台本概要

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タイトル 凍える朝食
作者名 荒木アキラ  (@masakasoreha)
ジャンル その他
演者人数 1人用台本(不問1)
時間 10 分
台本使用規定 台本説明欄参照
説明 まだ明け切らぬ早朝、ひとり、料理に没頭する少女の様子を描いた短編。
一人読み用です。

上演時には、任意ではありますが、作者TwitterDM(@masakasoreha)までご連絡いただけると、
喜んで拝聴しに行きます。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
語り手 不問 9 語るひと。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
0:凍える朝食 0: 語り手:しんしんと底冷えのする早朝、5時半。 語り手:冷気は璃子(りこ)の丸裸の足首を包み込む。 語り手:なぜなら、彼女は起き抜けにずり上がったパジャマを直しもせず、 語り手:布団でよく温まった細い足をむき出しにして、 語り手:無防備に台所に立つからだ。 語り手:璃子は身体中、寒気がしているのだが、 語り手:それを自分のスボラな性分で 語り手:パジャマがめくれているせいだけにはしたくなかった。 語り手:それを彼女は、毎朝の儀式にしている、家族分の目玉焼きを焼くことのために、 語り手:払わなければならない犠牲だと考えていた。 語り手:そのために、ぬくぬくとした布団を出て、 語り手:台所の冷たい床に足の裏を片方ずつ押しつけては、 語り手:もう片方をまだ温かいふくらはぎに巻き付けて耐えている。 語り手:璃子はフライパンをコンロにセットすると、中火にかけて、 語り手:それが温まるまでの間に、足元の引き出しからサラダ油を取り出して適当に垂らし、 語り手:そのまま油を広げることもせずに、冷蔵庫に向かった。 語り手:かじかむ足をつま先立ちにして、猫のように無駄のない動きだ。 語り手:一度冷蔵庫を開けると、璃子は息を止める。 語り手:それは、璃子のおまじないというか、験担ぎ(げんかつぎ)というか、 語り手:密やかに行われる賭け事、一日を占う可愛らしい少女の名残だった。 語り手:冷蔵庫を一回開けて、息を止めている間に、 語り手:使うすべての食材を出して元に戻しておくことができると、 語り手:なんだか気分がいいのだった。 語り手:そのため、彼女は、バレエダンサーのように優雅な手つきで、 語り手:卵をみっつとベーコンを三枚取り出すと、 語り手:両開きの冷蔵庫の扉をバダンバタンと肘でリズミカルに閉じた。 語り手:今日は、2枚目のベーコンがなかなか剥がれてくれなくて、 語り手:少し息を吸ってしまったが、なにがいやだったかって、 語り手:母が一人分の夕食を作り置きしているのを目にしたことだった。 0: 語り手:ああ、今日は台無しになる予感。 語り手:そう彼女は心の中で自分の運命を呪った。 語り手:それとは別に、また今し方起きた不幸など気にも留めなかったようなそぶりで、 語り手:ベーコンを油のまだらなままのフライパンに手早く並べる。 語り手:彼女の手と脳は別々なのだ。 語り手:音楽に合わせて踊り出すように、それも、特別軽快な曲に乗っているように、 語り手:左手に抱えた三つの卵を次々と右手に持ち替えて、 語り手:彼女は片手でベーコンの上に中身を落としていった。 語り手:そして、後は何事もなかったかのように、ちょろちょろと気持ちだけ水道水で指先を洗い、 語り手:その手の流れのままフライパンに蓋をした。 0: 語り手:しかし、彼女の仕事はこれで終りではなかった。 語り手:皿に添える副菜を何にするか、卵を割りながら、 語り手:滅入った頭の片隅で考えていたのだ。 語り手:先ほどの冷蔵庫の中身の残像を思い出す。 語り手:ゆでたほうれん草のようなものが作り置きしてあったような気がして、 語り手:再び冷蔵庫に向かう。 語り手:二度目に冷蔵庫を開ける璃子は、一度目とは打って変わって落ち着いている。 語り手:あのおまじないが通用するのは、起きてすぐ、一日の始まりのときだけだからだ。 語り手:かかとも床に両足ともつけて、仁王立ちになり、じっくり中身を吟味する。 語り手:寒気はそのままだったが、夜じゅう、彼女をまどろませていたあの熱は 語り手:すっかり足先から消え去り、それに合わせて彼女は現実にしっかりと根ざすのだった。 語り手:ほうれん草のおひたしの味をちょっとつまんでみると、 語り手:それがほんのり薄味であることを確認して、 語り手:彼女はおもむろにそれを皿ごと取り出した。 