台本概要
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タイトル | 『さやかに吹く風』景の四《苔むした伝承、および鳥のさえずりと、冷たい麦茶》 |
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作者名 | sazanka (@sazankasarasara) |
ジャンル | その他 |
演者人数 | 2人用台本(男1、女1) |
時間 | 30 分 |
台本使用規定 | 非商用利用時は連絡不要 |
説明 |
東京から、とある地方の、山あいの温泉郷へと移り住んで来た高校生、「さやか」。地元の人びととの、緩やかな交流。 丘のあずま屋、饒舌な登山者との語らい。山鳥の声、一陣の風。 「何かが、紛れてるんやろね」。 そんな風な、他愛もないお話です。 ―2022年4月下旬― 142 views |
キャラ説明
名前 | 性別 | 台詞数 | 説明 |
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さやか | 女 | 108 | 「朱田(あけた) さやか」。 東京から引っ越してきた高校2年生。 首都圏の郊外の言葉。 |
継元 | 男 | 113 | 「瀬戸 継元(せと つぐもと)」。趣味的研究者。来年で還暦。 関西の郊外の言葉。 |
※役をクリックするとセリフに色が付きます。
台本本編
0:いつかの日に、吹いた風。
白装束の少女:「泣かないで……、
白装束の少女:泣かないで、ね?」
白装束の少女:「この岩屋が閉じても、どれだけの年月(としつき)が、経っても……、
白装束の少女:私はここに、居るから。」
白装束の少女:「■■■ちゃんが、自分の“ちから”では本当にどうしようもなくて、本当の、本当に、私を喚んで、くれたなら……、」
白装束の少女:「すぐに、来るから。」
白装束の少女:「そう、約束……、
白装束の少女:約束、よ。」
0:タイトルコール。
継元:『さやかに吹く風』。
継元:今日のお話は、
さやか:景(けい)の四、
さやか:《苔むした伝承、および鳥のさえずりと、冷たい麦茶》
0:西暦2022年、4月。
0:沼戸(ぬまと)県山中。眼下、右手に川沿いの旅館街、左手に深い木々の梢を見渡せる、丘のあずま屋。木のベンチに腰掛け、読書をしている、さやか。
継元:(歩み寄りつつ)
継元:ここ……、ちょっと失礼して、座らしてもろてもええかなあ。
さやか:あ……、どうぞ。
継元:すみません、読書してはる時に。
さやか:いえ……、ちょうど、読み終わったので。
継元:ごめんね。
継元:よ、っこしょ……、あたた、た。
継元:腰がもう、これ……。
0:腰部を擦りつつ、腰掛ける。
継元:ふう……。ええ天気やねえ。
さやか:本当に。
継元:鳥も、鳴いてやるしねえ。
継元:これはメジロと……、カケスかな。
さやか:種類はわからないけど……、賑やか、ですね。
継元:山の下はねえ、なんかもう暑いねんけどね。
継元:ここらは、ちょうど涼しいね。
さやか:ハイキング、ですか。
継元:ん? あ、はは……。
継元:いや、そうやね、似たような。
継元:麓からバス乗って来たんやけどね。
継元:お嬢さんも? 東の方やね、言葉。
さやか:今は、この地元の。
さやか:来たばかりで、元は、東京です。
継元:ああ、そうやろねえ。
継元:垢抜けたはるしね。
さやか:いえ……、
継元:勝手が違(ちご)て大変ですやろ。
さやか:最初は……、はい。
継元:若い人やったらね、尚更ね。
さやか:でも案外、合う部分もあって、楽だったりも。
さやか:親戚の人にも、良くしてもらえるので。
継元:ああ、ご親戚居てはんねやね。
継元:ほんなら、大分違うやろね。
さやか:だと、思います。
継元:僕もこんなん言うてるけど、
継元:生まれも育ちも大阪の人間やから。
継元:住むとなったら難儀やろなあ。
継元:若かったら違うやろけど。
さやか:大阪の方(かた)……、
継元:端っこやけどね、奈良との境目近くの。
継元:趣味で、ちょっと……、
継元:研究を、しててね。この辺りの。
さやか:研究。土とか、石とかの?
継元:と言うよりは……、
継元:考古学、までは行かへんな、
継元:民俗学というか、この地域のね、
継元:民話とか、伝承とか。
継元:そういうのを聞いて、集めたり……、
継元:自分の足で歩いて、確かめたり。
さやか:伝承……、言い伝え。
継元:そうそう。
継元:この辺……、沼戸(ぬまと)の山間部、ていうても県の殆どが山やけども。
継元:なんしこの辺りの地域は、変わった伝承が多くてね。
さやか:そう、なんですか。
継元:まず、こことか、あと近くやと奈良盆地や……、大阪の、河内(かわち)て言う辺りもそうやけど、大昔は今と気候がかなり違(ちご)て、海水の高さが……、
継元:場所によっては今と、100m以上違ったそうでね。
さやか:そんなに……?
継元:どうも、地質的に調べると。
継元:縄文辺りまで、入江とか湖の底やった土地はかなり多くて。
継元:その、奈良や大阪や京都の、今は都市部の辺りも、元々は水に浸かってた、ていう事でね。
さやか:水の底……、昔は。
継元:ほいで、この辺りも同様に……、
継元:今はあの、あっちの方の、
継元:温泉街になってる辺り、谷底に川が流れてる形やね。
さやか:はい。
継元:あそこら辺ももっと水位が高くて、ここらの山々全体が……、
継元:今で言うダム湖みたいになっててね。
さやか:この辺りも、ですか。
継元:調査の結果としては。
継元:海へ繋がる巨大な湖の畔に集落を築いて、古代のこの辺の人たちは、暮らしを立ててた、と。
継元:どうもそういう事らしい。
さやか:川じゃなくて、湖だった。
さやか:この辺り、全体が……?
継元:本州二大湖……、今の琵琶湖や封済湖(ふすまこ)と並ぶぐらいの大きさのね。波が立つくらいの。
継元:せやから、「波除(なみよけ)」言う……、
さやか:えっ……??
継元:ん、どうかしたかな、
さやか:あ、いえ……、
さやか:友達の、名字……、
継元:ああ……、何軒かあらはるね。
継元:ちょうどその、かつての湖の際の、波が寄せてたやろう辺りに……、
継元:今言うた、「波」を「除く」と書いて「波除(なみよけ)」とか、「海」に「留める」で「海留(うなて)」とか、「鴎(かもめ)」を「射(う)つ」で「鴎射(かまめい)」とかね……、海に関連するような地名が未だに残ってて。
さやか:かまめ……、
さやか:万葉集の、
継元:そう、「海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、うまし国ぞ」、
継元:いうてね……、
継元:海も無いのに「かもめ」て、不思議やけど、
さやか:それ、思ってました……、
継元:古代は大きい池や湖と「海」を、区別せんかったそうやから。
継元:鴎も元々、水辺に集まる鳥全般の意味で……、
継元:要はそういう事やね。
さやか:へえ……、
継元:そう、せやから、地名由来の名字なんやね、この辺の波除(なみよけ)さんは。
さやか:そう、だったんだ……。
さやか:山なのに、海っぽい地名が多いのはどうしてかな、って。
継元:思わはるやろね。
継元:奈良の辺りもそうで、ほんで大阪にもおんなじ字ぃで「波除」言うとこがあるけど、そこはわかりやすく、元から海の近くで……。
継元:まあ堤防とか、防波堤とか。そういうような役割の土地やったんかもしれんね、古くから。
さやか:なるほど……。
継元:そいで、話はぐるっと戻るけど……、
継元:あ、と、言うか……、
継元:ごめんなさいね。おっさんがベラベラとね、1人で喋って……。
さやか:いえ……、ちょっと、興味、あります……。
継元:ほんまに……?
