台本概要
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タイトル | 『耽溺ちゃんと退廃くん』#4 |
---|---|
作者名 | sazanka (@sazankasarasara) |
ジャンル | ラブストーリー |
演者人数 | 2人用台本(男1、女1) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
プログレス1 ―破滅の町― とある「行為」を介して関係を持つ男女の学生、「君子(きみこ)」と「捧一(ほういち)」。 ありふれた唯一つの言葉へと至る為の、逆回りのオリエンテーション。 アラームが鳴る前に目覚めてしまうと、妙に損したような、または得したような、というお話。 ―2021年12月某日― ※「ラブストーリー」と捉え得るかもしれませんが、当人たちがその限りであるか否かはわかりません。あしからず。 43 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
君子 | 女 | 127 | 「保科 君子」。大学2回生。檻の君。 |
捧一 | 男 | 121 | 「多々良 捧一(たたら ほういち)」。大学2回生。沼の底。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
捧一:『それは世にある愛の堕落よりももっと邪悪な堕落であり、退廃した純潔は、世のあらゆる退廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃(たいはい)だ。』
君子:三島由紀夫、『仮面の告白』より。
0:タイトルコール。
君子:『耽溺(たんでき)ちゃんと』、
捧一:『退廃(たいはい)くん』。
0:【寝室】
0:捧一は目を覚ます。
0:重い瞼の眼前には、目を開けて捧一を見る、君子。
捧一:…………。
捧一:起きてる。
君子:はい。
君子:おはようございます。
捧一:……、
捧一:……なん、じ? まだ日は、
君子:五時半です。
君子:アラームまでまだ、1時間半ありますね。
0:捧一は微睡みつつ話す。
捧一:……寝て、無かったの?
君子:目が覚めたんです。珍しく、自然に。
捧一:雨でも……、降るんじゃないの。
捧一:俺はもう少し……、
君子:捧一(ほういち)くんって、
捧一:……、何?
君子:寝顔だけはあどけないんですね。
捧一:……。
捧一:何、それは。
君子:うふふ、ふ。ずっと寝てればイイんですよ。
君子:行為の時以外は。
捧一:……とんだ肉欲の奴隷じゃないか。
捧一:凄い事言うな。
君子:この間、
捧一:うん……、
君子:ある先輩に、性格が悪くなったと言われたので、
捧一:へぇ……、
捧一:単に、見透かされたんじゃないの、素を。
君子:感染(うつ)った、と言いましたよ。
君子:最近よく話す方から、って。ふふ。
捧一:誰の事かな。
君子:「その人は根性曲がりなのか」、と聞かれて。
君子:「それはもう」。「ものを喋るヘドロみたいな方です」、と、
捧一:俺の事嫌い? もしかして。
君子:咄嗟に。
君子:率直な感想が出てしまいまして。
君子:ふふ、ふ……。
0:君子はおかしそうに身じろぎする。
捧一:…………。早朝に目を醒ましてみれば。
捧一:ヘドロだの、する時以外は寝てろだの。
捧一:三文の得どころか、無一文の心境……、
捧一:ふ、ぁあ、ふ。(あくび)
君子:当人の心がけの問題だと思いますよ、あの慣用句に関しては。
捧一:……、眠くないの。いつもは起こしても、起きないのに。
君子:意外と、すっきり。
君子:といってもダウンしたのが早かったですから、ね。
捧一:夕飯の後……、だっけ。始めたの。
君子:ええ。
君子:後片付けもせず。着の身着のまま。
君子:すぐに脱がされましたが。
捧一:畳の上は流石に……、
君子:寒かったですからね。中断してこうして、お布団に。
捧一:風邪引きたく無いもんね、お互い。
君子:食べた跡も、食器も、そのままですよ。
捧一:出る前に洗うよ。俺はバイト、夕方からだし……、
捧一:ふ、あ。
君子:眠そうですねぇ。ふ、ふ。
捧一:アラームで起きるのが癖になってるんだ。
捧一:自然に目覚めるなんて滅多に無い……。
0:微睡みつつ、何とは無しにお互い、見詰め合う。
捧一:君子(きみこ)さんは……、
君子:はい?
捧一:睫毛が長いよね、凄く。
君子:……、
君子:今更、
捧一:あと、目が大きい。瞳も。
君子:何なんですか……、
君子:真っ当に、人を褒めるなんて。
捧一:というか……、見た、まま。
捧一:それに俺だって、普通に人を、褒める時ぐらい……、
君子:嘘です。
君子:いつも、貪欲でいじましいクチだの。
君子:こんなコトされて喜ぶようになったら人としてオシマイだの。
君子:碌な褒め方をされた覚えがありませんよ。
捧一:褒めてるつもりで言ってないけどね、ソレ……。
捧一:……こっちだって、乏しい語彙の中から捻り出してるんだから。
君子:個人的には、バリエーションよりも、持って行き方の方が大事だと思いますよ。
君子:今の所は……、
捧一:用を成してはいる、かな。
君子:ふ、ふ。ええ。
君子:やっぱりあると無いとでは。
君子:うふ、ふ。
捧一:……まあ。
捧一:もう大分、行くところまで行った感はある、けど、ね……。あ、ふ。(あくび)
君子:…………、
君子:ええ。
0:昏く、滲むような笑み。
君子:本当に……、どうしましょう、ねぇ?
君子:体の……、こんな所にピアスが開いている女子大生なんて……、
捧一:こんな所、ね、
君子:っ、ちょっ、とっ!
0:掛け布団と毛布が震える。
君子:……っ、
君子:……いきなり、引っ張らないでください。
捧一:痛かった?
君子:…………、いえ。
君子:加減は感じましたが。急だったので。
捧一:結構自分は、好きなタイミングで引っ掻いたり、噛み付いたりしてくる癖に……。
捧一:別に、良いんだけど。
君子:状況が違いますから。
君子:それにちゃんと、軟膏を塗ってあげているでしょう。
捧一:あと、さ……。
捧一:こんな所や、
君子:あ、ちょっと、
捧一:こんな、
捧一:所に、
君子:…………、
0:吐息の震え。
君子:…………、
捧一:ピアスを開けてる大学生年齢の女性は。
捧一:別に……、居るんじゃないの。
捧一:雑誌とかにも出てくるし。実年齢かは知らないけど。
君子:……、……。
君子:以前、お店で見た、タトゥーやピアスの雑誌ですね。
君子:……ああいった雑誌に載る方は……、
捧一:結構普通に、公務員とか、堅い仕事の人だったりも多いらしいけど、ね。
捧一:聞くところによると。
君子:世の中は広いですから……、
君子:無論、存在はしているでしょうが。
君子:……私に、開いている事が問題、なんですよ。
君子:ねぇ?
捧一:……勿論……。
捧一:取り返しは付かない、んだろうね。
0:大きく、あくびをする。
捧一:ふ、あぁ、ふ。
君子:…………。
君子:相変わらず。
君子:本当は何も考えていないだけなんじゃないですか。
捧一:考えても仕方の無い事を。
捧一:考えても、仕方が無いじゃない。
君子:捧一くんに言い付けられて開けたんですよ? 私。
捧一:言い付けるように言い付けて来たのは、
捧一:君子さんだったと、記憶してるけど。
君子:内容までは。想定していませんでした。
捧一:て、いうのに……、
捧一:意味が、あった訳だろ。
捧一:上手く開いて良かったよね。
君子:……、ええ。まあ。
捧一:穴もしっかり定着したし。
君子:捧一くんが丁寧に、それはもぉぉお丁寧に。
君子:雑紙のコピーやレクチャーのページとにらめっこしながら、意地になって針を通してくれましたから、ね?
