台本概要
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タイトル | バルバッティン3【墓参り編】 |
---|---|
作者名 | 荒木アキラ (@masakasoreha) |
ジャンル | ファンタジー |
演者人数 | 2人用台本(女2) |
時間 | 20 分 |
台本使用規定 | 台本説明欄参照 |
説明 |
バルバッティンとレイの出会いを描くほっこりファンタジー。 バルバッティンとはなにか??その謎を解くために、演じてみませんか。 【墓参り編】では、バルバッティンの性別は女性です。 お好きなように仕上げていただけるとうれしいです。 上演時には、任意ではありますが、作者TwitterDM(@masakasoreha)までご連絡いただけると、 喜んで拝聴しに行きます。 23 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
レイ | 女 | 83 | 自慢の兄を亡くした女性 |
バルバッティン | 女 | 85 | 兄の元恋人と名乗る女性 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
レイM:だれかのお手本になるような人間になりたい。
レイM:
レイM:そう言ったのは、お兄ちゃんだった。
レイM:優等生だった、わたしのお兄ちゃん。
レイM:学校の成績は、いつも一番。
レイM:運動会では一等賞。
レイM:いつも目立っていて、光って見えた。
レイM:
レイM:いつからだろう。
レイM:兄のまねをするようになったのは。
レイM:
レイM:わたしは、宿題を黙々とこなし、
レイM:たくさんのお教室をかけもちして、
レイM:友達をどんどん蹴落とした。
レイM:
レイM:ねえ、なにが違ったんだろう。
レイM:わたしとお兄ちゃん。
レイM:お兄ちゃんの周りには、人がたくさん集まった。
レイM:お兄ちゃんは、人気者だった。
レイM:お兄ちゃんは、格好よかった。
レイM:
レイM:だって、わたしのお手本だもの。
レイM:わたしをふたつに切り取った、分身だもの。
レイM:
レイM:…憎まれっ子、世にはばかる?
レイM:
レイM:なんで、わたしが生き残ったんだろう。
レイM:お兄ちゃんが死ぬなんて、
レイM:どういう采配(さいはい)なんだろう。
レイM:
レイM:
レイM:
レイM:
レイ:「あのう…。兄の、知り合いの方ですか?」
レイ:
バルバッティン:「…ん?」
バルバッティン:
レイ:「こんにちは。わたし、家族なんです。
レイ:ここ、うちのお墓なんですけど。」
レイ:
バルバッティン:「ああ、あなた、もしかして、妹さん?
バルバッティン:レイさん…でしたっけ。」
バルバッティン:
レイ:「はい、よくご存知なんですね。
レイ:兄とは、親しかった…ご友人ですか?」
レイ:
バルバッティン:「うふふ…ちがいますよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあ、うちのお墓に、なにか?」
レイ:
バルバッティン:「わたし、お兄さんと、お付き合いしてた者です。」
バルバッティン:
レイ:「え!?お兄ちゃんの、彼女…さんですか?」
レイ:
バルバッティン:「そうです。急なことで、
バルバッティン:わたし、お葬式に出られなかったもので。」
バルバッティン:
レイ:「お兄ちゃんの彼女なら、お葬式、出てましたけど?」
レイ:
バルバッティン:「あはは…あー。
バルバッティン:わたしはね、お兄さんの、昔の彼女、かな。」
バルバッティン:
レイ:「へえ…お兄ちゃんらしい。」
レイ:
バルバッティン:「…え?」
バルバッティン:
レイ:「昔って、どのくらい昔の彼女さんですか?
レイ:わたしが知らないってことは、大学?
レイ:前の病院にいた頃ですか?」
レイ:
バルバッティン:「ああ、もっと昔です。
バルバッティン:中学校のとき、ちょっとだけ。
バルバッティン:恋愛ごっこみたいな関係だった、っていうのかな。」
バルバッティン:
レイ:「…うそ!ちょっとびっくり。
レイ:お兄ちゃんに彼女ができたのって、
レイ:高校生からだとばかり思ってました。」
レイ:
バルバッティン:「へえ。…あの子のことかな。」
バルバッティン:
レイ:「知ってるんですか、純子さんのこと。」
レイ:
バルバッティン:「わたしたちね、ずっと文通してたの。」
バルバッティン:
レイ:「文…通?このご時世に、珍しいですね。」
レイ:
バルバッティン:「ええ、古くさいことするの、好きだったんですよ。
バルバッティン:お兄さんも、わたしも。」
バルバッティン:
レイ:「…いつまで、文通してたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「去年のクリスマスまで。」
バルバッティン:
レイ:「ええ!?そんなに続いてたんですか!?」
レイ:
バルバッティン:「うふふ…わたしのほうが筆無精なとこがあって、
バルバッティン:お兄さんのほうが近況報告してくれること、
バルバッティン:多かったかな。」
バルバッティン:
レイ:「へえ…。まあ、真面目な兄でしたから。
レイ:なんとなく、わかります。」
レイ:
バルバッティン:「レイさんも、さぞ、気落ちされたでしょうね。
バルバッティン:このたびは、ご愁傷様です。」
バルバッティン:
レイ:「…はい。お心遣い、ありがとうございます。」
レイ:
バルバッティン:「そんな、堅苦しくなさらないで。
バルバッティン:わたし、あなたのこと、本当の妹みたいに思ってました。」
バルバッティン:
レイ:「…それって、どういうことでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「お兄さんね、とっても家族想いなかたで、
バルバッティン:あなたのことなんて、中学に入ったくらいから、仔細もらさず
バルバッティン:伝えてくださってたのよ。」
バルバッティン:
レイ:「え…本当ですか?」
レイ:
バルバッティン:「ええ、美術部に入ったとか。
バルバッティン:友達ができたようだとか。
バルバッティン:高校に推薦で受かったとか。
バルバッティン:さすがに、家を出てからは、大学入学と、
バルバッティン:就職祝いくらいでしたけど。
バルバッティン:それまでは、日常の細やかなことまで、
バルバッティン:お兄さん、書き記してらっしゃるわ。」
バルバッティン:
レイ:「いやあ…なんか、そう聞くと、お恥ずかしいです。」
レイ:
バルバッティン:「そうそう、今日、この後、
バルバッティン:ご実家のほうにも伺おうと思ってたんです。
バルバッティン:ご存知なかったですか。」
バルバッティン:
レイ:「はい…わたし、実家を出て、
レイ:今は朝凪(あさなぎ)のほうで暮らしてるんで。」
レイ:
バルバッティン:「そうなんですね。だったら、ちょうどよかった。
バルバッティン:あなたにお渡ししようかしら。」
バルバッティン:
レイ:「…?なにをですか?」
レイ:
バルバッティン:「手紙ですよ。たくさんあるんです。手紙。
バルバッティン:あなたのお兄さんが直筆で書かれたものだもの。
バルバッティン:ご家族にお渡しするのが、筋かなって。」
バルバッティン:
レイ:「あの…そもそも、なんで、兄と文通を始められたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「お兄さん、モテモテだったでしょ、中学校のとき。」
バルバッティン:
レイ:「そう…ですね(笑)
レイ:…その割に兄は照れ屋だったから。
レイ:思春期って、モテてる男子ほど、誰とも付き合わなかったりして。
レイ:そういうもんじゃないですか?」
レイ:
バルバッティン:「あはは…そうそう。そういうとこ、ありますよね。」
バルバッティン:
レイ:「その兄を、どうやって振り向かせたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「あのね…机に落書き残したんです。」
バルバッティン:
レイ:「兄の机に?」
レイ:
バルバッティン:「そうそう。移動教室なんかで、
バルバッティン:違うクラスの教室で授業受けたりしたでしょう?
