台本概要
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タイトル | バルバッティン5【破壊編】 |
---|---|
作者名 | 荒木アキラ (@masakasoreha) |
ジャンル | ファンタジー |
演者人数 | 2人用台本(女1、不問1) |
時間 | 20 分 |
台本使用規定 | 台本説明欄参照 |
説明 |
バルバッティンとレイの出会いを描くほっこりファンタジー。 バルバッティンとはなにか??その謎を解くために、演じてみませんか。 【靴下を買いに編】では、バルバッティンの性別は不問です。 お好きなように仕上げていただけるとうれしいです。 上演時には、任意ではありますが、作者TwitterDM(@masakasoreha)までご連絡いただけると、 喜んで拝聴しに行きます。 23 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
レイ | 女 | 121 | 夫の社宅に住む女性 |
バルバッティン | 不問 | 124 | レイの隣に越してきたという謎の人物 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
レイM:春がくるのが、憂鬱だった。
レイM:矢継ぎ早に行事をこなしていく1月2月3月が、
レイM:たまらなく億劫だった。
レイM:
レイM:4月になるのが、怖かった。
レイM:新しい年度、新しい季節、新しい人間関係。
レイM:そのすべてが我慢できないのだった。
レイM:変化していくもの。移ろいゆくもの。消えていくもの。
レイM:全部に、「置いてかないで」って言いたかった。
レイM:わたしを置いていかないで。
レイM:
レイM:明け方、目が覚めると白々と空が明るいのも、
レイM:近所の公園が花々で色づき始めるのも、
レイM:コンビニの棚からイベントの告知がなくなるのも、
レイM:なんだか悲しい気持ちになった。
レイM:
レイM:わたしは、こんな弱い女だっただろうか。
レイM:いつからだろう?
レイM:新しい服を買わなくなったのは。
レイM:今期の流行(はやり)を追わなくなったのは。
レイM:おばさんになったのは。
レイM:いつからだろう?
レイM:夫と肌を重ねなくなったのは。
レイM:盛りを過ぎたなんて、簡単に片付けないで。
レイM:勝手にわたしを通り過ぎていかないで。
0:
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バルバッティン:「こんにちは~いらっしゃいますか~?」
バルバッティン:
レイ:「は~い?今、行きます。」
レイ:
バルバッティン:「あのー、ちょっとだけ、お時間いいですか?」
バルバッティン:
レイ:「はい…。なんでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「わたし、隣に引っ越してきた者なんですけど。」
バルバッティン:
レイ:「え、そうなんですか!あ、すいません、気づかなくて。」
レイ:
バルバッティン:「いえいえ、突然お邪魔してはご迷惑かと思ったんですが
バルバッティン:これ、引っ越し蕎麦と、ちょっとした気持ちです。」
バルバッティン:
レイ:「ええ~いいんですか?なんか…悪いですね。」
レイ:
バルバッティン:「いえいえ、たいしたものじゃないんです。」
バルバッティン:
レイ:「あの。よかったら、お茶でもって
レイ:言いたいところなんですけど、
レイ:散らかってまして。」
レイ:
バルバッティン:「あ、そうなんですね。すいません、お忙しいときに。
バルバッティン:ご主人様は、ご在宅ですか?」
バルバッティン:
レイ:「主人は…ちょっと今留守をしてまして。
レイ:後日改めてご挨拶に。」
レイ:
バルバッティン:「そうですか。同じ会社の社宅仲間、
バルバッティン:がんばっていきましょうね。」
バルバッティン:
レイ:「はい。ぜひ今後とも、よろしくお願いします。」
レイ:
バルバッティン:「あの…引っ越して来てそうそう、
バルバッティン:こんなこと聞くのもどうかと思うんですが、
バルバッティン:303に住んでらっしゃる方って、
バルバッティン:どんな方なのかなあって。」
バルバッティン:
レイ:「ああ、…潮谷(しおたに)さんですか?いい方ですよ?」
レイ:
バルバッティン:「そうですか…?
バルバッティン:だったら、気のせいかなあ…。」
バルバッティン:
レイ:「なにか…あったんですか?」
レイ:
バルバッティン:「昨日ね、
バルバッティン:なんだか慌てて荷造りされてるみたいだったから。
バルバッティン:もしかして、入れ違いに引っ越しされるのかな~なんて。」
バルバッティン:
レイ:「そんな話は、なにも聞いてませんけどねえ。」
レイ:
バルバッティン:「まあ、大きな家具を
バルバッティン:ただ捨てただけかもしれませんからね。
バルバッティン:わたしもよくわかんないんです。」
バルバッティン:
レイ:「潮谷さん、お会いになられました?」
レイ:
バルバッティン:「いえ、それがまだなんです。
バルバッティン:今朝お伺いしたときは、
バルバッティン:中で物音がしたような気がしたんですが、
バルバッティン:出てこられなかったんで。」
バルバッティン:
レイ:「今朝、物音が?」
レイ:
バルバッティン:「ええ。今日は日曜日でしょう?
バルバッティン:もしかしたら、まだ眠ってらっしゃったのかも。」
バルバッティン:
レイ:「そうですか。わたしも、さっきまで寝てたんで、
レイ:人のこと言えませんが。」
レイ:
バルバッティン:「ふふふふ…どこも日曜日は一緒ですね。」
バルバッティン:
レイ:「あなた、これから、他も回られるんですか?」
レイ:
バルバッティン:「ええ。とりあえず同じ階を一通り回ってみようかと。」
バルバッティン:
レイ:「大変ですね。社宅は人間関係大事ですからね。」
レイ:
バルバッティン:「そうなんですよー。
バルバッティン:わたしはまだ独り身だからいいですけど、
バルバッティン:家族ぐるみのお付き合いになったら、
バルバッティン:いろいろあるでしょうね。」
バルバッティン:
レイ:「ええまあ。いろいろありますよ。」
レイ:
バルバッティン:「あれ?奥さん、ここ、なにかついていますよ?」
バルバッティン:
レイ:「え…?」
レイ:
バルバッティン:「ほら、エプロンに、赤いのが。どうしたんですか?」
バルバッティン:
レイ:「え…ああ、これですか、なんでもないんです。」
レイ:
バルバッティン:「それ…もしかして血ですか?」
バルバッティン:
レイ:「まさか。ほんと、気にしないでください。」
レイ:
バルバッティン:「それ、…血ですよね?けがされたんですか?」
バルバッティン:
レイ:「いや、ほんと、なんでもないんです。」
レイ:
バルバッティン:「ちょっと見せてください。」
バルバッティン:
レイ:「いや、これは、ほんと、不注意で。」
レイ:
バルバッティン:「あーあ、指が切れてますよ。どうしたんですか。」
バルバッティン:
レイ:「ほんとやめてください!」
レイ:
バルバッティン:「包み、開けてください。」
バルバッティン:
レイ:「え…?」
レイ:
バルバッティン:「さっきわたしがあげた、包みですよ。」
バルバッティン:
0:レイ、もらった紙袋を開けてみる。
0:
レイ:「お蕎麦と…これ、なんですか?」
レイ:
バルバッティン:「絆創膏です。」
バルバッティン:
レイ:「は?」
レイ:
バルバッティン:「一家にひとつ、あったら便利かな~って。
バルバッティン:あったら安心かな~って。」
バルバッティン:
レイ:「でも、なんでこんな、
レイ:…なにかあなた知ってるんですか?」
レイ:
バルバッティン:「なにも知りはしないですよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあ、この絆創膏、
レイ:ありがたく使わせてもらいます…。」
レイ:
バルバッティン:「その手じゃ、ひとりでは無理ですよ。
バルバッティン:傷口も洗わないと。
バルバッティン:ちょっと…〈靴を脱ぎながら〉お邪魔しますよ。」
バルバッティン:
レイ:「あ、ちょっと勝手に上がらないでください!」
レイ:
バルバッティン:「しーっ!まだお隣さん、寝てるかもしれませんよ。」
バルバッティン:
レイ:「(声をひそめて)そんな、あなた、なんなんです?」
レイ:
バルバッティン:「わたしですか?ただのバルバッティンですよ。」
バルバッティン:
レイ:「はあ?なに…その…え?何語ですか、それ。」
レイ:
バルバッティン:「何語ってことじゃないんです。
バルバッティン:わたしは、バルバッティン。
バルバッティン:やりたいようにしますよ。」
バルバッティン:
レイ:「いや、困るんですよ、勝手に上がってもらっちゃ。」
レイ:
0:部屋の中は壊れた家具や装飾品が散乱している。
0:
バルバッティン:「…へえ~。これはこれは。
バルバッティン:派手にやらかしましたね。」
バルバッティン:
レイ:「あの…これは…。もう!