語り手:そして、じりじりと音を立てるフライパンの蓋を開けると、 語り手:フライ返しで卵とベーコンの侵攻していない地へ 語り手:皿の中身をそのままそっと移し、胡椒を少々ふると、また蓋をした。 語り手:彼女がコンロの火を弱火に調整するのを待っていたかのように、 語り手:同時にかけていた薬缶の湯が沸騰する音がし始める。 0: 語り手:彼女は、今度は頭上の戸棚を開けて、それをろくに見ることもせずに、 語り手:慣れた手つきで小瓶を手元に下ろすと、中に入ったままになっている小さな匙(さじ)で、 語り手:お気に入りのマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れる。 語り手:適量がどのくらいなのか、はっきりは知らないのだが、 語り手:彼女はいつも自分のために匙で二杯、他人のためにはその半分にする癖があった。 語り手:なんとなく、コーヒーは彼女を実生活から遠ざけてくれる気がしたし、 語り手:その恩恵にあずかるのは自分ひとりでじゅうぶんだと考えたからだった。 0: 語り手:薬缶の火を止めると、カップいっぱいに湯を注ぐ。 語り手:一口飲みたい衝動に駆られるが、猫舌の彼女にはそれは叶わなかった。 語り手:ためらいがちに鼻を近づけて一度香りをかいでから、 語り手:空いているもう一方の手でフライパンの火を消す。 語り手:余熱で蓋の隙間からベーコンの焼けるちりちりという音と、 語り手:ほうれん草から出た湯気が空気を揺らす。 語り手:30秒ほど蒸らすのは、璃子の、 語り手:卵の白身が透明なところがあると食べられないという頑固な主義を 語り手:家族にも強いるためだった。 0: 語り手:三枚の皿をテーブルに並べると、フライ返しで均等に中身を分けていく。 語り手:もちろん、均等などとはほど遠い、依怙贔屓がそこでは行われるのだが、 語り手:例えば、父にはベーコンを多く与えなかったり、 語り手:母には一番出来のいい目玉焼きをのせたり、 語り手:姉には野菜を多めに盛ったりした。 語り手:その間中、彼女は鼻歌すら歌いかねないくらい、ご機嫌に見えるのだが、 語り手:なぜかというと、それきり、彼女は姿を消すつもりだからだ。 0: 語り手:朝早く起きる。 語り手:朝食を用意する。 語り手:それが普段姿を見せない彼女の、家族への、無言の懺悔だからだ。 語り手:外はまだ暗い。 語り手:朝食の並んだテーブルを残して、彼女は部屋の灯りを消すと、 語り手:それが一日のはじまりとは思えないほど厳かに、闇の中へと姿を消し、 語り手:それらが冷えていくままにする。 0: 語り手:もう一度、カーテンが開いて本当の朝がやってくるとき、 語り手:彼女の残して行ったコーヒーの残り香も、消えていることだろう。

0:凍える朝食 0: 語り手:しんしんと底冷えのする早朝、5時半。 語り手:冷気は璃子(りこ)の丸裸の足首を包み込む。 語り手:なぜなら、彼女は起き抜けにずり上がったパジャマを直しもせず、 語り手:布団でよく温まった細い足をむき出しにして、 語り手:無防備に台所に立つからだ。 語り手:璃子は身体中、寒気がしているのだが、 語り手:それを自分のスボラな性分で 語り手:パジャマがめくれているせいだけにはしたくなかった。 語り手:それを彼女は、毎朝の儀式にしている、家族分の目玉焼きを焼くことのために、 語り手:払わなければならない犠牲だと考えていた。 語り手:そのために、ぬくぬくとした布団を出て、 語り手:台所の冷たい床に足の裏を片方ずつ押しつけては、 語り手:もう片方をまだ温かいふくらはぎに巻き付けて耐えている。 語り手:璃子はフライパンをコンロにセットすると、中火にかけて、 語り手:それが温まるまでの間に、足元の引き出しからサラダ油を取り出して適当に垂らし、 語り手:そのまま油を広げることもせずに、冷蔵庫に向かった。 語り手:かじかむ足をつま先立ちにして、猫のように無駄のない動きだ。 語り手:一度冷蔵庫を開けると、璃子は息を止める。 語り手:それは、璃子のおまじないというか、験担ぎ(げんかつぎ)というか、 語り手:密やかに行われる賭け事、一日を占う可愛らしい少女の名残だった。 語り手:冷蔵庫を一回開けて、息を止めている間に、 語り手:使うすべての食材を出して元に戻しておくことができると、 語り手:なんだか気分がいいのだった。 語り手:そのため、彼女は、バレエダンサーのように優雅な手つきで、 語り手:卵をみっつとベーコンを三枚取り出すと、 語り手:両開きの冷蔵庫の扉をバダンバタンと肘でリズミカルに閉じた。 