台本概要
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タイトル | 『ブラック・ウォッチのみぞ知る』/BAR「猫町」“お一人様篇”シーズン1 #2 |
---|---|
作者名 | sazanka (@sazankasarasara) |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 2人用台本(女2) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
とある街、とあるBAR。 とある懐古と、秘めたる懸想(けそう)。 ―2021年10月某日― “お一人様篇”は、とあるBARの、1名様来客時の比較的静かな時間を切り取った単発エピソード群です。話数の順も時系列通りではなく、進んだり戻ったり。 (“出奔者篇”と併せて、BAR「猫町」1stシーズンを構成しています。) 自由に、楽しんで演じて頂けますと幸いです。 121 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
シイナ | 女 | 120 | 店員。流れ行く女。 |
ケイジュ | 女 | 95 | 常連客。想いを内に筆す女。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
シイナ:或る、心象のうた。
ケイジュ:あかるい屏風のかげにすわって
ケイジュ:あなたのしずかな寝息をきく。
ケイジュ:香炉のかなしい烟(けむり)のように
ケイジュ:そこはかとたちまよう
ケイジュ:女性のやさしい匂いをかんずる。
ケイジュ:かみの毛ながきあなたのそばに
ケイジュ:睡魔のしぜんな言葉をきく
ケイジュ:あなたはふかい眠りにおち
ケイジュ:わたしはあなたの夢をかんがう
ケイジュ:このふしぎなる情緒
ケイジュ:影なきふかい想いはどこへ行くのか。
ケイジュ:薄暮のほの白いうれいのように
ケイジュ:はるかに幽かな湖水をながめ
ケイジュ:はるばるさみしい麓をたどって
ケイジュ:見しらぬ遠見の山の峠に
ケイジュ:あなたはひとり道にまよう 道にまよう。
ケイジュ:ああ なににあこがれもとめて
ケイジュ:あなたはいずこへ行こうとするか
ケイジュ:いずこへ、いずこへ、行こうとするか。
ケイジュ:あなたの感傷は夢魔(むま)に酢えて
ケイジュ:白菊の花のくさったように
ケイジュ:ほのかに神秘なにおいをたたう。
0:タイトルコール。
シイナ:『ブラック・ウォッチのみぞ知る』
0:【間】
シイナ:眼鏡変わった?
0:某月某日、某時刻。
0:とある街、とあるバー。店員の女性は、常連客の女性が席に着くなり、投げかけた。
ケイジュ:あら……、気付きましたか。
シイナ:(コースターを出しつつ)
シイナ:前はシルバーだっけ。
シイナ:セルフレーム、似合うね。
ケイジュ:(カウンターにバッグハンガーを掛けながら)
ケイジュ:どうも。
ケイジュ:気が付かないと思ってました。
ケイジュ:貴方は、他人に興味がありませんから。
シイナ:そんな事ないヨ?
シイナ:ていうか……、それ、その鞄引っ掛けてるヤツ、
ケイジュ:バッグハンガー?
シイナ:そーそー。良いよね、私も欲しいんだよな。
ケイジュ:これは頂きものですが、意外と便利ですよ。デザインもシンプルですし。
シイナ:デザインは選びたいよねー。
シイナ:雑誌とか見て欲しくなってるモノっていっぱいあるんだけど、忘れていくんだよな。
ケイジュ:本当は大して欲しく無いんじゃありません? そういうものって。
ケイジュ:(コースターを指で玩びながら)
ケイジュ:注文しても?
シイナ:ええ、良ござんすとも。
シイナ:どんなものを致しましょーか、姫。
ケイジュ:また、その呼び方。
ケイジュ:……軽くして頂かなくて構いません。食後ですので、甘口のものを。
シイナ:OK。
0:ミキシンググラスを取り出し、店員は作業にかかる。
シイナ:ご飯、どこ行って来たの?
ケイジュ:(鞄からスマートフォンを取り出しつつ)
ケイジュ:ルーチェの4階の……、
シイナ:あっ、もしかして新しく入ったトコ? あの、ラフテー的な名前の。
シイナ:イタリア料理だっけ、
ケイジュ:「ラ・フルティエール」で、フランス料理です。
ケイジュ:何1つ合っていませんよ。
シイナ:あっは、そっか。
シイナ:(材料の瓶たちを並べつつ)
シイナ:美味しかったー?
ケイジュ:フランスの郷土料理をベースに、果物のソースを使った創作メニューがメインです。
シイナ:へぇー。あ、フラ(噛んだ)、
シイナ:“フルティエール”って、フルーツか。
ケイジュ:「果物屋」、です。
ケイジュ:味はまあ……、価格の割には、そこそこ。
シイナ:ソースって、選べたりするヤツかな。
ケイジュ:料理によって、何種類かの中から。私はミラベルを。
シイナ:スモモね。
シイナ:……わ、スモモって言ったら唾出た。
ケイジュ:条件反射。「梅干し」、よりは都会的ですね。
シイナ:あ、梅干しでも出る出る。
シイナ:(コクン、と飲み込み)
シイナ:デザートもあるの?
ケイジュ:セットで付いて来ましたよ、フルーツの盛り合わせ。
シイナ:良いね。今度さ、連れてってよ。
ケイジュ:(一瞬眼を伏せ、また戻し)……、
ケイジュ:考えておきます。
0:店員は作業を再開する。
シイナ:じゃ、果物系のリキュールはやめて、と……。
0:選んだ材料をミキシンググラスに注ぎ、ステア。氷を入れ、更にステア。
シイナ:さって、上手く出来るかなー、っと。
ケイジュ:お客の前で、やめて頂けません?
シイナ:(カラコロと混ぜつつ、魔女の真似)
シイナ:ヒィーーッヒッヒッヒ。コレでこのムスメもイチコロじゃわい。
ケイジュ:……無視です。
0:混ざりあった酒をロックグラスに注ぐ。
シイナ:氷冷たァ、と。
0:新たに氷を入れ、軽くステア。
0:シロップのボトルを取り。
シイナ:んで、コイツをちょびっと……。
0:微量注いだ後、炭酸水で満たす。軽くステアし、完成。
シイナ:(ドリンクを出しながら)
シイナ:お待たせ致しました。
シイナ:『ブラック・ウォッチ』です、姫サマ。
ケイジュ:ありがとう、執事(バトラー)。
シイナ:あは。「執事(しつじ)」ネ。語源としては間違い無いな。
ケイジュ:「酒瓶(ボトル)を扱う者」、ですからね。
0:常連客は静かに一口、含む。
ケイジュ:……思ったよりマッチしますね。今日は当たりです。
シイナ:良かったー。ちょいコーラっぽいけど、ナシじゃ無いでしょ、スコッチとカルア。
ケイジュ:この前のは酷かったですが。
シイナ:何したっけ、『グラスホッパー』か。私は嫌いじゃないけどなァ。
ケイジュ:歯磨き粉の味でした。
シイナ:ソレって美味しくないか?