継元:この歳なるとね、親子や孫みたいな歳の子ぉがね、気ぃ遣こてくれてんのかも、なんぼかは本音なんかも、よう分からんくなって来るんよね。
さやか:大丈夫、です。
さやか:そういう気は、遣わないタイプの若者なので……、
継元:判断付かんけど……、
継元:ちょっとエンジンが温まって来てしもたから、さっと手短に、喋るだけ喋ってしまうね。
さやか:エンジン。
継元:飽きたら手ぇでも挙げてもろたら、やめるから。
継元:なんならいつもは、そこらのヤマバト相手にでも、喋ってるからね……、
継元:ええと、ほんなら。
継元:ほんでその、変わった伝承て言うのは、
さやか:(吹き出し)
さやか:ふ、ふふっ……、
継元:あ……、ごめんね、
さやか:いえ……。
さやか:関西の方って、やっぱり、話すのが好き、なんですね。
継元:ああ……、
継元:そう、思わはる?
さやか:はい。皆さん、大体。
継元:んん。大阪の方の連中はね……、
継元:まあ好きと言うか、確かに口開いてへんかったら気ぃ済まんという所はあるかもね。
継元:せやけどここらは、そうでも無いんと違う? 割合ゆっくりと言うか、
さやか:いえ……、結構、皆さん、ずっと喋ってくれるので……、
継元:東の方と比べたら、
継元:まあ、そうかもね……。
継元:僕なんかは自分の性分としては、喋りな方では無いと思(おも)てるけど。
継元:それでも仕事で偶に関東の方へ行くと……、
継元:電車の中でも、皆さん静かにしたはってね。
さやか:そう、ですね……、
さやか:喋る時は喋る、っていう感じで、
継元:多分、お互い黙って時間を過ごすんが、気不味くも何ともないんやろね。
継元:それが普通と言うか……、
さやか:多分。気不味い時の方が、沢山喋ると、思います。
継元:あ、はは……。
継元:そういうんは、こっちらでもあるけどね……。
0:ザックから水筒を取り出す。
継元:僕なんかの場合はねえ。
継元:勿論好きなもんの事喋りたいいうんが第一やけど、「勿体ない」というのもあるね。
さやか:もったいない?
継元:人と喋ってても、何か考えてる時でも、頭の中で、言葉なり文章なり、組み立ててる訳でしょ。
さやか:それはそう、ですね。
さやか:出任せで喋る人も、いるのかもしれないけど……、
継元:せやったとしてもね。
継元:それぞれその人なりに、考えたはる訳でね……。
継元:勿論、僕もね。
継元:大して優秀なことも勤勉なこともないけども、好きな事に関しては車輪回して煙上げて、言葉を吐き出しよる訳で……、
継元:あ、僕の脳みそが、いう意味やけどね、
さやか:わかります。
継元:今もこれ、ほっといたらベラベラと、勝手に言葉が刷り出されて来てるでしょ。
継元:口に出さんといてね、忘れて、捨ててしもてもええねんけど……、
さやか:ストレス、ですよね。
さやか:言えなかったら。
継元:やし、おんなじ言葉を、また思い付けるかどうかも、分からんしね……。
継元:この歳なったら、
継元:ああ僕、来年還暦なんやけどね。
継元:頭もだいぶ、若い時に比べたら摩耗して来てるからね。
さやか:来年、還暦……。
さやか:お若く、見えますね。
継元:童顔でしょ。アホで苦労してへんからね。
さやか:いえ、あの……、
継元:ええの、ええの。
継元:ほんまに苦労はしてないからね……。
0:水筒の中身をゴクリと下す。麦茶である。
継元:そう、ほんまに物忘れなんかね、
継元:自分だけは歳取ってもするもんかと思(おも)てたけどね、最近、とみに……。
継元:なんかエエ事、面白い事を閃いたという記憶だけが残っててね。
継元:ほんで肝心の内容がやね、捻ろうが絞ろうが、頭から抜けてしもてて……。
継元:多かれ少なかれ皆、この歳なったら普通のことやと思えど、やけども悔しいて、勿体無(の)うてね……。
継元:せやからせめて、言える時には忘れんうちにやね、
さやか:は、はい……、
継元:ほんまにごめんね……。
継元:こういう具合にたじろがしてもうてでも、言葉にしてやりたい、と。
継元:そない思(おも)て、ほんまに喋ってしまうのよね。
継元:悪い癖で、近頃益々酷くてね……。
さやか:いえ……。
さやか:私は大丈夫です。
さやか:私は偶々、かもしれません、けど……、
継元:さて……、もう行くわ、ね。
継元:若い人の時間をね、年寄りが奪うなんていうのは罪やからね。
継元:ほんまに申し訳、
さやか:(遮り)
さやか:あ、でも……、
継元:ん?
さやか:この地域の変わった伝承、
さやか:まだ聞けてない、んですけど……。
0:風が吹く。
継元:…………。
継元:ちょっとでも気にならはる?
