台本概要
227 views
タイトル | 蟲の一生 |
---|---|
作者名 | 薙介 (@Gy_voicone) |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 2人用台本(男1、女1) |
時間 | 20 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
今日分かれる男と女の話。 男は女でも良いし、 女は男でも良い。 227 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
---|---|---|---|
男 | 男 | 52 | 今日分かれる |
女 | 女 | 51 | 今日別れる |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:窓から夕日が差し込む部屋。
0:ゆったりとソファに腰掛け読書をする男。
0:ダイニングテーブルの椅子に座り珈琲を飲む女。
0:ふと、男が書物から視線を外し、窓へ目を向ける。
0:
0:
0:
男:……こうやって、君と二人穏やかに過ごす時間も、そろそろ終いだ。
女:……。
男:良かったのかい?
女:え?
男:買い物に行ったり、娯楽を楽しんだり……君は本来活動的な人だろう?
男:こんな1日で良かったのかい?
女:そうね、貴方なら私がやりたいって言ったら、今日は付き合ってくれたんでしょうね。
女:でもこれでいいの。最期はね。
男:慈悲深いね。
女:嫌味かしら。
男:本心だよ。君は優しい。
女:そんな事言うの、貴方くらいよ。
男:そもそも、君は途中で来るのをやめると思っていた。
女:『分かれるまでの一ヶ月、一緒に居る。』
女:約束でしょう?私、約束を違(たが)えるような女じゃないのよ。
女:貴方は知らないでしょうけど。
男:成程。結局、君については最後まで知らない事ばかりだ。
女:部屋の本はこんなに増えたのにね。
男:知識が蓄積されていくのが楽しくてね。
男:しかし、人情の機微は図書の知恵だけで読み解けるものではないだろう?
女:でも前よりは。少なくとも知ろうとしてくれているもの。
女:今の方がよっぽど人間的だわ。
男:人間的、か。面白いね。
女:嫌味っぽかったかしら。
男:嫌味なのかい?
女:いいえ、違うわ。
男:だろうね。おかわりは?(返事を待たずにマグカップを手に取りキッチンへと向かう)
女:(男を目で追いつつ)違ってもね、ほんのひと月前、
女:そのお口は『君の話し方は一々嫌味ったらしくて鼻につく』って言ったのよ。
女:違おうがなんだろうが、僕にはそう聞こえるって。
女:眉間に不細工な皺を浮かべながら。
男:そうだったね。
女:最近じゃ、私の言うことなす事全て気に入らなかったみたい。
女:疲れたようにため息をついて会話を切るの。
女:思考が停止するのよ、それはもう分かりやすく。
男:ああ、確かにそうだった。
女:あの日私が別れるって言っても、怒ったような呆れたような顔をするだけで
女:止めやしなかったし、何故とも聞かなかった。
男:そうして君は部屋を飛び出し、それでももう一度戻ってきた。
男:そして、僕に一ヶ月の猶予をくれた。
女:だって、好きだったのよ、それでも。
男:(マグカップをテーブルに置き)ああ、知っている。
女:……貴方、私の珈琲の好みを覚えてしまったのね。
男:……それだけだよ。
男:僕がヒトとして、君の為に覚える事が出来たのは、それだけだ。
女:……今日、この部屋とても静かだった。
女:いいえ。このひと月、この部屋にはロックミュージックも、
女:ヒスめいた叫び声もため息もなかった。
女:貴方が本をめくる音と、珈琲の香りと……。
男:君だ。君が居た。
女:ええ、ただ静かで、貴方と、私が居た。
男:美しい空間だった。
女:……。
男:なあ、最期に一つ、君に呪いをかけても?
女:聞くのね
男:聞くさ
女:嫌だと言ったら?
男:かけない
女:でしょうね。貴方こそ優しいのよ。
女:だからこんな我儘な私だって、優しくせざるを得ないんだわ。
女:いいわ。言って。
男:愛している。
女:……。
男:はは…おぞましいだろう。
女:どうして?
男:君の恋人の顔で、君の恋人の声で、
男:ヒトの知性を使って『君を愛している』なんて宣(のたま)っている。
男:
男:一介の、虫が。
0:
0:
0:
0:
0:
男:要は虫だ。
女:虫?