ケイジュ:蓼食う虫も好き好き。
ケイジュ:……アーモンドシロップが効いていますね。
シイナ:隠し味に便利なんだよね。タニマチのバカが色々買い込んでんの知ってるから、偶に拝借してんの。
ケイジュ:酷い同僚。
シイナ:有効活用。私だけじゃなくてカスミも使ってるしィ。
ケイジュ:……。
ケイジュ:あの、軽薄そうな金髪の。
シイナ:あは。でもかなり、本読むんだよ。話してみたら結構仲良く、
ケイジュ:(遮り)遠慮しておきます。
ケイジュ:……見張りの番の気付けに適用、というような意味かしら。
シイナ:ん? なに?
ケイジュ:由来です。「ブラック・ウォッチ」の。
シイナ:え、チェック柄じゃないの?
ケイジュ:そっちも、元を辿れば同じです。
ケイジュ:かつてスコットランドに於いて秘密警察に支給されていた、青、緑、濃紺の、タータンチェックの制服。
ケイジュ:隠れて罪人を見張るのが役目の彼らは、正規の部隊と区別する意味で、
ケイジュ:「ブラック・ウォッチ」と呼ばれていたんです。
シイナ:へぇーえ! 黒く無いじゃん緑と青じゃん、って思ってたけど、そういうことか。
シイナ:さっすが、物知りだねえ、姫は。
ケイジュ:検索すればどこにでも転がっていますよ。
シイナ:ググんなきゃ知らないような事、空で出てくんのは凄いんだよ。
ケイジュ:実生活では役に立ちません。
ケイジュ:(一口含み)
ケイジュ:上手な告白の断り方すら、知らないんですから。
シイナ:おォ、聞こうと思ってたトコ。今日だね。
ケイジュ:ええ。食事に誘われて、一通り食べ終えた後に。
ケイジュ:私はフルーツをおかわりしたかったのに、勝手な人で。
シイナ:なに、おかわり出来んの?
ケイジュ:自由だそうです。
シイナ:うっわ、絶対行こーね。
0:カラン、と氷が鳴る。
ケイジュ:……同じ学部の、後輩ですが。大学に入ってからソコソコ戦績を上げて、調子に乗っているタイプの。
シイナ:イチバン寒いなァ。高嶺の花の、古書研究会の姫が卒業しちゃう前に、手を掛けたくなっちゃったのかな。
ケイジュ:知りませんが。満を持して、というような顔をして。
ケイジュ:最後まで興味を抱かせては貰えませんでした。
シイナ:今付き合ってどうするつもりだったのかな、カレは。姫、就職でしょ。
ケイジュ:……一応。資格が取れれば。
ケイジュ:何も考えていないんじゃないですか。
シイナ:ソイツは何選んだの、ソース。
ケイジュ:アプリコット。
シイナ:ひい、ソースのチョイスも寒ゥい。
ケイジュ:杏(あんず)に罪はありませんけど。
ケイジュ:高校で、空手の全国大会に進んだ時の話を延々とされた時は、白目を向くかと思いました。
シイナ:あっは。相手見て喋れっての。
ケイジュ:格闘技=(イコール)低俗とも思いませんが。
シイナ:それで? 何て言って断ったのさ。
ケイジュ:……月並みですよ。
ケイジュ:「好きな人がいるので」、と。
ケイジュ:我ながら芸の無い。
0:泡立つ琥珀を一傾け。カラン、と氷。
シイナ:居るんだ? 好きなヒト。
ケイジュ:(刹那、黙考し、)
ケイジュ:……ええ。
ケイジュ:母の事も、妹の事も好いていますし、父の事だって嫌ってはいませんよ?
シイナ:返しまでベッタベタやないかーい。あっはは。
ケイジュ:…………。
シイナ:だけど、退き下がってくんなかったと、その空手ボーイは。
ケイジュ:わかった、頑張る、だとか、訳の判らない事を、
シイナ:のたまったワケ? ゾワゾワァー。
ケイジュ:……、別に、このような形で無ければ、見るべき所も、話せる話題も、本当はあったんでしょうが。そういう意味では残念です。
シイナ:オスが1番ツマンナくなる時だからね。
シイナ:にしても、おモテになられますねェ、姫は。今年入って4回目とかじゃない?
ケイジュ:5回目です。
シイナ:なァんで、中身もある美人のトコに限って、しょーもないのばっか寄ってくるかね。
シイナ:(男性役調に声を作り、大仰に)
シイナ:全くもって、私は悲しいっ!
ケイジュ:……、記号に、反応しているだけですよ。
シイナ:きごう?
ケイジュ:スモモや梅干しと聞いて唾液が出るのと同じ。
ケイジュ:髪が長くて、色が白く細身で、出る所は出ていて。
ケイジュ:世間一般で良しとされる風体(ふうてい)に、偶々(たまたま)沿っていて。
ケイジュ:物静かで、大人しそうに本を読んでいる。
ケイジュ:ある種の「女」の典型に、条件反射で飛び付いているだけです。
シイナ:聞く人が聞いたら怒りそうだよネ。
ケイジュ:言う相手は選びますよ。
シイナ:あは。
シイナ:……なるほど。ハンペンでカエル釣るようなモンか。救えないなァ。
ケイジュ:何ですかそれ?
シイナ:子供の時にやらなかった? 発情期の雄ガエルって、同じサイズの物には何だって飛び付くから、ハンペンとかコンニャクに紐付けて釣るんだよ。川とかで。
ケイジュ:知りません……、そんな粗野な遊び。
シイナ:今度やる?
ケイジュ:やらないです。
シイナ:結構楽しいんだよ、皆やってたし。
シイナ:……あの頃はなァ、女子も男子も無く、皆ツルんで遊んでたのにな。
0:常連客は一口グラスを傾け。
ケイジュ:……思春期を過ぎれば、刷り込みが終わるんですよ。
ケイジュ:男という記号、女という記号。
ケイジュ:男は女を求め、女は男を受け入れる。いずれ恋に落ち、番(つが)い、子を成し、代を重ねる。
ケイジュ:パブロフの犬たちによる、美しい条件付けの樹形図。
ケイジュ:そうして世界は回っている、というお約束の。
シイナ:そして、ソコヘ乗っかれない、ピンと来ない奴らには、罪人(ざいにん)のラベルを貼っ付ける、と。
ケイジュ:(表情を静止させ)
ケイジュ:……、罪、人。
シイナ:これからもずっと、かは判らないけどさ。多様性とか色々と、ブームらしいし。
シイナ:少なくとも……、今のトコ、そんな法に乗っかるには、男は馬鹿過ぎるよなァ。
ケイジュ:……さて。本当は女もどうだか、
シイナ:もちろん、女の馬鹿だって大勢いるね。だから、女子校時代に戻りたいとは思わないけど……、
シイナ:それにしたって、男の馬鹿は多すぎる。大学で共学来てビックリしなかった?
