台本概要
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タイトル | クライマックス!!全編 |
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作者名 | 荒木アキラ (@masakasoreha) |
ジャンル | ラブストーリー |
演者人数 | 3人用台本(男2、女1) |
時間 | 50 分 |
台本使用規定 | 台本説明欄参照 |
説明 |
時代は19世紀、舞台はイギリス。 下町の芝居小屋で女優に恋したジェームズと、それを見守る親友のカール。 物語は常にクライマックスを迎えています。 たまには、大袈裟なくらい演技にのめり込んでみませんか(笑) 上演時には、任意ではありますが、作者TwitterDM(@masakasoreha)までご連絡いただけると、 喜んで拝聴しに行きます。 203 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
ジェームズ | 男 | 84 | 貴族の社交界に彗星のごとく現れた絶世の美青年。 カールに世話をやかせるのを当たり前のように感じている。 |
ジュリア | 女 | 41 | 下町の芝居小屋で三流女優をしている可憐で美しい少女。 支配人のお気に入り。 |
カール・支配人 | 男 | - | カール:ジェームズの親友で、保護者のような存在。支配人と被りです。 支配人:ジュリアの身の振り方を考えている、優しい支配人。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:ジェームズの居室。
0:
カール:「ああ、もうぼくはね、呆れ果てているよ!
カール:火急の知らせというから、
カール:馬車を飛ばして駆けつけたというのに、
カール:きみは今しがた心地いい夢から覚めたような顔をして
カール:ベッドに横たわっているときた!
カール:
カール:なんだって、生死の境を彷徨って(さまよって)いる
カール:なんて大袈裟な伝言を頼んだ?」
カール:
ジェームズ:「(うっとりと)…ぼくはね、そう、
ジェームズ:今まさに疫病に冒(おか)されているからだよ。
ジェームズ:身体のそこかしこで病は
ジェームズ:どんちゃん騒ぎの仮装行列さ!」
ジェームズ:
カール:「ずいぶんとまあ、賑やかな病があるもんだ。」
カール:
ジェームズ:「ああ、なんと言えばわかってもらえるだろう。
ジェームズ:この胸は熱く腫れ上がり、頭はくらくら、
ジェームズ:足元は深淵(しんえん)をのぞいている。」
ジェームズ:
カール:「それはまた、たいした病にかかったようだな。」
カール:
ジェームズ:「まあそう皮肉を言うなよ。
ジェームズ:きみがこの手の話に不感症なのは、承知の上さ。」
ジェームズ:
カール:「ぼくが長らく結婚という
カール:倦怠(けんたい)の中で過ごしてるからといって、
カール:不感症という揶揄(やゆ)は、心外だな。
カール:ぼくだって人並みに楽しみはしてるさ。」
カール:
ジェームズ:「きみが可愛いお友達と呼んでいる
ジェームズ:娼婦たちのことかい?
ジェームズ:損得がからまないと、
ジェームズ:きみは燃えない質(たち)らしい。」
ジェームズ:
カール:「うんざりしてるのさ。
カール:恋の成就が結婚だなんて
カール:うそぶき始めた世の中にね。
カール:きみはまだ気楽な独り身だからわからないよ。
カール:結婚という大それた芝居の主人公に選ばれたら、
カール:台本通りの操り人形さ。」
カール:
ジェームズ:「奥方とは、仲睦まじいと評判のきみが、
ジェームズ:その裏で親友に泣き言とはね。
ジェームズ:これはまた、とんだ二枚看板というわけか。」
ジェームズ:
カール:「いやいや、満足しているよ、彼女には。
カール:ぼくの後ろに札束の山がうなっていなければ、
カール:一眼でこのぼくの虜(とりこ)には
カール:なりはしなかったろうがね。
カール:
カール:まあ、それはそれ。
カール:女はしたたかじゃなきゃ、興ざめさ。
カール:ぼくが言っているのはね、
カール:夫婦という仮面のことさ。」
カール:
ジェームズ:「そんなくだらない世間の戯れ言(ざれごと)を
ジェームズ:真(ま)に受けるとは、
ジェームズ:きみらしくないな。」
ジェームズ:
カール:「ぼくだって貴族の端くれだ。
カール:馴染みのご婦人方には、
カール:それなりに礼を尽くしているつもりだよ。
カール:結婚だけが男女の仲というわけじゃなし。
カール:
カール:妻がサロンに出入りする若い兵隊さんを
カール:次から次へ甘い蜜の罠にかけていることすら、
カール:この懐(ふところ)は許してやってるつもりでいた。
カール:昼間、頭の軽そうな美男子に手を引かれて現れても、
カール:お友達ができたの、わたしの夫と仲良くしてね、
カール:それでお終い。
カール:仕方ないさ。
カール:ぼくだって似たようなものなんだからな。」
カール:
ジェームズ:「赦し(ゆるし)、許され、
ジェームズ:結婚とはかくも寛容なものだったか!」
ジェームズ:
カール:「だけどね、夜遅く屋敷へ帰ると、
カール:妻は今の今までぼくを待って
カール:刺繍(ししゅう)に勤しんで(いそしんで)いました、
カール:なんて演技をするんだ、気味が悪いよ。
カール:女にとって要は言葉なのさ。
カール:真偽を問うまでもない、言葉!言葉!
カール:ぼくはそれに吐き気がする。」
カール:
ジェームズ:「ふんふん、なるほど、
ジェームズ:閣下はひどく女性に失望しておられるとみえる。」
ジェームズ:
カール:「上の空だな。
カール:まるでぼくの話を聞いちゃいないじゃないか。」
カール:
ジェームズ:「だって言ったじゃないか、
ジェームズ:ぼくは病に身を焦がしているって!
ジェームズ:心配してはくれないのかい?」
ジェームズ:
カール:「見えてきた見えてきた。
カール:容姿端麗な伊達男(だておとこ)
カール:悲恋に身をやつす!だろ?」
カール:
ジェームズ:「からかうのはよしてくれ。
ジェームズ:きみがそれを信じないからって、
ジェームズ:愛が存在しないわけじゃない。
ジェームズ:昨夜の月を見逃したやつがいても、
ジェームズ:ぼくは確かに満月を見た、というわけさ。」
ジェームズ:
カール:「ふん、まあまあだな。
カール:・・・よし、きみの話を聞こう。」
カール:
ジェームズ:「はじまりはこうさ。」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:ジェームズ、立ち上がって歩きながら。
0:
ジェームズ:「そこは、野犬も寄り付かぬ、
ジェームズ:路地裏のうらぶれた街角。
ジェームズ:小さな芝居小屋は、デカダンスに酔いしれる連中であふれ、
ジェームズ:ひどく節操のない無法地帯と化していた。」
ジェームズ:
カール:「いよいよ、酔狂に拍車がかかってきた。」
カール:
ジェームズ:「舞台は、ベニヤ板を森に見立てた
ジェームズ:なんともお粗末な様相で、
ジェームズ:その中にひと切れのレースを身にまとった女優が立っている。」
ジェームズ:
0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「ねえ、あなた、そう、あなたに語りかけているの。」
ジュリア:
0:現実に戻って。
ジェームズ:「少女の声は凛と張りのある白百合のようだった。」
ジェームズ:
カール:「ちょっと待った。
カール:まさか、今きみは自分が見てきたような語り口だが、
カール:そんな場所に出入りしたわけじゃないだろうな?」
カール:
ジェームズ:「まあ、これには深いわけがある。
ジェームズ:少女の話を聞こうじゃないか。」
ジェームズ:
0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「あなたは、そう、妖精でしょう?
ジュリア:この深い森の中に百年眠っていた、泉の妖精さん。
ジュリア:わたしにはわかるわ。
ジュリア:あなたは今目覚めたばかりの新しい光!
ジュリア:鋭いほど眩しくて、わたしの胸を刺す!」
ジュリア:
0:現実に戻って。
ジェームズ:「彼女の瑠璃色の瞳は、
ジェームズ:緞帳(どんちょう)の裾(すそ)をさらう
ジェームズ:秋風の合間をぬって、
ジェームズ:雲間に滲む(にじむ)月を見ていた!」
ジェームズ:
カール:「と、きみには見えた。
カール:父(てて)なし子が食うために
カール:必死で覚えた台詞を諳(そら)んじる姿に、
カール:一抹の寂しさが滲んでいたからだ。」
カール:
ジェームズ:「失敬な!
ジェームズ:あの人を侮辱することはぼくが許さない。
ジェームズ:舞台はまさに彼女のためのものだ。
ジェームズ:たとえ、俗悪な連中の中にいても
ジェームズ:さらに彼女は際立って気高かった。
ジェームズ:彼女を侮辱することは、
ジェームズ:芸術に愛想がつきたということと一緒だ!」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「あなたは、わたしの秘密。
ジュリア:この森を支配するあなたを、
ジュリア:わたしが目覚めさせたのだもの!
ジュリア:きっと、この秘密は守ります。
ジュリア:そして、わたしは毎日あなたに
ジュリア:お会いしに来ましょう。
ジュリア:あなたがこの世界にいてさびしくないように、
ジュリア:わたしの歌声で飾りつけましょう!」
ジュリア:
0:現実に戻って。
ジェームズ:「そして彼女はアリアを歌いあげる。
ジェームズ:その透明な歌声の、なんと素晴らしかったこと!
ジェームズ:泉の精がそのまま空中に躍り(おどり)出て、
ジェームズ:思うさま喜び舞うすがた、そのままだった。」
ジェームズ:
カール:「なるほど。
カール:才能を切り売りしなければならない幼子(おさなご)を、
カール:きみは哀れに思った、と?」
カール:
ジェームズ:「なぜわからないんだ!
ジェームズ:彼女は純粋な才能で
ジェームズ:あらゆるロマンスのヒロインを演じられる、
ジェームズ:ただ一人の女優なのだ。
ジェームズ:彼女なくしては、世界は不完全なままさ!
ジェームズ:ぼくは彼女の、無邪気に赤い唇を愛したね。
ジェームズ:こぼれる、素直な髪のひと房(ふさ)に
ジェームズ:ため息がでた。
ジェームズ:彼女の存在そのものが、
ジェームズ:どんなに地下深く潜ろう(もぐろう)とも、
ジェームズ:魂のように漂い出てしまうほど神聖なのだ。」
ジェームズ:
カール:「わかった、わかったよ。
カール:そこまで言うなら、
カール:その芸術とやらを、ぼくも一度拝まなくてはならない、
カール:そういうわけか。」
カール:
ジェームズ:「そりゃそうさ!なんたって、
ジェームズ:彼女はぼくと結婚するんだからね。」
ジェームズ:
カール:「結婚!それ見たことか!
カール:すぐに誓いを立てたがるのは自由恋愛主義の悪い癖だ。
カール:行く手に待つのは・・」
カール:
ジェームズ:「まあ、最後まで言わせてくれ。
ジェームズ:ぼくは少しばかり欲張りでね。
ジェームズ:妻になる女性をちょっと見せびらかさなければ
ジェームズ:気がすまない。
ジェームズ:神から祝福されしすぐれた才能を
ジェームズ:独り占めした上で、
ジェームズ:お気に入りの友に
ジェームズ:気まぐれなおすそ分けがしたいんだ。
ジェームズ:見せたいけど、見せすぎたくはない。
ジェームズ:わかるだろう?」
ジェームズ:
カール:「言っておくがな、恋はすべての女を変えるぜ?
カール:麗しの貴公子の登場に、
カール:果たして乙女は清廉(せいれん)でいられるかな。
カール:まあ、いい暇つぶしになりそうだ。乗ったよ。」
カール:
ジェームズ:「ありがとう、カール。
ジェームズ:どんなニヒリストの厭世家(えんせいか)だって、
ジェームズ:あのひとの姿を目の当たりにした日には、
ジェームズ:跪いて(ひざまずいて)大地に口づけしたくなるさ。」
ジェームズ:
カール:「ぼくは忠告したぜ?