男:ああ。一部の寄生虫は、繁殖の為に
男:宿主の意識まで掌握するのを知っているかい?
男:その一種だと思ってくれれば良い。
女:彼を苗床にするの?
男:いや、そこまでじゃないさ。
男:間借りするだけだ。せいぜい一ヶ月前後。
男:僕らの雌は、産卵時に哺乳類の血液が必要でね、
男:だけれど蚊のように飛び回る事は出来ない。行動範囲が狭いんだ。
男:だから雄(ぼくら)が他の生物に寄生する。
男:寄生した時点で肉体はその生物に溶け込み、
男:電子信号の集合体となった精神は、血管から脳へと侵入する。
男:乗っ取る、というには些か脆弱だ。そうだな、同化する感覚に近い。
男:寄生するまで、僕らには知能や自意識なんてものは存在しない。
男:僕ら自身、寄生している間はその個体が自分自身であることを疑いもしない。
男:だから、僕がかつて虫であった事を思い出したのは奇跡に近い。
男:恐らくは、寄生したのが知性あるヒトだったからだ。
男:それと、君の力によるところも大きい。
女:私?
男:ドアを開けて、目が合って、開口一番『誰?』と問われるとはね。
女:ええ、本当ね。
女:こうして話していても仕草も口調も彼そのもので、
女:こんな話、体(てい)よく私を追い出す為の作り話だって方が
女:よっぽど現実的だわ。
男:それでも君は言った。
女:あの時、あの一瞬、貴方が彼には見えなかった。
男:あるいは、それこそ僕の個性なのかもしれないね。
男:君の一言で僕は自分の中の違和感に気付き、
男:非合理な欲求を自覚して、結論に至った。
男:僕の自我は、正(まさ)しくあの時君から生まれた。
女:……。
男:それで、どうする?
女:え?
男:ここから僕がするのはせいぜい、裸足で草むらを駆け回ったり、
男:腹を出して寝るくらいの事だ。
男:ひと月後には僕は跡形もなく消え、思考は元に戻るだろう。
男:それでも、この状況は親しい人間にとって
男:耐え難い恐怖になり得ることは分かる。
男:今の僕だからこそね。
女:……。
男:幸い僕は今、ある種の匂いを強烈に怖れている自覚がある。
男:恐らくその成分は僕にとって毒なんだろうね。
男:だから君は、僕のことを簡単に追い出す事が出来るだろう。
男:
男:僕には僕の本能がある。しかし、ヒトとしての分別(ふんべつ)もつく。
男:だから君に決めてほしい。
女:……いいわ。
女:ひと月、貴方を黙認するわ。望むなら私の血もあげる。
女:ただし条件があるの。
男:それは?
0:
女:『貴方と彼が分かれるまでの一ヶ月、私と一緒に居る。』
女:それが、私の条件。
0:
0:
0:
0:
0:
男:ここの所少し考えるんだ。あの条件を飲まなかったら、と。
男:いっそ、もっと知恵のない生物に乗り移れていれば、とも。
男:あるいは自覚さえなければ。
男:最近の自分は趣味が変わったかもしれない、と『彼』として思うだけだったなら、
男:何にも気付かず逝けたのかもしれない。
女:後悔しているの?
男:……どうだろうね。
女:でも、そのお陰で私の白い足は、不揃いなドット柄よ?貴方とお揃い。
男:ふふ……それについてはとても感謝している。
男:おかげで、同胞達はきっと産卵出来るだろう。そこには僕の卵もあるかもしれない。
男:僕は、僕の一生に刻まれたプログラムを、全(まっと)う出来たんだろうね。
0:
0:
0:
男:……。
女:眠いの?