バルバッティン:そのとき、わざと彼の席に座って。
バルバッティン:こっそりペンギンのマークを描いたんです。」
バルバッティン:
レイ:「ペンギン?かわいいですね。」
レイ:
バルバッティン:「ペンギンって聞くと、
バルバッティン:かわいい動物だって思うじゃないですか。
バルバッティン:でもね、その頃、わたし成長期で。
バルバッティン:足のサイズが男子並みに大きかったんです。
バルバッティン:それをコンプレックスに思ってるの、彼は知ってて、
バルバッティン:『おまえ、ペンギンみたいだな』って、
バルバッティン:からかわれたことがあったんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「ふふっ…兄もそんな意地悪するようなとこ、
レイ:ちゃんとあったんだ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ、お兄さんも、
バルバッティン:普通の思春期の男子だったんです。」
バルバッティン:
レイ:「それで、どうなったんです?」
レイ:
バルバッティン:「次に移動教室で、彼の席に座ったら、
バルバッティン:わたしの描いたペンギンが、
バルバッティン:ハートマークを出してだんです。
バルバッティン:わたし、ひとりで真っ赤になりました。
バルバッティン:なにもかも、見透かされてる気がして。
バルバッティン:びっくりしました。」
バルバッティン:
レイ:「うわあ。お兄ちゃん、なかなか攻めますね(笑)」
レイ:
バルバッティン:「でしょう?それでわたし、こっそり授業中に、
バルバッティン:手紙を書いたんです。彼への、はじめてのラブレター。」
バルバッティン:
レイ:「それで?お兄ちゃん、どうしたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「お返事、くれました。
バルバッティン:…シロクマよりって。」
バルバッティン:
レイ:「シロクマ?ふふふ…それって仲良しってことですか?」
レイ:
バルバッティン:「いいえ。ふたりは出会うことはないって意味です。
バルバッティン:実際、彼はサッカー部で年中忙しかったし、
バルバッティン:わたしは文芸部で、外に出ることはありませんでしたから。」
バルバッティン:
レイ:「ええー!そんなの悲しいじゃないですか。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ。文通が始まったころに、
バルバッティン:わたし、なんでシロクマなのって聞いたんです。
バルバッティン:そしたら、彼が、『一番遠くで想い合ってたら素敵だな』って。」
バルバッティン:
レイ:「うっわ。さむ。お兄ちゃん、さむ。」
レイ:
バルバッティン:「あはは!お身内のかたに、
バルバッティン:こんなに詳細話していいのかなあ。
バルバッティン:なんか、あの世で、怒ってないかしら。」
バルバッティン:
レイ:「怒ってるかもなあ。
レイ:家族には、そんなロマンチックな一面、
レイ:見せなかったから。」
レイ:
バルバッティン:「意外に、ロマンチストのかたまりみたいな人でしたよ?」
バルバッティン:
レイ:「へえ…。そうなんですね。
レイ:女の人にはそんなこと言ったりするんだあ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ、お兄さんがモテてたのは、
バルバッティン:容姿がいいとか、頭がいいとか、
バルバッティン:そんなことじゃなかったんですよ?」
バルバッティン:
レイ:「わたし、…お兄ちゃんをお手本にして育ったんです。」
レイ:
バルバッティン:「彼をお手本に?
バルバッティン:あなたは、あなたの才能がおありでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「そんなの、わたしなんて、努力して努力して、
レイ:やっと人並みに追いつけるくらいです。
レイ:お兄ちゃんとは…違うんです。」
レイ:
バルバッティン:「あら、あなたの描いた絵、
バルバッティン:お兄さんそりゃもう、絶賛してたわよ?」
バルバッティン:
レイ:「絶賛?
レイ:お兄ちゃんが?」
レイ:
バルバッティン:「そうそう。おれにはない才能だって。」
バルバッティン:
レイ:「…そうですか。
レイ:でも、そんなの、わかんないじゃないですか。」
レイ:
バルバッティン:「何度も県の賞を取ってらっしゃったとか?」
バルバッティン:
レイ:「絵なんか描けたって、
レイ:それで食べていけるほどのものじゃありませんから。
レイ:わたしの絵なんて、目のある人が見たら、
レイ:なんじゃこりゃ?って代物ですよ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですか?わたし、あなたの絵、
バルバッティン:すごくドキっとさせられましたよ。」
バルバッティン:
レイ:「え…?わたしの絵、見たんですか?」
レイ:
バルバッティン:「はい。お兄さんが、封筒に同封してくれました。
バルバッティン:妹が描いたんだよって。」
バルバッティン:
レイ:「それ、ただの落書き…。」
レイ:
バルバッティン:「落書きには、見えませんでしたけど?」
バルバッティン:
レイ:「いやいや、家で描き散らかしたものなんか…。
レイ:そんなの、恥ずかしいです。
レイ:お兄ちゃん、なにやってるんすか…。」
レイ:
バルバッティン:「けっこう、何枚も送ってくださいましたよ?
