台本概要
157 views
タイトル | 『令嬢博士些事些難(レイジョウハクシサジサナン)』《聖夜残響編》 |
---|---|
作者名 | sazanka (@sazankasarasara) |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 2人用台本(女2) |
時間 | 40 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
『令嬢博士些事些難(レイジョウハクシサジサナン)』シリーズ第1作。 氷の美貌を誇る才媛、「間宮 綺理(まみや きり)」の周囲で巻き起こる、些細で些末な難事件。 クリスマス翌日。大学の構内で、後輩「綿巣(わたす)」の悩みを聞くことになった綺理だったが。 −2021年12月26日― 157 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
綺理 | 女 | 92 | 「間宮 綺理(まみや きり)」。大学院生。甘党。 |
綿巣 | 女 | 89 | 「綿巣 明(わたす あかり)」。後輩。そこそこ甘党。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
【モノローグ】(綿巣):クリスマスの翌日は、抜けるような青空デシた。
【モノローグ】(綿巣):記録的寒波の合間の、太陽光のお恵み。
【モノローグ】(綿巣):階段下の自販機で購入の、冬のマイ定番「練乳抹茶おしるこ」の糖分を、ささやかな大脳皮質にブチ込むべく、歳末押し迫り人もまばらな構内の、いつもの木製ベンチに陣取りマス。
【モノローグ】(綿巣):お尻が冷えないよう、「ライナスの毛布」的に肌見放さず携行するモフモフマットちゃんを敷き、イザ尋常に、ご賞味! を決め込もうとした所で。
【モノローグ】(綿巣):冬の澄んだ空気ナド及びも付かない、澄み切ったお人が現れマシた。
0:タイトルコール。
綿巣:『令嬢博士些事些難(レイジョウハクシサジサナン)』
綺理:《聖夜残響(せいやざんきょう)編》
0:白衣の麗人は颯爽と現れ、歩み寄る。
綺理:やあ……。
綺理:綿巣(わたす)くんじゃないか。
綺理:こんにちは。
綿巣:ははぁっ!
綿巣:そっ、そうデスわたすは綿巣でデスっ!
綿巣:こ、こんにちは博士っ!!
綺理:その呼称をやめてもらえないかと、常々思っているんだが。
綺理:近頃、他所(よそ)の学部の連中からも、面白半分で呼ばれる事がある。
綺理:未だ修士に学ぶ身として、獲らぬ狸の皮を算段するように思われるのは、
綿巣:間宮(まみや)博士の場合は、タヌキを獲ったも同然デスっ!
綿巣:在学中の学位取得、間違いナシデス!
綺理:未来がどうなるか等解らない。
綺理:そうであるからこそ、我々は最善を尽くすのだろう。
綿巣:はぅあ……っ。
綿巣:金言(きんげん)賜(たまわり)り恐悦至極(きょうえつしごく)っ、捲土重来(けんどちょうらい)、感無量、万感ムネに押し迫りマスデスっ……っ。
綺理:捲土重来は感嘆を表す四字熟語では無いけれどね……。
【モノローグ】(綿巣):いつに無く取り乱すのもヤム無しデス私っ。
【モノローグ】(綿巣):このお人こそは我が学部の崇敬対象(アイドル)っ。
【モノローグ】(綿巣):研究室始まって以来の奇才にシテ天才、ソコラの教授方も(失礼ナガラ)裸足で逃げ出す、光学研究界のサラブレッドっ!
【モノローグ】(綿巣):頭脳超明晰、才色その他モロモロ超兼備の才媛(さいえん)・ザ・サイエンスクイーン!
【モノローグ】(綿巣):間宮綺理(まみやきり)先輩なのデスからっ!
綺理:どうしたかな、顔が変だが。
綿巣:はっ!
綿巣:す、すみませんトリップしておりマシた、白昼堂々っ。
綺理:危険な発作に思えるが。
綺理:続くようなら病院へ行くように。
綺理:この時期の屋外では風邪を引いてしまうし。
綿巣:大丈夫デスっ。
綿巣:モヤシながら生来、感冒(かんぼう)には無縁でありマシてっ。
綿巣:馬鹿デスのでっ。
綺理:愚昧(ぐまい)極まる迷信だよそれは。
綺理:それに、この場所に馬鹿など居ない。
綺理:皆各々、賢さに個性があるだけさ。
綺理:君の場合は、問題に対して迂回路を取らず、寧ろ思考演算の密度と速度を高めて展開法的に一転突破する、ドリルのような知性だ。
綺理:得難い才知だと思う、大切にすると良い。
綿巣:……っ。…………っ!!
綿巣:す、すみませんっ……、今からココで盛大に鼻血を吹き出してもヨロシイでしょうかっ……!
綺理:出来れば遠慮して貰いたいが……。
綺理:反面、思考に没入し過ぎるのがネックだな。
綺理:コントロールを覚えると良い。
綿巣:お、お、恐れ入られに奉(たてまつ)り、おそれ入谷(いりや)の鬼子母神(きしぼじん)……っ、
綺理:(半ば無視して)
綺理:この寒い中、ベンチで一休みかな。
綿巣:はっ、ええ、その、はい……。
綿巣:研究室の暖房で頭部が暖まり過ぎたので、少し冷まそうか、と。
綿巣:糖分補給も兼ねていますデスっ。
0:言い、缶を両手で捧げ持つ。
綺理:ああ、これか。
綺理:気になってはいるんだが、毎年飲もうと決心する頃には冷たい飲料に切り替わっているんだ。
綿巣:よろしければ、是非っ。
綿巣:まだ未開栓デスので……!
綺理:いや、遠慮する。
綺理:君が補給すべき果糖ブドウ糖液糖だ。
綺理:飲み給え。
綿巣:……っは、はいっ。
綿巣:それでは……、僭越ながら、不肖(ふしょう)ワタクシ綿巣明(わたすあかり)、敬愛する間宮はか、えと、先輩に見守って頂く御前(おんまえ)にて、おしるこを、飲ませて頂きたく存じマスるっ!!
綺理:(無表情で拍手しながら)
綺理:やんや、やんや。
綿巣:然るに、開栓っ!
0:カシュッと潔くプルタブを引き開け、勢い良く口を付ける。
綿巣:んゴキュっ、んゴキュっ、んゴキュっ、んゴキュっ…………、
綿巣:……っぷはぁーっ!
綿巣:五臓六腑及び脳幹、前頭葉に染み渡りマスデスーーっ。
綺理:凄い吸収率だな、脳みそまでスポンジかな。ハハ。
綿巣:くゥゥ……っ。キきマス……っ。
綺理:さて……、気は済んだかな。
綺理:君の隣に、座っても良いだろうか。
綿巣:(口を拭いながら)
綿巣:えっ!?
綿巣:は、あ、はひ、も、勿論当然、議論を待たず、良いに決まっていますデスがっ。
0:トントントントンっ、と、隣の座面を小刻みに叩く。
綺理:脈絡も無く済まないね。
綺理:帰省の折に持って行きたい文献を取りに来たら、君の姿を見付けたものだから。
綺理:ベンチで後輩と2人並んで、「最近はどう?」というヤツをやってみたくなったんだ。
綺理:飲み物が珈琲で、且つ私の奢りであれば尚良かったんだが、贅沢は言うまい。
綺理:今からやるけれど、準備は良いかな。
綿巣:懇切丁寧な前提開示、恐縮デスっ。
綿巣:全身全霊でお受け致しますですっ!
綺理:ファジー且つラディカルに構えて貰って構わないよ。
綺理:私も上手く出来るかどうかわからないから。
綿巣:大丈夫デスっ。
綿巣:会話とはハーモニー、2人で創り上げる物と聞き及びマスっ。
綿巣:私も非力ながら、流れに沿わせて頂く所存デス!
綺理:どうも終始(しゅうし)不協和音のような気がしないでも無いが。
綺理:ひとまず心強く思っておこう。
綺理:では、まあ、おもむろに。
0:着座し、エヘン、と咳払い。
綺理:(あらたまって)
綺理:近頃何か、悩み事は無いかな。
綺理:研究に関してでも、私生活に於いてでも良い。
綿巣:悩み事、デスか……っ。
綺理:些細で些末な事で良いんだ。
綺理:無論、込み入った事でも構わないが。
綿巣:そう、デスね……、あらためて考えてみると……。
0:視線宙に浮き、思考。
綿巣:研究の面では、先だって一段落したのを、後は落ち着いて資料に纏めるだけ……。
綿巣:単位に付いてもある程度見通しが……。
綺理:うむ。感心、感心。
綿巣:私生活に関して言うなら、その……、
綺理:うん。
綿巣:わたし、アルバイトをしているのデスが、
綺理:おっ。ほう、ほう。
綺理:業種は何かな。
綿巣:はい、コンビニなのデスが、
綺理:良いじゃないかっ。俄然それらしくなって来た。
綺理:職場での人間関係、上司のセクハラ及びパワハラ、はたまた客トラブル。
綺理:困った常連にブラックなシフト。
綺理:聞きかじりの知識で申し訳無いが、悩み事のデパートと、
綿巣:いえ、そのォ……、
綺理:或いは、抜本的な問題として。
綺理:金銭的な困窮、逼迫(ひっぱく)を抱えている、というのはどうかな。
綺理:力になれるかは別として。
綺理:しかしこういうのは、他者にアウトプットするだけでその心的負担の実に60パーセント以上が、
綿巣:ご……、ご期待に添えず申し訳ナイデスっ!