ケイジュ:どうでしょう。高校の頃の私は、どちらかと言えば、女の馬鹿の方でしたから。ご存知の通り。
シイナ:よく言うよ、寮長殿。才色兼備の、妖精みたいな子が入って来たって、演劇部総立ちだったよ。
ケイジュ:勧誘を蹴って文芸部に決めてしまい、申し訳ありませんでした、副部長。
シイナ:根に持ってるからね、今でも。
ケイジュ:お詫びにこうして、足繁(あししげ)く通っているんです。
シイナ:ふっふ。なら、お釣りが来るかな……。
0:常連客が琥珀を含み、氷はカラリと鳴く。
ケイジュ:……先輩は。
シイナ:ん?
ケイジュ:先輩は、どうして大学、辞めたんですか。
シイナ:(眼は軽く見開かれ)
シイナ:……その呼び方、久しぶりだな。面食らった。
ケイジュ:理由を、聞いていなかったなと、思いまして。
シイナ:……んー、……、
0:カウンター内の簡素な木椅子を動かし、カタン、と腰掛ける。
シイナ:特に……、これといった理由があった訳ではないんだよね。
シイナ:半分男の環境が、合わなかったとかでも無いし。
ケイジュ:男のお友達も……、
シイナ:結構いたし、付き合ったりもしてたね。
シイナ:今は偶に飲んだりするぐらいだけど、ソイツとは。
ケイジュ:…………。
ケイジュ:では、
シイナ:居る理由を、これといって見出だせなかったから、とでも言うかな。殆ど誰にも、説明せず終いだった。
ケイジュ:…………。
シイナ:知っての通り、何もかも、長続きしない性格でね。
シイナ:演劇もぱったりヤメちゃったし、中学の頃のバスケも。
ケイジュ:飽き性、なんですよね。
シイナ:って、人にはよく言うけど。
シイナ:本当は……、そうね、「申し訳無くなる」、という方が近いな。
ケイジュ:申し訳……、
シイナ:これでも、打込めば本当に熱中するんだよ。命を燃やして。
ケイジュ:……よく、知っています。
0:ずっと見ていたから、とは言わなかった。
シイナ:ただ、何でもある程度やり込むと途端に、自分の、心の半端さに気が付く。
シイナ:周囲に対して、自分の非礼を痛く感じてしまう。
シイナ:この辺りの感覚を、誤解なく伝えようとすると時間がかかるから、今は言わないけど。
ケイジュ:お聞きしますよ。いくらでも。
シイナ:どっちがお客だかわからないね。
シイナ:もうじき、君の嫌いな騒がしい時間が来るよ。
ケイジュ:週末の匂いに湧く俗な人たちが。
ケイジュ:私も……、似たようなものですから。
シイナ:ふっふ。
シイナ:まあ……、結局の所、そういう自分が、移り気せず向き合えるものに出会えるんじゃないかと、大学に進んでみたものの……、
0:木椅子がカタンと鳴る。
シイナ:駄目だったね。
シイナ:自分の半端さ、心の凡庸さをまざまざと見て、私が居て良い場所じゃないと思った。
ケイジュ:……なろうと思えば、何にだってなれる人なのに。
シイナ:客席から見ればね。
シイナ:しかし役者の心は違う。顧問のヒラツカの受け売りだけど。
ケイジュ:あの、演出家崩れ。
シイナ:悪く言うもんじゃないよ。
シイナ:(一転、崩して)あァ、元気してるかなァー、ヒラ爺。懐かしいなァ。
ケイジュ:もう定年だと思いますが。
シイナ:しごかれたモンだよ。文芸祭で『シラノ・ド・ベルジュラック』を演(や)った時だって……、
ケイジュ:開演直前までダメ出しがあった話でしょう? 私、練習に付き合ったんですよ。
シイナ:あれ、君だったっけ?
ケイジュ:もう、本当に……。
ケイジュ:あんな、気障(きざ)で端麗なシラノ、おかしかったです。
シイナ:芝居ではよくあるんだよ。役の醜さをこそ、演技で表現しなければ、とは爺の言葉。
シイナ:……色々やらせて貰ったなァ。あの、部室のバルコニーでの寸劇。まだやってるのかなァ。
ケイジュ:新入生歓迎祭の。
ケイジュ:……続いてるんじゃないですか。妹の時は、やっていたと聞きましたよ。
シイナ:あの時初めて、私を観てくれたんだよね。
ケイジュ:他の生徒の歓声が五月蝿かったです。
シイナ:(おかしげに)
シイナ:アレ程のモテ期は、生涯来ないだろうなァ。
シイナ:妹ちゃんも、元気?
ケイジュ:息災ですよ。何せあの子は馬鹿ですから。
ケイジュ:私と同じ大学に入るんだって息巻いて、出来もしない勉強を。
シイナ:あっは、かーわいー。
ケイジュ:誰かを追いかけて、進路を決めるだなんて……、
ケイジュ:本当に、馬鹿のする事です。
0:真意を滲ませぬ、白紙の相貌。
シイナ:いいじゃない。憧れというのは純粋で。
シイナ:……私もそーゆーものに出会えれば、また違ったのかなァ。
ケイジュ:…………。
0:店員はグウ、と伸びをする。カタンと木椅子。
シイナ:あ、失礼致しました、姫。
ケイジュ:いえ。でも他の方の前では、やめた方が良いですよ。
シイナ:ふっふ。
シイナ:ねえ、覚えてる? 私の最後の文芸祭で、シラーの『群盗』を演った時の、
ケイジュ:作業に熱中し過ぎて、寮を締め出された話。
ケイジュ:……忘れる訳ありません。寮監を起こしたく無かったけれど、野宿をする訳にも行かず、2人で悩んだ末……、
シイナ:私が鍵を任されてたから、劇部の部室の、倉庫で眠ったんだよね。
ケイジュ:金の屏風の裏に隠れて、暗幕をかぶって。
シイナ:そうそう。アレ、屏風は、何に使ったやつだったかな……。
ケイジュ:凍えるかと思いました。
シイナ:秋にしちゃ寒い夜だったね。
シイナ:本当に、懐かしい……。
シイナ:スマホのアラームで起きられて、良かったよね。
ケイジュ:バレたら減点では済みませんでした。貴方は、大事な時期でしたし。
シイナ:寮長閣下と劇部の副長が部室で逢い引きだなんて、スキャンダルとしてオイシ過ぎるしね。新聞部に極上の餌を与えるトコだった。
ケイジュ:逢い引き。
ケイジュ:…………。
0:グラス持つ手が微かに震え、カラン、と氷。
ケイジュ:本当、お笑いですね。
シイナ:馬鹿やったよ、色々と。全能感にボケて、自分は選択肢に恵まれてる方だって、思い違いをして。
シイナ:自分の普通さ、平凡さにに気付けた分、今の方が馬鹿はマシだな。
ケイジュ:…………。
0:常連客は琥珀を干し、残された氷がカラリと鳴る。
ケイジュ:そろそろ行きます。五月蝿くなる前に。
シイナ:あァ、うん。ありがとう。
シイナ:では……、
シイナ:(男性役調に声を作り)
シイナ:1400フラン程、工面しては貰えないだろうか、ロクサーヌ。
ケイジュ:(財布から紙幣2枚を取り出しつつ)
ケイジュ:そんなシラノはモテませんよ。設定通りですが。
シイナ:あっはは。
シイナ:(小銭入れの缶を探り)
シイナ:あら……、ごめん、お釣り全部100円になるや。
ケイジュ:構いません。
0:つつがなく精算。ジャラリ、と貨幣。
シイナ:じゃ、気を付けて。後は帰るだけなの?
