台本概要
71 views
タイトル | 静かに熱狂する裸体 |
---|---|
作者名 | 荒木アキラ (@masakasoreha) |
ジャンル | ラブストーリー |
演者人数 | 2人用台本(男1、女1) |
時間 | 20 分 |
台本使用規定 | 台本説明欄参照 |
説明 |
ひと夏の恋が終わるとき、男女それぞれの視点で、裸のこころは何を語るのか。 男女交互のナレーションになりますが、 途中、男女が妄想の中で会話をする場面があります。 上演時には、任意ではありますが、作者Twitter(@masakasoreha)までご連絡いただけると、 喜んで拝聴しに行きます。 71 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
男 | 男 | 18 | 郊外に住む、一人暮らしの部屋に、この夏、女が居着いていた。 不器用だが、繊細な男。 |
女 | 女 | 18 | 山の手に住む、都会の女。この夏、郊外の男の家に上がり込んでいた。 情熱的で、魅力的な女。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:パン!(頬を叩く音。適当に手など叩いて音を入れてください。)
男:高い音を立てたのは、女のか細い手だった。
男:「別れよう。」
男:そう男が告げた直後、女はなにも言わずに男の頬を打った。
男:男は思う。
男:遊びのつもりではなかった。
男:それなりに誠意を尽くしたつもりだった。
男:それでもなお、女の愛は男に重すぎたのだ。
男:男はなにか言い訳をしようと口ごもる。
男:思考が端(はし)から崩れ去って、砂のように散らばっていく。
男:それをかき集めて、またひとつにしようとするのだが、うまくいかない。
男:「おまえ、泣くかと思った。」
男:ようやく出てきた言葉には、優しさのかけらもなかった。
男:二発目を覚悟して目を瞑ったが、何の気配もない。
男:気付けば、鼻先を女の長い髪がかすめるところだった。
男:男は手を伸ばそうとして、そんな権利はないことに気がつく。
男:後には、女の好んでつけていたベルガモットの香りが、わずかに残るばかりだった。
0:
女:「全部。全部いらない。失くしたわけじゃない。
女:はじめから、なにも手にしてなどいなかったのだ。」
女:男と別れたのち、女はそう自分に言い聞かせた。
女:己が、絶対的な形、
女:普遍的な存在としての「女」を巧妙に真似て創られた
女:「女ではないなにか」のような気がしてやまない。
女:この流れる汗も、偽物なんじゃないかな。
女:山の手へと上る電車の中で、女は己の本質さえ見失って、
女:途方に暮れていた。
0:
男:「泣くかと思った。」
男:男は自分で自分の発した言葉を、口の中で無意識に反芻した。
男:「泣くかと思った。」
男:そんなのってあるか。
男:まるでなっちゃいない。
男:それは、駄目なやつだ。
男:心の中で、何度も何度も自分を責め立てる。
男:引っ立てられ、罪状を言い渡され、裁判にかけてられて、
男:見事に死刑の宣告も受けた。
男:そのうえで、自分に課せられるおぞましい刑罰の様子を、
男:詳細に思い描いた。
男:だが、いつまで経っても暗い牢獄にいる気分だ。
男:爪を噛む癖が再発しそうになる。
男:男はただ、己のふがいなさに我慢がならなかった。
0:
女:女は、しばらく帰っていなかった自宅に着いた。
女:鍵を差し込んで玄関の扉をあけると、西日に焼かれた空気が、
女:わっと、顔面をめがけて押し寄せる。
女:ヒールを乱雑に脱ぎ捨てて、
女:足早に部屋を通り抜けながらカバンを放り出すと、
女:色あせたカーテンを手早く閉めた。
女:女の動作に迷いはない。
女:冷房を22度に設定して、浴室へと向かう。
女:まとわりつくシャツがもどかしく、しばらく格闘したのち、
