台本概要

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タイトル 静かに熱狂する裸体
作者名 荒木アキラ  (@masakasoreha)
ジャンル ラブストーリー
演者人数 2人用台本(男1、女1)
時間 20 分
台本使用規定 台本説明欄参照
説明 ひと夏の恋が終わるとき、男女それぞれの視点で、裸のこころは何を語るのか。
男女交互のナレーションになりますが、
途中、男女が妄想の中で会話をする場面があります。

上演時には、任意ではありますが、作者Twitter(@masakasoreha)までご連絡いただけると、
喜んで拝聴しに行きます。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
18 郊外に住む、一人暮らしの部屋に、この夏、女が居着いていた。 不器用だが、繊細な男。
18 山の手に住む、都会の女。この夏、郊外の男の家に上がり込んでいた。 情熱的で、魅力的な女。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
0:パン!(頬を叩く音。適当に手など叩いて音を入れてください。) 男:高い音を立てたのは、女のか細い手だった。 男:「別れよう。」 男:そう男が告げた直後、女はなにも言わずに男の頬を打った。 男:男は思う。 男:遊びのつもりではなかった。 男:それなりに誠意を尽くしたつもりだった。 男:それでもなお、女の愛は男に重すぎたのだ。 男:男はなにか言い訳をしようと口ごもる。 男:思考が端(はし)から崩れ去って、砂のように散らばっていく。 男:それをかき集めて、またひとつにしようとするのだが、うまくいかない。 男:「おまえ、泣くかと思った。」 男:ようやく出てきた言葉には、優しさのかけらもなかった。 男:二発目を覚悟して目を瞑ったが、何の気配もない。 男:気付けば、鼻先を女の長い髪がかすめるところだった。 男:男は手を伸ばそうとして、そんな権利はないことに気がつく。 男:後には、女の好んでつけていたベルガモットの香りが、わずかに残るばかりだった。 0: 女:「全部。全部いらない。失くしたわけじゃない。 女:はじめから、なにも手にしてなどいなかったのだ。」 女:男と別れたのち、女はそう自分に言い聞かせた。 女:己が、絶対的な形、 女:普遍的な存在としての「女」を巧妙に真似て創られた 女:「女ではないなにか」のような気がしてやまない。 女:この流れる汗も、偽物なんじゃないかな。 女:山の手へと上る電車の中で、女は己の本質さえ見失って、 女:途方に暮れていた。 0: 男:「泣くかと思った。」 男:男は自分で自分の発した言葉を、口の中で無意識に反芻した。 男:「泣くかと思った。」 男:そんなのってあるか。 男:まるでなっちゃいない。 男:それは、駄目なやつだ。 男:心の中で、何度も何度も自分を責め立てる。 男:引っ立てられ、罪状を言い渡され、裁判にかけてられて、 男:見事に死刑の宣告も受けた。 男:そのうえで、自分に課せられるおぞましい刑罰の様子を、 男:詳細に思い描いた。 男:だが、いつまで経っても暗い牢獄にいる気分だ。 男:爪を噛む癖が再発しそうになる。 男:男はただ、己のふがいなさに我慢がならなかった。 0: 女:女は、しばらく帰っていなかった自宅に着いた。 女:鍵を差し込んで玄関の扉をあけると、西日に焼かれた空気が、 女:わっと、顔面をめがけて押し寄せる。 女:ヒールを乱雑に脱ぎ捨てて、 女:足早に部屋を通り抜けながらカバンを放り出すと、 女:色あせたカーテンを手早く閉めた。 女:女の動作に迷いはない。 女:冷房を22度に設定して、浴室へと向かう。 女:まとわりつくシャツがもどかしく、しばらく格闘したのち、 女:ようやく裸体をさらす頃には、激しく息が上がっていた。 女:蒸し暑かった。とにかく、いまはそれだけを考えていればいい。 