台本概要

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タイトル 『午後の死と白詰草』/BAR「猫町」“お一人様篇”シーズン1 #3
作者名 sazanka  (@sazankasarasara)
ジャンル その他
演者人数 2人用台本(女2)
時間 60 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 とある街、とあるBAR。
とある、記憶。
―2021年5月某日―

“お一人様篇”は、とあるBARの、1名様来客時の比較的静かな時間を切り取った単発エピソード群です。話数の順も時系列通りではなく、進んだり戻ったり。
(“出奔者篇”と併せて、BAR「猫町」1stシーズンを構成しています。)

自由に、楽しんで演じて頂けますと幸いです。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
カスミ 221 店員。シニカルでありたい女。
チグサ 224 一見客。ほどかれた女。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
カスミ:或る、心象のうた。 チグサ:フランスへ行きたしと思えども チグサ:フランスはあまりに遠し チグサ:せめては新しき衣装をきて チグサ:きままなる旅にいでてみん。 チグサ:汽車が山道をゆくとき チグサ:みずいろの窓によりかかりて チグサ:われひとりうれしきことをおもわん チグサ:五月の朝のしののめ チグサ:うら若草のもえいずる心まかせに。 0:タイトルコール。 カスミ:『午後の死と白詰草』 0:【間】 チグサ:まだ……、はいれますか。 0:某月某日、某時刻。 0:賑わいも捌け、女性店員がぼつぼつ店じまいに掛かろうかとした頃。ドアベルが鳴った。 カスミ:(ドアの影の、客の姿をあらためつつ) カスミ:イイよ、どーぞぉ。 0:ふわりと、一見客は入店。 チグサ:ああ、よかったあ。 チグサ:どこも、もう灯りが消えていたので……、 カスミ:平日だから、ね。 カスミ:うちも、後そんなに長くは開けないケド。どうする? チグサ:(曇り無く、しかし淡く笑む) チグサ:いいんです。1杯だけ、お酒を頂けたら……。 カスミ:じゃ……、カウンター、いらっしゃぁい。 チグサ:ふふ、ありがとう。 0:重さを忘れたかの如く、着席。 チグサ:駅の近くの明るいお店は、よく見たら美容院で……、 カスミ:あー。ホント似たカンジになるよねぇ、美容院と、BARとかカフェとかって。 カスミ:(コースターを出しつつ) カスミ:荷物、後ろか、横の椅子にでも置いて。 チグサ:あ……、はあい。 0:一見客は薄い色の小さな鞄を、隣の席に置く。 カスミ:(客を観察しながら) カスミ:そのカーディガン素敵。編み込みスゴい細かいね。 チグサ:(仄かに笑み) チグサ:ありがとう。御下がりで、とても古いものだから、流行りの型ではないけど……。 カスミ:昔の服の方が凝ってて、トガってるから好きだな。 カスミ:コレ、刺繍のトコ全部透けさせてるんだ。えぇ、縫製ヤバ……。 チグサ:お洋服、好きなんですか? カスミ:嫌いでは、ナイかなぁ。偶に古着屋とか、覗くぐらい。 チグサ:わ、本当に好きな人ね。 カスミ:全然、知識とかは無いケド。 カスミ:……寒くない? 上それ1枚なら、ケッコー、薄着だよね。オネエサン。 チグサ:ああ……、まだ少し、夜は冷えますね。 カスミ:(空調のリモコンを手に取りつつ) カスミ:時期じゃないけど、暖かくしよっか。 チグサ:あ、大丈夫、平気です。 チグサ:この季節の、この夜の薄寒さも……、 チグサ:感じて、おきたいので。 チグサ:でも、ありがとう。 0:言い、にこり、と淡く笑む。 カスミ:(言い知れぬものを感じ) カスミ:……そ。 カスミ:さ……、何しよっか。どんなの好き? チグサ:実は、こういう所は初めてで……。 チグサ:おすすめなんて、あるのかしら。 カスミ:(努めて余裕を醸し) カスミ:ふぅん……、なら、ポい事しよーかなぁ。 チグサ:ぽい、こと? カスミ:お客サマのカオ見て、出すお酒決めるの。 チグサ:(手を合わせ、笑みをこぼし) チグサ:わあ、本当? チグサ:テレビで見たことあるけど……、してもらえるの、そんな、 カスミ:よくやるヤツだから。 カスミ:ベストに蝶ネクタイのオジサマじゃなくてゴメンねぇ? チグサ:ううん、その……、今着てらっしゃるシャツ、素敵です。 チグサ:(店員のシャツの柄をマジマジと見て) チグサ:この柄……、竹の林の中に、虎がたくさん居るの? カスミ:(作業にかかりつつ、ロングシャツの裾を摘み) カスミ:アロハとかに多い柄だよね。コレも古着だけど。 チグサ:かわいい……。 カスミ:よく見たらマヌケなカオしてるでしょ、この虎ドモ。 0:長細い脚付きグラスに、香りの強い酒を注ぐ。 カスミ:キライな味じゃ、ナイといいケド……。 0:一見客は微笑み、店内を見渡す。 チグサ:素敵なお店。 カスミ:内装? BARっぽくは無いケド、小綺麗にはしてるかなぁ。 0:冷蔵庫から、スパークリングワインの小瓶を取り出す。 カスミ:(グラスに注ぎつつ) カスミ:オーナーが偶に、ヘンなモノ買って持ってくるのが……、困るケド。 チグサ:(カウンター上に1つ置かれた、パステルカラーのハニワを触りつつ) チグサ:この子とか、かしら……、 カスミ:あぁ、そうそう。そのハニワ、ホントは10コぐらいあって……、群馬のお土産らしいんだけど、 チグサ:へえ……、 カスミ:(軽くステアしつつ) カスミ:カウンターにズラッと並べたいって言うから。 カスミ:スタッフ皆で止めたの。 0:手の甲に1滴落とし、味を確認。 カスミ:ん……。上出来。 0:滑らかな手付きで、グラスを出す。 カスミ:はぁい、おまちどぉさま。 チグサ:わあ、綺麗な色……。 チグサ:これは、何ていうお名前の? カスミ:……えっとね、 カスミ:(シニカルさを含んだ、弓張り月の笑み) カスミ:『ヘミングウェイ・カクテル』、だったかなぁ。 チグサ:「老人と海」の、ヘミングウェイ? カスミ:ま……、飲んでみてよ。 0:一見客はニコリと笑み、グラスを取る。 チグサ:いただきます。 0:静かに口を寄せ、含む。 チグサ:(ぱっと明るみ) チグサ:ん……。美味しい。 チグサ:さっぱり甘くて、スっとして……、飲みやすい。 カスミ:ハーブ系ダメじゃナイ感じだったら、良かった。 カスミ:弱いワケじゃないから、ゆっくり飲んでねぇ。 チグサ:(にこり、と笑み) チグサ:ありがとう。 チグサ:……遅くに、ごめんなさいね? 飲んだら、出ますから。 カスミ:オキニナサラズ。 カスミ:どうせ、終電ぐらいまでは開けてるツモリだったし。 0:店員はボトルに残ったスパークリングを、自前のグラスに注ぐ。 カスミ:ボクも飲もっと。 カスミ:(グラスを女性客に差し出し) カスミ:はい、かーんぱい。ボクはカスミぃー。 チグサ:(グラスで杯を受けつつ) チグサ:乾杯。わあ、初めて……。 チグサ:私は、チグサといいます。 0:女性客の笑みは余りにも、濁り無く映る。 カスミ:(一口含み) カスミ:桃のスパークリング美味し。 カスミ:……ヨロシクね、チグサさん。 チグサ:(一瞬沈黙し、後、曖昧に微笑み) チグサ:……はい、カスミさん。 0:そこはかとない違和を嗅ぎ取りつつ、店員はもう一口、軽く含む。 カスミ:(気を取り直して、話題転換) カスミ:今日は、お休み、とかだったのかな。仕事終わりって感じでも無いケド。 チグサ:おやすみ……。そうねえ。 チグサ:長い、お役目からついこの間、ほどかれたから。 チグサ:おやすみと言えば、おやすみ、ね。 カスミ:……、そっ、か。 カスミ:だから、オメカシして遊びに? チグサ:あ……、(自らの装いを検めつつ) チグサ:余所行きの服なんてあまり着ないから、恥ずかしいんだけど……、 カスミ:まとまってると思うよ。ボクはしないケド、好きな感じ。 チグサ:そうかしら……。 チグサ:(笑み)そう、思い掛けず、自由が利くようになったので……、 チグサ:やってみたかった事、やっておきたい事を、ここ何日かで、順番に。 かえって忙しいくらい。 0:一際、軽やかに、 チグサ:今夜が最後に、なると思うけど。 カスミ:ふぅ、ん……。 0:店員は一口、泡立つグラスを傾ける。 カスミ:サシツカエ、無ければだけどさ、 チグサ:はあい? カスミ:え、っと。 カスミ:……「入っ、て」て、 カスミ:少しの間、出て来てる、とか? チグサ:はいって……?? チグサ:(気付き、ふわと笑み) チグサ:ああ……、すみません違うの、ふふふ。 チグサ:罪を、償っていたのでは、ないんです。 カスミ:……、そ……。 カスミ:良かった、て言うのもヘンだけど。 カスミ:仮釈放中、トカかなって。 チグサ:誤解を招く物言いだったわね。ふふ、ごめんなさい。 チグサ:ちょっと、似た部分はあるのかも、しれないけど……。 カスミ:…………、 カスミ:(何かを言いかけ、) チグサ:カスミさんはこのお仕事、長くされてるんですか? カスミ:(虚を突かれ) カスミ:……ボク? チグサ:見たところ、お若そうなのに、手慣れてらっしゃるから……、 カスミ:テキトーなダケだよ。ま、お酒はちゃんと作るケド……。 カスミ:まだ1年ちょっと、かな。 チグサ:へえ……、それで、お店を1人で任されてるなんて、 カスミ:平日ダケね。週末は2人か3人だし……、 カスミ:ウチは、基本はヒマな店だから。 チグサ:楽しいですか? やりがいは、ありますか? カスミ:楽しい、か? カスミ:……、 カスミ:どう、だろ……、 チグサ:あの、ごめんなさい。私、こんな風に人と話すのが久しぶりだから、ウキウキしていて……、 チグサ:不躾だったわね。 カスミ:ううん……、ダイジョーブだけど。 カスミ:ボクは、ボーっと生きてるから、 カスミ:……考えちゃった。 0:一口、含む。 カスミ:多分、楽しいんじゃないカナぁ。ソコソコ笑うし、ツマンナく無いし。 カスミ:やりがいは、正直まだ、ワカンナいけど。 チグサ:自分の価値は、ここに居る事だって、思いますか? カスミ:自分の、 カスミ:(刹那、沈思) カスミ:……、…………、 0:コト、とグラスを置き。 カスミ:……それは、思わない、かな。 チグサ:(淡い笑みで) チグサ:そうでしょうね。 チグサ:ごめんなさいね、おかしなこと訊いて。 カスミ:自分の価値なんて、そもそも考えないけど。 カスミ:ここを、離れても……、 カスミ:多分、ちょっとの間バランスを崩すだけで。 カスミ:良くも、悪くも、ならないと思うから。 0:店員の面持ちは敢えて抑えた、波立たぬ湖面の月。 チグサ:しっかりと……、あなたはあなたを、養ってあげているのね。 0:ふわりと笑み。 チグサ:大切に、してあげてくださいね。 カスミ:…………。 カスミ:どうして、それを聞こうと思ったの。 チグサ:ええ……。 チグサ:他の人は、どうなんだろう、って。 カスミ:(合わせた眼を逸らせず) カスミ:アナタ以外の人は、ってコトかなぁ。 チグサ:はい……。 チグサ:(にこり、と仄かに、若草の揺れるように笑み) チグサ:お話を、聞いてもらっても、いいかしら。 カスミ:(にぃ、と、三日月の笑み) カスミ:イイよぉ? カスミ:ソレがオシゴト、だからね。 チグサ:わあ、かっこいい。 0:ス、と背筋がやや伸び、薄ら目を細め。静かで、深い呼吸。 0:春の暮れの幻を語るが如く、一見客は話し出す。 チグサ:祖母が、亡くなったんです。 チグサ:ちょうど、1週間前に。 カスミ:……、それは、ご愁傷サマ。 チグサ:(軽いお辞儀で返し) チグサ:ここ1年程はずっと、ほとんど寝たきりのような状態だったから……、突然、という感じでは無かったけど。 カスミ:おいくつ? チグサ:喜寿(きじゅ)を待たずに。七十六でした。 カスミ:まだ、若いよね。 チグサ:今だと、ね。 チグサ:気の短い人だったから……、神様も少し、気を遣ったのかも。 0:薄く笑む。店員は敢えて受けず。 カスミ:最期は病院で? チグサ:いえ……、通院はしていたけど、家で、私が1人で看ていたの。 チグサ:2人暮らし、だったから。 カスミ:それは……、唯一の肉親とか、そういう、 チグサ:いいえ、父も母も生きているし、親族も、居るには居るけれど。 チグサ:(ふふ、と困ったように微笑み) チグサ:本当に皆みんな、祖母と、仲が悪くて。 カスミ:……あ、ちょっと好きな感じになってきたカモ。 カスミ:お金だけ出して、丸投げ、みたいな話? チグサ:そう、ね……。必要な時は連絡をするように、と。 チグサ:祖母は、最後まで貯金と年金で賄っていたけれど。 カスミ:世話になりたくなかった、とかかな。 カスミ:アナタは、キライじゃなかったの? おばあちゃんの事。 チグサ:元々ほとんど、人柄を知らなかったの。 チグサ:時どき両親や親戚の口から、悪口を聞くぐらい。 チグサ:森の奥に独りで住んでいる、意地悪な魔女みたいな人を想像していて。 カスミ:ジッサイ一緒に住んでみたら? チグサ:(笑み) チグサ:想像通り。もっとひどいくらいの。 カスミ:へぇ……。 チグサ:丘の上のお家はとっても、素敵だったけれど。 