レイ:人の家の事情なんて、どうだっていいでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「いいわけないじゃないですか。
バルバッティン:わたし、お節介なんで。」
バルバッティン:
レイ:「ほんと、余計なお世話なんですよ!」
レイ:
バルバッティン:「ほら、そこ、ガラスの破片だらけです。
バルバッティン:危ないですよ。」
バルバッティン:
レイ:「聞いてます?人の話、聞いてます?」
レイ:
バルバッティン:「まあまあ、そう興奮しないで。
バルバッティン:落ち着きましょう。」
バルバッティン:
レイ:「あなたのせいですよ!
レイ:あなたが勝手に入ってくるから!」
レイ:
バルバッティン:「大丈夫。わたし、だれにも言いませんから。」
バルバッティン:
レイ:「…ほんと、こんなつもりじゃなかったのに…!」
レイ:
バルバッティン:「わたしもそんなつもりじゃありませんよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあ、なんで見て見ぬふりしてくれないんですか!」
レイ:
バルバッティン:「だって、あなた、とても痛そうでしたから。」
バルバッティン:
レイ:「痛いって…こんな傷、たいしたことないでしょ。」
レイ:
バルバッティン:「いや、こころが。」
バルバッティン:
レイ:「はあ?」
レイ:
バルバッティン:「こころが、なんだか、
バルバッティン:痛そうだな~って、思ったんです。」
バルバッティン:
レイ:「そ…そんなの、あなたには関係ないでしょ。」
レイ:
バルバッティン:「関係あるんです。わたし。」
バルバッティン:
レイ:「どう関係あるっていうんですか!」
レイ:
バルバッティン:「(ぼそっと)夢見が悪いんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「え…?よく聞こえなかったんだけど。」
レイ:
バルバッティン:「いやね、こういうの、見逃しちゃうと、
バルバッティン:夢見が悪いんです。」
バルバッティン:
レイ:「いや…知りませんよ。あなたの夢の話とか。」
レイ:
バルバッティン:「あなたは知らないかもしれませんが、
バルバッティン:わたしにとっては大事なことなんです。」
バルバッティン:
レイ:「おかしな人。
レイ:…ってゆうか、もしかしてわたしのほうが
レイ:危ない人って思われてます?」
レイ:
バルバッティン:「なにがあったか、当てましょうか?」
バルバッティン:
レイ:「あなた、霊能力者かなんかですか?」
レイ:
バルバッティン:「みたいに聞こえるでしょう?
バルバッティン:今みたいに言うと、
バルバッティン:だいたいそういう反応返ってくるんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「…おもしろがってます?」
レイ:
バルバッティン:「あなたは、きっときちんとした人だって、思ったんです。
バルバッティン:あるいは、きちんとしたい人なんだって。」
バルバッティン:
レイ:「…どうして?」
レイ:
バルバッティン:「だって、日曜の午前中に、
バルバッティン:突然訪ねてきても、ドアを開けてくれる。
バルバッティン:そういう、周りからの目を
バルバッティン:大事にしてる人なんだろうな~って。」
バルバッティン:
レイ:「そりゃ、社宅ですよ?
レイ:変な噂立てられたら、たまりませんから。」
レイ:
バルバッティン:「だから、家の中を破壊して、
バルバッティン:うっぷん晴らしてたんですか?」
バルバッティン:
レイ:「そう…言葉に出されると、
レイ:すごくわたし、馬鹿みたいじゃない!」
レイ:
バルバッティン:「そんなことないです。
バルバッティン:うっぷんは、どっかで晴らすべきです。」
バルバッティン:
レイ:「…ああもう!…そうですよ!
レイ:わたしはモノに八つ当たりして、
レイ:すっきりしたかったんです!」
レイ:
バルバッティン:「こんなになるまで、壊しちゃって、
バルバッティン:旦那さんに怒られないんですか?」
バルバッティン:
レイ:「あの人が…怒る?怒ってくれるほど、優しくないわよ…。」
レイ:
バルバッティン:「ほう…。それは悲しいですね。」
バルバッティン:
レイ:「だってあの人には優しい『彼女』がいるみたいですから?」
レイ:
バルバッティン:「彼女…?」
バルバッティン:
レイ:「そうよ、わたしより若くて、わたしより美人で、
レイ:わたしより気の利いた彼女は
レイ:三軒隣に住んでますよ!!」
レイ:
バルバッティン:「…それって、まさか?」
バルバッティン:
レイ:「不倫ですよ…!不倫!社内不倫。ダブル不倫!」
レイ:
バルバッティン:「そうだったんですか。三軒隣って、潮谷さん?」
バルバッティン:
レイ:「そうですよ。よりにもよって、
レイ:上司の奥さんと出来てるなんて、思わないじゃない?
レイ:あんまりじゃない!?」
レイ:
バルバッティン:「それで、この有様ですか…。
バルバッティン:なんだか、ドラマみたい。」
バルバッティン:
レイ:「人ごとだと思って。
レイ:あなた、やっぱりおもしろがってる。」
レイ:
バルバッティン:「面白くはないですよ。
バルバッティン:とても可哀想だなって思っちゃいます。」
バルバッティン:
レイ:「…可哀想か。
レイ:そんなふうに思われたくないから、
レイ:今まで我慢してきたのに。」
レイ:
バルバッティン:「可哀想なのは、潮谷さんもなのです。」
バルバッティン:
レイ:「…はあああ!?」
レイ:
バルバッティン:「まあ、落ち着いてください。
バルバッティン:潮谷さんだって、たぶん、一緒ですよ。」
バルバッティン:
レイ:「わたしとあの女を一緒にしないでもらえます!?」
レイ:
バルバッティン:「一緒っていうのは、
バルバッティン:同じ気持ちってわけじゃないんです。
バルバッティン:たぶん、同じことになってるんだろうなって。」
バルバッティン:
レイ:「どういうことよ?」
レイ:
バルバッティン:「修羅場だったんじゃないですか?」
バルバッティン:
レイ:「なにか、知ってるの?」
レイ:
バルバッティン:「うーん。
バルバッティン:わたしが見たのは、奥さんが旦那さんに、
バルバッティン:家から追い出されるところかな。」
バルバッティン:
レイ:「え…なにそれ。」
レイ:
バルバッティン:「きっと、潮谷さんちも、
バルバッティン:修羅場だったんじゃないですか。」
バルバッティン:
レイ:「っふ、あはははは!ざまあみろだわ!