女:ようやく裸体をさらす頃には、激しく息が上がっていた。
女:蒸し暑かった。とにかく、いまはそれだけを考えていればいい。
女:女は熱気で、頭をいっぱいにしていたかった。
0:
男:男は苛立ちの末に、立ち上がった。
男:風呂を貯めようとして、今日からその風呂は
男:自分ひとりで浸かるのだと気づく。
男:どうしようか。
男:シャワーで簡単に済ませることも頭をよぎったが、
男:男は水風呂に入ることにした。
男:こんな明るいうちから、
男:自分ひとりのために風呂を入れるのかと思うと、
男:とんでもなく馬鹿馬鹿しい贅沢をしている気分になった。
0:
女:浴室に入ると、女は、力任せにお湯を限界までひねる。
女:一瞬冷たいと感じるほどの熱湯が、足元を濡らした。
女:ためらいもせず、おもむろにシャワーヘッドを腕に滑らせる。
女:湯気でくもる視界にはいってくるのは、
女:小さなガラス窓ににじむ、空の最後の残り火だ。
女:紫に燃えるそれは、浴室をぼんやりと染めて、
女:女の身体のラインをあやふやにした。
0:
男:男は、薄暗い浴室で、風呂の端(はし)に腰掛けると、
男:水かさが増していく様子をなにげなく眺める。
男:水は浴槽のぎりぎりまで貯めると決めていた。
男:男にとって、己の形の、己の体積ぶんの水が無駄になることが、
男:いまはなにより大事なことに思えるのだった。
男:浴槽から水があふれ出す頃合いをみて、男は服を脱ぎ捨てた。
男:蛇口を閉めると、水滴の落ちる音が、ぽたん、ぽたん、と数回響きわたる。
男:そして、あたりは静まりかえった。
男:水面が落ち着くのを待って、静かに一歩ずつ、浴槽に足を踏み入れる。
男:真夏の水道水は思ったより、あたたく、心地よかった。
男:息を深く吸うと、思い切って一気に水底までしゃがみ込む。
男:勢いよく水が浴槽を飛び出し、滝のように、溢れ続けた。
男:男はその轟音(ごうおん)が遠くで響くのを、耳の奧底で聞いていた。
0:
0:(男の妄想)
男:「おまえ、泣かないんだもんな。
男:そういう、気の強いとこ、おれは好きだったよ。」
女:「よく言うわ。」
男:「だけど、わかるだろう?
男:おれたち、このままじゃ、うまくいきっこない。」
女:「なら、どうしてわたしを抱いたの。」
男:「おまえの熱が、ほしかったから。」
女:「わたしも同じよ。」
男:「もう遅い。おれたち、終わったんだ。」
女:「お願い。もう一度だけ…。」
男:「いけないよ、こんな関係。」
女:「わかってて言ってるの。」
男:「仕方ない女だな…。おまえの好きにすればいいさ。」
0:(妄想終わり)
男:なんて、都合のいい妄想を膨らませて、
男:男は、水の中へ沈んだまま上がってこない。
男:男の目方分(めかたぶん)の水がすべて流れ出てしまうと、
男:浴室はまた静かになった。
男:そして男は、沈んだときと同様、唐突に、
男:激しい飛沫を上げて立ち上がった。
男:耳、顎先(あごさき)、肘先、指先から、
男:大量の水を滴らせて激しく息をつく。
男:昼間の失態も、昨日の後悔も、すれ違った日々も、
男:浴槽に溶け出して、全部流れてしまえばいい。
男:そう男は願った。
0:
女:女はきつく眼を閉じると、お湯を頭から被る。
女:汗の最後の一滴を絞り出すように、めくるめく熱を求めた。
女:肌を伝う水滴が、汗なのか、飛沫なのか、区別がつかない。
女:朝の一杯のコーヒーも、昼間の冷たいソーダ水も、
女:さきほど浴びた男の暴言も、女の身体を通って揮発していく。
0:(女の妄想)
女:「泣くかと思った?あれはないんじゃない?」
男:「ごめん。」
女:「本当、そういう無神経なとこ、大嫌い。」
男:「ごめん。」
女:「あんたなんか、こっちから願い下げだわ。」
男:「わかってる。」
女:「だけど…言い出せなかった。」
男:「どうして。」
女:「あなたの熱が、ほしかったから。」