チグサ:祖父との終(つい)の住処として建てられたから、きちんとした造りで……、 チグサ:お庭が、広く取ってあって。 カスミ:庭広いのはイイよね。 チグサ:魔女にはもったいない、って、よく思ったわ。 チグサ:とにかく意固地でね、気に入らない事があると何日も口をきいてくれないの。 チグサ:物の場所とか、暮らしの勝手も何も、まるで教えてくれないし……、初めの頃は困り果てて。 0:僅か懐かし気に眼を細め、グラスを傾ける。 カスミ:そんなヒトの所へ……、アナタは独りで行かされたワケだ。 チグサ:ヘンゼルとグレーテルのように、助け合える連れ合いがあれば良かったけれど。 チグサ:生憎私も、祖母と同じで一人ぼっちだったから……、 ちょうど、良かったんでしょうね。 0:常連客はス、と一口、黄金の液を含む。 チグサ:美味しい。 カスミ:(ニヤと笑みを含み) カスミ:……全然チャカすんじゃナイけど、知らない家のそーゆーハナシって好きだなぁ。 チグサ:(にこりと淡く笑み) チグサ:こんなの、面白い? カスミ:今のトコロねぇ。 カスミ:グレーテルが独りボッチだったのは、どーしてなのか気になるなぁ。 チグサ:ふふ。 チグサ:……私の家は、両親も兄も、2つ上の姉も皆、優秀で。 チグサ:整えられた路(みち)を決して外れない、秀才一家。 カスミ:アナタだけは、違ったトカ? チグサ:(ふわりと笑み) チグサ:ええ。私は本当に、何をやっても駄目。路(みち)を外れるどころか、レールにさえ乗れなくて……。 チグサ:小さい頃から塾に通って、習い事も沢山、していたけれど。兄や姉ほどの芽が出る事もなく、長続きもせず。 カスミ:偶々合うヤツが無かったのかな。 チグサ:……そう言ってくれる人が、いれば良かったのにね。 チグサ:次第に私への興味を失って行く両親や兄の顔色を、ただ不安気に見ているだけの子供に……、 チグサ:友達が出来無いのも、無理は無くて。 カスミ:……、ふぅん。 チグサ:アルバムなんて、もう見る事はないけれど、どの写真を見ても私、きっと、酷い顔をしているわ。 チグサ:重たい甲羅を背負った、ノロマな亀みたいな子だって、あれはきっと、姉が私に、言ったんだったかしら……。 0:夢を見るように語り。 0:店員は、カウンター内の木椅子を寄せる。 カスミ:ごめん、座るね? チグサ:あ……、どうぞ。 チグサ:ごめんなさいね。 カスミ:ううん、ちゃんと聞きたいから。バカップルのノロケ話よりヨッポドいいや。 チグサ:(店員の明るい金髪に眼を移し) チグサ:髪、綺麗。 カスミ:……コレ? ん、最近、また入れ直して……。 カスミ:(毛先を指でもてあそびつつ) カスミ:プリンな感じも、ヤサグレててキライじゃ無いんだケド。 カスミ:ま、背筋伸びる気はするよね……、綺麗に仕上がると。 チグサ:私もあの時いっそ、そんな風に出来てたら……、 チグサ:なんて。ふふ。 カスミ:別にヤンキーとかじゃ無かったケドね。そんな根性ナカッタし……。 カスミ:今も、サブカル気取ってるダケ。 チグサ:でも、私は、どうしたい、とか、何が好き、とか、全然なんにも、無かったから……。 チグサ:勇気以前の、問題だったかもね。 カスミ:……、環境が悪い、んだと思うケドね。客観的には。 チグサ:子供に見えている世界は、狭いものね。 チグサ:本当に……、両親の決めたあるべき姿と路(みち)だけが、手足を伸ばして許される全部だと思っていて。 チグサ:そこにすら、背が足りなくて、手が届かないことを知った女の子は……、 チグサ:泣きもせず、笑いも出来ず、ただ地面に突っ伏して、うずくまるしか、ありませんでした、とさ。 0:ふわりと浮いた笑み。 チグサ:……なんて。 カスミ:(にやりと笑み) カスミ:……めでたく、ナシ。 カスミ:まだ、ヘンゼルとグレーテルは旅にも出てないケド? チグサ:どちらかと言えば、赤ずきん、かしら。 チグサ:病気のお祖母様の元へ、お遣いに出されたんだから。 カスミ:オオカミが待ってるのカナぁ。 0:くい、と一口含む。 カスミ:お祖父ちゃんは? チグサ:何年か前に、既に亡くなっていて……。 チグサ:親戚の人たちに言わせれば「不当な」ほどの額を相続した事で、祖母はかなり、好き放題言われたみたい。 カスミ:奥さんなのに?? チグサ:「相応しくない」、という風なニュアンスかしら。 チグサ:賎(いや)しい生まれの、カフェで女給をしていたような、祖父を誑(たぶら)かして家に入り込んだだけの女に、と……。 カスミ:ナニそれぇ、ゲロっゲロぉ。 チグサ:(困り笑顔で) チグサ:ええ。本当に。 カスミ:お祖父ちゃんは死ぬ前は、守ってくれなかったのかな。 チグサ:昔の人だから……。 チグサ:愛情は、あったんだと、思う。 カスミ:ふぅーん……。 カスミ:まぁ、イイや。 カスミ:それでぇ、アナタはどーして? チグサ:私? カスミ:アナタはどうして、夫を亡くして病気持ちの、イジワルな、親戚中の鼻つまみ者のバアさんの所へ、召使いに出されたのかぁ、ってコト。 チグサ:ああ……。 チグサ:(フワと笑み)それは簡単。 チグサ:ついに、何一つ満足に覚えられないまま……、 チグサ:私が、使い物にならなくなってしまったから。 カスミ:使い物に? チグサ:高校受験に失敗したの。兄も姉も出た進学校に、私だけ落ちてしまって。 チグサ:家庭教師の人たちは精一杯やってくれたし、私も、自分なりに、力を尽くしたと思うんだけど……、 カスミ:うん。 チグサ:滑り止めに受かった私を、それでも「おめでとう」と言ってくれる人は、居なかった。 カスミ:ご期待に、沿えなかった、と。 カスミ:ちなみに受かったのは? チグサ:えっと……、「有卿(うきょう)」。 カスミ:めっちゃめちゃカシコいトコじゃん。友達が1人、確かソコ出てるけど……、 チグサ:その人はきっと、とっても優秀な人だと思うわ。きっときちんと卒業して、多分大学にも、 カスミ:行ってるね。「晴門(せいもん)」。 チグサ:わあ、すごい……。 チグサ:そもそも、そういう人が行く高校だもん、十分……。 チグサ:でも、私の家族に取っては、お目当て以外は全部、同じだったみたい。 0:ふふ、と眉下げる笑み。 チグサ:最後のチャンス、という風にでも思っていた、当時の私は……、 チグサ:きっと、絶望したでしょうね。 チグサ:不思議と、あまり覚えていないけど。 カスミ:…………。 チグサ:そこまでなら、俯(うつむ)いて、部屋の隅の造花みたいに、押し黙って生きていけば良かったんだろうけど……。 カスミ:違ったんだ? チグサ:望まれた風に育てなかった自分が、望まれてもいない場所で、それでもそれなりに、良いように生きて行こうとする事が、なんだか、どうにも、出来なくて……、 カスミ:目的を失っちゃったカンジかな。 カスミ:うんうん。 チグサ:ある日、高校に、行けなくなってしまったの。 カスミ:あぁー、 カスミ:そっちかぁ。なーるほど。 チグサ:虐められていた、とか、そういう事は何も無いのに。 チグサ:本当に、突然。 0:一見客はふ、と虚空に眼を浮かす。 チグサ:……そう言えば……。 チグサ:あの日、私、日直だった。期末の範囲を、2人で書き出す事になっていて……。 チグサ:今の今まで、忘れていたけど。急に休んで、申し訳無い事を、してしまった……。 カスミ:ちなみに日直の、もう1人の名前は? チグサ:……、思い出せない。もう何年も前の事だし、一学期で付き合いも浅かったし……、 カスミ:じゃ……、向こうもそうだよね、きっと。 チグサ:…………。 チグサ:ふふ、ふ。そうね。 0:視線を僅か、空に浮かべ。 チグサ:……本当に……、この1週間、色々な事を思い出すわ。 チグサ:どうして、かしら。 カスミ:……、肩の重荷が降りたから、脳ミソ解凍されてるんじゃナイの。 チグサ:そう、ね……。そうかもしれない。 チグサ:重荷、だったのかしら……、 カスミ:それで? 結局高校は? チグサ:議論も長引かず、2学期末を迎えることなく。 カスミ:うんうん。 チグサ:何もやる気が起きなくて。 チグサ:教科書も、取りに行かなかったの私。家族も、関心を示さなかったし。 カスミ:……、ふぅん。 チグサ:水槽の中で一匹だけ、生きてる事を忘れられた、魚にでもなったような気分だった。 チグサ:何かの手違いで、生まれて、ただ生きているだけの……、 カスミ:誰かが言ったの。 チグサ:ううん。 チグサ:薄暗い部屋で、独りで丸くなって、小さくなっていると……、 チグサ:そんな事ばかり、浮かんでくるのね。 カスミ:(微か、長いまつ毛が震え) カスミ:……、……。 カスミ:そう、だね。 チグサ:昨日と今日の区別が曖昧な日々を、1年ほど続けた辺りで、 チグサ:そう、本当に……、ある日、突然、 チグサ:「お前は明日から、お祖母さまと一緒に暮らすんだ」、って……、 カスミ:ヒキコモリの赤ずきんを、悪い魔女のトコロへ遣いに出そうだなんて。 カスミ:ヒドい親ぁ。 チグサ:(眉下げ、笑み) チグサ:ていうか、無茶よね。 チグサ:でも……、これは罰なんだって、当時の私は思ったみたい。 チグサ:(笑みが次第に薄れ) チグサ:親の望みを叶えられない、出来損ないの赤ずきんは。 チグサ:要らない子どもの、グレーテルは。 チグサ:お仕置きのように、口減らしのように、 チグサ:白詰草の丘に、 チグサ:捨てられて……、 カスミ:……さて、そこではドンナ困難が、女の子を待ち受けていたのでしょう、か。 チグサ:(ふ、と笑い) チグサ:ふ、ふふ……。 チグサ:女の子、という歳でも、なかったけれど。 カスミ:十代でしょ? チグサ:ぎりぎり、ね。でも、子供か。 チグサ:中身は何にも、変わらないけど……。 0:木椅子がカタンと鳴る。 カスミ:寒いの、ホントに平気? チグサ:大丈夫、ありがとう。 0:一見客は一口、含む。 チグサ:押し付け合いの末に、白羽の矢が立ったのね。お誂(あつら)えなのが居るだろう、って。 チグサ:嫌われ者の魔女と、家の汚点の、落ちこぼれ。 チグサ:体(てい)のいい厄介払い。 カスミ:臭いモノは纏めて詰め込んどけってコトね。エリートは考えるコトがチガぁう。 チグサ:ふふ。本当にね。 チグサ:……でも……、 チグサ:ごみ箱と言うには、あんまりに綺麗な、お家だったわ……。 0:薄れた夢を、思い出そうとするような、眼。 チグサ:トランクを引いて丘を登って、初めて館を見た時の事を忘れない。 チグサ:風に揺れるクローバーの一面の緑の中に、白いお家が浮かんで……。 チグサ:小ぢんまりとした、和洋折衷(わようせっちゅう)建築の洋館。 カスミ:大正レトロっぽいヤツね。 チグサ:そう、白亜の壁と木の枠取りが、暖かで。 チグサ:庭は、よく手入れをされた、英国式のコテージガーデン。素朴で上品な色の薔薇に、クレマチス。ルピナスや、シダの仲間。 チグサ:自然の野山の風景を、ミニチュアにしたような。 カスミ:庭、そーいうカンジなんだぁ。 カスミ:あの、絵本のヒト……、 チグサ:ターシャ・テューダー? あんなに広くは無いけれど、様式は似てるわね。 チグサ:こんな素敵な庭のあるお家に住めるなら、学校辞めて良かったかも、って……、夢中になって見ていたら、約束の時間にすっかり遅れてしまって。 チグサ:初日から、心証最悪だったっけ。 0:懐かしむように眼を細め、微笑む。 カスミ:魔女が、手入れしてたの? 庭。 チグサ:ええ。たくさんのハーブや、柵に絡ませた蔓植物や……、全部、祖母が。レイアウトからやったんですって。 チグサ:草や土とお喋りをするように、毎日お世話をしていて……、 カスミ:まだ動けてたんだ、最初は。 チグサ:本格的に、悪くなるまでは。 チグサ:日課の散歩にも1人で出ていたし、同じように年取った、大きな猫が居着いてたり…、 チグサ:「なんだ、この人はちっとも孤独じゃ無いんだ」、って。 チグサ:最初の頃は思ってた。 カスミ:江國香織(えくにかおり)の小説に出て来そー。 チグサ:好きなの? カスミ:んー、ムカつくんだけど読んじゃう枠の作家だよね。 チグサ:ちょっと、わかるかも……。 チグサ:本も、よく読む? カスミ:最近はあんまり、だけど。学生の時とかは、ソコソコ……、 チグサ:誰が好き? カスミ:……、 カスミ:土屋鞠子(つちやまりこ)、とか、 チグサ:少女小説の人よね……、 チグサ:「金の髪(くし)のコーマ」とかの、 カスミ:(遮り)今は。 カスミ:読まない、けどね。 カスミ:……、それで、 チグサ:あ……、ごめんなさい、 カスミ:ううん。 カスミ:ホントに、イキナリ2人暮らしだったんだ。 カスミ:サポートとかも本気で全然? チグサ:そう、ね……。お金は毎月振り込まれるけど。 チグサ:父も、父の兄妹たちも、親の事なのに、一度も顔を出さずじまい。私が思っていたよりもずっと、仲は冷え切っていたみたい。 カスミ:お祖母ちゃんもだけどさ、アナタには、 チグサ:私は……、家族の数に、入っていなかったから。 0:一見客は一口含む。 チグサ:初めは酷いものだったわ。 チグサ:世話なんて必要ないって、突っぱねていたようだし。 チグサ:「すぐに根をあげる」、「お前も他の連中と同じで、私を貶(さげす)んでるんだろう」、って。 カスミ:ふぅん。 チグサ:でも……、除け者同士、通じるところがあったのかは、わからないけど。 チグサ:少しずつ、ほんの少しずつ、お互いに馴染んでいって。 