声劇台本置き場

0：嗜好品と風景。 0：とある街。 0：役所通りのハイツ『ラウラブリッジ西館(ウエスト)』。 0：１階エントランス横、喫煙所。 0：午後８時半。 0：女性が一人で紙巻きを吹かしている所に、隣人の男性が入って来る。 隣人：失礼、します……、 女性：(会釈しつつ) 女性：どうも……、 隣人：(会釈を返し) 隣人：あ……、どう、も。 0：両者、無言。 0：隣人、煙草に火を点け。 隣人：…………、 隣人：……、……、 隣人：あの……、 女性：…………。 隣人：あ、のー、 女性：あ……、はい？ 隣人：あ、すいません。どうも。 隣人：蔵内(くらうち)さん、ですよね、 女性：え……？ 隣人：あ、隣の、607の、田丸(たまる)です……、 女性：あ……、 女性：この間、越して来られた……、 隣人：です、です。 隣人：あの、バタバタして、うるさくて本当……、 女性：いえ……、 女性：引っ越しってそんなものですから。 隣人：あ、ね、はは……、 隣人：なかなか結構、ね……。 隣人：あのご迷惑、 女性：いえ。 隣人：……、 0：会話終了。 女性：…………。 0：無言。 隣人：…………、 隣人：…………、 隣人：煙草……、 女性：…………。 隣人：あー、 女性：あ、はい？ 隣人：あ、すみません、えと、 女性：いえ、独り言か咳払いかと思って。 女性：ええと……、 隣人：あ、や、あの煙草、ね。 隣人：値上がり……、その、大変、ですよね、っていう、 女性：ああ……、 女性：そう、らしいですね。 隣人：なんか……、今年もまた、上がるとかで、 女性：へえ……。 隣人：なんか……、ね。 隣人：ホント……、 0：会話終了。 隣人：…………。 隣人：セっ、セブンスターっ、も、 女性：はい？ 隣人：これ、あ、僕セッタ派なんですけど、これもドンドン上がって、ね、 女性：はあ、 隣人：昔は300円とかだったのにー、とかって、ね、ホント……、 女性：そうなんですね……、 女性：私、吸い出したのがほんの数年前で。 女性：あまり、知らなくて……、 隣人：あ、あ。そう、なんですね、あ、 女性：はい。 隣人：なるほどォ……、 0：会話終了。 隣人：…………、 隣人：…………っ、 隣人：にっ、しても……、 隣人：本当、い、良い、マンションですよンっ(噛んだ)、 隣人：……っ、 女性：……、「よん」。 隣人：おふゥっ、 隣人：ァ、あ、ははっ、 隣人：すいません噛んじゃってっ、語尾が変な感じにっ、 隣人：です、よねっ、マンションっ、 女性：……そう、ですね……、 女性：立派な喫煙所もありますし、ね。 隣人：ソレソレソレっ。ね、ホントそれ……。 隣人：僕ら喫煙者に取ってはねっ、 隣人：辛い時代、ですよねホント、もう、 女性：でも……、 隣人：おっ、お、はい……、 女性：公共の場所で吸えないというのは、ある意味、しかるべき形ではあると、思いますね。 隣人：あー、ああ、えと、 女性：「昔は良かった」、「昭和の時代は何処でも吸えた」、と。 女性：年配の方はおっしゃいますけど。 隣人：ああー。 隣人：です、よね、親父とかもよく、はい……、 女性：昔は昔で。今とは違う訳ですから。 隣人：あ……、ね、 隣人：それ、も、そう、ですよね、 0：沈黙。 隣人：…………、 隣人：あー……、 0：思案、のち発信。 隣人：最近、なんですね、 女性：何がでしょうか。 隣人：あの、吸い始め、られたの、 女性：煙草？ 隣人：ん、はい、です、 女性：そう、ですね……、 女性：ちょっと。 隣人：へえ……、 隣人：あ、前まではずっと、その、 女性：吸っていなかったか？ 隣人：はい……、あ、お若い、頃とか、 女性：若くないですか、ね、もう。 隣人：うェあっ！ ごへっ、語弊、ですあのっ、 隣人：いっ、今よりもっと、お若い頃っ、という、 女性：お気になさらず。 女性：実際いい年ですし……、 隣人：なんのなんのっ、あ、いや、 女性：所帯もありますので。 隣人：……え、えっ……、 隣人：あ、ご、結婚……、 女性：今はこっちの学校へ赴任の際に、独りで住み始めましたが。 隣人：あ、あ……、そう、ですか……。 隣人：赴任……、先生、ですか、 女性：……高校の。 隣人：へ、へェーっ。 隣人：た、大変だァ、じゃあ色々、 女性：養護教諭ですので。 女性：所謂高校の先生、という程には。 隣人：よう、ご……、 隣人：あ、保健の？ 女性：ええ、まあ……。 女性：保健室で。日がな一日。 隣人：へェーーーっ……、 隣人：あ……、いやー、や、 隣人：でも大変なお仕事ですよ、ねェ、やっぱり、 女性：ちなみに職場から離れた所を選んで住んでいますので。 