ケイジュ:(鞄を掛け、バッグハンガーを回収しつつ)
ケイジュ:ええ。週末で読破したい本が溜まっていますし。
ケイジュ:今夜から取り掛かります。
シイナ:相変わらず本の虫だよねェ。羨ましいよ。
ケイジュ:私の読書は愛好ではなく習慣ですから。
ケイジュ:貴方は、もう少し読んだ方が。
シイナ:まァ、ボチボチね。良いのあったら教えてよ。
シイナ:ていうかさァ、ホントにどっか遊びに行こうよ。ご飯食べに行ったり、空いてる日合わせてさ。
ケイジュ:…………。
シイナ:ホントにカエル釣りでも良いよ?
ケイジュ:…………。
ケイジュ:お誘いは嬉しいですが。
ケイジュ:私は、貴方とはここでしか会わないと決めていますので。
シイナ:言ってたねェ。
ケイジュ:それが、このゲームのルールなんです。
シイナ:あは、ザーンネン。
シイナ:……でも、そのゲームってさ、一体どうなったら勝ちなワケ?
ケイジュ:(微か、嗤い)
ケイジュ:……、それは、
0:その言わざる想いは。
0:その、罪咎は、
ケイジュ:ブラック・ウォッチのみぞ知る、ですよ。
0:暗転。
0:シイナにスポット。
シイナ:【本日のカクテルレシピ】
シイナ:『ブラック・ウォッチ』シイナアレンジ。
シイナ:■スコッチウイスキー 30ml
シイナ:■コーヒーリキュール 30ml
シイナ:■アーモンドシロップ イイ感じにチョビっと
シイナ:以上をミキシンググラスにてステア。
シイナ:ロックグラスに炭酸で満たしてサーブ。
0:【終】
:
0:【空白】/【空白】/【空白】
:
0:【ボーナス・トラック】
0:後日。某営業日。長身秀麗の女性店員と、真珠色の髪、絢爛過剰な容姿の、常連客の女性。
0:深夜、看板の灯が消えた後。
シイナ:……うへェーっ。
シイナ:そんで、ブチューっと行っちゃった、と?
ヤナ:そーそーそォー。
ヤナ:や、だってェ、そんな流れだったってゆーかァ、
ヤナ:チョーシこいとるドーテーショーネンをォー、大人の魅力で力尽くってゆーかァっ、
シイナ:その発想が既に大人でも何でもナイけどね。
シイナ:ま……、相変わらずヤナらしーコトで。
0:自前のドリンクを飲み干し。
シイナ:ぷはっ。今日はよく飲みました、っと。
シイナ:…………、
シイナ:その話の、彼はさァ、
ヤナ:え、アドくん?
シイナ:言っちゃうんかーーい。
シイナ:予想通りだけども。
ヤナ:だって男のバイトなんてアドくん1人だしねー。
ヤナ:が、どしたのっ?
シイナ:好きなのかね、やっぱ。
シイナ:ヤナの事。
0:常連客のキョトン、とした眼。
ヤナ:んへ……?
ヤナ:ソリャそーなんじゃナイ??
ヤナ:オトコノコだしィ、
シイナ:あは。ヤナのコト嫌いなオトコなんかいない、って?
ヤナ:私の事キライなオトコのヒトなんて会ったコト無いケドなーー??
ヤナ:あロンモチ、ゲイのヒトとかは別だけど、
シイナ:うっわ、スゲぇ事ゆーね。
ヤナ:ビビって、ヒかれたりはある、らしーんだけど。
ヤナ:でもソレって好きってコトじゃんっ???
シイナ:んーー……。定義によるだろうけど。
シイナ:嫌いならそもそも入って来ないだろうしね、ヤナのフィールドに。
ヤナ:アハアハアハっ、
ヤナ:ちゃんサマ電波ゆんゆん出とりマスからなァーーーっつってつってっ。
ヤナ:え、で、でっ、それでっ?
シイナ:ん?
ヤナ:愛されヤナぴがどーしましたかのォー。
シイナ:んー、いや……。
シイナ:……好き、とか、憧れられたり、とか。
シイナ:そーいう矢印が自分に向いてる時って、さ、
シイナ:どーいうテンションなのかな、って。
ヤナ:えーーっ……、
ヤナ:ええーーーー、…………。
ヤナ:(暫し考え)
ヤナ:……ヤジルシが自分に向いてナイことなんか無かったからワカンナイ…………、
シイナ:あっはははっ。
シイナ:前提から桁違いで参考にならねーーーっ。
シイナ:……でも、ま、そーだよな、ヤナは。
ヤナ:でもでもでもォっ、女子校の頃はモテ倒してたんじゃナイのっ?
ヤナ:アノ人が言ってたじゃん、あの、眼鏡のポワワンってした人、
シイナ:ああ、…………、
シイナ:先輩、ね。
シイナ:…………、
ヤナ:てかてか事故のニュース見て無茶苦茶ビックリしたァーっ、アノ人じゃんっつって!!
ヤナ:無事で良かったよねェーーーっ、マジでマジでっ。マジでジマっ。
シイナ:……ホントに、ね。
シイナ:(努めて切り替え)
シイナ:……高校の頃とかはさァ、アレは箱庭的な、一時の揺らぎっつーか、さ、
ヤナ:ザッツ・キョードーゲンソーっ (共同幻想)。
ヤナ:さァっすが「釈葉(しゃくよう)」女学院っ、未だにそんなんあるんだねェーーーっ。
シイナ:女同士で、さ。どーなるモンでも、実際はナイし、ね。
ヤナ:えっ? そー??
ヤナ:何でっ???
シイナ:いや……、ま、時代は変わったとはいえ、さ、
ヤナ:メス同士でもナニ同士でもォ、
ヤナ:ていうか繁殖目的じゃないのはオスメスでも一緒だしねっ。
ヤナ:どーにかなる時って簡単になっちゃうと思うケドなァーーーー。
シイナ:……、……、
ヤナ:キュポって。リュポっつって。
シイナ:擬音ヤメな?
