声劇台本置き場

ヒカル：こんばんわ！今日も一日、お疲れ様です。 ヒカル（M）：駅前・・・いつもの時間、いつもの場所。私はギターを抱えて、ここに立っている。 ヒカル：ヒカルです、よろしく。お時間ある方、良かったら聞いていって下さいね。 ヒカル（M）：チューニングをしながら、毎度変わり映えのしない挨拶。もう何年も、同じことを言い続けている。 ヒカル：CD販売してますので、買って貰えたら嬉しいです。あと、SNSのフォローもよろしくお願いします。 ヒカル（M）：聴衆は、お世辞にも多いとは言えない。人気がある人なら、百人以上集めたりするのに。 ヒカル（M）：私だって、何年か前までは五十人くらいの人だかりを作っていた。それが、段々と減っていって・・・ ヒカル（M）：自分では何も変わっていないつもりなのに、どうしてかな？それとも、変わらないから、ダメなのかな？ ヒカル：それでは早速一曲目、聴いてください。 ヒカル（M）：でも、もう何も感じない。いつもと同じ事を、淡々と繰り返すだけ。 ヒカル：ありがとうございました！ ヒカル（M）：まばらな拍手が虚しく響く。時々、ギターケースにお金を投げ入れてくれる人がいる。そんな人を見て、私は何故だか鯉（こい）に餌をやっている人を連想してしまう。 ヒカル：それでは、ニ曲目、行っちゃいますか！ ヒカル（M）：前はもっと丁寧にMCを入れてたけど、面倒くさくなった。決まった曲だけ歌って、さっさと帰ろう。 0： ヒカル（M）：もう、楽しくない。 0：数日後、会社の会議室 0： タカシ：悪いな、呼び出したりして。 ヒカル：良いよ、今日は割と暇だし。 ヒカル（M）：彼はタカシ。村瀬タカシ。会社の同僚で、私の元カレ。 タカシ：ヒカ・・・じゃなくて、中村さん ヒカル：無理して言い換えなくてよくない？ タカシ：いや一応ケジメっていうか。社内ではやっぱり、ね。 ヒカル：あっそう、何でもいいけど。で、話って何？ タカシ：中村さん、正社員にならない？ ヒカル：え？ タカシ：契約社員としてウチに来てもうすぐ三年だろ？今いる部署の評価も高いし、正社員に登用（とよう）したいっていう話が出てるんだ。 ヒカル：・・・ タカシ：（紙を提示しながら）これ、仮だけど条件書ね。給料は格段に良くなるし、昇進もある。どうかな？ ヒカル：（条件書見ながら）んー、やっぱり、フルタイムだよね？ タカシ：ん？そうだよ？そっか、今は週四だっけ？ ヒカル：うん。 タカシ：それってやっぱり、音楽活動のため？ ヒカル：まあ一応。 タカシ：そっか。プロ目指してるんだもんな。 ヒカル：（薄く笑う）いい歳して、何言ってるんだって感じだよね。 タカシ：そんな事思ってないよ。歌、超上手いじゃん。 ヒカル：まあ、長いことやってますからねー タカシ：うーん。正社員になると、残業も増えるし、時々だけど休日出勤もしなきゃならない。もちろん、その分の手当はつくけどね。 ヒカル：・・・少し考えさせてもらっても良い？ タカシ：もちろん。良い返事期待してるよ。その条件書は持っていって良いからね。 ヒカル：ありがと。 タカシ：あ、そうだ。今度メシでも行かない？・・・ちょっと話があるんだ。 ヒカル：何？今言えばいいじゃん。 タカシ：いや、プライベートな事だから。 ヒカル：ふーん。まあ、良いけど。いつ？ タカシ：えーと、今週の金曜は？ ヒカル（M）：金曜は、いつも私が路上ライブをする日。・・・覚えてないんだ。 ヒカル：ああ・・・うん、分かった。 ヒカル（M）：でも私は、その誘いを受けた。病気や急用の時以外は、ライブを休んだ事ないのに。 タカシ：じゃあ、店とかまた連絡する。 ヒカル：オッケー。 