チグサ:意固地で嫌味なのは、ある程度地(じ)なんだって気付いてからは、かえって上手くやれた。 カスミ:へぇ……。親戚に冷たくされたからじゃなくて? チグサ:どこかで嫌気がさして、我慢するのをやめたんだと思う。 チグサ:暖炉のそばで、2人して……、父や叔父の悪口を言い合うのは、面白かったわ。 カスミ:イイじゃん、ボクは好きかも。 チグサ:若い頃カフェで働いていたから、口が達者だったのね。堅い家柄の人たちには、それが、 カスミ:ナマイキでクチサガナイ、陰険で性悪で嫌な嫁に映った、と。 チグサ:本当に口は悪いのよ。通院の時だって、医者がボンクラだとか、ナースが下品だとか、ほとんど寝たきりになってからも、口だけは減らなくて……。 チグサ:私しか聞く人がいないから、本当、笑うしかなかった……。 0:一見客は眉を下げ、しかし屈託なく笑う。 カスミ:今のトコ、そんなに悪くも、って感じだけど。 チグサ:勝手を覚えてからは、少しずつ楽になったんだけどね……、 チグサ:そもそもが大変。病気のお祖母様は、元からオオカミみたいに根性曲がりだし。 カスミ:喰われちゃうまでもなく? クフフ。 チグサ:手回りをわざと昔風に作ってあるの。バカみたいに大きなキッチンストーブがあって、私、そんなの見た事も、触った事も無かったから、 カスミ:て、どんなの? チグサ:ええと、大きな鉄の箱で、要は薪オーブンなんだけど。中で火を焚いて、その熱で調理をするのね。 チグサ:竈(かまど)と焜炉(こんろ)とストーブが、1つになったような……、 カスミ:昔の映画とかに出てくる、台所に置いてあるヤツか。 チグサ:そうそう。お湯一つ沸かすのにも、いちいち火を入れるのよ。電子レンジが恋しかった。 カスミ:(揶揄の色を滲ませ) カスミ:コダワリのレトロでスローな生活、だね。不思議系の女子が挑戦して挫折するヤツ。 チグサ:とにかく面倒臭いのよ。お芋なんかを焼くと、美味しいんだけど……。 カスミ:薪割りとかしてたのぉ? ていうか電気は流石に、 チグサ:まさか。固形燃料を取り寄せ。 チグサ:もちろん電気も普通にあるし、冷蔵庫や洗濯機はちゃんとしてる癖に、って……。 カスミ:盥(たらい)と石鹸で手洗いじゃナイんだ? チグサ:冗談! ふふ……。 0:一頻り、笑みの交差。 チグサ:それで……、不便なキッチンで、それでも頑張って料理をしたらしたで、「食べられたもんじゃない」、「仕込んでやる」、って、腰も悪い癖に張り切って。 チグサ:タルトだのパイだのカヌレだの、振る舞う相手もいないお菓子の作り方を、何種類も覚えさせられるし、 カスミ:損は無さそーだけどねぇ。 チグサ:祖父の書斎の片付けで、重い本を何箱も運んだり、庭の手入れにこき使われたり、性悪な猫と日々格闘したり。 チグサ:呼び付けられたら飛んで行って、もう散々。 カスミ:性格も魔女と似てるんだぁ、猫。 カスミ:もしか、黒いの? チグサ:(呆れたような笑み) チグサ:なんともいえない茶色。 チグサ:最大の敵と言っても過言ではなかったわ、物は倒すし、食器は割るし……。祖母とはどういうわけか、上手くやってたけど。 カスミ:クフフ。ソイツは、今も居るの? チグサ:あ……、 チグサ:いえ……、 0:追憶の笑みが、薄れ。 チグサ:1年と少し前の台風の日に、どこかに行ってしまったっきり、帰って来なくて。 チグサ:年取った猫だったから、もう……、 カスミ:死んじゃってる、 カスミ:……かもね。 チグサ:さあ……、わからない。 チグサ:結局1度も……、私のあげた餌、食べてくれなかったわ。 カスミ:……そ、っか。 チグサ:祖母は餌やりっていう、唯一の仕事を失った事になるわね。 チグサ:強がっていたけど、目に見えてショックを受けていて……、 カスミ:うん、 チグサ:それが切っ掛けかは、わからないけれど、 カスミ:ガク、っと? チグサ:容態が、悪くなっていった。 チグサ:動けない日が増えて、料理も、庭の手入れも、出来るような状態では無くなっていって……、 カスミ:ふぅん……。 カスミ:(やや間を置き、切り替え) カスミ:…………そういう感じの庭ってさ、自然っぽい感じに見えて、 チグサ:ええ……、すっごく面倒で大変。 チグサ:季節ごと、草ごとに、細かく気を使わないとだし、何より問題は虫なんだけど……。 チグサ:祖母は、庭が荒れるのだけは許さなかったから、 カスミ:アナタが引き継いだ、とか? チグサ:恐ろしい事に、よ。 チグサ:悪戦苦闘。審査員の点は辛(から)いし。 カスミ:へぇー……。 カスミ:色々教わって? チグサ:剪定とか肥料の撒き方とか、細かい事は怒られながら覚えて、本を自分で何冊も取り寄せて……。 チグサ:何やってるんだろう私、って、 カスミ:思っちゃった? チグサ:思った頃には、一通り手際よく、出来るようになっちゃってたわ。 0:ふふ、と笑い、一口含む。 チグサ:脚が利かなくなってからは、私が車椅子を押してお散歩。 チグサ:歩いてないんだけど。 カスミ:(吹き出し) カスミ:ぷっ、ウクク。 チグサ:う、ふふ……。 チグサ:車椅子を押すのって、今は慣れたけど最初、不思議な感覚だった……。 カスミ:そーなんだ。押した事ナイかも。 チグサ:乗る人の意識はあるのに、全てを委ねられているような……。 チグサ:家の近くにね、紅葉(こうよう)が綺麗な公園があるの。 チグサ:冬枯れの景色も、私は好きなんだけど……、禄にそんな話もせず、黙(だんま)りの祖母と2人、池の周りをグルっ周って。 チグサ:時々一方的に、昔の話をしてくるの。 カスミ:思い出バナシ的な? チグサ:大方は悪口。 チグサ:誰々は昔から本当に憎たらしいとか、誰々が見て見ぬ振りをした事を、自分は一生忘れない、とか。 カスミ:恨みで生きてるってヤツだね。 チグサ:うんざり。お追従(ついしょう)をサボると怒るし。 チグサ:……たまに、女給さん時代の話や、祖父と行ったヨーロッパ旅行の話が出た時は、アタリだ、ってこっそり思ってた。 カスミ:へぇ、新婚旅行? チグサ:結婚前に。新婚の時はバタバタしていて行くに行けなかったって、その時の悪態も、まあ定番メニューだったんだけど。 カスミ:ウクク。 チグサ:ウェールズの素晴らしいガーデンで見た、金のレインツリーのトンネルの話。 チグサ:フランスで、お城巡りをした話。 チグサ:本場の、特にイタリアの洋菓子は絶品で、日本のは全部偽物だって、またそこから悪態に入るとハズレ。 チグサ:ローマの遺跡はただの盛り土だとか、悪口もふんだんに盛り込まれるんだけど。 チグサ:不思議と……、車椅子を押しながら聞いていると、祖母と祖父のヨーロッパ旅行に、同行しているような気分になる時があって。 チグサ:それがなんだか、面白かった。 カスミ:楽しみの少ない身としては? チグサ:ふふ、本当にそう。 0:一口、含む。息を吐き、笑みは薄れ。 チグサ:そういう……、祖母の人生で少しだけの、「価値ある」時間を詰め込んだような、ポツンと寂しいお家を見上げて、クローバーの丘を登っているとね……。 チグサ:私はこの、何もかも過ぎ去ってしまった、老い先短い、可哀想な老人の、萎えた手足の替わりであって。 チグサ:それが私の、今の所の、生まれて来た意味なのかな、なんて、不思議な気持ちになった。 カスミ:……。生まれてきた、 チグサ:(笑みが戻り) チグサ:登りも一苦労なんだけど、大変なのは下りで。 チグサ:手を離したらそのまま滑って行っちゃうから、ブレーキを掛けた状態で、こう、こうやって、体重を後ろに引いたまま、坂を降りて行くの。 チグサ:腕が痛くて、本当に毎回……。 カスミ:運動不足にはならなさそうだね。 チグサ:私、元々は結構、肉付きが良かったんだけど……、 カスミ:今は細いもんね。スラってしてる。 チグサ:いえ……、あなたこそ、 カスミ:ボクは華奢なダケ。幼児体形だし。 カスミ:あんまり気にシテもナイけど。 0:店員はニヤと笑み。 カスミ:ていうか、魔女の家に囚われて、逆に痩せちゃうとか、ちょっと面白いね。 チグサ:丸々と太ってる余裕なんて無いの。とんだお菓子の家もあったもんだわ。 0:ふわりと笑む。 チグサ:本当……、たまのご褒美に、美味しいお茶を淹れてくれなかったら……、 チグサ:もう、やりきれなった。 カスミ:ふぅん……。 カスミ:そんなのは、してくれるんだ。 0:一見客は一口、グラスを傾ける。 チグサ:普段の口汚さからは想像出来ない、本当に美味しいお茶なの。ほのかに甘みがあって、ふくよかで……。 カスミ:カフェ仕込みの本格的なヤツかな。 チグサ:本人は「純喫茶だ」って怒るんだけど。 チグサ:……だいぶ悪くなってからも、痩せ我慢して、お茶だけは淹れてくれて。 チグサ:自分が淹れなきゃ、私じゃ下手だって。 チグサ:最期まで、美味しくて。 チグサ:ちょっと……、憎たらしかった。 カスミ:……、そっか。 0:一見客はフと微笑む。 チグサ:いつも……、聞くばっかりだったから。 チグサ:人に話すのって、楽しいのね。 カスミ:そぉ? 良かった。 カスミ:じゃなきゃ、こーゆーお商売はやってらんないよね。話したいコト話してイイ場所って、あんまナイし。 チグサ:そうか……。ふふ。 チグサ:でも、じゃあ、あなたが、話したくなった時はどうしてるの? 0:店員の眼に一瞬、陰が差す。 チグサ:聞くばっかりのお仕事だろうし……。 チグサ:これも、不躾だったらごめんなさい。 カスミ:(切り替え) カスミ:んーん、イイけど。 カスミ:ま、仕事は仕事だとしてぇ。 カスミ:友達とか恋人にでも、聞いてもらうんじゃない。ボクはあんまりだけど、お店ハネてからヨソの店行く人もいるし。 チグサ:……そう。 チグサ:聞いてもらえる相手や場所を、自分で見つけたり、作ったり……、 チグサ:そうやってみんな、自分なりに自分を、養っているのよね。 カスミ:……上手く出来てるヒトばっかりじゃ、ナイと思うケド、ね。 チグサ:私は、無理だな。 カスミ:……、どして? 0:一見客は店員を見詰め。 チグサ:価値が、無いから。私には。 カスミ:……。 カスミ:って、思うんだ。 チグサ:ええ。 カスミ:どーしてぇ? 0:仄かな笑みは、今は消え。 チグサ:「自分の価値は自分が決める」って、よく言うけど。 チグサ:それなら……、自分で自分自身に、価値を、認められないのなら。 チグサ:人がどう言おうと、その人にはやっぱり、価値が無いと思うから。 カスミ:……自分で自分に、か。 カスミ:価値が無きゃダメなのか、ってトコもあるけどね。ソモソモ。 チグサ:周りはあまり、困らないかもね。 チグサ:価値の無い人は従順だから。 チグサ:あの人、……祖母は、周りの誰もが認めなくたって、自分の中の価値を、記憶を、大切にしていたから……、 チグサ:最期まで頑なで、いられたんだと思うわ。 チグサ:私は、自分に価値を感じないから、1人では何も決められない。 カスミ:……、……。 0:沈黙。店員のグラスは薄く汗をかいている。 チグサ:でも、ちょっと楽なの、本当は。 カスミ:そう、なんだ。 チグサ:家では結局、何の使い物にもなれなかった私には……、 チグサ:祖母のお世話をする事が、たった1つの、価値だったけれど。 チグサ:それも、1週間前に終わった。 カスミ:…………、 チグサ:前の日にね、一緒に庭の手入れをしたの。 チグサ:いつもはもう、見てるだけだったんだけど、 チグサ:「鋏を使いたい」って言うから。 チグサ:車椅子を寄せて、久々に、少しだけ、枝切りをしてもらって。 チグサ:割と、元気に見えたんだけど。 カスミ:うん。 チグサ:いつも、私の手入れを監督する時は、蕾を痛めるとか、水の撒き方が悪いとか、いちいち小言ばっかりなのに。 チグサ:その日は、一通り作業が終わっても何も言わずに、家に入る時に一言だけ。 チグサ:「私の庭は今日も元気だ」、って。 カスミ:…………。 チグサ:今は私がやってるのに、って、腹も立ったけど。 チグサ:初めて、合格を貰えた気がして。 チグサ:少しだけね、嬉しかった。 カスミ:……そっか。 チグサ:それきり、黙ってしまって。 チグサ:急な黙(だんま)りはいつもの事だったから気にもせず、体温と脈を計って、薬を飲ませてから、ベッドに上げて。 チグサ:日課の、1分くらいの、ほんの些細な世間話をして、 チグサ:明日は風があるみたい、とか、そんな……。 チグサ:眉を顰(しか)めるだけで、返答は、無かったけど。 チグサ:……それから……、そう、私、夕食の準備までの間に……、1人で、お茶を飲んだんだったわ。 チグサ:祖母みたいに上手くは、淹れられなかったけど。 カスミ:……聞いてるから、続けてね。 チグサ:(緩慢に首肯し) チグサ:それで……、いつもの時間に、オムツを変えて、夜の薬を飲ませて。 チグサ:朝晩はまだ冷えるから、って、毛布を被せてから、コールブザーのスイッチを、手元から離れないように確認して。 チグサ:いつもの通り、返事のかえらない、おやすみの挨拶をして。 チグサ:寝息を確かめてから、部屋を出た。 チグサ:少しだけ本を読んで、私も、庭の作業で疲れていたから眠くて、きっと、すぐに……、 チグサ:深く、眠ったと思う。 カスミ:……うん。 チグサ:そうしたら翌日、 チグサ:祖母が、死んでいた。 カスミ:…………。 0:緑と白の、風景の記憶。 チグサ:クローバーが揺れてたわ。 チグサ:窓の向こう、あの日は風があったから。 