台本概要

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タイトル 蟲の一生
作者名 薙介  (@Gy_voicone)
ジャンル その他
演者人数 2人用台本(男1、女1)
時間 20 分
台本使用規定 非商用利用時は連絡不要
説明 今日分かれる男と女の話。
男は女でも良いし、
女は男でも良い。

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キャラ説明  

名前 性別 台詞数 説明
52 今日分かれる
51 今日別れる
※役をクリックするとセリフに色が付きます。

台本本編

文字サイズ
0:窓から夕日が差し込む部屋。 0:ゆったりとソファに腰掛け読書をする男。 0:ダイニングテーブルの椅子に座り珈琲を飲む女。 0:ふと、男が書物から視線を外し、窓へ目を向ける。 0: 0: 0: 男:……こうやって、君と二人穏やかに過ごす時間も、そろそろ終いだ。 女:……。 男:良かったのかい? 女:え? 男:買い物に行ったり、娯楽を楽しんだり……君は本来活動的な人だろう? 男:こんな1日で良かったのかい? 女:そうね、貴方なら私がやりたいって言ったら、今日は付き合ってくれたんでしょうね。 女:でもこれでいいの。最期はね。 男:慈悲深いね。 女:嫌味かしら。 男:本心だよ。君は優しい。 女:そんな事言うの、貴方くらいよ。 男:そもそも、君は途中で来るのをやめると思っていた。 女:『分かれるまでの一ヶ月、一緒に居る。』 女:約束でしょう?私、約束を違(たが)えるような女じゃないのよ。 女:貴方は知らないでしょうけど。 男:成程。結局、君については最後まで知らない事ばかりだ。 女:部屋の本はこんなに増えたのにね。 男:知識が蓄積されていくのが楽しくてね。 男:しかし、人情の機微は図書の知恵だけで読み解けるものではないだろう? 女:でも前よりは。少なくとも知ろうとしてくれているもの。 女:今の方がよっぽど人間的だわ。 男:人間的、か。面白いね。 女:嫌味っぽかったかしら。 男:嫌味なのかい? 女:いいえ、違うわ。 男:だろうね。おかわりは?(返事を待たずにマグカップを手に取りキッチンへと向かう) 女:(男を目で追いつつ)違ってもね、ほんのひと月前、 女:そのお口は『君の話し方は一々嫌味ったらしくて鼻につく』って言ったのよ。 女:違おうがなんだろうが、僕にはそう聞こえるって。 女:眉間に不細工な皺を浮かべながら。 男:そうだったね。 女:最近じゃ、私の言うことなす事全て気に入らなかったみたい。 女:疲れたようにため息をついて会話を切るの。 女:思考が停止するのよ、それはもう分かりやすく。 男:ああ、確かにそうだった。 女:あの日私が別れるって言っても、怒ったような呆れたような顔をするだけで 女:止めやしなかったし、何故とも聞かなかった。 男:そうして君は部屋を飛び出し、それでももう一度戻ってきた。 男:そして、僕に一ヶ月の猶予をくれた。 女:だって、好きだったのよ、それでも。 男:(マグカップをテーブルに置き)ああ、知っている。 女:……貴方、私の珈琲の好みを覚えてしまったのね。 男:……それだけだよ。 男:僕がヒトとして、君の為に覚える事が出来たのは、それだけだ。 女:……今日、この部屋とても静かだった。 女:いいえ。このひと月、この部屋にはロックミュージックも、 女:ヒスめいた叫び声もため息もなかった。 女:貴方が本をめくる音と、珈琲の香りと……。 男:君だ。君が居た。 女:ええ、ただ静かで、貴方と、私が居た。 男:美しい空間だった。 女:……。 男:なあ、最期に一つ、君に呪いをかけても? 女:聞くのね 男:聞くさ 女:嫌だと言ったら? 男:かけない 女:でしょうね。貴方こそ優しいのよ。 女:だからこんな我儘な私だって、優しくせざるを得ないんだわ。 女:いいわ。言って。 男:愛している。 女:……。 男:はは…おぞましいだろう。 女:どうして? 