男:「じゃあ、もう一度、おれと試してみる?」
女:「ちょっと優しくしたらこれよ。
女:だから男っていやなのよねえ。
女:さようなら、お馬鹿さん。」
0:(妄想終わり)
女:という妄想を何度も何度も繰り返して、
女:女は男の断片を頭の中から追い出した。
女:そして、まとわりつくすべてを流し終えると、
女:シャワーを水に切り替えた。
女:胸元(むなもと)、脇の下、足首と、じっくり冷やしていく。
女:ようやく女が薄目を開いたとき、
女:目の前には、もう、宵闇がせまっていた。
女:女は脱衣所にあがると、しばらくぼんやりと鏡の中の影を見つめる。
女:細く、弱々しく、頼りない影だった。
女:可哀想だな。急にそんな憐憫の情が自分自身に沸いた。
女:それをかき消すように、タオルで乱暴に髪の水気を拭う。
女:次に身体のすみずみまで拭き上げにかかるが、
女:火照った身体からは、玉の汗がとめどなく湧き出してきて、
女:女はその作業を放り出すしかなかった。
0:
男:風呂からあがると、男は下着だけ身につけて、
男:半裸のまま部屋へ戻った。
男:冷房をつけた部屋が、生暖かく感じるほど、
男:男の身体は心地よく冷え切っていた。
男:突然身体を放り出すように、男はばさりとソファに倒れ込んだ。
男:仰向けに転がって、窓枠に映る空の流れを見つめる。
男:なにか、重要なことを忘れている気がした。
0:
女:女は裸体をさらしたまま、部屋の中へ歩(ほ)を進める。
女:冷房の吐き出す空気は、女のすべらかな肌を直接的に刺した。
女:手早く赤い下着とアイボリーのキャミソールを身に纏うと、
女:カーテンの奧へ手をのばし、窓をそっと開く。
女:隙間から、残暑の生暖かい空気が入り込んで、
女:部屋の冷気と混ざり合い、
女:女を夢と現(うつつ)の狭間に置き去りにした。
0:
男:気がつくと、黄金色の空にひぐらしが鳴いている。
男:我を忘れて、はしゃぎ疲れた季節、
男:虫の音(ね)など気にもとめなかった。
男:空の色も、雲の形も、記憶に無かった。
男:あるのはただ、熱い裸体の重みだけ。
男:風に流れていくかすみ雲を見ていると、
男:激しい夏の想い出も、空の向こうへ沈んでいくような気がする。
男:終わったんだな。夏が。
男:暮れなずむ町に、街灯がともる瞬間を見て、寂しさがこみ上げる。
男:男は自分が傷ついていることに、今更ながら気がつくのだった。
0:
女:女は窓の桟(さん)に寄りかかり、すべて失い尽くしたと思った。
女:自分の中の美しいもの、正しいもの、醜いもの、ずるいもの、
女:何もかもが出て行って、残ったのは空っぽの入れ物としての身体。
女:そう思ったはずなのに、気づくと女のさっぱりと乾いた頬を、熱い涙が伝っていた。
女:終わったんだな。夏が。
女:「女ではないなにか」が、次第に女の形を取り戻してゆく。
女:都会の夜が、彼女をゆっくりと正気に戻すのだった。
0:
0:終わり
0:パン!(頬を叩く音。適当に手など叩いて音を入れてください。)
男:高い音を立てたのは、女のか細い手だった。
男:「別れよう。」
男:そう男が告げた直後、女はなにも言わずに男の頬を打った。
男:男は思う。
男:遊びのつもりではなかった。
男:それなりに誠意を尽くしたつもりだった。
男:それでもなお、女の愛は男に重すぎたのだ。
男:男はなにか言い訳をしようと口ごもる。
男:思考が端(はし)から崩れ去って、砂のように散らばっていく。
男:それをかき集めて、またひとつにしようとするのだが、うまくいかない。
男:「おまえ、泣くかと思った。」
男:ようやく出てきた言葉には、優しさのかけらもなかった。
男:二発目を覚悟して目を瞑ったが、何の気配もない。
男:気付けば、鼻先を女の長い髪がかすめるところだった。
男:男は手を伸ばそうとして、そんな権利はないことに気がつく。