ヒカル（M）：彼とは、入社してすぐの頃に付き合っていた。しばらくの間は順調だったけど、彼が転勤してから、うまく行かなくなった。 ヒカル（M）：片道二時間のプチ遠距離恋愛。それぐらいの距離、何でも無いと思ってたのに。気がついたら、会うどころか連絡もあまり取らなくなっていた。心の距離も、知らない間に離れていたのかな？ ヒカル（M）：そうして、気がついたら自然消滅。でも三か月前、また戻ってきた。 ヒカル（M）：戻ってきた彼とは、同僚兼友達だけど、でもほんの少し、別の感情もある。お互い嫌いになって別れたわけじゃ無いし。 ヒカル（M）：近くにいると、やっぱり私を良い気分にさせてくれる人。音楽の事には、あんまり理解がないけど。 ヒカル（M）：でも、まだちょっと、好きなんだと思う。 0：駅前 0： ヒカル：あれ、新顔さんかな？ ヒカル（M）：その日はライブじゃ無かったけど、いつもの駅前に足を運んでみた。すると、いつもの場所で、見慣れない男性が、ギターのチューニングに悪戦苦闘していた。 佐々木：えーと、これで良いのかな？ ヒカル（M）：なんか初心者っぽい。ここ、結構レベルの高い人が演奏してるんだけど。 佐々木：よ、よし、とりあえずやってみるか。 ヒカル（M）：そう言って彼は自己紹介も無く演奏を始めた。・・・やはり、と思ったが、上手く無い。正直言えば、よくここで演奏しようと思ったな、っていうレベル。歌はまだマシだけど、ギターが下手過ぎる。 ヒカル（M）：当然、聞いてる人なんていない。・・・私を除いて。 佐々木：ふぅっ！ ヒカル（M）：彼は一曲演奏を終えると、ペットボトルの水をがぶ飲みした。 ヒカル（M）：なんだかんだで、一曲聞いてしまっていた。単に物珍しかったからなのか、それとも、下手なりに一生懸命な姿に、何かを感じ取ったのか。 ヒカル（M）：私は、財布から五百円玉を取り出すと、ギターケースの中に投げ入れた。 佐々木：あ！ありがとうございます！ ヒカル（M）：一瞬驚いた顔をして、そのあと満面の笑みを浮かべた彼に、私は軽く会釈して立ち去った。 0：金曜日、居酒屋 0： タカシ：悪い！待った？ ヒカル：それなりにねー タカシ：ゴメンゴメン！いや田村の奴さ、来週の会議の資料まだできてませんとか、帰る間際に言うのよ！勘弁しろーって感じ。こんこんとお説教してやりましたよ。 ヒカル：なるほどー、これが俗に言うパワハラってやつですな。 タカシ：言い方・・・あいつには期待してるのよ。だから厳しくすんの。 ヒカル：タカシ君も、後輩を指導できるようになったか、エライエライ。 タカシ：俺の事、馬鹿にしてませんか？ ヒカル：ぜぜぜ全然、そ、そんな事ないよ！ タカシ：うわ、ウザッ。（店員に）あ、すいませーん、生二つ。 ヒカル：もうお腹空いちゃったよー。今日はタカシの奢りね。 タカシ：へいへい。 0：（ビールが運ばれてくる） タカシ：じゃ、おつかれ、かんぱーい！ ヒカル：うぃーお疲れい！ タカシ：（ビールを飲む）フゥッ！今日も沁（し）みるぜ！ ヒカル：キモッ タカシ：それ傷付くわあ。 0：ヒカルの電話が鳴る。 ヒカル：あ、ゴメン、電話。 タカシ：良いよ、出な。 ヒカル：ありがと（電話に出る）もしもし、中村です。・・・あ、お世話になってます。はいこの前の・・・ええ・・・あ、はい！・・・ ヒカル：（テンション落として）はい・・・そうですか・・・いえいえ、わざわざご連絡ありがとうございます。またお願いします。・・・はい、失礼します。（電話を切る） タカシ：どしたん？ ヒカル：ん？ああ、この前レコード会社のオーディション受けてさ、その結果の連絡だった。 タカシ：・・・ダメだった？ ヒカル：うん。あーあ、ワンチャンあると思ったんだけどなぁ！