チグサ:「予報の通りだ」って、私、変に冷静で……、 カスミ:……、 チグサ:波打つ緑を背景に、いつもの通り眉を寄せて、深い皺を刻んだまま。 チグサ:眠るように、あの人は死んでいた。 カスミ:……。 カスミ:苦しまずに、死ねたのかな。 チグサ:悶えた跡は、無かったけれど。 チグサ:他人には、わからない。 チグサ:結局、最後まで、わからなかった……。 カスミ:……そう。 0:ほんの刹那の、沈黙。 0:静かな、追憶と内省の呼吸。 チグサ:その後は、早かったわ。 チグサ:叔父に連絡をしたらすぐに、たくさん人が来て。 チグサ:あの家に、あんなに人が入ったのは初めてだった……。 カスミ:スグにお通夜? チグサ:そこからは、コマ送りみたいに時間が過ぎて、あまりよく覚えていないんだけど。 チグサ:お通夜も葬儀も、隅の方に居た。 チグサ:親戚の人たちと、あの人について共有しているものなんて何も、無いと思ったから。 カスミ:……そうだよね。 0:一見客の眼差しは、壁を透かし、遥か遠い。 チグサ:空が澄んで、綺麗な午後の。 チグサ:火葬場の煙突から昇る煙を見て、あの人は、身軽になれたんだと思った。 チグサ:出会った時からずっと、何もかも、重たそうだったから。 チグサ:要らない物は全部置いて、価値のある思い出だけを持って。 チグサ:天国か、それかもしかしたら、祖父と一緒に、叶わなかった新婚旅行に行ったのかもしれない。 チグサ:もう一度見たいと言っていた、パリのサンジェルマン通りにも。 チグサ:それなら、例のマロニエの並木道で、車椅子を押しているのは祖父なんだろうか、 チグサ:それとももう、足なんて関係無いのかな、なんて、ぼんやり考えながら、 チグサ:悪い魔女が死んでしまったら、お話の女の子は、どうなるんだろう、って……、 0:語りながら、自分が涙を流している事に気付く。 チグサ:あ、……? カスミ:ティッシュ、要る? チグサ:(己の涙を確かめながら) チグサ:…………、 チグサ:私……、一度も、泣きたいなんて、思わなかったのに。 カスミ:泣きたくて泣くんじゃナイもんね。 カスミ:人に話して、整理がついたんじゃないの。 0:店員はティッシュペーパーを手渡す。 チグサ:(受け取り、小さく畳んで、涙を拭いつつ) チグサ:そうね……。そう、かも。 チグサ:…………。 0:記憶の雫は拭われ。再び、仄かな笑み。 チグサ:聞いてくれて、ありがとう。 カスミ:ううん。ケッコー、面白かったよ。 チグサ:ふ、ふふ。良かったあ……。 0:ス、とグラスを空ける一見客。店員は、見ている。 チグサ:……私、ね。 カスミ:うん。 チグサ:今夜、死ぬつもりだったの。 カスミ:……、……。 チグサ:祖母の部屋を片付けたり、何となく、もう主のいない庭の世話をしたりしながら、ずっと考えていたんだけど。 チグサ:やっぱり私は、自分の中に、養うべきと思えるような価値を、見つけられそうに無かったから。 カスミ:…………。 チグサ:煙になった祖母を見て、羨ましくなったのかもしれない。 チグサ:役目を終えて、何かであろうとしなくていい事なんて、今まで一度も、無かったから。 チグサ:それがこんなに楽なら……、この心地よさを持ったまま、私もどこかへ、消えてしまいたい、って。 0:暫しの、沈黙の後、 カスミ:ふぅん……、 0:店員は三日月のように笑む。 カスミ:……やっぱり。そーいうカンジだったんだぁ。 カスミ:ボクの勘もバカになんないなぁ。 チグサ:え……? カスミ:今……、飲み終わったカクテルね。 カスミ:実は名前がもう1つ、あるんだよね。 チグサ:『ヘミングウェイ・カクテル』じゃなくて? カスミ:『午後の死』、ってゆーの。 カスミ:「し」は「死ぬ」の「し」ね。 チグサ:午後の、死……。 カスミ:ヘミングウェイの短編のタイトルなんだって。ホントはソッチのが有名なんだけど。 カスミ:ごめんねぇ、「このヒト死にそうだな」って、何か思っちゃったから。 チグサ:顔に、出ていた……? カスミ:雰囲気、かなぁ。 カスミ:この世の何とももう、繋がってナイようなカンジ。素でそーいうヒトってあんまりいないから。 チグサ:…………。 カスミ:たまにやっちゃうんだよねぇ。 カスミ:雰囲気でー、とかおまかせで、って言われた時に、自分の中で勝手に名前付けたり、変な名前のカクテル作ったり。 チグサ:例えば? カスミ:『気付いてないのは自分だけ』とか。 カスミ:『自惚れ野郎』とか。 カスミ:シンプルに『雨女』とかね。 チグサ:(楽しげに苦笑し) チグサ:わあ、悪い遊び……。 チグサ:祖母と気が合いそう。 カスミ:もちろん、違う名前で出すけどねぇ。 カスミ:話してホントにそんなカンジだったら、ボクの勝ち。 チグサ:『雨女』、どんな味か気になるわ。 カスミ:ちゃんと美味しくは作るよ、お客サマだし。 チグサ:(ふわりと笑み) チグサ:私のも、本当に、美味しかった。 チグサ:ごちそうさま。 カスミ:……、はぁい。 カスミ:……死ぬつもり、だったから、やり残した事を? チグサ:ええ……、考えたら私、若い女の子がするような事、何にもしてこなかったなって。友達も居なかったし。 カスミ:どんなトコ行ったの。 チグサ:近場だけだけど。カフェでお茶したり、レストランで食事をしたり、海や、テーマパークへも行って、一通り……。 チグサ:どこも思ったより空いてたわ。 カスミ:平日だしねぇ。1人で? チグサ:(困り笑顔で) チグサ:そこは、ご愛嬌。 チグサ:友達や恋人なんてすぐには作れないし、直後に、死ぬのも悪いし……、 カスミ:ま、ね……。 チグサ:想像していたくらいには、楽しかった。 チグサ:私の小さな器に詰め込んで持って行くなら、こんなものかな、と思って。 チグサ:それで、最後に……、 カスミ:お酒、飲みに。 チグサ:ええ。 チグサ:ここの前の道をね、祖母の通院の帰りに、タクシーで通り過ぎるの。 チグサ:看板やネオンを見ながら、こういう所へ、自分もいつか、入る日が来るのかな、って、思ってたから。 カスミ:どーだった? チグサ:とっても素敵。1番、楽しかった……。 チグサ:どうも、ありがとう。 0:一見客は微笑み、丁寧にお辞儀をする。 カスミ:どう、いたしまして……。 カスミ:(カウンター内の時計を見やり) カスミ:もう日付、変わっちゃったね。 チグサ:本当、いつの間にか……。 チグサ:お会計、してくださる? ごめんなさい、お仕事長引かせて。 カスミ:(伝票を取り、書き込みつつ) カスミ:んーん、全然。もっと遅くなるコトも普通にあるし。 チグサ:ここで死んだりしないから、安心してね。 カスミ:……。 カスミ:ソレは良かった。オーナーに怒られちゃう。 0:一見客は鞄から、小さな財布を出す。 チグサ:せめて、初七日(しょなのか)までは生きていようと思ったの。 チグサ:祖母を心から弔い、おくる人は、どうやら本当に、居ないようだったから。 チグサ:私の、最後の役目として。 カスミ:…………。 チグサ:家の整理は済ませたし、庭のお世話も、今朝終えて。 チグサ:今日の内に、あのクローバーの丘を登って家に帰って、最後に1杯、お茶を淹れてから……、 チグサ:お薬を、飲もうと思っていたんだけど。 カスミ:……予定が変わっちゃったね。 カスミ:気にするタイプ? チグサ:ふふ、いいえ。誰に言われた事でも無いし。 チグサ:日付なんて、人が勝手に決めたものだから。 カスミ:……そ。 カスミ:はい、これ。 0:店員は伝票をミシン目で切り取り、渡す。 チグサ:(金額を見て) チグサ:……900円で良いの? 安過ぎない? カスミ:初回は、チャージ無料なの カスミ:「また来てね」、っていう意味で。 チグサ:(眉を下げて笑み) チグサ:私は、もう来ないから……、 チグサ:取ってくれていいのよ。 カスミ:1回きりのお客さんなんて珍しくないし、ソコはイーの。 カスミ:……でもさ。 チグサ:はあい? カスミ:今日帰って、お茶飲んでから死んだら。 カスミ:……「午前の死」に、なっちゃうね。 0:ふ、と静寂。 チグサ:……、 チグサ:…………。 カスミ:……言ってみたダケ。 カスミ:帰りは? タクシー? チグサ:あ、うん、そこの、ロータリーで。 チグサ:……考えたら、停まってるタクシーを拾うのも、初めて。 カスミ:(紙幣を受け取り、貨幣を返す) カスミ:簡単だと思うよ? カスミ:はい、まいどありぃ。 0:一見客は財布をしまい、立ち上がる。 チグサ:本当にありがとう。ごちそうさまでした。 0:ニコリ、と軽く、若草の揺れる笑み。 カスミ:またお待ちしてマス、 カスミ:とは言っちゃイケナイんだよねぇ。 チグサ:…………。 チグサ:……ふふ。でも。 カスミ:でも? チグサ:お酒に酔うというのは、思ったより良い気分……。 チグサ:今日は、帰ってこのまま寝ようかな。 カスミ:……そう? チグサ:…………、 チグサ:あのね、……これ、 0:一見客は胸もとから、長方形の紙片を一枚取り出し、店員に渡す。 カスミ:これ……、 カスミ:……栞(しおり)? 0:縁取られた、幸運の兆。 カスミ:四葉の、クローバー……。 チグサ:そんなに珍しくも、無いんだけど。 チグサ:祖母の家に初めて行った日に見つけて、形が良かったから、押し葉にしたの。 チグサ:ずっと、お気に入りの本に挟んでた。 カスミ:……、 0:一見客は店員を見詰める。 チグサ:それ……、あなたにあげる。 カスミ:……っ、い、や、 チグサ:あの人の、棺に……、そっと忍ばせようと、持っていたんだけど。 チグサ:「余計な手荷物を押し付けるんじゃない」って、怒られそうで、やめたの。 カスミ:じゃあっ、尚更、 チグサ:どうぞ貰って。使わなければ、捨ててもいいから。 カスミ:……っ、……、 チグサ:(にこり、と笑み) チグサ:許して、ね。 0:一見客はふわりと軽く、重さを纏わずに歩く。 チグサ:遅くまで、ごめんなさい。本当に楽しかった。 カスミ:あ、の……っ、 0:一見客はドアに手を掛け。 チグサ:明日、今日の事を思い出しながら、お茶を淹れて……、 チグサ:美味しかったら、また来ます。 カスミ:……っ、 0:淡い微笑みを残し、静かに退店。 0:若草を揺らす初夏の風の如く、ドアベルは響きを残す。 カスミ:……、……、 0:店員、1人。暫し呆け。 0:眼の先は『午後の死』のグラス、 0:次いで手元の、白詰草の、栞。 カスミ:(意を決し) カスミ:……っ!! 0:勢いよくドアを開け、一見客が去ったであろうロータリーの方角に向け、叫ぶ。 カスミ:あのさーーーっ!! カスミ:カフェっ、とかっ、やったらイイんじゃないかなーーーーっ!! カスミ:インスタとかに載せたいヒトとかも来るかもだしっ、 カスミ:私もっ、行く、しっ………、 カスミ:……っ、 カスミ:って、居ないし。 0:人影は無く、街灯と、高架下の静寂。 0:遠くで、パトカーのサイレン。 カスミ:……、…………、 0:手早く看板を消し、そそくさと店内へ。 0:施錠。 カスミ:(眉をしかめ) カスミ:…………。 カスミ:らしくな。 0:栞を見詰め、ポケットへ。 0:グラスをシンクに収め、卓上の水気を拭った後、スマートフォンを手に取る。 カスミ:……タニマチにグロいスタンプ送りまくろーっと……。 0:暗転。 0:カスミにスポット。 カスミ:【本日のカクテルレシピ】 カスミ:『午後の死』、または『ヘミングウェイ・カクテル』カスミアレンジ。 カスミ:■アニスリキュール「ペルノ」20ml カスミ:■スパークリングピーチワイン 適量 カスミ:フルートグラスにペルノを注ぎ、冷やしたスパークリングでアップ。軽くステアして、サーブ。 カスミ:……ただし、お客の顔を、確かめるコト。 0:【終】 : 0:【空白】/【空白】/【空白】 : 0:【ボーナス・トラック2】 0:(※【ボーナス・トラック1】は声劇台本に適さない為、「小説家になろう」にのみ掲載) : 0:白い館。室内。闇の黒。 0:椅子に掛け足を組み、女が女を出迎える。 女:遅かったじゃない。 女:……何? その顔は。 女:……葬儀以来ね。 女:電気の場所が分からなかったのよ。前と変わって、(言い止め) 女:……早く点けてもらえる? 相変わらずノロマだこと。 0:点灯。黄色い灯りが室内が照らす。 女:……どうも。 女:片付けは住んでるみたいね。 女:散らかる程の活気も活力も、元から無かったようだけど。 女:…………、 女:その、カーディガン。 女:似合わないわね。千景(ちかげ)お祖母様のでしょう? 女:遺品を勝手に着て、介護が終わった開放感で夜遊び? 女:まるで子供ね。いい歳して顔付きも幼いし。人間青春を棒に振るとそうなるのかしら。 女:言っておくけど自業自得なのよ? 自分の品質管理を怠ったのが全ての、 女:……、 女:……勿論。 女:こんな事を言うために、わざわざこの丘を登って来た訳じゃないわ。 女:あんたがそういう態度なら却って好都合。 女:清々してるのよね? この家から出られて。 女:……遺言状が出て来たのよ。 女:弁護士が持って来たわ、あの人のお抱えだとかいう。あんた、面識は? 女:……そう。どちらでも良いけど。 女:端的に言うとね。 女:この……、大袈裟で古臭い屋敷と、この館が建つ敷地と土地の権利一切を、あなたに譲る、という。 女:……何とか言ったらどうなの? 曲がりなりにも我が身の事なのよ。 女:……気持ちはわかるけど、ね。 女:そうやって目を丸くする程度には突拍子もない、馬鹿みたいな話だもの。 女:あんたをここへやったのはお父さんの判断と裁量であって。 女:あんた個人に何事かが遺されるような筋や道理なんて……、法的な有効性は別として、どこにも有りはしないんだから。 女:……私の言いたい事がわかる? 女:あんたがあの弁護士から、正式に遺言状を受け取る前に、私がこの話をしにきた意味が。 女:まさか。 女:……相続を受けるだなんて、言わないわねぇ? 女:…………。 女:本当、何なの……、その眼は。 女:……姉に、向かって。 0:【終】