男:ああ、それに近いな。眠りにつく直前、境が分からなくなるような……
男:確かに自分のものとして僕の中にあったものの形が、段々と不明瞭になっていくんだ。
男:もう、そろそろだと思う。
女:そう。なら私、そろそろ部屋を出るわ。荷造りは済んでいるの。
男:そうか。ああ、そうだね、それがいい。
男:いきなり部屋に君が戻っていたら、きっとびっくりするだろうから。
女:そうね、そして『何か用でも?』って言うんだわ。
男:ふふふ……ああ、『僕』が言いそうだ。
女:元々ね、あの日、この部屋には荷物を取りに来たの。
女:あの人が引き止めない事は分かっていたから。
女:でも、ドアを開けたのは貴方だった。
女:出逢った頃の彼のように、私を邪険にしない貴方が居た。
女:だから私、貴方を許したの。
女:レプリカでもいい。愛する人と少しでも長く居る為に……いいえ、違うわね。
女:愛だけでは無かった。私、彼を何処かで恨んでもいた。
女:だってそうじゃない。別れたかったのは彼なのに、別れの言葉を言わされたのは私なのよ。
女:彼の中で元凶はいつも私。そんなのってないじゃない。
女:だから私、あの人が虫に寄生されて、頭の中を弄(いじ)くられる事を黙認したのよ。
女:ねえ、怖い女でしょう?
男:ああ、ゾッとするね。羨ましい限りだ。
女:ふふ、そんな事言うの、貴方くらいよ。
男:呪いたい程の愛しさを、今の僕は知っているからね。
女:そんなことを言うのも、貴方くらいよ。
女:……じゃあ、私行くわね。
男:なあ、最期に一つ、君に祝福を贈るよ。
女:聞かないのね。
男:聞かない。
女:いらないと言ったら?
男:それでも、与える。君の当然の権利だから。
女:頑固ね。いいわ、言って。
男:いいかい、数日経ったらここへ戻っておいで。もう一度、あの日のように。
男:彼は不機嫌な君に疲れる事もあったけれど、この身に宿る記憶に、
男:君を憎む気持ちは一片もない。彼も今だって、君を愛しているよ。
男:少し愛情の上に胡座をかいてしまったけれど、お灸は充分すえられただろう。
男:それこそ、『君を失ってここ一ヶ月、何をしていたかもおぼろげ』な程に、ね。
女:……。
男:……それでも、
女:……?
男:それでも、この記憶のどこを探っても、今の僕の方が君への愛は深い、と。
男:そう思うのは、彼の脳を使うが故の錯覚なんだろうか。
女:……。
男:あるいは、これこそ僕の個性なのだ、と……そう、思いたいね。
女:……もう、行くわね。
男:ああ、さようなら。
0:
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0:
女:……ねえ。
男:うん?
女:私ね、もう二度とこの部屋には戻らないわ。
0:
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女:だって、戻った時にはもう、貴方は居ないんでしょう?
0:
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0:ゆっくりと閉まるドア。
0:一人残された男はゆったりとソファに座り、目を閉じた。
0:部屋は徐々に、夜闇に包まれていく。
0:窓から夕日が差し込む部屋。
0:ゆったりとソファに腰掛け読書をする男。
0:ダイニングテーブルの椅子に座り珈琲を飲む女。
0:ふと、男が書物から視線を外し、窓へ目を向ける。
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男:……こうやって、君と二人穏やかに過ごす時間も、そろそろ終いだ。
女:……。
男:良かったのかい?
女:え?
男:買い物に行ったり、娯楽を楽しんだり……君は本来活動的な人だろう?
男:こんな1日で良かったのかい?
女:そうね、貴方なら私がやりたいって言ったら、今日は付き合ってくれたんでしょうね。
女:でもこれでいいの。最期はね。
男:慈悲深いね。
女:嫌味かしら。
男:本心だよ。君は優しい。
女:そんな事言うの、貴方くらいよ。
男:そもそも、君は途中で来るのをやめると思っていた。
女:『分かれるまでの一ヶ月、一緒に居る。』
女:約束でしょう?私、約束を違(たが)えるような女じゃないのよ。
女:貴方は知らないでしょうけど。
男:成程。結局、君については最後まで知らない事ばかりだ。
女:部屋の本はこんなに増えたのにね。
男:知識が蓄積されていくのが楽しくてね。
男:しかし、人情の機微は図書の知恵だけで読み解けるものではないだろう?
女:でも前よりは。少なくとも知ろうとしてくれているもの。
女:今の方がよっぽど人間的だわ。
男:人間的、か。面白いね。
女:嫌味っぽかったかしら。
男:嫌味なのかい?
