台本概要

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タイトル 魔王の子
作者名 ひろ  (@hiro_3330141)
ジャンル その他
演者人数 2人用台本(女2)
時間 30 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 「お前は魔王の子だよ」
母親は子に優しく言い聞かせる。

ある母親と娘の物語。
背景を知りたい方は『リリス、あるいは』も併せてお読みください。

原案:パサコさん

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
104 母親。 モノローグを読む際はモノローグと兼役。
112 子供。 ニュースキャスターと兼役。
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

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0:ある夜、田舎の古い屋敷にて 母:よしよし、もうおやすみよ、かわいい子 子:ん……まだ眠くない… 母:ほら、瞼が下がってきているよ 子:やだぁ。おかあさん、お話してよ 母:仕様のない子だね 母:さてどこまで話したかな……。ああそうだ、アダムとイヴの話だったね 母:神はアダムとイヴにこう言った。「楽園の真ん中に生えている果実だけは食べてはならない。もし口にすれば死ぬことになる」 子:死ぬ? いけないこと? 母:そうさ。生き物の行きつく果てなき果てだ 母:しかし古き蛇はイヴに囁いた。「あの実を食べても死ぬことはない」 子:嘘だよ。神さまは死ぬって言ったもの 母:はは、そうだね。…それでイヴはアダムと共に果実を食べた。どうなったと思う? 子:死んじゃった 母:ところがアダムとイヴは生きていた。自分たちの体を果実の葉で隠してね 子:どうして? どうして生きてたの? なんで隠すの? 母:なぜだろうね。自分で考えてごらん 子:うーん……えっと… 母:……あれ、舟をこいでいるじゃないか。首を痛くするよ 子:ん… 母:世話が焼けるね。…ふふ。ゆっくりおやすみ 0:翌朝 子:おはよう、おかあさん 母:おはよう。ああ、目を擦るんじゃないよ。赤くなる 母:顔を洗っておいで 子:やだ。お水冷たいんだもん 母:それくらい我慢しな。お前は強い子なんだから 子:強い子だとおかあさんはうれしい? 母:もちろんさ 子:じゃあいってくる! 母:すっきりしたかい? 子:うん 母:それじゃ、朝ご飯にしようか 子:今日はなあに? 白いパンがいい 母:まったく、舌が肥えてるね。まあでもそうだね、今朝は白パンとサラミだよ 子:やったあ! いただきます! 母:ゆっくりお食べ 子:ねぇおかあさん、昨夜(ゆうべ)のお話なんだけどね 子:あれから夢をみたよ。真っ赤な木の実を食べたんだ 母:ふむ 子:それでね、手が赤くなっちゃったの 子:でもそれだけだった 母:そうかい 子:だから思ったんだ。神さまは嘘つきだって 子:ねぇ、どうして神さまは嘘をついたの? 母:…ふっ 母:ははは、お前は賢いね。ああ、素晴らしいよ 母:神はね、怖かったのさ 子:こわい? 神さまなのに? 母:おかしいだろう? 神は人間を自分に似せて創ったくせに、自分と同じにするのは怖かったんだ 母:…まあ、分からないでもないがね 子:じゃあ蛇は正しいことを言ったんだね 母:そうとも。そしてその蛇こそが魔王、お前のお父さんだよ 母:お前は魔王の子なんだ 子:そうなの? もっとおとうさんの話聞きたい! 母:ああ。でもその前にお食べよ 子:あっ…うん! 0:それからというもの、母親は子供に夜ごと魔王の話を語り聞かせるようになった 母:アダムとイヴは子に恵まれたんだ。その中にカインとアベルという兄弟がいた 子:兄弟ってなに? 母:同じ親から産まれた子供たちのことさ 子:わたしにもいる? 母:お前にはいないよ。かわいいかわいい一人娘さ 子:かわいい? 母:ああ 子:へへ…おかあさん大好き! 