女性：近隣の高校ではありません。 隣人：あっ、それはもう。 隣人：詮索とかは全然……、 女性：色々と。 女性：ありますので。 隣人：はい、あ、もう全然……、 隣人：全然ておかしいな、 隣人：うん、もう……、 0：女性は煙草をふかす。会話終了。 隣人：…………。 女性：…………、 女性：……桜、 隣人：ぅえっ！？ 隣人：あ、はい、 女性：見られましたか。 隣人：あ、さく、ら……、 隣人：ああーーー、 隣人：はい……、あの、 隣人：見た、っていうか……、 女性：ハイツの敷地内で見られるというのは。 女性：手っ取り早くて良いですよね。 隣人：あ、ね、ねーっ、普通に綺麗だし。 隣人：ていうか中庭広くて、ね、ホント……、 女性：私はあまり出ませんが。 隣人：あ、僕も、そんな、帰りも夜だし、まあ殆ど……、 女性：ええ。 隣人：…………、 女性：…………。 0：両者、煙草をふかし。 0：無言。 隣人：…………。 0：沈黙。 隣人：…………変な気候、ですよね……、 女性：……、 隣人：あ、最近……、 女性：そうですね。 隣人：暑い日と、寒い日、かわりばんこっていうか、ね、 隣人：ここ数日は結構……、 女性：寒いですね。 隣人：ね、ね、ホントに。 隣人：朝晩、油断すると、ね、 女性：私の部屋は自動調温にしてもらっていますが。 女性：外に出ると。それなりに。 隣人：あっ、僕も、ソレ、最初検討したんですけど、ま、色々で……、 女性：そこそこしますしね。 隣人：うん……、まあ、ね、 隣人：兼ね合い、というかね、生活との……、 女性：帰って寝るだけの家なら、必要でも無いですもんね。 隣人：ね。まあ、ホントそんなもんなんで……、 女性：私も。 女性：独り身同然ですし。 隣人：…………、 隣人：あ、のーー……、 女性：(遮り)ちなみに、 隣人：あっ、はい、 女性：子供はいません。 隣人：……あ、えっと、その、 女性：「お子さんはいないんですか」、という質問に先回りしたんですが。 女性：違いましたか。 隣人：…………、 隣人：……正直、聞きかけた、んですけど、 女性：定石ですしね。 隣人：デリケート、かな、と……、 隣人：関係無いですし、 隣人：あ関係無いってそんな、悪い意味では、 女性：はい。 隣人：…………、 0：沈黙。 0：ふ、と煙を吐く音。 女性：既婚で、且つ独居している女は気になりますか。 隣人：は……？ 女性：一般的には。 女性：田丸さんが一般的な価値観の持ち主かどうかは、存じ上げませんが。 隣人：ああー……、ええ、と、 隣人：その……、 女性：喫煙所で話しかけられた事を暗に非難している訳ではありませんので、あしからず。 隣人：あ、それは……、はい。 隣人：……「気になるか」、か……。 女性：訳ありなんじゃないか、なんて。 女性：勘繰ったり、という。 隣人：でも単身赴任とかは、普通にある訳ですもんね、 女性：男性の場合は。 女性：女の場合、夫がよく許したな、というような。 隣人：そこはまあ……、 隣人：事情は、それぞれご家庭によって色々、あるでしょうし……、 女性：勿論。そもそも既婚も未婚も、言わなければ知られようがありませんし、ね。 隣人：ええ……、ね、ですね。 女性：…………。 隣人：でも知ったら気にする人はいると思います。 隣人：一般論、としては。 女性：そうでしょうね。 隣人：うん……、うん、そう、ですね。 女性：(ふっ、と煙を吐く) 隣人：…………、 女性：それは、 隣人：はいっ、 女性：「あわよくば」、 女性：というような意味合いで、でしょうか。 隣人：……、 隣人：一般的に？ 女性：今この際、でも構いませんが。 女性：隣人としてはいかがですか。 隣人：…………、 隣人：ええー、と、 女性：他意はありません。ちなみに。 隣人：あ、はい。 隣人：……普通に答えていい、感じですかね……、 女性：腹蔵(ふくぞう)の無いところを。 隣人：……、 隣人：あくまで……、まあその、 隣人：個人的な、意見としましては……、 女性：ええ、 隣人：年齢、あ、見た感じの年齢や、その、好みによって、というのは大きいでしょうけど……、 女性：はい。 隣人：そういう風に、思い浮かべる人は、少なくはない、でしょうね……、 隣人：自分も含めて。 女性：なるほど。 女性：無論、実際問題アプローチに出るか否かは別として、ですね。 隣人：あー、勿論です、そこは。 女性：ちなみに牽制ではありません。 隣人：あっ、はいそれも、 女性：嘘です、半分は牽制です。 女性：先手を打ちました。 隣人：…………、 隣人：ややこしい、ですもんね。色々。 女性：そうですね。