捧一:意地になっては無いけどね……、別に。
捧一:失敗したら大惨事だし。
君子:なんだか実験台になったみたいで妙な気分でした。
君子:興奮とは別の。
捧一:鼻や舌と同じで、粘膜に近い所は難しいんだよ。
君子:書いてありましたね。
君子:毎日の洗浄も自分がやる、って妙に張り切って……。
君子:変な所で凝り性なんですから。
捧一:そこは……、責任持ちたかった、というか。
捧一:そもそも、自前で開けるような場所じゃないし、ね。
捧一:本来は。
君子:病院で開けるのを勧める、と。
君子:それも書いてありましたが。本当に大惨事になったらどうするつもりだったんですか?
0:捧一は微睡む目を細め、思案。
捧一:どう、かな……。
捧一:まずは……、
捧一:蔵内(くらうち)先生に。
捧一:連絡を取った、かな。
君子:…………、
君子:あの人は……。
君子:私達の高校の、保健教諭じゃないですか。
君子:……今も、いらっしゃるんでしょうか。
捧一:さあ……。移動したとは、聞いてないけど。
捧一:差し当たり知り合いの中では、一番身近な医療関係者、だからね。
君子:何でも言うことを聞く人の中では、でしょう。
捧一:何でも、って訳じゃない。
捧一:色々と。匙加減ってものがあったし……、
捧一:そもそも。そんなに大勢、いるわけでも無かったし。
君子:人数には興味がありませんが。
君子:今は、私1人なんですか。
捧一:君子さんは……、
捧一:何でも言うコト聞いたりしないじゃない。
君子:…………あらぁ。
君子:まあ、まあ、まあ。
君子:言うに事欠いて……、捧一くぅん?
捧一:何かな。
君子:本当に……、信じられないような事をたくさん、
君子:……思い出してもクラクラするような事をたぁくさん……、
君子:されましたし。
君子:させられましたが。私。
捧一:君子さんが興味を持った感じの事しか。
捧一:してないつもりだけどね。
君子:それはそう、でしょう。
君子:なんと言いますか、こう……、
君子:グっ、と。来なければ、
捧一:グっ、と。
君子:する意味がありませんから。
君子:時間と体を差し出してまで。
捧一:まあ……、リスクを負う訳だし、ね。
捧一:それで……、
捧一:グ、っと来たワケ?
捧一:ここや、
君子:……っ、
捧一:ここの、ピアスは。
0:君子は僅か、目を細め。息を吐く。
君子:…………。
君子:蔵内教諭にも。
君子:開けたんですか。ピアス。
捧一:いや……、
捧一:無い、ね。確か。
君子:ご既婚だったから?
捧一:新婚だったし、ね。
捧一:流石に……、関係の継続に支障が出る、と。
捧一:本人が辞退した、んだった筈。
君子:開けさせるつもりだったんですか、初めは。
捧一:というか……、何がしかの高揚に、繋がるなら。
君子:蔵内教諭の?
捧一:お互いの、かな。
捧一:合意形成と納得が、全てだから。
君子:ピアスに関して、私にはそういった気遣いを、しては頂けなかったんですねぇ?
君子:捧一くん。
捧一:「徹底的に、何もかも壊して、どうしようもなくして欲しい」、って。
捧一:オーダーだったから……。
捧一:合意も、してたじゃない。
捧一:真っ赤になって。
君子:…………、
君子:ショックと興奮が綯(な)い交ぜで。
君子:冷静ではありませんでしたし。
捧一:後悔、してるとか。
君子:いいえ? それは、断じて。
捧一:……、そう。
君子:ちなみに。
君子:グっと来ても、いましたよ。
捧一:ふうん。
君子:うふふふ、ふ……。
0:愉しげに笑い、足を絡める。
君子:…………。あらためて聞くと。
君子:なかなかの要求ですね。
君子:よく言ったものです、当時の私は。
捧一:その上で……、大学生活は大学生活で平常に続行したい、というような事だったから、
君子:無論です。折角合格しましたし。
捧一:色々考えたよね。
捧一:俺もプロとかでは無いし。
君子:プロ。
捧一:まあ妥協点として……、
捧一:見えてる所は、その対外的な「聖女」のイメージを、きっちりと保ってもらって……、
君子:隠れている所は徹底的に、取り返しが付かないぐらいに汚す、と。
君子:ふ、ふふ……。
捧一:基本はそういうプランで。
捧一:今も変わらないけど、大枠。
君子:バランスは取れている、かと。
君子:私はただ、身も心も清廉潔白な振りをして……、
君子:秘密を、守り切れば良い訳ですから。
捧一:……秘密。
君子:ええ。人類の宿命、だそうですよ。
捧一:何それ。
捧一:学科の先生の受け売り?
君子:ふふ、ふ。
君子:秘密、でぇす。
捧一:……、ま……、良いんだけど。
捧一:そんなロマンチックなモンかね、コレが。
君子:良いんですよ。
君子:私について、私しか知り得ない部分を、私が知っている、というだけで。
捧一:俺も知ってるけど。
君子:捧一くんは。
君子:私の部分の一環、というか……、
君子:道具みたいなものですから。ノーカウントです。
捧一:……とうとう言い切ったな。
捧一:やっぱり寝てようか、する時以外はずっと。
君子:ふふふ、ふ……。
君子:あと、そうですねぇ。
君子:ご飯を作る時と、お風呂にお湯を張る時と。
君子:お布団の支度をする時、嵩高い荷物を運ぶ時、あと、それから……、
君子:お茶とお菓子の用意をする時だけは。
君子:起きていても良いですよ。
捧一:丸一日潰れるね……。
捧一:洗い物は良いワケ?
捧一:自分の分は自分でやるんだ。
君子:眠っていても出来るでしょ、洗い物は。
君子:ふふ、ふ……。
0:もぞ、と身じろぐ君子。
捧一:寒い?
君子:少し。くっついて良いですか。
捧一:良い、よ。
0:密着範囲の増大。熱の均一化。
君子:カサカサしていますねぇ、棒一くんの肌は。
君子:油分と水分を奪われそうです。
捧一:しっかり塗っときなよ。
捧一:あの、湯上がりに塗ってるヤツ。
君子:捧一くんこそ。
君子:冬場は乳液ぐらい塗った方が良いですよ。
君子:痒くないんですか。
捧一:習慣が無いからね……。
捧一:塗れと言うなら塗るけど。
君子:いえ。
君子:捧一くんがヌルヌルしていたら気持ちが悪いので。
君子:塗らなくて良いです。
捧一:何で君子さんはしっとりして。
捧一:俺はヌルヌルになるんだよ。
君子:しっとりしてますか。私。
捧一:さあ……、
捧一:この、こういう質感を……、
捧一:しっとりと表現してるんじゃないの、人は。
君子:うふふ、ふ。くすぐったいです。
0:布団と毛布の塊が蠢く。
君子:……、何だか眠くなって来ました……。
捧一:まだ1時間と少し……、あるけどね。
捧一:本来の起床時刻まで。
君子:眠そうな捧一くんを鑑賞出来たので。
君子:満足です。
捧一:俺を?