シイナ:……、
0:薄っすらと、思案。
シイナ:……でも、何か……、
ヤナ:何かあったんスかァー? シーナリン、
シイナ:ヤナが言うと、そんなよーな気がしてくるから不思議だわ。
シイナ:……何も無い、けどね。
シイナ:あと「シーナリン」はもう、あと1文字で御本人なんだよな。
ヤナ:「ゴ」っ。
シイナ:丸ノ内でもサディスティックでもナイから。
シイナ:…………。
シイナ:さっ、て、
ヤナ:おゥー。
ヤナ:さてさて、はて。
シイナ:そろそろ……、
シイナ:マジで閉めるわ。
0:暗転。
0:【終】
シイナ:或る、心象のうた。
ケイジュ:あかるい屏風のかげにすわって
ケイジュ:あなたのしずかな寝息をきく。
ケイジュ:香炉のかなしい烟(けむり)のように
ケイジュ:そこはかとたちまよう
ケイジュ:女性のやさしい匂いをかんずる。
ケイジュ:かみの毛ながきあなたのそばに
ケイジュ:睡魔のしぜんな言葉をきく
ケイジュ:あなたはふかい眠りにおち
ケイジュ:わたしはあなたの夢をかんがう
ケイジュ:このふしぎなる情緒
ケイジュ:影なきふかい想いはどこへ行くのか。
ケイジュ:薄暮のほの白いうれいのように
ケイジュ:はるかに幽かな湖水をながめ
ケイジュ:はるばるさみしい麓をたどって
ケイジュ:見しらぬ遠見の山の峠に
ケイジュ:あなたはひとり道にまよう 道にまよう。
ケイジュ:ああ なににあこがれもとめて
ケイジュ:あなたはいずこへ行こうとするか
ケイジュ:いずこへ、いずこへ、行こうとするか。
ケイジュ:あなたの感傷は夢魔(むま)に酢えて
ケイジュ:白菊の花のくさったように
ケイジュ:ほのかに神秘なにおいをたたう。
0:タイトルコール。
シイナ:『ブラック・ウォッチのみぞ知る』
0:【間】
シイナ:眼鏡変わった?
0:某月某日、某時刻。
0:とある街、とあるバー。店員の女性は、常連客の女性が席に着くなり、投げかけた。
ケイジュ:あら……、気付きましたか。
シイナ:(コースターを出しつつ)
シイナ:前はシルバーだっけ。
シイナ:セルフレーム、似合うね。
ケイジュ:(カウンターにバッグハンガーを掛けながら)
ケイジュ:どうも。
ケイジュ:気が付かないと思ってました。
ケイジュ:貴方は、他人に興味がありませんから。
シイナ:そんな事ないヨ?
シイナ:ていうか……、それ、その鞄引っ掛けてるヤツ、
ケイジュ:バッグハンガー?
シイナ:そーそー。良いよね、私も欲しいんだよな。
ケイジュ:これは頂きものですが、意外と便利ですよ。デザインもシンプルですし。
シイナ:デザインは選びたいよねー。
シイナ:雑誌とか見て欲しくなってるモノっていっぱいあるんだけど、忘れていくんだよな。
ケイジュ:本当は大して欲しく無いんじゃありません? そういうものって。
ケイジュ:(コースターを指で玩びながら)
ケイジュ:注文しても?
シイナ:ええ、良ござんすとも。
シイナ:どんなものを致しましょーか、姫。
ケイジュ:また、その呼び方。
ケイジュ:……軽くして頂かなくて構いません。食後ですので、甘口のものを。
シイナ:OK。
0:ミキシンググラスを取り出し、店員は作業にかかる。
シイナ:ご飯、どこ行って来たの?
ケイジュ:(鞄からスマートフォンを取り出しつつ)
ケイジュ:ルーチェの4階の……、
シイナ:あっ、もしかして新しく入ったトコ? あの、ラフテー的な名前の。
シイナ:イタリア料理だっけ、
ケイジュ:「ラ・フルティエール」で、フランス料理です。
ケイジュ:何1つ合っていませんよ。
シイナ:あっは、そっか。
シイナ:(材料の瓶たちを並べつつ)
シイナ:美味しかったー?
ケイジュ:フランスの郷土料理をベースに、果物のソースを使った創作メニューがメインです。
シイナ:へぇー。あ、フラ(噛んだ)、
シイナ:“フルティエール”って、フルーツか。
ケイジュ:「果物屋」、です。
ケイジュ:味はまあ……、価格の割には、そこそこ。
シイナ:ソースって、選べたりするヤツかな。
ケイジュ:料理によって、何種類かの中から。私はミラベルを。
シイナ:スモモね。
シイナ:……わ、スモモって言ったら唾出た。
ケイジュ:条件反射。「梅干し」、よりは都会的ですね。
シイナ:あ、梅干しでも出る出る。
シイナ:(コクン、と飲み込み)
シイナ:デザートもあるの?
ケイジュ:セットで付いて来ましたよ、フルーツの盛り合わせ。
シイナ:良いね。今度さ、連れてってよ。
ケイジュ:(一瞬眼を伏せ、また戻し)……、
ケイジュ:考えておきます。
0:店員は作業を再開する。
シイナ:じゃ、果物系のリキュールはやめて、と……。
0:選んだ材料をミキシンググラスに注ぎ、ステア。氷を入れ、更にステア。
シイナ:さって、上手く出来るかなー、っと。
ケイジュ:お客の前で、やめて頂けません?
シイナ:(カラコロと混ぜつつ、魔女の真似)
シイナ:ヒィーーッヒッヒッヒ。コレでこのムスメもイチコロじゃわい。
ケイジュ:……無視です。
0:混ざりあった酒をロックグラスに注ぐ。
シイナ:氷冷たァ、と。
0:新たに氷を入れ、軽くステア。
0:シロップのボトルを取り。
シイナ:んで、コイツをちょびっと……。
0:微量注いだ後、炭酸水で満たす。軽くステアし、完成。
シイナ:(ドリンクを出しながら)
シイナ:お待たせ致しました。
シイナ:『ブラック・ウォッチ』です、姫サマ。
ケイジュ:ありがとう、執事(バトラー)。
シイナ:あは。「執事(しつじ)」ネ。語源としては間違い無いな。
ケイジュ:「酒瓶(ボトル)を扱う者」、ですからね。
0:常連客は静かに一口、含む。
ケイジュ:……思ったよりマッチしますね。今日は当たりです。
シイナ:良かったー。ちょいコーラっぽいけど、ナシじゃ無いでしょ、スコッチとカルア。
ケイジュ:この前のは酷かったですが。
シイナ:何したっけ、『グラスホッパー』か。私は嫌いじゃないけどなァ。
ケイジュ:歯磨き粉の味でした。
シイナ:ソレって美味しくないか?
ケイジュ:蓼食う虫も好き好き。
ケイジュ:……アーモンドシロップが効いていますね。
シイナ:隠し味に便利なんだよね。タニマチのバカが色々買い込んでんの知ってるから、偶に拝借してんの。
ケイジュ:酷い同僚。
シイナ:有効活用。私だけじゃなくてカスミも使ってるしィ。
ケイジュ:……。
ケイジュ:あの、軽薄そうな金髪の。
シイナ:あは。でもかなり、本読むんだよ。話してみたら結構仲良く、
ケイジュ:(遮り)遠慮しておきます。
ケイジュ:……見張りの番の気付けに適用、というような意味かしら。
シイナ:ん? なに?