この上無く。 隣人：…………。 0：煙の漂い。 女性：お互いに、という意味ですが。ちなみに。 女性：見たところお若いですし。 隣人：あ……、いえ、あの、 隣人：まあ正直……、 女性：内心でどのように想って頂いても、何ら問題はありませんが。 隣人：いえ……。 隣人：というよりはその、言葉が無い、というか……、 女性：ええ。 女性：そう、見えます。 隣人：…………、 隣人：はは……、 0：羽虫の如き笑いの後、幾度目かの沈黙。 隣人：…………、 隣人：でも蔵内さんが保険の先生なら、 隣人：嬉しがってる生徒さんは多そうですけどね。 女性：それはどういった？ 隣人：まあその……、 隣人：そのまんまの意味ですけど。 隣人：お綺麗、ですし、 女性：はあ。 隣人：あと、ベタでもありますよね。 隣人：学生の時ってベタなもの、好きじゃないですか。 隣人：美人な保健の先生、とか。 隣人：特に男子としては、 女性：一般的に？ 隣人：と、いうか……、 隣人：自分の経験則……、です、かね。 女性：…………、なるほど。 隣人：あ、はい……、 女性：…………。 0：沈黙。吐かれた煙が遊び。 女性：…………、 女性：例えば、 隣人：は、はい、 女性：今日は４月１日ですので。 女性：今から言う事は全て嘘、ですけれど、 隣人：あ……、 隣人：はい……、あ、了解です、 女性：私はベタで美人な高校の保険の先生で。 女性：これまたベタに、一人の男子生徒と、堕落した不倫行為に及んでいて。 隣人：っ、……、 女性：その生徒の存在によって保たれていた家庭と仕事とのバランスが、彼の卒業を期に均衡を失って崩壊し。 女性：一年と経たず夫との関係性にも亀裂が生じて、転勤を口実に別居。 女性：ストレスを緩和する目的で、触れる事もなかった喫煙に手を出して……、というような、 女性：そういった、ベタなストーリーに関しては。 女性：どう思われますか。 隣人：…………、 隣人：…………、 女性：一般的に。 隣人：…………、 0：絶句。 0：後、思案。 隣人：……い、いい、とか、悪い、は、全然ちょっと、よく、わかりませんが……、 女性：はい。 隣人：まあその……、 隣人：非常ォー、に、 女性：ええ。 隣人：ありがち……、というか。 隣人：見た事ある、感じではありますね……。 隣人：本とか、漫画とか……、 女性：ビデオであるとか。 隣人：それも……、そう、ですね、はい、 女性：……そういう人間が。 女性：前途ある青少年の学び舎で働いている事に関しては。 女性：率直にどう思われますか。 隣人：…………、ええー、と……、 0：クシャ、と煙草のフィルムが鳴る。 隣人：……そこも、含めて……、 隣人：ベタで、よくある設定だと、思いますけど……、 女性：…………、 隣人：あと……、ただ、 女性：はい、 隣人：そんなのこそ、言わなきゃわかんない、ですよね。 隣人：見て判る印がある訳じゃない、し。 隣人：既婚未婚と、同じで。 女性：…………、 女性：…………。 0：沈黙。 隣人：あ、え、 女性：(遮り)まあ、 隣人：あ、は、い、 女性：嘘なんですけどね。 隣人：…………、 隣人：あ、 隣人：……ね……。 女性：…………。 隣人：…………。 0：沈黙。 0：女性は吸い殻を捨てる。 女性：最初から全部嘘かもしれませんよ。 隣人：は……、え、どこから、 女性：高校に勤めているという所から。 女性：そもそも606の蔵内ですら、無いかもしれませんし。 隣人：でも引っ越しのご挨拶の時にお顔……、 女性：さあ。 女性：あなたは本当に田丸さんでしょうか。 隣人：変装、とか……？ 隣人：ルパン的な、 女性：何一つ。 女性：本当とも嘘とも言い切れませんしね。 女性：今日に限らず。 隣人：…………、 隣人：まあ、ね……、 隣人：実際はそう、だったとして、 女性：ええ。 隣人：「何となく」……、「嘘では無いだろう」、とか、 隣人：「少なくとも害意は無さそうだな」、とか、相手に思わせるのが……、 隣人：信用、とか、そういうもの、なんですか、ね。 女性：…………。 0：沈黙。 女性：……お互いに。 女性：信用のおける隣人であり続けましょうね。 隣人：えっ、あ……、 女性：お先に。どうも。 隣人：あ……、はいィ、どうも……、 0：軽く会釈し、女性は煙のような足取りで立ち去る。 隣人：…………、 隣人：…………。 0：吸い終え、殻を灰皿へ。 隣人：……思ってた５倍ぐらい変わった人だったな……。 0：喫煙所に１人。 隣人：…………。 隣人：……てか、俺キモ……。 0：打ちっぱなしの壁面より僅か、夜気が滲み出し。 0：暗転。 0：【終】