レイ:あの女、追い出されたんだ?」
レイ:
バルバッティン:「あなたも旦那さん、追い出したんですか?」
バルバッティン:
レイ:「追い出さなくても、あの人、黙って出て行ったわよ。」
レイ:
バルバッティン:「これから、どうするんですか?」
バルバッティン:
レイ:「さあね。
レイ:…ここをどうやって片付けようって、思ってたところ。」
レイ:
バルバッティン:「片付ける?そんなことしてなんになるんです?」
バルバッティン:
レイ:「だって…割れるものはたいがい割ってしまったし、
レイ:ソファは切り裂いちゃったし、
レイ:椅子は壊してしまったし。どうしよう?」
レイ:
バルバッティン:「あれ…?なんでこの鏡は割ってないんですか?」
バルバッティン:
レイ:「鏡か…気づかなかったわ。」
レイ:
バルバッティン:「どうせなら、やっちゃいません?」
バルバッティン:
レイ:「はあ?」
レイ:
バルバッティン:「こんな機会めったにないですよ?
バルバッティン:こんな滅茶苦茶になった部屋、
バルバッティン:わたし見たことないんで、
バルバッティン:ちょっとわくわくしちゃいます。」
バルバッティン:
レイ:「わくわく?なに言ってんの?わたしの家ですよ?」
レイ:
バルバッティン:「あなたの家だけど、あなたがいなくてもいいんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「もうわからなくなってきた…。
レイ:あなた、なにが言いたいんです?」
レイ:
バルバッティン:「あのね、そんな旦那さん、
バルバッティン:待ってないで、出て行くんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「なんでわたしが出て行かなきゃいけないのよ!」
レイ:
バルバッティン:「だって、ここ社宅でしょう?旦那さんの会社の。」
バルバッティン:
レイ:「そりゃ、…まあ、そうですけど?」
レイ:
バルバッティン:「こんな狭い世界に集中してるから、
バルバッティン:いけないんですよ。
バルバッティン:あなたが、いつもかいがいしく待ってるから、
バルバッティン:旦那さん、調子に乗っちゃうんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「…そう、なのかな。」
レイ:
バルバッティン:「そういうものです。
バルバッティン:絶対に、旦那さんは、一度戻ってきます。
バルバッティン:戻ってきたとき、びっくりするような家にしちゃいましょうよ。」
バルバッティン:
レイ:「…これ以上、どうしたらいいの?」
レイ:
バルバッティン:「…そう、ですねえ。
バルバッティン:まず、そこの鏡、割ってみませんか。」
バルバッティン:
レイ:「割れるもの…まだ、あったんだ。」
レイ:
バルバッティン:「ありますよ。ほら、玄関にも、鏡ありましたよね。」
バルバッティン:
レイ:「鏡、か。」
レイ:
バルバッティン:「鏡という鏡、
バルバッティン:とりあえず全部割ってしまいませんか?」
バルバッティン:
レイ:「っふ、ふふふふふ!あなた、やっぱりおかしい!」
レイ:
バルバッティン:「おかしいですか?
バルバッティン:なんだか、鏡って、すごく女性的だなあって思って。」
バルバッティン:
レイ:「女性的…かあ。そうかもしれない。」
レイ:
バルバッティン:「この家に入ったとき、思ったんです。
バルバッティン:すごく、女性が作り上げた世界だなって。」
バルバッティン:
レイ:「だって、昼間はあの人仕事でいないし、
レイ:夜は帰ってきてただ寝るだけ。
レイ:結局、わたしが暮らしやすいように作っちゃったのよ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですね。生活を作るって意味では、
バルバッティン:主婦ってすごく想像力ありますよね。」
バルバッティン:
レイ:「そんな変な目線で褒められても…。」
レイ:
バルバッティン:「ねえ、鏡を割ると、どうなるか、知ってます?」
バルバッティン:
レイ:「不吉なことが起きる…でしたっけ。」
レイ:
バルバッティン:「そういう意味もありますが、わたしが好きな解釈は、
バルバッティン:自分の身代わりになってくれるってほうです。」
バルバッティン:
レイ:「ああ、そういう意味もありますね。」
レイ:
バルバッティン:「さあ。どうせここまで滅茶苦茶になったんです。
バルバッティン:その全部を背負ってもらいましょうよ、鏡に。」
バルバッティン:
レイ:「ふふふ…それも、いいかもね。」
レイ:
バルバッティン:「その意気ですよ!やっちゃいましょう!」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:わたしは、玄関で夫のゴルフクラブを手に取ると、
レイM:家の中を見渡した。
レイM:鏡がたくさんある家に暮らしていたんだな。
レイM:
レイM:玄関には細やかなビーズの縁取りのある壁掛け用鏡。
レイM:雑然とした机の上の
レイM:飾り気のない卓上ミラーが3つ4つ。
レイM:洗面台の曇りひとつない大きな鏡。
レイM:そしてお風呂場の壁一面にも防湿ミラー。
レイM:寝室には白粉(おしろい)の香りのする三面鏡。
レイM:洋服箪笥に作り付けられた姿見用。
レイM:もう一つ、木彫りの外枠が魅力的な
レイM:スタンドタイプの姿見用。
レイM:そして二十歳のお祝いにもらった金の手鏡セット。
レイM:
レイM:わたしは、玄関の壁に向かって笑いかけ、
レイM:机に頬杖をついてしかめ面、
レイM:洗面台の前で泣き、
レイM:姿見にはポーズを決めて、
レイM:三面鏡で寝癖を直し、
レイM:金の鏡でルージュを直した。
レイM:
レイM:それが、当たり前の日々だと思ってた。
レイM:今日、それをひとつひとつ割って歩くまでは。
レイM:
レイM:ゴルフクラブで割れない鏡には、
レイM:台所のアイスピックを持ち出した。
レイM:
レイM:滅茶苦茶に暴れているわたしが、
レイM:鏡に映っては笑い出す。
レイM:笑ったと思ったら、そこにヒビが入って崩れ落ちてゆく。
レイM:そしてそのすべてが、
レイM:スローモーションで過ぎ去っていく。
レイM:
レイM:部屋の隅に、知らない他人が
レイM:ニヤニヤしながらこっちを見ていることだけ、
レイM:頭の隅っこに置いておいたはずなのに、
レイM:わたしは、我を忘れるって、こういうことかって、
レイM:なんだか爽快感すら覚えるのだった。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ、気が済んだ?」
バルバッティン:
レイ:「はあ…はあ…、気が…、すん、…だ!!」
レイ:
バルバッティン:「すごいねえ!鏡が割れる瞬間って、
バルバッティン:とってもドラマチック!」
バルバッティン:
レイ:「ふふ…ふふふふふ!あーすっきりした!」
レイ:
バルバッティン:「これでもう、だれもあなたを見ていない。
バルバッティン:あなた以外は。」
バルバッティン:
レイ:「ん?あなたがいるでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「わたしはバルバッティン。数に入らないのですよ。」
バルバッティン:
レイ:「…バル…バルバッティン?
レイ:…そうね、あなたはバルバッティンなのかもしれないわ。
レイ:こんなに誰かの前で暴れたのなんか、初めて!」
レイ:
バルバッティン:「それは、光栄に思います。」
バルバッティン:
レイ:「ねえ、この後は?どうする?