男:後には、女の好んでつけていたベルガモットの香りが、わずかに残るばかりだった。
0:
女:「全部。全部いらない。失くしたわけじゃない。
女:はじめから、なにも手にしてなどいなかったのだ。」
女:男と別れたのち、女はそう自分に言い聞かせた。
女:己が、絶対的な形、
女:普遍的な存在としての「女」を巧妙に真似て創られた
女:「女ではないなにか」のような気がしてやまない。
女:この流れる汗も、偽物なんじゃないかな。
女:山の手へと上る電車の中で、女は己の本質さえ見失って、
女:途方に暮れていた。
0:
男:「泣くかと思った。」
男:男は自分で自分の発した言葉を、口の中で無意識に反芻した。
男:「泣くかと思った。」
男:そんなのってあるか。
男:まるでなっちゃいない。
男:それは、駄目なやつだ。
男:心の中で、何度も何度も自分を責め立てる。
男:引っ立てられ、罪状を言い渡され、裁判にかけてられて、
男:見事に死刑の宣告も受けた。
男:そのうえで、自分に課せられるおぞましい刑罰の様子を、
男:詳細に思い描いた。
男:だが、いつまで経っても暗い牢獄にいる気分だ。
男:爪を噛む癖が再発しそうになる。
男:男はただ、己のふがいなさに我慢がならなかった。
0:
女:女は、しばらく帰っていなかった自宅に着いた。
女:鍵を差し込んで玄関の扉をあけると、西日に焼かれた空気が、
女:わっと、顔面をめがけて押し寄せる。
女:ヒールを乱雑に脱ぎ捨てて、
女:足早に部屋を通り抜けながらカバンを放り出すと、
女:色あせたカーテンを手早く閉めた。
女:女の動作に迷いはない。
女:冷房を22度に設定して、浴室へと向かう。
女:まとわりつくシャツがもどかしく、しばらく格闘したのち、
女:ようやく裸体をさらす頃には、激しく息が上がっていた。
女:蒸し暑かった。とにかく、いまはそれだけを考えていればいい。
女:女は熱気で、頭をいっぱいにしていたかった。
0:
男:男は苛立ちの末に、立ち上がった。
男:風呂を貯めようとして、今日からその風呂は
男:自分ひとりで浸かるのだと気づく。
男:どうしようか。
男:シャワーで簡単に済ませることも頭をよぎったが、
男:男は水風呂に入ることにした。
男:こんな明るいうちから、
男:自分ひとりのために風呂を入れるのかと思うと、
男:とんでもなく馬鹿馬鹿しい贅沢をしている気分になった。
0:
女:浴室に入ると、女は、力任せにお湯を限界までひねる。
女:一瞬冷たいと感じるほどの熱湯が、足元を濡らした。
女:ためらいもせず、おもむろにシャワーヘッドを腕に滑らせる。
女:湯気でくもる視界にはいってくるのは、
女:小さなガラス窓ににじむ、空の最後の残り火だ。
女:紫に燃えるそれは、浴室をぼんやりと染めて、
女:女の身体のラインをあやふやにした。
0:
男:男は、薄暗い浴室で、風呂の端(はし)に腰掛けると、
男:水かさが増していく様子をなにげなく眺める。
男:水は浴槽のぎりぎりまで貯めると決めていた。
男:男にとって、己の形の、己の体積ぶんの水が無駄になることが、
男:いまはなにより大事なことに思えるのだった。
男:浴槽から水があふれ出す頃合いをみて、男は服を脱ぎ捨てた。
男:蛇口を閉めると、水滴の落ちる音が、ぽたん、ぽたん、と数回響きわたる。
男:そして、あたりは静まりかえった。
男:水面が落ち着くのを待って、静かに一歩ずつ、浴槽に足を踏み入れる。
男:真夏の水道水は思ったより、あたたく、心地よかった。
男:息を深く吸うと、思い切って一気に水底までしゃがみ込む。
男:勢いよく水が浴槽を飛び出し、滝のように、溢れ続けた。
男:男はその轟音(ごうおん)が遠くで響くのを、耳の奧底で聞いていた。
0:
0:(男の妄想)
男:「おまえ、泣かないんだもんな。
男:そういう、気の強いとこ、おれは好きだったよ。」
女:「よく言うわ。」
男:「だけど、わかるだろう?