さやか:結構……。
さやか:まだ全然、知らないので。
さやか:地元の事。
継元:地元、ね……、
継元:馴染みがあるんは、だいぶ年嵩(としかさ)の人らになると、思うんやけどね……。
さやか:はい。
継元:ほんなら、ちょっとだけ……。
0:座り直し、居住まいを正し。
継元:……ここらの土地には、洞窟が多くてね。
継元:元々あった、天然の洞穴(ほらあな)をやね……、
継元:それこそ、ちょっと行ったとこにある鍾乳洞、あれらなんかは大分新しく発掘されたけど、
さやか:モノレールで入れるところ、ですね。
継元:そうやね。
継元:位置としては、あれらは奈良なんやけども。
継元:あそこみたいに、大昔の人が掘って、開いて……、
継元:祭儀とか、儀式の場として使われていたであろう、大小の洞窟が沢山見つかっててね。
継元:戦時中は防空壕としても……。
継元:とはいえ、そこまでは、全国的にも珍しくは無い。
さやか:洞窟……、あちこちにあるって、聞いてはいます。
さやか:古いし危ないから、近寄らない方が良い、って……、
継元:うん……、実際、緩い地盤の場所に多いし、危険やね。
継元:僕も一回こけて、捻挫をしてるし……、
継元:年中泥濘(ぬかる)んでるようなとこが多いから。
継元:で、それと言うのも……、
さやか:はい。
継元:どうも……、
継元:かつてそういう、霊的な修行や儀式に使われていたような洞窟を、点から点で繋いで行くと……、
継元:さっき言うたように縄文や弥生の時代、湖の水面より下、水中やったような高さの場所に、集中してるように見える。
さやか:水中……、湖の中の、洞窟、
継元:勿論、洞(どう)が拓(ひら)かれて、実際に人間に使われるようになったんは、遥かに後の、気候変動なり地形の変化なりで、ダムの水がごっそり抜けてしもてからやけどね。
さやか:だって、水の中、ですもんね。
継元:うん。
継元:元々水中や湖底やったような場所は、何千年と経った今でも水はけが悪くて、泥濘んで地滑りが多かったり、湿気がちやったり……、
継元:水害なんかも、この辺りは未だに……、
さやか:大変だ、って。
さやか:人が亡くなる事も、珍しくない、って……、
継元:そう……、それでも昔と比べたら、堤防も立派になって……、
継元:分かりやすく90年代にね、「雷殿(らいでん)」グループの資本が入って、あの辺の温泉旅館やらホテルやらが、ボコボコと建ったような時期に……、
継元:川沿いも大規模な再整備をされてね。
さやか:そんなに昔でも、無いんですね。
継元:僕からしたら最近やね。
継元:言うても、四半世紀近く前やけど。
継元:それまでは正直、言うた悪いけどね、沼戸の山あいに住むやいうのなんか入水(じゅすい)自殺しに行くようなもんや、て、言うとったぐらいやからね……。
さやか:入水(じゅすい)……、
継元:勿論、雨の時期に難儀なんは、変わらんやろけどね……。
継元:ほんまに危険な辺りの集落には、今は殆ど人は住んでないみたいやけど。
継元:「旧村(きゅうそん)」とか言われてる辺り。
さやか:……、行ったことない、辺りです。
継元:話が逸れたけど。
継元:この近辺、特に川沿いや、古代のダム湖の畔と思われる、幾つかの集落や文化圏には……、
継元:「暗がり巫女」とか、「塞(ふさ)ぎ巫女」とか、そういう……、女の人の、修行者の伝承が残っててね。
継元:あ、ごめんね。本旨に入るのが遅い、て、昔から……、
さやか:大丈夫です……、
さやか:巫女さん、ですか。
継元:そう。
継元:お告げや、神様の知らせを受けた、まあ今で言う霊能者のような娘さんが……、
継元:目隠しをした状態で、洞窟の中に祀られた社(やしろ)に籠もって、修行をしている、と。
さやか:目隠し……、
継元:伝わってる話では大体、この巫女の娘さんが、河の氾濫を予知したり、失(う)せ物を見付けたり、荒ぶる神様と話をつけたり……、要するに、トラブルを解決する訳やね。
継元:集落の危機を救った巫女は、再び目を塞いで、洞窟の修行に帰って行く……、と。
継元:そういう話型の言い伝えが、かなり沢山残ってる。
さやか:何だか……、ヒーロー、みたいな、
継元:そうやねえ。
継元:巫女の存在は、集落で生きる一般の村人とは徹底的に異化されててね。
継元:僕の調べた限り、話の最後で集落の仲間入りをしたり、村で幸せに暮らしましたという終わり方の話は一切無かった、ね。
さやか:寂しい、巫女さん……、
継元:そうやね……。
継元:孤独で、ね。
継元:そこもヒーローらしい。
継元:その娘さんが何処から来たんか、元はどういう暮らしをしてたんかというのも、殆ど触れられない。
継元:名前を呼ばれる事も無い。
さやか:それは……、ちょっと、悲しくて、少し……、
継元:うん。
さやか:不気味、ですね。
継元:そう……。
継元:そう、なんよね。
継元:村を救う英雄譚のように聞こえるけど。
継元:調べて行くと、どうにも一抹の……、薄ら寒いようなとこが随所にある。
さやか:その、巫女さんは……、
さやか:神様に、仕えていたんですか。
継元:大概の話では、そうやね。
継元:龍神や、大蛇の神様……、まあこれは分かりやすく水神、河や水の神様なんやけど。
継元:辺り一帯の山々を捏ね上げて、水源を「産み出した」という、巨大な神様に。
さやか:うみ、だした……、
継元:これもね……、変わったとこでね。
継元:山岳民に伝わる伝承にしてはちょっと珍しいし、そもそもこんな山深い土地に、一体いつ頃から人間が暮らしていたんかと言う……。
さやか:いつ頃から?
継元:どう考えても……、
継元:暮らしを立てやすい土地ではないからね。
継元:湖の畔で狩猟採集には好都合やったとして、何らかの理由があって、移り住んで来た人々の末裔なのか。
継元:朝廷との争いに破れて平地を追われた部族や豪族が、流れ流れて行き着いたのか……。
継元:これはもう考古学の分野やけど。
継元:なんしか、なかなか魅力的な言い伝えやと、僕は思(おも)てるんやけど……、
継元:不思議と、研究者が少なくてね。
さやか:そう、なんですか?
継元:うん……
継元:まあ土着の、固有の伝承や民話ていうのは全国どこにでもあるし、そもそも地域からしてマイナーでは、あるねんけどね。
継元:こっちへ越して来はる前、沼戸県の事が話題に登ること、あらはった?
さやか:ええ、と……、
さやか:父親の出身地なので、偶に……。
さやか:他では正直、ほとんど、無かったです。
継元:ああ……、お父さんの。
さやか:父は……、あんまり、言いたくなさそう、っていうか、
さやか:隠してる訳じゃ、ないんですけど、
継元:うん……、まあでも、ようあるやろね。上京しはってんやったら。
さやか:言葉も、さっさと東京弁に、「直した」、って、言ってました。
継元:どっちか、やろね。
継元:意地なって地元弁続けるか、早(はよ)うに直すか……。
さやか:多分、だからあんまり、聞かなかったし……、
さやか:こんなに……、景色が凄くて、緑が濃い場所だって、イメージしてなかったです。
継元:せやねえ……。
継元:僕も度々来るようになって見慣れたけど、街で育った人間からしたらね、
継元:ちょっと寸法が狂うというか。
継元:ある場所からある場所が、物凄く離れてるでしょ。
継元:こんなに広く視界が開けるような場所、都会やとそう無いもんね。
さやか:最初はちょっと、ふわふわ、しました。
さやか:遠くを見てるとボーっとして……。
継元:景色も風土も良いねんけど、
継元:まあ結局のとこ、交通の便がね……。
継元:大阪の端(はじ)からでもここまで5時間ぐらいかかるからね。
さやか:びっくりしました。
さやか:「延坂口(のべさかぐち)」の駅から、まだ、こんなにかかるんだ、って。
継元:よう、走り屋の若い子ぉらが遭難しかかってるしね……。
継元:猪も出るし。
さやか:ちょっと、見たいんですけど……、
継元:猪?