女:いいえ、違うわ。
男:だろうね。おかわりは?(返事を待たずにマグカップを手に取りキッチンへと向かう)
女:(男を目で追いつつ)違ってもね、ほんのひと月前、
女:そのお口は『君の話し方は一々嫌味ったらしくて鼻につく』って言ったのよ。
女:違おうがなんだろうが、僕にはそう聞こえるって。
女:眉間に不細工な皺を浮かべながら。
男:そうだったね。
女:最近じゃ、私の言うことなす事全て気に入らなかったみたい。
女:疲れたようにため息をついて会話を切るの。
女:思考が停止するのよ、それはもう分かりやすく。
男:ああ、確かにそうだった。
女:あの日私が別れるって言っても、怒ったような呆れたような顔をするだけで
女:止めやしなかったし、何故とも聞かなかった。
男:そうして君は部屋を飛び出し、それでももう一度戻ってきた。
男:そして、僕に一ヶ月の猶予をくれた。
女:だって、好きだったのよ、それでも。
男:(マグカップをテーブルに置き)ああ、知っている。
女:……貴方、私の珈琲の好みを覚えてしまったのね。
男:……それだけだよ。
男:僕がヒトとして、君の為に覚える事が出来たのは、それだけだ。
女:……今日、この部屋とても静かだった。
女:いいえ。このひと月、この部屋にはロックミュージックも、
女:ヒスめいた叫び声もため息もなかった。
女:貴方が本をめくる音と、珈琲の香りと……。
男:君だ。君が居た。
女:ええ、ただ静かで、貴方と、私が居た。
男:美しい空間だった。
女:……。
男:なあ、最期に一つ、君に呪いをかけても?
女:聞くのね
男:聞くさ
女:嫌だと言ったら?
男:かけない
女:でしょうね。貴方こそ優しいのよ。
女:だからこんな我儘な私だって、優しくせざるを得ないんだわ。
女:いいわ。言って。
男:愛している。
女:……。
男:はは…おぞましいだろう。
女:どうして?
男:君の恋人の顔で、君の恋人の声で、
男:ヒトの知性を使って『君を愛している』なんて宣(のたま)っている。
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男:一介の、虫が。
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男:要は虫だ。
女:虫?
男:ああ。一部の寄生虫は、繁殖の為に
男:宿主の意識まで掌握するのを知っているかい?
男:その一種だと思ってくれれば良い。
女:彼を苗床にするの?
男:いや、そこまでじゃないさ。
男:間借りするだけだ。せいぜい一ヶ月前後。
男:僕らの雌は、産卵時に哺乳類の血液が必要でね、
男:だけれど蚊のように飛び回る事は出来ない。行動範囲が狭いんだ。
男:だから雄(ぼくら)が他の生物に寄生する。
男:寄生した時点で肉体はその生物に溶け込み、
男:電子信号の集合体となった精神は、血管から脳へと侵入する。
男:乗っ取る、というには些か脆弱だ。そうだな、同化する感覚に近い。
男:寄生するまで、僕らには知能や自意識なんてものは存在しない。
男:僕ら自身、寄生している間はその個体が自分自身であることを疑いもしない。
男:だから、僕がかつて虫であった事を思い出したのは奇跡に近い。
男:恐らくは、寄生したのが知性あるヒトだったからだ。
男:それと、君の力によるところも大きい。
女:私?
男:ドアを開けて、目が合って、開口一番『誰?』と問われるとはね。
女:ええ、本当ね。
女:こうして話していても仕草も口調も彼そのもので、
女:こんな話、体(てい)よく私を追い出す為の作り話だって方が
女:よっぽど現実的だわ。
男:それでも君は言った。
女:あの時、あの一瞬、貴方が彼には見えなかった。
男:あるいは、それこそ僕の個性なのかもしれないね。
男:君の一言で僕は自分の中の違和感に気付き、
男:非合理な欲求を自覚して、結論に至った。
男:僕の自我は、正(まさ)しくあの時君から生まれた。
女:……。
男:それで、どうする?
女:え?
男:ここから僕がするのはせいぜい、裸足で草むらを駆け回ったり、
男:腹を出して寝るくらいの事だ。
男:ひと月後には僕は跡形もなく消え、思考は元に戻るだろう。
男:それでも、この状況は親しい人間にとって
男:耐え難い恐怖になり得ることは分かる。
男:今の僕だからこそね。
女:……。
男:幸い僕は今、ある種の匂いを強烈に怖れている自覚がある。
男:恐らくその成分は僕にとって毒なんだろうね。
男:だから君は、僕のことを簡単に追い出す事が出来るだろう。
男:
男:僕には僕の本能がある。しかし、ヒトとしての分別(ふんべつ)もつく。
男:だから君に決めてほしい。
女:……いいわ。
女:ひと月、貴方を黙認するわ。望むなら私の血もあげる。
女:ただし条件があるの。
男:それは?