カール:あとは好きにするんだな。
カール:なんたってきみは病人だ。
カール:優しくするしかこっちにはやりようがない。」
カール:
ジェームズ:「今夜、劇場に案内しよう。
ジェームズ:その前に、ぼくは彼女と話をつけてくる。」
ジェームズ:
カール:「おい、まさか。話をつけるって、
カール:三流女優ときみが結婚だなんて、
カール:本気じゃないだろう?」
カール:
ジェームズ:「本気も本気、ぼくは嘘は大嫌いだ。
ジェームズ:正直に言おう。
ジェームズ:昨夜はひどい頭痛で、
ジェームズ:どうしてもアレが必要だったんだ。」
ジェームズ:
カール:「はあ・・・なんてこった。
カール:またきみの悪い癖が始まったわけだ。」
カール:
ジェームズ:「素面(しらふ)でぼくが
ジェームズ:あの秘密の魔窟(まくつ)に足を運ぶと思ったかい?
ジェームズ:あれは夜半に一服のんだ後だった。
ジェームズ:
ジェームズ:ぼくは楽屋に通すよう交渉したんだが、
ジェームズ:支配人のやつが頑固でさ。
ジェームズ:今日はまた、金子(きんす)を持って
ジェームズ:あの貧民街へ出直しってわけさ!
ジェームズ:
ジェームズ:ついに今日、彼女の瞳にぼくが映る。
ジェームズ:ああ、胸が高鳴るじゃないか!」
ジェームズ:
カール:「阿片は身を滅ぼすぜ?ほどほどにしとけよ。
カール:華やぐ美貌で
カール:ロンドン社交界に鮮烈なデビューを飾った
カール:きみの見事な容姿を、
カール:ぼくはみすみす失いたくない。」
カール:
ジェームズ:「ああもう、きみの警句(けいく)ときたら、
ジェームズ:やたら馬鹿げていて回りくどいんだから。
ジェームズ:ちょっとした気晴らしさ!」
ジェームズ:
カール:「彼女はきみの退廃趣味がみせた幻でした、
カール:なんて落ちじゃないだろうな?」
カール:
ジェームズ:「まあ、今夜をお楽しみに。」
ジェームズ:
ジェームズ:
ジェームズ:
ジェームズ:
0:ジュリアの楽屋、台詞の練習をしている。
ジュリア:「わたしの・・・わたしの歌声で
ジュリア:飾りつけましょう!わたしの・・・んん!」
ジュリア:
支配人:「ほう、珍しい。どうしちまったのかい?
支配人:お前の喉は天からの贈り物。
支配人:アリアが歌えなくなるくらいなら、
支配人:台詞なんてどうだっていいんだよ?」
支配人:
ジュリア:「大丈夫、心配しないで。
ジュリア:わたし、今ちょっと演技に身が入らないの。」
ジュリア:
支配人:「またそんなこと言って。
支配人:おまえはうちの劇団唯一の稼ぎ手だ。
支配人:弱音は吐かせないよ?」
支配人:
ジュリア:「そういうんじゃないんです。
ジュリア:なんかね、おかしいの、
ジュリア:笑っちゃうかもしれないけどね、
ジュリア:昨日、最後の舞台がはねたとき、
ジュリア:わたし初めてこの仕事してて良かったって思ったんです。」
ジュリア:
支配人:「殊勝なことを言うじゃないか。
支配人:おまえの才能も、
支配人:まんざらハリボテじゃないのかもしれないね。
支配人:なにがあったんだい?」
支配人:
ジュリア:「あのね、突然にある疑問がわたしを襲ったの。
ジュリア:どうしてわたしは舞台に立っていて、
ジュリア:目の前で起きてるつまらない喧嘩や、
ジュリア:酔っ払いたちの野次や、
ジュリア:阿片で抜け殻になってる人たちを、
ジュリア:見ないふりして演技してるんだろう?って。
ジュリア:小さい頃からずっと、そうしてきたから、
ジュリア:なんだかそれが当たり前になっていて、
ジュリア:考えたこともなかったわ。」
ジュリア:
支配人:「それが天上の商い、
支配人:夢を売るのに外野なんか気にしてたら、
支配人:きりがないじゃないか。
支配人:割り切ってやるしかないんだよ。」
支配人:
ジュリア:「そうだわ、あれは昨日、
ジュリア:最後の歌声が途切れた瞬間、
ジュリア:どこからか手を叩く音が聞こえてきたの。
ジュリア:たったひとりの拍手だったけど、ゆっくりで、
ジュリア:それでいて力強くて・・・。
ジュリア:まさか、芝居を観てる人がいるなんて思わなかったから、
ジュリア:びっくりしちゃって・・・。
ジュリア:ふふふ、おかしいでしょ?」
ジュリア:
支配人:「・・あはは、おまえ、そんなことくらいで。
支配人:欲がないやつだな、ほんとに。
支配人:・・・ああ、そういえば。
支配人:いや、あれは・・・。」
支配人:
ジュリア:「どうしたんですか?支配人さん?」
ジュリア:
支配人:「いやね、そうそう、思い出した思い出した!
支配人:昨日帰りがけに、
支配人:帽子を目深(まぶか)にかぶった若者がね、
支配人:楽屋に通せってしつこかったんだよ。
支配人:ハハッ!まさか、その拍手・・・
支配人:まさかだな!」
支配人:
ジュリア:「それで?その人になんて言ったの?」
ジュリア:
支配人:「あんまりしつこいんで、身なりをみてみたら、
支配人:なかなかまあまあ、仕立てが良かったもんだから、
支配人:お金はあるのかい?って・・・」
支配人:
ジュリア:「まあ!それってあんまりだわ!」
ジュリア:
支配人:「今は持ち合わせがないとか
支配人:ぶつくさ言うもんだから、
支配人:おととい来やがれ!って
支配人:蹴飛ばしてやったってわけさ。」
支配人:
ジュリア:「わたし、その人に会ってみたかったわ・・・。
ジュリア:だって、その人かもしれないでしょ?
ジュリア:たったひとりの拍手だったけど、
ジュリア:わたし、ハッとしたわ。」
ジュリア:
支配人:「だって、おまえはうちの大事な看板娘だよ?
支配人:二足三文ではいどうぞ、とはいかないさ。」
支配人:
ジュリア:「わかってるわ。
ジュリア:でも、お話するくらい・・・。」
ジュリア:
支配人:「だから、おまえは世間知らずって言うんだよ!
支配人:男がこんな舞台の楽屋に通せってことはねえ、
支配人:とどのつまりが、おまえを気に入ったから、今晩・・」
支配人:
0:ノックの響く音。
支配人:「(大声で)こんな時間になんだいー?」
支配人:
支配人:
ジェームズ:「突然の訪問を失礼いたします。
ジェームズ:わたくし、ジェームズ・ラ・モット子爵と申す者。
ジェームズ:昨夜のお約束で参りました。」
ジェームズ:
支配人:「約束?なに冗談ぬかしてやがる!
支配人:だれだ、貴様?」
支配人:
支配人:
0:ジェームズ、花束を手に現れる。
ジェームズ:「昨夜、あなたがご教授くださった方法で、
ジェームズ:ここまで上がって来ることが出来ました。」
ジェームズ:
ジュリア:「し、子爵様・・・?」
ジュリア:
支配人:「・・・おぼっちゃん、
支配人:こ、ここは関係者以外立ち入り禁止でね。
支配人:意味はお分かりですね?」
支配人:
ジュリア:「待って、支配人さん!」
ジュリア:
ジェームズ:「お嬢さん、このような恥ずべき方法で
ジェームズ:潜り込むことしかできない無力な青年を、
ジェームズ:どうぞお許しください。」
ジェームズ:
支配人:「落ちぶれても舞台女優ですよ?
支配人:まさか、その花束で落ちるなんて、
支配人:甘い話ではないだろうね?」
支配人:
ジェームズ:「わかっております。
ジェームズ:わたくし今日は、
ジェームズ:お嬢さんのこれからの身の振り方を
ジェームズ:ご一緒に考えさせていただきたいと、
ジェームズ:そのつもりで参りました。」
ジェームズ:
ジュリア:「夢、かしら・・。
ジュリア:いえ、わたしは昨日の拍手だけで、もう・・・。
ジュリア:拍手?わたし、なにを言ってるのかしら?」
ジュリア:
支配人:「おまえ!
支配人:まあ、落ち着きなさい!
支配人:身の振り方って、つまり、その・・・
支配人:つまるところ、おぼっちゃん、
支配人:気まぐれですむ話じゃありませんよ。
支配人:それなりの額を」
ジェームズ:「それなりの額をご用意しております。」
ジェームズ:
ジュリア:「え・・・?」
ジュリア:
ジェームズ:「ですから、この囚われの乙女と、
ジェームズ:しばし二人きりにしていただけませんか。」
ジェームズ:
ジュリア:「支配人さん、わたし、この方と
ジュリア:お話してみたいわ・・・」
ジュリア:
支配人:「いやいや、何か悪い罠の匂いがする。
支配人:わたしがいま追い払ってやるからな。」
支配人:
ジュリア:「後生(ごしょう)よ、支配人さん!」
ジュリア:
支配人:「ふーん。
支配人:おまえがそんなに言うなら・・・。
支配人:ちょっと女将と話をつけてこなきゃ
支配人:いけないな。
支配人:それまで、この娘には指一本、
支配人:触れてはならないぜ?」
支配人:
支配人:
支配人:
0:支配人、退場。
0:沈黙。
ジェームズ:「お嬢さん、どうか、怖がらないでください。」
ジェームズ:
ジュリア:「ジュリア・・・、ジュリア・ローズと。」
ジュリア:
ジェームズ:「ジュリア・ローズ!素敵な名だ。
ジェームズ:その名を口に出しただけで、
ジェームズ:花々がこぼれ出すようだ!
ジェームズ:もっと、もっとあなたを知りたい。」
ジェームズ:
ジュリア:「わたし・・・、いえ、昨日、
ジュリア:支配人さんがとんだ失礼をしたんじゃないかしら。」
ジュリア:
ジェームズ:「いえいえ、あなたはただ美しく素晴らしかった。
ジェームズ:それが、唯一ぼくの思い出です。」
ジェームズ:
ジュリア:「なぜ、なぜわたしなの?
ジュリア:なぜわたしに拍手下さったの?
ジュリア:あれはあなたなんでしょう?」
ジュリア:
ジェームズ:「それは、ぼくがあなたに問いたいですね。
ジェームズ:なにがぼくに拍手させたのか。
ジェームズ:・・・恋だったら、と願っています。」
ジェームズ:
ジュリア:「そんな!
ジュリア:・・・ではあなたは知っているかしら。」
ジュリア:
ジェームズ:「何でしょう?」
ジェームズ:
ジュリア:「あなたが現れたとき、胸に稲妻が走って、
ジュリア:今もまだ輝いてる。
ジュリア:これってなあに?」
ジュリア:
ジェームズ:「ぼくが教えて差し上げましょう。
ジェームズ:それは恋です。
ジェームズ:おそらく、いや望むなら、最初で最後の。」
ジェームズ:
ジュリア:「やっぱり・・・いけないわ!
ジュリア:わたしは、おしゃべりのできるカナリアと一緒よ?
ジュリア:この籠からは出られないの。」
ジュリア:
ジェームズ:「浮世にぼくが手にできないものはありません。
ジェームズ:あなたはそう、この狭苦しい鳥籠の中では
ジェームズ:翼をいたずらに傷つけるだけ。
ジェームズ:あなたにふさわしい場所をご用意しましょう。
ジェームズ:世界中、ローマ、パリ、ミラノ、
ジェームズ:イスタンブールの空の果てまで
ジェームズ:ぼくが、案内いたしましょう。」
ジェームズ:
ジュリア:「素晴らしいお話だけれど、
ジュリア:なんだか怖いわ。
ジュリア:それよりわたしは、情熱という牢獄の中で、
ジュリア:自由の身になりたい。」
ジュリア:
ジェームズ:「むろん、夜の帳(とばり)が下りる頃には。」
ジェームズ:
ジュリア:「ああ、金縛りにあったときのよう。
ジュリア:なんと言ったらいいの?
