(さや)かに吹く。
【モノローグ】(画家):大きく取った長方形の窓の向こうで、梢を揺らす。
【モノローグ】(画家):僕の魂を囚えるように。
【モノローグ】(画家):根腐(ねぐさ)れ、根付かぬままの僕の心の浮つきを、報せるように。
【モノローグ】(画家):誰に。
【モノローグ】(画家):誰に?
【モノローグ】(画家):山の神か。
【モノローグ】(画家):あるいは芸術の精ミューズ、
【モノローグ】(画家):あるいは、…………。
0:【間】
少女:美味しかったぁー。
少女:染みたわぁ。
画家:どうも。
少女:アッサムなんもポイント高いなぁ。
少女:でもお菓子とかは無いんやんなぁ、どうせ。
画家:僕がね……、食べないのを知ってるから、睦本(むつもと)女史も差し入れては……、
少女:あっ。ていうかぁ、
画家:なに、かな。
少女:こないだ持ってきたチョコあられ。
少女:ちゃんと食べた?
画家:…………、
画家:ん、あ、ああ……。
画家:頂いた、よ。甘くて、香ばしかった。
少女:ホンマにぃ? また放置で悪なってんちゃうん。
画家:いや……、
少女:ま、えーけどっ。
少女:はぁーっ、さてとぉ。
画家:うん、そろそろ。
画家:今日は……、
少女:取り敢えず20分?
画家:そうだね。日が落ちるまでに3ターン程、お願い出来れば。
少女:時間はイケるんちゃう? 先生の気分次第やで。
画家:ここ数日は安定してるから……。
画家:薬もキチンと飲めてるし。
少女:食前食後メチャクチャなんちゃうん。
画家:効果に変わり無いんだ、経験則上。
少女:そもそもご飯も睡眠も不規則やからなぁ。
少女:生活管理したろかぁ? LINEで。
画家:いや……、
少女:前言うてたみたいにホンマに車買うんやったら、デパスとハルシオン貰いに行くのんも、着いてったげれるし。
少女:後部座席でこう、丸くなってなぁ。
画家:……ここらの道を走って、山を降りる自信が無い。
少女:バス、怖いんやろ。
画家:…………、
少女:何がイヤなん、とか、聞いてもしゃないから聞けへんけど。
少女:でも私と一緒にバス乗ってたらそれこそ顔差すしなぁ。
画家:心配には及ばない。
少女:アカンで、誰に数学教えてもらうん。
画家:…………、
0:沈黙。
少女:ま……、言うてる間に、免許取るけどな。お父さん丸め込んで。
少女:ほんでアニキの車貰うっ。休みとか殆ど、乗らんらしいしぃ。
画家:……君の時間と、未来を……、
画家:これ以上、奪うような真似はしないよ。
少女:年寄りぶるやぁん。
少女:先生アニキと同いやで、言うとくけど。
画家:まあ……、その……、だとしても、
画家:…………、
画家:(話題転換)
画家:……離れてるね……、お兄さんと、大分。
少女:んー?
画家:間に、他にご兄弟は、
少女:(遮り)あ。それなぁ、
画家:……っ、うん、
少女:デリケートな時もあるから。
少女:聞かへん方がエエで。あんまり。
画家:……、……、
少女:間に、お姉ちゃん居(お)る、けど。
少女:4歳よりな、大人になられへんねん。
少女:頭だけ。
画家:……、……、
0:沈黙。
少女:とか言われてしもたらぁ。
少女:大人としてちゃんと返さな、て。
少女:面倒いやろ。
画家:……今、は、
少女:奈良の、市内の施設に居(お)るよ。
少女:会いに行ってるし。年始とかにアニキ帰って来たら、一緒にも行くけど。
少女:この村やと多分、お姉ちゃんは幸せには暮らされへんから、て。お父さんが。
画家:…………、
画家:そう、か。
少女:(表情凍てつき)
少女:私も今はそう思う。
画家:…………、
0:ギ、と、風に押された窓が呻く。
少女:こんなん全員、知ってるけどな。
少女:ほんで全員、知らんフリ。
画家:…………、
0:暫し、静寂。
少女:脱いでイイ? 先生。
画家:……、ああ……。
画家:そう、だね。
0:細く長く、息を吐く。
画家:では……、
画家:始めようか。
0:【間】
:
0:ストーブに暖められた空気が、木造の屋内を満たしている。
画家:腕を……、もう少しだけ、上げて。
少女:こう……?