男:君の恋人の顔で、君の恋人の声で、 男:ヒトの知性を使って『君を愛している』なんて宣(のたま)っている。 男: 男:一介の、虫が。 0: 0: 0: 0: 0: 男:要は虫だ。 女:虫? 男:ああ。一部の寄生虫は、繁殖の為に 男:宿主の意識まで掌握するのを知っているかい? 男:その一種だと思ってくれれば良い。 女:彼を苗床にするの? 男:いや、そこまでじゃないさ。 男:間借りするだけだ。せいぜい一ヶ月前後。 男:僕らの雌は、産卵時に哺乳類の血液が必要でね、 男:だけれど蚊のように飛び回る事は出来ない。行動範囲が狭いんだ。 男:だから雄(ぼくら)が他の生物に寄生する。 男:寄生した時点で肉体はその生物に溶け込み、 男:電子信号の集合体となった精神は、血管から脳へと侵入する。 男:乗っ取る、というには些か脆弱だ。そうだな、同化する感覚に近い。 男:寄生するまで、僕らには知能や自意識なんてものは存在しない。 男:僕ら自身、寄生している間はその個体が自分自身であることを疑いもしない。 男:だから、僕がかつて虫であった事を思い出したのは奇跡に近い。 男:恐らくは、寄生したのが知性あるヒトだったからだ。 男:それと、君の力によるところも大きい。 女:私? 男:ドアを開けて、目が合って、開口一番『誰?』と問われるとはね。 女:ええ、本当ね。 女:こうして話していても仕草も口調も彼そのもので、 女:こんな話、体(てい)よく私を追い出す為の作り話だって方が 女:よっぽど現実的だわ。 男:それでも君は言った。 女:あの時、あの一瞬、貴方が彼には見えなかった。 男:あるいは、それこそ僕の個性なのかもしれないね。 男:君の一言で僕は自分の中の違和感に気付き、 男:非合理な欲求を自覚して、結論に至った。 男:僕の自我は、正(まさ)しくあの時君から生まれた。 女:……。 男:それで、どうする? 女:え? 男:ここから僕がするのはせいぜい、裸足で草むらを駆け回ったり、 男:腹を出して寝るくらいの事だ。 男:ひと月後には僕は跡形もなく消え、思考は元に戻るだろう。 男:それでも、この状況は親しい人間にとって 男:耐え難い恐怖になり得ることは分かる。 男:今の僕だからこそね。 女:……。 男:幸い僕は今、ある種の匂いを強烈に怖れている自覚がある。 男:恐らくその成分は僕にとって毒なんだろうね。 男:だから君は、僕のことを簡単に追い出す事が出来るだろう。 男: 男:僕には僕の本能がある。しかし、ヒトとしての分別(ふんべつ)もつく。 男:だから君に決めてほしい。 女:……いいわ。 女:ひと月、貴方を黙認するわ。望むなら私の血もあげる。 女:ただし条件があるの。 男:それは? 0: 女:『貴方と彼が分かれるまでの一ヶ月、私と一緒に居る。』 女:それが、私の条件。 0: 0: 0: 0: 0: 男:ここの所少し考えるんだ。あの条件を飲まなかったら、と。 男:いっそ、もっと知恵のない生物に乗り移れていれば、とも。 男:あるいは自覚さえなければ。 男:最近の自分は趣味が変わったかもしれない、と『彼』として思うだけだったなら、 男:何にも気付かず逝けたのかもしれない。 女:後悔しているの? 男:……どうだろうね。 女:でも、そのお陰で私の白い足は、不揃いなドット柄よ?貴方とお揃い。 男:ふふ……それについてはとても感謝している。 男:おかげで、同胞達はきっと産卵出来るだろう。そこには僕の卵もあるかもしれない。 男:僕は、僕の一生に刻まれたプログラムを、全(まっと)う出来たんだろうね。 0: 0: 0: 男:……。 女:眠いの? 男:ああ、それに近いな。眠りにつく直前、境が分からなくなるような…… 男:確かに自分のものとして僕の中にあったものの形が、段々と不明瞭になっていくんだ。 男:もう、そろそろだと思う。 女:そう。なら私、そろそろ部屋を出るわ。荷造りは済んでいるの。 男:そうか。ああ、そうだね、それがいい。 男:いきなり部屋に君が戻っていたら、きっとびっくりするだろうから。 女:そうね、そして『何か用でも?』って言うんだわ。 