母:そうかい 母:それでカインは土を耕し、アベルは羊を飼うのを生業とした 子:羊? 母:あー…えっと…白くてふわふわした生き物だ 子:ふわふわ! いいな、羊がいい 母:……カインとアベルがそれぞれ自分のものを神に差し出したとき、神はアベルの羊を好もしく思った 母:カインの作物は気にもとまらなかった 子:でもカインも頑張ったんだよね。かわいそうだよ… 母:ああ。やっぱりお前は魔王の子だ 母:アベルへの怒りと神への悲しみに悩めるカインの背を、魔王は押してやったんだ。「アベルを殺したとして、誰がそのことに気づくであろう?」 子:カインはアベルを殺したの? 母:そうだ。無念を晴らしたのさ 子:やったね! おとうさんはやさしいね 0: 子:ねえ、神さまはどこにいるの? 母:天の上にいるよ 子:ふうん。じゃあおとうさんは? 母:地の底にいるね 子:会いたいなあ。ねえおかあさん、どうしたら地の底へ行けるのかな 母:それは……。ああそうだ、それなら今日は神に会おうとした人々の話をしよう 子:でも天の上なんだよね 母:そうさ。人々はどうしたと思う? 子:うーん…あ! 階段をのぼったんだ! ね、そうだよね 母:惜しい。塔を建てたんだ 子:塔って? 母:長っ細くて高い建物のことさ 母:ある街の一人の耳に、魔王が息を吹きかけた。するとそいつは「天まで達する塔を築こう」と言い出した 子:天ってどのくらい高い? わたし何人分? 母:はは、それじゃいくらいても足りないよ、おチビさん 子:いつかおかあさんよりずっと大きくなるんだもん! 母:それでも天には届かないね 子:それじゃあその塔だって届きっこないよ 母:それはどうだろうね 母:人々は同じ言葉を話していたから、皆で協力して漆喰(しっくい)やアスファルトを積み上げ続けた 母:それを見た神は…どうしたと思う? 子:えー。神さまはいじわるだから…こわしたよ、きっと 母:いいや、もっと酷いことをしたんだ 母:街の人々の話す言葉をばらばらにしてしまった 子:もうおしゃべりできないね 母:ああ。だから塔を造ることもできなくなってしまったし、すっかり混乱しきった街の人々の様子から、その街はバベルと呼ばれるようになった 母:そして魔王は神に罰された人々を手に入れたのさ 子:おとうさんはみんなを治してあげたの? 母:いや、その必要はないんだよ。どんな言葉を話そうが魔王のもとでは平等だからね 0: 子:おかあさん。おとうさんが魔王ならおかあさんも魔王なの? 母:いいや。あくまで魔王の妻さ 子:じゃあわたしも魔王の子? 母:物分かりがいいね。そうだよ 子:いつか魔王になれないかなあ 母:どうだかね。実はね、魔王も初めから魔王だったわけではないのさ 子:最初はなんだったの? あ、まって! わたしが当てる! 子:えっとね……悪魔! 前の魔王を倒したの 母:成り上がったってわけかい? 子:なりあ……うん 母:残念。実は魔王は昔、天使だったんだ 子:嘘! おとうさんがあんな神さまのしもべなはずないよ! 母:まあお聞き 母:その天使は名をルシフェルといった。黎明(れいめい)の子、暁の子、明けの明星…色々の名前があったが、それはいずれも光もたらす者という意味で、十二の翼を持ち、何者よりも美しく輝いていた 子:天使のころもすごかったんだね 母:そうとも。ルシフェルは天使の長で、神についで第二の位を守る者だったんだ 子:でもそれじゃ魔王になるわけがないよ 母:それがあったのさ 母:ルシフェルは多くの国を倒し、その力をもって神に仕えてきた。だが神はそれをさも当然と振る舞っていた 子:ちょっとくらいほめてくれてもいいのにね 母:それでルシフェルはある日神に乞うたんだ。「あなたの誉れを私にください」とね 母:その言葉を神は傲慢としてルシフェルを地に落とした。さながら雷光のように 子:あんまりだよ…おとうさんはたくさん神さまの役に立ったのに 母:だがルシフェルもただでは落ちなかった。天使の三分の一を神に背かせたんだ 子:おとうさんは人気者なんだね! 母:そうさね 母:共に落ちた天使たちは人間の娘と結婚して超人をこの世に生まれさせた。