女:女は熱気で、頭をいっぱいにしていたかった。 0: 男:男は苛立ちの末に、立ち上がった。 男:風呂を貯めようとして、今日からその風呂は 男:自分ひとりで浸かるのだと気づく。 男:どうしようか。 男:シャワーで簡単に済ませることも頭をよぎったが、 男:男は水風呂に入ることにした。 男:こんな明るいうちから、 男:自分ひとりのために風呂を入れるのかと思うと、 男:とんでもなく馬鹿馬鹿しい贅沢をしている気分になった。 0: 女:浴室に入ると、女は、力任せにお湯を限界までひねる。 女:一瞬冷たいと感じるほどの熱湯が、足元を濡らした。 女:ためらいもせず、おもむろにシャワーヘッドを腕に滑らせる。 女:湯気でくもる視界にはいってくるのは、 女:小さなガラス窓ににじむ、空の最後の残り火だ。 女:紫に燃えるそれは、浴室をぼんやりと染めて、 女:女の身体のラインをあやふやにした。 0: 男:男は、薄暗い浴室で、風呂の端(はし)に腰掛けると、 男:水かさが増していく様子をなにげなく眺める。 男:水は浴槽のぎりぎりまで貯めると決めていた。 男:男にとって、己の形の、己の体積ぶんの水が無駄になることが、 男:いまはなにより大事なことに思えるのだった。 男:浴槽から水があふれ出す頃合いをみて、男は服を脱ぎ捨てた。 男:蛇口を閉めると、水滴の落ちる音が、ぽたん、ぽたん、と数回響きわたる。 男:そして、あたりは静まりかえった。 男:水面が落ち着くのを待って、静かに一歩ずつ、浴槽に足を踏み入れる。 男:真夏の水道水は思ったより、あたたく、心地よかった。 男:息を深く吸うと、思い切って一気に水底までしゃがみ込む。 男:勢いよく水が浴槽を飛び出し、滝のように、溢れ続けた。 男:男はその轟音(ごうおん)が遠くで響くのを、耳の奧底で聞いていた。 0: 0:(男の妄想) 男:「おまえ、泣かないんだもんな。 男:そういう、気の強いとこ、おれは好きだったよ。」 女:「よく言うわ。」 男:「だけど、わかるだろう? 男:おれたち、このままじゃ、うまくいきっこない。」 女:「なら、どうしてわたしを抱いたの。」 男:「おまえの熱が、ほしかったから。」 女:「わたしも同じよ。」 男:「もう遅い。おれたち、終わったんだ。」 女:「お願い。もう一度だけ…。」 男:「いけないよ、こんな関係。」 女:「わかってて言ってるの。」 男:「仕方ない女だな…。おまえの好きにすればいいさ。」 0:(妄想終わり) 男:なんて、都合のいい妄想を膨らませて、 男:男は、水の中へ沈んだまま上がってこない。 男:男の目方分(めかたぶん)の水がすべて流れ出てしまうと、 男:浴室はまた静かになった。 男:そして男は、沈んだときと同様、唐突に、 男:激しい飛沫を上げて立ち上がった。 男:耳、顎先(あごさき)、肘先、指先から、 男:大量の水を滴らせて激しく息をつく。 男:昼間の失態も、昨日の後悔も、すれ違った日々も、 男:浴槽に溶け出して、全部流れてしまえばいい。 男:そう男は願った。 0: 女:女はきつく眼を閉じると、お湯を頭から被る。 女:汗の最後の一滴を絞り出すように、めくるめく熱を求めた。 女:肌を伝う水滴が、汗なのか、飛沫なのか、区別がつかない。 女:朝の一杯のコーヒーも、昼間の冷たいソーダ水も、 女:さきほど浴びた男の暴言も、女の身体を通って揮発していく。 0:(女の妄想) 女:「泣くかと思った?あれはないんじゃない?」 男:「ごめん。」 女:「本当、そういう無神経なとこ、大嫌い。」 男:「ごめん。」 女:「あんたなんか、こっちから願い下げだわ。」 男:「わかってる。」 女:「だけど…言い出せなかった。」 男:「どうして。」 女:「あなたの熱が、ほしかったから。」 男:「じゃあ、もう一度、おれと試してみる?」 女:「ちょっと優しくしたらこれよ。 女:だから男っていやなのよねえ。 女:さようなら、お馬鹿さん。」 0:(妄想終わり) 女:という妄想を何度も何度も繰り返して、 女:女は男の断片を頭の中から追い出した。 