久しぶりに対面審査まで進めたし。 タカシ：そっか、残念だったな。 ヒカル：年齢制限ギリギリだったし、元々望み薄だったのかなあ。 タカシ：大変なんだな。でも昔、レコード会社と契約してたんだろ？ ヒカル：ああ、高校生の時に一年だけね。でも結局デビューさせてもらえなかったし、レッスン料だ何だって、むしろお金払う方が多かったよ。 タカシ：でも契約できただけでもすごいんじゃないの？ ヒカル：まあ、あの時は私もピチピチのJKだったし、今よりは需要あったんじゃない？ タカシ：今はおばさんだもんなあ。 ヒカル：殴っても良いかな？ タカシ：（笑い）冗談だよ。・・・ああ、食べ物何も頼んでないじゃん。適当に選んで良い？ ヒカル：うん。 0：（時間経過） ヒカル：そういえば、話あったんじゃないの？ タカシ：ああ、それなんだけどね。うーん、何から話そうかな。 ヒカル：何？そんなにいっぱいあるの？ タカシ：うん、話す事、昨日一個増えたんだよね。 ヒカル：え、なになに？もしかして、また転勤？ タカシ：いやいや、違うって。帰ってきたばっかなのに。むしろその逆っていうか。 ヒカル：？ タカシ：実はさ、昇進が決まった。四月から課長になる。 ヒカル：え？すごいじゃん！おめでとう！ タカシ：ハハ、ありがと。 ヒカル：じゃあ、もっかい乾杯しなきゃ！ほら、かんぱーい！ タカシ：かんぱーい。（ビールを飲む）営業から人事に異動になった時はさ、出世とか遅れんのかなーって思ってたけど、やっぱり見てくれる人はいたんだよな。 ヒカル：タカシ頑張ってたもんね。よし、今日はお姉さんが奢ってあげよう！ タカシ：え？いや、それは良いよ。 ヒカル：良いの良いの。今度もっと高い所奢ってもらうから！ タカシ：あ、そういうことね。 ヒカル：よし！今日はタカシ昇進祝い兼私のオーディション落ちた残念会だ！のむぞー！ タカシ：おう！ ヒカル（M）：この日は久しぶりに深酒した。喉に悪いから、いつもは控えてたのに、もうどうでも良くなっていた。 0：タカシの家 0： ヒカル：（目覚める）ん・・・ タカシ：（気まずそうに）お、おはよ。 ヒカル：ん？あれ、ここどこ？ タカシ：えーっと・・・俺ん家 ヒカル：え？・・・ああ、そういうこと タカシ：（誤魔化すような笑い）お互い、ちょっと飲みすぎたかな？ ヒカル：（少し恥ずかしそうな笑い）だね。 タカシ：ゴメン、俺がブレーキかけるべきだったよな？ ヒカル：事後で謝るの良くないと思いまーす。 タカシ：ですよね、スンマセン。 ヒカル：（笑い）また謝ってる。 タカシ：（笑い）ちょっと言い辛くなっちゃったな ヒカル：何？あ、もしかして彼女いたとか？うわ、サイテー。 タカシ：ちげーよ！むしろ、その逆っていうか。 ヒカル：？ タカシ：俺たちさ、やり直さない？ ヒカル：！ タカシ：本当は、今日はその話がしたかったんだ。 ヒカル：・・・やる事やっちゃった後にそれ言う？ タカシ：うう、申し訳ない。 ヒカル：（笑い）しょうがない、許してやろう。 タカシ：ありがと。これはさ、前付き合ってた時とは違くて。 ヒカル：？ タカシ：結婚を前提に、って思ってる。 ヒカル：そっ、か。 タカシ：ちょっとヘビーだった？ ヒカル：ううん。むしろちゃんと考えてくれてるなって思う。 タカシ：うん、真剣に考えてるよ。 ヒカル：ありがと。・・・これも、考えさせてくれないかな？ タカシ：もちろん。どれくらい待ったら良いかな？ ヒカル：うーん、一カ月くらいかな？ タカシ：わかった。 ヒカル（M）：一応、返事を保留したけど、私の中で答えは決まっていると思った。 ヒカル（M）：私はきっと受ける。正社員の事も、結婚を前提に付き合う事も。