その子らは数々の英雄譚(えいゆうたん)を残した 子:えい……なに? 母:あー、言ってしまえば心躍る素晴らしい話だよ 子:聞きたい! 話して! 母:だめだ。もう寝る時間だよ。さ、おやすみ 0:優しい母の声に撫でられ、枕辺で遠いお伽噺に遊び、やがて子は十(とお)になった 子:ねえ、おかあさん最近どこ行ってるの? 母:お前の知らないところだよ 子:連れてってよ 母:それはできないね 子:どうして? わたしだってお外に出てみたい! 母:お前ね、お前が思っている以上に外は危険なんだよ 子:でもおかあさんは大丈夫なんでしょ? 母:お母さんは自分で自分の身を守れるからね 子:わたしも―― 母:はぁ。聞き分けの悪い子は嫌いだよ 母:お前は魔王の子だ。天の下へ姿を現せば、たちまち天使がつるぎを手に裁きにくるだろう。それを退けられるのかい? 子:………… 母:分かったらいい子にしておいで 子:うん… 0: 子:あれ? 今日はなんだか豪華だね 母:おや、分かったかい? 目敏いね。ふふ、お前の好きな白パンに分厚いベーコン、目玉焼きと―― 子:げ、サラダだ… 母:好き嫌いはいけないね。まあそんな顔はおやめ。デザートだってあるんだから 子:デザート? 角砂糖なら黒いのがいいな 母:角砂糖なんかよりずっと気に入るよ。さ 子:えー、なんだろ 子:……おいしかった! ごちそうさま! 母:目が輝いてるね。そら。 子:なにこれ? 四角くてちょっと茶色い… 母:クッキーさ。食べてごらん 子:ん、さくさくしてる! 角砂糖よりおいしいや! 母:はは、そりゃ良かった 子:…ねえ、今日はなにかの日なの? 母:うーん、察しがいいんだか悪いんだか 母:今日はね、お前が生まれてちょうど十年なんだ。だから祝おうと思ってね 子:じゃあわたしは十歳ってこと? 母:そういうことだ。皿を片付けたらこっちへおいで 0: 子:お片付けしたよ 母:よろしい 子:それで、まだなにかあるの? 母:ああ。贈り物があるんだ 母:手を出しな 子:はい 子:……ナイフ? 母:そうだ。鞘から抜いてごらん。ああ、ゆっくりだよ 子:すごい…わたしの顔が映ってる… 母:磨き上げておいたからね 子:でもどうしてナイフなんか? 母:これさ 子:ねずみ? 母:今から大事な質問をするからね、よく考えて答えるんだ 母:お前は魔王の子かい? 子:え…? なに言ってるの、おかあさん。わたしは魔王の子だよ。おかあさんがそう言ったんじゃない 母:…そうかい。ならこの鼠を殺せるね? 母:魔王がヨブの持ち物にそうしたように、ユダを裏切らせたように、窮(きゅう)した売女(ばいた)に血の味を覚えさせたように 子:……うん、できるよ 母:やってみせておくれ 0:母親が鼠を放す。鼠は足を引きずって逃げようとする 子:あっ! 待て! …えいっ! 0:ナイフが鼠に深々と突き刺さる。鼠の喉から潰れたような鳴き声がもれる。血が子供のふっくらとした頬に撥(は)ねた 子:…死んだ…? 母:ああ。上出来だ 子:おとうさんみたいだった? 母:それはまだまだだね。おや、顔に血がついているよ 子:手もべたべたになっちゃった。洗ってくるね 母:冷たい水は嫌じゃなかったのかい? ふふ 子:もう、魔王の子は強いんだから! 母:…そうだね 0: 子:おかあさん、それ……羽が生えてる! 天使? 母:烏(からす)だよ。この間の鼠の死骸を食らっていたところを捕まえたんだ 子:…前みたいにやる? 母:お前が魔王の子だというのなら 子:やる! 見て! おかあさんにもらったナイフ、いつも持ってるの! 母:気に入ったみたいだね。…良かったよ 母:ただね、こいつは羽が生えている。存外頑丈にできていてね。お前はまだ力が弱いから、刺しにくいかもしれないよ 子:じゃあどうすればいい? 母:まあやってみな 0:烏が母親の手を逃れようと荒々しく羽ばたく。黒い羽根が散る。烏の首根っこを鷲掴みにしていた手のひらが離されると、烏は狂ったように飛び立ち、天井にぶつかって落ちた 子:うわっ! あ、飛んじゃだめ! 0:子供は細い腕で烏の大きな翼を押さえつける 子:いたっ…この! 0:烏の太く鋭い嘴が子供の柔らかい肌を襲う。