女:そして、まとわりつくすべてを流し終えると、 女:シャワーを水に切り替えた。 女:胸元(むなもと)、脇の下、足首と、じっくり冷やしていく。 女:ようやく女が薄目を開いたとき、 女:目の前には、もう、宵闇がせまっていた。 女:女は脱衣所にあがると、しばらくぼんやりと鏡の中の影を見つめる。 女:細く、弱々しく、頼りない影だった。 女:可哀想だな。急にそんな憐憫の情が自分自身に沸いた。 女:それをかき消すように、タオルで乱暴に髪の水気を拭う。 女:次に身体のすみずみまで拭き上げにかかるが、 女:火照った身体からは、玉の汗がとめどなく湧き出してきて、 女:女はその作業を放り出すしかなかった。 0: 男:風呂からあがると、男は下着だけ身につけて、 男:半裸のまま部屋へ戻った。 男:冷房をつけた部屋が、生暖かく感じるほど、 男:男の身体は心地よく冷え切っていた。 男:突然身体を放り出すように、男はばさりとソファに倒れ込んだ。 男:仰向けに転がって、窓枠に映る空の流れを見つめる。 男:なにか、重要なことを忘れている気がした。 0: 女:女は裸体をさらしたまま、部屋の中へ歩(ほ)を進める。 女:冷房の吐き出す空気は、女のすべらかな肌を直接的に刺した。 女:手早く赤い下着とアイボリーのキャミソールを身に纏うと、 女:カーテンの奧へ手をのばし、窓をそっと開く。 女:隙間から、残暑の生暖かい空気が入り込んで、 女:部屋の冷気と混ざり合い、 女:女を夢と現(うつつ)の狭間に置き去りにした。 0: 男:気がつくと、黄金色の空にひぐらしが鳴いている。 男:我を忘れて、はしゃぎ疲れた季節、 男:虫の音(ね)など気にもとめなかった。 男:空の色も、雲の形も、記憶に無かった。 男:あるのはただ、熱い裸体の重みだけ。 男:風に流れていくかすみ雲を見ていると、 男:激しい夏の想い出も、空の向こうへ沈んでいくような気がする。 男:終わったんだな。夏が。 男:暮れなずむ町に、街灯がともる瞬間を見て、寂しさがこみ上げる。 男:男は自分が傷ついていることに、今更ながら気がつくのだった。 0: 女:女は窓の桟(さん)に寄りかかり、すべて失い尽くしたと思った。 女:自分の中の美しいもの、正しいもの、醜いもの、ずるいもの、 女:何もかもが出て行って、残ったのは空っぽの入れ物としての身体。 女:そう思ったはずなのに、気づくと女のさっぱりと乾いた頬を、熱い涙が伝っていた。 女:終わったんだな。夏が。 女:「女ではないなにか」が、次第に女の形を取り戻してゆく。 女:都会の夜が、彼女をゆっくりと正気に戻すのだった。 0: 0:終わり

0:パン!(頬を叩く音。適当に手など叩いて音を入れてください。) 男:高い音を立てたのは、女のか細い手だった。 男:「別れよう。」 男:そう男が告げた直後、女はなにも言わずに男の頬を打った。 男:男は思う。 男:遊びのつもりではなかった。 男:それなりに誠意を尽くしたつもりだった。 男:それでもなお、女の愛は男に重すぎたのだ。 男:男はなにか言い訳をしようと口ごもる。 男:思考が端(はし)から崩れ去って、砂のように散らばっていく。 男:それをかき集めて、またひとつにしようとするのだが、うまくいかない。 男:「おまえ、泣くかと思った。」 男:ようやく出てきた言葉には、優しさのかけらもなかった。 男:二発目を覚悟して目を瞑ったが、何の気配もない。 男:気付けば、鼻先を女の長い髪がかすめるところだった。 男:男は手を伸ばそうとして、そんな権利はないことに気がつく。 男:後には、女の好んでつけていたベルガモットの香りが、わずかに残るばかりだった。 0: 女:「全部。全部いらない。失くしたわけじゃない。 女:はじめから、なにも手にしてなどいなかったのだ。」 女:男と別れたのち、女はそう自分に言い聞かせた。 女:己が、絶対的な形、 女:普遍的な存在としての「女」を巧妙に真似て創られた 女:「女ではないなにか」のような気がしてやまない。 女:この流れる汗も、偽物なんじゃないかな。 