ジュリア:わたしは、どうすればいいの?」
ジュリア:
ジェームズ:「ただ一言、イエスと。」
ジェームズ:
0:ジュリアの手をとり、口づけるジェームズ。
0:支配人がこっそりのぞいている。
支配人:「あーあー・・・知らないぜ。おれは知らないからな!」
支配人:
0:回想
ジェームズ:「約束します。
ジェームズ:ぼくは今夜、もう一度、ここへ来ます。
ジェームズ:先程申し上げたように、支配人と話はついています。
ジェームズ:あなたは安心してくださっていい。
ジェームズ:ただ、ジュリア・ローズとして、
ジェームズ:最後の舞台を今夜、ぼくにプレゼントしてほしい。
ジェームズ:最高の舞台の後、ぼくはプロポーズします。
ジェームズ:どうか、よいお返事をお待ちしています。」
ジェームズ:
0:回想終わり
ジュリア:「と、そういうわけなの。」
ジュリア:
支配人:「おまえね、貴族の自惚れを信じるのかい?
支配人:まあ、おまえのことは女将に任せっきりだ。
支配人:女将が手放すなら、
支配人:おれが口を挟むことじゃないけどね、
支配人:こんなうまい話、あるわけないじゃないか。
支配人:賭けのネタにでもされてるのさ!」
支配人:
ジュリア:「幸せすぎて、溶けてなくなりそう。
ジュリア:まるでお砂糖になった気分よ。
ジュリア:美しいあの方は、
ジュリア:わたしを愛してくださっているのよ。
ジュリア:貧民街生まれの、
ジュリア:みずぼらしく飾らない素のわたしに、
ジュリア:恋い焦がれてくださっているの。
ジュリア:わからないかしら。」
ジュリア:
支配人:「だから、それが幻想だって言うんだよ!
支配人:舞台と現実の区別もつかないなんて、
支配人:よほどの世間知らずなおぼっちゃんなんだよ。
支配人:公爵だか子爵だか知らないけど、
支配人:そんなお方の婚約者が貧しいみなしごだなんて、
支配人:いい笑い者だぜ。」
支配人:
ジュリア:「あら、お金でなんとかならないものが
ジュリア:この世にあって?
ジュリア:わたしをこの小屋に売ったのだって、
ジュリア:実の親だわ。
ジュリア:食べていくには仕方なかった。
ジュリア:それから、お金を稼ぐために芝居を覚え、
ジュリア:歌だけがわたしの生きる糧だった。
ジュリア:
ジュリア:でもね、今夜のわたしは、一度だけ、
ジュリア:一度だけ愛のために歌いあげるの。
ジュリア:それが許されるなら、あの方のためだけに、
ジュリア:舞台に立つのよ。」
ジュリア:
支配人:「はあ…あきれたもんだ。おれは、知らないからな…。」
支配人:
支配人:
支配人:
支配人:
0:場面、劇場の客席
カール:「(咳こみながら)よくもまあ、こんな場所に
カール:ぼくを連れ込んだな。
カール:クラブの連中に話してやったら、
カール:とんだ武勇伝になるどころか、
カール:とても信じちゃもらえないぜ。」
カール:
ジェームズ:「まあ、落ち着いて聞いてくれ!
ジェームズ:ぼくが全生涯をささげようとしている娘の名は、
ジェームズ:ジュリア・ローズ!
ジェームズ:豊かな薔薇園のように甘美な響きではないか!」
ジェームズ:
カール:「落ち着くのは、きみのほうだ。
カール:大輪(たいりん)の薔薇が咲いたところ失礼だが、
カール:事実、ここは酷い(ひどい)悪臭だぜ?
カール:まさか、ここに腰を下ろして、大丈夫か。」
カール:
ジェームズ:「落ち着いてる、ぼくは落ち着いているさ。
ジェームズ:しかし、ずいぶんと遅かったじゃないか。
ジェームズ:まあ、場所が場所なだけに、
ジェームズ:きみだけを責めるわけにもいかないが。
ジェームズ:
ジェームズ:間に合わないかとヒヤヒヤしたよ。
ジェームズ:まさに今、劇は佳境(かきょう)だ!」
ジェームズ:
カール:「芸術の根がこんな下々の足元まで蔓延る(はびこる)
カール:事ができるとは、驚きで言葉も出ないよ。」
カール:
ジェームズ:「芸術とは、貴賎(きせん)を問わず
ジェームズ:常に人の心を揺り動かすものさ。
ジェームズ:それを支え、導いてやることが、
ジェームズ:ぼくたち上に立つ者の役目なんじゃないかい?
ジェームズ:かのボッティチェリも、
ジェームズ:メディチ家の後ろ盾なしに、
ジェームズ:あのような栄誉を受けられたものか、
ジェームズ:はなはだ疑わしい。」
ジェームズ:
カール:「ヴィーナス誕生になぞらえるとは、
カール:さすがにきみも気が大きくなりすぎだ。
カール:まあ、どんな天上の悦楽が待っているか、
カール:期待していよう。」
カール:
ジェームズ:「ああ、もうすぐだ。
ジェームズ:やはりきみの言う通りかもしれない。
ジェームズ:ぼくはたしかにのぼせあがっている!
ジェームズ:そろそろ、ジュリアの台詞のところだ。
ジェームズ:とくとご覧あれ!」
ジェームズ:
ジュリア:「ねえ、あなた、そう、あなたに語りかけているの。」
ジュリア:
ジェームズ:「ん・・・?」
ジェームズ:
カール:「?・・・なるほど、なかなかの
カール:器量良しじゃないか。
カール:これは冴えた月明かりに映える
カール:たいした美人だ。」
カール:
ジェームズ:「次からの台詞が素晴らしいんだ。」
ジェームズ:
ジュリア:「あなたは、そう、妖精でしょう?
ジュリア:この深い森の中に1百年眠っていた、泉の妖精さん。
ジュリア:わたしにはわかるわ。
ジュリア:あなたは今目覚めたばかりの新しい光!」
ジュリア:
ジェームズ:「・・・こ、これは!」
ジェームズ:
カール:「・・・やはり、この淀(よど)んだ空気が悪いな。
カール:あの娘さん、今夜はなにか
カール:流行病(はやりやまい)をもらったに違いない。」
カール:
ジュリア:「鋭いほど眩しくて、わたしの胸を刺す!」
ジュリア:
ジェームズ:「そんな・・・うそだ。」
ジェームズ:
カール:「今夜は客層がよくないのかな。
カール:妙にあがってらっしゃるようにお見受けする。」
カール:
ジュリア:「あなたは、わたしの秘密。
ジュリア:この森を支配するあなたを、
ジュリア:わたしが目覚めさせたのだもの!
ジュリア:きっと、この秘密は守ります。」
ジュリア:
ジェームズ:「なんてことだ・・・。」
ジェームズ:
カール:「ブラボー!(なげやりに手を叩いて)
カール:さあ、もう充分じゃないのか?
カール:馬車はまだ待たせてある。
カール:もうこれ以上ここにいるべきじゃない。」
カール:
ジェームズ:「いいや、
ジェームズ:ぼくはまだ見届けなければならない。」
ジェームズ:
カール:「そうだ、また別の日に出直そうじゃないか。
カール:とにかく帰ろう。
カール:下手な芝居を観るのは道徳上よろしくない。」
カール:
ジェームズ:「別の日?そんなものはありはしない。
ジェームズ:彼女は今日を限りに舞台から去り、
ジェームズ:ぼくに永遠の愛を約束するはずだった。
ジェームズ:ぼくへの愛があれば、芸術のなんたるかを
ジェームズ:知性で感じ取ることができるはずだ。
ジェームズ:こんなただのありふれた能無し芝居、
ジェームズ:ありえないんだ!」
ジェームズ:
カール:「自分の妻となる女性を
カール:そう悪し様(あしざま)に言うものではないよ。
カール:まさかきみは、彼女に四六時中
カール:素晴らしい演技をさせるために
カール:娶る(めとる)わけではあるまい。
カール:女の芝居にはあきあきしてると、
カール:ぼくはあれほど言ったじゃないか。」
カール:
ジェームズ:「行ってくれ、カール。
ジェームズ:ひとりになりたいんだ。
ジェームズ:ぼくは恥ずかしさに気が遠くなりそうだよ。
ジェームズ:さあ、これ以上あのひとが
ジェームズ:痛恨の失敗を仕出かす前に、
ジェームズ:白々しい台詞を述べる前に!」
ジェームズ:
ジュリア:「そして、わたしは毎日
ジュリア:あなたにお会いしに来ましょう。
ジュリア:あなたがこの世界にいてさびしくないように、
ジュリア:わたしの歌声で飾りつけましょう!」
ジュリア:
ジェームズ:「これは…悪夢だ…!」
ジェームズ:
ジェームズ:
ジェームズ:
0:場面、ジュリアの楽屋内。
ジェームズ:「ひどいじゃないか!
ジェームズ:ひどいじゃないか!
ジェームズ:ひどいにもほどがある!
ジェームズ:まるきりきみは木偶の坊(でくのぼう)だった!
ジェームズ:具合でも悪かったのか?
ジェームズ:きみにああしろ、こうしろと
ジェームズ:ぼくが指図したかい?
ジェームズ:ただゆうべの
ジェームズ:偉大なる芸術家の最後が観たかっただけだ!」
ジェームズ:
ジュリア:「ああ!子爵様、いえ、わたしのプリンス、
ジュリア:とお呼びすればいいかしら・・・?
ジュリア:なにをそんなに震えていらっしゃるの?」
ジュリア:
ジェームズ:「・・・絶望したよ!
ジェームズ:まったく絶望した!」
ジェームズ:
ジュリア:「顔色がお悪いわ。なにか温かいものを」
ジュリア:
ジェームズ:「きみはきっと病気だよ!
ジェームズ:自分を物笑いの種にして、落ち着き払っているなんて、
ジェームズ:どこかおかしいに違いない!」
ジェームズ:
ジュリア:「わたし、病気なんかじゃないわ。
ジュリア:いえ、昨日までのわたしがおかしかったのよ。」
ジュリア:
ジェームズ:「なにもわかっちゃいない!
ジェームズ:きみにはなにも、愛も芸術も
ジェームズ:なにも見えていないんだ!」
ジェームズ:
ジュリア:「なにをおっしゃるの。
ジュリア:あなたの力強い拍手を受けるまで、
ジュリア:わたしの世界は台本に描かれた
ジュリア:ロマンスの影だけだったわ。
ジュリア:それがいまはどう?
ジュリア:蜜のような口づけで、あなたはわたしを
ジュリア:現実の世界に目覚めさせた。」
ジュリア:
ジェームズ:「現実の世界!それがきみをだめにしたんだ。
ジェームズ:それがぼくの夢を殺したんだ。
ジェームズ:愛はぼくの想像力をかきたてた!
ジェームズ:あの素晴らしい偉大なる歌手は、
ジェームズ:全世界から崇拝され、社交界の華になるはずだった。
ジェームズ:その栄誉にきみはもう浴さない。
ジェームズ:きみはぼくの家名を名乗るには値しない!」
ジェームズ:
ジュリア:「なにをおっしゃるの!?
ジュリア:あなたがわたしに教えてくださったんだわ。
ジュリア:自分が演じてきた空虚は、愛の影だったのだと。
ジュリア:あなたの愛がわたしを変えたんだわ。
ジュリア:現実の愛の情熱がなんたるかを
ジュリア:理解できるようにしてくださった!
ジュリア:
ジュリア:もう、自分がなぜけばけばしく飾り立てた
ジュリア:醜い老人を精霊(せいれい)だと
ジュリア:信じなければならないのか、
ジュリア:ペンキで塗りつけた森だって嘘だし・・・
ジュリア:台詞だってくだらない・・・!
ジュリア:それを見る連中ときたら、
ジュリア:愛のなんたるかを考えたこともない
ジュリア:お馬鹿さんばかり!」
ジュリア:
ジェームズ:「ぼくは本来、
ジェームズ:惨い(むごい)ことはしたくない。
ジェームズ:だからもう行くよ。
ジェームズ:そしてもう二度ときみには会わない。」
ジェームズ:
0:去っていくジェームズに
0:追いすがるジュリア。
ジュリア:「そういった現実が、
ジュリア:ぜんぶあなたへの愛を想起させた!
ジュリア:あなたへの愛がすべてになったのよ!