継元:怖いよ、アイツら乗用車でもひっくり返しよるからね……。
0:ゴクリ、と水筒の麦茶を呷る。
継元:ふう。
継元:喋って飲む麦茶は美味い……。
継元:まあそんなんでね、熱心に調べてる学者も少ないし、題材に取り上げる作家も、まあ少ないね。
継元:あの、妙な名前の……、
継元:「伽藍堂蝦蟇口(がらんどう・がまぐち)」いう小説家、知ってはる?
さやか:あ……、ええと、ちゃんと読んだ事は無い、です。
さやか:派手なミステリー、書く人……、
継元:荒唐無稽なね。
継元:ちょっと往年の、乱歩みたいな味はあるけど……。
継元:その人は珍しく、今さっき言うた伝説を、扱ってて……、
さやか:へえ……、
継元:まあ味付け程度の取り上げ方ではあったけど、熱心に調べたはって……、
継元:7年か8年か前にね、偶々、そこの旅館街で飲んでね。
さやか:え、
継元:妙なカッコの、妙な男やったけど……、
継元:おんなじようなもん調べてるいうことで意気投合して、次の日一緒に祠(ほこら)やら古墳やら洞窟やら回って……、
継元:二人並んで沼地ですっ転んだりね。
さやか:全然ファンではないけど、小説家の人と喋った事ないから、ちょっと、羨ましい……。
継元:出た本もね、あんまり売れへんかったけどね。
継元:あと、関東の方やけど「戸賀梨子(とがなしこ)」ていう、
さやか:(食い気味に)
さやか:そっちはファンです。
継元:あ、そう?
継元:この人もね、珍しく……、
継元:ああ、そうそうこの伝承のも一つ面白いとこはね、
さやか:はい、
継元:モチーフの似通った、おんなじような伝承が、日本全国のあちこちに、ポツポツと点在してる事、なんよね。
さやか:全国に?
継元:東西問わず、北から南まで万遍なく、似たような。
継元:しかも広い範囲やなくて、どこどこの県の、ここの山を中心とした一部地域に、というような具合で。
継元:目隠しと、土地生みと、洞穴に幽閉された巫女やの、姫やの……。
継元:戸賀梨子の場合は、東京と塚淵(つかぶち)の県境の……、
継元:どうも、実際住んではる地元みたいなんやけど。
継元:そこに残った伝説に取材して、あの、今年映画にもなるらしいけど、『祠(ほこら)の女』ていう作品を……、
さやか:えっ、……読みました、それ。
さやか:……確かに……、そんな風な内容が、出てきたような……、
継元:うん……。
継元:大分とボカして、脚色もされてるけどね。
継元:せやけど「塞(ふさ)げ巫女」、て、はっきり書いてあったから。
さやか:生贄、だった、って、
継元:ああ……、
さやか:書いてあった、ような……。
0:風が吹く。山鳥の、囀り。
継元:そう……。
継元:そう、なんよね。
継元:偶々僕も、同じような推論を、してたんやけど……。
0:麦茶を静かに含み。
継元:この伝承はね。地域こそバラバラやけど……、
継元:大きな河の淵とか、ここみたいに大昔は水の底やったような地域とか、そういった場所に多いんやね。
継元:せやから、最初は……、
さやか:選ばれた人が……、人柱として、湖や河に、沈められた……、
継元:うん……。
継元:それ自体は、かつてはどこにでもあった儀礼というか、習俗というか……。
継元:雨乞いの為とか、水害を鎮めてもらう為に、というね……。
継元:例えば、ここらの場合やと……、水が失せる前の時代、生贄として沈められていた巫女が……、
継元:時代が下って水がハケてからは、元々は水中にあった洞穴の中に封(ほう)ぜられる形で、同じく生贄の役割を担った、と。
継元:そのように考えると……、
さやか:祠のある洞窟が、昔の水面の下だった場所に集中している、というのも……、
継元:肯ける、と、思うんやけどね。
継元:順当に類推するなら。
さやか:…………、…………、
継元:酷くて、悲しい、話やと思うわ。
継元:目隠し、ていうのもね、
さやか:水に、沈められた事が転じて……?
継元:湖の底は、暗いやろうからね。
さやか:…………、
継元:名前を語られる事も無い、ていうのもね。
継元:そういう事やと。
継元:単なる直感で、こじつけかも知れんけど……、
継元:素人研究やからね。
さやか:…………、
さやか:どうして、
継元:ん?
さやか:その言い伝えを……、
さやか:調べようと、思ったんですか?
継元:ああ……、
0:ふ、と笑み。
継元:何とでも言えるけど……。
継元:正直言うたら、嫁さんへの未練、やね。
さやか:奥さん……、
継元:元、やね。
継元:もう随分前、40なる前に別れたから、大概しつこく、引きずってんねんけどね……。
さやか:その、人は……、
継元:この辺の出身でね。言うても、もうちょっと行ったとこの村やけど。
継元:結婚までは沼戸なんか、来た事も無かったけどね。
さやか:…………、
継元:その人がね……、
継元:子供の頃に、お祖母さんとか、親戚から聞かされてた、いう話が……、
継元:今言うたような、「暗がり巫女」の話でね。
継元:僕は若い頃は、無性に陰気に感じて、巫女さんも可哀想やし、あんまり好きや、なかってんけど。
さやか:…………、
継元:せやけどその話をしてる時の、その人の顔がね。
継元:何とも言えず物憂げで、綺麗で、僕は好きやったね……。
さやか:…………、
継元:どうしようもない掛け違いで、別々にはなってしもたけど。
継元:未だにね。今になってこそ、かもしれんけど。
継元:気になると言うか、心惹かれてしまう……、
継元:情けないとも思うけど、意地張る相手も、もう居らへんからね。
さやか:その方は……、その、ご出身の村に、
継元:いや……、実家も墓ももう無いし、今は神戸に住んでるから、縁者も何も、無いねんけどね……。
さやか:じゃあ……、
継元:関係なく、今はこの辺の風景、好きやけどね。
継元:普段、ゴミゴミしたとこで務めてると。
さやか:…………。
さやか:綺麗……、ですよね。
継元:うん……。
0:遠く、風景と過去を見通すかのように。
継元:せやしね……、なんやか悲しいような、恐ろしいような、虚しいような気持ちの波が、順番に来るようでね……。
継元:何かが……、紛れてるんやろうね。
継元:ここに居(お)ると。
さやか:……、
さやか:わかり、ます。
継元:ごめんね。気ぃ遣わして、付き合わして。
継元:ほんまのほんまに、もう、行くわ、ね。
さやか:あ……、はい。
0:水筒をしまい、立ち上がる継元。
さやか:気を、つけて。
継元:ありがとう。
継元:バスの時間まで、もう1箇所見て行くわ。
継元:そこはもう、洞窟ていうより山肌の窪みやけどね。
さやか:滑らないように……。
継元:あ、はは……。気ぃつけよう。
継元:偶にバスで、ここいらの山に来るから……、
継元:見かけたら会釈ぐらい、さしてね。
さやか:こちらこそ……、
継元:ほな、お先に。
継元:聞いてくれて、ありがとう。
さやか:あの……、
さやか:お話、面白かった、です。