カスミ:或る、心象のうた。 チグサ:フランスへ行きたしと思えども チグサ:フランスはあまりに遠し チグサ:せめては新しき衣装をきて チグサ:きままなる旅にいでてみん。 チグサ:汽車が山道をゆくとき チグサ:みずいろの窓によりかかりて チグサ:われひとりうれしきことをおもわん チグサ:五月の朝のしののめ チグサ:うら若草のもえいずる心まかせに。 0:タイトルコール。 カスミ:『午後の死と白詰草』 0:【間】 チグサ:まだ……、はいれますか。 0:某月某日、某時刻。 0:賑わいも捌け、女性店員がぼつぼつ店じまいに掛かろうかとした頃。ドアベルが鳴った。 カスミ:(ドアの影の、客の姿をあらためつつ) カスミ:イイよ、どーぞぉ。 0:ふわりと、一見客は入店。 チグサ:ああ、よかったあ。 チグサ:どこも、もう灯りが消えていたので……、 カスミ:平日だから、ね。 カスミ:うちも、後そんなに長くは開けないケド。どうする? チグサ:(曇り無く、しかし淡く笑む) チグサ:いいんです。1杯だけ、お酒を頂けたら……。 カスミ:じゃ……、カウンター、いらっしゃぁい。 チグサ:ふふ、ありがとう。 0:重さを忘れたかの如く、着席。 チグサ:駅の近くの明るいお店は、よく見たら美容院で……、 カスミ:あー。ホント似たカンジになるよねぇ、美容院と、BARとかカフェとかって。 カスミ:(コースターを出しつつ) カスミ:荷物、後ろか、横の椅子にでも置いて。 チグサ:あ……、はあい。 0:一見客は薄い色の小さな鞄を、隣の席に置く。 カスミ:(客を観察しながら) カスミ:そのカーディガン素敵。編み込みスゴい細かいね。 チグサ:(仄かに笑み) チグサ:ありがとう。御下がりで、とても古いものだから、流行りの型ではないけど……。 カスミ:昔の服の方が凝ってて、トガってるから好きだな。 カスミ:コレ、刺繍のトコ全部透けさせてるんだ。えぇ、縫製ヤバ……。 チグサ:お洋服、好きなんですか? カスミ:嫌いでは、ナイかなぁ。偶に古着屋とか、覗くぐらい。 チグサ:わ、本当に好きな人ね。 カスミ:全然、知識とかは無いケド。 カスミ:……寒くない? 上それ1枚なら、ケッコー、薄着だよね。オネエサン。 チグサ:ああ……、まだ少し、夜は冷えますね。 カスミ:(空調のリモコンを手に取りつつ) カスミ:時期じゃないけど、暖かくしよっか。 チグサ:あ、大丈夫、平気です。 チグサ:この季節の、この夜の薄寒さも……、 チグサ:感じて、おきたいので。 チグサ:でも、ありがとう。 0:言い、にこり、と淡く笑む。 カスミ:(言い知れぬものを感じ) カスミ:……そ。 カスミ:さ……、何しよっか。どんなの好き? チグサ:実は、こういう所は初めてで……。 チグサ:おすすめなんて、あるのかしら。 カスミ:(努めて余裕を醸し) カスミ:ふぅん……、なら、ポい事しよーかなぁ。 チグサ:ぽい、こと? カスミ:お客サマのカオ見て、出すお酒決めるの。 チグサ:(手を合わせ、笑みをこぼし) チグサ:わあ、本当? チグサ:テレビで見たことあるけど……、してもらえるの、そんな、 カスミ:よくやるヤツだから。 カスミ:ベストに蝶ネクタイのオジサマじゃなくてゴメンねぇ? チグサ:ううん、その……、今着てらっしゃるシャツ、素敵です。 チグサ:(店員のシャツの柄をマジマジと見て) チグサ:この柄……、竹の林の中に、虎がたくさん居るの? カスミ:(作業にかかりつつ、ロングシャツの裾を摘み) カスミ:アロハとかに多い柄だよね。コレも古着だけど。 チグサ:かわいい……。 カスミ:よく見たらマヌケなカオしてるでしょ、この虎ドモ。 0:長細い脚付きグラスに、香りの強い酒を注ぐ。 カスミ:キライな味じゃ、ナイといいケド……。 0:一見客は微笑み、店内を見渡す。 チグサ:素敵なお店。 カスミ:内装? BARっぽくは無いケド、小綺麗にはしてるかなぁ。 0:冷蔵庫から、スパークリングワインの小瓶を取り出す。 カスミ:(グラスに注ぎつつ) カスミ:オーナーが偶に、ヘンなモノ買って持ってくるのが……、困るケド。 チグサ:(カウンター上に1つ置かれた、パステルカラーのハニワを触りつつ) チグサ:この子とか、かしら……、 カスミ:あぁ、そうそう。そのハニワ、ホントは10コぐらいあって……、群馬のお土産らしいんだけど、 チグサ:へえ……、 カスミ:(軽くステアしつつ) カスミ:カウンターにズラッと並べたいって言うから。 カスミ:スタッフ皆で止めたの。 0:手の甲に1滴落とし、味を確認。 カスミ:ん……。上出来。 0:滑らかな手付きで、グラスを出す。 カスミ:はぁい、おまちどぉさま。 チグサ:わあ、綺麗な色……。 チグサ:これは、何ていうお名前の? カスミ:……えっとね、 カスミ:(シニカルさを含んだ、弓張り月の笑み) カスミ:『ヘミングウェイ・カクテル』、だったかなぁ。 チグサ:「老人と海」の、ヘミングウェイ? カスミ:ま……、飲んでみてよ。 0:一見客はニコリと笑み、グラスを取る。 チグサ:いただきます。 0:静かに口を寄せ、含む。 チグサ:(ぱっと明るみ) チグサ:ん……。美味しい。 チグサ:さっぱり甘くて、スっとして……、飲みやすい。 カスミ:ハーブ系ダメじゃナイ感じだったら、良かった。 カスミ:弱いワケじゃないから、ゆっくり飲んでねぇ。 チグサ:(にこり、と笑み) チグサ:ありがとう。 チグサ:……遅くに、ごめんなさいね? 飲んだら、出ますから。 カスミ:オキニナサラズ。 カスミ:どうせ、終電ぐらいまでは開けてるツモリだったし。 0:店員はボトルに残ったスパークリングを、自前のグラスに注ぐ。 カスミ:ボクも飲もっと。 カスミ:(グラスを女性客に差し出し) カスミ:はい、かーんぱい。ボクはカスミぃー。 チグサ:(グラスで杯を受けつつ) チグサ:乾杯。わあ、初めて……。 チグサ:私は、チグサといいます。 0:女性客の笑みは余りにも、濁り無く映る。 カスミ:(一口含み) カスミ:桃のスパークリング美味し。 カスミ:……ヨロシクね、チグサさん。 チグサ:(一瞬沈黙し、後、曖昧に微笑み) チグサ:……はい、カスミさん。 0:そこはかとない違和を嗅ぎ取りつつ、店員はもう一口、軽く含む。 カスミ:(気を取り直して、話題転換) カスミ:今日は、お休み、とかだったのかな。仕事終わりって感じでも無いケド。 チグサ:おやすみ……。そうねえ。 チグサ:長い、お役目からついこの間、ほどかれたから。 チグサ:おやすみと言えば、おやすみ、ね。 カスミ:……、そっ、か。 カスミ:だから、オメカシして遊びに? チグサ:あ……、(自らの装いを検めつつ) チグサ:余所行きの服なんてあまり着ないから、恥ずかしいんだけど……、 カスミ:まとまってると思うよ。ボクはしないケド、好きな感じ。 チグサ:そうかしら……。 チグサ:(笑み)そう、思い掛けず、自由が利くようになったので……、 チグサ:やってみたかった事、やっておきたい事を、ここ何日かで、順番に。 かえって忙しいくらい。 0:一際、軽やかに、 チグサ:今夜が最後に、なると思うけど。 カスミ:ふぅ、ん……。 0:店員は一口、泡立つグラスを傾ける。 カスミ:サシツカエ、無ければだけどさ、 チグサ:はあい? カスミ:え、っと。 カスミ:……「入っ、て」て、 カスミ:少しの間、出て来てる、とか? チグサ:はいって……?? チグサ:(気付き、ふわと笑み) チグサ:ああ……、すみません違うの、ふふふ。 チグサ:罪を、償っていたのでは、ないんです。 カスミ:……、そ……。 カスミ:良かった、て言うのもヘンだけど。 カスミ:仮釈放中、トカかなって。 チグサ:誤解を招く物言いだったわね。ふふ、ごめんなさい。 チグサ:ちょっと、似た部分はあるのかも、しれないけど……。 カスミ:…………、 カスミ:(何かを言いかけ、) チグサ:カスミさんはこのお仕事、長くされてるんですか? カスミ:(虚を突かれ) カスミ:……ボク? チグサ:見たところ、お若そうなのに、手慣れてらっしゃるから……、 カスミ:テキトーなダケだよ。ま、お酒はちゃんと作るケド……。 カスミ:まだ1年ちょっと、かな。 チグサ:へえ……、それで、お店を1人で任されてるなんて、 カスミ:平日ダケね。週末は2人か3人だし……、 カスミ:ウチは、基本はヒマな店だから。 チグサ:楽しいですか? やりがいは、ありますか? カスミ:楽しい、か? カスミ:……、 カスミ:どう、だろ……、 チグサ:あの、ごめんなさい。私、こんな風に人と話すのが久しぶりだから、ウキウキしていて……、 チグサ:不躾だったわね。 カスミ:ううん……、ダイジョーブだけど。 カスミ:ボクは、ボーっと生きてるから、 カスミ:……考えちゃった。 0:一口、含む。 カスミ:多分、楽しいんじゃないカナぁ。ソコソコ笑うし、ツマンナく無いし。 カスミ:やりがいは、正直まだ、ワカンナいけど。 チグサ:自分の価値は、ここに居る事だって、思いますか? カスミ:自分の、 カスミ:(刹那、沈思) カスミ:……、…………、 0:コト、とグラスを置き。 カスミ:……それは、思わない、かな。 チグサ:(淡い笑みで) チグサ:そうでしょうね。 チグサ:ごめんなさいね、おかしなこと訊いて。 カスミ:自分の価値なんて、そもそも考えないけど。 カスミ:ここを、離れても……、 カスミ:多分、ちょっとの間バランスを崩すだけで。 カスミ:良くも、悪くも、ならないと思うから。 0:店員の面持ちは敢えて抑えた、波立たぬ湖面の月。 チグサ:しっかりと……、あなたはあなたを、養ってあげているのね。 0:ふわりと笑み。 チグサ:大切に、してあげてくださいね。 カスミ:…………。 カスミ:どうして、それを聞こうと思ったの。 チグサ:ええ……。 チグサ:他の人は、どうなんだろう、って。 カスミ:(合わせた眼を逸らせず) カスミ:アナタ以外の人は、ってコトかなぁ。 チグサ:はい……。 チグサ:(にこり、と仄かに、若草の揺れるように笑み) チグサ:お話を、聞いてもらっても、いいかしら。 カスミ:(にぃ、と、三日月の笑み) カスミ:イイよぉ? カスミ:ソレがオシゴト、だからね。 チグサ:わあ、かっこいい。 0:ス、と背筋がやや伸び、薄ら目を細め。静かで、深い呼吸。 0:春の暮れの幻を語るが如く、一見客は話し出す。 チグサ:祖母が、亡くなったんです。 チグサ:ちょうど、1週間前に。 カスミ:……、それは、ご愁傷サマ。 チグサ:(軽いお辞儀で返し) チグサ:ここ1年程はずっと、ほとんど寝たきりのような状態だったから……、突然、という感じでは無かったけど。 カスミ:おいくつ? チグサ:喜寿(きじゅ)を待たずに。七十六でした。 カスミ:まだ、若いよね。 チグサ:今だと、ね。 チグサ:気の短い人だったから……、神様も少し、気を遣ったのかも。 0:薄く笑む。店員は敢えて受けず。 カスミ:最期は病院で? チグサ:いえ……、通院はしていたけど、家で、私が1人で看ていたの。 チグサ:2人暮らし、だったから。 カスミ:それは……、唯一の肉親とか、そういう、 チグサ:いいえ、父も母も生きているし、親族も、居るには居るけれど。 チグサ:(ふふ、と困ったように微笑み) チグサ:本当に皆みんな、祖母と、仲が悪くて。 カスミ:……あ、ちょっと好きな感じになってきたカモ。 カスミ:お金だけ出して、丸投げ、みたいな話? チグサ:そう、ね……。必要な時は連絡をするように、と。 チグサ:祖母は、最後まで貯金と年金で賄っていたけれど。 カスミ:世話になりたくなかった、とかかな。 カスミ:アナタは、キライじゃなかったの? おばあちゃんの事。 チグサ:元々ほとんど、人柄を知らなかったの。 チグサ:時どき両親や親戚の口から、悪口を聞くぐらい。 チグサ:森の奥に独りで住んでいる、意地悪な魔女みたいな人を想像していて。 カスミ:ジッサイ一緒に住んでみたら? チグサ:(笑み) チグサ:想像通り。もっとひどいくらいの。 カスミ:へぇ……。 チグサ:丘の上のお家はとっても、素敵だったけれど。 チグサ:祖父との終(つい)の住処として建てられたから、きちんとした造りで……、 チグサ:お庭が、広く取ってあって。 カスミ:庭広いのはイイよね。 チグサ:魔女にはもったいない、って、よく思ったわ。 チグサ:とにかく意固地でね、気に入らない事があると何日も口をきいてくれないの。 チグサ:物の場所とか、暮らしの勝手も何も、まるで教えてくれないし……、初めの頃は困り果てて。 0:僅か懐かし気に眼を細め、グラスを傾ける。 カスミ:そんなヒトの所へ……、アナタは独りで行かされたワケだ。 チグサ:ヘンゼルとグレーテルのように、助け合える連れ合いがあれば良かったけれど。 