ジュリア:ねえ!聞いてらっしゃる?
ジュリア:ねえ、行かないで!行かないで、
ジュリア:お願いよ!ねえ!」
ジュリア:
ジュリア:
ジュリア:
ジュリア:
ジュリア:
0:場面、子爵の門前。
支配人:「この人でなし!大法螺吹きの人殺し!
支配人:貴族の誇りはないのか!
支配人:可哀想なわたしのローズ!
支配人:あの子がおまえになにをした?
支配人:はじめての恋だった!はじめての愛だったんだよ!
支配人:それが最後になるなんて、あんまりじゃないか!
支配人:このおれが悪魔なら、おまえから夢という夢を奪い去って、
支配人:永遠に静寂も癒しも訪れない砂漠へ葬ってやる!」
支配人:
支配人:
支配人:
支配人:
0:ジェームズの居室。
0:カールが新聞を広げている。
カール:「ジュリア・ローズの死!
カール:なんともセンセーショナルじゃないか。
カール:・・・だからといってきみの名が
カール:貶め(おとしめ)られるいわれはない。」
カール:
ジェームズ:「・・・なぜここへ来た?
ジェームズ:ぼくの醜態(しゅうたい)を
ジェームズ:見物にでもきたかい?」
ジェームズ:
カール:「なあジェームズ、きみはまだ若い。
カール:ロマンスはいずれ死んでしまうものさ。」
カール:
ジェームズ:「なぜここへ来たと聞いている。
ジェームズ:知ってるよ。ぼくを笑いに来たんだろう?
ジェームズ:ほらみたことかと顔に書いてある。」
ジェームズ:
カール:「きみがどう考えようと、まったく気の毒だった。
カール:でも、あまり深刻になるのは
カール:不健全というものだぜ?
カール:まずは、その身なりをどうにかしなければ。
カール:昨夜の雨で濡れねずみじゃないか。」
カール:
ジェームズ:「ぼくは、恋に酷い仕打ちをした。
ジェームズ:それはわかっている。」
ジェームズ:
カール:「恋か。この言葉を口にするには、
カール:もっと慎重にならなければいけないよ。
カール:永遠なるものに対する恐怖で、
カール:男の胸は一杯になってしまう。」
カール:
ジェームズ:「ぼくは彼女に二世を誓うつもりだった。
ジェームズ:それはあの女に永遠を意味しただろう。」
ジェームズ:
カール:「女の前で永遠を口にするとは、
カール:もっとおぞましい。
カール:悪魔にただで心臓をくれてやるようなものさ。」
カール:
ジェームズ:「まったくきみの言うとおりだった。
ジェームズ:でもね、ぼくは今、熱風吹きすさぶ嵐の、
ジェームズ:まさに中心にいるようさ。
ジェームズ:この静けさ、静寂(せいじゃく)こそ、
ジェームズ:懺悔(ざんげ)の祈りなのかもしれない。」
ジェームズ:
カール:「懺悔?昨夜未明、女は自ら命を絶った、
カール:ほらここに書いてある。
カール:天上の裁きは果たして哀れなきみを
カール:檻(おり)に入れるだろうか。」
カール:
ジェームズ:「どうかな…。
ジェームズ:きみの意見は?」
ジェームズ:
カール:「そうだな。きみはあのひとに残酷だった。
カール:それは事実さ。
カール:だが、女というものは得てして
カール:残酷なことが好きなのさ。
カール:あちらの望んだことだ。
カール:きみはぼくに言ったじゃないか。
カール:彼女はありとあらゆるロマンスのヒロインだと。
カール:あの女は最後の役を演じ終えたんだ。
カール:きみには、オフィーリアを悼む(いたむ)権利がある。」
カール:
ジェームズ:「シェイクスピアか・・・。
ジェームズ:悲劇とはこんなにも悲惨な気持ちにさせるものか。」
ジェームズ:
カール:「彼女の場合、自ら幕を引いたところ
カール:どことなく儚さがある点、救いにはなるね。」
カール:
ジェームズ:「さっきまで、誰にもこの胸のうちを
ジェームズ:見られたくなかった。
ジェームズ:たがきみとこんな話をしていると、
ジェームズ:まるで素敵な物語の中のことのようだ。」
ジェームズ:
カール:「素晴らしい物語は、ぼくのような人間でさえ、
カール:情熱だとか恋愛だとかいったものの存在を信じたくなる。」
カール:
ジェームズ:「でもね、これは現実だ。
ジェームズ:言葉にして紡ぐ(つむぐ)にはどうすればいい?
ジェームズ:なにをどう飾り立てて語ろうと、
ジェームズ:真実とは遠いものさ。」
ジェームズ:
カール:「ぼくは、ただ、
カール:こんなときは感情の赴く(おもむく)ままに
カール:するがいいと思うよ。
カール:涙のもつ鎮静作用には、驚くべきものがある。」
カール:
ジェームズ:「(涙ぐみながら)…本当の、本当の話、
ジェームズ:彼女の訃報(ふほう)を知ったとき、
ジェームズ:自分の残忍さを目(ま)の当たりにして
ジェームズ:苦しみあえいだよ。」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:ジェームズの肩を抱くカール。
ジェームズ:でもね、言い換えれば、
ジェームズ:この内に巣食う加虐性(かぎゃくせい)を
ジェームズ:とことん愉しみぬいたと言ってもいい。
ジェームズ:穴のあくまで、
ジェームズ:じっくりと自分の本性を眺め回して、
ジェームズ:何一つ変わらないとこまで辿り着いたんだ。」
ジェームズ:
カール:「なにが女を殺したか…?」
カール:
ジェームズ:「言わないでくれ!
ジェームズ:終わったんだ、それを引き合いに出すのは!
ジェームズ:
ジェームズ:悲しみが恋の火を消し、
ジェームズ:彼女を忘却の氷河の中に葬ることで、
ジェームズ:ぼくは自分と折り合いをつけてきた。
ジェームズ:それなのに、それなのに!
ジェームズ:彼女の死は熾烈(しれつ)なまでに心を焼き尽くす。
ジェームズ:
ジェームズ:・・・さあ、これがぼくの偽らざる本心だ。
ジェームズ:
ジェームズ:きみは、さっきから
ジェームズ:屁理屈ばかりこねくり回して、
ジェームズ:本当のところには
ジェームズ:掠り(かすり)もしないんだな。」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:カール、ジェームズを抱いた手を
0:ゆっくり離して、凝視しながら。
0:
カール:「……では、ではなぜきみはこんなにも
カール:ぐっしょりと血に濡れてる?」
カール:
0:沈黙
カール:「怖ろしい…まったく、
カール:すくいのないほどにきみは怖ろしいよ!
カール:
カール:きみの演技にはくらくらきた!
カール:まるで阿片のようにめくるめく夢をみせた!
カール:もうたくさんだ。
カール:言葉では語れないとは、こういう意味か。
カール:きみはさっきからおしゃべりがすぎるよ。
カール:真相は、どのあたりにある?」
カール:
ジェームズ:「…きみならわかってくれるかと思ったんだ。
ジェームズ:退廃的な唯美主義はお互いさまだろう?」
ジェームズ:
カール:「たしかにね。
カール:嘘は美しい。逆もまた然り(しかり)だ!
カール:美を思うさま操るきみの本心は、ただの煌(きら)びやかな
カール:偽物(にせもの)だったんだね!」
カール:
ジェームズ:「なあ、これは、これはね、
ジェームズ:主義の問題さ。
ジェームズ:・・・ぼくは、女が執拗に現実を生き続けるのが
ジェームズ:我慢ならないんだ!
ジェームズ:女の怖るべき記憶力!
ジェームズ:それは、永久(とわ)に輝くロマンスを、
ジェームズ:平々凡々たる思い出に変えてしまう。」
ジェームズ:
カール:「だから、永久(えいきゅう)に眠らせたわけか!
カール:きみはもはや変わり果てた!
カール:ぼくのよく知るあの無垢で
カール:穢れ(けがれ)ない青年ではない。
カール:その正体は罪人だ!」
カール:
ジェームズ:「きみに罪のどうこうを言われるとはね。
ジェームズ:ぼくは知っているよ。
ジェームズ:ただきみは悪気なく純粋に
ジェームズ:ぼくを羨んで(うらやんで)いたね。」
ジェームズ:
カール:「…まさか!よしてくれ、
カール:邪推(じゃすい)にもほどがある!」
カール:
ジェームズ:「ぼくの自惚れを
ジェームズ:ここまで助長(じょちょう)させたのは、
ジェームズ:きみだ。
ジェームズ:うんざりするほどの賛辞(さんじ)が、
ジェームズ:ぼくという偶像をぼく自身、
ジェームズ:崇め(あがめ)させ始めたんだ!
ジェームズ:なあ、聞いているのか、カール!
ジェームズ:きみも腹を割ったらどうだ?」
ジェームズ:
0:カールに詰め寄るジェームズ。
カール:「・・・ああ、ああ!
カール:そうさ、認めようじゃないか。
カール:第一報を受けたとき、やられたと思ったよ。
カール:きみはそこらの桟敷(さじき)で冗談を交わす
カール:気の知れた友人から、はるか彼方を天に疾る(はしる)
カール:羨望の的(せんぼうのまと)となった。
カール:
カール:なにせ、ある女がきみを恋い慕って自殺した!
カール:ぼくもそんな経験をしてみたいと思ったね!」
カール:
ジェームズ:「やはり、きみの冷淡さは
ジェームズ:ぼくのそれによく似ている。」
ジェームズ:
カール:「だが、ぼくはひとの亡骸(なきがら)にまで
カール:仮面をかぶせる趣味はないよ!」
カール:
ジェームズ:「死してなお、女は遊戯(ゆうぎ)をやめなかったのさ。
ジェームズ:それこそ、女優魂というものだ。はは・・・」
ジェームズ:
カール:「きみはぼくのニヒリズムやエゴイズムを
カール:嘲笑(ちょうしょう)してきたが、
カール:なんのことはない、まさに自分自身、
カール:堂々と己のことを皮肉っていたわけだ。」
カール:
ジェームズ:「きみは今気が動転している。
ジェームズ:落ち着いて考えれは、
ジェームズ:すべてこれでよかったのさ。」
ジェームズ:
カール:「いや、やはりここへ来るべきではなかった。
カール:きみの青春の色香(いろか)に惹かれて、
カール:好奇心を押さえきれなかったのは、ぼくの落ち度だ。」
カール:
ジェームズ:「いいや、わかっているだろう?
ジェームズ:きみとぼくとの世界は、常に、
ジェームズ:暗黙という名の悪魔が
ジェームズ:いっさいを取り仕切ってきた。
ジェームズ:きみとの、気まぐれで
ジェームズ:放埓(ほうらつ)な日々が、
ジェームズ:ぼくを高みへ誘って(いざなって)きたんだ。
ジェームズ:今さら見捨てるなんて、
ジェームズ:無責任は許さないよ。」
ジェームズ:
カール:「そうか…そうきみには映っていたんだな。
カール:きみの罪の半分は
カール:ぼくにあるのかもしれない。
カール:
カール:だから、ぼくは、いっさい
カール:きみの看板に泥をぬるつもりはない。
カール:この一連のおぞましい事件について、
カール:もう二度と口にしないだろう。」
カール:
ジェームズ:「どこへ行く?どうするつもりだ、
ジェームズ:それだけ聞かなければ、今ここで別れることは、
ジェームズ:きみの身の振り方を意味する!」
ジェームズ:
カール:「それは脅しかい?冗談ではすまないよ。
カール:もう、ぼくたちの間にあった、
カール:馬鹿馬鹿しくもユーモラスだった共通言語は
カール:通用しないのだよ、ジェームズ。」
カール:
ジェームズ:「待ってくれ、よく考えるんだ、
ジェームズ:カール。
ジェームズ:きみを脅したなんて、そんなつもりはない。
ジェームズ:逆にぼくは、きみに去られたら本当に、
ジェームズ:現実的な意味で死んでしまう!
ジェームズ:お願いだ、きみもそうだと言ってくれ!