なんとか乗り上げると、子供はがむしゃらに烏の首を絞めた 子:んっ…く、この… 0:しばらくもがいていた烏が、ぱたりと静かになった 子:はあ、はあ……おかあさん 母:よくやった。おいで、薬を塗ってやろう 0:やがて三年が経ち、無邪気な子供は一人の悩める娘になりかかっていた 母:少し日が空いちまったけど、腕は鈍っていないかい? 子:……うん。準備できてるよ、お母さん 母:近頃どうにも暗い顔をしているが…まさか嫌になったんじゃないだろうね 母:何度でも言うが―― 子:大丈夫、分かってる。わたしは魔王の子だよ 母:…それならいいがね。さ、今日はこいつだ 子:猫…… 0:玄関から扉を叩く音が聞こえてくる 母:おや、誰だろう。行ってくるから、その間にやっておしまいな 0:母親が部屋を出ていく 子:……魔王の子 子:ねえ、お前はどう思う? わたしが何者に見えるかな 子:…逃げないの? 0:猫が苦しげに唸る 子:どうしたの? 苦しいの? お前ずいぶんお腹が大きいんだね 子:このナイフはどれくらい血を吸ったんだろうね。……ねえ、本当にこんなことが必要なのかな 子:お母さんは天使をやっつけるためだって言ってたけどさ 子:本当に天使はわたしを裁きにくるのかな。魔王と天使の戦いはもうずっと昔に終わったのに 子:本当に魔王がわたしのお父さんなのかな。それならどうしてお母さんはいつもあんなことを聞くんだろう 子:ねえ、お前には名前がある? …わたしにはないんだ 子:わたしは…わたしは…… 0:じっと聞いていた猫が突如として鳴き出す。身を捩(よじ)る猫に子供が手を伸ばすと、猫は牙をむいた 子:…大丈夫? 0:しばらくして、後ろ脚の間から何かがずるりと出てきた 子:何これ…? 小さい…猫? ……赤ちゃん 0:母猫が薄い舌で鳴かない仔猫の体を励ますように懸命に舐める 子:…そっか。そっか、あなた、お母さんなんだね。それじゃ殺せないや 子:ありがとう。あなたのお陰でわたしが何者か分かったよ 子:わたしは魔王の子じゃない。ただの、お母さんの子なんだ 0:ようやく産声をあげた仔猫に、母猫が頬を擦りつける。そして母猫は仔猫を咥えると、子供を一瞥(いちべつ)して去っていった 母:首尾はどうだい 0:入れ替わりに母親が戻ってくる 子:お母さん! 母:……どうしてナイフが綺麗なままなんだい? 猫はどうした? お前… 子:あのね、お母さん。あの猫はお母さんだったの。だからわたし、殺さなかったよ 母:なんだって? 子:だってわたしはお母さんの子だもの! 母:っ…このっ! 0:顔をほころばせる子供を、母親が平手で打つ 子:いっ……え、お母さ―― 母:お前は、お前は魔王の子だ! もしそうでないというのなら私の子でもありはしない! 母:どうして言う通りにしなかったんだ! 子:だって魔王は自由を与えてくれたんでしょう? アダムとイヴに罪を教えて神の手から解き放ち、善を行う自由を、悪を行う自由を! 子:だからわたしもそれに従ったの! 子:それにお母さんだって分かってるでしょ! わたしが魔王の子じゃないって 母:お黙り! 子:わたしが魔王の子で天使が裁きにくるのなら、魔王もまた天使を邪魔しにくるはずだよ。違う? 母:黙れと言っているんだ! 0:母親が娘を引き倒し、馬乗りになって首を絞める 子:うっ…か、あ… 0:息絶えそうになった娘の首から母親の手が離れる 子:おか…さ… 母:…忌々しい! 二度と私を母と呼ぶんじゃないよ! 母:もし呼んだら……このベルトで背中が腫れ上がるまで叩いてやるからね! 0:子供の潤んだ目が母親を見つめる 母:なんだい、その目は 子:もうやめようよ……おかあさん、なきそうなかおして―― 母:っ黙れ! 子:うあっ! 母:お前には鞭がお似合いだよ! そこらの犬畜生のようにね! 0:母親は二日の間子供を打ち続けた。子供は苦痛に叫び、声が枯れても母を母と呼び縋ってやまなかった 0:それは三日目のことだった 母:強情だね! 子:っ……おかあ、さん 0:母親がベルトを握り込んで赤くなった拳を振り上げる。服が破れて痣だらけの肌がむき出しになった子供の背に、無遠慮な足音が響く 母:…遅いよ 0:拳を下ろして、母親は戸に近寄る 0:その瞬間、鈍い音とともに戸が破れ、穴からは男物の靴が覗いた 子:……だれ? 0: ニュースキャスター:昨日(さくじつ)、町という町を恐怖に落とし入れた悪名高き殺人鬼、レッドラムことリリス・アダムズが逮捕されました ニュースキャスター:彼女は自らの子を虐待しており、逮捕当時、子供は傷だらけで憔悴(しょうすい)しきっていたとのことです ニュースキャスター:祝福しましょう、神の勝利を。そして祈りましょう、この哀れな子羊のために