女:山の手へと上る電車の中で、女は己の本質さえ見失って、 女:途方に暮れていた。 0: 男:「泣くかと思った。」 男:男は自分で自分の発した言葉を、口の中で無意識に反芻した。 男:「泣くかと思った。」 男:そんなのってあるか。 男:まるでなっちゃいない。 男:それは、駄目なやつだ。 男:心の中で、何度も何度も自分を責め立てる。 男:引っ立てられ、罪状を言い渡され、裁判にかけてられて、 男:見事に死刑の宣告も受けた。 男:そのうえで、自分に課せられるおぞましい刑罰の様子を、 男:詳細に思い描いた。 男:だが、いつまで経っても暗い牢獄にいる気分だ。 男:爪を噛む癖が再発しそうになる。 男:男はただ、己のふがいなさに我慢がならなかった。 0: 女:女は、しばらく帰っていなかった自宅に着いた。 女:鍵を差し込んで玄関の扉をあけると、西日に焼かれた空気が、 女:わっと、顔面をめがけて押し寄せる。 女:ヒールを乱雑に脱ぎ捨てて、 女:足早に部屋を通り抜けながらカバンを放り出すと、 女:色あせたカーテンを手早く閉めた。 女:女の動作に迷いはない。 女:冷房を22度に設定して、浴室へと向かう。 女:まとわりつくシャツがもどかしく、しばらく格闘したのち、 女:ようやく裸体をさらす頃には、激しく息が上がっていた。 女:蒸し暑かった。とにかく、いまはそれだけを考えていればいい。 女:女は熱気で、頭をいっぱいにしていたかった。 0: 男:男は苛立ちの末に、立ち上がった。 男:風呂を貯めようとして、今日からその風呂は 男:自分ひとりで浸かるのだと気づく。 男:どうしようか。 男:シャワーで簡単に済ませることも頭をよぎったが、 男:男は水風呂に入ることにした。 男:こんな明るいうちから、 男:自分ひとりのために風呂を入れるのかと思うと、 男:とんでもなく馬鹿馬鹿しい贅沢をしている気分になった。 0: 女:浴室に入ると、女は、力任せにお湯を限界までひねる。 女:一瞬冷たいと感じるほどの熱湯が、足元を濡らした。 女:ためらいもせず、おもむろにシャワーヘッドを腕に滑らせる。 女:湯気でくもる視界にはいってくるのは、 女:小さなガラス窓ににじむ、空の最後の残り火だ。 女:紫に燃えるそれは、浴室をぼんやりと染めて、 女:女の身体のラインをあやふやにした。 0: 男:男は、薄暗い浴室で、風呂の端(はし)に腰掛けると、 男:水かさが増していく様子をなにげなく眺める。 男:水は浴槽のぎりぎりまで貯めると決めていた。 男:男にとって、己の形の、己の体積ぶんの水が無駄になることが、 男:いまはなにより大事なことに思えるのだった。 男:浴槽から水があふれ出す頃合いをみて、男は服を脱ぎ捨てた。 男:蛇口を閉めると、水滴の落ちる音が、ぽたん、ぽたん、と数回響きわたる。 男:そして、あたりは静まりかえった。 男:水面が落ち着くのを待って、静かに一歩ずつ、浴槽に足を踏み入れる。 男:真夏の水道水は思ったより、あたたく、心地よかった。 男:息を深く吸うと、思い切って一気に水底までしゃがみ込む。 男:勢いよく水が浴槽を飛び出し、滝のように、溢れ続けた。 男:男はその轟音(ごうおん)が遠くで響くのを、耳の奧底で聞いていた。 0: 0:(男の妄想) 男:「おまえ、泣かないんだもんな。 男:そういう、気の強いとこ、おれは好きだったよ。」 女:「よく言うわ。」 男:「だけど、わかるだろう? 男:おれたち、このままじゃ、うまくいきっこない。」 女:「なら、どうしてわたしを抱いたの。」 男:「おまえの熱が、ほしかったから。」 女:「わたしも同じよ。」 男:「もう遅い。おれたち、終わったんだ。」 女:「お願い。もう一度だけ…。」 男:「いけないよ、こんな関係。」 女:「わかってて言ってるの。」 男:「仕方ない女だな…。おまえの好きにすればいいさ。」 0:(妄想終わり) 男:なんて、都合のいい妄想を膨らませて、 男:男は、水の中へ沈んだまま上がってこない。 男:男の目方分(めかたぶん)の水がすべて流れ出てしまうと、 男:浴室はまた静かになった。 