綿巣:そういったシリアスめいたアレでは無くっ……。
綿巣:慚愧に堪えませぬ……っ。
綺理:(キョトンと)
綺理:何故かな。
綺理:悩みが無いに越した事はあるまい。
綿巣:お陰サマで、おおらかな店長の下(もと)、概ねつつがなく労働出来てはいマシて……。
綿巣:強いて言うなら、つい最近入って来た新人の女性が、ちょっと変わった雰囲気で、
綺理:ふむ、厄介事を孕んでいそうなパーソナリティであるとか、
綿巣:いえ……、何でも家庭の事情で、つい最近まで親族の介護をされていたトカで、学生の年齢から今まで、あ、多分私より少し年上だと思うんデスが、働いた経験が無い、という。
綿巣:社会復帰の為の武者修行だと、本人が。
綺理:ほう……、世の中には多様な事情を抱えた人が居るものだな。
綿巣:不思議オーラを纏ってはいマスが、手際も覚えも良いので、先輩としては楽なもんなのデスっ。
綿巣:デスので、それは……、
綺理:ふむ。
綺理:あのオドオドして人見知りだった綿巣くんが、大学院生ともなれば。
綺理:変わるものだなあ。
綿巣:い、いやぁ、どぅへへへ……。
綿巣:他に、ちょっと変わった同僚が何人か居マスが、悪い人間達ではナイので……。
綿巣:普段触れない知見や知識を得られて、興味深いデス。
綺理:うむ。
綺理:社会に出て働く事の醍醐味だな。
綺理:私にはからきし欠けている部分だから、その点に於いては君の方が先輩と言える。
綿巣:ひ、ひえぇっ。ヤメてほしいデスっ。
綿巣:恐れ多すぎて眼鏡にヒビが入りマスっ!!
綺理:もし本当であれば、興味深い現象だが……。
綺理:して、では、特段悩み事は無い、というのが結論かな?
綿巣:あ、いえ……。
綿巣:悩みと言うのも烏滸(おこ)がましいのデスが。
綿巣:その、ケーキが……、
綺理:(敏感に反応し)
綺理:ケーキ。ふむ。
綺理:それは、クリスマスの?
綿巣:そうデスっ。
綿巣:毎年、12月に入ると、大量に取り扱うのデスが、
綺理:恵方巻き然り、季節物縁起物は何でも売るね、近頃は。
綿巣:すみませんっ、間宮先輩に於かれマシては、コンビニなどご縁の薄いお話デスが……っ、
綺理:そんな事は無い。
綺理:が、やはりそういった印象を持たれているのか。
綺理:実態に即さない庶民派を気取るつもりも無いが、イメージの独り歩きは避けたい所だ。
綺理:それはまあ、今は良いとして……。
綺理:ケーキの話を、続けてくれ給え。
綿巣:は、はい……。
綿巣:こう、フードロス対策と言えば聞こえは良いデスが、脱法的福利厚生として、25日以降、売れ残ったケーキ類を、スタッフが持ち帰って居るのデス。
綺理:ふむ、ほう?
綿巣:直前に配送された分は翌日に値引きの上扱うので、販売期限間近の物を。
綿巣:多いスタッフだと、家族やご近所の分も含めて、10箱ほど……、
綺理:その1箱というのは、ピース売りでは無く、ホールだろうね?
綿巣:そうデス。
綿巣:コンビニケーキと言えども最近はそれなりに凝っていマシて、生地のフルーツも砂糖のサンタさんも、
綺理:(遮って、語気強く)
綺理:余っているのか。
綿巣:(虚を突かれ)
綿巣:……ほぇ?
綺理:余って、いるのか、ケーキが。
綺理:あ……、痺れを切らした風に聞こえたら済まない。
綿巣:あ、い、いいえ……っ。
綿巣:そうデス、流石、ご明察デスっ。
綿巣:わたしも甘い物は好物デスし、サンタ帽テンションの名残でまあイケるか、と、思い切って5箱ほど……、
綺理:5(ファイブ)ホールか! イッたなあ、君!
綺理:確か、大学の契約アパートで一人暮らしだったね?
綿巣:そうなのデスっ。
綿巣:要は、困り事というのはそれデシて……。
綿巣:消費期限まではまだ間がありマスが、明後日には私も帰省してしまうので1日1ホール生活としても消費し切れマセんし、そもそも生クリームをそこまで、
綺理:(遮り)委細承知した。
綿巣:え、あ、
綺理:(早口になり)
綺理:いやあ、成程それは確かに由々しき問題だなあ。
綺理:結局家庭で廃棄してしまっては元の木阿弥だし、かと言って独力に拘って体調に支障をきたしてしまっては本末転倒。
綺理:マクロの単位で巨視してもミクロの単位に引き寄せても、ケーキが余っているというのは捨て置けない問題と言えるだろうね。
綺理:ところで、旅は道連れ世は情けと、昔の人間は良い事を言ったものだが、
綺理:畢竟(ひっきょう)世の真理として、こんな時、助け合える仲間が居たらなあと、渦中の人物、この際ならば綿巣くん、君その人が、それこそ1日遅れとはいえクリスマスに準(なぞら)えて救いの御子の到来を希求したからと言って、非難する謂(いわ)れなど誰にあろう筈も無し。
綺理:私にした所で、本来の役目を果たす事なく塵芥(ちりあくた)共々焼却炉の薪に帰(き)すだろうケーキくん達の運命を思うと、センシティブ且つセンチメンタルな慟哭が胸に去来せざるを得ないなあ。
綺理:いや決して、私個人に食い意地が張っているとか、そういった不本意なレッテルはノーサンキューなのだが、まあ早い話、
綿巣:お、おおぅ……、
0:歪(ひず)み無き眼で、後輩の眼をまっすぐに見詰め、
綺理:手伝って、あげようか。
綺理:ケーキの始末を。
【モノローグ】(綿巣):……そういうコトになりマシた。
【モノローグ】(綿巣):間宮博士は食い意地が張っていマシたデス。
【モノローグ】(綿巣):平常に倣(なら)い表情筋は無断でご欠勤なれど、明らかに眼の輝きの違う麗しき才女を連れて、わたしは、恐れ多くも……っ、
【モノローグ】(綿巣):6畳1間っ。我らが慶格院(けいかくいん)大学が提携・契約しているアパート群の中でも最安クラスの家賃を誇る、畳の藺草(いぐさ)も芳(かぐわ)しき我が根城っ。
【モノローグ】(綿巣):アパート「明星荘(みょうじょうそう)」203号室へと帰宅しマシた。
【モノローグ】(綿巣):普段は計測器と資料群に占領されている文机(ふづくえ)を引っ張り出し、冷蔵庫1室分を費やして鎮座坐(ちんざましま)していたクリスマスカラーの四角き難物を睨みつけ、座布団の上(わたしはマットちゃんにデスが)に正座するわたしタチ。
【モノローグ】(綿巣):博士の一点の曇り無き白衣&相貌と、古く埃っぽい和室とのコントラスト。
【モノローグ】(綿巣):なんとも奇妙奇天烈・摩訶不思議(きみょうきてれつ・まかふしぎ)、奇想天外・四捨五入(きそうてんがい・ししゃごにゅう)な光景デシた。
綿巣:え、えと、その、汚い部屋で申し訳ありませんっ。
綿巣:今、せめてお茶など、
綺理:お構いなく。
綺理:押し掛けているのはこちらであるし、突然の提案で申し訳ない。
綺理:迷惑なら遠慮なく、
綿巣:トンデモございませんっ!!
綿巣:ただ……っ、「理学の申し子」、「透過光の女帝」、「天弓(てんきゅう)のスペクトル女神(ゴッデス)」、「フラウンホーファーの再来、ていうか増補改訂版」と謳われる間宮はか、(言い直し)先輩が、よりによって我が暗き穴蔵の畳にチョコンと……っ!