継元:恐れ入ります……。
継元:ほんまにおおきに。
継元:お嬢さんも、気ぃつけて。
さやか:はい……、
さやか:どうも。
0:会釈をし、継元は歩み去る。
0:やがて、さやか1人。山鳥の囀り。
さやか:…………。
さやか:……暗がり、巫女……。
0:ざあ、と一陣の風が吹き、木々の梢が擦れる音。さやかの髪と裾を揺らす。
さやか:風、冷た……。
さやか:…………。
さやか:……銭湯。
さやか:梢(こずえ)ちゃん、誘お……。
0:2羽の山鳥が飛び立ち。
0:【終】
0:いつかの日に、吹いた風。
白装束の少女:「泣かないで……、
白装束の少女:泣かないで、ね?」
白装束の少女:「この岩屋が閉じても、どれだけの年月(としつき)が、経っても……、
白装束の少女:私はここに、居るから。」
白装束の少女:「■■■ちゃんが、自分の“ちから”では本当にどうしようもなくて、本当の、本当に、私を喚んで、くれたなら……、」
白装束の少女:「すぐに、来るから。」
白装束の少女:「そう、約束……、
白装束の少女:約束、よ。」
0:タイトルコール。
継元:『さやかに吹く風』。
継元:今日のお話は、
さやか:景(けい)の四、
さやか:《苔むした伝承、および鳥のさえずりと、冷たい麦茶》
0:西暦2022年、4月。
0:沼戸(ぬまと)県山中。眼下、右手に川沿いの旅館街、左手に深い木々の梢を見渡せる、丘のあずま屋。木のベンチに腰掛け、読書をしている、さやか。
継元:(歩み寄りつつ)
継元:ここ……、ちょっと失礼して、座らしてもろてもええかなあ。
さやか:あ……、どうぞ。
継元:すみません、読書してはる時に。
さやか:いえ……、ちょうど、読み終わったので。
継元:ごめんね。
継元:よ、っこしょ……、あたた、た。
継元:腰がもう、これ……。
0:腰部を擦りつつ、腰掛ける。
継元:ふう……。ええ天気やねえ。
さやか:本当に。
継元:鳥も、鳴いてやるしねえ。
継元:これはメジロと……、カケスかな。
さやか:種類はわからないけど……、賑やか、ですね。
継元:山の下はねえ、なんかもう暑いねんけどね。
継元:ここらは、ちょうど涼しいね。
さやか:ハイキング、ですか。
継元:ん? あ、はは……。
継元:いや、そうやね、似たような。
継元:麓からバス乗って来たんやけどね。
継元:お嬢さんも? 東の方やね、言葉。
さやか:今は、この地元の。
さやか:来たばかりで、元は、東京です。
継元:ああ、そうやろねえ。
継元:垢抜けたはるしね。
さやか:いえ……、
継元:勝手が違(ちご)て大変ですやろ。
さやか:最初は……、はい。
継元:若い人やったらね、尚更ね。
さやか:でも案外、合う部分もあって、楽だったりも。
さやか:親戚の人にも、良くしてもらえるので。
継元:ああ、ご親戚居てはんねやね。
継元:ほんなら、大分違うやろね。
さやか:だと、思います。
継元:僕もこんなん言うてるけど、
継元:生まれも育ちも大阪の人間やから。
継元:住むとなったら難儀やろなあ。
継元:若かったら違うやろけど。
さやか:大阪の方(かた)……、
継元:端っこやけどね、奈良との境目近くの。
継元:趣味で、ちょっと……、
継元:研究を、しててね。この辺りの。
さやか:研究。土とか、石とかの?
継元:と言うよりは……、
継元:考古学、までは行かへんな、
継元:民俗学というか、この地域のね、
継元:民話とか、伝承とか。
継元:そういうのを聞いて、集めたり……、
継元:自分の足で歩いて、確かめたり。
さやか:伝承……、言い伝え。
継元:そうそう。
継元:この辺……、沼戸(ぬまと)の山間部、ていうても県の殆どが山やけども。
継元:なんしこの辺りの地域は、変わった伝承が多くてね。
さやか:そう、なんですか。
継元:まず、こことか、あと近くやと奈良盆地や……、大阪の、河内(かわち)て言う辺りもそうやけど、大昔は今と気候がかなり違(ちご)て、海水の高さが……、
継元:場所によっては今と、100m以上違ったそうでね。
さやか:そんなに……?
継元:どうも、地質的に調べると。
継元:縄文辺りまで、入江とか湖の底やった土地はかなり多くて。
継元:その、奈良や大阪や京都の、今は都市部の辺りも、元々は水に浸かってた、ていう事でね。
さやか:水の底……、昔は。
継元:ほいで、この辺りも同様に……、
継元:今はあの、あっちの方の、
継元:温泉街になってる辺り、谷底に川が流れてる形やね。
さやか:はい。
継元:あそこら辺ももっと水位が高くて、ここらの山々全体が……、
継元:今で言うダム湖みたいになっててね。
さやか:この辺りも、ですか。
継元:調査の結果としては。
継元:海へ繋がる巨大な湖の畔に集落を築いて、古代のこの辺の人たちは、暮らしを立ててた、と。
継元:どうもそういう事らしい。
さやか:川じゃなくて、湖だった。
さやか:この辺り、全体が……?
継元:本州二大湖……、今の琵琶湖や封済湖(ふすまこ)と並ぶぐらいの大きさのね。波が立つくらいの。
継元:せやから、「波除(なみよけ)」言う……、
さやか:えっ……??
継元:ん、どうかしたかな、
さやか:あ、いえ……、
さやか:友達の、名字……、
継元:ああ……、何軒かあらはるね。
継元:ちょうどその、かつての湖の際の、波が寄せてたやろう辺りに……、
継元:今言うた、「波」を「除く」と書いて「波除(なみよけ)」とか、「海」に「留める」で「海留(うなて)」とか、「鴎(かもめ)」を「射(う)つ」で「鴎射(かまめい)」とかね……、海に関連するような地名が未だに残ってて。
さやか:かまめ……、
さやか:万葉集の、
継元:そう、「海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、うまし国ぞ」、
継元:いうてね……、
継元:海も無いのに「かもめ」て、不思議やけど、
さやか:それ、思ってました……、
継元:古代は大きい池や湖と「海」を、区別せんかったそうやから。
継元:鴎も元々、水辺に集まる鳥全般の意味で……、
継元:要はそういう事やね。
さやか:へえ……、
継元:そう、せやから、地名由来の名字なんやね、この辺の波除(なみよけ)さんは。
さやか:そう、だったんだ……。
さやか:山なのに、海っぽい地名が多いのはどうしてかな、って。
継元:思わはるやろね。
継元:奈良の辺りもそうで、ほんで大阪にもおんなじ字ぃで「波除」言うとこがあるけど、そこはわかりやすく、元から海の近くで……。
継元:まあ堤防とか、防波堤とか。そういうような役割の土地やったんかもしれんね、古くから。
さやか:なるほど……。
継元:そいで、話はぐるっと戻るけど……、
継元:あ、と、言うか……、
継元:ごめんなさいね。おっさんがベラベラとね、1人で喋って……。
さやか:いえ……、ちょっと、興味、あります……。
継元:ほんまに……?