男:そして男は、沈んだときと同様、唐突に、 男:激しい飛沫を上げて立ち上がった。 男:耳、顎先(あごさき)、肘先、指先から、 男:大量の水を滴らせて激しく息をつく。 男:昼間の失態も、昨日の後悔も、すれ違った日々も、 男:浴槽に溶け出して、全部流れてしまえばいい。 男:そう男は願った。 0: 女:女はきつく眼を閉じると、お湯を頭から被る。 女:汗の最後の一滴を絞り出すように、めくるめく熱を求めた。 女:肌を伝う水滴が、汗なのか、飛沫なのか、区別がつかない。 女:朝の一杯のコーヒーも、昼間の冷たいソーダ水も、 女:さきほど浴びた男の暴言も、女の身体を通って揮発していく。 0:(女の妄想) 女:「泣くかと思った?あれはないんじゃない?」 男:「ごめん。」 女:「本当、そういう無神経なとこ、大嫌い。」 男:「ごめん。」 女:「あんたなんか、こっちから願い下げだわ。」 男:「わかってる。」 女:「だけど…言い出せなかった。」 男:「どうして。」 女:「あなたの熱が、ほしかったから。」 男:「じゃあ、もう一度、おれと試してみる?」 女:「ちょっと優しくしたらこれよ。 女:だから男っていやなのよねえ。 女:さようなら、お馬鹿さん。」 0:(妄想終わり) 女:という妄想を何度も何度も繰り返して、 女:女は男の断片を頭の中から追い出した。 女:そして、まとわりつくすべてを流し終えると、 女:シャワーを水に切り替えた。 女:胸元(むなもと)、脇の下、足首と、じっくり冷やしていく。 女:ようやく女が薄目を開いたとき、 女:目の前には、もう、宵闇がせまっていた。 女:女は脱衣所にあがると、しばらくぼんやりと鏡の中の影を見つめる。 女:細く、弱々しく、頼りない影だった。 女:可哀想だな。急にそんな憐憫の情が自分自身に沸いた。 女:それをかき消すように、タオルで乱暴に髪の水気を拭う。 女:次に身体のすみずみまで拭き上げにかかるが、 女:火照った身体からは、玉の汗がとめどなく湧き出してきて、 女:女はその作業を放り出すしかなかった。 0: 男:風呂からあがると、男は下着だけ身につけて、 男:半裸のまま部屋へ戻った。 男:冷房をつけた部屋が、生暖かく感じるほど、 男:男の身体は心地よく冷え切っていた。 男:突然身体を放り出すように、男はばさりとソファに倒れ込んだ。 男:仰向けに転がって、窓枠に映る空の流れを見つめる。 男:なにか、重要なことを忘れている気がした。 0: 女:女は裸体をさらしたまま、部屋の中へ歩(ほ)を進める。 女:冷房の吐き出す空気は、女のすべらかな肌を直接的に刺した。 女:手早く赤い下着とアイボリーのキャミソールを身に纏うと、 女:カーテンの奧へ手をのばし、窓をそっと開く。 女:隙間から、残暑の生暖かい空気が入り込んで、 女:部屋の冷気と混ざり合い、 女:女を夢と現(うつつ)の狭間に置き去りにした。 0: 男:気がつくと、黄金色の空にひぐらしが鳴いている。 男:我を忘れて、はしゃぎ疲れた季節、 男:虫の音(ね)など気にもとめなかった。 男:空の色も、雲の形も、記憶に無かった。 男:あるのはただ、熱い裸体の重みだけ。 男:風に流れていくかすみ雲を見ていると、 男:激しい夏の想い出も、空の向こうへ沈んでいくような気がする。 男:終わったんだな。夏が。 男:暮れなずむ町に、街灯がともる瞬間を見て、寂しさがこみ上げる。 男:男は自分が傷ついていることに、今更ながら気がつくのだった。 0: 女:女は窓の桟(さん)に寄りかかり、すべて失い尽くしたと思った。 女:自分の中の美しいもの、正しいもの、醜いもの、ずるいもの、 女:何もかもが出て行って、残ったのは空っぽの入れ物としての身体。 女:そう思ったはずなのに、気づくと女のさっぱりと乾いた頬を、熱い涙が伝っていた。 女:終わったんだな。夏が。 女:「女ではないなにか」が、次第に女の形を取り戻してゆく。 女:都会の夜が、彼女をゆっくりと正気に戻すのだった。 0: 0:終わり