ジェームズ:名誉や誇りのために言ってるんじゃない!」
ジェームズ:
カール:「もはや、ぼくにはどうしようもない。
カール:言葉はどこまでも真実を指さないし、
カール:きみの頬を濡らしている涙に、
カール:人の熱をもつ
カール:悔恨(かいこん)と改悛(かいしゅん)を見ることもない。
カール:
カール:黙(もく)して語らないことだけ、
カール:それだけが、ぼくときみを結ぶつながりとなったのだ。
カール:
カール:さようなら、かつて親友だったひと。
カール:さようなら、ぼくの青春の影。」
カール:
0:カール、退場。
0:閉まる扉。
0:
0:終幕
0:ジェームズの居室。
0:
カール:「ああ、もうぼくはね、呆れ果てているよ!
カール:火急の知らせというから、
カール:馬車を飛ばして駆けつけたというのに、
カール:きみは今しがた心地いい夢から覚めたような顔をして
カール:ベッドに横たわっているときた!
カール:
カール:なんだって、生死の境を彷徨って(さまよって)いる
カール:なんて大袈裟な伝言を頼んだ?」
カール:
ジェームズ:「(うっとりと)…ぼくはね、そう、
ジェームズ:今まさに疫病に冒(おか)されているからだよ。
ジェームズ:身体のそこかしこで病は
ジェームズ:どんちゃん騒ぎの仮装行列さ!」
ジェームズ:
カール:「ずいぶんとまあ、賑やかな病があるもんだ。」
カール:
ジェームズ:「ああ、なんと言えばわかってもらえるだろう。
ジェームズ:この胸は熱く腫れ上がり、頭はくらくら、
ジェームズ:足元は深淵(しんえん)をのぞいている。」
ジェームズ:
カール:「それはまた、たいした病にかかったようだな。」
カール:
ジェームズ:「まあそう皮肉を言うなよ。
ジェームズ:きみがこの手の話に不感症なのは、承知の上さ。」
ジェームズ:
カール:「ぼくが長らく結婚という
カール:倦怠(けんたい)の中で過ごしてるからといって、
カール:不感症という揶揄(やゆ)は、心外だな。
カール:ぼくだって人並みに楽しみはしてるさ。」
カール:
ジェームズ:「きみが可愛いお友達と呼んでいる
ジェームズ:娼婦たちのことかい?
ジェームズ:損得がからまないと、
ジェームズ:きみは燃えない質(たち)らしい。」
ジェームズ:
カール:「うんざりしてるのさ。
カール:恋の成就が結婚だなんて
カール:うそぶき始めた世の中にね。
カール:きみはまだ気楽な独り身だからわからないよ。
カール:結婚という大それた芝居の主人公に選ばれたら、
カール:台本通りの操り人形さ。」
カール:
ジェームズ:「奥方とは、仲睦まじいと評判のきみが、
ジェームズ:その裏で親友に泣き言とはね。
ジェームズ:これはまた、とんだ二枚看板というわけか。」
ジェームズ:
カール:「いやいや、満足しているよ、彼女には。
カール:ぼくの後ろに札束の山がうなっていなければ、
カール:一眼でこのぼくの虜(とりこ)には
カール:なりはしなかったろうがね。
カール:
カール:まあ、それはそれ。
カール:女はしたたかじゃなきゃ、興ざめさ。
カール:ぼくが言っているのはね、
カール:夫婦という仮面のことさ。」
カール:
ジェームズ:「そんなくだらない世間の戯れ言(ざれごと)を
ジェームズ:真(ま)に受けるとは、
ジェームズ:きみらしくないな。」
ジェームズ:
カール:「ぼくだって貴族の端くれだ。
カール:馴染みのご婦人方には、
カール:それなりに礼を尽くしているつもりだよ。
カール:結婚だけが男女の仲というわけじゃなし。
カール:
カール:妻がサロンに出入りする若い兵隊さんを
カール:次から次へ甘い蜜の罠にかけていることすら、
カール:この懐(ふところ)は許してやってるつもりでいた。
カール:昼間、頭の軽そうな美男子に手を引かれて現れても、
カール:お友達ができたの、わたしの夫と仲良くしてね、
カール:それでお終い。
カール:仕方ないさ。
カール:ぼくだって似たようなものなんだからな。」
カール:
ジェームズ:「赦し(ゆるし)、許され、
ジェームズ:結婚とはかくも寛容なものだったか!」
ジェームズ:
カール:「だけどね、夜遅く屋敷へ帰ると、
カール:妻は今の今までぼくを待って
カール:刺繍(ししゅう)に勤しんで(いそしんで)いました、
カール:なんて演技をするんだ、気味が悪いよ。
カール:女にとって要は言葉なのさ。
カール:真偽を問うまでもない、言葉!言葉!
カール:ぼくはそれに吐き気がする。」
カール:
ジェームズ:「ふんふん、なるほど、
ジェームズ:閣下はひどく女性に失望しておられるとみえる。」
ジェームズ:
カール:「上の空だな。
カール:まるでぼくの話を聞いちゃいないじゃないか。」
カール:
ジェームズ:「だって言ったじゃないか、
ジェームズ:ぼくは病に身を焦がしているって!
ジェームズ:心配してはくれないのかい?」
ジェームズ:
カール:「見えてきた見えてきた。
カール:容姿端麗な伊達男(だておとこ)
カール:悲恋に身をやつす!だろ?」
カール:
ジェームズ:「からかうのはよしてくれ。
ジェームズ:きみがそれを信じないからって、
ジェームズ:愛が存在しないわけじゃない。
ジェームズ:昨夜の月を見逃したやつがいても、
ジェームズ:ぼくは確かに満月を見た、というわけさ。」
ジェームズ:
カール:「ふん、まあまあだな。
カール:・・・よし、きみの話を聞こう。」
カール:
ジェームズ:「はじまりはこうさ。」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:ジェームズ、立ち上がって歩きながら。
0:
ジェームズ:「そこは、野犬も寄り付かぬ、
ジェームズ:路地裏のうらぶれた街角。
ジェームズ:小さな芝居小屋は、デカダンスに酔いしれる連中であふれ、
ジェームズ:ひどく節操のない無法地帯と化していた。」
ジェームズ:
カール:「いよいよ、酔狂に拍車がかかってきた。」
カール:
ジェームズ:「舞台は、ベニヤ板を森に見立てた
ジェームズ:なんともお粗末な様相で、
ジェームズ:その中にひと切れのレースを身にまとった女優が立っている。」
ジェームズ:
0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「ねえ、あなた、そう、あなたに語りかけているの。」
ジュリア:
0:現実に戻って。
ジェームズ:「少女の声は凛と張りのある白百合のようだった。」
ジェームズ:
カール:「ちょっと待った。
カール:まさか、今きみは自分が見てきたような語り口だが、
カール:そんな場所に出入りしたわけじゃないだろうな?」
カール:
ジェームズ:「まあ、これには深いわけがある。
ジェームズ:少女の話を聞こうじゃないか。」
ジェームズ:
0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「あなたは、そう、妖精でしょう?
ジュリア:この深い森の中に百年眠っていた、泉の妖精さん。
ジュリア:わたしにはわかるわ。
ジュリア:あなたは今目覚めたばかりの新しい光!
ジュリア:鋭いほど眩しくて、わたしの胸を刺す!」
ジュリア:
0:現実に戻って。
ジェームズ:「彼女の瑠璃色の瞳は、
ジェームズ:緞帳(どんちょう)の裾(すそ)をさらう
ジェームズ:秋風の合間をぬって、
ジェームズ:雲間に滲む(にじむ)月を見ていた!」
ジェームズ:
カール:「と、きみには見えた。
カール:父(てて)なし子が食うために
カール:必死で覚えた台詞を諳(そら)んじる姿に、
カール:一抹の寂しさが滲んでいたからだ。」
カール:
ジェームズ:「失敬な!
ジェームズ:あの人を侮辱することはぼくが許さない。
ジェームズ:舞台はまさに彼女のためのものだ。
ジェームズ:たとえ、俗悪な連中の中にいても
ジェームズ:さらに彼女は際立って気高かった。
ジェームズ:彼女を侮辱することは、
ジェームズ:芸術に愛想がつきたということと一緒だ!」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:回想の中のジュリアの声。
ジュリア:「あなたは、わたしの秘密。
ジュリア:この森を支配するあなたを、
ジュリア:わたしが目覚めさせたのだもの!
ジュリア:きっと、この秘密は守ります。
ジュリア:そして、わたしは毎日あなたに
ジュリア:お会いしに来ましょう。
ジュリア:あなたがこの世界にいてさびしくないように、
ジュリア:わたしの歌声で飾りつけましょう!」
ジュリア:
0:現実に戻って。
ジェームズ:「そして彼女はアリアを歌いあげる。
ジェームズ:その透明な歌声の、なんと素晴らしかったこと!
ジェームズ:泉の精がそのまま空中に躍り(おどり)出て、
ジェームズ:思うさま喜び舞うすがた、そのままだった。」
ジェームズ:
カール:「なるほど。
カール:才能を切り売りしなければならない幼子(おさなご)を、
カール:きみは哀れに思った、と?」
カール:
ジェームズ:「なぜわからないんだ!
ジェームズ:彼女は純粋な才能で
ジェームズ:あらゆるロマンスのヒロインを演じられる、
ジェームズ:ただ一人の女優なのだ。
ジェームズ:彼女なくしては、世界は不完全なままさ!
ジェームズ:ぼくは彼女の、無邪気に赤い唇を愛したね。
ジェームズ:こぼれる、素直な髪のひと房(ふさ)に
ジェームズ:ため息がでた。
ジェームズ:彼女の存在そのものが、
ジェームズ:どんなに地下深く潜ろう(もぐろう)とも、
ジェームズ:魂のように漂い出てしまうほど神聖なのだ。」
ジェームズ:
カール:「わかった、わかったよ。
カール:そこまで言うなら、
カール:その芸術とやらを、ぼくも一度拝まなくてはならない、
カール:そういうわけか。」
カール:
ジェームズ:「そりゃそうさ!なんたって、
ジェームズ:彼女はぼくと結婚するんだからね。」
ジェームズ:
カール:「結婚!それ見たことか!
カール:すぐに誓いを立てたがるのは自由恋愛主義の悪い癖だ。
カール:行く手に待つのは・・」
カール:
ジェームズ:「まあ、最後まで言わせてくれ。
ジェームズ:ぼくは少しばかり欲張りでね。
ジェームズ:妻になる女性をちょっと見せびらかさなければ
ジェームズ:気がすまない。
ジェームズ:神から祝福されしすぐれた才能を
ジェームズ:独り占めした上で、
ジェームズ:お気に入りの友に
ジェームズ:気まぐれなおすそ分けがしたいんだ。
ジェームズ:見せたいけど、見せすぎたくはない。
ジェームズ:わかるだろう?」
ジェームズ:
カール:「言っておくがな、恋はすべての女を変えるぜ?
カール:麗しの貴公子の登場に、
カール:果たして乙女は清廉(せいれん)でいられるかな。
カール:まあ、いい暇つぶしになりそうだ。乗ったよ。」
カール:
ジェームズ:「ありがとう、カール。
ジェームズ:どんなニヒリストの厭世家(えんせいか)だって、
ジェームズ:あのひとの姿を目の当たりにした日には、
ジェームズ:跪いて(ひざまずいて)大地に口づけしたくなるさ。」
ジェームズ:
カール:「ぼくは忠告したぜ?
カール:あとは好きにするんだな。
カール:なんたってきみは病人だ。
カール:優しくするしかこっちにはやりようがない。」
カール:
ジェームズ:「今夜、劇場に案内しよう。
ジェームズ:その前に、ぼくは彼女と話をつけてくる。」
ジェームズ:
カール:「おい、まさか。話をつけるって、
カール:三流女優ときみが結婚だなんて、
カール:本気じゃないだろう?」
カール:
ジェームズ:「本気も本気、ぼくは嘘は大嫌いだ。
ジェームズ:正直に言おう。
ジェームズ:昨夜はひどい頭痛で、
ジェームズ:どうしてもアレが必要だったんだ。」
ジェームズ:
カール:「はあ・・・なんてこった。
カール:またきみの悪い癖が始まったわけだ。」
カール:
ジェームズ:「素面(しらふ)でぼくが
ジェームズ:あの秘密の魔窟(まくつ)に足を運ぶと思ったかい?