バルバッティン:デッサンなのか、下書きなのか。
バルバッティン:でも、緻密で迷いのないタッチで、
バルバッティン:天性のものだなって思いました。」
バルバッティン:
レイ:「うわあ。恥ずかしいです、恥ずかしいですよ。」
レイ:
バルバッティン:「…その反応を見る限り、今も描いてらっしゃる?」
バルバッティン:
レイ:「…わかりますか?」
レイ:
バルバッティン:「わかりますよ。」
バルバッティン:
レイ:「誰にも内緒で、描いてるんです。なんだか、それだけが、
レイ:わたしの生きてる時間なんです。」
レイ:
バルバッティン:「生きてる…時間?」
バルバッティン:
レイ:「そうなんです。ほかの時間は、なんていうのかな。
レイ:ただ、周りの人間に溶け込んでるだけで。」
レイ:
バルバッティン:「うふふ…その気持ち、よくわかります。」
バルバッティン:
レイ:「あなたも…!なにか、趣味をお持ちですか?」
レイ:
バルバッティン:「はい、バル…〈言葉につまったように〉
バルバッティン:バルに行くことくらいでしょうか。」
バルバッティン:
レイ:「バル?…バルってあのスペインの?
レイ:…居酒屋みたいな?」
レイ:
バルバッティン:「まあ、飲み歩くのだけが、趣味みたいなもので。
バルバッティン:ふふふ…なにかを作り出すひとって、すごいなあ。」
バルバッティン:
レイ:「へえ。でも、飲み歩きも、楽しそうですね。」
レイ:
バルバッティン:「今度、一緒に行きます?
バルバッティン:あ、今はそれどころじゃないか…。ごめんなさい。」
バルバッティン:
レイ:「…事故のことですか?
レイ:はい。…そりゃもう、父が気落ちしちゃって。
レイ:自分が運転してたものですから、なおさらです。」
レイ:
バルバッティン:「そうだったんですね…。
バルバッティン:あなたは、もう大丈夫なんですか?」
バルバッティン:
レイ:「四十九日も過ぎましたし。
レイ:なんとか、日常に戻りつつあります。」
レイ:
バルバッティン:「じゃあ、なんでこんなところにいるんですか?」
バルバッティン:
レイ:「え?」
レイ:
バルバッティン:「お花、新しかったから。おはぎも。
バルバッティン:あなたなんでしょう?
バルバッティン:今日も、なにか持ってきてらっしゃるようだし。」
バルバッティン:
レイ:「ああ、これですか。おにぎりです。
レイ:今日は、おはぎ作ってる時間なくて。」
レイ:
バルバッティン:「今日は?
バルバッティン:毎日、おはぎ作ってるんですか?」
バルバッティン:
レイ:「…はい。いけませんか?」
レイ:
バルバッティン:「…いえ。びっくりしただけです。
バルバッティン:本当に毎日、おはぎ作るんですね。」
バルバッティン:
レイ:「そうですよ。お兄ちゃん、
レイ:おはぎにだけは、うるさかったから。
レイ:粒あんだと、口の中がもごもごするらしくて、
レイ:こしあんのねっとりした感触が好きだって言ってました。」
レイ:
バルバッティン:「それ。あなたは食べないんですか?」
バルバッティン:
レイ:「わたしが?
レイ:わたしはそんな、おはぎ好きじゃありませんし。」
レイ:
バルバッティン:「食べたほうが、いいですよ?」
バルバッティン:
レイ:「どうしてですか?」
レイ:
バルバッティン:「だって、あなた、そんなに痩せちゃって…
バルバッティン:見てるのもかわいそうだわ。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、そんな、痩せてないですよ。
レイ:むしろ、太ってるし。
レイ:この機会に、ちょっとダイエットできるかな~なんて。」
レイ:
バルバッティン:「いえいえ。なに言ってるんですか。
バルバッティン:あなたはもう、十分に痩せています。
バルバッティン:
バルバッティン:〈手を握って〉ほら、凍えてるじゃないですか。」
バルバッティン:
レイ:「あれ?おかしいな。今日、…そんな、…寒いかな。」
レイ:
バルバッティン:「もう春も近いっていうのに、あなた、震えてる。
バルバッティン:これがどういうことか、わからないわけじゃないでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「なんだろ?わかんないです。」
レイ:
バルバッティン:「ろくに食べてないからでしょう?
バルバッティン:わかってるくせに、なんでそう無理するんですか。」
バルバッティン:
レイ:「無理なんか…してませ」
レイ:
バルバッティン:「〈きつい口調で〉なんでそう無理するの!?」
バルバッティン:
レイ:「〈泣き出しそうになりながら〉だって…。」
レイ:
レイ:
レイM:だって、わたしはお兄ちゃんじゃないから。
レイM:死んだのが、わたしじゃなくて、お兄ちゃんだったから。
レイM:お父さん、抜け殻みたいになってるから。
レイM:それって、わたしじゃなかったからだから。
レイM:ごめんね、お父さん。ごめんね。
レイM:
レイM:
レイM:言葉の代わりに、あふれ出すように胃液があがってきて、
レイM:わたしはその場で、少し、吐いた。
レイM:
レイM:気持ちよかった。
レイM:
レイM:吐いてるのと同時に、涙もどんどんあふれ出てきて、
レイM:止められなかった。
レイM:
レイM:そのあいだ中ずっと、女性はわたしの背をとんとんして、
レイM:うんうん、と、なにに対してかわからないけれど、
レイM:同意してくれていた。
レイM:
レイM:
レイM:しばらくして彼女の差し出すハンカチをもらうと、
レイM:わたしは、持ってきていたペットボトルの水で、
レイM:うがいをした。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「落ち着いた…?」
バルバッティン:
レイ:「はあ…、はあ…。
レイ:すいません…なんか、汚しちゃって。
レイ:ほんと、ごめんなさい。
レイ:これ、洗って返すんで。」
レイ:
バルバッティン:「そんなこと、気にすることじゃないです。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、どっか、おかしいのかな。
レイ:ねえ、わたし、…そんなに痩せてますか?」
レイ:
バルバッティン:「痩せてます、ちょっと怖いくらい、痩せてますよ。」
バルバッティン:
レイ:「毎日おはぎ作ってるから、
レイ:なんか、自分も食べた気になってました。」
レイ:
バルバッティン:「危ないですよ。
バルバッティン:もし、こんなとこで
バルバッティン:誰もいないときに倒れたりしたら。
バルバッティン:どうするんですか。」
バルバッティン:
レイ:「そう…ですよね。
レイ:すいません、せっかくお墓参りに来てくださったのに、
レイ:ご迷惑おかけして。」
レイ:
バルバッティン:「そういうとこですよ、そういうとこ。
バルバッティン:周りに気を遣いすぎです。
バルバッティン:だれにも迷惑かけずに生きようなんて、
バルバッティン:考えてないでしょうね?」
バルバッティン:
レイ:「いけませんか?