綿巣:余りの事態に、動転しておりマスデスっ。
綺理:聞いた事の無い異名だな……。
綺理:いま作っていないか、君。
綿巣:年明けに纏めてリリースしておきマスので。
綺理:……、まさか、これまでのも君が、
綿巣:(意図せず遮り)
綿巣:そんなコトよりも先輩!
綿巣:コレなるオブジェクト群を早速攻略するに当たり、お供は何に致しマショうっ。
綿巣:然るに、カフィー・オア・ブラックティー?
綺理:お、うむ。
綺理:では、紅茶を頂こうかな。
綺理:幼少より甘味の友は紅茶と決めている。
綺理:書き物や実験の際は珈琲なのだが。
綿巣:わたしもスイーツタイムには紅茶派デスっ。
綿巣:スグに準備をっ。
【モノローグ】(綿巣):安物のティーパックのお茶デスが、温度、手順、持てる知識を総動員して、人生最高峰の1杯を淹れられた筈デスっ。
【モノローグ】(綿巣):一片の悔いもありませんっ。
綺理:(品よく一口啜り)
綺理:うん……。
綺理:丁寧に処理されている。
綺理:率直に美味だ。
綿巣:ああ……っ。
綿巣:女神がわたしの淹れた紅茶を……っ。
綿巣:剰(あまつさ)えお褒めのお言葉まで……。
綿巣:天にも昇る心地デスぅ〜……っ。
綺理:またトリップしているようだが。
綺理:というか君、崇敬(すうけい)という情動を履き違えてはいないか。
綺理:それではまるで、神仏に対する信仰だよ。
綿巣:わたしに取っては≒(ニアリーイコール)でありマスっ!
綺理:それは余り良くないね。
綺理:「神を信じるのは心であって理性では無い」とパスカルも言っているし、
綿巣:「パンセ」デスね……。
綺理:そう。
綺理:およそ研究者らしい態度とは言えない。
綺理:そして理や道を如何に極めようとも、人は決して神にはなれない。
綺理:であるからこそ、神なる物理を解き明かす神妙の知と技は、人間にしか宿らない。
綺理:その覚悟と受容を以て、学研者の誇りと為すべし、と、これは祖父の受け売りだが。
綿巣:物理の巨人、「間宮創草(まみやそうぞう)」大博士(だいはくし)の……っ。
綺理:ま……、親族にしてみれば偏屈で酔狂な大狸だがね。
綺理:近頃は世界規模のフィールドワークに傾倒していて、
綺理:今回は2年振りの帰省だから、さて何時間拘束されたものか。
綿巣:物理を志す者にしてみれば、垂涎(すいぜん)モノの講演デスっ。
綿巣:27000円払ってでも行きマスっ!
綺理:微妙に生々しい数字だな。
綺理:それは良いとして。
綺理:兎も角、余りに人間としての実態を飛び離れた称賛というのはその、どうにも、
綿巣:あ、あのぉ……。
綿巣:本当に、すみません……。
綿巣:失礼で、ご迷惑な態度だと、解ってはいるのデスが。
綿巣:面と向かうと、どうにも、抑えが効かず……。
0:シュン、と項垂れ。ボリュームある三編みも心なし垂れ下がる。
綺理:いいや……。
綺理:決して、疎んじているのでは無いんだ。
綺理:後進に慕われ、先達に覚え目出度(めでた)いのは、私も人並みに、喜ばしく思うよ。
綺理:そして、私という人間を直接は知らない人々からどう言われようと、特段何も思わない。
綺理:イメージは独り歩きする物であって、メディアというのはその為のツールだ。
綿巣:あの、テレビを観た人たちトカの……、
綺理:SNSの力と言うのは凄い物だな。
綺理:短期間にたった2回、ほんの数分電波に乗っただけなのに。
綺理:反響と言うか何とか言うか。
綺理:他局からドラマ出演のオファーもあったんだよ。
綿巣:去年、あ、もうじき一昨年デスが、大変デシたね。
綿巣:話題の「美人過ぎる大学院生」を一目見ようと、人が詰めかけて。
綺理:ウチの大学の教授陣はスター揃いだから、テレビクルーが入る事は珍しくも無いが。
綺理:一般のその、所謂ファンというのか、が押し掛けてというのは……。
綺理:大学にも君たちにも、大いに迷惑をかけてしまったものだ。
綺理:私に過失がある訳では無いとは言え……、
綿巣:ほとぼりが冷めて良かったデス。
綿巣:マナーが悪いのも居マシたし……。
綺理:ま、それも俯瞰して見れば、科学と人間の交わり様の一形態とも言えるな。
綺理:情報はまるでそれ自体が生物であるかのように自己を複製・拡散し、結果として人間が動かされた。
綿巣:「ミーム」の概念デスねっ。
綺理:被造物はいとも簡単に造物主(ぞうぶつしゅ)の手を離れ、野放図(のほうず)に振る舞い始める。
綺理:それをして人間が、神の憂鬱を追体験しているかのように捉える者も居るが。
綺理:私は傲慢だと思うね。
綿巣:クリスチャンは別として、信仰にアイデンティファイしない人間に取っては、言葉遊び以上のモノにはならないと考えマス。
綺理:同意見だ。
綺理:情報社会学は専門外だが。
綺理:肥大化したネットワークテクノロジーというのは、有史以来の人類が凡(およ)そ初めて出くわした、新たな形の災害と呼べはしないか。
綿巣:「災害」、デスか。
綺理:発端は人工物だとはいえ、アンコントローラブルな其れは、地震や津波と同じく最早、人の手に余る。
綺理:古代に於いては神や精霊、日本にあっては「妖怪」とも概念化され、畏(おそれ)れ尊(たっと)ばれて来た物だ。
綺理:時と場合によって、恩恵と災禍(さいか)の両方を齎(もたら)す点など、正しく。
綿巣:「インターネットのミコト」の荒御魂(あらみたま)に触れて、先輩や大学は災難を被った、と……、
綺理:その切り口で行くならば、ね。
綺理:詰まる所、人が神の領域に到達した等というのは驕りであって。
綺理:人類は永劫、まだ見ぬ神と邂逅(かいこう)し続け、時には生み出しながら煩悶(はんもん)を重ねてゆくしかない。
綺理:その永き道行きの、ほんの小さな標石(しるべいし)こそが学問であり、研究という方法論なのだと私は考える。
綺理:無論、未だ長き途(みち)の門前に立ったばかりの未熟者の、聞き覚えの経文(きょうもん)に過ぎないがね。
綿巣:せっ、先輩が門前の小僧なら、わたしナド路傍(ろぼう)のアリン子デスっ。
綺理:人の歴史の永さから鑑みるに、君と私の間に大きな隔たり等無い。
綺理:無論、人間と昆虫の間にもね。
綿巣:それは、その……、
綺理:しかし、この神やモノノケというのはなかなかに優れたシステムと言えるな。
綺理:個々人の不躾さや無遠慮に、不毛な憎しみを抱かずに済む。
綿巣:そう、デスね……。
綿巣:「思し召し」と考えられればこそ、耐えられる事も多くあると。
綺理:一神教の場合はね。
綿巣:しかしそれのみをして、神や信仰の本質である、と括ってしまうのは、
綺理:語弊があるだろうね、多分に。
綺理:しかし、そして、そういった問答は実際、文化人類学者たちの領分だ。
綺理:物理の道を征く者には、実は余り関係が無い。
綺理:相手が神だろうと自然現象だろうと、我々はただ、問い掛け、そして解き明かせば良いのだから。
綿巣:(感嘆し、ほう、と息を吐き)
綿巣:……感服、敬服、満腹の雨あられデス……。
綿巣:何だか胸がいっぱいで……、
綺理:ほう、ケーキに取り掛かる前にかな?
綺理:何なら私が先んじて、侵攻を開始しても良いのだが。
綺理:いや決して、「鉄面皮の癖に欲どしい女だ」等と、思ってほしくは無いのだけれど、
綿巣:い、いえ、そこまでは……、
綿巣:そうデシた、クリスマスケーキを食べようの会デシたっ。
綺理:うむ。
綺理:本旨を忘れて喋り倒してしまう事など、我々には茶飯事だな。
綺理:しかし教授たちに比べれば私達など可愛い物だろう。
綿巣:確かにデス。
綺理:思うに、脳内の情報量が増えれば増える程、会話が脱線し易くなるんだな。
綺理:祖父など凄いよ、毛細血管の様に話題が分岐していって、永劫本題に辿り着く気がしない。
綺理:学識の無い者には認知症と変わらないだろう。
綿巣:まるで南方熊楠(みなかたくまぐす)のような……っ。
綿巣:日条の会話をそのまま録音した音声にも値が付きそうデス。
綺理:恐らく付くだろうが、世紀の怪音源になるだろうね。
綺理:何せ庭のチューリップに始まって、アメーバから北極の大空洞、果てはネイティブアメリカンの雷鳥(サンダーバード)信仰を経て多次元宇宙まで行く。
綺理:私や父でも繋がりを追い切れない。
綿巣:非常に非常にっ、興味深いデスが……っ。
綺理:うむ。祖父の話などしていては一向にケーキにあり付けない。
綺理:イエスの生誕祭には相応しくない話をしてしまった気もするが、史実ではおおらかな性格であったそうだし、赦して貰えるだろう。
綿巣:もう翌日ですので、大丈夫かとっ!