ケイジュ:由来です。「ブラック・ウォッチ」の。
シイナ:え、チェック柄じゃないの?
ケイジュ:そっちも、元を辿れば同じです。
ケイジュ:かつてスコットランドに於いて秘密警察に支給されていた、青、緑、濃紺の、タータンチェックの制服。
ケイジュ:隠れて罪人を見張るのが役目の彼らは、正規の部隊と区別する意味で、
ケイジュ:「ブラック・ウォッチ」と呼ばれていたんです。
シイナ:へぇーえ! 黒く無いじゃん緑と青じゃん、って思ってたけど、そういうことか。
シイナ:さっすが、物知りだねえ、姫は。
ケイジュ:検索すればどこにでも転がっていますよ。
シイナ:ググんなきゃ知らないような事、空で出てくんのは凄いんだよ。
ケイジュ:実生活では役に立ちません。
ケイジュ:(一口含み)
ケイジュ:上手な告白の断り方すら、知らないんですから。
シイナ:おォ、聞こうと思ってたトコ。今日だね。
ケイジュ:ええ。食事に誘われて、一通り食べ終えた後に。
ケイジュ:私はフルーツをおかわりしたかったのに、勝手な人で。
シイナ:なに、おかわり出来んの?
ケイジュ:自由だそうです。
シイナ:うっわ、絶対行こーね。
0:カラン、と氷が鳴る。
ケイジュ:……同じ学部の、後輩ですが。大学に入ってからソコソコ戦績を上げて、調子に乗っているタイプの。
シイナ:イチバン寒いなァ。高嶺の花の、古書研究会の姫が卒業しちゃう前に、手を掛けたくなっちゃったのかな。
ケイジュ:知りませんが。満を持して、というような顔をして。
ケイジュ:最後まで興味を抱かせては貰えませんでした。
シイナ:今付き合ってどうするつもりだったのかな、カレは。姫、就職でしょ。
ケイジュ:……一応。資格が取れれば。
ケイジュ:何も考えていないんじゃないですか。
シイナ:ソイツは何選んだの、ソース。
ケイジュ:アプリコット。
シイナ:ひい、ソースのチョイスも寒ゥい。
ケイジュ:杏(あんず)に罪はありませんけど。
ケイジュ:高校で、空手の全国大会に進んだ時の話を延々とされた時は、白目を向くかと思いました。
シイナ:あっは。相手見て喋れっての。
ケイジュ:格闘技=(イコール)低俗とも思いませんが。
シイナ:それで? 何て言って断ったのさ。
ケイジュ:……月並みですよ。
ケイジュ:「好きな人がいるので」、と。
ケイジュ:我ながら芸の無い。
0:泡立つ琥珀を一傾け。カラン、と氷。
シイナ:居るんだ? 好きなヒト。
ケイジュ:(刹那、黙考し、)
ケイジュ:……ええ。
ケイジュ:母の事も、妹の事も好いていますし、父の事だって嫌ってはいませんよ?
シイナ:返しまでベッタベタやないかーい。あっはは。
ケイジュ:…………。
シイナ:だけど、退き下がってくんなかったと、その空手ボーイは。
ケイジュ:わかった、頑張る、だとか、訳の判らない事を、
シイナ:のたまったワケ? ゾワゾワァー。
ケイジュ:……、別に、このような形で無ければ、見るべき所も、話せる話題も、本当はあったんでしょうが。そういう意味では残念です。
シイナ:オスが1番ツマンナくなる時だからね。
シイナ:にしても、おモテになられますねェ、姫は。今年入って4回目とかじゃない?
ケイジュ:5回目です。
シイナ:なァんで、中身もある美人のトコに限って、しょーもないのばっか寄ってくるかね。
シイナ:(男性役調に声を作り、大仰に)
シイナ:全くもって、私は悲しいっ!
ケイジュ:……、記号に、反応しているだけですよ。
シイナ:きごう?
ケイジュ:スモモや梅干しと聞いて唾液が出るのと同じ。
ケイジュ:髪が長くて、色が白く細身で、出る所は出ていて。
ケイジュ:世間一般で良しとされる風体(ふうてい)に、偶々(たまたま)沿っていて。
ケイジュ:物静かで、大人しそうに本を読んでいる。
ケイジュ:ある種の「女」の典型に、条件反射で飛び付いているだけです。
シイナ:聞く人が聞いたら怒りそうだよネ。
ケイジュ:言う相手は選びますよ。
シイナ:あは。
シイナ:……なるほど。ハンペンでカエル釣るようなモンか。救えないなァ。
ケイジュ:何ですかそれ?
シイナ:子供の時にやらなかった? 発情期の雄ガエルって、同じサイズの物には何だって飛び付くから、ハンペンとかコンニャクに紐付けて釣るんだよ。川とかで。
ケイジュ:知りません……、そんな粗野な遊び。
シイナ:今度やる?
ケイジュ:やらないです。
シイナ:結構楽しいんだよ、皆やってたし。
シイナ:……あの頃はなァ、女子も男子も無く、皆ツルんで遊んでたのにな。
0:常連客は一口グラスを傾け。
ケイジュ:……思春期を過ぎれば、刷り込みが終わるんですよ。
ケイジュ:男という記号、女という記号。
ケイジュ:男は女を求め、女は男を受け入れる。いずれ恋に落ち、番(つが)い、子を成し、代を重ねる。
ケイジュ:パブロフの犬たちによる、美しい条件付けの樹形図。
ケイジュ:そうして世界は回っている、というお約束の。
シイナ:そして、ソコヘ乗っかれない、ピンと来ない奴らには、罪人(ざいにん)のラベルを貼っ付ける、と。
ケイジュ:(表情を静止させ)
ケイジュ:……、罪、人。
シイナ:これからもずっと、かは判らないけどさ。多様性とか色々と、ブームらしいし。
シイナ:少なくとも……、今のトコ、そんな法に乗っかるには、男は馬鹿過ぎるよなァ。
ケイジュ:……さて。本当は女もどうだか、
シイナ:もちろん、女の馬鹿だって大勢いるね。だから、女子校時代に戻りたいとは思わないけど……、
シイナ:それにしたって、男の馬鹿は多すぎる。大学で共学来てビックリしなかった?
ケイジュ:どうでしょう。高校の頃の私は、どちらかと言えば、女の馬鹿の方でしたから。ご存知の通り。
シイナ:よく言うよ、寮長殿。才色兼備の、妖精みたいな子が入って来たって、演劇部総立ちだったよ。
ケイジュ:勧誘を蹴って文芸部に決めてしまい、申し訳ありませんでした、副部長。
シイナ:根に持ってるからね、今でも。
ケイジュ:お詫びにこうして、足繁(あししげ)く通っているんです。
シイナ:ふっふ。なら、お釣りが来るかな……。
0:常連客が琥珀を含み、氷はカラリと鳴く。
ケイジュ:……先輩は。
シイナ:ん?