レイ:自立しなきゃ、やってこれなかったんです。」
レイ:
バルバッティン:「……。」
バルバッティン:
レイ:「お兄ちゃんの妹であることがどんなに重荷だったか、
レイ:だれにもわからないですよ。」
レイ:
バルバッティン:「そっか…。そうだよね。
バルバッティン:彼と比べられたら、たまったもんじゃないわよね。」
バルバッティン:
レイ:「あなたも…そう思います?」
レイ:
バルバッティン:「ええ。
バルバッティン:お兄さんと文通してたって言ったでしょ?
バルバッティン:高校までは、日常を切り取って送り合う、
バルバッティン:なんでもない文通だったんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「文通なんかわたしだったら、
レイ:そんなに長く続けられないだろうな。
レイ:やっぱりお兄ちゃんはすご…」
レイ:
バルバッティン:「〈かぶせ気味に〉でもね。
バルバッティン:実は、大学入ったあたりから、
バルバッティン:わたしは年に一度、絵はがきを送る程度になって。
バルバッティン:文通なんて言いながら、
バルバッティン:お兄さんが一方的に書き記した詩(うた)を送ってくれてたんです。」
レイ:「え…。それって。なんか、迷惑じゃないですか?」
レイ:
バルバッティン:「最初は、ちょっと、びっくりしました。
バルバッティン:ああ、この人も、
バルバッティン:こんなふうに叫びたい思いがあるんだなって。
バルバッティン:大学は医学部。
バルバッティン:すんなり院に進んで心理学まで修めた彼だったけど、
バルバッティン:実際のところ、
バルバッティン:こころは千々に乱れていたのかもしれないわ。」
バルバッティン:
レイ:「兄のこと、正直、どう思ってたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「好き。でしたよ。
バルバッティン:でも、わたしにも、わたしの生活がありますから。」
バルバッティン:
レイ:「そうですよね。
レイ:お互い、当時付き合ってた方もいたはずだし。」
レイ:
バルバッティン:「本当のことを言うとね。
バルバッティン:もう、いちいち、反応していられなくて。
バルバッティン:…無視した、といってもいいかもしれません。」
バルバッティン:
レイ:「それでも、兄は、送るのをやめなかったんですか。」
レイ:
バルバッティン:「はい、二週間に一回は、
バルバッティン:なにかしらの作品を送ってきてました。」
バルバッティン:
レイ:「そんなに?
レイ:怖くなかったんですか?それ。」
レイ:
バルバッティン:「怖い?そう思ったことはないんですよね。
バルバッティン:ただ、大丈夫かなあって。」
バルバッティン:
レイ:「大丈夫かなあ?」
レイ:
バルバッティン:「だって、普通に生活してたら、
バルバッティン:そんなペースで作品を作り続けるなんて、
バルバッティン:できないものでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「そうですよね。
レイ:お兄ちゃん、病院や学会で忙しかったはずだし。」
レイ:
バルバッティン:「それでね。なんとなく、ネットで、検索したんですよ。
バルバッティン:彼の詩の文言(もんごん)を。」
バルバッティン:
レイ:「そしたら?」
レイ:
バルバッティン:「たくさんヒットしましたよ。
バルバッティン:だって、それは、1800年代の、
バルバッティン:ドイツの有名な詩人の訳だったんですもの。」
バルバッティン:
レイ:「え…お兄ちゃん、パクってたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「そう言うと、聞こえは悪いですけど。
バルバッティン:彼は、彼なりに、言葉を紡ごうとして、
バルバッティン:あがいたのかもしれません。
バルバッティン:それで、その詩人のうたに出会って、
バルバッティン:それを模倣することで、
バルバッティン:自分と折り合いをつけていたのかも。」
バルバッティン:
レイ:「そんな…お兄ちゃん…。
レイ:人のお手本になるような人間って、言ってたのに…。」
レイ:
バルバッティン:「ね?あんな優秀な人でも、そういうとこ、あるのよ。
バルバッティン:人はね、みんな、誰かのまねをして生きているだけ。
バルバッティン:そんなのいやだって思ったって、仕方ないことなのよ。」
バルバッティン:
レイ:「そう…なんですかね。
レイ:お兄ちゃんも、だれかのまねをして、生きていたんでしょうか。」
レイ:
バルバッティン:「そりゃ、そうよ。
バルバッティン:あなただって、言ったじゃない。
バルバッティン:『ただ、周りの人間に溶け込んでるだけ』って。
バルバッティン:それって、みんなでみんな、まねっこしながら生きてるのよ?」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:彼女はそう言って、ふっと笑ってみせた。
レイM:
レイM:その笑顔があまりにきれいだったから、
レイM:わたしも思わず、笑い返していた。
レイM:
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ、わたしの家にくる?
バルバッティン:それとも、どこかで休んでいく?」
バルバッティン:
レイ:「え…。そんな、時間大丈夫なんですか?」
レイ:
バルバッティン:「だって、おなか減ったでしょう。
バルバッティン:お供え物を食べるわけにもいかないし。
バルバッティン:ちょっと待ってて。
バルバッティン:わたし、車から、手紙とってくるから。」
バルバッティン:
レイM:わたしが止める暇もなく、
レイM:女はおどろくほどあっさり坂を下りて行った。
レイM:
レイM:つないでた手が、あったかい。
レイM:
レイM:今のうちに、兄の墓を拝んでおこう。
レイM:新しく知った、兄の意外な一面。
レイM:
レイM:それを、どう言葉にすればいいのかわからずに、
レイM:わたしは、ただ、見守っていてください。
レイM:とだけ、お祈りした。
レイM:いつもの、懺悔の言葉はない。
レイM:
レイM:合わせた手を開いて、これでよかったのかな、
レイM:なんて、ちょっと名残惜しそうにしていると、
レイM:坂の下から、声が聞こえてきた。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ。ちょっと、手紙ばらまいちゃって。
バルバッティン:手伝ってくれないかしら?」
バルバッティン:
レイ:「はーい、今行きます!」
レイ:
レイM:坂を下ったところに、、一面の落ち葉の中、
レイM:手紙や原稿が、これでもかというほど、散らばっていた。
レイM:
レイM:よく見ると、その中に、
レイM:小さな小さなバルバッティンが埋もれている。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ごめんごめん。
バルバッティン:最後がこれじゃ、格好つかないよね。
バルバッティン:わたしはね、本当はバルバッティン。
バルバッティン:
バルバッティン:ねえ、早くなにか食べに行こう?