君子:捧一くんはいつも、眠いんだか死んでいるんだか、判然としない風な顔をしていますが、
捧一:そんな風に見てたのかよ。人の顔を。
君子:本当に眠た気な捧一くんは。
君子:珍しいです。
捧一:いつもは起こす役、だからね。
捧一:二度寝して……、ちゃんと起きてくれるんだろうな。
君子:さぁ……。1時間後の私に聞いてください。
捧一:ま……。別に、いつも通りにするけど、ね。
君子:うふふ、ふ。
0:瞼が重たげに下がり、両者、微睡み。
捧一:……つかぬ事を聞くけど、さ。
君子:はい……?
君子:ああ……、良いですよぉ、しても。
捧一:いや、ではなく。
君子:なぁんだ。
捧一:特に重要でもないから聞かなかったけど……、
捧一:蔵内先生との事は、知ってた、訳?
君子:高校の時に……?
捧一:そう。いつの時点で見られたかな、と。
君子:……私……、こう見えて、気配を隠すのが、苦手ではないんです。
捧一:……、何となく、片鱗は。
君子:保健室の……、壁沿いの、大きな棚、
捧一:……緑のヤツ?
君子:そう、です。
君子:あれと、部屋の隅との間の所に。
君子:死角になっている場所が、あったでしょう。
捧一:……、……。
捧一:あった、ね。確かに。
捧一:まさか……、あんな隙間に隠れて、
君子:当時は今よりももっと、痩せていましたから、ね。
捧一:……、今も十分細いよ、とか言えば良いのかな。
君子:偶にはそういう通り一遍の、常套句の1つでも言ってみたらどうですか。
君子:水槽の底に溜まった泥みたいな、減らず口ばかりじゃなくて……。
捧一:君子さんトコの侍女よりよっぽど酷いな……。
捧一:嫌いでしょ、本当は。
君子:ふふ、ふ。
君子:自分の一部に……、好きも嫌いも、あったもんじゃ無いですよ。
君子:……ちなみに、
捧一:うん……、はい、
君子:十津加(とつか)生徒会長との事も。
君子:数学の西鳥(にしとり)教諭との事も。
君子:隠れて見てたんですよ。私。
0:捧一の片方の眉が上がる。
捧一:…………。
捧一:……生徒会長のヤツは。
捧一:薄っすらそんな気もしてたけど、さ……。
君子:何て所で、何て事を……、と。
君子:ショックで不眠症に拍車が掛かったんですから、あの後。
捧一:可奈子(かなこ)さ、(言い直し)
捧一:……、西鳥先生のは一体ドコで? およそ隠れるような場所、
君子:秘密、です……。
君子:良いじゃありませんか。
君子:過ぎ去った青春の徒然(つれづれ)は。
捧一:……、……。
捧一:……あらためて思うに……。
捧一:碌な高校じゃ無いな。我らが母校ながら。
君子:風紀を乱していた元凶が。
君子:厚顔無恥なヘドロですねぇ。
捧一:俺は学校生活に関しては、至って真面目だったよ。
君子:少なくとも誰一人、露見してはいませんし、ね?
捧一:……、でもそうか。見てたのか、色々と。
捧一:誰かから聞いたにしては、やけに詳しいと思ったら……。
君子:皆さん……、そう、問題児だった山菱(やまびし)さんにしても、ですが、
捧一:ヤンキー山菱か。懐かしいな最早……。
君子:窘(たしな)めたり。注意をしたり。時には虐げる振りをしながら……。
君子:実に上手に、棒一くんを「使って」いらっしゃいましたね。
捧一:……そう、だね。それが一番適当だな。
君子:でもその一方で。
君子:自分を開放したり……、抑え込んでいるものを曝け出すには、面倒な手続きが要るものだとも思いました。
捧一:進学校だからね。
捧一:生徒も教師も、相応に鬱屈して……、
捧一:その分、器用にガス抜きをするのは、上手かったな。皆それぞれ。
君子:私は家の事もあり……、遅れていましたし。
君子:その辺り、不器用でしたので。
君子:せめて、他人の秘密を……、
君子:盗み見る、事で。
君子:自分の中で置き所の無い、やり場の無いモノを、
捧一:憂さを晴らしてた、んだよな。
捧一:初めに、聞いた通り。
君子:……ええ……。
君子:荒療治が要ると、思ったんです。
君子:生きて、行く為に。
捧一:で……、偶々入った大学に、俺が居て、と。
君子:丁度良く、というか。
君子:不運にも、というか。
捧一:示し合わせたかのように?
君子:割れ鍋に綴(と)じ蓋。
君子:……ちょっと待ってください。
君子:どちらが割れ鍋で、どちらが綴じ蓋ですかっ。
捧一:知らないけど。
捧一:まあ……。効果の程は、推して知るべし、かな。
君子:ガス抜きと呼ぶには。
君子:少々穴を、開けられ過ぎてしまいましたが。
捧一:ひとまずはご要望通りだと、まあ……、
捧一:あ、ふ。(あくび)
捧一:思うけど、ね。
君子:お嫁には行けませんねぇ?
君子:少なくとも、このままでは。
捧一:それって……、天下の保科(ほしな)家の次女としては、どんな程度のモンなのかね。
君子:やっぱり……。
君子:事の重大さを分かっていないんだから。
君子:バレたら殺されますよ、本当に。冗談では済みません。
捧一:どちらでも。大して興味が、湧かない問題だから、ね……。
君子:言うまでも無く、ご家族やご親戚にも累(るい)が及ぶという事を、
捧一:(遮り)いい、よ。
0:静寂。
君子:…………、
捧一:君子さんと違って、親にも、家にも、何の恨みも、無いけれど。
捧一:累が及んで、困る程度の縁もゆかりも……、
捧一:初めから、無い、から……。
君子:…………。
君子:随分、眠そうですねぇ。
捧一:変な時間に、起きちゃったから、ね……。
君子:……まあ。良いでしょう。
君子:考えても仕方の無い事は。
君子:考えても仕方が無い、ですからね?
捧一:……取り敢えず。
捧一:今は、それで、良いんじゃないの。
捧一:アラームが、鳴るまでは。
君子:……、……。
0:些か思案げに、時計を見やる君子。
君子:…………。
捧一:ちょっとでも寝れば。
君子:ええ。そしてアラームを。
君子:十時に合わせ直します。
捧一:(微睡みつつ)
捧一:は……?
捧一:大学は、
君子:自主休校です。
君子:急用が出来たので。
捧一:…………、
捧一:知らない、よ。
捧一:休み癖が付いても。
君子:……手遅れ、かと。
君子:割れ鍋だか、綴じ蓋だかは……、
0:に、と笑み。
君子:穴を、開けられ過ぎて。
君子:近頃水漏れが止まらないんですよ。
捧一:…………。
君子:ふふ、ふ、ふ。
捧一:好きに、すれば。
捧一:十時、ね……。
君子:起きたら遅目のモーニングを食べに行きませんか。
君子:一時までやっている所があるんです。
捧一:…………、……、
捧一:気分、が。乗ればね……。
0:捧一の瞼はいよいよ重く、眠りへと溶けて行く。
君子:ねぇ……。
君子:捧一くん。
捧一:(半ば寝入りつつ)
捧一:ん……、な、に……、
君子:私から……、逃げたら。
君子:……私に付けた疵(きず)や、孔(あな)から、逃げ出したら。
君子:殺しますから、ね。
捧一:…………、……、
君子:私が、どうなろうと。
君子:捧一くんが、どうなろうと。
君子:道具が勝手に、見えなくなってしまっては……、
君子:駄目ですから、ね。
捧一:…………。
0:毛布に隔てられ、君子の表情は伺えず。
捧一:それ、は…………。
捧一:……脅迫?