ケイジュ:先輩は、どうして大学、辞めたんですか。
シイナ:(眼は軽く見開かれ)
シイナ:……その呼び方、久しぶりだな。面食らった。
ケイジュ:理由を、聞いていなかったなと、思いまして。
シイナ:……んー、……、
0:カウンター内の簡素な木椅子を動かし、カタン、と腰掛ける。
シイナ:特に……、これといった理由があった訳ではないんだよね。
シイナ:半分男の環境が、合わなかったとかでも無いし。
ケイジュ:男のお友達も……、
シイナ:結構いたし、付き合ったりもしてたね。
シイナ:今は偶に飲んだりするぐらいだけど、ソイツとは。
ケイジュ:…………。
ケイジュ:では、
シイナ:居る理由を、これといって見出だせなかったから、とでも言うかな。殆ど誰にも、説明せず終いだった。
ケイジュ:…………。
シイナ:知っての通り、何もかも、長続きしない性格でね。
シイナ:演劇もぱったりヤメちゃったし、中学の頃のバスケも。
ケイジュ:飽き性、なんですよね。
シイナ:って、人にはよく言うけど。
シイナ:本当は……、そうね、「申し訳無くなる」、という方が近いな。
ケイジュ:申し訳……、
シイナ:これでも、打込めば本当に熱中するんだよ。命を燃やして。
ケイジュ:……よく、知っています。
0:ずっと見ていたから、とは言わなかった。
シイナ:ただ、何でもある程度やり込むと途端に、自分の、心の半端さに気が付く。
シイナ:周囲に対して、自分の非礼を痛く感じてしまう。
シイナ:この辺りの感覚を、誤解なく伝えようとすると時間がかかるから、今は言わないけど。
ケイジュ:お聞きしますよ。いくらでも。
シイナ:どっちがお客だかわからないね。
シイナ:もうじき、君の嫌いな騒がしい時間が来るよ。
ケイジュ:週末の匂いに湧く俗な人たちが。
ケイジュ:私も……、似たようなものですから。
シイナ:ふっふ。
シイナ:まあ……、結局の所、そういう自分が、移り気せず向き合えるものに出会えるんじゃないかと、大学に進んでみたものの……、
0:木椅子がカタンと鳴る。
シイナ:駄目だったね。
シイナ:自分の半端さ、心の凡庸さをまざまざと見て、私が居て良い場所じゃないと思った。
ケイジュ:……なろうと思えば、何にだってなれる人なのに。
シイナ:客席から見ればね。
シイナ:しかし役者の心は違う。顧問のヒラツカの受け売りだけど。
ケイジュ:あの、演出家崩れ。
シイナ:悪く言うもんじゃないよ。
シイナ:(一転、崩して)あァ、元気してるかなァー、ヒラ爺。懐かしいなァ。
ケイジュ:もう定年だと思いますが。
シイナ:しごかれたモンだよ。文芸祭で『シラノ・ド・ベルジュラック』を演(や)った時だって……、
ケイジュ:開演直前までダメ出しがあった話でしょう? 私、練習に付き合ったんですよ。
シイナ:あれ、君だったっけ?
ケイジュ:もう、本当に……。
ケイジュ:あんな、気障(きざ)で端麗なシラノ、おかしかったです。
シイナ:芝居ではよくあるんだよ。役の醜さをこそ、演技で表現しなければ、とは爺の言葉。
シイナ:……色々やらせて貰ったなァ。あの、部室のバルコニーでの寸劇。まだやってるのかなァ。
ケイジュ:新入生歓迎祭の。
ケイジュ:……続いてるんじゃないですか。妹の時は、やっていたと聞きましたよ。
シイナ:あの時初めて、私を観てくれたんだよね。
ケイジュ:他の生徒の歓声が五月蝿かったです。
シイナ:(おかしげに)
シイナ:アレ程のモテ期は、生涯来ないだろうなァ。
シイナ:妹ちゃんも、元気?
ケイジュ:息災ですよ。何せあの子は馬鹿ですから。
ケイジュ:私と同じ大学に入るんだって息巻いて、出来もしない勉強を。
シイナ:あっは、かーわいー。
ケイジュ:誰かを追いかけて、進路を決めるだなんて……、
ケイジュ:本当に、馬鹿のする事です。
0:真意を滲ませぬ、白紙の相貌。
シイナ:いいじゃない。憧れというのは純粋で。
シイナ:……私もそーゆーものに出会えれば、また違ったのかなァ。
ケイジュ:…………。
0:店員はグウ、と伸びをする。カタンと木椅子。
シイナ:あ、失礼致しました、姫。
ケイジュ:いえ。でも他の方の前では、やめた方が良いですよ。
シイナ:ふっふ。
シイナ:ねえ、覚えてる? 私の最後の文芸祭で、シラーの『群盗』を演った時の、
ケイジュ:作業に熱中し過ぎて、寮を締め出された話。
ケイジュ:……忘れる訳ありません。寮監を起こしたく無かったけれど、野宿をする訳にも行かず、2人で悩んだ末……、
シイナ:私が鍵を任されてたから、劇部の部室の、倉庫で眠ったんだよね。
ケイジュ:金の屏風の裏に隠れて、暗幕をかぶって。
シイナ:そうそう。アレ、屏風は、何に使ったやつだったかな……。
ケイジュ:凍えるかと思いました。
シイナ:秋にしちゃ寒い夜だったね。
シイナ:本当に、懐かしい……。
シイナ:スマホのアラームで起きられて、良かったよね。
ケイジュ:バレたら減点では済みませんでした。貴方は、大事な時期でしたし。
シイナ:寮長閣下と劇部の副長が部室で逢い引きだなんて、スキャンダルとしてオイシ過ぎるしね。新聞部に極上の餌を与えるトコだった。
ケイジュ:逢い引き。
ケイジュ:…………。
0:グラス持つ手が微かに震え、カラン、と氷。
ケイジュ:本当、お笑いですね。
シイナ:馬鹿やったよ、色々と。全能感にボケて、自分は選択肢に恵まれてる方だって、思い違いをして。
シイナ:自分の普通さ、平凡さにに気付けた分、今の方が馬鹿はマシだな。
ケイジュ:…………。
0:常連客は琥珀を干し、残された氷がカラリと鳴る。
ケイジュ:そろそろ行きます。五月蝿くなる前に。
シイナ:あァ、うん。ありがとう。
シイナ:では……、
シイナ:(男性役調に声を作り)
シイナ:1400フラン程、工面しては貰えないだろうか、ロクサーヌ。
ケイジュ:(財布から紙幣2枚を取り出しつつ)
ケイジュ:そんなシラノはモテませんよ。設定通りですが。
シイナ:あっはは。
シイナ:(小銭入れの缶を探り)
シイナ:あら……、ごめん、お釣り全部100円になるや。
ケイジュ:構いません。
0:つつがなく精算。ジャラリ、と貨幣。
シイナ:じゃ、気を付けて。後は帰るだけなの?