バルバッティン:おいしいもの、食べに行こうよ?」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:わたしは、散乱した手紙と、小さなバルバッティンを、
レイM:両腕の中にしっかりと抱きかかえると、
レイM:初春の日差しの中を、ゆっくりゆっくり歩き出した。
レイM:
レイM:午後のまぶしい輝きに、祝福されながら。
レイM:
レイM:
0:END
レイM:だれかのお手本になるような人間になりたい。
レイM:
レイM:そう言ったのは、お兄ちゃんだった。
レイM:優等生だった、わたしのお兄ちゃん。
レイM:学校の成績は、いつも一番。
レイM:運動会では一等賞。
レイM:いつも目立っていて、光って見えた。
レイM:
レイM:いつからだろう。
レイM:兄のまねをするようになったのは。
レイM:
レイM:わたしは、宿題を黙々とこなし、
レイM:たくさんのお教室をかけもちして、
レイM:友達をどんどん蹴落とした。
レイM:
レイM:ねえ、なにが違ったんだろう。
レイM:わたしとお兄ちゃん。
レイM:お兄ちゃんの周りには、人がたくさん集まった。
レイM:お兄ちゃんは、人気者だった。
レイM:お兄ちゃんは、格好よかった。
レイM:
レイM:だって、わたしのお手本だもの。
レイM:わたしをふたつに切り取った、分身だもの。
レイM:
レイM:…憎まれっ子、世にはばかる?
レイM:
レイM:なんで、わたしが生き残ったんだろう。
レイM:お兄ちゃんが死ぬなんて、
レイM:どういう采配(さいはい)なんだろう。
レイM:
レイM:
レイM:
レイM:
レイ:「あのう…。兄の、知り合いの方ですか?」
レイ:
バルバッティン:「…ん?」
バルバッティン:
レイ:「こんにちは。わたし、家族なんです。
レイ:ここ、うちのお墓なんですけど。」
レイ:
バルバッティン:「ああ、あなた、もしかして、妹さん?
バルバッティン:レイさん…でしたっけ。」
バルバッティン:
レイ:「はい、よくご存知なんですね。
レイ:兄とは、親しかった…ご友人ですか?」
レイ:
バルバッティン:「うふふ…ちがいますよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあ、うちのお墓に、なにか?」
レイ:
バルバッティン:「わたし、お兄さんと、お付き合いしてた者です。」
バルバッティン:
レイ:「え!?お兄ちゃんの、彼女…さんですか?」
レイ:
バルバッティン:「そうです。急なことで、
バルバッティン:わたし、お葬式に出られなかったもので。」
バルバッティン:
レイ:「お兄ちゃんの彼女なら、お葬式、出てましたけど?」
レイ:
バルバッティン:「あはは…あー。
バルバッティン:わたしはね、お兄さんの、昔の彼女、かな。」
バルバッティン:
レイ:「へえ…お兄ちゃんらしい。」
レイ:
バルバッティン:「…え?」
バルバッティン:
レイ:「昔って、どのくらい昔の彼女さんですか?
レイ:わたしが知らないってことは、大学?
レイ:前の病院にいた頃ですか?」
レイ:
バルバッティン:「ああ、もっと昔です。
バルバッティン:中学校のとき、ちょっとだけ。
バルバッティン:恋愛ごっこみたいな関係だった、っていうのかな。」
バルバッティン:
レイ:「…うそ!ちょっとびっくり。
レイ:お兄ちゃんに彼女ができたのって、
レイ:高校生からだとばかり思ってました。」
レイ:
バルバッティン:「へえ。…あの子のことかな。」
バルバッティン:
レイ:「知ってるんですか、純子さんのこと。」
レイ:
バルバッティン:「わたしたちね、ずっと文通してたの。」
バルバッティン:
レイ:「文…通?このご時世に、珍しいですね。」
レイ:
バルバッティン:「ええ、古くさいことするの、好きだったんですよ。
バルバッティン:お兄さんも、わたしも。」
バルバッティン:
レイ:「…いつまで、文通してたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「去年のクリスマスまで。」
バルバッティン:
レイ:「ええ!?そんなに続いてたんですか!?」
レイ:
バルバッティン:「うふふ…わたしのほうが筆無精なとこがあって、
バルバッティン:お兄さんのほうが近況報告してくれること、
バルバッティン:多かったかな。」
バルバッティン:
レイ:「へえ…。まあ、真面目な兄でしたから。
レイ:なんとなく、わかります。」
レイ:
バルバッティン:「レイさんも、さぞ、気落ちされたでしょうね。
バルバッティン:このたびは、ご愁傷様です。」
バルバッティン:
レイ:「…はい。お心遣い、ありがとうございます。」
レイ:
バルバッティン:「そんな、堅苦しくなさらないで。
バルバッティン:わたし、あなたのこと、本当の妹みたいに思ってました。」
バルバッティン:
レイ:「…それって、どういうことでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「お兄さんね、とっても家族想いなかたで、
バルバッティン:あなたのことなんて、中学に入ったくらいから、仔細もらさず
バルバッティン:伝えてくださってたのよ。」
バルバッティン:
レイ:「え…本当ですか?」
レイ:
バルバッティン:「ええ、美術部に入ったとか。
バルバッティン:友達ができたようだとか。
バルバッティン:高校に推薦で受かったとか。
バルバッティン:さすがに、家を出てからは、大学入学と、
バルバッティン:就職祝いくらいでしたけど。
バルバッティン:それまでは、日常の細やかなことまで、
バルバッティン:お兄さん、書き記してらっしゃるわ。」
バルバッティン:
レイ:「いやあ…なんか、そう聞くと、お恥ずかしいです。」
レイ:
バルバッティン:「そうそう、今日、この後、
バルバッティン:ご実家のほうにも伺おうと思ってたんです。
バルバッティン:ご存知なかったですか。」
バルバッティン:
レイ:「はい…わたし、実家を出て、
レイ:今は朝凪(あさなぎ)のほうで暮らしてるんで。」
レイ:
バルバッティン:「そうなんですね。だったら、ちょうどよかった。
バルバッティン:あなたにお渡ししようかしら。」
バルバッティン:
レイ:「…?なにをですか?」
レイ:
バルバッティン:「手紙ですよ。たくさんあるんです。手紙。
バルバッティン:あなたのお兄さんが直筆で書かれたものだもの。
バルバッティン:ご家族にお渡しするのが、筋かなって。」
バルバッティン:
レイ:「あの…そもそも、なんで、兄と文通を始められたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「お兄さん、モテモテだったでしょ、中学校のとき。」
バルバッティン:
レイ:「そう…ですね(笑)
レイ:…その割に兄は照れ屋だったから。
レイ:思春期って、モテてる男子ほど、誰とも付き合わなかったりして。
レイ:そういうもんじゃないですか?」
レイ:
バルバッティン:「あはは…そうそう。そういうとこ、ありますよね。」
バルバッティン:
レイ:「その兄を、どうやって振り向かせたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「あのね…机に落書き残したんです。」
バルバッティン:
レイ:「兄の机に?」
レイ:
バルバッティン:「そうそう。移動教室なんかで、
バルバッティン:違うクラスの教室で授業受けたりしたでしょう?