捧一:……提案……?
君子:…………。
君子:それは勿論…………、
0:子守の唄の如き、声音。
君子:秘密、ですよ。
捧一:…………、
君子:うふ、
君子:ふふ、
君子:ふふ、ふ……。
0:捧一の意識は、深い眠りへと沈んで行く。
0:暗転。
0:【終】
:
0:【メイド日報】
由:■「越上 由(えつじょう ゆかり)」。
由:君子の実家の侍女。ゆるふわ暗黒メイド。
鬨征:■「雷殿 鬨征(らいでん ときまさ)」。
鬨征:とある館の客人。
0:塚淵(つかぶち)県「葵谷(あおいだに)」、とある邸宅の、応接間。
0:豪奢なるテーブルに着く客人の前、湯気立つカップが供され。
由:どうぞ……。粗茶ですが。
鬨征:んっクク、やァー、そーカシコまらんとっ。
鬨征:俺と由(ゆかり)ちゃんの仲やねんからさァー、
由:……、うふふ、ふ。
0:妙齢のメイドは、綿菓子の如く笑み。
由:季節のせいかしら……? 近頃、物忘れが激しくて……。
由:私のような下賤のものと、貴方様のような高貴な御方との間に……、
由:仲が深まるだなんて、そのような……、
由:だいそれた事が、ありましたかしら……?
鬨征:カっカカっ。関東の人間のシャレいうたらコレや。ヤラシぃのォ。
鬨征:……「気色の悪い、ショセンは成金の、チンピラのカスが」、て。
鬨征:思(おも)てるコトちゃァんと、言うたらエエねんでェー?
0:悪趣味なサングラスの奥の眼が、歪む気配。
由:あらぁ……。
0:甘味の奥より、毒気の滲み。
由:東の百姓の野良育ちの手前、上方(かみがた)の、雅な言葉には耳馴染みがありませんもので……、
由:よろしければもう一度、
由:ゆっくりと、
由:仰って頂けませんこと?
鬨征:……、
0:静寂の後、下卑た笑いが堰を切り。
鬨征:っギャぁアーっハハハっ!! ギャッハハハっ!
鬨征:ギヒヒっ、……俺キミ、ほんま好っきゃわァーーっ。
由:……、
鬨征:あァー。こんなん俺んトコにも欲しいわァーマジで。
鬨征:ウチの下のモンいうたら、イキりたいだけイキらしてはくれよるケド、まァ張り合い無いからなァ、最近。
鬨征:特に……、アニキもオジキも蹴落として、アトはまァ、襲名も待ったナシやろいうカンジになってからコッチはホンマに、
由:(にこりと笑み)
由:血族殺し。
鬨征:お。
由:ご成就、おめでとうございまぁす。
由:うふふふふふ。
鬨征:聞こえ悪いのォ。
鬨征:誰も聞いてへんからエエけど。
鬨征:殺してへんよ?? ただオジキのアホがやな、エエ歳こいて、アホの癖にいっちょ前に、ショボくれた顔しとったもんやからやなァ……、
0:隠れた眼の奥、稲妻の如くギラつき。
鬨征:楽になる道、教えたっただけや。
鬨征:俺の連れ、紹介したってなァ。
由:……それはそれは。お優しい甥っ子様ですこと。
鬨征:器に見合わん重圧背負い込む前に、極楽イカしたってんから。孝行やでなァ、マジでっ。カカカっ。
0:ズ、と、適温のカップを啜り。
鬨征:え、ほんで浄子(きよこ)ちゃんまだ??
由:申し訳ありません。生憎と、貴方様のようにお暇の多い身空ではありませんので。
鬨征:カっカカ。
鬨征:どーせホンマは俺、ココに居(お)ったらアカン人間やさかい。なんぼでも待つけどもやな。
由:セキュリティは万全ですので。ご安心を。
鬨征:なァーにもっ。なァーにも心配しとらんよ俺っ。
鬨征:「秘密」が命のコノ商売……。敷地の中のチョメチョメ1つ、守られへんのやったら。
鬨征:アガッタリやもんのォ?
由:ご信用頂き感謝致しますわ……。鬨征(ときまさ)様。
鬨征:あァーー。浄子ちゃんも下の名前で呼んでくれへんかなマジでェーーっ。
鬨征:どーしてんのん、今はナニで忙しいのん浄子ちゃんっ。
由:今日は……、
由:妹様の、
由:君子お嬢様の身の回りのお世話に付いて、担当者とプラン会議の最中です。きっともうじき、終えられるかと。
鬨征:バリ私用やんけソレーー。
鬨征:や、全然エーねんけどもっ。
由:週ごとに、定例の事ですので。
鬨征:ほォオーーーん。ホンマに好きやねんなァーー、妹のコト。
由:……、好き……?
鬨征:よお話に出て来るで、こないだヌイグルミあげたらメッチャ喜んでたーやの、最近一緒にカステラ作んのにハマってるー、やの。
由:……浄子お嬢様が……?
鬨征:あ?
由:そのような、思い出話を、鬨征様に……?
0:メイドの表情に、訝しみの色。
鬨征:思い出、いうかよ。
鬨征:ていうか妹そろそろ二十歳(はたち)とかやろ?? ケッコー幼児趣味っちゅーか、幼い感じの子ォなんやなァ、て、
鬨征:……言うたらそういや、何か浄子ちゃん黙ってしもてんケド。
鬨征:俺、何かマズい事……、
由:……、いえ。
由:……、……、
0:思案。
由:……浄子お嬢様は、
鬨征:おォ、
由:もう1年近く、君子お嬢様と、直接お会いになっては、おられません。
鬨征:は??
鬨征:ええ……?? そーなん??
鬨征:せやけど……、こないだ大阪で会(お)うた時かて、「コレ妹の手作りやねーん」て、いや「やねーん」とは言うてナイけど、
鬨征:形ガッタガタの、ブローチみたいなヤツ……、
由:……っ、
鬨征:見してくれて。珍しくめちゃめちゃニコニコしてるからやなァー、イヤもう自分マジで可愛いやーんて、
鬨征:……由ちゃん?
0:メイドの眼に、神妙な色。
由:……その、ブローチ……、
由:どのような……、
鬨征:おォー、なんか、多分花やと思うんやけど、青と緑の、こう陶器っぽい質感の……、
由:縁が金の?
鬨征:あーー、せやったかな、確か……、
由:…………。
由:その、ブローチは。
鬨征:おォ。どしたん由ちゃん?
由:……その、保科(ほしな)家の家紋を象った、ブローチは。
由:……君子お嬢様が、5歳の折。
由:11歳の浄子お嬢様に、送られた物、ですわ……。
0:刹那、静寂。
鬨征:…………あァん…………??