綺理:見給え。箱のフィルムの向こうから、サンタくん達が淋しげにこちらを見ている。
綿巣:ああっ。
綺理:実際彼らは意思なき砂糖の塊に過ぎないが。
綺理:ここは1つ原初の類感(るいかん)に身を委ね、これなる縁起物を存分に愛で、食そうではないか。
綿巣:……極めて俗化して表現するならばっ。
綿巣:「可愛いーっ。美味しそーっ!」というヤツデスねっ!
綺理:うむ! さあいざっ!!
【モノローグ】(綿巣):貪りまくりマシた。
【モノローグ】(綿巣):畳の上のケモノ2頭。
【モノローグ】(綿巣):ソレは女子会と呼ぶには余りに放縦(ほうじゅう)、目を覆う貪婪(どんらん)っ。
【モノローグ】(綿巣):詳細は乙女の名誉を守る為割愛しマスが、驚くべき事にっ。
【モノローグ】(綿巣):聖夜の残響は残す所あと、2箱にまで攻略せしめられマシたっ。
綺理:(布巾で口元を拭い)
綺理:いやあ、流石に食べたな。
綺理:脳が甘味に反応して快楽物質を精製している。
綺理:人間の舌というのは大したセンサーだ。
綿巣:あ、ありがとうございマス……っ。
綿巣:流石にもう、食べられマセん……っ。
綺理:あと2箱だろう、何とでもなるさ。
綺理:隣室の住人にでも配ったらどうだ?
綿巣:お隣、は、その、ちょっと……、
綺理:む、厄介な人間が住んでいるとか、
綿巣:というか何というか、随分、変わり者デシて……。
綿巣:どうやら3回生らしいんデスが、わたしも学内では1度しか見かけた事がありマセん。
綿巣:昼夜部屋に籠もって、ナニをやっているのか判然とせずっ。
綿巣:偶に、奇妙な電子音が聞こえて来るので深夜はマジびびりデスっ。
綺理:ふぅむ。
綺理:それは迷惑だな。管理人にでも言って、
綿巣:ココの管理人はその、やる気が有りマセんデシて……。
綿巣:でも、大丈夫デスっ。
綿巣:1箱は帰省前日に片付けられマスし、もう1箱は明日、ゼミの誰がしかに押し付けマスっ。
綺理:1箱ぐらいなら、貰い手も見つかるだろう。
綺理:ふう、やれやれ。肩の荷が降りたよ。
綿巣:本当に、ご迷惑をおかけしマシた……っ。
綿巣:貴重なお時間を、こんな事に割かせてしまい、
綺理:いや……、こちらこそ。
綺理:久々に、同年代の同性と、こんな風に茶話(さわ)をしたよ。
綺理:何だか、中等部の頃を思い出した。
綿巣:はか、あ、先輩のご出身校と言いマスと、かの、衾坂(ふすまざか)学院……、
綺理:そう、だね。
綺理:今にして思えば権威主義の禄でも無い母校だが。
綺理:1人……、親友が居たんだ。
綺理:少なくとも私は、そう思っていた。
綿巣:間宮先輩のご親友ともなれば、さぞかしご優秀な……っ、
綺理:……どう、だろうね。
綺理:本人はプレッシャーに悩んでいたようだが。
綺理:私は幼少より、学業の成績で友人を選んだ事は一度も無い。
綿巣:一緒に、ご進学されたのデスかっ?
綺理:いや……。
綺理:とある事情で、今は交友が無いがね。
綺理:しかし、思い出はいつも美しい。
綺理:2人して、技術部の部室に押し掛けてお茶を飲んだり、帰りの道すがら買い食いをしたり……。
綺理:今でも鮮明に思い出せる。
綺理:そして思い出しさえすれば、幸福な感覚をいつでも再生する事が出来る。
綺理:もう会えないのだという、冷たい砂利のような感触と共に、ね。
綿巣:……、……。
0:暫し、静寂の間。
綺理:ハハ。
綺理:冷めた紅茶には似合いの、湿っぽい話題だな。
綺理:済まないね。
綿巣:あ、いえ、その、すみません気が付きマセんでっ。
綿巣:すぐにおかわりを、
綺理:ああ、違うんだ。
綺理:そういう意図は無い。
綺理:それに、そろそろお暇するよ。
綺理:お招き頂き、どうもありがとう。
綿巣:そんなっ。身に余る光栄に存じマスっ。
綿巣:こんな汚い部屋に、
綺理:私なんて、他と比べて綺麗な所など無いよ。
綺理:今日で解っただろうが、人らしく生クリームを貪り、トイレだって2回も借りた。
綺理:どこにでも居るような、
綿巣:どこにでもはいませんデスっ。
綿巣:……間宮博士はっ、超絶ハイパー、ベリーベリー優秀で、筆舌に尽くし難き大天才で、他の追随を許さない眉目秀麗、才色兼備のっ……、
綺理:…………。
綿巣:ちょっと食いしん坊で変わった所もある、
綿巣:普通に素敵で、
綿巣:大好きな先輩、デスっ。
綺理:……、
0:水晶玉のような眼が、僅か見開かれる。
綺理:……ほう。
綿巣:入学当時から、尊敬していマシたデス。
綿巣:ゼミに入りたての時分、コンプレックスと対人恐怖の塊だった私を、気にかけて下さって……、
綺理:見ていられなかったからね。
綿巣:ある折に私に、「研究者たる者、まずは誇りを持つべきだ」と、言ってくださいマシた。
綿巣:内実など無くとも、虚勢でも良いから誇りを持て、と。
綿巣:後は空洞のソレを満たして行く為に、努力と試行を重ねるだけだ、と。
綺理:言ったね、確かに。
綺理:実は、あれは曽祖父の受け売りなんだが。
綺理:逝去の間際、親族一同に遺された言葉なんだ。
綺理:ものの見事に1人残らず、学者や研究者の一族だから。
綿巣:わたしには……、間宮先輩から賜った言葉だからこそ、意味があったのデス。
綿巣:あれ以来、わたしは自分なりに、内実を満たせるよう努力をして来マシた。
綿巣:勿論マダマダ、カルピスの残り1滴程度の水嵩(みずかさ)デスが。
綺理:私とてまだまだだよ。
綺理:或いは一生涯、満たされる事など無いのかもしれない。
綿巣:それでも良い、と。
綿巣:研究の道に意欲を持てたのは、先輩のおかげ様、なのデス。
綿巣:だから……、
0:分厚い眼鏡の奥の大きな眼が、物理の申し子をジッと見詰める。
綿巣:これからも、後輩として。
綿巣:……お慕い、させてほしいデス。
綺理:…………。
0:ふ、と表情がほんの僅かほぐれ、笑みと判る笑み。
綺理:……勿論だとも。
綺理:ただし、これ以上おかしな異名を量産するようなら、容赦なくクレームを入れるがね。
綺理:……先輩、として。
【モノローグ】(綿巣):「本当に楽しかった。ありがとう。良いお年を」。
【モノローグ】(綿巣):と、丁寧に、美しく言い残して、救世主は去って行きマシた。
【モノローグ】(綿巣):何だかどうにも現実感が無く、文机の上のケーキの空き箱だけが、今日の出来事が夢で無い事を証明していマシた。
【モノローグ】(綿巣):年明けに学内で会えば、また挙動不審の痛いファン的ムーブをカマしてしまう可能性大、デスがっ。
【モノローグ】(綿巣):……今日の所は、最高の、超ウルトラスペシャルハッピーラディカルメガトン級のっ、クリスマスプレゼント、デシたっ。
【モノローグ】(綿巣):まるっ!