バルバッティン:そのとき、わざと彼の席に座って。
バルバッティン:こっそりペンギンのマークを描いたんです。」
バルバッティン:
レイ:「ペンギン?かわいいですね。」
レイ:
バルバッティン:「ペンギンって聞くと、
バルバッティン:かわいい動物だって思うじゃないですか。
バルバッティン:でもね、その頃、わたし成長期で。
バルバッティン:足のサイズが男子並みに大きかったんです。
バルバッティン:それをコンプレックスに思ってるの、彼は知ってて、
バルバッティン:『おまえ、ペンギンみたいだな』って、
バルバッティン:からかわれたことがあったんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「ふふっ…兄もそんな意地悪するようなとこ、
レイ:ちゃんとあったんだ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ、お兄さんも、
バルバッティン:普通の思春期の男子だったんです。」
バルバッティン:
レイ:「それで、どうなったんです?」
レイ:
バルバッティン:「次に移動教室で、彼の席に座ったら、
バルバッティン:わたしの描いたペンギンが、
バルバッティン:ハートマークを出してだんです。
バルバッティン:わたし、ひとりで真っ赤になりました。
バルバッティン:なにもかも、見透かされてる気がして。
バルバッティン:びっくりしました。」
バルバッティン:
レイ:「うわあ。お兄ちゃん、なかなか攻めますね(笑)」
レイ:
バルバッティン:「でしょう?それでわたし、こっそり授業中に、
バルバッティン:手紙を書いたんです。彼への、はじめてのラブレター。」
バルバッティン:
レイ:「それで?お兄ちゃん、どうしたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「お返事、くれました。
バルバッティン:…シロクマよりって。」
バルバッティン:
レイ:「シロクマ?ふふふ…それって仲良しってことですか?」
レイ:
バルバッティン:「いいえ。ふたりは出会うことはないって意味です。
バルバッティン:実際、彼はサッカー部で年中忙しかったし、
バルバッティン:わたしは文芸部で、外に出ることはありませんでしたから。」
バルバッティン:
レイ:「ええー!そんなの悲しいじゃないですか。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ。文通が始まったころに、
バルバッティン:わたし、なんでシロクマなのって聞いたんです。
バルバッティン:そしたら、彼が、『一番遠くで想い合ってたら素敵だな』って。」
バルバッティン:
レイ:「うっわ。さむ。お兄ちゃん、さむ。」
レイ:
バルバッティン:「あはは!お身内のかたに、
バルバッティン:こんなに詳細話していいのかなあ。
バルバッティン:なんか、あの世で、怒ってないかしら。」
バルバッティン:
レイ:「怒ってるかもなあ。
レイ:家族には、そんなロマンチックな一面、
レイ:見せなかったから。」
レイ:
バルバッティン:「意外に、ロマンチストのかたまりみたいな人でしたよ?」
バルバッティン:
レイ:「へえ…。そうなんですね。
レイ:女の人にはそんなこと言ったりするんだあ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ、お兄さんがモテてたのは、
バルバッティン:容姿がいいとか、頭がいいとか、
バルバッティン:そんなことじゃなかったんですよ?」
バルバッティン:
レイ:「わたし、…お兄ちゃんをお手本にして育ったんです。」
レイ:
バルバッティン:「彼をお手本に?
バルバッティン:あなたは、あなたの才能がおありでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「そんなの、わたしなんて、努力して努力して、
レイ:やっと人並みに追いつけるくらいです。
レイ:お兄ちゃんとは…違うんです。」
レイ:
バルバッティン:「あら、あなたの描いた絵、
バルバッティン:お兄さんそりゃもう、絶賛してたわよ?」
バルバッティン:
レイ:「絶賛?
レイ:お兄ちゃんが?」
レイ:
バルバッティン:「そうそう。おれにはない才能だって。」
バルバッティン:
レイ:「…そうですか。
レイ:でも、そんなの、わかんないじゃないですか。」
レイ:
バルバッティン:「何度も県の賞を取ってらっしゃったとか?」
バルバッティン:
レイ:「絵なんか描けたって、
レイ:それで食べていけるほどのものじゃありませんから。
レイ:わたしの絵なんて、目のある人が見たら、
レイ:なんじゃこりゃ?って代物ですよ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですか?わたし、あなたの絵、
バルバッティン:すごくドキっとさせられましたよ。」
バルバッティン:
レイ:「え…?わたしの絵、見たんですか?」
レイ:
バルバッティン:「はい。お兄さんが、封筒に同封してくれました。
バルバッティン:妹が描いたんだよって。」
バルバッティン:
レイ:「それ、ただの落書き…。」
レイ:
バルバッティン:「落書きには、見えませんでしたけど?」
バルバッティン:
レイ:「いやいや、家で描き散らかしたものなんか…。
レイ:そんなの、恥ずかしいです。
レイ:お兄ちゃん、なにやってるんすか…。」
レイ:
バルバッティン:「けっこう、何枚も送ってくださいましたよ?
バルバッティン:デッサンなのか、下書きなのか。
バルバッティン:でも、緻密で迷いのないタッチで、
バルバッティン:天性のものだなって思いました。」
バルバッティン:
レイ:「うわあ。恥ずかしいです、恥ずかしいですよ。」
レイ:
バルバッティン:「…その反応を見る限り、今も描いてらっしゃる?」
バルバッティン:
レイ:「…わかりますか?」
レイ:
バルバッティン:「わかりますよ。」
バルバッティン:
レイ:「誰にも内緒で、描いてるんです。なんだか、それだけが、
レイ:わたしの生きてる時間なんです。」
レイ:
バルバッティン:「生きてる…時間?」
バルバッティン:
レイ:「そうなんです。ほかの時間は、なんていうのかな。
レイ:ただ、周りの人間に溶け込んでるだけで。」
レイ:
バルバッティン:「うふふ…その気持ち、よくわかります。」
バルバッティン:
レイ:「あなたも…!なにか、趣味をお持ちですか?」
レイ:
バルバッティン:「はい、バル…〈言葉につまったように〉
バルバッティン:バルに行くことくらいでしょうか。」
バルバッティン:
レイ:「バル?…バルってあのスペインの?