0:ある夜、田舎の古い屋敷にて 母:よしよし、もうおやすみよ、かわいい子 子:ん……まだ眠くない… 母:ほら、瞼が下がってきているよ 子:やだぁ。おかあさん、お話してよ 母:仕様のない子だね 母:さてどこまで話したかな……。ああそうだ、アダムとイヴの話だったね 母:神はアダムとイヴにこう言った。「楽園の真ん中に生えている果実だけは食べてはならない。もし口にすれば死ぬことになる」 子:死ぬ? いけないこと? 母:そうさ。生き物の行きつく果てなき果てだ 母:しかし古き蛇はイヴに囁いた。「あの実を食べても死ぬことはない」 子:嘘だよ。神さまは死ぬって言ったもの 母:はは、そうだね。…それでイヴはアダムと共に果実を食べた。どうなったと思う? 子:死んじゃった 母:ところがアダムとイヴは生きていた。自分たちの体を果実の葉で隠してね 子:どうして? どうして生きてたの? なんで隠すの? 母:なぜだろうね。自分で考えてごらん 子:うーん……えっと… 母:……あれ、舟をこいでいるじゃないか。首を痛くするよ 子:ん… 母:世話が焼けるね。…ふふ。ゆっくりおやすみ 0:翌朝 子:おはよう、おかあさん 母:おはよう。ああ、目を擦るんじゃないよ。赤くなる 母:顔を洗っておいで 子:やだ。お水冷たいんだもん 母:それくらい我慢しな。お前は強い子なんだから 子:強い子だとおかあさんはうれしい? 母:もちろんさ 子:じゃあいってくる! 母:すっきりしたかい? 子:うん 母:それじゃ、朝ご飯にしようか 子:今日はなあに? 白いパンがいい 母:まったく、舌が肥えてるね。まあでもそうだね、今朝は白パンとサラミだよ 子:やったあ! いただきます! 母:ゆっくりお食べ 子:ねぇおかあさん、昨夜(ゆうべ)のお話なんだけどね 子:あれから夢をみたよ。真っ赤な木の実を食べたんだ 母:ふむ 子:それでね、手が赤くなっちゃったの 子:でもそれだけだった 母:そうかい 子:だから思ったんだ。神さまは嘘つきだって 子:ねぇ、どうして神さまは嘘をついたの? 母:…ふっ 母:ははは、お前は賢いね。ああ、素晴らしいよ 母:神はね、怖かったのさ 子:こわい? 神さまなのに? 母:おかしいだろう? 神は人間を自分に似せて創ったくせに、自分と同じにするのは怖かったんだ 母:…まあ、分からないでもないがね 子:じゃあ蛇は正しいことを言ったんだね 母:そうとも。そしてその蛇こそが魔王、お前のお父さんだよ 母:お前は魔王の子なんだ 子:そうなの? もっとおとうさんの話聞きたい! 母:ああ。でもその前にお食べよ 子:あっ…うん! 0:それからというもの、母親は子供に夜ごと魔王の話を語り聞かせるようになった 母:アダムとイヴは子に恵まれたんだ。その中にカインとアベルという兄弟がいた 子:兄弟ってなに? 母:同じ親から産まれた子供たちのことさ 子:わたしにもいる? 母:お前にはいないよ。かわいいかわいい一人娘さ 子:かわいい? 母:ああ 子:へへ…おかあさん大好き! 母:そうかい 母:それでカインは土を耕し、アベルは羊を飼うのを生業とした 子:羊? 母:あー…えっと…白くてふわふわした生き物だ 子:ふわふわ! いいな、羊がいい 母:……カインとアベルがそれぞれ自分のものを神に差し出したとき、神はアベルの羊を好もしく思った 母:カインの作物は気にもとまらなかった 子:でもカインも頑張ったんだよね。かわいそうだよ… 母:ああ。やっぱりお前は魔王の子だ 母:アベルへの怒りと神への悲しみに悩めるカインの背を、魔王は押してやったんだ。