ジェームズ:あれは夜半に一服のんだ後だった。
ジェームズ:
ジェームズ:ぼくは楽屋に通すよう交渉したんだが、
ジェームズ:支配人のやつが頑固でさ。
ジェームズ:今日はまた、金子(きんす)を持って
ジェームズ:あの貧民街へ出直しってわけさ!
ジェームズ:
ジェームズ:ついに今日、彼女の瞳にぼくが映る。
ジェームズ:ああ、胸が高鳴るじゃないか!」
ジェームズ:
カール:「阿片は身を滅ぼすぜ?ほどほどにしとけよ。
カール:華やぐ美貌で
カール:ロンドン社交界に鮮烈なデビューを飾った
カール:きみの見事な容姿を、
カール:ぼくはみすみす失いたくない。」
カール:
ジェームズ:「ああもう、きみの警句(けいく)ときたら、
ジェームズ:やたら馬鹿げていて回りくどいんだから。
ジェームズ:ちょっとした気晴らしさ!」
ジェームズ:
カール:「彼女はきみの退廃趣味がみせた幻でした、
カール:なんて落ちじゃないだろうな?」
カール:
ジェームズ:「まあ、今夜をお楽しみに。」
ジェームズ:
ジェームズ:
ジェームズ:
ジェームズ:
0:ジュリアの楽屋、台詞の練習をしている。
ジュリア:「わたしの・・・わたしの歌声で
ジュリア:飾りつけましょう!わたしの・・・んん!」
ジュリア:
支配人:「ほう、珍しい。どうしちまったのかい?
支配人:お前の喉は天からの贈り物。
支配人:アリアが歌えなくなるくらいなら、
支配人:台詞なんてどうだっていいんだよ?」
支配人:
ジュリア:「大丈夫、心配しないで。
ジュリア:わたし、今ちょっと演技に身が入らないの。」
ジュリア:
支配人:「またそんなこと言って。
支配人:おまえはうちの劇団唯一の稼ぎ手だ。
支配人:弱音は吐かせないよ?」
支配人:
ジュリア:「そういうんじゃないんです。
ジュリア:なんかね、おかしいの、
ジュリア:笑っちゃうかもしれないけどね、
ジュリア:昨日、最後の舞台がはねたとき、
ジュリア:わたし初めてこの仕事してて良かったって思ったんです。」
ジュリア:
支配人:「殊勝なことを言うじゃないか。
支配人:おまえの才能も、
支配人:まんざらハリボテじゃないのかもしれないね。
支配人:なにがあったんだい?」
支配人:
ジュリア:「あのね、突然にある疑問がわたしを襲ったの。
ジュリア:どうしてわたしは舞台に立っていて、
ジュリア:目の前で起きてるつまらない喧嘩や、
ジュリア:酔っ払いたちの野次や、
ジュリア:阿片で抜け殻になってる人たちを、
ジュリア:見ないふりして演技してるんだろう?って。
ジュリア:小さい頃からずっと、そうしてきたから、
ジュリア:なんだかそれが当たり前になっていて、
ジュリア:考えたこともなかったわ。」
ジュリア:
支配人:「それが天上の商い、
支配人:夢を売るのに外野なんか気にしてたら、
支配人:きりがないじゃないか。
支配人:割り切ってやるしかないんだよ。」
支配人:
ジュリア:「そうだわ、あれは昨日、
ジュリア:最後の歌声が途切れた瞬間、
ジュリア:どこからか手を叩く音が聞こえてきたの。
ジュリア:たったひとりの拍手だったけど、ゆっくりで、
ジュリア:それでいて力強くて・・・。
ジュリア:まさか、芝居を観てる人がいるなんて思わなかったから、
ジュリア:びっくりしちゃって・・・。
ジュリア:ふふふ、おかしいでしょ?」
ジュリア:
支配人:「・・あはは、おまえ、そんなことくらいで。
支配人:欲がないやつだな、ほんとに。
支配人:・・・ああ、そういえば。
支配人:いや、あれは・・・。」
支配人:
ジュリア:「どうしたんですか?支配人さん?」
ジュリア:
支配人:「いやね、そうそう、思い出した思い出した!
支配人:昨日帰りがけに、
支配人:帽子を目深(まぶか)にかぶった若者がね、
支配人:楽屋に通せってしつこかったんだよ。
支配人:ハハッ!まさか、その拍手・・・
支配人:まさかだな!」
支配人:
ジュリア:「それで?その人になんて言ったの?」
ジュリア:
支配人:「あんまりしつこいんで、身なりをみてみたら、
支配人:なかなかまあまあ、仕立てが良かったもんだから、
支配人:お金はあるのかい?って・・・」
支配人:
ジュリア:「まあ!それってあんまりだわ!」
ジュリア:
支配人:「今は持ち合わせがないとか
支配人:ぶつくさ言うもんだから、
支配人:おととい来やがれ!って
支配人:蹴飛ばしてやったってわけさ。」
支配人:
ジュリア:「わたし、その人に会ってみたかったわ・・・。
ジュリア:だって、その人かもしれないでしょ?
ジュリア:たったひとりの拍手だったけど、
ジュリア:わたし、ハッとしたわ。」
ジュリア:
支配人:「だって、おまえはうちの大事な看板娘だよ?
支配人:二足三文ではいどうぞ、とはいかないさ。」
支配人:
ジュリア:「わかってるわ。
ジュリア:でも、お話するくらい・・・。」
ジュリア:
支配人:「だから、おまえは世間知らずって言うんだよ!
支配人:男がこんな舞台の楽屋に通せってことはねえ、
支配人:とどのつまりが、おまえを気に入ったから、今晩・・」
支配人:
0:ノックの響く音。
支配人:「(大声で)こんな時間になんだいー?」
支配人:
支配人:
ジェームズ:「突然の訪問を失礼いたします。
ジェームズ:わたくし、ジェームズ・ラ・モット子爵と申す者。
ジェームズ:昨夜のお約束で参りました。」
ジェームズ:
支配人:「約束?なに冗談ぬかしてやがる!
支配人:だれだ、貴様?」
支配人:
支配人:
0:ジェームズ、花束を手に現れる。
ジェームズ:「昨夜、あなたがご教授くださった方法で、
ジェームズ:ここまで上がって来ることが出来ました。」
ジェームズ:
ジュリア:「し、子爵様・・・?」
ジュリア:
支配人:「・・・おぼっちゃん、
支配人:こ、ここは関係者以外立ち入り禁止でね。
支配人:意味はお分かりですね?」
支配人:
ジュリア:「待って、支配人さん!」
ジュリア:
ジェームズ:「お嬢さん、このような恥ずべき方法で
ジェームズ:潜り込むことしかできない無力な青年を、
ジェームズ:どうぞお許しください。」
ジェームズ:
支配人:「落ちぶれても舞台女優ですよ?
支配人:まさか、その花束で落ちるなんて、
支配人:甘い話ではないだろうね?」
支配人:
ジェームズ:「わかっております。
ジェームズ:わたくし今日は、
ジェームズ:お嬢さんのこれからの身の振り方を
ジェームズ:ご一緒に考えさせていただきたいと、
ジェームズ:そのつもりで参りました。」
ジェームズ:
ジュリア:「夢、かしら・・。
ジュリア:いえ、わたしは昨日の拍手だけで、もう・・・。
ジュリア:拍手?わたし、なにを言ってるのかしら?」
ジュリア:
支配人:「おまえ!
支配人:まあ、落ち着きなさい!
支配人:身の振り方って、つまり、その・・・
支配人:つまるところ、おぼっちゃん、
支配人:気まぐれですむ話じゃありませんよ。
支配人:それなりの額を」
ジェームズ:「それなりの額をご用意しております。」
ジェームズ:
ジュリア:「え・・・?」
ジュリア:
ジェームズ:「ですから、この囚われの乙女と、
ジェームズ:しばし二人きりにしていただけませんか。」
ジェームズ:
ジュリア:「支配人さん、わたし、この方と
ジュリア:お話してみたいわ・・・」
ジュリア:
支配人:「いやいや、何か悪い罠の匂いがする。
支配人:わたしがいま追い払ってやるからな。」
支配人:
ジュリア:「後生(ごしょう)よ、支配人さん!」
ジュリア:
支配人:「ふーん。
支配人:おまえがそんなに言うなら・・・。
支配人:ちょっと女将と話をつけてこなきゃ
支配人:いけないな。
支配人:それまで、この娘には指一本、
支配人:触れてはならないぜ?」
支配人:
支配人:
支配人:
0:支配人、退場。
0:沈黙。
ジェームズ:「お嬢さん、どうか、怖がらないでください。」
ジェームズ:
ジュリア:「ジュリア・・・、ジュリア・ローズと。」
ジュリア:
ジェームズ:「ジュリア・ローズ!素敵な名だ。
ジェームズ:その名を口に出しただけで、
ジェームズ:花々がこぼれ出すようだ!
ジェームズ:もっと、もっとあなたを知りたい。」
ジェームズ:
ジュリア:「わたし・・・、いえ、昨日、
ジュリア:支配人さんがとんだ失礼をしたんじゃないかしら。」
ジュリア:
ジェームズ:「いえいえ、あなたはただ美しく素晴らしかった。
ジェームズ:それが、唯一ぼくの思い出です。」
ジェームズ:
ジュリア:「なぜ、なぜわたしなの?
ジュリア:なぜわたしに拍手下さったの?
ジュリア:あれはあなたなんでしょう?」
ジュリア:
ジェームズ:「それは、ぼくがあなたに問いたいですね。
ジェームズ:なにがぼくに拍手させたのか。
ジェームズ:・・・恋だったら、と願っています。」
ジェームズ:
ジュリア:「そんな!
ジュリア:・・・ではあなたは知っているかしら。」
ジュリア:
ジェームズ:「何でしょう?」
ジェームズ:
ジュリア:「あなたが現れたとき、胸に稲妻が走って、
ジュリア:今もまだ輝いてる。
ジュリア:これってなあに?」
ジュリア:
ジェームズ:「ぼくが教えて差し上げましょう。
ジェームズ:それは恋です。
ジェームズ:おそらく、いや望むなら、最初で最後の。」
ジェームズ:
ジュリア:「やっぱり・・・いけないわ!
ジュリア:わたしは、おしゃべりのできるカナリアと一緒よ?
ジュリア:この籠からは出られないの。」
ジュリア:
ジェームズ:「浮世にぼくが手にできないものはありません。
ジェームズ:あなたはそう、この狭苦しい鳥籠の中では
ジェームズ:翼をいたずらに傷つけるだけ。
ジェームズ:あなたにふさわしい場所をご用意しましょう。
ジェームズ:世界中、ローマ、パリ、ミラノ、
ジェームズ:イスタンブールの空の果てまで
ジェームズ:ぼくが、案内いたしましょう。」
ジェームズ:
ジュリア:「素晴らしいお話だけれど、
ジュリア:なんだか怖いわ。
ジュリア:それよりわたしは、情熱という牢獄の中で、
ジュリア:自由の身になりたい。」
ジュリア:
ジェームズ:「むろん、夜の帳(とばり)が下りる頃には。」
ジェームズ:
ジュリア:「ああ、金縛りにあったときのよう。
ジュリア:なんと言ったらいいの?
ジュリア:わたしは、どうすればいいの?」
ジュリア:
ジェームズ:「ただ一言、イエスと。」
ジェームズ:
0:ジュリアの手をとり、口づけるジェームズ。
0:支配人がこっそりのぞいている。
支配人:「あーあー・・・知らないぜ。おれは知らないからな!」
支配人:
0:回想
ジェームズ:「約束します。
ジェームズ:ぼくは今夜、もう一度、ここへ来ます。
ジェームズ:先程申し上げたように、支配人と話はついています。
ジェームズ:あなたは安心してくださっていい。
ジェームズ:ただ、ジュリア・ローズとして、
ジェームズ:最後の舞台を今夜、ぼくにプレゼントしてほしい。
ジェームズ:最高の舞台の後、ぼくはプロポーズします。
ジェームズ:どうか、よいお返事をお待ちしています。」
ジェームズ:
0:回想終わり
ジュリア:「と、そういうわけなの。」
ジュリア:
支配人:「おまえね、貴族の自惚れを信じるのかい?