レイ:…居酒屋みたいな?」
レイ:
バルバッティン:「まあ、飲み歩くのだけが、趣味みたいなもので。
バルバッティン:ふふふ…なにかを作り出すひとって、すごいなあ。」
バルバッティン:
レイ:「へえ。でも、飲み歩きも、楽しそうですね。」
レイ:
バルバッティン:「今度、一緒に行きます?
バルバッティン:あ、今はそれどころじゃないか…。ごめんなさい。」
バルバッティン:
レイ:「…事故のことですか?
レイ:はい。…そりゃもう、父が気落ちしちゃって。
レイ:自分が運転してたものですから、なおさらです。」
レイ:
バルバッティン:「そうだったんですね…。
バルバッティン:あなたは、もう大丈夫なんですか?」
バルバッティン:
レイ:「四十九日も過ぎましたし。
レイ:なんとか、日常に戻りつつあります。」
レイ:
バルバッティン:「じゃあ、なんでこんなところにいるんですか?」
バルバッティン:
レイ:「え?」
レイ:
バルバッティン:「お花、新しかったから。おはぎも。
バルバッティン:あなたなんでしょう?
バルバッティン:今日も、なにか持ってきてらっしゃるようだし。」
バルバッティン:
レイ:「ああ、これですか。おにぎりです。
レイ:今日は、おはぎ作ってる時間なくて。」
レイ:
バルバッティン:「今日は?
バルバッティン:毎日、おはぎ作ってるんですか?」
バルバッティン:
レイ:「…はい。いけませんか?」
レイ:
バルバッティン:「…いえ。びっくりしただけです。
バルバッティン:本当に毎日、おはぎ作るんですね。」
バルバッティン:
レイ:「そうですよ。お兄ちゃん、
レイ:おはぎにだけは、うるさかったから。
レイ:粒あんだと、口の中がもごもごするらしくて、
レイ:こしあんのねっとりした感触が好きだって言ってました。」
レイ:
バルバッティン:「それ。あなたは食べないんですか?」
バルバッティン:
レイ:「わたしが?
レイ:わたしはそんな、おはぎ好きじゃありませんし。」
レイ:
バルバッティン:「食べたほうが、いいですよ?」
バルバッティン:
レイ:「どうしてですか?」
レイ:
バルバッティン:「だって、あなた、そんなに痩せちゃって…
バルバッティン:見てるのもかわいそうだわ。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、そんな、痩せてないですよ。
レイ:むしろ、太ってるし。
レイ:この機会に、ちょっとダイエットできるかな~なんて。」
レイ:
バルバッティン:「いえいえ。なに言ってるんですか。
バルバッティン:あなたはもう、十分に痩せています。
バルバッティン:
バルバッティン:〈手を握って〉ほら、凍えてるじゃないですか。」
バルバッティン:
レイ:「あれ?おかしいな。今日、…そんな、…寒いかな。」
レイ:
バルバッティン:「もう春も近いっていうのに、あなた、震えてる。
バルバッティン:これがどういうことか、わからないわけじゃないでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「なんだろ?わかんないです。」
レイ:
バルバッティン:「ろくに食べてないからでしょう?
バルバッティン:わかってるくせに、なんでそう無理するんですか。」
バルバッティン:
レイ:「無理なんか…してませ」
レイ:
バルバッティン:「〈きつい口調で〉なんでそう無理するの!?」
バルバッティン:
レイ:「〈泣き出しそうになりながら〉だって…。」
レイ:
レイ:
レイM:だって、わたしはお兄ちゃんじゃないから。
レイM:死んだのが、わたしじゃなくて、お兄ちゃんだったから。
レイM:お父さん、抜け殻みたいになってるから。
レイM:それって、わたしじゃなかったからだから。
レイM:ごめんね、お父さん。ごめんね。
レイM:
レイM:
レイM:言葉の代わりに、あふれ出すように胃液があがってきて、
レイM:わたしはその場で、少し、吐いた。
レイM:
レイM:気持ちよかった。
レイM:
レイM:吐いてるのと同時に、涙もどんどんあふれ出てきて、
レイM:止められなかった。
レイM:
レイM:そのあいだ中ずっと、女性はわたしの背をとんとんして、
レイM:うんうん、と、なにに対してかわからないけれど、
レイM:同意してくれていた。
レイM:
レイM:
レイM:しばらくして彼女の差し出すハンカチをもらうと、
レイM:わたしは、持ってきていたペットボトルの水で、
レイM:うがいをした。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「落ち着いた…?」
バルバッティン:
レイ:「はあ…、はあ…。
レイ:すいません…なんか、汚しちゃって。
レイ:ほんと、ごめんなさい。
レイ:これ、洗って返すんで。」
レイ:
バルバッティン:「そんなこと、気にすることじゃないです。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、どっか、おかしいのかな。
レイ:ねえ、わたし、…そんなに痩せてますか?」
レイ:
バルバッティン:「痩せてます、ちょっと怖いくらい、痩せてますよ。」
バルバッティン:
レイ:「毎日おはぎ作ってるから、
レイ:なんか、自分も食べた気になってました。」
レイ:
バルバッティン:「危ないですよ。
バルバッティン:もし、こんなとこで
バルバッティン:誰もいないときに倒れたりしたら。
バルバッティン:どうするんですか。」
バルバッティン:
レイ:「そう…ですよね。
レイ:すいません、せっかくお墓参りに来てくださったのに、
レイ:ご迷惑おかけして。」
レイ:
バルバッティン:「そういうとこですよ、そういうとこ。
バルバッティン:周りに気を遣いすぎです。
バルバッティン:だれにも迷惑かけずに生きようなんて、
バルバッティン:考えてないでしょうね?」
バルバッティン:
レイ:「いけませんか?
レイ:自立しなきゃ、やってこれなかったんです。」
レイ:
バルバッティン:「……。」
バルバッティン:
レイ:「お兄ちゃんの妹であることがどんなに重荷だったか、
レイ:だれにもわからないですよ。」
レイ:
バルバッティン:「そっか…。そうだよね。
バルバッティン:彼と比べられたら、たまったもんじゃないわよね。」
バルバッティン:
レイ:「あなたも…そう思います?」
レイ:
バルバッティン:「ええ。
バルバッティン:お兄さんと文通してたって言ったでしょ?