「アベルを殺したとして、誰がそのことに気づくであろう?」 子:カインはアベルを殺したの? 母:そうだ。無念を晴らしたのさ 子:やったね! おとうさんはやさしいね 0: 子:ねえ、神さまはどこにいるの? 母:天の上にいるよ 子:ふうん。じゃあおとうさんは? 母:地の底にいるね 子:会いたいなあ。ねえおかあさん、どうしたら地の底へ行けるのかな 母:それは……。ああそうだ、それなら今日は神に会おうとした人々の話をしよう 子:でも天の上なんだよね 母:そうさ。人々はどうしたと思う? 子:うーん…あ! 階段をのぼったんだ! ね、そうだよね 母:惜しい。塔を建てたんだ 子:塔って? 母:長っ細くて高い建物のことさ 母:ある街の一人の耳に、魔王が息を吹きかけた。するとそいつは「天まで達する塔を築こう」と言い出した 子:天ってどのくらい高い? わたし何人分? 母:はは、それじゃいくらいても足りないよ、おチビさん 子:いつかおかあさんよりずっと大きくなるんだもん! 母:それでも天には届かないね 子:それじゃあその塔だって届きっこないよ 母:それはどうだろうね 母:人々は同じ言葉を話していたから、皆で協力して漆喰(しっくい)やアスファルトを積み上げ続けた 母:それを見た神は…どうしたと思う? 子:えー。神さまはいじわるだから…こわしたよ、きっと 母:いいや、もっと酷いことをしたんだ 母:街の人々の話す言葉をばらばらにしてしまった 子:もうおしゃべりできないね 母:ああ。だから塔を造ることもできなくなってしまったし、すっかり混乱しきった街の人々の様子から、その街はバベルと呼ばれるようになった 母:そして魔王は神に罰された人々を手に入れたのさ 子:おとうさんはみんなを治してあげたの? 母:いや、その必要はないんだよ。どんな言葉を話そうが魔王のもとでは平等だからね 0: 子:おかあさん。おとうさんが魔王ならおかあさんも魔王なの? 母:いいや。あくまで魔王の妻さ 子:じゃあわたしも魔王の子? 母:物分かりがいいね。そうだよ 子:いつか魔王になれないかなあ 母:どうだかね。実はね、魔王も初めから魔王だったわけではないのさ 子:最初はなんだったの? あ、まって! わたしが当てる! 子:えっとね……悪魔! 前の魔王を倒したの 母:成り上がったってわけかい? 子:なりあ……うん 母:残念。実は魔王は昔、天使だったんだ 子:嘘! おとうさんがあんな神さまのしもべなはずないよ! 母:まあお聞き 母:その天使は名をルシフェルといった。黎明(れいめい)の子、暁の子、明けの明星…色々の名前があったが、それはいずれも光もたらす者という意味で、十二の翼を持ち、何者よりも美しく輝いていた 子:天使のころもすごかったんだね 母:そうとも。ルシフェルは天使の長で、神についで第二の位を守る者だったんだ 子:でもそれじゃ魔王になるわけがないよ 母:それがあったのさ 母:ルシフェルは多くの国を倒し、その力をもって神に仕えてきた。だが神はそれをさも当然と振る舞っていた 子:ちょっとくらいほめてくれてもいいのにね 母:それでルシフェルはある日神に乞うたんだ。「あなたの誉れを私にください」とね 母:その言葉を神は傲慢としてルシフェルを地に落とした。さながら雷光のように 子:あんまりだよ…おとうさんはたくさん神さまの役に立ったのに 母:だがルシフェルもただでは落ちなかった。天使の三分の一を神に背かせたんだ 子:おとうさんは人気者なんだね! 母:そうさね 母:共に落ちた天使たちは人間の娘と結婚して超人をこの世に生まれさせた。その子らは数々の英雄譚(えいゆうたん)を残した 子:えい……なに? 母:あー、言ってしまえば心躍る素晴らしい話だよ 子:聞きたい! 話して! 母:だめだ。もう寝る時間だよ。さ、おやすみ 0:優しい母の声に撫でられ、枕辺で遠いお伽噺に遊び、やがて子は十(とお)になった 子:ねえ、おかあさん最近どこ行ってるの? 母:お前の知らないところだよ 子:連れてってよ 母:それはできないね 子:どうして? わたしだってお外に出てみたい! 母:お前ね、お前が思っている以上に外は危険なんだよ 子:でもおかあさんは大丈夫なんでしょ? 