継元:この歳なるとね、親子や孫みたいな歳の子ぉがね、気ぃ遣こてくれてんのかも、なんぼかは本音なんかも、よう分からんくなって来るんよね。
さやか:大丈夫、です。
さやか:そういう気は、遣わないタイプの若者なので……、
継元:判断付かんけど……、
継元:ちょっとエンジンが温まって来てしもたから、さっと手短に、喋るだけ喋ってしまうね。
さやか:エンジン。
継元:飽きたら手ぇでも挙げてもろたら、やめるから。
継元:なんならいつもは、そこらのヤマバト相手にでも、喋ってるからね……、
継元:ええと、ほんなら。
継元:ほんでその、変わった伝承て言うのは、
さやか:(吹き出し)
さやか:ふ、ふふっ……、
継元:あ……、ごめんね、
さやか:いえ……。
さやか:関西の方って、やっぱり、話すのが好き、なんですね。
継元:ああ……、
継元:そう、思わはる?
さやか:はい。皆さん、大体。
継元:んん。大阪の方の連中はね……、
継元:まあ好きと言うか、確かに口開いてへんかったら気ぃ済まんという所はあるかもね。
継元:せやけどここらは、そうでも無いんと違う? 割合ゆっくりと言うか、
さやか:いえ……、結構、皆さん、ずっと喋ってくれるので……、
継元:東の方と比べたら、
継元:まあ、そうかもね……。
継元:僕なんかは自分の性分としては、喋りな方では無いと思(おも)てるけど。
継元:それでも仕事で偶に関東の方へ行くと……、
継元:電車の中でも、皆さん静かにしたはってね。
さやか:そう、ですね……、
さやか:喋る時は喋る、っていう感じで、
継元:多分、お互い黙って時間を過ごすんが、気不味くも何ともないんやろね。
継元:それが普通と言うか……、
さやか:多分。気不味い時の方が、沢山喋ると、思います。
継元:あ、はは……。
継元:そういうんは、こっちらでもあるけどね……。
0:ザックから水筒を取り出す。
継元:僕なんかの場合はねえ。
継元:勿論好きなもんの事喋りたいいうんが第一やけど、「勿体ない」というのもあるね。
さやか:もったいない?
継元:人と喋ってても、何か考えてる時でも、頭の中で、言葉なり文章なり、組み立ててる訳でしょ。
さやか:それはそう、ですね。
さやか:出任せで喋る人も、いるのかもしれないけど……、
継元:せやったとしてもね。
継元:それぞれその人なりに、考えたはる訳でね……。
継元:勿論、僕もね。
継元:大して優秀なことも勤勉なこともないけども、好きな事に関しては車輪回して煙上げて、言葉を吐き出しよる訳で……、
継元:あ、僕の脳みそが、いう意味やけどね、
さやか:わかります。
継元:今もこれ、ほっといたらベラベラと、勝手に言葉が刷り出されて来てるでしょ。
継元:口に出さんといてね、忘れて、捨ててしもてもええねんけど……、
さやか:ストレス、ですよね。
さやか:言えなかったら。
継元:やし、おんなじ言葉を、また思い付けるかどうかも、分からんしね……。
継元:この歳なったら、
継元:ああ僕、来年還暦なんやけどね。
継元:頭もだいぶ、若い時に比べたら摩耗して来てるからね。
さやか:来年、還暦……。
さやか:お若く、見えますね。
継元:童顔でしょ。アホで苦労してへんからね。
さやか:いえ、あの……、
継元:ええの、ええの。
継元:ほんまに苦労はしてないからね……。
0:水筒の中身をゴクリと下す。麦茶である。
継元:そう、ほんまに物忘れなんかね、
継元:自分だけは歳取ってもするもんかと思(おも)てたけどね、最近、とみに……。
継元:なんかエエ事、面白い事を閃いたという記憶だけが残っててね。
継元:ほんで肝心の内容がやね、捻ろうが絞ろうが、頭から抜けてしもてて……。
継元:多かれ少なかれ皆、この歳なったら普通のことやと思えど、やけども悔しいて、勿体無(の)うてね……。
継元:せやからせめて、言える時には忘れんうちにやね、
さやか:は、はい……、
継元:ほんまにごめんね……。
継元:こういう具合にたじろがしてもうてでも、言葉にしてやりたい、と。
継元:そない思(おも)て、ほんまに喋ってしまうのよね。
継元:悪い癖で、近頃益々酷くてね……。
さやか:いえ……。
さやか:私は大丈夫です。
さやか:私は偶々、かもしれません、けど……、
継元:さて……、もう行くわ、ね。
継元:若い人の時間をね、年寄りが奪うなんていうのは罪やからね。
継元:ほんまに申し訳、
さやか:(遮り)
さやか:あ、でも……、
継元:ん?
さやか:この地域の変わった伝承、
さやか:まだ聞けてない、んですけど……。
0:風が吹く。
継元:…………。
継元:ちょっとでも気にならはる?