チグサ:生憎私も、祖母と同じで一人ぼっちだったから……、 ちょうど、良かったんでしょうね。 0:常連客はス、と一口、黄金の液を含む。 チグサ:美味しい。 カスミ:(ニヤと笑みを含み) カスミ:……全然チャカすんじゃナイけど、知らない家のそーゆーハナシって好きだなぁ。 チグサ:(にこりと淡く笑み) チグサ:こんなの、面白い? カスミ:今のトコロねぇ。 カスミ:グレーテルが独りボッチだったのは、どーしてなのか気になるなぁ。 チグサ:ふふ。 チグサ:……私の家は、両親も兄も、2つ上の姉も皆、優秀で。 チグサ:整えられた路(みち)を決して外れない、秀才一家。 カスミ:アナタだけは、違ったトカ? チグサ:(ふわりと笑み) チグサ:ええ。私は本当に、何をやっても駄目。路(みち)を外れるどころか、レールにさえ乗れなくて……。 チグサ:小さい頃から塾に通って、習い事も沢山、していたけれど。兄や姉ほどの芽が出る事もなく、長続きもせず。 カスミ:偶々合うヤツが無かったのかな。 チグサ:……そう言ってくれる人が、いれば良かったのにね。 チグサ:次第に私への興味を失って行く両親や兄の顔色を、ただ不安気に見ているだけの子供に……、 チグサ:友達が出来無いのも、無理は無くて。 カスミ:……、ふぅん。 チグサ:アルバムなんて、もう見る事はないけれど、どの写真を見ても私、きっと、酷い顔をしているわ。 チグサ:重たい甲羅を背負った、ノロマな亀みたいな子だって、あれはきっと、姉が私に、言ったんだったかしら……。 0:夢を見るように語り。 0:店員は、カウンター内の木椅子を寄せる。 カスミ:ごめん、座るね? チグサ:あ……、どうぞ。 チグサ:ごめんなさいね。 カスミ:ううん、ちゃんと聞きたいから。バカップルのノロケ話よりヨッポドいいや。 チグサ:(店員の明るい金髪に眼を移し) チグサ:髪、綺麗。 カスミ:……コレ? ん、最近、また入れ直して……。 カスミ:(毛先を指でもてあそびつつ) カスミ:プリンな感じも、ヤサグレててキライじゃ無いんだケド。 カスミ:ま、背筋伸びる気はするよね……、綺麗に仕上がると。 チグサ:私もあの時いっそ、そんな風に出来てたら……、 チグサ:なんて。ふふ。 カスミ:別にヤンキーとかじゃ無かったケドね。そんな根性ナカッタし……。 カスミ:今も、サブカル気取ってるダケ。 チグサ:でも、私は、どうしたい、とか、何が好き、とか、全然なんにも、無かったから……。 チグサ:勇気以前の、問題だったかもね。 カスミ:……、環境が悪い、んだと思うケドね。客観的には。 チグサ:子供に見えている世界は、狭いものね。 チグサ:本当に……、両親の決めたあるべき姿と路(みち)だけが、手足を伸ばして許される全部だと思っていて。 チグサ:そこにすら、背が足りなくて、手が届かないことを知った女の子は……、 チグサ:泣きもせず、笑いも出来ず、ただ地面に突っ伏して、うずくまるしか、ありませんでした、とさ。 0:ふわりと浮いた笑み。 チグサ:……なんて。 カスミ:(にやりと笑み) カスミ:……めでたく、ナシ。 カスミ:まだ、ヘンゼルとグレーテルは旅にも出てないケド? チグサ:どちらかと言えば、赤ずきん、かしら。 チグサ:病気のお祖母様の元へ、お遣いに出されたんだから。 カスミ:オオカミが待ってるのカナぁ。 0:くい、と一口含む。 カスミ:お祖父ちゃんは? チグサ:何年か前に、既に亡くなっていて……。 チグサ:親戚の人たちに言わせれば「不当な」ほどの額を相続した事で、祖母はかなり、好き放題言われたみたい。 カスミ:奥さんなのに?? チグサ:「相応しくない」、という風なニュアンスかしら。 チグサ:賎(いや)しい生まれの、カフェで女給をしていたような、祖父を誑(たぶら)かして家に入り込んだだけの女に、と……。 カスミ:ナニそれぇ、ゲロっゲロぉ。 チグサ:(困り笑顔で) チグサ:ええ。本当に。 カスミ:お祖父ちゃんは死ぬ前は、守ってくれなかったのかな。 チグサ:昔の人だから……。 チグサ:愛情は、あったんだと、思う。 カスミ:ふぅーん……。 カスミ:まぁ、イイや。 カスミ:それでぇ、アナタはどーして? チグサ:私? カスミ:アナタはどうして、夫を亡くして病気持ちの、イジワルな、親戚中の鼻つまみ者のバアさんの所へ、召使いに出されたのかぁ、ってコト。 チグサ:ああ……。 チグサ:(フワと笑み)それは簡単。 チグサ:ついに、何一つ満足に覚えられないまま……、 チグサ:私が、使い物にならなくなってしまったから。 カスミ:使い物に? チグサ:高校受験に失敗したの。兄も姉も出た進学校に、私だけ落ちてしまって。 チグサ:家庭教師の人たちは精一杯やってくれたし、私も、自分なりに、力を尽くしたと思うんだけど……、 カスミ:うん。 チグサ:滑り止めに受かった私を、それでも「おめでとう」と言ってくれる人は、居なかった。 カスミ:ご期待に、沿えなかった、と。 カスミ:ちなみに受かったのは? チグサ:えっと……、「有卿(うきょう)」。 カスミ:めっちゃめちゃカシコいトコじゃん。友達が1人、確かソコ出てるけど……、 チグサ:その人はきっと、とっても優秀な人だと思うわ。きっときちんと卒業して、多分大学にも、 カスミ:行ってるね。「晴門(せいもん)」。 チグサ:わあ、すごい……。 チグサ:そもそも、そういう人が行く高校だもん、十分……。 チグサ:でも、私の家族に取っては、お目当て以外は全部、同じだったみたい。 0:ふふ、と眉下げる笑み。 チグサ:最後のチャンス、という風にでも思っていた、当時の私は……、 チグサ:きっと、絶望したでしょうね。 チグサ:不思議と、あまり覚えていないけど。 カスミ:…………。 チグサ:そこまでなら、俯(うつむ)いて、部屋の隅の造花みたいに、押し黙って生きていけば良かったんだろうけど……。 カスミ:違ったんだ? チグサ:望まれた風に育てなかった自分が、望まれてもいない場所で、それでもそれなりに、良いように生きて行こうとする事が、なんだか、どうにも、出来なくて……、 カスミ:目的を失っちゃったカンジかな。 カスミ:うんうん。 チグサ:ある日、高校に、行けなくなってしまったの。 カスミ:あぁー、 カスミ:そっちかぁ。なーるほど。 チグサ:虐められていた、とか、そういう事は何も無いのに。 チグサ:本当に、突然。 0:一見客はふ、と虚空に眼を浮かす。 チグサ:……そう言えば……。 チグサ:あの日、私、日直だった。期末の範囲を、2人で書き出す事になっていて……。 チグサ:今の今まで、忘れていたけど。急に休んで、申し訳無い事を、してしまった……。 カスミ:ちなみに日直の、もう1人の名前は? チグサ:……、思い出せない。もう何年も前の事だし、一学期で付き合いも浅かったし……、 カスミ:じゃ……、向こうもそうだよね、きっと。 チグサ:…………。 チグサ:ふふ、ふ。そうね。 0:視線を僅か、空に浮かべ。 チグサ:……本当に……、この1週間、色々な事を思い出すわ。 チグサ:どうして、かしら。 カスミ:……、肩の重荷が降りたから、脳ミソ解凍されてるんじゃナイの。 チグサ:そう、ね……。そうかもしれない。 チグサ:重荷、だったのかしら……、 カスミ:それで? 結局高校は? チグサ:議論も長引かず、2学期末を迎えることなく。 カスミ:うんうん。 チグサ:何もやる気が起きなくて。 チグサ:教科書も、取りに行かなかったの私。家族も、関心を示さなかったし。 カスミ:……、ふぅん。 チグサ:水槽の中で一匹だけ、生きてる事を忘れられた、魚にでもなったような気分だった。 チグサ:何かの手違いで、生まれて、ただ生きているだけの……、 カスミ:誰かが言ったの。 チグサ:ううん。 チグサ:薄暗い部屋で、独りで丸くなって、小さくなっていると……、 チグサ:そんな事ばかり、浮かんでくるのね。 カスミ:(微か、長いまつ毛が震え) カスミ:……、……。 カスミ:そう、だね。 チグサ:昨日と今日の区別が曖昧な日々を、1年ほど続けた辺りで、 チグサ:そう、本当に……、ある日、突然、 チグサ:「お前は明日から、お祖母さまと一緒に暮らすんだ」、って……、 カスミ:ヒキコモリの赤ずきんを、悪い魔女のトコロへ遣いに出そうだなんて。 カスミ:ヒドい親ぁ。 チグサ:(眉下げ、笑み) チグサ:ていうか、無茶よね。 チグサ:でも……、これは罰なんだって、当時の私は思ったみたい。 チグサ:(笑みが次第に薄れ) チグサ:親の望みを叶えられない、出来損ないの赤ずきんは。 チグサ:要らない子どもの、グレーテルは。 チグサ:お仕置きのように、口減らしのように、 チグサ:白詰草の丘に、 チグサ:捨てられて……、 カスミ:……さて、そこではドンナ困難が、女の子を待ち受けていたのでしょう、か。 チグサ:(ふ、と笑い) チグサ:ふ、ふふ……。 チグサ:女の子、という歳でも、なかったけれど。 カスミ:十代でしょ? チグサ:ぎりぎり、ね。でも、子供か。 チグサ:中身は何にも、変わらないけど……。 0:木椅子がカタンと鳴る。 カスミ:寒いの、ホントに平気? チグサ:大丈夫、ありがとう。 0:一見客は一口、含む。 チグサ:押し付け合いの末に、白羽の矢が立ったのね。お誂(あつら)えなのが居るだろう、って。 チグサ:嫌われ者の魔女と、家の汚点の、落ちこぼれ。 チグサ:体(てい)のいい厄介払い。 カスミ:臭いモノは纏めて詰め込んどけってコトね。エリートは考えるコトがチガぁう。 チグサ:ふふ。本当にね。 チグサ:……でも……、 チグサ:ごみ箱と言うには、あんまりに綺麗な、お家だったわ……。 0:薄れた夢を、思い出そうとするような、眼。 チグサ:トランクを引いて丘を登って、初めて館を見た時の事を忘れない。 チグサ:風に揺れるクローバーの一面の緑の中に、白いお家が浮かんで……。 チグサ:小ぢんまりとした、和洋折衷(わようせっちゅう)建築の洋館。 カスミ:大正レトロっぽいヤツね。 チグサ:そう、白亜の壁と木の枠取りが、暖かで。 チグサ:庭は、よく手入れをされた、英国式のコテージガーデン。素朴で上品な色の薔薇に、クレマチス。ルピナスや、シダの仲間。 チグサ:自然の野山の風景を、ミニチュアにしたような。 カスミ:庭、そーいうカンジなんだぁ。 カスミ:あの、絵本のヒト……、 チグサ:ターシャ・テューダー? あんなに広くは無いけれど、様式は似てるわね。 チグサ:こんな素敵な庭のあるお家に住めるなら、学校辞めて良かったかも、って……、夢中になって見ていたら、約束の時間にすっかり遅れてしまって。 チグサ:初日から、心証最悪だったっけ。 0:懐かしむように眼を細め、微笑む。 カスミ:魔女が、手入れしてたの? 庭。 チグサ:ええ。たくさんのハーブや、柵に絡ませた蔓植物や……、全部、祖母が。レイアウトからやったんですって。 チグサ:草や土とお喋りをするように、毎日お世話をしていて……、 カスミ:まだ動けてたんだ、最初は。 チグサ:本格的に、悪くなるまでは。 チグサ:日課の散歩にも1人で出ていたし、同じように年取った、大きな猫が居着いてたり…、 チグサ:「なんだ、この人はちっとも孤独じゃ無いんだ」、って。 チグサ:最初の頃は思ってた。 カスミ:江國香織(えくにかおり)の小説に出て来そー。 チグサ:好きなの? カスミ:んー、ムカつくんだけど読んじゃう枠の作家だよね。 チグサ:ちょっと、わかるかも……。 チグサ:本も、よく読む? カスミ:最近はあんまり、だけど。学生の時とかは、ソコソコ……、 チグサ:誰が好き? カスミ:……、 カスミ:土屋鞠子(つちやまりこ)、とか、 チグサ:少女小説の人よね……、 チグサ:「金の髪(くし)のコーマ」とかの、 カスミ:(遮り)今は。 カスミ:読まない、けどね。 カスミ:……、それで、 チグサ:あ……、ごめんなさい、 カスミ:ううん。 カスミ:ホントに、イキナリ2人暮らしだったんだ。 カスミ:サポートとかも本気で全然? チグサ:そう、ね……。お金は毎月振り込まれるけど。 チグサ:父も、父の兄妹たちも、親の事なのに、一度も顔を出さずじまい。私が思っていたよりもずっと、仲は冷え切っていたみたい。 カスミ:お祖母ちゃんもだけどさ、アナタには、 チグサ:私は……、家族の数に、入っていなかったから。 0:一見客は一口含む。 チグサ:初めは酷いものだったわ。 チグサ:世話なんて必要ないって、突っぱねていたようだし。 チグサ:「すぐに根をあげる」、「お前も他の連中と同じで、私を貶(さげす)んでるんだろう」、って。 カスミ:ふぅん。 チグサ:でも……、除け者同士、通じるところがあったのかは、わからないけど。 チグサ:少しずつ、ほんの少しずつ、お互いに馴染んでいって。 チグサ:意固地で嫌味なのは、ある程度地(じ)なんだって気付いてからは、かえって上手くやれた。 カスミ:へぇ……。親戚に冷たくされたからじゃなくて? チグサ:どこかで嫌気がさして、我慢するのをやめたんだと思う。 チグサ:暖炉のそばで、2人して……、父や叔父の悪口を言い合うのは、面白かったわ。 カスミ:イイじゃん、ボクは好きかも。 チグサ:若い頃カフェで働いていたから、口が達者だったのね。堅い家柄の人たちには、それが、 カスミ:ナマイキでクチサガナイ、陰険で性悪で嫌な嫁に映った、と。 チグサ:本当に口は悪いのよ。