男:おれたち、このままじゃ、うまくいきっこない。」
女:「なら、どうしてわたしを抱いたの。」
男:「おまえの熱が、ほしかったから。」
女:「わたしも同じよ。」
男:「もう遅い。おれたち、終わったんだ。」
女:「お願い。もう一度だけ…。」
男:「いけないよ、こんな関係。」
女:「わかってて言ってるの。」
男:「仕方ない女だな…。おまえの好きにすればいいさ。」
0:(妄想終わり)
男:なんて、都合のいい妄想を膨らませて、
男:男は、水の中へ沈んだまま上がってこない。
男:男の目方分(めかたぶん)の水がすべて流れ出てしまうと、
男:浴室はまた静かになった。
男:そして男は、沈んだときと同様、唐突に、
男:激しい飛沫を上げて立ち上がった。
男:耳、顎先(あごさき)、肘先、指先から、
男:大量の水を滴らせて激しく息をつく。
男:昼間の失態も、昨日の後悔も、すれ違った日々も、
男:浴槽に溶け出して、全部流れてしまえばいい。
男:そう男は願った。
0:
女:女はきつく眼を閉じると、お湯を頭から被る。
女:汗の最後の一滴を絞り出すように、めくるめく熱を求めた。
女:肌を伝う水滴が、汗なのか、飛沫なのか、区別がつかない。
女:朝の一杯のコーヒーも、昼間の冷たいソーダ水も、
女:さきほど浴びた男の暴言も、女の身体を通って揮発していく。
0:(女の妄想)
女:「泣くかと思った?あれはないんじゃない?」
男:「ごめん。」
女:「本当、そういう無神経なとこ、大嫌い。」
男:「ごめん。」
女:「あんたなんか、こっちから願い下げだわ。」
男:「わかってる。」
女:「だけど…言い出せなかった。」
男:「どうして。」
女:「あなたの熱が、ほしかったから。」
男:「じゃあ、もう一度、おれと試してみる?」
女:「ちょっと優しくしたらこれよ。
女:だから男っていやなのよねえ。
女:さようなら、お馬鹿さん。」
0:(妄想終わり)
女:という妄想を何度も何度も繰り返して、
女:女は男の断片を頭の中から追い出した。
女:そして、まとわりつくすべてを流し終えると、
女:シャワーを水に切り替えた。
女:胸元(むなもと)、脇の下、足首と、じっくり冷やしていく。
女:ようやく女が薄目を開いたとき、
女:目の前には、もう、宵闇がせまっていた。
女:女は脱衣所にあがると、しばらくぼんやりと鏡の中の影を見つめる。
女:細く、弱々しく、頼りない影だった。
女:可哀想だな。急にそんな憐憫の情が自分自身に沸いた。
女:それをかき消すように、タオルで乱暴に髪の水気を拭う。
女:次に身体のすみずみまで拭き上げにかかるが、
女:火照った身体からは、玉の汗がとめどなく湧き出してきて、
女:女はその作業を放り出すしかなかった。
0:
男:風呂からあがると、男は下着だけ身につけて、
男:半裸のまま部屋へ戻った。
男:冷房をつけた部屋が、生暖かく感じるほど、
男:男の身体は心地よく冷え切っていた。
男:突然身体を放り出すように、男はばさりとソファに倒れ込んだ。
男:仰向けに転がって、窓枠に映る空の流れを見つめる。
男:なにか、重要なことを忘れている気がした。
0:
女:女は裸体をさらしたまま、部屋の中へ歩(ほ)を進める。
女:冷房の吐き出す空気は、女のすべらかな肌を直接的に刺した。
女:手早く赤い下着とアイボリーのキャミソールを身に纏うと、
女:カーテンの奧へ手をのばし、窓をそっと開く。
女:隙間から、残暑の生暖かい空気が入り込んで、
女:部屋の冷気と混ざり合い、
女:女を夢と現(うつつ)の狭間に置き去りにした。
0:
男:気がつくと、黄金色の空にひぐらしが鳴いている。
男:我を忘れて、はしゃぎ疲れた季節、
男:虫の音(ね)など気にもとめなかった。
男:空の色も、雲の形も、記憶に無かった。
男:あるのはただ、熱い裸体の重みだけ。
男:風に流れていくかすみ雲を見ていると、
男:激しい夏の想い出も、空の向こうへ沈んでいくような気がする。
男:終わったんだな。夏が。
男:暮れなずむ町に、街灯がともる瞬間を見て、寂しさがこみ上げる。
男:男は自分が傷ついていることに、今更ながら気がつくのだった。
0:
女:女は窓の桟(さん)に寄りかかり、すべて失い尽くしたと思った。
女:自分の中の美しいもの、正しいもの、醜いもの、ずるいもの、
女:何もかもが出て行って、残ったのは空っぽの入れ物としての身体。
女:そう思ったはずなのに、気づくと女のさっぱりと乾いた頬を、熱い涙が伝っていた。
女:終わったんだな。夏が。
女:「女ではないなにか」が、次第に女の形を取り戻してゆく。
女:都会の夜が、彼女をゆっくりと正気に戻すのだった。
0:
0:終わり