0:残ったケーキの箱の中、砂糖菓子のサンタが微かに、笑ったかに見えた。無論、錯覚である。
0:【間】
【モノローグ】(綺理):後輩の家からの帰路。
【モノローグ】(綺理):バス停までの道すがら、雪が降り始めた。
【モノローグ】(綺理):大寒波にも関わらず、今年はこれが初雪である。
【モノローグ】(綺理):共に聖夜と、大晦日を過ごす予定だった元・恋人とは、今は些か、疎遠ではあるけれど。
【モノローグ】(綺理):愛しい後輩のお陰で、私は申し分の無いクリスマスを過ごす事が出来た。
【モノローグ】(綺理):願わくば。
【モノローグ】(綺理):彼にも、彼女にも、私にも。
【モノローグ】(綺理):地球人類に、良い歳末と、新しい年が訪れん事を。
0:歩調が少し早くなり、雪は一層、白さを増す。
0:【終】
【モノローグ】(綿巣):クリスマスの翌日は、抜けるような青空デシた。
【モノローグ】(綿巣):記録的寒波の合間の、太陽光のお恵み。
【モノローグ】(綿巣):階段下の自販機で購入の、冬のマイ定番「練乳抹茶おしるこ」の糖分を、ささやかな大脳皮質にブチ込むべく、歳末押し迫り人もまばらな構内の、いつもの木製ベンチに陣取りマス。
【モノローグ】(綿巣):お尻が冷えないよう、「ライナスの毛布」的に肌見放さず携行するモフモフマットちゃんを敷き、イザ尋常に、ご賞味! を決め込もうとした所で。
【モノローグ】(綿巣):冬の澄んだ空気ナド及びも付かない、澄み切ったお人が現れマシた。
0:タイトルコール。
綿巣:『令嬢博士些事些難(レイジョウハクシサジサナン)』
綺理:《聖夜残響(せいやざんきょう)編》
0:白衣の麗人は颯爽と現れ、歩み寄る。
綺理:やあ……。
綺理:綿巣(わたす)くんじゃないか。
綺理:こんにちは。
綿巣:ははぁっ!
綿巣:そっ、そうデスわたすは綿巣でデスっ!
綿巣:こ、こんにちは博士っ!!
綺理:その呼称をやめてもらえないかと、常々思っているんだが。
綺理:近頃、他所(よそ)の学部の連中からも、面白半分で呼ばれる事がある。
綺理:未だ修士に学ぶ身として、獲らぬ狸の皮を算段するように思われるのは、
綿巣:間宮(まみや)博士の場合は、タヌキを獲ったも同然デスっ!
綿巣:在学中の学位取得、間違いナシデス!
綺理:未来がどうなるか等解らない。
綺理:そうであるからこそ、我々は最善を尽くすのだろう。
綿巣:はぅあ……っ。
綿巣:金言(きんげん)賜(たまわり)り恐悦至極(きょうえつしごく)っ、捲土重来(けんどちょうらい)、感無量、万感ムネに押し迫りマスデスっ……っ。
綺理:捲土重来は感嘆を表す四字熟語では無いけれどね……。
【モノローグ】(綿巣):いつに無く取り乱すのもヤム無しデス私っ。
【モノローグ】(綿巣):このお人こそは我が学部の崇敬対象(アイドル)っ。
【モノローグ】(綿巣):研究室始まって以来の奇才にシテ天才、ソコラの教授方も(失礼ナガラ)裸足で逃げ出す、光学研究界のサラブレッドっ!
【モノローグ】(綿巣):頭脳超明晰、才色その他モロモロ超兼備の才媛(さいえん)・ザ・サイエンスクイーン!
【モノローグ】(綿巣):間宮綺理(まみやきり)先輩なのデスからっ!
綺理:どうしたかな、顔が変だが。
綿巣:はっ!
綿巣:す、すみませんトリップしておりマシた、白昼堂々っ。
綺理:危険な発作に思えるが。
綺理:続くようなら病院へ行くように。
綺理:この時期の屋外では風邪を引いてしまうし。
綿巣:大丈夫デスっ。
綿巣:モヤシながら生来、感冒(かんぼう)には無縁でありマシてっ。
綿巣:馬鹿デスのでっ。
綺理:愚昧(ぐまい)極まる迷信だよそれは。
綺理:それに、この場所に馬鹿など居ない。
綺理:皆各々、賢さに個性があるだけさ。
綺理:君の場合は、問題に対して迂回路を取らず、寧ろ思考演算の密度と速度を高めて展開法的に一転突破する、ドリルのような知性だ。
綺理:得難い才知だと思う、大切にすると良い。
綿巣:……っ。…………っ!!
綿巣:す、すみませんっ……、今からココで盛大に鼻血を吹き出してもヨロシイでしょうかっ……!
綺理:出来れば遠慮して貰いたいが……。
綺理:反面、思考に没入し過ぎるのがネックだな。
綺理:コントロールを覚えると良い。
綿巣:お、お、恐れ入られに奉(たてまつ)り、おそれ入谷(いりや)の鬼子母神(きしぼじん)……っ、
綺理:(半ば無視して)
綺理:この寒い中、ベンチで一休みかな。
綿巣:はっ、ええ、その、はい……。
綿巣:研究室の暖房で頭部が暖まり過ぎたので、少し冷まそうか、と。
綿巣:糖分補給も兼ねていますデスっ。
0:言い、缶を両手で捧げ持つ。
綺理:ああ、これか。
綺理:気になってはいるんだが、毎年飲もうと決心する頃には冷たい飲料に切り替わっているんだ。
綿巣:よろしければ、是非っ。
綿巣:まだ未開栓デスので……!
綺理:いや、遠慮する。
綺理:君が補給すべき果糖ブドウ糖液糖だ。
綺理:飲み給え。
綿巣:……っは、はいっ。
綿巣:それでは……、僭越ながら、不肖(ふしょう)ワタクシ綿巣明(わたすあかり)、敬愛する間宮はか、えと、先輩に見守って頂く御前(おんまえ)にて、おしるこを、飲ませて頂きたく存じマスるっ!!
綺理:(無表情で拍手しながら)
綺理:やんや、やんや。
綿巣:然るに、開栓っ!
0:カシュッと潔くプルタブを引き開け、勢い良く口を付ける。
綿巣:んゴキュっ、んゴキュっ、んゴキュっ、んゴキュっ…………、
綿巣:……っぷはぁーっ!
綿巣:五臓六腑及び脳幹、前頭葉に染み渡りマスデスーーっ。
綺理:凄い吸収率だな、脳みそまでスポンジかな。ハハ。
綿巣:くゥゥ……っ。キきマス……っ。
綺理:さて……、気は済んだかな。
綺理:君の隣に、座っても良いだろうか。
綿巣:(口を拭いながら)
綿巣:えっ!?
綿巣:は、あ、はひ、も、勿論当然、議論を待たず、良いに決まっていますデスがっ。
0:トントントントンっ、と、隣の座面を小刻みに叩く。
綺理:脈絡も無く済まないね。
綺理:帰省の折に持って行きたい文献を取りに来たら、君の姿を見付けたものだから。
綺理:ベンチで後輩と2人並んで、「最近はどう?」というヤツをやってみたくなったんだ。
綺理:飲み物が珈琲で、且つ私の奢りであれば尚良かったんだが、贅沢は言うまい。
綺理:今からやるけれど、準備は良いかな。
綿巣:懇切丁寧な前提開示、恐縮デスっ。
綿巣:全身全霊でお受け致しますですっ!
綺理:ファジー且つラディカルに構えて貰って構わないよ。
綺理:私も上手く出来るかどうかわからないから。
綿巣:大丈夫デスっ。
綿巣:会話とはハーモニー、2人で創り上げる物と聞き及びマスっ。
綿巣:私も非力ながら、流れに沿わせて頂く所存デス!
綺理:どうも終始(しゅうし)不協和音のような気がしないでも無いが。
綺理:ひとまず心強く思っておこう。
綺理:では、まあ、おもむろに。
0:着座し、エヘン、と咳払い。
綺理:(あらたまって)
綺理:近頃何か、悩み事は無いかな。
綺理:研究に関してでも、私生活に於いてでも良い。
綿巣:悩み事、デスか……っ。
綺理:些細で些末な事で良いんだ。
綺理:無論、込み入った事でも構わないが。
綿巣:そう、デスね……、あらためて考えてみると……。
0:視線宙に浮き、思考。
綿巣:研究の面では、先だって一段落したのを、後は落ち着いて資料に纏めるだけ……。
綿巣:単位に付いてもある程度見通しが……。
綺理:うむ。感心、感心。
綿巣:私生活に関して言うなら、その……、
綺理:うん。
綿巣:わたし、アルバイトをしているのデスが、
綺理:おっ。ほう、ほう。
綺理:業種は何かな。
綿巣:はい、コンビニなのデスが、
綺理:良いじゃないかっ。俄然それらしくなって来た。
綺理:職場での人間関係、上司のセクハラ及びパワハラ、はたまた客トラブル。
綺理:困った常連にブラックなシフト。
綺理:聞きかじりの知識で申し訳無いが、悩み事のデパートと、
綿巣:いえ、そのォ……、
綺理:或いは、抜本的な問題として。
綺理:金銭的な困窮、逼迫(ひっぱく)を抱えている、というのはどうかな。
綺理:力になれるかは別として。
綺理:しかしこういうのは、他者にアウトプットするだけでその心的負担の実に60パーセント以上が、
綿巣:ご……、ご期待に添えず申し訳ナイデスっ!