そして、恐らくは音楽を辞めてしまうだろう。 0：駅前 0： ヒカル（M）：今日の路上ライブは、ずっと上の空だった。何年も続けてきた、いつもの挨拶も忘れて、ただ歌っていた。 ヒカル（M）：もし付き合う事になって、いつか結婚したとしても、タカシは音楽をやめろとは言わないだろう。言わないけど、辞めて欲しいと思っている。少なくとも、今のようにライブをしたりするのは。 ヒカル（M）：やる気の無さが伝わるのか、今日はいつにも増して聞いてくれる人が少ない。もし、私がライブを辞めても、きっと誰も気付きもしないのだろう、そう思った。 0：（ギターケースに五百円玉が投げ込まれる。） ヒカル（M）：ギターケースに投げ込まれたコインの音で、我に帰った。顔を上げると、スーツを着た男性が笑みを浮かべて立っていた。 佐々木：こんばんわ ヒカル：あ、どうも。 佐々木：この前は、ありがとうございました。 ヒカル：え？あの、どこかでお会いしましたっけ？ 佐々木：あの、この間ここで、僕がライブやってた時に・・・ ヒカル（M）：そこまで言われてようやく分かった。あの下手な演奏の男性だ。 ヒカル：ああ、あの時の。 佐々木：あの日投げ銭もらえたの、ヒカルさんだけだったんですよ！僕、本当に嬉しくて。 ヒカル：そ、そうだったんですね。っていうか、私の名前、どうして？今日は自己紹介してないし、名前書いてるボードも忘れて来ちゃったのに。 佐々木：実は、ヒカルさんのライブは何度か拝見させて頂いていたんです。SNSもフォローさせてもらってます。 佐々木：この前お会いした時は、ちょっと分からなくて。後で気づいて、ああ、ちゃんと挨拶すればよかったなって後悔しました。 ヒカル：そうでしたか・・・ 佐々木：あの、こんな事僕ごときが言って良いのか分からないんですが・・・ ヒカル：？ 佐々木：何かあったんですか？今日の演奏、いつもと違う気がして。 ヒカル：ああ、いや別に・・・ 佐々木：そうですか・・・すいません。変な事聞いちゃって。 ヒカル：いえいえ、お気遣いありがとうございます。じゃあ、私の方からも質問良いですか？ 佐々木：僕に、ですか？何でしょう？ ヒカル：どうして路上ライブをしようと思ったんですか？ 佐々木：・・・うーん、その質問、正確にはこうじゃないですか？僕程度のレベルで、どうして激戦区のここでライブをしようと思ったか？ ヒカル：いや！そんな事は・・・ 佐々木：（笑い）良いんですよ、自分の実力は自分が一番良く分かってます。 佐々木：そうですね、強いて言うならストレス発散ですかね。 ヒカル：はあ。 佐々木：ほぼ初対面の人にこんな話をするのも何なんですが、実は今勤めてる会社、もうすぐ廃業するんです。 ヒカル：え？それって、大変じゃないですか！？ 佐々木：ええ、そうなんです。再就職先もまだ見つからないし、何かもうお先真っ暗って感じで。 ヒカル：・・・ 佐々木：そんな時に、ここでヒカルさんの歌を聞いたんです。 ヒカル：え？ 佐々木：僕、すごく感動して、涙まで出てきちゃって。暗闇の中に光が差した様に感じて。音楽って良いなあって思ったんです。 ヒカル（M）：その言葉を聞いた時、胸にズキンと痛みが走った。これは、何だ？罪悪感？ 佐々木：昔ちょっとだけ歌とギターを習ってたことがあって、その時はなかなか上達しないから辞めちゃったんですけど・・・ 佐々木：実家からギター送ってもらって、また練習始めたんです。 ヒカル（M）：そういえば、彼の指には絆創膏やらテーピングやらが数多く巻きつけられている。相当練習しているんだろう。 佐々木：それで、ヒカルさんがいつも演奏しているこの場所で、ライブをしようと思ったんです。 