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女:『貴方と彼が分かれるまでの一ヶ月、私と一緒に居る。』
女:それが、私の条件。
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男:ここの所少し考えるんだ。あの条件を飲まなかったら、と。
男:いっそ、もっと知恵のない生物に乗り移れていれば、とも。
男:あるいは自覚さえなければ。
男:最近の自分は趣味が変わったかもしれない、と『彼』として思うだけだったなら、
男:何にも気付かず逝けたのかもしれない。
女:後悔しているの?
男:……どうだろうね。
女:でも、そのお陰で私の白い足は、不揃いなドット柄よ?貴方とお揃い。
男:ふふ……それについてはとても感謝している。
男:おかげで、同胞達はきっと産卵出来るだろう。そこには僕の卵もあるかもしれない。
男:僕は、僕の一生に刻まれたプログラムを、全(まっと)う出来たんだろうね。
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男:……。
女:眠いの?
男:ああ、それに近いな。眠りにつく直前、境が分からなくなるような……
男:確かに自分のものとして僕の中にあったものの形が、段々と不明瞭になっていくんだ。
男:もう、そろそろだと思う。
女:そう。なら私、そろそろ部屋を出るわ。荷造りは済んでいるの。
男:そうか。ああ、そうだね、それがいい。
男:いきなり部屋に君が戻っていたら、きっとびっくりするだろうから。
女:そうね、そして『何か用でも?』って言うんだわ。
男:ふふふ……ああ、『僕』が言いそうだ。
女:元々ね、あの日、この部屋には荷物を取りに来たの。
女:あの人が引き止めない事は分かっていたから。
女:でも、ドアを開けたのは貴方だった。
女:出逢った頃の彼のように、私を邪険にしない貴方が居た。
女:だから私、貴方を許したの。
女:レプリカでもいい。愛する人と少しでも長く居る為に……いいえ、違うわね。
女:愛だけでは無かった。私、彼を何処かで恨んでもいた。
女:だってそうじゃない。別れたかったのは彼なのに、別れの言葉を言わされたのは私なのよ。
女:彼の中で元凶はいつも私。そんなのってないじゃない。
女:だから私、あの人が虫に寄生されて、頭の中を弄(いじ)くられる事を黙認したのよ。
女:ねえ、怖い女でしょう?
男:ああ、ゾッとするね。羨ましい限りだ。
女:ふふ、そんな事言うの、貴方くらいよ。
男:呪いたい程の愛しさを、今の僕は知っているからね。
女:そんなことを言うのも、貴方くらいよ。
女:……じゃあ、私行くわね。
男:なあ、最期に一つ、君に祝福を贈るよ。
女:聞かないのね。
男:聞かない。
女:いらないと言ったら?
男:それでも、与える。君の当然の権利だから。
女:頑固ね。いいわ、言って。
男:いいかい、数日経ったらここへ戻っておいで。もう一度、あの日のように。
男:彼は不機嫌な君に疲れる事もあったけれど、この身に宿る記憶に、
男:君を憎む気持ちは一片もない。彼も今だって、君を愛しているよ。
男:少し愛情の上に胡座をかいてしまったけれど、お灸は充分すえられただろう。
男:それこそ、『君を失ってここ一ヶ月、何をしていたかもおぼろげ』な程に、ね。
女:……。
男:……それでも、
女:……?
男:それでも、この記憶のどこを探っても、今の僕の方が君への愛は深い、と。
男:そう思うのは、彼の脳を使うが故の錯覚なんだろうか。
女:……。
男:あるいは、これこそ僕の個性なのだ、と……そう、思いたいね。
女:……もう、行くわね。
男:ああ、さようなら。
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女:……ねえ。
男:うん?
女:私ね、もう二度とこの部屋には戻らないわ。
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女:だって、戻った時にはもう、貴方は居ないんでしょう?
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0:一人残された男はゆったりとソファに座り、目を閉じた。
0:部屋は徐々に、夜闇に包まれていく。