語り手:今日は、2枚目のベーコンがなかなか剥がれてくれなくて、 語り手:少し息を吸ってしまったが、なにがいやだったかって、 語り手:母が一人分の夕食を作り置きしているのを目にしたことだった。 0: 語り手:ああ、今日は台無しになる予感。 語り手:そう彼女は心の中で自分の運命を呪った。 語り手:それとは別に、また今し方起きた不幸など気にも留めなかったようなそぶりで、 語り手:ベーコンを油のまだらなままのフライパンに手早く並べる。 語り手:彼女の手と脳は別々なのだ。 語り手:音楽に合わせて踊り出すように、それも、特別軽快な曲に乗っているように、 語り手:左手に抱えた三つの卵を次々と右手に持ち替えて、 語り手:彼女は片手でベーコンの上に中身を落としていった。 語り手:そして、後は何事もなかったかのように、ちょろちょろと気持ちだけ水道水で指先を洗い、 語り手:その手の流れのままフライパンに蓋をした。 0: 語り手:しかし、彼女の仕事はこれで終りではなかった。 語り手:皿に添える副菜を何にするか、卵を割りながら、 語り手:滅入った頭の片隅で考えていたのだ。 語り手:先ほどの冷蔵庫の中身の残像を思い出す。 語り手:ゆでたほうれん草のようなものが作り置きしてあったような気がして、 語り手:再び冷蔵庫に向かう。 語り手:二度目に冷蔵庫を開ける璃子は、一度目とは打って変わって落ち着いている。 語り手:あのおまじないが通用するのは、起きてすぐ、一日の始まりのときだけだからだ。 語り手:かかとも床に両足ともつけて、仁王立ちになり、じっくり中身を吟味する。 語り手:寒気はそのままだったが、夜じゅう、彼女をまどろませていたあの熱は 語り手:すっかり足先から消え去り、それに合わせて彼女は現実にしっかりと根ざすのだった。 語り手:ほうれん草のおひたしの味をちょっとつまんでみると、 語り手:それがほんのり薄味であることを確認して、 語り手:彼女はおもむろにそれを皿ごと取り出した。 語り手:そして、じりじりと音を立てるフライパンの蓋を開けると、 語り手:フライ返しで卵とベーコンの侵攻していない地へ 語り手:皿の中身をそのままそっと移し、胡椒を少々ふると、また蓋をした。 語り手:彼女がコンロの火を弱火に調整するのを待っていたかのように、 語り手:同時にかけていた薬缶の湯が沸騰する音がし始める。 0: 語り手:彼女は、今度は頭上の戸棚を開けて、それをろくに見ることもせずに、 語り手:慣れた手つきで小瓶を手元に下ろすと、中に入ったままになっている小さな匙(さじ)で、 語り手:お気に入りのマグカップにインスタントコーヒーの粉を入れる。 語り手:適量がどのくらいなのか、はっきりは知らないのだが、 語り手:彼女はいつも自分のために匙で二杯、他人のためにはその半分にする癖があった。 語り手:なんとなく、コーヒーは彼女を実生活から遠ざけてくれる気がしたし、 語り手:その恩恵にあずかるのは自分ひとりでじゅうぶんだと考えたからだった。 0: 語り手:薬缶の火を止めると、カップいっぱいに湯を注ぐ。 語り手:一口飲みたい衝動に駆られるが、猫舌の彼女にはそれは叶わなかった。 語り手:ためらいがちに鼻を近づけて一度香りをかいでから、 語り手:空いているもう一方の手でフライパンの火を消す。 語り手:余熱で蓋の隙間からベーコンの焼けるちりちりという音と、 語り手:ほうれん草から出た湯気が空気を揺らす。 語り手:30秒ほど蒸らすのは、璃子の、 語り手:卵の白身が透明なところがあると食べられないという頑固な主義を 語り手:家族にも強いるためだった。 0: 語り手:三枚の皿をテーブルに並べると、フライ返しで均等に中身を分けていく。 語り手:もちろん、均等などとはほど遠い、依怙贔屓がそこでは行われるのだが、 語り手:例えば、父にはベーコンを多く与えなかったり、 語り手:母には一番出来のいい目玉焼きをのせたり、 語り手:姉には野菜を多めに盛ったりした。 語り手:その間中、彼女は鼻歌すら歌いかねないくらい、ご機嫌に見えるのだが、 語り手:なぜかというと、それきり、彼女は姿を消すつもりだからだ。 0: 語り手:朝早く起きる。 語り手:朝食を用意する。 語り手:それが普段姿を見せない彼女の、家族への、無言の懺悔だからだ。 語り手:外はまだ暗い。 語り手:朝食の並んだテーブルを残して、彼女は部屋の灯りを消すと、 語り手:それが一日のはじまりとは思えないほど厳かに、闇の中へと姿を消し、 語り手:それらが冷えていくままにする。 0: 語り手:もう一度、カーテンが開いて本当の朝がやってくるとき、 語り手:彼女の残して行ったコーヒーの残り香も、消えていることだろう。