ヒカル：・・・どうしてですか？ 佐々木：え？ ヒカル：何で、私なんかの歌で、そこまで・・・ 佐々木：何言ってるんですか！？ヒカルさんの歌、めちゃくちゃ素敵です！俺、CD毎日聴いてるんですから！ ヒカル（M）：目頭が熱くなった。涙が溢れそうになるのを何とか堪（こら）える。私の歌を、そんな風に思ってくれてる人がいたなんて・・・ 佐々木：？あの、大丈夫ですか？どうかされました？ ヒカル（M）：私の顔を心配そうに覗き込む彼に、私はこんなことを口にしていた。 ヒカル：私と、セッションしませんか？ 0：数日後、会社にて 0： ヒカル：お疲れ様でーす。あ、すいません、今日この後用事がありまして。それは明日やりますんで、置いておいて下さい。 ヒカル（M）：久しぶりの定時ダッシュ。会社を飛び出し、駅へと急ぐ。今日からあの男性、佐々木さんとの合同練習。佐々木さんはもうスタジオに着いただろうか？ ヒカル（M）：私、すごくワクワクしてる。こんな感覚、いつ以来だろう。 0：貸しスタジオ ヒカル：すいません、お待たせしました！ 佐々木：ヒカルさん、お疲れ様です。今、チューニング終わった所です。 ヒカル：了解です！私もぱぱっと準備しちゃいますね。そういえば、楽譜と仮歌（かりうた）の音源ファイル、ちゃんと開けました？ 佐々木：はい！めちゃくちゃ良い曲ですね！本当に僕なんかとのデュエットで良いんですか？ ヒカル：もちろんですよ！時間無いので、ビシバシ行きますからね！ 佐々木：はい、宜しくお願いします！・・・ところで、時間って？ ヒカル：ん？お披露目ライブまでの時間ですけど？ 佐々木：え！？ライブ！？誰がですか！？ ヒカル：私たち以外に誰かいます？ 佐々木：いやいやいやいや、無理ですって！僕がヒカルさんと同じステージに立つなんて。 ヒカル：せっかく練習するんだから、披露しないんだったら一体どうするんですか？ 佐々木：・・・良い思い出にしようかなと ヒカル：うん、却下です。 佐々木：そんなあー ヒカル：私がちゃんと教えますから、がんばりましょうよ。三週間後のライブに向けて。 佐々木：さ、三週間！？ ヒカル：こういうのは、ダラダラせずに期日決めて集中的にやる方がいいんです。 佐々木：でも、いくら何でも短すぎるんじゃ・・・ ヒカル：大丈夫！私を信じてください。 佐々木：はあ・・・ヒカルさんがそこまで言うなら。 ヒカル：それから 佐々木：？ ヒカル：その敬語、どうにかなりません？私の方が年下なのに。 佐々木：ああ、すいません。何かクセみたいなものなんで、あまり気にしないで下さい。 ヒカル：そうですか？まあ、無理強いはしませんけど。ちょっと距離感じちゃうなー 佐々木：う、すいません。 ヒカル：（笑い）じゃ、練習始めましょうか！ ヒカル（M）：その日からほぼ毎日、私たちは練習を続けた。最初は拙かった（つたなかった）彼の演奏も、日を追う毎に明らかに上達していた。自主練も相当やってくれている様だ。 ヒカル（M）：タカシへの返事は、ライブの次の日にしようと決めた。そう、私たち二人の初ライブで、私の最後のライブ。それが終わったら、私は前に進む、そう決めていた。 0： 0：ライブ一週間前 0： 佐々木：どう言う事ですか？ ヒカル：佐々木さん、お疲れ様です。どうかしました？ 佐々木：SNS見ました！次が最後のライブって。 ヒカル：そっか、言って無かったですね。私、路上ライブ辞めるんです。 佐々木：え？ ヒカル：ちょっと事情がありまして。それにもう、思い残す事は無いんです。私は十分やり切りました。 佐々木：そんなぁ。だったら尚更、僕なんかと一緒じゃ無い方が良いですって。 ヒカル：いえ、私がそうしたいんです。