鬨征:え、やけど浄子ちゃんは「こないだ」て……、
由:……、
0:沈黙。壁掛けの時計だけが静寂を刻み。
鬨征:え、え、え。
鬨征:ソレってどーいうカンジのコト??
鬨征:ヤバいヤツ? ヤバいヤツ?
由:……、……。
由:…………さあ。
0:綿菓子の笑みは、今や失せている。
由:……考えるべきでは無い事、
由:……なのかもしれませんね。
0:靄のような不条理の気配が応接間を満たし。
0:暗転。
0:【終】
捧一:『それは世にある愛の堕落よりももっと邪悪な堕落であり、退廃した純潔は、世のあらゆる退廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃(たいはい)だ。』
君子:三島由紀夫、『仮面の告白』より。
0:タイトルコール。
君子:『耽溺(たんでき)ちゃんと』、
捧一:『退廃(たいはい)くん』。
0:【寝室】
0:捧一は目を覚ます。
0:重い瞼の眼前には、目を開けて捧一を見る、君子。
捧一:…………。
捧一:起きてる。
君子:はい。
君子:おはようございます。
捧一:……、
捧一:……なん、じ? まだ日は、
君子:五時半です。
君子:アラームまでまだ、1時間半ありますね。
0:捧一は微睡みつつ話す。
捧一:……寝て、無かったの?
君子:目が覚めたんです。珍しく、自然に。
捧一:雨でも……、降るんじゃないの。
捧一:俺はもう少し……、
君子:捧一(ほういち)くんって、
捧一:……、何?
君子:寝顔だけはあどけないんですね。
捧一:……。
捧一:何、それは。
君子:うふふ、ふ。ずっと寝てればイイんですよ。
君子:行為の時以外は。
捧一:……とんだ肉欲の奴隷じゃないか。
捧一:凄い事言うな。
君子:この間、
捧一:うん……、
君子:ある先輩に、性格が悪くなったと言われたので、
捧一:へぇ……、
捧一:単に、見透かされたんじゃないの、素を。
君子:感染(うつ)った、と言いましたよ。
君子:最近よく話す方から、って。ふふ。
捧一:誰の事かな。
君子:「その人は根性曲がりなのか」、と聞かれて。
君子:「それはもう」。「ものを喋るヘドロみたいな方です」、と、
捧一:俺の事嫌い? もしかして。
君子:咄嗟に。
君子:率直な感想が出てしまいまして。
君子:ふふ、ふ……。
0:君子はおかしそうに身じろぎする。
捧一:…………。早朝に目を醒ましてみれば。
捧一:ヘドロだの、する時以外は寝てろだの。
捧一:三文の得どころか、無一文の心境……、
捧一:ふ、ぁあ、ふ。(あくび)
君子:当人の心がけの問題だと思いますよ、あの慣用句に関しては。
捧一:……、眠くないの。いつもは起こしても、起きないのに。
君子:意外と、すっきり。
君子:といってもダウンしたのが早かったですから、ね。
捧一:夕飯の後……、だっけ。始めたの。
君子:ええ。
君子:後片付けもせず。着の身着のまま。
君子:すぐに脱がされましたが。
捧一:畳の上は流石に……、
君子:寒かったですからね。中断してこうして、お布団に。
捧一:風邪引きたく無いもんね、お互い。
君子:食べた跡も、食器も、そのままですよ。
捧一:出る前に洗うよ。俺はバイト、夕方からだし……、
捧一:ふ、あ。
君子:眠そうですねぇ。ふ、ふ。
捧一:アラームで起きるのが癖になってるんだ。
捧一:自然に目覚めるなんて滅多に無い……。
0:微睡みつつ、何とは無しにお互い、見詰め合う。
捧一:君子(きみこ)さんは……、
君子:はい?
捧一:睫毛が長いよね、凄く。
君子:……、
君子:今更、
捧一:あと、目が大きい。瞳も。
君子:何なんですか……、
君子:真っ当に、人を褒めるなんて。
捧一:というか……、見た、まま。
捧一:それに俺だって、普通に人を、褒める時ぐらい……、
君子:嘘です。
君子:いつも、貪欲でいじましいクチだの。
君子:こんなコトされて喜ぶようになったら人としてオシマイだの。
君子:碌な褒め方をされた覚えがありませんよ。
捧一:褒めてるつもりで言ってないけどね、ソレ……。
捧一:……こっちだって、乏しい語彙の中から捻り出してるんだから。
君子:個人的には、バリエーションよりも、持って行き方の方が大事だと思いますよ。
君子:今の所は……、
捧一:用を成してはいる、かな。
君子:ふ、ふ。ええ。
君子:やっぱりあると無いとでは。
君子:うふ、ふ。
捧一:……まあ。
捧一:もう大分、行くところまで行った感はある、けど、ね……。あ、ふ。(あくび)
君子:…………、
君子:ええ。
0:昏く、滲むような笑み。
君子:本当に……、どうしましょう、ねぇ?
君子:体の……、こんな所にピアスが開いている女子大生なんて……、
捧一:こんな所、ね、
君子:っ、ちょっ、とっ!
0:掛け布団と毛布が震える。
君子:……っ、
君子:……いきなり、引っ張らないでください。
捧一:痛かった?
君子:…………、いえ。
君子:加減は感じましたが。急だったので。
捧一:結構自分は、好きなタイミングで引っ掻いたり、噛み付いたりしてくる癖に……。
捧一:別に、良いんだけど。
君子:状況が違いますから。
君子:それにちゃんと、軟膏を塗ってあげているでしょう。
捧一:あと、さ……。
捧一:こんな所や、
君子:あ、ちょっと、
捧一:こんな、
捧一:所に、
君子:…………、
0:吐息の震え。
君子:…………、
捧一:ピアスを開けてる大学生年齢の女性は。
捧一:別に……、居るんじゃないの。
捧一:雑誌とかにも出てくるし。実年齢かは知らないけど。
君子:……、……。
君子:以前、お店で見た、タトゥーやピアスの雑誌ですね。
君子:……ああいった雑誌に載る方は……、
捧一:結構普通に、公務員とか、堅い仕事の人だったりも多いらしいけど、ね。
捧一:聞くところによると。
君子:世の中は広いですから……、
君子:無論、存在はしているでしょうが。
君子:……私に、開いている事が問題、なんですよ。
君子:ねぇ?
捧一:……勿論……。
捧一:取り返しは付かない、んだろうね。
0:大きく、あくびをする。
捧一:ふ、あぁ、ふ。
君子:…………。
君子:相変わらず。
君子:本当は何も考えていないだけなんじゃないですか。
捧一:考えても仕方の無い事を。
捧一:考えても、仕方が無いじゃない。
君子:捧一くんに言い付けられて開けたんですよ? 私。
捧一:言い付けるように言い付けて来たのは、
捧一:君子さんだったと、記憶してるけど。
君子:内容までは。想定していませんでした。
捧一:て、いうのに……、
捧一:意味が、あった訳だろ。
捧一:上手く開いて良かったよね。
君子:……、ええ。まあ。
捧一:穴もしっかり定着したし。
君子:捧一くんが丁寧に、それはもぉぉお丁寧に。
君子:雑紙のコピーやレクチャーのページとにらめっこしながら、意地になって針を通してくれましたから、ね?