支配人:まあ、おまえのことは女将に任せっきりだ。
支配人:女将が手放すなら、
支配人:おれが口を挟むことじゃないけどね、
支配人:こんなうまい話、あるわけないじゃないか。
支配人:賭けのネタにでもされてるのさ!」
支配人:
ジュリア:「幸せすぎて、溶けてなくなりそう。
ジュリア:まるでお砂糖になった気分よ。
ジュリア:美しいあの方は、
ジュリア:わたしを愛してくださっているのよ。
ジュリア:貧民街生まれの、
ジュリア:みずぼらしく飾らない素のわたしに、
ジュリア:恋い焦がれてくださっているの。
ジュリア:わからないかしら。」
ジュリア:
支配人:「だから、それが幻想だって言うんだよ!
支配人:舞台と現実の区別もつかないなんて、
支配人:よほどの世間知らずなおぼっちゃんなんだよ。
支配人:公爵だか子爵だか知らないけど、
支配人:そんなお方の婚約者が貧しいみなしごだなんて、
支配人:いい笑い者だぜ。」
支配人:
ジュリア:「あら、お金でなんとかならないものが
ジュリア:この世にあって?
ジュリア:わたしをこの小屋に売ったのだって、
ジュリア:実の親だわ。
ジュリア:食べていくには仕方なかった。
ジュリア:それから、お金を稼ぐために芝居を覚え、
ジュリア:歌だけがわたしの生きる糧だった。
ジュリア:
ジュリア:でもね、今夜のわたしは、一度だけ、
ジュリア:一度だけ愛のために歌いあげるの。
ジュリア:それが許されるなら、あの方のためだけに、
ジュリア:舞台に立つのよ。」
ジュリア:
支配人:「はあ…あきれたもんだ。おれは、知らないからな…。」
支配人:
支配人:
支配人:
支配人:
0:場面、劇場の客席
カール:「(咳こみながら)よくもまあ、こんな場所に
カール:ぼくを連れ込んだな。
カール:クラブの連中に話してやったら、
カール:とんだ武勇伝になるどころか、
カール:とても信じちゃもらえないぜ。」
カール:
ジェームズ:「まあ、落ち着いて聞いてくれ!
ジェームズ:ぼくが全生涯をささげようとしている娘の名は、
ジェームズ:ジュリア・ローズ!
ジェームズ:豊かな薔薇園のように甘美な響きではないか!」
ジェームズ:
カール:「落ち着くのは、きみのほうだ。
カール:大輪(たいりん)の薔薇が咲いたところ失礼だが、
カール:事実、ここは酷い(ひどい)悪臭だぜ?
カール:まさか、ここに腰を下ろして、大丈夫か。」
カール:
ジェームズ:「落ち着いてる、ぼくは落ち着いているさ。
ジェームズ:しかし、ずいぶんと遅かったじゃないか。
ジェームズ:まあ、場所が場所なだけに、
ジェームズ:きみだけを責めるわけにもいかないが。
ジェームズ:
ジェームズ:間に合わないかとヒヤヒヤしたよ。
ジェームズ:まさに今、劇は佳境(かきょう)だ!」
ジェームズ:
カール:「芸術の根がこんな下々の足元まで蔓延る(はびこる)
カール:事ができるとは、驚きで言葉も出ないよ。」
カール:
ジェームズ:「芸術とは、貴賎(きせん)を問わず
ジェームズ:常に人の心を揺り動かすものさ。
ジェームズ:それを支え、導いてやることが、
ジェームズ:ぼくたち上に立つ者の役目なんじゃないかい?
ジェームズ:かのボッティチェリも、
ジェームズ:メディチ家の後ろ盾なしに、
ジェームズ:あのような栄誉を受けられたものか、
ジェームズ:はなはだ疑わしい。」
ジェームズ:
カール:「ヴィーナス誕生になぞらえるとは、
カール:さすがにきみも気が大きくなりすぎだ。
カール:まあ、どんな天上の悦楽が待っているか、
カール:期待していよう。」
カール:
ジェームズ:「ああ、もうすぐだ。
ジェームズ:やはりきみの言う通りかもしれない。
ジェームズ:ぼくはたしかにのぼせあがっている!
ジェームズ:そろそろ、ジュリアの台詞のところだ。
ジェームズ:とくとご覧あれ!」
ジェームズ:
ジュリア:「ねえ、あなた、そう、あなたに語りかけているの。」
ジュリア:
ジェームズ:「ん・・・?」
ジェームズ:
カール:「?・・・なるほど、なかなかの
カール:器量良しじゃないか。
カール:これは冴えた月明かりに映える
カール:たいした美人だ。」
カール:
ジェームズ:「次からの台詞が素晴らしいんだ。」
ジェームズ:
ジュリア:「あなたは、そう、妖精でしょう?
ジュリア:この深い森の中に1百年眠っていた、泉の妖精さん。
ジュリア:わたしにはわかるわ。
ジュリア:あなたは今目覚めたばかりの新しい光!」
ジュリア:
ジェームズ:「・・・こ、これは!」
ジェームズ:
カール:「・・・やはり、この淀(よど)んだ空気が悪いな。
カール:あの娘さん、今夜はなにか
カール:流行病(はやりやまい)をもらったに違いない。」
カール:
ジュリア:「鋭いほど眩しくて、わたしの胸を刺す!」
ジュリア:
ジェームズ:「そんな・・・うそだ。」
ジェームズ:
カール:「今夜は客層がよくないのかな。
カール:妙にあがってらっしゃるようにお見受けする。」
カール:
ジュリア:「あなたは、わたしの秘密。
ジュリア:この森を支配するあなたを、
ジュリア:わたしが目覚めさせたのだもの!
ジュリア:きっと、この秘密は守ります。」
ジュリア:
ジェームズ:「なんてことだ・・・。」
ジェームズ:
カール:「ブラボー!(なげやりに手を叩いて)
カール:さあ、もう充分じゃないのか?
カール:馬車はまだ待たせてある。
カール:もうこれ以上ここにいるべきじゃない。」
カール:
ジェームズ:「いいや、
ジェームズ:ぼくはまだ見届けなければならない。」
ジェームズ:
カール:「そうだ、また別の日に出直そうじゃないか。
カール:とにかく帰ろう。
カール:下手な芝居を観るのは道徳上よろしくない。」
カール:
ジェームズ:「別の日?そんなものはありはしない。
ジェームズ:彼女は今日を限りに舞台から去り、
ジェームズ:ぼくに永遠の愛を約束するはずだった。
ジェームズ:ぼくへの愛があれば、芸術のなんたるかを
ジェームズ:知性で感じ取ることができるはずだ。
ジェームズ:こんなただのありふれた能無し芝居、
ジェームズ:ありえないんだ!」
ジェームズ:
カール:「自分の妻となる女性を
カール:そう悪し様(あしざま)に言うものではないよ。
カール:まさかきみは、彼女に四六時中
カール:素晴らしい演技をさせるために
カール:娶る(めとる)わけではあるまい。
カール:女の芝居にはあきあきしてると、
カール:ぼくはあれほど言ったじゃないか。」
カール:
ジェームズ:「行ってくれ、カール。
ジェームズ:ひとりになりたいんだ。
ジェームズ:ぼくは恥ずかしさに気が遠くなりそうだよ。
ジェームズ:さあ、これ以上あのひとが
ジェームズ:痛恨の失敗を仕出かす前に、
ジェームズ:白々しい台詞を述べる前に!」
ジェームズ:
ジュリア:「そして、わたしは毎日
ジュリア:あなたにお会いしに来ましょう。
ジュリア:あなたがこの世界にいてさびしくないように、
ジュリア:わたしの歌声で飾りつけましょう!」
ジュリア:
ジェームズ:「これは…悪夢だ…!」
ジェームズ:
ジェームズ:
ジェームズ:
0:場面、ジュリアの楽屋内。
ジェームズ:「ひどいじゃないか!
ジェームズ:ひどいじゃないか!
ジェームズ:ひどいにもほどがある!
ジェームズ:まるきりきみは木偶の坊(でくのぼう)だった!
ジェームズ:具合でも悪かったのか?
ジェームズ:きみにああしろ、こうしろと
ジェームズ:ぼくが指図したかい?
ジェームズ:ただゆうべの
ジェームズ:偉大なる芸術家の最後が観たかっただけだ!」
ジェームズ:
ジュリア:「ああ!子爵様、いえ、わたしのプリンス、
ジュリア:とお呼びすればいいかしら・・・?
ジュリア:なにをそんなに震えていらっしゃるの?」
ジュリア:
ジェームズ:「・・・絶望したよ!
ジェームズ:まったく絶望した!」
ジェームズ:
ジュリア:「顔色がお悪いわ。なにか温かいものを」
ジュリア:
ジェームズ:「きみはきっと病気だよ!
ジェームズ:自分を物笑いの種にして、落ち着き払っているなんて、
ジェームズ:どこかおかしいに違いない!」
ジェームズ:
ジュリア:「わたし、病気なんかじゃないわ。
ジュリア:いえ、昨日までのわたしがおかしかったのよ。」
ジュリア:
ジェームズ:「なにもわかっちゃいない!
ジェームズ:きみにはなにも、愛も芸術も
ジェームズ:なにも見えていないんだ!」
ジェームズ:
ジュリア:「なにをおっしゃるの。
ジュリア:あなたの力強い拍手を受けるまで、
ジュリア:わたしの世界は台本に描かれた
ジュリア:ロマンスの影だけだったわ。
ジュリア:それがいまはどう?
ジュリア:蜜のような口づけで、あなたはわたしを
ジュリア:現実の世界に目覚めさせた。」
ジュリア:
ジェームズ:「現実の世界!それがきみをだめにしたんだ。
ジェームズ:それがぼくの夢を殺したんだ。
ジェームズ:愛はぼくの想像力をかきたてた!
ジェームズ:あの素晴らしい偉大なる歌手は、
ジェームズ:全世界から崇拝され、社交界の華になるはずだった。
ジェームズ:その栄誉にきみはもう浴さない。
ジェームズ:きみはぼくの家名を名乗るには値しない!」
ジェームズ:
ジュリア:「なにをおっしゃるの!?
ジュリア:あなたがわたしに教えてくださったんだわ。
ジュリア:自分が演じてきた空虚は、愛の影だったのだと。
ジュリア:あなたの愛がわたしを変えたんだわ。
ジュリア:現実の愛の情熱がなんたるかを
ジュリア:理解できるようにしてくださった!
ジュリア:
ジュリア:もう、自分がなぜけばけばしく飾り立てた
ジュリア:醜い老人を精霊(せいれい)だと
ジュリア:信じなければならないのか、
ジュリア:ペンキで塗りつけた森だって嘘だし・・・
ジュリア:台詞だってくだらない・・・!
ジュリア:それを見る連中ときたら、
ジュリア:愛のなんたるかを考えたこともない
ジュリア:お馬鹿さんばかり!」
ジュリア:
ジェームズ:「ぼくは本来、
ジェームズ:惨い(むごい)ことはしたくない。
ジェームズ:だからもう行くよ。
ジェームズ:そしてもう二度ときみには会わない。」
ジェームズ:
0:去っていくジェームズに
0:追いすがるジュリア。
ジュリア:「そういった現実が、
ジュリア:ぜんぶあなたへの愛を想起させた!
ジュリア:あなたへの愛がすべてになったのよ!
ジュリア:ねえ!聞いてらっしゃる?
ジュリア:ねえ、行かないで!行かないで、
ジュリア:お願いよ!ねえ!」
ジュリア:
ジュリア:
ジュリア:
ジュリア:
ジュリア:
0:場面、子爵の門前。
支配人:「この人でなし!大法螺吹きの人殺し!
支配人:貴族の誇りはないのか!
支配人:可哀想なわたしのローズ!
支配人:あの子がおまえになにをした?
支配人:はじめての恋だった!はじめての愛だったんだよ!
支配人:それが最後になるなんて、あんまりじゃないか!