レイ:火でもつけてやりましょうか。」
レイ:
バルバッティン:「迷惑をかけるのは、やめときましょう。」
バルバッティン:
レイ:「だって、わたし、今ならなんでも出来る気がするのよ。」
レイ:
バルバッティン:「じゃあ、まず、自分を見てください。」
バルバッティン:
レイ:「自分を…?」
レイ:
バルバッティン:「そう、自分を、自分で見てみてください。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、…そうね、けがしてたんだったわ。」
レイ:
バルバッティン:「あと、ひどい顔してますよ。」
バルバッティン:
レイ:「うそ…どんな顔?」
レイ:
バルバッティン:「(変な顔をしながら)こんな顔。」
バルバッティン:
レイ:「そんな顔してませんよ!」
レイ:
バルバッティン:「ねえ、鏡のなくなった部屋で、
バルバッティン:自分を確かめるには、
バルバッティン:どうすればいいのでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「あなたが言ったんでしょう?
レイ:鏡割っちゃいましょうって。」
レイ:
バルバッティン:「困りますよね。鏡がないと。」
バルバッティン:
レイ:「今更なに言い出すんですか。。
レイ:わたしは、やってよかったって思いますけど?」
レイ:
バルバッティン:「わたしもやってよかったとは、思ってますよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあなんで鏡がないと困るんですか。」
レイ:
バルバッティン:「だって、あなたをここから
バルバッティン:連れ出さなきゃいけないでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「…?連れ出す?なぜ?」
レイ:
バルバッティン:「だって、こんなところにあなたを一人
バルバッティン:残して行けませんから。」
バルバッティン:
レイ:「あなたって、ときどきびっくりすること言いますよね。」
レイ:
バルバッティン:「あなたのほうこそ。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、あなたがここに来るまで、なにをしていたのか、
レイ:今は思い出せないくらいよ。」
レイ:
バルバッティン:「そう、そういうとこです。
バルバッティン:あなただって、そうやってわたしを
バルバッティン:びっくりさせてるじゃないですか。」
バルバッティン:
レイ:「っふ、ふふふふふふ!おかしな人ね、やっぱり。」
レイ:
バルバッティン:「だから、わたしはバルバッティンなんですって。」
バルバッティン:
レイ:「そうかそうか、バルバッティンのあなた、好きよ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですか。よかった。
バルバッティン:あなたに嫌われたらどうしようかって。」
バルバッティン:
レイ:「…え?」
レイ:
バルバッティン:「ほら、…わたしなんだけどなあ。
バルバッティン:…忘れちゃったのかなあ。」
バルバッティン:
レイ:「ちょっと、本気でなに言ってるんですか?」
レイ:
バルバッティン:「まあ、いいじゃないですか。そういう夢を見たんです。」
バルバッティン:
レイ:「そういえば、夢見がどうとか、言ってましたね。」
レイ:
バルバッティン:「夢見が悪いと、困るんです。わたし。」
バルバッティン:
レイ:「不思議な人ね。
レイ:あなたといると、なんだか、落ち着いてくる。」
レイ:
バルバッティン:「でしょう?おもしろいでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「変な人。」
レイ:
バルバッティン:「で、これからどうします?」
バルバッティン:
レイ:「そうね、わたしは家出の準備でもしようかな。」
レイ:
バルバッティン:「そうですね。それがいいです。」
バルバッティン:
レイ:「あなたは、帰っちゃうんですか?」
レイ:
バルバッティン:「あなたが、ここを出るまで、見守っていますよ。」
バルバッティン:
レイM:そう言うと、バルバッティンと名乗る不思議な人物は、
レイM:部屋の中を散策し始めた。
レイM:割れた鏡を興味深そうに手に取って眺めている。
レイM:
レイM:わたしは、一番大きなスーツケースを持ちだして、
レイM:荷造りをした。
レイM:
レイM:そういえば、切れた指からの出血は、
レイM:いつの間にか、止まっていた。
レイM:
レイM:わたし、ここを出るなんて、
レイM:思ってもみなかった。
レイM:出ることができるなんて、自分を信じられなかった。
レイM:
レイM:だって、変化するのは大嫌いだったんだもの。
レイM:
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ、割れた鏡って、きれいですね。」
バルバッティン:
レイ:「え…?」
レイ:
バルバッティン:「あなた、部屋の模様替えとか大嫌いでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「ええまあ、そうですけど。」
レイ:
バルバッティン:「この鏡、割れてきっとせいせいしてますよ。」
バルバッティン:
レイ:「どうしてそんなこと思うの?」
レイ:
バルバッティン:「だって、作り付けの鏡や、据え置き型の鏡って、
バルバッティン:なんだか、いつも同じものばかり見せられて、
バルバッティン:うんざりしてると思いません?」
バルバッティン:
レイ:「うんざり…か。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ。あなたがどんなに悲しくても、
バルバッティン:玄関の鏡には、
バルバッティン:ちょっとすました顔しか見せなかったでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「まあ、出かける前ですから。そうでしょうね。」
レイ:
バルバッティン:「逆に、洗面台の鏡は、
バルバッティン:あなたの泣き顔ばかり映してきたんだろうなって。」
バルバッティン:
レイ:「なんでそんなこと、わかるの?」
レイ:
バルバッティン:「ちょっとね、今、鏡とおしゃべりしてたんです。」
バルバッティン:
レイ:「おっと、また不思議発言?」
レイ:
バルバッティン:「あなたも、潮谷さんも、
バルバッティン:ひとつの鏡だったんじゃないかな。」
バルバッティン:
レイ:「…ひとつの鏡?」
レイ:
バルバッティン:「旦那さんは、きっと、
バルバッティン:あなたに見せる顔は潮谷さんに見せなかっただろうし、
バルバッティン:潮谷さんだって、旦那さんの一面しか、
バルバッティン:見せてもらえなかったんじゃないかな。」
バルバッティン:
レイ:「そうだとしたら、夫婦って、なんなんでしょうね。」
レイ:
バルバッティン:「人の孤独に入り込むって、難しいですね。」
バルバッティン:
レイ:「…あなた、本当に、何者なの?」
レイ:
バルバッティン:「あなたが望む者、それがわたしです。」
バルバッティン:
レイ:「…じゃあ、あなたが本当にバルバッティンだったらいいな。」
レイ:
バルバッティン:「信じてないんですか?」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:たしは、曖昧に笑うと、荷物を持って玄関のドアを開いた。
レイM:
レイM:眩しい春の光に満たさせている外の世界は、限りなく変化していく。
レイM:
レイM:そして、わたしも今日、新しい自分探しの旅にでるのだ。
レイM:
レイM:季節は、わたしの早さに追いつけるかしら。
レイM:
レイM:
レイ:「ねえ、あなた、あなたとは、ここでお別れね。」
レイ:
バルバッティン:「どうして?」
バルバッティン:
レイ:「だって、あなた、ここで暮らすんでしょう?」
レイ:
レイM:ふと、開いたドアから、玄関の暗がりを振り返ると、
レイM:そこには、小さな小さなバルバッティンが、
レイM:絆創膏を持って立っていた。
レイM:
バルバッティン:「ね、あなたが信じてくれたから、
バルバッティン:わたしはもうバルバッティン。
バルバッティン:連れてってくれるよね?