母:お母さんは自分で自分の身を守れるからね 子:わたしも―― 母:はぁ。聞き分けの悪い子は嫌いだよ 母:お前は魔王の子だ。天の下へ姿を現せば、たちまち天使がつるぎを手に裁きにくるだろう。それを退けられるのかい? 子:………… 母:分かったらいい子にしておいで 子:うん… 0: 子:あれ? 今日はなんだか豪華だね 母:おや、分かったかい? 目敏いね。ふふ、お前の好きな白パンに分厚いベーコン、目玉焼きと―― 子:げ、サラダだ… 母:好き嫌いはいけないね。まあそんな顔はおやめ。デザートだってあるんだから 子:デザート? 角砂糖なら黒いのがいいな 母:角砂糖なんかよりずっと気に入るよ。さ 子:えー、なんだろ 子:……おいしかった! ごちそうさま! 母:目が輝いてるね。そら。 子:なにこれ? 四角くてちょっと茶色い… 母:クッキーさ。食べてごらん 子:ん、さくさくしてる! 角砂糖よりおいしいや! 母:はは、そりゃ良かった 子:…ねえ、今日はなにかの日なの? 母:うーん、察しがいいんだか悪いんだか 母:今日はね、お前が生まれてちょうど十年なんだ。だから祝おうと思ってね 子:じゃあわたしは十歳ってこと? 母:そういうことだ。皿を片付けたらこっちへおいで 0: 子:お片付けしたよ 母:よろしい 子:それで、まだなにかあるの? 母:ああ。贈り物があるんだ 母:手を出しな 子:はい 子:……ナイフ? 母:そうだ。鞘から抜いてごらん。ああ、ゆっくりだよ 子:すごい…わたしの顔が映ってる… 母:磨き上げておいたからね 子:でもどうしてナイフなんか? 母:これさ 子:ねずみ? 母:今から大事な質問をするからね、よく考えて答えるんだ 母:お前は魔王の子かい? 子:え…? なに言ってるの、おかあさん。わたしは魔王の子だよ。おかあさんがそう言ったんじゃない 母:…そうかい。ならこの鼠を殺せるね? 母:魔王がヨブの持ち物にそうしたように、ユダを裏切らせたように、窮(きゅう)した売女(ばいた)に血の味を覚えさせたように 子:……うん、できるよ 母:やってみせておくれ 0:母親が鼠を放す。鼠は足を引きずって逃げようとする 子:あっ! 待て! …えいっ! 0:ナイフが鼠に深々と突き刺さる。鼠の喉から潰れたような鳴き声がもれる。血が子供のふっくらとした頬に撥(は)ねた 子:…死んだ…? 母:ああ。上出来だ 子:おとうさんみたいだった? 母:それはまだまだだね。おや、顔に血がついているよ 子:手もべたべたになっちゃった。洗ってくるね 母:冷たい水は嫌じゃなかったのかい? ふふ 子:もう、魔王の子は強いんだから! 母:…そうだね 0: 子:おかあさん、それ……羽が生えてる! 天使? 母:烏(からす)だよ。この間の鼠の死骸を食らっていたところを捕まえたんだ 子:…前みたいにやる? 母:お前が魔王の子だというのなら 子:やる! 見て! おかあさんにもらったナイフ、いつも持ってるの! 母:気に入ったみたいだね。…良かったよ 母:ただね、こいつは羽が生えている。存外頑丈にできていてね。お前はまだ力が弱いから、刺しにくいかもしれないよ 子:じゃあどうすればいい? 母:まあやってみな 0:烏が母親の手を逃れようと荒々しく羽ばたく。黒い羽根が散る。烏の首根っこを鷲掴みにしていた手のひらが離されると、烏は狂ったように飛び立ち、天井にぶつかって落ちた 子:うわっ! あ、飛んじゃだめ! 0:子供は細い腕で烏の大きな翼を押さえつける 子:いたっ…この! 0:烏の太く鋭い嘴が子供の柔らかい肌を襲う。なんとか乗り上げると、子供はがむしゃらに烏の首を絞めた 子:んっ…く、この… 0:しばらくもがいていた烏が、ぱたりと静かになった 子:はあ、はあ……おかあさん 母:よくやった。おいで、薬を塗ってやろう 0:やがて三年が経ち、無邪気な子供は一人の悩める娘になりかかっていた 母:少し日が空いちまったけど、腕は鈍っていないかい? 子:……うん。準備できてるよ、お母さん 母:近頃どうにも暗い顔をしているが…まさか嫌になったんじゃないだろうね 母:何度でも言うが―― 子:大丈夫、分かってる。