支配人:このおれが悪魔なら、おまえから夢という夢を奪い去って、
支配人:永遠に静寂も癒しも訪れない砂漠へ葬ってやる!」
支配人:
支配人:
支配人:
支配人:
0:ジェームズの居室。
0:カールが新聞を広げている。
カール:「ジュリア・ローズの死!
カール:なんともセンセーショナルじゃないか。
カール:・・・だからといってきみの名が
カール:貶め(おとしめ)られるいわれはない。」
カール:
ジェームズ:「・・・なぜここへ来た?
ジェームズ:ぼくの醜態(しゅうたい)を
ジェームズ:見物にでもきたかい?」
ジェームズ:
カール:「なあジェームズ、きみはまだ若い。
カール:ロマンスはいずれ死んでしまうものさ。」
カール:
ジェームズ:「なぜここへ来たと聞いている。
ジェームズ:知ってるよ。ぼくを笑いに来たんだろう?
ジェームズ:ほらみたことかと顔に書いてある。」
ジェームズ:
カール:「きみがどう考えようと、まったく気の毒だった。
カール:でも、あまり深刻になるのは
カール:不健全というものだぜ?
カール:まずは、その身なりをどうにかしなければ。
カール:昨夜の雨で濡れねずみじゃないか。」
カール:
ジェームズ:「ぼくは、恋に酷い仕打ちをした。
ジェームズ:それはわかっている。」
ジェームズ:
カール:「恋か。この言葉を口にするには、
カール:もっと慎重にならなければいけないよ。
カール:永遠なるものに対する恐怖で、
カール:男の胸は一杯になってしまう。」
カール:
ジェームズ:「ぼくは彼女に二世を誓うつもりだった。
ジェームズ:それはあの女に永遠を意味しただろう。」
ジェームズ:
カール:「女の前で永遠を口にするとは、
カール:もっとおぞましい。
カール:悪魔にただで心臓をくれてやるようなものさ。」
カール:
ジェームズ:「まったくきみの言うとおりだった。
ジェームズ:でもね、ぼくは今、熱風吹きすさぶ嵐の、
ジェームズ:まさに中心にいるようさ。
ジェームズ:この静けさ、静寂(せいじゃく)こそ、
ジェームズ:懺悔(ざんげ)の祈りなのかもしれない。」
ジェームズ:
カール:「懺悔?昨夜未明、女は自ら命を絶った、
カール:ほらここに書いてある。
カール:天上の裁きは果たして哀れなきみを
カール:檻(おり)に入れるだろうか。」
カール:
ジェームズ:「どうかな…。
ジェームズ:きみの意見は?」
ジェームズ:
カール:「そうだな。きみはあのひとに残酷だった。
カール:それは事実さ。
カール:だが、女というものは得てして
カール:残酷なことが好きなのさ。
カール:あちらの望んだことだ。
カール:きみはぼくに言ったじゃないか。
カール:彼女はありとあらゆるロマンスのヒロインだと。
カール:あの女は最後の役を演じ終えたんだ。
カール:きみには、オフィーリアを悼む(いたむ)権利がある。」
カール:
ジェームズ:「シェイクスピアか・・・。
ジェームズ:悲劇とはこんなにも悲惨な気持ちにさせるものか。」
ジェームズ:
カール:「彼女の場合、自ら幕を引いたところ
カール:どことなく儚さがある点、救いにはなるね。」
カール:
ジェームズ:「さっきまで、誰にもこの胸のうちを
ジェームズ:見られたくなかった。
ジェームズ:たがきみとこんな話をしていると、
ジェームズ:まるで素敵な物語の中のことのようだ。」
ジェームズ:
カール:「素晴らしい物語は、ぼくのような人間でさえ、
カール:情熱だとか恋愛だとかいったものの存在を信じたくなる。」
カール:
ジェームズ:「でもね、これは現実だ。
ジェームズ:言葉にして紡ぐ(つむぐ)にはどうすればいい?
ジェームズ:なにをどう飾り立てて語ろうと、
ジェームズ:真実とは遠いものさ。」
ジェームズ:
カール:「ぼくは、ただ、
カール:こんなときは感情の赴く(おもむく)ままに
カール:するがいいと思うよ。
カール:涙のもつ鎮静作用には、驚くべきものがある。」
カール:
ジェームズ:「(涙ぐみながら)…本当の、本当の話、
ジェームズ:彼女の訃報(ふほう)を知ったとき、
ジェームズ:自分の残忍さを目(ま)の当たりにして
ジェームズ:苦しみあえいだよ。」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:ジェームズの肩を抱くカール。
ジェームズ:でもね、言い換えれば、
ジェームズ:この内に巣食う加虐性(かぎゃくせい)を
ジェームズ:とことん愉しみぬいたと言ってもいい。
ジェームズ:穴のあくまで、
ジェームズ:じっくりと自分の本性を眺め回して、
ジェームズ:何一つ変わらないとこまで辿り着いたんだ。」
ジェームズ:
カール:「なにが女を殺したか…?」
カール:
ジェームズ:「言わないでくれ!
ジェームズ:終わったんだ、それを引き合いに出すのは!
ジェームズ:
ジェームズ:悲しみが恋の火を消し、
ジェームズ:彼女を忘却の氷河の中に葬ることで、
ジェームズ:ぼくは自分と折り合いをつけてきた。
ジェームズ:それなのに、それなのに!
ジェームズ:彼女の死は熾烈(しれつ)なまでに心を焼き尽くす。
ジェームズ:
ジェームズ:・・・さあ、これがぼくの偽らざる本心だ。
ジェームズ:
ジェームズ:きみは、さっきから
ジェームズ:屁理屈ばかりこねくり回して、
ジェームズ:本当のところには
ジェームズ:掠り(かすり)もしないんだな。」
ジェームズ:
ジェームズ:
0:カール、ジェームズを抱いた手を
0:ゆっくり離して、凝視しながら。
0:
カール:「……では、ではなぜきみはこんなにも
カール:ぐっしょりと血に濡れてる?」
カール:
0:沈黙
カール:「怖ろしい…まったく、
カール:すくいのないほどにきみは怖ろしいよ!
カール:
カール:きみの演技にはくらくらきた!
カール:まるで阿片のようにめくるめく夢をみせた!
カール:もうたくさんだ。
カール:言葉では語れないとは、こういう意味か。
カール:きみはさっきからおしゃべりがすぎるよ。
カール:真相は、どのあたりにある?」
カール:
ジェームズ:「…きみならわかってくれるかと思ったんだ。
ジェームズ:退廃的な唯美主義はお互いさまだろう?」
ジェームズ:
カール:「たしかにね。
カール:嘘は美しい。逆もまた然り(しかり)だ!
カール:美を思うさま操るきみの本心は、ただの煌(きら)びやかな
カール:偽物(にせもの)だったんだね!」
カール:
ジェームズ:「なあ、これは、これはね、
ジェームズ:主義の問題さ。
ジェームズ:・・・ぼくは、女が執拗に現実を生き続けるのが
ジェームズ:我慢ならないんだ!
ジェームズ:女の怖るべき記憶力!
ジェームズ:それは、永久(とわ)に輝くロマンスを、
ジェームズ:平々凡々たる思い出に変えてしまう。」
ジェームズ:
カール:「だから、永久(えいきゅう)に眠らせたわけか!
カール:きみはもはや変わり果てた!
カール:ぼくのよく知るあの無垢で
カール:穢れ(けがれ)ない青年ではない。
カール:その正体は罪人だ!」
カール:
ジェームズ:「きみに罪のどうこうを言われるとはね。
ジェームズ:ぼくは知っているよ。
ジェームズ:ただきみは悪気なく純粋に
ジェームズ:ぼくを羨んで(うらやんで)いたね。」
ジェームズ:
カール:「…まさか!よしてくれ、
カール:邪推(じゃすい)にもほどがある!」
カール:
ジェームズ:「ぼくの自惚れを
ジェームズ:ここまで助長(じょちょう)させたのは、
ジェームズ:きみだ。
ジェームズ:うんざりするほどの賛辞(さんじ)が、
ジェームズ:ぼくという偶像をぼく自身、
ジェームズ:崇め(あがめ)させ始めたんだ!
ジェームズ:なあ、聞いているのか、カール!
ジェームズ:きみも腹を割ったらどうだ?」
ジェームズ:
0:カールに詰め寄るジェームズ。
カール:「・・・ああ、ああ!
カール:そうさ、認めようじゃないか。
カール:第一報を受けたとき、やられたと思ったよ。
カール:きみはそこらの桟敷(さじき)で冗談を交わす
カール:気の知れた友人から、はるか彼方を天に疾る(はしる)
カール:羨望の的(せんぼうのまと)となった。
カール:
カール:なにせ、ある女がきみを恋い慕って自殺した!
カール:ぼくもそんな経験をしてみたいと思ったね!」
カール:
ジェームズ:「やはり、きみの冷淡さは
ジェームズ:ぼくのそれによく似ている。」
ジェームズ:
カール:「だが、ぼくはひとの亡骸(なきがら)にまで
カール:仮面をかぶせる趣味はないよ!」
カール:
ジェームズ:「死してなお、女は遊戯(ゆうぎ)をやめなかったのさ。
ジェームズ:それこそ、女優魂というものだ。はは・・・」
ジェームズ:
カール:「きみはぼくのニヒリズムやエゴイズムを
カール:嘲笑(ちょうしょう)してきたが、
カール:なんのことはない、まさに自分自身、
カール:堂々と己のことを皮肉っていたわけだ。」
カール:
ジェームズ:「きみは今気が動転している。
ジェームズ:落ち着いて考えれは、
ジェームズ:すべてこれでよかったのさ。」
ジェームズ:
カール:「いや、やはりここへ来るべきではなかった。
カール:きみの青春の色香(いろか)に惹かれて、
カール:好奇心を押さえきれなかったのは、ぼくの落ち度だ。」
カール:
ジェームズ:「いいや、わかっているだろう?
ジェームズ:きみとぼくとの世界は、常に、
ジェームズ:暗黙という名の悪魔が
ジェームズ:いっさいを取り仕切ってきた。
ジェームズ:きみとの、気まぐれで
ジェームズ:放埓(ほうらつ)な日々が、
ジェームズ:ぼくを高みへ誘って(いざなって)きたんだ。
ジェームズ:今さら見捨てるなんて、
ジェームズ:無責任は許さないよ。」
ジェームズ:
カール:「そうか…そうきみには映っていたんだな。
カール:きみの罪の半分は
カール:ぼくにあるのかもしれない。
カール:
カール:だから、ぼくは、いっさい
カール:きみの看板に泥をぬるつもりはない。
カール:この一連のおぞましい事件について、
カール:もう二度と口にしないだろう。」
カール:
ジェームズ:「どこへ行く?どうするつもりだ、
ジェームズ:それだけ聞かなければ、今ここで別れることは、
ジェームズ:きみの身の振り方を意味する!」
ジェームズ:
カール:「それは脅しかい?冗談ではすまないよ。
カール:もう、ぼくたちの間にあった、
カール:馬鹿馬鹿しくもユーモラスだった共通言語は
カール:通用しないのだよ、ジェームズ。」
カール:
ジェームズ:「待ってくれ、よく考えるんだ、
ジェームズ:カール。
ジェームズ:きみを脅したなんて、そんなつもりはない。
ジェームズ:逆にぼくは、きみに去られたら本当に、
ジェームズ:現実的な意味で死んでしまう!
ジェームズ:お願いだ、きみもそうだと言ってくれ!
ジェームズ:名誉や誇りのために言ってるんじゃない!」
ジェームズ:
カール:「もはや、ぼくにはどうしようもない。
カール:言葉はどこまでも真実を指さないし、
カール:きみの頬を濡らしている涙に、
カール:人の熱をもつ
カール:悔恨(かいこん)と改悛(かいしゅん)を見ることもない。
カール:
カール:黙(もく)して語らないことだけ、
カール:それだけが、ぼくときみを結ぶつながりとなったのだ。
カール:
カール:さようなら、かつて親友だったひと。
カール:さようなら、ぼくの青春の影。」
カール:
0:カール、退場。
0:閉まる扉。
0:
0:終幕