バルバッティン:どこまでも一緒に。」
バルバッティン:
レイM:わたしは、バルバッティンをハンドバックに忍ばせると、
レイM:花々の咲き乱れる花壇の前を、意気揚々と通り過ぎていく。
レイM:わたしは、もう一度、自分の姿を探しに、旅に出るのだ。
レイM:バルバッティンを、道連れにして。
0:
0:
0:
0:END
レイM:春がくるのが、憂鬱だった。
レイM:矢継ぎ早に行事をこなしていく1月2月3月が、
レイM:たまらなく億劫だった。
レイM:
レイM:4月になるのが、怖かった。
レイM:新しい年度、新しい季節、新しい人間関係。
レイM:そのすべてが我慢できないのだった。
レイM:変化していくもの。移ろいゆくもの。消えていくもの。
レイM:全部に、「置いてかないで」って言いたかった。
レイM:わたしを置いていかないで。
レイM:
レイM:明け方、目が覚めると白々と空が明るいのも、
レイM:近所の公園が花々で色づき始めるのも、
レイM:コンビニの棚からイベントの告知がなくなるのも、
レイM:なんだか悲しい気持ちになった。
レイM:
レイM:わたしは、こんな弱い女だっただろうか。
レイM:いつからだろう?
レイM:新しい服を買わなくなったのは。
レイM:今期の流行(はやり)を追わなくなったのは。
レイM:おばさんになったのは。
レイM:いつからだろう?
レイM:夫と肌を重ねなくなったのは。
レイM:盛りを過ぎたなんて、簡単に片付けないで。
レイM:勝手にわたしを通り過ぎていかないで。
0:
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0:
バルバッティン:「こんにちは~いらっしゃいますか~?」
バルバッティン:
レイ:「は~い?今、行きます。」
レイ:
バルバッティン:「あのー、ちょっとだけ、お時間いいですか?」
バルバッティン:
レイ:「はい…。なんでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「わたし、隣に引っ越してきた者なんですけど。」
バルバッティン:
レイ:「え、そうなんですか!あ、すいません、気づかなくて。」
レイ:
バルバッティン:「いえいえ、突然お邪魔してはご迷惑かと思ったんですが
バルバッティン:これ、引っ越し蕎麦と、ちょっとした気持ちです。」
バルバッティン:
レイ:「ええ~いいんですか?なんか…悪いですね。」
レイ:
バルバッティン:「いえいえ、たいしたものじゃないんです。」
バルバッティン:
レイ:「あの。よかったら、お茶でもって
レイ:言いたいところなんですけど、
レイ:散らかってまして。」
レイ:
バルバッティン:「あ、そうなんですね。すいません、お忙しいときに。
バルバッティン:ご主人様は、ご在宅ですか?」
バルバッティン:
レイ:「主人は…ちょっと今留守をしてまして。
レイ:後日改めてご挨拶に。」
レイ:
バルバッティン:「そうですか。同じ会社の社宅仲間、
バルバッティン:がんばっていきましょうね。」
バルバッティン:
レイ:「はい。ぜひ今後とも、よろしくお願いします。」
レイ:
バルバッティン:「あの…引っ越して来てそうそう、
バルバッティン:こんなこと聞くのもどうかと思うんですが、
バルバッティン:303に住んでらっしゃる方って、
バルバッティン:どんな方なのかなあって。」
バルバッティン:
レイ:「ああ、…潮谷(しおたに)さんですか?いい方ですよ?」
レイ:
バルバッティン:「そうですか…?
バルバッティン:だったら、気のせいかなあ…。」
バルバッティン:
レイ:「なにか…あったんですか?」
レイ:
バルバッティン:「昨日ね、
バルバッティン:なんだか慌てて荷造りされてるみたいだったから。
バルバッティン:もしかして、入れ違いに引っ越しされるのかな~なんて。」
バルバッティン:
レイ:「そんな話は、なにも聞いてませんけどねえ。」
レイ:
バルバッティン:「まあ、大きな家具を
バルバッティン:ただ捨てただけかもしれませんからね。
バルバッティン:わたしもよくわかんないんです。」
バルバッティン:
レイ:「潮谷さん、お会いになられました?」
レイ:
バルバッティン:「いえ、それがまだなんです。
バルバッティン:今朝お伺いしたときは、
バルバッティン:中で物音がしたような気がしたんですが、
バルバッティン:出てこられなかったんで。」
バルバッティン:
レイ:「今朝、物音が?」
レイ:
バルバッティン:「ええ。今日は日曜日でしょう?
バルバッティン:もしかしたら、まだ眠ってらっしゃったのかも。」
バルバッティン:
レイ:「そうですか。わたしも、さっきまで寝てたんで、
レイ:人のこと言えませんが。」
レイ:
バルバッティン:「ふふふふ…どこも日曜日は一緒ですね。」
バルバッティン:
レイ:「あなた、これから、他も回られるんですか?」
レイ:
バルバッティン:「ええ。とりあえず同じ階を一通り回ってみようかと。」
バルバッティン:
レイ:「大変ですね。社宅は人間関係大事ですからね。」
レイ:
バルバッティン:「そうなんですよー。
バルバッティン:わたしはまだ独り身だからいいですけど、
バルバッティン:家族ぐるみのお付き合いになったら、
バルバッティン:いろいろあるでしょうね。」
バルバッティン:
レイ:「ええまあ。いろいろありますよ。」
レイ:
バルバッティン:「あれ?奥さん、ここ、なにかついていますよ?」
バルバッティン:
レイ:「え…?」
レイ:
バルバッティン:「ほら、エプロンに、赤いのが。どうしたんですか?」
バルバッティン:
レイ:「え…ああ、これですか、なんでもないんです。」
レイ:
バルバッティン:「それ…もしかして血ですか?」
バルバッティン:
レイ:「まさか。ほんと、気にしないでください。」
レイ:
バルバッティン:「それ、…血ですよね?けがされたんですか?」
バルバッティン:
レイ:「いや、ほんと、なんでもないんです。」
レイ:
バルバッティン:「ちょっと見せてください。」
バルバッティン:
レイ:「いや、これは、ほんと、不注意で。」
レイ:
バルバッティン:「あーあ、指が切れてますよ。どうしたんですか。」
バルバッティン:
レイ:「ほんとやめてください!」
レイ:
バルバッティン:「包み、開けてください。」
バルバッティン:
レイ:「え…?」
レイ:
バルバッティン:「さっきわたしがあげた、包みですよ。」
バルバッティン:
0:レイ、もらった紙袋を開けてみる。
0:
レイ:「お蕎麦と…これ、なんですか?」
レイ:
バルバッティン:「絆創膏です。」
バルバッティン:
レイ:「は?」
レイ:
バルバッティン:「一家にひとつ、あったら便利かな~って。
バルバッティン:あったら安心かな~って。」
バルバッティン:
レイ:「でも、なんでこんな、
レイ:…なにかあなた知ってるんですか?」
レイ:
バルバッティン:「なにも知りはしないですよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあ、この絆創膏、
レイ:ありがたく使わせてもらいます…。」
レイ:
バルバッティン:「その手じゃ、ひとりでは無理ですよ。
バルバッティン:傷口も洗わないと。
バルバッティン:ちょっと…〈靴を脱ぎながら〉お邪魔しますよ。」
バルバッティン:
レイ:「あ、ちょっと勝手に上がらないでください!」
レイ:
バルバッティン:「しーっ!まだお隣さん、寝てるかもしれませんよ。」
バルバッティン:
レイ:「(声をひそめて)そんな、あなた、なんなんです?」
レイ:
バルバッティン:「わたしですか?ただのバルバッティンですよ。」
バルバッティン:
レイ:「はあ?なに…その…え?何語ですか、それ。」
レイ:
バルバッティン:「何語ってことじゃないんです。
バルバッティン:わたしは、バルバッティン。
バルバッティン:やりたいようにしますよ。」
バルバッティン:
レイ:「いや、困るんですよ、勝手に上がってもらっちゃ。」
レイ:
0:部屋の中は壊れた家具や装飾品が散乱している。
0:
バルバッティン:「…へえ~。これはこれは。
バルバッティン:派手にやらかしましたね。」
バルバッティン:
レイ:「あの…これは…。もう!