わたしは魔王の子だよ 母:…それならいいがね。さ、今日はこいつだ 子:猫…… 0:玄関から扉を叩く音が聞こえてくる 母:おや、誰だろう。行ってくるから、その間にやっておしまいな 0:母親が部屋を出ていく 子:……魔王の子 子:ねえ、お前はどう思う? わたしが何者に見えるかな 子:…逃げないの? 0:猫が苦しげに唸る 子:どうしたの? 苦しいの? お前ずいぶんお腹が大きいんだね 子:このナイフはどれくらい血を吸ったんだろうね。……ねえ、本当にこんなことが必要なのかな 子:お母さんは天使をやっつけるためだって言ってたけどさ 子:本当に天使はわたしを裁きにくるのかな。魔王と天使の戦いはもうずっと昔に終わったのに 子:本当に魔王がわたしのお父さんなのかな。それならどうしてお母さんはいつもあんなことを聞くんだろう 子:ねえ、お前には名前がある? …わたしにはないんだ 子:わたしは…わたしは…… 0:じっと聞いていた猫が突如として鳴き出す。身を捩(よじ)る猫に子供が手を伸ばすと、猫は牙をむいた 子:…大丈夫? 0:しばらくして、後ろ脚の間から何かがずるりと出てきた 子:何これ…? 小さい…猫? ……赤ちゃん 0:母猫が薄い舌で鳴かない仔猫の体を励ますように懸命に舐める 子:…そっか。そっか、あなた、お母さんなんだね。それじゃ殺せないや 子:ありがとう。あなたのお陰でわたしが何者か分かったよ 子:わたしは魔王の子じゃない。ただの、お母さんの子なんだ 0:ようやく産声をあげた仔猫に、母猫が頬を擦りつける。そして母猫は仔猫を咥えると、子供を一瞥(いちべつ)して去っていった 母:首尾はどうだい 0:入れ替わりに母親が戻ってくる 子:お母さん! 母:……どうしてナイフが綺麗なままなんだい? 猫はどうした? お前… 子:あのね、お母さん。あの猫はお母さんだったの。だからわたし、殺さなかったよ 母:なんだって? 子:だってわたしはお母さんの子だもの! 母:っ…このっ! 0:顔をほころばせる子供を、母親が平手で打つ 子:いっ……え、お母さ―― 母:お前は、お前は魔王の子だ! もしそうでないというのなら私の子でもありはしない! 母:どうして言う通りにしなかったんだ! 子:だって魔王は自由を与えてくれたんでしょう? アダムとイヴに罪を教えて神の手から解き放ち、善を行う自由を、悪を行う自由を! 子:だからわたしもそれに従ったの! 子:それにお母さんだって分かってるでしょ! わたしが魔王の子じゃないって 母:お黙り! 子:わたしが魔王の子で天使が裁きにくるのなら、魔王もまた天使を邪魔しにくるはずだよ。違う? 母:黙れと言っているんだ! 0:母親が娘を引き倒し、馬乗りになって首を絞める 子:うっ…か、あ… 0:息絶えそうになった娘の首から母親の手が離れる 子:おか…さ… 母:…忌々しい! 二度と私を母と呼ぶんじゃないよ! 母:もし呼んだら……このベルトで背中が腫れ上がるまで叩いてやるからね! 0:子供の潤んだ目が母親を見つめる 母:なんだい、その目は 子:もうやめようよ……おかあさん、なきそうなかおして―― 母:っ黙れ! 子:うあっ! 母:お前には鞭がお似合いだよ! そこらの犬畜生のようにね! 0:母親は二日の間子供を打ち続けた。子供は苦痛に叫び、声が枯れても母を母と呼び縋ってやまなかった 0:それは三日目のことだった 母:強情だね! 子:っ……おかあ、さん 0:母親がベルトを握り込んで赤くなった拳を振り上げる。服が破れて痣だらけの肌がむき出しになった子供の背に、無遠慮な足音が響く 母:…遅いよ 0:拳を下ろして、母親は戸に近寄る 0:その瞬間、鈍い音とともに戸が破れ、穴からは男物の靴が覗いた 子:……だれ? 0: ニュースキャスター:昨日(さくじつ)、町という町を恐怖に落とし入れた悪名高き殺人鬼、レッドラムことリリス・アダムズが逮捕されました ニュースキャスター:彼女は自らの子を虐待しており、逮捕当時、子供は傷だらけで憔悴(しょうすい)しきっていたとのことです ニュースキャスター:祝福しましょう、神の勝利を。そして祈りましょう、この哀れな子羊のために