綿巣:そういったシリアスめいたアレでは無くっ……。
綿巣:慚愧に堪えませぬ……っ。
綺理:(キョトンと)
綺理:何故かな。
綺理:悩みが無いに越した事はあるまい。
綿巣:お陰サマで、おおらかな店長の下(もと)、概ねつつがなく労働出来てはいマシて……。
綿巣:強いて言うなら、つい最近入って来た新人の女性が、ちょっと変わった雰囲気で、
綺理:ふむ、厄介事を孕んでいそうなパーソナリティであるとか、
綿巣:いえ……、何でも家庭の事情で、つい最近まで親族の介護をされていたトカで、学生の年齢から今まで、あ、多分私より少し年上だと思うんデスが、働いた経験が無い、という。
綿巣:社会復帰の為の武者修行だと、本人が。
綺理:ほう……、世の中には多様な事情を抱えた人が居るものだな。
綿巣:不思議オーラを纏ってはいマスが、手際も覚えも良いので、先輩としては楽なもんなのデスっ。
綿巣:デスので、それは……、
綺理:ふむ。
綺理:あのオドオドして人見知りだった綿巣くんが、大学院生ともなれば。
綺理:変わるものだなあ。
綿巣:い、いやぁ、どぅへへへ……。
綿巣:他に、ちょっと変わった同僚が何人か居マスが、悪い人間達ではナイので……。
綿巣:普段触れない知見や知識を得られて、興味深いデス。
綺理:うむ。
綺理:社会に出て働く事の醍醐味だな。
綺理:私にはからきし欠けている部分だから、その点に於いては君の方が先輩と言える。
綿巣:ひ、ひえぇっ。ヤメてほしいデスっ。
綿巣:恐れ多すぎて眼鏡にヒビが入りマスっ!!
綺理:もし本当であれば、興味深い現象だが……。
綺理:して、では、特段悩み事は無い、というのが結論かな?
綿巣:あ、いえ……。
綿巣:悩みと言うのも烏滸(おこ)がましいのデスが。
綿巣:その、ケーキが……、
綺理:(敏感に反応し)
綺理:ケーキ。ふむ。
綺理:それは、クリスマスの?
綿巣:そうデスっ。
綿巣:毎年、12月に入ると、大量に取り扱うのデスが、
綺理:恵方巻き然り、季節物縁起物は何でも売るね、近頃は。
綿巣:すみませんっ、間宮先輩に於かれマシては、コンビニなどご縁の薄いお話デスが……っ、
綺理:そんな事は無い。
綺理:が、やはりそういった印象を持たれているのか。
綺理:実態に即さない庶民派を気取るつもりも無いが、イメージの独り歩きは避けたい所だ。
綺理:それはまあ、今は良いとして……。
綺理:ケーキの話を、続けてくれ給え。
綿巣:は、はい……。
綿巣:こう、フードロス対策と言えば聞こえは良いデスが、脱法的福利厚生として、25日以降、売れ残ったケーキ類を、スタッフが持ち帰って居るのデス。
綺理:ふむ、ほう?
綿巣:直前に配送された分は翌日に値引きの上扱うので、販売期限間近の物を。
綿巣:多いスタッフだと、家族やご近所の分も含めて、10箱ほど……、
綺理:その1箱というのは、ピース売りでは無く、ホールだろうね?
綿巣:そうデス。
綿巣:コンビニケーキと言えども最近はそれなりに凝っていマシて、生地のフルーツも砂糖のサンタさんも、
綺理:(遮って、語気強く)
綺理:余っているのか。
綿巣:(虚を突かれ)
綿巣:……ほぇ?
綺理:余って、いるのか、ケーキが。
綺理:あ……、痺れを切らした風に聞こえたら済まない。
綿巣:あ、い、いいえ……っ。
綿巣:そうデス、流石、ご明察デスっ。
綿巣:わたしも甘い物は好物デスし、サンタ帽テンションの名残でまあイケるか、と、思い切って5箱ほど……、
綺理:5(ファイブ)ホールか! イッたなあ、君!
綺理:確か、大学の契約アパートで一人暮らしだったね?
綿巣:そうなのデスっ。
綿巣:要は、困り事というのはそれデシて……。
綿巣:消費期限まではまだ間がありマスが、明後日には私も帰省してしまうので1日1ホール生活としても消費し切れマセんし、そもそも生クリームをそこまで、
綺理:(遮り)委細承知した。
綿巣:え、あ、
綺理:(早口になり)
綺理:いやあ、成程それは確かに由々しき問題だなあ。
綺理:結局家庭で廃棄してしまっては元の木阿弥だし、かと言って独力に拘って体調に支障をきたしてしまっては本末転倒。
綺理:マクロの単位で巨視してもミクロの単位に引き寄せても、ケーキが余っているというのは捨て置けない問題と言えるだろうね。
綺理:ところで、旅は道連れ世は情けと、昔の人間は良い事を言ったものだが、
綺理:畢竟(ひっきょう)世の真理として、こんな時、助け合える仲間が居たらなあと、渦中の人物、この際ならば綿巣くん、君その人が、それこそ1日遅れとはいえクリスマスに準(なぞら)えて救いの御子の到来を希求したからと言って、非難する謂(いわ)れなど誰にあろう筈も無し。
綺理:私にした所で、本来の役目を果たす事なく塵芥(ちりあくた)共々焼却炉の薪に帰(き)すだろうケーキくん達の運命を思うと、センシティブ且つセンチメンタルな慟哭が胸に去来せざるを得ないなあ。
綺理:いや決して、私個人に食い意地が張っているとか、そういった不本意なレッテルはノーサンキューなのだが、まあ早い話、
綿巣:お、おおぅ……、
0:歪(ひず)み無き眼で、後輩の眼をまっすぐに見詰め、
綺理:手伝って、あげようか。
綺理:ケーキの始末を。
【モノローグ】(綿巣):……そういうコトになりマシた。
【モノローグ】(綿巣):間宮博士は食い意地が張っていマシたデス。
【モノローグ】(綿巣):平常に倣(なら)い表情筋は無断でご欠勤なれど、明らかに眼の輝きの違う麗しき才女を連れて、わたしは、恐れ多くも……っ、
【モノローグ】(綿巣):6畳1間っ。我らが慶格院(けいかくいん)大学が提携・契約しているアパート群の中でも最安クラスの家賃を誇る、畳の藺草(いぐさ)も芳(かぐわ)しき我が根城っ。
【モノローグ】(綿巣):アパート「明星荘(みょうじょうそう)」203号室へと帰宅しマシた。
【モノローグ】(綿巣):普段は計測器と資料群に占領されている文机(ふづくえ)を引っ張り出し、冷蔵庫1室分を費やして鎮座坐(ちんざましま)していたクリスマスカラーの四角き難物を睨みつけ、座布団の上(わたしはマットちゃんにデスが)に正座するわたしタチ。
【モノローグ】(綿巣):博士の一点の曇り無き白衣&相貌と、古く埃っぽい和室とのコントラスト。
【モノローグ】(綿巣):なんとも奇妙奇天烈・摩訶不思議(きみょうきてれつ・まかふしぎ)、奇想天外・四捨五入(きそうてんがい・ししゃごにゅう)な光景デシた。
綿巣:え、えと、その、汚い部屋で申し訳ありませんっ。
綿巣:今、せめてお茶など、
綺理:お構いなく。
綺理:押し掛けているのはこちらであるし、突然の提案で申し訳ない。
綺理:迷惑なら遠慮なく、
綿巣:トンデモございませんっ!!
綿巣:ただ……っ、「理学の申し子」、「透過光の女帝」、「天弓(てんきゅう)のスペクトル女神(ゴッデス)」、「フラウンホーファーの再来、ていうか増補改訂版」と謳われる間宮はか、(言い直し)先輩が、よりによって我が暗き穴蔵の畳にチョコンと……っ!
綿巣:余りの事態に、動転しておりマスデスっ。
綺理:聞いた事の無い異名だな……。
綺理:いま作っていないか、君。
綿巣:年明けに纏めてリリースしておきマスので。
綺理:……、まさか、これまでのも君が、
綿巣:(意図せず遮り)
綿巣:そんなコトよりも先輩!
綿巣:コレなるオブジェクト群を早速攻略するに当たり、お供は何に致しマショうっ。
綿巣:然るに、カフィー・オア・ブラックティー?