バルバッティン:高校までは、日常を切り取って送り合う、
バルバッティン:なんでもない文通だったんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「文通なんかわたしだったら、
レイ:そんなに長く続けられないだろうな。
レイ:やっぱりお兄ちゃんはすご…」
レイ:
バルバッティン:「〈かぶせ気味に〉でもね。
バルバッティン:実は、大学入ったあたりから、
バルバッティン:わたしは年に一度、絵はがきを送る程度になって。
バルバッティン:文通なんて言いながら、
バルバッティン:お兄さんが一方的に書き記した詩(うた)を送ってくれてたんです。」
レイ:「え…。それって。なんか、迷惑じゃないですか?」
レイ:
バルバッティン:「最初は、ちょっと、びっくりしました。
バルバッティン:ああ、この人も、
バルバッティン:こんなふうに叫びたい思いがあるんだなって。
バルバッティン:大学は医学部。
バルバッティン:すんなり院に進んで心理学まで修めた彼だったけど、
バルバッティン:実際のところ、
バルバッティン:こころは千々に乱れていたのかもしれないわ。」
バルバッティン:
レイ:「兄のこと、正直、どう思ってたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「好き。でしたよ。
バルバッティン:でも、わたしにも、わたしの生活がありますから。」
バルバッティン:
レイ:「そうですよね。
レイ:お互い、当時付き合ってた方もいたはずだし。」
レイ:
バルバッティン:「本当のことを言うとね。
バルバッティン:もう、いちいち、反応していられなくて。
バルバッティン:…無視した、といってもいいかもしれません。」
バルバッティン:
レイ:「それでも、兄は、送るのをやめなかったんですか。」
レイ:
バルバッティン:「はい、二週間に一回は、
バルバッティン:なにかしらの作品を送ってきてました。」
バルバッティン:
レイ:「そんなに?
レイ:怖くなかったんですか?それ。」
レイ:
バルバッティン:「怖い?そう思ったことはないんですよね。
バルバッティン:ただ、大丈夫かなあって。」
バルバッティン:
レイ:「大丈夫かなあ?」
レイ:
バルバッティン:「だって、普通に生活してたら、
バルバッティン:そんなペースで作品を作り続けるなんて、
バルバッティン:できないものでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「そうですよね。
レイ:お兄ちゃん、病院や学会で忙しかったはずだし。」
レイ:
バルバッティン:「それでね。なんとなく、ネットで、検索したんですよ。
バルバッティン:彼の詩の文言(もんごん)を。」
バルバッティン:
レイ:「そしたら?」
レイ:
バルバッティン:「たくさんヒットしましたよ。
バルバッティン:だって、それは、1800年代の、
バルバッティン:ドイツの有名な詩人の訳だったんですもの。」
バルバッティン:
レイ:「え…お兄ちゃん、パクってたんですか?」
レイ:
バルバッティン:「そう言うと、聞こえは悪いですけど。
バルバッティン:彼は、彼なりに、言葉を紡ごうとして、
バルバッティン:あがいたのかもしれません。
バルバッティン:それで、その詩人のうたに出会って、
バルバッティン:それを模倣することで、
バルバッティン:自分と折り合いをつけていたのかも。」
バルバッティン:
レイ:「そんな…お兄ちゃん…。
レイ:人のお手本になるような人間って、言ってたのに…。」
レイ:
バルバッティン:「ね?あんな優秀な人でも、そういうとこ、あるのよ。
バルバッティン:人はね、みんな、誰かのまねをして生きているだけ。
バルバッティン:そんなのいやだって思ったって、仕方ないことなのよ。」
バルバッティン:
レイ:「そう…なんですかね。
レイ:お兄ちゃんも、だれかのまねをして、生きていたんでしょうか。」
レイ:
バルバッティン:「そりゃ、そうよ。
バルバッティン:あなただって、言ったじゃない。
バルバッティン:『ただ、周りの人間に溶け込んでるだけ』って。
バルバッティン:それって、みんなでみんな、まねっこしながら生きてるのよ?」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:彼女はそう言って、ふっと笑ってみせた。
レイM:
レイM:その笑顔があまりにきれいだったから、
レイM:わたしも思わず、笑い返していた。
レイM:
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ、わたしの家にくる?
バルバッティン:それとも、どこかで休んでいく?」
バルバッティン:
レイ:「え…。そんな、時間大丈夫なんですか?」
レイ:
バルバッティン:「だって、おなか減ったでしょう。
バルバッティン:お供え物を食べるわけにもいかないし。
バルバッティン:ちょっと待ってて。
バルバッティン:わたし、車から、手紙とってくるから。」
バルバッティン:
レイM:わたしが止める暇もなく、
レイM:女はおどろくほどあっさり坂を下りて行った。
レイM:
レイM:つないでた手が、あったかい。
レイM:
レイM:今のうちに、兄の墓を拝んでおこう。
レイM:新しく知った、兄の意外な一面。
レイM:
レイM:それを、どう言葉にすればいいのかわからずに、
レイM:わたしは、ただ、見守っていてください。
レイM:とだけ、お祈りした。
レイM:いつもの、懺悔の言葉はない。
レイM:
レイM:合わせた手を開いて、これでよかったのかな、
レイM:なんて、ちょっと名残惜しそうにしていると、
レイM:坂の下から、声が聞こえてきた。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ。ちょっと、手紙ばらまいちゃって。
バルバッティン:手伝ってくれないかしら?」
バルバッティン:
レイ:「はーい、今行きます!」
レイ:
レイM:坂を下ったところに、、一面の落ち葉の中、
レイM:手紙や原稿が、これでもかというほど、散らばっていた。
レイM:
レイM:よく見ると、その中に、
レイM:小さな小さなバルバッティンが埋もれている。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ごめんごめん。
バルバッティン:最後がこれじゃ、格好つかないよね。
バルバッティン:わたしはね、本当はバルバッティン。
バルバッティン:
バルバッティン:ねえ、早くなにか食べに行こう?
バルバッティン:おいしいもの、食べに行こうよ?」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:わたしは、散乱した手紙と、小さなバルバッティンを、
レイM:両腕の中にしっかりと抱きかかえると、
レイM:初春の日差しの中を、ゆっくりゆっくり歩き出した。
レイM:
レイM:午後のまぶしい輝きに、祝福されながら。
レイM:
レイM:
0:END