捧一:意地になっては無いけどね……、別に。
捧一:失敗したら大惨事だし。
君子:なんだか実験台になったみたいで妙な気分でした。
君子:興奮とは別の。
捧一:鼻や舌と同じで、粘膜に近い所は難しいんだよ。
君子:書いてありましたね。
君子:毎日の洗浄も自分がやる、って妙に張り切って……。
君子:変な所で凝り性なんですから。
捧一:そこは……、責任持ちたかった、というか。
捧一:そもそも、自前で開けるような場所じゃないし、ね。
捧一:本来は。
君子:病院で開けるのを勧める、と。
君子:それも書いてありましたが。本当に大惨事になったらどうするつもりだったんですか?
0:捧一は微睡む目を細め、思案。
捧一:どう、かな……。
捧一:まずは……、
捧一:蔵内(くらうち)先生に。
捧一:連絡を取った、かな。
君子:…………、
君子:あの人は……。
君子:私達の高校の、保健教諭じゃないですか。
君子:……今も、いらっしゃるんでしょうか。
捧一:さあ……。移動したとは、聞いてないけど。
捧一:差し当たり知り合いの中では、一番身近な医療関係者、だからね。
君子:何でも言うことを聞く人の中では、でしょう。
捧一:何でも、って訳じゃない。
捧一:色々と。匙加減ってものがあったし……、
捧一:そもそも。そんなに大勢、いるわけでも無かったし。
君子:人数には興味がありませんが。
君子:今は、私1人なんですか。
捧一:君子さんは……、
捧一:何でも言うコト聞いたりしないじゃない。
君子:…………あらぁ。
君子:まあ、まあ、まあ。
君子:言うに事欠いて……、捧一くぅん?
捧一:何かな。
君子:本当に……、信じられないような事をたくさん、
君子:……思い出してもクラクラするような事をたぁくさん……、
君子:されましたし。
君子:させられましたが。私。
捧一:君子さんが興味を持った感じの事しか。
捧一:してないつもりだけどね。
君子:それはそう、でしょう。
君子:なんと言いますか、こう……、
君子:グっ、と。来なければ、
捧一:グっ、と。
君子:する意味がありませんから。
君子:時間と体を差し出してまで。
捧一:まあ……、リスクを負う訳だし、ね。
捧一:それで……、
捧一:グ、っと来たワケ?
捧一:ここや、
君子:……っ、
捧一:ここの、ピアスは。
0:君子は僅か、目を細め。息を吐く。
君子:…………。
君子:蔵内教諭にも。
君子:開けたんですか。ピアス。
捧一:いや……、
捧一:無い、ね。確か。
君子:ご既婚だったから?
捧一:新婚だったし、ね。
捧一:流石に……、関係の継続に支障が出る、と。
捧一:本人が辞退した、んだった筈。
君子:開けさせるつもりだったんですか、初めは。
捧一:というか……、何がしかの高揚に、繋がるなら。
君子:蔵内教諭の?
捧一:お互いの、かな。
捧一:合意形成と納得が、全てだから。
君子:ピアスに関して、私にはそういった気遣いを、しては頂けなかったんですねぇ?
君子:捧一くん。
捧一:「徹底的に、何もかも壊して、どうしようもなくして欲しい」、って。
捧一:オーダーだったから……。
捧一:合意も、してたじゃない。
捧一:真っ赤になって。
君子:…………、
君子:ショックと興奮が綯(な)い交ぜで。
君子:冷静ではありませんでしたし。
捧一:後悔、してるとか。
君子:いいえ? それは、断じて。
捧一:……、そう。
君子:ちなみに。
君子:グっと来ても、いましたよ。
捧一:ふうん。
君子:うふふふ、ふ……。
0:愉しげに笑い、足を絡める。
君子:…………。あらためて聞くと。
君子:なかなかの要求ですね。
君子:よく言ったものです、当時の私は。
捧一:その上で……、大学生活は大学生活で平常に続行したい、というような事だったから、
君子:無論です。折角合格しましたし。
捧一:色々考えたよね。
捧一:俺もプロとかでは無いし。
君子:プロ。
捧一:まあ妥協点として……、
捧一:見えてる所は、その対外的な「聖女」のイメージを、きっちりと保ってもらって……、
君子:隠れている所は徹底的に、取り返しが付かないぐらいに汚す、と。
君子:ふ、ふふ……。
捧一:基本はそういうプランで。
捧一:今も変わらないけど、大枠。
君子:バランスは取れている、かと。
君子:私はただ、身も心も清廉潔白な振りをして……、
君子:秘密を、守り切れば良い訳ですから。
捧一:……秘密。
君子:ええ。人類の宿命、だそうですよ。
捧一:何それ。
捧一:学科の先生の受け売り?
君子:ふふ、ふ。
君子:秘密、でぇす。
捧一:……、ま……、良いんだけど。
捧一:そんなロマンチックなモンかね、コレが。
君子:良いんですよ。
君子:私について、私しか知り得ない部分を、私が知っている、というだけで。
捧一:俺も知ってるけど。
君子:捧一くんは。
君子:私の部分の一環、というか……、
君子:道具みたいなものですから。ノーカウントです。
捧一:……とうとう言い切ったな。
捧一:やっぱり寝てようか、する時以外はずっと。
君子:ふふふ、ふ……。
君子:あと、そうですねぇ。
君子:ご飯を作る時と、お風呂にお湯を張る時と。
君子:お布団の支度をする時、嵩高い荷物を運ぶ時、あと、それから……、
君子:お茶とお菓子の用意をする時だけは。
君子:起きていても良いですよ。
捧一:丸一日潰れるね……。
捧一:洗い物は良いワケ?
捧一:自分の分は自分でやるんだ。
君子:眠っていても出来るでしょ、洗い物は。
君子:ふふ、ふ……。
0:もぞ、と身じろぐ君子。
捧一:寒い?
君子:少し。くっついて良いですか。
捧一:良い、よ。
0:密着範囲の増大。熱の均一化。
君子:カサカサしていますねぇ、棒一くんの肌は。
君子:油分と水分を奪われそうです。
捧一:しっかり塗っときなよ。
捧一:あの、湯上がりに塗ってるヤツ。
君子:捧一くんこそ。
君子:冬場は乳液ぐらい塗った方が良いですよ。
君子:痒くないんですか。
捧一:習慣が無いからね……。
捧一:塗れと言うなら塗るけど。
君子:いえ。
君子:捧一くんがヌルヌルしていたら気持ちが悪いので。
君子:塗らなくて良いです。
捧一:何で君子さんはしっとりして。
捧一:俺はヌルヌルになるんだよ。
君子:しっとりしてますか。私。
捧一:さあ……、
捧一:この、こういう質感を……、
捧一:しっとりと表現してるんじゃないの、人は。
君子:うふふ、ふ。くすぐったいです。
0:布団と毛布の塊が蠢く。
君子:……、何だか眠くなって来ました……。
捧一:まだ1時間と少し……、あるけどね。
捧一:本来の起床時刻まで。
君子:眠そうな捧一くんを鑑賞出来たので。
君子:満足です。
捧一:俺を?
君子:捧一くんはいつも、眠いんだか死んでいるんだか、判然としない風な顔をしていますが、
捧一:そんな風に見てたのかよ。人の顔を。
君子:本当に眠た気な捧一くんは。
君子:珍しいです。
捧一:いつもは起こす役、だからね。
捧一:二度寝して……、ちゃんと起きてくれるんだろうな。
君子:さぁ……。1時間後の私に聞いてください。
捧一:ま……。別に、いつも通りにするけど、ね。
君子:うふふ、ふ。
0:瞼が重たげに下がり、両者、微睡み。
捧一:……つかぬ事を聞くけど、さ。
君子:はい……?