レイ:人の家の事情なんて、どうだっていいでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「いいわけないじゃないですか。
バルバッティン:わたし、お節介なんで。」
バルバッティン:
レイ:「ほんと、余計なお世話なんですよ!」
レイ:
バルバッティン:「ほら、そこ、ガラスの破片だらけです。
バルバッティン:危ないですよ。」
バルバッティン:
レイ:「聞いてます?人の話、聞いてます?」
レイ:
バルバッティン:「まあまあ、そう興奮しないで。
バルバッティン:落ち着きましょう。」
バルバッティン:
レイ:「あなたのせいですよ!
レイ:あなたが勝手に入ってくるから!」
レイ:
バルバッティン:「大丈夫。わたし、だれにも言いませんから。」
バルバッティン:
レイ:「…ほんと、こんなつもりじゃなかったのに…!」
レイ:
バルバッティン:「わたしもそんなつもりじゃありませんよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあ、なんで見て見ぬふりしてくれないんですか!」
レイ:
バルバッティン:「だって、あなた、とても痛そうでしたから。」
バルバッティン:
レイ:「痛いって…こんな傷、たいしたことないでしょ。」
レイ:
バルバッティン:「いや、こころが。」
バルバッティン:
レイ:「はあ?」
レイ:
バルバッティン:「こころが、なんだか、
バルバッティン:痛そうだな~って、思ったんです。」
バルバッティン:
レイ:「そ…そんなの、あなたには関係ないでしょ。」
レイ:
バルバッティン:「関係あるんです。わたし。」
バルバッティン:
レイ:「どう関係あるっていうんですか!」
レイ:
バルバッティン:「(ぼそっと)夢見が悪いんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「え…?よく聞こえなかったんだけど。」
レイ:
バルバッティン:「いやね、こういうの、見逃しちゃうと、
バルバッティン:夢見が悪いんです。」
バルバッティン:
レイ:「いや…知りませんよ。あなたの夢の話とか。」
レイ:
バルバッティン:「あなたは知らないかもしれませんが、
バルバッティン:わたしにとっては大事なことなんです。」
バルバッティン:
レイ:「おかしな人。
レイ:…ってゆうか、もしかしてわたしのほうが
レイ:危ない人って思われてます?」
レイ:
バルバッティン:「なにがあったか、当てましょうか?」
バルバッティン:
レイ:「あなた、霊能力者かなんかですか?」
レイ:
バルバッティン:「みたいに聞こえるでしょう?
バルバッティン:今みたいに言うと、
バルバッティン:だいたいそういう反応返ってくるんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「…おもしろがってます?」
レイ:
バルバッティン:「あなたは、きっときちんとした人だって、思ったんです。
バルバッティン:あるいは、きちんとしたい人なんだって。」
バルバッティン:
レイ:「…どうして?」
レイ:
バルバッティン:「だって、日曜の午前中に、
バルバッティン:突然訪ねてきても、ドアを開けてくれる。
バルバッティン:そういう、周りからの目を
バルバッティン:大事にしてる人なんだろうな~って。」
バルバッティン:
レイ:「そりゃ、社宅ですよ?
レイ:変な噂立てられたら、たまりませんから。」
レイ:
バルバッティン:「だから、家の中を破壊して、
バルバッティン:うっぷん晴らしてたんですか?」
バルバッティン:
レイ:「そう…言葉に出されると、
レイ:すごくわたし、馬鹿みたいじゃない!」
レイ:
バルバッティン:「そんなことないです。
バルバッティン:うっぷんは、どっかで晴らすべきです。」
バルバッティン:
レイ:「…ああもう!…そうですよ!
レイ:わたしはモノに八つ当たりして、
レイ:すっきりしたかったんです!」
レイ:
バルバッティン:「こんなになるまで、壊しちゃって、
バルバッティン:旦那さんに怒られないんですか?」
バルバッティン:
レイ:「あの人が…怒る?怒ってくれるほど、優しくないわよ…。」
レイ:
バルバッティン:「ほう…。それは悲しいですね。」
バルバッティン:
レイ:「だってあの人には優しい『彼女』がいるみたいですから?」
レイ:
バルバッティン:「彼女…?」
バルバッティン:
レイ:「そうよ、わたしより若くて、わたしより美人で、
レイ:わたしより気の利いた彼女は
レイ:三軒隣に住んでますよ!!」
レイ:
バルバッティン:「…それって、まさか?」
バルバッティン:
レイ:「不倫ですよ…!不倫!社内不倫。ダブル不倫!」
レイ:
バルバッティン:「そうだったんですか。三軒隣って、潮谷さん?」
バルバッティン:
レイ:「そうですよ。よりにもよって、
レイ:上司の奥さんと出来てるなんて、思わないじゃない?
レイ:あんまりじゃない!?」
レイ:
バルバッティン:「それで、この有様ですか…。
バルバッティン:なんだか、ドラマみたい。」
バルバッティン:
レイ:「人ごとだと思って。
レイ:あなた、やっぱりおもしろがってる。」
レイ:
バルバッティン:「面白くはないですよ。
バルバッティン:とても可哀想だなって思っちゃいます。」
バルバッティン:
レイ:「…可哀想か。
レイ:そんなふうに思われたくないから、
レイ:今まで我慢してきたのに。」
レイ:
バルバッティン:「可哀想なのは、潮谷さんもなのです。」
バルバッティン:
レイ:「…はあああ!?」
レイ:
バルバッティン:「まあ、落ち着いてください。
バルバッティン:潮谷さんだって、たぶん、一緒ですよ。」
バルバッティン:
レイ:「わたしとあの女を一緒にしないでもらえます!?」
レイ:
バルバッティン:「一緒っていうのは、
バルバッティン:同じ気持ちってわけじゃないんです。
バルバッティン:たぶん、同じことになってるんだろうなって。」
バルバッティン:
レイ:「どういうことよ?」
レイ:
バルバッティン:「修羅場だったんじゃないですか?」
バルバッティン:
レイ:「なにか、知ってるの?」
レイ:
バルバッティン:「うーん。
バルバッティン:わたしが見たのは、奥さんが旦那さんに、
バルバッティン:家から追い出されるところかな。」
バルバッティン:
レイ:「え…なにそれ。」
レイ:
バルバッティン:「きっと、潮谷さんちも、
バルバッティン:修羅場だったんじゃないですか。」
バルバッティン:
レイ:「っふ、あはははは!ざまあみろだわ!