通院の時だって、医者がボンクラだとか、ナースが下品だとか、ほとんど寝たきりになってからも、口だけは減らなくて……。 チグサ:私しか聞く人がいないから、本当、笑うしかなかった……。 0:一見客は眉を下げ、しかし屈託なく笑う。 カスミ:今のトコ、そんなに悪くも、って感じだけど。 チグサ:勝手を覚えてからは、少しずつ楽になったんだけどね……、 チグサ:そもそもが大変。病気のお祖母様は、元からオオカミみたいに根性曲がりだし。 カスミ:喰われちゃうまでもなく? クフフ。 チグサ:手回りをわざと昔風に作ってあるの。バカみたいに大きなキッチンストーブがあって、私、そんなの見た事も、触った事も無かったから、 カスミ:て、どんなの? チグサ:ええと、大きな鉄の箱で、要は薪オーブンなんだけど。中で火を焚いて、その熱で調理をするのね。 チグサ:竈(かまど)と焜炉(こんろ)とストーブが、1つになったような……、 カスミ:昔の映画とかに出てくる、台所に置いてあるヤツか。 チグサ:そうそう。お湯一つ沸かすのにも、いちいち火を入れるのよ。電子レンジが恋しかった。 カスミ:(揶揄の色を滲ませ) カスミ:コダワリのレトロでスローな生活、だね。不思議系の女子が挑戦して挫折するヤツ。 チグサ:とにかく面倒臭いのよ。お芋なんかを焼くと、美味しいんだけど……。 カスミ:薪割りとかしてたのぉ? ていうか電気は流石に、 チグサ:まさか。固形燃料を取り寄せ。 チグサ:もちろん電気も普通にあるし、冷蔵庫や洗濯機はちゃんとしてる癖に、って……。 カスミ:盥(たらい)と石鹸で手洗いじゃナイんだ? チグサ:冗談! ふふ……。 0:一頻り、笑みの交差。 チグサ:それで……、不便なキッチンで、それでも頑張って料理をしたらしたで、「食べられたもんじゃない」、「仕込んでやる」、って、腰も悪い癖に張り切って。 チグサ:タルトだのパイだのカヌレだの、振る舞う相手もいないお菓子の作り方を、何種類も覚えさせられるし、 カスミ:損は無さそーだけどねぇ。 チグサ:祖父の書斎の片付けで、重い本を何箱も運んだり、庭の手入れにこき使われたり、性悪な猫と日々格闘したり。 チグサ:呼び付けられたら飛んで行って、もう散々。 カスミ:性格も魔女と似てるんだぁ、猫。 カスミ:もしか、黒いの? チグサ:(呆れたような笑み) チグサ:なんともいえない茶色。 チグサ:最大の敵と言っても過言ではなかったわ、物は倒すし、食器は割るし……。祖母とはどういうわけか、上手くやってたけど。 カスミ:クフフ。ソイツは、今も居るの? チグサ:あ……、 チグサ:いえ……、 0:追憶の笑みが、薄れ。 チグサ:1年と少し前の台風の日に、どこかに行ってしまったっきり、帰って来なくて。 チグサ:年取った猫だったから、もう……、 カスミ:死んじゃってる、 カスミ:……かもね。 チグサ:さあ……、わからない。 チグサ:結局1度も……、私のあげた餌、食べてくれなかったわ。 カスミ:……そ、っか。 チグサ:祖母は餌やりっていう、唯一の仕事を失った事になるわね。 チグサ:強がっていたけど、目に見えてショックを受けていて……、 カスミ:うん、 チグサ:それが切っ掛けかは、わからないけれど、 カスミ:ガク、っと? チグサ:容態が、悪くなっていった。 チグサ:動けない日が増えて、料理も、庭の手入れも、出来るような状態では無くなっていって……、 カスミ:ふぅん……。 カスミ:(やや間を置き、切り替え) カスミ:…………そういう感じの庭ってさ、自然っぽい感じに見えて、 チグサ:ええ……、すっごく面倒で大変。 チグサ:季節ごと、草ごとに、細かく気を使わないとだし、何より問題は虫なんだけど……。 チグサ:祖母は、庭が荒れるのだけは許さなかったから、 カスミ:アナタが引き継いだ、とか? チグサ:恐ろしい事に、よ。 チグサ:悪戦苦闘。審査員の点は辛(から)いし。 カスミ:へぇー……。 カスミ:色々教わって? チグサ:剪定とか肥料の撒き方とか、細かい事は怒られながら覚えて、本を自分で何冊も取り寄せて……。 チグサ:何やってるんだろう私、って、 カスミ:思っちゃった? チグサ:思った頃には、一通り手際よく、出来るようになっちゃってたわ。 0:ふふ、と笑い、一口含む。 チグサ:脚が利かなくなってからは、私が車椅子を押してお散歩。 チグサ:歩いてないんだけど。 カスミ:(吹き出し) カスミ:ぷっ、ウクク。 チグサ:う、ふふ……。 チグサ:車椅子を押すのって、今は慣れたけど最初、不思議な感覚だった……。 カスミ:そーなんだ。押した事ナイかも。 チグサ:乗る人の意識はあるのに、全てを委ねられているような……。 チグサ:家の近くにね、紅葉(こうよう)が綺麗な公園があるの。 チグサ:冬枯れの景色も、私は好きなんだけど……、禄にそんな話もせず、黙(だんま)りの祖母と2人、池の周りをグルっ周って。 チグサ:時々一方的に、昔の話をしてくるの。 カスミ:思い出バナシ的な? チグサ:大方は悪口。 チグサ:誰々は昔から本当に憎たらしいとか、誰々が見て見ぬ振りをした事を、自分は一生忘れない、とか。 カスミ:恨みで生きてるってヤツだね。 チグサ:うんざり。お追従(ついしょう)をサボると怒るし。 チグサ:……たまに、女給さん時代の話や、祖父と行ったヨーロッパ旅行の話が出た時は、アタリだ、ってこっそり思ってた。 カスミ:へぇ、新婚旅行? チグサ:結婚前に。新婚の時はバタバタしていて行くに行けなかったって、その時の悪態も、まあ定番メニューだったんだけど。 カスミ:ウクク。 チグサ:ウェールズの素晴らしいガーデンで見た、金のレインツリーのトンネルの話。 チグサ:フランスで、お城巡りをした話。 チグサ:本場の、特にイタリアの洋菓子は絶品で、日本のは全部偽物だって、またそこから悪態に入るとハズレ。 チグサ:ローマの遺跡はただの盛り土だとか、悪口もふんだんに盛り込まれるんだけど。 チグサ:不思議と……、車椅子を押しながら聞いていると、祖母と祖父のヨーロッパ旅行に、同行しているような気分になる時があって。 チグサ:それがなんだか、面白かった。 カスミ:楽しみの少ない身としては? チグサ:ふふ、本当にそう。 0:一口、含む。息を吐き、笑みは薄れ。 チグサ:そういう……、祖母の人生で少しだけの、「価値ある」時間を詰め込んだような、ポツンと寂しいお家を見上げて、クローバーの丘を登っているとね……。 チグサ:私はこの、何もかも過ぎ去ってしまった、老い先短い、可哀想な老人の、萎えた手足の替わりであって。 チグサ:それが私の、今の所の、生まれて来た意味なのかな、なんて、不思議な気持ちになった。 カスミ:……。生まれてきた、 チグサ:(笑みが戻り) チグサ:登りも一苦労なんだけど、大変なのは下りで。 チグサ:手を離したらそのまま滑って行っちゃうから、ブレーキを掛けた状態で、こう、こうやって、体重を後ろに引いたまま、坂を降りて行くの。 チグサ:腕が痛くて、本当に毎回……。 カスミ:運動不足にはならなさそうだね。 チグサ:私、元々は結構、肉付きが良かったんだけど……、 カスミ:今は細いもんね。スラってしてる。 チグサ:いえ……、あなたこそ、 カスミ:ボクは華奢なダケ。幼児体形だし。 カスミ:あんまり気にシテもナイけど。 0:店員はニヤと笑み。 カスミ:ていうか、魔女の家に囚われて、逆に痩せちゃうとか、ちょっと面白いね。 チグサ:丸々と太ってる余裕なんて無いの。とんだお菓子の家もあったもんだわ。 0:ふわりと笑む。 チグサ:本当……、たまのご褒美に、美味しいお茶を淹れてくれなかったら……、 チグサ:もう、やりきれなった。 カスミ:ふぅん……。 カスミ:そんなのは、してくれるんだ。 0:一見客は一口、グラスを傾ける。 チグサ:普段の口汚さからは想像出来ない、本当に美味しいお茶なの。ほのかに甘みがあって、ふくよかで……。 カスミ:カフェ仕込みの本格的なヤツかな。 チグサ:本人は「純喫茶だ」って怒るんだけど。 チグサ:……だいぶ悪くなってからも、痩せ我慢して、お茶だけは淹れてくれて。 チグサ:自分が淹れなきゃ、私じゃ下手だって。 チグサ:最期まで、美味しくて。 チグサ:ちょっと……、憎たらしかった。 カスミ:……、そっか。 0:一見客はフと微笑む。 チグサ:いつも……、聞くばっかりだったから。 チグサ:人に話すのって、楽しいのね。 カスミ:そぉ? 良かった。 カスミ:じゃなきゃ、こーゆーお商売はやってらんないよね。話したいコト話してイイ場所って、あんまナイし。 チグサ:そうか……。ふふ。 チグサ:でも、じゃあ、あなたが、話したくなった時はどうしてるの? 0:店員の眼に一瞬、陰が差す。 チグサ:聞くばっかりのお仕事だろうし……。 チグサ:これも、不躾だったらごめんなさい。 カスミ:(切り替え) カスミ:んーん、イイけど。 カスミ:ま、仕事は仕事だとしてぇ。 カスミ:友達とか恋人にでも、聞いてもらうんじゃない。ボクはあんまりだけど、お店ハネてからヨソの店行く人もいるし。 チグサ:……そう。 チグサ:聞いてもらえる相手や場所を、自分で見つけたり、作ったり……、 チグサ:そうやってみんな、自分なりに自分を、養っているのよね。 カスミ:……上手く出来てるヒトばっかりじゃ、ナイと思うケド、ね。 チグサ:私は、無理だな。 カスミ:……、どして? 0:一見客は店員を見詰め。 チグサ:価値が、無いから。私には。 カスミ:……。 カスミ:って、思うんだ。 チグサ:ええ。 カスミ:どーしてぇ? 0:仄かな笑みは、今は消え。 チグサ:「自分の価値は自分が決める」って、よく言うけど。 チグサ:それなら……、自分で自分自身に、価値を、認められないのなら。 チグサ:人がどう言おうと、その人にはやっぱり、価値が無いと思うから。 カスミ:……自分で自分に、か。 カスミ:価値が無きゃダメなのか、ってトコもあるけどね。ソモソモ。 チグサ:周りはあまり、困らないかもね。 チグサ:価値の無い人は従順だから。 チグサ:あの人、……祖母は、周りの誰もが認めなくたって、自分の中の価値を、記憶を、大切にしていたから……、 チグサ:最期まで頑なで、いられたんだと思うわ。 チグサ:私は、自分に価値を感じないから、1人では何も決められない。 カスミ:……、……。 0:沈黙。店員のグラスは薄く汗をかいている。 チグサ:でも、ちょっと楽なの、本当は。 カスミ:そう、なんだ。 チグサ:家では結局、何の使い物にもなれなかった私には……、 チグサ:祖母のお世話をする事が、たった1つの、価値だったけれど。 チグサ:それも、1週間前に終わった。 カスミ:…………、 チグサ:前の日にね、一緒に庭の手入れをしたの。 チグサ:いつもはもう、見てるだけだったんだけど、 チグサ:「鋏を使いたい」って言うから。 チグサ:車椅子を寄せて、久々に、少しだけ、枝切りをしてもらって。 チグサ:割と、元気に見えたんだけど。 カスミ:うん。 チグサ:いつも、私の手入れを監督する時は、蕾を痛めるとか、水の撒き方が悪いとか、いちいち小言ばっかりなのに。 チグサ:その日は、一通り作業が終わっても何も言わずに、家に入る時に一言だけ。 チグサ:「私の庭は今日も元気だ」、って。 カスミ:…………。 チグサ:今は私がやってるのに、って、腹も立ったけど。 チグサ:初めて、合格を貰えた気がして。 チグサ:少しだけね、嬉しかった。 カスミ:……そっか。 チグサ:それきり、黙ってしまって。 チグサ:急な黙(だんま)りはいつもの事だったから気にもせず、体温と脈を計って、薬を飲ませてから、ベッドに上げて。 チグサ:日課の、1分くらいの、ほんの些細な世間話をして、 チグサ:明日は風があるみたい、とか、そんな……。 チグサ:眉を顰(しか)めるだけで、返答は、無かったけど。 チグサ:……それから……、そう、私、夕食の準備までの間に……、1人で、お茶を飲んだんだったわ。 チグサ:祖母みたいに上手くは、淹れられなかったけど。 カスミ:……聞いてるから、続けてね。 チグサ:(緩慢に首肯し) チグサ:それで……、いつもの時間に、オムツを変えて、夜の薬を飲ませて。 チグサ:朝晩はまだ冷えるから、って、毛布を被せてから、コールブザーのスイッチを、手元から離れないように確認して。 チグサ:いつもの通り、返事のかえらない、おやすみの挨拶をして。 チグサ:寝息を確かめてから、部屋を出た。 チグサ:少しだけ本を読んで、私も、庭の作業で疲れていたから眠くて、きっと、すぐに……、 チグサ:深く、眠ったと思う。 カスミ:……うん。 チグサ:そうしたら翌日、 チグサ:祖母が、死んでいた。 カスミ:…………。 0:緑と白の、風景の記憶。 チグサ:クローバーが揺れてたわ。 チグサ:窓の向こう、あの日は風があったから。 チグサ:「予報の通りだ」って、私、変に冷静で……、 カスミ:……、 チグサ:波打つ緑を背景に、いつもの通り眉を寄せて、深い皺を刻んだまま。 チグサ:眠るように、あの人は死んでいた。 カスミ:……。 カスミ:苦しまずに、死ねたのかな。 チグサ:悶えた跡は、無かったけれど。 チグサ:他人には、わからない。 チグサ:結局、最後まで、わからなかった……。 カスミ:……そう。 0:ほんの刹那の、沈黙。 0:静かな、追憶と内省の呼吸。 チグサ:その後は、早かったわ。 チグサ:叔父に連絡をしたらすぐに、たくさん人が来て。 チグサ:あの家に、あんなに人が入ったのは初めてだった……。 