さやか:結構……。
さやか:まだ全然、知らないので。
さやか:地元の事。
継元:地元、ね……、
継元:馴染みがあるんは、だいぶ年嵩(としかさ)の人らになると、思うんやけどね……。
さやか:はい。
継元:ほんなら、ちょっとだけ……。
0:座り直し、居住まいを正し。
継元:……ここらの土地には、洞窟が多くてね。
継元:元々あった、天然の洞穴(ほらあな)をやね……、
継元:それこそ、ちょっと行ったとこにある鍾乳洞、あれらなんかは大分新しく発掘されたけど、
さやか:モノレールで入れるところ、ですね。
継元:そうやね。
継元:位置としては、あれらは奈良なんやけども。
継元:あそこみたいに、大昔の人が掘って、開いて……、
継元:祭儀とか、儀式の場として使われていたであろう、大小の洞窟が沢山見つかっててね。
継元:戦時中は防空壕としても……。
継元:とはいえ、そこまでは、全国的にも珍しくは無い。
さやか:洞窟……、あちこちにあるって、聞いてはいます。
さやか:古いし危ないから、近寄らない方が良い、って……、
継元:うん……、実際、緩い地盤の場所に多いし、危険やね。
継元:僕も一回こけて、捻挫をしてるし……、
継元:年中泥濘(ぬかる)んでるようなとこが多いから。
継元:で、それと言うのも……、
さやか:はい。
継元:どうも……、
継元:かつてそういう、霊的な修行や儀式に使われていたような洞窟を、点から点で繋いで行くと……、
継元:さっき言うたように縄文や弥生の時代、湖の水面より下、水中やったような高さの場所に、集中してるように見える。
さやか:水中……、湖の中の、洞窟、
継元:勿論、洞(どう)が拓(ひら)かれて、実際に人間に使われるようになったんは、遥かに後の、気候変動なり地形の変化なりで、ダムの水がごっそり抜けてしもてからやけどね。
さやか:だって、水の中、ですもんね。
継元:うん。
継元:元々水中や湖底やったような場所は、何千年と経った今でも水はけが悪くて、泥濘んで地滑りが多かったり、湿気がちやったり……、
継元:水害なんかも、この辺りは未だに……、
さやか:大変だ、って。
さやか:人が亡くなる事も、珍しくない、って……、
継元:そう……、それでも昔と比べたら、堤防も立派になって……、
継元:分かりやすく90年代にね、「雷殿(らいでん)」グループの資本が入って、あの辺の温泉旅館やらホテルやらが、ボコボコと建ったような時期に……、
継元:川沿いも大規模な再整備をされてね。
さやか:そんなに昔でも、無いんですね。
継元:僕からしたら最近やね。
継元:言うても、四半世紀近く前やけど。
継元:それまでは正直、言うた悪いけどね、沼戸の山あいに住むやいうのなんか入水(じゅすい)自殺しに行くようなもんや、て、言うとったぐらいやからね……。
さやか:入水(じゅすい)……、
継元:勿論、雨の時期に難儀なんは、変わらんやろけどね……。
継元:ほんまに危険な辺りの集落には、今は殆ど人は住んでないみたいやけど。
継元:「旧村(きゅうそん)」とか言われてる辺り。
さやか:……、行ったことない、辺りです。
継元:話が逸れたけど。
継元:この近辺、特に川沿いや、古代のダム湖の畔と思われる、幾つかの集落や文化圏には……、
継元:「暗がり巫女」とか、「塞(ふさ)ぎ巫女」とか、そういう……、女の人の、修行者の伝承が残っててね。
継元:あ、ごめんね。本旨に入るのが遅い、て、昔から……、
さやか:大丈夫です……、
さやか:巫女さん、ですか。
継元:そう。
継元:お告げや、神様の知らせを受けた、まあ今で言う霊能者のような娘さんが……、
継元:目隠しをした状態で、洞窟の中に祀られた社(やしろ)に籠もって、修行をしている、と。
さやか:目隠し……、
継元:伝わってる話では大体、この巫女の娘さんが、河の氾濫を予知したり、失(う)せ物を見付けたり、荒ぶる神様と話をつけたり……、要するに、トラブルを解決する訳やね。
継元:集落の危機を救った巫女は、再び目を塞いで、洞窟の修行に帰って行く……、と。
継元:そういう話型の言い伝えが、かなり沢山残ってる。
さやか:何だか……、ヒーロー、みたいな、
継元:そうやねえ。
継元:巫女の存在は、集落で生きる一般の村人とは徹底的に異化されててね。
継元:僕の調べた限り、話の最後で集落の仲間入りをしたり、村で幸せに暮らしましたという終わり方の話は一切無かった、ね。
さやか:寂しい、巫女さん……、
継元:そうやね……。
継元:孤独で、ね。
継元:そこもヒーローらしい。
継元:その娘さんが何処から来たんか、元はどういう暮らしをしてたんかというのも、殆ど触れられない。
継元:名前を呼ばれる事も無い。
さやか:それは……、ちょっと、悲しくて、少し……、
継元:うん。
さやか:不気味、ですね。
継元:そう……。
継元:そう、なんよね。
継元:村を救う英雄譚のように聞こえるけど。
継元:調べて行くと、どうにも一抹の……、薄ら寒いようなとこが随所にある。
さやか:その、巫女さんは……、
さやか:神様に、仕えていたんですか。
継元:大概の話では、そうやね。
継元:龍神や、大蛇の神様……、まあこれは分かりやすく水神、河や水の神様なんやけど。
継元:辺り一帯の山々を捏ね上げて、水源を「産み出した」という、巨大な神様に。
さやか:うみ、だした……、
継元:これもね……、変わったとこでね。
継元:山岳民に伝わる伝承にしてはちょっと珍しいし、そもそもこんな山深い土地に、一体いつ頃から人間が暮らしていたんかと言う……。
さやか:いつ頃から?
継元:どう考えても……、
継元:暮らしを立てやすい土地ではないからね。
継元:湖の畔で狩猟採集には好都合やったとして、何らかの理由があって、移り住んで来た人々の末裔なのか。
継元:朝廷との争いに破れて平地を追われた部族や豪族が、流れ流れて行き着いたのか……。
継元:これはもう考古学の分野やけど。
継元:なんしか、なかなか魅力的な言い伝えやと、僕は思(おも)てるんやけど……、
継元:不思議と、研究者が少なくてね。
さやか:そう、なんですか?
継元:うん……
継元:まあ土着の、固有の伝承や民話ていうのは全国どこにでもあるし、そもそも地域からしてマイナーでは、あるねんけどね。
継元:こっちへ越して来はる前、沼戸県の事が話題に登ること、あらはった?
さやか:ええ、と……、
さやか:父親の出身地なので、偶に……。
さやか:他では正直、ほとんど、無かったです。
継元:ああ……、お父さんの。
さやか:父は……、あんまり、言いたくなさそう、っていうか、
さやか:隠してる訳じゃ、ないんですけど、
継元:うん……、まあでも、ようあるやろね。上京しはってんやったら。
さやか:言葉も、さっさと東京弁に、「直した」、って、言ってました。
継元:どっちか、やろね。
継元:意地なって地元弁続けるか、早(はよ)うに直すか……。
さやか:多分、だからあんまり、聞かなかったし……、
さやか:こんなに……、景色が凄くて、緑が濃い場所だって、イメージしてなかったです。
継元:せやねえ……。
継元:僕も度々来るようになって見慣れたけど、街で育った人間からしたらね、
継元:ちょっと寸法が狂うというか。
継元:ある場所からある場所が、物凄く離れてるでしょ。
継元:こんなに広く視界が開けるような場所、都会やとそう無いもんね。
さやか:最初はちょっと、ふわふわ、しました。
さやか:遠くを見てるとボーっとして……。
継元:景色も風土も良いねんけど、
継元:まあ結局のとこ、交通の便がね……。
継元:大阪の端(はじ)からでもここまで5時間ぐらいかかるからね。
さやか:びっくりしました。
さやか:「延坂口(のべさかぐち)」の駅から、まだ、こんなにかかるんだ、って。
継元:よう、走り屋の若い子ぉらが遭難しかかってるしね……。
継元:猪も出るし。
さやか:ちょっと、見たいんですけど……、
継元:猪?
継元:怖いよ、アイツら乗用車でもひっくり返しよるからね……。
0:ゴクリ、と水筒の麦茶を呷る。
継元:ふう。
継元:喋って飲む麦茶は美味い……。
継元:まあそんなんでね、熱心に調べてる学者も少ないし、題材に取り上げる作家も、まあ少ないね。
継元:あの、妙な名前の……、
継元:「伽藍堂蝦蟇口(がらんどう・がまぐち)」いう小説家、知ってはる?