君子:ああ……、良いですよぉ、しても。
捧一:いや、ではなく。
君子:なぁんだ。
捧一:特に重要でもないから聞かなかったけど……、
捧一:蔵内先生との事は、知ってた、訳?
君子:高校の時に……?
捧一:そう。いつの時点で見られたかな、と。
君子:……私……、こう見えて、気配を隠すのが、苦手ではないんです。
捧一:……、何となく、片鱗は。
君子:保健室の……、壁沿いの、大きな棚、
捧一:……緑のヤツ?
君子:そう、です。
君子:あれと、部屋の隅との間の所に。
君子:死角になっている場所が、あったでしょう。
捧一:……、……。
捧一:あった、ね。確かに。
捧一:まさか……、あんな隙間に隠れて、
君子:当時は今よりももっと、痩せていましたから、ね。
捧一:……、今も十分細いよ、とか言えば良いのかな。
君子:偶にはそういう通り一遍の、常套句の1つでも言ってみたらどうですか。
君子:水槽の底に溜まった泥みたいな、減らず口ばかりじゃなくて……。
捧一:君子さんトコの侍女よりよっぽど酷いな……。
捧一:嫌いでしょ、本当は。
君子:ふふ、ふ。
君子:自分の一部に……、好きも嫌いも、あったもんじゃ無いですよ。
君子:……ちなみに、
捧一:うん……、はい、
君子:十津加(とつか)生徒会長との事も。
君子:数学の西鳥(にしとり)教諭との事も。
君子:隠れて見てたんですよ。私。
0:捧一の片方の眉が上がる。
捧一:…………。
捧一:……生徒会長のヤツは。
捧一:薄っすらそんな気もしてたけど、さ……。
君子:何て所で、何て事を……、と。
君子:ショックで不眠症に拍車が掛かったんですから、あの後。
捧一:可奈子(かなこ)さ、(言い直し)
捧一:……、西鳥先生のは一体ドコで? およそ隠れるような場所、
君子:秘密、です……。
君子:良いじゃありませんか。
君子:過ぎ去った青春の徒然(つれづれ)は。
捧一:……、……。
捧一:……あらためて思うに……。
捧一:碌な高校じゃ無いな。我らが母校ながら。
君子:風紀を乱していた元凶が。
君子:厚顔無恥なヘドロですねぇ。
捧一:俺は学校生活に関しては、至って真面目だったよ。
君子:少なくとも誰一人、露見してはいませんし、ね?
捧一:……、でもそうか。見てたのか、色々と。
捧一:誰かから聞いたにしては、やけに詳しいと思ったら……。
君子:皆さん……、そう、問題児だった山菱(やまびし)さんにしても、ですが、
捧一:ヤンキー山菱か。懐かしいな最早……。
君子:窘(たしな)めたり。注意をしたり。時には虐げる振りをしながら……。
君子:実に上手に、棒一くんを「使って」いらっしゃいましたね。
捧一:……そう、だね。それが一番適当だな。
君子:でもその一方で。
君子:自分を開放したり……、抑え込んでいるものを曝け出すには、面倒な手続きが要るものだとも思いました。
捧一:進学校だからね。
捧一:生徒も教師も、相応に鬱屈して……、
捧一:その分、器用にガス抜きをするのは、上手かったな。皆それぞれ。
君子:私は家の事もあり……、遅れていましたし。
君子:その辺り、不器用でしたので。
君子:せめて、他人の秘密を……、
君子:盗み見る、事で。
君子:自分の中で置き所の無い、やり場の無いモノを、
捧一:憂さを晴らしてた、んだよな。
捧一:初めに、聞いた通り。
君子:……ええ……。
君子:荒療治が要ると、思ったんです。
君子:生きて、行く為に。
捧一:で……、偶々入った大学に、俺が居て、と。
君子:丁度良く、というか。
君子:不運にも、というか。
捧一:示し合わせたかのように?
君子:割れ鍋に綴(と)じ蓋。
君子:……ちょっと待ってください。
君子:どちらが割れ鍋で、どちらが綴じ蓋ですかっ。
捧一:知らないけど。
捧一:まあ……。効果の程は、推して知るべし、かな。
君子:ガス抜きと呼ぶには。
君子:少々穴を、開けられ過ぎてしまいましたが。
捧一:ひとまずはご要望通りだと、まあ……、
捧一:あ、ふ。(あくび)
捧一:思うけど、ね。
君子:お嫁には行けませんねぇ?
君子:少なくとも、このままでは。
捧一:それって……、天下の保科(ほしな)家の次女としては、どんな程度のモンなのかね。
君子:やっぱり……。
君子:事の重大さを分かっていないんだから。
君子:バレたら殺されますよ、本当に。冗談では済みません。
捧一:どちらでも。大して興味が、湧かない問題だから、ね……。
君子:言うまでも無く、ご家族やご親戚にも累(るい)が及ぶという事を、
捧一:(遮り)いい、よ。
0:静寂。
君子:…………、
捧一:君子さんと違って、親にも、家にも、何の恨みも、無いけれど。
捧一:累が及んで、困る程度の縁もゆかりも……、
捧一:初めから、無い、から……。
君子:…………。
君子:随分、眠そうですねぇ。
捧一:変な時間に、起きちゃったから、ね……。
君子:……まあ。良いでしょう。
君子:考えても仕方の無い事は。
君子:考えても仕方が無い、ですからね?
捧一:……取り敢えず。
捧一:今は、それで、良いんじゃないの。
捧一:アラームが、鳴るまでは。
君子:……、……。
0:些か思案げに、時計を見やる君子。
君子:…………。
捧一:ちょっとでも寝れば。
君子:ええ。そしてアラームを。
君子:十時に合わせ直します。
捧一:(微睡みつつ)
捧一:は……?
捧一:大学は、
君子:自主休校です。
君子:急用が出来たので。
捧一:…………、
捧一:知らない、よ。
捧一:休み癖が付いても。
君子:……手遅れ、かと。
君子:割れ鍋だか、綴じ蓋だかは……、
0:に、と笑み。
君子:穴を、開けられ過ぎて。
君子:近頃水漏れが止まらないんですよ。
捧一:…………。
君子:ふふ、ふ、ふ。
捧一:好きに、すれば。
捧一:十時、ね……。
君子:起きたら遅目のモーニングを食べに行きませんか。
君子:一時までやっている所があるんです。
捧一:…………、……、
捧一:気分、が。乗ればね……。
0:捧一の瞼はいよいよ重く、眠りへと溶けて行く。
君子:ねぇ……。
君子:捧一くん。
捧一:(半ば寝入りつつ)
捧一:ん……、な、に……、
君子:私から……、逃げたら。
君子:……私に付けた疵(きず)や、孔(あな)から、逃げ出したら。
君子:殺しますから、ね。
捧一:…………、……、
君子:私が、どうなろうと。
君子:捧一くんが、どうなろうと。
君子:道具が勝手に、見えなくなってしまっては……、
君子:駄目ですから、ね。
捧一:…………。
0:毛布に隔てられ、君子の表情は伺えず。
捧一:それ、は…………。
捧一:……脅迫?