画家:そう……、うん。
画家:その、ままで。
画家:……、
【モノローグ】(画家):モデルに完成作品を見せない理由。
【モノローグ】(画家):定石としては、作品とモデル双方の為。
【モノローグ】(画家):「どう描かれたか」をモデル自身が意識して、次回以降のポージングや、微かな佇まいに、無意識的に手心を加えてしまわぬように。
【モノローグ】(画家):一度限りで関係を終えるなら、その限りではないが。
【モノローグ】(画家):しかし、それで言うならば。
【モノローグ】(画家):プロセスを全く逆向きに遡るならば、
【モノローグ】(画家):描き手に於いても、同じではないのか。
【モノローグ】(画家):題材とする人物の、過去やバックグラウンドを聞き、知る事で……、
【モノローグ】(画家):その人を見る眼差しに。
【モノローグ】(画家):描き出す筆の運びに、欠片の変化も、生じないという事があるだろうか。
【モノローグ】(画家):ウェットな憐憫にせよ。
【モノローグ】(画家):過度な傾注(けいちゅう)にせよ。
【モノローグ】(画家):あるいは……、既に、
【モノローグ】(画家):彼女を初めて、眼にした瞬間。
【モノローグ】(画家):感じ取っていたのだろうか。
【モノローグ】(画家):憂いを。悲痛を。囚われ人の咽(むせ)び泣く魂を、
【モノローグ】(画家):彼女を象(かたど)る輪郭の中に。
【モノローグ】(画家):人の五感はそれ程優れたセンサーだろうか。
【モノローグ】(画家):形象。部分。要素。パーツ。
【モノローグ】(画家):流れる髪の針の先。黒目がちな瞳。透き通る白い腕。
【モノローグ】(画家)その細く長い指先が、空気と触れ合う狭間の線(ライン)。
【モノローグ】(画家):赤く柔らかな頬。平たく短い舌。
【モノローグ】(画家):華奢で脆そうな骨格。薄い皮膚。
【モノローグ】(画家):折れそうな首筋。怯えた眼。
【モノローグ】(画家):握った指の頼りないこと。
【モノローグ】(画家):熱い息。爛れた呼吸。
【モノローグ】(画家):呼吸。汗と呼吸。
【モノローグ】(画家):俺を、睨み、
【モノローグ】(画家):見詰める、
【モノローグ】(画家):その、
【モノローグ】(画家):瞳の、
【モノローグ】(画家):涙、
0:鬼気を吐くが如く。
画家:わからないっ……!!
少女:ん……、
少女:先生……、なんか言うた?
画家:あ…………、
0:静寂。
画家:いや……、
画家:独り、言。
画家:…………、
画家:今日は、もう、
【モノローグ】(画家):眼と筆が濁った。
【モノローグ】(画家):一度の休憩を挟んで、2コマ目の半ばだが。
【モノローグ】(画家):汗を、かいている。
【モノローグ】(画家):潮時だ。
0:【間】
:
0:屋外。アトリエの玄関先。
画家:では、気をつけて……、
少女:見られへんように、やろぉ。
少女:……ホンマに大丈夫なん? ODしたんちゃうん。
画家:大丈夫……、今の処方薬を飲みすぎても、こうはならない。
少女:1ミリも大丈夫要素無い返し来たわー。
少女:まあ……、
少女:体は、元気やったみたいやけどなぁ?
画家:いや……、うん、まあ、
少女:また恐い眼ぇ、してたで。
画家:いつ……?
少女:アホか。描いてる時。
画家:……、ああ。
画家:首元に刺激は……、あったりしたのかな。
少女:えっ? 漏れなく毎回ギュぅって来てるで。
少女:だから続けてるんやし。
画家:…………、
少女:出来た絵ぇも見してもらわれへんけどな。
画家:…………、それは、
少女:理由とかはな、エエことにしてん。
画家:……、
少女:その代わり……、
0:風が立ち、梢は囁く。
少女:私か、先生か、それかどっちもに何かがあって。
少女:ここのコレ、続けられへんくなったら、な、
画家:……、うん。
少女:最後に、一枚だけ。
少女:いつもみたいに大きいヤツじゃなくてイイから。
少女:私の為だけの、私の絵ぇ。
少女:ちゃんと、普通に、本気で描いて……、
少女:ここで最後まで仕上げて、見せてほしいねん。
画家:…………。
少女:ほんなら、私はなぁ? 先生。
【モノローグ】(画家):長い睫毛が昏(くら)く揺れ。
【モノローグ】(画家):熟した果実が裂けるように、彼女は笑う。
少女:ちゃんと、ちゃんと先生が、
少女:どんな思いを込めて私を描いたか、全部、感じ取って、
少女:自分の中に飲み込んでから……、
0:赤い実の漿(しる)の滴る幻象。
少女:私の絵の具でグチャグチャにするから。
画家:…………っ、
画家:……、そ、れ、は……、
少女:あ……、ヤバいわぁ。
少女:想像したら唾出てきた。
0:こくりと唾液を飲み下す。
少女:どう? これっ。
少女:約束してくれる?
画家:それを、して……、
画家:君に、何のメリットが……、
少女:そんなん聞くぅ?
少女:芸術家の癖に。
画家:そう、言われてしまうと、
少女:もしもその時までに、別のモデル見付けるとかしたら。
少女:お父さんに言うからな。全部。
画家:なっ……!
少女:ふふふふふぅ。
0:無邪気に見える、笑顔。
画家:それは……、
画家:木や、山々や、建物等は……、
少女:いやいや。そーいうんはオッケー。
画家:動物は……、
少女:一緒にせんといてぇ。描かへんやん、そもそも。
画家:猪なんかはどう。
少女:ホンマに居(お)るで、この辺の山。ふっ飛ばされて来(き)ぃ。
少女:……せやなぁ、
0:愉しげに、思案。
少女:動く子ぉらも大概はエエけどぉ。
少女:……猫だけは、アカンかな。
画家:……、何故、だろうか。
0:少女はニヤ、と笑み。
少女:猫にだけはなぁ。
少女:魅力で勝てる気、せぇへんもん。
0:【間】
【モノローグ】(画家):含みがあるのか、無いのか。
【モノローグ】(画家):包まれているのは木の実のジャムか、血よりも赤い絵の具の赤か。
【モノローグ】(画家):しかし甘いことだけはわかる、中身の見えないオムレットのような少女。
【モノローグ】(画家):僕の印象は変わらず、そんなものだった。
【モノローグ】(画家):……さておき。
【モノローグ】(画家):日が傾き、稜線に近く遠く、影が降りる。
【モノローグ】(画家):枝々がざわめき、魂を閉ざす山の夜が来る。
【モノローグ】(画家):次の約束は、2週間後。
画家:……、……。
【モノローグ】(画家):向精神薬をもう1錠飲もうと、思った。
0:【終】