さやか:あ……、ええと、ちゃんと読んだ事は無い、です。
さやか:派手なミステリー、書く人……、
継元:荒唐無稽なね。
継元:ちょっと往年の、乱歩みたいな味はあるけど……。
継元:その人は珍しく、今さっき言うた伝説を、扱ってて……、
さやか:へえ……、
継元:まあ味付け程度の取り上げ方ではあったけど、熱心に調べたはって……、
継元:7年か8年か前にね、偶々、そこの旅館街で飲んでね。
さやか:え、
継元:妙なカッコの、妙な男やったけど……、
継元:おんなじようなもん調べてるいうことで意気投合して、次の日一緒に祠(ほこら)やら古墳やら洞窟やら回って……、
継元:二人並んで沼地ですっ転んだりね。
さやか:全然ファンではないけど、小説家の人と喋った事ないから、ちょっと、羨ましい……。
継元:出た本もね、あんまり売れへんかったけどね。
継元:あと、関東の方やけど「戸賀梨子(とがなしこ)」ていう、
さやか:(食い気味に)
さやか:そっちはファンです。
継元:あ、そう?
継元:この人もね、珍しく……、
継元:ああ、そうそうこの伝承のも一つ面白いとこはね、
さやか:はい、
継元:モチーフの似通った、おんなじような伝承が、日本全国のあちこちに、ポツポツと点在してる事、なんよね。
さやか:全国に?
継元:東西問わず、北から南まで万遍なく、似たような。
継元:しかも広い範囲やなくて、どこどこの県の、ここの山を中心とした一部地域に、というような具合で。
継元:目隠しと、土地生みと、洞穴に幽閉された巫女やの、姫やの……。
継元:戸賀梨子の場合は、東京と塚淵(つかぶち)の県境の……、
継元:どうも、実際住んではる地元みたいなんやけど。
継元:そこに残った伝説に取材して、あの、今年映画にもなるらしいけど、『祠(ほこら)の女』ていう作品を……、
さやか:えっ、……読みました、それ。
さやか:……確かに……、そんな風な内容が、出てきたような……、
継元:うん……。
継元:大分とボカして、脚色もされてるけどね。
継元:せやけど「塞(ふさ)げ巫女」、て、はっきり書いてあったから。
さやか:生贄、だった、って、
継元:ああ……、
さやか:書いてあった、ような……。
0:風が吹く。山鳥の、囀り。
継元:そう……。
継元:そう、なんよね。
継元:偶々僕も、同じような推論を、してたんやけど……。
0:麦茶を静かに含み。
継元:この伝承はね。地域こそバラバラやけど……、
継元:大きな河の淵とか、ここみたいに大昔は水の底やったような地域とか、そういった場所に多いんやね。
継元:せやから、最初は……、
さやか:選ばれた人が……、人柱として、湖や河に、沈められた……、
継元:うん……。
継元:それ自体は、かつてはどこにでもあった儀礼というか、習俗というか……。
継元:雨乞いの為とか、水害を鎮めてもらう為に、というね……。
継元:例えば、ここらの場合やと……、水が失せる前の時代、生贄として沈められていた巫女が……、
継元:時代が下って水がハケてからは、元々は水中にあった洞穴の中に封(ほう)ぜられる形で、同じく生贄の役割を担った、と。
継元:そのように考えると……、
さやか:祠のある洞窟が、昔の水面の下だった場所に集中している、というのも……、
継元:肯ける、と、思うんやけどね。
継元:順当に類推するなら。
さやか:…………、…………、
継元:酷くて、悲しい、話やと思うわ。
継元:目隠し、ていうのもね、
さやか:水に、沈められた事が転じて……?
継元:湖の底は、暗いやろうからね。
さやか:…………、
継元:名前を語られる事も無い、ていうのもね。
継元:そういう事やと。
継元:単なる直感で、こじつけかも知れんけど……、
継元:素人研究やからね。
さやか:…………、
さやか:どうして、
継元:ん?
さやか:その言い伝えを……、
さやか:調べようと、思ったんですか?
継元:ああ……、
0:ふ、と笑み。
継元:何とでも言えるけど……。
継元:正直言うたら、嫁さんへの未練、やね。
さやか:奥さん……、
継元:元、やね。
継元:もう随分前、40なる前に別れたから、大概しつこく、引きずってんねんけどね……。
さやか:その、人は……、
継元:この辺の出身でね。言うても、もうちょっと行ったとこの村やけど。
継元:結婚までは沼戸なんか、来た事も無かったけどね。
さやか:…………、
継元:その人がね……、
継元:子供の頃に、お祖母さんとか、親戚から聞かされてた、いう話が……、
継元:今言うたような、「暗がり巫女」の話でね。
継元:僕は若い頃は、無性に陰気に感じて、巫女さんも可哀想やし、あんまり好きや、なかってんけど。
さやか:…………、
継元:せやけどその話をしてる時の、その人の顔がね。
継元:何とも言えず物憂げで、綺麗で、僕は好きやったね……。
さやか:…………、
継元:どうしようもない掛け違いで、別々にはなってしもたけど。
継元:未だにね。今になってこそ、かもしれんけど。
継元:気になると言うか、心惹かれてしまう……、
継元:情けないとも思うけど、意地張る相手も、もう居らへんからね。
さやか:その方は……、その、ご出身の村に、
継元:いや……、実家も墓ももう無いし、今は神戸に住んでるから、縁者も何も、無いねんけどね……。
さやか:じゃあ……、
継元:関係なく、今はこの辺の風景、好きやけどね。
継元:普段、ゴミゴミしたとこで務めてると。
さやか:…………。
さやか:綺麗……、ですよね。
継元:うん……。
0:遠く、風景と過去を見通すかのように。
継元:せやしね……、なんやか悲しいような、恐ろしいような、虚しいような気持ちの波が、順番に来るようでね……。
継元:何かが……、紛れてるんやろうね。
継元:ここに居(お)ると。
さやか:……、
さやか:わかり、ます。
継元:ごめんね。気ぃ遣わして、付き合わして。
継元:ほんまのほんまに、もう、行くわ、ね。
さやか:あ……、はい。
0:水筒をしまい、立ち上がる継元。
さやか:気を、つけて。
継元:ありがとう。
継元:バスの時間まで、もう1箇所見て行くわ。
継元:そこはもう、洞窟ていうより山肌の窪みやけどね。
さやか:滑らないように……。
継元:あ、はは……。気ぃつけよう。
継元:偶にバスで、ここいらの山に来るから……、
継元:見かけたら会釈ぐらい、さしてね。
さやか:こちらこそ……、
継元:ほな、お先に。
継元:聞いてくれて、ありがとう。
さやか:あの……、
さやか:お話、面白かった、です。
継元:恐れ入ります……。
継元:ほんまにおおきに。
継元:お嬢さんも、気ぃつけて。
さやか:はい……、
さやか:どうも。
0:会釈をし、継元は歩み去る。
0:やがて、さやか1人。山鳥の囀り。
さやか:…………。
さやか:……暗がり、巫女……。
0:ざあ、と一陣の風が吹き、木々の梢が擦れる音。さやかの髪と裾を揺らす。
さやか:風、冷た……。
さやか:…………。
さやか:……銭湯。
さやか:梢(こずえ)ちゃん、誘お……。
0:2羽の山鳥が飛び立ち。
0:【終】