男:ふふふ……ああ、『僕』が言いそうだ。 女:元々ね、あの日、この部屋には荷物を取りに来たの。 女:あの人が引き止めない事は分かっていたから。 女:でも、ドアを開けたのは貴方だった。 女:出逢った頃の彼のように、私を邪険にしない貴方が居た。 女:だから私、貴方を許したの。 女:レプリカでもいい。愛する人と少しでも長く居る為に……いいえ、違うわね。 女:愛だけでは無かった。私、彼を何処かで恨んでもいた。 女:だってそうじゃない。別れたかったのは彼なのに、別れの言葉を言わされたのは私なのよ。 女:彼の中で元凶はいつも私。そんなのってないじゃない。 女:だから私、あの人が虫に寄生されて、頭の中を弄(いじ)くられる事を黙認したのよ。 女:ねえ、怖い女でしょう? 男:ああ、ゾッとするね。羨ましい限りだ。 女:ふふ、そんな事言うの、貴方くらいよ。 男:呪いたい程の愛しさを、今の僕は知っているからね。 女:そんなことを言うのも、貴方くらいよ。 女:……じゃあ、私行くわね。 男:なあ、最期に一つ、君に祝福を贈るよ。 女:聞かないのね。 男:聞かない。 女:いらないと言ったら? 男:それでも、与える。君の当然の権利だから。 女:頑固ね。いいわ、言って。 男:いいかい、数日経ったらここへ戻っておいで。もう一度、あの日のように。 男:彼は不機嫌な君に疲れる事もあったけれど、この身に宿る記憶に、 男:君を憎む気持ちは一片もない。彼も今だって、君を愛しているよ。 男:少し愛情の上に胡座をかいてしまったけれど、お灸は充分すえられただろう。 男:それこそ、『君を失ってここ一ヶ月、何をしていたかもおぼろげ』な程に、ね。 女:……。 男:……それでも、 女:……? 男:それでも、この記憶のどこを探っても、今の僕の方が君への愛は深い、と。 男:そう思うのは、彼の脳を使うが故の錯覚なんだろうか。 女:……。 男:あるいは、これこそ僕の個性なのだ、と……そう、思いたいね。 女:……もう、行くわね。 男:ああ、さようなら。 0: 0: 0: 女:……ねえ。 男:うん? 女:私ね、もう二度とこの部屋には戻らないわ。 0: 0: 女:だって、戻った時にはもう、貴方は居ないんでしょう? 0: 0: 0: 0:ゆっくりと閉まるドア。 0:一人残された男はゆったりとソファに座り、目を閉じた。 0:部屋は徐々に、夜闇に包まれていく。

0:窓から夕日が差し込む部屋。 0:ゆったりとソファに腰掛け読書をする男。 0:ダイニングテーブルの椅子に座り珈琲を飲む女。 0:ふと、男が書物から視線を外し、窓へ目を向ける。 0: 0: 0: 男:……こうやって、君と二人穏やかに過ごす時間も、そろそろ終いだ。 女:……。 男:良かったのかい? 女:え? 男:買い物に行ったり、娯楽を楽しんだり……君は本来活動的な人だろう? 男:こんな1日で良かったのかい? 女:そうね、貴方なら私がやりたいって言ったら、今日は付き合ってくれたんでしょうね。 女:でもこれでいいの。最期はね。 男:慈悲深いね。 女:嫌味かしら。 男:本心だよ。君は優しい。 女:そんな事言うの、貴方くらいよ。 男:そもそも、君は途中で来るのをやめると思っていた。 女:『分かれるまでの一ヶ月、一緒に居る。』 女:約束でしょう?私、約束を違(たが)えるような女じゃないのよ。 女:貴方は知らないでしょうけど。 男:成程。結局、君については最後まで知らない事ばかりだ。 女:部屋の本はこんなに増えたのにね。 男:知識が蓄積されていくのが楽しくてね。 男:しかし、人情の機微は図書の知恵だけで読み解けるものではないだろう? 女:でも前よりは。少なくとも知ろうとしてくれているもの。 女:今の方がよっぽど人間的だわ。 男:人間的、か。面白いね。 女:嫌味っぽかったかしら。 男:嫌味なのかい? 女:いいえ、違うわ。 男:だろうね。おかわりは?(返事を待たずにマグカップを手に取りキッチンへと向かう) 女:(男を目で追いつつ)違ってもね、ほんのひと月前、 女:そのお口は『君の話し方は一々嫌味ったらしくて鼻につく』って言ったのよ。 