カスミ:スグにお通夜? チグサ:そこからは、コマ送りみたいに時間が過ぎて、あまりよく覚えていないんだけど。 チグサ:お通夜も葬儀も、隅の方に居た。 チグサ:親戚の人たちと、あの人について共有しているものなんて何も、無いと思ったから。 カスミ:……そうだよね。 0:一見客の眼差しは、壁を透かし、遥か遠い。 チグサ:空が澄んで、綺麗な午後の。 チグサ:火葬場の煙突から昇る煙を見て、あの人は、身軽になれたんだと思った。 チグサ:出会った時からずっと、何もかも、重たそうだったから。 チグサ:要らない物は全部置いて、価値のある思い出だけを持って。 チグサ:天国か、それかもしかしたら、祖父と一緒に、叶わなかった新婚旅行に行ったのかもしれない。 チグサ:もう一度見たいと言っていた、パリのサンジェルマン通りにも。 チグサ:それなら、例のマロニエの並木道で、車椅子を押しているのは祖父なんだろうか、 チグサ:それとももう、足なんて関係無いのかな、なんて、ぼんやり考えながら、 チグサ:悪い魔女が死んでしまったら、お話の女の子は、どうなるんだろう、って……、 0:語りながら、自分が涙を流している事に気付く。 チグサ:あ、……? カスミ:ティッシュ、要る? チグサ:(己の涙を確かめながら) チグサ:…………、 チグサ:私……、一度も、泣きたいなんて、思わなかったのに。 カスミ:泣きたくて泣くんじゃナイもんね。 カスミ:人に話して、整理がついたんじゃないの。 0:店員はティッシュペーパーを手渡す。 チグサ:(受け取り、小さく畳んで、涙を拭いつつ) チグサ:そうね……。そう、かも。 チグサ:…………。 0:記憶の雫は拭われ。再び、仄かな笑み。 チグサ:聞いてくれて、ありがとう。 カスミ:ううん。ケッコー、面白かったよ。 チグサ:ふ、ふふ。良かったあ……。 0:ス、とグラスを空ける一見客。店員は、見ている。 チグサ:……私、ね。 カスミ:うん。 チグサ:今夜、死ぬつもりだったの。 カスミ:……、……。 チグサ:祖母の部屋を片付けたり、何となく、もう主のいない庭の世話をしたりしながら、ずっと考えていたんだけど。 チグサ:やっぱり私は、自分の中に、養うべきと思えるような価値を、見つけられそうに無かったから。 カスミ:…………。 チグサ:煙になった祖母を見て、羨ましくなったのかもしれない。 チグサ:役目を終えて、何かであろうとしなくていい事なんて、今まで一度も、無かったから。 チグサ:それがこんなに楽なら……、この心地よさを持ったまま、私もどこかへ、消えてしまいたい、って。 0:暫しの、沈黙の後、 カスミ:ふぅん……、 0:店員は三日月のように笑む。 カスミ:……やっぱり。そーいうカンジだったんだぁ。 カスミ:ボクの勘もバカになんないなぁ。 チグサ:え……? カスミ:今……、飲み終わったカクテルね。 カスミ:実は名前がもう1つ、あるんだよね。 チグサ:『ヘミングウェイ・カクテル』じゃなくて? カスミ:『午後の死』、ってゆーの。 カスミ:「し」は「死ぬ」の「し」ね。 チグサ:午後の、死……。 カスミ:ヘミングウェイの短編のタイトルなんだって。ホントはソッチのが有名なんだけど。 カスミ:ごめんねぇ、「このヒト死にそうだな」って、何か思っちゃったから。 チグサ:顔に、出ていた……? カスミ:雰囲気、かなぁ。 カスミ:この世の何とももう、繋がってナイようなカンジ。素でそーいうヒトってあんまりいないから。 チグサ:…………。 カスミ:たまにやっちゃうんだよねぇ。 カスミ:雰囲気でー、とかおまかせで、って言われた時に、自分の中で勝手に名前付けたり、変な名前のカクテル作ったり。 チグサ:例えば? カスミ:『気付いてないのは自分だけ』とか。 カスミ:『自惚れ野郎』とか。 カスミ:シンプルに『雨女』とかね。 チグサ:(楽しげに苦笑し) チグサ:わあ、悪い遊び……。 チグサ:祖母と気が合いそう。 カスミ:もちろん、違う名前で出すけどねぇ。 カスミ:話してホントにそんなカンジだったら、ボクの勝ち。 チグサ:『雨女』、どんな味か気になるわ。 カスミ:ちゃんと美味しくは作るよ、お客サマだし。 チグサ:(ふわりと笑み) チグサ:私のも、本当に、美味しかった。 チグサ:ごちそうさま。 カスミ:……、はぁい。 カスミ:……死ぬつもり、だったから、やり残した事を? チグサ:ええ……、考えたら私、若い女の子がするような事、何にもしてこなかったなって。友達も居なかったし。 カスミ:どんなトコ行ったの。 チグサ:近場だけだけど。カフェでお茶したり、レストランで食事をしたり、海や、テーマパークへも行って、一通り……。 チグサ:どこも思ったより空いてたわ。 カスミ:平日だしねぇ。1人で? チグサ:(困り笑顔で) チグサ:そこは、ご愛嬌。 チグサ:友達や恋人なんてすぐには作れないし、直後に、死ぬのも悪いし……、 カスミ:ま、ね……。 チグサ:想像していたくらいには、楽しかった。 チグサ:私の小さな器に詰め込んで持って行くなら、こんなものかな、と思って。 チグサ:それで、最後に……、 カスミ:お酒、飲みに。 チグサ:ええ。 チグサ:ここの前の道をね、祖母の通院の帰りに、タクシーで通り過ぎるの。 チグサ:看板やネオンを見ながら、こういう所へ、自分もいつか、入る日が来るのかな、って、思ってたから。 カスミ:どーだった? チグサ:とっても素敵。1番、楽しかった……。 チグサ:どうも、ありがとう。 0:一見客は微笑み、丁寧にお辞儀をする。 カスミ:どう、いたしまして……。 カスミ:(カウンター内の時計を見やり) カスミ:もう日付、変わっちゃったね。 チグサ:本当、いつの間にか……。 チグサ:お会計、してくださる? ごめんなさい、お仕事長引かせて。 カスミ:(伝票を取り、書き込みつつ) カスミ:んーん、全然。もっと遅くなるコトも普通にあるし。 チグサ:ここで死んだりしないから、安心してね。 カスミ:……。 カスミ:ソレは良かった。オーナーに怒られちゃう。 0:一見客は鞄から、小さな財布を出す。 チグサ:せめて、初七日(しょなのか)までは生きていようと思ったの。 チグサ:祖母を心から弔い、おくる人は、どうやら本当に、居ないようだったから。 チグサ:私の、最後の役目として。 カスミ:…………。 チグサ:家の整理は済ませたし、庭のお世話も、今朝終えて。 チグサ:今日の内に、あのクローバーの丘を登って家に帰って、最後に1杯、お茶を淹れてから……、 チグサ:お薬を、飲もうと思っていたんだけど。 カスミ:……予定が変わっちゃったね。 カスミ:気にするタイプ? チグサ:ふふ、いいえ。誰に言われた事でも無いし。 チグサ:日付なんて、人が勝手に決めたものだから。 カスミ:……そ。 カスミ:はい、これ。 0:店員は伝票をミシン目で切り取り、渡す。 チグサ:(金額を見て) チグサ:……900円で良いの? 安過ぎない? カスミ:初回は、チャージ無料なの カスミ:「また来てね」、っていう意味で。 チグサ:(眉を下げて笑み) チグサ:私は、もう来ないから……、 チグサ:取ってくれていいのよ。 カスミ:1回きりのお客さんなんて珍しくないし、ソコはイーの。 カスミ:……でもさ。 チグサ:はあい? カスミ:今日帰って、お茶飲んでから死んだら。 カスミ:……「午前の死」に、なっちゃうね。 0:ふ、と静寂。 チグサ:……、 チグサ:…………。 カスミ:……言ってみたダケ。 カスミ:帰りは? タクシー? チグサ:あ、うん、そこの、ロータリーで。 チグサ:……考えたら、停まってるタクシーを拾うのも、初めて。 カスミ:(紙幣を受け取り、貨幣を返す) カスミ:簡単だと思うよ? カスミ:はい、まいどありぃ。 0:一見客は財布をしまい、立ち上がる。 チグサ:本当にありがとう。ごちそうさまでした。 0:ニコリ、と軽く、若草の揺れる笑み。 カスミ:またお待ちしてマス、 カスミ:とは言っちゃイケナイんだよねぇ。 チグサ:…………。 チグサ:……ふふ。でも。 カスミ:でも? チグサ:お酒に酔うというのは、思ったより良い気分……。 チグサ:今日は、帰ってこのまま寝ようかな。 カスミ:……そう? チグサ:…………、 チグサ:あのね、……これ、 0:一見客は胸もとから、長方形の紙片を一枚取り出し、店員に渡す。 カスミ:これ……、 カスミ:……栞(しおり)? 0:縁取られた、幸運の兆。 カスミ:四葉の、クローバー……。 チグサ:そんなに珍しくも、無いんだけど。 チグサ:祖母の家に初めて行った日に見つけて、形が良かったから、押し葉にしたの。 チグサ:ずっと、お気に入りの本に挟んでた。 カスミ:……、 0:一見客は店員を見詰める。 チグサ:それ……、あなたにあげる。 カスミ:……っ、い、や、 チグサ:あの人の、棺に……、そっと忍ばせようと、持っていたんだけど。 チグサ:「余計な手荷物を押し付けるんじゃない」って、怒られそうで、やめたの。 カスミ:じゃあっ、尚更、 チグサ:どうぞ貰って。使わなければ、捨ててもいいから。 カスミ:……っ、……、 チグサ:(にこり、と笑み) チグサ:許して、ね。 0:一見客はふわりと軽く、重さを纏わずに歩く。 チグサ:遅くまで、ごめんなさい。本当に楽しかった。 カスミ:あ、の……っ、 0:一見客はドアに手を掛け。 チグサ:明日、今日の事を思い出しながら、お茶を淹れて……、 チグサ:美味しかったら、また来ます。 カスミ:……っ、 0:淡い微笑みを残し、静かに退店。 0:若草を揺らす初夏の風の如く、ドアベルは響きを残す。 カスミ:……、……、 0:店員、1人。暫し呆け。 0:眼の先は『午後の死』のグラス、 0:次いで手元の、白詰草の、栞。 カスミ:(意を決し) カスミ:……っ!! 0:勢いよくドアを開け、一見客が去ったであろうロータリーの方角に向け、叫ぶ。 カスミ:あのさーーーっ!! カスミ:カフェっ、とかっ、やったらイイんじゃないかなーーーーっ!! カスミ:インスタとかに載せたいヒトとかも来るかもだしっ、 カスミ:私もっ、行く、しっ………、 カスミ:……っ、 カスミ:って、居ないし。 0:人影は無く、街灯と、高架下の静寂。 0:遠くで、パトカーのサイレン。 カスミ:……、…………、 0:手早く看板を消し、そそくさと店内へ。 0:施錠。 カスミ:(眉をしかめ) カスミ:…………。 カスミ:らしくな。 0:栞を見詰め、ポケットへ。 0:グラスをシンクに収め、卓上の水気を拭った後、スマートフォンを手に取る。 カスミ:……タニマチにグロいスタンプ送りまくろーっと……。 0:暗転。 0:カスミにスポット。 カスミ:【本日のカクテルレシピ】 カスミ:『午後の死』、または『ヘミングウェイ・カクテル』カスミアレンジ。 カスミ:■アニスリキュール「ペルノ」20ml カスミ:■スパークリングピーチワイン 適量 カスミ:フルートグラスにペルノを注ぎ、冷やしたスパークリングでアップ。軽くステアして、サーブ。 カスミ:……ただし、お客の顔を、確かめるコト。 0:【終】 : 0:【空白】/【空白】/【空白】 : 0:【ボーナス・トラック2】 0:(※【ボーナス・トラック1】は声劇台本に適さない為、「小説家になろう」にのみ掲載) : 0:白い館。室内。闇の黒。 0:椅子に掛け足を組み、女が女を出迎える。 女:遅かったじゃない。 女:……何? その顔は。 女:……葬儀以来ね。 女:電気の場所が分からなかったのよ。前と変わって、(言い止め) 女:……早く点けてもらえる? 相変わらずノロマだこと。 0:点灯。黄色い灯りが室内が照らす。 女:……どうも。 女:片付けは住んでるみたいね。 女:散らかる程の活気も活力も、元から無かったようだけど。 女:…………、 女:その、カーディガン。 女:似合わないわね。千景(ちかげ)お祖母様のでしょう? 女:遺品を勝手に着て、介護が終わった開放感で夜遊び? 女:まるで子供ね。いい歳して顔付きも幼いし。人間青春を棒に振るとそうなるのかしら。 女:言っておくけど自業自得なのよ? 自分の品質管理を怠ったのが全ての、 女:……、 女:……勿論。 女:こんな事を言うために、わざわざこの丘を登って来た訳じゃないわ。 女:あんたがそういう態度なら却って好都合。 女:清々してるのよね? この家から出られて。 女:……遺言状が出て来たのよ。 女:弁護士が持って来たわ、あの人のお抱えだとかいう。あんた、面識は? 女:……そう。どちらでも良いけど。 女:端的に言うとね。 女:この……、大袈裟で古臭い屋敷と、この館が建つ敷地と土地の権利一切を、あなたに譲る、という。 女:……何とか言ったらどうなの? 曲がりなりにも我が身の事なのよ。 女:……気持ちはわかるけど、ね。 女:そうやって目を丸くする程度には突拍子もない、馬鹿みたいな話だもの。 女:あんたをここへやったのはお父さんの判断と裁量であって。 女:あんた個人に何事かが遺されるような筋や道理なんて……、法的な有効性は別として、どこにも有りはしないんだから。 女:……私の言いたい事がわかる? 女:あんたがあの弁護士から、正式に遺言状を受け取る前に、私がこの話をしにきた意味が。 女:まさか。 女:……相続を受けるだなんて、言わないわねぇ? 女:…………。 女:本当、何なの……、その眼は。 女:……姉に、向かって。 0:【終】