ケイジュ:(鞄を掛け、バッグハンガーを回収しつつ)
ケイジュ:ええ。週末で読破したい本が溜まっていますし。
ケイジュ:今夜から取り掛かります。
シイナ:相変わらず本の虫だよねェ。羨ましいよ。
ケイジュ:私の読書は愛好ではなく習慣ですから。
ケイジュ:貴方は、もう少し読んだ方が。
シイナ:まァ、ボチボチね。良いのあったら教えてよ。
シイナ:ていうかさァ、ホントにどっか遊びに行こうよ。ご飯食べに行ったり、空いてる日合わせてさ。
ケイジュ:…………。
シイナ:ホントにカエル釣りでも良いよ?
ケイジュ:…………。
ケイジュ:お誘いは嬉しいですが。
ケイジュ:私は、貴方とはここでしか会わないと決めていますので。
シイナ:言ってたねェ。
ケイジュ:それが、このゲームのルールなんです。
シイナ:あは、ザーンネン。
シイナ:……でも、そのゲームってさ、一体どうなったら勝ちなワケ?
ケイジュ:(微か、嗤い)
ケイジュ:……、それは、
0:その言わざる想いは。
0:その、罪咎は、
ケイジュ:ブラック・ウォッチのみぞ知る、ですよ。
0:暗転。
0:シイナにスポット。
シイナ:【本日のカクテルレシピ】
シイナ:『ブラック・ウォッチ』シイナアレンジ。
シイナ:■スコッチウイスキー 30ml
シイナ:■コーヒーリキュール 30ml
シイナ:■アーモンドシロップ イイ感じにチョビっと
シイナ:以上をミキシンググラスにてステア。
シイナ:ロックグラスに炭酸で満たしてサーブ。
0:【終】
:
0:【空白】/【空白】/【空白】
:
0:【ボーナス・トラック】
0:後日。某営業日。長身秀麗の女性店員と、真珠色の髪、絢爛過剰な容姿の、常連客の女性。
0:深夜、看板の灯が消えた後。
シイナ:……うへェーっ。
シイナ:そんで、ブチューっと行っちゃった、と?
ヤナ:そーそーそォー。
ヤナ:や、だってェ、そんな流れだったってゆーかァ、
ヤナ:チョーシこいとるドーテーショーネンをォー、大人の魅力で力尽くってゆーかァっ、
シイナ:その発想が既に大人でも何でもナイけどね。
シイナ:ま……、相変わらずヤナらしーコトで。
0:自前のドリンクを飲み干し。
シイナ:ぷはっ。今日はよく飲みました、っと。
シイナ:…………、
シイナ:その話の、彼はさァ、
ヤナ:え、アドくん?
シイナ:言っちゃうんかーーい。
シイナ:予想通りだけども。
ヤナ:だって男のバイトなんてアドくん1人だしねー。
ヤナ:が、どしたのっ?
シイナ:好きなのかね、やっぱ。
シイナ:ヤナの事。
0:常連客のキョトン、とした眼。
ヤナ:んへ……?
ヤナ:ソリャそーなんじゃナイ??
ヤナ:オトコノコだしィ、
シイナ:あは。ヤナのコト嫌いなオトコなんかいない、って?
ヤナ:私の事キライなオトコのヒトなんて会ったコト無いケドなーー??
ヤナ:あロンモチ、ゲイのヒトとかは別だけど、
シイナ:うっわ、スゲぇ事ゆーね。
ヤナ:ビビって、ヒかれたりはある、らしーんだけど。
ヤナ:でもソレって好きってコトじゃんっ???
シイナ:んーー……。定義によるだろうけど。
シイナ:嫌いならそもそも入って来ないだろうしね、ヤナのフィールドに。
ヤナ:アハアハアハっ、
ヤナ:ちゃんサマ電波ゆんゆん出とりマスからなァーーーっつってつってっ。
ヤナ:え、で、でっ、それでっ?
シイナ:ん?
ヤナ:愛されヤナぴがどーしましたかのォー。
シイナ:んー、いや……。
シイナ:……好き、とか、憧れられたり、とか。
シイナ:そーいう矢印が自分に向いてる時って、さ、
シイナ:どーいうテンションなのかな、って。
ヤナ:えーーっ……、
ヤナ:ええーーーー、…………。
ヤナ:(暫し考え)
ヤナ:……ヤジルシが自分に向いてナイことなんか無かったからワカンナイ…………、
シイナ:あっはははっ。
シイナ:前提から桁違いで参考にならねーーーっ。
シイナ:……でも、ま、そーだよな、ヤナは。
ヤナ:でもでもでもォっ、女子校の頃はモテ倒してたんじゃナイのっ?
ヤナ:アノ人が言ってたじゃん、あの、眼鏡のポワワンってした人、
シイナ:ああ、…………、
シイナ:先輩、ね。
シイナ:…………、
ヤナ:てかてか事故のニュース見て無茶苦茶ビックリしたァーっ、アノ人じゃんっつって!!
ヤナ:無事で良かったよねェーーーっ、マジでマジでっ。マジでジマっ。
シイナ:……ホントに、ね。
シイナ:(努めて切り替え)
シイナ:……高校の頃とかはさァ、アレは箱庭的な、一時の揺らぎっつーか、さ、
ヤナ:ザッツ・キョードーゲンソーっ (共同幻想)。
ヤナ:さァっすが「釈葉(しゃくよう)」女学院っ、未だにそんなんあるんだねェーーーっ。
シイナ:女同士で、さ。どーなるモンでも、実際はナイし、ね。
ヤナ:えっ? そー??
ヤナ:何でっ???
シイナ:いや……、ま、時代は変わったとはいえ、さ、
ヤナ:メス同士でもナニ同士でもォ、
ヤナ:ていうか繁殖目的じゃないのはオスメスでも一緒だしねっ。
ヤナ:どーにかなる時って簡単になっちゃうと思うケドなァーーーー。
シイナ:……、……、
ヤナ:キュポって。リュポっつって。
シイナ:擬音ヤメな?
シイナ:……、
0:薄っすらと、思案。
シイナ:……でも、何か……、
ヤナ:何かあったんスかァー? シーナリン、
シイナ:ヤナが言うと、そんなよーな気がしてくるから不思議だわ。
シイナ:……何も無い、けどね。
シイナ:あと「シーナリン」はもう、あと1文字で御本人なんだよな。
ヤナ:「ゴ」っ。
シイナ:丸ノ内でもサディスティックでもナイから。
シイナ:…………。
シイナ:さっ、て、
ヤナ:おゥー。
ヤナ:さてさて、はて。
シイナ:そろそろ……、
シイナ:マジで閉めるわ。
0:暗転。
0:【終】