女:違おうがなんだろうが、僕にはそう聞こえるって。 女:眉間に不細工な皺を浮かべながら。 男:そうだったね。 女:最近じゃ、私の言うことなす事全て気に入らなかったみたい。 女:疲れたようにため息をついて会話を切るの。 女:思考が停止するのよ、それはもう分かりやすく。 男:ああ、確かにそうだった。 女:あの日私が別れるって言っても、怒ったような呆れたような顔をするだけで 女:止めやしなかったし、何故とも聞かなかった。 男:そうして君は部屋を飛び出し、それでももう一度戻ってきた。 男:そして、僕に一ヶ月の猶予をくれた。 女:だって、好きだったのよ、それでも。 男:(マグカップをテーブルに置き)ああ、知っている。 女:……貴方、私の珈琲の好みを覚えてしまったのね。 男:……それだけだよ。 男:僕がヒトとして、君の為に覚える事が出来たのは、それだけだ。 女:……今日、この部屋とても静かだった。 女:いいえ。このひと月、この部屋にはロックミュージックも、 女:ヒスめいた叫び声もため息もなかった。 女:貴方が本をめくる音と、珈琲の香りと……。 男:君だ。君が居た。 女:ええ、ただ静かで、貴方と、私が居た。 男:美しい空間だった。 女:……。 男:なあ、最期に一つ、君に呪いをかけても? 女:聞くのね 男:聞くさ 女:嫌だと言ったら? 男:かけない 女:でしょうね。貴方こそ優しいのよ。 女:だからこんな我儘な私だって、優しくせざるを得ないんだわ。 女:いいわ。言って。 男:愛している。 女:……。 男:はは…おぞましいだろう。 女:どうして? 男:君の恋人の顔で、君の恋人の声で、 男:ヒトの知性を使って『君を愛している』なんて宣(のたま)っている。 男: 男:一介の、虫が。 0: 0: 0: 0: 0: 男:要は虫だ。 女:虫? 男:ああ。一部の寄生虫は、繁殖の為に 男:宿主の意識まで掌握するのを知っているかい? 男:その一種だと思ってくれれば良い。 女:彼を苗床にするの? 男:いや、そこまでじゃないさ。 男:間借りするだけだ。せいぜい一ヶ月前後。 男:僕らの雌は、産卵時に哺乳類の血液が必要でね、 男:だけれど蚊のように飛び回る事は出来ない。行動範囲が狭いんだ。 男:だから雄(ぼくら)が他の生物に寄生する。 男:寄生した時点で肉体はその生物に溶け込み、 男:電子信号の集合体となった精神は、血管から脳へと侵入する。 男:乗っ取る、というには些か脆弱だ。そうだな、同化する感覚に近い。 男:寄生するまで、僕らには知能や自意識なんてものは存在しない。 男:僕ら自身、寄生している間はその個体が自分自身であることを疑いもしない。 男:だから、僕がかつて虫であった事を思い出したのは奇跡に近い。 男:恐らくは、寄生したのが知性あるヒトだったからだ。 男:それと、君の力によるところも大きい。 女:私? 男:ドアを開けて、目が合って、開口一番『誰?』と問われるとはね。 女:ええ、本当ね。 女:こうして話していても仕草も口調も彼そのもので、 女:こんな話、体(てい)よく私を追い出す為の作り話だって方が 女:よっぽど現実的だわ。 男:それでも君は言った。 女:あの時、あの一瞬、貴方が彼には見えなかった。 男:あるいは、それこそ僕の個性なのかもしれないね。 男:君の一言で僕は自分の中の違和感に気付き、 男:非合理な欲求を自覚して、結論に至った。 男:僕の自我は、正(まさ)しくあの時君から生まれた。 女:……。 男:それで、どうする? 女:え? 男:ここから僕がするのはせいぜい、裸足で草むらを駆け回ったり、 男:腹を出して寝るくらいの事だ。 男:ひと月後には僕は跡形もなく消え、思考は元に戻るだろう。 男:それでも、この状況は親しい人間にとって 男:耐え難い恐怖になり得ることは分かる。 男:今の僕だからこそね。 女:……。 男:幸い僕は今、ある種の匂いを強烈に怖れている自覚がある。 男:恐らくその成分は僕にとって毒なんだろうね。 男:だから君は、僕のことを簡単に追い出す事が出来るだろう。 