レイ:あの女、追い出されたんだ?」
レイ:
バルバッティン:「あなたも旦那さん、追い出したんですか?」
バルバッティン:
レイ:「追い出さなくても、あの人、黙って出て行ったわよ。」
レイ:
バルバッティン:「これから、どうするんですか?」
バルバッティン:
レイ:「さあね。
レイ:…ここをどうやって片付けようって、思ってたところ。」
レイ:
バルバッティン:「片付ける?そんなことしてなんになるんです?」
バルバッティン:
レイ:「だって…割れるものはたいがい割ってしまったし、
レイ:ソファは切り裂いちゃったし、
レイ:椅子は壊してしまったし。どうしよう?」
レイ:
バルバッティン:「あれ…?なんでこの鏡は割ってないんですか?」
バルバッティン:
レイ:「鏡か…気づかなかったわ。」
レイ:
バルバッティン:「どうせなら、やっちゃいません?」
バルバッティン:
レイ:「はあ?」
レイ:
バルバッティン:「こんな機会めったにないですよ?
バルバッティン:こんな滅茶苦茶になった部屋、
バルバッティン:わたし見たことないんで、
バルバッティン:ちょっとわくわくしちゃいます。」
バルバッティン:
レイ:「わくわく?なに言ってんの?わたしの家ですよ?」
レイ:
バルバッティン:「あなたの家だけど、あなたがいなくてもいいんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「もうわからなくなってきた…。
レイ:あなた、なにが言いたいんです?」
レイ:
バルバッティン:「あのね、そんな旦那さん、
バルバッティン:待ってないで、出て行くんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「なんでわたしが出て行かなきゃいけないのよ!」
レイ:
バルバッティン:「だって、ここ社宅でしょう?旦那さんの会社の。」
バルバッティン:
レイ:「そりゃ、…まあ、そうですけど?」
レイ:
バルバッティン:「こんな狭い世界に集中してるから、
バルバッティン:いけないんですよ。
バルバッティン:あなたが、いつもかいがいしく待ってるから、
バルバッティン:旦那さん、調子に乗っちゃうんですよ。」
バルバッティン:
レイ:「…そう、なのかな。」
レイ:
バルバッティン:「そういうものです。
バルバッティン:絶対に、旦那さんは、一度戻ってきます。
バルバッティン:戻ってきたとき、びっくりするような家にしちゃいましょうよ。」
バルバッティン:
レイ:「…これ以上、どうしたらいいの?」
レイ:
バルバッティン:「…そう、ですねえ。
バルバッティン:まず、そこの鏡、割ってみませんか。」
バルバッティン:
レイ:「割れるもの…まだ、あったんだ。」
レイ:
バルバッティン:「ありますよ。ほら、玄関にも、鏡ありましたよね。」
バルバッティン:
レイ:「鏡、か。」
レイ:
バルバッティン:「鏡という鏡、
バルバッティン:とりあえず全部割ってしまいませんか?」
バルバッティン:
レイ:「っふ、ふふふふふ!あなた、やっぱりおかしい!」
レイ:
バルバッティン:「おかしいですか?
バルバッティン:なんだか、鏡って、すごく女性的だなあって思って。」
バルバッティン:
レイ:「女性的…かあ。そうかもしれない。」
レイ:
バルバッティン:「この家に入ったとき、思ったんです。
バルバッティン:すごく、女性が作り上げた世界だなって。」
バルバッティン:
レイ:「だって、昼間はあの人仕事でいないし、
レイ:夜は帰ってきてただ寝るだけ。
レイ:結局、わたしが暮らしやすいように作っちゃったのよ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですね。生活を作るって意味では、
バルバッティン:主婦ってすごく想像力ありますよね。」
バルバッティン:
レイ:「そんな変な目線で褒められても…。」
レイ:
バルバッティン:「ねえ、鏡を割ると、どうなるか、知ってます?」
バルバッティン:
レイ:「不吉なことが起きる…でしたっけ。」
レイ:
バルバッティン:「そういう意味もありますが、わたしが好きな解釈は、
バルバッティン:自分の身代わりになってくれるってほうです。」
バルバッティン:
レイ:「ああ、そういう意味もありますね。」
レイ:
バルバッティン:「さあ。どうせここまで滅茶苦茶になったんです。
バルバッティン:その全部を背負ってもらいましょうよ、鏡に。」
バルバッティン:
レイ:「ふふふ…それも、いいかもね。」
レイ:
バルバッティン:「その意気ですよ!やっちゃいましょう!」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:わたしは、玄関で夫のゴルフクラブを手に取ると、
レイM:家の中を見渡した。
レイM:鏡がたくさんある家に暮らしていたんだな。
レイM:
レイM:玄関には細やかなビーズの縁取りのある壁掛け用鏡。
レイM:雑然とした机の上の
レイM:飾り気のない卓上ミラーが3つ4つ。
レイM:洗面台の曇りひとつない大きな鏡。
レイM:そしてお風呂場の壁一面にも防湿ミラー。
レイM:寝室には白粉(おしろい)の香りのする三面鏡。
レイM:洋服箪笥に作り付けられた姿見用。
レイM:もう一つ、木彫りの外枠が魅力的な
レイM:スタンドタイプの姿見用。
レイM:そして二十歳のお祝いにもらった金の手鏡セット。
レイM:
レイM:わたしは、玄関の壁に向かって笑いかけ、
レイM:机に頬杖をついてしかめ面、
レイM:洗面台の前で泣き、
レイM:姿見にはポーズを決めて、
レイM:三面鏡で寝癖を直し、
レイM:金の鏡でルージュを直した。
レイM:
レイM:それが、当たり前の日々だと思ってた。
レイM:今日、それをひとつひとつ割って歩くまでは。
レイM:
レイM:ゴルフクラブで割れない鏡には、
レイM:台所のアイスピックを持ち出した。
レイM:
レイM:滅茶苦茶に暴れているわたしが、
レイM:鏡に映っては笑い出す。
レイM:笑ったと思ったら、そこにヒビが入って崩れ落ちてゆく。
レイM:そしてそのすべてが、
レイM:スローモーションで過ぎ去っていく。
レイM:
レイM:部屋の隅に、知らない他人が
レイM:ニヤニヤしながらこっちを見ていることだけ、
レイM:頭の隅っこに置いておいたはずなのに、
レイM:わたしは、我を忘れるって、こういうことかって、
レイM:なんだか爽快感すら覚えるのだった。
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ、気が済んだ?」
バルバッティン:
レイ:「はあ…はあ…、気が…、すん、…だ!!」
レイ:
バルバッティン:「すごいねえ!鏡が割れる瞬間って、
バルバッティン:とってもドラマチック!」
バルバッティン:
レイ:「ふふ…ふふふふふ!あーすっきりした!」
レイ:
バルバッティン:「これでもう、だれもあなたを見ていない。
バルバッティン:あなた以外は。」
バルバッティン:
レイ:「ん?あなたがいるでしょう?」
レイ:
バルバッティン:「わたしはバルバッティン。数に入らないのですよ。」
バルバッティン:
レイ:「…バル…バルバッティン?
レイ:…そうね、あなたはバルバッティンなのかもしれないわ。
レイ:こんなに誰かの前で暴れたのなんか、初めて!」
レイ:
バルバッティン:「それは、光栄に思います。」
バルバッティン:
レイ:「ねえ、この後は?どうする?
レイ:火でもつけてやりましょうか。」
レイ:
バルバッティン:「迷惑をかけるのは、やめときましょう。」
バルバッティン:
レイ:「だって、わたし、今ならなんでも出来る気がするのよ。」
レイ:
バルバッティン:「じゃあ、まず、自分を見てください。」
バルバッティン:
レイ:「自分を…?」
レイ:
バルバッティン:「そう、自分を、自分で見てみてください。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、…そうね、けがしてたんだったわ。」
レイ:
バルバッティン:「あと、ひどい顔してますよ。」
バルバッティン:
レイ:「うそ…どんな顔?」
レイ:
バルバッティン:「(変な顔をしながら)こんな顔。」
バルバッティン:
レイ:「そんな顔してませんよ!」
レイ:
バルバッティン:「ねえ、鏡のなくなった部屋で、
バルバッティン:自分を確かめるには、
バルバッティン:どうすればいいのでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「あなたが言ったんでしょう?