捧一:……提案……?
君子:…………。
君子:それは勿論…………、
0:子守の唄の如き、声音。
君子:秘密、ですよ。
捧一:…………、
君子:うふ、
君子:ふふ、
君子:ふふ、ふ……。
0:捧一の意識は、深い眠りへと沈んで行く。
0:暗転。
0:【終】
:
0:【メイド日報】
由:■「越上 由(えつじょう ゆかり)」。
由:君子の実家の侍女。ゆるふわ暗黒メイド。
鬨征:■「雷殿 鬨征(らいでん ときまさ)」。
鬨征:とある館の客人。
0:塚淵(つかぶち)県「葵谷(あおいだに)」、とある邸宅の、応接間。
0:豪奢なるテーブルに着く客人の前、湯気立つカップが供され。
由:どうぞ……。粗茶ですが。
鬨征:んっクク、やァー、そーカシコまらんとっ。
鬨征:俺と由(ゆかり)ちゃんの仲やねんからさァー、
由:……、うふふ、ふ。
0:妙齢のメイドは、綿菓子の如く笑み。
由:季節のせいかしら……? 近頃、物忘れが激しくて……。
由:私のような下賤のものと、貴方様のような高貴な御方との間に……、
由:仲が深まるだなんて、そのような……、
由:だいそれた事が、ありましたかしら……?
鬨征:カっカカっ。関東の人間のシャレいうたらコレや。ヤラシぃのォ。
鬨征:……「気色の悪い、ショセンは成金の、チンピラのカスが」、て。
鬨征:思(おも)てるコトちゃァんと、言うたらエエねんでェー?
0:悪趣味なサングラスの奥の眼が、歪む気配。
由:あらぁ……。
0:甘味の奥より、毒気の滲み。
由:東の百姓の野良育ちの手前、上方(かみがた)の、雅な言葉には耳馴染みがありませんもので……、
由:よろしければもう一度、
由:ゆっくりと、
由:仰って頂けませんこと?
鬨征:……、
0:静寂の後、下卑た笑いが堰を切り。
鬨征:っギャぁアーっハハハっ!! ギャッハハハっ!
鬨征:ギヒヒっ、……俺キミ、ほんま好っきゃわァーーっ。
由:……、
鬨征:あァー。こんなん俺んトコにも欲しいわァーマジで。
鬨征:ウチの下のモンいうたら、イキりたいだけイキらしてはくれよるケド、まァ張り合い無いからなァ、最近。
鬨征:特に……、アニキもオジキも蹴落として、アトはまァ、襲名も待ったナシやろいうカンジになってからコッチはホンマに、
由:(にこりと笑み)
由:血族殺し。
鬨征:お。
由:ご成就、おめでとうございまぁす。
由:うふふふふふ。
鬨征:聞こえ悪いのォ。
鬨征:誰も聞いてへんからエエけど。
鬨征:殺してへんよ?? ただオジキのアホがやな、エエ歳こいて、アホの癖にいっちょ前に、ショボくれた顔しとったもんやからやなァ……、
0:隠れた眼の奥、稲妻の如くギラつき。
鬨征:楽になる道、教えたっただけや。
鬨征:俺の連れ、紹介したってなァ。
由:……それはそれは。お優しい甥っ子様ですこと。
鬨征:器に見合わん重圧背負い込む前に、極楽イカしたってんから。孝行やでなァ、マジでっ。カカカっ。
0:ズ、と、適温のカップを啜り。
鬨征:え、ほんで浄子(きよこ)ちゃんまだ??
由:申し訳ありません。生憎と、貴方様のようにお暇の多い身空ではありませんので。
鬨征:カっカカ。
鬨征:どーせホンマは俺、ココに居(お)ったらアカン人間やさかい。なんぼでも待つけどもやな。
由:セキュリティは万全ですので。ご安心を。
鬨征:なァーにもっ。なァーにも心配しとらんよ俺っ。
鬨征:「秘密」が命のコノ商売……。敷地の中のチョメチョメ1つ、守られへんのやったら。
鬨征:アガッタリやもんのォ?
由:ご信用頂き感謝致しますわ……。鬨征(ときまさ)様。
鬨征:あァーー。浄子ちゃんも下の名前で呼んでくれへんかなマジでェーーっ。
鬨征:どーしてんのん、今はナニで忙しいのん浄子ちゃんっ。
由:今日は……、
由:妹様の、
由:君子お嬢様の身の回りのお世話に付いて、担当者とプラン会議の最中です。きっともうじき、終えられるかと。
鬨征:バリ私用やんけソレーー。
鬨征:や、全然エーねんけどもっ。
由:週ごとに、定例の事ですので。
鬨征:ほォオーーーん。ホンマに好きやねんなァーー、妹のコト。
由:……、好き……?
鬨征:よお話に出て来るで、こないだヌイグルミあげたらメッチャ喜んでたーやの、最近一緒にカステラ作んのにハマってるー、やの。
由:……浄子お嬢様が……?
鬨征:あ?
由:そのような、思い出話を、鬨征様に……?
0:メイドの表情に、訝しみの色。
鬨征:思い出、いうかよ。
鬨征:ていうか妹そろそろ二十歳(はたち)とかやろ?? ケッコー幼児趣味っちゅーか、幼い感じの子ォなんやなァ、て、
鬨征:……言うたらそういや、何か浄子ちゃん黙ってしもてんケド。
鬨征:俺、何かマズい事……、
由:……、いえ。
由:……、……、
0:思案。
由:……浄子お嬢様は、
鬨征:おォ、
由:もう1年近く、君子お嬢様と、直接お会いになっては、おられません。
鬨征:は??
鬨征:ええ……?? そーなん??
鬨征:せやけど……、こないだ大阪で会(お)うた時かて、「コレ妹の手作りやねーん」て、いや「やねーん」とは言うてナイけど、
鬨征:形ガッタガタの、ブローチみたいなヤツ……、
由:……っ、
鬨征:見してくれて。珍しくめちゃめちゃニコニコしてるからやなァー、イヤもう自分マジで可愛いやーんて、
鬨征:……由ちゃん?
0:メイドの眼に、神妙な色。
由:……その、ブローチ……、
由:どのような……、
鬨征:おォー、なんか、多分花やと思うんやけど、青と緑の、こう陶器っぽい質感の……、
由:縁が金の?
鬨征:あーー、せやったかな、確か……、
由:…………。
由:その、ブローチは。
鬨征:おォ。どしたん由ちゃん?
由:……その、保科(ほしな)家の家紋を象った、ブローチは。
由:……君子お嬢様が、5歳の折。
由:11歳の浄子お嬢様に、送られた物、ですわ……。
0:刹那、静寂。
鬨征:…………あァん…………??
鬨征:え、やけど浄子ちゃんは「こないだ」て……、
由:……、
0:沈黙。壁掛けの時計だけが静寂を刻み。
鬨征:え、え、え。
鬨征:ソレってどーいうカンジのコト??
鬨征:ヤバいヤツ? ヤバいヤツ?
由:……、……。
由:…………さあ。
0:綿菓子の笑みは、今や失せている。
由:……考えるべきでは無い事、
由:……なのかもしれませんね。
0:靄のような不条理の気配が応接間を満たし。
0:暗転。
0:【終】