綺理:お、うむ。
綺理:では、紅茶を頂こうかな。
綺理:幼少より甘味の友は紅茶と決めている。
綺理:書き物や実験の際は珈琲なのだが。
綿巣:わたしもスイーツタイムには紅茶派デスっ。
綿巣:スグに準備をっ。
【モノローグ】(綿巣):安物のティーパックのお茶デスが、温度、手順、持てる知識を総動員して、人生最高峰の1杯を淹れられた筈デスっ。
【モノローグ】(綿巣):一片の悔いもありませんっ。
綺理:(品よく一口啜り)
綺理:うん……。
綺理:丁寧に処理されている。
綺理:率直に美味だ。
綿巣:ああ……っ。
綿巣:女神がわたしの淹れた紅茶を……っ。
綿巣:剰(あまつさ)えお褒めのお言葉まで……。
綿巣:天にも昇る心地デスぅ〜……っ。
綺理:またトリップしているようだが。
綺理:というか君、崇敬(すうけい)という情動を履き違えてはいないか。
綺理:それではまるで、神仏に対する信仰だよ。
綿巣:わたしに取っては≒(ニアリーイコール)でありマスっ!
綺理:それは余り良くないね。
綺理:「神を信じるのは心であって理性では無い」とパスカルも言っているし、
綿巣:「パンセ」デスね……。
綺理:そう。
綺理:およそ研究者らしい態度とは言えない。
綺理:そして理や道を如何に極めようとも、人は決して神にはなれない。
綺理:であるからこそ、神なる物理を解き明かす神妙の知と技は、人間にしか宿らない。
綺理:その覚悟と受容を以て、学研者の誇りと為すべし、と、これは祖父の受け売りだが。
綿巣:物理の巨人、「間宮創草(まみやそうぞう)」大博士(だいはくし)の……っ。
綺理:ま……、親族にしてみれば偏屈で酔狂な大狸だがね。
綺理:近頃は世界規模のフィールドワークに傾倒していて、
綺理:今回は2年振りの帰省だから、さて何時間拘束されたものか。
綿巣:物理を志す者にしてみれば、垂涎(すいぜん)モノの講演デスっ。
綿巣:27000円払ってでも行きマスっ!
綺理:微妙に生々しい数字だな。
綺理:それは良いとして。
綺理:兎も角、余りに人間としての実態を飛び離れた称賛というのはその、どうにも、
綿巣:あ、あのぉ……。
綿巣:本当に、すみません……。
綿巣:失礼で、ご迷惑な態度だと、解ってはいるのデスが。
綿巣:面と向かうと、どうにも、抑えが効かず……。
0:シュン、と項垂れ。ボリュームある三編みも心なし垂れ下がる。
綺理:いいや……。
綺理:決して、疎んじているのでは無いんだ。
綺理:後進に慕われ、先達に覚え目出度(めでた)いのは、私も人並みに、喜ばしく思うよ。
綺理:そして、私という人間を直接は知らない人々からどう言われようと、特段何も思わない。
綺理:イメージは独り歩きする物であって、メディアというのはその為のツールだ。
綿巣:あの、テレビを観た人たちトカの……、
綺理:SNSの力と言うのは凄い物だな。
綺理:短期間にたった2回、ほんの数分電波に乗っただけなのに。
綺理:反響と言うか何とか言うか。
綺理:他局からドラマ出演のオファーもあったんだよ。
綿巣:去年、あ、もうじき一昨年デスが、大変デシたね。
綿巣:話題の「美人過ぎる大学院生」を一目見ようと、人が詰めかけて。
綺理:ウチの大学の教授陣はスター揃いだから、テレビクルーが入る事は珍しくも無いが。
綺理:一般のその、所謂ファンというのか、が押し掛けてというのは……。
綺理:大学にも君たちにも、大いに迷惑をかけてしまったものだ。
綺理:私に過失がある訳では無いとは言え……、
綿巣:ほとぼりが冷めて良かったデス。
綿巣:マナーが悪いのも居マシたし……。
綺理:ま、それも俯瞰して見れば、科学と人間の交わり様の一形態とも言えるな。
綺理:情報はまるでそれ自体が生物であるかのように自己を複製・拡散し、結果として人間が動かされた。
綿巣:「ミーム」の概念デスねっ。
綺理:被造物はいとも簡単に造物主(ぞうぶつしゅ)の手を離れ、野放図(のほうず)に振る舞い始める。
綺理:それをして人間が、神の憂鬱を追体験しているかのように捉える者も居るが。
綺理:私は傲慢だと思うね。
綿巣:クリスチャンは別として、信仰にアイデンティファイしない人間に取っては、言葉遊び以上のモノにはならないと考えマス。
綺理:同意見だ。
綺理:情報社会学は専門外だが。
綺理:肥大化したネットワークテクノロジーというのは、有史以来の人類が凡(およ)そ初めて出くわした、新たな形の災害と呼べはしないか。
綿巣:「災害」、デスか。
綺理:発端は人工物だとはいえ、アンコントローラブルな其れは、地震や津波と同じく最早、人の手に余る。
綺理:古代に於いては神や精霊、日本にあっては「妖怪」とも概念化され、畏(おそれ)れ尊(たっと)ばれて来た物だ。
綺理:時と場合によって、恩恵と災禍(さいか)の両方を齎(もたら)す点など、正しく。
綿巣:「インターネットのミコト」の荒御魂(あらみたま)に触れて、先輩や大学は災難を被った、と……、
綺理:その切り口で行くならば、ね。
綺理:詰まる所、人が神の領域に到達した等というのは驕りであって。
綺理:人類は永劫、まだ見ぬ神と邂逅(かいこう)し続け、時には生み出しながら煩悶(はんもん)を重ねてゆくしかない。
綺理:その永き道行きの、ほんの小さな標石(しるべいし)こそが学問であり、研究という方法論なのだと私は考える。
綺理:無論、未だ長き途(みち)の門前に立ったばかりの未熟者の、聞き覚えの経文(きょうもん)に過ぎないがね。
綿巣:せっ、先輩が門前の小僧なら、わたしナド路傍(ろぼう)のアリン子デスっ。
綺理:人の歴史の永さから鑑みるに、君と私の間に大きな隔たり等無い。
綺理:無論、人間と昆虫の間にもね。
綿巣:それは、その……、
綺理:しかし、この神やモノノケというのはなかなかに優れたシステムと言えるな。
綺理:個々人の不躾さや無遠慮に、不毛な憎しみを抱かずに済む。
綿巣:そう、デスね……。
綿巣:「思し召し」と考えられればこそ、耐えられる事も多くあると。
綺理:一神教の場合はね。
綿巣:しかしそれのみをして、神や信仰の本質である、と括ってしまうのは、
綺理:語弊があるだろうね、多分に。
綺理:しかし、そして、そういった問答は実際、文化人類学者たちの領分だ。
綺理:物理の道を征く者には、実は余り関係が無い。
綺理:相手が神だろうと自然現象だろうと、我々はただ、問い掛け、そして解き明かせば良いのだから。
綿巣:(感嘆し、ほう、と息を吐き)
綿巣:……感服、敬服、満腹の雨あられデス……。
綿巣:何だか胸がいっぱいで……、
綺理:ほう、ケーキに取り掛かる前にかな?
綺理:何なら私が先んじて、侵攻を開始しても良いのだが。
綺理:いや決して、「鉄面皮の癖に欲どしい女だ」等と、思ってほしくは無いのだけれど、
綿巣:い、いえ、そこまでは……、
綿巣:そうデシた、クリスマスケーキを食べようの会デシたっ。
綺理:うむ。
綺理:本旨を忘れて喋り倒してしまう事など、我々には茶飯事だな。
綺理:しかし教授たちに比べれば私達など可愛い物だろう。
綿巣:確かにデス。
綺理:思うに、脳内の情報量が増えれば増える程、会話が脱線し易くなるんだな。
綺理:祖父など凄いよ、毛細血管の様に話題が分岐していって、永劫本題に辿り着く気がしない。
綺理:学識の無い者には認知症と変わらないだろう。
綿巣:まるで南方熊楠(みなかたくまぐす)のような……っ。
綿巣:日条の会話をそのまま録音した音声にも値が付きそうデス。
綺理:恐らく付くだろうが、世紀の怪音源になるだろうね。
綺理:何せ庭のチューリップに始まって、アメーバから北極の大空洞、果てはネイティブアメリカンの雷鳥(サンダーバード)信仰を経て多次元宇宙まで行く。
綺理:私や父でも繋がりを追い切れない。
綿巣:非常に非常にっ、興味深いデスが……っ。
綺理:うむ。祖父の話などしていては一向にケーキにあり付けない。
綺理:イエスの生誕祭には相応しくない話をしてしまった気もするが、史実ではおおらかな性格であったそうだし、赦して貰えるだろう。
綿巣:もう翌日ですので、大丈夫かとっ!