男: 男:僕には僕の本能がある。しかし、ヒトとしての分別(ふんべつ)もつく。 男:だから君に決めてほしい。 女:……いいわ。 女:ひと月、貴方を黙認するわ。望むなら私の血もあげる。 女:ただし条件があるの。 男:それは? 0: 女:『貴方と彼が分かれるまでの一ヶ月、私と一緒に居る。』 女:それが、私の条件。 0: 0: 0: 0: 0: 男:ここの所少し考えるんだ。あの条件を飲まなかったら、と。 男:いっそ、もっと知恵のない生物に乗り移れていれば、とも。 男:あるいは自覚さえなければ。 男:最近の自分は趣味が変わったかもしれない、と『彼』として思うだけだったなら、 男:何にも気付かず逝けたのかもしれない。 女:後悔しているの? 男:……どうだろうね。 女:でも、そのお陰で私の白い足は、不揃いなドット柄よ?貴方とお揃い。 男:ふふ……それについてはとても感謝している。 男:おかげで、同胞達はきっと産卵出来るだろう。そこには僕の卵もあるかもしれない。 男:僕は、僕の一生に刻まれたプログラムを、全(まっと)う出来たんだろうね。 0: 0: 0: 男:……。 女:眠いの? 男:ああ、それに近いな。眠りにつく直前、境が分からなくなるような…… 男:確かに自分のものとして僕の中にあったものの形が、段々と不明瞭になっていくんだ。 男:もう、そろそろだと思う。 女:そう。なら私、そろそろ部屋を出るわ。荷造りは済んでいるの。 男:そうか。ああ、そうだね、それがいい。 男:いきなり部屋に君が戻っていたら、きっとびっくりするだろうから。 女:そうね、そして『何か用でも?』って言うんだわ。 男:ふふふ……ああ、『僕』が言いそうだ。 女:元々ね、あの日、この部屋には荷物を取りに来たの。 女:あの人が引き止めない事は分かっていたから。 女:でも、ドアを開けたのは貴方だった。 女:出逢った頃の彼のように、私を邪険にしない貴方が居た。 女:だから私、貴方を許したの。 女:レプリカでもいい。愛する人と少しでも長く居る為に……いいえ、違うわね。 女:愛だけでは無かった。私、彼を何処かで恨んでもいた。 女:だってそうじゃない。別れたかったのは彼なのに、別れの言葉を言わされたのは私なのよ。 女:彼の中で元凶はいつも私。そんなのってないじゃない。 女:だから私、あの人が虫に寄生されて、頭の中を弄(いじ)くられる事を黙認したのよ。 女:ねえ、怖い女でしょう? 男:ああ、ゾッとするね。羨ましい限りだ。 女:ふふ、そんな事言うの、貴方くらいよ。 男:呪いたい程の愛しさを、今の僕は知っているからね。 女:そんなことを言うのも、貴方くらいよ。 女:……じゃあ、私行くわね。 男:なあ、最期に一つ、君に祝福を贈るよ。 女:聞かないのね。 男:聞かない。 女:いらないと言ったら? 男:それでも、与える。君の当然の権利だから。 女:頑固ね。いいわ、言って。 男:いいかい、数日経ったらここへ戻っておいで。もう一度、あの日のように。 男:彼は不機嫌な君に疲れる事もあったけれど、この身に宿る記憶に、 男:君を憎む気持ちは一片もない。彼も今だって、君を愛しているよ。 男:少し愛情の上に胡座をかいてしまったけれど、お灸は充分すえられただろう。 男:それこそ、『君を失ってここ一ヶ月、何をしていたかもおぼろげ』な程に、ね。 女:……。 男:……それでも、 女:……? 男:それでも、この記憶のどこを探っても、今の僕の方が君への愛は深い、と。 男:そう思うのは、彼の脳を使うが故の錯覚なんだろうか。 女:……。 男:あるいは、これこそ僕の個性なのだ、と……そう、思いたいね。 女:……もう、行くわね。 男:ああ、さようなら。 0: 0: 0: 女:……ねえ。 男:うん? 女:私ね、もう二度とこの部屋には戻らないわ。 0: 0: 女:だって、戻った時にはもう、貴方は居ないんでしょう? 0: 0: 0: 0:ゆっくりと閉まるドア。 0:一人残された男はゆったりとソファに座り、目を閉じた。 0:部屋は徐々に、夜闇に包まれていく。