レイ:鏡割っちゃいましょうって。」
レイ:
バルバッティン:「困りますよね。鏡がないと。」
バルバッティン:
レイ:「今更なに言い出すんですか。。
レイ:わたしは、やってよかったって思いますけど?」
レイ:
バルバッティン:「わたしもやってよかったとは、思ってますよ。」
バルバッティン:
レイ:「じゃあなんで鏡がないと困るんですか。」
レイ:
バルバッティン:「だって、あなたをここから
バルバッティン:連れ出さなきゃいけないでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「…?連れ出す?なぜ?」
レイ:
バルバッティン:「だって、こんなところにあなたを一人
バルバッティン:残して行けませんから。」
バルバッティン:
レイ:「あなたって、ときどきびっくりすること言いますよね。」
レイ:
バルバッティン:「あなたのほうこそ。」
バルバッティン:
レイ:「わたし、あなたがここに来るまで、なにをしていたのか、
レイ:今は思い出せないくらいよ。」
レイ:
バルバッティン:「そう、そういうとこです。
バルバッティン:あなただって、そうやってわたしを
バルバッティン:びっくりさせてるじゃないですか。」
バルバッティン:
レイ:「っふ、ふふふふふふ!おかしな人ね、やっぱり。」
レイ:
バルバッティン:「だから、わたしはバルバッティンなんですって。」
バルバッティン:
レイ:「そうかそうか、バルバッティンのあなた、好きよ。」
レイ:
バルバッティン:「そうですか。よかった。
バルバッティン:あなたに嫌われたらどうしようかって。」
バルバッティン:
レイ:「…え?」
レイ:
バルバッティン:「ほら、…わたしなんだけどなあ。
バルバッティン:…忘れちゃったのかなあ。」
バルバッティン:
レイ:「ちょっと、本気でなに言ってるんですか?」
レイ:
バルバッティン:「まあ、いいじゃないですか。そういう夢を見たんです。」
バルバッティン:
レイ:「そういえば、夢見がどうとか、言ってましたね。」
レイ:
バルバッティン:「夢見が悪いと、困るんです。わたし。」
バルバッティン:
レイ:「不思議な人ね。
レイ:あなたといると、なんだか、落ち着いてくる。」
レイ:
バルバッティン:「でしょう?おもしろいでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「変な人。」
レイ:
バルバッティン:「で、これからどうします?」
バルバッティン:
レイ:「そうね、わたしは家出の準備でもしようかな。」
レイ:
バルバッティン:「そうですね。それがいいです。」
バルバッティン:
レイ:「あなたは、帰っちゃうんですか?」
レイ:
バルバッティン:「あなたが、ここを出るまで、見守っていますよ。」
バルバッティン:
レイM:そう言うと、バルバッティンと名乗る不思議な人物は、
レイM:部屋の中を散策し始めた。
レイM:割れた鏡を興味深そうに手に取って眺めている。
レイM:
レイM:わたしは、一番大きなスーツケースを持ちだして、
レイM:荷造りをした。
レイM:
レイM:そういえば、切れた指からの出血は、
レイM:いつの間にか、止まっていた。
レイM:
レイM:わたし、ここを出るなんて、
レイM:思ってもみなかった。
レイM:出ることができるなんて、自分を信じられなかった。
レイM:
レイM:だって、変化するのは大嫌いだったんだもの。
レイM:
レイM:
レイM:
バルバッティン:「ねえ、割れた鏡って、きれいですね。」
バルバッティン:
レイ:「え…?」
レイ:
バルバッティン:「あなた、部屋の模様替えとか大嫌いでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「ええまあ、そうですけど。」
レイ:
バルバッティン:「この鏡、割れてきっとせいせいしてますよ。」
バルバッティン:
レイ:「どうしてそんなこと思うの?」
レイ:
バルバッティン:「だって、作り付けの鏡や、据え置き型の鏡って、
バルバッティン:なんだか、いつも同じものばかり見せられて、
バルバッティン:うんざりしてると思いません?」
バルバッティン:
レイ:「うんざり…か。」
レイ:
バルバッティン:「そうですよ。あなたがどんなに悲しくても、
バルバッティン:玄関の鏡には、
バルバッティン:ちょっとすました顔しか見せなかったでしょう?」
バルバッティン:
レイ:「まあ、出かける前ですから。そうでしょうね。」
レイ:
バルバッティン:「逆に、洗面台の鏡は、
バルバッティン:あなたの泣き顔ばかり映してきたんだろうなって。」
バルバッティン:
レイ:「なんでそんなこと、わかるの?」
レイ:
バルバッティン:「ちょっとね、今、鏡とおしゃべりしてたんです。」
バルバッティン:
レイ:「おっと、また不思議発言?」
レイ:
バルバッティン:「あなたも、潮谷さんも、
バルバッティン:ひとつの鏡だったんじゃないかな。」
バルバッティン:
レイ:「…ひとつの鏡?」
レイ:
バルバッティン:「旦那さんは、きっと、
バルバッティン:あなたに見せる顔は潮谷さんに見せなかっただろうし、
バルバッティン:潮谷さんだって、旦那さんの一面しか、
バルバッティン:見せてもらえなかったんじゃないかな。」
バルバッティン:
レイ:「そうだとしたら、夫婦って、なんなんでしょうね。」
レイ:
バルバッティン:「人の孤独に入り込むって、難しいですね。」
バルバッティン:
レイ:「…あなた、本当に、何者なの?」
レイ:
バルバッティン:「あなたが望む者、それがわたしです。」
バルバッティン:
レイ:「…じゃあ、あなたが本当にバルバッティンだったらいいな。」
レイ:
バルバッティン:「信じてないんですか?」
バルバッティン:
バルバッティン:
レイM:たしは、曖昧に笑うと、荷物を持って玄関のドアを開いた。
レイM:
レイM:眩しい春の光に満たさせている外の世界は、限りなく変化していく。
レイM:
レイM:そして、わたしも今日、新しい自分探しの旅にでるのだ。
レイM:
レイM:季節は、わたしの早さに追いつけるかしら。
レイM:
レイM:
レイ:「ねえ、あなた、あなたとは、ここでお別れね。」
レイ:
バルバッティン:「どうして?」
バルバッティン:
レイ:「だって、あなた、ここで暮らすんでしょう?」
レイ:
レイM:ふと、開いたドアから、玄関の暗がりを振り返ると、
レイM:そこには、小さな小さなバルバッティンが、
レイM:絆創膏を持って立っていた。
レイM:
バルバッティン:「ね、あなたが信じてくれたから、
バルバッティン:わたしはもうバルバッティン。
バルバッティン:連れてってくれるよね?
バルバッティン:どこまでも一緒に。」
バルバッティン:
レイM:わたしは、バルバッティンをハンドバックに忍ばせると、
レイM:花々の咲き乱れる花壇の前を、意気揚々と通り過ぎていく。
レイM:わたしは、もう一度、自分の姿を探しに、旅に出るのだ。
レイM:バルバッティンを、道連れにして。
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