綺理:見給え。箱のフィルムの向こうから、サンタくん達が淋しげにこちらを見ている。
綿巣:ああっ。
綺理:実際彼らは意思なき砂糖の塊に過ぎないが。
綺理:ここは1つ原初の類感(るいかん)に身を委ね、これなる縁起物を存分に愛で、食そうではないか。
綿巣:……極めて俗化して表現するならばっ。
綿巣:「可愛いーっ。美味しそーっ!」というヤツデスねっ!
綺理:うむ! さあいざっ!!
【モノローグ】(綿巣):貪りまくりマシた。
【モノローグ】(綿巣):畳の上のケモノ2頭。
【モノローグ】(綿巣):ソレは女子会と呼ぶには余りに放縦(ほうじゅう)、目を覆う貪婪(どんらん)っ。
【モノローグ】(綿巣):詳細は乙女の名誉を守る為割愛しマスが、驚くべき事にっ。
【モノローグ】(綿巣):聖夜の残響は残す所あと、2箱にまで攻略せしめられマシたっ。
綺理:(布巾で口元を拭い)
綺理:いやあ、流石に食べたな。
綺理:脳が甘味に反応して快楽物質を精製している。
綺理:人間の舌というのは大したセンサーだ。
綿巣:あ、ありがとうございマス……っ。
綿巣:流石にもう、食べられマセん……っ。
綺理:あと2箱だろう、何とでもなるさ。
綺理:隣室の住人にでも配ったらどうだ?
綿巣:お隣、は、その、ちょっと……、
綺理:む、厄介な人間が住んでいるとか、
綿巣:というか何というか、随分、変わり者デシて……。
綿巣:どうやら3回生らしいんデスが、わたしも学内では1度しか見かけた事がありマセん。
綿巣:昼夜部屋に籠もって、ナニをやっているのか判然とせずっ。
綿巣:偶に、奇妙な電子音が聞こえて来るので深夜はマジびびりデスっ。
綺理:ふぅむ。
綺理:それは迷惑だな。管理人にでも言って、
綿巣:ココの管理人はその、やる気が有りマセんデシて……。
綿巣:でも、大丈夫デスっ。
綿巣:1箱は帰省前日に片付けられマスし、もう1箱は明日、ゼミの誰がしかに押し付けマスっ。
綺理:1箱ぐらいなら、貰い手も見つかるだろう。
綺理:ふう、やれやれ。肩の荷が降りたよ。
綿巣:本当に、ご迷惑をおかけしマシた……っ。
綿巣:貴重なお時間を、こんな事に割かせてしまい、
綺理:いや……、こちらこそ。
綺理:久々に、同年代の同性と、こんな風に茶話(さわ)をしたよ。
綺理:何だか、中等部の頃を思い出した。
綿巣:はか、あ、先輩のご出身校と言いマスと、かの、衾坂(ふすまざか)学院……、
綺理:そう、だね。
綺理:今にして思えば権威主義の禄でも無い母校だが。
綺理:1人……、親友が居たんだ。
綺理:少なくとも私は、そう思っていた。
綿巣:間宮先輩のご親友ともなれば、さぞかしご優秀な……っ、
綺理:……どう、だろうね。
綺理:本人はプレッシャーに悩んでいたようだが。
綺理:私は幼少より、学業の成績で友人を選んだ事は一度も無い。
綿巣:一緒に、ご進学されたのデスかっ?
綺理:いや……。
綺理:とある事情で、今は交友が無いがね。
綺理:しかし、思い出はいつも美しい。
綺理:2人して、技術部の部室に押し掛けてお茶を飲んだり、帰りの道すがら買い食いをしたり……。
綺理:今でも鮮明に思い出せる。
綺理:そして思い出しさえすれば、幸福な感覚をいつでも再生する事が出来る。
綺理:もう会えないのだという、冷たい砂利のような感触と共に、ね。
綿巣:……、……。
0:暫し、静寂の間。
綺理:ハハ。
綺理:冷めた紅茶には似合いの、湿っぽい話題だな。
綺理:済まないね。
綿巣:あ、いえ、その、すみません気が付きマセんでっ。
綿巣:すぐにおかわりを、
綺理:ああ、違うんだ。
綺理:そういう意図は無い。
綺理:それに、そろそろお暇するよ。
綺理:お招き頂き、どうもありがとう。
綿巣:そんなっ。身に余る光栄に存じマスっ。
綿巣:こんな汚い部屋に、
綺理:私なんて、他と比べて綺麗な所など無いよ。
綺理:今日で解っただろうが、人らしく生クリームを貪り、トイレだって2回も借りた。
綺理:どこにでも居るような、
綿巣:どこにでもはいませんデスっ。
綿巣:……間宮博士はっ、超絶ハイパー、ベリーベリー優秀で、筆舌に尽くし難き大天才で、他の追随を許さない眉目秀麗、才色兼備のっ……、
綺理:…………。
綿巣:ちょっと食いしん坊で変わった所もある、
綿巣:普通に素敵で、
綿巣:大好きな先輩、デスっ。
綺理:……、
0:水晶玉のような眼が、僅か見開かれる。
綺理:……ほう。
綿巣:入学当時から、尊敬していマシたデス。
綿巣:ゼミに入りたての時分、コンプレックスと対人恐怖の塊だった私を、気にかけて下さって……、
綺理:見ていられなかったからね。
綿巣:ある折に私に、「研究者たる者、まずは誇りを持つべきだ」と、言ってくださいマシた。
綿巣:内実など無くとも、虚勢でも良いから誇りを持て、と。
綿巣:後は空洞のソレを満たして行く為に、努力と試行を重ねるだけだ、と。
綺理:言ったね、確かに。
綺理:実は、あれは曽祖父の受け売りなんだが。
綺理:逝去の間際、親族一同に遺された言葉なんだ。
綺理:ものの見事に1人残らず、学者や研究者の一族だから。
綿巣:わたしには……、間宮先輩から賜った言葉だからこそ、意味があったのデス。
綿巣:あれ以来、わたしは自分なりに、内実を満たせるよう努力をして来マシた。
綿巣:勿論マダマダ、カルピスの残り1滴程度の水嵩(みずかさ)デスが。
綺理:私とてまだまだだよ。
綺理:或いは一生涯、満たされる事など無いのかもしれない。
綿巣:それでも良い、と。
綿巣:研究の道に意欲を持てたのは、先輩のおかげ様、なのデス。
綿巣:だから……、
0:分厚い眼鏡の奥の大きな眼が、物理の申し子をジッと見詰める。
綿巣:これからも、後輩として。
綿巣:……お慕い、させてほしいデス。
綺理:…………。
0:ふ、と表情がほんの僅かほぐれ、笑みと判る笑み。
綺理:……勿論だとも。
綺理:ただし、これ以上おかしな異名を量産するようなら、容赦なくクレームを入れるがね。
綺理:……先輩、として。
【モノローグ】(綿巣):「本当に楽しかった。ありがとう。良いお年を」。
【モノローグ】(綿巣):と、丁寧に、美しく言い残して、救世主は去って行きマシた。
【モノローグ】(綿巣):何だかどうにも現実感が無く、文机の上のケーキの空き箱だけが、今日の出来事が夢で無い事を証明していマシた。
【モノローグ】(綿巣):年明けに学内で会えば、また挙動不審の痛いファン的ムーブをカマしてしまう可能性大、デスがっ。
【モノローグ】(綿巣):……今日の所は、最高の、超ウルトラスペシャルハッピーラディカルメガトン級のっ、クリスマスプレゼント、デシたっ。
【モノローグ】(綿巣):まるっ!
0:残ったケーキの箱の中、砂糖菓子のサンタが微かに、笑ったかに見えた。無論、錯覚である。
0:【間】
【モノローグ】(綺理):後輩の家からの帰路。
【モノローグ】(綺理):バス停までの道すがら、雪が降り始めた。
【モノローグ】(綺理):大寒波にも関わらず、今年はこれが初雪である。
【モノローグ】(綺理):共に聖夜と、大晦日を過ごす予定だった元・恋人とは、今は些か、疎遠ではあるけれど。
【モノローグ】(綺理):愛しい後輩のお陰で、私は申し分の無いクリスマスを過ごす事が出来た。
【モノローグ】(綺理):願わくば。
【モノローグ】(綺理):彼にも、彼女にも、私にも。
【モノローグ】(綺理):地球人類に、良い歳末と、新しい年が訪れん事を。
0:歩調が少し早くなり、雪は一層、白さを増す。
0:【終】