佐々木さんと一緒に、最後のライブがやりたいんです。・・・ダメですか？ 佐々木：・・・いいえ ヒカル：ありがとうございます。それから、ゴメンなさい。 ヒカル（M）：そしてライブの日を迎える。 0：ライブ当日、駅前 0： ヒカル：佐々木さん、大丈夫ですか？ 佐々木：うぅー、やっぱり緊張します。 ヒカル：（笑い）リラックスして下さい。とか言って、私も今日はちょっと緊張してます。やっぱり、最後だからかな？ 佐々木：本当に良いんですか？最後のライブが、僕とのデュエット一曲だけなんて。 ヒカル：これで良いんです。これが、良いんです。 佐々木：・・・ ヒカル：では、始めましょうか！ ヒカル（M）：私たちはマイクの前に立つ。駅前・・・いつもの時間、いつもの場所。でも今日は、いつもとは違う。 ヒカル：こんばんわ、お疲れ様です！今日は、SNSでも予告してた通り、私の最後のライブです。 ヒカル（M）：いつもとは違う挨拶。少しだけ、声が震えた。 ヒカル：今日は素敵なゲストと一緒です。佐々木さんでーす。 佐々木：ここ、こんばんわ！ ヒカル：（笑い）いや緊張し過ぎでしょ！大丈夫ですか？ちゃんと歌える？ 佐々木：う、無理かもしれません。 ヒカル：（笑いながら）ちょっとそういうこと言わないでよ。よし一回落ち着いて、深呼吸しましょう。はい吸ってー 佐々木：（息を吸う） ヒカル：吐いてー 佐々木：（息を吐く） ヒカル：吸ってー 佐々木：（息を吸う） ヒカル：吐いてー 佐々木：（息を吐く） ヒカル：落ち着きました？ 佐々木：はい、何とか。 ヒカル：大丈夫ですから、落ち着いていきましょう。 ヒカル：今から歌うのは、今日の為に作った曲です。本当はね、もっと前にライブは辞めようと思ってたんです。 ヒカル：でも、この佐々木さんとの素敵な出会いがあって、もう少しだけ頑張ってみようと思って、それでこの曲が生まれました。 佐々木：ヒカルさん・・・ ヒカル：今日聴いてくださっている皆さんにも、そんな素敵な出会いがあります様に。聴いてください。「コイン」 ヒカル（M）：二人で目を見合わせ、演奏を始めた。何年も愛用してきたギターは、自分のイメージ通りのメロディを奏でてくれる。声は、いつもより調子が良い。良かった。 ヒカル（M）：佐々木さん、時々弾き間違えたり、声が裏返っちゃったりしてるけど、頑張ってる。今までで一番良い出来かも。 ヒカル（M）：あれ？何かいつもよりお客さん多くない？いつもは通り過ぎる人々が、今日は数多く足を止めてくれてる。もしかして、百人以上いるんじゃない？ ヒカル（M）：曲の終盤に差し掛かる。もうすぐ終わる、私の最後のライブ。もうすぐ終わる、私の夢。もうすぐ終わる、私の音楽。 ヒカル（M）：最後のパート、二人のハモり。今までで最高のハーモニー。佐々木さんの目に涙が光る。そして、最後の一音（いちおん）を弾き終えた。 ヒカル：ありがとうございました！ ヒカル（M）：瞬間、大きな拍手に包まれる。涙で視界が歪む。ああ、こんなに幸せを感じたのはいつ以来だろう。 ヒカル：佐々木さん 佐々木：・・・ ヒカル：最高のライブになりました。本当にありがとうございました。 佐々木：（小声で）辞めちゃダメですよ。 ヒカル：え？ 佐々木：（大声で）辞めちゃダメです！絶対にダメだ！ ヒカル：え？ちょっ 佐々木：辞めるなんて言うな！ ヒカル：落ち着いて佐々木さん。ほら、お客さんも見てるから！ 佐々木：あなたの歌は、もっとたくさんの人に聴いてもらわなくちゃいけないんだ！ ヒカル：っ！ 佐々木：（涙声で）諦めちゃダメだよ。今日だって、これだけの人が聴いてくれたじゃないか！あなたの歌にはそれだけの力があるんだ！ ヒカル：そんなこと・・・ 佐々木：お願いします、続けるって言ってください！お願いします！ ヒカル：もう！・・・（涙声で）わかった、わかったから・・・ありがとう！ ヒカル（M）：百人の前で、良い歳した大人二人が、鼻水垂らして泣いている。そんな二人を包み込む百人の拍手は、しばらく駅前に響き渡っていた。 0：会社近くのカフェ 0： ヒカル：ごめーん、待った？ タカシ：それなりに。 ヒカル：ゴメンゴメン。請求書の単価が違ってるとか急に言われちゃってさ、さっきまで直してたのよ。単価変わったんなら報告しろっつーの！ タカシ：大変だったんだな。 ヒカル：ほんとゴメンね。 タカシ：・・・今日は、返事聞かせてくれるんだろ？ ヒカル：ああ、うん。 タカシ：それで？ ヒカル：あのー、えーと、そのー・・・ゴメン。 タカシ：（ため息）やっぱりか。 ヒカル：もしかして、予想ついてた？ タカシ：うん、何となく。 ヒカル：アハハ。 タカシ：仕方ねえ、もっと良い女探すかー ヒカル：困難な道だと思うが、頑張ってくれたまえ！ タカシ：うるせえ。それで、正社員の方はどうすんの？ ヒカル：あー、それもパス。っていうか・・・ タカシ：？ ヒカル：会社辞めようかと思って。 タカシ：え？何で？もしかして、俺と一緒の職場が気まずいとか？ ヒカル：違う違う！私さ、もっと音楽に専念しようと思って。路上だけじゃなくて、ライブハウスとか、配信ライブとか積極的にやっていこうかなって。 ヒカル：それに、知り合いが音楽教室のインストラクターの仕事紹介してくれたんだ。 タカシ：そっか。寂しくなるな。 ヒカル：私もだよ。でも、これが私の決めた道だから。 タカシ：・・・そう言われちゃ、しょうがねーな。頑張れよ。 ヒカル：うん、ありがと！ 0：駅前 0： ヒカル（M）：駅前・・・いつもの時間、いつもの場所。私はギターを抱えて、ここに立っている。 ヒカル：こんばんわ！今日も一日、お疲れ様です。ヒカルです。よろしく。 ヒカル（M）：いつもの挨拶をして、演奏を始める。今日のお客さんは、三十人くらいかな？ ヒカル：ありがとうございました！ ヒカル（M）：ギターケースにコインが投げ込まれる。顔を上げると、スーツを着た男性が立っていた。 ヒカル：佐々木さん？ 佐々木：こんばんわ、ご無沙汰してます！ ヒカル：あれ？確か再就職決まって、引っ越したんじゃなかったでしたっけ？ 佐々木：そうですよー。片道二時間かかりました！ ヒカル：え！？そんな時間かけて、わざわざ来てくれたんですか？ 佐々木：当然じゃないですか！色々バタバタしてましたけど、ようやく落ち着いたんで、ライブもレッスンも定期的に通いますよ！ ヒカル：ん？レッスン？ 佐々木：ヒカルさんのレッスン、予約させてもらいました。音楽教室のやつ。 ヒカル：嘘でしょ！？教室もこの近くだから、やっぱり二時間かかっちゃいますよ？ 佐々木：ヒカルさんの歌が聞けるなら、それくらいの労力、惜しみませんよ。 ヒカル：・・・もしかして、好きになっちゃいました？ 佐々木：え？なななな何言ってるんですか！？ ヒカル：ん？「私の歌を」って言う意味で言ったんですけど、何か誤解されてます？ 佐々木：な！そ、それは。 ヒカル：（笑い） 佐々木：お、大人をからかわないで下さい！ ヒカル：私だって大人ですよーだ。ま、折角来たんだし、一曲歌って行って下さいな。 佐々木：え？いやいや、最近忙しくて練習できてないし、それに家遠いからそろそろ帰らないと終電が・・・ ヒカル：却下でーす。 佐々木：そんなあ ヒカル：ほら、やりますよ！ 佐々木：（ため息）はぁーい。 ヒカル（M）：こうして始まる、私たちの「音楽」が。 0： 0：完